弁護士会の読書
※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。
社会
2009年5月24日
がんは患者に聞け!
著者 吉田 健城、 出版 徳間書店
有名人16人のがん闘病記録ですので、読ませます。
山田邦子(乳がん)、鈴木宗男(胃がん)、市田忠義(大腸がん)、仙谷由人(胃がん)など、それぞれの人たちのがんの壮絶なたたかいの記録でもあります。
また、読んでいるうちに、勇気も湧いてくる本です。
女優の洞口依子さんという人は、私の全然知らない人ですが、子宮頸がんになって、子宮を広く摘出し、後遺症に悩まされました。そんな彼女が心の支えとしたのが、書くこと、でした。
朝日新聞の夕刊にコラムを書き、それを単行本にした。書いているうちに、それまで見えていなかった自分が見えてきた。自分に起きたことを短い文にまとめる作業は、客観的に自分を見つめ直す作業だ。病気になってから起きたことを、あれこれ思索しているうちに、そのときどきの自分と病気とのかかわりも見えてくるので、書けば書くほど病気との付き合い方も分かってくる。文章を書くことで、最近、ようやく病気との距離感がつかめるようになった気がする。それで、ちょっと自信もついてきた。なるほど、そういうこともあるのですね。
テレビの政治討論会に出演することも多い共産党の市田忠義氏(書記局長)は、大腸がんの手術後の後遺症として、生放送の討論会の最中にひどい便意に襲われました。民法の番組のときにはコマーシャルタイムにトイレにかけこみ、事なきを得ました。しかし、NHKのときには、コマーシャルタイムがありません。ついに、途中でトイレに駆け込んだのです。それでも、ディレクターがアングルを工夫してくれ、さらに、藤井裕久議員が優しく教えてくれたそうですがんという病気を根絶できる薬はまだ見つかっていませんが、早くだれか見つけてほしいものです。
ツテツの木のすぐそばに今年もツバメ水仙が朱色のスマートな花を咲かせてくれました。1月から咲き始める水仙の最後を飾ります。花弁が細くて、すらっとしていて、ツバメが空を飛びまわる姿を連想させる花です。
アマリリスの朱色の花も咲いています。もう雑草に埋もれてしまったのかとさびしい気がしていましたが、ことしも元気に咲いてくれました。手植えした植物が見事な花を咲かせてくれるのはうれしいものです。
(2009年1月刊。1700円+税)
2009年5月19日
古典への招待(下巻)
著者 不破 哲三、 出版 新日本出版社
大学生のころ、必死になってマルクスやレーニンの書いた本を読んでいました。もちろん、私ひとりではなく、周囲の学生もかなり読んでいて、読まない学生のほうが肩身の狭い思いをしていました。マルクスの哲学の本はかなり難解で、何回読んでもよく分からないところがありましたが、それでも物事を表面的に眺めるのではなくて、その本質をつかんで考える上では、とても勉強になりました。
この本は、そんな気持ちを取り戻したくて、久しぶりに読んだというわけです。今回もまた、なるほど、そういうことだったのか、と何度も目を開かされる思いをしました。良く分からないところも多かったのですが、著者が今日的視点からの解説をしてくれていますので、分かるところも多々ありました。
ヘーゲルは、現実的なものはすべて合理的であり、合理的なものはすべて現実的である、と言った。これは、あわてて読むと、今存在しているものがすべて理性にかなったもので、現存している体制のすべてを賛美する哲学のように聞こえる。
しかし、ヘーゲル哲学は、そんな単純なものではない。「現実性」というのは、ただ現に存在しているというだけでは足りない。どんな事物も、それが合理的であるときに、はじめて必然的な現実となる。いま存在しているものでも、現実の諸条件に合わず、合理性を失ったときには、非現実に転化する。そのときには、現状維持ではなく、現状を変革する革命が現実的なものになる。ここにヘーゲルの命題の真意がある。つまり、現実的なものはすべて合理的であるという命題は、すべて現存しているものは滅亡するにあたいするという命題に解消する。
うむむ、なんという逆転解釈でしょうか……。
世界は、出来上がっている諸事物の複合体としてではなく、諸過程の複合体としてとらえられねばならず、そこでは見かけのうえで固定的な諸事物も、われわれの頭脳にあるそれら諸事物の思想上の映像、つまり概念におとらず、生成と消滅のたえまない変化のうちにあり、この変化のうちで、見かけのうえでは偶然的なすべてのものごとにあっても、また、あらゆる一時的な後退が生じても、結局は、一つの前進的発展が貫かれているという偉大な根本思想がある。
自分が社会によって生み出されながら、経済的基礎との関連を忘れ去り、独立した力としてふるまうこと、エンゲルスはこの見かけ上の独立性を、上部構造に属する社会的意識形態の共通の特徴としてとらえ、これをイデオロギーと呼んだ。国家は上部構造の全体のなかでも、経済的基礎にもっとも接近した位置にある存在である。
国家の見かけ上の独立性、そのイデオロギー的性格は、国家の機能の一部を専門的に担う職業的政治家や法律家の登場とともに、いよいよ強固なものとなる。これらの人々のところでは、政治や法律と支配階級の要求など、経済的事実との関係は、意識的に断ち切られる。
上部構造は、国家などの社会組織やさまざまな社会的意識形体からなるが、これらは全体として、究極的には、経済的関係によって規定される。しかし、経済関係に規定されているという関係は、目に見える形で表面に表れているものではなく、その思想や観念の領域が物質的過程から離れるほど、あいだにいくつもの中間項が介在し、よりこみいった関連性は隠れてしまう。
イデオロギーと経済的関係との関連は、イデオロギーの諸形態の当事者たちには意識されず、忘れ去られる。自分が独立した歴史と論理を持つ、独立した思想領域だと思い込むからこそ、イデオロギーはイデオロギーとして、社会的機能を果たす。
今の日本をよくよくとらえ直して見るときの思考にも大変役に立つ本だと思いました。
(2009年4月刊。1700円+税)
2009年5月15日
ルポ 労働と戦争
著者 島本 慈子、 出版 岩波新書
日本は、憲法9条で軍隊を否定しながら、自衛隊という軍事力をもっている。この現実のねじれは、「専守防衛」というキーワードで正当化されている。これは、9条が消えたら「専守防衛」というキーワードも消え、日本が外国で兵器を使うこともありうるということだ。
日本の自衛隊が、2006年度までに調達したクラスター爆弾は、23%はアメリカ製で、残る77%は国産だ。つまり、この日本の中で日本の労働者がクラスター爆弾をつくっている。そうなんですね。毎日毎日、人殺しの役にしかたたない爆弾をつくっている人が日本にもいるわけなんですね。
戦闘の無人化が何を意味するかというと、銃後の責任が重くなるということだ。アメリカ軍の基地を拒む感情は今も根強い沖縄だが、アメリカ軍基地で働きたいという若者が増えている。民間の人材派遣会社が、会社によっては何百人という規模で、派遣社員をアメリカ軍基地内の諸機関へと送りこんでいる。
2007年度、沖縄でのアメリカ軍基地の従業員募集に際して、341人の採用に対して8448人が応募した。同じように、沖縄以外の本土でも、884人の求人に対して3425人が応募している。
アメリカ軍基地で働く雇用形態はさまざまだ。雇用主は日本政府で、使用者はアメリカ軍という雇用形態が一番多い。全国で2万5000人、神奈川と沖縄が9000人、東京が3000人弱。こんなに基地で働いている日本人がいるのですね……
一人ひとりの仕事が細分化されているため、従業員はアメリカ軍の殺戮に加担しているという意識は持っていない。うーん、これも考えさせられます。
憲法9条があり、武器輸出3原則のある現時点の日本では、軍需部門の肥大した大企業は存在しない。防衛省への納入額トップの三菱重工でさえ、防衛部分の売り上げは全体の20%にも満たない。
日本国内の防衛産業全体に従事しているものは6万人。軍事大国アメリカの場合は、軍需関連の仕事をしている民間労働者は360万人。フランスでは、軍需関連の労働者は100万人。いやあ、これ以上、軍需産業が肥大化しないように、私たちは不断の監視が必要ですね。
この一見平和を謳歌している日本で、人殺し兵器を作る人が6万人もいるなんて、ぞっとします。ほかに仕事がないため、アメリカ軍基地で働くのを希望する若者が増えているという指摘にも心身が震え、凍る気持ちです。
アメリカでは、貧困から抜け出そうとして軍隊に入り、イラクなどに送られて、毎日毎日、人が殺され、人を殺す現場にいて、平常心を奪われて精神を病む若者が急増しているとのことです。日本も、平和憲法とりわけ9条を守り、そんなアメリカのような国にならないようにしたいものだとつくづく思います。
火曜日、日比谷公園の中を歩くと、真っ赤な大きなバラがたくさん咲いていて、若い人たちがケータイで写真を撮っていました。黄色いバラも爽やかな感じですね。赤いバラのそばに白いバラもありました。初夏というより、夏本番という気温で、汗ばむほどでした。札幌から来た弁護士はようやく桜が咲き始めたと言っていました。
(2008年11月刊。740円+税)
2009年5月10日
俺は、中小企業のおやじ
著者 鈴木 修、 出版 日本経済新聞出版社
かなり骨っ柱の強い、ガンコおやじだな、そんな印象を受けました。労働組合も、ストライキも、なんのその、ヘッチャラだ。そんなところは感心できませんが、トヨタやニッサンなどの大手メーカーのはざまで健闘しているスズキの経営者の苦労話ですので、とても面白く、また、ためになりました。
企業は一時的に順調でも、いつまでも順風満帆で成長していけるものではない。だいたい25年くらいの周期で危機に襲われる。企業にも寿命があるんですよね。
スズキのアルトは、全国統一価格で47万円で売り出した。全国ネットのテレビコマーシャルで47万円で売り出したのは初めてのこと。それまでは、地方ごとに値段が違っていた。うへーっ、そうなんですか……。一物一価ではなかったのですね。
アルトは商用車。これで税金が安くなる。あるときはレジャーに、あるときは通勤に、また、あるときは買い物に使える。あると便利な車、それがアルトです。
まるでダジャレのような命名法ですね、これって。チョイノリ・バイクも同じ発想でした。
飛行機手形とは、期日が来るたびに書き換えられて飛んでばかり、落ちることがない。台風手形とは、210日、つまり7か月たってやっと支払われる手形のこと。
私は弁護士になって35年以上になりますが、この20年間ほど手形訴訟を扱ったことがありません。不渡りを心配していた零細企業の経営者に対しては、手形を切ることを止めなさいと口を酸っぱくして忠告しています。私は、手形って、商売には不要のように思います。手形を落とすことにあまりに目が向きすぎ、本業がおろそかになってしまうからです。
スズキで工場を新設したときのこと。どうもうまくない。こんなとき、社長は、どうすべきか。
設備を入れたばかりだから、もったいない。そんな遠慮は無用。効率の悪い工場は、おカネをかけてでも一刻も早く手直しするべき。手直しするための予算には、制約をもうけない。
すごいですね。よくも、ここまで言い切りました。しかし、この見切りが経営者には肝心なのですね。
著者は、アメリカで苦しい状況に陥ったとき、優秀な弁護士たちに救われたことを教訓として、次のように言っています。
弁護士にはカネを惜しむな。ケチケチせずに最高の人材を雇えば、その見返りは大きい。
なるほど、なーるほど、そのとおりだと私も思います。しかし、えてして金持ちほど弁護士報酬を値切ろうとしてきます。やる気を殺がれる話です。安かろう、悪かろうではお互いに困るのですが……スーパーのタイムセールと同じように考える安直な発想にとらわれている経営者には困ったものです。
スズキは、インドにいち早く進出して成功した。1台の単価は安くても、50%をこえる高いシェアをもつと、それなりの収益をあげてくれる。なるほど、ですね。
インドのスズキの工場には、幹部用の個室はなく、社員と一緒に働く。社員食堂があり、そこで幹部もヒラの社員と同じように並ぶ。カースト制は無視して、日本流でやって成功している。すごい自信です。これだけの確信がないとやっていけないのですね。
スズキは、ワゴンRを1993年に発売しはじめ、2008年12月までに、日本国内で310万台を売った。これは、日本一である。すごいです。これで、スズキが、そこで働く労働者を大切にしていれば文句なしですね。その点はとうなんでしょうか。あの、日本一のトヨタなんて最低ですよ。もうけが減りそうだというだけで、率先して首切り台宣言をして、日本の大不況をもたらしたのですからね。これで日本を代表するメーカーと威張っているのですから、日本の信義も地に堕ちたとしか言いようがありません。
(2009年3月刊。1700円+税)
2009年5月 8日
略奪的金融の暴走
著者 鳥畑 与一、 出版 学習の友社
世界の金融資産規模は、この12年間に4倍以上に増大し、2007年末には230兆ドルとなり、それは実体経済の4.2倍となった。マネーの膨張は、マネーの運動を投資中心から投機中心へと、まさに「量から質へ」の変化を生みだし、略奪的金融の暴走をもたらした。
2006年末の機関投資家の運用資産62兆ドルのうち、半分の32兆ドルがアメリカに集中している。運用資産100万ドル以上の富裕層950万人が37兆ドルの金融資産を保有しているが、その3分の2はアメリカとヨーロッパに集中している。
日本は、長年の貿易収支黒字にもとづく対外資本輸出の累積の結果、世界一の純資産大国となった。世界一の借金国アメリカは、302兆円もの債務超過であるが、日本は第2位の純資産大国ドイツの106兆円の2倍以上である250兆円の対外純資産を抱えている。なんとなんと、日本は超大金持ちの国なんですね。ところが、国民に対しては、お金がないから年金や福祉予算を削るしかないと高言して、国民をだまし続けています。
日本は、2007年の貿易収支12兆円に対して、所得収支は16兆円となっている。つまり、日本は「貿易大国」から「投資大国」に変わりつつある。
アメリカでは、サブプライムローンによって、1998年から2006年の間に236万軒の住宅が差し押さえられた。今後5年間で、さらに600万軒の住宅差し押さえが発生するものとみられている。
つい最近までのアメリカでは、ハイリスク層への高金利による貸し出し拡大は、「信用の民主化」として賛美され、上限金利撤廃やARMなどの貸出手法拡大などの金融自由化は、低所得者層やマイノリティのアメリカン・ドリーム(マイホームの実現)を促進するものと考えられていた。
しかし、今日では、サブプライムローンの拡大は、持続性のある住宅保有基盤を破壊することで、低所得者マイノリティの住宅保有増大に貢献するどころか、既存の住宅を大量に奪う役割を果たしている。
アメリカでは、カードローンの借入れ残高が1990年の2386億ドルから、2007年には9375億ドルにまで拡大した。自己破産した個人も、1990年の78万件から、2005年には208万件と増大した。
アメリカでも、規制緩和・自由化が進んでいるが、それによってカードローンでは上位10社で91%、JP・モルガンチェース銀行、シティ銀行、バンクオブアメリカの3行で62%を占めている。
私には、ちょっと難しすぎるところもありましたが、アメリカの金融危機の解説と日本への波及効果についての予測は参考になりました。
小雨のパラつくなかを山を降りていたとき麓にある昔ながらの古い民家の石垣の上に小さな可憐な花が咲いているのに目が留まりました。今まで見たこともないような、はっとするほどの美しさです。白い小さな花に、ピンクで縁どりをしていて、絶妙なる美の組み合わせです。家に帰って図鑑で調べてみると、ユキノシタという花だということが分かりました。山野草として名前だけは知っていましたが、実に素敵な花で、つい妙齢の女性にささげたくなりました。
きれいな声で歌っているスズメほどの大きさの小鳥についても鳥の図鑑で調べたところ、シジュウカラだということが分かりました。澄んだ声を頭上高く響かせていましたが、いろいろと鳴き声を変えて楽しむ小鳥だということです。
(2009年2月刊。2000円+税)
2009年4月28日
派遣村
著者 年越し派遣村実行委員会、 出版 毎日新聞社
私もよく行く日比谷公園に年末年始、2000人もの人々が集中して、ごった返していたといいます。今では、そんなことがあったなんて嘘のように何もなく、いかにも静寂な公園です。
年越し派遣村のなりたち、そして、その実情がいろんな人の体験談を通じて明らかにされています。実行委員会の人々、ボランティアの人々、そして、何より参集してきた村民の人々に対して、心から敬意と連帯の気持ちを改めて私も表したいと思います。
この本を読むと、日本という国も、まだまだ決して捨てたもんじゃないと思います。と同時に、どうしてここまで深刻な事態に追いやったのか、政治というものの深い責任を痛感します。
実行委員会が想定した村民の人数は、100人前後だった。だから、用意したテントは5人用テントが21張。ところが、初日だけで登録した村民は139人。とても足りない。
寝場所の確保は、最終日まで実行委員会の一番の頭痛の種だった。寝床を確保することが、いかに重要で、いかに大変かを改めて思い知った。
私はテレビを見ませんからよく分かりませんが、テレビでも大きく報道されたようですね。31日の昼のニュースから、派遣村の映像が繰り返し流されたため、正月の深夜になっても入村の希望者が次々にやってきた。30代後半の男性は、埼玉県北部から10時間も歩いて村にたどり着いた。夕方、たまたま大型電器店の前を通りかかってテレビの報道を見て、ここを目ざしたのだった。
泊まり込みのボランティアは、ほとんど野営状態。ストーブの横で仮眠をとるか、コートを着込んだまま本部テントに寝転がっていた。携帯カイロを背中と腹に貼り付けて本部テントの中で転がり、少しうとうとしているうちに朝を迎えるのだった。
派遣村では、多くの村民が生活保護を申請することにしたが、みんながすぐにそうしたのではない。むしろ仕事をして自立したいと望んでいた。でも、とりあえずこれしかないでしょ、という働きかけを受けて、ようやく納得していったのだ。
派遣村には、暴力飯場の手配師までやってきた。30万円の給与という声に乗せられて、山奥の作業場へ連れて行かれると、布団代、毛布代、食事代、家賃と差し引かれていく。日給1万3000円はなくなるどころか、借金までかかえてしまう仕組みになっている。そこから逃げ出すとリンチが待っている。うひゃあ、今どき、そんなタコ部屋があるんですね……。
派遣村への入村者は、結局500人を超えた。そのうち、生活保護を申請したのが過半数(302人)。ボランティアとして登録した人は1700人ほど。カンパは現金2300万円のほかに振り込みがあって5000万円を超えた。支出は1000万円。
ボランティアとして活躍した高校生の書いた文に目を見開きました。
私は派遣村に一つの希望を見出した。それは結束だ。古い労働運動用語で言うなら、連帯だ。
うへーっ、連帯って、古い労働運動用語なんですか……。実に新鮮な驚きでした。たしかに、ポーランドのワレサ議長の連帯(ソリダリテ)なんて古いことなんでしょうが、それでも連帯って、私にとっては新しくていい響きの言葉なんですけどね……。
ボランティアの女性が、50代の暴れる村民(男性)をなだめた話も興味深いものがあります。その男性は、名前を訊かれ、名前で呼ばれるようになると、急に態度が変わっておとなしくなってしまったというのです。
名前で呼ぶという行為は、私はあなたを認めていますよという一番初めのサインなのだ。久しく名前で呼ばれることがなかった彼にとって、それは自分が認められるという、驚きに値する出来事だったのだろう。
そうなんでしょうね。あたかも人間ではない存在かのように、この日本社会で久しく扱われてきたのが、ここ派遣村では人格ある人間として処遇されたわけですから、彼としてももう暴れまわるわけにはいかなかったのでしょう。
とてもいい本です。今の日本の現実を知るうえで、必須の本だと思います。毎日新聞社の発行ですが、朝日も読売も大いに取り上げて宣伝し、広く全国民に読んでもらいたいものです。
(2009年3月刊。1500円+税)
2009年4月26日
小林多喜二と宮本百合子
著者 三浦 光則、 出版 光陽出版社
著者は、あるとき、手塚英孝に次のように問いかけた。
「プロレタリア文学は、理論では優れていたが、実作の面では大したものがないという批判がありますが…」
すると、手塚は日頃の温和な表情を変え、「そんなことはありません」と一言怒ったように言い、黙ってしまった。
戦前、プロレタリア文学は盛んだったと言えるだろうと思います。その証拠の一つが「戦旗」の発行部数です。「戦旗」は、1928年5月創刊号の発行部数7000から出発し、1930年4月号は2万2000部に達した。同年10月号は、2万3000部となった(最高は2万6000部)。
天皇制権力は、これに対して発禁処分という弾圧を加えた。創刊以来の44冊のうち、13冊だけが発禁処分を免れた。なんという、ひどい弾圧でしょうか…。
宮本百合子は、治安維持法による弾圧を受け、1932年から1945年10月までの13年間に、わずか3年9ヶ月間しか作品発表の機会をもちえなかった。
治安維持法とは何だったかというと、その下での天皇制政府、警察の弾圧の残虐さはどのようなものであったかということ、それを具体的に明らかにしたのがプロレタリア文学であった。ある意味で、プロレタリア文学の成果の総体が、「治安維持法という題の小説」であるといっていい。
著者は、私と同世代であり、同じ時期に学生セツルメント活動を共にした親しい仲間です。当時は、お互いにセツラー名で呼び合っていました。ベースであり、イガグリでした。そんな彼が、高校教員としての仕事のかたわら、小林多喜二と宮本百合子について、ずっと研究し、論文を発表してきたことは知っていましたが、この度、それが一冊の本にまとまったわけです。やはり、本にまとまると、全体像が見えてきます。地平線の先に何があるのか分かることも必要なことです。
著者が今後ますます健筆をふるわれんことを心より期待しています。
(2009年3月刊。1429円+税)
2009年4月21日
プレカリアートの憂鬱
著者 雨宮 処凛、 出版 講談社
今の日本で「安心して働けている人」は上部のほんのひと握りで、ほとんどの人は正規雇用でも非正規雇用でも、浅瀬でおぼれるような不安定な日々を強いられている。そんな人々すべてがプレカリアートなのだ。
生活保護に対するヒステリックなバッシングは、激しくなっているように思える。自己責任という言葉が浸透してから、この国の人々は明らかに残酷になっているのではないか。
中東で自爆攻撃して死んだ人間より、日本で自殺した人の方がはるかに多い。そうです。年に3万人以上の人が自死を選んでいます。飛び込み自殺のため、東京の中央線はたびたびダイヤが乱れるので有名ですが、このところ西鉄でも相次いでいて不気味です。
もちろん、自死を選ぶ理由にはさまざまなものがあるでしょうが、その少なくない部分を経済苦、つまり借金を抱えての悩み、が占めています。解決できない借金はない、と、私は声を大にして叫びたい気持ちです。
大阪のあるシングルマザーは、夜の仕事に出かける前、小さな子どもに睡眠薬を飲ませるというのです。子どもが夜中に目が覚めて、母親を探し求めて泣いたら可哀想だという理由からです。
この話を聞いて、なんてひどい母親だと責めるのではなく、なんてひどい冷たい社会なんだと考え直してほしいと若者は訴えています。なるほど、そうですよね。私の依頼者にも、昼も夜も仕事しているシングルマザーがいました。大変なんですよね。幼い子供をかかえて育てあげるというのは。少子化対策の充実というのなら、こんなシングルマザー(ファーザーも)への補助金の充実こそ必要ではないでしょうか。
国際人権規約を締結した国のうちで、「高等教育の無償化」が進んでいないのは、日本とルワンダとマダガスカルだけ。日本は、国連から高等教育を無償にするよう迫られている。
ええーっ、そ、そうなんですか。ちっとも知りませんでした。一刻も早く実現するべきですよ。人材育成に国はもっとお金をつぎこむべきです。
司法修習生に対して給与を支給しなくなることになっていますが、本当に日本ってケチくさい国です。大きな橋や高速道路をつくる前に、人材育成・教育にこそお金をもっとつかうべきです。
この飽食時代の現代日本で餓死が起きるなんて信じがたいことだが、この11年で、なんと867人もの餓死者が出ている。
むむむ、これって、許し難いことです。消費税率を上げることばかり考えている政府ですが、こんな現実を変えることこそ先決でしょう。
格差をなくせ、というのではなく、格差の底辺にいる膨大な貧困層の生存権を問題にしている。
まるで戦前のプロレタリア小説の表紙を思わせる表紙のついた本ですが、中身はまさに現代日本の貧困問題を真正面からとらえた真面目な本です。知らなかった日本の現実を大いに学ばされる本でもありました。
(2009年2月刊。1500円+税)
2009年4月16日
派遣村・何が問われているのか
著者 宇都宮 健児・湯浅 誠、 出版 岩波書店
「年越し派遣村」ほど、近年、私の心をうったものはありませんでした。私が毎月1回は通っている日比谷公園が、年末年始に派遣切りでホームレスになった人々などの救いの場となったわけです。テレビをまったく見ない私ですが、新聞を読んでいるうちに、九州の地で安穏としていいのか、という気になっていました。近くだったら、私も駆けつけて、少しはお手伝いくらいしたと思います。それくらい、居ても立っても居られない、切羽詰まった気になったのでした。
実際、この派遣村に実行委員として関わった主要メンバーは、年末年始のあいだ、まともに眠れず、食べるものも食べずにがんばったようです。すごいものです。ついつい大学生時代、学園闘争の、それなりに厳しかったころのことを思い出してしまいました。もちろん、そのころ私は20歳前で、気力も体力もありましたから、少しくらい食べず、眠らずでも大丈夫でしたが……。
貧困問題の主要な課題の一つは、可視化にある。見えないことから、貧困問題が「ない」ことにされてしまう。見えるようにさえすれば、誰も放置できない課題であることは明らかだから、対応がなされる。見えるようにすること(可視化)が、貧困問題の解決に向けた第一歩になる。派遣村は、そのことにかなり成功した。そして、このことは、現代の貧困の「見えにくさ」を痛感させる出来事であった。
これは、湯浅誠氏の指摘です。その講演を私も聞いたことがありますが、決して激することなく、冷静・沈着な態度を崩さない話ぶりに、かえってほとばしる熱情を感じたものです。
見えない貧困、しかし、現実にそこにある貧困。この事実を、私たちは正視すべきです。この本は、現代日本の抱えている深刻な状況を、実に分かりやすく目に見える形で教えてくれます。
日比谷公園には、もともと20人の野宿者がいる。近くの東京駅周辺には50人の野宿者がいる。
派遣村の場所設定でについては、厚生労働省の目の前にある日比谷公園が最適だということになった。都心の日比谷公園は規制がきびしく、テントが張れない場所としてよく知られていた。そして、野宿者への炊き出しも行われていなかった。
結局、派遣村にやって来た人は505人。女性は非常に少ない。ボランティアとして登録した人は1692人。のべ数千人になる。カンパは4400万円。リンゴ1.8トンなど、食材などの物品カンパも多かった。
企業の違法行為の結果、多くの被害者が路上に放り出されてしまった。ボランティアと税金によって、企業の違法行為の尻拭いをさせられ、違法を行った張本人は何の責任もとっていない。そうなんです。トヨタもキャノンも、奥田も御手洗も、涼しい顔をして他人事(ひとごとのように自己責任だといいつのるばかりです。そのくせ日本人には道徳心が欠如しているなんて言って、子どもたちに道徳教育を押しつけているのですから、呆れるほどの厚かましさです。日本の財界人には道徳心はかけらほどもないのか、と叫びたくもなります。
生活保護を受けようとすると、世の中の反応があまりにも冷たいことも指摘されています。甘えているというものです。私は、ヨーロッパのように、若い人が失業したら、次の仕事が見つかるまで何年でも失業保険をもらえるか、生活保護を受けられるように日本もしたらいいと思います。もちろん、年輩者には十分な年金が保障されるというのが必要です。そんな夢のようなことを言うな、という人がいるかもしれません。でも、それを実現するのが政治の役目ではないでしょうか。
この本の面白いところは、派遣村に裏方として関わった実行委員の人たちの苦労話です。
年末年始だったので、不足したテントを探すのに苦労したこと、せっかく見つけても運搬するトラックの運転手が確保できなかったこと。6人用テントを用意したけれど、持ってきた荷物と布団で4人が限界だったので、20張のテントに80人しか収容できなかったこと。テントを張るとき、下に石があると痛いし、平な場所が少なくて苦労したこと。実行委員は炊き出しにありつけず、寝るのもテントで寝れず、手足の先が凍傷になりかかったこと、などなど、その大変な苦労が伝わってきます。年末年始をいつものようにぬくぬくと過ごした私など、申し訳ない気持ちでいっぱいでした。
そして、派遣村にやっとの思いで辿り着いた人の実情のすさまじさには息を呑んでしまいます。浜松から歩いて日比谷公園までやってきたとか、三日三晩、何も食べずにやって来たという人たちがいたのです。そして、派遣村で炊き出しを食べたら、とたんに体調を崩してしまう人が続出したのでした。
これが豊かな国ニッポンの現実なのですね。改めて、その深刻さが伝わってきました。
結局、派遣村にたどり着いた500人のうち、300人が生活保護を受けることになりました。それでも、外国人労働者や女性については、ほとんど手つかずというのです。
派遣切り、ホームレス、野宿者の問題というのは、日本国民全体で考えるべき問題なんだということがよく分かる本でした。
ホームレスの人は働く意欲がないという誤解がまかり通っているが、それは間違いだと強調されています。ぜひ、あなたも読んでみてください。ここに書かれていることは、まさに日本の現実です。私は、大学生のころから貧困問題に関心を持ってきましたが、現代日本にいまある貧困に光をあてた派遣村のことを知りうる、いい本が出たと、しみじみ思いました。
(2009年3月刊。1200円+税)
2009年4月11日
骨の記憶
著者 楡 周平、 出版 文芸春秋
東北の山奥から貧農の少年が上京してきます。就職した先でひどくこき使われます。何度もやめて田舎へ帰ろうと思うのですが、田舎には仕事がありません。また、帰りたくない暗い過去もあるのでした。やがて、ひょんなことから別人になりすましてしまうのです。
それが幸運の始まりでした。思わぬ土地代金が入り、勤めていた運送会社を独立して始めた運送業も大当たりです。お金が面白いように入ってきます。政治家から土地ころがしの口がかかって、大儲けもします。そして、金持ちの令嬢と結婚し、豪邸を手に入れます。
ところが、令嬢は成り上がり者とバカにして見向きもしません。そこから復讐が始まるのです。
いったい、少年のころの暗い過去とは何だったのか、復讐はどのようになされていくのか。いやはや、すごい作家の発想力です。それも情景描写がきちんと出来ているからこそ読ませます。
人生には常に光と影があることを考えさせてくれる本です。500ページもある力作長編でしたが、ぐいぐい本の世界、暗い、どうしようもないやるせなさのつきまとう世界ですが、そこへ引きずり込まれてしまうのでした。
(2009年2月刊。1714円+税)