弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

生物

2008年8月12日

デキのいい犬、わるい犬、

著者:スタンレー・コレン、出版社:文春文庫
 名犬ラッシーのテレビ映画は、私も子どものころ、よく観ました。そのラッシーは、7代にわたって雄のコリーだった。雌のふりをさせられていただけだった。雄のほうが雌より体格も大きく臆病なところがないためだった。観客は、みな見事にだまされた。
 ラジオドラマがつくられたとき、吠えたのは本物の犬だったが、クンクン啼いたり、ハアハアいったり、威嚇するようにうなる声は、すべて人間の役者が受けもった。まあ、なんと犬の声優がいたというわけなんですね。
 もっとも古い家犬の確実な証拠として残っている化石は、1万4000年前のもの。旧石器時代人が連れていた。イヌ科動物の多くが、排泄のあと、近くの地面をひっかく。これは足の裏から分泌される汗に似た分泌物が、情報量は少なくても多様な情報を提供するためのもの。
 家犬は子犬的特徴をもっている。そして従順である。一生、子犬のように垂れ耳のままの犬も多い。
 犬には、自分の能力の可能性と限界を知るという自己認識能力がある。対自的能力ともいう。高すぎる壁、広すぎる溝を前にして跳躍をためらい、拒否する犬は、この種の知能を示している。
 犬は65種類の言葉と25種類の合図・身ぶりを理解する。つまり、受容できる言語は90種類である。犬の発信する言語は25種類の声と35種類の身体の表情がある。ただし、構文や文法はつかえない。
 服従に最適な犬は、頭の鈍いゴールデン・レトリバー。ゴールデンは、人間から受けた指令を理解し、人間を喜ばせたい一心でそれをこなす。飽きっぽくなく、すぐに気を散らすこともない。目の前のことを詮索しようとせず、反応の仕方を変えることもなく、人間が最初に教えたとおりを正確に実行しようとする。
 テリアが服従訓練に良い成績をあげられないのは、テリアが唯我独尊に改良されてきたため。自分たちの行動を人間がどう思うか気にもとめない。だから、服従訓練競技の会場では活躍できない。しかし、テリアはとても利口である。なるほど、なるほど。人間の言いなりになるかどうかと、犬の知能は別の次元なんですね。
 子犬は生後7週間ぐらいは、一腹子の兄弟たちと一緒にいたほうがいい。この期間に、犬らしさが育成され、犬同士を仲間と認め、ほかの犬との関わりに必要な基本行動が学びとる。次の5週間のあいだに人間と十分なふれあいをもてば、犬は人間を群れのメンバーとして受け入れる。こうして、犬は人間と円滑な相互関係をもつことができる。
 必要なことは、折りにふれて犬を1、2分間ほど拘束すること。犬に優しく話しかけながら、その口吻を数秒のあいだ手で閉じさせる。そして犬を倒して横にさせ、まる1分間は、そのままの姿勢をとらせる。そのあいだ、犬が四肢を上げないときには、脚を床から離させ、より服従的な姿勢をとらせるか、犬を仰向けにして四肢が上を向くようにさせる。この間、犬の目をまっすぐに見すえる。犬が顔をそむけたら練習を終わりにして、犬が尻尾をふり始めるまで軽く遊んでやる。
 遊びの最中に注意しなくてはいけないのは、犬が攻撃の真似をしたり牙を立てようとしたら、絶対にやめさせることである。咬みつくのを挑発するように、犬の顔の前で指をひらひらさせたりしてはいけない。綱引きもしないほうがいい。この遊びは犬の支配性を助長し、性格上、良くない影響を与えてしまう。
 犬は年をとってからでも学習できる。これって、人間と同じですよね。
 タイトルの軽さに反して、この本に書かれていることはすごく真面目なことですし、大いに勉強になります。私も子どもたちと一緒に犬を飼っていましたが、この本を読むと反省させられることばかりです。でも、旅行に行きたいので、もう犬を飼うことはあきらめています。
(2000年9月刊。657円+税)

2008年7月22日

もの思う鳥たち

著者:セオドア・ゼノフォン・バーバー、出版社:日本教文社
 鳥はバカな生きものではない。そのことがよく分かる本です。
 人間に苦しめられている地域にすむカケスやカラスの群れには、ひとりひとりの人間を細かく観察する監視役ないし番兵がいる。監視役の鳥が、銃をもっている人間を見れば、群れはすぐにそのあたりから離れるし、同じ人物でも銃をもっていなければ、そのことをはっきり認識する。銃をもっている人間と棒をもっている人間とは、きちんと見分ける。
 ハンターに撃たれて傷ついた一群のカラスは、ハンターたちが自分たちを撲殺しようと迫ってきたとき、激しい鳴き声をあげた。それを聞きつけた仲間のカラスたちは、現場に急行すると、ハンターたちを撃退した。
 仲間が傷ついたとき、自分が撃たれる危険をかえりみることなく、哀しそうな鳴き声をあげながらそばに寄りそうという、自己保存本能とはあいいれない行動が目撃されている。
 ボタンインコのつがいは、引き離されると、互いに相手を恋い慕い、思いがけず再会すると非常に喜ぶ。まるで人間と同じですよね、これって。
 鳥類のオスもメスも、性格特徴や身体的特徴をみて相手を決める。基本的には人間と同じだ。いやあ、そういうことなんですね。
 つがいを形成している鳥は、二羽がまるで会話でもしているかのようだ。語りかけられた側は、語りかけている鳥に注意を集中しており、同時に発声することは一度もない。多種多様の柔らかい抑えた音を出すのは、内輪の、親しい間柄にある相手のための、とっておきの声である。ふむふむ、鳥にも恋の語らいがあるわけです。
 ひなのときに捨てられ、親切な家庭で育てられたコクマルガラスは非常に社交的だった。自分の気持ちや感情をはっきり伝えた。無礼な扱いをされると、カラスは相手の爪にかみついた。ただし、傷つけはしなかった。自分が尊重されるべき存在であることを相手に伝えようとした。な、なーるほど、です。
 このカラスはテレビを観たし、はっきりした番組の好みをもっていた。特定の番組はいつも観ていた。気に入った曲(ジャズの一種)が流れると、激しく踊り狂った。自分の歌をうたい、その録音テープを聴くことを喜んだ。
 ブルーバードと名づけられたセキセイインコの観察記録は、さらに驚くべきものがあります。
 オスのブルーバードと一緒に生活するようになったメスのブロンディーは、ひと目ぼれの関係だった。これは、人間と同じく、セキセイインコにおいても、実はまれなことだった。ブルーバードとブロンディとは、陽気で喜びにみちあふれ、満足そうにみえる自然な性的関係を速やかに発展させた。いつも一時間ほど、前戯が長々しく続く。ブルーバードはブロンディに歌をきかせ、2羽は、愛の語らいにふけった。いやあ、すごいです。うらやましいです。
 ブルーバードが死んだとき、ブロンディは落ち込んでしまった。何もせず、いつもよりたくさん食べて、眠ってばかりいた。ブルーバードの代わりにラヴァーという3歳のオス(セキセイインコ)を同居させてもブロンディは相手にしなかった。ラヴァーはブロンディに相手にされないので、鏡の前に行って自慰的行動をしていた。そして、ブロンディが死んだときには、なんと、「かわいそうなブロンディちゃん。かわいいブロンディちゃん」と、ブロンディを思いやる言葉をかけながら、ブロンディの遺体のそばを飛びまわったというのです。これは、想像で簡単につくりあげることのできない、本当の話だと私は思います。いかが、でしょうか・・・。
 この本は、鳥にも人間と同じような感情があり情緒があると主張しています。私は、それを頭から否定するのは正しくないと考えています。
 鳥たちには、人間とまったく同じように、美しいものに対する感覚、美的感覚というものがある。鳥は、自分で歌を作曲して歌うこともできれば、2重唱や5重唱で歌うこともできる。
 私は、ある晴れた日の昼下がり、公園のフェンスに2羽の鳩がとまっているのを見たことがあります。鳩たちは、はじめは少し離れて止まっていたのですが、次第に近寄り、くちばしを重ねあい、やがて、いかにも濃厚なラブシーンを始めました。10メートルと離れてはいない人間の私がいることなど、まったく気にせず、ラブシーンは延々と続いていきます。人間でいうと、濃厚なフレンチキスの段階に至ったあと、鳩の一方が他方におおいかぶさり、交尾しました。その時間は長くはなかったように思います。2羽の鳩は、やがて何事もなかったように2羽とも仲良くフェンスから飛んでいってしまいました。
 相思相愛の鳩の夫婦のむつみあい、そして交尾の瞬間を初めてじっくりと見せつけられたわけです。その間、少なくとも10分間以上はありました。
 私は公園のフェンスの他方で、じーっと動かずに眺めていました。幸いにも、他の人間は誰も来ることがありませんでした。ある晴れた春の日に起きた、本当の出来事です。
(2008年6月刊。1905円+税)

2008年6月 9日

暴力はどこからきたか

著者:山極寿一、出版社:NHKブックス
 ゴリラは弱いもの、小さいものを決していじめない。けんかがあれば第三者が割って入り、先に攻撃したほうをいさめ、攻撃されたほうをかばう。そして、相手を攻撃しても、徹底的に追い詰めたりはしない。ましてや、相手を抹殺しようとするほど激しい敵意を見せることはない。敵意を示すのは自分が不当に扱われたときであり、自己主張をした結果、それが相手に伝われば、それですむ。ここには明らかに人間とは違う敵意の表現がある。
 うひゃあ、これでは、ゴリラのほうが人間よりずっとずっと賢いということですね。
 古代の狩猟民は攻撃的だったという考えが間違いだということは証拠によって明らかとなっている。アウストラロピテクスは、仲間によって殺されたのではなく、ヒョウに捕食されていた。狩猟民たちは、戦いを好まない平和な暮らしを営んでいた。
 ゴリラのオスが立ち上がって胸を勇壮に叩くのは、自己主張のための行動であって、戦いの宣言というよりは、むしろ戦いをせずに引き分けることを意図したものだった。
 霊長類は食虫類から分化した。最初の霊長類は樹上で昆虫を食していたと思われる。つまり、霊長類は、被子植物に群がってくる昆虫を主食としていた。人間の体がサルたちより大きいのは、もともと弱い消化能力を補うという、類人猿と同じ理由による。
 樹上での生活は立体的に世界をながめる視覚を発達させた。三次元空間で食物、仲間、外敵の位置を正確につかむためには立体視が欠かせない。この能力を高めるため、目の位置が顔の側面から前方へと移動し、鼻づらが後退して両目の視野が大幅に重複するようになった。すなわち、樹上生活は人間の視覚のもっとも基本的な能力を築き上げた。
 ニホンザルもゴリラも、メスには単独で暮らす時期はない。ニホンザルのメスは生まれ育った群れを離れることはないし、ゴリラのメスは元の群れを離脱すると、すぐに他の群れに移籍する。他の真猿類の社会でも、メスは単独では暮らさない。それは、メスが他の個体と群がろうという強い傾向をもつためだ。真猿類は昼行性であり、果実などの植物の部位を食物としたことに関係がある。メスは、長い妊娠と授乳の期間中、自分だけでなく、子どもの栄養条件も上げる実用があるから。
 ニホンザルでは、年齢の若い妹のほうが姉よりも順位が高いなる。それは、年の若い娘を母親が庇護するから。ところが、チンパンジーやゴリラでは、メスが生まれ育った群れを出て、他の群れに移ってしまうので、メス間に血縁にもとづく強い結束は生まれない。
 ヒトの男の睾丸はゴリラより大きく、チンパンジーより小さい。精子の密度もちょうど中間である。
 ヒヒもチンパンジーも、メスは毎周期に2週間ほど性皮を腫脹させる。これは、メスが一頭のオスと独占的な交尾関係を結ばず、多くのオスと交尾することによって子どもの父性をあいまいにしようという戦略だと考えられる。オス同士がはりあってメスと交尾する権利を独占しようとするのに対し、メスは性皮を腫脹させて多くのオスを誘い、長期間にわたって交尾することで、どのオスにも繁殖成功の可能性を示している。
 ゴリラのメス同士の関係は実にあっさりしていて、互いにあまり深く関わらないようにしているようだ。メスたちが血縁関係にこだわらずに付きあっているからこそ、ゴリラのメスは親元を離れて見知らぬ仲間のもとへ移籍してもうまくやっていくことができる。
 ゴリラの若いメスの移籍は、恋人選びの旅の始まりである。ゴリラのオスは離乳期から思春期に至るまで熱心に子育てする。
 ゴリラのメスは、発情を迎えたとき、父親以外に成熟したオスがいなければ、群れの外に交尾の相手を求めて群れを離れていく。つまり、オスの子育てによる娘との交尾回避は、娘の分散を促進する効果をもっている。
 ニホンザルのオスにとって、群れとは生涯、身を預けるほど魅力のあるものではない。居心地が悪くなれば群れを出ればよいし、群れ生活が苦手なら、単独で暮らせばよい。
 チンパンジーは、仲直りにとても積極的である。攻撃を仕掛けたほうも、攻撃されたほうも、どちらからともなく近寄ってキスをし、手を握り、抱きあい、毛づくろいする。生涯にわたって自分の生まれた群れで暮らすオスたちは、他のオスの協力をいかに得て、自分の地位をつくるかが最優先の課題となる。
 ゴリラの仲直りは、対面して、じっと顔をつき合わせる行動である。ゴリラは体の接触が起こらない。ただじっと顔を寄せてのぞき込むだけ。接して触れあわずというのがゴリラの付きあい方なのだ。また、ゴリラに特徴的なのは、けんかを第三者が仲裁すること。
 ヒトもチンパンジーもゴリラも、和解するとき、相手とじっと見つめあう。まるで相手の意図を推し量るように相手の顔を見つめ、それから親和的な行動を示す。ボノボも同じような見つめあいをする。
 ゴリラたちは、顔を向けあい、視線を交わしながら、食事する。
 ヒトもサルもチンパンジーもゴリラも、みんな同じで、少しずつ違っているということがよく分かります。ヒトって、やっぱりサルの一種なんですね。
(2007年12月刊。970円+税)

2008年6月 6日

アゲハ蝶の白地図

著者:五十嵐 邁、出版社:世界文化社
 前に同じ著者の『蝶と鉄骨と』(東海大学出版会)を読みました。著者は私より20年も年長の虫屋(正確には、蝶屋)です。世界中、どこまでも蝶を追い求めていく勇気と元気には、ほとほと感心します。なにしろ、乗っていた飛行機が墜落しても、多くの乗客が亡くなるなかで無事だったり、砂漠の中やトラのすむ密林の中をさまよったりするのです。うひゃー、そこまでやるか、という感じです。
 蝶の生態を明らかにするには、オスとメスの違いを一目で見分け、食草を求め、卵を産ませて育てなければいけません。根気づよい作業が求められます。虫屋って、そこまでするんですね。感動すら覚えます。
 日本の蝶愛好家はプロ・アマふくめて2万人。間違いなく世界一。たしか、今をときめく高名な保守政治家もそうでしたよね。
 日本の土着の蝶は233種。ところが、中国の蝶は1300種もいる。日本の土着種すべてを採集した人はわずか1人だけ。中国となると、1300種を採集するのは、容易なことではない。
 日本に産する蝶のほとんどが中国に産する。というより、日本に産する蝶は、中国の蝶のほんの一部に過ぎず、日本は中国の出店でしかない。
 蝶は、見たら欲しくなる。コレクションとは所有欲の究極のもの。けっして癒えることのできない煩悩である。なーるほど、そういうことなんですね。実は、私もよその家にある見事な花や木を見ると、すぐに欲しくなります。かといって、ドロボーするつもりはありませんので、何とかして買い求めたいと思うのです。ところが、これが案に相違して、なかなか容易なことではありません。近くの花屋で売っているとは限りませんし、通販でも容易に手に入りません。
 著者は、1969年7月、イラクへ出張を命じられます。その2年間の出張中、ひまを見つけて蝶の採集にいそしむのですから、並の神経の持ち主ではありません。砂漠の国イラクにも蝶はいるのですね。もちろん、砂漠に蝶がすんでいるわけではありません。
 アゲハチョウは、特有のしっかりした方向性のある飛び方をする。モンシロチョウのような、チラチラと左右にゆれる飛び方はしない。
 蝶を探すときには、食草となるウマノスズクサ科の草を探せばいい。
 一般に、蝶は雌が羽化するころには雄が待っていて、すぐに交尾するもの。だから、自然の中を飛んでいる雌に未交尾雌はいない。ところが、現実には飛んできた雌が未交尾のことがあった。ふむふむ、そうなんですか・・・。
 普通のアゲハチョウは、飼育していると、1週間に1度くらいの割合で脱皮し、孵化後30〜40日で蛹になる。いやはや、じっくり飼育までして観察するのですね。
 すごい本です。世界のアゲハ蝶のいくつかがカラー写真つきで紹介されています。なるほど、なるほど、大のおとなを虜にしてしまう魅力があることがよく分かります。
(2008年2月刊。2800円+税)

2008年5月 9日

恐竜はなぜ鳥に進化したのか

著者:ピーター・D・ウォード、出版社:文藝春秋
 鳥類は、哺乳類に比べてずっとわずかな酸素しか必要としない。鳥類は、哺乳類にとっては命取りになる高度に存在できるだけでなく、酸素の乏しい空気のなかで飛べる。動物界で知られている限りもっとも極端な身体活動ができるというのは、まったく不思議としか言いようがない。
 この本は、恐竜の生き残りが鳥であるということを立証しようとした本です。私は、この本を読んで、ますます、なるほど、と思いました。
 酸素をつかって代謝という化学反応をおこなう酸素呼吸は、多くの細菌がとっている無酸素呼吸の10倍ものエネルギーを生み出す。複雑な生命は膨大なエネルギーを必要とする。そのためには簡単に獲得できる大量のエネルギーがいい。酸素を用いる代謝だけが、動物の生きていくのに十分なエネルギーを与えてくれる。静止しているときの鳥類の呼吸システムは、いかなる哺乳類の肺よりも、少なくとも33%は効率がいい。
 小型の恒温動物の心拍数は、驚くほど速く、1分間に100をゆうに超える。これは血液が全身にすみやかに循環することを可能にし、酸素濃度が低いときには利点になる。鳥類が、同程度の大きさのトカゲより高い場所で生活できる理由の一つは、これである。
 内温性は、大気中の低酸素に対する適応として始まったという俗説を著者は提唱しています。現生のワニ類の大多数は、すべて変温動物である。鳥類は温血である。恐竜も初期の鳥類も、すべて変温動物であり、鳥類の内温性は、おそらく白亜紀の最後まで出現しなかった。
 2億5000万年前から2億4500万年前までの500万年のあいだの三畳紀前期、酸素濃度は10〜15%という最低レベルにまで落ちていた。すべての動物にとって大変苛酷な環境である。しかし、苦難のときは、進化と新しい工夫のエンジンを始動させる最良の起爆剤でもある。長引く酸素危機にうまく対処できる呼吸システムを誇る新しい種類の動物が出現した。哺乳類と恐竜である。
 恐竜は、三畳紀の低酸素期、つまり酸素濃度が5億年のうち最低であった時期か、その直後に進化したもの。つまり、その体制は、低酸素に対する適応の結果なのである。
 恐竜の数が増え始め、大きさが増大するのもジュラ紀から白亜紀にかけてのこと。酸素濃度は上昇していった。
 竜盤類恐竜は、競争するうえで優れた呼吸システム、最初の気のうシステムをもっていたため、他のどんな陸生脊椎動物よりも低い絶滅率を保った。
 大型の竜盤類と小型の竜盤類が別々の道を歩み、小型の竜盤類が後に、酸素レベルが急激に下落したジュラ紀に内温性を進化させた。それが鳥類につながった。
 恐竜は6500万年前に完全に絶滅してしまった。
 いかなる哺乳類も、標高4200メートル以上では繁殖できない。この酸素レベルは、ジュラ紀初期の酸素レベルに対応する。6500万年から2億年の歳月をかけて胎盤方式を精緻なものにしあげた動物が哺乳類なのである。
 いやあ、わが家の庭に毎日やって来る可愛い小鳥たちの祖先が何億年ものあいだ地球上を支配していた巨大な恐竜だったとは驚きです。まさしく事実は小説より奇なりですね。
 朝6時ころ目を覚ますと、外でウグイスがホーホケキョと、澄んだ声で歌っていました。心の洗われる思いがしました。早くも駅舎のツバメの仔どもたちがエサをねだっているのを見ました。
(2008年2月刊。2238円+税)

2008年5月 2日

カカトアルキのなぞ

著者:東城幸治、出版社:新日本出版社
 2002年4月、昆虫類に新たな目(もく)が追加されました。
 昆虫類は、地球上の全生物種の半数を占めるほど種類が多いのですが、新目(もく)の発見となると、88年ぶりなので注目を集めました。
 昆虫類は、名前がつけられているものだけでも100万種ある。昆虫が誕生したのは4億年以上も昔のこと。
 新しい目であるカカトアルキを発見したのはドイツの大学院生ゾンプロ。4500万年前のバルト琥珀に閉じこめられている1体の昆虫化石を見て、知っているナナフシと違うことに気がついたのです。その次の問題は、生きた虫がいるのかどうか、です。
 アフリカに似たような昆虫がいるのを思い出し、探索の旅に出ます。そして、ついに南アフリカで発見しました。昆虫は、一般に足先の爪を地面につけて歩くのが基本だが、この昆虫は歩くときに全6脚とも、その足先をもち上げて歩く。つまり、人間でいうと、つま先をもちあげて、カカトだけで歩くようなもの。そこからカカトアルキと命名された。カカトアルキは肉食性の昆虫。たいへんな大食漢の昆虫だ。その姿・形は、バッタとカマキリに似ている。写真と図解で説明されています。
 カカトアルキの交尾時間は平均で3昼夜も続く。ペア状態を維持することで、メスにほかのオスと交尾させないというオス側の戦略と考えられている。ところが、長い時間の交尾が終わったあと、お腹をすかせたメスがカマキリのように一回り小さな体のオスを食べてしまうこともある。ひゃあ、まるでカマキリと同じです。オスって、哀れな存在なんですよね、トホホ・・・。
 カカトアルキは、獲物を素早く確実に捕らえるための俊敏な動きを保障するもの。足先は、キャッチャー・ミットのように大きくなっている。
 大自然の不思議です。種の多様性を保持することの必要性を実感させる本です。
(2007年11月刊。1400円+税)

2008年4月25日

先生、巨大コウモリが廊下を飛んでいます

著者:小林朋道、出版社:築地書館
 鳥取環境大学は5年前につくられた。学生数1200人。人と社会と自然の共生をめざす人材の育成が目標だ。そんな大学で学生を教えている著者による、大学周辺の環境と身近な動物たちとの楽しい格闘記です。豊かな自然に囲まれて、人間が自然の体系と調和しながら生きていくことの大切さを実感させてくれる素敵な大学だと思いました。
 タイトルは、大学の廊下をオヒキコウモリという珍しいコウモリが飛んでいるのを学生が発見したことによります。その事件で目覚めた著者は、近くの洞穴でキクガシラコウモリにも出会うことができました。
 自然界で、ある出来事が起こると、その出来事に関連した事象に対する脳の反応性が増大する。
 近くの森でヘビに出会い、ヘビの写真もとっています。子ヘビでした。その口の中に白い穴が見える。何か? 肺に通じる気管の入り口である。人間もふくめて他の動物では、ノドの奥に開いている気管入口が、ヘビでは口の中ほどに位置している。なぜか? それは、大きな獲物をゆっくり飲みこむとき、気管が塞がれて窒息することを避けるためだ。うむむ、なーるほど、そういうことだったのですか。それにしても奇妙な穴です。
 タヌキは、地面の餌を探しながら、いつも下ばかり向いて歩くので、前方の対象物に気づかないことが多い。そのときも、著者のすぐ近くに来るまで気がつかなかった。すぐ前で気がつき、著者と目が合うと、驚いて逃げていった。
 著者は小さな無人島に雌ジカが一人ぼっちで暮らしているのを発見します。愛着がわくと個別の名前をつけたくなる。それは、外部世界、とくに社会的な関係をしっかりと把握するための、人間万人に備わった脳の戦略だ。
 岡山県の山中でニホンザルの生態を調べていたとき、夕暮れどき山奥に帰っていくニホンザルを追いかけていた著者は、ホーッと出来るだけニホンザルの声に似せて鳴いてみた。すると、群れの前方を行く数匹のサルが声に答えて、ホーッと鳴いた。半信半疑でもう一回、鳴いてみた。同じように、また、鳴き返してくれた。サルも交信できるのですね。
 ドバトは、他の個体と一緒に群れをつくる特性を備えている。そこで、一人になるのは不安を感じる。著者に飼われていたドバトは、著者が見えないと不安そうにきょろきょろあたりを見まわし、見つけると急いで歩いてやってくる。ふむふむ、そうなんですか。
 ヤギは、社会的な順位を強く認識する動物である。なじみのない人に対しては、競争的、威圧的にふるまう。ところが、小さいころから親のように優しく厳しく接してきた著者に対しては、従順だった。ヤギの社会では、移動の際には、順位の高い個体から前を歩く。
 うひょう、そうなんですか、ちっとも知りませんでした。
 この本を読むと、動物を飼うことの大変さと素晴らしさを実感させてくれます。
 庭先のフェンスにからみついているクレマチスが花を咲かせてくれました。赤紫色の花です。ほかにも真紅の花や純白の花などが、これから咲いてくれるはずです。アスパラガスがやっと食べられそうなほどの太さになりました。早速、春の味をいただきました。このところ毎日タケノコを美味しくいただいています。きのう、誰かがコラムに子どものころ毎日毎日タケノコを食べていて、竹になってしまいそうと悲鳴をあげていたと書いていました。味噌煮のタケノコは鶏肉なんかとよく合いますよね。春らしい味です。
(2007年3月刊。1600円+税)

2008年3月31日

犬たちがくれた音

著者:高橋うらら、出版社:金の星社
 聴導犬誕生物語、というサブ・タイトルのついた本です。現在、日本で認定されている聴導犬は10頭あまり。
 補助犬には、盲導犬、聴導犬、介助犬の三つの種類がある。
 アーク(アニマルレフェージ関西)は大阪府の山の中にある。阪神大震災のあと、1年間で600頭の動物を預かった。たとえ雨の日でも、一人一日20頭の犬を散歩させる。
 聴導犬に向いているか、いくつかのチェックポイントがある。犬が、もし、おなかを上に向けたままだっこされたり、足をさわられたりしても怒らなければ、それは人間になついて、リラックスしている証拠だ。おもちゃを取りあげられて怒る犬は不向き。なんでも自分だけのものにしたがる犬は、聴導犬の仕事に集中できない。
 このテストに合格できる犬は、300頭に1頭ほど。
 盲導犬の場合は、子犬育てのボランティアをパピー・ウォーカー(子犬と一緒に歩く人)と呼ぶ。 聴導犬についてはソーシャライザー(人間の社会にあうように育てる人)と言う。
 ソーシャライザーになる条件は、1日3時間以上、犬を一人きりにしない、室内で犬を飼えること、ほかの犬を飼っていないこと、月1回のパピー・クラスに参加できること、協会の方針に従えること、人間の子どもを育てるように、甘やかさず、愛情をもって育てられること、があげられる。
 ソーシャライザーは、預かった犬に愛情をたっぷり与え、家族の一員としてかわいがる。人と一緒に暮らしたり、人のために働くことが好きになるようにする。
 犬の育て方の基本は、犬を決して叱らず、どんどんほめて、ものを覚えさせる。
 ソーシャライザーは、やさしい言葉をかけながら子犬の相手をし、子犬がいいことをしたら、それをほめて、やる気を出させる。
 しかし、犬をいつもかまっていると、犬は相手をしてもらえないとすねるようになる。そのため、わざと短い時間だけでも、犬を無視する時間をつくる。かまってやるときは、思いきりかまってやる。すると、少しの間待つように言われても、犬は安心してじっとしていられるようになる。
 トレーニングは犬が集中できる短い時間(せいぜい15分間)だけ行い、楽しい気分で終わらせることが大切。犬がトレーニングは楽しいものだと思えば、次も喜んで人の言うことを聞こうとする。犬は、もともと人にほめられるのが大好きなのである。
 生まれて1年のあいだに、犬は人間でいうと17〜20歳に育ってしまい、性格もどんどん変わっていく。聴導犬として育てる犬には、人と同じものは食べさせない。レストランで料理をほしがったりしては困るから。犬がいたずらして困ったときには、さわがないで無視し、かまわない。騒ぐと喜んでくれたと犬は勘違いしてしまう。
 ソーシャライザーは、育てる子犬を数ヶ月ごとにほかのソーシャライザーと取り換える。これは、さまざまな環境で育つようにするため。なーるほど、ですね。
 犬のことがよく分かる本でした。といっても、犬も人間も変わらないところがあるんだなと、つい思ってしまいました。
(2007年12月刊。1300円+税)

2008年3月14日

フクロウ

著者:石川 勉ほか、出版社:文一総合出版
 フクロウの生態を紹介する素敵な写真集です。
 フクロウは、メンフクロウとフクロウの2科からなる。
 最小のフクロウは、中南米にすむコスズメフクロウで、前身12センチ、重さ40グラム以下。最大のフクロウは、ワシミミズクなどで前身70センチ、体重も4キロをこえ、翼を広げると2メートル近い。
 フクロウの耳は、左右の穴の高さと向きが非対称のため、音源から左右の耳までの距離に差が生じ、両耳に達する音の時間差と音圧の差から音源を立体的に突き止めることができる。
 フクロウは森の忍者と言われるほど、音もなく飛ぶことができる。それは、身軽な体重であるうえ、幅広く丸みのある翼と体の羽毛には表面に細かく柔らかい毛が生えており、初列風切の外側がギザギザと鋸歯状に発達していて、飛行中に音がしないことによる。新幹線のパンタグラフや風力発電は、この構造をヒントに開発されていて、すぐれた消音効果を発揮している。
 フクロウの平均寿命は8年で、3〜4年目に初めて繁殖し、その後5年くらい繁殖を続ける。しかし、20年以上も生きる個体もいる。
 フクロウは、通常は一夫一婦で、つがいが分かれる割合は低く、どちらか死なない限り生涯、つれ添う。
 実は動物園でしかフクロウを見た覚えはありません。フクロウって、あまり身近な動物ではありませんが、なんとなくユーモラスな顔つきに魅かれてしまいます。
(2007年11月刊。1600円+税)

2008年2月18日

犬の科学

著者:スティーブン・ブディアンスキー、出版社:築地書館
 アメリカの犬は人間への咬みつき事故を年間100万件以上おこす。その被害者の多くは子どもで、年に12件は人が死んでいる。保険会社は犬による傷害事件で年に2億5000万ドルを支払っており、傷害保険費用の総額は10億ドルをこす。
 犬は、体重あたり人間の2倍の食糧を消費する。アメリカにいる1500万頭の犬は、ロサンゼルスの全人口と同じ量の食料を消費し、その費用は年に50億ドルをこえる。獣医にかかる費用が年に70億ドル。アメリカの公園や街路で回収される犬の糞は年に  200万トン。
 狼は犬ではない。原始犬の体型が化石となって残るよりはるか以前に、犬は狼から分かれて犬になっていた。犬は、狼より人間と親しくなった。犬の出現は、広く信じられている以上に古い出来事だった。
 300をこす現代犬の犬種は、過去2世紀内の、ごく最近に登場した。1870年にケネル・クラスが設立され、80種の犬を分類して登録した。
 化石によると、犬の体型の変化は、1万4000年前に始まった。
 犬の遺伝子プールは、何万年もの進化の過程で、世界中でよく混ぜあわされ、均質な大海のようなものになっている。
 犬は成犬でも子どもっぽく見える行動をする。犬はエサをねだり、子犬のような格好の服従姿勢を示し、必要もないのに吠えるし、大きくなっても遊び好きだ。野生狼にみられる狩猟行動のパターンを明らかに失っている。犬は、成長することのない子狼のようなものだ。
 狼たちも犬たちも、すべて出世主義者である。目上の者の弱み、躊躇、自信喪失の徴候をうかがっている。
 狼の群れの移動は、しばしば、リーダーに無条件に従うのではなく、多数決で決める。
 狼のアルファ雄とアルファ雌は、ふつう後肢を上げて排尿する。群れのほかのメンバーは、しゃがんで用を足す。
 犬には、広い場所をきれいにしておく本能がないだけではなく、反対に、すみかの周辺をくまなく糞や尿でマークしたくなる衝動がある。
 生後14週まで、まったく人間と接触しなかった子犬は、強い恐怖感を示し、床に静かに腰をおろしている人間に決して接触しようとはしなかった。
 子犬には、3週齢から12週齢の間の臨界期がある。子犬が人間を何とも思わず、恐れないようになるのは、生後3週間目に人間と接触するのが好ましく、いくら遅くとも7週目までのこと。
 子犬を6週齢で母犬や兄弟姉妹の犬と引き離すと、その後の健康にも、社会化にも悪影響がある。6週齢で子犬を新しい家庭に移すと、12週齢のときより強い不安感を示し、食欲も病気に対する抵抗力も低下する。子犬は生後2ヶ月間で、社会規範について決定的に重要な知識を獲得する。
 犬は、あらゆる点で狼と同じくらい利口だし、チンパンジーにも匹敵する。
 しかし、犬の脳は狼より25%は小さい。犬を訓練するのにエサを与える必要はない。実は、労働それ自体が犬にとっての喜びなのだ。犬にとって最高の報酬のひとつは、社会的に優位に立つ者とのきずなが強まること。自分をあるがままに受けいれてもらえること。
 なーるほど、なるほど、よく分かりました。
 犬が思考し、感情をもっていること、まわりの人や生き物の行動に絶えず気を配っていることは、まぎれもない事実である。
 アメリカでは、年に1500万頭の犬が収容所に送られるが、獣医師によって安楽死させられる。たいていは攻撃行動が原因であり、飼い主は犬に裏切られたのだ。
 飼い主が神経症の場合は、犬が問題行動を起こす割合が高い。
 ひとたび犬が自分をお山の大将だと確信すると、誰かがその権利を剥奪しようとしたとき、犬は真剣に反撃する。犬は、自分より優位にあると感じた相手からの攻撃に対して、いっそう攻撃的な反応を示すことも、またおびえることも、絶対にない。そんなときには、犬はひたすら服従的な態度を示す。
 犬が人間なら、ただの間抜けだ。犬は犬だからすばらしい。そのことを直視しよう。うーん、納得です。犬について、科学的に知ることができました。
(2004年2月刊。2400円+税)

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