弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

社会

2011年11月14日

世界一のトイレ、ウォシュレット開発物語

著者   林 良祐 、 出版   朝日新書

 毎日、大変お世話になっているトイレの便器のお話です。なるほど、日本人の繊細さによくマッチした製品はこうやってつくるのか、感嘆しながら読みすすめました。
 日本はケータイもガラパゴス的に特異な進化をみせているが、トイレについても同じことが言える。3年もすれば「古い」と言われる。本当にそのとおりです。今どきは、駅のトイレでもウォシュレット式は普通になっています。ホテルやレストランでウォシュレットになっていないと、ここは設備投資が遅れているなと不満を感じてしまいます。ましてや和式便器なんて、論外です。観光地で昔ながらのボットン式なんていったら、もう悪評ぷんぷん、誰が次から来るものですか。
 ところが、先日行ったフランスでは違うのですよね。駅ではトイレを探しあてるのに一苦労します。最近は行っていませんが、中国でもびっくりさせられましたね。
温水洗浄便座の家庭の普及率は71%。累計の出荷台数は3000万台をこえた。今や旅行のための携帯用のトラベルウォシュレットが人気で、隠れたロングセラーになっている。さすがの私も、これはまだ持っていません。
 日本人は毎日、お風呂に入って身体を洗う、きれい好き。新しいものへの抵抗感が少ない。まったく、そのとおりです。だからウォシュレットが世界に先駆けて普及しました。
お湯の温度は38度、便座の温度は30度、乾燥用の温風は50度が最適。そして、ノズルで水を出す角度は43度。ビデの方は53度。おしり洗浄は3穴、ビデ洗浄は5穴。うむむ、みんな決まっているのですね。
 ウォシュレットの語源は、レッツ・ウォッシュ。これを逆さにしたもの。今から30年前の1980年6月に完成した。
 1982年、「おしりだって、洗ってほしい」のテレビCMが茶の間に夜7時のゴールデンタイムに流れた。初めは恐る恐るだったようです。意外にも反発はされなかったとのこと。
 においをとるために、オゾン脱臭方式がとられた今では、オゾンを使わずに、空気中の酸素を有効に使う、触媒脱臭方式へ進化している。
TOTO小倉工場は小倉城に近い市街地にある。東京ドーム4個分という広大な敷地で1日あたり2000台の便器を生産する。1台の便器が完成するまで8時間かかる。
 ここでは、便器の原料として、岡山(備前焼)県産の陶石、滋賀(信楽焼)県産の長石、愛知(常滑焼)県産の粘土を混ぜ合わせる。海外の工場では現地産を中心に調達している。
 空気混入ノズルは、水に空気を含ませることで、水の粒を大型化し、従来の水量の65%の量でも、たっぷりとした量を浴びているような浴び心地になるもの。低速で噴射した水に高速で噴射した水をぶつけると、後から出た水が追いついて、水の表面張力によって固まり、水玉ができる。ワンダーウェーブ洗浄では、1秒間に70回以上の脈動を与えることにより、流量2分の1で、洗浄力は2倍アップを実現した。しっかりとあたる強い吐水と、水をセーブする弱い吐水を1秒間に70回以上繰り返して水玉を連射し、2倍の洗浄力を可能にした。
 便器のほうも、いつまでも汚れがつきにくく、落ちやすい便器を開発した。ナノレベル(ミクロンのさらに1000分の1、100万分の1ミリ)に平滑なガラス層を設けることで汚れをつきにくくした新素材「セフィオンテイト」をつくり出した。これには汚れをイオンの力で跳ね返すイオンバリア効果もある。すごいですね、これって・・・。
 日本人の生活用水の使用量は1人1日あたり298リットル。この20年間、横ばい状態。使用量の第1位はトイレ(28%)、2位は風呂(24%)、3位は炊事(23%)、4位が洗濯 (16%)、5位が洗顔・その他(9%)。そして、日本全体で1日に東京ドーム37個分の水がトイレの洗浄に使われている。
 そこで、TOTOでは、2006年以降、洗浄水量を6リットル、5.5リットル、4.8リットルと削減していった。
たかがトイレの便器、されど毎日お世話になるトイレです。ありがたいものです。すごい苦労があることを知って感謝感謝です。
(2011年9月刊。720円+税)

2011年11月 8日

福島の原発事故をめぐって

著者    山本 義隆 、 出版   みすず書房

 著者は、かの有名な東大全共闘の元代表です。「敵は殺せ」をスローガンとして、バリケード占拠・帝大解体を呼号して乱暴狼藉を働いていた集団のリーダーでしたから、率直に言って、今でもあまり印象は良くありません。ただ、東大闘争については一切のマスコミ取材を拒否し続けてきたことでも有名ですので、何かしら忸怩たる思いか、思うところがあるのでしょう。
 まあ、それはともかくとして、科学史家としても高名な著者が福島原発事故をどう考えているのか知りたくて読んでみました。すると、とても素直な筆致で、すっきり原発それ自体の間違いを指摘した内容であり、著者の思いがすんなり胸に入ってきました。わずか90頁あまりの小さな本ですが、原発についての指摘としては、ずっしり重たい内容だと思います。
 日本で原子力発電所の創立は、核の技術を産業規模で習得し、核武装という将来的選択肢も可能にしておくという大国化の夢であった。つまり私企業としての電力会社の自発的な選択としてではなく、政権党の有力政治家とエリート官僚の強いイニシアチブで進められたものだった。
 原子力発電の真の狙いは、その気になれば核兵器を作り出しうるという意味で核兵器の潜在的保有国に日本をすることに置かれていた。核の平和的利用と軍事的利用とは紙一枚の相違である。いや、紙一枚すらの相違もない。
 日本における原子力開発、原子炉建設は、戦後のパワーポリティックスから生まれた。岸首相にとって、「平和利用」のお題目は、鎧のうえに羽織った衣であった。
 アメリカから日本に導入されたのは黒鉛炉ではなく、軽水炉だったが、それは黒鉛炉が原爆製造のためのものであって、この副産物によるプルトニウム生産が日本の核武装につながることをアメリカ政府が懸念したことによる。
 日本は、今では核兵器1250発分に相当する10トンのプルトニウムを貯めこんでいる。これは、アメリカ、ロシア、イギリス、フランスに次いで世界で5番目であり、アジアでは断トツに多い。
 先日、ドイツが脱原発を宣言したが、それはドイツが今後も核武装をする意図はないことを国際社会に明確なメッセージを送ったことを意味する。
原子力発電は、無害化することが不可能な有害物質を稼働にともなって生み出し続けるものであって、未熟な技術と言わざるをえない。
 原子力発電は、日常的に地球環境を汚染し、危険で扱いの厄介な廃棄物を生み出し続け、その影響を受益者の世代からみて何世代、いや何十世代も先の人類に負の遺産として押し付ける。
 原子力発電は、たとえ事故を起こさなくとも、非人道的な存在なのである。
 原発は、その事故の影響は空間的には一国内にすら止まらず、何の恩恵も受けていない地球や外国の人たちにさえ及び、時間的には、その受益者の世代だけではなく、はるか後の世代もが被害を蒙る。
 原発を止めれば今のような快適な生活はできなくなるという電力会社の主張は信じられない。しかし、もしもそのとおりであったとしても、生活がいくら不便になるとしても原発は止めなければならない。地球の大気と海洋そして大地を放射性物質で汚染し、何世代、何十世代もあとの日本人、いや人類に、何万年も毒性を失わない大量の廃棄物、そして人の近づくことのできない、いくつもの廃炉跡、さらには半径何キロ圏にもわたって人間の生活を拒むことになる事故の跡地などを残す権利は我々にはない。そのようなものを後世に押し付けるというのは、子孫に対する犯罪そのものである。
 いやはや、まったく著者の言うとおりだと思います。今なお、原発に頼ろうという人の正気を私は疑います。

(2011年10月刊。1000円+税)
 弁護士会で日の丸・君が代問題についてディベートをやりました。聴衆は大学生がほとんどだったのですが、どちらが説得的だったかの投票結果は17対12でした。つまり、日の丸・君が代の起立・斉唱の義務づけは合意だというものです。若い人には、なんでそんなことに目くじらたてるのかという感覚が多いこともアンケート結果で分かりました。日本が侵略戦争をしてきたことの反省が十分に伝えられないのではないかと感じ、いささかショックでした。

2011年11月 7日

五感で学べ

著者    川上 康介 、 出版   オレンジページ

 読んでうれしくなる本です。だって、日本の農業を担う若者たちが、こんなに育っているのを知るなんて、とても喜ばしいことじゃありませんか。
 そして、その若者育成法は半端ものではありません。昔から軟弱な私なんか、一日で脱落しそうなハードさです。今どきこんな寮生活が考えられますか?
 全寮制で相部屋。朝7時に起床し、夜11時に消灯。門限は午後10時。寮内での飲酒は厳禁。テレビは禁止、ケータイも制限あり。外出、外泊は要届出。ケンカしたら、即刻退学。在学中は、帰省したときもふくめて、自動車・バイクの運転は禁止。部屋の整理整頓、掃除は義務で、月1回は校長による抜き打ち検査あり。うひゃあ、これはすごーい・・・。
 本科生(1年生)60人、専攻生30人。18~24歳の男子限定。ところが入学費・授業料・寮費・会費はすべて無料。ええーっ、では、誰が費用を負担しているの・・・?
しかも、研究費として、専攻生で月に1万6千円、本科生に月1万2千円が支給される。これって、いわば小遣いですよね。
 ここはタキイ種苗が設立した農業エリート養成所。正式名称は、タキイ研究農場付属園芸専門学校。なんとなんと、こんな専門学校が日本にあったのですね。ちっとも知りませんでした。私の日曜園芸はもっぱらサカタのタネを利用しているのですが、タキイって、こんな素晴らしい専門学校を運営しているのですね。すっかり見直しました。
 ちなみに、タキイの種苗は従業員700人、海外11ヶ国に拠点をもち、売上高424億円という日本最大、世界第4位の種苗会社。江戸時代の天保6年に創業されたというのですから、恐れいります。
 学校運営の経費は年間1億円。巨額ですが、それで日本農業の骨格をつくりあげるわけですから安いものですよね。国の援助がないのが不思議でなりません。
 新入生は、高卒37人、大卒12人、農業大学校卒が4人、専門学校卒1人。定員60人に90人の応募があったという。これは、近年の農業志向の見直しによる影響。
 生徒たちは、ここでハードな実寮生活を過ごすと、確実にやせ、タフになる。100キロの体重が、あっという間に80キロにまで落ちる。
 ここでは、トラクターではなく、原則として、すべて人力で行う。ここは、徹底した集団生活のなかで鍛えられる。誰も、ひとりぼっちにしない。濃密な人間関係が作られ、それは卒業してから生きてくる。農業は一人ではなく、集団の知恵で営まれるもの。
いかにもハードな実習と生活ですが、ここには哲学が生きていると思いました。
 こんな専門学校があることは、もっと世の中に知られていいと強く思いました。
 それにしても、この取材のために40歳の身でありながら実習に参加した著者に対して、心より敬意を表します。

(2011年7月刊。1429円+税)
 今度、事務員3人が秘書検定試験を受けることになりました。初めてのことです。そのためのテキストを少しめくってみたところ、弁護士も知っていたほうがいいことがいくつもありました。
 私もフランス語検定試験(準1級)を近く受験します。毎年2回の苦難の日です。それでも、少しは集中して単語を覚えますので忘却を食い止めるのには役に立っています。

2011年11月 3日

「原子カムラ」を超えて

著者   飯田 哲也・佐藤 栄佐久 河野 太郎

 この本のオビに坂本龍一が「国土を汚し、子どもを危険に曝した原子カムラを解体しなければならない」と書いていますが、まことにそのとおりです。
 ところが、今朝(10月16日)の新聞によると、国会議員の6割が原発再開に賛成だというのです。とんでもない議員たちです。
 これまでも原子力関連施設は、たびたび重大なトラブルを引き起こしてきた。
 1995年12月 高速増殖炉「もんじゅ」でナトリウムもれ事故が発生。
 1999年9月  JCO東海事務所の臨界事故で作業員2人が死亡。
 2002年8月  東電による福島第一・第二原発、そして柏崎刈羽原発でのトラブル隠し発覚。
 2004年8月  関西電力の美浜原発で配管破断事故が発生して作業員5人が死亡。
 2007年7月  新潟県中越地震によって柏崎刈羽原発で火災が発生。
 これらの事故・不祥事のたびに、電子力会社の経営陣は深々と頭を下げ、国は「遺憾の意」を表明し、「再発防止の徹底」を宣言した。ところが、同時に、「それでも原発は安全だ」と言い張ってきた。そして、そろって妄想のような「安全神話」をつくり上げた。
 原子力カムラの解体が一筋縄で進むとは思わない。閣僚などは、今なお「原発は安全だ」「原発はエネルギー政策の基本だ」と高言している。
 玄海原発のやらせメールが発覚しても、経営トップの責任をがんとして認めようとしない九州電力の対応、態度を見ていると、こんな会社に日本の将来をまかせておくわけにはいかないと痛感します。まるで、昔の殿様、それも裸の王様です。
 この本は、著者のうちの二人、「佐藤さんも、河野さんも、バリバリの自民党、それも保守本流だ」というところに特色があります。そうなんですよね。今や脱原発は、右とか左とか、保守か革新かを聞かず、日本という国土を安全なまま子孫に残すために必須不可欠のことです。
 安全神話の内実は、アメリカの技術の引き直しでしかなく、安全審査なるものもお座なりでしかないことが明らかにされています。それだけでも、背筋がぞくぞく凍るような話です。
 福島第一原発の事故は明らかな人災である。
 今も福島第一原発からダラダラと放射能が出続けている。しかし、それをコントロールできていない。この恐ろしい事態をきちんとマスコミが報道せず、多くの人々が忘れ去っているのは本当に怖いことです。
 経産省が5月に発足させた「エネルギー賢人会議」のメンバーを選定する基準は、次の三つ。
① 誰がみても大物であること
② 原子力を完全に否定しないこと
③ 官僚の振りつけにそった落としどころにきちんと従ってくれること
 うひゃあ、そうやって選ばれたなかに、かの有名な立花隆も寺島実郎、そして佐々木毅もいます。こりゃあ、いったいどうなっているんでしょうか。困ったことですね。
(2011年7月刊。1000円+税)

2011年10月28日

原発はいらない

小出 裕章 、 幻冬舎ルネサンス新書

 著者は安全な原発などないと断言しています。
 全国各地にある原発は、地震や津波とは無関係に、しばしば事故を引き起こしている。それは設計自体にミスがあったり、操作についての人為的ミスなどによる。
 そうなんですよね、玄海原発でもつい最近、人為的ミスと思われる事故が発生しています。事故が起きてしまったら、もう人間の力ではどうしようも出来ないのが原発、そして、核の恐ろしさです。
 安全な原発などない。すべての原発は危険。だから、原発の運転即時停止を求め続けている。
 私も大賛成です。エネルギー政策をどうするこうするという議論のまえに、大人も子どもも、そして日本列島に将来にわたって安心して住めるようにするためには、「ノー原発」の声を大きくするしかありません。
 原発は、東京や大阪、そして福岡市内につくることは認められていない。なぜか? これは原発が危険なものであることが国も分かっているからだ。
 まことにそうなのですよね。でも、原発事故の恐ろしさは今回の福島第一原発が証明しました。放射量からすると、福島市内から、少なくとも子どもは全員疎開・退避させるべきだという専門家の指摘があります。東京だって、3月15日には放射能雲に覆われていたことが今では判明しています。人口の少ない田舎につくったから大都会は安全だ、というわけにはいかないのです。
福島第一原発の周辺でプルトニウム238が検出された。これは原子炉がかなり初期にメルトダウンしていたことを示している。それを政府が発表せずに隠していたため、大量の住民が放射能を被曝してしまった。なんと恐ろしいことでしょう。内部被曝したところで、すぐに異常がでることはない。しかし、長期的にみるとがんを発生するリスクが高まるのは明らか。
 子どもは大人の4倍もの放射線の感受性があるので、20ミリシーベルトを被曝することは80ミリシーベルトを被曝するのと同じこと。これでは、子どもたちに将来、きみはがんになる危険性が高くなるけど、仕方ないんだと言っているのに等しい、とても冷酷な仕打ちだ。
 子どもを守るには、大人が責任を果たすしかない。大人は福島産の食品を食べ、子どもは九州産の食品を食べることも考えるべきだ。
 ふむむ、本当に事態は深刻なんだと痛感させられる本です。今のまま誰かが何か、どうにかしてくれるだろうなんて考えは、この際、きっぱりと捨てるべきです。
 福岡でいうと、やっぱり玄海原発ですよね。九州電力の支配する九州の政財界の横暴を黙って見過ごすわけにはいきません。これだけ重大な事態をひき起こしていながら、やらせメールが発覚しても社長も会長も責任をとらないなんて許せませんよね。

                (2011年7月刊。838円+税)

2011年10月26日

婚活したらすごかった

著者  石神  賢介    、 出版  新潮新書   

結婚願望があるのに結婚できない男性、そして女性が伴侶を見つけるのがいかに難しいことか、この本を読むと実感として分かります。
 2010年から、50歳未満の男性の8割が年収400万未満。結婚しても夫の収入だけでは子どもを育てるのが難しい時代。夫婦二人で毎日働いて、やっと子ども一人を育てられる。家族をつくることに夢を持ちづらくなり、男性も女性も結婚願望はありながらも、よほど魅力を感じる相手でない限りは結婚に踏み切らない。
 ネット婚活は、インターネットのサイトを通して男女が知り合うサービスだ。サイト上にプロフィールを掲載し、連絡もサイトを経由して行う。このサービスは、忙しい男女に向いている。
 婚活サイトは、どこも人間と会話をせずに申し込みができるので、ネットショッピングで本や雑貨を購入するときに近い感覚で申し込める。婚活パーティーにくらべてプライドが傷つかないというメリットがある。
女性は収入を重視している。男はとにかく年収が高ければ人気がある。
 海外駐在、もしくは海外駐在の可能性がある男性は人気が高い。女性は外国好き。
ほとんどの男性は女性の収入を気にしない。その大切な条件はなにより容姿だ。また、若い女性が好き。
 婚活サイトによっては、写真掲載にはよく考えられたシステムがある。自分が顔写真をのせたら、異性のプロフィールの写真を見れる。自分がのせないと、相手の顔も見れない。
 ネット婚活で会えるところまでたどり着くのは5人に1人くらい。
食事をしたら、自分と会うかどうかはだいたい分かる。チェックポイントは、食べ方が下品ではないか、お金の支払い方がきれいか、一緒にいるときお互い自然に会話がかわせるか、そして婚活サイトで真剣に結婚相手を見つけようとしているか、など。なーるほど、そうですよね。
 婚活パーティーの多くは、2時間の枠がある。ほとんどのパーティー会社は原則として途中帰宅を許さない。まず、一人と話す時間は2分間。ええっ、短すぎでしょ・・・・。
 男はメモをとるスキルが著しく低い。まるで回転寿司のよう。女性は回ってくるネタを選ぶ客。男は選ばれるのを期待してまわるネタ。時間とともに鮮度が失われていく。むふっ・・・・。
 会費が安いパーティーは、安いなりの男女が集まる。タダだから参加しようと言う人は絶対的に真剣度が低い。会費が高いほうが安心感がある。それでも婚活パーティーの質は向上している。それは、婚活パーティーが乱立した90年代から10年たって、質の悪い会社や費用対効果の低い会社は淘汰されたことによる。
 周囲の目を気にせず、婚活ができる世の中になった。切迫した結婚難が、婚活パーティーの現場の充実につながった。
 婚活パーティーは、ネット婚活と比べると幅広い年齢の女性と知り合える。
 著者の体験によると、若い女性のほうが素直で、年齢を重ねるごとに扱いが難しくなる。
 日常のなかの出会いであっても、婚活パーティーであっても、ネットであってもベッドの関係までいかなくては、結婚まで到達できない。そのプロセスを省いて結婚の判断をすると、その後に予想外の何かで苦しい思いをする心配がある。なーるほど、それはそういうこともあるでしょうね。結婚したら、毎日の生活をともにするわけですからね。
婚活パーティーでうまくいくようになると、日常生活での男女の関係のスキルも上がることになる。
 結婚相談所は、たとえば会費は1年目30万円、2年目からも同額だが、2年目からは途中で退会すると、月割りで返還される。ふむふむ、これって合理的なシステムなのでしょうね。
 会員同士で結婚すると、20万円の成婚料が必要だ。
女性会員のほとんどは迷うのに対して、男性は即決することが多い。
 結婚するための三つのポイント。第一に、歩み寄ること。自分の理想とする相手は存在しないという前提で女性と向きあう。第二に、今からでも遅くないことを信じて、自分の商品価値を上げること。たたかえない男に、女性は本能的に興味をもたない。第三に、自分に合った婚活のツールを利用する。
 婚活の実際、その現場の様子がよく分かりました。著者にエールを送りたいと思います。がんばれ、くじけないで・・・・。
 
(2011年9月刊。700円+税)

2011年10月25日

福島第一原発事故を検証する

著者   桜井 淳 、 出版   日本評論社

 原子炉建屋の破壊度は尋常ではない。原子炉建屋は、きわめて堅牢につくられている。普通の商業ビルとちがって壁が厚く、鉄筋コンクリートで50センチはある。非常に強固・頑丈なもので、外部から小型ミサイルを撃ち込まれても大丈夫なくらいの強度をもたせている。めったなことでは側壁がすべてきれいに吹き飛ばされるなんて起きるはずがない。それが起きたのは、なぜか?
 周辺のあれだけ厚い壁を全部吹き飛ばす水素の量は、ざっと推定すると、炉心全体でジルカロイと水蒸気の反応が発生してほぼ炉心全体が溶融するような現象が起こらない限りありえない。
 政府首脳は事実を知っていたけれど、国民の様子を見ながら、徐々に情報を出していった。事実を全部いってしまうと社会がパニックに陥ってしまう。そう考えた、きわめて政治的な対応だった。
 日本の原発の第一の特徴は、一つの発電所敷地内に多くの原子炉が設置されていること。なるほど、そうですよね。だから、大きな地震にあうと、連鎖的な大事故に陥る危険性を内包している。
 福島第一原発の事故は天災ではなく、人災である、このように断言する。
 日本では、非常用ディーゼル発電機に絶対的な信頼性をおいている。そして、これを安全性のテーマにすることを意識的に回避してきた。
日本には、個々の機器の信頼性を評価できる専門家は存在するものの、発電所全体の配置や階層別機器などシステム全体の信頼を的確に評価できる専門家が一人もいない。安全審査では、そのような評価が欠落していた。安全審査が的確に実施されていたならば、福島第一原発の事故は、たとえ地震や津波の影響を受けても、発生しなかったと判断できる。福島第一原発の事故は安全審査の欠陥によってもたらされたもの。よって天災ではなく、人災である。
 軽水炉の設計寿命である40年をこえて運転している日本原電。敦賀原発1号機と関西電力・美浜原発1号機は、即刻、運転停止・廃炉にすべきである。
 さらに、1970年代に運転開始した第一世代の軽水炉は、すべて段階的に停止・廃炉にすべきである。まったく同感です。一刻も早く、子どもたちを守り、私たちみんなが安心して住める日本を回復しましょう。「今のところ放射能被害の心配はない」なんて大嘘ついて国民を欺し続けるのは即刻やめてほしいものです。
(2010年7月20日刊。1400円+税)

 このところ相次いで心が震えるほどの素晴らしい歌唱に接することが出来ました。まずは高松でのオペラです。残念ながらイタリア語なので歌詞は聞きとれませんでしたが、その声量に圧倒される思いで聞き入りました。次は、東京で混声合唱です。「わが大地のうた」など、心にしみる歌でした。福島第一原発の事故によって故郷に住めなくなった人々の思いに通じつものでもありました。
 福島から佐賀に避難してきた人の話を聞く機会がありました。「裏切り者」みたいに言われたりしたそうです。でも、5か月の子どものために逃げ出したとのこと。福島では放射能の危険を言うと、風評被害を増やすような受けとめ方もあるということを聞き、本当に世の中は難しいものだと思いました。

2011年10月22日

救える死

著者  天笠  崇       、 出版  新日本出版社 

 日本では自殺者3万人を時代が続いている。あと2年もすれば、累計で45万人となる。これは大都市1個分に相当する人口が消滅したことを意味する。もう少しすると、鳥取県一つが消滅するに等しい人口である。この13年間に、3000人に1人の日本人が自殺で命を落としている。交通事故による死者は年間4812人(2010年)なのでその7倍に近い。これって、本当に大変なことですよね。東京マラソンの参加者は3万人だそうですが、その光景をビデオで見ながら、3万人というのはすごい人数だと思ったことでした。
自殺者3万人の前半は中高年齢層の増加が目立った。最近では、30代を中心とした若年層へシフトしてきている。これは、うつ病をふくむ気分感情障害の患者数の推移と一致している。毎年決算期の3月に自死者数が多い。また、10月も増加している。
男性の自死者数が全体の7割をこえる。20代、30代の男性で上昇しているが、とくに20代の上昇が大きい。65歳以上では、男女とも自死死亡率が減少している。40代、50代の男性の自死の原因は、経済・生活問題がもっとも多い。
 自死は、15~39歳の死因の第一位。20~24歳では死因の半数を占める。場所は自宅が最多。月初や月末。連休明け、月曜日に多い。男性は6時台、5時台が多く、女性は12時台、15時台が多い。
競争、競争をあおる昨今の日本の風潮は自死を促す大きなストレス要因になっていると思います。その意味で大阪の橋下知事の相変わらずの強権的な言動は責任重大です。もっとゆったり、心安らかに生活できるようにするのが政治のつとめではありませんか。競争にうち勝つ教育を子どもたちに押しつけるなんて、最悪・最低の府知事と思います。弱い子、ハンディを持つ子どもは生きる資格がないと橋下知事は考えているのでしょうか。そんな弱者切り捨ての政治こそすぐにやめさせるべきだと思います。
もっと生活にゆとりのある、心やさしい社会を目ざしましようよ。

(2011年8月刊。1500円+税)

2011年10月21日

古文の読解

著者  小西  甚一  、 出版  ちくま学芸文庫  

 小西甚一というと、私にとっては高校生のころ大学受験のための『古文読解法』で大変お世話になった印象深い先生です。今も、その本は書棚の片隅に眠っています。捨てるのがあまりに忍びがたいのです。
 入試で合格点のとれる古文学習法なるものが紹介されていますが、私にとってあまりにも高度すぎて、かつて古文を得意科目としていた私なのですが、すっかり自信喪失させられてしまいました。
 著者はおよそ30年間、入試の出題と採点をしてきた罪滅ぼしにこの本を書いたそうです。初版は1981年夏のことだそうですから、今から30年前のことになります。
平安時代の人々が住んでいた家は天井が高く、畳もない。冬の寒さをしのぐよりも夏の暑さのほうが冬よりも辛かったからに違いない。暑さに対抗するには、どうしても風通しのよい構造の家にする必要があった。
徒然草にも「家の造りようは、夏をむねとすべし。冬は、いかなる所にも住まる。暑きころ、わろき住まひは、たへがたきことなり」とある。
そうなんですよね。自宅にエアコンのない私は、夏には休みの日でもクーラーのある事務所に出ていって書面を書いています。汗をだらだらながしながらでは、とても書面書きに集中することができません。冬の寒さなら、何枚も着重ねすればなんとかなるのですが・・・・。
平安時代の人々は、一般に短命だった。40歳になると、四十(よそじ)の賀という祝いをした。現代なら40歳まで生きたのが目出たいなどという感覚はないが、当時は祝宴をするほどのものだった。なーるほど、そうなんですね。信長のころは50歳といってましたよね。
裳は一番上につけるもので、下着ではない。平安時代の女性は帯を使わない。ボタンの代わりの紐で、あちこちを留めているだけ。
 女性も男性も、寝室でフトンを使わなかった。褥(しとね)という薄いマットを敷き、着物を脱いで単衣だけになり、今脱いだ着物をかけて寝た。
 平安時代の酒は、ドブロク(濁酒)に過ぎなかった。清酒はまだなかった。腕時計なんぞ持っていない平安時代の人たちにとって、むしろ季節によって伸び縮みする時間のほうが自然だった。
掌の大筋が灯火なしに見えてくるときを夜から昼の境、逆に、それが灯火なしでは見えなくなってくるときを昼から夜の境とした。ふむふむ、自分の手で判断するというわけですか。
現在の宮中の婚礼儀式は平安時代のものではなく、明治時代につくられたもので、ずい分新しい。平安時代の貴族の結婚は、次のような手順ですすめられた。
① 仲人が橋わたしをして縁談をまとめる。
② 男から女に申し込む形をとるのが原則。
③ 申し込みは手紙でする。それを省略するのが現代式となっていた。
④ 嫁入りではなく、聟入りの形式を取るのが普通。
⑤ 結婚の第一、第二夜は、当人同士だけで過ごし、親は表面に出ない。
⑥ 第一夜を過ごしたあと、儀礼として男から女に手紙をやる。
⑦ 第三夜になって、はじめて親も顔を出し、親類にも披露する。そのとき、聟が誰であるか、はっきりする。これを、「ところあらわし」という。
 こう見ると、本人同士で決めていたようですね。
方違(かたたがえ)とか物忌(ものいみ)は、それを口実として、こっそり息抜きをすることも珍しくはなかった。ふむふむ、なるほど、そういうことだったのですね・・・。
清少納言は『枕草子』のなかで、実にいろんな場合に「をかし」「をかし」と繰り返している。をかしは、人事・主観的・描写的なもの。これに対して紫式部は「あはれ」を好んでつかった。『源氏物語』のなかには、大変な分量の「あはれ」が登場してくる。「をかし」が理性的・観察的というなら、「あはれ」は感情的・主体的である。
「いきいきした、しかも洗練された感じ」が「いき」。「つう」とは「通」で、よくその方面に通じていること、つまり何から何まで知り抜いていることをいう。通人は、どうも小さなことにとらわれがちで、のんびりしたところがなく、消極的になりがちである。
江戸時代の前期を代表する精神が「いき」で、後期の特色を示すのが「つう」である。形容詞「ゆかし」は、もともと「行かし」であって、そこへ行ってみたいという意味だった。「奥ゆかし」といえば、ずっと奥まで見たい、奥まで知りたいという意味。
日本語は、ヨーロッパ語に比べて、主語を示すことが少ないという特徴をもつ。そうなんですよね。私も準備書面は別として、極力、主語抜きの文書を書くようにしています。
英語にだって面倒な敬語がある。英語に敬語がないというのは誤解だ。敬語を正しく使いこなさないと、中流以上の人たちとつきあうとき、とんだ結果が生じかねない。
「枕冊子」には、耳の鋭敏な人について「蚊のまつげの落つるをも聞きつけたまひつべこそありしか」という表現がある。
蚊のまつげの落つる音だってお聞きつけになりそうなほどだった。という意味です。蚊にまつげなんてあるはずもありません(そうですよね?)が、なんとなく、ごくごく微かな音のたとえとしてよく分かる表現です。清少納言にすごい文才があると改めて思い知りました。
日本の和歌に出てくる梅は、みな白梅と考えてよい。中国人は紅梅が好きだけど・・・・。
「放下着(ほうげちゃく)」とは禅僧の口ぐせ。「持っているものを捨てろ!」ということ。普通の人は、いろんなものを背負いこんでいる。カネがほしい、遊びたい。好きな女性に会いたい。明日の試合に勝ちたい。あげれば限りない。しかし禅僧に言わせると、そんなものを背負い込んでいるから、ものごとがうまくいかない。捨てるのがよろしい、「カネがほしい」とい考えを捨てたとき、はじめて思い切った営業活動ができて、カネのほうから進んでころがり込んでくる。重荷は思い切りよく捨てるに限る。
500頁もある部厚い文庫本です。パリまでの13時間という長い飛行機のなかで一心に読みふけっていました。古文も漢文も自由自在に読みこなしてみたいものです。
著者は4年前に亡くなっておられますが、英語・フランス語・中国語もマスターしておられたそうですから、まさに語学の達人ですね。しかも、趣味として、能、狂言さらには俳句までたしなまれていたとのこと。偉大なる先達でした・・・・。
 
(2011年1月刊。1500円+税)

2011年10月19日

原発のない世界へ

著者   小出 裕章 、 出版   筑摩書房

 問題の根本は、国が原子力をやると決めたことにある。
 まことにそのとおりだと思います。地震列島・日本に50ヶ所もの原発をはりめぐらすなんて狂気の沙汰ではありませんよね。
国と電力会社をはじめとする巨大産業が住民をブルドーザーで押しつぶすように原子力を進めてきた。
 国立大学から原子力工学科がなくなってしまった。しかし、原子力の後始末をつけるうえでは若い専門家がこれからも必要になる。国がきちんと養成していかなければいけない。
 使用済み核燃料の再処理は必要ない。手を加えれば加えるだけ、体積としては大きくなり、放射能が減ることもない。
放射線の被曝に関わる限り、大丈夫だとか安全という言葉を使ってはいけない。
 普通の人は年1ミリシーベルト、特殊な放射線業務従事者に限って年20ミリシーベルトが許容されている。これは、125人に1人ががんで死ぬという基準値。子どもだったら、30人に1人はがんで死ぬ。
 大人は福島のお米を食べる。子どもは九州のお米を食べる。このような区分が必要だ。
 なーるほど、それはそうなんでしょうね。
雨には水道水よりも1桁以上高い放射能が入っている。普通の活性化やフィルターでは効果がない。マスクは効果がある。
 3月15日、東京の上空にはたくさんの放射能が飛来していた。
福島第一原発から出た放射能の量は「京」の単位だ。何十京ベクレルだ。
兆とか京とか言われても、もう一つぴんと来ませんよね。すごいだろうな、というくらいです。
 福島は子どもも大人も避難したほうがいい。東京だって、乳児や妊婦、胎児は、福島にはいないほうがいい。
 うへーっ、そ、そうなんですか・・・。恐ろしいことです。
放射能について基準値を決めたとしても、それより下だって危険、上はもっと危険だというだけのこと。
 むむむ、なるほど、これは困りましたね。
 原子力推進派は、格納容器が破壊されるような事故は決して起こらないとし、そんな事故を「想定不適当事故」と名づけた。しかし、それが今回起きてしまった。
 日本人は優秀だ、日本の原子力発電所だけは安全だ、こんな宣伝が、国や電力会社の積極的な宣伝もあって、日本人の心深くに住みついてしまった。しかし、実際には、日本は原子力技術後進国なのである。そこにあるのは日本人の慢心のみ。
ふむふむ、国と電力会社だけでなく、それにうまうま、いや、むざむざ乗せられて、今回、大変な痛い目にあった私たち日本国民は今や大いに反省し、心を入れかえなければいけない。痛切に、そう思います。さっと読める、いい本でした。
(2011年9月刊。1000円+税)

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