弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

社会

2011年11月30日

原子力の社会史

著者  吉岡  斉    、 出版  朝日新聞出版   

 原子力発電所がなぜ日本にこんなにもたくさんあるのか、当局は何を考えてつくったのか、知らなかったことがたくさんあることを認識しました。
 日本は原子力開発利用という民事利用領域においては、軍事利用とは異なって、全面的にアメリカ政府の言いなりできたわけではない。アメリカ政府の干渉が、日本の原子力事業の拡大という基本的路線の障害となるときには、それに頑強に抵抗してきた。つまり、アメリカに対して全面的臣従路線ではなく、限定的臣従路線を歩んできた。
 国際的視点からみた日本の原子力政策の特徴は、民間企業をも束縛する原子力計画が国策として策定されてきたことである。それに関与してきたのが、原子力委員会、電源開発調整審議会、総合エネルギー調査会の三者であった。
原子力開発利用のプロジェクトの原子力開発利用長期計画や、電源開発調整審議会の電源開発基本計画など、ハイレベルの国家計画にもとづいてすすめられてきた。これを根拠として、科学技術庁や通産省は強力な行政的指導を行ってきた。先進国のなかでは日本だけが「社会主義的」体制を現在もなお引きずっている。
 2001年1月の中央省庁再編によって誕生した経産省は、かつての通産省よりも大幅に強い権限を原子力行政において獲得した。従来は文科省との二元体制で両者の権限は拮抗していたが、2001年以降は、経産省の力が圧倒的に優位となった。これによって作り替えられた原子力体制を経産省を盟主とする国策共同体と呼ぶことができる。
 二度にわたる石油危機(1973年の第一次。1979年の第二次)をはじめとする経済情勢やエネルギー情勢の1970年台以降における激変とほとんど無関係に、原発建設は直線的に進められた。原発建設はエネルギー安全保障等の公称上の政策目標にとって不可欠であるから推進されたのではなく、原発建設のための原発建設が、あたかも完璧な社会主義的計画経済におけるノルマ達成のごとく続けられた。
 そして原発事業は数々の困難に直面した。第一に、トラブルの続出。これは軽水炉技術が未完成のものであることによる。設備利用率の低速、修理作業中の労働者の放射線被曝。第二に、原発が生命・健康上のリスクを有する迷惑施設だと国民からみられるようになったこと。第三に、原発について安全性や民主主義などの論争が日常的なものになっていったこと。
 日本が原子力民事利用を包括的に拡大する路線をとってきたことの背景には、核武装の潜在力を不断荷に高めたいという関係者の思惑があった。
 たしかに、いまでも自民党のタカ派議員のなかに原発は日本に核武装能力を高めるために必要なんだと高言している人がいます。恐ろしい発言です。
 1970年代から発電用軽水炉が次々に運転を始めると、現実に大量の廃棄物を生み出すようになり、廃棄物の後始末が検討されるようになった。
 海洋投棄という構想もあったようです。もちろん、南太平洋諸国が猛反対して、これはつぶれてしまいました。
 高速増殖炉では、軽水炉とはまったく事情が異なって欧米からの技術導入が不可能であり、わずかの経験をもとに手振りで開発しなければならない点が多い。模倣したものを徹底して改良していくという日本お得意の技術開発様式が使えないので、信頼の高いハイテク製品をつくるのに困難があった。もんじゅ開発では、コスト低減を重視したため、十分な実証試験をしなかった。
 日本メーカーには原発輸出の実力がない。とくに核燃料サイクル事業の委託サービス(ウラン濃縮、再処理、廃棄物処分)については、ほとんど実績も能力もない。そのため、日本メーカーは契約を履行できない可能性が高い。
それにもかかわらず、ベトナムへ原発を輸出しようとしています。信じられないことです。
 福島第一原発事故は、いくつかの点でチェルノブイリ事故を凌駕している。同時多発的な炉心溶融事故が起き、数万トン以上の放射能汚染水が炉心から漏洩し、広範囲の海洋汚染が起きた。この福島原発事故の歴史的意味は、世界標準炉である軽水炉でも、つまり世界のどこでもチェルノブイリ級事故が起こりうることを実証したことである。
 日本の原子力事業が国民の生活の利便を考えてのものではなく、核武装を狙ったものであったこと、そして、支配層のなかで対立・競争があるなかで原発の安全性が無視されてきたことなど、根本的な問題点をつかむことができました。ノー原発の叫びをあげるためには必読の文献だと思います。1999年版のタイムリーな改訂新版です。
(2011年10月刊。1900円+税)

2011年11月29日

非核兵器地帯

著者  梅林宏道  、 出版 岩波書店   

 世の中には、核兵器を地球上からなくすために毎日こつこつと取り組んでいる真面目な人がいるのですね。安心すると同時に、畏敬の念にかられました。私も少しは見習いたいと思います。核なき世界への道筋というサブ・タイトルのついている本です。オバマ大統領のプラハでの演説によって世界の反核・平和運動が大きく盛り上がり、一気に核兵器廃絶へと突きすすんでいくかと期待していましたが、アメリカでは逆コース現象がひどくなり、ロシアでもかえって核兵器が増えているという報道があります。思うに、軍需産業と結託した政治勢力が巻き返しを図っているのでしょうね。
 原発にしてもそうなんですよね。福島第一原発事故によって、ひとたび原発で事故が起きたら人類は何ものもなしえず、ただ逃げて遠ざかるしかないという恐ろしい事実が判明しました。ところが、今でも電気が停まったら今の快適な生活は保障されないんだぞ、原発事故なんて心配するなと日本経団連会長などは公言しているのですから、恥ずかしい限りです。放射能汚染によって日本に住むところがなくなったら「快適な生活」どころの話ではありません。なにより大切なのは「快適」の前に安全最優先です。
 アメリカは変わらざるをえなくなっている。良質なアメリカは、もはや軍事力の果たす役割に限界があると確実に感じ始めている。他方、あまり質の良くないアメリカは、軍事最強国として軍の世界展開を維持することにこだわっている。心ない日本は、この方向にアメリカの背中を押しそうである。
心ある日本を何とか前に動かしたいというのが著者の願いです。私も、そのお手伝いができたら・・・と思います。
 非核兵器地帯の設立は、理想(核兵器の廃絶)と現実(地域の安全保障)の追求と言う両面を兼ね備えた外交努力である。現在、非核兵器地帯条約は五つに増え、そこに含まれる国は118ヶ国、世界の人口の30%にあたる。
 2007年4月、キッシンジャー元国務長官やシュルツ元国務長官などアメリカの著名な4人の元高官は『ウォール・ストリート・ジャーナル』に共同論文を発表した。
 「冷戦の終焉によって、ソビエト連邦とアメリカ合衆国のあいだの相互抑止という教義は時代遅れのものになった。核兵器に依存することは、ますます危険になっており、その有効性は低減する一方である」
 2009年4月、アメリカのオバマ大統領とロシアのメドベージェフ大統領は共同声明を発表し、冷戦後はじめて両国は核兵器ゼロという目的を共有し、世界に公言した。
 しかし、今、私たちは核兵器世界のなかに住んでいる。核兵器世界のもっとも際立った特徴は、世界の軍事化である。
 1970年に発行した核不拡散条約(NPT)は核軍縮に関しては何の足枷にもならなかった。1970年に世界には3万8千の核弾頭があったが、1986年には6万9千にまで増えた。今なお、地球上には2万以上の核弾頭が存在する。
 現在、アメリカ、ロシア、フランス、イギリスには、あり余る兵器用の濃縮ウランやプルトニウムの在庫がある。現実世界には、核兵器に関して覆うことのできない既得権と物量の格差や不平等が存在し、それらの克服が常に問題となっている。
 アメリカは戦略爆撃機を60機、核弾頭と巡航ミサイルを300発もっている。核任務パトロールはしていない。
 ロシアは75機の戦略爆撃をもっており、それに搭載する8百数十発の核弾頭をもっている。さらに、ロシアは10隻の戦略原子力潜水艦を保有し、160基の水中発射弾道ミサイルを装備し、5百数十発の核弾頭を搭載している。
 フランスは4隻の戦略原潜に64基の弾道ミサイルを装備している。そのための弾道数は240発である。インドは60~80発、パキスタンは90~110発の核弾頭をもつ核保有国である。
 日弁連は2010年10月の宣言で東北アジア核兵器への支持を呼びかけた。
「東北アジア非核兵器地帯」条約が成立する過程が、すなわち北朝鮮が核兵器を放棄する過程にもなる。また、日本も核の傘から脱却する過程になる、という順序で考えるべきなのである。
なかなか貴重な提言が盛りだくさんでした。ノーモア・ヒロシマ、ノーモア・フクシマを今こそ声を大にして叫びましょう。

(2011年9月刊。1800円+税)

2011年11月28日

自分を育てる読書のために

著者  脇 明子・小幡 章子 、 出版   岩波書店

 とてもいい本です。子どものころから本が大好き人間で、今や完全な活字中毒症の私にとって、読書ってこんなに大切なんだよと分かりやすく語り明かしてくれる、このような本は涙があふれ出てくるくらいに嬉しい本なのです。
 中学校の図書室で司書として子どもたちに、本を読む楽しさを伝える実践に明け暮れていた日々が語られています。子どもたちの反応が面白いのです。司書として著者は、あの手この手を駆使します。それによって一度、いったん目を開けた子どもたちは大作に挑戦していきます。私も上下2巻とか、5巻本というのは怖くありません。600頁もある本だって平気です。
 子どもが本を読んだら、どんないいことがあるか、と問いかける。その答えは・・・。
第一に、想像力が伸びる。第二に、記憶力だって伸びる。そして、第三に、考えるヒントがもらえる。
子どもたちは、大人から本を読みなさいといわれ続けているけれど、なぜ読まなくてはならないのかについて、納得できる説明をもらっていないことが多い。
 読書から得られるアドバイスのありがたさは、それを無視して失敗しても「だから言ったでしょ」とは決して言われないこと。どの物語のどのアドバイスに従おうと従うまいと、本は知らん顔で、何も言いはしない。
 そうなんですよね。でも、ともかく、本は想像力を豊かにしてくれます。映画はビジュアルにしてくれますが、本の想像力にはかないません。なにしろ、頭の中は縦横無尽。なんの制約もないのですから・・・。
 子どもたちが本を読まなくなった。そして、せいぜいケータイ小説に夢中になっている。
 しかし、本来なら、小学生・高校生から大学生にかけての時期こそが本を読むのを大切にしてほしい時期なのだ。思春期にあたるこの時期は、嵐の海を渡るように危なっかしいものであるにもかかわらず、大人からの直接的な手助けが受けにくくなるのが普通だから。
 私は小学生のころは偉人伝を読みふけっていました。リンカーン伝とか野口英世伝です。中学校のときも図書室にはよく行って山岡壮八の「徳川家康」を読了したことを今でも覚えています。高校生になると、図書室に入り浸りで、古典文学体系で日本の古典を原典で読んでいました。もちろん注釈付きの本ですが・・・。世界文学全集にも手を出して、世界を広げました。ヘルマン・ヘッセの「車輪の下」とか、読みましたよ。
今の子どもたちは、お互いに顔色をうかがって言いたいことも言えずにいる。そして、他人(ひと)の気持ちを推し量るのが苦手な子が多い。だから、さんざん気をつかいあう割に、トラブルが絶えない。子どもたちの世界も大変のようです。
司書は一人一人の子どもの特性と好みをつかんだうえで、その子にあった本をすすめる。そのためには前提として本をよく読んでおかなくてはいけない。この本のなかで紹介されている本で、私が最近読んだものに、『トムは真夜中の庭で』というのがありました。不思議な小説で、結末を知りたくて最後まで読みました。『冒険者たち』も近いうちに再読しようと思っている本です。
 司法試験の勉強をしているときには、『天使で大地はいっぱいだ』という本を牛久保秀樹弁護士にすすめられて読みました。とげとげしくなった心がほんわか温まった記憶があります。
いい本は、本当にいいものですよね。こんな司書のいる中学校の生徒たちは幸せです。豊かな人生が楽しめるはずですからね。
(2011年6月刊。1700円+税)

2011年11月25日

橋下主義を許すな

著者  内田樹・香山リカほか  、 出版 ビジネス社   

 「今の日本の政治で一番重要なのは独裁」
 「政治家を志すっちゅうのは、権力欲、名誉欲の最高峰だよ」
 「ウソをつけない奴は政治家と弁護士にはなれないよ。ウソつきは政治家と弁護士の始まりなの」
 「生まれたての赤ちゃんから大人になるまで、教育は強制そのもの」
 「日本再生の切り札じゃないか。カジノ、これしかない」
 「小さな頃からギャンブルをしっかり積み重ねて、全国民を勝負師にする」
 これらすべてが橋下徹語録です。恐ろしいことに、こんな馬鹿げた言い分を20代、30代の若者が喝采しているのです。ウソつきは弁護士の始まりだなんて、とんでもないことです。自分はウソばっかりついて弁護士をやっていたのでしょうが、自分の体験を一般化してほしくはありません。
若者にうけている背景には、閉塞した社会を生きる市民のやり場のない不平不満のたまりにたまった蓄積がある。
 まことにそのとおりなんだと思います。
今という時代は、政治変革のあとの幻滅にみんなが浸っている状況である。所詮、民主政治とは、幻滅と希望の繰り返しである。
 あなたのウップンを晴らしますよというウップン晴らしの専門家に任せてしまって自分たちで考えることをしないと、もっと大きな問題を作りだすことになる。 
橋下は議論を否定している。ハシズムは政治の否定である。橋下は、人間をバラバラに分断して、個人個人で責任をとれ、個人でがんばれという渦の中に放り込もうとしている。
 橋下徹のやり方は、軍隊的官僚主義と能天気きわまりない単純な市場競争主義の混合物である。新自由主義でありながら、軍隊式である。
極端が極論のまま暴走して、そこに人々がスリルと魅力を感じている。どちらに行くのか分からない独裁をあえて作り出して、面白がっているのが橋下の政治である。
橋下は活字での発言はしない。それで、人々を瞬間芸の世界に巻き込む。その場その場で、一貫性がない、橋下は手を変え、品を変え、いろいろ皆の目をそらしながら、見世物をやってきた。
 子どもは商品じゃないし、人材でもない、彼らは次代の我々の共同体のメンバーなのである。
橋下の提唱する教育基本条例は根本的に間違っていますよね。ところが、それに手を叩く若者が少なくないところに今日の社会の異常さがあります。橋下が大声で叫べば皆が目をそむける。そんなあたりまえの大阪であってほしいと心から願っています。いま
貴重な一冊です。ぜひ、とりわけ大阪の人々に読んでほしいと思います。


(2011年11月刊。800円+税)

2011年11月23日

日本人事

著者   斉藤 智文・溝上 憲文 、 出版   労務行政

 企業の人事部で現に活躍している人、また過去に活躍していた人が次々に登場してきます。人事部の裏面は出ていないので、きれいごとだけですませていないのか、そんな疑問を感じながらも読みすすめました。まあ、それにしてもさすがは人事のプロですので、その指摘はもっともだなと言うところが多々あり、勉強になりました。
 無印・良品で有名な良品計画の社長は私と同世代、学生運動に身を投じて逮捕・拘留されたこともあるとのことです。びっくりしました。今では経営のトップなのですからね。
 大事なのは部下である。上司はいずれなくなるが、自分がいなくなるまで長くつきあうのは部下である。上司に気をつかうより部下を大事にしなさい。なーるほど、ですね。
 自分はダメだという思い込みが曲者(くせもの)だ。ダメだと感ずるだけで、どこがダメなのかを具体的に合理的に考えない。それは知識のなさとか技術の未熟であったりする。いずれも、後天的なもの、努力すれば身につくものがほとんど。自分はダメだという概念が、自分という存在はダメだということになり、必要以上に自分を傷つけてしまう。
 なるほど、自己肯定感って大切なんですよね。若いときから、自分はダメだというのではなく、自分もこれがやれる、これならやれるという確信を持たせる、持てるようにするのが大切だと思います。
 江崎グリコは、従業員の雇用を大切にする。これは創業以来の変わらぬ経営理念。これまで希望退職をふくめて、強制的な退職施策をしたことがない。ふむふむ、この会社は非正規雇用はいないのでしょうか・・・?
 取締役になると、入ってくる情報の7割は嫌なことばかり。組織の上に立つと、困ったことや嫌な情報だけが上がってくる。これはNECの人事部にいた人の言葉です。
しかし、悪い情報が上に上がってくる会社はいい組織である証し。業績が低速すると、まっ先に人に手をつけようとする企業が増えている。そこでは、社員をコストと考える風潮が蔓延している。
 本当にそのとおりです。終身雇用制という言葉はもはや死後になってしまったかのようです。使い捨ての駒のようにポイ捨てされる非正規雇用がありふれ、若者が将来展望を持てず、企業もユニークなアイデアが生まれる源泉が枯れはじめています。ソニーの業績低速はそのためだという指摘があります。
 もっと人事部のホンネの部分を聞いてみたいものだと思いました。
(2011年10月刊。1800円+税)

2011年11月22日

もう原発にはだまされない

著者    藤田 祐幸 、 出版   青志社

 原子力発電所で炉心溶融事故(メルトダウン)を起こす原因はいくつもある。
 その一は、配管破断事故。何らかの理由で主蒸気配管が破裂すると、一瞬にして蒸気が噴出し、原子炉が空焚きになり、炉心溶融に突入してしまう。この大口経配管破断事故は過去に起きた実績がある。2004年8月に福井県美浜原発で起きた。
 もう一つは、全電源喪失事故。原子力発電でありながら、原発が停電したらどうなるかという問題。これが今回起きたわけだが、これまで、「停電になることは、ありえない」と国も電力会社も言い続けてきた。
 1980年、フランスのラ・アーグ核燃料再処理工場で、事故が起きて従業員があきらめ、「家族と一緒に死にたい」と帰宅していったという深刻な事態が発生した。このときは、近くのフランス海軍の兵士たちが決死隊をつくって突入し、電源を回復してポンプを回すことに成功して事なきを得た。もし、これが成功しなかったら、フランスからドイツまで深刻な放射能被害にあったはず。
 福島第一原発では、メルトダウンが起きていることは分かっていても、原子炉のなかで一体、何が起こっているのかは予測しがたい。しかし、原子炉が体をなしていないことは確実だ。
 福島第一原発事故では、「止める」ことには成功したが、停電のために「冷やす」ことに失敗し、相次ぐ水素爆発によって「閉じ込める」ことにも失敗した。
 原発建屋内で作業員が着ている防護服は、放射線に対してはまったく無力。防護服は放射性物質が身体に付着しないように加工してあるだけ。被曝を避けるためなら、厚さ5センチもの鉛の鎧を着なければならない。それでは重すぎて、とても仕事にならない。なんと、あの防護服は放射性物質が付着しないように加工されているだけだというのです。これでは心配ですよね。
 そのうえ、政府は福島原発について内部補修を行う労働者の被曝濃度を50ミリシーベルトから100ミリそして210ミリシーベルトに上げていった。
 内部被曝は長期間に免疫力や抵抗力を低下させかねない。
 原発事故の本質、それに至るまでの問題が見事に整理されています。読みすすめるのが恐ろしいのですが、目をそらすわけにはいきません。政府・東電が工程表を発表して、何となく事故対策が進んでいる気にさせられていますが、今も放射能が空中そして海中・地中に拡散しているのは事実です。原発は一刻も早く日本から廃絶するしかありません。
(2011年8月刊。1500円+税)

2011年11月21日

回転寿司の経営学

著者   米川 伸生 、 出版   東洋経済新報社

 私は恥ずかしながら回転寿司店なるものに一度も行ったことがありません。外から店内を見て、あのぐるぐる回るすしの姿にベルトコンベアーに向かって働かされる流れ作業の工員を連想し、そんな状況に我が身を置くことへの拒絶反応を抑えがたいのです。
 この本を読んで、昨今の回転寿司の実情を知り、いささか偏見を取り除きました。でも、まだ店内へ入ってみようという気にはなりません。これはマックやケンタの店に入りたくないのと同じ気分です。
 いまの日本には、回転寿司店が4000店ある。100円寿司の大手チェーン店が、その3割を占める。100円均一の店舗は他に1000店はあるが、100円寿司の業界勢力は全体の半分ほど。業界は100円均一店とグルメ回転寿司に二極化されていて、どっちつかずの店は衰退の一途をたどっている。
 100円寿司大手チェーンの躍進は、ボックス席の成果である。ゆったりとボックス席で家族だけの時間を過ごせる。そもそも回転寿司は、アミューズメント・パークなのである。うむむ、そういうわけなんですか、ちっとも知りませんでした。
一般的な外食産業の原価率が30%であるのに対して、回転寿司では40~50%があたりまえ。
 回転寿司は、仲買人を通さず、漁港や漁船から直接買い付ける。釣り人から釣った魚を直接買い受ける店まである。さらには、海外で養殖している業者もいる。
 回転寿司が誕生したのは1958年。コンベアの特許の切れる1978年までは元禄寿司の一人舞台だった。
 1991年に広辞苑に回転寿司という項目が登場した。
 1998年、高級回転寿司店が誕生。
低価格の回転寿司は、全国的にシャリは甘め。これは子ども向けを意識しているから。東日本ではシャリは酢と塩が立っていて、関西から南へ行くにつれ、シャリは甘くなっていく。
 回転寿司のマグロは、「客寄せパンダ」の役割を担っている。
 回転寿司の市場規模は4358億円。2008年までは毎年5%以上も伸長していた。2010年は前年比2%増。上位三社(「かっぱ寿司」、「あきんどスシロー」、「無添くら寿司」)で55%を占める。
 大手100円寿司チェーンでは、コンピュータシステムを導入して、そのときの来店客数や客層から、どの寿司をどれだけ流せばよいのか適宜指示が発せられる。子どもが多ければ、子どもに人気ネタを多く流すなど、効率よくレーンを埋めている。
 回転寿司、恐るべしだと思いました。
(2011年9月刊。1600円+税)

 日曜日にフランス語検定試験(準一級)を受けました。この一週間は10年間の過去問を復習し、「傾向と対策」を繰り返し勉強しました。
 終わったあと大学の構内を歩く夕暮れの寒風に吹かれて身の縮む思いでした。
 早速、答えあわせをしました。いつものように自己甘の採点で76店(120点満点)です。なんとか一次はパスできそうです。パスしていると、1月に口頭試験を受けます。これがまた緊張の一瞬です。
 最近、大学生のときの夢を久しぶりのに見ました。全然授業に出ていなくて、兄が心配して忠告してくれたのですが、もうどうにもしようがなく、中退するしかない・・・という切羽詰まった状況でした。現実には、そのような状況になったことはありません。というか、大学2年生のころには1年ほど、ストライキのために授業そのものが受けられませんでした。
 それにしても私も若いものですね。大学気分に浸っているのですからね。これも仏検のおかげです。

2011年11月18日

死ぬという大仕事

著者 上坂冬子、 小学館 
 
 作家である著者はがん闘病記を連載しつつ、2009年4月14日、78歳で亡くなりました。
 2005年に卵巣がんが発見されて手術して切除したあと、強い副作用に苦しみながら抗がん剤治療に耐えて、いったんは元気な体を取り戻した。しかし、がんは3年後に再発し、2008年10月、慈恵医大病院に入院した。そこでは緩和ケアを受けることになった。
担当医は次のように語る。
 「がんという病気は、進行するのにある程度の時間がかかる。だから、患者に早い段階で告知し、その後の治療や人生をどう設計するか、じっくり考えてもらうことが必要だ」
 なるほど、と思います。
 緩和ケアが患者より良い人生を考えた全人的治療であるためには、医師には医学の知識だけではない洞察力や人間性が求められる。そしてまた、患者の側も、医師を信頼し、希望を持ち続けることが大切だ。なるほどなるほど、よく分かります。
  ホスピスケアと緩和ケアには決定的には違いがある。ホスピスに入るのは、もう手の施しようがなくなってからのこと。しかし、緩和ケアは、もっと積極的なケアを提供する。
がんの告知を受けた患者はいくつかの心理ステップを踏んでいく。はじめは否認。次は怒り。そして取引が始まる。そのあと、抑うつの時期を経て、最終的に受容という状態になる。あるがままを受け入れようという気持ちになる。
 いやあ、そうはいってもこればかりは、なかなか受容の境地にはなれませんよね・・・。
 腫瘍は、あるところを越えて、加速度的に病状が進むようになると、年齢には関係なく、手がつけられない状態になる。腫瘍は徹底的に自分本位で、自分だけが大きくなろうとする。
 余命が1ヶ月以内だと医師は分かるが、それ以上だと医師の予測はほとんど当たらないというデータがある。それくらい個人差が激しい。
 女性は枯れ木がしぼんでいくような亡くなり方をするのに対して、男性はポキッと折れるような亡くなり方が多い。
 うむむ、こんな表現ができるのですか・・・。
 抗がん剤は効かないことも多いが、それでもだらだら治療を受けている患者がいる。
 患者は、身体がつらくても、希望が持てるから精神的には楽。このため、医師と表面的には利害が一致することになる。
医師であっても、自分の父親に抗がん剤を使ってしまう。副作用が辛いと分かっていても。なぜなら患者も家族も希望をもっていたいから。また、製薬会社が抗がん剤をできるだけ広めようとしている影響もある。
著者は緩和ケアのおかげで、途中で好きなフランス料理を味わって楽しめるようにまでなったのでした。抗がん剤の副作用に苦しんで、歩けなくなったり、吐気がひどくて食事もできないというのでは、どれだけそんな生活に意味があるのか考えさせられますね。
 すごい闘病記でしたが、著者のあっけらかんとした書きっぷりに惹きこまれて一気に読了しました。
         (2009年9月刊。1200円+税)

2011年11月16日

これでいいのか小中一貫校

 
 著者 山本由美・藤本文朗・佐貫浩、 新日本出版社 
 
 小中一貫校がもてはやされています。公立学校でのことです。本書を読んで、その狙いの一つが大規模校舎をつくることにあるのを知って、なんだゼネコンのための大型箱モノづくりの一つなんだと知りました。
 教職員の人件費は切り下げて、建設費は一挙に上げようというのです。まさしく「人から施設」です。教育の分野でまで、そんなことをしてほしくありませんよね。
 品川区は小中一貫校をすすめているが、職員給与比率は20%から12.7%へと劇的に低下した。その代わりに、投資的経費は12.8%から28%へと倍以上に増えた。
 新校舎の建設費は30億円から60億円という多額である。これは都市再開の起爆剤と位置付けられている。
 大阪、箕面市では、小中貫校はPFI方式で運営される。民間資本の活用による公共施設の設備・運営である。
 うへーっ、教育まで企業のもうけの対象にされるなんて、とんでもないことです。
 横浜市は小中一貫校の一校目が不調だったのでトーンダウンしたが、全国では東京・兵庫・宮崎・大阪・京都・栃木において複数の市が実施している。
 早くからエリート校をつくってエリートを選別していくという思想にもとづく動きだ。よりわける、け落とす、あきらめさせるという選別と競争を進める役割を果たすものだ。
 小中一貫校で、生徒の「荒れ」がひどくなっているという報告もある。
 小中学校教育文化の大きなメリットの一つはクラス担任制である。それが小中一貫校では教科担任制の導入となる。
 小学5年生、6年生は、全校のリーダーとしての誇りと責任意識を身につけさせることで、社会的自立に向けて育てると位置づけられてきた。小中一貫校ではそれが出来なくなってしまう。
 私は、これって大きいことだと思いました。中学生がいないからこそ小学校の最上級生としての誇りがあり、責任感がまっとうできるのです。小学校でそれなりの自信をつけることの意味は決して小さくないと私も思います。
 中学校的文化は小学生の段階をきちんと経てから体験をさせたいものです。
 異なる学校文化を持つ小学校と中学校とのあいだを移行する過程において、子どもは発達的な適応と再適応を求められる。
 そして、小中一貫校では学区が広域化することになりがちです。学校統廃合がなされたとき、地域との結びつきを絶たれて、子ども達がバス通学するようになるのです。
 校区が広がると、友だちと簡単に遊べず、遊びを通して地域を知る機会も減る。親たちも子どもの生活を見守るのが難しくなる。学校と地域との関係は重要である。私もそう思います。身近で遊べる環境を子どもたちから奪うなんて罪つくりなことです。
 教育がエリート層を育てることにあるなんて財界が言うだけと思っていました。しかし、橋下大阪府知事(当時)が言い出し、多くの府民がそれを支持しているというのです。我が子だけはなんとかしてエリート層にもぐり込ませたいという親の願望にかなったものなのでしょうが、全員がエリートになれるはずはありません。そんな幻想をきっぱり捨てて、みんな違って、みんないい。このような豊かな個性が尊重される教育でありたいものです。
         (2011年9月刊。1600円+税)

2011年11月15日

チェルノブイリ・ハート

 著者 マリアン・デレオ、 合同出版 
 
  わずか90頁あまりの少ない写真集なのですが、まさしく衝撃の告発集です。
 ともかく正視できないのです。むごい写真がいくつも登場します。思わず目をそむけたくなります。でも、勇気をふるってじっと見つめました。
 ま、まさかという写真です。脳が頭蓋骨に収まらず、後頭部に突き出している子どもがいます。信じられない奇型です。生きている子どもなんですよ・・・。
 背中から内臓が突出し、大きく垂れている。膨れた袋の中にあるのは肝臓で、足はまったく動かせない。看護師に抱かれている可愛い顔をした男の子の写真です。
 この本はアカデミー賞を受賞したドキュメンタリー映画を本にしたものです。
 1986年4月26日、史上最悪の原発事故が発生。190トンの放射性ウラニウムと放射性黒鉛を大気中に拡散させた。そして、のべ60万人も事故処理作業員(リクビタートル)が出動し、処理にあたった。彼らは大量の放射能を浴びた。事故以来、死亡したリクビダートルは1万3000人以上。
 このチェルノブイリ事故当時に幼少期や思春期だった子どもたちが、甲状腺がん多発の年齢層と重なる。ゴメリ州の甲状腺がんの発生率は、チェルノブイリ事故のあと1万倍に増加した。
 放射能の影響と断定はできないが、心身の障害児は増加傾向にある。
 水頭症の子どももたくさんいる。未熟児の増加は大きな問題となっている。むしろ健常児の生まれるのは15~20%にすぎない。遺伝子破損の患者が大勢入院している。遺伝子の破損によって子どもも次々に亡くなっている。
 汚染地区には、いまなお600万人もの人々が居住している。年間300人の子供が心臓手術を必要としている。心臓に複数の穴が開く先天性障害の子がチェルノブイリ事故のあと増加傾向にある。
チェルノブイリの原発炉跡を追おう石棺は早急に修理しないと非常に危険な状態にある。ひとたび石棺が崩壊し、まだ原子炉内に97%も残っている放射性物質が飛び出したら、世界中が深刻な被害を受けることになる。
 今、フクシマはチェルノブイリと同じレベルの原発事故を起こしたとされています。ところが、福島県内にはかなりの汚染濃度のある地域に人々が住み続けています。この写真で紹介されているような事態が起きないという保障はないのではありませんか・・・?
 「今すぐには影響は考えられない」という耳タコの説明は、何年後かにはチェルノブイリのようになる可能性があるとも解されます。原発は本当に危険すぎます。すぐに全停止すべきです。人類がこの地球上に生存するために必要なことです。みんなで声を上げましょう。
目をそらせない貴重な写真です。ぜひ手にとってご覧ください。
         (2011年10月刊。800円+税)

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