弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

生物

2010年5月31日

我が家にミツバチがやって来た

著者  久志 富士男   、 高文研 出版 
 
 とても面白くて、次の裁判を待つあいだに読みはじめたのですが、その裁判を延期にしてもらって読みふけりたい気分になったほどでした。
 なぜって、たとえばミツバチたちがヒマになったら、押しくらまんじゅうをしたり、隠れんぼをして遊ぶというんですよ。これにはさすがの私も驚きましたね。カラスがすべり台ですべって遊ぶというのは知っていましたが、ミツバチも遊ぶんですよ・・・・。
ニホンミツバチは不快なことがあると近くの人間に当たり散らす。たとえば、顔に体当たりする。また、砂糖水はまずいので、最後の非常食としてしか利用しない。なんていう話が満載なんです。セイヨウミツバチではなく、ニホンミツバチの話です。野生のミツバチたちのたくましさには、感嘆してしまいます。
これまでの蜂の巣からさる(分蜂)かどうかは、外勤蜂の過半数の意向で決まる。女王蜂が決めるわけではない。そして、個々のハチは行くのか残るのか、自分の意思で決めている。一度は出ると決めても、あとでやっぱり残ると思い直して戻ってくるハチもいる。うへーっ、これって、いかにも人間的ですね・・・・。
 最近では、田園地帯ではハチは生息できなくなっている。農薬のせいである。稲田や果樹園、それにゴルフ場の近くは避けなければいけない。大規模農場だと、100メートルくらい離れていても、ハチは1年以内に死滅する。
 風下で突然に農薬に襲われると、ハチたちは巣門に出て必死に扇いで農薬を押し返そうとがんばるが、力尽き、巣箱の内外でもがきながら次々に死んでいく。
巣の中にいる雄バチを居候として捕まえて殺すと、働き蜂の機嫌が悪くなり、そのあと人を警戒するようになる。ニホンミツバチは全体の繁殖を考えると、オス蜂も大事にすべきだ。
セイタカアワダチソウは年に2回、花を咲かせ、ミツバチに多大の貢献をしている。
 ミツバチはミツを取られても怒らないが、子どもを傷められると怒る。
人に慣れていても怒る。ミツは切り傷や火傷にすごく効く。外勤ハチは仕事がなくなると、お互いにダニ取りの羽づくろいをしたり、昆虫のくせに押しくらまんじゅうや隠れん坊をして遊ぶようになる。
 近くに強い勢力のハチ集団がいると、力の弱いハチ集団は、そのうちに戦い疲れて防戦しなくなり、女王蜂が殺され、自分たちは相手方に合流してしまう。
 雑木がなくなるとニホンミツバチは死滅し、ニホンミツバチが消滅すると農業は衰退する。この連鎖が見えないまま針葉樹の造林がすすめられてきた。
 ニホンミツバチは力ずくで従わせることはできない。本来は臆病な生き物である。とくに人が近くにいると、警戒を怠らない。ニホンミツバチと付き合うには、優しく接することである。そうすると、必ず信頼関係が生まれてくる。ニホンミツバチに近づくときには、挨拶を忘れてはいけない。
人間が巣箱の存在を忘れていても、ハチはいつも人間の存在を意識している。ときどき、指を番兵ハチに近づけたり、番兵ハチの脇腹をくすぐったりのスキンシップをしてやる。
ハチの羽音は、常に、そのときの気持ちを表現している。羽音が聞こえるときは、ハチは何かを言っている。繁殖期は、うれしいのか、羽音は朗らかで、温和だ。花蜜が豊富なとき、ミツが十分に貯まっているときも同じだ。
女王蜂が老齢で産卵が停止されると、王国に存亡の危機が迫り、どんな群れも荒くなる。これは女王が3年目に入る前後に起こりがちである。
ニホンミツバチは、オオスズメバチに襲われると、人に助けを求める。子どもがシクシク泣くような、か細い羽音で人の胸元をジグザグに飛んだり、人に止まったりする。「あいつらを追っ払ってください」と言っているようである。ま、まさか・・・・と思いました。
ニホンミツバチは、ミツの味がセイヨウミツバチと比べものにならないほど良い。ニホンミツバチは病気にかからず、ダニにもやられない。放任しても
元気に育つ。
 いやはや、もとは高校で英語の教師だった人のニホンミツバチを飼った体験にもとづく面白い本です。一読をおすすめします。
(2010年4月刊。2000円+税)

2010年5月17日

みんなが知りたいペンギンの秘密

著者:細川博昭、出版社:サイエンス・アイ新書

 日本人は、世界でいちばんペンギン好きな国民として知られている。
 そうですね。私も、ペンギン大好き人間の一人です。旭山動物園のペンギンにもご対面してきました。もっとも、有名な冬のお散歩を見たわけではありません。
 それに南極大陸での皇帝ペンギンたちの冬の子育ての模様を映画で見て、そのすさまじさに感嘆・感動してしまいました。子育てというのは、これほど生命(いのち)がけの営みなんだと、つくづく自分のしたことを反省させられました。いえいえ、子育てに手を抜いたつもりはありません。ただ、もっともっと真剣に関わるべきだったと思ったということです。
 ペンギンが、ほかのどんな鳥よりもまっすぐ身を起こした体型になったのは、海の生活に適応した結果である。陸上で生活するために、あの印象的なスタイルになったわけではない。
 ペンギンは足の位置を移動させた。尾に近いからだの後方へと足が移動したことで、ペンギンはより水の抵抗の少ない、効率的な泳ぎができるようになった。
空を飛ぶ必要のなくなったペンギンは、軽い骨である必要がなくなった。逆に、海に潜るためには重いからだのほうが有利である。そのため、ペンギンの骨は、密度が高く、重たいものになった。
 ペンギンは、消化を助ける目的のほか、効率の良い潜水ができるように体重を増やす意図から、小石を飲み込んでいる。
 ペンギンは南半球にしかいない。赤道をこえて北半球に行こうとすると、30度をこえる海水の中を長時間、泳ぎ続けなければならなくなる。それは、ペンギンにとって致命的なこと。冷たい海につかって熱を逃がすことでペンギンは体温管理をしている。それが出来なくなってしまう。
 ペンギンは一夫一婦制。オスは、前の年にカップルになり、うまく子育てが出来たメスの帰りを待つ。しかし、オスが待つのは1日だけ。丸一日たっても意中のメスが戻ってこないときには、別の身近なメスを選んで繁殖行為に入る。そうしないと、ヒナをうまく育て巣立たせることができなくなるから。ところが、遅れていた前年のつがいのメスが到着したとたん、オスは、そのメスに駆け戻って、なにごともなかったように交尾を始めるのだ。うむむ、なんということでしょう・・・。
 ペンギンでは、結婚相手を決めるのはオス。メスが協力しないと交尾は成功しない。すべてはメスにゆだねられている。だから、オスは自己PRにつとめる。それを見たメスが、このオスは自分にふさわしいと思ったら、カップルは成立する。2羽はお互いの存在を認めあうかのように向きあってディスプレイを始める。互いのおじぎから始まり、ともに空を見上げて鳴き交わしたり、クチバシを触れあわせたりしながら、それぞれの種ごとに一定の動きを繰り返す。これを相互ディスプレイと呼ぶ。
 事前のディスプレイに熱が入る反面、交尾自体はきわめて短時間に終わる。
 ペンギンは海中で20分以上も息を止めることができるし、最深潜水記録は564メートルである。
 ペンギンは2~5週間も絶食できる。最長はエンペラーペンギンのオスで、3~4ヶ月も絶食し、体重は30~40%も減ってしまう。
 ペンギンは親子、夫婦を音声、顔つき、クチバシのプレートの色や様子、斑紋やからだをおおう羽毛の微妙な違い、挙動にあらわれる個性などもふくめて、さまざまな条件を統合して認知・識別している可能性がある。
 ペンギンのことを深く知ることのできる、面白い本でした。
(2009年11月刊。952円+税)

 久しぶりに日比谷公園を歩きました。新緑のみずみずしさが目に映えて、まばゆいほどです。銀杏の大木はすっかり裸になっていて、梅の実が葉の影にたくさんなっていました。池の周りにはキショウブが花盛りです。
 澄み切った青空なのですが、風が冷たいのです。3月の肌寒さを感じるほどで、良く見ると薄でのコートを着て歩いている人すらいました。
 皇居前広場には今日もホームレスらしき人々があちこち点在して、寝転がっています。日比谷公園の出入り口には、徳之島にアメリカ軍基地不要、と書いたゼッケン、黄色シャツの人々が集まっています。
 私がよく利用する喫茶店に政府(厚労省)参与に再び就任した湯浅誠さんが、いつもの軽装で一人あらわれて食事をとっています。政治の大激動を見れる幸運な時期を生きていると実感します。

2010年5月10日

ホソカタムシの誘惑

著者 青木 淳一、 出版 東海大学出版会

 70歳で無職となって昆虫少年に戻った著者の、心躍る採集日記です。読んでる方まで楽しくなります。虫とりカゴを持って野山を駆ける昆虫少年を思い浮かべました。
 ホソカタムシは、大きさが5ミリほどしかない小さな昆虫です。しかも、地味な色合いをしていて、動きも緩慢なので、野外で見つけるのは難しい昆虫です。しかし、昆虫少年たちはそれを難なく見つけます。そこはもう、意気込みが違うのですよ……。
 ホソカタムシは生きている樹木にはおらず、枯れ木に住みついている。枯れ木の菌類か甲虫の幼虫を食べる。生きた樹木は食べないので、害虫にはならない。
 身体はガッチリと固く、光沢はなくても複雑な彫刻が施されていて、触角の先が玉になって膨らんでいて、身体は細く、両側が平行な虫である。
 ホソカタムシは、人間に見つかっても、あわてず騒がず、ゆっくりのっそりと落ち着いて、マイペースで歩いていく。その動きは、まことに優雅で気品に満ちている。
 この本には、ホソカタムシの写真と著者自身のペンで描いた精密画の2つで紹介されていますから、その生態がよく分かります。とりわけ、生態画のほうは、いかにも昆虫少年らしく丹念にペンで描かれていて、ほとほと感心・感嘆します。
 著者はホソカタムシを求めて、熊本、徳之島、石垣島、北大東島、種子島、そして小笠原諸島まではるばると出かけます。沖縄ではハブの出現を心配しながら森の中へ分け入っていくのです。いやはや、さすがに昆虫少年の心を持っていないとできませんね、こんなことは……。
ただ、その地で夜は美味しい料理を食べて、お酒を飲むわけですから、本当に豊かな老後を過ごしておられると、羨ましく思ったものでした。
 細密画の中では、ノコギリホソカタムシが印象に残りました。ギザギザ、コブコブの突起物に覆われた姿は、アニメ漫画に出てくる怪獣のようだと紹介されていますが、まったくそのとおりです。
 東北以南の日本全国どこにでもいるホソカタムシです。でも、これも3~5ミリと小さいので、目立たないんですよね。
 大変な貴重な労作だと思いました。

(2009年2月刊。1600円+税)

 いま、我が家の庭はアイリス、ジャーマンアイリス、ショウブ、アヤメの花盛りです。みんな背が高く、姿も形もとりどり艶やかなので、まさに花園です。アイリスは黄色、ショウブはキショウブ、アヤメは薄紫色です。そしてジャーマンアイリスは青紫色が多いのですが、濃茶色の花のほか純白の花もあります。華麗で会って清楚なたたずまいの真っ白さに、えもいわれぬ気高さを感じます。
 私の個人ブログに花園を公開中です。一度ぜひご覧ください。

2010年4月26日

外来生物クライシス

著者:松井正文、出版社:小学館新書

 世界中の生き物たちが、本来の生息地を離れて世界各地に拡散しています。外来生物と呼ばれるこれらの生き物たちは、当然ながら日本にも押し寄せ、私たちを取り囲む環境に入り込んでいるのです。
 日本には、2239種の外来生物が定着している。そのうち動物については633の外来種の定着が認められている。
 京都の鴨川にはオオサンショウウオがいるが、チュウゴクオオサンショウウオが入り込んでいる。オオサンショウウオの寿命は長く100歳に達する個体もいる。2008年9月の時点の分析によると、111匹のうち中国型が13%、雑種が44%となっていた。幼生の71%が雑種だった。
 中国ではチュウゴクオオサンショウウオは珍味として異常な高値で取引されている。そこで日本にも食用に輸入された。その子孫が鴨川に存在するらしい。
 外来種のタイワンザルは、姿がニホンザルと見分けにくい。ただ、尻尾が40センチと、ニホンザルの尾が10センチ程度と短いのに比べて、ずっと長い。この2種の交雑が急速に広がっている。
 日本のメダカが減少している。それに似ているのがカダヤシ(蚊絶やし)。いずれも3センチほどで、見分けるのは容易ではない。
 メダカが減っているのをカダヤシのせいにすることはできない。メダカの棲めない環境が急速に増えていること、それによってメダカの繁殖能力が落ちていることが根本的な原因である。日本各地にメダカを戻したいのなら、カダヤシを駆除するだけでなく、田園環境や、小川のあった自然を復元し、メダカの棲みやすい環境を取り戻す必要がある。
 ミツバチを受粉に利用している園芸農家は日本全国で1万ヘクタール。女王蜂の輸入がストップすると、すぐに国内の果物や野菜生産に多大な影響が生じる。国内自給率40%を切っている日本の農業のもう一つの危うい姿である。
 2008年、働き蜂の突然の大量死によって、1割ないし2割もミツバチが減った。
 アメリカでは、2005年ころから、ミツバチの4分の1が死滅した。
 アルゼンチンのミツバチには凶暴なアフリカ系ミツバチの遺伝子が拡散している。欧州系ミツバチに比べて攻撃性が強く、長時間にわたって攻撃するため人や家畜を死に至らしめることがある。
 セイヨウオオマルハナバチは、あまりにも強い繁殖力をもっている。そして、花の外側に穴を開けて吸うため、日本固有の植物の繁殖を妨げる心配がある。
 なるほど、外来種が入りこんできたって、種が多様化するだけじゃないの、なんて気楽なことは言っておれないようです。人間と違って、混血(ハーフ)というのはいいことだけではないのですね・・・。
(2009年12月刊。740円+税)

2010年4月12日

象虫

著者 小檜山 賢二、 出版 出版芸術社

 コクゾウムシ。幼いころはコクンゾムシと呼んでいました。米びつにわく小さな虫です。つまんで外に捨てていました。今は昔の話です。
 ゾウムシは、このコクゾウムシの一つです。すごい写真集です。圧倒されます。体長3~6ミリの小さなゾウムシなのですが、それをくっきり鮮明なまま、超拡大写真で見せてくれます。怪獣です。それも、想像を絶する怪獣たちのオンパレードです。ヘンテコリンな顔や形。鼻も目も不気味な形をしています。色は怪しげに光り輝いています。
ゾウムシは世界に6万種いる。恐らく20万種はいるだろう。日本では1300種が確認されている。日本の蝶が200種なのに比べて、いかにゾウムシの種類が多いか分かる。ゾウムシは生物界でもっとも種数の多いグループなのである。
 ゾウムシは1億年1上の年月にわたって命をつないで進化してきた、進化のトップランナーである。ゾウムシのキーワードは、多様性。色、形、大きさ、ともに多様性に富んでいる。ゾウムシは高度に進化した昆虫なのである。
 この写真集を見れば、まさしくそのことが実感としてよく分かります。
長い鼻を持っているように見えるが、実は鼻ではなく、口。口吻(こうふん)という。
 ゾウムシの仲間は飛ぶことが苦手だ。飛ぶことをあきらめて、身体を鎧で固めたのが、カタゾウムシである。
 大部分のゾウムシは、死んだふりをして敵をやり過ごそうとする。
 擬死は、あくまで死んだふりである。地上に落ち、やがて動き出して逃走する。
 まず、カブトムシとかクワガタムシを想像して下さい。そして、派手な色をその体にペインティングします。さらに鼻(口吻)を長く伸ばします。眼はトンボやハエのような複眼です。背中はカミキリムシのようなスッキリしたものもあれば、毛がふさふさ生えているものもあります。その部分を拡大した写真があります。色つき真珠を背中にちりばめたような情景です。
 いやあ、この世にはこんな生きものが無数にうごめいているのですよね。生命の神秘をひしひしと実感させてくれる、素晴らしい写真集です。
(2009年7月刊。2500円+税)

 玄関脇に赤いチューリップが10本咲いています。一番遅いグループです。夜帰ったときは静かに迎えてくれますし、朝出かける時には元気ハツラツで行ってらっしゃいと見送ってくれます。奥の方には黒いチューリップも咲いています。真っ黒ではありませんが、かなり黒っぽいのです。アレクサンドルの小説「黒いチューリップ」を思い出します。
 昔、オランダというかヨーロッパでチューリップの球根が投機の対象となったことがありました。
 アイリスがたくさん咲いています。甘い芳香を漂わせるフリージアのほか、イキシアやシラーも咲いています。春の花園に入ると、身も心も軽く、浮かれてしまいそうです。

2010年4月 5日

森の奥の動物たち

著者  鈴木 直樹 、 出版 角川学芸出版

 ロボットカメラを日本の森に仕掛けて撮った夜の動物たちの素顔です。よくぞ撮れたと思うほど、くっきり鮮明な写真のオンパレードです。お疲れ様でした。
 自分の匂いを消し、木々のあいだに姿を消すことに関してはジャングルで修練を積んだ。ジャングルに適応すると、人間を遠くからでも感知できるようになる。現代人が近づいてくると、足音がする前に、地面がわずかに振動をはじめる。続いて足音と話し声。そして極めつけは匂いである。姿を見せる前に、猛烈な文明人の匂いが雲のように押し寄せる。シャンプー、香水、ビール、肉の脂などの匂いが合わさって、波のように押し寄せてくる。これでは動物に見つからないわけはない。ましてや、人間より嗅覚も聴覚も鋭い動物たちは、これらが千倍もの強さの五感への雑音として伝わるであろう。
 うへーっ、す、すごいことですね。著者は森の奥へ、それも夜の森の中へ入ろうというのですから、とても私にはできません。そして、雪山用の迷彩服というのはドイツ軍製のものが一番実用的なようですね・・・・。
 ロボットカメラといっても、写真に紹介されているのは、とても小さくて、えええっ、こんなものでちゃんと取れるのかしらん、と思ったほどです。
一日中、森の中をはいまわってロボットカメラを設置した夜、遠くの山並みをみわたしながら、こちらの山脈で一つ、向こう側の森の奥で二つと、ストロボで梢がかすかに光るのを確認するのは、苦労が報われる幸せのひとつでもあった。
 いやはや、お疲れさま、としか言いようがありません。でも、その苦労のおかげで、こんなにくっきり、すっきりと鮮明な写真が拝めるのですから、ありがたいことです。
 登場するのは、テン、タヌキ、リス、ネズミそしてモグラとハクビジンまで姿をあらわします。みんな可愛いです。
 夜の森では何が起きているのか、自分で行く勇気まではないけれど、知りたいという人には、うってつけの写真集です。ぜひ、手にとって見てみてください。でも、同じように夜のゾウを撮影しようと思っても、なかなかうまくはいかなかったようです。それでも成功したと言えるのでしょうか。ゾウが侵入者(ロボットカメラ)に怒って、あの巨体で踏みつぶしてしまったというのですから。
ゾウの怒る気持は分かりますが、人間としては、ぜひ知りたいところではあるんですよね。殺すわけではありませんから・・・。ゾウさん、許してね。

(2009年7月刊。2800円+税)

 阿蘇の猿まわし劇場に久しぶりに立ち寄りました。春休みとはいえ、平日午後だからやってるのかしらん、やってても閑散としているだろうなと心配していましたが、駐車場にはなんと大型の観光バスが何台も停まっています。会場に入ると、そこそこの観客がいました。演じてくれるお猿さんは、2頭です。6歳と9歳のオス猿君たちでした。猿の年齢は3倍すると人間の年齢になるそうですから、青壮年の猿君です。
 2本足ですっくと立ち、ポーズをとる様は、誇りをもって演じていることがうかがえます。
 いろんな芸ができるので、感心、感嘆して見とれていると、40分があっという間にすぎてしまいました。私が何より感心したのは、天井まで届きそうな2本の竹竿を床から一人で立ち上げて。それを竹馬として舞台を上手に歩き回ったことです。すごくバランスを取るのが上手なのに感動してしまいました。
 大勢いた観客は、実は韓国人でした。そのなかの一人が、ビデオ撮影禁止という提示があるのを無視して舞台近くまで迫って撮影していたので、さすがに係員から制止されていました。でも、その後も動きまわることは少なくなりましたが、撮影自体は最後まで止めませんでした。こんなに面白いものなので、家に帰って家族に見せてやりたいと思ったのでしょう。その気持ちは分かりますが、それにしても、ちょっと目ざわりではありました。おばちゃんにはかないません。

2010年3月28日

道具を使うサル

著者 入來 篤史、 出版 医学書院

 ニホンザルも道具を使うことを初めて知りました。宮崎・幸島のサルたちが海辺でイモの泥を洗い落して食べると言うのは知っていましたが、道具も使えるのですね……。
 サルは訓練すると、熊手を使えるようになるし、モニターも使うことができる。しかし、何のしかけもない状態では、それをあえてしようとはしない。
 道具使用を訓練されたサルたちは、実験を心地よく楽しんでいる様子であった。朝、ケージの扉を開けると、自ら進んで飛び出してきて、モンキーチェアに座りこみ、実験を催促するかのように手でテーブルをたたいた。速く実験が終わると、もう戻らなければいけないのかという態度で、戻るのを嫌がることさえあった。
 サルは、比較的容易に、まず短い道具を使って長い道具を取り、次に長い道具に持ち替えて餌をとると言う二段階の道具使用行動を行うことができた。
 子どものサルは好奇心が強くて、珍しいことによく興味を示して試みてくれる。
 仔ザルには、もうひとつ、よく「鳴く」というきわだった特徴がある。仔ザルは、とにかくよく声を出している。鳴くと言うより、そばにいる人間がしゃべっているのといっしょになって、自分もしゃべっているつもりになっていると思えることがある。ところが、大人のサルになると、威嚇するときやおびえたとき以外は、ほとんど声を出すことがない。
 サルが餌を要求しているときと、道具を要求しているときのソナグラム(音声)が異なっている。
 サルも人間も、かなり共通するところが大きいことが良く分かります。サルまねなんて、バカにしてはいけませんね。
 
(2004年7月刊。3000円+税)

2010年3月23日

ライオンのクリスチャン

著者 アンソニー・バーグ、ジョン・レンダル、 出版 早川書房

 ユーチューブでライオンと若者たちの感動の再会シーンが話題になったことから、古い本が再生したのです。ともかく、感動の本でした。ライオンの子どもの頭の良さに感心しているうちに、1時間足らずの電車があっという間に目的地についてしまっていました。まさしく至福のときに浸って、時のたつのを忘れていたのです。
 オーストラリアの若者たちがイギリスに旅して、ロンドンのデパートで買ったライオンの子を育てたあげく、アフリカの地へ連れて行って野生へ戻すという話です。といっても、話は40年前のこと。この若者たちは、私と同じ団塊世代です。ロンドンのデパート(ハロッズ)でライオンの子が売られていた、それを20代の青年が買い受けてロンドン市内の住宅街で育てたなんて、とんでもないことですよね。今では考えられないことでしょう……。
 映画『野生のエルザ』を見た記憶はないのですが、本のほうは読んで感動したことをしっかり覚えています。それにしても、ロンドンのデパートって、ライオンの子どもまで売っていたんですね。信じられません。それって、はっきり言って怖いことですよね。
 売られていたライオンの子どもは、生後4カ月でした。若者たちが飼う(買う)ことを決意したのは、周囲の人たちが皆、反対したからだったというのは、笑わせます。親から結婚に反対されると、無謀にも駆け落ちするようなものですよね。
 生後4カ月で、体長は60センチ、体重も15キロしかありませんでした。
 ライオンはネコほど冷めた感じではなく、むしろイヌのように愛想よかった。だっこされたり、抱き締められたりするのが大好きで、そのたびにヒトの首に前足を巻き付け、舌で顔を舐めてくる。性格も明るく、穏やかだった。ライオンサイズのトイレを置いた。それを汚くするたびに注意すると、そのうちにきちんと使えるようになった。自分の名前もすぐに覚え、やってはいけないことも、すぐに理解した。
 どんどん大きくなって、体力的にヒトより強くなったが、それを意識させないように努めた。
 ライオンの子は、人間に従属しているという素振りは一切見せなかった。
 ライオンは、ほかの動物よりも人間とうまくコミュニケーションをとることができる。何かにつまずいたりして気まり悪いときには、何もなかったふりをしてごまかす。
 ライオンは大家族の群れで暮らすため、とても社交的な動物である。
 人間にちょっかいを出すのが大好きで、見知らぬ人がどんなリアクションをするか、いつも試していた。ある人が動物を苦手にしているかどうかはすぐに分かり、それを逆手にとってイタズラを仕掛けた。
 ライオンは口を使ってコミュニケーションをとる。ヒトの顔を舐めて愛情を表現した。
 ライオンは不機嫌なときはすぐに態度に現れる。歯をむき出しにしたり、爪を立てたりして、とても危険である。
 生後8カ月になったときには、体重60キロあった。
 ライオンは動物園で暮らすと、平均18~20年は生きる。ところが、野生では12~15年に縮まる。それだけ、自然界は厳しい。
 ライオンの子どもを僅かな間ですが育てて、アフリカの地の野生に放したあと、再会して旧交をあたためた実話です。たくさんの写真がほのぼのとした雰囲気をよく伝えてくれます。
 それにしても、アフリカの大草原で、昔馴染みとはいえ、ライオンと人間が久しぶりに再会して抱き合ったというんですよ。もちろん、人間は丸腰です。大人のライオンに顔中を舐めまわされるなんて、どうでしょうか。私には、とてもそんな勇気はありません。一度、ユーチューブで動く映像を見たいと思いました。
 
(2009年12月刊。1400円+税)

 日曜日の朝、おだやかな春の日差しを浴びて、チューリップがそれはそれはみずみずしく輝いていました。そっと近付いてカメラを構えます。私のブログに写真をアップしていますので、ぜひのぞいてみてください。春はやっぱりチューリップです。数えたら180本咲いていました。まだまだ全開ではありません。もう少しです。

2010年3月15日

カリブー、極北の旅人

著者 星野 道夫、 出版 新潮社

 すごいです、すごい写真のオンパレードです。大平原を1万頭のカリブーが埋め尽くして疾走するのです。それが写真集として気楽に眺められるのです。
 動物写真家として著名だった著者は、惜しくも1996年8月にカムチャッカ半島で取材中にヒグマに襲われて亡くなりました。
 私のテントの周りは一面、極地の花が咲き乱れていた。
 そこへ1万頭に近いカリブーの群れがやってきたのは、夜だった。
 無数の足音が和音となって、何時間もあたりに響き続けていた。
 朝になってびっくりしてしまった。見渡す限りの花が、ほとんど食べつくされているのである。花が消えてしまった寂しさ以上に、私は感動していた。
 雄大な写真の合間に、著者の言葉が書き連ねられています。これまた味わい深い詩としか言いようがありません。
 そして、カリブーの子育てが、実は大変な難事業であることも知らされます。無事に育つ子は半分にも満たないようです。
 頬を撫でる極北の風の感触、夏のツンドラの甘い匂い、白夜の淡い光、見過ごしそうな小さなワスレナグサのたたずまい…。
 ふと立ち止まり、少し気持ちをこめて、五感の記憶の中にそんな風景を残してゆきたい。
 なにも生み出すことのない、ただ流れてゆく時を、大切にしたい。
 あわただしい人間の日々の営みと並行して、もうひとつの時間が流れていることを、いつも心のどこかで感じていたい。
 上空から大草原を駆け抜けるカリブーの大軍を撮った写真があります。画面いっぱいに広がるカリブーの姿は、まるで地を這うアリの大群です。
 生命とは一体どこからやってきて、どこへ行ってしまうものなのか。あらゆる生命は、目に見えぬ糸で繋がりながら、それはひとつの同じ生命体なのだろうか。木も人も、そこから生まれでる、その時その時のつかの間の表現物に過ぎないのかもしれない。
 とにかく、どんなに失敗しても、後ろを見ず、悔まないこと。全力を尽くし、だめだったならそれでいいのだ。一番大切なのは、その時の気持ちだ。気を取り直して次の一歩を踏み出すこと。それがもっとも大事なことなのだ。こんなことからも、生きる姿勢の在り方を学ぶことができる。
 著者は、ひたすら前向きに生きようとした人だと言うことがよく分かり、共感できます。
 エスキモーにとって、カリブーは単なる食糧供給源ではなく、昔からの大切な文化的意味を持っている。その関係は、かつてのアメリカ・インディアンとバッファローとの関係に似たものだろう。
 カリブーは、尿を再利用するという特別な身体の仕組みをもっている。冬の間、カリブーは60%以上の尿を胃の中に戻す。そこで尿の中に含まれた窒素を再利用する。窒素はタンパク質合成の中心的な構成要素なので、窒素の再利用という能力を持ったカリブーは、タンパク質価の低い地衣類を食べても生きていけるのだ。
 マイナス50度にまで下がる極北の地に適応して生きているシカ科の動物として、たくましいカリブーの姿がよく捉えられています。一見の価値ある見事な写真集です。
 
(2009年8月刊。3800円+税)

2010年3月13日

新しい霊長類学

著者 京都大学霊長類研究所、 出版 講談社ブルーバックス

 ヒト科は4属。ヒト科チンパンジー属、ヒト科ゴリラ属、ヒト科オランウータン属、ヒト科ヒト属。ヒト科と近縁なのは、テナガザル類。テナガザルには尻尾が無い。ヒトという動物は「尻尾のない大型のサル」なのである。素早く動く必要が無ければ、長い尻尾を持っていても無用の長物である。
 ヒトとチンパンジーのDNAは98.8%まで同じである。3000万円前までさかのぼれば、人間とチンパンジーとニホンザルの共通祖先にたどりつく。サルはヒトの親戚だが、ヒトの祖先ではない。今生きているサルと過去のサルは別の動物である。現在、人にもっとも近いサルはチンパンジーと考えられるが、それでも600万年前に分岐した。
 現代人(ホモ・サピエンス)の直接の祖先は、20万年ほど前にアフリカで進化し、10~数万年前にユーラシアへ進出し、さらにオーストラリアや南北アメリカ大陸へも広がっていった。
 さらさらした汗はヒトの特徴の一つ。ヒトがかつて水生だった証拠はない。ヒトの胎児には毛が生えている時期がある。毛の少ないヒトは、外部寄生虫に取り付かれにくいので、健康状態はよく、長生きできた。
 もてるメスは子どもを持っているメス。子どもを何頭も育てたメスが発情すると、オスたちが群がる。おばあさんザルでも、もてもてになる。
 メスが好むのは、何年も見なれたオスではなく、新しいオスである。
 メスのサルは、高順位のオスの監視の目から逃れて、自分の好きなオスと逃避行する(かけおち)。
 ヒトとサルの違いをよく知ることのできる100問100答がのっている、面白い本です。

(2009年9月刊。1180円+税)

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