弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

社会

2010年8月15日

過労死・過労自殺大国ニッポン

 著者 川人 博 、編書房 出版 
 
 カローシが国際的に通用する日本語だなんて困ったことですよね。カラオケなら少しばかり誇らしい気もしますが・・・・。ちなみに、カミカゼやツナミもフランス語に入り込んでいて、辞書にも載っています。これもまた、ちょっと複雑な心境です。
 過労死は年間1万人は超える。その直接的な原因は、第1に労働時間の絶対量が明らかに多いこと。日本はヨーロッパより年間500時間は長い。しかも、無給(サービス)残業まである。第2に、労働の密度が濃すぎる。ベルトコンベアーが速すぎる。第3に、経済の国際化。欧米の経済活動にあわせて日本の労働者は深夜まではたらいている。
 2003年3月、大阪高裁の裁判官(53歳)が高層マンションから飛び降り自殺した。これは過労自殺だとして、遺族は公務上災害申請した。亡くなる前の半年間は、1ヶ月の総労働時間が300時間を優に超えていた。これは、1日10時間労働を毎日休みなく続けるという状況である。うへーっ、とうてい人間らしい生活は出来ませんよね、これでは・・・・。
 29歳の外科医が自殺した労働状況もすさまじいものがあります。
 外科医は、2年間にわたって、時間外労働を常に1ヶ月100時間以上しており、200時間以上の月もあり、平均して月170時間。休日は平均して月1回、ゼロ回のこともたびたびだった。大晦日も正月も仕事漬けだった。いやはや、お医者さんって、本当に大変な仕事ですよね。ならなくて良かったと今では思っています。私も高校生のころ、一瞬、なってみようかな、なんて思ったことがあったのです。
 過労自殺が減らない主たる原因の一つが、本来なら自殺予防に力を尽くすべき財界、とくに日本経団連が事態を放置しているからだ。会長を出した金業であるトヨタでもキャノンでも、技術者が自殺して労災に認定されている。
 著者は過労死問題に早くから取り組んできた弁護士です。東大教養学部で川人ゼミを開設して東大生に人権問題を考えるきっかけを絶えず与えていることでも有名です。
 私の大学時代からの知人ですが、川人法律事務所開設15周年を記念してまとめられた本書を贈呈されましたので、紹介します。ありがとうございました。今後、ますますのご健闘を期待します。
                 (2010年6月刊。1500円+税)

2010年8月13日

三池炭鉱遺産

 著者 高木 尚雄、 弦書房 出版 
 
 三池炭鉱にあって、今もわずかに遺跡の残る万田坑(荒尾市)と宮原坑(大牟田市)の古い写真と今の写真が解説つきで紹介されています。
 私自身は、ここにうつっている炭住街のおかげで大学まで進学できたようなものですので、単になつかしいというより、ありがたい存在だったという感謝の念が先に立ちます。
 私の実家は、私が小学1年生のときに当時47歳の父が脱サラを図って、炭鉱で働く人々などを対象とする小売り酒屋を始めたのでした。
 私自身の記憶にはないのですが、メーデーの日などは、店の前をゾロゾロゾロと会場まで歩いていく参加者が切れ目なく続くので、母はびっくり仰天してしまったといいます。当時、大牟田市は人口22万人になろうとしていました。
 私も一度だけ炭鉱に入ったことがあります。坑道は有明海の海底深い地底にあり、真っ暗闇です。マンベルトというむき出しのベルトコンベアーに乗って真っ暗く、不気味な坑道を一時間ほどかけて採炭現場にたどり着きました。
いろんな職業がありますが、採炭現場ほど危険な職場はないのではないでしょうか。ともかく危険きわまりありません。いつガスが噴出してくるか分からない。いつ岩盤がおちてくるか、坑道の底がふくれ上がってくるか、まるで予測のつかない危険と毎日背中あわせの仕事です。ともかく、すべてが真っ暗闇の世界です。そして粉じんがたちこめているという最悪の職場環境でした。
 まだ、有明海の海底には大量の石炭が眠っているということです。でも、そこで働く人間の生命、健康の安全を考えたら、正直なところ、とても炭鉱を再開すべきだという気にはなれません。
なつかしい炭鉱社宅は、映画『フラ・ガール』にもCGで再現されていました。大牟田にせめて一画くらいも残してほしかったと思います。貴重な写真集です。
(2010年4月刊。1900円+税)

2010年8月 9日

心脳コントロール社会

 著者 小森 陽一 、ちくま新書 出版 
 
 テレビを視聴することは、思考を停止させ、白昼夢を視ていることと同じだ。
 私も本当にそう思います。かつて「政治改革」に浮かれて小選挙区制を強引に成立させて少数政党を閉め出し、「郵政民営化」に熱狂して自民党独裁を生み出し、今また、「消費税の値上げしか国家財政の危機は救えない」と思わされている国民のなんと多い
ことでしょう。どれもこれも、為政者による、誤解の多いキャンペーンに乗せられ、踊らされているだけではないのでしょうか・・・・。
アメリカ国民全体を、言語習得の以前、人間ではなく動物の段階におとしめて、戦争に動員するためのキャッチ・コピーが、「テロとの戦争」というスローガンだった。なるほど、
9.11のあとのイラク、アフガニスタンへの侵攻を許したのは、このスローガンでしたね・・・・。
 アメリカによるアフガニスタン攻撃は、個別的自衛権の行使という名の戦争であった。
 アメリカによる多くの軍事行動は、ほとんど自衛の名の下に遂行されてきた。
 リメンバー・パールハーバーとヒロシマ・ナガサキへの原爆投下の正当化とは、多くの
アメリカ国民にとって大衆化された社会的集合記憶のなかで対になっている。
 9.11で崩壊したワールド・トレードセンター跡地が「グラウンド・ゼロ」と命令されたが、
この「グラウンド・ゼロ」とは、原爆投下の爆心地のことである。
 すべての人間は、女の子であれ男の子であれ、おしなべ人人生最大の「不快」である「生まれ出づる苦しみ」を体験している。その「生まれ出づる苦しみ」の初体験のパニック状態のなかで、初めて肺に吸いこんだ一気圧の大気を吐き出すときの声が「オギャー」という産声である。つまり、「オギャー」という産声は、人類すべての赤ちゃんにとって、人生最大の「不快」から救済してもらいたいという、自分に対する他者のケアを要求する表現なのである。
 「オギャー」という産声を発した赤ちゃんに対して、周囲の大人は、新しい生命が生まれた喜びとともに、「アー、ヨシヨシ」など、慈愛にみちた声をかけながら、自分の腕と胸で赤ちゃんを抱きかかえる。そして、あるリズムで赤ちゃんを抱きゆすりながら、「不快」の頂点に達し、極度の緊張のためのパニック状態から抜け出せるようにする。その行為は、赤ちゃんに、体内にいたときの「快」の記憶を蘇らせる。
 ふむふむ、なるほど、そうなんですね。
夜、眠りにつく前、子どもたちが「お話」をせがむのは、夜の闇と眠りにつくことに対する大きな不安を抱えているからである。子どもは、何度も聞いたことのある、同じ「お話」をせがむ。なぜなのかと思うほど、繰り返し、同じ「お話」を聞きたがる。このとき、子どもたちは、新しい情報が欲しいのではない。新しい、もっと面白い「お話」が聞きたいのでもない。言葉で構築された「お話」の世界が、決して変わらないことを確認して安心したいのだ。子どもにとって、「お話」は言葉による精神安定剤なのである。
 そうなんですか・・・・。私は、子どもが小さいとき、絵本の読み聞かせとは別に、私の創作「お話」を聞かせることがありましたが、そのとき、私は一生懸命に少しずつ話を変えていました。同じ話だと聞いていて飽きるだろうと思ったからです。ところが、いま思うと、まったく無駄なことだったのですね・・・・。ちなみに、私の得意とした創作「お話」は、ペローの「長靴をはいた猫」のもじりでした。 
 
(2006年7月刊。680円+税)

2010年8月 8日

山人の話

著者:小池善茂・伊藤憲秀、出版社:はる書房

 新潟県の山奥にあった三面村に住んでいた人の昔語りです。残念なことに、今ではダムの湖底に沈んでしまいました。戦前の村の生活が語られています。
春はクマ猟、ゼンマイ採り、夏はカノと呼ぶ焼畑でソバやアズキ、アワなど雑穀をつくる。秋はクマの罠であるオソを切り、キノコを採る。冬は、寒中のカモシカ猟、蓑や笠、ワラジをつくって春に備える。
 昔なつかしい、そして貴重な山の生活の記録です。
 クリ林では、個人でクリを拾うのではなく、村で拾う。明日の朝、クリ拾いするざーい、と夕方のうちに触れをまわす。そして、拾ったものは、みんなで平等に分ける。これは大昔から決めてきたこと。
 壇ノ浦の合戦で平家が負けてから越後の三条に来た人が先祖。池大納言といった。
 人生わずか50年。60歳まで仕事できる人は、ほとんどいないくらいだった。
 寒中(かんちゅう)は、カモシカ狩りが主だった。
 半寒過ぎたら、山駆けるな。雪崩(なだれ)の危険がある。表層雪崩でなく、全層雪崩の危険がある。全層雪崩のときは、表層雪崩のときのように泳ぐようにしてしのげるものではない。雪崩にあわないためには、雪崩の起きるようなところを通らないこと。それ以外に方法はない。人間では、どうにも出来ないのだ。大きな木のないところは、かえって雪崩の危険がある。
 山に入る人を山人(やまど)と言って、猟に行く人だけでなく、たとえば、山に伐採に行く人でも山人と言った。
 雪の時期でも、夏でも、伐採に入るには「木伐山人(きっきりやまど)」と言った。
 山を歩くときには、お腹がすいて歩けなくなったから食べるというのではダメ。すいても、すかなくても、巻狩りする前に食べておく。そうでないとカモシカを逃してしまう。そのためには、お餅を十分に腰について持っていく。戻って来るまで残っているくらいの支度を毎日していかないとダメ。疲れても、遅くなっても、深い雪だって耐えられるけれど、お腹がすいては耐えられない。腹減ったら何もできない。だから、食べ物が一番大切。
 クマと山の中で出あったら、クマより強いんだよ、あんたより強いんだよという態度を示さないとやられてしまう。
 クマは、いよいよ食べ物がなくなると、何日もかけて自分の生まれたところへ行く。クマが休むのは、必ず尾根この上に上る習性を利用して、巻狩りは上へ上げてやる。
 山では人の血は嫌われる。山では、血というのは絶対ダメ。
猟師は山言葉をつかう。山言葉は、村の内で使ってはならない言葉である。
 山境を越えると、猟師と送り人は、言葉を交わさない。猟師は「山の人」であり、送り人は「村の人」であるため。送り人は小屋に着いたら、荷物を置いて、挨拶もせずにそのまま帰っていく。
 山の生活が、巻狩りの方法をふくめて、道具などが図解されていますので、視覚的な想像も出来て理解できる楽しい本になっています。
 つい、マンガの『釣りキチ・三平』を連想してしまいました。
(2010年4月刊。1600円+税)

2010年7月28日

亡国の中学受験

 著者 瀬川 松子、光文社新書 出版 
 
 いまの日本では、中高一貫校が大人気ですし、公立中学・高校の不人気は定着しています。公立学校は暴力の支配する恐ろしいところというイメージが世間にすっかり根づいているからです。いったい、どうしたら、こんな状況を打破できるのでしょうか・・・・。
 中学受験に関するアドバイスの指摘の大半は、利害関係のある人によってなされている。つまり、決して中立の立場から語られているわけではない。
 ある中高一貫の女子高では、中一から高校卒業までのあいだに30人がいなくなった。いなくなった理由は、拒食やリスト(手首)カットとか、精神的限界であった。私立の中高一貫校を退学にさせられる理由は、成績不振。心の問題を抱えている生徒がいることなど・・・・。
 学校では、ハイレベルの問題を雨あられのように降らせておけば、そこそこできる生徒は吸収するだろう。残りは知らない。こんな環境が、中位より下の子にとって本当にいいのかは疑問である。高校側は、はじめから、上澄みの生徒(成績優秀者)以外には、達成できそうもない目標地を描いている。
 中高一貫校でも、仲間はずれはふつうにある。そして、多くの生徒は、無礼や仲間はずれを軽いいじめと捉えていない。教師のなかにも、見て見ぬふりをする教師がいる。
小学校の授業は「つまずき」をかかえて「理解」の積み重ねが出来ないままとなってくる。その結果、子どもに寄りそう前に、子どもをとりまく変化について正確に理解しておく必要がある。その現実を理解したら、多くの親は、成績の伸び悩むわが子に対して、あせりや苛立ちではなく、同情を覚えると思う。なーるほど、ですね。
 現在の大手塾のシステムは、こうした「つまずき」を抱える子どもの原因治療にやくだっていない。塾にとって、塾の合格実績に貢献してくれる上位2割が大事で、残りの8割は「お客様」と呼ばれている。
 この商売は、本気でやったら、絶対にもうからない。教育というジャンルでビジネスをやっているだけで、教育そのものはそれほど重視しているわけではない。なるほど、そういうことなんでしょう。でも、これって、寂しいことですよね・・・・。
 子どもが「ついていけなく」なってしまう原因は、子どもの努力や能力だけでなく、システムの限界にある。
 九州にも全寮制の中高一貫校がいくつもありますが、私は中学生のときから家を出て親と離れて生活するのがいいことなのか、少しばかり疑問を感じます。もちろん、思春期の一番むずかしい年頃なのですが、自分の父親がどういう行動をするのか、父親と一緒に暮らすことによって少しはつかんでいくし、それって大切なのではないかなと思います。その意味で、寮に入って、親と共同生活しなくなることに不安を感じるのです。
 たしかに荒れる中学校があり、大量に退学していく高校があります。それらの人々は、完全に脱落していたのでしょう。しかし、これらの人々を単に取り残された存在のままにしておいて本当にいいのでしょうか。
 中高一貫校にいる同級生は、家庭環境も大同小異でしょうから、住み心地はきっといいことでしょう。その結果、異質な人間が世の中には少なくないことを実感することが出来なくなります。私自身は、市立中学校そして県立高校に行きましたが、それはそれで良かったと今でも思っています。私の中学には番町グループがいて、すぐ隣にあった中学校の不良グループとよくケンカなどしていました。それでも、1学年に13クラスありましたので、そんな乱暴者だけではなかったのです。それこそ、いろんな中学生がいました。必ずしも暴力が支配していませんでした。それほど人数が多かったのです。
 中高一貫校に入って、その授業進度についていけなくなった子どもは、どうしたら良いのでしょう。そのことについて、親をふくめて、みんなが真剣に考えていないような気がしてなりません。
(2009年11月刊。740円+税)
 この夏、二度目のハゼマケを体験しました。1回目は腕の所だけだったし、原因もはっきりしていましたが、2回目は原因不明のうえ、胸からあご、そして逆に顔にまで被害が及びました。日曜日にハゼの木の汁に触ってのでしょうが、顔に発疹が出たのはなんと木曜日の夜のことです。小学生の時には学校を1週間も休んでしまいましたが、今回はそんなわけにもいきません。自生していたハゼの木は切り倒すことにします。残念ですが仕方ありません。

2010年7月27日

狙われるマンション

 著者 山岡 淳一郎、 朝日新聞 出版 
 
 
いやはや、マンション住まいとは、こんなに大変なものなんですね・・・・。私は古い一戸建て団地の一角に住んでいます。もう30年になります。子ども会が消滅し、老人会もなくなり、団地の公民館は市内の連協から脱退してしまいました。夜の会合に参加できる体力・条件のある人がいないという理由です。老齢化がすすみ、空き家も増えています。東京や大阪に住む息子や娘たちのところに引き取られて、転出していくのです。寂しい限りです。
いま、マンションでも、「二つの老い」が進行していて、郊外の団地を衰退させている。建物の老朽化と住民の高齢化である。日本の分譲マンションの戸数は540万戸、1400万人が生活している。東京都中央区では11万5000人の区民の9割が集合住宅に住み、1割以上が高さ60メートル(20階)をこえる超高層で暮らしている。2011年には、築後30年をこえるマンションが100万戸に達する。
現在、20階建て以上の超高層マンションは463棟、14万3826戸、そこに30万人以上が暮らしている。この超高層の9割超は小泉内閣の成立した2001年以降の竣工である。首都圏が7割を占めている。超高層マンションは一般マンションと違って、値崩れが起きにくい。
そして、マンションの行く末を託した不動産、建設会社が次々に倒産している。
多くのマンション住人は、住むために買っている。その5割は永住するつもりであり、永住志向は年々高まっている。いずれは、住み替えるつもりという回答は2割を下まわる。
法定立て替えは、8割の賛成者が2割の反対者の所有権を半ば強引に「時価」で買い取り、形式上は「全員の合意」があるようにして事業を進める手法だ。立て替えに反対するマンション住人は排除される。
1962年に制定されたマンション法(区分所有法)は、建物の経年変化をほとんど考えていなかったので、建物の老朽化による立て替えについての手当てがなされていなかった。1983年の法改正のとき「5分の4」要件が盛り込まれた。このとき、修繕費が再建費の半分をこえるとき、「過分の費用」がかかるとして、認められることになった。そして、ゼネコンは「半分をこえる修理費用」の見積もりを出した。
ところが、実のところゼネコンは新築一辺倒で歩んできたから、実際の修繕ノウハウを持たず、少年の修繕工事の経験もほとんどなかった。
いやはや、なんということでしょうか・・・・。マンションの管理組合の修繕積立金が横領されるという事件も全国で続出している。管理会社の社員が8年間で8000万円(19管理組合)とか、7年間で9800万円(4管理組合)を横領していた。2003年以降、国交省が把握した修繕積立金の横領は127物件、12億円にのぼっている。
一般にマンション業界では土地代を除く総工事費は販売価格の3~4割である。30数戸の偽装マンションの新築時の販売総額は17億円。うち土地代は7億円で、工事費は6億円だった。マンションは、宣伝販売費など巨額の間接経費をかけている。
管理会社は何もいわなければ、何もしない。ハードルを高くしたら、ついてくる。すべて住民次第なのである。管理会社は、どこでも五十歩百歩。
 超高層マンションの人気は高いが、建物の維持管理、管理組合運営の両面で難題が横たわっている。超高層マンションは、近年に急激に建てられたため、建物の経年変化への対応策が確立していない。不具合の修繕費用は高い。歳月の経過とともに維持管理コストが急上昇する。膨張する管理コストは悩ましい。実際の修繕工事には、高層階の修繕に多くの費用がかかる。だから、低層階の住民は、高層階の金持ちのために「平等に」床面積に応じての費用負担に不満をもらす。
そして、「防災」は最重要のテーマとなっている。2年ごとに都心の超高層賃貸マンションを住み替える「タワー族」と呼ばれる家族層が存在する。
この本では超高層マンションの管理組合がうまく運営さているところも紹介されていて大変参考になりました。マンションの住民同士で感情的ないがみあいとなっているところも少なくないようです。実務的にも大変勉強になる本として、マンション入居者、これから買おうとする人に一読を強くおすすめします。

(2010年5月刊。1500円+税)

2010年7月24日

天空の星たちへ

著者:青山透子、出版社:マガジンランド

 日航123便、あの日の記憶というサブ・タイトルがついています。今から25年も前のことになります。1985年8月12日、日航ジャンボ機が墜落して乗員乗客520人が亡くなり、生存者は4人でした。
 著者は元JALスチュワーデスです。あの不可解な事故がきちんと解明されていないという叫び、そして、今の破産状態にあるJAL体制は安全運航が確保されているのか、深刻な疑問を投げかけています。
 新任のスチュワーデスのとき、言われた言葉。緊張が顔に出てはいけない。安心感を与えることが、乗り物への恐怖心をもつ客にたいして不可欠のこと。自分が不安がってはいけない。そうなんです。でも、言うは易し、行うは難しですよね。
 123便のスチュワーデスが、異常事態が発生したあとも客を冷静にしようと努めていたこと、最後まで自己の使命をまっとうしようとしたことがボイス・レコーダーに残っている。同時に、亡くなった乗客のとった写真(1990年になって初めて公開された)にも明らかである。なるほど、この機内の写真によると、乗客は全員が着席していて乱れておらず、また、みなマスクを顔に着けています。 
 上下関係の厳しさは、本気度のあらわれである。とくに機内では、指揮命令系統がしっかりしていないと、いざというときに対応できない。同じ空で働く者同士が責任をもって育てないと、自分も危ない目にあってしまう。
 著者は、自らがJALのスチュワーデスであった体験をふまえて、日航123便事故を報道した当時の新聞記事を逐一検証していきます。
 アメリカで尻もち事故を起こしたという隔壁破壊が墜落の原因だとすると、客室内を爆風が吹き抜けることが前提条件となる。そして、爆風が吹くほどの急激な減圧となると、乗客の耳は聞こえなくなり、航空性中耳炎となる。しかし、生存者4人は、救出直後からインタビューに答えている。つまり、鼓膜は破れていない。どうも違う・・・。
 覚悟を決めた機長は、どーんといこうやと周りを安心させ、自分の腹をすえた。その状況から逃げないで、最後まで役目を果たす。それが究極のプロ精神なのだ。機長は、まったく意のままに動かない巨大な宙に浮く塊を必死に操縦していた。
 しかも、本書が初めてではありませんが、アメリカ空軍の中尉が墜落の20分後には墜落地点に到達し、その通報を受けて夜9時5分には海兵隊の救難チームのヘリコプターが現場に到着したということです。ところが、このヘリコプターはなぜか現場に降り立つこともなく、厚木基地に戻っています。
 生存者4人が発見されたのは、それから実に12時間後のことです。生存者は、自分の周囲に、まだ生きている人は他にもいたと語っていたのです。
 そして、生存者を発見したのは、地元の消防団であり、自衛隊ではありませんでした。
 ヘリコプターで生存者を救出する場面ばかりが有名ですが、実は、アメリカ軍も自衛隊も、徒歩で山に分けいった地元の消防団に「遅れ」をとったのです。
 それは意図的なものだったかもしれない・・・。考えさせられるところです。
 今から25年前に起きた事故ではありますが、日本の空の安全を考えるうえでは欠かせない本の一つだと思います。なにしろ、私など、月1回以上は飛行機に乗っていますので、安全性こそ最優先してほしいと切望します。
(2010年5月刊。1429円+税)

2010年7月23日

1968年(下)

著者:小熊英二、出版社:新曜社

 下巻だけで1000頁もある大部な本です。いやはや、なんとも大変な労作です。上巻は私も大学生のころに少しばかり関わっていました東大闘争のことが触れられていましたので一気に読了しましたが、下巻はベ平連とか連合赤軍事件など、ちょっと遠い存在でしたので、さすがに読了するのに時間がかかりました。
 1968年10月の新宿駅騒動は学生だけでなく、多くの青年労働者が加わった。
 当時の東京には、地方からやってきた青壮年男性が突出して多く、娯楽のない彼らは闘争現場に見物に出かけ、ときには腹いせに警官や機動隊に対して投石までした。
 娯楽の乏しい大都会でのハプニングに飛び込んでいった労働者群がいたということです。これは、私自身の実感でもあります。学生セツルメント運動として、青年サークルを組織するという活動をしていましたが、テレビのほか娯楽のない青年労働者が町のあちこちにごろごろしていました。ですから、河川敷でソフトボール試合をしたり、町内会館を借りてフォークダンスなどをすると、若者たちが集まってきました。オールナイト・スケートや早朝ボーリングも流行していました。
 10月21日の群衆に、ただ騒動を見物にきたヤジ馬が多かったことは明らかだった。新宿事件の群衆は、一過性の破壊行為を行っただけで、そこからは何も生まれなかった。
 1969年9月、京都大学の全共闘による時計塔の封鎖は機動隊が導入されて解除された。このとき籠城していた学生は、わずか8人だった。
 奥田京大総長(当時)の証言によると、機動隊の導入はセクト主導の京大全共闘の依頼だった。
 わずか8人しかいないなら、京大の民青に頼めば簡単に排除できた。しかし、全共闘が民青の行動隊に排除されるのは絶対に承服できない。だけど警察ならやむをえないと大学に要望してきたからだ。時計台にはセクト名を大書した旗や横断幕が掲げられ、我がセクトが国家権力と勇敢に闘ったというアピールがなされた。こんな内情バクロ話を聞かされると嫌になりますよね。
 全共闘運動の内実は、日大全共闘を除いて、ひどいものだった。大学のバリケードは、あまりに空虚な退屈におおわれていた。
 社会に出て徹底してやれると思うのは幻想であるから、大学の中では徹底してやるという。大学が特殊な逃げ場に使われている。結局、彼らは企業にとりこまれるだろう・・・。
 1969年の全共闘運動は、参加した学生の主観的なメンタリティの真剣さはともかく、若い学生が就職前の祝祭として楽しむ流行に堕していた側面がなかったとはいえない。
 元全共闘運動に参加していた人のうち、運動から離れた主因の1位は内ゲバであり、2位は連合赤軍事件だった。連合赤軍事件については、あまりにも悲惨かつ陰惨な事件なので、私のようにまったく無縁な人間にとっても、あまり直視したくはない事件です。ただ、この本を読むと、この連合赤軍事件が、思想性に起因するものなんかじゃないし、総括するにも価しない事件だと当事者の一人が語っていることに、少しだけ救われた気がしました。
 赤軍派にオルグされた学生が当時の心境を次のように語ったというのを知って、びっくり仰天しました。
 東大の入試が中止された。政府の危機である。だから、政府の危機を政治の危機に。このスローガンに共鳴した。革命の現実性はある。少数者革命は可能かもしれない。
 うへーっ、東大入試の中止が政府の危機だなんて、当時、私は考えたこともありませんでした。むしろ、権力は余裕をもっていて東大をぶっつぶし、もっと管理しやすい大学をつくろうとしていると思っていました。
 いまや作家として名高い北方謙三は、私より一つだけ年長であり、中大全共闘の活動家でした。北方は、よそのセクトに捕まって、すぐに自己批判してしまいました。そのときの屈辱の傷がずっと尾を引いて、その後は圧力や恐怖に屈せずに闘う男たちを描くハードボイルド小説を書き続けているという著者の指摘には、なるほど、そういうことかと思い至りました。
 赤軍派は出発点から内ゲバやリンチと不可分だった。そして、公安警察は、赤軍派の事情を詳細に知っていた。1969年11月5日、大菩薩峠に集まった赤軍派53人は、  100人の公安と288人の機動隊員によって全員が逮捕された。このとき、「福ちゃん壮」には、公安刑事が内偵していただけでなく、スクープを狙った読売新聞の記者まで泊まりこんでいた。なんということでしょう。テレビで再現現場を観たことがありますが、ここまでくると悲惨というより、喜劇ですね。
 森恒夫は、赤軍派がブントと内ゲバしたときに逃亡して、大阪の町工場で板金工として働いていた。それを見つけ出して復帰させたが、森自身は自分が逃走した負い目から過激な闘争方針を出すようになった。
 森は、人から強く言われると迎合する。信念のなさ、困難を避けようとする小心者の森が赤軍派の最高指導者になったのは、他のすべての幹部が去ったためだった。
 赤軍派のいう「処刑」は、「首相官邸占拠」や「世界同時革命」などと同じく大言壮語の一種で、本気で殺す気などなかったと思われる。だが、永田洋子や坂口は森の言葉を本気で受けとってしまった。大言壮語のわりには実行はいいかげんな関西ブント気質を受けつぐ赤軍派と、生真面目な革命左派の気質の相違が、悲劇を生んだ。
 森の大言壮語に革命左派が煽られて処刑を行った。だが処刑後は、森は革命左派に劣等感をもち、理論的な優位だけでは革命左派を吸収合併できないと考えるようになり、処刑や「せん滅戦」を部下に叱咤するようになった。いわば、両派は互いに煽りあうようにして悪循環に入っていった。
 森と永田は、自分の身を守るため、逃亡や反抗の恐れがあるとみなした人間を、口実をつけて「総括」していったのではないか。
 連合赤軍事件の遺体の発掘は、前日に予行演習が行われ、一度掘って死体を確認し、その後をもとどおりにしておいた。記者席まで設定されているところで、死体が掘り出された。ここでも、警察のショーが演じられていたのですね。これもまた、おぞましいことです。そうやって警察は国民を誘導していたのです。
この警察の演出は、見事に成功した。リンチ死の報道は新左翼に大打撃を与えた。
 いえ、新左翼だけではないでしょうね。左翼全般に対して、格別の思想をもっていると、こんなところに帰着することになるんだぞ、ということで、スターリンのテロルを連想させる効果もあったように私は思います。これで社会の雰囲気がぐっと変わりました。
 この事件を機に運動に失望し、手を引いた若者は少なくなかった。
 連合赤軍事件の原因は何だったのかとか、無理に総括しようとしても、ろくな結論なんか出てこない。何も出てこないという当事者の意見に著者は賛成しています。
 なるほど、そうなのかなと私も思います。
 理想とか倫理とか正義を動機としてリンチ殺人事件があったわけではないことを著者は強調していますが、恐らくそのとおりだと私も思います。それにしても、今にも強い影響の残る重大な社会的事件でした。
 1968年から69年に起きた社会現象を振り返って考えるうえで、大きな手がかりを与えてくれる本だと私は思いました。
(2009年8月刊。6800円+税)

2010年7月15日

諫早湾、調整池の真実

著者:高橋徹・堤弘昭・羽生洋三、出版社:かもがわ出版

 1997年4月、諫早湾の奥にある3550ヘクタールの海面が有明海から切り離された。これは、東京の山手線内側の半分以上の面積にあたる。堤防閉め切り後、湾口部の内外では潮流速が大幅に遅くなり、1998年以降は秋期の赤潮が大規模化しはじめ、  2000年には広汎なケイソウ赤潮によってノリの大規模な色落ちが発生した。その被害額は、単年度の市場価格だけで200億円に達した。
 潮流速が遅くなった海底では、それまで沖合に流れていた細かい粒子の有機物をふくむ泥が沈澱し、それを分解するバクテリアが酸素を消費することで貧酸素水塊が発生するようになった。その頻度と範囲が年々拡大している。そして、高級貝のタイラギ漁は壊滅状態となった。
 有明海の干満差は国内最大の6メートルにも達するため、数キロにわたって潮が引く、大規模な干潟が各所にできる。諫早干潟も、その一つで、2900ヘクタールという国内最大の面積を誇った。ここには、シギやチドリなど、渡り鳥の飛来数がとりわけ多い場所として、全国的に有名であった。
 有明海では、毎年10月から3月にかけて、沿岸のいたるところでノリの養殖漁業が盛んとなる。その生産量は40億枚で、全国の養殖ノリの4割を占める。有明海はノリ養殖漁業の発祥の地でもある。
 水温の高い有明海でとれる養殖ノリは柔らかく、香りが強く、高級ノリとしてのブランドをもっている。ところが、赤潮が秋に発生すると、このノリ養殖漁業を直撃する。本来、黒紫色の濃さを競うべき養殖ノリが色を失い無惨な姿となる。これは、増殖した植物プランクトンと、海水中の栄養塩(無機態のチッソとリン)をめぐる競争に、養殖ノリが負けてしまった結果である。
 有明海は、1日の潮汐によって海面が5~6メートルも変動し、そのことによって速い潮流が発生するため、海水がよく攪拌される海であった。
 日本の食糧自給率は4割いかになっていますから、それを解消するため、農業を保護、育成する必要があるというのは大いに共鳴します。しかし、それだったら、今の大々的な減反政策は、まっ先に見直されるべきでしょう。なにはともあれ、農家がいそいそとお米づくりに没頭できるようにするべきでしょう。
 ですから、諫早湾を干拓する前に、国は今やるべきことがあるのです。
 公共事業は、どこでもゼネコンと、それにたかる利権構造が問題となります。今回の諫早湾埋立にしても、ゼネコン側からの反対なのではないかと思われる節が多々あります。
 もちろん、土木工事も大切です。でも、それが、私たちの日常生活をより苦しくしてしまうのであれば、思い切って中止するというのも、一つの決断ではないでしょうか・・・。
(2010年7月刊。1600円+税)

2010年7月13日

クレジットカウンセリングの新潮流

著者:大森泰人・伊藤眞一・永尾廣久ほか、出版社:金融財政事情研究会

 本年6月、改正貸金業法が完全施行され、これまでのような野放図な貸し方が規制されました。それでも多重債務者はいます。しかも、たくさんの人が困っているはずです。
 そこで、クレジットカウンセリングの出番です。ところが、なぜか、総合的な体系書が見あたりません。1998年以降、10年以上も空白になっています。本書はその意味で待望の新刊です。うれしいことに、福岡から二人の著者が出ています。永尾廣久弁護士(福岡県弁護士会)と行岡みち子さん(グリーンコープ生協ふくおか顧問)です。9人の著者は、行政官、学者、弁護士、NPO法人理事長、生協幹部、金融界関係者、市長と多彩な顔ぶれです。それぞれに経験をふまえてクレジットカウンセリングを論じ、自分の実践と体験を紹介しています。
 たとえば、テレビで大々的に広告・宣伝してパラリーガルを活用した大規模でシステマティックな債務整理については、債務者の実情に即した親身な対応が行われにくいとして懐疑的です。
 最近の相談者の実情は、貧困の問題に端を発するケースが増え、福祉的な観点からの生活再生が重大なテーマとなっている。
 国や自治体による助成、法曹界など関係諸機関との連携の重要性も強調されています。金融機関が多重債務問題に主体的に関与する必要性にも言及されています。
 永尾弁護士のクレジットカウンセリング論の特徴は、全国各地にあるクレジット・サラ金被害者の会のすすめている相談および生活立て直し活動を具体的に紹介しているところにあります。
 裁判所は、破産手続について、教育的要素など期待してもらっても困るという態度です。迅速・公正な処理さえしていれば足りるのであって、そこに教育的見地をいれる必要はないというわけです。だったら、裁判所に欠けている面を誰かがカバーする必要があることは自明でしょう。それを被害者の会が補っているのです。
 グリーンコープ生協ふくおかは、なぜか多重債務問題に取り組んでいるユニークな生協です。組合員に家計破綻した人が少なくなく発生したことが契機になっているようです。組合員の相談に乗り、弁護士を紹介し、生活再生貸付事業を展開しています。
 宮城県に栗原市というところがあるそうです。残念ながら、行ったことはありません。いいところのようです。岩手県・秋田県との県境にある山のなかの市です。そこの市長さんが、自殺防止対策について寄稿しています。なんと自殺率が県下最悪だっというのです。
 クレジット・サラ金の被害を本当に根絶したいと考えている人には絶好の手引書です。日本って、まだまだカウンセリングが根付いていませんよね。でも、必要な手法です。あなたに一読を強くおすすめします。
(2010年6月刊。3600円+税)

 6月に受けたフランス語検定試験(一級)の結果を知らせるハガキが届きました。もちろん不合格なのですが、なんと自己採点では63点だったのに、現実には51点でした。この12点の差はフランス語の書きとりと作文について私の自己評価がいかに甘かったかを意味します。大いに反省させられました。自己に厳しくとはいかないものですね。
 ちなみに合格点は85点ですから、34点も不足していました(150点満点)。

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