弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

社会

2021年9月29日

琉球警察


(霧山昴)
著者 伊東 潤 、 出版 角川春樹事務所

沖縄の政治家として有名な瀬長亀次郎が主人公のような警察小説です。本のオビに、こう書かれています。
すべてを奪われた戦後の沖縄。それでも、米軍の横暴の前に立ちはだかった一人の男がいた。その名は瀬長亀次郎――。
最近、カメジローの映画が出来ていますが、残念ながら、まだみていません。もちろん、シネコンではみれません。スガ首相を描いた『パンケーキ』の映画と同じく、日本人みな必見の映画だと思うのですが...。
カメジローが那覇市長に当選したあと、アメリカ民政府は徹底して嫌がらせをした。たとえば、銀行預金を口座凍結したため、那覇市は通常の予算が組めなくなった。そして、水道水の供給まで止めた。怒った市民は、すすんで那覇市に税金を治めにやってきて、納税率は97%にまで上がり、公共工事も再開できた。
しかし、警察が次々と罪なき市民を逮捕し、市民が人民党と手を切ると約束すると、不起訴になった。いやはや、アメリカ軍政下とはいえ、あまりに露骨な弾圧ですね。
那覇市議会はアメリカべったりの保守派が多数を占めていて、カメジロー不信任案を24対6で可決した。カメジローは、それに対して議会を解散した。選挙後の市議会では反カメジロー派は過半数は占めたものの、3分の2以上ではなくなった。そこで、アメリカ民政府は過半数でも不信任を可決できるようにして、ついにカメジローは那覇市長の座を追われた。いつの世にも、正義と道理ではなく、アメリカの言いなりになる「保守派」がいるものなんですよね。残念ですが、今の自民党と同じです。3.11があっても原発は推進する、日本学術会議の任命拒否は撤回しない、モリ・カケ事件は再調査しない、質問にまともに答えることはしない。こんな自民党に日本の将来をまかせるわけにはいきません。なのに、なんとなく「野党は頼りない」と思い込まされて、ズルズルと自民党に投票してしまうか、投票所に足を運ばずに棄権してしまう日本人が、なんと多いことでしょう...。本当に残念です。
この本には、カメジローの有名な演説が紹介されています。
それを知るだけでも、この本を読む価値があります。
カメジローは、奇妙としか言えない容貌の持ち主だ。背丈は沖縄人の平均よりやや低いが、顔は骨張っている上に長い。額は広く、髪の毛は後退しはじめている。とくに異様に高い頬骨と長い顎(あご)は、個性的な顔の多い沖縄人のなかでも珍しい。
「この瀬長ひとりが叫べば、50メートル先までは聞こえます。しかし、ここに集まった全員が声をそろえて叫べば、沖縄全島にまで響きわたります。沖縄県民80万が叫んだら、どうでしょう。太平洋の荒波を越えて、ワシントンにまで届きます」
玉城ジェニー知事の前の翁長雄志知事も、カメジローの演説を聞いて心を震わせたことがあったようです。
この本のメイン・ストーリーは、カメジローの率いる人民党にスパイ(作業員)を送り込み、情報を入手し、また人民党を操作しようとする公安警察官の葛藤です。
佐々木譲の『警官の血』には赤軍派の大菩薩峠における大量逮捕にあたって、赤軍派内部に送り込んだスパイとどうやって連絡をとるかという工夫と苦労が詳しく紹介されていました。
アメリカのブラックパンサー党の内部にもFBIのスパイがごろごろいたという本も読んだことがあります。
戦後の奄美、復帰後の沖縄。そして、僕たちの知らない警察がここにあった。これも本のオビにある文章ですが、まったくそのとおりです。
430頁ある小説を早朝から一心不乱に読み、すっかり沖縄モードの気分に浸った一日を過ごしました。ぜひ、あなたもご一読ください。
(2021年7月刊。税込2090円)

2021年9月24日

校則なくした中学校、たったひとつの校長ルール

(霧山昴)
著者 西郷 孝彦、出版 小学館

著者は東京の区立中学校で10年間、校長をつとめていました。この中学校には、なんと、制服がなく、定期テストがなく、生徒をがんじがらめにしばる校則がないというのです。驚きました。公立中学校でも、校長次第では、こんな大胆なことができるのですね。読んで勇気が湧いてくる本でもありました。あきらめずに、少しずつでも良い方向に変えていくことができるんですよね。
世田谷区立桜丘中学校には校則がない。定期テストはなく、宿題もない。チャイムは鳴らない。服装も自由、髪形も自由。おまけに授業中の昼寝も、廊下での勉強も自由。
校長室前の廊下にはハンモックがあり、そこで生徒は自由に昼寝できる...。なんという学校でしょう。こんなんで、学校の秩序が保たれるのでしょうか...。
定期テストの代わりにあるのは、10点満点の小テスト、積み重ねテスト。
3年生は静かな授業風景。でも1年生は騒々しい。これがフツー。
教員は、決して頭ごなしに叱りつけることはない。
そして、校長は、毎日1回、全校のクラスを回る。
登校時間は自由。だから遅刻で注意されることはない。ええっ、そ、そんな学校があるの...。
授業中の校長室は、クラスに入れない子たちのたまり場。
いやはや、なんという学校、そして校長先生でしょうか...。
学校は教員が学ぶ場でもある。うむむ、そ、そうなんでしょうね。
がんじがらめで子どもをしばる校則によって、子どもは無気力になってしまう。いやあ、本当にそうですよね。刑務所なら、そのほうが管理しやすくて助かるのでしょうが、学校は刑務所ではなく、これからの日本を支える子どもたちを育てるところですから、のびのび発達していくのを手助けしなくてはいけません。
この中学校には3ヶ条の「心得」があります。その一は、礼儀を大切にする。その二は、出会いを大切にする。その三は、自分を大切にする。いやあ、いいですね。私は、とくに最後の自分を大切にするがいいと思いました。
でも、そのためには、他人(ひと)との出会いによって、自分とは何者なのかを知ることが欠かせないのですよね。そして、そのためには、友人として接してもらえる工夫(礼儀)も大切なんです。
なんで勉強しなくてはいけないのか...。将来、文科系に進むのに、なぜ微分・積分と勉強しなくてはいけないのか、私も少しばかり悩んだことがありました。
教員にとって、生徒から出てくる、この質問は、つまち授業が面白くないということを意味する。授業が面白かったら、要するに、理解できていたら面白いので、「なぜ」という質問は生まれない。これは本当だと思います。
世の中は不思議に満ちています。その不思議さを解明していくためには、その解法を知る必要があるのです。私が、たくさんの本を読みたいと思っているのは、少しでも、この人間社会の仕組みを知りたいからです。
この中学校では、廊下で麻雀大会もしたそうです。いやあ、この発想にはぶっ飛んでしまいますね。私も一度だけ大学の寮の廊下での麻雀には誘われて加わったことがあります。でも、一度でコリゴリしました。私にはまったく向いていないことが分かりましたので、それ以来、やっていません。同じように囲碁・将棋もやりません。見るスポーツだって、すべて関心の外です。ひたすらこの社会がどうなっているのかを知りたい。これに専念しています。
この中学校では、月1回、夜の勉強教室もやっています。夕方6時になると、みんなでお食事会です。参加費100円、先着50人まで。「子ども食堂」を公立中学校でやっているのです。すばらしいです。
発想を変えたら、こんなこともできるのですね...。もっと、自由に、のびのびやりたいことをやりましょうね。元気が出てきました。
(2020年6月刊。税込1540円)

2021年9月12日

写真集・棚田の愉しみ


(霧山昴)
著者 玉井 質 、 出版 うめだ印刷

大阪の干早赤阪村の棚田を撮った素晴らしい写真集です。
干早赤阪村は大阪府で唯一の村。大阪からは、地下鉄の天王寺に行き、近鉄で富田林に行き、そこからバスに乗って干早中学校前で降りる。バスは1時間に2本しかない。
この干早赤阪村の「下赤坂の棚田」は、日本の棚田百選にも入っている。
干早赤阪という地名は楠木正成がたてこもった干早赤阪城として有名です。なので、私も機会があったら一度は行ってみたいところでもあります。
「下赤坂の棚田」の写真は、どれも見事です。まさしく生命観が躍動し、生き物すべてが光り輝いています。
棚田は12世帯が共同して、1000坪を運営しているそうですが、ここにも高齢化の波が押し寄せています。なにしろ始めて、もう17年目になるそうですから...。
それでも、保育園の園児たちが親と一緒になって田植えしている様子を撮った写真もありますので、期待はもてそうです。
九条の会がここにもあり、棚田でそろって平和憲法を守れのポスターをかかげた写真は壮観です。子どもたちに平和を確実に伝えていきましょう。
なにしろ傾斜のある棚田ですから、農作業用の機械を運びあげるのは困難です。田植えも稲刈りも人海戦術。いやあ、これは大変ですよね...。
それでも収穫したお米で餅つきをして、みんなで食べたら、さぞかし美味しいでしょう。収穫祭で乾杯しているときの笑顔がたまりません。苦労がきちんと報われたときの喜びの笑顔です。
80頁ほどの写真集ですが、こんな棚田をぜひぜひ保存してほしいものだとつくづく思ったことでした。
(2021年7月刊。税込2000円)

2021年9月 9日

コロナ黙示録


(霧山昴)
著者 海堂 尊 、 出版 宝島社

菅首相が「コロナ対策に専念する」という口実で自民党総裁選に出ないことを表明しました(9月3日)。なぜコロナ対策に専念するのに首相を続けられないのか、という当然の質問を受けつけず、すぐに立ち去っていったのは無責任ですし、政治家として哀れというしかありません。国民の前で自分の信念を語れないような人物は政治家になる資格なんてない、このことを決定的に明らかにした瞬間だったと思います。それなのに、「菅さんはよくやった」だなんて言ってかばおうとする人がいるのが信じられません。どれだけ騙されても、騙した人にしがみつくのでしょうか...。ダメな人にはダメだと、きっぱり言ってやる必要があるのです。ぜひ、みなさん、10月か11月にある選挙の投票日には足を運びましょうね。棄権するってことは、あんな「無責任男」を許してしまうことなんですよ。いくらなんでも、それはないでしょ...。
この本は、日本の政府がコロナ対策でいかに「後手後手」(ごてごて)にまわってきたのかを記録したような本です。医師を主人公としているだけあって、医学面での情景描写は迫真のもので、思わず息を呑んでしまいます。
菅首相のチョー側近である和泉補佐官の不倫はあまりにも有名ですが、「まったく問題ではありません」ということで、スルーされて、和泉補佐官は最後まで菅首相を支えました。それが、いえ、それも大きな間違いのひとつでした。
横浜のクルーズ船で本当ならトライアルとエラーをすべきだった。それができなかったのは、色ぼけと欲ぼけの失楽園官僚カップル(和泉補佐官と相手の女性官僚)による判断ミスだ。そんな人材を重用したアベ首相と官邸にいる厚労省官僚による人災だ。
私もコロナ禍を大きく深刻化させたのはスガ首相の無能・無策による人災だと考えています。だって、PCR検査をせず、ワクチン確保も遅れ、入院拒否の自宅療養と称して自宅待機を命じ、自粛を強要しながら補償もしないなんて、ひどすぎます。
アベ首相が「アベノマスク」に投じた500億円が医療現場にまわされたら、どれほど、現場は助かったことでしょうか。
国民に自粛を要請しながら、休業補償はしない。観光業界に1兆7千億円もの「GoToトラベル」をすすめながら、雇用調整助成金は、その半分の8千億円でしかない。そして、支出は遅れに遅れている。
こんな無能・無策なスガ首相なのに、国民は凡愚なスガ首相の罷免を求めることもなく、ただただスガ首相が退陣するのを、ひたすら辛抱強く待っているだけ。なんて面妖
(めんよう)な日本人だろうか...。
この本は読んで腹の立つ本です。そんなにバカにするなよと、ついつい叫びたくなります。それでも、投票所に足を運ばなかったとしたら、「スガさんって、一生懸命にがんばったのに可哀想よね...」という間違った思いこみから抜け出せないのです。でもでも、本当は違うんですよ...。自分たちの生命と健康を守るためには声を上げ、投票所に足を運ぶ必要がある。このことを確信させてくれます。一読に値する本です。
(2020年10月刊。税込1760円)

2021年9月 7日

レッド・ネック


(霧山昴)
著者 相場 英雄 、 出版 角川春樹事務所

「パンケーキを毒見する」という映画をみました。菅首相が主人公のような映画です。大変面白く最後まで緊張しながらみましたが、残念なことに観客はまばらでした。次の青春モノの映画には若い女性が列をつくっていましたが...。
菅首相の国会答弁は、歴代首相のなかでも言葉の貧困という点で図抜けています。同世代として恥ずかしい限りです。国民に語りかけようとする気持ちをまったく持っていないのです。そんな人が国会議員になり、首相になれる日本という国の底の浅さにおののいてしまいます。菅首相がついに辞任することになりましたが、その記者会見のときも一切の質問を受けつけず、逃げていってしまいました。哀れとしか言いようがありません。
映画のなかで、菅首相が質問に対してまともに答えようとしないのは、政治不信をかきたてるためではないかという解説がありました。政治に不信感をもつ人は投票所に足を運ばない。それが自分の政権を支えている。下手に政治に関心をもってもらいたくないというのです。
さて、そこでこの本です。この本は、選挙戦で、いかにあるべきかという本質論が主要テーマになっています。自民党・菅政権にとって投票率が低ければ低いほど政権の安定度が増すという関係にあることを十二分に自覚して行動しているというわけです。
これから、この本のコトバを私なりに翻訳して紹介します。
自民・公明党に票を投じる有権者は、どんな言葉をかけられようとも支持を変えることはない。立憲民主党や共産党に投票する人も絶対に投票先を変えない。そんな連中を動かそうと思って選挙運動をするのは、時間と労力のムダだ。
なので、選挙プランナーは、無党派層、いつも選挙に棄権している人々にターゲットをしぼり、徹底的に選挙に行くように仕向ければいい。
なーるほど、ですね。ということが理解できても、では、どうやってその層にアプローチするのか、できるのか、が問題となります。
この本では、有名歌手のファンクラブのSNS交信を乗っ取ってしまうという方法が紹介されています。なるほど、若者が好んでいるSNSに喰い込み、候補者を売り込んで、投票所に足を運ばせることができたら、成果は大いに期待できることでしょうね。
アメリカのトランプ大統領の選挙戦も同じような手法が使われたようです。
本当に怖い世の中になりました。スマホでいろいろ検索していると、その人の行動履歴だけでなく、好み、趣味、思想傾向まですっかりさらされてしまうのです。考えるだけで身震いする状況に私たち日本人だけでなく、世界中の人々が置かれているのです。
ちなみに、レッドネックとは、アメリカの中西部や南部にいる低賃金にあえぐ白人労働者のこと。日本が明治維新を迎える前に起きたアメリカの南北戦争のころ、南部は北部のアメリカ人をヤンキーと呼び、北部は南部の人々を炎天下の作業で首筋を赤く日焼けさせていることからレッドネックという侮蔑的な言い方が定着した。
それがなぜ、日本の選挙に関わるかというと、トランプ大統領の選挙運動のなかで、活用(悪用)された手法が日本にも持ち込まれているということです。
ガラケー一本で、スマホを持たない(持ちたくない)私には無縁ですが、スマホで、フェイスブックを利用すると、個人情報が「ダダ漏れ」することになるというのが、この本の前提になっています。本当に恐ろしい世の中です。
この個人情報をフェイスブックがデータブローカーに売却し、ブローカーは細かく分類してネット広告専門店に転売する。なので、個々のエンド・ユーザーにはその人向けの広告がアップされる。
いやはや、なんという怖い世の中でしょうか...。
(2021年5月刊。税込1870円)

2021年8月31日

須恵村


(霧山昴)
著者 ジョン・F・エンブリー 、 出版 農文協

戦前、日本の農村に若きアメリカ人の人類学者夫婦が1年間すみつき、その実態調査をまとめたという画期的な本です。
訳者の田中一彦元記者(西日本新聞)は、退職してから3年間、この須恵村(現あさぎり町)に単身移住して取材・調査しています。私は、著者の妻エラによる『須恵村の女たち』に大変なショックを受けました。ぜひ、この本とあわせて読んでみてください。
須恵村は、米や麦、そして蚕による生糸を生産している。野菜は大根とサツマイモ、そして大豆。サツマイモとキュウリは男根崇拝の象徴。そして豆は女性器と同じ意味を有する。
宴会のときは、魚、ときに鶏がつく。タンパク質の多くは大豆でできた味噌汁、しょう油、豆腐からとる。馬や牛は飼われているが、荷物の運搬に使われるだけ。牛乳は汚いと考えられ、医師の処方で飲まれるのみ。豚肉も食べられない。豚の飼育は都会に売るためのもの。
村には大地主はいない。須恵村の男性は、ほとんど村の生まれだが、妻のすべては須恵村の生まれではない。
戸主の言葉は法。主人は最初に風呂に入り、一番に食事をし、焼酎を飲み、いろりでは特別の席にすわる。妻には必要に応じて家計費が渡される。
債権者が来ると、男は妻と離婚して、財産を彼女の名義にして、自分は無一文になる。あとで、男は離縁した妻と再婚する。
娘を芸者や売春婦に売るのは、父親の特権。娘は同意を拒否する立場にない。
養子縁組も、結婚と同じように、最初の1年ほどは、お試し期間を設ける。
村には、結婚していない成人は、ほとんどいない。寡婦は再婚するが、亡夫の弟と再婚することが多い。寡夫は、先妻の妹と結婚することがある。非嫡出子をもつ女性は寡夫と結婚することが多い。寡婦は特別な社会的地位にある。再婚しない限り、きちんとした社会的地位は不安定。性的に自由である。
農作業では、夫も妻も同じように働くので、農家では商店よりも女の地位が高い。
女が参加する宴会も多く、酒が入ると、やがて踊りは性的な性格を帯びてくる。ふだんおとなしい女性も踊りに加わり、即興の歌詞にあわせて、尻を前にぐいと突き出しながら踊る。男は、杖を男根の代わりに使い、それをほめそやす歌をうたう。この余興は、集まった来客に爆笑の渦を起こす。踊りでは、人々、とくに女たちは、物真似や風刺の驚くべき感性を発揮する。
田植えは厳しい共同作業。10人から15人の若い男女が一列に並んで作業する。単調な作業は、絶え間ない冗談、それも卑猥な話によって和らげられる。
須恵村では、頼母子講が盛ん。
須恵村で娘を芸者に売った男が8人いるが、社会的地位が高くない男たち。農業の社会的・経済的基盤の上に家族をつくろうとする人は、貧しくても決して娘を売ることはしない。
売られた娘は決して村には戻ってこないし、結婚することもほとんどない。
一般的に、子どもたちはひどく甘やかされている。
夜ばいの習慣があるが、娘たちには受け入れることも拒絶することもできる。
「三日加勢」という、三日間のお試し結婚がある。娘だけ3日間、男性の家に泊まる。もし結婚に至らなくても、どちらも世間的には顔をつぶされたことにはならない。
須恵村には医者はおらず、子どもの死亡は多い。
須恵村の生活にボスはいない。自治的で、民主的。
戦前(昭和10年から11年、1935年から1936年)の熊本の農村の生々しい状況が手にとるように分かる本です。写真もたくさんあり、興味深いこと、このうえありません。ぜひ、ご一読ください。全国の図書館に必置の本だと思います。
(2021年5月刊。税込4950円)

2021年8月27日

変貌する日本の安全保障


(霧山昴)
著者 半田 滋 、 出版 弓立社

これだけ爆発的にコロナ禍が深刻化しているのに、政府は依然として国民に自粛を求めるだけ、外出するな、帰省するな、デパ地下へ行くな...だけ。オリンピックを強行して、お祭り気分を盛り上げておいて、それはないでしょ。「自宅療養」というのは、入院治療の拒絶ということを、政府もマスコミも国民に正直に伝えるべきです。
そして、コロナ禍対策のためのお金はつかわず、相変わらず中国・北朝鮮の脅威をあおり立てて軍事予算だけは増大させています。お隣の韓国政府は国防費をけずってコロナ禍対策にまわしました。当然です。国家を守る前に国民の生命・健康を守るのが政府の責務なのですから。ところが、日本ではコロナ禍の深刻化するなかでも辺野古新基地建設は中断することもなく進められています。ひどい話です。
著者は軍事問題に精通した日本有数のジャーナリストです。今は、法政大学などで学生にも教えていて、本書はその授業を再現したという体裁ですので、基本から軍事の常識を学ぶことができます。
アメリカが日本を守ってくれていると、ほとんどの日本人は誤解・錯覚していますが、駐米大使、外務事務次官をつとめ、ミスター外務省とよばれた村田良平(2010年死去)は、次のように語っているとのこと。
日米安保条約にもとづくアメリカ軍の基地の主目的は、もとより日本の防衛にあるのではない。アメリカは、日本の国土を利用させてもらっているから、その片手間に日本の防衛も手伝うというもの。そして、日本が世界最高額の駐日アメリカ軍の経費を負担しなければならない義務など、本来ない。もはや、アメリカが守ってやるというアメリカの発想を日本は受けるべきではない。日本の自尊心を保つためには、アメリカとの「良識をこえた特殊関係」ではない日本のほうが良いと考えるべきで、その溝があまりにも大きければ、日米安保条約を廃棄するリスクをとるほかない。
なんと、なんと、日本はアメリカの奴隷ではないのだから、もっとはっきりアメリカに対してモノを言うべきだと、元「ミスター外務省」は明言していたのです。知りませんでした。なんとなくアメリカは日本を守ってくれているなんていう幻想から、日本人は一刻も早く脱却すべきなのです。
同じように、コロナ禍対策を日本政府はきちんとやってくれるだろうという甘い幻想に浸っている場合ではありません。投票所に足を運んできっぱり「ノー」という意思表示をしないと、スガのような無能なダメ政治家と政府によって多くの国民が死に至ってしまいかねません。
北朝鮮の軍事能力も紹介されています。自然災害もあって、食糧不足が深刻化し、兵士は援農や建設工事にかりだされているようです。総兵力119万人といっても、装備の多くは旧式。空軍のパイロットの年間飛行時間はわずか20時間。これでは戦えるはずがありません。
しかし、怖いのは、特殊部隊が8万8千人もいるということ。日本は日本海側にたくさんの原子力発電所がありますから、そこを狙われたら日本はイチコロです。テポドン、Jアラートで日本政府は日本国民を脅しつけましたが、現実的な危険が原発にあることをマスコミ操作で「スルー」してしまいましたし、相変わらずしています。
アベ前首相が歴史も憲法も学んでいないことはよく知られた事実ですが、ポツダム宣言についても平気でデマをとばしていたのですね。
「ポツダム宣言というのは、アメリカが原爆を落としたあと、『どうだ』とばかり叩きつけたもの」
しかし、ポツダム宣言が発せられたのは7月26日で、原爆投下(8月6日と9日)よりも早い。アベは、歴史を知らない「歴史修正主義者」だ。これが悲しい現実です。
軍事問題というと、なんだか敬遠して専門家にまかせようという風潮があります。でも、毎日の生活は戦争のない、平和を前提としているのですから、目をふさぐわけにはいきません。350頁ほどもある大部な本ですが、やさしい語り口で展開していきます。あなたも、ぜひ読んでみてください。
(2021年4月刊。税込2750円)

2021年8月24日

「核兵器も戦争もない世界」を創る提案


(霧山昴)
著者 大久保 賢一 、 出版 学習の友社

これまで核戦争が実際に起きなかったのは、運が良かっただけという著者の指摘には、私もまったく同感です。同じことは、3.11の大震災による福島第一原発事故についても言えます。あのとき、アメリカ人は一斉に日本から脱出し、逃げ出したのですが、それはメルトダウンが関東一円を死の街にしてしまう危険が現実的なものだったからです。原発に欠陥があったから、なぜか水がたまっていて大爆発が起きなかったというのを知ったとき、私も心底から胆が震えてしまいました。これは樋口英明元裁判官も著書で強調しているところですが、そんな現実を少なくない日本人が忘れていて、安倍前首相の「アンダーコントロール」を真(ま)に受けているのが本当に残念です。
これまで核戦争が起きなったのは、核兵器が存在するおかげだ。平然とこのように言う人の神経が著者には理解できない、と言います。核兵器が存在していたから核戦争が起きなかったというのは、二つの現象を表面的に並べたたけで、論理的な説明にはなっていない。
著者は、こんなたとえ話を持ち出しています。「ニューヨークにワニがいないのは核兵器があるおかげだ」、「憲法9条は北朝鮮の核開発を止めることができなかった」、「お前が生きていられるのは、オレのいるおかげだ」。こんな異論が成り立つはずもない。まったくそのとおりです。
1980年6月、アメリカのカーター大統領の安全保障担当大統領補佐官のブレジンスキーは、深夜、軍事顧問からの電話で叩き起こされた。ソ連の原潜から220発のミサイルがアメリカ本土に向けて発射されたという。ブレジンスキーは、直ちに報復攻撃できるよう戦略空軍に核搭載爆撃機を発進させるよう指示した。次の電話では、ソ連のミサイルは2200発と告げられた。全面攻撃だ。ブレジンスキーは妻を起こさないことにした。30分以内に、みんな死んでしまうからだ。その後、3度目の電話があって、誤警報だと判明した。これは笑い話としてすませていい話では決してありません。いつでも、実際に、ちょっとした間違いから核戦争が起きる危険があるからです。
アメリカで起きた原発事故だって、そこで働いていた人々が故意に重大事故をひき起こした可能性があるとされているものがあります。ヒューマン・エラーというものです。
「俺はもつ、お前はもつな、核兵器」
アメリカやロシアなどの核兵器大国は自分たちが核兵器を持つのは正義だけど、他の国がもつのは不正義だなんて、一方的な論理にしがみついています。インド・パキスタン・イスラエルは、それが不満で核不拡散条約に入らず、北朝鮮は脱退してしまいました。
核兵器禁止条約は発効したのに、日本政府は今なお、背を向けたまま。
「かえって国民の生命・財産を危険にさらす」とか、わけの分からないことを言っている。要は、アメリカの核の傘のもとにいれば安全、アメリカに楯つくなんてもってのほか、という従属根性まる出し。そこには自主性のカケラもない。
「平野文書」なるものがあるそうです。私が読んだことがありません。日本国憲法をつくるときにマッカーサーとわたりあった幣原元首相の側近だった平野三郎という人が1951年に幣原本人をインタビューした記録のようです。
幣原は、戦争をやめるには武器をもたないことが一番の保証だと断言した。
幣原は「武装宣言」は狂気の沙汰であり、軍拡競争から抜け出そうという「非武装宣言」こそ世界史の扉を開くとした。今は夢想家のように思われ、あざけ笑われるかもしれないが、百年後には正しいことを言った預言者として正当に評価されるだろうと語ったというのです。まさしく先見の明がありました。
少しでもまともなことを言い、行動したりすると、自民党のタカ派からは、「あいつは共産党だ」と言われる。自分に反対するものは、みんな「共産党」と言うんだというエピソードも紹介されています。
そんなことでくじけてはいけません。正しいこと、必要だと思ったら、声を上げ、行動に移すことです。
著者は長く反核・平和運動に従事してきて、現在は日本反核法律家協会の会長もつとめています。もっと読みやすい編集・体裁にしてほしいと思いながらも、内容の重さにひきずられて読了しました。160頁の小冊子です。ぜひ、あなたもお読みください。
(2021年8月刊。税込1540円)

2021年8月23日

国民食の履歴書


(霧山昴)
著者 魚柄 仁之助 、 出版 青弓社

明治になってから日本に入ってきた洋風調味料の御三家はソース、カレー粉、マヨネーズ。とはいっても、和食の伝統がこれら御三家によって破壊されたというわけではない。むしろ、それらを和食にうまく調和、同化させたのが現在の日本食。なーるほど、ですね。
インドのカレーと違って日本には日本のカレーがある。イギリスのウスターソースではない日本のソースがある。肉とチーズを食べるフランス人のマヨネーズと、魚と米を食べる日本人のマヨネーズが違っていて、何も不思議はない。なるほど、なるほど、そう言われたらそうなんですよね...。
本場インドでは、サラっとした「汁カレー」。イギリスは、バターで小麦粉を痛めたルウを使ってドロリとさせた。日本では、イギリス流のドロリとしたカレーこそがカレーであるというのが定着している。そうですよね、日本人にとって、カレーは、ドロリとしていなくてはカレーではありません。チキン、ポーク、ビーフが手に入らないときには、身欠きニシンを入れたカレーもあるそうです。戦前の大正時代の料理の本で紹介されています。
日本のマヨネーズは、欧米のマヨネーズとは異なる、独自のもの。マヨネーズが「自分でつくるもの」から「買ってくるもの」になったのは、戦後のこと。ええっ、戦前はマヨネーズは家庭でつくるものだったんですか...、それは大変でしたね。
絶対に油が分離しないスピードマヨネーズをつくる秘訣は、練乳(コンデンスミルク)をコップ3分の2杯だけ入れて混ぜること。練乳が乳化剤の役割を果たして、油の分離を防ぐ。ええっ、そんな裏技があったのですか...。
日本のソースは、初めのころはショーユ(醤油)からつくっていた。
日本のギョーザ(餃子)の大半は焼きギョーザ。私の大好物でもあります。大正13(1924)年には、東京に「ビターマン食堂」としてギョーザを食べさせる専門店があったそうです。1人あたりの年間ギョーザの消費量日本一は宇都宮と浜松で争っていましたが、何と宮崎が日本一になったというニュースが先日、流れていました。結局は、全国3位になったようです。
中国は水餃子が主であり、皮が厚い。かなり前に大連に行ったとき、何種類ものギョーザを食べさせてくれる店に案内されて、腹一杯、思う存分に焼きギョーザを食べることができました。ギョーザの命は皮づくりにある。西洋料理のラビオリは洋風餃子。日本のギョーザは皮が薄いのでおかずに適している。これは納得です。たくさん食べたいですから...。
肉じゃがが日本で「おふくろの味」となったのは1980年代だそうです。これには驚きました。たしかに、1960年代に東京で大学生をしていましたけれど、そのころ肉じゃがなんて聞いたことはありません。私のちょっとしたぜいたくな一品料理はレバニラ炒めでした。
料理本に「肉じゃが」が登場するのは1975(昭和50)年ころだったということです。私が川崎市で弁護士を始めたころになります。この本には、それまでの「肉豆腐」が「肉じゃが」に変わったという説を紹介しています。いずれにしても、川崎市内の居酒屋で「肉じゃが」を食べたことはなかったように思います。
なんだか読んでいて楽しくなる料理の本でした。
(2020年1月刊。税込1980円)

2021年8月20日

パチンコ


(霧山昴)
著者 杉山 一夫 、 出版 法政大学出版局

ミン・ジン・リーの『パチンコ』を歴史的に裏づけるような本です。といっても、ミン・ジン・リーとは関係なく、著者は一貫してパチンコの歴史を追いかけてきました。私より少し若い団塊世代で、本業は版画家です。パチンコの詳しさは並はずれています。
昭和27年、パチンコ店は4万2000軒。前年は1万2000軒でしたから、4倍近い増加率。
電動化される前、左手でもてる玉数は10~15個、親指で1個ずつ玉入れ口に押し出し、それと連動させ、右手で打つ。素人は、どうがんばっても1分間に50~60発。ところが、パチプロは、その倍の120発を楽々と打っていた。
プロは1分間に100発以上打てたというのですが、これは素人でしかなかった私には、とても真似できません。西部劇に出てくるガンマンの早撃ちと同じです。
1973(昭和48)年に電動ダイヤル方式ハンドルが登場するまで、パチンコは親指でパチンと弾く、日本の大衆娯楽だった。
司法試験の受験生のころ、東横線の都立大学駅前で降りて都立図書館に通って勉強していたことがあります。駅前にパチンコ店があり、つい午前10時の開店にあわせてフラフラと入店しパチンコに撃ち興じたことが何回かあります。勉強しなくては...という罪の思いがありましたが、午前10時だと台が選べますので、ジャンジャンとチューリップが開いて、大当たりになり、チョコレートなどの景品をたくさん下宿に持って帰り、近くに住んでいた仲間に分けてやったことを覚えています。でもでも、こんなことをしていたら、とても勉強に専念できないと一念発起し、その図書館通いは止めました。
パチンコは、実は、日本人の発明。パチンコ産業のピークは1995(平成7)年で、30兆9020億円。これは、この年の国家予算の半分の規模。いまでは衰退産業とも言われているが、それでも年間20兆円の基幹産業である。
パチンコは日本の警察管理のもとにある。開業から、玉の大きさ、貸し玉の値段、出玉の数、景品の内容に至るまで、隅から隅まですべて警察が規制している。いわば、パチンコ産業は警察の利権の拠点と化している。警察の許可がなければ何ひとつできないのが、パチンコ店とパチンコ機。各県の遊技共同組合には警察OBが大量に天下りしている。いま自民党の平沢勝栄代議士が警察長の保安課長のとき、全国共通のプリペイドカードの会社を認可した。
パチンコ業界は自民党に多額の献金をしているし、朝鮮総連を通じて北朝鮮に送金してきた。これは、どちらも公然の秘密だった。
CR機の登場によって、パチンコは名実ともに日本の基幹産業になった。
電動式パチンコ台が導入される前、パチンコ店には釘師(くぎし)がいました。弁護士になった私の依頼者にもそれを職業としている人がいました。ほんとうにごくごく微妙な傾きで玉の動きを左右するというのです。
そして、パチンコ台の裏には大勢の人が働いていました。「島裏」の女性従業員が10万人もいたというのですから、驚きです。それを、パチンコ店は電動化、自動化していって、無人化したのです。よくぞここまでパチンコの歴史を詳しく調べたものだと驚嘆しました。
(2021年3月刊。税込3520円)

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