弁護士会の読書
※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。
社会
2022年6月28日
非戦への誓い
(霧山昴)
著者 伊藤 千尋 、 出版 あけび書房
ロシアのウクライナへの軍事侵攻、つまり戦争が始まって4ヶ月になります。ユーチューブの映像でリアルに戦闘場面を見ることができます(ドローンによる上空からの撮影動画)。
戦車が撃破され爆発する映像を見るたびに、戦車内にいた4人か5人の若者たちが一瞬に蒸発したかのように死んでいったのかと、本当に胸が痛みます。
そんなロシアによる戦争を見せつけられ、少くない日本人が平和憲法、とりわけ9条に不安を抱き、軍事予算を倍増させようという自民・公明の政権党、それをあおりたてる維新などに心を動かされているようです。
でも、ちょっと待ってください。日本が原子力潜水艦をもって、北朝鮮や中国から日本を守れるなんて、ありえないでしょ。日本海側にたくさん立地している原発(原子力発電所)へのミサイル攻撃を防ぐことなんて出来るはずがありません。そんな事態にならないよう、日本が戦争に巻き込まれないように外交努力を強めることこそが日本の政治家のつとめなのです。
イラクでは、日本の沖縄は、「殺人鬼を製造する島」だと思われている、とあります。これには、正直、ショックを受けました。イラク戦争でイラクの人々を殺したアメリカ兵の多くが、「自分は沖縄の基地から来た」と話していたから、イラクでは、沖縄というところは殺人鬼をつくる島だと信じられているというのです。
いやあ、これは、とんだ濡れ衣(ぎぬ)ですよね。いや、ちょっと待った。今、日本政府が強引に建設を強行している辺野古新基地建設において、沖縄の現地住民の気持ちは、玉城デニー知事を先頭とする沖縄県庁をふくめて、ほとんど無視されていますよね...。
敗戦直前の沖縄戦の過程で、軍隊(日本軍)は住民を助けることは二の次で、目標の主たる優先順位は軍隊であって、余裕があれば(そんな余裕は実際にはない)、住民を救助することがある、という程度でした。
沖縄県民にとって、自分たちを守ってくれるはずの沖縄の軍隊は、住民の身の安全を守るどころか、軍隊を守ることが最優先だった。
戦争は、ある日突然に起きるのではない。戦争になるのが当たり前という雰囲気がつくられていく。今、まさしく現代日本が同じ状況ではないでしょうか?
アフリカ沖のスペイン領のカナリア諸島に「憲法9条の碑」があるそうです。
ロシアのウクライナへの侵略戦争が続くなか、日本国憲法9条は意味を失ってしまったのではなく、逆に今こそ9条の出番なのです。平和は銃口の先に生まれるのではなく、みんなで話し合うこと、つまり外交交渉によってこそ実現できるものなんです。
自民・公明の日本政府が非核条約を批准せず、ウィーンで開かれている国際会議に出席もしないというのは、いつものアメリカ言いなりの姿勢そのもので、世界中をガッカリさせるものでした。日本国憲法9条を馬鹿にしてはいけません。この9条を生かすも殺すも、私たち次第です。
著者は私と同じ団塊世代です。私と違って語学の天才のようですから、まさしく国際派のジャーナリストです。いつも、いい本をありがとうございます。
(2022年3月刊。税込1980円)
2022年6月10日
二本の棘
(霧山昴)
著者 山下 征士 、 出版 角川書店
タイトルからは何の本か分かりませんが、兵庫県で捜査一課長をつとめた著者の体験記です。森永グリコ事件のような迷宮入り事件もとりあげられていますが、とくに目新しい事実が紹介されているわけでもありません。警察の捜査というのは地道な努力の積み重ねだということ、それには市民の信頼と協力が欠かせないという、しごく当然のことが書かれています。
それにしても、警察官による銀行強盗事件が兵庫県で連続して発生したというのには改めて驚きました。福岡でも警察官の銀行強盗事件が起きましたが...。
1984年3月、警部補(42歳)が大阪市内の泉州銀行難波支店にモデルガンをもって押し入り、現金1000万円を強奪した(5分後に逮捕)。動機は、ギャンブルなどによる借金苦。翌4月、大阪・池田市の幸福相互銀行池田支店に巡査長(43歳)が猟銃をもって押し入り、121万円を奪った。犯人は、翌日、逮捕された。40代の警察官が銀行強盗するなんて、まるでアメリカのギャング映画に出てくる悪徳警官です。
森永グリコ事件では、犯人を取り逃がした滋賀県警の本部長が自殺しました。たしか、ノンキャリア組の出世頭の本部長だったように思います。
捜査に必要なのは、体力と根性だけではない。それも重要だが、広範囲にわたる教養や知識、分かりやすく説明する力、ひらめきと想像力、目に見えない人間の心を理解する力、そうしたものすべてが捜査に役立つ。なーるほど、そうなんでしょうね。
キャリア組が捜査一課長になると、よほど現場での経験やある種の根性がないと、部下がついていかない。現場主義の思想が根強くあり、県警本部の捜査一課長は、「高卒叩き上げ」の指定席になっている。そうでないと、クセのある刑事たちをまとめきれないからだ。
捜査一課長には多くの「才能」を認めて活かすことが求められる。
1987(昭和62)年5月3日に起きた朝日新聞阪神支局の記者殺害事件について、著者は犯人は右翼だと推測しています。
グリコ森永事件の犯人たちは金銭目当てだったが、朝日新聞を襲撃したのは右翼思想の人間の犯行だということです。
かのサカキバラ事件、そして1974(昭和49)年11月の「八鹿(ようか)高校事件」もこのころ起きたのですね...。私が弁護士になった年の秋のことでした。
(2022年3月刊。税込1870円)
2022年6月 3日
白虎消失
(霧山昴)
著者 大脇 和明 、 出版 新泉社
文化財の保護って、本当に大変なことだと痛感しました。中国に行ったとき、皇帝陵墓の発掘を止めていると聞かされ、驚いたことを思い出します。掘り上げるのは簡単だけど、その保存・維持に自信がないというのです。
千年以上も地下で眠っている貴重な文化財を掘り上げ、現代の汚染された空気にさらしたとき、たちまちボロボロになって朽ち果ててしまう危険がある。そうならないようにする技術が、まだ十分でない以上、簡単には発掘できないとのこと。うむむ、なるほど、なーるほど......。納得しました。
同じ問題を、高松塚古墳の色鮮やかな壁画もかかえているというのが本書のテーマです。
高松塚古墳は、1300年前の古墳時代の終末期に築造された円墳。石室内に壁画が描かれていることが分かったのは、50年前の1972年春のこと。鮮やかな古代の衣装をまとった人物群像は日本中を驚かせた。
私も本当にびっくりしました。源氏物語絵巻より古い衣装の女官たちが極彩色で突如として出現したのですから...。1ヶ月前に浅間山荘事件(連合赤軍事件)が報道されたので、明るいニュースに心が浮き浮きもしました。もちろん、この壁画は国宝に指定されました。
ところが、西壁中央に描かれていた「白虎」(四神図の一つ)の姿が、今やほとんど消えているというのです。これは本当に残念なことです。
その劣化の原因の一つにカビがあり、カビの繁殖を招いた要因の一つが石室への人の出入りだ。カビの繁殖や処置のくり返しのために人の出入りが繰り返され、カビがカビを呼ぶ「負の連鎖」に陥っていた。いやはや、なんということでしょうか...。
1972年3月27日の朝日新聞の一面トップに高松塚古墳に「法隆寺級の壁画発見」という大々的な記事が載った。いやあ、これはすごいです。このときは白黒写真でしたが、3月29日の夕刊のカラー写真は、まさしく世間の度肝を抜きました。早速、このカラー特報を表装して掛け軸をつくって売り出した商人までいたそうです。たしかに、それほどの衝撃がありました。
高松塚古墳は、奈良県明日香村平田にある、7世紀末から8世紀初めに造られた小さな古墳。私も数年前の夏、明日香村に行き、電動自転車にのって石舞台古墳などを見てまわりました。
高松塚古墳は、高さ5メートル、直径18メートルという小さな古墳。被葬者は「熟年の筋骨発育の良好的な男性で、身長は163センチ」で、天皇(大王)ではなく、皇族クラスのようです。明日香村を訪れる観光客は昭和50年代のピーク時には年180万人だったが、今では80万人ほど。そして、今では解体され、別のところで保存されている。
残念ながら、そういうことになるのですよね、しかたありません...。
(2022年3月刊。税込2200円)
2022年5月27日
「部落」は今どうなっているのか
(霧山昴)
著者 丹波 真理 、 出版 部落問題研究所
弁護士になって25年目くらいだったと思います。なので、今から40年以上も前のことです。 中年の女性がやってきて、息子の結婚相手の女性が「部落」の人だと分かったので、結婚をやめさせたいが...という相談を受けました。内心、今どき、こんなバカなことを言う人がいるんだ...と驚き、かつ、呆れ、また怒りがこみあげてきました。なので、やんわり諭して、帰ってもらいました。しかし、私が「部落差別」に関わる相談を受けたのは、これだけです。あそこは「部落」だと聞かされたことは何回かありましたが、当時も今も、どこも混住していて、他地区と変わるところはまったく感じられません。私の兄も建売住宅を買って「部落」だと言われるところに移住しましたが、誰も気にしませんでした。
この本は、愛知県のある「部落」に移り住んだ団塊世代の女性が、「部落」に住み、また転出していった人々に聴き取りをしたレポート集のような内容です。同じ団塊世代の私にも実感としてよく分かりました。
60年前、600世帯も住む大型部落には、真ん中に共同風呂があり、そこを取り囲むように店があり、住居が密集していた。お好み焼屋、うどん屋、八百屋、肉屋、床屋、貸本屋、散髪屋、花屋、たばこ屋、パーマ屋、クリーニング取次店があった。ビリヤード場、古着屋もあり、公会堂では芝居が演じられた。地域の中だけでこと足りる生活があった。
今、当時の面影はまったくない。道路が広げられ、銭湯もほとんどの店もなくなり、今は、たまに開く肉屋が1軒あるだけ。居住しているのも、地区出身が多いけれど、地区から転入してきた人も半数近くいる。
この地域は常に水とのたたかいだった。何回も床上浸水した。同時に貧困とのたたかいもあった。地域には、少数の富裕層と多数の貧困層が多数の貧困層が入りまじって生活していた。地域の人々には、全国各地を行商してまわる人も多かった。暗く、いじけた人々ではなく、いたって人間好きで、たくましく、明るい人々が住んでいた。
地域内の富裕層の多くは、一族もろとも地域外へ転出していった。
この地域で育った30代前半の男性は、「歴史上の話でしか知らないこと。ぼくらの世代には実感なかったし、関係ないと思っていた。まわりに、そんなことを言う人もいなかった」と語った。
地域内で建て売り住宅が売りに出されたとき、この地域だから安いということもなく、また値段が適正なら、すぐに買い手がついた。
著者は、部落差別は全体として大きく解消の過程にあるとしています。まったく同感です。ヘイトスピーチは、今でも存在していますというか、自分と異なる人の存在を許さないという風潮は依然として根強く、ときに牙(きば)をむくこともあります。在日、ゲイ、LGBTそして、アカ...。いろんな「少数」者を差別し、自分の優位性を誇示しようとする嫌な人が存在するというのが哀しい現実です。
「部落」の昔と今が曇りなき目で丹念に掘り起こされている貴重な労作だと思いました。
(2021年10月刊。税込1000円)
2022年5月24日
維新政治の本質
(霧山昴)
著者 冨田 宏冶 、 出版 あけび書房
「自業自得の人工透析患者なんて、全員、実費負担にさせよ。無理だと泣くなら、そのまま殺せ。今のシステムは日本を亡ぼすだけだ」
なんと恐ろしい言い草でしょうか、信じられない暴言です。これは日本維新の会公認候補者の主張です。こんな主張に賛同する人は、自分はいつまでも健康で、ガンになんてかからないし、老化現象もありえないと思っているのでしょう。でも、日本人の半分近くはガンになり、そして全員が老化していくのです。
日本維新の会を支持する岩盤層が存在することを著者は明らかにしています。それは、「格差にあえぐ若年貧困層」ではありません。そうではなく、30代、40代の「勝ち組」、中堅サラリーマン層、その多くはタワーマンションに住む層。この層の人々は税や社会保険などの公的負担への負担感を重く感じつつ、それに見あう公的サービスの恩恵を受けられていないという不満をもち、逆に、公的負担を負わないで福祉や医療などの公的サービスの恩恵を受けている「貧乏人」、「年寄り」、「病人」に対して激しい怨嗟(えんさ)、憎悪に身を焦がしている。
しかし、実のところ彼らは厳しい生き残り競争にさらされていて、いつ自分も転落してしまうかもしれないという不安定さを実感している。だからこそ、社会的弱者に対して同情や共感することを拒否し、激しい敵意や憎悪を抱くことになる。
「維新の会」を支持する人々は大阪に60万人前後いるが、大半がよそ者なので、彼らが大阪という地域に共感することは全然ない。
橋下徹や吉村府知事がテレビにずっとずっと出ていると、あたかも自公政権の受け皿になるかのような幻想を与えている。
今では、「維新の会」は大量の地方議会議員を擁しているので、「国」だのみのポピュラリストではなく、固い組織票をもつ組織勢力だとみる必要がある。
維新の会が牛耳る大阪府・市のコロナ対策は悲惨な結果をもたらしました。それは、275万人もの大都市に保健所がたった1ヶ所しかなく、しかも、その職員も削減されすぎていることによります。これについては、かつ橋下徹も「考えが足りませんでした」と、一応はしおらしく反省の弁を述べています。「維新」政治の無責任さを示す典型です。
コロナ感染症による100万人あたりの死者は、大阪市で484人、大阪府で348人。これは全国平均147人の3.3倍と2.4倍。いやはや、「維新」政治は人々が健康で生きていけないということなんですよね...。
こんな恐ろしい事実がテレビなどで広く報道されていないというのは、本当に困った状況だと思います。
(2022年3月刊。税込1760円)
2022年5月23日
フランス料理店・支配人の教科書
(霧山昴)
著者 大谷 晃 、 出版 キクロス出版
久しくフランス料理を食べていません。イタリアンは先日、連休中にいただきました。コロナ禍のせいでしょうか、私たち夫婦以外に客がなく、心配しました。私たちが帰ったあとに客が来てくれたらと願っています。2年ぶりに行ったのです。その前でも年に1回くらいしか行っていませんでしたが、とても美味しい店です。
この教科書は、出された料理皿をシェアしてはいけないと書かれていますが、私はいつもシェアしています。すると、一人で行ったら、せいぜい3皿も食べれば腹一杯になるところ、なんと7皿も注文できます。年齢(とし)とると、少しずつ、美味しいものをいただきたいのです。フランス料理の店でも、ぜひ彼女とシェアして食べたいです。
この教科書によると、今ではヌーベル・キュイジーヌとは誰も名乗らないのだそうです。1980年代までのことだったとのこと。知りませんでした。
私の好みは「リー・ド・ヴォー」です。仔牛(ヴォー)のうち、乳だけで育てられた(草食を始める前の)生後2、3ヶ月のもの、胸腺肉の料理です。もう久しく食べていません。ああ、ぜひぜひ食べたい...。
この教科書に出てくる日本のフランス料理店では、銀座にあった『マキシム・ド・パリ』そして『銀座レカン』、そこで司法修習生の接待を口実として会食させていただきました。私もまだ若く、しかもバブル時代のことです。まず赤ワインを飲み、次に白ワインを注文したら、ソムリエに叱られてしまいました。注文する順番が逆だというのです。魚は白、肉は赤という定石すら知りませんでした。無知であっても、若さは怖いもの知らずでした。
少し年齢(とし)とってからは、新宿のジョエル・ロビュションの店や『タテル・ヨシノ』にも行きました。南フランスのホテルで一つ星レストランに行ったときは、アラブの若い富裕層の一団が店内にいたせいで、とても料理が出てくるのが遅く、延々と時間がかかり、夜10時ころにやっと食べ終わり、さすがにくたびれました。同じ南フランス・リヨンの『ポール・ボーキューズ』は、さすがにサービスも満点でした。シェフが各テーブルに挨拶してまわるのにも驚きました。
著者は、あとがきに「食品ロス」のことに触れています。大切なことですよね。飢えに苦しむ大勢の人がいるのに、食べものを大量に捨ててしまう現実があるのは、本当に悲しい現実です。
支配人の役割について書かれていることは、弁護士にもあてはまることが多いと思いながら読みすすめました。たとえば、観察力をみがいて、お客様(の心理)を読みとく必要があるというのです。弁護士もそうです。目の前の人が結局、何を求めているのか、よくよく観察する必要があります。
「支配人はどう思いますか?」と意見を求められたとき、まず封印すべきは感情。これは、ショックでした。ああ、そうなんですね。誰も、感情なんて聞きたくないのです。冷静に問題の全体を見渡し、最善の策を意見として述べる。そして、このとき、その意見の背景、判断の基準とした情報もあわせて示す必要がある。なーるほど、ですね。
注文された料理の食材がないことを知っているときでも、「ありません」と即答せず、「調理場に確認してまいります」と言って、いったん引っ込む。「ない」と言ったら、客はしらけてしまう。そして、調理場と相談して、注文の品に近いものを代案として提案できないか考えてみる。うむむ、そうなんですね、そういう手があるのですか...。
この教科書のすごいところは、「調子の良いときほどスタッフを休ませる」ことをすすめているところです。休むのも仕事のうち。スタッフが疲弊しないで働けるように配慮するのも支配人の大切な努めなのです。私も心したいと思いました。
久しく行けていないフランス料理店の裏側をのぞいてみようと思って読んだ教科書ですが、弁護士の私にとっても、大変勉強になる内容で一杯でした。
(2022年3月刊。税込2970円)
2022年5月15日
黄金旅程
(霧山昴)
著者 馳 星周 、 出版 集英社
競馬場に生きる人と馬を描いた感動巨編です。私自身は競馬にはまったく興味も関心もありませんが、馬には関心があります。この本には、馬と人との心理的な駆け引きが活写されていて、よくよく実感できました。
今はありませんが、近くに地方競馬場があり、そこで働く厩務員が私の依頼者でしたから、馬の話はよく聞きました。馬は自分を世話してくれる厩務員の足音を聞き分けていて、その人が入っていくと、担当の馬だけが反応し、ほかの馬は知らん顔しているとのことでした。
日本全国に数万頭のサラブレッドがいる。彼らは競馬があるからこそ、人に養われている。競馬がなくなれば、彼らのほとんどがこの世から去ることになる。一頭の馬を養うのに、年間で少なくとも百万円のお金がかかる。
野生の馬に人が手を加えることで生まれたのがサラブレッド。彼らは、人なしで生きられない。そして、人は競馬がなければ、彼らを養えない。日本だけでも、毎年、7千頭ほどのサラブレッドが生まれている。世界では数万頭になる。そのうち、天寿をまっとうできるのは、ひとにぎりにすぎない。
馬は、あっけなく死ぬ。馬に関わる人間にとって、馬の死は日常茶飯事のこと。
日高(ひだか)地方は、日本有数の馬産地。日高の主要産業になっている。日高に、まず皇室向けの御料牧場ができた。起伏の少ない土地、降雪量が少ないことによる。積雪量が、せいぜい20~30センチなので、馬に運動させることができる。1メートルをこえたら難しい。
騎手を目ざす者は、若いうちから、食事量を制限する。厩務員の仕事は給料制。そして、担当する馬が獲得する賞金の5%がもらえる。中央競馬の厩務員なら、給料だけで500万円を軽く超えるし、重賞に勝てば、収入は一気にはね上げる。しかし、地方競馬は給料が安いし、賞金もはるかに安い。
私の知っている厩務員は昇給制度がなく、若いころは高給だったが、年齢(とし)をとっても同じ金額なので、結局、給料は低いとこぼしていました。
馬と一番長い時間を過ごすのは、厩務員だ。馬房を清潔に保ち、飼い葉を与え、運動したあとは体を洗ってやる。なので、たいていの馬は、厩務員には気をゆるす。ところが、たまにしか顔をあわせない人間(騎手)が自分にまたがり、ああしろこうしろと指示を出してくる。従順な馬なら、黙って従うが、気性の荒らすぎる馬は、やがて、騎手の姿を遠くから見かけただけで、気持ちをたかぶらせるようになってしまう。
人間と同じで、馬もいかには平常心で走るかが大切。気持ちのたかぶりは力みを生み、力んで走る馬は、最後まで息を保てなくなる。
耳は、馬たちのコミュニケーション・ツールだ。その形や向きで彼らの感情をうかがい知ることができる。耳を絞っている馬は、なにかに怒っているか、警戒している。こういう馬に不用意に近づくと、かまれたり、蹴られたりすることになる。
厩務員によるインチキの手口が紹介されています。
馬房に入って、犬笛を吹いたあと、馬が嫌がることをする。それを毎晩、短時間だけど繰り返すと、馬は犬笛を聞いただけで条件反射してしまい、本番で本当の力を出せなくなる。馬は、犬と同じく、人間には聞こえない高周波の音を聞きとれる。
馬がダービーのようなレースで優勝するには、馬の能力が抜きんでているのはもちろん、ベストコンディションでレースにのぞめるかどうか、天気や馬場の状態、そしてジョッキー(騎手)の調子、すべてがかみあってやっと、勝つチャンスが出てくる。完璧に仕上げて、完璧に騎乗しても、勝てないことのほうが多い。
ありあまる能力をもちながら、気性が激しすぎて、レースで力を発揮できない馬、逆に臆病すぎて他の馬に囲まれると、すくんで走れなくなる馬、調教を嫌って、まったく動かなくなる馬、そんな馬が嫌になるほどいる。
そして、牡馬(オス)は、著しく良い成績をおさめなければ種馬にはなれない。種馬になれなかった馬は引退したあと、厳しく暗い現実が待ち受けている。
サラブレッド、そして、そのまわりで生活している人間たちの厳しい生き様が、まざまざと活写されている小説でした。さすがの筆力です。
(2021年12月刊。税込1980円)
2022年5月11日
追跡、謎の日米合同委員会
(霧山昴)
著者 吉田 敏浩 、 出版 毎日新聞出版
本当は、読めば読むほど腹が立ってきますので、こんな本は読みたくもないのです。いえ、著者に文句を言っているのではありません。日本という国が、いかにだらしないか、とてもまともな主権国家、独立国とは言えないことを再認識させられ、日本人として腹立ちがおさまらないということです。
日米合同委員会の議事録も合意文書も原則として非公開。ところが、その内容は、日本の高級官僚と在日米軍高官の合意が「日米両政府を拘束する」というのです。バカみたいな話です。
それで何が起きるのかというと、たとえば新型コロナウィルスの検疫が日本にいるアメリカ軍兵士に対してはできない。感染者の把握もアメリカ軍の発表にたよるしかない。
アメリカ人は、横田などの基地に自由に降りたちできる。そのとき、日本政府は検疫すらできない。実数把握もできていない。ひどいものです。
日本の上空にアメリカ軍は「横田空域」や「岩国空域」なるものを設定している。この両空域は、日本の空なのに、日本の航空管制は及ばず、管理はできない。空の主権がアメリカ軍によって制限・侵害されている。民間機を両空域から締め出して、アメリカ軍が軍事訓練・演習や空中給油や作戦出動のため独占・使用する軍事空域を「アルトラブル」という。これには固定型と移動型の二つがある。
古く、松本清張は、「日本の空は、ひき続き日本国のものではない」と喝破していた。本当にそのとおりなので、涙が出ます。
そして、アメリカ軍は、日本の上空で日本の民間機を標的として攻撃する訓練までしている。実に恐ろしいことです。直ちにやめさせなければいけません。だからあなたも、ぜひ読んでください。腹立たしいばかりなんですけれど...。
(2021年12月刊。税込1980円)
2022年5月 6日
日本でわたしも考えた
(霧山昴)
著者 パーラヴィ・アイヤール 、 出版 白水社
インド人女性ジャーナリストが日本に4年ほど住んだ体験記です。今はスペインに住んでいるそうですが、2人の子と一緒に日本で生活したときの驚きが率直に語られています。決して日本賛美ばかりの本ではありません。
たとえば、日本では、政治は、おそらくもっとも日本人の興味をそそらないショーなのだろうと断じています。投票率が5割ほどでしかない日本の現状は、残念ながら、著者の見立てはあたっていると言うほかありません。維新とかいうウルトラ右翼が「改革の党」であるかのように日本人にうつるというのは、その典型でしょう。
著者はインド人の作家・ジャーナリストで、夫は外交官(どうやらインド人ではなく、ヨーロッパ人のようです)。5つの言語で話せます。英語、中国語、インドネシア語も話せます。あと一つは、フランス語でしょうか...。
日本に来て、ケータイが簡単にもてなかったことに著者は衝撃を受けたとのこと。そうなんですか...。どうやら、銀行口座の開設が外国人には難しいことと関連がありそうです。
日本のいいところを、まず二つあげると、その一は、小学生が1人で、バスに乗り、地下鉄に乗って、学校へ行くこと。これはインドでもヨーロッパでも考えられないこと。信じられないと著者は叫びます。たしかに誘拐の心配が、日本ではありませんよね。
その二は、落とし物が、現金も財布も戻ってくること。 日本では、万一、お金を落としても9割近くの確率で戻ってくる。東京だけで、1年間に38億円も届出されたとのこと(2018年)。まあ、私も届けますね。地面に500円玉が落ちていたら、黙って自分のものにしますけど...(でも、ごくごくまれにしかありません)。著者の日本滞在4年間の結論。信頼は信頼を生み、善き行いは別の善き行いをもたらす。まあ、いつまでも、そうありたいものですよね...。
しかし、日本のまったくダメなところは...。
日本が受けいれた難民は44人(2019年)。申請件数は1万件をこえているのに...。
今度、政府専用機で連れてきたウクライナの避難民は、たった20人のみ。500万人もの国外避難民がいるというのに、日本政府は20人だけ日本に連れてきたことで、何か「やってる」感を演出した。これって、ひどすぎませんか...。
著者は断言します。中国社会はカオスと同時に統制されている。インドには、思いやりと残酷さが同居している。日本は深い癒しをもたらしてくれると同時に、深く傷ついている。
東京の江戸川区民にはインド出身者として初めて区議会議員に当選したヨギ氏がいる。著者はこのヨギ氏に子連れで取材に行きました。
在日インド人は1万人余で、その3割の4千人が、この江戸川区西葛飾地区に居住している。その多くは、ITエンジニア。
日本社会に人種差別は現在するが、それは上品であり、暴力的ではない。静かに煮えている。社会全般の内気さや抑圧の文化の中に存在している。なるほど、アメリカのようなむき出しの暴力にはさらされませんが、ヘイトスピーチはかなり暴力的ではありますよね...。
著者は自販機とトイレ(ウォシュレットと公衆トイレ)にも注目します。自販機が、日本全国に500万台ある。こわされて、現金を抜き取られるということはほとんどない。そして、売られている商品は、まさしく驚くほど多様。最近とくに目立つのは冷凍ギョーザの無人販売店です。
トイレ掃除は、インドでは、特別のカーストの人々の仕事。しかし、日本では、学校で子どもたちがみんなでやるもの。
日本人の哲学において、清潔さは、中心的な位置を占めている。
アベ元首相についても、著者は批判的に紹介しています。日本では、細かい規則にこだわるあまり、大規模な逸脱に目を向けないという、「木を見て森を見ず」の傾向がある。まったくそのとおりです。アベ元首相の「桜を見る会」は、後援会員の供応そして買収であることは明々白々なのに、検察庁は黙認してしまいました。勇気がなかったのです。まさしく忖度(そんたく)したのでした。
この本がユニークなのは、古典的な俳句がたくさん紹介されていることです。わずか4年の滞在で日本の俳句までモノにするとは...。なんともすごいジャーナリスト・作家です。
(2022年3月刊。税込2530円)
連休中に、近くの小山(388m)にのぼりました。
風薫る5月の青空の下、頂上の見晴らしのいいところで梅干しおにぎりをいただき、至福のひとときでした。アザミの青紫の花、アゲハチョウそして、ミガーは白い花をつけていました。
山道にヘビが昼寝していて、お互いびっくり。なぜか子どもの姿を見かけませんでした。
わが家の梅が落下しはじめましたので、梅の実をちぎって、梅酒にしてもらいました。
ロシアの戦争がまだ続いています。エスカレートしないことを祈るばかりです。
2022年4月28日
感染症と差別
(霧山昴)
著者 徳田 靖之 、 出版 かもがわ出版
感染者を社会にとって危険ないし迷惑な存在であるとする捉え方を除去することなしに、感染症に対する差別はなくならない。
これが著者が本書で結論として述べていることです。この本を読むと、なるほどと実感します。感染者は被害者であり、社会をあげて守り支えるべき対象だ。隔離や排除の対象ではなく、治療の対象であり、感染者に対する最善の治療の提供こそが最善の感染拡大防止策である。言われてみれば、まことにもっともですよね。
ところが、これまで、国はいったい何をしてきたのかと、著者は厳しく問いかけます。
実のところ、国は率先して感染者を「病毒を伝播する危険な存在」と規定し、社会から排除する政策をとり続け、国民にそんな認識を植えつけてきた。
これまた、まったく異論ありません。国は、いつだって弱者の味方ではなく、強者、つまり財界や製薬業界の味方であり続けてきました。何か問題があると、形として少しばかり謝罪して、やり過ごし、結局、本質を変えることは全然しないのです。
著者は、本書の最後に、改めて読者に問いかけます。
社会にとって迷惑な存在であれば、差別したり、排除しても構わないのか...。この問いは、優先思想の問題につながる。なるほど、そういうことなんですよね...。
380頁もの大著ですが、内容の重さに比べて、文章自体は私もよく知る著者の温かい人柄を反映していて、とても読みやすく、すいすい読みすすめることができました。
著者の父親が応召して陸軍の兵卒となり、シンガポール戦線に駆り出され、結核のため帰国したあと戦病死したこと、著者自身も結核にかかって死線をさまよい、今も肺に結核の傷痕が残っていることなど、初めて知りました。ちなみに、著者の娘さんは弁護士になって、当会にも所属していました。
菊池事件とは、熊本の山村で起きた殺人事件。被告人は全面否認したが、1953年8月29日に死刑判決が出て、確定した。そして3度目の再審請求が棄却された翌日、死刑は執行された。
被告人は、ハンセン病患者であるF氏で、菊池恵楓園内の仮設法廷で審理された。
この裁判で、裁判官たちは、証拠物を扱うとき、手にゴム手袋をはめ、あるいはハシを扱った。このような法廷のあり方に、最高裁判所は、次のような謝罪文を書いた。
「違法な扱いをしたことを反省する。誤った、開廷場所の指定についての誤った差別的な姿勢は、基本的人権と裁判のあり方について、国民の基本的人権と裁判というものの在り方をゆるがす性格のものだった」
最高裁は書面で、この菊池事件の審理について、このように謝罪した。しかし、著者は、この謝罪では不十分だと厳しく指摘しています。なぜ、自浄能力の欠如が生じたのか、その原因の解明がなされていない。また、これから、被害回復のため、どのような対策を講じる必要があるのかの検討もまったくなされていない。なるほど、そうですよね。これから、謝罪をどうやって生かすのか、ということこそが求められているのです。
著者は、エイズ患者宿泊拒否事件が起きてから、「一般市民」による誹謗中傷文書、すなわち「豚のクソ以下の人間ども」、「お前たちのようなぶざまな奴らは人間ではない」などという文書について、どうして自分と同じ人間に対して、こんな決めつけをしたうえ、そんな罵詈雑言としかいいようのない誹謗中傷文書を、その当事者に対して送りつける行動をする人間が少なからず存在することに衝撃を受け、その社会的な原因について考察をめぐらしています。本当に、いったいどういうことなんでしょうか...。
人間は、状況次第では、すさまじいほどの兇徒と化しうる存在だ。虐殺するときの民衆は、決して「善意」ではない。増悪とか侮蔑といった感情が虐殺を導き出している。そして、そんな蛮行は、精力によって慫慂(しょうよう)されたり、支持されたとき、際限なく拡大する。これらの集団は、より弱い者を迫害することで、その危機感や不安からの解消・回避を図ろうとする。いやあ、そういうことなんですよね。下々の庶民もまた常に正しいわけではなく、間違った行動に走る危険な存在にもなりうるのです。
自らの個人的体験、そして、いくつもの裁判闘争をふまえ、さらにはとても幅広い視点で、感染症と差別を多面的に考えようとする、貴重な労作です。大変勉強になりました。少し高価ですので、ぜひ全国の高校や大学の図書館に一冊備えられ、大勢の人の目にとまることを心から願います。
大分の弁護士である著者は、大学生のころ、私と同じようにセツルメント活動をしていたと聞いています。私の心から尊敬する先輩弁護士です。
(2022年3月刊。税込4180円)