福岡県弁護士会コラム(会内広報誌「月報」より)

月報記事

取調べ可視化全国一斉集会・福岡会場

徳永 響

第一 裁判員制度に関する法案などが国会へ提出されたことによって刑事司法改革の全容が明らかになりつつありますが、弁護士会が求めていた「取調べ可視化」は法案に盛り込まれていません。

しかしながら、取調べ可視化は、弁護士会が冤罪防止の観点から長年求め続けてきたものであり、現時点に至ってもその重要性はいささかも色あせるものではありませんし、むしろ、裁判員制度が導入され裁判員に分かりやすい裁判とするためには、取調べを可視化しておくことが必要不可欠とさえいえます。

近時はマスコミでも取り上げられることが多くなって世間の注目も低くなく、裁判員制度の開始までにはなんとしても実現しておかなければならない緊急の課題です。

かかる事態を受け、様々な人々に取調べ可視化の重要性を認識してもらい、ぜひとも「取調べ可視化」を実現させるべく、全国一斉集会が開催される運びとなりました。

福岡では、可視化の面で日本は諸外国に遅れをとっているとの前田豊会長の挨拶を皮切りに、全国に先駆けて平成一六年三月二五日に福岡県弁護士会館三階ホールにて集会が開催されました。

第二 集会では、まず、取調べ状況を録音したテープが証拠として提出された松山事件・仁保事件を取り上げた「ザ・スクープ」(テレビ朝日)のビデオ上映が行われました。

録音テープの中には、被疑者に対して「南無阿弥陀仏で話せ、○○君」「南無阿弥陀仏で話せ、○○君」「南無阿弥陀仏で話せ、○○君」と何度も繰り返したり、「悪いようにはとりはからん」「君だけの罪ではない、社会の罪だ。」というように強要・甘言・偽計を尽くして自白を迫る取調べの実態が録音されており、自白を獲得せんがために被疑者を篭絡する取調べを知ることができました。

また、被疑者はやっていないことも自白しなければならないため、取調官から様々な誘導をうけることになります。

その結果、被疑者自身が最後に捜査官に対して、自分が間違ったことを供述しているかどうかを聞くかのようなシーンも録音されており、様々な客観的事実が自然に供述(録取)されているからといって、供述調書の任意性を裏付ける事情にならない場面がありうることを目の当たりにすることができました。

第三 ビデオ上映に引き続いて、日弁連取調べ可視化ワーキンググループの小坂井久弁護士(大阪弁護士会)から、取調べ可視化実現に向けての展望についてご講演いただきました。

講演では、現在の刑事司法が抱える大きな病理現象としての調書裁判の問題点は、調書の内容が正しいか否かについて事後的な検証ができないところにあると指摘され、調書内容を事後的に検証するためには、書面による取調べの記録化や「読み聞け」だけの録音・録画では足らず、取調べの全過程をビデオ録画・録音しなければならないことを明らかにされました。

また、取調べを可視化すると、取調官と被疑者の間に信頼関係が保てず、真相解明を妨げるといった根強い反対論に対しては、密室でしか真実が語られないという実証や経験則は存在しないと断じ、可視化によって調書が歪められなくなる結果、捜査官にとっても証拠保全の意味あいを持つことになり、むしろ真相解明に資することや違法取調べが減少する側面を有用性として掲げられました。

イギリス、台湾、韓国といった諸外国での導入事例を見れば、既に取調べ可視化はグローバルスタンダードになっているとのことです。

その他多岐にわたる論点を、パソコンを使った画面をスクリーンに映し出して的確迅速にご講演いただきました。

第四 自白強要や暴行による取調べと聞くと、「昔の取調べ」であるとか、「重大な強行犯だけだ」などと考えがちですが、船木誠一郎弁護士(福岡県弁護士会)から、担当された贈賄や公職選挙法違反事件でも、机をガンガン叩きながらの取調べや、被疑者が灰皿を投げつけられボールペンで胸を突かれたりする取調べ実態が報告され、いつ何時、自分が受任した被疑者がそのような取調べを受けるかもしれないとの現状認識を新たにすることができました。

第五 船木弁護士の報告に引き続いて質疑応答が行なわれ、市民の方から可視化を導入することによって組織犯罪を立件できなくなってしまうのではないかとの質問、会員からは捜査側の取調べの書面による記録化に対抗するための被疑者ノート(その日にどのような取調べがあったかを記録するために弁護士が被疑者に差入れるノート)の導入事例への質問などが相次ぎ、予定の時間を超過しながら盛況のもとに閉会しました。

第六 本集会は急遽日程が決定したこともあり、全国に先駆けて開催される集会であるにもかかわらず、一〇数人しか参加者がいない事態を危惧しておりましたが、興味深いテーマであったためか、五〇名にものぼる参加者を得て開催できましたことについて関係各位に深くお礼申し上げる次第です。また、懇親会の席では、可視化に向けより具体的に活動をすべきだとの頼もしい意見表\明があったこともあわせてご報告させていただきます。

2004年4月 1日

当番弁護士日誌 〜平成16年3月9日〜

花田 茂治

私は、去年の10月に弁護士登録をした五六期の花田です。今回は、私が当番弁護士研修で去年の12月に出動し、その後、扶助申請をして受任した刑事事件について書かせていただきます。

当番弁護士研修とは、指導担当弁護士の方と共に当番弁護士として出動し、指導担当弁護士の方の接見を隣で傍聴するという研修です。研修の日の昼、私の事務所に出動要請のファックスが入りました。被疑者の罪名は恐喝未遂。

私は、指導担当弁護士の方と連絡をとり接見室で待ち合わせて、その後被疑者と接見しました。事件の内容は、共犯者がいる、共犯者が主導的に行ったものである、被害者に数十万円支払う旨の誓約書を書かせたが結局連絡が取れなくなり誓約書は捨てた、被害者にも共犯者の名を騙り女性に手を出していたという落ち度があるというものでした。私の受けた感じとしては、今回の事件は後輩同士のいざこざに被疑者が巻き込まれたという感じでした。また、被疑者は少年時代に前歴があり、少年院に行った経験もありましたが、その後、真面目に仕事をしており、その最中に事件に巻き込まれたものでした。ただ、被疑者は事件に巻き込まれた自分の甘さを後悔しており、今後は気を付けたいと言っていました。

最大のポイントは、最後の検察官調べの時に、被疑者が検察官から、弁護士を付けて被害者との間に示談を成立させるよう勧められたという点でした。おそらく示談が成立すれば起訴猶予になる可能\性が大でした。しかし、問題が一つありまして、それは検察官が何かしらの処分をする勾留満期まで4日しかないという点でした。4日といっても、当番当日と検察官が処分を決め上司の決裁を受ける最後の1日を除くと実質的には2日しかないという状態でした。

そこで、事件をいっぱい抱え事務所を経営していかなければならない指導担当弁護士の方から、新人で抱えている事件も少ない私にお鉢が回ってきたのです。初めての個人事件となるこの被疑者の弁護活動に私はやる気満々でした。また、更生途中であった被疑者の今後を考えると起訴されるか否かは大きな違いだと思いました。そこで、指導担当弁護士の方の「君、単独でやってみる?」との言葉に、「はい」と二つ返事をしたのでした。

接見を終え事務所に戻り、すぐに被疑者の母親に電話をしました。母親は、子供のためには何でもやる、また、被疑者の雇い主も被疑者のことを気にかけてくれていると話しました。そこで、明日の朝一番に、事務所に来てもらう約束をして電話を切り、それから、指導監督を誓う旨の検察官宛の上申書を母親の分と雇い主との分、起案しました。

そして、翌朝、母親と面会をし、示談の成否で被疑者の処分が決まってしまう可能性があることを伝え、今日か明日、被害者のところに謝罪及び示談交渉に行くかもしれないので示談金を用意するよう伝えました。そして、母親に被疑者の指導監督を責任持ってやる旨約束してもらった上で上申\書に署名押印してもらい、雇い主の上申書を言付けました。

その後、被害者と連絡を取り、その日の晩に、自宅に伺い謝罪したい旨を伝えたところ、被害者の承諾が得られたので、母親と連絡を取り、その日の晩、共に被害者の自宅に行くことにしました。

被害者の自宅に向かう途中に被疑者と接見し、今から示談に行く旨伝え、二度と被害者に近づかないとの誓約書を書かせ、それを持って被害者宅に行きました。

さて、示談の相手方ですが、被害者が未成年でしたので、寛大な処分を求める旨の上申書は被害者の名義で問題はないとしても、示談は被害者の両親も交えて成立させる必要がありました。このため、被害者の自宅では、私と被疑者の母親、そして被害者とその両親の五人で話をしました。時間は夜九時ころでした。まず、被疑者の母親が泣きながら土下座をして謝罪をしました。これに対して、被害者の両親は「いつ立場が変わるかは分かりませんので、どうぞ頭を上げてください」と言ってくれ、示談は順調に進むものかと思われました。しかし、謝罪が一段落し、示談金の数万円を提示したところ、被害者の父親がすごい剣幕で怒り始めたのでした。この数万円という額は、被疑者の母親が集めることのできる精一杯の額でありました。しかし、被害者の父親は、こんな端金では納得できないと額の増額を請求しました。被害者の父親としては当然の反応だったのかもしれません。しかし、その父親の反応を見た被害者が、「俺は金なんて要らん」と自分の父親に対して怒鳴り、怒って家から飛び出してしまいました。結局、金額の点で示談は不成立となり、また、上申\書を書いてもらう予定であった肝心の被害者もいなくなったことから、その日はそのまま帰りました。

残された日は、後2日、検察官の決裁も考えると、実質は明日1日だけという状態でした。そして、家を飛び出した被害者は携帯電話を持っておらず、連絡を取る手段が全くなく、また、一度家を飛び出したらいつ戻るか分からない状態でした。これで、勾留満期までの示談成立は絶望的になりました。

その次の日、私は、示談成立が無理だった場合のために、検察官宛の報告書を作成し、母親の上申書と雇い主の上申\書と共に、それらを持って検察官との面会に行きました。そこで、検察官に被害者とその母親は被疑者に対する宥怒の念を持っているが、今のところ示談は成立していない旨事情を話しました。

このような状態でいたところ、昼過ぎに被害者の母親から私に電話があり、被害者が家に戻ってきたこと、被害者及びその母親としては、今後被疑者が接触することのないよう弁護士に間に入ってもらって示談書を交わす方がよいと思っていること、そして被疑者を許す気持ちであることを伝えられました。

そこで、再び、その日の夜、今度は私一人で被害者の自宅を尋ね、被疑者と被害者及び被害者の母親との間に示談を成立させ、被害者には、寛大な処分を求める旨の上申書を書いてもらいました。なお、父親については、どのように思っているのか、聞くのも怖かったため、この時は父親のことは全く触れずに話を進めました。

このようにして、被害者との示談書、被害者の上申書を何とか揃え、勾留満期の当日朝一番で検察官と面会をして、これらを提出しました。

その後、午後には無事起訴猶予となり、釈放されたとの連絡がありました。

このように今回は、まさに、時間との勝負という一面がある起訴前の弁護活動を経験できました。ただ、新人で時間のある今だけしかこのような事件に十分対応できないのではという感想も正直なところです。

その後、被疑者が母親孝行している等の話を母親から聞き、今回の事件に接することができて良かったと思っています。

俄然、利用しやすくなる行政訴訟

池永 満

今期通常国会に提出される三大司法改革法案の一つとして「行政訴訟法改革」が提出されることが固まった。司法制度改革審議会意見書では、単に「司法の行政に対するチェック機能を強化する方向で行政は法制度を見直す」という極めて理念的な方向性が打ち出されただけで、どの程度の改革が具体化できるか、はなはだ心もとない状況での行政訴訟検討会の出発であったが、日弁連と検討会委員や与党若手の会等の連携した抜本改革を求める声と運動が大きく盛り上がった反映もあり、検討会委員全員が一致したものだけを第一トラックとして取りまとめるという検討会の基本姿勢はつき崩せなかったものの、確実に改革を進めうる内容で取り纏められたと評価できよう。以下、ポイントを紹介する。

確実に門戸が広がる行政訴訟

取消訴訟の原告適格が拡大される。これまでのように法律の形式や規定ぶり、行政実務の運用等にとらわれずに、法律の趣旨、目的や処分において考慮されるべき利益の内容・性質等を考慮する等、原告適格が実質的に広く認められるために必要な考慮事項を解釈規定として明文化する。

救済方法が広がる行政訴訟

新たに義務付け訴訟も法定される。従前は行政行為を直接義務付けることは出来なかったが、司法による救済の実効性を高めるため、行政庁が処分すべきことが一義的に定まる場合には、一定の要件のもとで行政庁が処分すべきことを義務付ける訴訟類型が採用されることになった。なお申請に対する処分の義務付けを求める訴訟は、申\請拒否処分の取消訴訟等とともに提起することとなる。

新たに差止訴訟も法定される。取消訴訟による事後救済の他に行政に対する事前の救済方法を定めることによって司法による救済の実効性を高めるため、行政庁が特定の処分をしようとする場合で、その処分をしてはならないことが一義的に定まるときには、一定の要件のもとで行政庁が処分することを事前に差し止める訴訟類型が採用されることになった。

審理が充実・促進される行政訴訟

審理の充実・促進の観点から、訴訟の早い段階で、処分の理由・根拠に関する当事者の主張及び争点を明らかにするため、新たに釈明処分の特例を定め、裁判所が行政庁に対し、裁決の記録や処分の理由を明らかにする資料などの提出を求める制度が新設される。

おこしやすくなる行政訴訟

抗告訴訟の被告を、処分をした行政庁ではなく、行政庁が所属する国または公共団体とする。国や公共団体に所属しない行政庁にあっては処分をした指定法人などが被告となり、いずれでもない場合には、処分にかかる事務の帰属する国または公共団体が被告となる。訴えの提起にあたり、処分をした行政庁の特定は被告の責任とし、その不特定や誤りは原告の不利益にならない。

取消訴訟の出訴期間を『処分があったことを知った日から六ヶ月(現行は三ヶ月)』に延長し、出訴期間を不変期間とせず、期間内に提訴できなかったことにつき正当な理由がある場合には、期間経過後でも提訴できることとする。

救済の迅速性・実効性が高まる行政訴訟

執行停止の要件を緩和する。現在の規定にある「回復困難な損害」を「重大な損害」のような文言に改め、要件該当の有無の判断に際し、損害の程度や処分の内容及び性質も考慮されるようにする。

仮の義務付け、仮の差止めの制度を法定する。義務付け訴訟や差止訴訟において、本案判決を待っていたのでは償うことが出来ない損害を生ずるおそれがある場合に迅速かつ実効的な権利救済を可能にするために、裁判所が行政に対し処分をすべきことを仮に義務付け、または処分をすることを仮に差止める裁判をする『仮の救済の制度』を新設する。

訴えの対象が広がる行政訴訟

行政の活動・作用が複雑多様化したことに伴い、「行政庁の処分その他の公権力の行使に当たる行為」を対象とする取消訴訟中心の抗告訴訟のみでは国民の権利利益の実効的な救済が図れないので、取消訴訟の対象となる行政の行為に限らず、広く国民と行政との間の多様な関係について権利義務などの法律関係を確認するために、確認訴訟を積極的に活用できるようにする。

尻込みや敗訴の言い訳が難しくなる行政訴訟

これだけ使い勝手が良くなる行政訴訟改革に、弁護士にとって何か不都合が生じるであろうか?

ひとつだけはっきりしていることは、「行政訴訟はやるだけ無駄ですよ」「法律が悪いから行政訴訟は負ける」「裁判所は行政べったりですから」などと御託を並べたり、「行政事件はちょっと・・・」と尻込みすることはもはや許されないということであろう。ちなみに、新司法試験では、公法・行政法が試験科目として採用されたので、数年後には行政事件に強いのは当然とする後輩たちが続々と登場するだろう。

こうした展開を踏まえて、福岡県弁護士会では、本年四月から、行政訴訟改革に伴う研修会の開催や行政問題委員会のメンバーを中心に「行政事件一一〇番」活動を定期化し、近い将来における「行政事件当番弁護士制度(仮称)」の立ち上げ準備を進める予定です。日本弁護士連合会においても全国規模の行政事件支援センターや行政法実務学会などを設立しマンパワーを強化する作業に着手しています。会員の皆さんの積極的な参加を期待します。

2004年3月 1日

最高裁判所弁論出席感想記

松永 摂子

平成16年1月23日、上告中の刑事事件につき、最高裁判所で弁論が行われた。

最高裁の弁論に出席するというのは、おそらく最初で最後の貴重な経験。誰もが一度は行ってみたいであろう最高裁、その様子をちょっとだけお伝えしたい。

1 その前に、何で最高裁?

本件は、いわゆる路上生活者である被告人が、路上で自転車の前かご内にナイフを所持していたことから銃刀法違反で逮捕された、という単純な事案である。

単純とは言え、被告人にとって、ナイフは生活必需品。第1審弁護人(美奈川成章会員)は、無罪を主張して争っていた。

ところが、その後、予期せぬ事態に。裁判が進行するにつれ、論点整理ならぬ論点拡大の一途をたどり(訴因変更の可否、公訴権濫用、不告不理原則違反、控訴審における職権発動の限界、攻防対象論の妥当する範囲等々・・・)、とうとう最高裁で弁論が開かれる“大事件”へと発展していったのである。

2 いよいよ最高裁。

(1)最高裁は、弁論の準備に余念がない。弁護人は、美奈川成章会員、古賀康紀会員、船木誠一郎会員という錚々たるメンバーに、おまけのように私が加わっていたのだが、事前に、何名出席するのか、誰が弁論を述べるのか、法廷では上告趣意書に記載されたとおりの順番で着席せよ、弁論を述べる者は起立せよ、等々の確認・注意事項が満載である。しかも、なぜか私だけ登録期を尋ねられ、身辺調査(?)らしきことも。なかなかガードが固い。

(2)弁論が開かれたのは、第二小法廷。裁判官の背後に壁画のようなデザインが施された法廷を期待していたので、別のシンプルな法廷だと知った時の落胆は大きかったが、それでも、一面に引かれた絨毯はふかふか、天井の両側には間接照明が灯り、上品で落ち着いた雰囲気を醸し出しており、どこかの高級ホテルの会議室のよう。裁判関係者席は茶色の革張りで、正面の裁判官席方向を向いており、その座席の中央から左側にかけて、弁護人が指示されたとおりに着席する。ほどなくして、ベルボーイ(いえ、廷吏)が左側の扉から現れ、「チリン、チリン♪」と高尚なベルの音を響かせて「只今より開廷します。」と告げると、面前の観音開きの扉が自動で開き、裁判官4名がスルリと入廷された。もはや法廷ではなく、“劇場”といったところか。

難解な議論は大御所の先生方にお任せし、弁論を述べるという形式面を担当していた私は、ここで粗相があってはならないと、事前に読みの練習をしたのは言うまでもない。練習の甲斐あって無事終了し、あっという間に閉廷となった。

3 ところで被告人は・・・。

弁護人的には貴重な体験となったこの事件。が、当の被告人はというと、何で自分の事件が最高裁にまでいってしまうのか、困惑気味。ソインヘンコウ、フコクフリゲンソ\ク、コウボウタイショウロンなるものを説明しても、“ジュゲム ジュゲム ゴコウノスリキレ・・・”のようなもので、理解が得られそうにない。きっと、「そんなものはどうでもいいから、早く裁判を終わらせてくれ」というのが本音に違いない。

私のIT機器の買い方

田上 尚志

思えば私が最初にコンピューターを買ったのは,1997年のことだった。ウィンドウズ98が出る少し前のことで,最初に買ったIBMのデスクトップ機だった。現在は自宅で3台目のデスクトップパソコンを使い,事務所では3代目のノートパソ\コンを使っている。この他,プリンターも買ったし,スキャナーも買った。タブレットも買ったし,CD−RもMOも外付けハードディスクも買った。

この私のコンピューター遍歴の中で,買って良かったと思ったもの,買わなきゃ良かったと思ったもの,いろいろある。そんな中で,少しばかりは買物が上手くなったのか最近はハズレはない。そこで,私なりのIT機器の選び方を紹介させて頂こうと思う。

まず,デスクトップ機だが,コンピューター好きの方なら遊んで楽しい。コンピューターグラフィックやゲームなどを楽しもうと思ったら,性能の良いデスクトップ機の方がノートパソ\コンよりも良いだろう。また,キーボードはデスクトップの方が明らかに打ちやすいので,疲れにくいのではないだろうか。

ノートパソコンを買う基準は,バッテリー駆動時間が長いこと,軽いこと,画面が見易いことの3つである。移動の際,ノートパソ\コンも持っていって出先で仕事をする。流石に喫茶店などで準備書面を書くわけにも行かないが,ITコラムの記事などなら空き時間で処理してしまえる。出先に必ずしも電源があるとは限らないので,バッテリー駆動時間は重要だ。また,ノートパソコンだけを持っていくわけではないので重いのはダメだ。できれば1キログラムを切るものが望ましい。あと,いくら軽くて小さいからといって,画面が見にくいと仕事がしづらい。できれば11.3インチ以上の画面が欲しい。

私がコンピューターを買うときは,一緒にコンピューターのディスプレイ用のフィルターを必ず買うことにしている。フィルターをつけるのとつけないのでは目の疲れが全く違う。私はフィルター無しだと1時間ほどで頭痛と吐き気がしてくるのだが,フィルターがあれば頭痛や吐き気に悩まされることもない。

CPUにはそれほど高度な処理能力はいらない。仕事で使うのはせいぜいワープロソ\フトや表計算ソ\フトである。CPUに一番不可をかけるのは実は子供がやるようなゲームであって,ワープロや表計算は実はコンピューターにとっては楽な仕事なのである。メモリーお金が許す限りたくさんあった方が良いが,ハードディスクは大きくなくてよい。私のコンピューターにはソ\フトがかなり入っているが,それでも10ギガバイトも使っていない。

プリンターは高いものを買った方が良いと思う。粒状感なく印刷できる写真画質プリンターを買えば,自宅で写真のカラーコピーもできる。また,去年A3まで印刷できるカラープリンターを買ったのだが,仕事でとても重宝している。とにかく,プリンターは少し張り込んだ方が良いだろう。

あるととても便利なのがスキャナーである。本や相手の準備書面を読み込んで引用したり,主張対照表を作ったり,キーボードでは打ち込めなくても,スキャナーで取り込めばOCRソ\フトで文字返還できる。

画像入りの資料はフロッピーディスクには入りきらないことも多いので,CD−RやDVDを焼けるようにしておいた方が何かと便利だ。そんなわけで,コンピューター本体,高性能プリンター,スキャナー,大規模記憶媒体が三種ならぬ四種の神器といったところ。これだけあれば最低限のSOHOにはなるだろう。

でも,羨ましいのは原田直子先生の赤いパソコン。あれって,いいよねえ。エレガントで。

公害環境委員会・曽根干潟視察

後藤 富和

近年,自然環境の分野では,湿地とりわけ干潟の重要性とその保護の必要性が強く叫ばれているのをご存知でしょうか。

かつて干潟は,人類にとって利用価値の少ないものという認識から,開発の格好の標的になり,埋め立てられ,戦後数十年の間に日本中の干潟の約4割が失われました。そして,残った干潟も,都市化や公共事業のために,消失しようとしています。

しかし,干潟には,豊かな生態系が発達しており,そこに生息する生物の種類,個体数は極めて豊かであり,生物多様性の宝庫になっています。また,干潟の海の漁業生産量はきわめて高く,そこで獲れる魚介類は,われわれの食卓を潤してくれます。さらに,近時見直されてきているのが,干潟の浄化機能です。下水処理場にたとえると,干潟1haあたりの下水処理人口は約7000人に相当すると言われています。

国際的には,ラムサール条約やNGOの活動の高まりによって干潟の保全が訴えられてきました。

そして,わが国では,1997年4月14日,諫早湾干拓事業の水門閉め切り(通称「ギロチン」)のショッキングな映像が全国の茶の間に流れたことから,一気に干潟保全の国民意識が高まり,1998年の伊勢湾藤前干潟の干拓中止を皮切りに,東京湾三番瀬や中海干拓など,わが国の重要干潟の開発が続々と中止されていきました。

その中で,福岡県においては,北九州市小倉南区の海側に広がる「曽根干潟」が注目を集めました。曽根干潟は,絶滅危惧種を含む鳥類や底生生物,魚介類が多数生息する全国でも数少ない生き物たちの楽園としてその保護が叫ばれている干潟です。

今回,わが国に残された数少ない干潟の現状を認識し,その保護に対する行政の取り組みについてお話を伺おうと,「曽根干潟視察」を計画しました。

委員会では,昨年末から,研究者等を招き,曽根干潟の特性,保護の必要性を学習し,「よし,実際に干潟を見に行こう!」と予定した1月22日,その日,福岡県地方は,近年まれに見る大雪のため,交通は麻痺し,特に,北九州地方については,一度行ったら最後,福岡まで戻れないかもしれないという危機的な状況に見舞われてしまいました。

委員らは,双眼鏡や一眼レフカメラ,手袋,登山靴などを装備し,いつでも出発できる準備を整えていました。

しかし,状況は好転せず,「断腸の思い」で曽根干潟の視察を中止し,北九州市役所への聞き取り調査のみ行うことになりました。

北九州市役所で,「曽根干潟」の保護に取り組む関係各部署の担当者に集まってもらい,まず,干潟の価値,保全の必要性に対する市の考えと,干潟保全の具体的取組について話を聞きました。

ここで,私たちの予想を良い意味で裏切ったのは,北九州市が(意外に?)干潟の重要性や保護の必要性を認識し,その保護に積極的に取り組んでいることでした。

若い担当者が,目を輝かせながら,生き生きと北九州市の取り組みを説明してくれました。いわく「過去の干拓を続けていると,自然環境と人間活動の共生は図れない」との観点から,これ以上の干潟の干拓を中止し,そして,側にある北九州空港の跡地についても曽根干潟の環境を意識した整備をすると熱く(外はめちゃくちゃ寒かったですが)「夢」を語ってくれました。

われわれは,良い意味で予測を裏切られました。

そうなると人間どんどん欲が出てくるもので,委員から,さらに上を行く要求がいくつも市の担当者に向けられました。

「ズグロカモメやカブトガニがウヨウヨいるというのは,たとえて言うならば,パンダやトラがひとつの場所にたくさんいるのと同じであり,わが国の中でも超1級の干潟であるから,北九州市は,もっともっと曽根干潟のことを市民にアピールすべきである。市の宣伝が足りない!」

「ラムサール条約登録についても,市民のコンセンサスが得られるよう地道にその意義について市民に訴えていくべきだ!」など,委員の要求はどんどん大きくなる一方でした。

これも,北九州市が一所懸命に干潟の保全に取り組んでおり,この人たちならまじめに取り組んでくれると思ったからでした。

私たちの要求は尽きることはなかったのですが,時間の関係で市役所をあとにすることになりました。

一歩外に出ると,すごい豪雪,途はつるつると滑るアイスバーン状態になっていました。

本来であれば,新幹線が運休するかもしれない不安があるので,さっさと博多に帰るべきなのですが,関門の「ふぐ」の魅力には逆らえず,われわれは,鹿児島本線を博多とは逆方向に進み,新年会をすることになりました。

このような状況下で,やっぱり福岡に帰ったほうが良いと言う意見を誰一人言い出さないのが不思議です。

腹いっぱい関門の幸を堪能した後,帰りは案の定,電車が動かず,停車したままの列車内で約1時間を過ごさねばなりませんでした。それでも,人間幸せなときは腹も立たないので,誰も文句を言いません。恐るべき「ふぐ」の威力です。

寒さを感じないのは,「ヒレ酒」の威力でしょう。

止まったままの列車の中でふと思いました。曽根干潟の開発中止のきっかけとなった諫早湾干拓事業がいまだに続いているのはどういうことでしょうね。

2004年2月 1日

当番弁護士日誌

塩澄 哲也

一 弁護士になって約半年、国選弁護や私選弁護もある程度の件数をこなし、大分ペースがつかめてきたかなというときに、1件の当番弁護の出動要請があった。15歳の少年。罪名は窃盗。中学生が、万引きかひったくりでもしたのかなと思いながら、とりあえず久留米署に面会に行った。

二 金髪で髪を逆立てた如何にも悪そうな少年。遊び仲間と原付に二人乗りし、歩行中の女性の背後から近づき手提げバッグをひったくった、他にも同様のひったくりを1件やっているとのこと。窃盗やシンナー等で保護観察処分を受けた前歴もある。既に、中学校は卒業しており、定職にも就かずぶらぶらしていたらしいので、少年院送致という結論も十分にありうると思った。今の段階から環境調整に努めなければと思い、私選弁護の意思についても確認するべく母親に連絡を取ってみると、「あの子は小さい時から親にすぐ嘘をつく、今まで何度あの子のために頭を下げに行ったことか、あの子のためにお金を出すつもりはありません。少年院に行ったほうがあの子のためにはいいのではないか」と言われた。このままでは、少年院送致は避けられないと思い、少年の母親を呼び出し、(1)扶助申請するので弁護士費用は気にしなくてよいこと、(2)少年を今の段階で少年院に送ることが必ずしも少年にとってプラスになるとはいえないことなどを説明し、少年の母親に、被害賠償金を出したり、少年の社会復帰後の就業先を探したりするなど、最大限協力してもらうようにお願いした。結局、被疑者弁護の段階では、被害賠償をすることくらいしかできなかった。

三 観護措置が採られた後、社会記録を読んでみて、少年の家庭は重大な問題を抱えていることが分かった。少年の母親は、実父(少年の祖父)から激しい体罰を受けて育ってきており、同じように、少年も母親から、バットやビール瓶で殴られるなど継続的に体罰を受けて育ってきたのである。少年の祖父は、過去に長期間服役していたこともあり、少年に対して一社会人としての理想の大人像を示すことが全くできていなかった。少年の母親は、少年の父親と離婚した後、数年前に別の男性と再婚しており、再婚後二人の子供を設け、幼子の面倒を見るのに精一杯であったことなどから少年を放任していた。少年の義父は、東京に単身赴任しており年に数日しか戻ってこないこともあり、過去に少年が犯罪を犯したときにも、みな母親任せという状態であった。少年は家庭には居場所がないと考えており、母親に対する根深い不信感があること、母親自身も監督能力に欠けていることから、少年をこのまま家に帰しても元の木阿弥であると思い、私は、実家以外の帰住先を探すことに付添人活動の重点を置こうと考えた。

まず、私は、少年を義父が勤めている会社に就職させ、東京で義父と一緒に生活させることがよいのではないかと考えた。その話がまとまるかと思われたが、少年審判の直前になって、義父の勤める会社の他の社員が少年の面倒を見きれないと反対したことなどから御破算になった。

裁判官は、保護観察処分という結論も考えていたようであったが、少年や母親と何度も面会している私としては、少年を母親から離したところでしっかり監督した方がよいと考えていたので、試験観察処分を獲得すべく別の帰住先を探すことにした。裁判所からは補導委託先として中華料理屋があるといわれたが、少年は、「そのようなところで働きたくはない、力仕事がしたい」というので、結局、私が別のところを探すことになった。

そこで、以前、私が国選事件を担当した際に、型枠会社の社長さんに証人として立って頂いたことがあったのを思い出し電話したところ、面度を見てもよいという思いもよらぬ返事を頂いた。しかも、会社の近くにある下宿先まで紹介して頂き、下宿先のご主人の了解もとることができた。結局、型枠会社に勤め、下宿先から仕事場に通うということ等を条件に、少年は試験観察処分となった。

四 最初は順調かと思われたが、少年は何かと理由をつけて次第に仕事場に行か]なくなった。しかも、二度と原付の無免許運転はしないと約束したにもかかわらず、少年が無免許運転をしているという情報があちこちから寄せられるようになった。調査官や私は、このままでは少年が重大犯罪を犯す可能性が高いと判断し、少年を裁判所に呼び出し、今後のことについてしっかりと話し合おうということになった。

私は少年の下宿先を訪問し、仕事に行かなかったり、無免許運転をしたことが発覚すると、また身柄拘束されてしまう可能性があることなどを説明して、明日からは仕事に行くこと、数日後には裁判所で調査官との面会があるからその時には私が迎えに行くことを告げた。約2時間ほど話し、少年の下宿先を後にした。

調査官との面会日に、私が少年を下宿先まで迎えに行くと、少年は早朝からいないとのこと。下宿先の方の話によれば、私が少年を訪問した日以降、少年は全く仕事に行っていないことも判明した。少年との面会を後日にしてもらうように調査官に連絡した後、私は別件の少年事件の件で少年鑑別所に行くと、私の携帯に事務所から連絡が入った。「少年が窃盗罪で逮捕されたようです。少年は先生に面会に来て欲しいと言っているので鳥栖署に行って頂けませんか!」

五 少年から事情を聞いてみると、3人で自転車を盗んだということで逮捕されたが自分には覚えはないこと、高校生から500円を恐喝をしたが、他の2人から誘われてやむなくしたなどと弁解していた。少年の家庭環境を考えると、急に「立ち直れ、優等生的に振る舞いなさい」と言ったところで、いきなりそのような対応を取らせるのは難しいと考えられること、経営が苦しいにもかかわらず型枠会社の社長さんが、今後しっかりと働くならばもう一度少年の面倒をみてもよいと約束して頂いたことから、私は、再度の試験観察処分を目指すことにした。

窃盗の事実関係についての中間審判を経て(結局、窃盗の事実は認められてしまった)、2回目の審判前に裁判官と事前に面会した際、試験観察期間中にいくつか犯罪を犯していたとしても、今まで嘘をついていたことを謝罪し、心から反省しているとみられるならば、もう一度チャンスを与えようかと思っていると言われた。「ひょっとしてまた試験観察になるのか」などと淡い期待を抱いていたが、審判の場でも、少年は、「自分は窃盗はしていない、無免許運転はしていない」と言い張り、結局、少年の口から反省の弁は聞かれず、少年院送致になってしまった。

六 当番弁護で出動してから4ヶ月間少年と接してきた。自分が少年のために一生懸命動いたことで、少しでも大人に対する不信感を払拭できればいいなとは思う。ただ、「少年院に行って更生する者なんて誰もおらんよ。自分の周りも見てもそうやんけんが」などと嘯いていた少年の今後が心配でならない。

弁護士過疎地域への派遣支援について

石渡 一史

 福岡県弁護士会は、地域司法計画の一環として、弁護士過疎地域を克服する事業を積極的に支援していくことを12月2日の常議員会で決議しました。

弁護士過疎地域の問題については、今回の常議員会決議を経て、具体的に支援事務所の募集を始めることになりました。そこで、本稿を借りて、改めて、弁護士過疎地域克服の今後の計画について、会員の皆様の積極的な参加を呼びかけたいと思います。

 福岡県弁護士会は、今後、直接、間接の支援事務所を募集し、地域司法計画に従って克服すべき弁護士過疎地域(当面の地域は、八女、柳川、田川ですが、この地域には限りません。)への派遣を2004年度以降、順次実施していく予定です。派遣する弁護士については、本人が希望すれば当該地域に定着することが望ましいのは当然ですが、実際には、2年ないし3年の期間を限定した派遣が中心となると思われます。

 福岡県弁護士会が計画している、弁護士過疎地域克服のための事業の柱となるのは、直接、間接の事業支援事務所ですので、この支援事務所の役割について説明したいと思います。

1 直接支援事務所が果たすべき役割は次のとおりです。
  1. 過疎地派遣希望の司法修習生を採用する。

    受入条件については、司法修習生と面接及び協議して、採用することになります。

  2. 派遣弁護士(派遣前)に対して研修を行う。

    一定期間、事件処理や事務所経営等 の研修を行わせることになります。

  3. 派遣弁護士(派遣中)の相談に応じる。

    事件について派遣弁護士の要請があれば相談に応じ、あるいは、共同受任することになります。

  4. 派遣弁護士(派遣後)の受入先となる。

    派遣弁護士が、派遣期間満了後に、直接支援事務所への復帰を希望した場合に、その受入先となることになります。

2 間接支援事務所が果たすべき役割は次のとおりです。
  1. 派遣弁護士就職前に、直接支援事務所が作成する一般的基準研修プログラムに沿って、研修段階で共同受任する事件の種類や数量、及び、設立後の協力体制について、協議する。
  2. 派遣弁護士(派遣前)に対する研修を、直接支援事務所と共同で行う。
  3. 派遣弁護士(派遣中)を支援する。

派遣弁護士から、事件処理について要請があれば、優先的に相談に応じ、あるいは、共同受任することになります。

 もっとも、ここで述べた役割というのはあくまでイメージであり、それぞれの法律事務所が、この計画とは別に独自の構想で、弁護士過疎地域に法律事務所を開設することを妨げるものでないことはいうまでもありません。

また、以前、寄稿した際にも述べたように、ルールに基ずく社会が、地域のすみずみに行き渡るようにしたいというのが、地域司法計画の重要な柱の一つです。また、これによってリーガルサービスセンターに頼らずに公的弁護制度等、新しい改革の試みも実現していくことができるものと考えます。重ねて会員の皆様が本事業の意義を理解され、積極的に支援事務所として名乗りを挙げられることを希望するものです。

ちょっとだけIT病

堀 良一

コンピュータは,わたしの体の一部である。

年々衰えていくわたしの大脳の機能は,次々にノートパソ\コンのCPUとハードディスクによって置き換えられている。

訟廷日誌はとっくの昔に捨てられ,ポケットには電子手帳のクリエが収まっている。携帯はもちろん肌身離さず持ち歩いている。

打ち合わせも相談も全部ノートパソコンでメモを取るし,スケジュールはクリエだし,ペンを使って文字を書くことは,署名以外では法廷で証言をメモるときくらいだ。そのため,ワープロ専用機時代から進んでいた「漢字が書けない病」は,ほぼ極限にまで達している。仮名を書くときも,もたもたして時間がかかる。わたしの書いた字は,もはや,わたしを担当する事務員にも読めない。

最近は,小説やコミックも,かなりパソコンやクリエで見るようになった。カバンのなかに入れているiPODには2000曲近くの音楽が入っていて,自宅のCDライブラリをほぼ持ち歩いていることになる。音楽はクリエからでも聴いている。

メールやネットは,ノートパソコンがメインだが,自宅や事務所のデスクトップからも,携帯からでもクリエからでも頻繁にアクセスしている。わたし宛のメールは,睡眠中と尋問中を除けば,どこにいようと,ほぼ30分から40分程度で確実にわたしに届く。

メーリングリストも自分が開設したものだけで7つあるから,メールは1日に100通前後届く。書いているメールの分量もかなりになる。

担当している集団事件では,もちろんメーリングリストを開設して,20名くらいの弁護団員が議論したり,情報を交換したり,書面の検討をしたりしている。相手方から提出された書面はスキャナで読み込んでOCRにかけ,ワードやPDFのファイルにして,こちらが提出した書面や資料といっしょに,ウェブ上のオンラインストレージにアップして,全員で共有している。いまや,この集団事件の弁護団員はパソコンなしにはついてこれない。

先日,弁護士会の委員会で出かけたモロッコ旅行の際には,毎晩,その日にデジカメで撮った静止画や動画をつなぎ合わせ,BGMをつけて,ムービーファイルを作っていた。海外でもホテルからネットに接続して,日本の情報をチェックし,メールを読み,気が向いたらメールを書いている。モロッコの地方都市のホテルは外線がホテルの交換を通すという古いシステムのままのところがあってネット接続ができず,おかげでその日は早寝ができた。携帯用のスピーカーも旅行カバンに入れているから,ほぼ自宅と同じ環境で音楽も楽しんだ。

西にフリーズしたパソコンがあれば,飛んでいって,あれこれ原因を究明してあげたい。東にパソ\コンを購入しようとしている人がいれば,いっしょにパソコンショップにでかけて悩みを共有してあげたい。

まだパソコンに変身した夢をみたことはないが,最近,ちょっとだけIT病が進行中であるという自覚はある。

2004年1月 1日

少年非行と更生支援

八尋 八郎

弁護士業務委員会の「弁護士に未来はあるか」シリーズ(第3弾)として、昨年12月4日に話をさせて頂いた要旨は次のとおりです。

私は少年事件が多い年には20件くらいあり、10余年前には全国の年間付添人選任件数の1%を越えたことがあります。少年に付添人選任届を書いてもらうときには誠実に精一杯の活動を誓うので、少年の意に反して「少年院に送ってほしい」という付添人意見を述べることはありません。面会と文通を重ねるなかで少年の自分史のなかに本件非行を位置づけ、非行の原因と対策を少年と一緒に考えてゆきます。

また、少年には鑑別所では行動観察という態度評価が行なわれるのでキチンとしておくように伝え、保護者には社会資源(家庭・学校・職場などの少年の更生を支えるもの)の再構成と開拓にフル回転するよう求めます。これらがうまく噛み合えば少年は社会内処遇を受けることになるのですが、その場合にも少年には再非行の抽象的危険は残ります。それで「野獣を野に放つものだ」という批判を甘受しています。とはいえアッサリと少年院に送るよりはギリギリで社会内処遇にした方が再非行の危険性は低く、予\後が良いように思います。

付添活動が奏功せずに少年院に送られたときには、一日潰して面会に行き「少年院の処遇プログラムどおりにしっかり勉強して元気に戻ってほしい」と伝えます。やがて仮退院した少年が事務所に来ます。背筋をピンと伸ばして私の目を見て「ありがとうございました。これから頑張ります」と言うと少し嬉しくなるのですが、今どき運動部の子だってこんな挨拶はしないのです。暗くて反抗的なままでよいから少年院で運転免許くらい取らせて欲しかったと思うのです。免許があれば就職先が広がり生きてゆく役に立つのです。

虐待と少年非行には高い相関があります。虐待に限らず、貧困・離婚などの負因と少年非行とのあいだにも高い相関があります。だからといって親を処罰したところで何も始まりません。逆に出生率が低下するなか産んでくれてありがとうと言うべきです。国がさまざまな負因を抱えた弱い親を支援できれば子どもの役に立つのですが、財政赤字で窮迫したわが国は、福祉のオール切捨てへと逆走中です。

国の年間税収が42兆円であれば、42兆円で予算編成するのが当然です。それなのに、同額の赤字国債を発行して毎年のように収入の2倍を濫費し、いまや国債未償還残高は660兆円の破産状態です。少年に面会して「何やってんだ」と叱責する前に、総理大臣にそう言いたいところです。子どもの世話にはならないと決意して国民が積み立てた年金をデタラメに喰い潰し、若年者に負担してもらうとは何たる言い草でしょうか。今なら年金の使い残しが140兆円あるそうです。いま自己破産を決断すれば、この140兆円を配当できます。配当率が年金積立総額の何パーセントになるか分かりませんが、せめてもの誠意ってやつです。事務費も出ない低利回りの時世に積立額以上の給付を予定する年金制度が存続できる筈はないのです。それなのに、年金制度改悪を弄するのは、これをあと3年で喰いつぶす目的というしかありません。そのついでにイラク派兵というのでは、まるで子どもの学校給食費で福岡ボートに行くようなものです。こんな有様では「やってられない」という子どもに返す言葉はないのです。子どもの不幸のシンボルである非行を少年と家族だけに背負わせて一丁上がりにするのなら、国はいりません。サッチャーは「社会などない。男と女がいて家族があるだけだ」と言って福祉オール切捨の小さな政府宣言をし、ついでに愛国心を強調したのですが、そんな国よりも私は妻を愛します。

私たちにできる更生の援助とは少年本人の意思・意欲を尊重し、曲がった枝は曲がったままに生かしてゆくことであって、枝を折ったり刈り込んだりして形ばかりを整えることではない筈です。或いは、少年に必要なのは警察の取締や少年院ではなく若者宿(地域の若者たちが夜集まって手仕事をしたり話し合ったりして寝泊りする居場所)かなと思いついたりもするのですが、若者宿を開設しても誰も来ないだろうと考えると、やはり子の心、親知らずということでしょうか。

子どもの未来は人類の未来です。子どもに未来がなければ、弁護士の未来だってありません。少年法を「改正」しても「やっぱり」非行は減らなかったし、これに続く教育基本法や憲法の「改正」スケジュールをみると、早めに自己破産させないと、後日、元に戻す法律が多すぎて大変だと思うのです。

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