福岡県弁護士会コラム(会内広報誌「月報」より)

月報記事

当番弁護士日誌 〜動機は彼女との別れ〜

後藤景子

夏の暑い日が続く中、当番弁護の出動依頼が入った。警察に留置されている被疑者本人からであった。罪名は住居侵入。被疑者はまだ若い男性であった。

いつもそうであるが、弁護士会からFAXされる当番弁護士申込書の記載のうち、被疑者に関する事項は住所氏名、年齢、職業性別のみであり、犯罪の内容に関するものといえば罪名、逮捕日時くらいである。したがって、申\込書を読んでから接見に行くまでの間、私の頭は想像でいっぱいになる。まだ若い男性が、夜中に住居に侵入しなければならなかった事情とはいったいどんな事情なのか・・・と。

接見室で面会して事情を聞くと、深夜、別れて間もない元交際女性のアパートの部屋に入ろうとして、建物二階にある彼女の部屋のベランダで窓ガラスをドンドンと叩いていたところ、駆けつけた警察官に逮捕されたということであった。

「ただ彼女と話をしたかった・・・」それが彼の動機だった。いくらよりを戻したいから会って話をしたいとはいえ、時間と方法を考えて行動しなければならないことは言うまでもない。彼のとった行動は間違っている。法に触れる犯罪である。しかし、一年間つきあった女性と別れてまだ二日しかたっていなかった。彼は、ゆっくり話しあう時間もなく一方的に振られたのであった。

恋愛のもつれが犯罪と関わっている場面は少なくない。別れ話、三角関係のもつれからおこる事件の態様は様々である。相手の命さえも奪ってしまうこともある。冷静な判断能力を失ってしまうからであると思う。責任能\力という難しい議論に踏み込むつもりはここではない。自分を見失うというのが正しい表現だろうか。愛情が深ければ深いほど、それを失った時には、もの凄い、自分ではコントロールできない感情に変化してしまう。犯罪に踏み込まないように自分をコントロールするという経験が、彼の人生においてそれまであっただろうか。今までにない自分を経験したことだろう。いろいろつらつら述べてしまったが、要は、被害者である元彼女と一刻も早く連絡をとり、彼の早期釈放を実現させようと思ったのである。

女性と連絡を取ると、彼女は「自分が悪い」という言葉を何度も発した。一方的に別れ話をした自分が悪いと自分を責めていること、事件の時には新しい交際相手と一緒におり、知らない間にその男性が通報していたこと、事件後駆けつけた警察官に対して彼を逮捕しないで欲しいと訴えたが半ば説得されるようにして彼が逮捕されてしまったこと、新しい交際相手を説得して警察署へ被害届の取下げと彼の釈放をお願いに行ったが検事に連絡を取るように言われたことなどの詳しい事情が分かったので、そのままを文章にして嘆願書を作成し、担当検事に提出した。

遠方の父親に身柄引受人になってもらうべく連絡をとったがすぐには駆けつけられないとのことであったため、彼が趣味を通じてお世話になっている知人の存在を担当検事に話した。しかし、担当検事が、身柄引受人は親族である父親の方が望ましいと判断したため、しばらくして父親に対し、検察庁の担当検事に会ってもらうように頼んだ。

そして、父親が担当検事に会った日の昼過ぎ、父親から彼の釈放の一報が入った。

2004年7月 1日

ITコラム 「IT化は一日にしてならず」

田中雅敏

鴻和法律事務所は、平成九年ころからホームページを立ち上げていました。

また、同時期から、事務所内のパソコンはLANで接続し、文書管理なども、一つのサーバに集約して、相互に利用できるようにしてあるため、事務所に所属している弁護士の文書財産の共有化を図ることができるのは、大きなメリットです。

コンピュータを事務所に導入することやインターネットの利点については、すでにこれまで何度かコラムで取り上げられてきていますので、このような点はさておくとして、今回は「IT化」のデメリット、というか苦労話をいくつかしたいと思います。

コンピュータやネットワークを導入し、ホームページを設置することのもっとも大きな「苦労」は、何と言っても、「管理」の一言に尽きると思います。

事務所のLANシステムは、第一次的には事務局員が管理をし、何か問題が起きた場合は、専門の業者に来てもらうことにしています。業者の方は、何か起きればその日のうちに出動してくれるため、大変重宝しているのですが、それでも、「突然サーバが落ちた(止まった)」という事態で、二〜三時間既存の文書が開けない、などということになると、非常にいらいらします。

このようなときのために、毎日のバックアップや、サブシステム(サーバが落ちても、なお影響を受けない別システムのネットワーク)の構築などが欠かせません。

ところで、このような管理以上に難しいのは、何と言っても「ホームページの更新」でしよう。

事務所のホームページは、実は、平成九年の開設以来、弁護士の人数の変更程度の更新しかしておらず、事実上、七年間更新無しという状態が続いていました。

私自身もずっと気になっていたのですが、なかなか更新する時間がとれず、更新するとしてもそのコンテンツはどうするのか、といった点が決まらないこともあって、結局、放置されていたという現状でした。

今年に入り、久しぶりに事務所のホームページをみて、いつのまにかあまりに時代遅れになっていることに愕然とし、発作的に、その週末にホームページビルダーとマニュアル本を購入し、土日の二日間の突貫工事で作り直したのが、現在のホームページです。

同時に、プロジェクトチーム(?)を編成し、コンテンツの案を考え、10人いる弁護士各自に、作成の割り振りを行いました。

しかし、結局、原稿は集まらず、その先は、またしても遅々として進んでいない状態です。あたりまえのことですが、IT化と言っても、勝手にコンピュータが原稿を書いてくれるわけではない以上、コンテンツを作る人間の努力なくして、IT化の効用は見込めないということなのでしょう。

そこで、結論。IT(情報通信技術)は、あくまで道具にすぎません。設備投資をして「IT化」を進める前に、「何をやりたいのか?」「何が発信したいのか?」を、よくよく熟考し、発信可能なコンテンツの質と量を見越した上で、環境整備を行うことを、お勧めします。

当番弁護士日誌

田村雅樹

1 当番出動と受任の経緯

当番弁護士の出動要請があったのは三月のある日。窃盗の疑いで警察署に在監中の男性(以下Aさん)

当日接見に赴き事情をきくと、前日、スーパーでリュックサック一個(9800円相当)を万引きした、外に出たところで警備員に声をかけられ逃げたが、状況を察知した付近にいた男性に追跡され捕まった、とのこと。被害品は特に傷もついていないらしい。

現在、一人暮らしで、仕事は嘱託作業員をしている。特に連絡をとってほしい親族友人等はいない。

動機については、「もともとリュックサックを買うつもりだったのだが、意外と高かったのでつい盗んでしまった。手持ちの現金は4000円しかなかったが、銀行口座には6万円程度はあったのだが・・・」と話す。

理解できないではないが、安易に物を盗んでしまう心理傾向の持主のように思われ、常習性があるのではないかと案じ、余罪関係についてきいてみるが、「他にはやっていない。」と言う。警察からも一通り余罪の追及は受けているが、厳しいものではないらしい。

逮捕時の状況については、現場から自転車で逃げたものだから、スクーターで追跡衝突される形で逮捕された、と話していた(あとでやや問題となるが、このときはたいして気にしなかった。)。

示談する気はあるのか、と尋ねると、お金はあるので示談をしたい、と言う。

初回接見時の印象として、動機等、やや疑問にも思ったが、内気でまじめそうな青年という感じをもった。しきりと自分の今後の処分について気にしており、勾留されるだろうか、起訴されるだろうか、といったことを何度も心配そうに聞いてきたことをよく覚えている。

状況をきき、事実関係は取調べでも素直に認めて話しているとのことなので、スーパーとの示談を早期にすすめ身柄を解放する必要が高く、また、勾留にまで持ち込ませないようにしなければならないと考え、扶助にて受任。

2 勾留は阻止できず

接見した翌日(逮捕から三日目)の午後、検察庁の本件担当事務官(検事が担当ではなかった)に電話。

ちょうどAさんの弁録中であったようだが、事案軽微であり、かつ早期に示談に動く予定であるから、勾留はしないでいただきたい、と申\し入れた。

「検討をする。」とのことだったが、翌日(逮捕から四日目)朝、再度電話をすると、勾留請求することにした、とのこと。ただし、示談が成立すれば、早期釈放を考える、とのこと。

同日午前中には勾留され、やむを得ず、示談を早期にすすめることとした。

3 示談活動

同日午後、スーパーに電話をすると、当時の警備担当者につなげられた。私は、被害品を買い取る形で早期に示談をしたい旨を申し入れたところ、支配人が現在いないのでなんともいえない、との前提だが「Aさんを捕まえた人が留学生なのだが、捕まえるときにスクーターが衝突して大破している。店側としては、留学生に協力していただいた手前もあり買い替え代をもたなければならないことになりそうで、そうすると、Aさんにその分(買い替え代分)も請求せざるをえなくなるかもしれない。」とのこと。

被害品の買取の形で簡単に示談し、すぐに釈放になると思っていただけに、直ちには示談ができず、やっかいなことになったな、と思った。

いずれにしても、週明け月曜日(逮捕から七日目)以後に連絡してもらうこととなった。

月曜日には結局スーパーからの連絡がなく、火曜日(逮捕から八日目)朝、Aさんに接見に行き、そのように店側からいわれていることを伝えた。

私は、「確かにその留学生はあなたのせいでスクーターが大破してしまっているが、だからといってそれを弁償しなければならないということには必ずしもならないだろう。ただし、店側がそのように言っているので、応じた方が早く示談は成立するだろう。」と伝えた。

Aさんは、少し考えていたが、やはり、早く示談をしたいとのことで、25万円程度までならキャッシングをすれば払えるので、それ以内の額で示談してもらえば、釈放後直ちに支払うとのこと。

事務所に戻ってすぐに店側に連絡するが、支配人が今日はいないので明日以後連絡してくれ、と言われ、翌日(逮捕から九日目)になって、ようやく支配人と連絡がとれた。

私は、リュックサックの買取に加えてスクーターの買い替え代も出す意向であることを伝えた。

支配人は当方の申出を了承し、スクーターは中古だから9万円から10万円程度で済むと思う、とのことで、今後、留学生と早急に話をする、とのこと。

4 意見書提出と釈放

支配人との電話により、示談の方向性がみえてきたので、電話後直ちに、検察庁に対して、現在の状況からして釈放後すぐに示談が成立する見込であること、被疑者が反省していること等を記載した意見書を提出した。

検察庁からは翌々日(逮捕から11日目)の朝、電話が入り、「今日午前中に釈放する。」との連絡を受けた。

Aさんからは、同日昼前に事務所に連絡が入り釈放された旨確認できた。

5 示談成立と起訴猶予

Aさんには、釈放翌日、さっそくスーパーに謝罪に訪れてもらい、その後、若干の交渉を経て、結局、店側とはリュックサックを買い取る形で、留学生にはスクーター買い替え代7万円を支払うことで話がまとまり、いずれについても、釈放されてから四日後に支払った。

検察庁にはその旨報告書を提出し、最終的に起訴猶予処分となった。

6 顧みて

改めて事件を振り返ると、9800円のリュックサックの万引きで、事実を認めていながら、結局、逮捕日を入れて11日間身柄拘束をされる羽目になってしまった。

そもそもAさんには、示談をする意向は当初からあったので、積極的に勾留裁判官に面会し勾留の必要性のないことを説得する必要等があったのではないかと、反省している。

また、示談活動も、もう少し早くできなかたったかとも思う。

ただ、Aさん本人は、その後無事もとの職場に戻れ、また、多少高額のスクーター弁償費用を支払ったことも自分のしたことが原因と割り切って納得されているようだったので、その点は救いではある。

軽微な自白事件ではあったが、それだけに、身柄拘束下の被疑者弁護活動では、その一日一日の活動が重要であることを、改めておもいしらされた。

2004年6月 1日

「消費者契約法」研修会報告

平岩 みゆき

1 平成16年4月16日吉岡隆典会員による「消費者契約法」研修会が行われました。

当職は吉岡会員と同じ事務所に所属しているため、同会員に対しては、困ったことがあれば何でも簡単に相談することができますし、相当嫌な顔をされることさえ覚悟すれば、確実に知恵を拝借することができるので、研修会費を取り立てられてまで同会員による研修を受けることには強い疑問を感じましたが、その価値については間違いないという確信がありましたので、出席することにしました。

2 講演は、事例をもとに、どのように消費者契約法を利用するか、その際どのような点に注意すべきかについて、説明がなされました。

事例は大雑把に言うと、次のようなものです。

(事例一)

Xは、日当たりの良いマンションを購入しようと考え、「陽差したっぷり」を謳い文句にするマンションを、その旨の記載があるパンフレットをもとに分譲担当者から説明を受け、購入したが、夏至においてはベランダの物干し部分に日光が全く当たらず、冬至においても室内にわずかに日光が届く程度というかなり日当たりの悪いマンションであった。

(事例二)

Xは、Y社が日当たりと眺望の良好をアピールするマンションを購入する際、Y社担当者に「近隣にマンションが建つことはないか」と聞いたところ、Y社担当者は「私共が知る限りそのような情報はありません」と言ったため、購入した。ところが、その一か月後、Y社は南側約五〇メートル離れた土地を購入し、高層マンションを建てる計画を発表した。

3 こんな相談がきたとき、みなさんはどうしますか。

当職の場合は簡単です。吉岡会員に共同受任してもらえばいいのです。そんな失礼な冗談はさておき、事例では消費者契約法四条の取消権が問題になります。

事例一では、契約締結勧誘における重要事項に関する不実告知(法四条一項一号)の適用、「勧誘」「重要事項」の意義が問題になり、事例二では、利益事実の告知かつ不利益事実の不告知(法四条二項)の適用、事業者の「故意」の意義が問題になります。

また、両事例に共通する問題として、六か月という時効期間の定めがあります。

馴染みのない法律であるが故に、文言の解釈が問題になった場合、一冊の文献を調べて、この文言はこう解釈するのかと単純に納得してしまいそうですが、それではまだまだ甘いようです。

特に、当職は、監修、編者として「最高裁判所事務総局民事局」や「経済企画庁国民生活局消費者行政第一課」などという言葉が出てくると非常に弱いのですが、「日本弁護士連合会消費者問題対策委員会」も忘れてはなりません。

講演では、異なった立場から三冊の参考文献が紹介されましたが、その違いを理解し、事案に応じてより説得的な論理展開ができるようになると、敵はあっと驚くでしょう。

4 講演は、消費者契約法にとどまらず、詐欺、錯誤、減額・相殺の主張についても及び、事件の経緯に沿って、詳細な説明がありました。

当日は、多数の会員の出席があり、非常に熱心に講演を聴かれていました。

当職は、会場後方にて講演を拝聴しましたが、当初、研修会費の支払に強い不満を抱いていたことを深く恥じ入った次第です。

第五回刑弁研究会報告 〜刑事事件におけるマスコミヘの対応〜

曽場尾 雅宏

 1 昨年十月、私が弁護士登録してはじめて経験した刑事事件は、新聞等で大きく報道された事件だった。この事件を通じて、私は、被疑者を誤った報道から守ることも、重要な弁護活動の一つではないかという問題意識を持った。そこで、このテーマを取り上げた。

今回は、佐賀新聞社の森本貴彦記者、大鋸宏信記者を講師としてお招きして、お話をうかがうとともに、活発な質問にもお答えいただいた。また、今回の研究会では、多くの大先輩の先生方にご参加いただき、研究会の議論がより深いものになった。  遠路おいでいただいた佐賀新聞社のお二人と、ご多忙の中ご参加いただいた先輩の先生方には、深く感謝したい。

2 前述の、私が経験した事件の概要は次のとおりである。  被疑者の逮捕後、余罪に関するスクープ記事が、一紙のみに大きく掲載された。被疑者は、真実を報道されるなら仕方ないが、報道されたスクープの内容はほとんどが間違いであるとし、強い不満をもっていた。新聞に大きく報道されたことで、家族は深く傷つき、住居も転居せざるをえなくなった。

私は、報道した新聞社に対し、被疑者の言い分も聞いて欲しい旨を連絡した。すぐに記者の方が事務所に来られ、話を聞いてくれた。記者も、相手方の言い分はじっくり聞こうという姿勢を持っているものだと感じた。同時に、もっと早い時期に記者と接触できていれば、誤った報道を防ぐことはできたのではないかと感じた。

3 私の経験の発表の後、お招きした記者の方々の講演が行われた。ここでは我々にとって大いに有益な、刑事事件の取材や紙面構\成等の実務の話をしていただいた。

また、記者から弁護人に対して求めたい情報としては、第一に、被疑者の認否と、否認ならば詳しい供述内容とのことだった。

記者の方々が強調していたのは、記者と弁護士との間により強い信頼関係を構築する必要があるということだった。

4 講演後の討論の際の発言の一部を、以下にランダムに並べる。

  • 認否といっても、逮捕の段階では、否認に近い自白もあれば、その逆もある。また、公判で不利にならないようにするため、逮捕時には認否を明らかにできないこともある。
  • 一時期、被疑者の言い分も記事にするという流れができつつあったが、今はそれが停滞している感がある。
  • 弁護士会で広報担当者を定めて一元的に情報提供する方法は、メリットとデメリットがある。広報が形だけの情報提供をすると、無意味になる。
  • 少年犯罪について、実名で報道する会社もあるが、実名報道は弊害が大きい。
  • マスコミも弁護士も、もっと双方がお互いを利用しあってもよいのではないか。
  • 否認事件の場合は、見出しに否認している旨を書いて欲しい。。

5 記者の方々や先輩の先生方からは、他にも多くの有益なお話をお聞きできた。

結論としては、月並みではあるが、弁護人がマスコミに対しどのような情報提供をすべきかは、非常に難しい問題であるということになろう。

以下は、私個人の私見である。

被疑者・被告人のために、その言い分を積極的にマスコミに伝える必要性のあるケースもある。また、国民の司法参加が進められている今日、刑事事件に関する情報は広く国民に伝える必要がある。その意味で、弁護人は、個々のケースの特殊性に配慮しながら、提供すべき情報は積極的にマスコミに提供する必要があると考える。そして、適時の有効な情報提供のためには、普段から記者と弁護士との間の信頼関係を構築しておく必要があると考える。

「こどもの日記念無料相談」開催される

池田 耕一郎

平成16年5月8日(土)午前10時から午後3時半にかけて、電話による「こどもの日記念無料相談」が開催されました。当日は、福岡県弁護士会館二階会議室に受付電話回線を設置し、子どもの権利委員会の委員が午前と午後に分かれて張り付き待機しました。

この無料電話相談は、日弁連主催で、毎年5月のこどもの日前後に全国の各単位会で一斉に行われる恒例行事ですが、当会は、地元新聞、テレビ等の報道関係各位のご理解とご協力のもと、例年、全国の単位会の中でも上位の相談件数があり、本年度も昨年度の件数には及ばなかったものの、一二件の相談がありました。

今年の相談内容は、例年になくバラエティに富んでいたように感じます。

具体的には、近所の中学生男子から幼児(女子)への性的ないたずら行為に関する幼児の母親からの相談、息子と同じクラスに暴力的な同級生がおり危険であるから何らかの対策を講じたいという母親からの相談などがありました。他にも、保護者からの相談としては、中学生女子の不登校問題、担任教師からのいじめ問題、少年事件(傷害)の被害者となった中学生男子の示談交渉の相談などがありました。特筆すべき相談として、高校生本人から、学校の部活動の顧問教諭が部員間で差別的対応をするので、教育委員会に直訴したいというものがあり、子どもの権利委員会委員一同、思わず考え込まされました。

以上の相談どれをとっても、保護者あるいは子ども自身が、どこに相談してよいのかとまどう内容ばかりであり、本企画の存在意義をあらためて強く感じた次第です。

この「こどもの日記念無料相談」は、本年度で一四回目を迎え、市民の間に少しずつ定着してきた感がありますが、今後とも、当会会員、報道関係各位のご理解とご協力を得て、市民のみなさんがより一層利用しやすい企画にしていく所存です。

なお、当会では、今回の「こどもの日記念無料相談」とは別に、毎週土曜日午後0時半〜3時半の時間帯で、「子どもの人権110番」として、子どもの権利委員会の委員を中心とした担当弁護士が当番制で電話相談を受け付けています(電話番号092-752-1331)。これについても、積極的に市民への周知を図っていきたいと考えています。

2004年5月 1日

想えば遠くへ来たもんだ 〜弁護士会ホームページに関与して〜

堀 孝之

1 ホームページ委員会(HP委員会)が立ち上がり、

当会のホームページ(HP)がリニューアルされて早くも二年弱が経ちました。私はHP委員会創設時からのメンバーとして関与して参りましたが、振り返ってみると、山あり谷あり、本当にいろいろなことがあったように思います。

今回、HP委員会だよりの原稿執筆依頼を受け、せっかくの機会だから、これまでの当会HPの歩みを、私が知る限りで振り返ってみたいなと思いました。しばしお付き合いいただければ幸いです。

2 草創期(旧HP時代)

当会HPは、平成10年ころに産声を上げたと聞きます。平成10年といえば、私が司法試験に合格したその年です。貧乏受験生だった私はパソコンなんて持ってませんでしたし(でもそう言えば昔事務職員として勤務していた事務所からもらい受けたDOSのパソ\コンがあったなあ・・・この子は今は自宅で永い眠りに就いています。本当におつかれさま)、HPなんて言われても「何それ?」というていたらくでした。司法修習生になって、夏のボーナスで初めてウィンドウズシステムのパソコンを手に入れました。こわごわインターネットに接続したのを覚えています。当時は常時接続といえばNTTのテレホーダイというサービスを使わなければならない状態で(私は利用しませんでしたが)、プロバイダの料金も接続時間に応じて課金されるシステムでしたから、ネットサーフィンをダラダラやってるととんでもない料金請求が来たりして・・・いかんいかん、テーマは私の歴史じゃなくて、当会HPの歴史だった。本題に戻りましょう。

修習生時代に弁護士会関連のHPで最初にアクセスしたのは確か日弁連のHPだったと思います。そこからリンクをたどって、当会のHPにたどり着きました。初めてみた印象は・・・実はそんなに悪いものではなかったです。デザイン的には、いわゆる「フレームページ」というやつで、開いたら表紙部分がジワジワと下からロールして上がってくるという、なかなか凝ったものでした。当時のコンテンツ(内容)を覚えていらっしゃるでしょうか?私もずいぶん記憶が薄れましたが、会長挨拶、「こんなときどうする?(これは今でもありますね)」、法律相談センター紹介、弁護士費用説明、市民向けイベント情報、委員会紹介、九弁連コンテンツ(所属単位会の紹介のみ)、会員情報、リンク(工事中)、「月報記事から」、だいたいこんなところだったかなと思います。ただ、修習生なりに仕入れていた情報として、すでに「元気な福岡県弁護士会」というイメージがあったのですが、当時のHPからはあまりそのようなイメージが伝わってこず、意外に思った記憶があります。

3 改革停滞期(HPPTの立ち上げ)

私が平成12年10月に当会に入会してからすぐに、ある一枚のペーパーがレターケースに投げ込まれました。内容は「当会HPについて意見交換するから言いたいことあるヤツは誰でも集まれ」という趣旨でした。思えばこのペーパー(発信元は執行部か業務委員会だったと思うけど忘れちゃいました)が、私が当会HPに関与する最初の機会でした。この会合には、今思い出せば、古賀克重会員、菅藤浩三会員、関口信也会員など、現在のHP委員である会員も多く集まっていました。

この意見交換会の直後、当時の植松功業務事務局長を座長とする、HPプロジェクトチーム(PT)が立ち上がり、私もこのメンバーに加わることになります。またこれと並行して、平成13年度からは主任・幹事会でもHP刷新についての話がなされるようになり、アクセス数の少なさに業を煮やした野田部哲也業務事務局長(当時)が「古賀克重のHPを超えよう」と唱え、これが合言葉になりました。ただここでの刷新作業は、いくつかのコンテンツを立ち上げはしましたが、全体としては遅々として進みませんでした。やはり最大の原因は技術情報の不足でしょう。克重会員は当会HPに対する独自の考えからPTには不参加でしたし、今のような業者との連携も全くありませんでした。更新作業は松本寛朗職員がコツコツやっていましたが、松本職員も技術情報に必ずしも詳しいわけではないし、何より業務の合間を見てやらざるを得ない。というわけでアイディアだけはたくさん出るのだけど実現の目処が立たないという何とももどかしい日々が続きました。

4 改革転換期(西日本新聞社訪問〜HP委員会発足)

平成13年八¥8月、HPPTと主任幹事会とで大挙して西日本新聞社にお話を伺いに参りました。このときの原田真紀メディア部長(当時。ちなみに男性です)の話は非常に示唆に富むものでした。いわく「もっと市民・住民に開かれたページを作らなければ」「現状は役員による役員のためのHP」「読んでもらえる、使ってもらえる、使って便利、という側面がないとだめ」「『一緒に考える、一緒に楽しむ』 という視点が不足」と次々に厳しい言葉をいただきました。この話を聞きながら、私の頭の中で次第にどのようなHPを目指すべきかの構想が固まって行きました。当時のメモに、私自身は「徹底した見出しの見直し」「リンク集を充実させる。これがメインでもよいのではないか。便利さの追及 『そこに行けば何かがわかる』」という言葉を残しています。

しかしそのような会合を経てもなお、当会HPの刷新について現実性のあるアイディアがまとまった形で提示されることはないままに時が過ぎました。そこで私は平成14年2月15日の主任幹事会の席で「弁護士会HP新装への提言」と題するA4版一一ページの論稿を提出し、この論稿の中で、初めて「法律情報ポータルサイト化」という方向性を打ち出しました。また時を同じくして、永尾廣久会長(当時)からの「新しくHP委員会を作ろう」とのお話を受け、古賀克重会員を委員長に据え、私を事務局長とするHP委員会の骨格ができあがり、同年3月20日の常議員会での承認を経て、HP委員会が発足しました。

5 改革実現期(HP大刷新〜現在)

HP委員会の初期メンバーは、専ら古賀委員長と私とが一本釣りで集めました。できあがってみると、まるで「多重会務者ねらい打ち」のような委員委嘱で、大変申し訳なく思ったのを覚えています。業者にもうまく連携が取れ、非常に安価な顧問料で契約していただくことができ、技術情報の不足からアイディアが実現できないという苦痛からはとりあえず解放されました。もともと忙しい人たちの集まりだったので、議論はメールのやりとり中心で行い、やがてこれがメーリングリスト(ML)へ進化して、今では当然のように行われている委員会MLでの議論が、この時当会で初めて実現したことになります。

そしてHP大刷新の期限を設定すべきということで、平成14年度定期総会の日(5月28日)を目標と定めたところ、古賀委員長の尽力により、早くも4月11日には試作ページができあがってしまいました。そして無事に5月28日のリニューアルオープンにこぎ着け、役員就任披露パーティーの席で大々的に公開したのはご記憶に新しいところかと思います。その後本格的に、会員専用HPの製作にも取りかかり、同年10月には運用を開始、松尾重信委員が毎月この月報で報告しているとおり、徐々に改良を重ねて現在に至っております。

6 旧HP時代のことを考えると、当会自体のIT化も含め、現況はまさに隔世の感があります。しかし委員会MLや定例委員会での議論などは、本当に「こんなこといいな、できたらいいな」というドラえもんのような夢の応酬で、またこれが次々に何とか実現にこぎ着けるものですから、すごく楽しいのも間違いありません。これからも更新作業は続いていきます。皆さんのアイディアをぜひたくさんお寄せいただければと思います。

土地家屋調査士会ADRセンターに参加して

塩川 泰徳

1 本年(平成16年)3月8日、福岡県土地家屋調査士会ADRセンターが発足した。正式名称は、「境界問題解決センターふくおか」という。愛知、大阪、東京に次ぎ全国で四番目という事である。私は相談委員を担当している。

まず、センターの概要を説明しよう。目的は、(1)境界に関する相談または問題について、当事者と専門家が協力して裁判に代わる簡易な手続で迅速、公正かつ柔軟に解決を図る。(2)問題解決の結果を登記簿及び地図に反映させ、国民の権利の明確化に寄与する。(3)問題解決にあたり、当事者の主体性を尊重し、当事者自身の問題解決意識を高める、の三点である。

人的構成は、運営委員会(調査士3名、弁護士2名)、相談委員会(調査士1名、弁護士1名)、調停委員会(調査士2名、弁護士1名)である。発足当時の委員の総数は、相談委員が調査士七名、弁護士五名、調停委員が調査士10名・弁護士5名であったが、申\込件数が多いため、先日、弁護士相談委員が五名から10名に増員された(弁護士調停委員の定数は変わらず)。

開設から本原稿執筆時までの活動状況であるが、約一月間の相談申込件数は21件。うち調停申\立は八件である(いずれもまだ未成立)。

手続は、まず、電話による受付から始まるが、電話では、紛争の存在や必要書類を確認し来訪をお願いするまでに止まり、実際の申込は、関係書類持参の上で一度センターを訪問してもらう必要がある。そして、センター訪問の際、センターの趣旨や相談・調停手続の流れの説明が行われ、申\込者持参の関係書類を受領する。相談日は、調査士及び弁護士の両相談委員の予定を確認した上で後日決定される。つまり、実際の相談は、2回目の来訪時である。調停については、弁護士会のADRと同様、相談前置主義がとられ、まず、相談委員会が当事者の話を伺い(2時間ほど)、相談で解決すれば調停には移行しない。なお、境界問題解決センターは、当然の事ながら対立当事者間の紛争の存在を前提としているので、申\込者の意識では境界に関する問題に属するとしても、当事者間の紛争が存在しない場合、例えば、「隣地との境界をはっきりさせていない(測量していない)ので不安です。今のところ、隣地所有者との意見の食い違いはなし、土地を処分する予定もないのですが、どうしたらよいでしょうか?」などという相談についてはセンター取扱い事案の対象外となる。かかる事件性のスクリーニングは、本来、受付段階で行われるが、実際資料を見ながら話した上でないと分からないことも少なくないので、相談段階になって、初めて紛争が存在しないことが分かることも少なくないようである。

費用は、相談手数料が五、250円(一回2時間)、調停申立手数料は10500円、成立手数料は解決額の8%を原則とし31500円を最低額とする(負担割合は当事者の合意)。測量等が必要となる場合は、別途見積による。

2 まだ、センター開設後一月余りであり、多くの案件を担当した訳ではない。しかし、本年1月から開設準備作業に携わり、模擬問題の作成や模擬相談・模擬調停に関与した中から学んだことがあるので、一つ重要なことを紹介しよう。

我々弁護士の感覚からすると、ともすれば誤解しそうになる事柄であり、土地家屋調査士の役割は何かという極めて重要な問題でもある。例えば、境界紛争について関係二当事者間で一定の合意(解決案)が見出せそうな雰囲気が出てきたとしよう。我々弁護士だと、「当事者がそれでいいと言っているのだから、それでいいじゃない」と、つい思ってしまわないだろうか?(私を含め、開設準備作業に携わった数人の弁護士はそういう感覚を持っていた)。しかし、これには問題がある。前述のセンターの目的にもあったように、「問題解決の結果を登記簿及び地図に反映」させねばならない。土地の境界は公的意味を持つし、境界問題の他の土地所有者にも必然的に影響を及ぼす問題である。当該土地につき、将来、取引関係に入ってくる第三者の利益のこともある。よって、現在の当事者間だけの利害調整として処理すればよいというものではない。その結果、調査、測量等の客観的結果を横に置いておき、現在の紛争当事者がそれでよいといっているからよいではないか、という処理をしてよいとは直ちには言えないのである。注意しなければならない。ただ、そうなってくると、場合によっては、センターに相談(調停)を申し込んだばっかりに、当事者双方ともに予\想しなかった負担を強いられる結果になる可能性がないとは言えず、それで当事者の納得が得られるのかという問題が残される。現代社会で不動産を所有するということはどういう意味を持つのかという問題でもあり、今後も検討していかねばならないだろう。

ITコラム 〜私がマックを愛する理由〜

辻本 育子

月報の担当者からこの原稿を書くようにいわれて、つい「何も書くことないけど」と言ってしまいました。「私がマックを愛する理由」でもいいからと言われて、書き始めましたが、これを見られる会員のなかに一体何人のマックユーザーがいるんでしょうか。

私がパソコンを初めて買ったのは、一九八九年販売されたDynaBook386SXだったと思います。あのころの東芝は偉かった。MS DOSの時代ですが、全くの素人が買って来て、誰の助けもなしに説明書だけでパソコンが使え、MS DOSのお勉強ができたのですから。

その後3.1、95、98、XPとウィンドウズ機もずっと使って来ましたが、一九九二年にアップルからPowerbook170が出て以降は、主マシンはマックです。洗練されたインターフェイスと、どんどん安くなったことでデスクトップもマックになりました。

うちの事務所のパソコンも、「マックでなければメンテナンスできない」(実はしたくない) という私の我が儘から、ほぼ全部マックです。しかし、弁護士個人の携帯用にはやむなくウィンノートを使っています。なにしろ、一番軽いノートでもマックは二キロですから、携帯を考えると、ウィンノートで我慢せざるをえません。

パソコンを使う人は二種類いるんじゃないでしょうか。ソ\フトを使って目的が達せられればいい人と、パソコンという道具自体が好きで、それを自分好みに変えて使いたい人です。私にとってパソ\コンは電子レンジと同じく無くてはならないものですが、レンジをいじってみようとは思わないのに、パソコンは、いじってみたくなります。といっても、物理的にパソ\コンを組み立てること (自作) は、いまやそれこそサルでもできるレベルになっているので、一回で飽きました。実は私はいわば「環境設定オタク」です。だから、config.sysなどでいじれなくなったウィン98の途中からおもしろくなくなりました。

その点マックは、OS9までは、インターフェイスが洗練されているだけでなく、ユーザーがシステムをいじれる自由度も高くて、楽しいマシンでした。そのマックも、最新のOS X (テン) になってからは、システムが変わってしまい、適応できません。適応したくないというのが本音かもしれませんが。昨年は、あと数年OS9をつかっていくために、OS9も使えるパソコンを数台購入して将来に備えたところです。

私にはなじめないMacOS Xですが、新しく始める人には、今のマックは、安くてパワフルで安定していて、すぐれたアップル製ソフトもついていて、とてもお勧めです。アップル製品は、デザイン的にも優れていて、使わなくなったマックはインテリアにもなります。OS Xしか入っていないから私は買っていないけど、PowerMac G5はケースの中も外も美しい。

データーのやりとりが心配ですか。マイクロソフトオフィスを使うかぎり心配無用です。それに昨今のようにウイルスがはびこってくると、ウィルスの少ないマックの世界は別世界のように安全で平和ですよ。どうも弁護上のメーリングリストでウイルスメールが飛び交っているようなので、最近ウィンドウズ機でのメールチェックは止めました。

当番弁護士日誌

中野 俊徳

1 刑事弁護の覚悟

私は、修習生の前期・後期に、月に一、二度、クラスメイトらと、第二東京弁護士会の神山啓史先生の刑事弁護ゼミに通っていました。このゼミは、公設事務所赴任希望の新人弁護士が現に受任している刑事事件を題材に、どのような弁護活動をすべきかを一緒に検討しあう内容のものでした。このゼミで印象深いことは、私が「勾留取消請求します」等と答えた際、神山先生から「本当にやるのか」と再度問われたことです。

この再度の問いは、勾留取消請求等は弁護人が期待しているような結果を得られる可能性は少なく、周囲の目も「どうして、そのような無駄な活動をするのか」と冷たくなりがちであり、そういう状況下でも自分が本当に必要だと判断した弁護活動を貫く覚悟があるのかという問いだと、私は理解しています。

2 当番弁護出動と前半戦

そして、弁護士になった私は、昨年12月、当番弁護研修のため、指導担当弁護士の田中裕司先生と博多署の前で待ち合わせして、被疑者と接見しました。罪名は、公務執行妨害です。

深夜の中洲で、酔っていた被疑者のグループと別の酔っ払いグループが揉め事になり、中洲交番の警察官らが止めに入ったのですが、被疑者の相手方と警察官が一緒に転倒し、相手方に襟首を掴まれていた被疑者も警察官の上に転倒しかけて、被疑者の足が倒れた警察官の後頭部あたりに当たりました。

被疑者は、それを見ていた別の警察官らから、故意に警察官を蹴ったと判断され、公務執行妨害で現行犯逮捕されたのです。接見した日は勾留初日でした。

被疑者の話を聞いて、これは弁護人を受任して争う必要があると判断した田中先生と私は、被疑者にも被疑者の親にも資力がないことから、法律扶助で被疑者弁護を共同受任することにしました。

そして、とりあえず、交代で毎日接見することと、被疑者の家族には田中先生から連絡を取ることが決まりました。

こうして、被疑者弁護が始まりましたが、私は具体的に何をすればいいのかわからず、勾留3日目にたまたま時間ができたので、検察庁に行き、担当検事に面会して、在宅捜査への切替えを求めて、すげなく断られた以外は、最初の数日間は、接見と勾留状謄本の取寄せくらいしか弁護活動をしませんでした。

今振り返れば、共同受任ということで、自分から積極的に動く気持ちを持たず、指示待ちの状態になってしまっていたと思います。修習生の頃に思っていた覚悟を忘れた状態でした。

3 後半戦での巻き返し?

勾留5日目、私は、刑事弁護の勉強会に参加するため、静岡に行っていました。

前述の神山ゼミに一緒に通った、刑事弁護オタクとも言うべき、元クラスメイトが静岡県沼津支部で弁護士となり、東京の高山俊吉先生や静岡の小川英世先生を巻き込んで、刑事弁護の勉強会を事実上主催しており、なぜか私も強制参加させられていたのです。

この日は、オウムの麻原の弁護団長を務められた渡辺脩先生をお招きし、講演会が開かれました。

渡辺先生のお話を聞き、また、その後の懇親会で元クラスメイトから叱咤され、私はようやく自分から行動する気持ちを持てるようになりました。

勾留6日目、福岡に戻った私は、早速、被疑者と接見しましたが、被疑者は長引く身柄拘束に疲れと焦りを持ち始めていました。被疑者に対する取調べは、2、3日に一回度、一回あたり1時間程度しか行われておらず、被疑者は逮捕直後から一貫した供述を維持し続けていましたが、身柄拘束されている時間の中で、つい悲観的な考えをしてしまっているようでした。

私も、落ち込み気味の被疑者を前にして、安易に慰めることもできず、できる限りの弁護活動を約束することしかできませんでした。

勾留7日目、私は、被疑者の妻に事務所に来てもらい、「被疑者の身柄拘束がこのまま続くと被疑者の妻と幼い子の生活が脅かされる」という内容の陳述書と身元引受書を作成したうえで、田中先生の承諾を得て、勾留取消請求しました。そして、請求書を提出する際、裁判官面接を申し入れておいて、勾留8日目、田中先生と共に担当裁判官に面会し、被疑者の家庭の窮乏と事案の内容から見て、逃亡のおそれ、罪証隠滅のおそれがなく、勾留の必要性もなくなっていることを訴えましたが、取消請求はあえなく却下されました。

事務所で却下の知らせを聞いた私はかっとなって、その場で準抗告の申立書を起案して、慌てて裁判所に行きましたが、慌てすぎて、何とも恥ずかしいことに抗告の申\立書を書いてしまっていたのです。それを受付で指摘された私は恥ずかしさに顔を真っ赤にして受付にお詫びしつつも、翌日の受付開始時間に準抗告の申立てをすることを予\告しました。

そして、勾留9日目、予告どおり裁判所で勾留取消却下に対する準抗告の申\立をした私は、その足で検察庁に行き、担当検事に「仮に準抗告が棄却されても勾留延長請求しないように」と求めました。

しかし、私の願いもむなしく、この日の午後六時頃、裁判所から準抗告棄却の知らせが届き、勾留10日目、10日間の勾留延長請求がなされました。そして、担当裁判官と面会して、延長しないことをお願いしましたが、これまた願いは届かず、10日間の勾留延長決定の知らせが届いたのでした。

4 釈 放

勾留11日目、私は、勾留延長決定に対する準抗告書を準備し、田中先生に資料をお借りして、勾留理由開示の申立書の起案にも着手していましたが、次に何をすべきか、悩んでいました。2日前に出た準抗告棄却決定によれば、関係者複数(被疑者の仲間と喧嘩相手のグループ)の検察官調べが終わっていないことが主な理由になっていて、今、準抗告しても、同じ理由で棄却されるのではないかと少し弱気になっていたのです。

別件の打ち合わせ中の私のところに、突然、被疑者から電話がかかってきました。釈放されたというのです。私は、わけもわからず、ただ、嬉しそうな被疑者の声を聞いて、涙ぐみそうになってしまいました。後日、検察庁に確認したところでは、起訴猶予処分ということでした。

5 最後に

こうして、私の弁護士になって最初の被疑者弁護は終わりました。今回の被疑者弁護は、私にとって多くの反省材料を与えてくれたものになりました。

この事件で弁護活動が果たして起訴猶予処分という結果に結びついたのかどうかすら、私にはわかりませんが、私にとっては良い経験になったと思います。最後に、ご指導いただいた田中裕司先生に感謝します。

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