福岡県弁護士会コラム(会内広報誌「月報」より)

月報記事

刑事模擬裁判奮闘記

山 内 良 輝

一 苦労の始まり

「ちょっと模擬裁判の弁護人役をやってくれないかな」

古屋勇一刑弁委員長のお誘いの電話を二つ返事で引き受けたことが苦労の始まりでした。「ちょっと」とか「簡単だから」などという前置きのあるお誘いこそ要注意と承知していたはずなのに。

二 刑事模擬裁判とは?

昨年、刑事訴訟に関する二つの大きな制度改革が行われました。一つは、いわゆる「裁判員法」の成立であり、平成二一年五月までに裁判員制度が施行されることになりました。もう一つは、刑訴法の改正により、裁判員裁判を円滑に実施するための公判前整理手続が新たに導入され、本年一一月一日に施行されることになりました。

刑事模擬裁判は、裁判員制度に先行して始まる公判前整理手続に焦点を当て、法曹三者が模擬裁判の形式により起訴から判決までの一連の手続を実験的に行ってみて、制度の具体的なイメージを共有し、発生しうる問題点を洗い出そうとする試みです。

従前の証拠開示の実務は、昭和四四年の最高裁判決により、証拠調べの段階に入った後に、厳格な要件の下に裁判所の訴訟指揮権の発動として認められるだけでしたが、公判前整理手続では、検察官が請求を予定する証拠以外の証拠についても、証拠調べ前に、弁護人が一定の要件の下でその開示を請求する権利が認められました。

我が弁護団(団長は不肖当職、団員は平岩みゆき会員と五十川伸会員、被告人役は東拓治会員)は、証拠開示請求権を駆使して刑事弁護の新境地を切り開く意気込みで、裁判所(裁判長は川口宰護上席裁事)と検察官(主任は矢吹雄太郎総務部長)が待ち受ける公判前整理手続に臨んだのでした。

三 なぜ弁護団は押されてしまったのか?

事件は、被告人と被害者が飲酒の上、些細なことから喧嘩となり、被告人が包丁を持ち出して被害者を刺突して傷害を負わせたが、被告人は殺意を否認しているという設定です。

第一回公判前整理手続(六月一三日)では、(1)検察官が裁判所と弁護人に証明予定事実陳述書を提出し、(2)検察官が裁判所に証拠を請求し、(3)検察官が弁護人の請求に応じて証拠を開示し、(4)弁護人が裁判所と検察官に事実上・法律上の主張を明示するなどの手続が行われました。

第二回公判前整理手続(六月二八日)では、被告人が従前の供述を翻し、「実は私に犯行を唆した黒幕がいる」と告白するというハプニングがあったことから、弁護人が主張を変更するなどの手続が行われました。

これら二回の手続を通じて、我が弁護団は検察官に押されてしまいました。その一因は、主任検察官の勢いにもあったのですが、より本質的な原因として、今回の模擬裁判では証人尋問を被害者一名と目撃者一名に限るという前提があったため、弁護団が当初は不同意を幅広く主張したものの、結局は不同意を順次撤回していったという展開にありました。これは、弁護人として証人尋問を要すると考えた証拠については不同意を貫徹し、あくまで証人尋問を要求する姿勢を徹底しないと、本番の公判前整理手続でも検察官に押されてしまうという今後の教訓になることでした。

四 裁判所に見られた変化の兆し

第三回公判前整理手続(七月一四日)では、新しい動きが裁判所に見られました。それは、裁判所が(1)凶器の写真撮影報告書、(2)被告人の犯行再現報告書、(3)被告人の古い判決書について、「裁判員に不当な予断を与えるおそれがある」という理由から検察官の請求を却下したことです。従来の実務であれば、刑訴法三二一条三項、三二三条一号により容易に採用されていた証拠ですが、裁判所の中にも、裁判員裁判を見据えた新しい動きが出てきたようです。

五 最後に

実は第一回と第二回の模擬裁判が終わった後、会員数名に意見を聞いてみたのですが、「こんな難しい手続なら、自分はやりたくない」という声が大多数でした。しかし、第三回の模擬裁判を終えてみて、直接主義・公判中心主義に向けた土俵作りを整備するための新しい息吹も感じられました。

次回の模擬裁判(九月二七日午前九時から午後五時)では、冒頭手続、証人尋問、被告人質問、論告弁論、判決宣告まで行われます。会員の傍聴をお待ちしております。

女性の権利110番

山 ? あづさ

六月二七日、「女性の権利一一〇番」の電話相談が行われました。これは、日弁連両性の平等に関する委員会と全国の弁護士会との共催により、「全国一斉女性の権利(女性に対する暴力)一一〇番」として、一九九一年以降、毎年実施されいるものです。今年は、六月二三日から二九日までの「男女共同参画週間」の間に全国の弁護士会で実施され、福岡では二七日に実施されました。

当日は、午前一〇時から午後四時まで、三名ないし四名の弁護士が待機して、二本の電話回線を使って電話相談を受け付けました。この日の相談件数は、一八件でした。午前一〇時すぎと、テレビのニュースで放映された正午すぎに電話が集中し、その間は、受話器を置くとすぐ次の呼出音が鳴る、という状態でした。一件の相談にどうしても二〇分〜三〇分は時間がかかってしまうので、おそらく、何度もかけたけれども電話がつながらなかったという方もいたと思います。(その一方で、全く電話がかかってこない時間帯もありましたが…)

相談内容の内訳は、次のとおりでした(複数回答あり)。

  • 夫婦・内縁・男女関係   一二件
  • (うち、離婚に関するもの一一件)
  • DV            三件
  • セクハラ          一件
  • 民事一般          四件
  • その他           一件

具体的な相談内容として多かったのが、離婚の際の条件に関するものでした。「子どもの親権は取れるか」、「慰謝料や養育費は取れるか、いくら取れるか」、「借金があるが離婚するとどうなるか」というものです。電話で、しかも短時間のうちに具体的ケースについて金額まで回答するのはとても無理なので、こうした相談に対しては、離婚に関する一般的な説明と、調停・裁判といった手続の説明を行い、場合によって弁護士会の法律相談などを紹介しました。

また、「暴力を受けていて、離婚しようかどうか迷っている」という相談に対しては、気持ちが決まるまで、女性センターなどに相談して、ひとつひとつ問題を解決していくように勧めました。\n そのほか、「離婚届を出してしまったが、取り決めた条件を変えられないか」、「離婚した夫が養育費を払わないので、元夫の両親に請求できないか」などの相談がありました。

今回は、緊急性のあるDVの相談などはありませんでしたが、一件、離婚調停中に子どもを夫に奪われたというケースがあり、これは急を要するということで、待機していた弁護士の事務所に直接相談に来てもらうという対応を行いました。(こういうケースがあると、電話相談をやった甲斐があったという気分になります。)

振り返ってみると、今回は、不安や悩みや疑問を思いつくままに話すというような相談が多かったのですが、「法律相談」というと躊躇してしまう方でも「女性の権利一一〇番」だと相談しやすいというのがあるのかもしれません。こうした相談に対しては、とりあえず話を聞いて、相談者の疑問や不安がどのあたりにあるのかを確認して、それに対応する一般的な説明をして、次の相談先を紹介するなど今後どう動けばいいかの方向性を提案する、ということくらいしかできないことが多いですが、それでも、相談された方の気持ちが軽くなるのなら意味があるかな、と自分を納得させています。

また来年も「女性の権利一一〇番」を実施することになると思いますので、ご協力をお願いいたします。

英国便りNo.3 大学教員のストライキ(2003年10月22日記)

刑弁委員会の皆様、松井です。

今回は、大学のストライキについてご報告したいと思います。

9月22日、新学期が始まる日の朝、私は緊張の面持ちで大学へ向かいました。どんな人たちが同じクラスにいるのか、どんな授業があるのか、自分はうまくやっていけるのか、期待と不安が入り混じる複雑な思い。18年前の大学入学の時の気持ちが蘇ってきます。  ところが、新入生対象のオリエンテーションが行われ、さあこれから授業がはじまるというとき、「教員組合がストライキのため、明日からの授業は当面の間キャンセルされる」との通知がありました。それを聞いて喜んでいる学生もたくさんいましたが、気合を入れて臨んでいた私としては、拍子抜けの感があり、さらに、「授業料を満額払っているのに授業を受けられないなんて」との怒りも込み上げてきました。

翌日様子を見に学校に行ってみると、キャンパスでは、組合の法被のようなものを着た人たちが「オフィシャル ピケッテリング」と書かれた看板を掲げて校舎の入口に立ちふさがっており、学生たちにビラを配っていました。ビラには、大学教員組合とロンドン大学学生組合との共同宣言と題して、次のようなことが書いてありました。

「大学教員組合は、11年のあいだ凍結されたままのロンドン手当(物価の高いロンドンに勤務していることによる特別手当)の引き上げを求めて、さらなるストライキを行う。1年2134ポンド(約40万円)という額は、他の公務員に支払われている手当てをはるかに下回っている。教員組合は、これまで学生への支障を最小限にするために気を使ってきたが、経営者側は、それを逆に交渉回避のために利用してきた。このような状況のもと、学生組合も、教員組合がストライキに突入する以外に手段がないことを理解し、それを支援することにした。この紛争が11年間解決しなかった責任が、大学経営者側にあることは明らかである…」

見回してみると、前日のオリエンテーションで私たちの世話をしてくれた教官も法被を着て一生懸命ビラを配っており、「先生たちも大変なんだなあ」と思うと私の怒りもおさまってきました。

翌週、ストライキは解除されて通常の授業がはじまりました。その教官に顛末を聞いてみると、「まだ交渉中だけど、いつかは解決するさ」とのことでした。

イギリスでは、公共機関のストライキがよく行われています(公務員の争議行為も禁止されていないのでしょう)。これまで郵便局が2回ほどストで閉まっていましたし、つい先日は地下鉄がストのため止まりまりました。しかし、イギリスの人たちは、故障なども含め、公共機関が止まるということに慣れていて、文句をいう人はあまりいないようです。

2005年7月 1日

少年の「付添人」として

服部 博之

私は、司法修習五七期。昨年一〇月に弁護士登録した新人弁護士である。司法修習生の時分より、福岡県弁護士会では全国に先駆けて当番付添人制度を実施し、高い実績を挙げていると聞いていた。私も、当会に登録する者として、本制度の下、微力ながら、多くの少年たちの更生の一助をなしたいとの希望を有している。

私は、一〇月の登録以降、事務所の先輩弁護士などと共同して既に数件の付添人活動を行ったが、ここでは実際に付添人活動を行ってみての新人弁護士としての感想を記したいと思う。

私が初めて付添人となったのは、登録直後の一〇月半ばのことであった。

少年院を退院して約二か月後の再非行。退院後間もなく家出し、そこで知り合った彼氏に勧められるままにシンナーを吸引したというものであった。

少年は、保護者である母親との関係がうまく構築できていないことが少年の非行の深化に大きく影響しているものと思われたため、私の方で母親に対して、何度も手紙や電話で連絡を取ろうと試みたが、結局、私は直接連絡を取ることができなかった。母親の知人である少年の以前の雇用主に連絡を取ることができたが、その方によれば、母親も少年への接し方が分からず、少年との接触を避けているようだとのこと。何とか審判当日は出席することは約束を取り付けたものの、結局、観護措置期間中一度も面会には来なかった。

少年は、これまでの交友関係からの離脱の必要性を自覚し、遠方での仕事をしながらの再出発を希望したが、有効な社会資源を見出すことはできず、遠隔地での補導委託先をあたってみたものの、女子の受け入れ先が極めて少ないこともあって、受け入れ先を見つけることはできなかった。補導委託先を探すにあたっては、調査官にも親身に協力していただいたが、結局、調査官は再度の少年院送致の意見を述べた。

審判当日。入廷した裁判官は処分意見を決めていたようで、淡々と審判が進められ、結果、少年院送致の処分が言い渡された。少年は、再度の少年院を覚悟していたようで、黙ってうなずいた。その時、少年の隣に座っていた母親が少年を抱きしめながら、「ごめんね。」と大声を出して泣き出したのである。少年も、緊張の糸が切れたのか、堰を切ったように大声で泣き出した。その抱擁は数分にわたり続いたが、やがて職員に促され、母親は審判廷を後にしたが、少年と母親はそのまま泣き続けていた。

私は、付添人としてその場にあって、自らの力不足と無力を痛感し、自らの今回の付添人活動の意義について考えさせられていたが、しばらくして少年院の少年からの手紙が届いた。その手紙には、「今もう一度自分のこれまでの生活について振り返って、同じ失敗を繰り返さないようにがんばっています。今は、お母さんも面会に何度か来てくれているし、手紙のやり取りもしています。もう二度とお母さんを裏切りたくないし、お母さんの気持ちに応えたいです。」とあった。この手紙を読んで、私自身とてもうれしくなり、また、本当に救われた気持ちになった。

次は一一月の中旬頃のこと。少年は、夜間に友人と共同して自動販売機荒らしをしているところを発見され、その場で現行犯逮捕されたとのことであり、当番弁護士として派遣された事務所の先輩弁護士とともに、この事件を受任することになったものである。

彼は、当時一九歳一一か月、年明けには二〇歳の誕生日を迎えることになっていた。これまでに非行歴がなく、実際に面会して話した印象も、反省と不安から声は沈みがちであったものの、質問に対する受け答えもその年齢以上に非常にしっかりしており、いわゆる「荒れた」感じは全く受けなかった。

少年は、大学を中退し、進学校である高校の友人などに対して疎外感を感じるようになる一方で、地元の友人等の不良文化に新鮮さを覚え、刹那的な感情に流されて非行行為に対する抵抗感を無くしていった結果であるようであった。幸い、非行もそれほどまでには深化しておらず、家族も少年の更生に向けた監護等について極めて協力的であり、立件された四件についてはいずれも被害弁償の目処が立ったこともあって、付添人は保護観察の意見を述べた。

しかし、調査官は少年院送致意見。面会して真意を尋ねたところ、「確かに、本人の反省や社会復帰後の家族の協力も期待できますが、余罪が八〇件くらいありますから。施設における再教育の必要性は否定できないと思います。」とのことであった。余罪と言っても、あくまで少年が捜査段階で「全部で八〇件くらいはやったと思います。」と供述しているというだけのこと。あくまで要保護性を判断するための資料については、刑事訴訟法上の証拠法則などが適用されないとはいえ、裏付けもない少年の自白のみで余罪として考慮するのは妥当でないと主張し、年齢切迫のため抗告が不可能であることを踏まえて、特に慎重な判断を求めたい旨の申\入れを行った。

審判廷でも同様の主張をしたところ、裁判官は付添人の意見を容れて保護観察処分となったが、少年事件の要保護性判断における危険性というものを感じさせられる事件であった。

なお、少年は、審判後も保護観察の他、定期的に私の事務所を訪れて面談するようにしているが、現在、保護者の経営する会社で工員の見習いをしているということで、先日も「親父の会社を発展させるためにも、今の仕事に関係する資格を取りたいと思い、勉強しているんですよ。」と明るく話してくれ、私を安心させてくれている。また、処分を行った裁判官も、審判後の少年の様子を確認したいと私まで連絡をいただき、そのことを聞いた少年自身も非常に喜んでいた。

「非行を犯してしまった少年にはすべからく専門家としての付添人の援助が必要である。付添人の援助があることによって、少年の更生にとってマイナスとなることはない。」という考えの下に、福岡県弁護士会の全件付添人制度が始まったと聞くが、私も正にそのとおりであると思う。他会に登録した同期などからは、「少年事件は一部の専門の弁護士が行うもの」、「少年事件は私選として相応の報酬を貰わないと割に合わない」という話を聞くこともある。しかし、少年非行に対する社会の関心も高まっている中で、私自身としては、弁護士として、個々の少年、また社会に対して何らかの役割を果たしうる以上、付添人活動に末永く携わっていきたい。私が携わったほんの数件の事件を採ってみても、それぞれの少年にそれぞれの未来があり、短期間ではあるが濃密な時間を共有することによってそれぞれの感動があって、そこには何物にも換えがたい魅力があるように思われるからである。

当番弁護士日誌 〜初めての否認事件

溝口 史子

一 出会い

登録して二度目の当番出動日、被疑者から、「拘置所で受刑待ちをしていたら、逮捕されました。でも全く心当たりがないんです。」と言われた。罪名は住居侵入・窃盗。逮捕の決め手は被害者宅に残された被疑者の指紋だという。これを聞いて、私は正直なところ、「指紋と前科があるのならやってるんじゃないの?」と考えた。

しかし、話を聞くうちに、被疑者が被害者宅を頻繁に訪れていたこと、一年近く前の事件で証拠関係が薄そうなことがわかってきた。また、被疑者の「今まで悪いことをしたらきちんと罰を受けてきた。でもこれだけは絶対やってない。」という言葉を聞いていると、「この人を信じてみよう。たったこれだけの証拠で起訴されるのもおかしい。」という気持ちになった。私は、この事件を受任した。

二 ひと勾留め〜手探りの日々
  • 受任して実感したのは、手元に資料がないことの大変さだった。何から手を付ければいいのか分からなかった。

    事件の空気を掴むため、私は、検事に電話や面談で話を聞いたり、令状裁判官と面談したりして、検事の心証や、重要な客観的証拠の有無などを探った。

  • こうした情報をもとに、被疑者からまめに事情を聴取すると共に、捜査状況を知らせた。被疑者の性格上自白のおそれは乏しかったが、彼がしゃべりすぎて揚げ足をとられるのは怖かった。そのため、必要以上話すなと口を酸っぱくして伝えた。
三 ふた勾留目から処分決定まで
  • 検事との電話で、現場に残された足跡を調べていることや、被害感情が強い事件なので「検審」を考えると捜査を尽くしたいとの話を聞けた。検事とは何度も話をしていたので、検事が不起訴を視野に入れて捜査していることがニュアンスで伝わってきた。
  • 同じ頃、被疑者の内妻と連絡がとれた。彼女は被疑者の行動を毎日日記に書いているとのことだったので、当時の日記帳を持って来るようお願いしたが、タッチの差で警察に彼女の身柄をとられてしまった。横取りをされたようで悔しかったため、警察で、取調中の彼女を呼び出して彼女の供述内容を確認した。彼女の供述は被疑者に有利なものであったため、そのまま調書化してもらった。
  • 接見の際、被疑者がポリグラフ検査を受けたことを知った。私は、ポリグラフ検査の正確性に不安を持っていたが、「これで無実が証明される」と自信満々の被疑者にはそのことを言えなかった。後に検事から、被疑者が心臓疾患を持っているため、検査結果を証拠として使う予定はないとの説明を受けたが、それならなぜ被疑者に検査を受けさせたのか、不明である。\n
  • GWに、検事から、被疑者を処分保留で釈放し、近々不起訴にするという連絡をもらった。被疑者は、検事から「君を信じる。」と言われたらしい。検事の話から、何とかなるのではないかと思っていたものの、心底ほっとした。
四 雑感

後日、拘置所の被疑者から丁寧な手紙が届いた。「自分を信じて弁護してくれたことが本当にうれしかった。責任を果たしたら、今度こそきちんと生きていこうと思う。」との内容だった。GWが潰れた不満も疲れも吹き飛んだ。  未熟な弁護活動だったし、検事が比較的冷静だったので、私が介入しなくとも結論は変わらなかったかもしれない。しかし、今回のプロセスが被疑者の心に変化をもたらしたのなら、弁護士冥利に尽きる。登録して半年、自分の弁護活動を少し誇りに思えた事件だった。

ホームページ委員会だより

本岡 大祐

一 法律相談センターへの相談のきっかけ

先日、天神センター等の法律相談センターへ行った際、相談者のお一人が、相談カード「紹介機関」欄の「その他」にチェックされ、(インターネットを見て)と記載されていました。

聞いてみると、福岡県弁護士会のホームページを見て、電話予約されたそうです。ホームページ内には、天神センターの地図も掲載しています。

最近は何か困ったことがあれば、「何はともあれ、まずインターネットに接続してみるか・・・」というのが、最近の若者の行動パターンです。それ故、チェック欄には「ホームページ」という項目はありませんが、弁護士会のホームページを見て法律相談センターに来る相談者は、意外に多いと思われます。

二 市民向けページへの事務所地図掲載(予定)

現在、福岡県弁護士会のホームページに、「会員情報」というコンテンツがあります。

検索エンジンで誰でも一度は自分の名前を検索してみたことがあると思いますが、若手会員の中には、自分の名前を入れてみたものの、このページだけしかヒットしなかった、という悲しい経験をされた方も多いのではないでしょうか。

現在は、「会員情報」として、弁護士名・事務所名・事務所住所・電話及びFAX番号だけが記載されていますが、事務所の地図までは掲載されていません。

そこで、ホームページ委員会では、今後、この会員情報に、各事務所の地図を掲載することを検討しています。  事務所の地図が掲載されることになれば、市民にとって事務所へのアクセスがより容易になりますし、弁護士にとっても、事務所の場所を電話で伝える手間を省くことができます。また、相談センター経由の相談者の方に対してだけでなく、各弁護士が日頃の業務の中で、依頼者(相談者)や相手方に事務所の場所を説明するときにも使うことができます。

そして、弁護士にとって、事務所の住所は既に公開しているのですから、事務所の地図をさらに掲載しても特に不都合はないと思われます。九州沖縄地区では、長崎県弁護士会が、事務所地図をホームページ上に掲載しています(http://www.nben.or.jp/)。

三 ホームページ委員会からのお願い

近日中に、ホームページ委員会から、各事務所宛に、「ホームページ上に事務所の地図を掲載することに同意して頂けるかどうか」の確認を行う予定です。

市民の弁護士へのアクセスを容易にするためですので、皆様、是々非々、ご協力をお願いします

また、ホームページ委員会では、事務所地図だけでなく、取扱業務や弁護士登録年度の掲載も検討しております。

ホームページ充実に向けた会員の皆さんの様々なご意見をお待ちしております。会員専用ページにアクセスして頂き、掲示板にジャンジャン書き込んでください。

ITコラム 〜すべては記憶の減退から〜

森 竹彦

記憶の減退に悩む

五〇歳を過ぎて記憶の減退がひしひしと迫ってきた。何を頼まれている? それはどこまで準備した? 何をしなければならない?

何しろ弁護士が依頼を受けている“問題”は、大は訴訟事件から小はちょっとした調べ物まで、どれをどうした? あれはどうした? 克明にメモしたつもりでも、どこか抜けてしまうのではないかという不.安。

パソコンを勧められた。データベースソ\フトを使いなさい。

当時はNECのPC九八全盛時代。パソコンもソ\フトも高価だった。思い切って買った。全部で五〇万円以上。この投資が無駄になるのでは? と不安でいっぱいだった。 データベースソフト

データベース。最初に、「あなたが求めているのはデータベースソフトです」と教えて貰った。が、どうやって操作するのか判らなかった。しかしまた、データベースこそコンピュータの花形のような気がした。究極の目的=自分の事件管理をどうするか、について“先輩”はデータベースソ\フトをマスターせよ、といった。もちろんこの“先輩”はわたしよりずいぶん年下なのだ。記憶力の減退を補うためにパソコンを買ったのに、そのためにさらに新しい知識の吸収を強いられる。とんでもない話だと思うものの、やり始めると面白くもある。バッチファイルの作成。config.sys の書き換え(そういえば数号前に辻本さんが同じようなことをやっていたと書いていたな。結構面白かった)、マクロ(ソ\フトウエアの中での簡易プログラミング)の作成と進んでくると、ある程度は使いこなしが可能となってきた。

ITの活用

いま、私の事務所の事件管理はデータベースソフトによる自作のマクロ処理である(このマクロは何人かの方に提供、今も使って貰っている?)。

一台のPCをホストコンピュータとして、これにデータを蓄積、全てのPCをLANで接続、ルーター経由で光ファイバーでインターネットへ(これを全部私がやったというところが“趣味”か)。

仕事のデータを一度入力さえすれば、並べ替え、ピックアップはお手のもの。その日の仕事の進行を入力すれば報告書のプリントへ。日付順に並べなおして一覧で進行具合を管理する。金銭管理も、住所管理も。データベースソフトはこれらを連結して取り扱える(リレーショナル)ところに妙味がある。(エクセルはデータ処理が出来るソ\フトであるが、リレーショナルではない)

おかげでさらに進んだ“記憶の減退”にかなりの部分対応できていると思う。

いま、IT活用の方向は、一つは事務所内LANによる情報の一本化と集積、活用、他の一つはインターネットによる外部情報の収集・活用と情報発信であるが、はたして“活用”されているだろうか?

みんなが徒歩で歩く社会に、自動車を用いることが出来る者がはいれば、誰が勝つかは明らかだ。ITを使いこなせるかどうかもこれと同じことだろう。他方、ITといっても活用にはノウハウがずいぶんある。会員のノウハウを持ち寄って皆で生かすことも考えていいのではないだろうか。IT委員会にはぜひその方法を考えて頂きたいと希望しているのだが。

英国便りNo.2 イギリス賃貸契約体験記(2003年9月14日記)

松井 仁

刑弁委員会の皆様、松井です。

今回は、英国で体験した賃貸契約の実務をご紹介したいと思います。

7月末に無事ビザをもらって英国入国を果した後、私たちは仮住まいの大学寮に入りました(夏休みで学生がいなくなったところを旅行者に提供しているのです)。ところが、二人部屋といいながら、日本でいう8畳くらいしかないワンルームで、シャワー室も海の家のような粗末なもので、あまりにも侘しいのです。

当初私は、留学費用節約のため、9月からの寮の手配を大学に申し込んでいたのですが、せっかく長年の夢を実現して留学したのに、侘しい生活は嫌だと思って、急遽キャンセルし、民間の賃貸住宅を探すことにしました。

とはいうものの、現地の不動産屋と英語でやりとりするだけの勇気はなく、(多少悔しい思いをしつつ)日系の不動産屋に日本語で申込をし、紹介された物件のなかから選びました。日系といっても、英国賃貸協会に加入している業者だったので、契約書等は英国の法律にもとづいて英語で作成されています。条項は日本の一般的契約書に比べれば詳細で、賃借人の義務も細かく書かれています。

最も異なっているのは、1年を期間とする契約でも、開始後4ヶ月たてば、賃貸人、賃借人ともに、2ヶ月前の告知により契約を自由に解約することができることです。つまり、賃貸人からの解約に、日本のような正当事由はいらないことになっているわけです。念のため法律にもあたってみると「Housing Act」という法律の、「Assured Shorthold Tenancies」の項に、上記のような規定がありました。つまり特別な短期賃貸借のようなものですね。

Deposit(敷金)は家賃の1か月分のみ、不動産屋の手数料は約50ポンド(約1万円)と、日本より良心的です。

もうひとつ、日本にはない手続として「Inventry Check」(財産目録調査)というものがあります。これは、入居前に、賃貸人と賃借人立会いのもと、公平な第三者たる「Inventry Clerk」という人が、対象物件の状態や家財の内容について、くまなく調査し、一覧表をつくるというものです。これは、家具付きの物件が多くを占めるという英国において、退去時の紛争防止を目的としたものです。例えば、「ワイングラス5つ」と目録に書かれていて、退去時に4つしかなければ、賃借人は1つ割ったものと推定され、弁償(敷金からの差引)をさせられるわけです。

ですから、私たちも、Inventry Check のときは、気合を入れて、「ここに傷がありますので記録しておいてください」などと指摘しました。日本では、レンタカーを借りるときに事前に傷の状態をチェックすることはありますが、賃貸借契約では、普通、Inventry Check のようなものはありません。これは、家具つきの物件がほとんどないことや、退去時に畳や襖や壁紙など、全部張り替える習慣があるので、チェックする意味がないからだろうと思います。

しかし、日本も近時、通常損耗は賃貸人の負担という判例が多数出ています。とすると、退去時に、壁の汚れが通常損耗なのか過失による汚損なのかというような争いが増えるでしょう。そうなってくると、紛争防止のために、入居時にInventry Check を行う必要が出てくるかも知れませんね。

シリーズ仲裁人に聞く

松村龍彦

平成一四年一二月、当弁護士会に紛争解決センターが設立され、およそ半年が経過しました。そこで、紛争解決センター運営委員会では、今後、定期的に仲裁人にインタビューし、月報に掲載することにしました。

第一回は、岩崎明弘会員にお話を伺いました。同会員は、仲裁人として、紛争解決センター設立後、初めて和解が成立した事件をご担当になられました。

Q 紛争解決センターの設立について、どのような感想をお持ちですか?

A 私は、一五年以上も前の月報に、当会でもADRを設立すべきだという意見を掲載したことがあります。

紛争の「公平な」解決機関が裁判所だけというのは裁判所にとっても荷が重いでしょうし、「紛争を公平かつ迅速に解決したい」という国民の需要に応えるには、弁護士が仲裁に当たることが不可欠だと考えていたのです。

Q 和解成立第一号事案は、どのような事件だったのでしょうか?

A 貞操権侵害を理由とする慰謝料請求事件でした。当事者双方に弁護士は就いておらず、「慰謝料の額」が主たる争点となりました。

Q 仲裁人として、どのような点に留意されたのでしょうか?

A 「公平な」専門家であることについて各当事者の信用を獲得、維持することや履行を確保することに注意しました。また、「迅速な」解決を目指して、期日を集中的に入れました。

Q 差し支えない範囲で、和解成立の経緯についてご教示下さい。

A 申立人は、相手方の処罰を望む一方で、できれば早期に解決したいという希望を抱いていました。そこで、私は、常識的な範囲内での金銭賠償で満足する他ないことを丹念に説明しました。

その結果、第二回期日で、ほぼ合意に達したのですが、解決を急ぐと、相手方が不満を覚え、履行を確保できないおそれがあったので、相手方に対し「ご納得頂いたら、次回、和解金を持参して下さい」と告げ、第三回期日を指定しました。

相手方は、第三回期日に和解金を持参し、和解成立の席上で、これを支払いました。

Q 申立てからどのくらいの期間がかかりましたか?

A 申立てから第一回期日までが二週間余り、申\立てから和解成立までが約一か月でした。

Q 随分、迅速な解決でしたね。同席調停の形はおとりになったのでしょうか?

A 事案の性質上、同席調停は行いませんでした。各当事者には別個の控室を与えて、顔を合わせることがないようにしました。もっとも、和解成立の席では、当事者を同席させ、和解の内容とくに清算条項について十分に説明しました。

Q 「和解成立第一号」ということで、ご苦労なさった点は?

A 慎重に、和解条項を作成しました。特に、仲裁費用の負担条項は前例がなく、また今後は先例にもなるので、気を遣いました。

Q 紛争解決センターの今後について、どのようなご意見をお持ちですか?

A 大いに発展させたいと考えています。そのためには、会員や利用者となり得る市民に、制度の存在、目的等について知ってもらうことが重要でしょう。

岩崎明弘会員には、ご多忙のところ、約一時間にわたってお話を頂き、誠にありがとうございました。

2005年6月 1日

当会における弁護士過疎解消に向けて

石渡一史

  1. 熊本県弁護士会の弁護士過疎解消に向けた取組み  当会月報三月号に、長弁護士が日弁連ひまわり基金による熊本地方裁判所八代支部管内の公設事務所へ赴任するにあたっての記事を寄せている。その八代で、八代ひまわり基金法律事務所の開所式と披露パーティーが五月一〇日に日弁連副会長、九弁連理事長、熊本県弁護士会会長、八女市長等が出席して、盛大に行われた。  私は、かねがね弁護士過疎地域に行く弁護士こそ、優秀な弁護士が行くべきだということを持論としており、その意味でもふさわしい弁護士を送り出すことが出来たと思っている。長弁護士が、八代の地でつつがなく派遣弁護士としての任務を全うされるよう願う次第である。  九弁連だより四月号には、やはり当会から玉名ひまわり基金法律事務所に行った田中裕司弁護士が記事を寄せており、熊本県弁護士会の弁護士過疎地域克服に対する積極的な取組みがうかがえる。
  2. 当会に弁護士過疎はないか  同じく九弁連だより四月号に当会筑後部会の弁護士過疎対策についての記事も掲載されている。この記事によれば、多数の若手の定着が筑後部会の最大かつ最善の「過疎対策」であり、おそらく本当の過疎地域から見れば筑後はもはや過疎地域ではないと言われるかもしれないとのことである。しかし、この見解には、にわかには賛同し難い。まず、筑後部会に五二名の弁護士がいる(日本弁護士連合会会員名簿平成一六年度版による)ことからどうして筑後地域全体が過疎でないという結論が導かれるのであろうか。(ちなみに、久留米市から八女市、大牟田市は、公共交通機関とタクシーで裁判所へ行くとどちらも四五分であるが、大牟田市の弁護士が〇になった時も弁護士過疎はないということになるのだろうか。)
  3. 弁護士が足りているかどうかは住民の視点からも検討が必要  私は、弁護士がその地域に必要であるかどうかは、弁護士の視点だけでなく、住民の側の判断にも委ねるべき問題であると考えている。(九弁連だより四月号で田中裕司弁護士が言っているように、弁護士が常駐することにより、いままで眠っていた事件や、知識不足ゆえに不当な扱いをうけたりするケースも発掘される。私たちは街中まで相談に行けばいいじゃないかと思うが、そういう風に考えられるのは行動範囲が広い一部の人たちで、実際は地元から出たことがない人も多いし、ましてや何のものかも分からない遠方の弁護士のところに相談に行くのは一大決心で躊躇してしまう人も多いのであるという意見には同感である。)  私は、弁護士過疎であるかどうかを判断するにあたって裁判所の管轄のみが基準になるとは思わないが、弁護士会の部会が基準になるとも思わない。ちなみに、平成六年の久留米部会の弁護士数は三二名(うち久留米市二四名、大牟田市五名、八女市一名、柳川市〇名、その他二名)、同一六年度では、五二名(うち久留米市四一名、大牟田市六名、八女市〇名、柳川市一名、その他四名)である。つまり、増えているのは久留米市だけと言ってもよい
  4. 当会の弁護士過疎問題について積極的な議論を望む  九弁連だよりの筑後部会の弁護士過疎対策に関する記事では、部会制度という福岡県弁護士会の独特のあり方や公設事務所の評価に関する理念的な問題とも絡むため、もう少し議論を整理しながら、あるべき方向性を見いだしていきたいと述べられており、結論として八女、柳川への公設事務所の設置を否定している訳ではない。  もし八女や柳川に公設事務所が設置されても、住民のニーズがなければ、住民は公設事務所には行かず、久留米市の弁護士のところへ行くだけであろう。(全国の例で言えば、公設事務所は盛況であり、やはり地元に法律事務所があることを住民は望んでいる。)最初から弁護士過疎はないというのではなくいろいろな角度から弁護士過疎対策をやってみていいのではないか。  法律相談センターを久留米に最初に作ろうとしたとき、当時の久留米部会では、積極論と消極論の対立があったが、現在では、急速な弁護士増加の原因の一つとして揚げられるほどになっている。また、弁護士実務修習を久留米支部で制度的に実施するに至った目的は、筑後部会全体の弁護士過疎の解消ではなく、筑後部会内の各地域の弁護士過疎の解消にもあると考えるべきではなかろうか。
前の10件 46  47  48  49  50  51  52  53  54  55  56

カテゴリー

Backnumber

最近のエントリー