弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

生物

2015年12月16日

時を刻む湖

(霧山昴)
著者  中川毅 、 出版  岩波書店

「レイク・スイゲツ」というのが世界に有名なのだそうです。福井県にある水月湖のことです。いった何のことでしょうか・・・。
  「世界一精密な年代目盛り。福井・水月湖。堆積物5万年分。誤差は170年。考古学の標準時に」
  水月湖は、日本海の若狭海岸に位置している。水月湖には直接流入する河川がなく、水深も30メートル以上と深い。水月湖の年縞は、氷河期の寒い時代には1枚が0.6ミリ、その後の暖かい時代には1,2ミリ。これが厚さにして45メートル、時間にして7万年分たまっている。
縞模様は、1枚が1ミリにも満たない薄い地層。この薄い地層は1年に1枚ずつ、きわめて規則正しく堆積したもの。年縞と呼ばれる。
水月湖の底にたまる物質は、春は、珪藻が大繁殖したあと死滅して湖底にたまったもの。夏は、植物プランクトンが死んで湖底に沈んだもの。これは、比較的厚い有機物の層となる。秋から冬にかけては、鉄の炭酸塩が析出して湖底にたまる。このように水月湖の湖底には、季節ごとに違う物質が堆積している。
  水月湖は、周囲を高い山に囲まれているため、日本海の強風が直接吹き付けることがない。多少の風が吹いても、水深34メートルと深いため、湖底の水までかき混ぜることはない。だから、波や風によって湖底に酸素を供給することはない。
  水月湖の湖底には、セ氏4度の水があり、湖底から浮かび上がれないので、湖底は大気から切り離されて酸欠状態になる。そのため、年縞が生物によってかき乱されることもなかった。
水月湖にある活断層は水月湖を深くする方向に作用している。このスピードは、水月湖に堆積物がたまるスピードよりわずかに速い。この絶妙なバランスのおかげで、水月湖は埋積によって浅くなることもなく、7万年もの長いあいだ年縞を形成し続けることができた。
  学者たちは、土の縞模様をひたすら数え、葉っぱの年代をひたすら測り、それらを組み合わせていった。単純だが、それだけに根気のいる作業を何年にもわたって続けたのです。偉いですよね。木の年輪と同じものを垂直の土の縞で明らかにしたというのです。しかも7万年分も・・・。その多大なご苦労に対して心からなる拍手を贈ります。

(2015年9月刊。1200円+税)

2015年12月14日

ゴリラ(第2版)

(霧山昴)
著者  山極 寿一 、 出版  東京大学出版会

  初版の「ゴリラ」も読んでいますが、10年ぶりの第2版です。
  著者は、現在、京都大学総長です。アフリカのゴリラ研究の第一人者です。今から40年も前のことに始まります。著者が初めてアフリカの地を踏んだのは、1978年7月のこと。
  ゴリラのメスは、まれにしか交尾をしないし、繁殖には時間がかかる。258日間という長い妊婦期間を経て出産すると、その後、3年間の授乳期間は発情しない。
  マウンテンゴリラは、特殊化した葉食者とみなされた。
  葉食者が果実食者と比べて集団重量あたりの遊動域が狭くてすむのは、葉が果実に比べて大量に、そしてどこにでも得られる性質ももっているから。そして、仲間が増えても、食物が不足することがない。
  父系の会社は、アフリカにすむチンパンジーとボノボなどに知られている。
  類人猿の社会構造は大変多様だ。テナガザルはペア、オランウータンは単独生活、ゴリラは単雄複雌の集団、チンパンジーとボノボは複雄複雌の集団をつくって暮らしている。
  ところが、どれも思春期にメスが母親のもとを離れるという性質をもっている。
  メスが血縁どうしで結束する社会からは、メスが集団間を移籍する社会は生まれない。
  チンパンジーとゴリラの社会はメスの移入を許さない。ゴリラのメスは、一緒に遊動するオスがいれば、メスの仲間がいなくても生きていける。これが母系社会と違うところ。
  母系社会のメスにとって、ともに遊動生活を送るメスの仲間がいることが生存するうえで不可欠。それも血縁のメスであることが望ましい。
  ゴリラのメスは、みずから積極的に移籍している。およそ8歳のころのこと。移籍先で子どもが生まれないと、再移籍することが多い。
  幼児のころから顔見知りの親子や兄弟の間柄にあるオスたちは、ひとつの集団にメスとともに共存できる。
  単独オスは、音を立てずに距離をおいてついて歩くので、気づかれない。メスだけに自分の姿を見せて誘う。若いオスが離脱するときには、まず親集団とつかず離れずして自分の遊動域を拡大していく。オスのほうがメスより集団に未練を残しながら、ゆっくりと去っていく。
  ゴリラは、ニホンザルと違って、力の劣る相手に自分の採食場を譲ることがある。そして、食物を譲るときにも、必ず地面や膝の上に落としから相手にとらせる。口や手で渡すことはしない。ゴリラは相手と直接かかわるのを避け、なるべく接触しないようにして対等につきあおうとする傾向が強い。
  こんなゴリラの生活習慣って、本当に人間とよく似ていますよね。そのゴリラが、アフリカで絶滅の心配があるといいます。森林がなくなり、戦争し、人間が病気をもち込むからです。みんな、私たちにはね返ってきます。
 ゴリラ、チンパンジー、サル。本当に面白いですね。観察するのは大変だと思いますが、ぜひ引き続きたくさんレポートしてほしいものです。


(2015年8月刊2900円+税)

2015年12月11日

「刑務所」で盲導犬を育てる

(霧山昴)
著者  大塚敦子 、 出版  岩波ジュニア新書

  とても素晴らしい取り組みだと思いました。「刑務所」で収容者が盲導犬を育てるというのです。
  子犬が産まれてから盲導犬になるまで2年もかかる。子犬は生後2ヶ月までは母犬のそばで兄弟と一緒に育つ。そして、その後の10か月間を「パーピーウォーカー」と呼ばれるボランティア家庭に預けられ、人の愛情をりっぱに受けて育つ。1歳になると、盲導犬訓練センターに送られ、6ヶ月から1年ほど、プロの訓練士による本格的な訓練を受ける。そして、次に視覚障害者との共同訓練をして、2歳で盲導犬デビューをする。と言っても、実際に盲導犬になるのは3~4割ほど。
  パピーウォーカーのものとで育つ10ヶ月間は、盲導犬になるための「社会化」をする非常に重要な時期。「社会化」とは、人間や人間の暮らす環境に慣らし、人間社会で生きていける犬に育てるということ。
  盲導犬になるためには、愛情を注いでくれる人のもとで、規則正しい生活リズムを身につけ、人混みや駅、電車や車、雨や雪など、さまざまな状況を経験し、人間社会に暮らすためのルールを学ぶ必要がある。何より肝心なのは、その過程で人間に対する信頼を築くこと、人間のために働くのが楽しいと思えるような犬を育てることが、パピーウォーカーのもっとも重要な仕事だ。
  島根あさひ社会復帰促進センターは、日本で4番目の「PFI刑務所」。ほかには山口県の美称、兵庫県の播磨、栃木県の喜連川にある。PFI刑務所は民営刑務所ではない。民間の資金とノウハウを活用して、施設の建設、維持管理・運営をおこなう刑務所。公権力の行使は国の責任。民間は、受刑者の給食、清掃、警備、受付などを担当する。
  日本の刑務所の収容者は2万3千人ほど。男性のほうは定員オーバーの過剰収容状態は解消された。男性は2007年(H19)より減少傾向にある。ところが、女性の収容者は増え続けていて、20年前の3倍にもなっている。
  PFI刑務所では、全員が職業訓練を受けられる。
  国が負担する受刑者1人当たりの費用は、年間250~300万円。
  刑務所で盲導犬を育てるという試みは、アメリカで始まり、成功したといいます。
  犬を訓練するうちに、人間への不信や怒りに満ちていた受刑者たちが、再び人間を信じる心を取り戻していった。人を傷つけただけでなく、みずからも深く傷ついた受刑者たちが、命あるものをケアし、誰かの役に立つ経験をすることで、自分自身を肯定し、他人をも尊重できるようになっていった。
  心温まる本です。犬派の私には涙がこぼれそうなほど、うれしい本でもありました。


(2015年2月刊。840円+税)

2015年12月 7日

すぐそこに、カヤネズミ

(霧山昴)
著者  畠 佐代子 、 出版  くもん出版

  河原の草に巣をつくって生活している愛らしいネズミの話です。
  苦労して探し求めたカヤネズミの巣が大雨のあとの洪水で流されてしまったり、河川管理事務所の除草作業で一掃されたり、小動物を保護するのも大変です。
  カヤネズミは日本で一番小さなネズミ。6センチの大きさなので、大人の親指くらい。体重は8グラム、500円玉の重さ。それほど体が小さくて軽いので、草の上に乗れてしまう。
  目は黒いビーズのようにつぶらで、とても可愛らしい顔をしている。
  背中はオレンジ色の毛、これが冬になると黒っぽい茶色になる。カヤネズミの骨は鳥と同じくらいに軽く、体重の5%しかない。ちなみに人間の骨は体重の15%。
  カヤネズミの主食はイネ科の植物の小さな種やバッタなどの昆虫。
  カヤネズミの巣は、茎についたままの葉を編んでつくる。しっかり植物の本体につくっている。教えられるというより、本能で草を編んで巣をつくるのです。休憩用の巣をつくるのに2時間、子育て用の巣だと5時間かけてつくる。
  カヤネズミは、巣づくりから子どもの世話までの全部をメスがやる。オスは子育てにはまったくかかわらない。
  カヤネズミは3個から5個の巣をもっていて、ときどき引っ越す。生まれて2週間で、子どもは乳を飲まなくなり、生後3週間までに一人だちし、2ヶ月で大人になる。カヤネズミの寿命は1年ほど。
カヤネズミの天敵はヘビ。ヘビに狙われたら子どもたちは一気に呑みこまれて全滅してしまう。
 今、カヤネズミは日本中からだんだん姿を消している。開発のために日本の草地が減っている。100年前の明治時代の日本は、面積の13%が草地だった。それが、今や、わずかに0.9%、そして、減り続けている。
  カヤネズミは夜行性。昼間の観察は難しい。筑後川にもカヤネズミはいます。いちど、ぜひ出会ってみたいカヤネズミです。写真がたくさんあって、楽しくカヤネズミの生態を知ることができました。


(2015年9月刊。1400円+税)

2015年11月16日

「サル学」の系譜

(霧山昴)
著者  中村美知夫 、 出版  中公叢書

 アフリカでチンパンジー研究を日本人が初めて50年。1965年10月に始まり、今なお調査は継続されている。
 これって、とてもすごいことですよね。大変な苦労があったし、あると思いますが、関係者のご苦労に対して心から敬意を表します。
 そして、対象となるチンパンジーが今や絶滅するかもしれないというのです。アフリカの森がなくなり、自然が破壊され、また観光客が知らず知らずに人間の病気に感染させているそうです。本当に人間はもっと反省する必要がありますよね。
 チンパンジーは、ゴリラと違って、「政治をするサル」として、政治的駆け引きに長け、ときに殺し合いまでします。その点、本当に人間そっくりなのです。
 そのため、チンパンジーを観察していた長谷川眞理子先生は、チンパンジーが嫌いになってしまったとのこと。
 日本サル学には独自の方法論がある。餌づけ、個体識別、歴史的方法そして共感法である。個体識別は、たとえば100頭のチンパンジーがいたとして、そのすべてを見分けて、名前をつけ、親子関係も特定していくのです。
 ええっ、チンパンジーってどれも似たような顔をしているから、見分けられるはずがないでしょ。そう思うのは素人で、プロは微妙な顔の違いを素早く見分けて、ノートに記入していくのです。すごい名人芸です。
共感法こそ、もっとも日本的なユニークさをもつ。サルの生活にとけこみ、一体化し、相互に通じあう感情的チャンネルをもつことによって、かれらの生活を実感的に感知する。
 チンパンジーのすぐ身近にまで接近しても逃げられないという関係を確立するのです。これって、すごく根気のいる仕事もありますよね・・・。
 ゴリラは、より草食の傾向が強く、チンパンジーは果実食の傾向が強い。
 伊谷教授は、森の中を1日40キロ歩いた。食料を担いでのサファリでは1日10キロも歩けたらいいほうなのに・・・。1日40キロだなんて、まさしく超人的ですね。
 チンパンジーは、サルと違って雌が集団を抜け出て、他の集団へ移っていく。それも発情が可能な雌だけ。性的に受け入れ可能な状態であることが集団を動く際の条件となる。
 人間と同じく、チンパンジーでも年寄りは保守的だ。年配の雌ほど臆病な傾向が強い。
 チンパンジーは3歳までに母親が死ぬと生き残ることができない。そして、離乳後であっても、母親を失くすと、生存上不利になることが調査して判明した。
 チンパンジーは、50歳以上まで生きる。
 「サル学」とありますが、ニホンザルではなくて、アフリカにおける日本人によるチンパンジー研究の歴史をコンパクトにまとめた本です。
 その苦労をしのびつつ、一気に読了しました。

(2015年9月刊。1900円+税)

2015年11月 9日

けもの道の歩き方

(霧山昴)
著者  千松信也 、 出版  リトルモア

 鉄砲をつかわない猟をしている著者による、山での狩猟の実際を紹介した本です。
 鉄砲をつかわないので、わなにかかった獲物は、木の棒や鉄パイプでどついて失神させ、ナイフでトドメを刺す。
 猟銃免許とは、法律で定められた猟具(銃、わな、網)をつかうための免許である。石を投げて捕まえたり、パチンコで鳥を獲ったりするのは、自由狩猟と呼ばれ、免許はいらない。日本で伝統的に行われてる鷹狩も自由狩猟だ。
 解体も、家畜なら許された施設でしなければいけないが、猟で獲った獲物については、許可も資格も必要ない。
 野生シカの解体は、膀胱と肛門の処理が難しい。腹の中を水できれいに洗い、氷を詰め込み、外側からも氷をあてがう。そうしないと、残った体温で肉が傷んでしまう。分厚い毛並みの保温力は相当なものがある。
 おおきなオスジカだと、肉が硬いので、カレーやシチューなどの煮込み料理が一般的。
イノシシが日本全国で増えている。1980年代には全国で2~3万頭だった。1990年代後半は10万頭以下だった。その後の10数年で急増し、今では2012年に46万頭をこえた。
イノシシは、本来は臆病で、変化に対して異常なほど警戒心が強い。しかし、環境への適応能力は高く、慣れてきたら、びっくりするほど大胆で、ずうずうしい。
 全身を剛毛で覆われているイノシシは、鼻さえ触れなければ、電気柵の威力はほとんどない。イノシシは雑食性なので、ミミズやサワガニ、ヘビ、昆虫も食べる。春先は筍をよく食べ、秋のどんぐりが大好きだ。
 わな猟は、におい消しが必要だ。樫の樹皮に大量に含まれるタンニンはワイヤーの銀色をどす黒く着色し、人間のにおいを消している。
 イノシシは血が抜けやすいが、シカは心臓を動かした状態で血抜きする。血が抜けきらないと、肉に臭みが残ってしまう。発情したオスのイノシシの肉は臭い。ええっ、そうなの??
 日本全国に狩猟免許をもつ人は18万人いる。その6割が60歳以上だ。クマよりも猟師のほうが絶滅危惧種だとまで言われている。
 たしかに、20年以上前には、自分の鉄砲でうち落としたカモを依頼者から毎年いただいていましたが、今やそんな人は見かけませんね・・・。
 京大文学部を出て運送業のかたわら狩猟免許をとったという異色の経歴の持ち主です。

(2015年9月刊。1600円+税)

2015年10月25日

恐竜は滅んでいない


(霧山昴)
著者  小林快次 、 出版  角川新書

 とっくに絶滅したはずの恐竜が、今も私たちの身のまわりに存在しているなんて言われたら、びっくりしますよね。アベ首相のようなウソを言う。と、叫びたいところですが、実は、こちらはウソではないのです。
 今も生き続けている恐竜とは何か・・・。それは鳥なのです。
 私の庭には、朝からいろんな小鳥がやってきます。大きいのは、カラス、カササギです。春には、うぐいすも鳴いてくれます。
恐竜の定義は・・・。
 「トリケラトプスと鳥類(イエスズメ)のもっとも近い共通祖先から生まれた子孫すべて」
 これじゃあ、まるで、何のことを言っているのか、さっぱり分りませんよね・・・。
 恐竜の化石から、恐竜の羽毛の色が知られるようになった。それは、古代イカの化石を調べるとき、イカスミの研究をしていた大学院生が技術を応用して分かったこと。
始祖鳥には、竜骨突起がない。また、肩の関節も、現在の鳥のようには動かせない構造だ。これでは飛ぶのは不可能だ。
  ティラノザウルスの化骨を調べると、痛風を患っていた形跡がある。
戦国時代に日本にいたルイス・フロイスは、日本に痛風がないことを驚いている。明治になって日本の痛風患者が増えはじめ、10年前に87万人の患者がいて、今や500万人もの予備軍がいる。
 福井県には有名な恐竜博物館がありますので、ぜひ一度いってみようと思います。
 九州には、天草にあるそうですが、まだ行けていません。


(2015年7月刊。900円+税)

2015年9月24日

オキノタユウの島で

(霧山昴)
著者  長谷川 博 、 出版  偕成社

 アホウドリという名前は、人間がいかに無知で馬鹿な存在であるかを意味しています。
 実際の鳥は、賢く、優雅です。ですから、著者は、昔のようにオキノタユウと呼ぶことを提唱しています。これには私もまったく同感です。
 著者は私とまったく同じ年に生まれ、長く20年以上も無人島に渡って、一人で1ヵ月に及ぶ生活をしながらオキノタユウの繁殖を手助けし、観察を続けてきました。
 その苦労には、心より敬意をささげます。すごいです。
 オキノタユウは、長く一夫多妻で連れ添う。片方が亡くなると、しばらくして再婚はする。
 オキノタユウは、荒れくるう海をものともせず、悠然と飛翔する。きっと、荒れる海が好きなのだ。
 火山島の鳥島には、沢など淡水の流れはない。雨水をためて生活用水を確保する。雨水を飲料水にはしない。生息しているクマネズミのふんが貯水槽に入り込んでいるかもしれないから。
 着陸の不得手なオキノタユウは、けっして無理に着陸することなく、何回も慎重に進入を試みて、安全を確信したときに初めて着陸する。
 オキノタユウを近づいて観察するときには、なるべく低い姿勢をとり、すこしずつ、ゆっくりとコロニーの縁に近づく。そこにすわってじっとしていると、鳥たちは次第にこちらを気にしなくなる。
 オキノタユウのコロニーには病気を媒介するダニやツツガムシなどが生息している。そこで、コロニーの中を歩いたあとは、全身を石けんで洗い、着換えをするほうが安全だ。
 はじめのうち、島には、オキノタユウを招き寄せるため、デコイや音声装置を設置していた。しかし、2006年5月に撤去し、今はない。
今や成鳥と若鳥の数は200羽をこえ、ひなは80羽いる。長年の苦労がついに報われたのです。大きな心からの拍手を送りたいと思います。
(2015年5月刊。1800円+税)


シルバーウィーク、久しぶりに近くの小山にのぼりました。ところが、ちょっと前に直撃した台風のために至るところ倒木だらけで、いつものコースがのぼれず、危く道を間違えそうになりました。といっても間違えたからといって遭難するような状況ではありません。汗びっしょりになって頂上にたどり着きました。
秋の終わりを告げるツクツク法師の声を聞きながら、山頂でおにぎりを美味しくいただきます。山では梅干しおにぎりが最高です。360度のパノラマ光景で下界を見おろして英気を養います。黄金色のススキの穂が風に揺れています。山頂のコスモス畑は、まだ花がちらほらとしか咲いていません。山をおりる途中のミカン畑は、まだ青いミカンが鈴なりです。今年は台風直撃によって梨は8割も落果してしまったと聞いて心配です。
ふもとまでおりてくると、見渡す限り緑のじゅうたんです。いえ、黄色の稲穂が垂れはじめていますので、黄色の混じった緑色が広がっています。それを縁取っているのが紅い蔓珠沙華です。空をカラスの群れが飛びかい、アオサギが一羽、悠々と飛んで行きます。
いかにものどかな田園風景。心が和みます。

2015年9月14日

ウルフ・ウォーズ


(霧山昴)
著者  ハンク・フィッシャー 、 出版  白水社

 アメリカのイエローストーン公園にオオカミを復活させる取り組みをたどった本です。
 オオカミは、かつては嫌われものの筆頭でした。赤ずきんちゃんの話でも、オオカミは悪い奴として登場します。なので、オオカミを打ち殺すのは当然という風潮がしっかり社会に定着していました。同じようにピューマが家畜を襲っても、ピューマを根絶やしにしろという声が起きたことはありません。ピューマを見た人が少ないこともありましょうが・・・。
 アメリカ北部のオオカミの回復は軌道に乗っている。そのための一つは、家畜生産者がオオカミの被害にあったとき、民間の基金によって補償金を支払うという制度をつくったことです。その二は、自分の土地でオオカミが子を産んだとき、その土地の所有者に5000ドルを提供するようにした。
 オオカミを復活させるためには、やはり、このような経済的手当も必要なのですね・・・。
 1930年、アメリカのほとんどの州からオオカミの姿は消えてしまった。かつて、イエローストーン地域だけでも、オオカミは3万5000頭以上いると推定されていた。オオカミがいなくなると、シカが急速に増えはじめた。
 1995年1月、アメリカの魚類野生生物局は、カナダから空輸してきたオオカミ4頭を原生地域に放した。
 いま、イエローストーン公園には、年間350万人もの観光客が押し寄せる。そして、その相当部分がオオカミ目当てだ、ここではオオカミによる人身事故は起きていない。オオカミ目あての観光客は、地域経済をうるおし、オオカミの復帰で回復した自然は世界中から来る観光客を魅了するだけでなく、教育の場として、多くの親子連れや学生たちでにぎわっている。
 オオカミの大半は、発信機なしの野生のままの状態で生息している。人々は、それを見て、当たりまえのことと思っている。
日本でも、北海道でエゾシカやキタキツネが増えすぎていることが以前から問題になっています。それもオオカミがいないことによる現象の一つです。
 日本でオオカミを復活させるのはできないのでしょうか?
 ちなみに、オオカミが人を襲う心配は、ほとんどないということです。
            (2015年4月刊。2600円+税)

2015年9月 7日

日本の森・列伝


(霧山昴)
著者  米倉 久邦 、 出版  ヤマケイ新書

 私は、秋田県の白神山地のブナを見学に行ったことがあります。見事なブナの木でした。
 日本のブナの北限は北海道。
 ブナという種が地球上に誕生したのは150万年前のこと。そしてブナの森は、今よりずっと北側にまであった。しかし、地球が氷河期に入ると、ずっと南へ生息域を移していった。
 地球が再び温暖化して、1万2000年前に、ブナは反転攻勢して北上していった。本州の北端にブナがたどり着いたのは9000年前のこと。
 ブナが北上するといっても、根があるから、タネを誰かが運んで芽を出すという方法しかない。ブナは発芽してからタネをつけるまでに50年かかる。だから100年で100メートルしか北上できない。ブナのタネを運んだのは鳥だ。ホシガラスやカケスが「犯人」として考えられる。
 北海道において、道南のブナは、アイヌの人々の暮らしとともに栄えてきた。
 北海道のブナは、葉が大きい。その代わり、葉の枚数が少ない。ブナの若木は、ミズナラやホオノキが葉をつける前に太陽の光を独占しようとして、早く太り、背を伸ばして大きな葉を広げる。
 北限のブナは、まっすぐに幹を伸ばし、高いところに枝葉を広げる。下枝もない。
ブナの寿命は一般には250年。しかし、北限のブナは170年で枯死する。
 ブナは雪の申し子だ。冷温で、たっぷりの水を供給してくれる土地が好き。でも、湿地は好まない。水はけがよくないと困る。
 ブナが実生で、発芽してから育つのは10%未満でしかない。ブナの実は、ヒグマの大好物だ。
 ブナは、保水力のある土壌が好きだ。ブナの森の土壌は、スポンジのようになっている。ブナの葉は、とても固い。そこで、まずは菌類が分解する。そして、ミミズやダニが食べられるようになり、フカフカの土壌になる。
 ブナは保水力があるところが好きだ。ブナがあるところは、さらに保水力がアップする。
 東北地方に、もともとクロマツはなかった。海岸防災に一番適した木だと分かって、クロマツの評価が一挙に高まった。クロマツが海岸林として形を成すまでに20年以上もかかった。
 動くことのできないブナは、水を寄せ集める仕組みを、木全体でつくり上げている。雨も霧も、樹幹流といって、水を見事に誘導するシステムがある。
 ブナの次は、スギ。スギにもいろいろな形があるのですね・・・。
佐渡には一度だけ行ったことがあります。あまりに人間にとって劣悪な自然の環境のためにスギの天然林があるといいます。樹齢500年の大木まであるそうです。
 木も動いていく生物なのですよね。楽しい、不思議な話が満載でした。
(2015年6月刊。880円+税)
大刀洗町に今村天主堂という立派なカトリックの教会堂があります。この地域は江戸時代を通じて潜伏キリシタンがいて、明治になって「発見」されたのでした。
 江戸時代の直前、1600年ころ筑後地方のキリシタン人口は7000人、1605年には8000人をこえていた。現在、筑後地方のカトリック信者は2900人ほどなので、当時のほうがはるかに多い。
 この今村地域は、今もほとんどがキリスト教信者です。
 なぜ、陸の孤島でもないのに大量の潜伏キリシタンがなぜ可能だったのか。秘密が厳守されていたこと、全村が潜伏キリシタンだったこと、年貢を確保するためには藩としても農民を殺すわけにはいかなかったこと、そのため村役人は「見ざる、言わざる、聞かざる」を通していたことが理由として考えられるとされています。
 私の個人ブログに、その堂々たる教会堂の写真を紹介していますので、のぞいてみてください。

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