弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

社会

2021年8月10日

ある日の入管


(霧山昴)
著者 織田 朝日 、 出版 扶桑社

マスコミが報道しない、知られざる入国管理庁の実態をマンガでリポート。これはオビにあるキャッチフレーズです。本のサブタイトルは、外国人収容施設は生き地獄。
信じられないヒドイ処遇です。マンガなのでイメージがよくつかめます。そして、このマンガはプロの漫画家が描いたものではありません。本人が言うとおり稚拙な絵です。それだけにかえって迫真力があります。
東京は港区港南に東京入局管理局のビルがあり、建物の7階から上が収容施設になっている。近代的な外見の高層ビルだが、その内側は前近代的。
茨城県牛久(うしく)に収容送還専用の施設がある。JR牛久駅から路線バスで30分以上かかるところにある。2019年春、牛久の入管では、収容者による抗議のハンストがあり、最大時には100人もの収容者が参加した。
コロナ禍の下で、被収容者が解放され、2020年4月に224人いたのが、2021年2月には100人未満となった。その判別基準は明らかにされていない。
2020年6月にやってきた若い男性常勤医は驚くほど高圧的。
「犯罪者、私のいうことが絶対だ。嫌なら国に帰れ」
そして、制圧を先導し、自らも被収容者の身体を押さえつけたりしている。さらには、シャワーを2週間も使わせなかったり、外部からの差し入れを認めなかったり...。
入管当局は被収容者に対して「ルール違反」と言うけれど、本当は日本のほうが、世界の、国連の難民を受け入れのルールを守っていない。
被収容者たちは、「私たちは人間です」と叫んでいる。
入館の職員から「戦争がない国から来たのだから、難民じゃない」と言われたフィリピン女性がいる。フィリピンで反政府活動をしていたのに...。
難民認定の要件は、戦争があっている国に人に限られているわけではない。イラクやシリアなど、実際に戦争があっている国から来た人でも、日本はめったに難民として認めない。
日本の2019年の難民申請者は1万人をこしている(1万375人)。ところが、認定されたのは、わずかに44人。なんと認定率は1%にもならない(0.4%)。これは異常。ヨーロッパ諸国は毎年数万人の難民を受け入れている。
入管法違反は1万6千人超。そのうち不法残留が1万4千人超。不法入国は400人超で、不法上陸は140人。つまりビザのない外国人のうち不法入国はわずか3%のみ。
大半は、正規の観光ビザで入ってきて、オーバーステイになった人がほとんど。
高度成長期には、日本政府はビザを発給せず、黙認していたので、ビザがなくても警察につかまることはなかった。ところが不景気になったので、急にビザがないので犯罪者扱いするようになった。
日本の社会は、すでに、外国人労働者がいなければ機能しないようになっている。それなのに、外国人を差別したり、犯罪者視するのは人道に反するだけでなく、日本(人)にとってもマイナスになる。
入管に収容されているうちに亡くなる人が19人いる(1997~2021年)。大半は自殺または病死。2019年6月にはナイジェリア人男性がハンストを続けた結果、餓死してしまった。
入管の職員にひどい人が少なくないことは事実のようですが、なかには被収容者と仲が良く感謝されている職員もいるとのこと。マンガでも紹介されています。
目の前の仕事をこなしているだけで、入管制度について分かっていない職員がほとんどだと著者は書いています。きっとそのとおりなのでしょう。残念です。だったら、国民世論をぶつけるしかありませんね...。知られざる実態を広く世の中に知らしめる、いい本です。
(2021年2月刊。税込1430円)

2021年8月 8日

使うあてのない名刺


(霧山昴)
著者 桃井 恒和 、 出版 中央公論新社

読売新聞の社会部記者から巨人軍社長になった著者のエッセイ集です。
この本を読んでいてもっとも驚いたのは、中国大陸での抗日戦の主役だった八路軍(パーロー。中国共産党の軍隊)の聶栄臻(じょうえいしん)将軍が日本人孤児の少女とツーショットでうつっている有名な写真がありますが、その少女を探りあてたのが著者だったという話です。ときは1940年(昭和15年)の写真です。
調査の結果、満鉄グループの華北交通の駅の助役夫婦が亡くなったことが判明し、その夫婦に美穂子という長女がいるというので、宮崎県都城市まで将軍とツーショットの写真をもって会いに行ったのです。すでに40年たっていて、本人には当時の記憶は何も残っていない。ところが、アルバムを見ているうちに、やっぱり間違いないと確信し、美穂子さんに将軍あての手紙を書いてもらった。そして、「写真の少女は私です」という大きなスクープ記事となって、美穂子さんは中国に招待され40年ぶりに将軍と再会したのでした。
私も、この写真は何回も見ていて知っていました(最近も福岡で展覧会が開かれていたと思います)。新聞社の取材力というのはすごいですね...。
著者が読売新聞の社会部長をしていたとき、新宿の歌舞伎町にある雑居ビルで火災が起き、44人が亡くなったが、死者の多くがキャバクラ嬢だった。この犠牲者を実名で報じるか匿名にするかというとき、悩んだあげく実名にしなかったというのです。
キャバクラ勤めは不名誉なことなのかという疑問を抱きつつも、遺族は、娘がキャバクラ嬢をしていて非業の死をとげたことが世間に知られたら、二重に悲しませることになりはしないか...。
私も、匿名にして良かったと思います。これは職業に貴賤なし、というのと違ったレベルの問題だと考えるからです。
著者が今、嫌いなものは三つ。ヘイト・スピーチ、ネット上にとびかう匿名の誹謗中傷、そして、上から目線の「寄り添う」という言葉の安易な使い方。いずれも、まったく同感です。
著者が読売巨人軍の球団社長に就任するときの話もまた衝撃的です。
「巨人軍のスカウト活動で不祥事があり、球団の社長も代表も辞めることになった」
上司はこう言って、一枚の紙を目の前に置いた。新しい球団社長が著者になっている。
「いつからですか?」
「明日から」
うむむ、人間社会の人事って、そんなこともあるのですね...。
ところで、この本のタイトルの意味は...。
著者が巨人軍を離れたのは、選手の野球賭博が発覚した責任をとっての突然の辞任。名刺はもう使えない。使うあてのない名刺を処分し、肩書のない名刺をつくってみた。でも、今度は使う勇気がない。
たかが名刺、されど名刺...。
もちろん私は弁護士という肩書のついた名刺を今も使っています。相談者の心配を打ち消すのに必要だと思えば惜し気なく、何枚だって名刺を渡します。でも、こんな人とは関わりたくないなと思ったら、決して名刺は渡しませんし、相談料もいただきません。
日弁連副会長としての苦楽をともにした須須木永一弁護士(横浜市)と同級生だということで贈呈していただきました。心にしみる話ばかりです。ありがとうございました。
(2019年2月刊。税込1760円)

2021年8月 6日

「低度」外国人材


(霧山昴)
著者 安田 峰俊 、 出版 角川書店

「低度」外国人材とは、「高度外国人材」というコトバの反対にあるもの。
政府は高度外国人材を次のように定義している。学歴や年収が高くて年齢が若く、学術研究の実績や社会的地位をもち、日本語を流暢に話せて、イノベイティブな専門知識をもつ人たちのこと。日本の国家は、こういう人を歓迎する。
では、「低度」外国人材とは、容易に代替が可能な、劣位の人材で、日本の産業にイノベーションをもたらさず、日本人との交流もなく、専門的・技術的な労働市場の発展を促すこともなく、日本の労働市場の効率性を高めることもなく働いている人材。
日本国内で働く技能実習生は41万人、うち過半数の22万人近くがベトナム人(2019年末現在)。
2018年の1年間に失踪した技能実習生は9052人、2018年は8796人。そのほとんどが、あまりの低賃金に嫌気がさしたことによる。逃亡した技能実習生は、偽造の在留カードなどを使って建設現場などで働く。技能実習生のときに9万~12万円ほどの手取り月収が15万~20万円ほどになる。
不法滞在者やドロップアウトした偽装留学生たちのベトナム人たちが自称するのは「ボドイ(兵士)」だ。
われわれは労働力を招いたのに、来たのは人間だった。
このよく知られたフレーズが、ことの本質をよくあらわしていると思います。
群馬県南部の太田市・伊勢崎市・舘村市にはベトナム人が多く住み、群馬県大泉町には日系ブラジル人が多い。埼玉県西川口市には中国人タウン化している一帯がある。蕨(わらび)市にはクルド人、八潮(やしお)市にはパキスタン人のコミュニティが存在する。
いずれも、横浜や長崎の中華街をイメージしたらよいのでしょうか...。
日本国内にイスラム教のモスク(寺院)が、36都道府県で105ケ所ある(2018年末)。
ベトナム人実習生が住んでいるアパートかどうかを見分けるには...。
建物の前に自転車が異常にたくさんある。雨の日でもベランダに洗濯物が出ている。外出するときの服装は、ジャージとフード付きのパーカー。
ベトナムで働いたら、月収はせいぜい4万円から5万円くらい。逃亡したら月収が3倍になり、月に10万円をベトナムの親に送金できた。偽造書類は1枚につき数万円で購入できる。
日本で犯罪に走るベトナム人は、高額の学費を支払えない(支払いたくない)ドロップアウトした留学生と、逃亡した技能実習生が半分半分。
ベトナム人の犯行の手口はスーパーでの万引きが多い。私も2回ほど弁護人として体験しました。
日本に「合法的」に滞在して稼ぎを続けたいときには偽装結婚もある。
非正規雇用とあわせて外国人労働者の問題を抜きにして、日本の今後の労働運動をとらえることはできません。この点の理解が私たちにはまだまだと思いました。
(2021年3月刊。税込1980円)

2021年7月23日

あしたの官僚


(霧山昴)
著者 周木 律 、 出版 新潮社

いまどきのキャリア官僚の苦労話を描いた小説です。
20代の若手官僚が次々にドロップアウトしているそうです。忖度(そんたく)させられ、先輩官僚たちのぶざまな国会答弁の様子を直近で見せつけられたら、やってられませんよね。
内閣人事局が官僚の幹部人事を一元管理して支配するようになり、クロをシロと言い替えさせられても、それに抵抗できず、ヘイコラ従うしかないなんて、プライドが許せませんね。
しかも、政権トップが平気でウソをつく(アベ前首相)、まともな日本語で政策を説明できない(スガ首相)の下支えをさせられるのですから、やる気なくしてしまいます。
東大法学部は官僚の一大供給源でした(です)が、今では、官僚志向が急減しているとのこと、当然です。でも、笑ってすませてはおれません。官僚の質が低下したら、日本の政治の質が悪くなる一方ですし、ますます権力的発想ばかりになって苦しめられるのは、私たち一般国民です。
この本の主人公は、厚生労働省の若手キャリア官僚です。
霞ヶ関には、ポンチ絵なる業界用語がある。A4版のペーパー1枚で、図表(マンガイラストとグラフ)と簡潔な文章だけのプレゼン資料のこと。日弁連執行部も、国会議員向けにポンチ絵を作成しています。うまくポンチ絵をつくれる人がいて、何度も驚嘆しました。
霞ヶ関の人間(国家公務員)は、国会答弁より以上に、質問主意書を嫌っている。国会法によって内閣は7日以内に答弁しなければならないと定められているからだ。閣議を通す必要があるので、官僚は大変な作業になる。
日本の政治の劣化はひどいと私は思いますが、それを許しているのは、実は投票所に足を運ばなくなった多くの日本人です。今では投票率は良くて5割前後でしかありません。半分ほどの日本人が、あきらめ、政治に期待せず、投票所に行っていません。それが、今の自民党の金権政治を許していること、庶民いじめの政治を野放しにしていることに気がついていないのです。本当に残念です。
コロナ対策にしても、PCR検査をまともに実施せず、ワクチン接種は遅れ、飲食店に自粛を強要しながら給付金の支給は遅れ、感染しても入院できる病院がない、ホテルも確保されていない。なのに、保健所も病院も削減・減少の方針は堅持し、高齢者の医療費も2割負担となる。とんでもない政治が続いています。オリンピックを強行するのも、どうせ投票所に行かない人が半分以上いるんだからと、権力側はタカをくくって笑っているのです。
投票率が7割以上になれば、もう少し日本もまともになると思うのですが...。
(2021年3月刊。税込2090円)

2021年7月22日

鳴かずのカッコウ


(霧山昴)
著者 手嶋 龍一 、 出版 小学館

盲腸のような役所であり、おおっぴらに廃止論が出ていて絶滅寸前だったところをオウム真理教が救ったと言われているのが公安調査庁。その長官は法務省の検察官の指定ポストであり、私の同期も長官になりました。
「オレたちは防衛省の情報部門のように最新鋭の電波傍受装置や大勢の傍受要員は持っとらん。外務省のように何千という海外要員を在外公館に貼り付けることもできん。警察の警備・公安のように全国に厖大な数のアシもない」
「公安調査官には、ヒトもモノもカネも満足にない。いわば三無官庁やな。なによりイギリスのMI6やMI5がイギリス国民からうけているようなリスペクトを受けとらん」
「オレたちは、みな戦後ずっと鳴かずのカッコウとして生きてきた」
これでタイトルの意味がやっと分かりました。公安調査庁の別名なのです。
この本では、「現場での地道な調査を得意とする公安調査庁」として、好意的に紹介されています。本当でしょうか...。
私が司法試験に合格したあと、司法研修所に入所するまでのあいだに、公安調査庁の調査官が私たちの身元調査をしていました。それは家族構成というより、政治的な思想信条の傾向を調べることに主眼があるものです。今は、もうやっていないのでしょうか...。
公安調査官の給与は、一般の行政職より初任給で2万5千円ほど多く、率にして12%も高い。
自分が何者であるが、公にできない職業。その代償として報酬が上乗せされている。
初対面の相手に堂々と身分を名乗れず、所属する組織名を記した名刺も渡せない。
携帯番号からアシがつかないよう、公安調査庁は調査官の身元が割れないよう、安全な携帯電話を確保している。
公安調査官による尾行の様子が次のように紹介されています。
一番手は、マル対(監視対象者)にぴったりと寄り添って尾行する。接近戦を担うものには瞬発力、さらに機敏な判断力が求められる。二番手の尾行者は一番手を常にフォローして、マル対を見逃さないのを主たる役目とする。尾行時間が長くなると、タイミングを計って一番手と交代する。三番手は、現場責任者をつとめる。ゲンセキと呼ばれ、全体の状況を見渡せる場所に身を置いて指揮をとる。プラス・ワンの4番手は、予備要員。前の三人が尾行切りにあったときの切り札だ。
著者は、9.11のとき、NHKワシントン支局長でした。その経験をふまえた、軽くさっと読める小説になっています。でも、公安調査庁って、本当に必要な役所なのでしょうか...。
(2021年3月刊。税込1870円)

2021年7月16日

喰うか喰われるか


(霧山昴)
著者 溝口 敦 、 出版 講談社

山口組との取材つきあい50年の著者、本人も息子さんも山口組から刺されたこともある著者の半生(半世紀)を振り返った本です。
裁判の合い間、待ち時間にカバンから取り出したら、あまりの面白さに、裁判なんてそっちのけにしたいくらいになりました(もちろん、ちゃんと応答はしました。メシのタネですから...)。結局、何件かの裁判の合い間と終了後に読みふけり、ついには自宅に持ち帰って食後、一風呂あびて汗を流してさっぱりしたところで、結末まで読み通しました。
著者は山口組だけでなく、細木数子の正体を暴く連載記事も書いているそうです。細木数子については、本人自身がヤクザな人間であり、著者の取材を止めるため、現職の暴力団幹部2人を使い、それに失敗すると、6億円もの損害賠償請求を著者にではなく、講談社のみを被告として提訴してきたのでした。著者は、やむなく訴訟参加して、細木数子に逐一、詳細な反論をしたのです。すると、結局、細木数子は訴を取り下げざるをえませんでした。
著者の山口組の取材は、警察情報ではなく、幹部から直接聞き込みをしています。ですから取材源は絶対秘匿です。著者の口が固いことを見込んで、話してくれる幹部があちらこちらにいたのでした。
それにしても、この本のなかに大牟田を基盤としている九州誠道会(今は浪川会)のトップ、浪川政浩会長の名前を見たときには驚きました。山健組の意向を受けて著者と山健組との裁判の和解に向けた動きの仲介に乗り出したという話です。もちろん浪川政浩本人が出てくるのではなく、その意を受けた事業家が表に出てきてのことです。浪川は山健組の井上邦雄組長と非公表の兄弟分だというのでした。ただ、この和解はまとまりませんでした。そして、著者は井上邦雄組長について、何回も「男になれるチャンス」に出くわしながら、一度として腹を括った行動に出れなかった人間として鋭く批判しています。すべて御身大事の、その場しのぎの保身だったという手厳しい批判です。なので、井上邦雄をトップとする神戸山口組から「任侠山口組」が分裂していったと解説されています。
著者は取材の過程で、カネと性サービスは受けとったことがないそうです。それは、先輩からの「受けとったら記事が書けなくなる」というアドバイスを守っているのでした。
ノンフィクションの書き手として、一番大事なのは、事実に対するまじめさだ。なーるほどですね。ただし、著者は飲食の接待は受けています。これは、なるべく「お返し」する、おごったこともあったようですが、バランスを欠いた接待もあったのでした。なにしろ、銀座で1晩に200万円は暴力団幹部が使っただろうという接待も受けた場面が紹介されています。
そして、取材し、連載途中で、脅迫を受けています。そんなときには、自分一人で動いているわけではない、編集部で決めることと言って逃げることもあったとのこと。
著者の母親(故人)は共産党員で、目立ちたがり屋の面白がり屋で、葬式には日本共産党地区委員会から花輪が届けられた(この花輪の代金は実は母親が出していた)。そして、著者が山健組から刺されたとき、「溝口は共産党員だ。あの事件は迷宮入り」と公安ルートが放言して、まともに捜査しなかったとのこと。ひどい話です(著者は共産党員ではありません)。
渡辺芳則(山口組五代目組長)は組長の器ではなかった、殺された宅見勝が山口組を仕切っていたという内幕話も興味深いものでした。
まあ、ともかく並大抵の、生半可な度胸では山口組のノンフィクションなんて書けないと実感させられた本でした。著者のますますの健筆を大いに期待しています。
(2021年5月刊。税込1980円)

2021年6月29日

公務員という仕事


(霧山昴)
著者 村木 厚子 、 出版 ちくまプリマ―新書

高知県に生まれ、高知大学を卒業して労働省でキャリアの国家公務員として働きはじめ、37年間に22のポストを歴任し、ついには厚労省の最高ポストである厚生労働事務次官に就任した著者による公務員の仕事論です。
もちろん、途中で郵便不正事件で逮捕され、苦しい刑事裁判のすえ、画期的な無罪判決をもらっています。検察官によるインターネット記録の書き替えが発覚したのでした。
事務次官を退任したあとも、今なお華々しく活躍しておられることは周知のとおりです。この本は、基本的には、若い人に向けて、公務員とは、こんなにやり甲斐のある仕事なんですよ、と積極面を強調したものです。漠然と官僚を志向したこともある私にとっても異論のない記述が続きます。
でも現実は、内閣人事局による幹部人事の一元管理が強まり、忖度行政があまりにも目立ち、つくづく嫌になるばかりです。これでは公務員志望が減るのも当然です。森友学園での国交省、加計学園での文科省、アベノマスクでの経産省、桜見る会の総務省、思い出すだけでも反吐(へど)が出そうなキャリア官僚たちの不様(ぶざま)さは、哀れそのもの、見てられませんでした。
人が自分の一生の仕事を選ぶときに大切にしたい三つの要素。その一は、人の役に立っている、価値があると思えること。その二は、楽しく働けること、そして、その三は、自分がその仕事によって成長できるかどうか。本来、国家公務員は、これにあてはまるはずですよね。でも、内閣人事局の手の平の上で踊らされて、苦しい、心にもない国会答弁をさせられているキャリア官僚たちが楽しく働いているとは、とても思えません...。
公務員の仕事は翻訳だ。国民のニーズや願いを汲みとり、それを翻訳して制度や法律の形につくりあげていく翻訳家のような仕事だ。なあるほど、そんな表現もできるのですね...。
自分の名前で仕事をしたい人には公務員は向かない。うむむ、そうなんですか...。組織として仕事をするからなんでしょうね。
公務員にとって大切なものは、感性と企画力。世のなかのニーズを感じ、汲みとれる力のこと。そして、企画力は経験で補うことができる。頭がいいだけではダメ。
もうひとつ、公務員には説明力も求められる。弁護士には、言葉だけでなく文章による説明力が求められます。
弁護士の仕事と公務員のそれとの違いは、お金の額がケタ違いだというところにもあります。著者たちは、ある仕事を達成するためには1兆円の予算がほしいと考えた。しかし、財務省は5000億円といい、最終的には7000億円を獲得したというのです。このスケール感(観)は、弁護士にはまったくありえないものです。
この本で唯一私が笑ったのは、「セクハラ」というコトバに財務省がクレームをつけてきたというところです。財務省は、セクハラというのは週刊誌ネタで、神聖なる予算要求の企画書にセクハラなんてコトバを載せたら、予算はつけられないというのです。そこで、「セクハラ」を「非伝統的分野への女性労働者の進出に伴うコミュニケーションギャップ」に急いで書き換え、予算要求が認められたそうです。信じられません...。
国家公務員に必要なのは、一に体力、二に気力、三、四がなくて五に知力。いやはや、国家公務員にならなくて、本当に良かったです。私は弁護士になって徹夜仕事をしたことが一度もありません。土曜も日曜も仕事をすることは昔も今も苦にはなりませんが、夜12時すぎまで書面を書いていたというのは30年前に何回かあったくらいです。
私はいつも仕事は前倒しでするようにしています。そうでないと、追われてしまい、心にゆとりをなくします。そして、モノカキの時間がとれなくなります。そんなの嫌ですから...。
(2021年3月刊。税込946円)

2021年6月26日

破天荒


(霧山昴)
著者 高杉 良 、 出版 新潮社

痛快な自伝的小説です。あまりに面白くて一気に読みあげました。著者が業界紙の記者をしていたのは知っていましたが、こんなにも業界内部そして官庁に深く立ち入って取材していたのですね。すごいです。
あるときは企業間の大型取引を仲介して、謝礼金1000万円を呈示され、その半額500万円をもらったそうです。ところが、税務署が嗅ぎつけて課税されて150万円も召し上げられたとのこと。これを読んで、私も税務署から取り戻した本税に140万円ほどの加算金がついて戻ってきたのを喜んでいたところ、税務署はそれを雑所得として課税してきたことを思い出しました。これが私の第二次不当課税事件です。たたかいましたが、法と通達のカベは厚く、いくらかもっていかれました。
著者は高校を中退していて、いわゆる学歴はなに等しい。ところが業界紙に入社するのは、そのときの作文について筆力が断トツだったとのこと。さすがですね。しかも児童養護施設で小学6年生の夏から中学1年生の2学期まで園児として過ごしたとのこと。これはS学会に熱心で酒のんでばかりいた両親の育児放棄のようです。
ところが、すごいのは、その園まで同級生たちが面会に来てくれていたということ。しかも、担任の教員まで、ときに生徒を引率して...。いやあ、これは泣けますね。やはり友だちと教師の力は偉大です。おかげで、文章力も才能もある著者は、変にいじけることなく、むしろ親からの早い自立を目ざしてがんばったのです。
高校2年生のころ、自転車で新聞配達のアルバイトをしていたときの体験をもとにした著者の作文が巻末に紹介されていますが、これはすごい文章です。入社面接のとき、読んだ社長が「恐れいった」、「胸にぐっときた」と言ったそうですが、まったくそのとおりです。
業界紙に入社して記者として活動しはじめると、たちまち業界内部に飛びこんで、すごい記事を書き続けた。20歳でもらった月給が1万5千円。1959(昭和34)年当時の大学卒の初任給は1万3500円のときのこと。なので、破格の高給。本人も腰を抜かしたが、両親はそれ以上におったまげたという。この1万5千円のうち、親に1万円を渡し、著者は5千円を自分のものにした。
著者は四日市石油化学コンビナートの生成過程も取材したようです。あとで、「四日市ぜんそく」で有名になった公害発生源の企業でもありますが...。
ともかく著者の取材の徹底ぶりは半端ではないようです。これは自伝的小説で本人はそう書いているのですから間違いないでしょう。真実は細部に宿るという言葉がありましたっけ...。ともかく、細部(ディティール)が真に迫っていないと小説として読めませんよね。著者の企業小説が、そこが断然ズバ抜けています。ともかく、話がこまかい。こんなところまで知っているのかと思わず舌を巻いてしまうほど、微に入り細をうがっていますので、書かれていることの全部が真実だと思わされてしまうのです。なので、業界あるいは会社内部のことを書くと、リークした犯人捜しがはじまったり、著者に反感を覚える人が出てきたりするわけです。
著者は、何も知らないからこそ取材するとしています。それはリアリティを確保するためです。リアリティがなければ企業人は読まないし、世間も読みません。著者の本の多く(決して全部ではありません)を読んでいつも大変勉強になりましたが、今回は、著者そのものを少し知ることができて、本当に良かったです。高杉良ファンには見逃せない一冊として、一読をおすすめします。
(2021年4月刊。税込1760円)

2021年6月20日

宝塚歌劇団の経営学


(霧山昴)
著者 森下 信雄 、 出版 東洋経済新報社

タカラヅカの100年も続いている経営戦略が見事に分析されています。なるほど、なーるほどと驚嘆しながら一気に読みすすめました。
タカラヅカは「ベルサイユのばら」(池田理代子のマンガ)で圧倒的な成功をおさめた。1974年に初演され、2006年までに通算1500回も上演され、観客動員数は2014年まで500万人をこえた。タカラヅカ史上最大のヒット作品。
宝塚歌劇の主力商品は、女性が男性を演じる「男役」。娘役の比重はきわめて低い。
タカラヅカは女子だけの空間を女子が応援するという特殊な構造。
タカラヅカ公演のフィナーレとして有名な「大階段」をつかったパレードでは、下級生から順番に登場し、番手どおりに進むと、最後にトップスターが、タカラヅカの象徴である大きな羽根を背負って登場、と展開する。いかなる公演でも、これは変わらないお約束だ。
タカラヅカは、外部からの客演はなく、生徒に限定。作品は、生徒の所属する「組」単位で、構成されるため、他の組への客演も基本的にない。そして、「大抜擢(ばってき)」はない。
宝塚歌劇の舞台に立つための唯一の必要十分条件は、宝塚音楽学校を卒業したこと。「東の東大、西の宝塚」と称されるほどの難関校。大半が「予備校」出身であっても、2年間、この学校での集団生活でみっちり世界観が埋め込まれる。
タカラヅカのスターたちは、現役のときはSNSが禁止される。「虚構」であるはずの「男役」が、「俗世にまみれている」かのような情報をSNSで発信したら、ファンの「夢」を破壊し、顧客満足度を著しく落とすことにつながりかねない。
「男役」としてファンに認定されるためには、「男役10年」と言われるように、長期にわたる熟成プロセスが必要となる。タカラヅカは、「虚構」である男役の成長度合いを公演に乗せてファンに提示している。つまり、宝塚ファンにとって、完成品とは、品質のことではなく、プロセス消費の終点、退団の機に現出すればよく、それまでは未完成でもかまわない。女性ファンは母性本能をかきたてられつつ、見守るということで、自らが自主的にリピーター化している。
ファンは、「初日見て、中日(なかび)見て、楽(千秋楽)見て」だ。
いやあ、この解説は見事ですね。なるほどなるほどと、ついつい膝を打ってしまいました。
劇団四季は、ロングラン公演を実施している。しかし、タカラヅカはロングランをしない。5つの組の公演ローテーションを分け隔てなく固定化している。
タカラヅカには販促(はんそく。販売促進)という概念が存在しない。販促しなくても、ファンクラブ等によってチケットが完売する仕組みができあがっている。
タカラヅカ公演は一度もみたことがありません。でも、テレビでちらっと見たことはありますので、イメージはつかめます。そのタカラヅカが100年も続いているヒミツが分析・公開されている本です。それにしてもコロナ禍で、リモートとか無観客とかになったら、果たして生きのびることができるのでしょうか、心配です。「不要不急」のように見えて、実は大変有要・有益なのがショーの世界だと門外漢の私も思います。
(2021年3月刊。税込1760円)

2021年6月19日

アフリカ人学長、京都修行中


(霧山昴)
著者 ウスビ・サコ 、 出版 文芸春秋

いやあ、これは面白い本でした。京都って、ぜひまた行ってみたいところですが、京都人って、「いけず」なんですよね...。そんな京都についての知らない話が満載でした。
たとえば、白い靴下の話。京都ではよその家を訪ねるときは、なるべく白い靴下をはいていったほうが望ましい。京都には「白足袋(しろたび)もんには逆らうな」ということわざがある。白足袋をいつもはいているのは、僧侶、茶人、老舗の証人、花街関係者など、古くから京都の街を取り仕切っていた人たち...。うひゃあ、とんと知りませんでした。
京都人は噂話が大好き。「いけず」というのは意地悪いという意味。ところが、好きな人にも使うことがある。「ほんま、この人、いけずやわ」なんて、恋人同士で甘えるときのコトバ。うむむ、なんて、奥が深い...。
京都の伝統的な町家(まちや)は、「オモテノマ」、「ダイドコ」、「オクノマ」という3室が一列に並んでいる。親しくなると、少しずつ奥のほうの部屋に通される仕組みになっている。
鴨川名物の「等間隔の法則」というのも初めて知りました。京都市内を流れる鴨川のほとりにはアベックが常に整然と同じ距離を保って座っているのだそうです。証拠の写真もあります。ええっ、こんなのウソでしょ...と叫びたくなります。
著者は、今では京都の精華大学の学長です。マンガ家ではありません。建築が専門です。ひょんなことから京都にやってきて、京都に住みつき、今や大学の学長になったのです。
1966年にアフリカはマリ共和国の首都バマコに生まれ、中国に国費留学し、ちょっとしたことから日本にやってきました。フランス語、英語、中国語そして関西弁を話します。テレビにも出演中のようです。
京都には「婿養子」というコトバもあるようです。京都に生まれ育った人たちは、お互いに暗黙のルールでしばりあっている。ところが、よそから入ってきた「婿養子」は、しきたりを無視して勝手なことをするけれど、やがて、それが発展する道になることもある、というわけです。
アフリカ人の著者(今では日本国籍をとっています)が、北野天満宮の曲水の宴に1000年前の平安装束を身にまとって参加しているのは、京都人が伝統を重んじる一方で、目新しさや遊び心を発揮することのあらわれでもあるというのです。
京都人は、京都の伝統と文化に誇りをもっている。だから京都を自慢したいし、見せびらかしたい。でも、自慢する相手、見せびらかす相手は厳選する。ここでも「一見(いちげん)さん、お断り」だ。一度や二度、その店に行ったくらいで「常連さん」になれると思ったら、大間違い。店の人の出迎の挨拶も、常連さんには「おこしやす」と言い、よそさんには「おいでやす」と言って、違いがある。「おこしやす」のほうが、ずっと丁寧な言い回しだ。
京都人は、暗示めいた話はたくさんするけれど、肝心なことは決してコトバにしない。それは自分自身で理解しなくてはいけない。「京コトバ」は、周囲とのトラブルを徹底的に避けるために発達したもの。狭い土地で長く互いに心地よく暮らすための、角を立てないための知恵が盛り込まれている。
よそから入ってきた人でないと言語化できない話だと理解しました。この本を読むと、著者は、まるで、民族(人種)学者としか思えませんが、建築学博士なんですね...。面白くて、一気に読了しました。
(2021年2月刊。税込1540円)

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