弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

社会

2008年10月 5日

競争社会に向き合う自己肯定感

著者:高垣 忠一郎、 発行:新日本出版社

いろんな内的資産に恵まれ、その土台の上に順調に努力して競争にも勝って成功して「勝ち組」になれる人と、さまざまな負の内的資産を負わされ、それが重すぎて持てる力を発揮できず、その結果、「負け組」になってしまう人との間には、目に見える形で努力をしたか、しなかったかというだけでは捉えきれない目に見えない条件の格差がある。
 たとえば、鬱病にかかった人はがんばりたくてもがんばれない。がんばろうとすればするほど、がんばれない自分を責めて余計にしんどくなる。
 このように、格差については、目に見えない内的資産をも思いやらなければ、本当につらい人たちを支えることはできない。
 がんばればなんとかなる、という「勝ち組」の人にはそれなりに通用するメッセージを、がんばってもどうしようもない人々や、がんばろうと思ってもがんばれない人々に与えることは、ひとりよがりのメッセージでしかない。それは、自分の経験からしかものを見ていない。痛めつけられ、自己否定の心を背負わされた人々を支えるために、提供できるメッセージは、ダメなあんたでもエエねんで、でしかない。それは、ダメなところを肯定するのではない。ダメなところを抱えながら、一生懸命に生きている自分を受け入れ、肯定することである。
 いま、子供たちは、心の奥深くに、かつて人類が経験したことのないような深い不安を抱きながら生きているのではないか…。
 信じて、任せて、待つ。
 何を、か。子供が立ち上がっていく力、自己回復していく力、成長していく力を信じるということ。
 今の日本の社会は、ノウハウを習って効率的に事を処理するという生き方がのさばっている。自分を差し出して「相手」と向き合い、その中で「相手」に耳を傾け、分かろうとするコミュニケーション能力が衰えている。「相手」とじっくり向き合う力が衰退している。そこに、「愛」がない。
 カウンセリングは、「わたしはダメだ、ダメだ」という自己否定の「悪夢」から目を覚ましてもらうこと、これが最大の眼目である。その「悪夢」から目を覚まさない限り、生命の働きは活性化されず、生命は輝かない。
 ふむふむ、なるほど、なるほど、大事な指摘です。大切なことを思い知らされました。 
(2008年5月刊。740円+税)

2008年9月30日

ルポ・正社員の若者たち

著者:小林 美希、 発行:岩波書店

 いま、私の事務所で働いている最若手の事務員は、関東の有名大学の出身者です。彼女の話を聞いて驚きました。
 大学を卒業して3年たった今、関東圏で就職した10人の友達のうち7人がストレス性うつ病などで休職・退職に追い込まれ、就職できなかった10人はまだ派遣やアルバイトなどで劣悪な生活状況に置かれているというのです。
 ひえーっ、すごいですね。若者をこんな悲惨な状況に追いやった者の責任を厳しく追及する必要があると思いますし、一刻も早く改善する必要があると思います。
 私自身は、一度も就職したことなく弁護士になりましたが、私の同世代は、モーレツ社員とか会社人間になったとかはいわれましたが、こんなに高比率でうつ病になるなんて、(少なくとも私には)考えられないところです。この本は、今の若者が置かれている状況を生々しくルポしています。一読の価値があります。
 非正社員や無業者の増加など、就職氷河期世代の働き方の変化によって生じる潜在的な生活保護受給者は77万4000人と試算されている。それに要する費用は18兆円近くから19兆円超とみられる。
 この世代の雇用が不安定で低賃金であることは、結婚や出産など、個人の行き方に影響を及ぼしている。長時間労働によるうつ病や過労死は若年層にも出てきている。これでは、なんのために生まれ、働き、生きているのか分からない。
 2005年度の派遣労働者は255万人(12.4%増)、派遣先は66万件(32.7%増)、年間売上高は4兆351億円(前年度比41%増)。2006年度は、派遣労働者は321万人(26.1%増)、売上高は5兆4189億円(34.4%増)。
 入社して早期にやめる人の大部分は、企業社会の中でへとへとになり、閉塞感を抱えた人たちである。たとえば、SE(システムエンジニア)の世界では、成果主義が行きすぎ、先輩社員は自分の成果を守るために、後輩に仕事を教える余裕がなくなり、目先の仕事、目先の成績にとらわれ、長期的な技術の向上や伝承という意識が希薄化している。
 メガバンクの大量採用は、人事戦略なしの横ならび。雇った一般職の全員が定年まで残ったら人件費がかかりすぎるため、ある程度の年数でやめることを銀行は想定している。
 国は、なにより若者が安定した雇用につける制度を作るべきではないか。
 私も、まったく同感です。そもそも派遣労働者を認めること自体が間違っています。せいぜい、正社員とパートにすべきです。
 この本を読んで、歯科医までがあまっているため、低賃金・不安定雇用で苦労しているというのを知って驚きました。まさか、という思いです。
 日本を捨てて中国へ飛び出していく日本人の若者もいるようです。それはそれでいいのですが、中国の人々からしたら複雑な気持ちになることでしょうね。なにしろ、同じ仕事をしていても給料に大きな差があるというわけですから。
 正社員になったら長時間労働で死ぬまで働かされる。派遣社員は差別され、面白くもない雑務をずっとやらされて仕事に意義を見出せない。なんと両極端なことでしょう。
 実は、私の娘も、今、そこで悩んでいます。最近まで派遣をしていましたが、責任のない仕事は面白くないといって、いったん辞めた元の職場に戻ったのです。そこは、過労のために病気になりそうなほど働かされるところです。いやあ、その中間がないものかと、親としては考えさせられます。人を軽々しく将棋の駒のように使い捨てにできる存在に変えたのは、財界の要求に政府が応じたからです。なんでも効率本位のアメリカ型労務管理の悪い面があまりにも出すぎています。
 もっと楽しく、意義のある仕事をみんなができるようにしたいものですよね。すごく時宜にかなった本です。 
(2008年6月刊。1700円+税)

2008年9月29日

サザエさんの東京物語

著者:長谷川洋子、 発行:朝日出版社

 サザエさんの作者、長谷川町子の実妹による町子の実像を紹介する楽しい本です。
 ワンマン母さんと串だんご三姉妹の昭和物語。
オビのこの文句がぴったりくる内容になっています。サザエさん、マスオさん、カツオにワカメ。戦後日本の世相をよくよく描いていたと思います。ほんわかとした絵が読む人の心を大いに惹きつけました。
 長谷川町子は、家の中では「お山の大将」で傍若無人。声も主張も人一番大きかった。我が家の中だけが彼女にとって本当に居心地のいい世界だったから、喜怒哀楽はすべて家庭の中で発散していた。三つ子の魂百まで、というか、かつての悪童は閉鎖的な家庭の中で、そのまま大人になってしまった。
家庭漫画って、清く正しくつつましく、を要求されるでしょう。だけど、それって私の本性じゃないのよね。だから「いじわるばあさん」のほうが気楽に描けるのよ。私の地のままでいいんだもの。
このように、町子は「いじわるばあさん」を自認していた。その割には、反省の色が少しもなかった。町子は一生独身だった。婚約したのに、それを土壇場で断ったのだ。
たくさんの愛読者に答えるためには、昨日より今日のほうが、今日より明日の方が作品はより面白くなくてはならないと、半ば強迫観念に似た思いが町子を苦しめていた。始終、胃が痛いと言って枕で胃の辺りを押さえていたし、病院の薬もあまり効き目がなかった。
 家族は町子の健康を心配して、「こんなしんどい仕事はいいかげんにやめたら」と頼んでいた。それに対して、町子は「でもね、いい作品ができたときの嬉しさや満足感は、あなたたちの誰にも分からないわ」と言って取り合わなかった。
 町子は、人に会うのが苦手で、パーティーや会合にほとんど出席したことがなかったので、友人や知人が極端に少なかった。ユーモアたっぷりの磯野家の雰囲気とは少し違うようですね。ひょっとして対人恐怖症だったのでしょうか…。
 長谷川町子のワンマンぶりがユーモアたっぷりに紹介されています。そして、串だんご三姉妹で末っ子として可愛がられた著者が、町子や姉と分離・独立していくときの心境には、なるほど、人間にとって独立と自由ほど尊いものはないんだなと、つくづく思わされました。なにしろ、「30億円」もの遺産を相続放棄したため、まさかと思った税務署が隠し遺産があるのでは、と疑って調査に来たほどだというのですから…。 
 パリにはタクシーがたくさん走っています。流しのタクシーもいると思います。エクサンプロヴァンスでは駅前にタクシー(車)はあるのに、運転手がいませんでした。タクシーは電話で予約するものなのです。でも、こちらはテレカルト(テレホンカード)を持っていません。仕方なく、ホテルまで20分以上も重たいスーツケースを引っ張って歩きました。しかも、果たしてこの道でいいのか不安のままに…。
 ニースではタクシーがなかなか見つからず、やっと見つけたタクシーには日本人のカモと思われたらしく、65ユーロもぼったくられてしまいました。というのも、バスセンターの周囲にはタクシーが一台もいなかったので、帰りの足をむやみに心配してしまったためでした。
(2008年4月刊。1200円+税)

2008年9月26日

金を追う者、追われる者

著者:室井 忠道、 発行:オン・ブック

 サラ金は回収に絶対の自信(?)を持っている。嫌がらせと、しつこさという武器をなりふりかまわず使う。これには、大手も中小もない。取立てに関しては、ヤミ金業者と五十歩百歩だろう。
 多重債務者からの回収合戦は、ババ抜きのようだ。といっても、ゲームのトランプのように、ババが一枚入っているのではない。スペードのエースが一枚だけで、あとはすべてババという、ババ抜きゲームだ。だから、きつい取立てに一斉に入るのは当たり前のこと。
多重債務者をATMに群がる「振込み蜂」と呼ぶ。それは、人生そのものを削り取られていくことだ。それでも、その毎日を続ける。それが破産予備軍だ。
 月に2度、特別集中回収を行った。男性スタッフ6人が2人ずつのチーム3つに分かれ、回収に走り回る。一回の集中回収は2泊に及ぶため、ビジネスホテルに部屋をとる。
 深夜、管理(回収)が終了すると、回収してきた現金を持って3チームが社長の部屋に集合する。ベッドの上で、社長が現金を数え終わると、自動販売機で買ったビールを飲みながら1時間ほど反省会とも自慢会とも言えるときを過ごす。これが全員の楽しみだった。
 サラ金の取立てから逃れてきて社員になって取り立て側にまわっていた男性の話も出てきます。取り立てをしながら、わが身に思いを至していたようです。
サラ金悲劇というのは、特別な人に起きるのではない。
本書は、油断をしたり、つまらない見栄を張ったりすることで、自分を含めて誰にでも起きる出来事として13話がつづられています。サラ金の回収する側からみた人間社会の実相です。
ふだん回収される側の人々から相談を受けている私にとっても、大変勉強になる本でした。前に、この著者の『借金中毒列島』(岩波書店)を紹介したことがあり、著者より贈呈されましたので、ここに紹介いたしました。ありがとうございました。 
 秋分の日には彼岸花がたくさん咲いていました。黄金の稲穂には朱色の花が良く似合います。我が家の庭には、淡いクリーム色のリコリスがあちこちに咲いています。とても気品のある花です。見てるだけでさわやかな気分になってきます。縁取りがピンクの白いエンゼルストランペットの花、そして芙蓉の花も咲いています。秋の抜けるような青空の下で、花たちが美を競っているようです。
(2008年8月刊。1800円+税)

2008年9月24日

ハンドシェイク回路

著者:田島 一、 発行:新日本出版社

 いやあ、すごいすごい。ぐいぐい読ませる小説でした。現代の最先端企業の中で、何が起きているのか。エリート社員たちが過労死・過労自殺するのはなぜなのか。派遣社員ではない正社員がボロボロになるまで企業にこき使われている実態が克明に紹介されています。まさしく息詰まる展開です。ですから、ここには『蟹工船』のような悪臭のするドロドロした職場と暴力支配はありませんが、清潔で超近代的な職場の中でも企業の暴力的かつ非人間的な専制支配が貫いていることには変わりないことが分かります。
 問題は、そのような状況に労働者たちが唯々諾々と従うだけなのか、反抗し起ち上がる可能性がまったくないのか、ということです。この本には、長年、大企業の中で思想差別を受けてきた団塊世代の労働者も登場します。いえ、実は、その人が主人公なのです。
 大企業は、思想差別したことを裁判で認めて、差別撤廃を実行しました。だから主人公はプロジェクトチームに組み込まれ、過酷な労働現場に投げ込まれてしまったのです。定年間際なのに、納期に間に合わせるためには徹夜作業もこなさなくてはいけません。主人公の体調がおかしくなり、ついに休職・配置転換の申し出を決意します。
 ところが、エリート社員の方も異変が起きていました。取締役間近の責任者は過労のために入院するし、現場の中心となっている東大卒の技術社員も心身に変調をきたし、一時は自殺願望まで持っていたというのです…。
 電機メーカーの職場を克明に取材した小説です。迫真の描写にただただ圧倒されました。なにしろ、すごいんです。ぜひ、あなたも読んでみてください。職場の大変な状況がひしひしと伝わってきます。
 差別是正のあとに、このような形で仕事の負担となって現れるとは、思ってもみなかった。というより、それは見えなかったというのが正しいのかもしれない。
 タイムスケジュールで管理される開発の最先端の部隊に組み込まれると、個人としては時間がままならなくなってしまう。プロジェクトチームに入るというのはそういうことなのだ。
 このような業務に無縁の扱いを受けてきた者にとって、年齢を経てから就いた第一線の場はかなり厳しいものがあった。
 周囲の労働者が、ここまで働いているとは知らなかった。これまで、過酷な労働が牙をむいて襲い掛かってくることは決してなかったし、ある意味で差別という環境下で、自分は安全地帯にいたと言えるのかもしれない。だから、若者たちがこれほどまでに働かされ、仕事に絡めとられているという実態が十分に把握できていなかった。それが現実のものとして実感できたのは、プロジェクトチームの一員となって、責任を共有してからだった。
 長い間、職場から排除されて、若者との接触が絶たれていた。それは、支配層には都合がよかった。だけど今、やっと若者たちと力をあわせてやれるときが来たんだ。がんばらなくっちゃ。
 うん、うん、そうなんです。まったく同感です。団塊世代の私たちは、今こそ20代、30代の若者たちに声をかけ、一緒に行動していくべきなんだと思います。
 現場の若者たちの心の闇は深い。だいたい何かを一緒にやって、それを実現させたという経験がないんだから、何をやっても燃えないんだよね。
 この状況を変革しないことには、日本はいつまでたっても変わりません。アメリカにならってルールなき資本主義化に狂奔している日本ですが、せめてEU諸国のように節度ある人間尊重の資本主義国でありたいものです。今の大企業(メーカー)の最先端の職場の状況を知りたいみなさんに一読をおすすめします。 
 フランスで切手を買うのに苦労した話です。私は外国旅行に出かけたとき、ほとんど買い物はしません。なによりスーツケースが重くなるのが厭なのです。その例外は絵葉書です。これも貯まると重たくなりますので、切手を買って日本へ送るようにします。すると、日本に帰ってから、絵葉書を眺めながら、ああ、こういうことがあったな、これを見たねと思い出せる楽しみがあります。パリで切手を買おうとしたときのことです。自動販売機がありました。窓口には行列ができています。この自動販売機は送るものの重量を測らないといくらの切手なのか分からない仕組みです。それでマゴついてしまいました。そして一度に何枚も買えません。同じ操作を繰り返さないといけないのです。ところで、郵便局の出入り口には変なおじさんが待ち構えています。この人、誰なの。不思議に思いました。あとで、要するに物乞いの男性だったことが分かりました。誰か来ると、さっとドアを開けてくれるのです。来た人が、チップを素早く手渡す光景を見て、やっと思い当たったのです。
(2008年7月刊。2000円+税)

2008年9月20日

草すべり

著者:南木 佳士、 発行:文芸春秋

 この著者の文章は、ちょっと働きすぎて疲れちゃったな、そんな気分のときにすーっと胸にしみいる気がします。
 浅間山、千曲川、佐久平・・・。中年になると、山登りもきつくなります。それでも山に登りたくなるのです。そのときの心の微妙な揺れ動きが、哀愁の響きとともに語られます。
 著者とおぼしき医師が登場します。死にゆく患者を看取ると、医師のほうにも疲れが募り、医業のむなしさにぶつかってしまいます。
 山歩きは、どこかしら書く作業に似ており、書かれた言葉が次の言葉を呼んで、物語の世界が少しずつ様相を変えながら構築されていくのと同じで、汗にまみれて到達した頂からの眺望が次の目標を無意識の中に植え込み、新たな山域の清浄な大気は、さらに先へと向かう意気の燃料となる。
 芥川龍之介の『河童』が紹介されています。はてさて、高校生の頃読んだはずだが、いったいどんな内容だったのだろうか、と思いました。さっぱり思い出しません。『河童』は、芥川が36歳で自殺する5ヶ月前に発表された作品だそうです。今一度読んでみようかな、と思いました。
 著者の本をもとにした映画「阿弥陀堂だより」を思い出しました。素晴らしい四季折々の大自然とともに、しみじみと人生を考えさせてくれる傑作でした。
 パリやトールーズの街角のあちこちに自転車置き場を見かけました。いかにも貸し自転車という感じで、パーキングメーターにつながれています。若者が近寄って、ひょいと乗って立ち去る姿を何回も見ました。最近のNHKフランス語講座で、これはヴェリブというシステムだと教わりました。先日の新聞記事でも紹介されていました。市民が保証金を支払って登録すると、30分以内ならタダで自転車に乗れ、どこででも返すことができるというのです。しかも、協賛企業に費用を負担してもらっているので、市の負担はないとのことです。パリ市内だけで2万台の自転車が用意されているそうです。自動車を市街地から減らすためのいいアイディアだと思いました。
(2008年7月刊。1500円+税)

2008年9月19日

渥美清の肘突き

著者:福田 陽一郎、 発行:岩波書店
 本書は、渥美清やクレージーキャッツをテレビの世界に引き入れ、越路吹雪にテレビ一人芝居をさせ、三谷幸喜が演劇を志すきっかけをつくり、夏目雅子の最初で最後の舞台を演出した鬼才の貴重な自伝だ。
 これは、本書の表紙ウラの言葉です。昭和7年(1932年)生まれだそうですから、今は76歳になる著者がテレビ草創期のエピソードなどを含めて、自分の人生を振り返ったものですが、貴重な現代史の証言となっています。
 私も前はテレビを見ていましたので、それなりに状況はわかるのですが、舞台を見たことは残念ながらほとんどありません。東京近辺にいたとき、『泰山木の木の下で』という確か劇団民芸の舞台を見たな、という程度です。樫山文枝(「おはなはん」を見て憧れていました)が登場した記憶があります。
 渥美清は、昔から舞台と映画を見に行っていた。著者も誘われてよく一緒に行った。舞台の後のお茶や食事の雑談が楽しみだった。渥美清と一緒に行ったときには、隣り合わせに座る。舞台が始まって15分か20分たつと、隣席の渥美清から無言の軽い肘突きが来ることがある。こりゃあもう駄目だから、一幕で帰ろうぜ、の合図なのである。
 この合図が、この本のタイトルになっています。渥美清は次のように言ったそうです。
 最初の15分でお客を舞台に引っ張り込めなければ駄目だ。よほどのことがなければ、あとは知れてる。
 渥美清の言うことには一理ある。最初の15分、20分で観客をひきつけられない、引っ張り込めないなら、盛り返すのは難しい。難しいといわれる芝居でも、説明や解説的なことで20分も費やしていたら、いい台本とも言えないし、いい演技・演出とはとても言えない。「肘突き」で困ることはまずなかった。渥美清の直感は正しいことが多かった。肘突きがあって休憩の合間に抜けた後は、時間もあるからその雑談のほうも何倍も面白かった。身振り手振りを変えて描写するので、腹を抱えて笑った。マドンナ女優を的確につかんでいた。そして若手の俳優をよく知っていた。柄本明の名前も渥美清から聞いて知った。
 なーるほど、なるほど、と思いながら昔を懐かしみつつ読み進めました。 
 フランスの駅で切符を買うのは大変です。自動販売機もありますが、コイン専用で札を受け付けません。ですから、ちょっと遠いところは窓口で買うしかありません。ところが、窓口にはいつも長蛇の列ができていて、20分とか30分とか待たされます。というのも、一人一人が駅員相手に観光案内所のように相談をしている気配なのです。だから時間がかかります。それで、時間のない人は列の先頭に割り込みます。後ろから文句を言う人には、だって時間がないものと言い返す厚かましさが求められます。これって、大変なことですよね。
(2008年5月刊。2400円+税)

2008年9月11日

ケータイ・ネット時代の子育て論

著者:尾木直樹、出版社:新日本出版社
 私の法律事務所でも最近、ケータイにホームページを開設しました。今のところ、毎週140人ほどのアクセスがあります。もちろん、まだまだです。名刺や封筒にQRコードを刷りこんで大いに宣伝しているところです。今や若者のほとんどが手にケータイを持っている時代です。そこへアクセスして客を誘引しようという試みです。ちなみに、作成したのは最若手の事務職員です。したがって開設費はタダ。運営費もタダなのです。いやあ、信じられませんね。
 ケータイが鳴ると、多くの子は即座に返信する。このレスポンスが15分も遅れると、その子は「友人」のワクからはずされてしまう。メールの送信回数が1日41回以上の生徒は、5回以下の生徒に比べて、男子で1.7倍、女子では1.4倍も、いじめの加害者になっている割合が高い。
 小学校や中学校でいじめにあった被害者のうち、高校で加害者側に転換した者は、一貫した加害者に比べ、何と17倍にも達している。
 今やメールで知り合い結婚にまで進むカップルも珍しくない時代である。
 実際、私の知っている弁護士本人、そして弁護士の妹さんがメールで知りあった相手と結婚して、幸せな家庭生活を営んでいます。いかがわしい「出会い系サイト」ばかりではないのですね。
 親が子育てにどう関わるかで、最近、目立った特徴がある。それは、父親が子育てに参加するのがきわめて多くなったということ。授業参観に参加する父親は2割くらいいるし、学習塾の説明会となると6割になることもある。大学でも入学式から就職説明会まで保護者同伴が当たり前となった。
 そして、それはモンスターペアレントがダブルモンスターになることもあることにも直結している。つまり、父親が「まあまあまあ」と言う止め役、なだめ役にまわるのではなく、夫婦一緒になって興奮しながら教師や学校に抗議し続ける姿である。
 しかし、父親と母親とが同じ立場から子どもの教育に熱を入れ口出しすると、子どもが逃げ場を失いかねない。まずは、離れた目線で、子どもの表情や態度を観察してみる必要がある。そうなんですよね。でも、これって、口で言うのは易しでもあります。
 最近、連続して起きた家庭内殺人の家庭には共通の特徴がある。親が地域の名士、高学歴で社会的地位の高い職業に就いている、加害少年少女はまじめで成績優秀、という傾向。その子どもたちは受験などへの親からの圧力にさらされている。
 また、これらの少年少女には自尊感情がたくましく育っておらず、自己肯定感がきわめて脆弱である。家庭が心安らぎホッとできる居場所ではなくなり、息詰まる緊張感や抑圧感に満ちていた。
 うむむ、かえりみると、わが家は果たしてどうだったのでしょうか。胸に手をあててみて、深く反省せざるをえません。子どもに対して、かくあれかし、というのを強く押しつけ過ぎたように思って、顔から汗が噴き出してしまいました。一言、弁解すると、まあ、それだけ真剣に子育てに向かいあってはいたのですが・・・。ネット、ケータイ時代において子育ては、一段と難しいと思ったことです。
(2008年1月刊。1500円+税)

2008年9月10日

不機嫌な職場

著者:高橋克徳・河合大介ほか、出版社:講談社現代新書
 仕事というのは、言われたことをやるだけでなく、言われていないことをやることだ。そう、そうなんです。まさに、このとおりです。言われたことを、渋々、少しばかり手抜きして、能力の出し惜しみをしてするのは本当に仕事をしたことにはなりません。
 グーグルでは、採用面接のときには、20人近くが候補者と面接する。そのときに重視するのは、スキルはもちろんのこと、他のグーグルの人と一緒に働けるか(コワークが出来る人かどうか)という点と、その人が自分で動ける人(セル)スターターの人かどうかという点である。
 グーグルでは社員の個室をつくらない。日本法人では、社長もオープンな場所に自分の机がある。物理的な壁をつくらないということだ。
 別の会社のことです。2年間はたらくと5日間(休んでファイブ)、5年間働くと1ヶ月(休んで1ヶ月)のリフレッシュ休暇が与えられる。いやー、いいですね、これって・・・。頭というか発想を切り換えるには、なんといってもゆとりが必要ですよ。
 私も40歳代前半のころ、北九州第一法律事務所にならって、40日間のリフレッシュ休暇をとったことがあります。パリに前後泊したほか、南フランスのエクサンプロヴァンスで4週間近くの外国人向けフランス語夏期集中講座に参加したのでした。日本のことを一切忘れてフランス語の勉強をして、本当に心身のリフレッシュになりました。
 築城3年、落城1日。協力につながる信頼関係は、壊すのは簡単だが、構築するのには時間がかかる。一般に、社内の関係性が明らかに変わりはじめるのには3年くらいかかる。そして、継続の力を人に与えるものは、信念である。
 自分の仕事で最高の仕事をしたかったら、周辺分野の知見をあわせ持つことが必要だ。 うむむ、なるほど、と私も思います。お互いがタコツボに入り込んでしまうような状況をつくらず、お互いをよく知る。お互いの意図や人となりを知ることのできる状況をつくり出す。そのうえで、根源的な感情、つまり感謝や認知を通じた効力感というインセンティブが働くようにする。
 うーん、そういうことなんですね。これって口で言うのは易しくて、実行って大変なことですよね。ギスギス職場にならないよう、自戒他戒したいものだとつくづく思いました。
 9月の第一週の日曜日のことです。朝から奇妙なほど静かです。蝉の鳴き声がしないのです。おや、もう蝉の季節は終わってしまったのか、今年はやけに早いな、と思いました。すると、夕方になって早めにお風呂に入っていると、ツクツク法師の鳴き声が遠くに聞こえました。寂しい声でした。
 庭に甘い朱色の曼珠沙華が咲いています。秋を感じます。ヒマワリがまだ咲いていますが、隣の芙蓉のピンクの花の引き立て役になってしまいました。酔芙蓉はこれからです。黄色いエンゼルストランペットも咲いています。裁判所には白い花で、ちょうど逆向き、上向きの花があります。名前を聞くと、ダチュラということでした。あれ、エンゼルストランペットの別名もダチュラというんじゃなかったっけ、ふと疑問に思いました。
(2008年1月刊。720円+税)

2008年9月 7日

ケータイの裏側

著者:吉田里織・石川一喜、出版社:コモンズ
 今や電車の1車両にいる乗客のうち、ケータイを手に持って操作している人の割合は3分の1に近い。
 2008年1月のケータイは1億550万台。固定電話の契約数は6196万台である。
 もっとも軽いケータイは80グラムしかない。卵1個半の重さだ。
 ケータイは、メールの回数が通話より圧倒的に多い。日本のケータイはメール中心だ。そして、女子のほうが男子よりメールの受発信数が多い。
 アンテナを外に引き出す必要がないようにチップ誘導体アンテナを開発したのは村田製作所。
 自ら発光する有機ELは背後から照らす必要がないので、薄型化を容易にした。
 リチウムイオン電池も軽量化に寄与した立役者のひとつ。マナーモード用のバイブレーション機能も、直径3.5ミリの小型モーターの内側にある田中貴金属の独自の技術によるブラシが不可欠である。
 世界のケータイの主流はメールの送受信ができれば十分というGSM方式だが、日本ではその上の第三世代である。日本のケータイは世界市場に占めるシェアは小さいのですが、これからどうなるのでしょうか。世界の人々が日本型の多機能型ケータイを目ざすのかどうか、予断を許しません。私は、けっこう世界に受け入れられると思いますが・・・。
 ケータイは宝の山。電池を抜いたケータイには1トンあたり200〜300グラムの金が含まれている。世界の主要金鉱山の平均含有量は1トンあたり5グラム。世界最高品質の金鉱である鹿児島の菱刈鉱山は1トンあたり50グラム。な、なんという含有率の高さでしょうか。
 NTTドコモグループは、2006年度にケータイ再資源として、金124キロ、銀が352キロ、銅に至っては2万9025キロも取り出した。
 ケータイは複数のレアメタルを必要とするハイテク製品である。ケータイを10年以上つかい続けていると、脳腫瘍になる可能性が増すことが明らかになった。
 頭部に発信源を近づけて使い続けるので、強い電磁波が頭を直撃する。
 動物実験では、脳の機能が影響を受ける可能性も指摘されている。
 いやあ、ケータイ依存症が日本の青少年にはびこっているわけですが、このまま放置しておいていいのか、大いに心配になりました。
 ちなみに、私のケータイは発信専用です。一日中、スイッチはオフにしてカバンの中にしまっています。1日に1回か2回、発信につかえばいいほうです。公衆電話がないので、持ち歩いているだけなのです。それでも、最近、ケータイ・ホームページを開設しました。パソコンに長けた事務員が2時間たらずで、あっという間に起ち上げてくれました。しかも、運営・維持費がいりません。毎週、法律相談コーナーを更新しているところです。
(2008年4月刊。1700円+税)

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