弁護士会の読書
※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。
社会
2010年3月12日
Twitter 社会論
著者 津田 大介 、 出版 洋泉社新書
私がツイッターという言葉を知ったのは最近のことです。アメリカのオバマ大統領が選挙戦以来愛用しているということでした。ブログとはどう違うのかなと疑問に思っていました。つい最近、初めてツイッターの画面を見ることができました。140字というので5~6行の短文がえんえんとつながっていました。ミニ情報の大洪水のようでした。このなかからどうやって選択するのか不思議でなりません。
ツイッターを運営するアメリカ、ツイッター社は、2009年9月、複数の投資会社から1億ドル(90億円)を獲得し、現在の企業価値は10億ドル(900億円)に値する。
2006年、アメリカのグーグル社は動画投稿サービス「ユーチューブ」を10億5000万ドル(1500億円)で買収した。
ツイッター社は、ネットの世界にいち早くリアルタイム・ウェブの潮流を持ち込み140字という限られた文字数で放送メディア並みの瞬間的情報伝播力を持たせないことに成功した。
現在、全世界で5500万人ものユーザーを抱えている。前年比から1270%の増加である。ツイッター社のサービスが始まったのは2006年7月のこと。アメリカのユーザーは2009年に1800万人、2010年には2600万人になると予測されている。
Twitterとは、ぺちゃくちゃしゃべるさえずるという意味。日本人ユーザーは、2009年
10月、100万人とみられている。
ツイッターは、今のところ誰でも無料で利用できる。これから有料になるという話はない
問題は、「なりすまし」だ。そして、デマも急速に伝播してしまう。これは情報の真偽を検証する機能が貧弱であるツイッターならではの問題だ。
英米に比べて日本のツイッター議員はやや少ない。ツイッターをつかって情報を発信している日本の公的機関もまだ少ない。
ツイッターには、ブログについての「お気に入り」と同じようにフォロワ-というツイッターのフォローをする人々がいて登録するようです。そうでもないと洪水に埋もれてしまいますよね。
(2009年12月刊。760円+税)
2010年3月 7日
からだと心を鍛える
著者 宇都宮 英人 明永 利雄 、 出版 日の里空手スクール
空手の達人であり、畏友の弁護士より贈呈された本です。熊本高校(クマタカ)空手道部
主将であり、京都大学でも空手道部主将であった宇都宮弁護士は、本業のかたわら子どもたちに空手を教える日の里空手スクールの主将としてがんばってきました。達士7段・師範といいますからすごいものです。私も何度かその型を見せてもらいましたが、それはそれは見事なものでした。
この本にある、日の里空手スクールから巣立っていった子供たちの手記が心を打ちます。他人から自分の尊厳を脅かされない。自分が他人の尊厳を脅かさない。自分が自分の尊厳を脅かさないというのがモットーである。それが護身なのだ。
なるほど、と思いました。
日の里空手スクールは、大人と子どもとが空手を媒介として集う広場としての機能を持っている。そこに多様なおとながはいることで子どもたちは、コミュニケーションの仕方を学んでいく。包み込まれつつ鍛えられていく。
子どもたちが空手の練習を重ねるなかで、強くなっているのを認めると、その成長をはっきり子どもに伝える。上手になっている、強くなっている、と声を出す鏡のようなもの。そのことで子どもは、自分の成長を確認できるし、自体を深めていく。小さな成功物語を集積する。
子どもたちが、身体を動かす機会が少なくなっている。ましてや、身体をぶつけあう機会は非常に少ない。そこで、意識的にそんな機会をつくり出していくことが必要なのである。
なるほど、と思います。これからも一層のご健闘を期待します。
ありがとうございました。
(2009年12月刊。非売品)
2010年3月 5日
知の現場
著者 知的生産の技術研究会、 出版 東洋経済新報社
あるモノカキの人は、毎日、規則正しく朝9時に書き始め夕方6時には終了する。1日に5000字のノルマを書いたら、そこで打ち止めする。
うまくいかないときでも、書くしかないのでとにかく書く。書くときには、NHKラジオの外国語講座を聞き流す。静かだと眠たくなる。意味が分からないところがいい。素晴らしい音楽だと、そちらに気を取られてしまう。書けないときでも、なんとか書いていると、いつのまにか乗ってきて書けるようになる。
ほんとなんですよね。私も、ともかくひたすら書く派です。
アウトプットするコツは、なんでもいいからとにかく書くこと。本を書くときの一番の妨げは、自分が書いていることをつまらないと思ってしまうこと。人間タイプライターになったと思って、ひたすら書くしかない。
いやあ、まったくそうなんですよね。でも、ときどき、こんなことしてていいのかしらんとつい思ってしまい、悩むのです。凡人の辛いところです。
文章が説教臭くならないように、また読み手に伝わるように、できるだけ感動的な実際のエピソードをオブラートに包んで、思いを心に届けるようにする。
知を生産するためには、日頃から書物だけに頼らず、人に会うことが大切だ。
しかし、そうはいっても主たる情報源はやっぱり本である。
団塊世代は、自分たちの経験や体験を世代を超えて次の世代に継承するよう働きかけるべきだ。そして若い人たちをもっと褒めてほしい。なーるほど、痛いところを突かれました。
長く仕事をしていても自分を飽きさせないために、自分はすごいものを書いている、オレは天才だ、誰も書いていないようなことを書いている、誰も気の付いていないことを書いている、このように自分自身に思わせるようにしている。ふむふむ、私もやってみます。
書くテクニックを使いこなすためには、練習を重ねること、他人の作品をたくさん見ること。まさにその通りです。書くのには、すごいエネルギーを要します。
作家活動にとって一番大切なのは健康だ。
時間管理が下手な人のなかで偉くなった人はいない。
文章を書こうというときには、まず自分が書きたいことを書く。駄文でもいいからと割り切って、まずは文章を書き始めることが大切だ。書いた文章の断片を後から編集する。編集するときには、執筆者としてではなく、編集者として文章を客観的に眺めるようにする。
読んだ人が楽しい気持ちになる、勇気づけられることを考えて書く。
一つのパラグラフを5行以内にするなど、レイアウトを工夫する。見た瞬間に字がありすぎると読みづらい。一つの章を30分で読めるようにする。
もっとも大切なのはタイトル。タイトルができてから本の執筆に入る。日本語に気をつけ、誰が見ても傷つかない、不快に感じない、誤解されない表現を選ぶ。これは私のモットーでもあります。
モノへのこだわりを無くすため、愛用品をつくらない。愛用品を持つと、それがなくなったらストレスになる。いかにストレスをためないようにするか、その発想で行動する。
本を書くのに喫茶店はいい。他人の視線があるから、ちょっとした緊張感が生まれ、原稿がすすむ。いやはや、私も同じです。あまりに騒々しい店は困りますが、近くでおばさんたちの世間話があっていても書けるようにはなりました。
テレビは大嫌いだ。視覚情報は具体的すぎるので、意識して遠ざけている。ヒヤヒヤ。大賛成です。
パソコンのような便利な道具に頼りすぎるのは、知的活動を道具に束縛されること。
ブログは忘却のためのすばらしいツールだ。書いたら、もう脳に残しておく必要はない。
その道のプロは、その場に必要な何かがないことが分かるかどうかということ。ムムム、この指摘は鋭いですよね。
人間は『生産』はできないが、『編集』はできる。これが能力だ。
私にとって大変役に立つと同時に、共鳴できるところの多い本でした。
(2010年1月刊。1600円+税)
2010年3月 4日
「村長ありき」
著者 及川 和男 、 出版 新潮社
映画『いのちの山河』をみました。泣けて泣けて仕方ありませんでした。コンクリートより人間。いまの民主党政権はそれをスローガンに大きく掲げて国民の支持を得たと思うのですが、政権に就くと、かなり後退してしまったようで残念無念です。
この映画は「日本の青空Ⅱ」として日本国憲法、とりわけ25条の意義を具体的に明らかにしています。
すべて国民は健康で文化的な最低限の文化を営む権利を有する。国はすべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。
岩手県の山奥、貧しい沢内(さわうち)村の深沢村長は次のように語りました。
人命の格差は絶対に許せない。生命・健康に関する限り、国家ないし自治体は格差なく平等に全住民に対し責任を持つべきである。
本来は、国民の生命を守るのは国の責任です。しかし、国がやらないのなら、私がやりましょう。国は後からついてきます。
生命の商品化は絶対に許されません。人間尊重・生命尊重こそが政治の基本でなければなりません。政治の中心が生命の尊厳・尊重にあることを再確認し、生命尊重のために経済開発も社会開発も必要なんだという政治原則を再確認すべきであります。
うむむ、すごい語りですね。鳩山首相にぜひ聞いてもらいたい、この映画を見て貰いたいものだ、と思いました。
半年間は雪に埋もれてしまう沢内村。冬のあいだでもバスを通すために深沢村長は、村の予算規模4千万円のところ、6トンのブルドーザー1台500万円の購入を決定した。
ところが、中古のブルドーザーはすぐに故障して使いものにならなくなった。そこで、さらに10トンのブルドーザー550万円を2年払いで買った。だから、深沢村長はブルドーザー村長と名づけられた。雪国の暮らしの大変さが伝わってきます。
沢内村の乳児死亡率は70.5(出生1000人比)。これは岩手県の平均66.4、全国平均40.7の2倍という全国最悪だった。
これに深沢村長は取り組んだ。保健婦を2人採用し、苦闘の末、病院に東北大学から優秀な若手医師を派遣してもらい、村内に保健委員会をつくり上げ、ついに乳児死亡ゼロを達成した。これは全国の自治体でも初めての偉業だった。いやはや、本当にすごいことです。涙なくして見られません。
深沢村長は、次に老人医療費の10割負担を打ち出した。岩手県は当初それを違法だと指導した。しかし、ついには折れて協力するようになった。村議会でも、はじめのうちこそ反対意見が出たが、とうとう全会一致で10割負担を成立させた。たいしたものですね。反対派も黙り込んでしまったのです。
70歳以上の年寄りに「長寿の証」を贈り、年1200円を毎年支給した。該当者220人を公民館に集めて、一人ひとりに深沢村長みずから手渡していった。
そんな深沢村長に対して、反対派は沢内村のカマド返しと悪罵し、村長選で林業組合長を立てた。投票率90%、第1回開票結果では、実は対立候補がリードしていた。しかし、2回目に逆転して、300票というきわどい差で再選を勝ち取った。
ところが、そのように村民の健康福祉行動に身を捧げた深沢村長自身は大の医者嫌い。大腸癌が発見されたときには手遅れで、59歳で亡くなりました。その遺体が雪の中、村に帰ってきたときには6000人の村民のうち2000人が迎えたといいます。映画のなかでも、実に感動的なシーンでした。
悲しみの雪は、全村を深く覆って降りに降った。
いま、老人医療費は当然のように有料。わずかな年金から介護保険料さえ天引きされる。国民年金をもらえない人、国民健康保険すらもたない国民が日本全国に満ち満ちています。どこかが間違っています。いえ、日本の国にお金がないわけではないのです。
だって大赤字必至の九州新幹線、赤字を出し続けている佐賀空港など、大型公共工事にまわすお金はあっても、人間を大切にするための福祉にまわすお金がないのが日本の政治です。こんな政治が依然として続いています。
このおかしな状況をぜひ変えたい。そのために私ももうひとがんばりしたいという気になりました。いい本、いい映画です。ぜひ、読んで、見てください。
(1984年3月刊。1100円+税)
2010年3月 3日
ドキュメント高校中退
著者 青砥 恭、 出版 ちくま新書
高校中退者のほとんどは、日本社会の最下層で生きる若者たちである。親の所得によって進学する高校が決まり、高校間の格差によって子どもたちの人生、生き方や文化さえも決まる。
ある底辺校(公立高校)では、掛け算の九九が完全にできる生徒は全校生徒160人のうち20人ほどしかいない。そのため、学校は分数計算や小数計算は教えない。
歯磨き習慣がなかったり、虫歯が多くても治療しなかったりで歯がボロボロの生徒が多い。ネグレクトを受けている子どもたちは、虫歯だらけのことが多い。
中退した生徒たちのさまざまなケースが紹介されていますが、どれも親たちから大切に育てられていない、親たち自身が生活できていないという悲惨な状況にあります。本当に日本と言う国はおかしくなっていると実感させられるケースのオンパレードです。
これらの生徒、そして親たちに、自己責任だ、仕方ないだろうと言って切り捨てるのは簡単です。でも、それは日本という国、日本社会が弱肉強食の国であり、社会であることを意味します。そこで生まれるのは、憎悪・絶望からくる自殺的犯罪でしょう。社会不安が強まります。切り捨てて自分だけは安泰と思っていても、実はそうではないということです。
食事・睡眠などの日常生活、安心して暮らせる住居、日常生活の訓練、社会的な常識を身につけさせるための教育、子どもの心のケア、十分なコミュニケーションなど、子どもたちにとって欠かせないさまざまなケアをするのが親であり家族だが、そういうことのできない家族が増えている。
60億円もの予算をつかって実施される全国学力テストは、子どもの学力低下や格差の解消を目指すものではない。
この20年間の最大の変化は、子どもたちの体力が落ちたこと。朝から疲れたという子どもたちが増えた。とくに生活リズムがひどい。親の生活時間で幼い子どもも暮らしていて、大人と一緒に夜の11時、12時まで起きている。だから朝食抜きの子がすごく増えた。
高校を中退する生徒の半数以上が1年生。入学するとき、必ず卒業しようとは思っていない。高校で学習したり、いろいろな自主活動に参加して身につけ、将来の社会生活に備えようという意欲や希望を初めからもつことなく高校に入った。高校に求めるものが無ければ、やめることに迷いが生じることはなく、やめる決断は早い。仲間が中退したら、次々に落ち葉が散っていくようにボロボロと辞めていく。
底辺校の生徒たちの勉強に対するストレスは、想像以上のものだ。長年にわたって学習集団から排除されてきたという経験は、すっかり学校嫌いにしている。
貧困世帯の若者たちへの支援は、教育面からも雇用の面からも、生活面からもまったく行われていない。文科省や知事が進学競争をあおる学力テストの公開には大変な関心を示す一方で、日本の若者たちの貧困問題に政治も教育行政もまったく無関心である。貧困で、しかも低学力の子どもたちは、政治から捨てられている。
私の大学生のころ、もっとも愛したスローガン(キャッチフレーズ)は、未来は成年のもの、というものです。今は、金もうけと自己保身しか考えない保守的な大人が多いけれど、革新的な考えをもつ今の若者たちが大人になったときには、日本社会は大きく変わっていると考えていました。バラ色の夢を描いていたのです。ところが、現実はどうでしょうか……。
それでも、私は昔より悪くなったとは思いません。まがりなりにも政権交代が実現しました。しかし、アメリカの圧力を跳ね返せずに、ウロウロしている政権のありようには落胆しきりです。そして貧困問題が依然として深刻なのが実態です。放置しておけませんよね。日本の現実を知るための必読の本としておすすめします。
(2009年10月刊。740円+税)
2010年2月18日
須恵村の女たち
著者 ロバート・J・スミス、エラ・L・ウィスウェル、 出版 御茶の水書房
戦前、日本語のできるアメリカ人の学者夫婦が、熊本県人吉市近くの須恵村で1年間にわたって生活して、村の生活実態をじっくり観察した記録ですが、驚くばかりの内容になっています。驚嘆したという言葉こそ、この本の読後感にふさわしいものはありません。
須恵村の人口1663人、285世帯からなっていた。
女たちは従属的な地位を占めていたが、女たちは必ずしも、彼女らがそうすると思われていたようには行動しなかった。たしかに、女たちは村の行政のことには、なんら役割を持っていなかったし、家庭でも夫に仕えるという標準的な型に従っていた。しかし、男たちとの日ごろの付き合い、労働の分担、社交的な集会、飲酒、おしゃべりでの役割において、須恵村の女たちは確かに、日本のどんな都市に住む女性よりも、はるかにずっと自由に行動していた。
その関係はより平等であって、女性は農民、漁民、商人、職人の家という経営体への直接的な貢献ゆえに、はるかに力を持っていた。
男性がいるときでも、話には制約はない。まったく奔放で、好奇心が強く、物おじせず、はっきりものをいう点で、須恵村の女たちは、強く自分の意見を主張し、外の世界の生活のある特定の側面について好奇心を持ち、噂話をするのに熱心で、若い外国からの訪問者に、養蚕の技術から夫婦生活のもっとも個人的な詳細にいたるまで、すべてのことを教えることに興味を持つ人たちとして現れる。
かつて花嫁が処女であることに重要性がおかれなかった。昔は多くの離婚や再婚があったが、いまでは事態は変わってしまった。かつては、結婚式は極端に簡素で、それ自体あまり意味をもたなかった。女の子は新しい家でなにか気に食わないことがあれば、家に帰ってやり直すことができた。花嫁の純潔は重要なこととはみなされていなかった。これが、何回も結婚した年寄りの女性が多い理由である。しかし、今では結婚は丹念に作られた事柄になり、女の子もそれを軽く見なくなり、また、簡単に離婚しなくなった。
昔は結婚はどちらかといえば簡単に行われるものだったので、離婚もそんなに深刻な問題ではなかった。持参金の額もすごく大きくなり、結婚式の費用も多額になったので、離婚についても、夫と妻の両方がその手順をそんなに軽々しく考えなくなり、その解決のために二人が深くかかわるべき問題である、と広く認められるようになった。昔は、一家族に七度または八度くらい離婚があっただろう。以前は婚礼は極めて簡単で、人は五円で結婚できた。それが離婚がそんなに多かった理由で、5円あれば料理屋か、売春宿に行くか、あるいは結婚することができたのだ。その結果、人々はそれほど考えもせず、結婚を破棄した。しかしいまでは、極めて多額の金を結婚に注ぎ込むので、離婚する前に、長い間考えることになる。
女が肉体的に強く、良い働き手であるならば、前の結婚で生まれた小さな子どもたちを持っているという事実でさえ、再婚にとっての打ち勝てない障害ではなかった。
女性主導型の離婚が多いことの背後には、別の夫を見つけることが極めて容易だということがある。たびたび結婚する女性の多くは、嫌いだと言うことで簡単に男を見捨てた。その男とは過度の酒飲みか、妻を虐待するか、その母親と彼女がうまくやっていけない、という人であった。
女たちの何人かは、自らの資産を持っていたが、それは彼女たちに、財産を持たない人々を拒否する自由を、ある程度与えた。しかし、家庭内の諸条件のために我慢しなければならない限界を知っている、自立心があり、意志の強い女性が多くいるという事実は、無視できないものである。そして、その限界が踏み越えられたとき、彼女たちは夫のもとを去るか、夫を見捨てたのである。
居心地のよくない結婚生活の環境にもかかわらず、そこにとどまっているものは、夫の領分に侵略することで家を支配していた。結局のところ、強い女たちと同様、弱い男たちがいたのである。男が無能で、先見の明がなく、怠け者であるか、さもなければ家族の中の 事態を管理するのに適していないことがはっきりしたときは、妻がとってかわって、大変うまくやることがある。
われわれは、酒をたくさん飲む妻、意地悪ばあさんである妻、あるいは姦婦として広く知られている妻に出会ったが、これらの妻は、長い間それを耐え忍んできた夫によって離婚されることはなかった。
彼女たちは、タバコ、酒、性に楽しみを見いだしていた。性的な関係についての話は率直で、隠しだてのないものだった。結婚した女性はときどき不貞を働いたが、それは、そのような行為をするのは通常、夫だけだと言うこの時代の日本において一般に承認された認識ときわだった対照をなすものだった。さらに注目すべきことは、不貞の関係を知った夫によって、妻が離婚されるとは限らない。
寡婦たちは、恋をあさる夫たちと未婚の若い男たちにとって、いいかもとみなされ、またそうであることが証明されていた。
なぜ男たちは不貞の妻を我慢したのか。どのようにして、離婚した女性は、別の夫をそんなに簡単に見つけられたのか。その解答は、少なくとも部分的には、当時の小さな小売商の家や農民の家が要求していた労働力の性格のなかにある。後者にとっては、協同的な労働集団や労働の協同は、たしかに田植や稲刈りのような忙しい季節には、きわめて重要であった。
離婚、再婚の非常に多くが、とても狭い地理的範囲で起きていること。近くの隣人同士である人々は、驚くほど多様な組み合わせで、一度またはそれ以上結婚している。
年とった男女は、しばしば、自分たちだけで結婚を取り決めていた。
仲人の役割は結婚の取り決めにとって極めて重要であるが、同時に離婚の解決においても大変重要だった。花嫁ないし婿養子の持ってきた全財産は返される。結婚後、夫婦で手に入れた財産は分けられる。
婚礼も盛大で費用がかかるので、離婚による解決もずっとむずかしくなった。今日、離婚率は1935年のそれよりは少し高いが、須恵村の老婦人の若いころに比べればずっと低い。1883年に人口千人あたりの離婚率は3.39だった。1935年にはそれは0.70に下がった。1884~88年の結婚に対する離婚の比率は1:0.37であり、1934~35年には1:0.08だった。1978年の離婚率は1:0.87だった。
貧しい家や結婚を急がなければならない理由のある家でおこなわれる、もっとも一般的な結婚の形式は、最小限の費用とおひろめですますものだった。それは三日加勢(三日間の労働)と呼ばれる、一種の試験結婚である。
妻は、夫からの財政的自立を、文字通りまったく認められていなかった。夫は家計のほんの一部を除いて、すべてを管理した。しかし女たちはあきらかに、いくらかの個人的な現金を所有している。女たちは、絹の家内生産から得た収入のいくらかを自由にできる。
女性およびほとんどの男性が子どもを寛大に扱っている。二人は、日本にいる外国人のほとんどがそうであるように、子どもに対する過度の甘やかしにしばしば驚かされた。少年も少女も、少なくとも就学年齢に達するまでは、目をつけて、欲しいと思ったものは、なんでも男女の成年から手にすることができた。
日本の女性が、身体的・精神的エネルギーの多くを子どもの世話に費やしていることは、いつでも認められることである。女は子どもがいたら、夫と別れると子どもを失うという恐れから、困難な結婚英勝野状態を我慢する。子どもたちはほとんどの大人―男であれ女であれ―によって甘やかされ、かわいがられ、大事にされた。
結婚は、若い女と男のすべてにとっての目標であり、須恵村の女たちが子どものために負う、最後の大きな責任は、その結婚の取り決めであった。その家の男たちも、その過程のある段階ではつねにまきこまれていたし、ほとんどの場合に拒否権を持ってはいたが、交渉を担当するのは、主として女たちであった。
最後に、戦前の庶民の天皇観を紹介します。外国人(ガイジン)に対して、次のように述べたというのを知って、私など腰が抜けるかというほど驚きました。
天皇陛下は神様のようにしとりますが、本当の神様ではなかとです。天皇陛下は人間で、とても偉か人です。
(1988年5月刊。3800円+税)
2010年2月12日
セブン・イレブンの罠
著者 渡辺 仁、 出版 金曜日
最近はコンビニ神話にも少々かげりが出ているようです。私は原則としてコンビニを使わない主義ですが、出張したときには水と朝食用の野菜ジュースを買うために利用せざるをえません。
このコーナーでたびたび鈴木敏文会長(創設者であり、CEO)の本を好意的に紹介しましたが、この本は、セブン・イレブンの裏の貌(かお)を鋭く暴いています。なるほど、というより、ええっ、まさか……と驚いた点がいくつもありました。セブン・イレブンって、前近代的な圧政支配で成り立っているんですね。ほとほと嫌やになってしまいました。
セブン・イレブンは日本全国に1万2000店舗あり、本部直営店は、そのうち1000店しかなく、残る1万1000店はフランチャイズ加盟店。だから1万1000店はオーナー経営者が存在しているはずです。ところが、ところがです。
第1に、毎日の売上金全額をセブン本部の指定口座に送金する。
第2に、オーナー経営者には仕入原価が知らされず、知る手段もない。
第3に、たとえ親が死んでも24時間365日、営業しなければならず、閉店することは許されない。
ええっ、ええっ、これではオーナーなんてものじゃありませんよね。売上金の一定割合をロイヤリティーとして本部に送金するのなら分かりますが、売上金全額を毎日、本部へ送金するというのでは、まるで直営店ではありませんか。どこが違うのでしょうか?
本部には、全国から毎日76億円ものお金が送金されているとのことです。これって、おかしな仕組みだと思います。しかも、商品の仕入れ原価は公表されていないというのですから、経営者がオーナーだなんて、とてもとても言えません。
セブン・イレブンは売上5407億円で、営業利益1780億円(2009年2月)というのです。3割もの粗利なんて、これまたびっくりですね。
年間2兆7626億の総売上高を本部がどう運営しているか、ブラックボックスだというのですから、これではまるで江戸時代の鈴木敏文商店ですとしか言いようがありません。21世紀の日本で許されていい商法とは思えませんね。
セブン・イレブンの客単価は平均700円。客一人当たりの粗利は150円ほど。
一店舗の売上高は、1日でよくて80万円、悪いと40万円。それでオーナー夫婦は年収1000万円。日販40万円だと、わずか2~300万円にしかならない。24時間、年中無休でこれでは、泣けてきます。
ところが、セブン本部には、日販80万円だと年4000万円、日販40万円でも年1200万円ものチャージ収入が入ってくるというのです。これでは、あまりに不公平です。他人事(ひとごと)ながら、読んでいて腹が立ちました。
便利なコンビニですが、こんな不法な商法は、長続きさせてはいけないのではないでしょうか・・・・・・?
(2009年10月刊。1500円+税)
2010年2月10日
職業・振り込め詐欺
著者 NHKスペシャル取材班、 出版 ディスカヴァー携書
私も振り込め詐欺の被害にあった人の依頼を受けて回復に取り組んだことがあります。2日間で350万円を騙し取られてしまった。被害者は20代の独身女性でした。架空請求のハガキが来たのです。身に覚えのないことながら、何かしら不安にかられて電話したところ、「弁護士」が出てきて、「それは大変なことだ」と脅され、「弁護士」の指示どおりに「示談のため必要」と言われ、50代の母親に相談し、生命保険を解約してまでお金をつくって、2日間にわたって振り込んだのでした。
親に相談してもストッパーにならず、かえって一緒にお金づくりに走ったという点でも驚きでした。父親(夫)だけは知りません。ばれたら深刻な家庭騒動になるのが必至なので、黙っておこうという合意が母と娘に成立しました。私は振込先の銀行(なぜか千葉と福岡でした)に連絡して引き出しを止めようとしたのですが、引き下ろされた後のことでした。結局、口座に残っていたのは1万円ほどです。着手金ゼロで始めましたので、実費としてそれを私がいただき、「終了」となりました。本当に残念でなりませんでした。
警察は銀行口座を開設した人間、そして受け取りに来た人間をなぜ捕まえないのか。そこから手繰っていけば、騙し役の連中も捕まえられるはずだと思いました。
この本を読むと、振り込め詐欺の手口は海外の電話まで使うというように極めて高度なテクニックが使われていること、そのため、警察も逮捕が難しいことを認識しました。
一流大学を出た賢い若者たちが、IT技術なども駆使し、企業のウラ情報ネットワークもつかいこなしているというのです。ひどい話です。でも、でも、それにしても、警察には、もっと頑張って逮捕してもらう必要があります。
振り込め詐欺グループの電話かけは、1日に200件~300件。ノルマは1日200万円。朝9時から夜9時まで、1日12時間、地方の年寄りに騙しの電話をかけ続ける。
名簿は、東京の名簿屋から買う。1件あたり10~15円。2万人分だと、20~30万円。
親の年齢は50代後半から60代後半まで。
こっちからは絶対、名前は名乗らない。アポ電は、名簿を見て電話して、その親が騙されたか、騙されてないかを見極める。
振り込め詐欺の拠点を、店舗という。ひと月に1~2億円を荒稼ぎするグループがある。騙すためのストーリーは多種多様。個人でアレンジもする。
同じ人を2回だまし取るのをおかわりと呼ぶ。
電話をかける主要メンバーは、マンションのアジトにこもりきり、人目を徹底的に避ける。その代り、外で手足になって働く人間を雇う。
出し子からお金を受け取るのは、デパートのトイレとかパチンコ屋のトイレとか、人目に付かないトイレで受け渡しする。出し子をマンション(アジト)へ入れることは絶対にしない。出し子は仲間じゃない。コマだ。いざとなれば切ってしまう。お金を引き出すとき、出し子は帽子をかぶりメガネを掛ける。サングラスは逆に怪しまれる。大きめのアメを2つ口に入れて、銀行ATMの前に並ぶ。顔が変わって見える。
飛ばしの携帯とは、他人名義の携帯電話のこと。ケータイを使うのは1回きり。不況のなか、1万ほどの報酬で名義を売る人間は大勢いる。
それまで犯罪に縁のなかった若者が、一攫千金をもくろんで振り込め詐欺にかかわっている。彼等は、世の中がこんなに理不尽なら、オレが復讐してやろうと考えている。
一生懸命にがんばってきた。なのに社会に裏切られた。だったら、社会に復讐してやるんだと、高言している友人がいる。
振り込め詐欺の被害者はのべ10万人を超える。
振り込め詐欺犯たちが容易に捕まらない現状は改められなければなりません。被害者が、息子からオレをそんなに信用できないのかとののしられ、その後、親子関係が断絶したという話もあります。二次被害も深刻です。
(2009年10月刊。1000円+税)
2010年2月 4日
岩盤を穿(うが)つ
著者 湯浅 誠、 出版 文芸春秋
日本中を震撼させた年越し派遣村の村長だった著者は、民主党政権の下で、内閣府参与となり、ホームレス等の対策にあたっています。著者には私も大いに期待しています。これは、決して皮肉ではなく、本心からの言葉です。皮肉なんて言っていられないほど、事態は深刻かつ急迫していると思うのです。
著者は活動家を募っています。そこで求められている活動家は次のようなものです。従来のものとはかなりイメージが異なります。
活動家は、夢見る権利を擁護し、夢見る条件を作ろうとする。認定された夢だけを夢とする社会の岩盤にぶち当たらざるをえない。
お金がなければアウト、非正規だったら負け組、恋人ができなければ人間失格、マイホームにマイカーがなければ甲斐性なし、病気をすれば自己管理が不十分、老後の貯蓄がなければ人生のツケ。いやはや、なんと寂しい日本の現象でしょうか……。
国が企業を守り、企業が男性正社員を守り、男性正社員が妻子を守る。そのルート以外の守られ方は、自堕落、怠惰、甘え、努力不足、負け犬……。いい加減にしてほしい。
この「いい加減にしてほしい」に形を与えること。形を与えるための“場”をつくること。そして、他なる社会を夢見る条件を作ること。それが活動家の仕事だ。
なるほど、こんな言い方もできるのですね。こうやって運動の輪を大きく広げていって、現代日本の社会を少しでも良い方向に、みんなで少しずつ、一歩一歩、変えていきたいものです。
私も日比谷公園にはよく行きます。有楽町駅から歩いて日弁連会館に行く途中にあるからです。そこにできた年越し派遣村に来た人は、5日間で500人を超したのでした。そして、ボランティア登録をした人は1800人、のべ5000人となった。寄せられたカンパは2300万円。ちなみに、今年の公設派遣村は昨年を上回って、800人でしたか、1000人でしたか……。
多くの人にとって、「見たくない現実」だった。忘れてはならないのは、「その現実を生きている」人たちがいること。この現実を直視できるかどうか、そこに日本社会の地力が現れる。そうなんですよね。貧困は目をそむけたら見えなくなるものです。
かつての日本では、山谷(東京)や釜ヶ崎(大阪)の寄せ場に日雇い労働者はいた。しかし、今では日本全国に広がっている。貧困の問題は、フツー、目に見えないという特徴がある。貧困が見えにくいのは、アメリカでもイギリスでも同じで、これは世界共通のものだ。野宿の人たちは、炭鉱のカナリアのような存在だ。
日本では、まわりの人から「簡単に人に頼っちゃいけない」と言われて育っているので、SOSの出し方が分からない。
企業の多くは「地球を大切にしています」などと広告・宣伝している。しかし、「私たちの企業は、非正規労働者の命などなんとも思っていません。そんな私たちですが、良かったら商品を買ってください」と言うべきだ。
ふむふむ、なるほど、なるほど、そのとおりですよ。日本経団連の露骨な、あまりに金儲け本位の姿勢を少しでもまともなものに改めようと考える資本家はいないのでしょうか……。
国がセーフティネットを確立しようとするのは、実は19世紀のビスマルクの時代に始まったのだそうです。人間がボロ雑巾のように使い捨てにされる社会は弱くなるにきまっている。これが理由です。そうなんですよね。弱者をどんどん切り捨て、排除していく社会は、全体的な力も弱めてしまうのです。お互い、明日は我が身ですよ……。
ホームレスの人数確認が困難なのは、夜は寒さをしのぐために歩きまわり、昼間は図書館などの公共施設に入って仮眠を取る人が捕捉できないから。なーるほど、そういうことなんですね。
政治不信は言われ始めて久しい。しかし、本当に深刻なのは、むしろ社会不信ではないのか。どうにも這いあがれない状態に追い込まれながら、そのこと自体が「努力が足りない」と叩かれる理由になっている社会では、何かを言ったところで、誰もそれを受け止めてくれるとは思えなかったとしても不思議ではない。
自己責任論は、人を黙らせるもの。活動は、人を喋らせるもの。
著者の提起を受け止め、私も著者のいうような活動家になりたいと改めて思いました。
(2009年11月刊。1200円+税)
2010年2月 3日
山田洋次
著者 新田 匡央、 出版 ダイヤモンド社
映画『おとうと』を見ました。世間から鼻つまみ者にされている弟を姉が最後まで面倒みるストーリーです。笑いながらも涙を流してしまいました。すごいものです。山田洋次監督の技のすごさに、今さらながら感嘆しました。『母べえ』と同じく、心が洗われ、すっきりした思いで雨のなか帰路につきました。
この映画には「みどりのいえ」というホスピスが登場します。ほとんどボランティアで運営されている施設のようです。私は申し訳ないことに知りませんでした。こんな施設が存在すること、そして、それを大勢のボランティア・スタッフが支えていることは、もっと世の中に知られていいことだと思いました。その点でも、山田監督はすごいと思いますし、この映画を見る意味があります。ぜひ、みなさん映画館に足を運んで見てください。
せめて映画館に入る時くらい、このむごい世の定めを忘れたい、と観客は願っている。そんな思いに応える映画をつくるためには、スタッフは皆仲良くなければいけない。仕事を楽しくしなければならない。
山田監督の映画作りのときには、出演を予定していない人もふくめて、みんなで芝居を見て、役者を励まそうと呼び掛けられる。出演しない人が、外でタバコを吸って一服しているということはない。
山田監督は、脚本に描かれたことだけを撮影すれば事足りるという姿勢に与しない。
山田監督の指示どおりにスタッフが動くことを、山田洋次は嫌う。
監督から言われたとおりにはするな。いや、だったら、こうしたほうがいいんじゃないかと提案すべきなんだ。山田洋次は提案者を待っている。ただし、悩みに悩んだ提案者だ。単に、「いまどきの若者はそんなことは言わない」と批判するのでは足りない。山田洋次はそれでは絶対に納得しない。なぜ言われないのか、どうして昔のような言い方がいけないのか。現在の社会はどういう状況にあるのか、そのなかで若者の生態はどうなっているのか。そして、観客が何を求め、観客に何を伝えるのか。理由とともに具体的な提案をすれば、山田洋次は決して否定しない。採用しなくても、なぜ提案を採用しないのか、必ず考える。
映画の成否はシナリオの出来が6割を占める。次いで俳優のキャスティングで、これが3割の重要性を持つ。だから映画監督のできることは実は微々たる割合しかない。
ぼくたちは全部ウソをついている。これが映画の極意。何のためにウソをつくか。映画を見る人達も騙されようと思って騙されている。でも、上手く騙してくれないと怒る。ありえないウソだといって……。
より真実を描くためにウソをついている人だ。
これは山田洋次の言葉です。なるほど、そうなんですよね。
著者はこの本が初めての単行本だということですが、映画『おとうと』の出来上がる過程をよくとらえています。凄い技を持っていると感嘆・感激・感謝します。これからも大いにがんばってください。
(2010年1月刊。1500円+税)