弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

社会

2011年9月 6日

世界が見た福島原発災害

著者   大沼 安史 、 出版   緑風出版

 福島第一原発の爆発事故については隠されていること、報道されていない事実があまりに多い気がします。知らされると国民がパニックを起こしてしまうからだと当局は強弁するわけですが、隠されるとかえってパニックも拡大して起きるのではないでしょうか・・・。
 今回の福島第一原発の事故をめぐる日本政府の「情報統制」はすさまじかったし、今なお、すさまじい。新聞だけでなく、電波メディアも翼賛報道を続けた。
 福島第一原発の事故による放射能雲の拡散を世界中の人々の意識に乗せたのはオーストラリア中央気象局の解析をスクープした「ニューサイエンティスト」誌の功績だ。しかし、実は、日本政府も同じような解析データを持っていた。ただ、その解析データを国民の目から隠していた。
 国連もIAEAも、飯舘村の測定値を見て、日本政府に避難を勧告した。しかし、日本政府は勧告を無視した。
 アメリカの原子力規制委員(NRC)は情報書において、核燃料の高熱化と溶解が続けば、溶解放射能物質のかたまりが長期間にわたってなくならず、放射能物質の放出を続けることもありうると指摘した。私が今心配しているのは、まさに、この事態です。いったん核燃料棒は溶けてしまって、どうなったのでしょうか・・・。その処罰は、誰が、どうするというのでしょうか。ここが明確にならない限り、事故対策の根幹は明らかになったとは言えませんよね。
NRC報告書は、「使用済み核燃料プール」から、核燃料の破片・粒子が1.6キロメートル先まで吹き込んだとしています。これが本当なら、大変なことです。その破片・粒子はきちんと回収されたのでしょうか。現在の保管状況は安心できるのでしょうか?
 「フクシマ」事故の深刻さは、かえってアメリカ連邦議会において明らかにされた。
 なんということでしょう。日本の国会は何をしていたのですか。まさか、ずっと内輪もめばかりではないでしょうね。
 日本政府が日本国民に対して隠していた情報は、実はアメリカの関係企業には筒抜けになっていた。
 フランスのアレヴァ社の女性社長(CEO)であるアトミック・アンヌと呼ばれる女性は、フクシマ後の事故処理・廃炉という途方もなく巨大なビジネスのパイを、フランスと英国、そしてアメリカとロシアとのあいだで山分けする考えだった。
世界的な理論物理学者である日系アメリカ人のカクミチオ教授は、フクシマの危険性を次のように語った。
 フクシマは安定しているように見えるが、ちょっとした余震あるいは配管のもれ、作業員の避難などで三機ともメルトダウンを起こしかねない状態だ。
 いやはや、とんだ「安全神話」でした。指先で崖にぶら下がっていて必死にこらえている状態が、今の安定的状態だ、ということです。
 福島の子どもたちは、いまドイツの原発の作業員並みの放射線量を浴びながら、日々、学び舎で勉学にいそしむことになった。つまり「フクシマ」では、なんと「校庭」に「原発」が来ていることになる。こんなたとえは恐ろしいばかりです。
 アメリカは80キロ以内の避難勧告を今もって解除していないとのこと。それだけ放射能の恐ろしさを重視しているわけです。日本政府の、このもたつき、東電をはじめとする日本の財界の開き直りには同じ日本人として底知れない恐ろしさを感じます。許せません。
 世界的な視点で今回の原発事故をみてみる必要があることを痛感した本でした。
(2011年6月刊。1700円+税)

 日曜日に庭仕事をしました。ツクツクボーシの鳴き声も聞かずにセミの季節は終わってしまいました。枯れたヒマワリやカンナなど刈り取ってすっきりさせました。これからチューリップを植えていくための下準備です。東北地方では放射能の除染作業をしている人がたくさんいるんだろうなと、その苦労をしのびながら精を出しました。6時半には薄暗くなり、7時にはすっかり暗くなりました。6月だとまだ明るかったのですが、秋の気配を実感します。
 8月初めにフランスに行ってきました。シャモニー(モンブラン)、アヌシー、グルノーブルをまわりました。私の個人ブログで写真を紹介しています。ご覧ください。太郎さん、ありがとうございます。チョコさんお元気ですか?

2011年8月29日

白土三平伝-カムイ伝の真実

著者   毛利  甚八 、 出版   小学館

 私が大学に入ったのは1967年のことですから、もう40年以上も前のことになります。6人部屋の学生寮での生活は天国のように快適でした。完全な自治寮で、寮費は月1000円、三度の食事付きです。夜になると、夕食の残りものを残食(ざんしょく)と称して寮委員会がマイク放送して売り出します。すると、育ち盛り、食べ盛りの寮生が走り出し、またたく間に長蛇の行列が出来あがりました。私にとってお昼に百円定食を食べるのはちょっとしたぜいたくでした。なにしろ寮定食なら60円で食べられたのです。ただ、一般学生用の学生会館のランチ定食は120円くらいのがありました。私には高値の花でした(たまには食べましたけど・・・)。
 その寮の部屋には毎月の『ガロ』があり、白土三平の「カムイ伝」が連載されていたのです。目を見張るような衝撃的な絵とストーリー展開でした。文字からのイメージしかなかった百姓一揆が視覚的に生き生きと描かれていて、なーるほど、そうだったのか・・・と、頭をひねってしまいました。
 当時、大学生だった人のかなりは「カムイ伝」を一度は読んだことがあるのではないでしょうか。それだけ話題性がありました。それは、「少年サンデー」や「少年マガジン」といった子ども向けとは違った、大人向けのマンガであり、ストーリー展開でした。
 この本は、『家栽の人』の原作者が、白土三平をずっとずっとインタビューして、本人の了解をもとに刊行したものです。白土三平の生い立ち、生活の様子、マンガ作成の過程が実に細かく紹介されています。
 白土三平、本名は岡本登。その父親は戦前プロレタリア画家として活躍し、特高から拷問も受けた経歴の持ち主です。だから、戦前・戦後を通じて白土三平は貧窮生活を強いられています。そして、その中で山野をたくましく生き抜いてきた情景がマンガに結実しているのです。
 それにしても「カムイ伝」は長大なマンガ絵巻です。1964年(昭和39年)に始まり、2000年まで37年がかりで描き継がれたのは38巻。そして、いまなお未完というのです。その息の長さには恐れいります。
 白土三平は1932年(昭和7年)の生まれ、今、79歳。まだまだ大いに活躍してほしいマンガ家です。
(2011年7月刊。1500円+税)

2011年8月28日

トキワ荘、最後の住人の記録

著者    山内  ジョージ  、 出版    東京書籍

 楽しい本です。私にとっては、イヤミだの、シェーだの、思い出深いマンガがつくられた舞台裏の話が満載なので、面白く読みふけってしまいました。
 トキワ荘というと手塚治虫を連想しますが、著者は少し後の世代なので、残念ながら住人としては手塚治虫は登場してきません。トキワ荘の住人として登場してくるのは、石ノ森章太郎と赤塚不二夫です。
 著者はトキワ荘の住人としてアシスタント稼業にいそしんでいました。惜しいことにトキワ荘は今はありません。目白駅近くの目白通りにあったオンボロアパートにそうそうたるマンガ家たちが、みんな卵だったころ、ひしめきあって住んでいたのです。一度は現地に行ってみたいなと思います。
 著者が宮城県から上京したのは昭和33年の夏のことです。中学校のときの修学旅行以来2度目に東京でした。トキワ荘を一路目ざし、高校の先輩である石ノ森章太郎をたずねていったのです。
 著者のマンガもなかなかのもので、私なんかうまいと思いますが、やはり世の中には上には上がいるものです。石ノ森章太郎にはとてもかないません。アシスタントは辛いものです。3日間で合計6時間しか眠れず、仕事が終わったらふらふらしていた。こんなんじゃ長生きはできないだろうなあとしみじみ思った。漫画家はタフじゃなければつとまらない。と言いつつ、著者は70歳の今も元気なのです。
 赤塚不二夫のアシスタントをしていたとき、原稿が遅れに遅れ、とうとう印刷所に連れていかれた赤塚さんについていった。印刷現場に隣接する校正室で執筆し、描き上げるそばから一枚ずつ印刷現場に持っていく。赤塚さんを手伝い、仕上げの消しゴムを当てる。その消しゴムを当てないうちに、時間がないと言って持っていかれた・・・。それにしても漫画家というのは、まことに心臓によろしくないと、つくづく身にしみて思った。というのです。弁護士の仕事でも、そんなことがありそうな状況です。はい、時間に追われ、時間との戦いになることは弁護士だってあるのですよ・・・。
 シェーという振り付けが流行したのは昭和40年。ゴジラもシェーをする。長嶋茂雄もシェーをし、果ては昭和41年に来日したビートルズまでシェーをしたという。本当かいな・・・?
九州には、東日本漫画研究会九州支部ができたというのです。なんと変てこな名称でしょうか。松本零士や内山安二(私は知りません)が会員だったとのこと。
 昔なつかしいマンガの舞台裏をひととき味わい、楽しみました。
(2011年6月刊。1600円+税)

2011年8月27日

僕は、そして僕たちはどう生きるか

著者   梨木 香歩 、 出版   理論社

 不思議な小説です。
 子ども向けの本のようだと思いながら読みすすめていくと、突然ゴチック体で場違いのような状況が描かれています。その場面だけはどうしても子ども向けではありません。そして、それに関わる人物はとうとう最後まで登場してこないのです。
 自然と人間の関わりがいろんな角度から焦点をあてて考察されています。主人公の一人は長らく登校拒否で引きこもりでした。
 兵役を忌避して山中にこもっていたという老人も登場します。その代わり、山の中のことには滅法詳しいのです。
 私も自然に近い環境の中で生活しています。ホタルは5分も歩いていけば見れます。ところが自然に近いということは、大変な面もあります。昨日も、明け方になって頭上のところで、小鳥が飛び立つ音のあとガタガタ音がしました。少し前に見た光景から推測するに、ヘビがスズメの巣を襲ったのではないかと思われます。2階までヘビがどうやって柱をのぼってくるのか不思議でなりません。しかし、その不思議さは現実のものなのです。そして、虫によく刺されます。ヤモリも部屋の隅をチョロチョロしますし、クモも大小さまざま畳の上を闊歩するのは日常茶飯事です。ですから、虫さされ、かゆみ止めの薬はすぐ手の届くところに置いてあります。ヘビもマムシだったら、咬まれたらすぐに病院に駆け込むしかありません。身近に家人がいなくて、ケータイもなかったら、どうしましょう。手遅れにはなりたくありませんが・・・。
 ずっと一つのことを考えてたんだ。僕は、そして僕たちは、どう生きるかについて。
 主人公のセリフです。なかなか口に出しては言えない言葉です。
僕も集団から、群れから離れて考える必要があった。しみじみそう思って決行したのは、しばらく経ってからだった。それが、学校に行かなくなった理由なんて、誰も分からなかったと思う。誰もまた、分かりたくなかっただろうし・・・。
 人間の心の微妙な動きをよく描いていると思いました。
(2011年6月刊。1600円+税)

2011年8月26日

大泥棒

著者  清永 賢二    、 出版  東洋経済新報社 

 窃盗犯で捕まった人物が刑務所のなかで6年間に書きためた膨大な日記を解読し、ドロボーの心理と技術を分析・公表している珍しい本です。春日井市の住宅街で、このドロボー氏に実験してもらった結果が紹介されています。きわめて有能なドロボーだったことが立証されました。防犯ブザーなんか、てんで役に立たなかったのです。
 ドロボーの狙うのは、お金持ちかどうかではない。銀行に大金が預けてあるのではダメで、現金を家においているような家が狙い目。周囲から取り残されたような家は、家を建て替えようとし、そのためにお金を貯めている。すると、ここはドロボーの狙うターゲットになりえない。ええっ、そうなんですか・・・・。
 外からのぞいて、干し物と風呂。これがどう使われているかで、その家の人間関係がほとんど分かる。プロのドロボーは、きわめて自己抑制的(世俗的禁欲主義)であると同時に、一瞬のうちにがらりと豹変し、狂気に支えられた衝動的行動に走るという分裂的傾向にある。
 プロのドロボーは普段から人目につかないことを基本的な生活態度とし、何事につけ過度に抑制的であることをモットーとして生活している。しかし、その抑えた分だけ、自分の日常生活圏とは異なる「我を忘れても安全な別の世界」を得ようとする。たとえば、それは競馬であったり、パチンコであったりする。
 そして、非常に執念深く、非常に妄想的である。勝手な思い込みで自分に都合のよい物語をつむぎ出していく才に長けている。ふむふむ、なるほど、なるほどと思いました。
 5歳までに親がきちんと子どもに向きあって、ときには温かく、時には世の中の常識を厳しく体得させることが大切。つまり、男親が男の子の子育てに関わっているか否かである。ダメな父親よりも、真剣に生きる母親は父親以上の意味をもつ。
家庭で子どもをワルにするための原理が紹介されています。ほとんど同感・共感できる内容です。
 〇子どもがどんなに立派にしても、「それで何なんだ・・・・」とけなす。
 〇小さな子どもを抱きしめてあげる必要はない。
 〇何かを立派にやりとげても、「それで何なのだ」とケナせ。それが親だ。
 〇鉄拳こそが子ども教育の基本だ。遠慮なく見境なく殴れ。それが親だ。
 〇子どもが警察に補導されても、いじめにあっても一切かまうな。
 とんでもないことのオンパレードです。
ドロボー御殿なるものが現存するそうです。写真をみると、窓がほとんどなく、侵入する手がかりを与えない異様な建物です。たしかに、これだったら忍び込めないと思いました。反面教師として役に立つ本です。
(2011年6月刊。2400円+税)

2011年8月20日

運命の人(1~4巻)

 山崎豊子 文春文庫

 沖縄返還をめぐって、日本政府が密約をかわしていたことが今では客観的に歴史的な事実として定着しています。惜しむらくは、そのことについての国民の怒りが少々足りないということです。日本人って、どうしてこんなに大人しいのでしょうか。
福島原発事故で放射能が現に拡散しているにもかかわらず、既に多くの日本人が慣れて、あきらめている感があるのも同じ日本人として解せないところです。
 それはともかくとして、政府とりわけ外務省がアメリカの言いなりに外交交渉をすすめてきたこと、そして、ずっと国民を欺してきたこと、今も隠し続けていることに腹が立って仕方ありません。
 それをすっぱ抜いた毎日新聞の西山記者に対して、外務省の女性事務官と「情と通じて」と起訴状にわざわざ特記して大キャンペーンを張り、ことの本質から目をそらさせた政府、マスコミも許せません。
 おかげで西山記者は家族ともども長く日陰の身を過ごさざるをえなくなりました。まさに、正義はどこへ行ってしまったのかと慨嘆せざるをえない有り様です。
 著者はそこを本当にうまく書いていきますので、実に自然に感情移入させられ、涙と怒りで頁をめくるのがもどかしくなってしまいます。
 この本は、最後に少しばかり救いがあります。『沈まぬ太陽』にも、いくらかの救いはありました。それでも、その代償がいかに大きかったことか。
そんな不正義を許さないためには、この本を読み、政府と外務省の自主性のなさ、アメリカ言いなりの情ない姿勢に対して怒りの声をあげることではないかと痛感しました。
 依頼者の方から勧められて読んだ本です。

            (2011年2月刊。638円+税)

2011年8月14日

夕凪の街、桜の国

著者    こうの史代  、 出版   双葉社

 ヒロシマを生きる若き女性の生活と未来への不安を描いたマンガです。
 私が小学生のころには、ここに描かれているような、雨もりするバラック小屋みたいな家があちこちにありました。着ている服はツギアテ。靴下はほころびたら、あて布で補正する。靴も、する切れるまで履くのが当たり前。トイレは、もちろんぼっとん式です。
 ご飯を食べるときは、丸いちゃぶ台を家族みんなで囲み、小さいおかずを子どもたちが奪いあうようにして食べていました。私なんぞ、5人姉兄の末っ子でしたから、もちろん可愛がられたのですが、食べることにかけては食い意地がはって、兄たちに負けないようにハシをのばして自分の食べるものを確保していました。もらいものの羊かんを姉兄で分けるときには、どれが大きいかを目を血のように食い入るように見つめて必死でした。ですから、そりゃあ美味しいものでした。真剣度が違いましたからね。何もなくても、友だちがわんさかいて、楽しく遊ぶことだけは出来ました。
 ヒロシマでゲンバク被災者は見たことを話せず、自分が被災者だと名乗ることをはばかる時代が長かったようです。そんななかでも、若さで乗り切っていこうとする、すがすがしさあふれた青春マンガです。
(2011年6月刊。800円+税)

2011年8月13日

警視庁捜査一課刑事

著者   飯田 裕久   、 出版   朝日文庫

 警視庁捜査一課に12年のあいだ在籍し、勤続25年で退職して分筆業で活躍していた著者は、昨年、46歳の若さで惜しくも急逝されました。この本は自らの体験にもとづく本ですから、並みいる警察小説とは迫真度が違います。
 「○○刑事」というのは、もっぱら巡査の場合のみ。「部長」というと、一般会社では大変な地位であるから、知らない人は大幹部のように受け取るが、実は巡査部長、つまり巡査の一つだけうえの階級の者に過ぎない。
 係長は、警部補。キャップとも呼ぶ。係長の下が主任。巡査部長がなる。末席は巡査。
日本の警察官、とくに私服刑事は、宿直以外の通常勤務のときには拳銃を着装しない。拳銃は泊まりの日につけるだけという悲しい事実が定着している。有事の際に拳銃をつけて出勤するという習慣が、まるで出来ていない。
 特別捜査本部の捜査会議の様子が紹介されています。これは既に、幾多の警察小説に出てくるのとまったく変わりありません。地取りなどをやって帰ってくると、朝の会議で順に報告させられ、それが中途半端だとヒナ壇からガンガンこき下ろされるというのです。それこそ、死ねといわんばかりにやり込められる。ふむふむ、プロの世界ですね。
 最後に警察隠語集が紹介されています。知らないものがいくつもありました。
 アカ落ち・・・服役を終えること。
 牛の爪・・・・初めから犯人が割れている事件。
 グニ屋・・・・質屋。
 ゴンゾウ・・・・ベテランの域に達してもダメな警察官。
 ごんべん・・・詐欺
著者は警察をやめたあとは刑事ドラマの監修の仕事に転職していたようです。
(2011年4月刊。640円+税)

2011年8月 7日

TSUNAMI3.11

 豊田 直巳         第三書館

 すさまじい写真集です。目をそむけたくなりますが、ここで目をそらしたらいけない、現実はもっと悲惨なんだからと言い聞かせて最後まで、目を見開いて写真を見通しました。
 とりわけ平和なときの様子を打ちした写真と被災後の状況をとった写真とを対比したところに、心が痛みました。
 6道県60市町村別に被災写真が並べてありますので、東北、北海道の被災状況が一覧できます。
 文字どおりの写真集で、キャプションはついてませんが、それだけにモノ言わない現実が心を打ちます。とんでもない状況がいくつもあります。大きな船が家の上に乗っかるなんて、ありえないことです。ビルの4階まで津波に襲われるなんて、どういうことでしょうか。
 生き残った子どもたちの笑顔で救われる気がします。でも、きっと、この子どもたちも心は深く傷ついているのでしょうね。
 そして、福島原発です。ひどいものですよね。今でも安全原発は可能だとうそぶく人がいるなんて信じられません。これほど高くついた「買い物」はないでしょう。なにしろ、後始末にいくらかかるのか誰もわからないというのですから・・・。それでいて原発は安上がりなエネルギーだなんて、よく言いますよね。もう騙されてはいけません。
 536頁で2800円の写真集です。高いですけれど、やっぱり安いというべきではないでしょうか。
 大地震と大津波の恐ろしさを実感させられる貴重な写真集です。ぜひ、ご覧ください。

            (2011年6月刊。 2,800円+税)

2011年7月31日

津波と原発

著者    佐野 眞一  、 出版   講談社

 この本を読んで、福島第一原発がなぜ、あの地に立地したのかが分かりました。要するに貧しい地域だったからです。そして、共産党が強くなく、反対運動は強くならないだろうという読みもありました。
大地主の一人である堤康次郎は3万円で買い、原発の敷地を3億円で売った。東電の木川田一隆社長、地元選出の木村守江代議士(後に福島県知事になる)、そして、この堤康次郎の3人で原発誘致は決まった。ボロもうけしたのですね・・・。
 作業員の被曝の許容量は国際基準の20ミリシーベルト。その許容すれすれの人がほとんどだ。だからといって素人では作業がうまくいかないので、全国から経験者を集めている。柏崎や東海の人が多い。最近は、九州からもかなり来ている。
 原発労働は、今は危険手当は1日5万円。ある会社は、日当5万円、危険手当10万円の計15万円という。ある元請会社は20ミリシーベルト浴びると、5年間、作業現場の仕事を補償するという覚書を作業員と交わしている。ここは、人間の労働を被曝量測定単位のシーベルトだけで評価する世界だ。一定以上の被曝量に達した原発労働者は、使いものにならないとみなされて、この世界から即お払い箱となる。炭鉱労働者の炭鉱節と違って、原発労働からは唄も物語も生まれなかった。
 津波は恐ろしい。しかし、それ以上に恐ろしいのが原子力発電所です。日本経団連のトップたちは一斉に、それでも日本は原発が必要だと声をそろえて強調しています。そんな人は、子や孫を飯舘村に住まわせることが出来るのでしょうか。自分と家族だけはぬくぬくと安全なところにいながら、よく言うよと私は思います。
 いったいメルトダウンした燃料棒の始末は誰が、いつ、どうやってするというのですか・・・。住友化学(日本経団連会長の出身の会社)の敷地に引き取るとでもいうのでしょうか。とても、そんなはずはありません。日本の最高の経営トップの無責任さに、泣きたくなります。
原発が安全だなんて、そんな神話にしがみつくのは、この際キッパリ止めましょうよ。
(2011年7月刊。1500円+税)

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