弁護士会の読書
※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。
社会
2009年6月16日
格差とイデオロギー
著者 碓井 敏正、 出版 大月書店
近年、格差は階層化とその固定にとどまらず、貧困階層の中に独特の社会意識を形成しているのではないか。高度成長の背景には、学歴獲得に代表される上昇志向が存在してきた。しかし、今、子どもの教育に関心を払わない「貧困の文化」が日本に生まれているのではないか。そうだとすると、階層化の問題は深刻である。
格差の拡大が許されるのは、社会の中でもっとも恵まれない人々の生活を向上させる限りにおいてのみである。
これは、哲学者ロールズの言葉だそうですが、まことに至言です。
ワーキング・プアなど、社会的弱者は、生活の逼迫のため、他の人々に比べ、社会関係から疎外されやすい立場にある。そのため、その窮状は人々に知られにくく、その結果、余計に精神的に孤立する危険が高い。とりわけネットカフェ難民と呼ばれる若者たちは、社会関係の基点となる固定した住居を欠いているため、その危険性が高い。
したがって、まず何より、住居の保障など、社会関係形成の基礎的条件を提供することである。
「もやい」(湯浅誠事務局長)は、その活動を通じて、孤立した貧困者の社会的関係性を回復することが目的なのである。
現代のあらゆる組織、コミュニティは、コミュニケーション機能をこれまで以上に求められている。格差の存在を知りながらも、日々の個人的満足を重視して、それを問題としないという日本人、厄介なのは、格差で割を食っているはずの下層の若者ほど、この種の感性が強いという事実がある。
最近の若者は、世界に関して無知であることについてストレスを感じていない。それは、自分の知らないことは存在しないことにしているから。ちょうど、弱い動物がショックを受けて仮死状態になることによって心身の感度を下げ、外界のストレスをやり過ごすという生存戦略をとっているのに似ている。おそらく、現代の若者も、鈍感になるという戦略を無意識のうちに採用しているのだ。
疎外感に支配された人間の行動は、格差の解決を目ざす社会運動には向かわずに、犯罪のような社会病理現象として現れる傾向がある。
格差から生まれる社会的疎外感や剥奪感は、強盗や窃盗のような一般的な犯罪として表現されるだけではない。それは、生活など個人的なファクターに媒介されることによって、しばしば世間を驚かすような、特異な犯罪として自己表現する場合がある。
人間は、とりあえず身近な可能性にすがろうとする。あまりにも自分とかけ離れた富裕層や、とりわけ能力のある人間を攻撃のターゲットにはしない。
なーるほど、そうなんですね。
人間は生物的存在であると同時に、社会的存在でもある。貧困の定義のなかに、社会的関係性の維持という条件を加えなければならない。
ネットカフェに居住している日雇い派遣の労働者は、完全に分散し、孤立している。
重要なことは、安定した職場環境を用意することである。労働は生活の手段であるが、同時に人と人を結びつける接点である。人は労働によって人格的に成長し、人との信頼関係や責任感を育むことができる。また、人は仕事を通して社会に貢献し、社会の一員としての自覚と誇りをもつことができる。職場は人間の本質である社会性を確認する重要な場なのである。労働は、生活の手段であるだけでなく、同時に人間の生きがいでもある。
ところが、日雇い派遣労働では、職場での継続的な人間関係を構築することはできない。細切れの労働は、人間関係・社会関係をも細切れにする。期間を限られ、将来が保障されない労働形態は、人間にとってきわめて不自然で非人間的なあり方である。
ヨーロッパでは、日本と違って大学の授業料などの学費はすべて無料である。ヨーロッパの学生が在学中に学費に苦しむことは基本的にない。
金持ち日本の大学生のあまりに高すぎる学費は、あまりに低い文教予算によります。不要不急の港や橋や道路、そして新幹線などにばかり大金をつぎこんでいる自民党政治は、日本人の持っている大切なところを基礎レベルでこわし続けているとしか思えません。ところが、そんな政府が若者に愛国心教育を押し付けようとするのです。まったく世の中、おかしなことだらけ、ですね。
(2009年2月刊。1600円+税)
2009年6月13日
悪質商法のすごい手口
著者 国民生活センター、 出版 徳間書店
ようやく消費者庁が設立されることになりました。弁護士会が長年にわたって要求してきた運動の成果でもあります。もちろん、形ばかりでは困ります。実効性のある機関となるように、お金と人員が確保されなければなりません。
しかし、今、国も自治体も財政難を口実として消費生活センターの予算を切り詰めようとしています。福祉・教育とあわせて、国民生活を守る分野に、政府はもっと力を注ぐべきだと思います。ソマリア沖への自衛隊派遣なんて、壮大な無駄遣いでしかありません。そんなお金があるのなら、消費者センターの拡充にこそお金を使ってほしいと思います。
国民生活センターは、毎年100万件以上の消費者からの相談事例を蓄積している。
70歳以上の人が当事者となった相談が急増している。2001年度には5万7000件だったのが、2004年度には10万件をこえ、その後もずっと10万件をこえている。
高齢者を悪質業者から守るには、いくら法律を整備してもそれだけでは足りない。そこには、どうしても周囲の協力が欠かせない。その時のポイントは、次の点です。
・見慣れない人が出入りしていないか。
・見慣れない新しい商品や段ボール箱、契約書がないか。
・かかってきた電話を切れなくて困っていないか。
・いつもより表情が暗く、元気がないということはないか。
・お金は持っているはずなのに、お金に困っていないか。
そうなんです。個別の事案で事後的救済はある程度は効果をあげることが多いのですが、事前予防は本人の心構えだけでは足りないのです。悪質商法に引っかかったという自覚のない人が、あまりに多いのが現実です。
この本は、ありとあらゆる悪質なだまし商法を、マンガ入りで分かりやすく解説し、その対処法を具体的に述べています。まさに救済のための座右の書というべき百科全書です。
ただ、クーリング・オフ期間を過ぎていても、民法上の詐欺・錯誤の主張は出来ることに触れていないのが、いつものことではありますが残念でなりません。
誤認や困惑のときには、6ヶ月以内(契約時から5年内)に取り消せるというのは、だまされたとまでは言えなくても、6ヶ月以内なら取り消せるということなのです。
それはともかくとして、わずか1800円の本ですが、一家に一冊常備してほしい。おかしいぞと思ったら、すぐこの本をひも解いてみる。そんな習慣を、多くの日本人に身につけてほしいものです。
稲佐山に上りました。ロープウェーで見る夜景は久しぶりです。満月の夜でした。地上にきらめく明かりの点の一つ一つが、人の営みを現わしているなんて信じられません。
展望台は風が強くて、体感温度がじっと冷え込みます。だから、周囲は、熱々のカップルばかりです。早く部屋に戻って、バスタブに肩まで身を沈めて温めたいと思いました。
長崎の夜景は、函館のそれより幅が広いように思えます。どちらも港に面しています。百万ドルの夜景というのもあながち嘘とは思えません。一見の価値があります。
(2009年4月刊。1800円+税)
2009年6月 3日
セブン・イレブンの真実
著者 角田 裕育、 出版 日新報道
私はビジネス書にも関心があり、セブン・イレブン躍進の理由を知りたいと思って、鈴木敏文会長の本を何冊も読み、ここでも紹介してきました。この本は、逆にセブン・イレブンの闇をあばくことを企図した本です。
実は、私の実家も小売酒屋をしていましたが、父が病気になって引退したとき、若い人に営業権を譲ったのですが、その若い人は数年後にセブン・イレブンに転身してしまいました。
小売酒屋のときには好きな釣りに行くヒマがあったけれど、コンビニのオーナーになったら、とてもそんなヒマはなくて大変だ、とボヤいているという話を間接的に聞いたことがあります。なるほど、聞きしに勝るすさまじい労働実態です。
前職は酒販店などの自営業者だった人たちが昔は多かったが、バブル崩壊後は脱サラ組が主流だ。
オーナーたちの労働形態でオーソドックスなのは、夫婦ふたりで、奥さんは昼間、御主人は夜中に入るというパターン。コンビニの従業員は大半がアルバイトだが、無断欠勤する不届き者もいるし、急に休む人間もいる。そんなときにはオーナー自らレジに立たざるを得ない。
もうかっていない店でも、最近では43%のチャージ(ロイヤルティ)を取られる。もうかっていると、最高76%ものロイヤルティーがとられる。
店を辞めたいと言い出すと、契約(15年契約が多い)途中なら赤字店で数百万円、黒字店だと数千万円の違約金が請求される。うへーっ、す、すごい大金です。これではうかうか止められませんよね。
セブン・イレブンで出店するのには、AタイプとCタイプがある。Aタイプは、ロイヤリティは43%と低いが、それは最初に5000万円ほどの出資が必要だから。
Cタイプは脱サラ組に多く、初期投資は300万円で済む。本部が店舗の土地・建物を用意してくれる。ただし、ロイヤリティ(チャージ)は月56%~76%と高い。
そして、ここでロスチャージがのしかかる。ロスチャージとは、廃棄や万引きなどでロスになった商品も帳簿上の「売上総利益」という利益項目に組み込まれて、実際に売れた商品と同様のチャージ(ロイヤリティ)が引かれるという仕組み。これが、セブン・イレブンの異常な高収益の秘密の一つとなっている。
コンビニの日販(一日の売り上げ)は、低いところでは20~30万程度。60万円とか70万円を超える店は少ない。
オーナーの親が死んでも店は閉められない。
賞味期限切れ間近の商品をオーナーの独自の判断で値引き販売することは認められていない。
後入れ、先出しを鈴木会長は提唱するけれど、それで成功している店はない。
おでんは5時間くらいで期限が切れることになっているが、実際には守られていない。そして、8時間ごとに容器を洗浄することになっているが、実行している店はほとんどない。
たしかに、レジの隣にあるオデンはむき出しですから、不衛生といえば不衛生ですよね。余計な添加物がたくさん入っている気もしますし……。
コンビニだらけの日本ですが、本当にそれでいいのか、この本を読むと改めて疑問を感じてしまいました。といっても、もはやコンビニしかない、選択の余地はない、という現実があるのですよね。悩ましい現実です。
東京に泊まって、ホテルの近くにある洋風居酒屋で一人夕食をとりました。6年前、この店は私の行きつけの店でした。久しぶりに行ったのですが、当時も今もサラリーマンでいっぱいです。はじめにタコのカルパッチョを頼みました。さっぱりした味わいです。次に、細切りジャガとチーズ焼きを注文します。店の女性が一人前だと多すぎるでしょうから、半人前にしますかと訊いてきましたので、そのようにしてもらいます。やがて熱々の皿が運ばれてきました。ピザに似てますが、もっとボリュームです。赤ワインをちびりちびり飲みながら食べます。一息ついたところで持参した『源氏物語』を読みすすめます。次に、同じようなものになってしまいましたが、チヂミを頼みました。これも半人前です。チヂミを食べると、つい釜山で食べた有名な店を思い出します。少しずつ注文していきます。ワインの方もちょびちょび飲んでいきます。
メニューを眺めると、なんと梅干しのカラアゲというのがあります。食べたことがありません。えい、チャレンジしよう。運ばれてきたのはまさしく唐揚げです。タネがありますのでガブリとしないでくださいと注意されました。ハチミツ味で肉厚の大粒紀州梅を薄ころもに包んでカラリと揚げています。甘酸っぱく美味しい梅干しを4個も食べて、すっかり腹がくちくなりました。仕上げはサラダです。
冷たいのより、温かいものはないかとメニューを探してみると、ありました。ベーコン入りキャベツの温サラダです。これまたアツアツのキャベツいためにベーコンが混じり、たっぷりマヨネーズがかかっていて、うひゃあ、いけますね、これって……。それでも、カラフェの赤ワインを少し残すたしなみはわすれることなく、店をあとにしました。ごちそうさま。
(2009年2月刊。1400円+税)
2009年5月30日
「発車オーライ」
著者 東武労組女性労働運動史研究会、 出版 ドメス出版
東武労組婦人部のあゆみ。これがサブタイトルです。オビに書かれている文章を紹介します。
かつて女性の職業といわれたバス車掌が、ワンマンカーの導入で仕事と職場を奪われた。まったく異なる仕事へ、再び“発車オーライ”した。働き続ける道を切り拓いた女性たちの軌跡をつづる。
今どきの若い人は、バスに車掌さんがいて「発車オーライ」と叫んでバスが走り出していたなんて、想像もできないことでしょう。でも、そこには、人の手によるぬくもりが、たしかにあったのです。ワンマンバスは、非人間的な労働環境を象徴するものです。
バス車掌は、最高時に8万人。日本でバス車掌が誕生したのは1919年(大正8年)のこと。この当時、バスは高級な乗り物で、東京市バスの採用試験に集まった女性は、和服姿だった。制服は、フランス人のデザイナーが一人ひとり採寸して仕立てた。
車掌は、運転手より早く出勤する。バスは木炭車で、下駄履きだった。
バスには冷房もなく、乗務中は立ちっぱなし。揺れるバスの中で、立ったままで乗車券を切り、お客におつりを渡す。馴れるまで、なかなか出来ない。つい立ったまま居眠りしてしまうこともある。
乗務が終わると、清算業務がある。足りないときには車掌が負担する時代もあった。
1979年(昭和54年)、バスのワンマン化が始まった。車掌が配転されはじめた。
1981年に路線バスは100%ワンマン化された。
田舎のバスは、オンボロ車、ガタゴト走る。つい、この歌を思い出しました。働く人、そして乗客を本当に大切にする社会であってほしいものです。効率一本やり、見せかけのサービスだけというのでは困ります。
(2008年11月刊。2000円+税)
2009年5月29日
刷新!改革新長(京都市長選挙の記録)
著者 中村 和雄、 出版 京都市政を刷新する会
2008年春(2月17日)、京都市長選挙でわずか951票差で惜敗した中村和雄弁護士の選挙戦を振り返った小冊子です。ずいぶん前に贈られてきてたのですが、そのうち読もうと思ってツンドクしているうちに、今日に至りました。読み始めると、さすがに京都人はすごいと感嘆しましたので、ここに紹介します。
951票差というのは、中村候補15万7521票、当選した門川候補15万8472票というのです。本当に、ごくごくわずかの差でした。京都市内の11の行政区のうち、4つの行政区で中村候補が勝っています。政党として中村候補を推薦したのは共産党だけです。いくら京都で共産党が強いといっても、共産党対残る全政党という構図で勝てるはずがないのに、なぜ、ここまで大接戦、僅差に持ち込んだのか、とても興味があります。
中村弁護士が候補者活動を始めたのは、前年(2007年)5月のことです。それから、市民にはまったく無名の新人が名前を売り込んでいくのですから、大変な苦労があったことだろうと思います。
京都弁護士会400人のなかの4割160人が中村弁護士を支持してくれたそうです。過半数に達しなかったのは残念です。弁護士の世界も変革は容易ではないのですね。
中村候補の大健闘は、京都市政における同和行政のあまりにひどい不正の横行に対する広範な市民の怒りを前提としたものでした。京都市の職員が不公正な同和行政がらみで次々と不祥事を起こして逮捕されたりして、その実態が明るみに出て行ったことがありました。
9ヶ月間のあいだ、弁護士としての活動をほとんどしなかったようですが、中村弁護士は「とても充実した楽しい日々でした」と語っています。
生放送のテレビ討論はやりがいがあった。まさに反対尋問の応用だった。このように語っているのは、さすがに候補者として大きく有権者を惹き付けた中村弁護士ならではの感想です。
私も若いとき、たった一度だけですが、NHKの朝のテレビで生放送の番組に出演したことがあります。前泊して渋谷にあるNHKスタジオで出たのですが、全国に流されるというのですから、それはそれは緊張しました。
中村弁護士は、論戦で相手候補を圧倒したので、それで勝負があったはずだけど、政治の世界では正義が必ずしもすぐには勝たない、時間がかかることもあると述べていますが、本当にそのとおりですね。でも、最近の南アメリカの動きを見ていますと、少し時間がかかっても、いずれ近いうちに日本もきっと大きく刷新、本当に変革(チェンジ)するのだと私も確信しています。
政策・宣伝の分野に関わった人たちの座談会に目が留まりました。チラシづくりの工夫が語られています。
一番大事にしたのは、単純に一般市場に通用するカッコイイ物を作ろうということ。見たときのストーリー性とか、単純なカッコ良さ。
そして、中村候補がブログを自分で毎日更新したことが一番よかった。町中を「おーい中村君」と呼びかけるテープで流してまわった。
宣伝、そして、インターネットの活用がますます大切だと思いました。中身は同じでも、装いを刷新したら、さらに大きく影響力は広がっていくのです。
(2008年9月刊。
2009年5月28日
さよなら紛争
著者 伊勢崎 賢治、 出版 河出書房新社
この本を読むと、日本の平和憲法こそ、今の日本が世界に誇りうる最大の宝物だということがよくよく分かります。なにしろ、世界の紛争最前線をくぐり抜けてきた人の体験を踏まえての提言ですから、ずっしりと腹にくるほどの重みがあります。
日本の憲法は、欧米諸国でかなり研究されている。これが世界平和の鍵だという意識で、まじめに研究している人がいる。だから、これを広告戦略として打ち出していけば、もっと大きなムーブメントに成長していくはずだ。ところが、日本国内では、なんと平和憲法(9条)を捨てようという方向に動いている。そうなんです。なんという愚かなことでしょうか。
日本がテロリストからまだ攻撃されていないのは、憲法9条があるから。日本は中立である。戦争はしない。そう言いきっている国の人間を警戒する理由は何もない。それは、ソニーとかホンダ、ニッサンというような日本製品への信頼と重なり合ってできている信頼感なのだ。なるほど、なるほど、まったくそのとおりですよね。
著者は建築家を表して早稲田大学の建築学科に進学しました。しかし、そこで失望して、海外へ転身したのです。インドで住民組織のリーダーとなったらインド政府からマークされ、国外退去命令を受けてしまいます。
そして、日本に帰って、国際協力NGOに就職し、派遣された先がアフリカのシエラレオネでした。ここは世界最貧国でありながら、激しい内戦のまっただなか。そこでは少年兵が最も残酷な蛮行を働いていました。司令官も15歳の少年。勇敢に戦えば、15歳でも司令官になって、大人を指揮することになる。面白半分で人を殺し、残酷さを競い合う。始末に負えない。
4年間、シエラレオネでがんばったあと、著者は次に東ティモールに派遣され、県知事に任命されます。その指揮下に、1500人の国連平和組織軍がいて、平和維持のために4年間がんばったのです。すごいですね。
そして、さらに元いたシエラレオネに再び派遣されます。そこでは、アメリカ主導によって「平和」がもたらされた。アメリカは、さんざん人々を虐殺してきたRUFを免罪し、そのリーダーを副大統領に迎え入れた。
著者は、そのシエラレオネで武装解除にあたります。もちろん、まったくの丸腰です。
よくぞこんなに勇気ある日本人がいたものです。そして、その日本人が日本国憲法9条の大切さをとくとくと説いているのです。じっくり静かに胸に手を当てながら味わうべき言葉です。
紛争が絶えない世界だからこそ、武器を捨てようと日本は呼び掛けるべきなのだ。それは、決して「平和ボケ」ではなく、真に勇気のある言葉なのである。
素晴らしい本です。なんだか、臆病な私まで勇気が湧いてきた気がしました。
(2009年4月刊。1200円+税)
2009年5月24日
がんは患者に聞け!
著者 吉田 健城、 出版 徳間書店
有名人16人のがん闘病記録ですので、読ませます。
山田邦子(乳がん)、鈴木宗男(胃がん)、市田忠義(大腸がん)、仙谷由人(胃がん)など、それぞれの人たちのがんの壮絶なたたかいの記録でもあります。
また、読んでいるうちに、勇気も湧いてくる本です。
女優の洞口依子さんという人は、私の全然知らない人ですが、子宮頸がんになって、子宮を広く摘出し、後遺症に悩まされました。そんな彼女が心の支えとしたのが、書くこと、でした。
朝日新聞の夕刊にコラムを書き、それを単行本にした。書いているうちに、それまで見えていなかった自分が見えてきた。自分に起きたことを短い文にまとめる作業は、客観的に自分を見つめ直す作業だ。病気になってから起きたことを、あれこれ思索しているうちに、そのときどきの自分と病気とのかかわりも見えてくるので、書けば書くほど病気との付き合い方も分かってくる。文章を書くことで、最近、ようやく病気との距離感がつかめるようになった気がする。それで、ちょっと自信もついてきた。なるほど、そういうこともあるのですね。
テレビの政治討論会に出演することも多い共産党の市田忠義氏(書記局長)は、大腸がんの手術後の後遺症として、生放送の討論会の最中にひどい便意に襲われました。民法の番組のときにはコマーシャルタイムにトイレにかけこみ、事なきを得ました。しかし、NHKのときには、コマーシャルタイムがありません。ついに、途中でトイレに駆け込んだのです。それでも、ディレクターがアングルを工夫してくれ、さらに、藤井裕久議員が優しく教えてくれたそうですがんという病気を根絶できる薬はまだ見つかっていませんが、早くだれか見つけてほしいものです。
ツテツの木のすぐそばに今年もツバメ水仙が朱色のスマートな花を咲かせてくれました。1月から咲き始める水仙の最後を飾ります。花弁が細くて、すらっとしていて、ツバメが空を飛びまわる姿を連想させる花です。
アマリリスの朱色の花も咲いています。もう雑草に埋もれてしまったのかとさびしい気がしていましたが、ことしも元気に咲いてくれました。手植えした植物が見事な花を咲かせてくれるのはうれしいものです。
(2009年1月刊。1700円+税)
2009年5月19日
古典への招待(下巻)
著者 不破 哲三、 出版 新日本出版社
大学生のころ、必死になってマルクスやレーニンの書いた本を読んでいました。もちろん、私ひとりではなく、周囲の学生もかなり読んでいて、読まない学生のほうが肩身の狭い思いをしていました。マルクスの哲学の本はかなり難解で、何回読んでもよく分からないところがありましたが、それでも物事を表面的に眺めるのではなくて、その本質をつかんで考える上では、とても勉強になりました。
この本は、そんな気持ちを取り戻したくて、久しぶりに読んだというわけです。今回もまた、なるほど、そういうことだったのか、と何度も目を開かされる思いをしました。良く分からないところも多かったのですが、著者が今日的視点からの解説をしてくれていますので、分かるところも多々ありました。
ヘーゲルは、現実的なものはすべて合理的であり、合理的なものはすべて現実的である、と言った。これは、あわてて読むと、今存在しているものがすべて理性にかなったもので、現存している体制のすべてを賛美する哲学のように聞こえる。
しかし、ヘーゲル哲学は、そんな単純なものではない。「現実性」というのは、ただ現に存在しているというだけでは足りない。どんな事物も、それが合理的であるときに、はじめて必然的な現実となる。いま存在しているものでも、現実の諸条件に合わず、合理性を失ったときには、非現実に転化する。そのときには、現状維持ではなく、現状を変革する革命が現実的なものになる。ここにヘーゲルの命題の真意がある。つまり、現実的なものはすべて合理的であるという命題は、すべて現存しているものは滅亡するにあたいするという命題に解消する。
うむむ、なんという逆転解釈でしょうか……。
世界は、出来上がっている諸事物の複合体としてではなく、諸過程の複合体としてとらえられねばならず、そこでは見かけのうえで固定的な諸事物も、われわれの頭脳にあるそれら諸事物の思想上の映像、つまり概念におとらず、生成と消滅のたえまない変化のうちにあり、この変化のうちで、見かけのうえでは偶然的なすべてのものごとにあっても、また、あらゆる一時的な後退が生じても、結局は、一つの前進的発展が貫かれているという偉大な根本思想がある。
自分が社会によって生み出されながら、経済的基礎との関連を忘れ去り、独立した力としてふるまうこと、エンゲルスはこの見かけ上の独立性を、上部構造に属する社会的意識形態の共通の特徴としてとらえ、これをイデオロギーと呼んだ。国家は上部構造の全体のなかでも、経済的基礎にもっとも接近した位置にある存在である。
国家の見かけ上の独立性、そのイデオロギー的性格は、国家の機能の一部を専門的に担う職業的政治家や法律家の登場とともに、いよいよ強固なものとなる。これらの人々のところでは、政治や法律と支配階級の要求など、経済的事実との関係は、意識的に断ち切られる。
上部構造は、国家などの社会組織やさまざまな社会的意識形体からなるが、これらは全体として、究極的には、経済的関係によって規定される。しかし、経済関係に規定されているという関係は、目に見える形で表面に表れているものではなく、その思想や観念の領域が物質的過程から離れるほど、あいだにいくつもの中間項が介在し、よりこみいった関連性は隠れてしまう。
イデオロギーと経済的関係との関連は、イデオロギーの諸形態の当事者たちには意識されず、忘れ去られる。自分が独立した歴史と論理を持つ、独立した思想領域だと思い込むからこそ、イデオロギーはイデオロギーとして、社会的機能を果たす。
今の日本をよくよくとらえ直して見るときの思考にも大変役に立つ本だと思いました。
(2009年4月刊。1700円+税)
2009年5月15日
ルポ 労働と戦争
著者 島本 慈子、 出版 岩波新書
日本は、憲法9条で軍隊を否定しながら、自衛隊という軍事力をもっている。この現実のねじれは、「専守防衛」というキーワードで正当化されている。これは、9条が消えたら「専守防衛」というキーワードも消え、日本が外国で兵器を使うこともありうるということだ。
日本の自衛隊が、2006年度までに調達したクラスター爆弾は、23%はアメリカ製で、残る77%は国産だ。つまり、この日本の中で日本の労働者がクラスター爆弾をつくっている。そうなんですね。毎日毎日、人殺しの役にしかたたない爆弾をつくっている人が日本にもいるわけなんですね。
戦闘の無人化が何を意味するかというと、銃後の責任が重くなるということだ。アメリカ軍の基地を拒む感情は今も根強い沖縄だが、アメリカ軍基地で働きたいという若者が増えている。民間の人材派遣会社が、会社によっては何百人という規模で、派遣社員をアメリカ軍基地内の諸機関へと送りこんでいる。
2007年度、沖縄でのアメリカ軍基地の従業員募集に際して、341人の採用に対して8448人が応募した。同じように、沖縄以外の本土でも、884人の求人に対して3425人が応募している。
アメリカ軍基地で働く雇用形態はさまざまだ。雇用主は日本政府で、使用者はアメリカ軍という雇用形態が一番多い。全国で2万5000人、神奈川と沖縄が9000人、東京が3000人弱。こんなに基地で働いている日本人がいるのですね……
一人ひとりの仕事が細分化されているため、従業員はアメリカ軍の殺戮に加担しているという意識は持っていない。うーん、これも考えさせられます。
憲法9条があり、武器輸出3原則のある現時点の日本では、軍需部門の肥大した大企業は存在しない。防衛省への納入額トップの三菱重工でさえ、防衛部分の売り上げは全体の20%にも満たない。
日本国内の防衛産業全体に従事しているものは6万人。軍事大国アメリカの場合は、軍需関連の仕事をしている民間労働者は360万人。フランスでは、軍需関連の労働者は100万人。いやあ、これ以上、軍需産業が肥大化しないように、私たちは不断の監視が必要ですね。
この一見平和を謳歌している日本で、人殺し兵器を作る人が6万人もいるなんて、ぞっとします。ほかに仕事がないため、アメリカ軍基地で働くのを希望する若者が増えているという指摘にも心身が震え、凍る気持ちです。
アメリカでは、貧困から抜け出そうとして軍隊に入り、イラクなどに送られて、毎日毎日、人が殺され、人を殺す現場にいて、平常心を奪われて精神を病む若者が急増しているとのことです。日本も、平和憲法とりわけ9条を守り、そんなアメリカのような国にならないようにしたいものだとつくづく思います。
火曜日、日比谷公園の中を歩くと、真っ赤な大きなバラがたくさん咲いていて、若い人たちがケータイで写真を撮っていました。黄色いバラも爽やかな感じですね。赤いバラのそばに白いバラもありました。初夏というより、夏本番という気温で、汗ばむほどでした。札幌から来た弁護士はようやく桜が咲き始めたと言っていました。
(2008年11月刊。740円+税)
2009年5月10日
俺は、中小企業のおやじ
著者 鈴木 修、 出版 日本経済新聞出版社
かなり骨っ柱の強い、ガンコおやじだな、そんな印象を受けました。労働組合も、ストライキも、なんのその、ヘッチャラだ。そんなところは感心できませんが、トヨタやニッサンなどの大手メーカーのはざまで健闘しているスズキの経営者の苦労話ですので、とても面白く、また、ためになりました。
企業は一時的に順調でも、いつまでも順風満帆で成長していけるものではない。だいたい25年くらいの周期で危機に襲われる。企業にも寿命があるんですよね。
スズキのアルトは、全国統一価格で47万円で売り出した。全国ネットのテレビコマーシャルで47万円で売り出したのは初めてのこと。それまでは、地方ごとに値段が違っていた。うへーっ、そうなんですか……。一物一価ではなかったのですね。
アルトは商用車。これで税金が安くなる。あるときはレジャーに、あるときは通勤に、また、あるときは買い物に使える。あると便利な車、それがアルトです。
まるでダジャレのような命名法ですね、これって。チョイノリ・バイクも同じ発想でした。
飛行機手形とは、期日が来るたびに書き換えられて飛んでばかり、落ちることがない。台風手形とは、210日、つまり7か月たってやっと支払われる手形のこと。
私は弁護士になって35年以上になりますが、この20年間ほど手形訴訟を扱ったことがありません。不渡りを心配していた零細企業の経営者に対しては、手形を切ることを止めなさいと口を酸っぱくして忠告しています。私は、手形って、商売には不要のように思います。手形を落とすことにあまりに目が向きすぎ、本業がおろそかになってしまうからです。
スズキで工場を新設したときのこと。どうもうまくない。こんなとき、社長は、どうすべきか。
設備を入れたばかりだから、もったいない。そんな遠慮は無用。効率の悪い工場は、おカネをかけてでも一刻も早く手直しするべき。手直しするための予算には、制約をもうけない。
すごいですね。よくも、ここまで言い切りました。しかし、この見切りが経営者には肝心なのですね。
著者は、アメリカで苦しい状況に陥ったとき、優秀な弁護士たちに救われたことを教訓として、次のように言っています。
弁護士にはカネを惜しむな。ケチケチせずに最高の人材を雇えば、その見返りは大きい。
なるほど、なーるほど、そのとおりだと私も思います。しかし、えてして金持ちほど弁護士報酬を値切ろうとしてきます。やる気を殺がれる話です。安かろう、悪かろうではお互いに困るのですが……スーパーのタイムセールと同じように考える安直な発想にとらわれている経営者には困ったものです。
スズキは、インドにいち早く進出して成功した。1台の単価は安くても、50%をこえる高いシェアをもつと、それなりの収益をあげてくれる。なるほど、ですね。
インドのスズキの工場には、幹部用の個室はなく、社員と一緒に働く。社員食堂があり、そこで幹部もヒラの社員と同じように並ぶ。カースト制は無視して、日本流でやって成功している。すごい自信です。これだけの確信がないとやっていけないのですね。
スズキは、ワゴンRを1993年に発売しはじめ、2008年12月までに、日本国内で310万台を売った。これは、日本一である。すごいです。これで、スズキが、そこで働く労働者を大切にしていれば文句なしですね。その点はとうなんでしょうか。あの、日本一のトヨタなんて最低ですよ。もうけが減りそうだというだけで、率先して首切り台宣言をして、日本の大不況をもたらしたのですからね。これで日本を代表するメーカーと威張っているのですから、日本の信義も地に堕ちたとしか言いようがありません。
(2009年3月刊。1700円+税)