弁護士会の読書
※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。
社会
2011年11月23日
日本人事
著者 斉藤 智文・溝上 憲文 、 出版 労務行政
企業の人事部で現に活躍している人、また過去に活躍していた人が次々に登場してきます。人事部の裏面は出ていないので、きれいごとだけですませていないのか、そんな疑問を感じながらも読みすすめました。まあ、それにしてもさすがは人事のプロですので、その指摘はもっともだなと言うところが多々あり、勉強になりました。
無印・良品で有名な良品計画の社長は私と同世代、学生運動に身を投じて逮捕・拘留されたこともあるとのことです。びっくりしました。今では経営のトップなのですからね。
大事なのは部下である。上司はいずれなくなるが、自分がいなくなるまで長くつきあうのは部下である。上司に気をつかうより部下を大事にしなさい。なーるほど、ですね。
自分はダメだという思い込みが曲者(くせもの)だ。ダメだと感ずるだけで、どこがダメなのかを具体的に合理的に考えない。それは知識のなさとか技術の未熟であったりする。いずれも、後天的なもの、努力すれば身につくものがほとんど。自分はダメだという概念が、自分という存在はダメだということになり、必要以上に自分を傷つけてしまう。
なるほど、自己肯定感って大切なんですよね。若いときから、自分はダメだというのではなく、自分もこれがやれる、これならやれるという確信を持たせる、持てるようにするのが大切だと思います。
江崎グリコは、従業員の雇用を大切にする。これは創業以来の変わらぬ経営理念。これまで希望退職をふくめて、強制的な退職施策をしたことがない。ふむふむ、この会社は非正規雇用はいないのでしょうか・・・?
取締役になると、入ってくる情報の7割は嫌なことばかり。組織の上に立つと、困ったことや嫌な情報だけが上がってくる。これはNECの人事部にいた人の言葉です。
しかし、悪い情報が上に上がってくる会社はいい組織である証し。業績が低速すると、まっ先に人に手をつけようとする企業が増えている。そこでは、社員をコストと考える風潮が蔓延している。
本当にそのとおりです。終身雇用制という言葉はもはや死後になってしまったかのようです。使い捨ての駒のようにポイ捨てされる非正規雇用がありふれ、若者が将来展望を持てず、企業もユニークなアイデアが生まれる源泉が枯れはじめています。ソニーの業績低速はそのためだという指摘があります。
もっと人事部のホンネの部分を聞いてみたいものだと思いました。
(2011年10月刊。1800円+税)
2011年11月22日
もう原発にはだまされない
著者 藤田 祐幸 、 出版 青志社
原子力発電所で炉心溶融事故(メルトダウン)を起こす原因はいくつもある。
その一は、配管破断事故。何らかの理由で主蒸気配管が破裂すると、一瞬にして蒸気が噴出し、原子炉が空焚きになり、炉心溶融に突入してしまう。この大口経配管破断事故は過去に起きた実績がある。2004年8月に福井県美浜原発で起きた。
もう一つは、全電源喪失事故。原子力発電でありながら、原発が停電したらどうなるかという問題。これが今回起きたわけだが、これまで、「停電になることは、ありえない」と国も電力会社も言い続けてきた。
1980年、フランスのラ・アーグ核燃料再処理工場で、事故が起きて従業員があきらめ、「家族と一緒に死にたい」と帰宅していったという深刻な事態が発生した。このときは、近くのフランス海軍の兵士たちが決死隊をつくって突入し、電源を回復してポンプを回すことに成功して事なきを得た。もし、これが成功しなかったら、フランスからドイツまで深刻な放射能被害にあったはず。
福島第一原発では、メルトダウンが起きていることは分かっていても、原子炉のなかで一体、何が起こっているのかは予測しがたい。しかし、原子炉が体をなしていないことは確実だ。
福島第一原発事故では、「止める」ことには成功したが、停電のために「冷やす」ことに失敗し、相次ぐ水素爆発によって「閉じ込める」ことにも失敗した。
原発建屋内で作業員が着ている防護服は、放射線に対してはまったく無力。防護服は放射性物質が身体に付着しないように加工してあるだけ。被曝を避けるためなら、厚さ5センチもの鉛の鎧を着なければならない。それでは重すぎて、とても仕事にならない。なんと、あの防護服は放射性物質が付着しないように加工されているだけだというのです。これでは心配ですよね。
そのうえ、政府は福島原発について内部補修を行う労働者の被曝濃度を50ミリシーベルトから100ミリそして210ミリシーベルトに上げていった。
内部被曝は長期間に免疫力や抵抗力を低下させかねない。
原発事故の本質、それに至るまでの問題が見事に整理されています。読みすすめるのが恐ろしいのですが、目をそらすわけにはいきません。政府・東電が工程表を発表して、何となく事故対策が進んでいる気にさせられていますが、今も放射能が空中そして海中・地中に拡散しているのは事実です。原発は一刻も早く日本から廃絶するしかありません。
(2011年8月刊。1500円+税)
2011年11月21日
回転寿司の経営学
著者 米川 伸生 、 出版 東洋経済新報社
私は恥ずかしながら回転寿司店なるものに一度も行ったことがありません。外から店内を見て、あのぐるぐる回るすしの姿にベルトコンベアーに向かって働かされる流れ作業の工員を連想し、そんな状況に我が身を置くことへの拒絶反応を抑えがたいのです。
この本を読んで、昨今の回転寿司の実情を知り、いささか偏見を取り除きました。でも、まだ店内へ入ってみようという気にはなりません。これはマックやケンタの店に入りたくないのと同じ気分です。
いまの日本には、回転寿司店が4000店ある。100円寿司の大手チェーン店が、その3割を占める。100円均一の店舗は他に1000店はあるが、100円寿司の業界勢力は全体の半分ほど。業界は100円均一店とグルメ回転寿司に二極化されていて、どっちつかずの店は衰退の一途をたどっている。
100円寿司大手チェーンの躍進は、ボックス席の成果である。ゆったりとボックス席で家族だけの時間を過ごせる。そもそも回転寿司は、アミューズメント・パークなのである。うむむ、そういうわけなんですか、ちっとも知りませんでした。
一般的な外食産業の原価率が30%であるのに対して、回転寿司では40~50%があたりまえ。
回転寿司は、仲買人を通さず、漁港や漁船から直接買い付ける。釣り人から釣った魚を直接買い受ける店まである。さらには、海外で養殖している業者もいる。
回転寿司が誕生したのは1958年。コンベアの特許の切れる1978年までは元禄寿司の一人舞台だった。
1991年に広辞苑に回転寿司という項目が登場した。
1998年、高級回転寿司店が誕生。
低価格の回転寿司は、全国的にシャリは甘め。これは子ども向けを意識しているから。東日本ではシャリは酢と塩が立っていて、関西から南へ行くにつれ、シャリは甘くなっていく。
回転寿司のマグロは、「客寄せパンダ」の役割を担っている。
回転寿司の市場規模は4358億円。2008年までは毎年5%以上も伸長していた。2010年は前年比2%増。上位三社(「かっぱ寿司」、「あきんどスシロー」、「無添くら寿司」)で55%を占める。
大手100円寿司チェーンでは、コンピュータシステムを導入して、そのときの来店客数や客層から、どの寿司をどれだけ流せばよいのか適宜指示が発せられる。子どもが多ければ、子どもに人気ネタを多く流すなど、効率よくレーンを埋めている。
回転寿司、恐るべしだと思いました。
(2011年9月刊。1600円+税)
日曜日にフランス語検定試験(準一級)を受けました。この一週間は10年間の過去問を復習し、「傾向と対策」を繰り返し勉強しました。
終わったあと大学の構内を歩く夕暮れの寒風に吹かれて身の縮む思いでした。
早速、答えあわせをしました。いつものように自己甘の採点で76店(120点満点)です。なんとか一次はパスできそうです。パスしていると、1月に口頭試験を受けます。これがまた緊張の一瞬です。
最近、大学生のときの夢を久しぶりのに見ました。全然授業に出ていなくて、兄が心配して忠告してくれたのですが、もうどうにもしようがなく、中退するしかない・・・という切羽詰まった状況でした。現実には、そのような状況になったことはありません。というか、大学2年生のころには1年ほど、ストライキのために授業そのものが受けられませんでした。
それにしても私も若いものですね。大学気分に浸っているのですからね。これも仏検のおかげです。
2011年11月18日
死ぬという大仕事
著者 上坂冬子、 小学館
作家である著者はがん闘病記を連載しつつ、2009年4月14日、78歳で亡くなりました。
2005年に卵巣がんが発見されて手術して切除したあと、強い副作用に苦しみながら抗がん剤治療に耐えて、いったんは元気な体を取り戻した。しかし、がんは3年後に再発し、2008年10月、慈恵医大病院に入院した。そこでは緩和ケアを受けることになった。
担当医は次のように語る。
「がんという病気は、進行するのにある程度の時間がかかる。だから、患者に早い段階で告知し、その後の治療や人生をどう設計するか、じっくり考えてもらうことが必要だ」
なるほど、と思います。
緩和ケアが患者より良い人生を考えた全人的治療であるためには、医師には医学の知識だけではない洞察力や人間性が求められる。そしてまた、患者の側も、医師を信頼し、希望を持ち続けることが大切だ。なるほどなるほど、よく分かります。
ホスピスケアと緩和ケアには決定的には違いがある。ホスピスに入るのは、もう手の施しようがなくなってからのこと。しかし、緩和ケアは、もっと積極的なケアを提供する。
がんの告知を受けた患者はいくつかの心理ステップを踏んでいく。はじめは否認。次は怒り。そして取引が始まる。そのあと、抑うつの時期を経て、最終的に受容という状態になる。あるがままを受け入れようという気持ちになる。
いやあ、そうはいってもこればかりは、なかなか受容の境地にはなれませんよね・・・。
腫瘍は、あるところを越えて、加速度的に病状が進むようになると、年齢には関係なく、手がつけられない状態になる。腫瘍は徹底的に自分本位で、自分だけが大きくなろうとする。
余命が1ヶ月以内だと医師は分かるが、それ以上だと医師の予測はほとんど当たらないというデータがある。それくらい個人差が激しい。
女性は枯れ木がしぼんでいくような亡くなり方をするのに対して、男性はポキッと折れるような亡くなり方が多い。
うむむ、こんな表現ができるのですか・・・。
抗がん剤は効かないことも多いが、それでもだらだら治療を受けている患者がいる。
患者は、身体がつらくても、希望が持てるから精神的には楽。このため、医師と表面的には利害が一致することになる。
医師であっても、自分の父親に抗がん剤を使ってしまう。副作用が辛いと分かっていても。なぜなら患者も家族も希望をもっていたいから。また、製薬会社が抗がん剤をできるだけ広めようとしている影響もある。
著者は緩和ケアのおかげで、途中で好きなフランス料理を味わって楽しめるようにまでなったのでした。抗がん剤の副作用に苦しんで、歩けなくなったり、吐気がひどくて食事もできないというのでは、どれだけそんな生活に意味があるのか考えさせられますね。
すごい闘病記でしたが、著者のあっけらかんとした書きっぷりに惹きこまれて一気に読了しました。
(2009年9月刊。1200円+税)
2011年11月16日
これでいいのか小中一貫校
著者 山本由美・藤本文朗・佐貫浩、 新日本出版社
小中一貫校がもてはやされています。公立学校でのことです。本書を読んで、その狙いの一つが大規模校舎をつくることにあるのを知って、なんだゼネコンのための大型箱モノづくりの一つなんだと知りました。
教職員の人件費は切り下げて、建設費は一挙に上げようというのです。まさしく「人から施設」です。教育の分野でまで、そんなことをしてほしくありませんよね。
品川区は小中一貫校をすすめているが、職員給与比率は20%から12.7%へと劇的に低下した。その代わりに、投資的経費は12.8%から28%へと倍以上に増えた。
新校舎の建設費は30億円から60億円という多額である。これは都市再開の起爆剤と位置付けられている。
大阪、箕面市では、小中貫校はPFI方式で運営される。民間資本の活用による公共施設の設備・運営である。
うへーっ、教育まで企業のもうけの対象にされるなんて、とんでもないことです。
横浜市は小中一貫校の一校目が不調だったのでトーンダウンしたが、全国では東京・兵庫・宮崎・大阪・京都・栃木において複数の市が実施している。
早くからエリート校をつくってエリートを選別していくという思想にもとづく動きだ。よりわける、け落とす、あきらめさせるという選別と競争を進める役割を果たすものだ。
小中一貫校で、生徒の「荒れ」がひどくなっているという報告もある。
小中学校教育文化の大きなメリットの一つはクラス担任制である。それが小中一貫校では教科担任制の導入となる。
小学5年生、6年生は、全校のリーダーとしての誇りと責任意識を身につけさせることで、社会的自立に向けて育てると位置づけられてきた。小中一貫校ではそれが出来なくなってしまう。
私は、これって大きいことだと思いました。中学生がいないからこそ小学校の最上級生としての誇りがあり、責任感がまっとうできるのです。小学校でそれなりの自信をつけることの意味は決して小さくないと私も思います。
中学校的文化は小学生の段階をきちんと経てから体験をさせたいものです。
異なる学校文化を持つ小学校と中学校とのあいだを移行する過程において、子どもは発達的な適応と再適応を求められる。
そして、小中一貫校では学区が広域化することになりがちです。学校統廃合がなされたとき、地域との結びつきを絶たれて、子ども達がバス通学するようになるのです。
校区が広がると、友だちと簡単に遊べず、遊びを通して地域を知る機会も減る。親たちも子どもの生活を見守るのが難しくなる。学校と地域との関係は重要である。私もそう思います。身近で遊べる環境を子どもたちから奪うなんて罪つくりなことです。
教育がエリート層を育てることにあるなんて財界が言うだけと思っていました。しかし、橋下大阪府知事(当時)が言い出し、多くの府民がそれを支持しているというのです。我が子だけはなんとかしてエリート層にもぐり込ませたいという親の願望にかなったものなのでしょうが、全員がエリートになれるはずはありません。そんな幻想をきっぱり捨てて、みんな違って、みんないい。このような豊かな個性が尊重される教育でありたいものです。
(2011年9月刊。1600円+税)
2011年11月15日
チェルノブイリ・ハート
著者 マリアン・デレオ、 合同出版
わずか90頁あまりの少ない写真集なのですが、まさしく衝撃の告発集です。
ともかく正視できないのです。むごい写真がいくつも登場します。思わず目をそむけたくなります。でも、勇気をふるってじっと見つめました。
ま、まさかという写真です。脳が頭蓋骨に収まらず、後頭部に突き出している子どもがいます。信じられない奇型です。生きている子どもなんですよ・・・。
背中から内臓が突出し、大きく垂れている。膨れた袋の中にあるのは肝臓で、足はまったく動かせない。看護師に抱かれている可愛い顔をした男の子の写真です。
この本はアカデミー賞を受賞したドキュメンタリー映画を本にしたものです。
1986年4月26日、史上最悪の原発事故が発生。190トンの放射性ウラニウムと放射性黒鉛を大気中に拡散させた。そして、のべ60万人も事故処理作業員(リクビタートル)が出動し、処理にあたった。彼らは大量の放射能を浴びた。事故以来、死亡したリクビダートルは1万3000人以上。
このチェルノブイリ事故当時に幼少期や思春期だった子どもたちが、甲状腺がん多発の年齢層と重なる。ゴメリ州の甲状腺がんの発生率は、チェルノブイリ事故のあと1万倍に増加した。
放射能の影響と断定はできないが、心身の障害児は増加傾向にある。
水頭症の子どももたくさんいる。未熟児の増加は大きな問題となっている。むしろ健常児の生まれるのは15~20%にすぎない。遺伝子破損の患者が大勢入院している。遺伝子の破損によって子どもも次々に亡くなっている。
汚染地区には、いまなお600万人もの人々が居住している。年間300人の子供が心臓手術を必要としている。心臓に複数の穴が開く先天性障害の子がチェルノブイリ事故のあと増加傾向にある。
チェルノブイリの原発炉跡を追おう石棺は早急に修理しないと非常に危険な状態にある。ひとたび石棺が崩壊し、まだ原子炉内に97%も残っている放射性物質が飛び出したら、世界中が深刻な被害を受けることになる。
今、フクシマはチェルノブイリと同じレベルの原発事故を起こしたとされています。ところが、福島県内にはかなりの汚染濃度のある地域に人々が住み続けています。この写真で紹介されているような事態が起きないという保障はないのではありませんか・・・?
「今すぐには影響は考えられない」という耳タコの説明は、何年後かにはチェルノブイリのようになる可能性があるとも解されます。原発は本当に危険すぎます。すぐに全停止すべきです。人類がこの地球上に生存するために必要なことです。みんなで声を上げましょう。
目をそらせない貴重な写真です。ぜひ手にとってご覧ください。
(2011年10月刊。800円+税)
2011年11月14日
世界一のトイレ、ウォシュレット開発物語
著者 林 良祐 、 出版 朝日新書
毎日、大変お世話になっているトイレの便器のお話です。なるほど、日本人の繊細さによくマッチした製品はこうやってつくるのか、感嘆しながら読みすすめました。
日本はケータイもガラパゴス的に特異な進化をみせているが、トイレについても同じことが言える。3年もすれば「古い」と言われる。本当にそのとおりです。今どきは、駅のトイレでもウォシュレット式は普通になっています。ホテルやレストランでウォシュレットになっていないと、ここは設備投資が遅れているなと不満を感じてしまいます。ましてや和式便器なんて、論外です。観光地で昔ながらのボットン式なんていったら、もう悪評ぷんぷん、誰が次から来るものですか。
ところが、先日行ったフランスでは違うのですよね。駅ではトイレを探しあてるのに一苦労します。最近は行っていませんが、中国でもびっくりさせられましたね。
温水洗浄便座の家庭の普及率は71%。累計の出荷台数は3000万台をこえた。今や旅行のための携帯用のトラベルウォシュレットが人気で、隠れたロングセラーになっている。さすがの私も、これはまだ持っていません。
日本人は毎日、お風呂に入って身体を洗う、きれい好き。新しいものへの抵抗感が少ない。まったく、そのとおりです。だからウォシュレットが世界に先駆けて普及しました。
お湯の温度は38度、便座の温度は30度、乾燥用の温風は50度が最適。そして、ノズルで水を出す角度は43度。ビデの方は53度。おしり洗浄は3穴、ビデ洗浄は5穴。うむむ、みんな決まっているのですね。
ウォシュレットの語源は、レッツ・ウォッシュ。これを逆さにしたもの。今から30年前の1980年6月に完成した。
1982年、「おしりだって、洗ってほしい」のテレビCMが茶の間に夜7時のゴールデンタイムに流れた。初めは恐る恐るだったようです。意外にも反発はされなかったとのこと。
においをとるために、オゾン脱臭方式がとられた今では、オゾンを使わずに、空気中の酸素を有効に使う、触媒脱臭方式へ進化している。
TOTO小倉工場は小倉城に近い市街地にある。東京ドーム4個分という広大な敷地で1日あたり2000台の便器を生産する。1台の便器が完成するまで8時間かかる。
ここでは、便器の原料として、岡山(備前焼)県産の陶石、滋賀(信楽焼)県産の長石、愛知(常滑焼)県産の粘土を混ぜ合わせる。海外の工場では現地産を中心に調達している。
空気混入ノズルは、水に空気を含ませることで、水の粒を大型化し、従来の水量の65%の量でも、たっぷりとした量を浴びているような浴び心地になるもの。低速で噴射した水に高速で噴射した水をぶつけると、後から出た水が追いついて、水の表面張力によって固まり、水玉ができる。ワンダーウェーブ洗浄では、1秒間に70回以上の脈動を与えることにより、流量2分の1で、洗浄力は2倍アップを実現した。しっかりとあたる強い吐水と、水をセーブする弱い吐水を1秒間に70回以上繰り返して水玉を連射し、2倍の洗浄力を可能にした。
便器のほうも、いつまでも汚れがつきにくく、落ちやすい便器を開発した。ナノレベル(ミクロンのさらに1000分の1、100万分の1ミリ)に平滑なガラス層を設けることで汚れをつきにくくした新素材「セフィオンテイト」をつくり出した。これには汚れをイオンの力で跳ね返すイオンバリア効果もある。すごいですね、これって・・・。
日本人の生活用水の使用量は1人1日あたり298リットル。この20年間、横ばい状態。使用量の第1位はトイレ(28%)、2位は風呂(24%)、3位は炊事(23%)、4位が洗濯 (16%)、5位が洗顔・その他(9%)。そして、日本全体で1日に東京ドーム37個分の水がトイレの洗浄に使われている。
そこで、TOTOでは、2006年以降、洗浄水量を6リットル、5.5リットル、4.8リットルと削減していった。
たかがトイレの便器、されど毎日お世話になるトイレです。ありがたいものです。すごい苦労があることを知って感謝感謝です。
(2011年9月刊。720円+税)
2011年11月 8日
福島の原発事故をめぐって
著者 山本 義隆 、 出版 みすず書房
著者は、かの有名な東大全共闘の元代表です。「敵は殺せ」をスローガンとして、バリケード占拠・帝大解体を呼号して乱暴狼藉を働いていた集団のリーダーでしたから、率直に言って、今でもあまり印象は良くありません。ただ、東大闘争については一切のマスコミ取材を拒否し続けてきたことでも有名ですので、何かしら忸怩たる思いか、思うところがあるのでしょう。
まあ、それはともかくとして、科学史家としても高名な著者が福島原発事故をどう考えているのか知りたくて読んでみました。すると、とても素直な筆致で、すっきり原発それ自体の間違いを指摘した内容であり、著者の思いがすんなり胸に入ってきました。わずか90頁あまりの小さな本ですが、原発についての指摘としては、ずっしり重たい内容だと思います。
日本で原子力発電所の創立は、核の技術を産業規模で習得し、核武装という将来的選択肢も可能にしておくという大国化の夢であった。つまり私企業としての電力会社の自発的な選択としてではなく、政権党の有力政治家とエリート官僚の強いイニシアチブで進められたものだった。
原子力発電の真の狙いは、その気になれば核兵器を作り出しうるという意味で核兵器の潜在的保有国に日本をすることに置かれていた。核の平和的利用と軍事的利用とは紙一枚の相違である。いや、紙一枚すらの相違もない。
日本における原子力開発、原子炉建設は、戦後のパワーポリティックスから生まれた。岸首相にとって、「平和利用」のお題目は、鎧のうえに羽織った衣であった。
アメリカから日本に導入されたのは黒鉛炉ではなく、軽水炉だったが、それは黒鉛炉が原爆製造のためのものであって、この副産物によるプルトニウム生産が日本の核武装につながることをアメリカ政府が懸念したことによる。
日本は、今では核兵器1250発分に相当する10トンのプルトニウムを貯めこんでいる。これは、アメリカ、ロシア、イギリス、フランスに次いで世界で5番目であり、アジアでは断トツに多い。
先日、ドイツが脱原発を宣言したが、それはドイツが今後も核武装をする意図はないことを国際社会に明確なメッセージを送ったことを意味する。
原子力発電は、無害化することが不可能な有害物質を稼働にともなって生み出し続けるものであって、未熟な技術と言わざるをえない。
原子力発電は、日常的に地球環境を汚染し、危険で扱いの厄介な廃棄物を生み出し続け、その影響を受益者の世代からみて何世代、いや何十世代も先の人類に負の遺産として押し付ける。
原子力発電は、たとえ事故を起こさなくとも、非人道的な存在なのである。
原発は、その事故の影響は空間的には一国内にすら止まらず、何の恩恵も受けていない地球や外国の人たちにさえ及び、時間的には、その受益者の世代だけではなく、はるか後の世代もが被害を蒙る。
原発を止めれば今のような快適な生活はできなくなるという電力会社の主張は信じられない。しかし、もしもそのとおりであったとしても、生活がいくら不便になるとしても原発は止めなければならない。地球の大気と海洋そして大地を放射性物質で汚染し、何世代、何十世代もあとの日本人、いや人類に、何万年も毒性を失わない大量の廃棄物、そして人の近づくことのできない、いくつもの廃炉跡、さらには半径何キロ圏にもわたって人間の生活を拒むことになる事故の跡地などを残す権利は我々にはない。そのようなものを後世に押し付けるというのは、子孫に対する犯罪そのものである。
いやはや、まったく著者の言うとおりだと思います。今なお、原発に頼ろうという人の正気を私は疑います。
2011年11月 7日
五感で学べ
著者 川上 康介 、 出版 オレンジページ
読んでうれしくなる本です。だって、日本の農業を担う若者たちが、こんなに育っているのを知るなんて、とても喜ばしいことじゃありませんか。
そして、その若者育成法は半端ものではありません。昔から軟弱な私なんか、一日で脱落しそうなハードさです。今どきこんな寮生活が考えられますか?
全寮制で相部屋。朝7時に起床し、夜11時に消灯。門限は午後10時。寮内での飲酒は厳禁。テレビは禁止、ケータイも制限あり。外出、外泊は要届出。ケンカしたら、即刻退学。在学中は、帰省したときもふくめて、自動車・バイクの運転は禁止。部屋の整理整頓、掃除は義務で、月1回は校長による抜き打ち検査あり。うひゃあ、これはすごーい・・・。
本科生(1年生)60人、専攻生30人。18~24歳の男子限定。ところが入学費・授業料・寮費・会費はすべて無料。ええーっ、では、誰が費用を負担しているの・・・?
しかも、研究費として、専攻生で月に1万6千円、本科生に月1万2千円が支給される。これって、いわば小遣いですよね。
ここはタキイ種苗が設立した農業エリート養成所。正式名称は、タキイ研究農場付属園芸専門学校。なんとなんと、こんな専門学校が日本にあったのですね。ちっとも知りませんでした。私の日曜園芸はもっぱらサカタのタネを利用しているのですが、タキイって、こんな素晴らしい専門学校を運営しているのですね。すっかり見直しました。
ちなみに、タキイの種苗は従業員700人、海外11ヶ国に拠点をもち、売上高424億円という日本最大、世界第4位の種苗会社。江戸時代の天保6年に創業されたというのですから、恐れいります。
学校運営の経費は年間1億円。巨額ですが、それで日本農業の骨格をつくりあげるわけですから安いものですよね。国の援助がないのが不思議でなりません。
新入生は、高卒37人、大卒12人、農業大学校卒が4人、専門学校卒1人。定員60人に90人の応募があったという。これは、近年の農業志向の見直しによる影響。
生徒たちは、ここでハードな実寮生活を過ごすと、確実にやせ、タフになる。100キロの体重が、あっという間に80キロにまで落ちる。
ここでは、トラクターではなく、原則として、すべて人力で行う。ここは、徹底した集団生活のなかで鍛えられる。誰も、ひとりぼっちにしない。濃密な人間関係が作られ、それは卒業してから生きてくる。農業は一人ではなく、集団の知恵で営まれるもの。
いかにもハードな実習と生活ですが、ここには哲学が生きていると思いました。
こんな専門学校があることは、もっと世の中に知られていいと強く思いました。
それにしても、この取材のために40歳の身でありながら実習に参加した著者に対して、心より敬意を表します。
私もフランス語検定試験(準1級)を近く受験します。毎年2回の苦難の日です。それでも、少しは集中して単語を覚えますので忘却を食い止めるのには役に立っています。
2011年11月 3日
「原子カムラ」を超えて
著者 飯田 哲也・佐藤 栄佐久 河野 太郎
この本のオビに坂本龍一が「国土を汚し、子どもを危険に曝した原子カムラを解体しなければならない」と書いていますが、まことにそのとおりです。
ところが、今朝(10月16日)の新聞によると、国会議員の6割が原発再開に賛成だというのです。とんでもない議員たちです。
これまでも原子力関連施設は、たびたび重大なトラブルを引き起こしてきた。
1995年12月 高速増殖炉「もんじゅ」でナトリウムもれ事故が発生。
1999年9月 JCO東海事務所の臨界事故で作業員2人が死亡。
2002年8月 東電による福島第一・第二原発、そして柏崎刈羽原発でのトラブル隠し発覚。
2004年8月 関西電力の美浜原発で配管破断事故が発生して作業員5人が死亡。
2007年7月 新潟県中越地震によって柏崎刈羽原発で火災が発生。
これらの事故・不祥事のたびに、電子力会社の経営陣は深々と頭を下げ、国は「遺憾の意」を表明し、「再発防止の徹底」を宣言した。ところが、同時に、「それでも原発は安全だ」と言い張ってきた。そして、そろって妄想のような「安全神話」をつくり上げた。
原子力カムラの解体が一筋縄で進むとは思わない。閣僚などは、今なお「原発は安全だ」「原発はエネルギー政策の基本だ」と高言している。
玄海原発のやらせメールが発覚しても、経営トップの責任をがんとして認めようとしない九州電力の対応、態度を見ていると、こんな会社に日本の将来をまかせておくわけにはいかないと痛感します。まるで、昔の殿様、それも裸の王様です。
この本は、著者のうちの二人、「佐藤さんも、河野さんも、バリバリの自民党、それも保守本流だ」というところに特色があります。そうなんですよね。今や脱原発は、右とか左とか、保守か革新かを聞かず、日本という国土を安全なまま子孫に残すために必須不可欠のことです。
安全神話の内実は、アメリカの技術の引き直しでしかなく、安全審査なるものもお座なりでしかないことが明らかにされています。それだけでも、背筋がぞくぞく凍るような話です。
福島第一原発の事故は明らかな人災である。
今も福島第一原発からダラダラと放射能が出続けている。しかし、それをコントロールできていない。この恐ろしい事態をきちんとマスコミが報道せず、多くの人々が忘れ去っているのは本当に怖いことです。
経産省が5月に発足させた「エネルギー賢人会議」のメンバーを選定する基準は、次の三つ。
① 誰がみても大物であること
② 原子力を完全に否定しないこと
③ 官僚の振りつけにそった落としどころにきちんと従ってくれること
うひゃあ、そうやって選ばれたなかに、かの有名な立花隆も寺島実郎、そして佐々木毅もいます。こりゃあ、いったいどうなっているんでしょうか。困ったことですね。
(2011年7月刊。1000円+税)