弁護士会の読書
※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。
社会
2011年6月28日
原発事故は、なぜくりかえすのか
著者 高木 仁三郎 、 出版 岩波新書
ドキッとするタイトルの本です。3.11のあとに出た本ではありません。なんと、初版は今から10年以上も前の2000年12月に出ています。原子力資料情報室の代表として高名だった著者は、惜しくも2000年10月、62歳のとき、大腸がんで亡くなられたのでした。巻末に生前最後のメッセージが紹介されています。
反原発の市民科学者としての一生を貫徹できた。反原発を生きることは、苦しいこともあったけれど、全国・全世界に真摯に生きる人々とともにあること、歴史の大道の沿って歩んでいることの確信からくる喜びは、小さな困難などはるかに超えるものとして、いつも前に向かって進めてくれた。
しかしなお、楽観できないのは、この本期症状の中で巨大な事故や不正が原子力の世界を襲う危機だ。原子力末期症状による大事故の危機と、結局のところ放射性廃棄物がたれ流しになっていくのではないかということへの危惧の念は、いま、先に逝ってしまう人間の心をもっとも悩ますものだ。あとに残る人々が、歴史を見通す透徹した知力と、大胆に現実に立ち向かう活発な行動力をもって、一刻も早く原子力の時代にピリオドをつけ、その賢明な終局に英知を結集することを願ってやまない。
なんとなんと、この最後のメッセージに私たちはこたえることが出来なかったわけです。残念無念と言うしかありません。それにしても福島第一原発の大事故を予見したかのようなメッセージでした・・・。
政府は、1999年12月の報告書において、「いわゆる原子力の『安全神話』や観念的な『絶対安全』という標語は捨てられなければならない」と強い調子で言い切っていた。
ええーっ、ウッソー、ウソでしょうと言いたくなりますね。それほど、言行不一致だったというわけです。
原子力産業の第一の問題点として、議論のないことがあげられる。議論なく、批判なく、思想なしだ。そして、情報が出てこない。それも、商業機密だから・・・だ。
メルトダウンについては、ある種のタブーになっていて、まともに議論したことがなかった。原子力村というのは、お互いに相手の悪口を言わない仲良しグループで、外部に対する議論には閉鎖的で秘密主義的、しかも独善的という傾向がある。原子力行政を批判すると、原子力を推進するのは国策だから、原子力反対とか脱原発というのは公益性がないとされた。
うひゃあ、そうなんですよね。国賊とまで言わなくても、せいぜい良くしてドン・キホーテと見られていましたよね、原発の危機性を言いつのる人々は・・・。
原発内の事故は隠されたというわけではなく、一連の虚偽の報告が意図的になされてきた。
それはそうでしょうね。原発は絶対安全なのだから、事故なんて起きるはずがない。みんなそう思い込み、思い込まされていたわけです。でも、3.11福島原発の大事故によって、電力会社がいかに嘘っぱちの会社であるが、年俸7200万円の超高給とりの取締役たちの厚顔無恥ぶりが白日のもとにあばかれてしまいました。
今こそ脱原発をみんなで叫んで、安全な自然エネルギーへの転換を急ぎたいものです。ドイツに続いて、イタリアでも国民投票で脱原発が決まりました。本家本元の日本人がまだ事態の深刻さの認識が足りないような気がします。福島原発は放射能を今も空に海に地中にたれ流し続けていて、それが止まる目途は立っていません。恐ろしい現実が進行中です。そこから目を逸らすわけには言いません。そんな深刻な状況が解決されてもいないのに玄海原発をはじめとする全国の原発を操業再開しようなんて、とんでもないことです。
(2011年5月刊。700円+税)
2011年6月24日
都知事
著者 佐々木 信夫 、 出版 中公新書
普通の知事がやっても東京は繁栄する。石原慎太郎が知事として特に優秀だという話はあまり聞かない。多くの高次中枢機能が集積する東京の立地条件、中央集権という体制が東京繁栄をもたらしている。石原知事が五輪招致で100億円を超えるカネを無駄にしても、銀行税によるカネ集めに失敗しても、東京都は決してつぶれない。都庁官僚に任せておけば、一定の行政水準は保たれる。ヒト、モノ、カネ、情報が集まる大都市東京は、集積が集積を呼ぶメカニズムのなかで栄えている。なーるほど、そういうことなんですね。まあ、首相も同じようなものなんでしょうね。
現在、47都道府県知事の6割は官僚出身者で占められている。しかも、彼らは、かつてのような次官とか局長という功なり名を逃げた「上がり組」ではない。多くは課長クラスといった中堅官僚からの転身組である。彼らに期待されるのは仕事師としての役割だ。国から自立した政策と自己決定・自己責任による地域経営が求められている。ふむふむ、これは以前とは違いますね。
都知事は職員17万人、予算12兆円という巨大都庁の経営者である。任期は4年間と安定し、都知事は首相や大臣なみに扱われ、要人警護のSP(2人)も付く。都知事は議会への予算や法案の提出権をもち、議会に対して圧倒的に優位な立場にある。
都知事は年間2018万円の給与をもらい、1期終了ごとに4700万円の退職金が支給される。ところが、石原慎太郎は週に2、3日しか都庁に出勤していないと言われ、パーティーや宴席にもほとんど出ない。
都庁職員には、「学歴ではなく学力で」という、脱学歴の伝統がある。誰でも、能力と実績さえあれば管理職になれるのが、都庁の人事政策の特徴と伝統である。
都庁は、多様な大学の出身者が局長となっている。最近では管理職を志望しない若手職員が増えている。石原慎太郎によるワンマンな管理職の使い方も影響して、論争を好まない組織風土ができあがり、上司の指揮命令に忠実な者のみが出世する人事が管理職志望を下げている。
一般会計だけでも6兆3千億円というのは、フィンランドやチェコの国家予算規模に相当し、ニューヨークの予算規模とほぼ同じである。
大統領制の都知事は、実質的に予算編成権と執行権を一手に握っている。しかも、都が国の財源収入の6~7割は固有財源(地方税)である。国の交付税に依存せず、ひもつき補助金も少ない都の場合、ほかの府県知事が1割足らずの裁量しかないのに対して、都知事の財政裁量は3割近い。
石原慎太郎の政治手法は小泉純一郎に類似している。敵(守旧派)をつくりあげ、敵を倒すものが正義(改革派)であるという論法だ。石原は国の官僚制を目の仇として、「東京が日本を変える」と対決色を強め、独自の政策を展開した。時には思いつき、独善と言われながら有権者の心をつかむのはうまい。
石原都政は総じて弱肉強食の論理を是とする大都市経営である。福祉・医療の減量化、民営化はその一面だ。老人福祉手当は4分の1近くまで減額。70歳以上の6割が利用していた都営バスの無料パスも全面有料化され、年間7万人も利用者が減った。老人医療費助成も対象者の見直しで4分の1、10万7000人が対象外となった。病院の統廃合で多摩地区には医療不安が広がり、周産期医療の問題や医師不安など、福祉医療分野の不完全さが目立つ。
総じて福祉、医療、文化、食育など、石原都政の下で生活者に関わりの深い生活都市の面は停滞し、大都市の高層化や経済活性化など経済都市としての基盤整理はすすんだ。
うへーっ、これってまさに弱者を切り捨て、大企業と大金持ちに奉仕する都政になっているということですよね。そんな政治をしてきた石原慎太郎が先日の選挙では大差で再選されました。信じられませんね。
(2011年1月刊。780円+税)
2011年6月22日
原発事故、緊急対策マニュアル
著者 日本科学者会議福岡支部 、 出版 合同出版
このようなタイトルの本を紹介しなければならないのは、本当に残念です。いえ、もちろん、出版した人を責めているのではありません。「絶対安全」だったはずの福島第一原発事故が起きて、実は原子力発電とは未完成の技術であり、使用済み核燃料を始末する技術もないまま目先の利潤に目のくらんだ政治家と電力会社が次々に立地させていたこと、つまり原発は放射能をたれ流しするだけの危険なものであったことが明らかになってしまったことが残念だと言いたいのです。ドイツやイタリアのように、日本も、もっと早く原発を全停止すべきでした。
それはともかく、玄海原発のような老朽化した施設、しかも猛毒のプルサーマルを身近にかかえる私たちとしては、この本を読んでおかざるをえません。本当に残念ながら必読の本になっているのです。
放射能に汚染したときの緊急措置は・・・・。
まず、多量の水と石けんで洗う、そして、できるだけ早くヨウ素剤を服用すること。
屋内退避のときには・・・・。窓や戸を閉じて外気を入れない。換気扇を止めて、密閉する。できたらコンクリートの建物に避難する。窓ぎわから離れた中心部の部屋にいる。
原子力発電では、原子炉を停止しても、炉心は絶えず冷やし続けなければならず、冷却が十分でないと原子炉の放射能が外部に放出される重大事故に発展する恐れがある。
原子炉の事故として心配なのは、本体より周辺部の配管の破損・損傷である。
炉心の冷却がうまくいかないと、炉心の温度は燃料の融点2800度に達して、溶けてひとかたまりになる。これをメルトダウンという。炉心全部が溶けると、200トン以上にもなる。配管破断からメルトダウンに至るまではわずか10分から60分と予想される。ひとかたまりとなった炉心は、表面積が小さくなるので、これを冷却することは絶望的だ。
福島原発事故で現実に起きたメルトダウンは、今では津波によるものではなく、地震によって配管設備の損傷が起き、そのため冷却水がなくなったことによるものだとされています。つまり、津波対策として堤防のかさ上げをしても万全の効果は期待できないわけです。
福島原発事故によって放射能に汚染された海水などが外部へ出たのは2%でしかないそうです。まだ98%が内部にあって、それが少しずつ外部へ漏れ出ているというのです。放射能もれが3カ月以上たった今でも現在進行形であり、止まっていないというのは、まさに恐るべき事態です。
にもかかわらず政府は早々と全国の原発の安全が確認されたと宣言し、操業再開を認めようとしています。恐るべき無責任さです。
読みたくない本です。でも、読まざるをえない本です。矛盾を感じながらも強く一読をおすすめします。知らぬが仏とよく言いますが、知らないうちに死んだり病気になっては困りますよね。わずか80頁たらずの軽くて重い冊子なのです。
(2011年5月刊。571円+税)
2011年6月21日
紛争屋の外交論
著者 伊勢崎 賢治 、 出版 NHK出版新書
日本は、まだまだ平和だ。しかし、平和は、壊れはじめるときには、なかなか気がつかない。そして、気がついたときには、もう手遅れのことが多い。
尖閣列島のようなことが起きると、メディアがまず熱狂する。中国の脅威を煽る。何にでも一言いわざるをえないコメンテーターが芸能ニュースのノリで吠える。加えて、評論家、軍事専門家、国際政治学者、大学の先生たちが好戦アジテーターと化す。こういうときに、国の民主主義が、民衆の人気とりだけに奔走する衆愚主義に陥ると、増悪の熱狂が戦争という政治決定にたやすく転じてしまう可能性がある。熱狂をあおる人々に対して、尖閣なんてちんけな問題だと言い放ちたい。著者は、このように断言しています。
そんな領土紛争は昔からどこの国も抱えてきました。それを戦争にまで持っていってしまったら、世界中が戦争だらけになってしまいます。そうならないようにするのが外交であり、政治です。
戦争がなくならないのは、戦争はもうかるから。戦争が起こると稼げるのは、まず、軍需産業だ。しかし、それだけではない。戦争を伝えるメディアも、破壊された国土を復興する建設業者も、ひいては人道援助NGOにまでお金が入ってくる。このように、戦争は現実の利益をもたらす。しかし、平和はもうからない。貧困だけが戦争の原因ではない。
貧困対策は、紛争を予防できない。むしろ、貧困を拡大してしまう大きな可能性すらある。
民衆の熱狂は恐ろしい。民衆を熱狂させる煽動行為があると、民衆に襲いかかる。それは、大量破壊兵器以上の殺傷能力がある。このことがルワンダのケースで立証された。
日本のメディアの特性は、政治的な裏の世界が支配するのではなく、ただ、民衆の怒りや不満を先取りすることにある。どうなんでしょうか。月1億円を自由につかえる内閣官房機密費などによってマスコミのトップが政府に「買収」されてきたというのは日本における歴史的事実なのではないでしょうか。だから、裏の支配者が支配したとまでは言えなくても、強い影響力を行使してきたこと自体は間違いないことだと私は考えています。
アメリカは、「民主主義と人権の守護者」を標榜しながら、人を殺し続けている、恐らく世界最大の国家の一つである。イラク、アフガン戦でのアメリカの戦死者は、既に6000人をこえている。友人や家族、親戚のなかに、たいてい戦死者が見つかるほど、戦争はアメリカにとって日常的な存在になっている。
日米同盟についていうと、実は、アメリカのほうが日本以上に日米同盟に依存している。日米同盟が解消されたら、アメリカは世界の覇権国から滑り落ちてしまう。アメリカにとって、日米同盟は不可欠なものである。
世界各地の危険な紛争地域に出かけていき、身体をはって紛争減らしに尽力してきた実績のある人の発言ですから、重みがまるで違います。とても考えさせられる、コンパクトな良書です。ぜひ、ご一読ください。
(2011年3月刊。780円+税)
2011年6月14日
福島原発事故
著者 安斎 育郎 、 出版 かもがわ出版
今回の原発事故では「原発村」とも呼ばれる原子力発電にかかわる学者グループの責任が厳しく問われています。この「原発村」の中心にいるのが東大工学部原子力工学科の卒業生たちです。そして、この本の著者は、この原子力工学科の第一期生なのです。ところが、「原発村」に属せず、むしろ叛旗をひるがえした著者は、徹底した迫害を受けるのでした。なにしろ、「敵」は、お金も権力もある有力な集団です。今日まで著者が生きのびたのが不思議なほどでした。
福島第一原発では、あってはならないメルトダウン(炉心溶融)が地震後まもなく起きていたこと、それは津波による被害の前、地震そのもので格納容器が損傷してしまったことによることなどが地震後3ヵ月もたって明らかされつつあります。なんと恐ろしい情報操作でしょうか・・・。東電も政府も、早くから分かっていたのに、メルトダウンの発生をひたすら国民に対して隠し続けていたというわけです。
原発は電気を発生させるところ。ところが、その発電所に電気がない事態になった。まさに、皮肉というほかない。原子炉から放射性物質を放出させないためには、何とか冷温停止状態(冷温といっても100度以下ということです。マイナス温度では決してありません。つまるところ、安定した温度状態にあることです)にコントロールすることが不可欠だ。
原子力発電所では、隠すな、嘘つくな、意図的に過小評価するなという原則が守られなければならない。
福島第一原発事故では、原子炉を冷やすためには注水しなければいけない。注水したら漏れて海中に放射能物質が流れ、世界中に拡散することになるというジレンマを抱えた。
放射線から身を守る基本は、放射能は浴びないにこしたことはないということ。子どもの方が、総じて放射線に対する感受性が高い。生殖可能年齢をすぎた人の場合には、生殖腺に被曝しても遺伝の問題は起こりようがない。
日本の原発労働者は7万人いる。その9割は下請労働者である。原発労働者の放射線被曝は、年間100シーベルトほど、その95%は下請労働者の被曝である。
原発は、実のところエネルギー効率が悪く、70%は環境に放出し、むだに捨てている。
原発では、燃料の温度をあまり高くすると損傷を受けて安全性の確保が難しくなるので、ほどほどの温度条件でがまんせざるをえない。
大事故は、必ず想定外の原因で起こるというのが常識である。
廃炉は、技術的にも経済的にも、ものすごく大変である。解体撤去に300億円かかるという試算もある。原発は安上がりだというのは、この廃炉コストをわざと計上していないからである。
とんでもない「原発村」ですし、それを利用してきた歴代の自民党政府は、まったく許せませんよね。その反省もなく民主党政権を批判するなんて、厚顔無恥そのものではないでしょうか。といっても、民主党政権も消費税を10%に上げようとし、ドサクサまぎれに憲法改正までしようというのですから、とんでもありません。
(2011年5月刊。1500円+税)
2011年6月12日
残るは食欲
著者 阿川 佐和子 、 出版 マガジンハウス
ええっ、こんな刺激的なテーマで芳紀あふれる独身女性が書いていいのかと、小心者の私は正直いって心配しました。もちろん、これって本当ですよ。
まあ、それはともかくとして、著者の美食を描写する技巧は、ますますみがきがかかっていますね。この本を読んでいると、みんなぜひぜひ食べてみたい、それも今すぐに、と思ってしまいます。口の中がよだれであふれ、知らず識らずのうちに喉元にゴクリと音がするのでした。
夜9時すぎ、自宅に戻った。晩ご飯は食べそびれている。どうしよう・・・。翌朝までガマンするか、それとも外食しに出かけるか・・・。夜9時すぎに食べると身体に悪い。では、じっとガマンするしかないか・・・。ガマンしきれずに冷蔵庫を開ける。すると、2日前に町で買った豆腐がある。絹にするか、木綿にするか・・・。迷ったあげく、両方とも買った。それが一つ残っている。それで、その日は、木綿豆腐を湯豆腐で楽しんだのだった。
料理の腕は、自己満足をくり返していても磨かれない。改めて主婦の偉大さを思い知る。プロの料理人の苦悩を偲ぶ。毎日、毎日、他人の評価を前にして料理をつくり続けるバイタリティーと才能が求められる。もはや花嫁修業の必要もない今となっては、自分の料理は自分で食べて、自分で誉める。一人で生きていくんだ。フン。
なかなか著者のおメガネにかなう男はいないようで、男の一人として残念至極ではあります・・・。
そこそこ食べることに興味があり、でも妻のつくる料理に口うるさくない心優しいダーリンが望ましい。そう願って既に四半世紀。今や、一人でつくり、一人で誉め、一人で食べ尽くす。誰に気をつかうことなく、そして今夜も、「私は天才かっ!」と叫んでやる。意地でも。
まあ、そんなに意地なんてはらんでも、そこそこの男性と妥協してくださいな・・・。たとえば、こんな私でも・・・。おっと、冗談(ということにしておきましょう)・・・。
生姜ジュースが登場します。私の朝食はリンゴとニンジンの青汁ジュースのみ、そして、生姜紅茶です。これで健診時の糖尿病疑いは吹き飛んでしまいました。今では生姜を入れない紅茶なんて、気の抜けたビール以上に飲んだ気がしません。
「とりあえずビール」という人は多いのですが、私は3年ほど前からビールは卒業しています。ダイエット志向の強い私としては、腹六分目が理想ですので、腹一杯にふくれてしまうビールは大敵なのです。
フランスのお菓子でカヌレというのがあります。福岡の三越のデパートの地下のパン屋(「ポール」)でも売っています。私の大好物です。これまで、誰一人としてカヌレを差し入れてくれたことがないのが残念でたまりません。食べたことのない人は、ぜひ一度食べてみてください。美味しいですよ。
(2008年9月刊。1400円+税)
2011年6月10日
日本の原発、どこで間違えたのか
著者 内橋 克人 、 出版 朝日新聞出版
原発一極傾斜体制を推し進めてきた原動力の一つには、あくなき利益追求の経済構造が存在している。原発建設は、重電から造船、エレクトロニクス、鉄鋼、土木建設、セメント・・・・、ありとあらゆる産業にとって、大きなビジネスチャンスだった。
1980年代後半、日本は国の内外ともに不況は深刻だった。電力9社の発電設備の余剰率(ピーク時電力に対する)は、31%をこえていた。つまり、設備の3分の1近くが既に余剰だった。既に償却ずみの、したがって安いコストで発電できる水力や火力の設備をスクラップしてまで原発建設は進んだ。「安全」を捨て、「危険」を選んだのは、選ばせたのは誰か・・・・。そうなんですよね。目先の利益に走った集団のため日本民族の危機が迫っているわけです。
電気事業連合会は、その本部を経団連会館のなかに置く。その地から、「安全だから安全だ」「世界の流れだ」と発信し続けた。そのとおりですね。日本経団連会長は福島原発事故が起きて日本中が放射能被害に心配している今でも、やっぱり原発は必要だなんて無責任な発言を続けています。許せません。ながく金もうけのことしか考えないと、そこまで人間が堕落してしまうのでしょうね。もちろん、お金もうけは大切ですけど、何事も生命と健康あってのことなんですよね。そこを忘れては困ります。少なくとも経済界トップとしての自覚がなさすぎですよ。
本書は、実は今から30年も前に発刊されたものを復刊したものです。それだけに原発をつくるときに、原発の危険性を指摘していた人々がいたこと、それを電力会社や自民党がお金と権力をつかって圧殺してしまったことが生々しく再現されています。
福島第一原発の地元である大熊町は、町税収入のなかの83%が原発関係の収入だった。まるで、原発丸がかえの町だったのですね・・・・。そして、原発は安全だと強調していた福島県は、実はひそかにヨード剤を27万錠も買って常備していた。ええーっ、そうなんですか。ところで、このヨード剤って今回の震災で活用されたのでしょうか?
自民党は、日本に原発を100基設置する方針を打ち立て、強力に推進した。そうなんですよね。今、自民党は震災対策で民主党政権を非難していますが、元はといえば自分が強引に推進してきた原発政策が破綻したわけですから、国民に対してまずは自己批判すべきではないでしょうか。他人を批判する前にやるべきは自民党の自己批判ですよね。
原発技術は、つまるところ溶接技術である。複雑にいりこんだ形状の原子炉格納容器、おびただしい数にのぼる曲がりくねった大小のパイプ、それらは完璧な溶接技術なしには成立しない。
日立製作所やIHIは「世界一」の確信をもっていた。それが、原発の稼動後まもなく、もろくも崩れ去った。まだ実証炉の域を出ていない原発の技術を、すでに実用段階と思い込み、安易に原発に対処したのだ。
その日本側の認識の甘さは大いに責められるべきです。そして、政府、自民党とともにマスコミの責任も重大ですよね。原発の「安全神話」はマスコミの協力なしには普及しなかったわけですから・・・・。
読んでいると、背筋に寒さを覚える本でした。
(2011年5月刊。1500円+税)
2011年6月 4日
まんが原発列島
著者 柴野 徹夫 ・向中野義雄 、大月書店 出版
福島第一原発の大惨事が起きて、22年前(1989年)に刊行されたマンガ本が復刊されました。
22年前に指摘されていた原発の危険性が、今や現実のものとなったわけですが、原発について「絶対安全」だなんて大嘘ついて推進してきた東京電力をはじめとする電力会社のドス黒い体質も鋭く告発されていて、読みごたえのあるマンガ本です。
新聞記者として、日本の原発の実態について潜入・徘徊・取材を重ねてきた著者は、電力会社から尾行され、脅迫されていたのでした。
今から22年も前に、
① 現在の原発は未完成で、致命的な未来のない巨大な欠陥商品である。
② アメリカの世界支配戦略として押し付けられた原発によって、日本はさらに対米従属を深める。
③ 放射能廃棄物の処理は膨大で危険きわまりない。
④ 国と電力会社による専制的な地域支配・監視管理、秘密主義が進行している。
⑤ 原発の底辺労働者は日常的に奴隷のように被曝労働を強いられている。
などなど、目下、現在進行中の大惨事を予測していたのでした。
国と電力会社は日本の将来を奪いつつあると言って決して言い過ぎではありませんよね。東電の社長が6月に交代するようですが、年俸7200万円というのですから、莫大な退職金が予想されます。しかし、とんでもないことです。むしろ歴代の社長全員から退職金を吐き出させて、被災者支援にまわすべきではないでしょうか・・・・。
今、強く一読をおすすめしたいマンガ本です。
(2011年4月刊。1200円+税)
2011年6月 3日
不破哲三・時代の証言
著者 不破 哲三 、中央公論新社 出版
日本共産党のトップが、あのヨミウリで自分の半生を語った新聞連載が本になりました。
「意外な新聞社からの意外な話」だと著者も述べていますが、いかにも意外な組み合わせです。しかし、準備に半年かけ、1回の取材に3時間をかけて10回ものインタビューに応じたというのですから、共産党や国会の裏話をふくめて密度の濃い内容になっていて、とても読みごたえがあります。
30回の連載をもとに、さらに記述を膨らましてあるようですので、新聞を読んだ人にも、恐らく重複感は与えないと思います。日本の現代政治史を考える資料の一つとして大いに役立つ内容だと思いながら、私は一気に読了しました。
著者は、幼いころ、虚弱体質、腺病質だったとのこと。泣き虫で、悲しいにつけ、うれしいにつけ、床の間に行ってこっそり泣くので、「床の間」というあだ名がついた。うへーっ、そ、そうなんですか・・・・。とても感情が豊かな子どもだったのでしょうね。私は小学校まで笑い上戸だといって、家族みんなから笑われていました。
そして、著者は本が好きで、小学校3年生のときから小説を書いていたというのです。どひゃあ、恐れ入りましたね。いかにも利発そうなメガネをかけた当時の顔写真が紹介されています。
戦争中は、ひたすら盲目的な軍団少年だったとのこと。まあ、これは仕方のないことでしょうね。それでも、やはり早熟なんですよね。なんと、16歳、一高生のときに日本共産党に入党したというのです。そして、婚約したのも早く、19歳のときでした。いやはや、早い。
会費制の結婚式を駒場の同窓会館で挙げたとのこと。私も大学一年生のとき、そこで開かれたダンスパーティーに恐る恐る覗きに行って、尻込みして帰ってきました。踊れないので、輪の中に入る勇気がなかったのです。本当は女子大生の手を握って踊りたかったのですけど・・・・。
著者が共産党の幹部になってから、ソ連や中国共産党からの干渉と戦った話は面白いし、さすがだと感嘆します。大国の党の言いなりにならなかったのですね。アメリカ政府の言いなりになっている自民党や民主党の幹部たちのだらしなさに改めて怒りを覚えました。
著者は国会論戦でも花形選手として活躍したわけですが、対する首相たちも真剣に耳を傾け対応したようです。
質問していて一番面白かったのは田中角栄だ。官僚を通さず、自分で仕切る実力を感じさせた。このように、意外にも角栄には高い評価が与えられています。大平正芳も真剣に対応したようです。
この本で、私にとって興味深かったのは、宮本顕治へ引退勧告するのがいかに大変だったか、それが語られていることです。私の敬愛する先輩弁護士のなかでも、引け際を誤って、老醜をさらけ出してしまった人が何人もいます。本人はまだ十分やれると思っていても、周囲はそう見えていない、ということはよくあるものです。老害はどこの世界でも深刻なんだよなと、つい思ってしまったことでした。
かつて共産党のプリンスと呼ばれたことのある著者も今や80歳。70歳のときにアルプス登山は卒業しました。そして、今、インターネットを通じて社会科学の古典を2万5千人の人に教えているそうです。すごいことですよね。
先日、毎日新聞の解説員が絶賛していましたが、原発問題についての講話はきわめて明快で、本当に出色でした。目からウロコが落ちるとはこのことかと久しぶりに実感したことでした。小さな小冊子になっていますので、ぜひ手にとってご覧ください。老いてますます盛んな著者の今後ともの活躍を期待します。
(2011年3月刊。1500円+税)
2011年6月 1日
日本語教室
著者 井上 ひさし 、 出版 新潮新書
私の深く敬愛してきた井上ひさしが日本語について語っています。その蘊蓄の深さには驚かされますし、改めて惜しい人を日本は喪ってしまったものです。残念でなりません。
外国語が上手になるためには、日本語をしっかり、これはたくさんの言葉を覚えるということではなく、日本語の構造、大事なところを自然にきちっと身についていなければならない。母語は道具ではない、精神そのものである。母語より大きい外国語は覚えられない。あくまで、母語を土台として、第二言語、第三言語を習得していく。
言葉というのは常に乱れている。言葉は完璧な多数決なので、どんな間違った言葉でも、大勢の人が使い出すと、それが正しい言葉になってしまう。
ズーズー弁は、東北と出雲と沖縄に残っている。
日本人は3種類の言葉を微妙に使い分けている。「きまり」はやまとことば、「規則」は漢語、「ルール」は英語。日本語は大変だ。やまとことばと漢語と外来語の3つを覚えなければならない。そして、日本人の生活の基本になっているのは、ほとんどやまとことばである。漢語が入ってくる前から、寝たり起きたり食べたりしているのだから、当然である。
「権利」という言葉のもともとの意味は、「力ずくで護る利益」ということ。仏典や中国の『荀子』という道徳書では、「権利」は「権力と利益」という意味で使われている。
日本人は、地上ユートピア主義である。日本人は自分の国が一番いいとは思っていない。たえず、いいところは他にあると思っている。しかし、完璧な国などありえない。必ずどこかで間違いを犯す。その間違いを、自分で気がついて、自分の力で、必死で苦しみながら乗り越えていく国民には未来がある。過ちを隠し続ける国民には未来はない。つまり、過ちに自分で気がついて、それを乗り越えて苦労していく姿を、他の国民が見たときに、そこに感動が生まれて、信頼していこうという気持ちが生まれる。
日本の悪いところを指摘しながら、それを何とか乗り越えようとしている人たちがたくさんいる。そんな人が売国奴と言われる。でも、その人たちこそ、実は真の愛国者ではないだろうか・・・。
日本語の発言は非常にやさしく、会話はすぐ上手になれる。しかし、本格的に読んだり書いたりする段階になると、世界でももっとも難しい言葉の一つになる。
うふん、そんな難しい言葉を自由に操れる私って天才かな・・・、と思うのは単なる錯覚でしかありませんよね。日本語と日本人を考え直させてくれる、いい本でした。
(2011年3月刊。680円+税)