弁護士会の読書
※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。
社会
2011年10月13日
「諸君!」「正論」の研究
著者 上丸 洋一 、 出版 岩波新書
戦後の「保守」論壇の主張の変遍をたどり、分析した貴重な労作です。
それにしても「保守」理論家の言説のレベルの低さには呆れます。
渡辺昇一、上智大学名誉教授は次のように語った。
「シナ文明は朝鮮半島まで到達したが、日本には及んでいない」
ええっ、日本に中国文明が入っていないだなんて・・・。そして、また次のようにも言っています。
「日本の皇室は男系で続いてきた」
日本には過去にさかのぼれば、女性天皇が何人もいます。江戸時代まで、皇室の伝統として男性しか天皇にはなれないと言うことはありませんでした。
「サンケイ」を出している産経新聞社には社史がない。また、縮刷版もない。その理由は、社主だった鹿内信隆とそのファミリーの位置づけが難しく、出すに出せないことにある。
憲法改正を叫んでいる「サンケイ」に社史も縮刷版もないというのは、よほど過去の自社の歴史を知られたくない、恥ずかしいということなのでしょうね。
「サンケイ」は自民党の組織をつかって購入を呼びかけてもらった。つまり、「サンケイ」は要するに自民党の準機関誌だというわけです。なーるほど、ですね。
1973年10月、雑誌「正論」が創刊された。鹿内は、毎号のように誌面に登場した。
ところが、鹿内が1990年10月に78歳で亡くなると、1992年7月、サンケイの取締役会は鹿内宏明会長を解任した。
日経連(現在の日本経団連の全身の一つ)は1960年代に「共同調査会」という名前の反共秘密組織をつくっていた。反共産党、反総評、反日教組を目標として、1955年から1968年まで活躍していた。13年間に25億円ほどの大金をつかっている。マスコミ・世論の「偏向」是正対策にも3億円ほど使った。
保守の論者は、ヒロシマ・ナガサキの被爆体験について何も語らない。また、沖縄戦の犠牲者も無視している。
『諸君!』に小田村四郎・日銀監事は次のように書いた。
「開戦の全責任を東条個人に帰して、当時の議会や新聞の論調・世論を無視してはならない。大東亜戦争は、一握りの指導者が独裁的に起こしたのではない。全国民の支援の下にやむなく受けて立った悲劇の戦争である。その責任者が誰かと問われれば、ABCD(米、英、中国、オランダ)包囲陣の各国と答えるしかない」
むしろ、ABCD包囲陣は、日本軍部の膨張主義、植民地拡大路線に対抗して作られたものですよね。白と黒というような言説を真に受けて教科書がつくられたら、それこそ日本の将来はお先まっ暗です。
昭和天皇は戦後、靖国神社への参拝を拒否した。昭和天皇はA級戦犯の合祀、なかでも日独伊三国同盟を推進した松岡洋右(元外相)そして白鳥敏夫(元駐伊大使)の合祀に不快感を表明していた。
天皇のために命を捧げた軍人・軍属らを神と祀る靖国神社は、天皇が参拝することで初めて「完結」する神社だ。それが天皇に嫌われたとあっては、神社の存立を否定されたにもひとしい深刻な状態である。
戦後の天皇制は、天皇制にひたすら忠誠を尽くした東条らA級戦犯を占領軍に差し出して「勝者の裁き」を受け入れ、天皇の地位を統治権の総換者から「象徴」へと大胆に転換することによって初めて存続を許されたのであり、天皇自身もまた、そのことを容認するのとひきかえに「平和主義者」として立つことが可能となった。そうした象徴天皇制の存立の根拠を靖国神社はA級戦犯を合祀することによって否定した。東条英機らを神と祀る靖国神社を天皇が参拝する気になるだろうか。
天皇は、戦後まもない時期に、自身の戦争責任をまるごとA級戦犯に移し替えていた。それは天皇個人の意思でもあったが、マッカーサー司令官との日本政府の意思でもあった。そうすることで、天皇は戦後を「平和主義者」として生き抜くことができた。
彼らが国を握った。私は立憲君主として、憲法に従って行動しただけ。天皇は、おそらくそう信じていた・・・。
これは、なるほどと思わせる見事な分析です。私の長年のもやもやの一つがすっきり解決したような気がします。大変な労作で大いに勉強になりました。
(2011年6月刊。2800円+税)
2011年10月12日
千年震災
著者 都司 嘉宣 、 出版 ダイヤモンド社
この本を読むと、日本は古来、いかにも地震の国だということがつくづくよく分かります。そんな地震の巣の上に危険な原子力発電所を50基以上もつくってきたなんて、歴代自民党・公明党の責任は重大ですよね。民主党のだらしなさを非難する前に、国民の前で真剣な自己批判こそが必要でしょう。反省もせずに依然として原発を推進しようとしてますし、海外へまだ原発を輸出しようとするなんて、まさしく狂気の沙汰ではないでしょうか。
著者は私とほぼ同じ世代の東京大学地震研究所の准教授です。地震学者ですけれど、歴史地震学の権威でもあります。要するに古文書を読めるのです。
平安時代の歴史書『三代実録』に記された貞観(じょうがん)地震は貞観11年(869年)に起きた。陸奥国で大きな地震が起きて、そのあと津波がやって来たと書かれている。今回の東日本大震災とよく似ている。
慶長16年(1611年)の慶長三陸津波でも、伊達・南部の両藩で合計2913人が死亡した。田老地区でも海面から21メートルの高さにあった神社の参道の橋が津波で消失している。
今回の東日本大震災では今のところ前兆が認められていない。しかし、まったく前兆がなかったとしたら、原理的に地震の予知は不可能という結論を出さざるを得なくなる。
本格的な鉄筋コンクリートのビルは津波に強いことが判明した。
田老町の高さ10メートルの防潮堤は、4メートルずつ2段のコンクリート構造物が単に積み木のように重ねておいてあるだけだった。かみあわせのほぞがないし、鉄筋で上と下を一体化するというのもなかった。これでは見かけ倒しだ。
江戸幕府が始まってから、東京には3回の大地震が起きている。元禄6年(1703年)の元禄地震、安政2年(1855年)の安政江戸地震、そして大正12年(1923年)の関東大震災である。安政江戸地震は直下型地震で、あと二つは海溝型の巨大地震だった。
日本人は地震について、文献だけではなく、被害の状況・惨状を絵にも描いて残しているのですね。お城の破損状況を記録した図面まであります。昔から今に至るまで本当に几帳面な国民性なのですね。
寛政4年(1792年)の島原大変・肥後迷惑のときには、地震も起きていて、大津波は熊本県側にまで被害を与えた。
韓国は日本に比べて地震の少ない国だが、それでも16世紀から17世紀にかけての
200年間に、被害の出た地震が18回も起きたという歴史がある。
地震学者って、あのミミズがのたくりまわっているとしか思えない難解な古文書をすらすらと読めることも求められるようです。すごいことです。
(2011年5月刊。1600円+税)
2011年10月 9日
一瞬と永遠と
著者 萩尾 望都 、 出版 幻戯書房
私は著者の漫画を全部読んだわけではありませんが、そのいずれにも驚嘆したことを覚えています。『ポーの一族』『11人いる!』『残酷な神が支配する』は読みました。そのストーリーといい、画(絵)といい、その感嘆は言葉になりませんでした。
本書は著者の長年のエッセーを集めたものです。絵だけでなく、文章も秀逸でなかなかのものです。奈良の復興寺で阿修羅像を見て、そのそばのソファーで著者がぐっすり眠ってしまったという話には笑ってしまいました。意外に図太い神経の持ち主のようですね。
著者は17歳のときに漫画家になる決心をしました。それは手塚治虫の『新選組』を読んだときのこと。うひゃ、すごいですね。17歳にして早くも漫画家を志したとは・・・・。早熟なんでしょうね、きっと。
著者の少女時代(もうちょっと年長かな・・・・)、母親との関係は最悪だったと語られて、います。マンガぐらい黙って描かせてよ。不良になっているわけでもないんだし・・・・。
禁じられているマンガを描くなんて、なんて悪い娘でありましょう、申し訳ございません。怒りと罪悪感とをシーソーしていた。うむむ、今では偉大なマンガもかつては大変だったのですね・・・・。
実は、私は著者の母親については、子どものころ、私の家によく来られているので知っているのです。母は女学校時代の仲良しだったようです。それで、著者の最近の顔写真が新聞に紹介されたとき、思わず、お母さんにそっくりじゃん、とうなってしまったのでした。
子どもって、大きくなると親にますます似てくるものなんですよね。著者もその一人なのでした・・・・。ますますのご活躍を期待しています。
(2011年6月刊。1800円+税)
2011年10月 8日
アイドル進化論
著者 太田 省一 、 出版 筑摩書房
テレビをまったく見ない私にとって、アイドルというのは別世界の存在なのですが、それでも別世界で今何が起きているのかは気になりますので、こうやって本は読むわけです。グラドルという言葉があるのをはじめて知りました。グラビアアイドルのことです。今ではアイドルの中心勢力の一角として、すっかり定着した。うひゃあ、そうなんですか・・・。しかも、グラビアアイドルという呼び名は他人につけられて甘んじて引き受けるレッテルというよりは本人の意思による選択の証なのである。そうなのですね、知りませんでした。
グラドルの台頭は、アイドルと名のつく存在が様々な分野に生まれる日本社会のアイドル化の最終段階を示している。
山口百恵は、その自叙伝のなかで、『スタ誕』をみていて、ある日、そこに13歳の少女が登場した、私と同い年、そう思ったとたん、私にもできるかもしれないという気持ちが芽生ええはじめ、中学2年の夏休み、友人と何人かで応募のハガキを出した、と書いている。森昌子、桜田淳子、山口百恵の花の「中三トリオ」の誕生である。
ピンクレディーの4作目の「渚のシンドバット」(1977年)は、ついにミリオンヒットを達成した。この大ヒットを牽引したのは、当初はターゲットから外されていた子どもたちだった。子どもたちが振り付けを覚えて、こぞって踊り出すという光景が社会現象になった。作詞家(阿久悠)からすると、ある意味で、それは誤算だった。
ピンクレディーは、作り手の意図によって完璧にあやつられる存在。いわば、ピンクレディーという名ひとつの巨大娯楽プロジェクトになっていた。ファンの側が想像をめぐらせ、何かを読み込めるような余白はもはや存在しない。そのとき、ピンクレディーはアイドルではなくなった。
バラドル、つまりバラエティー・アイドル。とんねるずは、お笑い芸人からアイドル歌手へと、その境界を乗り越えていった。バラドルはアイドル歌手から芸人へと、その境界を越えていく。
アイドルファンにとって、アイドルの「失敗」は、楽しみの一つである。アイドルが成功することも重要だが、むしろ、そこに至るまでの「過程」においてアイドルを応援し分析することの方がプライオリティーが高い。その意味で、「失敗」もまた楽しみなのである。
韓国人によると、日本ではアイドルはファンが一緒に育てていく存在だという指摘がなされています。なるほど、そういうことなのでしょうね。
アイドルとは、社会が学校化し「若さ」が義務になってしまうような状況のなかで、「若さ」を権利として再発見させてくれる存在ではないか。うむむ、そんな見方も成り立つのでしょうか。
アイドルとの関係の中で、ファンは義務化された「若さ」から解放され、自由な気分を取り戻す。そこには、大きな「快楽」がともなうだろう。日本人がアイドルによって「若さ」を反復しようとするときに欲しているのは、実はこの「快楽」なのではないか。それは、学校的な空間から「若さ」を解放し、別の可能性を求める心の声なのである。
むむむ、なんだか分かったようで分からない解説というか指摘です。
(2011年11月刊。1700円+税)
2011年10月 7日
権力奪取とPR戦争
著者 大下 英治 、 出版 勉誠出版
電通や博報堂その他の広告代理店が裏から日本の政治を動かしている実情の一端が描かれています。でもよく考えてみると、そこで動いている莫大なお金の大半は政党助成金、つまり私たちの税金なのですよね。税金が広告代理店やPR会社にまわり、そこでつくられた虚構のイメージで日本の政治が左右されているなんて、知れば知るほど腹の立つ話ではありませんか・・・・。
テレビは政治をショー化した。政治家たちが自分たちの姿をそっくりそのまま映してくれると思っていたテレビもまた、政治家の伝えたいことを伝えきらない。
テレビ映りのいい条件は二つある。田舎者と、変わり者の二つだ。
日本の政界でいえば、田舎者の代表は田中角栄。変わり者の代表は小泉純一郎だ。小泉純一郎は、巧みにも、短く的確なフレーズでメッセージを発して国民の心をつかみとった。言葉のもっている魅力といおうか、あやのものをうまくからませる。その言葉をメディアは使う。いわゆるサウンドバイトの手法こそ、小泉首相の真骨頂だった。さらには、、髪を振り乱す感じ、間合いのとり方は天才的としかいいようがない。まさに、テレビ業界でいう「絵になる」男だった。イメージ戦略の申し子というべき存在だった。うーん、そのおかげで日本の政治は狂ってしまったのではありませんか。
支持率と高感度には違いがある。似ているようで、実は違う。実際に支持率を上げたいのなら、その前に数字にはあらわれない好感度を上げる必要がある。支持率は、その好感度についてくる。
たとえば、政治家が「この国」というと、どこか距離を置いた印象を与える。「わたしたちの国」と言ったほうが共感を得られる。
テレビの討論番組の出演者を誰にするかは、最重要の検討事項である。出演者を決めるとき、一番の決め手は、相手が誰かである。いかに相手の弱点を引き出せるか、相手の攻撃をうまくかわせるか。これには、相性の良し悪しもある。
たとえば、民主党が菅直人のときには、自民党は竹中平蔵を出した。竹中は、自民党が擁するオールマイティの武器だった。温和な顔をしているが、政策に強く、弁も立つ。感情的になることもなく、きちんと話ができるため、誰を相手にしても負けない。
アドバイスは番組に出演したあとも行った。ビデオを見せて注意を与えていく。
電通は、別会社という形で民主党にも食い込んでいる。民主党は本来は博報堂であるが・・・・。代理店の色分けが、今ではそのまま政党の違いではなくなった。
いい話し方とは、しばらくひとつところに目線を当てていたかと思うと、今度は右のほうへ視線をゆっくりと移して、その先の相手をしっかりと見つめて話し、今度は左のほうへ視線を移して話す。一点ばかり見つめてはなすのではなく、全体にも目をいきわたらせていることをアピールするようにして話すのが望ましい。ところが安倍首相の場合には、一点を見つめていたかと思うと、視線がさまよってしまい、自信なさそうに見えてしまうという欠点があった。
首相の「ぶらさがり会見」は大きなリスクをはらんでいる。小泉以降の首相は、誰もが失言を連発して、足を引っぱられていった。「ぶらさがり」は、「失言」製造マシーンとなっていった。
本当に政治って、恐ろしいですね。
(2011年8月刊。1600円+税)
2011年10月 5日
原発を終わらせる
著者 石橋 克彦 、 出版 岩波新書
スロッシング現象というのをはじめて知りました。地震のとき、本震や余震によって、サプレッション・プール(水)が激しく揺れ動くことのようです。それによって、大量の蒸気を水の中まで誘導するためのダウンカマーの先端が水面から上に出てしまい、そこから蒸気が圧力抑制室上部に噴出して滞留し、その結果、格納容器の圧力が異常に高くなったのではないか。
要するに、津波ではなく、地震そのものによって、配管破断が起きて原子炉の水素爆発が起きたということです。
炉心溶融(メルトダウン)とは、核燃料および炉内構造物が溶け落ちること。熔解デブリというそうです。
この熔解デブリは、今後、何年も冷やし続けなければならないが、問題は、それがまだ圧力容器内にあるのが格納容器内にどれだけ出ているのか、あるいは格納容器の底をすでに抜けているのかなどの状況が依然としてつかめていないこと。
圧力の数値からみると、圧力容器に穴が空いていて炉心の放射性物質は格納容器内に出ている可能性が高い。格納容器自体も漏れているため、炉心は外界と直接つながっていて、現在も放射性物質を出し続けているのは間違いない。とても危険な状況が続いている。
ここに今直面する最大の問題がありますよね。にもかかわらず、日本の首相がアメリカに行って国連総会の場で原発輸出はやめないと宣言するなど、まさに狂気の沙汰としか思えません。
発電所全体ですでに10万トンもの汚染水がタービン建屋の地下にたまっている。年内にさらに10万トンもの汚染水が出る。事故後、少なくとも2回、高濃度の汚染水が海に流出している。事故プラントを廃炉にするには、最大15兆円かかる。
格納容器が閉じ込め機能を失っている以上、放射性物質の確実な漏洩防止は望むべくもない。
原発の経済性を評価するときには、事故による補償金のほか、廃炉にともなう費用も計算しなければならない。
原発において、これまで過酷事故への対策は法的に義務化されておらず、電力会社や民間企業が自主的にやることが推奨されているのみ。
福島第一原発で大規模な水蒸気爆発が起こらなかったのは偶然にすぎず、首都圏が強制避難地域になったとき、日本は破滅する。
そうなんですよね。菅首相も「日本破滅」を一時は覚悟したようですね。
一刻も早く、原発に頼らない日本につくりかえましょうよ。
(2011年8月25日刊。800円+税)
2011年10月 2日
三池炭鉱・「月の記憶」
著者 井上 佳子 、 出版 石風社
炭鉱節で有名な福岡県大牟田市には与論島出身の子孫が今もたくさん住んでいます。
戦前、明治31年(1898年)に与論島が台風に襲われ、人々が島で生きていけなくなったため、長崎県口之津(島原半島)に移住していった。当時、口之津は日本最大の石炭積出港で、そこで働いていた。ところが、1910年、大牟田の三池港が開港、石炭は口之津港から積み出されなくなった。そこで、与論島の人々は、73人が口之津に残り、623人が与論島に帰り、428人が三池に移った。
与論の民のことをユンヌンチュという。タビンチュとは本土の人間のこと。
大牟田市の中心部、延命動物園のすぐ横に与論島出身者共同の納骨堂があり、「奥都城」(おくつき)と書かれている。これは日本の古語で「お墓」のこと。与論島には、日本古来の言葉が残っている。
与論島には、面積20平方キロメートル、周囲23キロメートルの小さな島だ。人口6000人。かつては観光地として栄え、年に15万人もの観光客がやって来た。しかし、今はブームも去り、年間7万人がマリンスポーツを目的にやってくるのみ。島民は漁業とさとうきび栽培を生業としている。
与論島出身者は、大牟田市内の海岸に近い新港町社宅に住んだ。
1997年、三池炭鉱は閉山した。官営時代から124年間、三井の経営になって109年間の歴史に幕を下ろした。
三池炭鉱の歴史を支えた労働者集団の一翼としての与論島出身者の人々に焦点をあてた貴重な労作です。熊本放送がテレビで2009年2月に全国放送したものをもとにした本です。
(2011年7月刊。1800円+税)
2011年9月30日
学級崩壊
著者 吉益 敏文・山崎 隆夫 ほか 、 出版 高文研
現代日本社会において子どもたちは昔ほど大切にされていないんだな、そして、教師の奮闘努力がむなしく空回りさせられることも多い現実を知って、改めて愕然としました。
授業が成り立たないのは中学校ではなく、小学校から。一人ひとりは明るく、優しく、一生懸命で、けなげなのに、クラスとなると、なぜか荒れてしまう。なぜ、子どもたちは荒れるのか?
とにかく、今の子どもたちは忙しい。月曜から日曜まで、全部予定が入っていて、本当に忙しい。家に帰ってのんびりするとか、今日帰ったら何やろうかなどと、自分でやってみようと思ってやってみるといった経験が圧倒的に少ない。
たとえば、5年生で荒れている中心にいる子は、中学受験のため毎日塾に行っている。そして、学校ももちろん教師も忙しい。
学校で授業が6時間、家に帰ってからの時間は限られているのに、ほとんどゲームとテレビで費やされている。ゲームの3時間以上は20人のうち11人もいた。
子どもは、失敗しながら育っていくものなのに、それが出来ない。子どもはゴチャゴチャになりたい、荒れたいと思っているのではないか。それを出せる唯一の場が学校なのではないか・・・・。
教師にとって、まずは自分の身を大切にすること。自分が折れてしまうのが一番いけない。子どもにとって、先生が折れたり、辞めてしまうのは、一生の傷になってしまう。そういう傷だけは与えてはいけない。折れそうだったら、その前に逃げる。無理だけはしてはいけない。
学級がゴチャゴチャしてしまうのは、ある意味で、子どもに選ばれたんだという気がする。子どもも、どこかで自分を取り戻したいという思いを持っていて、それを自分により近い気持ちを持っている人の前で表出している。
止めてもらいたくて暴れてみたり、本人は自覚がないけれど、あれはヘルプを求めているサインではないか・・・・。
この時代を「勝利者」として生き抜くための激しい進学競争に子どもたちが巻き込まれている。都市部を中心に多くの子どもが公立中学への受験を選択する。こうした「人生の成功」に対する圧力は、子ども世界の豊かな時間や仲間関係を奪い、子ども期の喪失は一層強まっていく。加えて、労働や他者との共有を大切にする価値が失われ、消費欲望の世界があおられる。
子どもたちのストレスは激しい苛立ちとなって体内に蓄えられていく。それは、これまでの古い伝統をもつ学校秩序と対立しはじめる。12歳の少年少女にとって、やり場のない怒りの矛先をどこに向けているのか分からない。自分の苛立ちやムカツキの原因が何であるかも分からない。実在感のない浮遊するような感覚・自己喪失感、あるいは私とは何かを問う飢餓感が、そうした状況下で生まれ、現在も続いている。
子どもたちの納得できない思いや苛立ちが教室の一場面で表出されると、それが他の子どもの抱えていた苛立ちや不全感・不安感と連動し、強化され攻撃性へと転化する。
教師が反抗してくる子どもを抑えられなければ、学級は正義を失う。子どもたちは、注意したら聞いてくれるという関係性、それは教師の力に支えられながらだが、そのなかで安心して過ごすことが出来る。ところが、教室の中に、その関係性=正義が失われると、子ども同士で注視しなくなるし、相互批判が出来なくなる。
子どもは、お互いに批判し合っていくという関係性のなかで学びが成立する。相互批判が出来なくなると、荒れの中心にいる子どもは自己中心性から抜け出せない。自分を客観視できないし、もうひとりの自分が育たない。
相互批判がないと、子どもは自己中心性の固まりのまま、自分勝手な振る舞いを続けていくことになる。そうなると、周りの子どもたちは、どこにも頼るものがないから、自分の身を守るためにカプセルの中に入らざるをえない。おとなしい子どもほど、ますますカプセルの中にこもらざるをえなくなるという構造になっていく。
崩壊してしまった関係を元に戻すときの一番の決め手は、ほめること、ほめ続けることである。そうなんですね。やっぱり、ほめて育てるのが一番なんですよね。
日本の将来を背負う子どもたちを取り巻く恐ろしい現実、だけど目をそむけてはいけない事実が語られ、最後にちょっぴり希望の持てる本ではあります。一読をおすすめします。
(2011年6月刊。1400円+税)
2011年9月28日
朽ちていった命
著者 NHK取材班 、 出版 新潮文庫
1999年9月30日、茨城県東海村の核燃料加工施設JCOで起きた、とんでもない事故によって被爆した労働者のその後の死に至るまでの状況を詳しく明らかにした本です。
放射能の恐ろしさが実感をもってよくよく伝わってきて、読んでいるだけでゾクゾクし、ついには鳥肌が立ってきました。
この日、臨界事故が発生し、東海村付近の住民31万人に屋内退避が勧告された。
村に「裸の原子炉」が突如として出現した。まったくコントロールがきかないうえ、放射能を閉じこめる防御装置もないというもの。19時間40分にわたって中性子線を出し続けようやく消滅した。
被爆した労働者は溶解塔の代わりにステンレス製のバケツを使っていた。もちろん違反行為である。バケツだと洗浄が簡単で、作業時間が短縮できるというのが理由だった。
放射能被曝の場合、たった零コンマ何秒かの瞬間に、すべての臓器が運命づけられる。全身のすべての臓器の検査値が刻々と悪化の一途をたどり、ダメージを受けていく。放射能によって染色体がばらばらに破壊されてしまう。染色体はすべての遺伝情報が集められた、いわば生命の設計図であるので、染色体がばらばら破壊されたということは今後新しい細胞は作られないということ。被曝した瞬間、人体は設計図を失ってしまったということ。
うへーっ、これは恐ろしいことです・・・。
皮膚の基底層の細胞の染色体の中性子線で破壊されてしまい、細胞分裂ができない。新しい細胞が生み出されることなく、古くなった皮膚がはがれ落ちていく。体を覆い、守っていた表皮が徐々になくなり、激痛が襲う。
腸の粘膜は血液や皮膚とならんで、放射能の影響をもっとも受けやすい。
腸の内部に粘膜がなくなると、消化も吸収もまったくできない。だから摂取した水分は下痢となって流れ出てしまう。
被曝して1ヵ月後、皮膚がほとんどなくなり、大火傷したように、じゅくじゅくして赤黒く変色した。皮膚がはがれたところから出血し、体液が浸み出していた。全身が包帯とガーゼに包まれ、肉親もさわれるところがない。ガーゼを交換するたびに皮膚がむける。そして、まぶたが閉じなくなった。目からも出血した。爪もはがれ落ちた。
出血を止める働きのある血小板を作ることができなくなっているため、腸の粘膜がはがれると、大出血を起こしてしまう可能性が高い。
下血や皮膚からの体液と血液の浸み出しを合わせると体から失われる水分は1日10リットルに達した。
心拍数は120前後。マラソンをしているときと同じくらいの負担が心臓にかかっていた。
そして、被曝から83日で35歳の労働者は死に至った。遺体は解剖された。全身が大火傷したときのように真っ赤だった。皮膚の表面が全部失われ、血がにじんでいる。胃腸は動いていなかった。粘膜は消化管だけでなく、気管の粘膜までなかった。骨髄にあるはずの造血幹細胞も見あたらない。筋肉の細胞は繊維が失われ、細胞膜だけ残っていた。ところが心臓の筋肉だけは放射能に破壊されていなかった。
放射能の恐ろしさは、人知の及ぶところではない。
福島第一原発事故で、メルトダウンした核燃料棒が今どういう状態になっているのかも明らかでないのに、野田首相は産業界の圧力に負けて、国連で原発輸出は継続すると明言してしまいました。放射能の恐ろしさ、怖さを首相官邸にいると忘れてしまうようです。残念です。情けないです。
(2011年9月刊。438円+税)
2011年9月25日
スピーチの奥義
著者 寺澤 芳男 、 出版 光文社新書
人前で話すのは、とても難しいものです。私も、今ではなんとか慣れましたが、一瞬、頭の中が真っ白になるという経験は何回もしました。焦りましたよ・・・・。
この本は、その克服法が具体的に語られていて、とても参考になります。
聞く人も、とても緊張している。このことを意識するだけで、自分自身の緊張は、かなり和らぐ。自分が聴衆の緊張をほぐさなければという気持ちになったらいい。相手を緊張させまい、自分が緊張している場合ではない。そう思うこと。これで結果として、うまく緊張をほぐすことができる。
面白くなかったという経験をたくさんしているだけに、人々のスピーチに対する期待度はそれほど高くはない。存外おもしろい話を聞けると、ものすごくトクをした気分になる。
スピーチをする以上は話を聞いてもらわなければ意味はない。最初の一分で聴衆の耳目をひきつけられたら、8割方は成功。
聴衆の期待に応えなくては、というプレッシャーから解放されて、自分なりに一生懸命に話すことに集中しようと思うこと。
ウケを狙った作為的なスピーチは十中八九、失敗する。大切なのは、ウケようなどとあざといことを考えず、これを伝えたいんだという情熱に任せて、とにかく自信を持って、突っ走ること。そうすると、内容がそれほど面白くなくても、聴衆は、話し手の必死な姿に心を打たれる。
第一声はジョークにしたらいい。最初に一気に緊張をほぐす工夫が必要だ。ええーっ、そんなこと言われても、ジョークから話を切り出すなんて難しいことですよ・・・・。
自己紹介は、自慢話に聞こえないように配慮する必要がある。
はじめに型にはまった挨拶はいらない。挨拶抜きで、いきなり本題に入ったほうがいい。
私も、日頃そのことを心がけています。急にピンチヒッターを命じられまして・・・・とか、くどくどした弁解話なんて、誰も聞きたくなんかありません。
相手の頭の中に何を残すかを優先して考える。自分の口よりも、相手の耳を意識すること。
人間というのは、不思議なもので自ら弱点を堂々とさらけ出す人のことは逆に信用する。聴衆が話し手である自分に懐疑的もしくは否定的な目を向けているような集まりでは、そんな聴衆の気持ちをまずしっかり受け止めること。その気持ちを代弁しながら、そう思われるのも、ごもっともですと自分の弱点をさらけ出す。これが大切だ。
なーるほど。でもこれって、なかなか出来ないことですけどね・・・・。
人間の集中力は、せいぜい15~20分。長く話すときは、聴衆の集中力の切れる15分を目処に話の切れ目をつくって、注意を喚起することが必要だ。
聴衆が、もう少し聞きたいと思うところで話を終える。8割でスピーチをやめて、ちょうどいい。テーマは、2つ以内にしぼること。どんなに多くても3つに留めたい。
毎日を人生最後の日と思って努力すれば、いずれ望みはかなえられる。もし、今日が自分の人生の最後の日だったら、今日の予定をそのままこなすか?そのように自問自答すること。時間には限りがある。
他人の人生を歩むのはやめよう。他人のつくった固定観念の罠にとらわれないようにしよう。
結論ファースト、これが鉄則だ。最初に1、2分のまくらがあって、すぐに今日はこういう話をすると肝心なメッセージを送っておく。結論を先延ばしにすると、聴衆の気持ちは離れていく。
話が難しければ、難しいほど、平易な言葉で分かりやすく話すことが重要になる。
話すときには動き回ったほうがいい。そのほうが話に躍動感が出てくるし、頭の回転も良くなる。
とても実践的で、役に立つ内容でした。早速つかってみましょう。
(2011年5月刊。740円+税)