弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

社会

2009年12月 1日

若者と貧困

著者 湯浅 誠・富樫 匡孝ほか、 出版 明石書店

 年末年始の日比谷公園での「年越し派遣村」は、今の日本に貧困が誰の目にも見える形で存在することを強く印象づけました。
 ところが、このとき、派遣切りにあった若者だけでなく、前からいるホームレスまで対象としたことについて文句を言った人がいたのだそうです。なんと了見の狭い人でしょうか。ホームレスは自己責任の問題であって、単に努力の足りない連中が好きでやっているのだという、冷めた見方をする人が意外に多いような気がします。
 後期高齢者医療制度も同じです。
ターゲットになった75歳以上の人たちは、早めに死ねというのかと反発し、政府の意図を敏感に感じ取る。しかし、対象以外の人々は、他人事(ひとごと)としか思わず、かえって、対象者層が反発するのを見て、被害妄想・わがまま・身勝手とうつる。誰でも、結局は後期高齢者になるわけですが、そこまで思いが至らないのですよね。
 高いリスクを背負った若者を大量に生産し続けると、いずれはそうした感覚を持つ30代、40代を増やしつづけることになる。結局、それは社会統合、国民統合の基盤を掘り崩すことにほかならない。いや、実は、すでにかなり掘り崩してしまっている。いやはや、実にそうですね、としか言いようがありません。
 一人息子が親からの自立を図るときに母親に言ったコトバを紹介します。
「ぼくとあなたは、今後は他人だ。たとえぼくが野たれ死んでも、関知しなくて良い。たとえあなたが死んでも、ぼくに知らせてくれる必要はない。いままで、ありがとう」
 むむむ、これって、実に悲しい、寒々としたコトバですよね。
 親にできうる最大のことは、求められない限りはできるだけ、手も口も出さずに、肯定的に見守ることではないか。
 干渉を受け、守られる状態から、見守られながら自分で挑戦をし、段階的に自分のやり方、信念、アイデンティティを見つけていく。それが大人になるということではないか。
 いまは「もやい」にお世話になっている若者が、ホームレスになるまでの過程を紹介しています。それを読むと、家庭がよりどころとならず、学校からも社会からも受け入れてもらえないとき、ホームレスへの道しかないということが実感として伝わってきます。
 日本の社会ってそれほど冷たいものなんですね……。
 派遣切りにあったとき、不正受給を防止するという大義名分から、失業保険をすぐに受給できないことが問題とされています。なるほど、そうですよね。失業したときに備えて掛け金を支払っていても、いざ本当に失業してもすぐにはもらえない失業保険制度って、仕組みそのものが間違っている気がしてなりません。ヨーロッパでは、失業保険を1年も2年ももらえ、その間にきちんとした職業訓練をじっくり受けられるといいます。日本も、本当に若者を大切にするのなら、そのように改めるべきです。
 ゼロゼロ物件、貧困ビジネスのしくみをやっと理解しました。ここでは、通常の賃貸借契約ではないのですね。施設付き鍵利用契約というのだそうです。貸借権はないから、居住権や営業権は発生しないと契約書に明記されているとのこと。鍵を貸しているということは、ホテルみたいなもので、家賃を一日でも遅れると、部屋はロックアウトされる。鍵が変えられているから入れない。入るためには、再契約料3万円を別に支払わなければいけない。
 うへーっ、すごいことですね。
 その後、1年間の定期借家契約に切り替えられたとのこと。「頭の良い人」はいるものです。でも、貧困者を食い物にするビジネスって、暴力団と同じですよね。
 東京で、首都圏青年ユニオンががんばっています。ユニオンって何かというと、要するに労働組合のことです。でも、ネーミングから変えないと若者が近寄らないわけです。そして、会議や集会のときにはまずみんな食事することからはじめるというのです。
 一人暮らしをしている組合員も少なくなく、みんなで料理をし、食事をすることが喜びになる。若者に居場所を提供することからユニオンは始めるわけです。
 若者とは、不安や戸惑いに翻弄されながらも、これから始まる人生をいかようにも形造ることができる希望にみちた存在である。
 これが、これまで長い間の若者のイメージだった。しかし、今は違う。仕事が切られるとともに住む場所を奪われて、路上に放り出される存在が今の若者の現実である。
 うひょー、そ、そうなんですね……。
 しっかり、現実の若者と向き合って考えて行くしかありません。
 「派遣村」の村長だった湯浅誠さんが、このたび内閣府参与として政府のなかに入って活動されています。大いに期待しています。皮肉ではありません。本心です。

 庭仕事に精を出しています。庭がすっきりするのが楽しみです。球根から芽がぐんぐん伸びています。いつものことながら、水仙が一番伸びが早いですね。

(2009年2月刊。1600円+税)

2009年11月26日

自民崩壊の300日

著者 読売新聞政治部、 出版 新潮社

 私は戦後ながく続いた自民党政治が消え去ったことを心から喜んでいます。金権腐敗、汚職まみれの大型公共土木工事優先で福祉切り捨て、そして憲法改正とアメリカ追随。こんな自民党政治のイメージに、うんざりしていました。どうして日本人はもっと怒らないのだろうかと不思議でなりませんでした。
 その自民党政治に終止符を打った今回の総選挙は、民主党政権への期待というより、国民の積年の怒りがついに形になってあらわれたものと考えています。
 この本は、自民党政権が崩壊していった300日間をたどっています。別に目新しいことが書かれているわけではありませんが、ともかく、同じ日本人であることにこちらが恥ずかしくなるような人物が日本国の首相でありつづけたこと、そんな政治はやっぱり長続きしないことが改めてよく分かる本です。
 麻生政権の後半は、麻生太郎首相の「盟友」を自称する面々が、次々と麻生のもとを離れていく展開となった。ある者は自滅し、そしてある者は麻生に失望して……。
 麻生が権力の座に近づきはじめたころから、急速に麻生の「側近」然とする取り巻きが増え始めた。もともと自民党内でも弱小派しか率いることのできなかった麻生が、急に人望を集めたわけではない。幸運なめぐり合わせで麻生が首相のイスに座ることができたのは、党内で敵の多かった麻生を見捨てず、支えてきた古くからの友人の存在があったから。しかし、麻生は彼らの助言よりも、にわかに麻生にすり寄って甘言をささやく「盟友」の言葉を信じ、政局判断を誤り、決断の機会を逃していった。麻生は、宰相としての日々を「どす黒い孤独に耐える日々」だと言ったが、麻生を利用することばかり考える「側近」が麻生政権を蝕み、麻生をいよいよ孤立させていった。
 そうなんですよね。私は今回の自民党政権打倒の最大の功労者は、麻生首相その人だと考えています。なぜなら、麻生政権誕生と同時に解散・総選挙が行われていたら、今回のような民主党圧勝という選挙結果になったはずはないからです。麻生首相が、もう少しテコ入れしたら、もう少し支持を回復できると解散を先送りしていってくれたことが、結果として重大な判断の誤りにつながったと思うのです。
 自民党の役割について、加藤紘一元幹事長は、冷戦時代の東アジアで共産勢力の拡張を防ぐ西側の橋頭堡としての役割があったが、冷戦終結とともにその使命は終わったと分析している。
 KY首相。空気が読めない。漢字が読めない。解散も読めない。経済も読めない。国民感情も読めない。
 本当に最低最悪の首相でしたが、政権交代の促進役として偉大な功績があります。なにより、日本国民に投票によって政治が変わることを実感させてくれたことの意義は、特筆すべきだと思います。
 
(2009年10月刊。1400円+税)

2009年11月22日

暴走族だった僕が大統領シェフになるまで

著者 山本 秀正、 出版 新潮社

 すごいですね、28歳の日本人青年シェフが、アメリカの大統領就任式のあとのパーティーの総料理長だったというのです。場所は、かのザ・リッツ・カールトンなのでした。
 そしてこの青年は、高校生のころ暴走族にいて、大学はたちまち中退していたのでした。ところが、サーフィンをあきらめて料理の世界に入り、イタリアにわたって料理学校で学ぶうちに料理の道に開眼したのでした。
 それは、幼いころから親の影響で本物の料理を味わっていたからでしょうね。赤坂の交差点にあるマックは、いつも混んでいますが、あんなところで幼いころに舌が麻痺してしまったら、とても繊細な料理人にはなれないように思います。やっぱり、素材の味を生かす料理を大切にしてほしいものです。
 アメリカは料理を大切にしない国だと私も思います。最近は久しくアメリカに行っていませんが、ともかく料理はダメな国です。楽しみがありません。分厚いステーキに塩をふりかけて食べたら最高。そんな国ではないのでしょうか。
 その点、フランスは何度行っても小さなレストランまで、本当に食事を大切にしていることがよく分かります。素材を大切にし、また、調理法、とりわけソースに手間をかけています。食べる楽しみがあります。そして、時間をかけてじっくり食事を堪能するのです。ですから、著者も、外国で料理人として修業するなら、アメリカではなくてヨーロッパでしたらいいと勧めています。同感です。
 私はイタリアには行ったことはありません(いえ、実は北イタリアのティラーノ、そしてコモとミラノ市には、この夏、行ってきました。でも、それはスイスの延長なのです)ので、イタリア料理のことはよく分かりませんが、イタリアンもいいようですね。ピザだけではないのです。
 著者は最近、東京にオープンしたマンダリンオリエンタル東京の初代総料理長でした。
 日本人シェフの奮闘記を読むのは、私の楽しみな読書ジャンルのひとつです。もちろん、そこの店に一度は行って、紹介されている料理を味わってみたいものだと夢見ているのです。ごちそうさまでした。

 月曜日、日比谷公園の中を歩きました。銀杏の木が見事に色づいていました。菊花展もあっていて、花壇に真紅の薔薇の花が咲いています。秋も深まり、冬の気配を感じます。
(2009年9月刊。1300円+税)

2009年11月15日

すし屋の常識・非常識

著者 重金 敦之、 出版 朝日新書

 私は、自慢話ではありませんが、いわゆる回転寿司の店には一度も入ったことがありません。それは私にとって、マックやケンタの店に入ったことがないのと同じことです。つまり、お仕着せの店というか、人工着色、人工味付けのものは食べたくないということに尽きます。
 京都に、タケノコの専門料亭があるそうです。刺身、焼き物など、タケノコ尽くしだそうです。といっても、刺身がまったくの「ナマモノ」かというとそうではなく、ちゃんと湯がいてあるそうです。そうですよね。その料亭の女将によると、どんなに朝早く掘り起こしたタケノコでも、生のままだとちっとも美味しくないというのです。やっぱり、少しだけでも人の手が加わって美味しくなるのです。
 ノドグロ(アカムツ)も寿司ダネになっているそうです。残念ながら私はまだ食べたことはありません。少し脂身が強すぎて、やはり干物にしたくらいがちょうどいいということでした。負け惜しみになりますが、私も一度くらいは食べてから、そんな解説をしてみたいものです。
 築地市場でのミナミマグロの値段は、過去5年より4~5割も高くなっている。マグロは、江戸時代には下品な食べ物だった。さつまいも、カボチャと並んで大変に下品なもので、ちょっとした町人は、食べるのを恥ずかしいと思っていた。うへーっ、そ、そんな馬鹿な、と思わず言ってしまいました。
 私は、寿司を手づかみで食べることはありません。通はハシを使わないと聞いてはいますが、なんでもハシをつかって食べるのを常としている私は、当然のようにハシを使います。なにしろ、スパゲッティだってハシがあればハシで食べるんです…。
 寿司屋にハシ置きのないところがあります。手づかみで食べてくれというわけです。でも、なかなか手づかみでというわけにはいきませんよね。とくに女性だったら、なおさらのことではないでしょうか。
 こんな寿司店の本を読むと、すぐにでも寿司をつまんで食べたくなってしまいます。
 
(2009年2月刊。760円+税)

2009年11月13日

日本でいちばん大切にしたい会社

著者 坂本 光司、 出版 あさ出版

 景気の悪い会社の経営者がする5つのいいわけは、次のとおりである。
①景気や政策が悪い
②業種・業態が悪い
③規模が小さい
④ロケーションが悪い
⑤大企業・大型店が悪い
 そして、社員やその家族、下請け企業や顧客などの幸福に対する思いが総じて弱く、低い。
 会社に所属している社員と、その社員を一生懸命に支えている家族を幸せにすること。これが、社会の公器である会社が果たすべき第一の使命である。お客様を感動させるような商品をつくったり、サービスを提供したりしなければいけない当の社員が、自分の所属する会社に対する不平や不満・不信の気持ちに満ち満ちているようでは、ニコニコ顔でサービスを提供することはできない。なーるほど、ですね。トヨタ、ニッサン、そしてキャノンで働く社員はどうでしょうか……。偽装請負、派遣の社員を含めると、どうなんですか。社員は不満だらけ、不安にみちみちていることでしょう。
 お客様がいなければ創ればいい。創ることが、会社の本当の使命なのだ。
 経営で一番大切なのは継続である。会社を継続させること。これが、企業の社会的使命である。会社にも寿命があるのですね。天下の三井も、今や見る影もありません。目先の利得ばかりを追って来たからではないでしょうか。
 粉の飛ばないチョーク(ダストレスチョーク)をつくる日本理科化学工業(川崎市)は、従業員50人のうち7割が障がい者である。しかし、この会社は次々に面白い新商品を生み出し、経営的にも十分な採算がとれている。
 ここでは、創意工夫を繰り返していきながら、知的障がい者を採用し続け、それが50年になる。採用基準は、自分の身の回りのことができること、返事ができること、一生懸命に仕事をし、周りに迷惑をかけないこと。
 こんな会社があるなんて、ちっとも知りませんでした。このような会社は大切です。みんなで守り育てたいものですよね。
 長野県に創業(1958年)以来48年間、連続して増収増益という記録を持つ会社がある。寒天をつくる会社で、国内市場の80%、世界でも15%のシェアを占めている。寒天メーカーの世界的トップ企業である。そして、48年間、社員を雇い、社員の給料とボーナスを上げ続けてきたことを誇りにしている。この会社は、無理な成長を追わず、敵をつくらないということをモットーとしている。
 いろんな会社があり、それぞれに工夫しているわけですが、その基本はどこも人間を大切にしているということです。
 そこで働く従業員をまず大切にするから、すべては出発するのですね。とてもいい本でした。日本経団連という大企業本位の金権政治をすすめる総本山の元締めであるキャノンやトヨタ、そしてニッサンの経営者にぜひ読ませたいものです。自分たちの金もうけと株主本位だけでは、会社と日本の将来はないのですよ。
 
(2009年10月刊。1400円+税)

2009年11月12日

同和と銀行

著者 森 功、 出版 講談社

 同和問題を食い物にする解同(部落解放同盟)と暴力団、そして、それとまったく癒着した銀行のみにくい姿が赤裸々に暴露されている本です。そのすさまじいばかりのおぞましさに身震いしてしまいます。
 この本に登場する主要人物は、部落解放同盟大阪府連合会飛鳥支部長であり、三菱東京UFJ銀行の課長です。
 解同飛鳥支部の小西邦彦支部長は、暴力団三代目山口組金田組の構成員でもありました。
「小西枠は5億。小西案件はいっさい3階の役員室に持ち込んだらあかん」
小西との取引について、三菱UFJ銀行では、支店の決裁ですべて終わらせ、本店に取引案件を持ち込むような真似をするな。このように指示されていた。
 同和対策事業特別措置法が1969年に施行されて以降、2002年に法が失効するまで、15兆円もの事業費がつぎこまれた。ゼネコンにとって莫大な利権である。だから、同和団体の実力者に取り入ろうと懸命になった。
 小西邦彦は、税務当局にも強かった。それには、国税当局と部落解放同盟の間には「7項目の確立事項」があった。密約である。この密約では、同和事業については、課税対象としないと明記されている。この密約を取り交わした大阪国税局長は、のちに大蔵事務次官にまでのぼりつめた高木文雄である。
 いやはや、同和事業でどんなにインチキがなされても、税務署は一切手を出さないという密約があっただなんて、法治国家日本の看板が泣きますね。しかも、その人が大蔵省トップに上り詰めていたなんて、どうなってんでしょうね。日本の官僚システムは……。
 さらに小西邦彦は、警察とも癒着していました。東淀川警察署では、幹部が着任すると小西に必ず挨拶に来ていたし、小西が歓送迎会を開いた。去っていく前任者のポケットに「封筒」を突っ込む。小西は警察官の再就職の面倒もよく見ていた。
 小西は、西條秀樹の結婚披露宴の主賓として招かれていた。芸能界にも顔が広かったのですね。山口組の田岡組長もそうでしたよね。
 暴力追放とか差別をなくそうという掛け声がうわべだけだということが良く分かる本でした。
 秋も深まりました。熊野古道では全山が紅葉していました。遠くの山にイーデス・ハンソン氏の居宅を眺めました。かなりの高さにあるので、日常生活には不便かなと余計な心配をしてしまいました。それはともかく、我が家の庭のスモークツリーの紅葉も見事なものです。鮮やかな赤色です。緋色というのでしょうか。
 隣のエンゼルストランペットの黄色の花とよく似合っています。
 球根の植え替えをすすめていますが、水仙がどんどん伸びています。
 
(200年月刊。円+税)

2009年11月11日

絞首刑


著者 青木 理、 出版 講談社

 いまの日本には、悪いことをした奴はみんな死刑にしろと声高に叫ぶ人がいて、それに反対するのに勇気がいります。なんだか怖い社会風潮です。でも、死刑がどうやって執行されているのか、死刑囚の処遇がどうなっているのか、まったく知らないまま(知らされないまま)死刑肯定論が強まっている気がしてなりません。EU加盟国になるための条件の一つが、死刑を廃止していることだということを、日本人はきちんと認識して、受け止めるべきではないかと思うのです。ともかく、死刑制度が犯罪予防にならないことは古今東西の事実が証明しているのですから……。
 刑場の隣の小部屋には、壁に複数のボタンが横一列に並んでいる。5センチ四方の枠に囲まれた赤いボタンだ。古い拘置所の刑場なら5つ、新しい拘置所の刑場なら3つ。このボタンのうちどれか1つが、死刑囚の立たされる1メートル四方の床を開閉する油圧装置に連絡されている。その装置に誰のボタンがつながっているのかは分からない。だが、誰か一人のボタンは間違いなくつながっている。
 ボタンから少し離れた位置の壁には、金庫のダイヤルのようなものがある。どのボタンを油圧装置に連結するかは、そのダイヤルによって決められる。事前にベテランの刑務官がセットしておく。しかし、ボタンの前に立つ若い刑務官たちは、ダイヤルが導き出した結果を永久に知らされることはない。
 執行にかかわる刑務官の選択は、拘置所長が「それなりの配慮」をする。当日が誕生日に当たる者や、妻が出産を控えている者、近親者が重い病を患っていたり、親族の喪中である者などを除外して、最終的に10人のメンバーを慎重に選び出す。
数メートルもの落下による重力と自分自身の体重。そのすべてが首に集中する。通常の首つり自殺でも折れることのある甲状軟骨や舌骨は瞬間的に砕け、首を支える筋肉が切れ、7つの頸部脊椎が離断する。同時に、脳と身体の神経をつなぐ頸椎も断裂する。だから、おそらく瞬時に意識を失うはず。だが、真実は誰にもわからない。
 死刑囚が落下して、最終的に心臓が停止するまでの平均時間は13~15分間。
 2006年12月25日、クリスマスのこの日に、日本全国3か所の刑場で合計4人の死刑が一斉に執行された。長勢甚遠法務大臣の命令によって、東京2人、大阪1人、広島1人。東京の2人は、77歳と75歳だった。75歳の死刑囚は、自力歩行すらできない車椅子の障害者であり、敬虔なクリスチャンとなっていた。
この背景について、著者は次のように解説しています。死刑判決が急増し、2006年には21人に死刑判決が確定していた。そこで、確定死刑囚は12月段階で98人に達していて、法務省幹部は何としても100人を超えないようにしたいという打算が働いていた。その後、結局100人は超えたのですが……。
確定死刑囚との面会は法務省の通達などによって厳しい制約があり、親族など一部の例外を除くと、原則としてほとんど不可能だ。
2007年までの10年間に死刑執行された死刑囚をみてみると、判決確定から執行まで平均8年。ところが。2008年の1年間で執行された15人のうち、12人は4年未満だった。このうち2人は2年未満だった。
死刑執行を命令したのは、鳩山邦夫法務大臣が13人で最多、長勢甚遠法相が10人で2番目。
2007年の確定死刑囚は107人。死刑執行は2008年に15人で最多だった。
死刑囚の処遇と、判決の執行について、考えさせられる本でした。
 
(2009年7月刊。1600円+税)

2009年10月31日

今日を生きる


著者 大平 光代、 出版 中央公論新社

 『だからあなたも生きぬいて』の著者による、久しぶりの本です。
 著者が大阪市助役に就任したことは知っていましたが、この本を読むと、助役として活動中に、部課長連の強い抵抗にあってかなり苦労されたようです。周りは敵だらけ、とまで書かれています。そして、めでたく先輩弁護士と結婚して出産。ところが、ダウン症の赤ちゃんでした。その子育ての苦心が紹介されていますが、なるほど、なるほどと感心しながら読みすすめました。その工夫がすごくて、参考になります。何事にも前向きな姿勢が共感を呼びます。
 人生には、いろんな選択肢、いろんな時期がある。
 子どもには見返りを求めない。
授乳するとき、赤ちゃんが飲んだミルクの量をノートにつけるのは、精神衛生上、よくない。親が何としても飲まさなアカンという心理状況になると、赤ちゃんはそれを敏感に感じていやがる。それに気づいて、記録をとるのはやめた。
子どもにはいろいろ経験させて、親は手を出さずに見守ることが大切。根気のいる仕事だし、時間もかかる。しかし、幼いころの経験が足りないと、引きこもりになってしまう。
 赤ちゃんは言葉が分からない。でも、どんなときでも赤ちゃんに話しかけ、言葉で説明する。そして、その言葉どおりに実行する。いやあ、これって、ホント、大切なことです。
 そして、たまには赤ちゃんを甘えさせることも大切なこと。大人が寄り添って喜怒哀楽をちゃんと表出させる。これは、子ども時代に欠かせない大切なこと。うんうん、思わず頭を上下に振ってしまいました。
 大平弁護士が赤ちゃんとともにお元気な様子に、安心しました。いい本です。元気が湧いてきます。
 
(2009年7月刊。1300円+税)

2009年10月27日

自民党幹事長室の30年

著者 奥島 貞雄、 出版 中央公論新社

 自民党本部の奥深いところで30年もの間働いていた人による本です。やや物足りない感もあります。つまり、もっと赤裸々にしてほしかったということです。それでも、それなりに有力政治家たちの実情が紹介されています。
 なかでも、いま再び政権党の幹事長として君臨している小沢一郎に対して、容赦ない酷評が加えられています。まずは、そこから紹介しましょう。
 ワーストワンの幹事長には、ためらうことなく小沢一郎の名前をあげる。ベストは、田中角栄である。小沢一郎が自民党の幹事長になったのは、47歳のとき。田中角栄と同じ年齢だった。
 小沢一郎はもともとしゃべるのが得意ではなかった。せいぜい、雑誌という媒体が似合っていた。ゲラの段階で手直しできるからだ。
 小沢一郎は、自民党幹事長でありながら、どうにも我慢ならない行動が目についた。昼時になると、決まって自派の若手代議士を5~6人ほどと一緒に幹事長室の奥の個室で食事をとりながら懇談していた。幹事長室に議員を引きずりこんで、自分のシンパ拡大工作に励んだ政治家はほかにいない。
 小沢は通産省の官僚を接待した二日酔いのため、年に一度の自民党全国幹事長会議をすっぽかしてしまった。それでも、夕方からの総理との会議には出席していた。このように小沢一郎のウラオモテの極端な落差の大きさは、許容限度を超えるものがあった。
 世の中を、なめるんじゃないぞ。
これは、そのときの著者の小沢一郎への怒りの言葉です。
 小沢一郎は、東京都知事選で自民党から候補を立てながらも、自身は告示のあと外遊に出かけていた。うむむ、なんということ……。
 小沢一郎は、苦労らしきものをしていない。
 田中を見限った小沢は、やがて金丸信や竹下も裏切る。
 小沢一郎は、自民党の幹事長としては不適任な人材だった。
 いやあ、ここまで悪口かかれるかと思うほどです。小沢一郎に、いかに人徳がないかを示しているのでしょうね。
 自民党内のお金の流れなど、もっともっと知りたいことはあり、もどかしくなってしまうのですが、自民党政治家の正体を知る手掛かりにはなる本だと思いました。

 島原半島の雲仙に行ってきました。帰りに少し足をのばして、原城跡へまわってみました。初めてです。国道からせまい道を入っていくのですが、くねくねと曲った道でした。だんだん高くなっていきますが、西側は畑になっています。奥まった高台が本丸跡ということです。海に面した絶壁です。海からの上陸は難しかったことでしょう。遠くに天草の島々が見えました。ここに3万人もの人々が立てこもり、80日ほどの籠城戦をもちこたえ、ついに全員虐殺されたかと思うと感無量でした。
 赤い可愛いコスモスの花が、本丸跡への道路脇に咲いていました。
 
(2002年12月刊。2200円+税)

2009年10月18日

武士猿

著者 今野 敏、 出版 集英社

 ブサーザールと読みます。この著者は警察小説の書き手だと思っていました。なんと、空手のこともかけるのですね。たいしたものですね。すごいな、すごいぞと感心しながら、夢中で読みふけり、時の経つのを忘れてしまいました。いやあ、身体の鍛錬というのは、毎日欠かさず、日常不断にやるものなんだと、つくづく思ったことでした。沖縄空手の偉大さを少しは味わうことができたと思います。
 カラテつまり空手は、その前には唐手と書いていたのですね。戦前のことではありますが、剣道とは違って、本土では江戸時代からあっていたわけではないようです。
大学生のころ、私の身近で流行していたのは少林寺拳法でした。その集団演武を入学式のときに見たような気がします。すごくカッコいいと思いましたが、運動神経に自信のない私は手を出しませんでした。
 明治維新の後、琉球王族の一員でもあった本部(もとぶ)家の三男坊だった朝基は、兄に勝つために琉球伝統の「手」(ティー)の修業を始めた。実戦で強くなるため、夜の路上に出て他流試合を重ねた。すごいですね、本当のことなのでしょうか……。
 沖縄武士(ウチナープサー)という言葉を初めて知りました。九州男児に匹敵する言葉なのでしょうかね。著者自身が空手の有段者とのことですから、空手のすごさが文字になってよく描かれています。読んでいる私まで、なんの技もないのに、肩に力が入ってしまいます。
 うへーっ、すごーい、こんな攻め方、かわし方があるのか、などと想像をたくましくしながら、もどかしい思いとともに頁をめくっていきました。正味90分で読み切りましたが、価値ある1時間半でした。ヤンヤヤンヤ。拍手を送ります。
 
(2009年5月刊。1600円+税)

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