弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

社会

2009年6月27日

回復力、失敗からの復活

著者 畑村 洋太郎、 出版 講談社現代新書

 自滅パターンにはまりこんだ人には、ある共通点がある。それは、人は弱いという認識が欠けていること。窮地に追い込まれて大変な状況のときに心がけるべきことは、自分の出来ることをただ淡々とやり続けること。ただ、それがまた難しいのですね。心が乱れていますから……。
 組織運営に外部の人間を参画させると、硬直した雰囲気を壊すひとつの有効な手段になりうる。内部の人間だけだと、どうしても客観性に乏しい。社会とズレた見方になってしまう。そうなんです。私の参加する会議の一つに、たまらなく暗くてかたい雰囲気のものがあります。お互い、けなしあうだけで、相手の成果を認めようとしないのです。いるだけで、くたびれる会議です。出なくて済むときには、心底ほっとします。
 ピンチのときのポイントは、ひとりだけで荷物を背負ってはいけないということ。
 私は、やったー、失敗したー……というときには、それを誰か、気の置けない友人に話して吐き出してしまうようにしています。自分のうちにうつうつと籠らせないようにするのです。
 自分のやっていることに自信を持つ。自信のない人は、ちょっと困難なことがあると、すぐに撤退してしまうので、結局は目標を達成できない。自信をもっていると、ちょっとくらいの困難ではめげないで、再チャレンジする。その差が、最後に結果として現れる。そして、この自信は根拠がなくてもかまわない。
 大切なことは、失敗を前にして、自分が何をどう考えて、どう行動したかを後々までしっかり覚えておくこと。それが出来たら、自分の判断や考え方、それにもとづいた行動がどんなふうに間違っていたか、後で確認することができる。これは失敗を正しく理解するための基本である。そのようなことのできる人のみが、失敗に学ぶことができる。
 手助けを受けられるのは、おそらく日ごろから愚直かつ丁寧に努力を続けている人である。うむむ、けだし至言だと思います。何事も謙虚であり、持続したいものです。
 失敗なんかで死んではいけない。まさしく至言です。いい本に出会いました。
(2009年1月刊。720円+税)

2009年6月22日

東大駒場学派物語

著者 小谷野 敦、 出版 新書館

 私にとって昔懐かしい駒場の話です。大学2年生のとき、ちょうど東大闘争に突入して授業がなくなりましたから、まともに授業を受けたのは1年と2か月ほど。ところが私自身は、大学で授業を受けて勉強する意義が分からず(と称して)、地域(神奈川県川崎市です)に出かけて、若者(労働者です)たちと一緒のサークルをつくって、しこしこと(その当時の流行語です)活動していました。
 翌年2月に授業が再開されてからも、引き続き漫然と授業には出ずに、地域でのセツルメント活動に没頭していました。まさしく、人生に必要なことは、大学ではなく、地域におけるセツルメント活動で学んだという気がします。
 それはともかくとして、この本を読むと、駒場での教授生活も、内情はかなり大変だということを知ることができます。それは第一に、この本のように内情暴露する人が出てくる危険性は高い、ということです。この本は、学者のゴシップでみちみちています。
 といっても、『源氏物語』だってゴシップを載せているじゃないかと著者は反撃しています。なるほど、そうなんでしょうね。『源氏物語』が世の中に出たとき、この人は誰がモデルなのか、いろいろ話題になったことでしょう。だから著者は、次のように喝破するのです。
 文学はゴシップと不可分の関係にある。ふむふむ、そうなのか、うむむ。
 私が大学生のころ、渋谷駅から井之頭線に乗り、駒場東大前駅で降りていました。ところが、この駅は、なんと1965年(昭和40年)にできたものだというのです。なーんだ、まだ2年しかたっていないときに私は利用したんだ……。昔から、こんな駅があったとばかり思い込んでいました。
 駅の階段を降りると、真正面が駒場の正門に至るのです。回れ右をすると、麻雀屋やラーメン店などの飲食店が混じる商店街になっていました。
 駒場の春、という言葉が出てきます。五月病とは無縁な、未来へのなんとはなしの希望を感じさせるものです。しかし、その希望を現実化させた人は、どれだけいたのでしょうか……。
 私にとっての救いは、まず第一に駒場寮です。6人部屋でしたが、先輩のしごきなんて、とんと無縁の自由極まりない天国のような生活が、そこにありました。ただし、経済的には楽ではありませんでした。1ヶ月をわずか1万3000円あまりで生活したという収支ノートが今も手元に残っています。もらっていた奨学金は月3000円。学費は年に1万2000円でした。
 第二に、セツルメント活動です。ここで、素晴らしい先輩と素敵な女性たちに出会うことができました。残念なことに、私の恋は実りませんでした。
 著者は、35冊も著書を出したのに、駒場で不遇な目にあったのを嘆き、攻撃しています。そうなんでしょうが、きっと学者にも求められる協調性に欠けていたのでしょうね。
 著者は、本を書かない教授がごろごろしていると手厳しく批判しています。本当にそうです。私も本は何冊も書いていますが、モチはモチ屋で、何を得意とするかの違いがあり、私などは議論のとき、きちんと順序、論理だてて展開するのはまったく不得手のままです。この本を読んで、学者の世界の厳しいゴシップを聞いた気がしました。
 それにしても、天皇崇拝論者が駒場の学者にそんなに大勢いたなんて、驚きです。ご冗談でしょ、という印象を受けました。
 昨日の日曜日、福大で仏検(1級)を受けました。朝から「傾向と対策」を読んでフランス語の感覚を必死で取り戻す努力をしました。単語がポロポロと忘却の彼方に飛び去っているのです。試験は3時間かかります。1問目2問目と全滅していき、長文読解でなんとか得点して、最後の書き取り、聞き取りで少し点を稼ぎます。100点満点で30点そこそこという哀れな成績がつづいています。我ながら厭になりますが、それでもフランス旅行を夢見て続けています。
 休憩時間に庭へ出てみると、色とりどりのバラの花が見事に咲いていました。梅雨空の下で、フランス語にどっぷり遣った苦難の日でした。
 
(2009年4月刊。1800円+税)

2009年6月18日

トヨタ・キャノン非正規切り

著者 岡 清彦、 出版 新日本出版社

 日本の今の深刻な不況の引き金を引いたのは、トヨタであり、キャノンであると私は考えています。もちろん、その背景には、アメリカのサブ・プライムローン危機に端を発した世界的な金融危機があるわけですが……。それでも、トヨタとキャノンの責任は重大です。
 トヨタの期間従業員は、最長で2年11ヶ月の有期雇用契約である。最初の契約は4~6ヶ月で、その後も6ヶ月、1年と細切れ契約にして、いつでも期間満了で解雇できるようにしている。トヨタはカンバン方式で有名だが、その「人間カンバン方式」こそ、期間従業員の活動である。必要なときに、必要な労働者を、必要なだけ使う。派遣労働者は奴隷だ。昔、女性は女郎屋に売られたが、いま、オレ達は工場に売られる。
 トヨタは、この20年間、正社員を増やさず、期間従業員を増やして日本一の利益をあげてきた。1990年のトヨタの経常利益は、7338億円。2008年には、それが2.3倍の1兆5806年にのぼる。しかし、正社員は7万人から6万9000人に減っている。そのかわり、期間従業員は1万人をこえ、生産現場の3割を占めるようになった。
期間従業員の日給は1万円。年収は300万円。正社員の平均年収829万円の半分以下でしかない。トヨタは、期間従業員のマイカー通勤を認めていない。だから、会社のバスか、自転車で通勤する。
トヨタは株主への配当は継続していて、2037億円も配当した。首切りを宣言した6000人の期間従業員の雇用を守るためには、配当金の9%、180億円あれば可能である。
そして、トヨタの内部留保(貯め込み利益)は、13兆9000億円にのぼっている。
うへーっ、こ、こんな莫大な利益、そして株主配当金があるのに、労働者のほうは平然と首切りするのですね。ひどいものです。血も涙もないとは、このことですよね。
ところで、いったい、取締役のもらう年間報酬額はいったいいくらなんでしょうか?
今の日本経団連会長の出身母体であるキャノンの名前が、観音に由来するということをこの本で初めて知りました。
キャノンでは、ほとんど残業はない。しかし、ノルマ達成まで働くことには変わりない。それは、サービス残業として何の手当てもつかない。
キャノンは大分県から莫大な補助金をもらっている。総額48億円にものぼる。ところが、そこで働く大量の労働者がワーキングプアと呼ばれている。4553億円もの利益を上げていながら、貧困宣言を出す。これって、まったく矛盾そのものです。
キャノン労組は、上部団体に加わらず、賃上げ要求すらしていない。
派遣労働者の時給は1000円。結局、手取り11万5000円になる。正社員だったら、残業や交代制手当がなかったら、月10数万円から20万円程度の手取りとなる。
キャノンそして日本経団連会長である御手洗は、「3年たったら正社員にしろと硬直的にすると、日本のコストまで硬直的になる」と言って開き直り、法律のほうこそ変えるべきだと弁明し、主張している。いやはや、とんだ男です。こんな人物が財界人トップなんですから、日本の将来はお先真っ暗です。
キャノンも、株主への配当は、同じく前期と同水準にしている。
日本経団連って、ホント、自分たち大企業のほんの目先のことしか考えていない強欲な資本家集団なんですね。あきれてしまいます。こんな人たちに今時の若者は日本の国と郷土を愛する心が足りないなんて言われたくありませんよね。守るべき自分の生活があってこそ、守るべき郷土があり、国があるのですからね……。
(2009年3月刊。1400円+税)

2009年6月16日

格差とイデオロギー

著者 碓井 敏正、 出版 大月書店

 近年、格差は階層化とその固定にとどまらず、貧困階層の中に独特の社会意識を形成しているのではないか。高度成長の背景には、学歴獲得に代表される上昇志向が存在してきた。しかし、今、子どもの教育に関心を払わない「貧困の文化」が日本に生まれているのではないか。そうだとすると、階層化の問題は深刻である。
 格差の拡大が許されるのは、社会の中でもっとも恵まれない人々の生活を向上させる限りにおいてのみである。
 これは、哲学者ロールズの言葉だそうですが、まことに至言です。
 ワーキング・プアなど、社会的弱者は、生活の逼迫のため、他の人々に比べ、社会関係から疎外されやすい立場にある。そのため、その窮状は人々に知られにくく、その結果、余計に精神的に孤立する危険が高い。とりわけネットカフェ難民と呼ばれる若者たちは、社会関係の基点となる固定した住居を欠いているため、その危険性が高い。
 したがって、まず何より、住居の保障など、社会関係形成の基礎的条件を提供することである。
 「もやい」(湯浅誠事務局長)は、その活動を通じて、孤立した貧困者の社会的関係性を回復することが目的なのである。
 現代のあらゆる組織、コミュニティは、コミュニケーション機能をこれまで以上に求められている。格差の存在を知りながらも、日々の個人的満足を重視して、それを問題としないという日本人、厄介なのは、格差で割を食っているはずの下層の若者ほど、この種の感性が強いという事実がある。
 最近の若者は、世界に関して無知であることについてストレスを感じていない。それは、自分の知らないことは存在しないことにしているから。ちょうど、弱い動物がショックを受けて仮死状態になることによって心身の感度を下げ、外界のストレスをやり過ごすという生存戦略をとっているのに似ている。おそらく、現代の若者も、鈍感になるという戦略を無意識のうちに採用しているのだ。
 疎外感に支配された人間の行動は、格差の解決を目ざす社会運動には向かわずに、犯罪のような社会病理現象として現れる傾向がある。
 格差から生まれる社会的疎外感や剥奪感は、強盗や窃盗のような一般的な犯罪として表現されるだけではない。それは、生活など個人的なファクターに媒介されることによって、しばしば世間を驚かすような、特異な犯罪として自己表現する場合がある。
 人間は、とりあえず身近な可能性にすがろうとする。あまりにも自分とかけ離れた富裕層や、とりわけ能力のある人間を攻撃のターゲットにはしない。
 なーるほど、そうなんですね。
 人間は生物的存在であると同時に、社会的存在でもある。貧困の定義のなかに、社会的関係性の維持という条件を加えなければならない。
 ネットカフェに居住している日雇い派遣の労働者は、完全に分散し、孤立している。
 重要なことは、安定した職場環境を用意することである。労働は生活の手段であるが、同時に人と人を結びつける接点である。人は労働によって人格的に成長し、人との信頼関係や責任感を育むことができる。また、人は仕事を通して社会に貢献し、社会の一員としての自覚と誇りをもつことができる。職場は人間の本質である社会性を確認する重要な場なのである。労働は、生活の手段であるだけでなく、同時に人間の生きがいでもある。
 ところが、日雇い派遣労働では、職場での継続的な人間関係を構築することはできない。細切れの労働は、人間関係・社会関係をも細切れにする。期間を限られ、将来が保障されない労働形態は、人間にとってきわめて不自然で非人間的なあり方である。
 ヨーロッパでは、日本と違って大学の授業料などの学費はすべて無料である。ヨーロッパの学生が在学中に学費に苦しむことは基本的にない。
 金持ち日本の大学生のあまりに高すぎる学費は、あまりに低い文教予算によります。不要不急の港や橋や道路、そして新幹線などにばかり大金をつぎこんでいる自民党政治は、日本人の持っている大切なところを基礎レベルでこわし続けているとしか思えません。ところが、そんな政府が若者に愛国心教育を押し付けようとするのです。まったく世の中、おかしなことだらけ、ですね。 
(2009年2月刊。1600円+税)

2009年6月13日

悪質商法のすごい手口

著者 国民生活センター、 出版 徳間書店

 ようやく消費者庁が設立されることになりました。弁護士会が長年にわたって要求してきた運動の成果でもあります。もちろん、形ばかりでは困ります。実効性のある機関となるように、お金と人員が確保されなければなりません。
 しかし、今、国も自治体も財政難を口実として消費生活センターの予算を切り詰めようとしています。福祉・教育とあわせて、国民生活を守る分野に、政府はもっと力を注ぐべきだと思います。ソマリア沖への自衛隊派遣なんて、壮大な無駄遣いでしかありません。そんなお金があるのなら、消費者センターの拡充にこそお金を使ってほしいと思います。
 国民生活センターは、毎年100万件以上の消費者からの相談事例を蓄積している。
 70歳以上の人が当事者となった相談が急増している。2001年度には5万7000件だったのが、2004年度には10万件をこえ、その後もずっと10万件をこえている。
高齢者を悪質業者から守るには、いくら法律を整備してもそれだけでは足りない。そこには、どうしても周囲の協力が欠かせない。その時のポイントは、次の点です。
 ・見慣れない人が出入りしていないか。
 ・見慣れない新しい商品や段ボール箱、契約書がないか。
 ・かかってきた電話を切れなくて困っていないか。
 ・いつもより表情が暗く、元気がないということはないか。
 ・お金は持っているはずなのに、お金に困っていないか。
 そうなんです。個別の事案で事後的救済はある程度は効果をあげることが多いのですが、事前予防は本人の心構えだけでは足りないのです。悪質商法に引っかかったという自覚のない人が、あまりに多いのが現実です。
 この本は、ありとあらゆる悪質なだまし商法を、マンガ入りで分かりやすく解説し、その対処法を具体的に述べています。まさに救済のための座右の書というべき百科全書です。
 ただ、クーリング・オフ期間を過ぎていても、民法上の詐欺・錯誤の主張は出来ることに触れていないのが、いつものことではありますが残念でなりません。
 誤認や困惑のときには、6ヶ月以内(契約時から5年内)に取り消せるというのは、だまされたとまでは言えなくても、6ヶ月以内なら取り消せるということなのです。
 それはともかくとして、わずか1800円の本ですが、一家に一冊常備してほしい。おかしいぞと思ったら、すぐこの本をひも解いてみる。そんな習慣を、多くの日本人に身につけてほしいものです。

稲佐山に上りました。ロープウェーで見る夜景は久しぶりです。満月の夜でした。地上にきらめく明かりの点の一つ一つが、人の営みを現わしているなんて信じられません。
 展望台は風が強くて、体感温度がじっと冷え込みます。だから、周囲は、熱々のカップルばかりです。早く部屋に戻って、バスタブに肩まで身を沈めて温めたいと思いました。
 長崎の夜景は、函館のそれより幅が広いように思えます。どちらも港に面しています。百万ドルの夜景というのもあながち嘘とは思えません。一見の価値があります。
 
(2009年4月刊。1800円+税)

2009年6月 3日

セブン・イレブンの真実

著者 角田 裕育、 出版 日新報道

 私はビジネス書にも関心があり、セブン・イレブン躍進の理由を知りたいと思って、鈴木敏文会長の本を何冊も読み、ここでも紹介してきました。この本は、逆にセブン・イレブンの闇をあばくことを企図した本です。
 実は、私の実家も小売酒屋をしていましたが、父が病気になって引退したとき、若い人に営業権を譲ったのですが、その若い人は数年後にセブン・イレブンに転身してしまいました。
小売酒屋のときには好きな釣りに行くヒマがあったけれど、コンビニのオーナーになったら、とてもそんなヒマはなくて大変だ、とボヤいているという話を間接的に聞いたことがあります。なるほど、聞きしに勝るすさまじい労働実態です。
 前職は酒販店などの自営業者だった人たちが昔は多かったが、バブル崩壊後は脱サラ組が主流だ。
 オーナーたちの労働形態でオーソドックスなのは、夫婦ふたりで、奥さんは昼間、御主人は夜中に入るというパターン。コンビニの従業員は大半がアルバイトだが、無断欠勤する不届き者もいるし、急に休む人間もいる。そんなときにはオーナー自らレジに立たざるを得ない。
 もうかっていない店でも、最近では43%のチャージ(ロイヤルティ)を取られる。もうかっていると、最高76%ものロイヤルティーがとられる。
 店を辞めたいと言い出すと、契約(15年契約が多い)途中なら赤字店で数百万円、黒字店だと数千万円の違約金が請求される。うへーっ、す、すごい大金です。これではうかうか止められませんよね。
 セブン・イレブンで出店するのには、AタイプとCタイプがある。Aタイプは、ロイヤリティは43%と低いが、それは最初に5000万円ほどの出資が必要だから。
 Cタイプは脱サラ組に多く、初期投資は300万円で済む。本部が店舗の土地・建物を用意してくれる。ただし、ロイヤリティ(チャージ)は月56%~76%と高い。
 そして、ここでロスチャージがのしかかる。ロスチャージとは、廃棄や万引きなどでロスになった商品も帳簿上の「売上総利益」という利益項目に組み込まれて、実際に売れた商品と同様のチャージ(ロイヤリティ)が引かれるという仕組み。これが、セブン・イレブンの異常な高収益の秘密の一つとなっている。
 コンビニの日販(一日の売り上げ)は、低いところでは20~30万程度。60万円とか70万円を超える店は少ない。
オーナーの親が死んでも店は閉められない。
 賞味期限切れ間近の商品をオーナーの独自の判断で値引き販売することは認められていない。
 後入れ、先出しを鈴木会長は提唱するけれど、それで成功している店はない。
 おでんは5時間くらいで期限が切れることになっているが、実際には守られていない。そして、8時間ごとに容器を洗浄することになっているが、実行している店はほとんどない。
 たしかに、レジの隣にあるオデンはむき出しですから、不衛生といえば不衛生ですよね。余計な添加物がたくさん入っている気もしますし……。
 コンビニだらけの日本ですが、本当にそれでいいのか、この本を読むと改めて疑問を感じてしまいました。といっても、もはやコンビニしかない、選択の余地はない、という現実があるのですよね。悩ましい現実です。
 東京に泊まって、ホテルの近くにある洋風居酒屋で一人夕食をとりました。6年前、この店は私の行きつけの店でした。久しぶりに行ったのですが、当時も今もサラリーマンでいっぱいです。はじめにタコのカルパッチョを頼みました。さっぱりした味わいです。次に、細切りジャガとチーズ焼きを注文します。店の女性が一人前だと多すぎるでしょうから、半人前にしますかと訊いてきましたので、そのようにしてもらいます。やがて熱々の皿が運ばれてきました。ピザに似てますが、もっとボリュームです。赤ワインをちびりちびり飲みながら食べます。一息ついたところで持参した『源氏物語』を読みすすめます。次に、同じようなものになってしまいましたが、チヂミを頼みました。これも半人前です。チヂミを食べると、つい釜山で食べた有名な店を思い出します。少しずつ注文していきます。ワインの方もちょびちょび飲んでいきます。
 メニューを眺めると、なんと梅干しのカラアゲというのがあります。食べたことがありません。えい、チャレンジしよう。運ばれてきたのはまさしく唐揚げです。タネがありますのでガブリとしないでくださいと注意されました。ハチミツ味で肉厚の大粒紀州梅を薄ころもに包んでカラリと揚げています。甘酸っぱく美味しい梅干しを4個も食べて、すっかり腹がくちくなりました。仕上げはサラダです。
 冷たいのより、温かいものはないかとメニューを探してみると、ありました。ベーコン入りキャベツの温サラダです。これまたアツアツのキャベツいためにベーコンが混じり、たっぷりマヨネーズがかかっていて、うひゃあ、いけますね、これって……。それでも、カラフェの赤ワインを少し残すたしなみはわすれることなく、店をあとにしました。ごちそうさま。
 
(2009年2月刊。1400円+税)

2009年5月30日

「発車オーライ」

著者 東武労組女性労働運動史研究会、 出版 ドメス出版

 東武労組婦人部のあゆみ。これがサブタイトルです。オビに書かれている文章を紹介します。
かつて女性の職業といわれたバス車掌が、ワンマンカーの導入で仕事と職場を奪われた。まったく異なる仕事へ、再び“発車オーライ”した。働き続ける道を切り拓いた女性たちの軌跡をつづる。
 今どきの若い人は、バスに車掌さんがいて「発車オーライ」と叫んでバスが走り出していたなんて、想像もできないことでしょう。でも、そこには、人の手によるぬくもりが、たしかにあったのです。ワンマンバスは、非人間的な労働環境を象徴するものです。
 バス車掌は、最高時に8万人。日本でバス車掌が誕生したのは1919年(大正8年)のこと。この当時、バスは高級な乗り物で、東京市バスの採用試験に集まった女性は、和服姿だった。制服は、フランス人のデザイナーが一人ひとり採寸して仕立てた。
 車掌は、運転手より早く出勤する。バスは木炭車で、下駄履きだった。
 バスには冷房もなく、乗務中は立ちっぱなし。揺れるバスの中で、立ったままで乗車券を切り、お客におつりを渡す。馴れるまで、なかなか出来ない。つい立ったまま居眠りしてしまうこともある。
 乗務が終わると、清算業務がある。足りないときには車掌が負担する時代もあった。
 1979年(昭和54年)、バスのワンマン化が始まった。車掌が配転されはじめた。
 1981年に路線バスは100%ワンマン化された。
田舎のバスは、オンボロ車、ガタゴト走る。つい、この歌を思い出しました。働く人、そして乗客を本当に大切にする社会であってほしいものです。効率一本やり、見せかけのサービスだけというのでは困ります。
 
(2008年11月刊。2000円+税)

2009年5月29日

刷新!改革新長(京都市長選挙の記録)

著者 中村 和雄、 出版 京都市政を刷新する会

 2008年春(2月17日)、京都市長選挙でわずか951票差で惜敗した中村和雄弁護士の選挙戦を振り返った小冊子です。ずいぶん前に贈られてきてたのですが、そのうち読もうと思ってツンドクしているうちに、今日に至りました。読み始めると、さすがに京都人はすごいと感嘆しましたので、ここに紹介します。
 951票差というのは、中村候補15万7521票、当選した門川候補15万8472票というのです。本当に、ごくごくわずかの差でした。京都市内の11の行政区のうち、4つの行政区で中村候補が勝っています。政党として中村候補を推薦したのは共産党だけです。いくら京都で共産党が強いといっても、共産党対残る全政党という構図で勝てるはずがないのに、なぜ、ここまで大接戦、僅差に持ち込んだのか、とても興味があります。
 中村弁護士が候補者活動を始めたのは、前年(2007年)5月のことです。それから、市民にはまったく無名の新人が名前を売り込んでいくのですから、大変な苦労があったことだろうと思います。
 京都弁護士会400人のなかの4割160人が中村弁護士を支持してくれたそうです。過半数に達しなかったのは残念です。弁護士の世界も変革は容易ではないのですね。
 中村候補の大健闘は、京都市政における同和行政のあまりにひどい不正の横行に対する広範な市民の怒りを前提としたものでした。京都市の職員が不公正な同和行政がらみで次々と不祥事を起こして逮捕されたりして、その実態が明るみに出て行ったことがありました。
9ヶ月間のあいだ、弁護士としての活動をほとんどしなかったようですが、中村弁護士は「とても充実した楽しい日々でした」と語っています。
 生放送のテレビ討論はやりがいがあった。まさに反対尋問の応用だった。このように語っているのは、さすがに候補者として大きく有権者を惹き付けた中村弁護士ならではの感想です。
 私も若いとき、たった一度だけですが、NHKの朝のテレビで生放送の番組に出演したことがあります。前泊して渋谷にあるNHKスタジオで出たのですが、全国に流されるというのですから、それはそれは緊張しました。
 中村弁護士は、論戦で相手候補を圧倒したので、それで勝負があったはずだけど、政治の世界では正義が必ずしもすぐには勝たない、時間がかかることもあると述べていますが、本当にそのとおりですね。でも、最近の南アメリカの動きを見ていますと、少し時間がかかっても、いずれ近いうちに日本もきっと大きく刷新、本当に変革(チェンジ)するのだと私も確信しています。
 政策・宣伝の分野に関わった人たちの座談会に目が留まりました。チラシづくりの工夫が語られています。
 一番大事にしたのは、単純に一般市場に通用するカッコイイ物を作ろうということ。見たときのストーリー性とか、単純なカッコ良さ。
 そして、中村候補がブログを自分で毎日更新したことが一番よかった。町中を「おーい中村君」と呼びかけるテープで流してまわった。
宣伝、そして、インターネットの活用がますます大切だと思いました。中身は同じでも、装いを刷新したら、さらに大きく影響力は広がっていくのです。
  
(2008年9月刊。

2009年5月28日

さよなら紛争

著者 伊勢崎 賢治、 出版 河出書房新社

 この本を読むと、日本の平和憲法こそ、今の日本が世界に誇りうる最大の宝物だということがよくよく分かります。なにしろ、世界の紛争最前線をくぐり抜けてきた人の体験を踏まえての提言ですから、ずっしりと腹にくるほどの重みがあります。
 日本の憲法は、欧米諸国でかなり研究されている。これが世界平和の鍵だという意識で、まじめに研究している人がいる。だから、これを広告戦略として打ち出していけば、もっと大きなムーブメントに成長していくはずだ。ところが、日本国内では、なんと平和憲法(9条)を捨てようという方向に動いている。そうなんです。なんという愚かなことでしょうか。
 日本がテロリストからまだ攻撃されていないのは、憲法9条があるから。日本は中立である。戦争はしない。そう言いきっている国の人間を警戒する理由は何もない。それは、ソニーとかホンダ、ニッサンというような日本製品への信頼と重なり合ってできている信頼感なのだ。なるほど、なるほど、まったくそのとおりですよね。
著者は建築家を表して早稲田大学の建築学科に進学しました。しかし、そこで失望して、海外へ転身したのです。インドで住民組織のリーダーとなったらインド政府からマークされ、国外退去命令を受けてしまいます。
 そして、日本に帰って、国際協力NGOに就職し、派遣された先がアフリカのシエラレオネでした。ここは世界最貧国でありながら、激しい内戦のまっただなか。そこでは少年兵が最も残酷な蛮行を働いていました。司令官も15歳の少年。勇敢に戦えば、15歳でも司令官になって、大人を指揮することになる。面白半分で人を殺し、残酷さを競い合う。始末に負えない。
 4年間、シエラレオネでがんばったあと、著者は次に東ティモールに派遣され、県知事に任命されます。その指揮下に、1500人の国連平和組織軍がいて、平和維持のために4年間がんばったのです。すごいですね。
 そして、さらに元いたシエラレオネに再び派遣されます。そこでは、アメリカ主導によって「平和」がもたらされた。アメリカは、さんざん人々を虐殺してきたRUFを免罪し、そのリーダーを副大統領に迎え入れた。
 著者は、そのシエラレオネで武装解除にあたります。もちろん、まったくの丸腰です。
 よくぞこんなに勇気ある日本人がいたものです。そして、その日本人が日本国憲法9条の大切さをとくとくと説いているのです。じっくり静かに胸に手を当てながら味わうべき言葉です。
紛争が絶えない世界だからこそ、武器を捨てようと日本は呼び掛けるべきなのだ。それは、決して「平和ボケ」ではなく、真に勇気のある言葉なのである。
 素晴らしい本です。なんだか、臆病な私まで勇気が湧いてきた気がしました。
 
(2009年4月刊。1200円+税)

2009年5月24日

がんは患者に聞け!

著者 吉田 健城、 出版 徳間書店

 有名人16人のがん闘病記録ですので、読ませます。
 山田邦子(乳がん)、鈴木宗男(胃がん)、市田忠義(大腸がん)、仙谷由人(胃がん)など、それぞれの人たちのがんの壮絶なたたかいの記録でもあります。
 また、読んでいるうちに、勇気も湧いてくる本です。
女優の洞口依子さんという人は、私の全然知らない人ですが、子宮頸がんになって、子宮を広く摘出し、後遺症に悩まされました。そんな彼女が心の支えとしたのが、書くこと、でした。
 朝日新聞の夕刊にコラムを書き、それを単行本にした。書いているうちに、それまで見えていなかった自分が見えてきた。自分に起きたことを短い文にまとめる作業は、客観的に自分を見つめ直す作業だ。病気になってから起きたことを、あれこれ思索しているうちに、そのときどきの自分と病気とのかかわりも見えてくるので、書けば書くほど病気との付き合い方も分かってくる。文章を書くことで、最近、ようやく病気との距離感がつかめるようになった気がする。それで、ちょっと自信もついてきた。なるほど、そういうこともあるのですね。
テレビの政治討論会に出演することも多い共産党の市田忠義氏(書記局長)は、大腸がんの手術後の後遺症として、生放送の討論会の最中にひどい便意に襲われました。民法の番組のときにはコマーシャルタイムにトイレにかけこみ、事なきを得ました。しかし、NHKのときには、コマーシャルタイムがありません。ついに、途中でトイレに駆け込んだのです。それでも、ディレクターがアングルを工夫してくれ、さらに、藤井裕久議員が優しく教えてくれたそうですがんという病気を根絶できる薬はまだ見つかっていませんが、早くだれか見つけてほしいものです。
 
 ツテツの木のすぐそばに今年もツバメ水仙が朱色のスマートな花を咲かせてくれました。1月から咲き始める水仙の最後を飾ります。花弁が細くて、すらっとしていて、ツバメが空を飛びまわる姿を連想させる花です。
 アマリリスの朱色の花も咲いています。もう雑草に埋もれてしまったのかとさびしい気がしていましたが、ことしも元気に咲いてくれました。手植えした植物が見事な花を咲かせてくれるのはうれしいものです。

(2009年1月刊。1700円+税)

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