弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

生物

2014年5月 7日

犬が私たちをパートナーに選んだわけ


著者  ジョン・ホーマンズ 、 出版  阪急コミュニケーションズ

 犬派の私ですから、このタイトルなら読まざるをえません。
 アメリカの犬は、1996年に5300万頭だったが、2010年には7700万頭になった。
 ペット用品は、年商380億ドルという一大産業に成長した。
飼い主のほとんどは、犬に話しかけることがある。81%は犬を家族の一員とみなしており、犬のなかには飼い主と同じベッドで寝る特権まで享受している。
犬は、人間がビクトリア時代に「発明」した文化の産物である。
 犬は全世界に3億頭いる。人間は70億人。牛と羊は、それぞれ13億頭いる。
 犬の経済的貢献度はほとんどゼロに等しい。犬の社会性は、人間自身の性癖を繁栄している可能性がある。
 仕事から帰ったときに出迎えてくれる犬がいるのは、誰にとってもうれしいものだ。
 犬が人間を注視することをいわない性質は、犬とオオカミの基本的な違いのひとつだ。
 犬には人間に敏感に反応する驚くべき能力がある。
 犬は、どんなときでも人間に支援されることをいとわない。その典型が、冷蔵庫をじっと見つめてから、飼い主の顔を振り返ること。
 犬は、基本的に自分で自分を家畜化していった。犬の家畜化が起きたのは、1万5000年前にすぎない。そして、犬の遺伝的多様性は東アジアでもっとも大きい。
 犬の最大の強みは、決して人間の助けを断らないことにある。
犬がこの瞬間を精一杯生きようとする姿は、人間の心を打たずにはおかない。どんなに困難な状況に置かれても、犬は快活さを失わず、新たな体験に自ら進んで飛び込んでいく。
 多くの遺跡で、犬は人間と同じように埋葬されており、犬が死後も「名誉人類」として扱われていたことを意味する。
犬をもう一度、飼ってみたいと思いつつ、旅行優先で断念している私でした。
(2014年2月刊。2500円+税)
 天神の映画館「KBCシネマ」で『チスル』をみました。「済洲島4.3事件」を映画化したものです。
 1948年4月3日、済洲島で300人ほどの武装隊が警察署(支所)を一斉攻撃してはじまった惨劇です。韓国軍がアメリカ軍をバックとしてゲリラ部隊の鎮圧作戦に乗り出し、以来、完了するまでの7年間に3万人の島民が犠牲になりました。その大半は政治やイデオロギーとは無縁の島民でした。済洲島から日本へ避難した人も多く、そのほとんどが大阪にたどり着いています。
 この映画では、3万人の虐殺場面が出てくることはほとんどありません。島内を逃げまとう島民の姿が静かに描かれ、鎮圧する側の部隊の兵士たちの葛藤も浮きぼりにされています。
 いまや年間観光客が1000万人をこえる済洲島ですが、65年前にこんな悲劇があったことを思い返すのは決して無意味なことではありません。
 情感あふれるシーンに見入るばかりでした。

2014年4月21日

パンダが来た道


著者  ヘンリー・ニコルズ 、 出版  白水社

 パンダの写真は、いつ見ても心がほわっと浮き立ちます。なんで、こんなに愛くるしい生物が存在するのでしょうか・・・。
 でも、そんなパンダですが、人類と接触するようになったのは、今から150年前のこと。もちろん、パンダはその以前から存在していました。しかし、棲息地である中国の山奥深くに、ひっそりと生きていたため、中国の古典文献にすら登場してこなかったのです。いかにも不思議な生物です。
 そして、中国革命で有名な毛沢東の東征のころ(国共内戦のころ)、パンダはしきりに欧米白人から捕獲されていたのでした。そんな、パンダの不思議な話がまとめられた本です。
 私は、かつて上野動物園で眠っているパンダの実物を見たことがありますが、あとは写真集ばかりです。和歌山には、たくさんのパンダがいるようですし、四国・四川省にはパンダの保育園があるとのことです。ぜひ見てみたいものだと思います。
 パンダは、1869年まで、中国の外では存在すら知られていなかった。実は、中国でも、ほとんど知られていなかった。150年足らずの間に、まったく無名だった動物が、世界でもっとも人気のある動物になったことになる。
 パンダは、レッサーパンダより、クマに近い。このことがDNAの解説で判明した。
竹ばかり食べるパンダは、肉食のクマの仲間なんですね。
1937年、アメリカでパンダの展示が始まったとき、初日だけで、5万3000人の入園者があり、1週間の入場料収入でパンダの取得費用をすべて回収した。
1972年4月に、中国からアメリカにパンダが贈られたとき、最初の日曜日だけで7万5000人が見に来た。
 今では、パンダに何を食べさせるかは非常にきびしく管理されている。竹のみを与え、それ以外は最小限にとどめている。
 パンダは、よく眠る動物で、エサにおかゆを食べさせると、とりわけよく眠る。
 赤ちゃんパンダの体重は、100グラムほど。母親の1000分の1にすぎない。
 パンダの赤ちゃんは、人間で言えば赤ちゃんは妊娠20週あまりで生まれてくるようなもの。
 メスのパンダが生殖可能になるのは3年半。毎年1回の春、発情期を迎える。しかし、わずか数日間のみ。
 発情が近づくと、繁殖に発声する。通常は、あまり声をあげず、音よりも、匂いにおいてコミュニケーションをとる。
 野生のメスのパンダは、1年すぎに8月に出産し、そのときには山を下り、心地のいい洞穴や木の洞を見つけて子を産む。
 パンダは不安を感じているときは、歯をすり合わせたり、くちびるを摩擦させたりして音を立てる。悲しいときは、短く鼻を鳴らすような叫び声。身の危険を感じているときは、いかにも悲痛な呻き声。そして、発情が近づいたときには、ヤギの鳴き声やさえずりにも似た短く鋭い声を発する。
 そうなんですね、パンダの声もいろいろあるのですか・・・。
 中国は、文化大革命のあと、パンダの人工授精に力を入れた。
 パンダは冬眠はしない。パンダは、5平方キロほどの狭い土地をテリトリーにしている。平均すると、1日の移動距離は500メートルほどでしかない。パンダは基本的に単独行動を好み、交尾のときだけ数日間、一緒に過ごす。
 パンダとは何か。どうしてパンダが今も生き残っているのかが、よく分かる楽しい本です。
(2014年2月刊。2400円+税)

2014年4月14日

死なないやつら


著者  長沼 毅 、 出版  講談社ブルーバックス

 生物、そして生命の不思議さを紹介した本です。ええっ、ありえない。そう叫びたくなる話のオンパレードです。
 生命とは、エネルギーを食って構造と情報の秩序を保つシステムであると定義することが出来る。むむっ、これって難しすぎる定義ですね。
 この宇宙で炭素化合物が安定して存在するには、メタンか二酸化炭素になるしかなく、それ以外の炭素化合物は、どれも不安定な状態にある。
 クマムシは、151度の高温でも、絶対零度の低温にも耐える。放射線に対しても、57万レントゲン(5700シーベルト)が致死線量。人間なら500レントゲン(5シーベルト)だから、1000倍もの耐久力がある。ただし、これは、クマムシが体重の85%を占めている水分を0.05%にまで減らしたときのこと。
 ネムリユスリカは、乾燥状態で放置して17年後に吸水させたら、元に戻った。
 ふつうのバクテリアである大腸菌は、少しずつ高圧に馴らすようにしていくと、なんと、2万気圧でも生きることができた。
深海に生きるもののなかには、無機物の鉄を酸化させて、そのときに生じるエネルギーを利用して有機物をつくって、それを栄養としているものがいる。これを「暗黒の光合成」という。
 太陽光線による光合成のようなものが、暗黒の深海でやられているなんて、本当に驚いてしまいます。
 アフリカのフラミンゴはピンク色をしているが、本来の体色は白色。赤い藻を餌として食べているので、ピンク色になった。
バクテリアの仲間の「バチルス」は、2億5000万年前の岩塩のなかに見つかったものがあり、生きていた。
こうなると、生命とは何なのか、さっぱり分かりません。
重力は普通1G。ジェットコースターでかかる最高は5G。戦闘機のパイロットは、9Gにまで耐える訓練を受けている。ところが、大腸菌などは、40万Gの重力を受けても、平気だった。
南極大陸の氷の下に、ボストーク湖がある。ここには、これまで誰も見たことのないような遺伝子をもつ微生物がたくさん発見された。1500万年前の生物に、生きたまま会えたことになる。
人間の体内には、合計すると、1キログラムほどの腸内細菌が棲んでいる。種の数は1000以下。個体数にすると100兆個。それだけ多くの「別種の生物」が体内で人間と共生している。
本当に、生命体の不思議さは驚くばかりです。
(2013年12月刊。900円+税)

 KBCシネマでやっている映画「アクト・オブ・キリング」をみました。
1965年にインドネシアで起きた大虐殺事件「9.30事件」について、加害者が何をしたのか、自らの体験を喜々として再現していくというすさまじいドキュメンタリーです。どのように人を殺したのか実際にやってみせるのです。主人公は1000人もの人を殺したと高言するプレマンと呼ばれるギャングの親分です。
 今から45年以上も前のことですが、虐殺した側は、今もインドネシアの権力の側にいて、犯罪者どころか英雄視されてきました。ナチス・ドイツが戦争に勝って、その蛮行を自慢げに語っているようなものです。
 ところが、虐殺犯が自己の体験を再現してくなかで重大な転機を迎えるのです。次のような解説があります。
 「今も権力の座にあり、誰からも糾弾されたことがないため、今でも自分を正当化することができる。しかし、その正当化を本当は信じていないため、自慢話は大げさになり、より必死になる。人間性が欠けているからではなく、自分の行いが間違いだったと気づいているからのこと」
 前に紹介しました『民主化のパラドックス』(岩波新書)が参考になります。

2014年4月 7日

旭山動物園で出会った動物の子育て


著者  小菅 正夫 、 出版  静山社

 旭山動物園の元園長が動物たちの子育ての様子を話してくれる、楽しい本です。
 元園長は私と同世代です。動物たちが本当に好きなんですね。その息づかいが、そくそくと伝わってきます。
 ハツカネズミは、出産したあと、人間にのぞかれただけで不安になり、自分が生んだ子を食べてしまった。わが子を殺されるくらいなら、自分で食べて殺してしまったほうがまし、と本能的に考えた。うむむ、考えさせられますよね・・・。
 動物は、交尾や妊娠、出産といった生命の根源にかかわることに自らの身を置くとき、神経が鍼のように尖(とが)り、自分以外はすべて敵に見える心理状態になり、完全に野生状態に戻っている。
アムールヒョウの赤ちゃんは、声を立てることの危険性を本能的に知っている。どんな動物でもそうだが、動物園で世代を重ねてきたとしても、野生の心を決して失わない。アムールヒョウの母親は、子どもに何事かがあったときに、自分が助けることができなくなると判断した状況では、大きな声をあげながら子どもの首をくわえて引きずりおろし、かみついていた。事前に、危険の芽をつんでおくのだ。
 哺乳類の動物の感覚で、もっとも重要なものは嗅覚だ。人間の生まれたばかりの赤ちゃんも、においで母親のおっぱいを識別できる。
アザラシの子は何の準備もなく、大自然に放り出されてしまう。ところが、持ち前の好奇心が子に食べ物を教え、飢えから救う。こうして、好奇心の強い子だけが生き残るので、アザラシは「種」として、好奇心の強い動物になっている。なーるほど、ですね・・・。
 オオカミは、例外的に父親が子育てをする、まれな動物である。
 オオカミの遠吠えは、子どもたちが1ヵ月ほど、父親の真似をして身につけるもののようです。それは父親が1日に何度も、根気よく練習されていた努力のたまものだ。
旭山動物園には私も行ったことがあります。この本を読んで、また行きたいと思いました。
 とりわけ、日本では絶滅してしまったオオカミの生態について関心があります。
(2013年12月刊。1300円+税)

2014年2月24日

狼が語る

著者  ファーリー・モウェット 、 出版  築地書館

 カナダ人が、北極圏で狼の身近なところ、もちろん大自然のなかです、一人でテントを張って居をかまえ、じっとオオカミの生態を観察した記録です。
 信じられないような話のオンパレードなので、本当に体験記なのかを疑いたくなります。
 1921年生まれのカナダ人である著者は兵士として第二次大戦の戦場にも行っています。それだから、こんな北極圏でのオオカミ生態調査という恐ろしい仕事に従事できたのでしょうね。
 ホッキョクオオカミは、体重80キロほどもある。鼻先から尾の先まで260センチ。肩までの高さは100センチ。
著者がオオカミの観察を始めて何日かすると、何世紀にもわたって普遍的に受けいれられてきたオオカミの性格についての人間の観念は明々白々な嘘だということが分かった。オオカミたちは、「残忍な殺し屋」ではなく、慈悲深く、軽蔑をこめながらも自制した態度で、著者に接した。
北極圏でもっとも血に飢えた生き物は、オオカミなどではなく、飽くことを知らない蚊の大群だ。
 オオカミは、週に1度、一族で家族の土地を巡回し、境界の印を更新する。これは、一種の、オオカミ式抗打ち作戦だ。
 オオカミは、きわめて規則正しい生活を送る。しかし、なお、決まったスケジュールに、ただ闇雲に従っているだけでもない。夕方早く、オオカミのオスは猟に行く。それは4時ころのこともあれば、6時か7時ころのこともある。夜の猟に出かけるが、それは家族の縄張り内に限定されている。通常の猟では夜明けまでに50~60キロの距離をカバーする。日中は、眠って過ごす。
 メスの狼と子どもたちは、昼型の生活を送る。夕方、オスが出かけると、メスは巣穴に入り込み、そこにとどまる。ときに、大急ぎの軽い食事をとりに食糧貯蔵庫に出かける。
 食物を巣穴の近くに蓄えたり、食べ残しをそのままにしておくことはない。いつも、当座に消費するだけの量が運び込まれる。
 食糧貯蔵庫は、近くに巣穴をもつキツネも使っていた。オオカミはキツネと共存している。オオカミの使っている巣穴のほとんどは、キツネが放棄した巣穴であり、オオカミがそれを拡張したものだった。
 オオカミのメスは、ただ一頭のオスとしか関係を結ばないし、しかも、一生連れそう。オオカミは厳格な一夫多妻主義である。
 オオカミは、ネズミを丸ごと食べ、お腹につめて単に戻る。そして、子どもたちの前で、すでに半分消化されたものを吐き出して与える。
オオカミは自分たちの言語をもち、仲間同士で会話している。遠吠え、嘆き声、震え声、クンクンいう声、不満の声、怒りの声、キャンキャン声、吠え声。お互いの声に知的に反応する。
 オオカミは犬より長生きする。20歳のオオカミもいる。
 オオカミでは、実際の親が誰なのかは、たいして重要ではない。孤児という言葉もない。
 交尾するのは、通常3月の2、3週間だけ。
 メスの狼は2歳に達するまで出産しない。オスは3歳になるまで子どもを作らない。
 繁殖可能年齢に達するまで、若者オオカミたちは両親のもとにとどまる。
 年寄りオオカミ、とくに連れあいを亡くしたオオカミたちは独身のままでいることが多い。
 オオカミは、体内に組み込まれた産児制限メカニズムによって抑制されている。食料となる動物が豊富なとき、あるいはオオカミの数がわずかなときは、メスは8頭といったように多くの子どもを産む。しかし、オオカミの数が多すぎたり、食料が少ないときには、1回の出産数は1頭あるいは2頭まで減少する。
 健康なオスのカリブーは簡単にオオカミから走って逃げられるし、生後3週間の子どもカリブーでも、特別に足の速いオオカミ以外なら逃げきることができる。だから、カリブーはオオカミを恐れる必要がない。オオカミが追跡の標的に選ぶのは、もっとも弱い個体か、何らかの欠陥をもったカリブーだ。
 オオカミは、決して楽しみのためにカリブーを殺したりはしない。労力の節約こそ、オオカミの行動指針だ。捕獲に適した虚弱なカリブーに出会うまで試験(テスト)の過程は、しばしば何時間にも及ぶ。いったん、そうした個体が選び出されると、狩りは新たな展開を迎える。攻撃するオオカミは、長い探索のあいだ保持してきたエネルギーを思いきり発散し、見事なスピードとパワーの高まりのなかで餌食を追い、カリブーの背後に迫る。
オオカミをやみくもに危険視するのは間違っていることを実感させる本です。
(2014年2月刊。2000円+税)

2014年2月16日

足下の小宇宙


著者  埴 沙萠 、 出版  NHK出版

 NHKテレビで放映されて、大きな反響を呼んだそうです。私は残念ながらそのテレビ番組はみていません。
 でも、なるほど、ほんとうに見事な写真ばかりで、ついつい見とれてしまいます。
 著者は大分県出身ですが、今は群馬県みなかみ町の山里に住んでいます。82歳の植物生態写真家です。
 名前は、「はに しゃぼう」と読みます。シャボテンの研究からスタートしたことを反映した名前です。
ツチグリというキノコは、雨で濡れて、胞子袋も濡れて、膨らんで、雨つぶがあたると胞子が噴出する。
 著者は、なんと、その胞子が噴出する一瞬を写真に撮るのです。
カテンソウも同じ。花粉袋がオシベの柱からはずれると、「ピン!」と弾けて、その勢いで花粉が放り出される。
 花粉が飛び出る瞬間の撮影のときには、閃光時間が2万分の1秒という特別なストロボを使わなければいけない。
春先に我が家にも出てくるツクシの胞子を顕微鏡をつかって撮影する。
その胞子が散る様子を写した写真には躍動感があります。
二つに分かれた日本の手が、バネのように伸びたり、縮んだりする。息を吹きかけると、ダンスするように踊り出す。
シャボテンは、私も庭の一角で栽培しています。そのシャボテンが乾燥した地面にもぐり込んでいる写真があります。驚きのワザです。
ホームページもあるそうですので、私のお気に入りに登録して、ときどきのぞいています。
(2013年11月刊。1600円+税)

2014年1月11日

世界の美しい透明な生き物

著者  澤井 聖一 、 出版  エクスナレッジ

奇妙奇天烈というか、魔可不思議というか、こんな透明生物がこの世に存在するなんて、とても信じられません。
 山にも川にも、そして海底にも無数の透明生物がうごめいているのでした。そして、それを拡大カラー写真で、目の前に見せてくれるのです。よくも、こんな写真がとれたものです。ぜひ、一度、手にとって眺めてください。きっと世界観、生物間が一変すると思います。
ツマジロスカシマダラのメスは、アルカロイドという有毒物質をオスとの交尾を通じて受けとり、有毒のチョウになって自分の身を守る。そして、このチョウの翅(はね)は透明である。
アダラベニスカシジャノメには、透明な翅に、目玉模様までついている。
 透明なカエル、そして魚がいます。内蔵までくっきり見えます。
 天使のかたちで有名なクリオネは、巻き貝の仲間です。
イセエビの椎エビも完全に透明だということです。食品偽装でイセエビの値が高騰しているようですが、日本近海にしか生息していないイセエビが、その幼生は今なおどこにいるのか不明だそうです。謎は多いのですね。イカもタコも透明なものがいます。ですから、海中で、よくも写真が撮れたものです。
 もちろん、海中のクラゲは透明生物です、発光器を備えているクラゲもいて、まるで厳冬の世界を見るようです。透明な魚の一つ、オニアンコウのオスは哀れとしか言いようがありません。オスはメスの体にかじりつき、一体化していって、ついにはメスの身体のおできのようになってしまうというのです。ああ、無情です。
海底にすむサルパやホヤとなると、まるで人工アートの世界です。生き物だとは思えません。
ヤナギウミエラやオオグチボヤの写真を見ると、その滑稽さに思わず笑ってしまいます。
230頁ほどのカラー写真がしばし夢幻の境地に運んでくれる楽しい大判の写真集です。
(2013年8月刊。2800円+税)

2014年1月 7日

カラスの科学


著者  ジョン・マーズラフ、トニー・エンジェル 、 出版  河出書房新社

カラスは世界一賢い鳥だ。こんなサブ・タイトルがついています。
 カラスは人間の顔を識別し、記憶する。
 カラスは針金をいじって曲げ、まっすぐな串から便利なフック(鉤)につくり変える。
 人の音声による命令を学ぶ能力は、犬、カラス、幼児の順になる。
 イギリスの有名な作家、チャールズ・ディケンズは、ワタリガラスをペットとして飼っていた。ディケンズは、このワタリガラスに、「元気だぜ」、「弱音を吐くな」、「やかんをかけて、お茶にしよう」という言葉を教え込んだ。うひゃあ、すごいですね。
 ワタリガラスは、同種の仲間の意図することも理解する。餌を隠した場所をほかの個体に見られ、それを横取りされそうなときには、貯食したものを移動させ、餌を隠したことを知らないワタリガラスが周囲にいるときは、そのままにしておく。
 何年も前にワタリガラスを捕獲して足環をはめた研究者が顔を見せると、ワタリガラスは即座に危険人物として見分ける。
 カラス科の鳥は、ほかの動物に比べて前脳が大きくて、そこで感覚情報への行動反応をまとめ、方向づけるために多くのニューロンとシナプスを費やしている。
カラスは何歳になっても芸のレパートリーを広げることができる。
 カラスもカササギ属の鳥も、「ハロー」と言うことができる。
 カラスのしゃべる能力は、鳴管によって可能になっている。これも知能に依存する。
大きな前脳と、前脳内の声の中枢と視床間にある専用ループが、カラスの耳にしたことを声に出させる主要な特徴である。
 ワタリガラスは、隣家の犬の餌やりの時間になると、定期的に飛んでいって、嫌がらせをした。カラスはタバコより酒を飲むのを好む。そこで、酔っぱらったカラスを見かけることがある。千鳥足になり、やたらに鳴いて飛んでいく。
ワタリガラスは、人間が何を知っているかも理解している。年齢を重ねるにつれて、ワタリガラスの理解力は高まる。
ワタリガラスは、風の強い日、空中で強風に乗ってサーフィンをして遊ぶ。
 遊ぶカラスは、滑りやすい斜面を勢いよく滑り落ちる。うつぶせや仰向けで頭から先に滑ったり、樽に入って遊ぶ子どものように横向きに転がったりする。
 「楽しい」というのは抽象的な観念ではなく、人間だけが体験できることでもない。
 カラスは、自己認識、洞察、復讐、道具使用、頭のなかでのタイムトラベル、欺き、仲間殺し、言語遊び、計算された命知らずの行為、社会的学習、伝統といった、これまで人間特有のものとされてきた特徴を備えている。
人間がカラスに惹きつけられる理由は、カラスが人間に似ているためでもある。
 なーるほど、と思いました。それにしても、私の住む団地はゴミ出しをめぐってカラスとの壮絶な戦いが今なお続いています。わが家のゴミはネットを張って、ブロックで押さえ込んで防いでいるのですが・・・。
(2013年9月刊。2800円+税)

2014年1月 6日

ミツバチの会議


著者  トーマス・シーリー 、 出版  築地書館

タイトルがいいですね。あれ、何のことだろうと好奇心をかきたてられます。
 ミツバチは蜂蜜をつくって人類に貢献してくれるだけでなく、もう一つ、民主的な意思決定の力を存分に利用できる集団の作り方を教えてくれる。
 ミツバチのコロニーの女王は、王として決定を下す存在ではない。王として産卵する存在なのだ。唯一知られている女王の統治行為は、新たな女王の育成を抑えること。女王は、決して働きバチの上司ではない。
 晩春から初夏にかけて、ミツバチの群れは分蜂し、新しい家探しをはじめる。
 分蜂群は、数百匹の家探しバチを派遣して、周囲70平方キロメートルから巣の候補地を探す。十数カ所以上の使えそうな場所を特定すると、それぞれいくつもの基準で評価し、新居としてもっともふさわしいものを民主的に選ぶ。十分な広さがあり、しっかりと保護された空間が基準である。ミツバチの尻振りダンスは有名です。これは、一連のダンス周回からなり、1回のダンス周回には、尻振り走行と戻り走行が含まれる。
 女王バチは驚くほど多くの卵を産む。1分に1個以上、1日に1500個をこえる。一つのコロニーの女王は夏中かけて、15万個ほど、2年から3年生きるとすると、50万個の卵を産むことになる。
 女王バチは、生涯の最初の1週間に、女王はコロニーの巣から飛び立ち、同じ地域の別の巣から生まれた10匹から20匹の雄バチと交尾して、一生涯分のおよそ500万の精子を受けとる。雄バチは、コロニーで、もっとも怠慢なハチである。
 働きバチが蜂児を育てる時期は、周囲の気温がマイナス30度からプラス50度に変動しても、コロニーの内部温度は常に34度~36度である。これはヒトの深部体温よりわずかに低い。
 分蜂群には、およそ1万匹の働きバチがいる。そのうち、2~300匹が巣作り場所の探索バチとしての役割をもつ。分蜂群の探索バチは、尻振りダンスで宣伝する価値のある巣作り場所を2~30カ所探し出す。
 招集バチは、候補地を宣伝するダンスに追従し、飛んでいった宣伝されている場所を突きとめ独自に評価する。候補地を詳しく調査して満足すると、分蜂群に戻って、自分もその場所を支持するダンスを行う。
 よりよい候補地を報告するハチが、より強いダンスをする。ハチは、ある場所を、すでに訪ねたことのある他の場所と比較して、相対的な質を評価しているわけではない。分蜂バチは、さまざまな情報源からの情報をまとめ、他のハチに何をするか命令するリーダーがいないなかで新しい巣を選ぶ。もっとも大切な女王バチですから、この選出にあたっては傍観者にすぎない。
 リーダーなしに機能することで、探索バチは、よい集団意思決定を脅かすもっとも大きな要因の一つである。独裁的な指導者をうまく避けている。
ミツバチの新しい巣の探し方、その決め方がリーダーなしで民主的にやられていることを知って、感嘆しました。人類は、ミツバチにも学ぶべきなのですね。
(2013年10月刊。2800円+税)
 11月に受験したフランス語検定試験(準1級)の結果が判明しました。3点たりなくて不合格でした。残念でした。自己採点では68点でした(これでも不合格と思っていました)が、実際には64点でした。合格点はいつもより低くて67点(120点満点)ですので、3点足りなかったというわけです。
 今回は書きとりを見直して、かえって間違ってしまったということもありますが、要するに実力不足です。このところ、ずっと準1級は合格してきましたので、本当にガッカリです。でも、めげずくじけず、毎朝、NHKのラジオ講座を聞いています。頭のリフレッシュには最高です。

2014年1月 4日

魚影の群れ

著者  吉村 昭 、 出版  ちくま文庫

 ノンフィクションのようなすばらしいフィクション(小説)を作り上げる著者の短篇小説集です。
マグロとりの漁師の世界では40歳以上の漁師は老齢者に入る。大きなマグロとの戦いは、体力を消耗させ、それが長時間に及ぶだけに若い強靱な肉体が要求されるのだ。
それに、マグロ漁は、睡眠不足との戦いであった。マグロの餌である烏賊(イカ)は夜のあいだに沖へ船を出してとらねばならない。烏賊は中型のものが最適で、少なくとも30尾ほどは船の生簀におさめる必要があった。餌をとって帰るのは夜明けに近く、短時間仮眠するだけで、朝食を済ますと、再びマグロをとりに沖へ出て行く。そうした生活を半年間つづけるため、マグロとりの漁師は眼に見えてやつれてゆく。自然に、マグロ漁の漁師は20代から30代までの男に占められていた。
 マグロは、漁の群れを追っている。その中に餌を投げ入れても、食う可能性はほとんどない。釣り上げることができるのは、小魚の群れが逃げ散って、マグロの群れが小魚を追うことをあきらめ一定の方向に秩序正しく泳ぎはじめた折りにかぎられる。そうした状況をつくり出すには、船をその海面に突きこませて、小魚を円散させる以外に方法はなかった。
このように、下北半島の大間のマグロとりの状況が活写されています。
短編小説が4つあり、いずれも味わい深いストーリーです。というか、ネズミやカタツムリの話は正直いって、薄気味悪さを覚えました。それくらい、情景描写が真に迫っているということです。
(2011年9月刊。680円+税)

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