弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

社会

2011年5月17日

米軍基地の現場から

著者   沖縄タイムズほか  、 出版   高文研

東日本大震災で在日米軍がトモダチ作戦ということで救援活動をしていることから、日本のマスコミは日米安保条約をますます無条件肯定の報道をしています。しかし、本当に日米安保条約のあるおかげで日本は助かっているのか、私は大いに疑問を感じています。イラクやアフガニスタンで大々的な侵略戦争を展開しているアメリカ軍が、急に日本で平和活動のみに従事しているなんて、そんな思い込みはあまりにもお人好しとしかいいようがないのではないでしょうか・・・。
この本では、日本安保は、本当に日本の平和を守ってきたのかという疑問で貫かれています。私は、この疑問を日本人は忘れてはいけないと思います。
横須賀基地に配属されているアメリカの原子力空母ジョージ・ワシントンは、放射性廃棄物を1トンも貨物船で搬出した。放射能の心配がある。
アメリカ軍のグアム移転の費用について、アメリカ軍は実際より過大な人員と費用を計上していたことが暴露されました。これは日本側の負担割合を小さく見せるための工夫だというのです。実に日本国民を馬鹿にしています。自民党そして民主党政権も、きっとそんなことは知っていたでしょうから、日本国民だましでは共犯関係にあります。日本政府だけでなくアメリカ政府の言うことも、そのまま信じてはいけませんよね。トモダチ作戦でアメリカ軍が実際には何をしたのか、一部の新聞に少しずつ実相が明らかにされています。
アメリカ本土から海兵隊の放射能対処専門部隊150人が派遣されて日本に来たことは大きく報道されました。しかし、結局、福島県内に入ることもなく、アメリカに帰っていきました。アメリカ政府が福島第一原発から80キロ圏内を退避区域として設定したことによるようです。
アメリカ軍が最大時で人員2万人、艦船20隻、航空機160機を動員したことは事実です。そして、これらの部隊の大半が4月上旬には撤退しました。アメリカ政府による作戦の予算上限8000万ドル(68億円)に近づいたためです。
そして、ここで見逃せないのは、アメリカ軍と自衛隊が指令部機能の一体化が急速に進んだという事実です。そして、日本のマスコミと世論のなかで、アメリカのおかげで助かったというムードを醸成し、日米安保肯定論を強化できました。
この本を読んで改めて日本人として腹が立つのは、アメリカ軍人が日本国内で犯罪をおかしても、まともに逮捕も捜査もされないという事実です。これでは、日本はアメリカの植民地のようなものです。
2004年8月の沖縄国際大学にアメリカ海兵隊のヘリコプターが墜落炎上した事故についても、結局、アメリカ軍の整備士4人は全員が不起訴処分となっています。公務中の事故なので、そもそも日本には裁判権がありませんでした。くやしいです・・・!!
1995年から2008年までにアメリカ軍関係者の起こした凶悪事件は110件、逮捕者
152人。このうち日本が起訴前の犯人引き渡しを求めたのは横須賀のタクシー強盗殺人など、6件、6人にすぎない。事実上、日本に裁量権はない。いやはや、ぐやじー、許せない・・・!!!
そして、アメリカ兵が逮捕されて実刑となって刑務所に入っても、見事に優遇されます。この本では朝食しか紹介されていませんが、フレンチトーストにシリアル、ベーコン、オムレツ、さらにミルクとバナナ持つく充実ぶり。夕食にはステーキもつくといいますから、日本人の収容者とは比べものになりません。
 アメリカ軍の飛行機の出す爆音がひどすぎるというので、これまで日本の裁判所は何回となく受忍限度をこえる違法な爆音だとして損害賠償を命じてきました。ところが、アメリカはまったく賠償金を負担せず、すべては日本政府がアメリカ軍に代わって日本国民の税金でまかなっているのです。なんとひどいことでしょう。
 アメリカ政府もアメリカ軍も日本国民を守るために日本に基地を置いているわけではないと再三再四、高言しています。ところが、日本政府と日本のマスコミだけは相変わらず、アメリカ軍がいるおかげで日本の平和と安全が保たれていると言い続けています。こんなことって奇妙ですよね。アメリカ軍が本気になって日本を守る気があるなんて、私にはとても思えません。
(2011年5月刊。1700円+税)

2011年5月13日

原発と地震

著者   新潟日報社特別取材班 、 出版   講談社

今からわずか4年前のことでしかありませんが、東日本大震災が起きた今では、なんだか古い過去の出来事のように思えてなりません。
2007年7月16日、中越沖地震によって東京電力の柏崎刈羽原子力発電所で動いていた原子炉が7基すべて緊急停止した。
原子炉は停止すれば安全というわけではない。炉水温度を百度以下に冷やして初めて安全が確保される。そうなんですね。今回の福島原発事故でも、この「百度以下」というのが容易に達成できずに推移しています。とても心配な事態です。
地震から5ヶ月たったころ、東京電力は新潟県に対して30億円もの寄付を申し出た。このお金で県民の感情を斉めようとしたわけですよね。でも今回は規模がケタ違いですから、こんな金額ではすみません。何兆円、何十兆円もの損害の補填が求められています。
この柏崎刈羽原発の建設用地の売買には、かの田中角栄が関わっていたようです。
1971年に、土地売却益の4億円が東京、目白の田中角栄邸に運んだことを認める証言を取材班は引き出しています。
「不毛」の砂丘地帯がお金にかわった代償が有力政治家の懐に入っていったというわけです。そして、そのツケを払わされたのは新潟県民でした。
現在の東電・清水正孝社長は、当時副社長でもあり、勝俣会長が社長でした。このコンビは、経費削減を優先して安全を無視したわけです。歴史に記録されるべき人名でしょう。なんといってもトップの責任は重大です。
班目春樹委員長が私と同世代だということも確認しました。原発の「安全神話」をふりまいてきた学者の一人のようですね。大学生のころはどんな考えだったのか知りたいものだと思いました。
原発は、今すぐ廃止の方向に動き出さないと日本全体が沈没してしまうのではありませんか。今なお原発にしがみつこうとしている人がいるのに驚くばかりです。
(2011年4月刊。1500円+税)

2011年5月11日

原発と日本の未来

著者   吉岡 斉、 出版  岩波ブックレット

3.11の直前に発刊されたブックレットです。3.11のあとに出た二刷版には、次のような簡単ではありますが、恐るべき内容のコメントがついています。
この原発震災の処理には、原子炉の解体・撤去だけでなく、広大な汚染地帯の除染もふくめ、数十年の歳月と数十兆円の費用がかかるとみられる。これは原子力発電コストを2倍に押し上げる。そのうえ、数十万人の被曝要員が必要となるかもしれない。原発はクリーンだという言説はブラックジョークと化した。復旧のための人的・金銭的負担は子孫にも及ぶ。
うむむ、これって、まさしく「想定外」の見通しですよね。原発を推進してきた政府と自民党にはきちんと責任をとらせる必要があります。いえ、もちろん、東電をはじめとする電力会社の杜撰さを免責するつもりはありません。
原子力発電技術は、原子核分裂連鎖反応によって生ずる熱エネルギーで高温・高圧の水蒸気をつくり、それを蒸気タービンに吹きつけて回転させ、タービンと直結する発電機も動かす技術である。
原子力発電は大量の放射性物質を生み出す。それが事故や自然災害によって大量放出される危険は無視できない。
まさに、この危険から今回、現実化したわけです。そのうえ、破壊工作や武力攻撃などによって大量の放射能物質が飛散する危険もある。
アメリカがオサマ・ビン・ラディンを暗殺したことによって、一気にテロが拡大する危険が現実化しています。「フクシマの危機」を逆に利用しようとして世界各地の原発がテロの対象となったとき、この地球は大変な事態に突入します。報復の連鎖は地球の破滅を抱くだけなのです。
原子力発電は、他の発電手段とは質的に異なる巨大な破壊力を生み出す危険性をもっており、それは文明社会の許容限度を超えている。
ところが、日本政府は、原子力発電事業を長年にわたって偏愛し続け、過保護状態に置いてきた。それも、ただの過保護ではなく、巨大な破壊力を抱えるという重大な弱点をかかえる事業に対する過保護なのである。
原子力発電は、1980年代末から、20年以上にわたる停電状態を続けている。今や、事実上の新増設停止に近い状態となっていて、構造不況産業と化した。
1960年代から80年代までに建設された原子炉の老化が進行し、2010年代から廃炉ラッシュが始まっている。いま、アメリカに104基、フランスに58基、日本54基、ロシア27基、ドイツ17基となっている。建設中でみると、中国20基、ロシア10基、インド6基、韓国6基、日本3基である。ヨーロッパで建設中の原子炉はわずか2基のみ。フィンランドとフランスの各1基である。建設中のところは、いずれも順調に進んでおらず、建設費は当初予算の2倍にまで膨れあがっている。
日本の原子力政策の特徴は、官庁、電力業界、政治家、地方自治体有力者の四者による談合にもとづく政策決定の仕組みである。そこには、市場原理や競争原理が働く余地はない。
福島第一原子力発電所の深刻な状態が依然として続いているわけですが、それは原発が人類の容易にコントロールできる存在ではないことを如実に示しています。一刻も早く脱原発に踏み出すべきだと思います。
わずか60頁ほどの薄い冊子ですが、手軽に読めてわかりやすい解説でした。
(2010年10月刊。1800円+税)

2011年5月 6日

日本一の秘書

著者 野地  秩嘉      、 出版  新潮新書   
 
 弁護士である私は、サービス業の一員だと自覚しています。ですから、サービスの極意を極めたいという気持ちが常にあります。この本は、そういう意味で読みました。今さら私が秘書になろうというのではありません。この本は秘書のことも書かれていますが、要するにサービス業界で頂点に立つ人々を紹介していて、大変参考になります。
 トップバッターで登場するのは、横浜港に面したホテルニューグランドの名物ドアマンです。私も、このホテルには、昔、一度だけ入って、レストランでカレーライスを食べた気がします。戦前の1927年にオープンしたクラッシック・ホテルです。このドアマンさんは私と同世代のようです。ドアマン37年といいますから、まったく私の弁護士生活と同じです。このホテルに来るお客さんのほとんどの顔と名前を覚えているそうです。だいたい4万人の顔と名前が一致する。うひゃあ、す、すごいです・・・・。
 耳で聞いただけでは人の名前は覚えられない。はじめて来た人とは必ず握手をする。そのとき、相手の顔を見つめ、挨拶し、「お名前をうかがえますか?」と尋ねる。相手の人が「小泉です」とか言ってくれると、それで名前は忘れない。手を握りながら話をするから、相手の顔を忘れない。ええーっ、そうなんですか・・・・。
 ホテルに不倫のカップルが来たときには、タクシーのドアを開けてはいけない。男性が先に車から降りてフロントで手続をし、女性は一拍遅れて車から降り、ロビーで待つのが定法だから。その見極めが難しい。
 秘書は、カレーの「CoCo壱番館」の社長秘書が登場します。すごい秘書です。
 秘書の仕事でもっとも煩雑で、手間のかかるのがスケジュール調整だ。いかに上司にスケジュールを守らせるかが秘書の役割である。秘書検定の合格者が320万人もいると知って大変驚きました。
事務所のフロアで電話が鳴ったときには、電話を取るのは仕事に精通しているものだけで、しかも、一番、二番と順番まで決まっていた。そして、社長は客の名前を聞き直すのを許さなかった。名前を聞き直されたら、客は不愉快になるからだ。一度で、ちゃんと覚えないとダメ。
うむむ、これは難しいですね。発音の悪い人もいますしね。
 秘書は、いろいろ知っていても、ぺちゃくちゃしゃべってはいけない。秘書は、上司より目立ってもいけない。ところが、今では、パワハラやセクハラ防止のためか、一人の人間(社長など)を長く世話する秘書はいない現実がある。そうなんですよね。難しいところです。
 犯人の似顔絵を描き続けた警察官がいます。多いときには年に167枚もの似顔絵を描いたというのですから、たいしたものです。
 被害者から犯行状況の話を聞くときには、常にエンピツを動かす。そうすると、被害者は協力的になる。描くことに集中してはいけない。あくまで、聞くことが主体だ。いちばん大切なことは、絵を完成させようなど思わないこと。描きすぎてはいけない。また、本人が見て、怒るような絵を描いていけない。自分そっくりと驚くような絵を描く必要がある。似顔絵は、雰囲気と表情を描くものだ。
 写真は顔の造作を表現したようなもの。だから、絵のほうが、本人の生(ナマ)の姿をとらえている。目鼻立ちと雰囲気と表情のすべてを短時間で一枚の似顔絵につくりあげる。
 この似顔絵を活用する事件の大半は、強制わいせつと強姦罪だけである。
秋田のなまはげ素人一座の話も面白く読みました。子どもたちはサンタクロースは、小学校にあがる前には、本物のサンタクロースが来たわけじゃないことを知る。ところが、なまはげは小学校の高学年になっても、まだ本当にいると考えている子どもは多い。
 子どもだからといって、手抜きはできない。子どもは手抜きに敏感だ。子どもたちは、ヒーローが窮地を脱するところを見たいのだ。そして、ショーのあとに握手会。実は、これが大切。ショーよりも大切なのは握手会。子どもが本当に好きなのは、ヒーローと握手すること。
ふむふむ、なるほど、そうなんですよね。
 博多の焼鳥屋も登場します。さっと読めて、なるほどと参考になる、ひらめきの本です。
(2011年3月刊。700円+税)

2011年5月 4日

さもなければ夕焼けが こんなに美しいはずがない

著者 丸山 健二、    出版 求龍堂
 
 安曇野にこもり、ただ一人の力で執筆と作庭に明け暮れる小説家のエッセイです。
 芥川賞受賞作家が執筆活動とあわせて壮絶な庭づくりに挑んでいる状況が伝わってきます。ちょっと真似できません。今回も口絵の写真で庭が紹介されていますが、まさしく芸術作品と言うべき庭です。私の庭のように、春はチューリップ、なんていうのんびりしたトーンとはうって変わって、自然との真剣勝負を感じさせる緊張感あふれる作庭の業です。
 庭作りは、自分好みの植物を片っ端から集めて植え、あとは水と肥料さえ与えておけばひとりでに様になってゆくと考えるのは大きな間違いだ。
庭と自然の決定的な差異は、要するに秩序と無秩序の違いだ。庭においては、膨大な時間を短縮するための絶え間のない手入れが欠かせず、人為的に、やや強引とも言える秩序を施してやらなくてはならない。
 大胆に棄てられない、優柔不断な性格の持ち主には作庭は向いていない。
 美は無限であり、底無しであって、ために、ひとたびそこに足を踏み入れ、本道を歩むことの醍醐味を味わってしまった者は、二度と抜け出せない。
となると、日曜の午後に何時間か庭に出ているだけの私なんか、とても庭づくりをしているとは言えないわけです。それでも、1年中、庭に出ていると、少しずつ庭の様相も変わってはきているのですが・・・。
 著者の庭は350坪。私の庭はせいぜい80坪もあるのでしょうか・・・。その350坪をめぐって展開する美の葛藤・・・。
華道家と作庭家との決定的な差異は、植物を単なる物と見なすか、生き物と見なすかにある。
 私は、庭に咲く花を摘んで生花として家の中に飾ることはしません。できないのです。せっかく生命を咲かせてくれた花を摘むなんて、心情として忍びがたくて、私にはできません。ただ、風に倒されてしまったような花は、もったいないので、摘んで花瓶に差して賞でてやります。その美がもったいないからです。
 この本のタイトルは18世紀の詩人の詩の一節だそうです。
 庭作りの執念を文章にすると、こんな本になるのですね。都会ではない、田舎に棲む良さの一つが花を育てることです。その一点で、私は著者の言動に共感します。
(2011年2月刊。1600円+税)

2011年4月13日

山田洋次、映画を創る

著者  山田 洋次 ・ 冨田 美香 、 出版  新日本出版社
 
 残念ながら『京都太秦物語』はみていません。ぜひみたかったのですが、ついに機会を逸してしまいました。いずれ、DVDを借りて、みてみたいとは思っています。
 この本は、山田洋次監督が立命館大学の映像学部の学生たちと一緒になって実際にある京都の商店街で映画をつくりあげていく過程を描いたものです。大学生のみなさんの初々しい興奮までよく伝わってきます。
 私もそうでしたが、大学生のころって、大事なときに寝坊してしまったりとか、大変なポカをついついしてしまうものなんですよね。それでも、大人たちがそれをカバーして、ホンモノの映画作りが進行していきます。
 OKかNGかを決める。これは監督の仕事だ。監督がNGと言っている限り、仕事が先に進まない。これは監督の権限だ。そこに、OKだったかNGだったかを決める、判断するときに、監督のもっている才能なり、エネルギーなり、すべてが凝縮される。
 若いうちは、どうしても働きたがる。しかし、キャメラのうしろで、監督のそばで、じっとみんなを観察すること。忙しく働くと、全体が見えなくなる。監督の仕事は、全体が見えなければいけない。働くのを堪えて、監督のそばでじっとみんなを見つめ続けることが大事なのだ。それが修行というものだ。とにかく観察しろ。どこの専門にも属さない仕事は全部拾い集めるようにして、自分の仕事にしろ。
なーるほど、監督という仕事のイメージがなんとなく伝わってきますね。
 山田組の特徴は、決定稿ができあがっていても、その時、その現場の雰囲気を重視する演出が行われるため、脚本は次々に変更されていくことにある。
 八百屋のご主人のキャラクターに魅力を感じた山田監督が突然、カットを増やした。ガチガチに予定されたスケジュールのままで進行せず、突然やひらめきを大事にする。その精神が山田組の真骨頂であり、それが登場人物に生命を吹き込む秘訣なのだ。
 すごいですよね。臨機応変なんですね。これにこたえていくチームワークが求められますね。
 真実は真実である。ただ、嘘だからこそ見えてくる真実もある。映画という嘘の世界にも真実はたくさんあるのですよね・・・。
 映画の現場は楽しく笑顔でやらないとダメなんだよ。映画づくりとは、人間関係で成り立っている。映画の撮影というのは、気の合った同士が一緒に船に乗って長い長い航海に出るようなものなのだよ。航海の途中では、嵐もある。事故にもあう。故障もある。本当に大変な思いをして、ときどきケンカもして、それでようやく目的の港に着く。荷物を運んで、また帰りの航海をして母港に戻って、やあ、ようやく終わったねえ、みんなどうもご苦労さまと言って乾杯をする。そこで、撮影が終わる。その時はやっぱり悲しいよね。別れるのは、とっても悲しい。だから、また会おうねって言って別れるんだよね・・・。
 うむむ、とても含蓄深い言葉ですね。
 『京都太秦物語』はベルリン国際映画祭でも拍手喝采を受けたそうです。やっぱり、ぜひ映画をみてみましょう。
(2011年1月刊。1600円+税)

2011年4月10日

貧困都政

著者   永尾 俊彦 、  出版  岩波書店
 
 この本を読むと、こんな男に日本の表玄関である東京を任せていることに怒りというより、恥ずかしさに身をよじります。実に呆れた人間です。
 週に3日の出勤で年俸2908万円という超高給とりです。あとの4日は小説を書いたり、映画をつくったり、スポーツを楽しんだりの日々です。公費での海外出張が15回、これで合計2億4350万円つかいました。公費での飲食は7年間で155回、1615万円です。なにしろ1回の高級料亭の接待(9人)で、37万円もつかいます。まるで殿様気分です。
 東京にオリンピックを招致しようというので、IOC総会で着たスーツは1着26万円(もちろん私費なら何も問題ありません。せこいことに税金でまかなったのです)。北京オリンピック開会式に出席するときのホテル代は1泊24万円のスイートルーム。
 都知事という公職について、週3日しか登庁せずに贅沢ざんまいです。
東京オリンピック招致のための150億円(正確には125億円)の費用は、もちろん実現しませんでしたから、全部ムダになりました。このとき、電通に26億円も渡ったそうですから、一部の大企業からは神様のようにありがたがられるのも道理です。
 なぜ、東京オリンピックか? 石原慎太郎は次のように語った。
「周りの国に勝手なことを言われ、何かむしゃくしゃしているときに、面白いことねぇか、お祭一丁やろうじゃないか、オリンピックだぞ、ということでドンと花火を打ち上げればいいじゃないか、気分も浮き浮きして」(2006年3月の記者会見)
 なんという軽さでしょう。大金持ちが自分のお金を浪費するのなら、私は何も言いません。しかし、税金をこんな発想でつかっていいものですか・・・・? 
 東京都の財政規模は年12兆円。これは韓国の14兆円、ノルウェーの12兆円、サウジアラビアの11兆円に匹敵する。その大東京で、1999年には26人、2008年に43人もの餓死者が出ている。そして、年々、少しずつ増えている。
 都の生活保護世帯も、1999年の9万世帯、12万人から、2008年の15万世帯、20万人へ激増している。また、2000年から都営住宅は新設されていない。都有地を売却したところに家賃月300万円という高級マンションが建っている。
都内の特別養護老人ホームの待機者は4万人をこえる。
老人福祉費は1999年度は、2442億円で歳出総額に占める割合は3,8%、これは全国2番目だった。ところが、2007年度には1966億円に減って、2,8%となり、全国最下位に転落した。
 老人医療費の助成を廃止し、地下鉄やバスの無料シルバーパスも有料化された。なんと冷たい都政でしょうか・・・・。東京都にお金がないわけではないのです。オリンピック招致につかうお金はあっても、福祉にまわすお金はないというだけです。そんなのおかしいでしょう。政治は弱者のためにあるはずですよ。お金持ちは政治に頼らなくても自分で自分を守れるのですからね。
こんな都知事をもてはやすマスコミは、ジャーナリズムの自殺行為としか言いようがありません。毎日の新聞に石原慎太郎が記者会見で言った無内容で、ひどい偏見にみちた言葉がもっともらしく報道されるのを読むたびに、私は腹が立ってしかたありません。
(2010年2月刊。1600円+税)

2011年4月 1日

「偽りの二大政党」

著者  中西 輝政・篠原 文也、    出版 PHP研究所
 
 保守派の論客として名高い著者の対談集です。賛同できないところも多々あるのですが、そのとおりだと思うところも多いので、以下、あくまでも我田引水で紹介します。
 みんなの党の躍進も、「平成政治の大崩落」と呼ぶ“改革”現象の一つ。
マスコミの責任は大きい。国民全体がメディアに踊らされている。マスコミに踊らされて、有権者がフラストレーションの「はけ口」を探し求め、政権運営能力がない政党に分不相応な力を与えることで政党政治の基本構造を動揺させ、ついには日本の屋台骨まで崩落させてしまう。
 消費税10%にしても、民主党と自民党の両方が同じ主張をしている。年金、社会福祉政策についても、この両党はカレーライスとライスカレー程度の差しかない。
 民主党と自民党に本質的な違いしかなく、かつての自民党内の派閥の違い程度の「相違」しかないことは、昔も今も明白です。ところが、マスコミは両党を別のことを主張している政党かのような無理を押し通しています。カレーライスとライスカレーに違いなんてないのですからね。マスコミもごまかしてはいけません。
 小沢一郎の選挙手法は、どこまでも昔の自民党のやり方だ。上半身では民主党を装いながら、下半身では古い自民党のDNAを引き継いでいる。
 小選挙区制は、空気に流させやすい日本人には向かない選挙制度だ。もし政治の安定を望むのなら、小選挙区制をやめる勇気をもつべきだ。
国民のフラストレーションは議会政治の否定という議論が出てくるまでにたまっている。国会に雑多な勢力があるのは、現実の日本社会を反映した、政治にとって自然なこと。中選挙区制時代のほうが、民意が忠実に反映されて、国民の選挙結果に対する満足度も高かった。人々は、社会勢力が政治の議席数に忠実に反映されているとき、日本の民主主義が機能していると感じる。
 政治交代からわずか1年あまりで、これほど「無能」「偽善」「腐敗」をワンセットで披瀝したような党は、とうてい政権の主体になりえない。
 民主党は、いまだに政党ではなく、「選挙互助会」にすぎない。普天間飛行場の問題であれほど迷走したのも、党内に非武装中立派から、憲法改正派、そのなかには核武装派まで抱えて政策の収拾が難しかったからだ。民主党は政党の体をなしていない。民主党は選挙への執着が党員を結びつける「唯一の紐帯」になっている。
 なぜ民主党に網領がないのか。それは、政治理念や基本政策について詰めた議論をすると、党がまとまらないからだ。
 有権者のメディアでの信頼度は7割あるが、情報の信頼性は新聞が優る。ただ、影響を受けるのは、逆にテレビの影響が大きい。面白さではテレビに負けても、思考を促す奥行きの深さということになると、テレビは新聞にかなわない。
 テレビだけ見ていても、いわば洗脳されているようなもので、世の中の真相は分からないですよね。とくに福島原発事故の報道はひどいものです。テレビを見てても、さっぱり事態の真相は分かりませんよね。
 小選挙区制をやめ、みんな比例代表制にしてしまったら、日本の国会ももう少しまともに議論するようになると私は思いますし、期待しています。
 今回の東日本大震災によって民主党政権は自民党を取り込もうと必死です。似た者同士し、もともと派閥ほどの違いしかありませんので、「大連立」はありうるのでしょうね。それにしても、少数政党の言論もきちんと保障してほしいものです。国民のなかに「雑多な」意見が現にあるのですから、二大政党制は根本的におかしいと思います。
(2011年1月刊。1500円+税)

2011年3月30日

すごい裁判官、検察官、ベスト30

かなざわいっけい著 2008年発行


著者は競馬ブックの記者であるが、本業が暇な平日の時間帯を利用して、あしげく東京地裁の法廷傍聴に通っているのだそうな。傍聴回数は3000回に及び、自ら「傍聴官かなざわいっけい」と名乗っているのだそうな。


本書は、そんな傍聴官が印象に残る「すごい裁判官」、「すごい検察官」、「すごい弁護士」を綴った人物風土記である。例えば、被告人のトドメを刺す鬼裁判官、「フェ」から先が言えない純情検察官、厚かましいが美形の巨乳弁護士・・・エトセトラ


こんな軽めの本もいいかなと思って読んでみたが、最後の法廷傍聴記は少し感じ入った。法曹が、それぞれの背負っている立場を超えて、真実を追究する姿の描写はなかなかのもの。詳細はここでは明らかにしませんので、各自がご一読を。

2011年3月25日

「ふたつの嘘」

著者  諸永 祐司 、  出版  講談社 
 
 毎日新聞記者(西山太吉氏)が外務省の機密電信文を入手し、それをもとに国会で社会党の議員が政府を追及した。沖縄返還をめぐって、日本政府がアメリカと重大な密約を結んでいたことを暴露する内容だった。ところが、やがて問題すりかえられた。西山記者が入手した情報が外務省の女性事務官との男女関係によるそそのかしにもとづくものだったことにマスコミが焦点をあて、本当の問題点だった政府間の密約問題が話題にのぼらなくなった。このときのマスコミって、無責任報道の典型ですよね。
作家の村上春樹の受賞スピーチが紹介されています。モノカキのはしくれとして、私はなるほどそのとおりだと思いました。
小説家は上手な嘘をつくことを職としている。ただし、小説家のつく嘘は、嘘をつくことが道義的に非難されない。むしろ、巧妙な大きな嘘をつけばつくほど、小説家は人々から賛辞を送られ、高い評価を受ける。小説家は、うまい嘘、つまり本当のように見える虚構を創り出すことによって真実を別の場所に引っ張り出し、その姿に別の光を当てることができる。
なるほど、なるほど。まさにスピーチのとおりです。
西山記者は毎日新聞を辞め、北九州で隠遁生活を過ごす。妻との離婚の危機、そして、息子たちとの葛藤。さらには競艇への乗めりこみ。うつうつとした生活がずっと続きます。
ところが、ついにアメリカ公文書館で密約を掘り起こした日本の学者がいて、それが日本マスコミで大々的に報道されました。それを受けるかのように、日本の裁判所が密約の開示を政府に命じる判決を下したのです。ついに、西山記者の主張が裁判所でも認められた一瞬でした。すごいですね。苦節40年近くを経て、いったん不当におとしめられた職業人が不死鳥のごとくよみがえったのです・・・・。
 それにしても、こんな大切なことで日本国民を裏切る政府なんて許せないことですよね。いつだってアメリカ政府言いなりの菅政権に対しては、いいかげんにしてよ、あんたも若いころはアンチ・アメリカを叫んでいたんじゃないのと言って、お尻ペンペンしてやりたくなりました。

(2010年12月刊。1800円+税)
 震災後に続いている福島原発の深刻な事態について、政府は本当のことを国民に知らせていないのではないかと言われています。真実を知らせると国民がパニックを起こして収拾つかなくなるという考えにもとづくものです。でも、真相が隠されていると国民が疑う状況では、かえって無用のパニックが発生しかねません。政府は「直ちに健康被害は出ない」「落ち着いて行動してください」と言うだけではなく出来る限り正確な情報を国民に知らせるべきではないでしょうか。そうなることによって、かえって政府発表への依頼性が増し、国民は冷静に対応できると思います。
 それにしても大震災発生後2週間たっても原発災害の異常事態が続くのはあまりのことです。政府は日本の科学者・技術力のすべてをそそぎ込んで安全を確保してください。お願いします。
 我が家のチューリップが咲きはじめました。きのう数えたら15本のチューリップが咲かせています。なぜか赤い花ばかりです。チューリップ畑を眺めて、原発による不安の心を少しだけ落ち着かせています。

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