弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

生物

2009年11月 2日

モグラ博士のモグラの話

著者 川田 伸一郎、 出版 岩波ジュニア新書

 我が家の庭にモグラがいることは間違いありません。でも、死んだモグラしか見たことはありません。この本を読むと、モグラの生態ってまだまだわかっていないことがたくさんあるんですね、びっくりしました。こんな身近な存在なのに、分からないことだらけというのも不思議ですよね。著者はモグラ博士ですが、ぜひいっしょにモグラの謎を解明しましょう、と呼びかけています。
 モグラには目がない。目はあるけれど、皮膚でおおわれてしまっている。モグラは光を感じることができない。また、その必要もない。モグラの棲む地下世界は夜の闇よりもっと暗く、まさに真っ暗。ここまで光がない環境だと、目は必要ない。
モグラの鼻には、アイマー器官というのがあって、微弱な振動を感知することができる。これによってモグラのトンネルにミミズが出てきたことなどを知る。
モグラは、地上を歩くのは苦手。モグラ塚は地上との出入口ではない。
 西日本にすむ大きなコウベモグラがどんどん北上していって、小さなアズマモグラを北東に押しやっている。この分布境界線は、富士山から金沢市を結ぶ線あたりにある。
 モグラのテリトリーは、水田の1枚から2枚ほど。モグラの寿命は3年から4年。5年も生きていたら珍しい。メスは一度に3匹から6匹の子どもを産む。ただ、モグラの人工的な繁殖に成功した例はない。
モグラは植物を食べない。そうなんです。でも、毎年春のチューリップ畑を目ざしている私にとって、モグラはチューリップの球根を地上に放り出すという厄介者なのです。
 モグラはトンネルに穴が開くことをとても嫌う。出入り口が開くと、すぐに土を持ち上げて隠してしまう。というのも、ネズミなどが入ってきたりするからです。
 モグラは、1日3回食事をする。おなかがすくと、体力を消耗してすぐに死ぬ。そのため、早朝、夕方、深夜と3回トンネル内の見廻りに出かける。モグラが何度も繰り返し利用し続けるトンネルは、モグラのブラシのような被毛によって壁が磨かれ、つるつるの硬い壁面になっている。
モグラは温帯にすむ。暑いところにもすごく寒いところにも住んでいない。いやはや、モグラって、こんなに分かっていないことが多いのか、ホント不思議ですよね。
 モグラが生きて捕まるのは、母親モグラが子育てが終わって、子どもモグラを追い出すときだというのです。なーるほど、子別れって命がけなんですね。
 モグラの不思議な話が盛りだくさんの面白い本でした。
 
(2009年8月刊。780円+税)

2009年10月26日

先生、子リスたちがイタチを攻撃しています!

著者 小林 朋道、 出版 築地書館

 大好評の先生シリーズです。毎回、私も楽しく読ませていただいています。
 私も、動物を飼育してみたいという気持ちはあるのですが、あちこち旅行もしたいし、両立できませんので、あきらめています。本当は犬を飼って、毎日散歩したいのです。
 といっても、我が家の庭にはモグラがいますし、ヘビもいます。そして、夜になるとヤモリが窓に貼りつきます。小鳥はキジバトそしてヒヨドリは常連です。もちろん、スズメ軍団もいます。春にはメジロ、そしてウグイス、さらにはカワラヒラなどもやって来ます。山のふもとの近くに住んでいますから、それなりに豊かな自然に恵まれています。ただし、モグラは生きた姿では見たことがありません。見るのは、地上の死骸となっているときです。庭のあちこちに土が盛り上がりますので、何頭ものモグラがいることは間違いありません。
 ヘビの姿の方は、幸いにして最近は見かけません。ただし、庭に出るときには、思わぬ遭遇ということにならないように用心しています。
 先生シリーズは、鳥取環境大学で動物行動学と人間比較行動学を専門にする小林先生の日常生活が愉快なタッチで紹介されています。微笑みながら、動物と人間の行動科学が学べるという勝れものの本です。
 イタチ科の動物であるフェレットを飼育したときの顛末は面白いのですが、その顔写真がなんとも可愛らしいのです。いやあ、これはぜひ飼ってみたいと思いました。実際に飼うと大変なんでしょうね……。
 シマリスの子どもたちがカタカタカタという音を一斉に立てて、イタチ(フェレット)を撃退するのは実証する実験は面白いものです。やはり、学者になるには、少し奇抜な発想のできることが必要なんですね。ということは、やっぱり学者は変人に限る、ということでしょうか…(おっと、失礼しました)。
 ヤモリは家守り。イモリは井守り。ヤモリは爬虫類、イモリは両生類。ヤモリの尿は、白色のねっとりとした半固体状、イモリの尿は液体。
 アカハライモリの生態を探求するためには川岸のアシを夜中に鎌で刈りつくす作業が必要となる。その作業のため、小林先生は、ついに腱鞘炎となり、両手首にサポーターを巻かざるをえなくなりました。学者って、それほど大変な職業なんですね。いやはや、学者なんてならなくて良かったと私は思ったことです。本を読むだけなら、私も出来ますから…。
 モグラはミミズだけでなく、セミも食べる。私は、初めて知りました。そういえば、うちの庭にも、もちろんセミの幼虫はいます。7年ほども地中にいて、地上ではわずか1週間の生命というはかなさです。
 面白いシリーズの本です。どうか、引き続き、がんばって面白い本を書いてくださいね。
(2009年8月刊。1600円+税)

2009年10月19日

ホタルの不思議

著者 大場 信義、 出版 どうぶつ社

 初夏というより、晩春でしょうか。5月の連休(ゴールデンウィーク)が終わって間もなく、我が家から歩いて5分のところの小川に、毎年、ホタルが飛び交います。ほっとするひとときです。
 著者は企業の研究所に入り、そして中学校の教員となったあと、博物館の学芸員としてホタルの研究に専念するのでした。これもすごいですよね……。
 私が東京のような大都会ではなく、田舎で弁護士を続けているのも、歩いて5分のところでホタルの光を眺めることができることの良さに価値を見出しているからです。
 ホタルの放つ光は、次のような生化学的な酸化反応による。酵素であるルシフェラーゼとルシフェリン、ATP(アデノシン三燐酸)などの物質が混ざり、そこにマグネシウムイオン、酸素が加わると反応がすすみ、発光する。この反応は効率が非常に高く、蛍光灯などとは比較にならないほどエネルギーを光に変えている。このため、ほとんど熱を伴わないことから、冷光とも言われる。そしてホタルは発光反応を自由に制御している。
 ホタルには、せっかちな西日本型(2秒に1回発光する)と、のんびり発光する東日本型(4秒に1回発光する)がある。発光パターンだけでなく、産卵習性も異なっている。
 ゲンジボタルの幼虫は、4月の雨が降るあたたかな夜にサナギになるため、一斉に発光しながら川岸に上陸して、土に潜る。ホタルは、幼虫も光るのですね……。見たことはありませんが、なんだか夢幻的な光景です。
  西日本のゲンジボタルのメスは、100個以上の集団となって産卵する。しかし、東日本のゲンジボタルは、同じ種でありながら、集団産卵はしない。
パプア・ニューギニアにはホタルの木というのがあるそうです。オスのホタルが集まり、集団となって発光してメスを呼び寄せるのです。この木が切られてしまったら、このホタルは絶滅するだろうと予想されています。そうならないことを祈ります。
 我が家から歩いて5分のホタル出現地にも、すぐそばに新しく道路がつくられています。レジャーランドへ通じる便利な道路として開設されつつあるのです。でも、いったい、このレジャーランドが、いつまでもつのか、私には疑われてなりません。
 自然環境を孫の代にまで残したいものですよね。
 
 庭の合歓(ねむ)の木が、またふわふわとしたピンクの花を咲かせ始めました。この花を見ると、なぜかいつも子どもの頃の心のときめきを覚えます。どうしてかなと考えていると、夏祭りの提灯に描かれていた花や金魚などの鮮やかなピンクの色を連想させるからだと思い当りました。
 我が家の庭の合歓の木は小さいのですが、お隣にあるのは大きくて、慮杖を大きく広げるほどに全面に咲いて、それはそれは華やかです。
 朝、居間の雨戸を開けると、目の前に秋明菊の花が飛び込んできます。すっと高く延びた茎に、純白の花びら、そして真ん中はクリーム色になっています。気品あふれる、見るからに清々しさの伝わってくる花です。そばに紫色の斑(ふ)入りの不如帰(ほととぎす)の花も咲いています。稲刈りも間近の秋です。
 
(2009年7月刊。2200円+税)

2009年10月12日

人が学ぶイヌの知恵

著者 林谷 秀樹 渡辺 元ほか、 出版 東京農工大学出版会

 私は犬派です。幼い頃から犬と一緒に育ちましたから、犬には愛着があります。猫はどうも好きになれません。
 子どもたちが小さいころ、柴犬を飼っていましたが、私の不注意もあって蚊に刺されてフィラリアで死なせてしまいました。この本を読んで、犬について改めていろいろ知ることが出来ました。
 メス犬の生理出血は人間と違って、排卵前後に起きるから、もっとも妊娠に適した時期である。
 イヌは汗をかいて体温を下げることが出来ない。かわりに唾液を蒸発させて、熱を放散させている。
 イヌは肉食に近い雑食なので、丸呑みするのが正しい食べ方である。
 イヌは食べ物の味より臭いで学習し、それによって好き嫌いがある。一般に大型犬は味オンチで、小型犬は好き嫌いの激しい傾向にある。オスよりもメス犬の方が好き嫌いが多い。
 イヌは甘いものが大好きだ。イヌはネコと違って腐肉も好き。イヌはビタミンCを体内で合成できる。イヌは汗をかかないから塩分の排泄が出来ないので、ヒトと同じように塩分をとると、塩分の取り過ぎになって高血圧になる恐れがある。
 イヌの嗅覚はヒトの1億倍もの感度を持っている。イヌの動体視力は優れているから、テレビ画像はヒトと違ってコマ送りにしか見えない。
 イヌがヒトと同じものを食べていると栄養学的に問題があり、虫歯にもなりやすい。ドックフードが好ましい。そして、イヌにはタマネギやチョコレートを与えてはいけない。
イヌも心の病にかかる、飼い主の夫婦げんかが絶えないと、神経性の脱毛症を引き起こすことがある。飼い主と離れていると、鬱状態になり、食欲をなくしてしまう。
 イヌは排便したあと、うしろ足で土をかけるような行動をとるが、それは便を隠すためではなく、自分の臭いをつけるため。
 イヌにとって、臭いは大切な社会的コミュニケーションの手段の一つなのである。
 イヌは叱られると、あくびをしたり、自分の口をなめたり、目をそらしたり、背中を向けてすわったりする。これは飼い主を馬鹿にしているのではなく、怒っている飼い主に対し、落ち着いてよ、もうやめてよと伝えていると同時に、自分を落ち着かせようとしているもの。
 イヌは、もともと群れで生活する動物なので、ひとりで放って置かれるのは苦痛に感じる。そこで、飼い主の外出がイヌにとっての一大事にならないよう、日頃から、慣れさせておくべきだ。留守したときにイヌの気が紛れるようなオモチャを与えるのもいい。
 イヌは、過去の出来事を記憶する能力はあっても、判断応力は欠けている。悪いことをしたイヌを後になって怒っても、なぜ怒られているのか、理解できない。
 イヌは、ヒトの感情や意図を敏感に読み取ろうとし、その動作を積極的に模倣しようとする。イヌが飼い主の家族に順位をつけて認識しているという話は最近は否定されている。
 イヌが腹を見せるのは、服従や信頼を示すシグナルである。しかし、それを強制すると、イヌとの信頼関係を壊してしまう。
 イヌとのことで知らないことが多すぎたと反省させられました。

(2009年7月刊。1400円+税)

2009年10月11日

自然界の秘められたデザイン

著者 イアン・スチュアート、 出版 河出書房新社

 1,2,3,5,8,13,21,34,55、89,144…。3つ目以降の数字は、どれも、その前の2つの数字の和となっている。そして、ユリの花びらは3枚。キンポウゲは5枚。ヒエンソウの多くは8枚。アラゲシュンギクは13枚。アスターは21枚。ヒナギクとヒマワリは34枚から55枚、また89枚。大きなヒマワリになると花びらは144枚だ。
 この数字をフィボナッチ数という。フィボナッチというのは、12世紀のイタリア・ピサの人である。いやあ、どういうことなんでしょうね、この規則性は…。
シダの葉は、一部が全体を縮小した形をしている。シダの茎の両脇には、細かく分かれた葉が何枚も並んでいる。葉は茎の根元に近いほど大きく、先端に近づくほど小さくなって、全体として柔らかな三角をつくっている。そして、これが、一つ一つの葉にあてはまる。シダの種数によっては、この構造が4度も繰り返される。
 これまた、不思議なことですね…。
古代ギリシアの哲学者プラトンは、正多面体が5つしかないことを知っていた。正四面体、立方体(正六面体)、正八面体、正十二面体、正二十面体である。
シマウマは縞模様のおかげで、草原でも目立たぬように草を食める。トラは縞模様のおかげで、ジャングルで待ち伏せするときに気づかれずにすむ。縞柄のチョウチョウウオやスズメダイは、すみかであるサンゴ礁の色合いにあわせて飾りたてられている。
 黄褐色のライオンは砂漠の砂と同じ色だ。ヒョウがまだら(斑)の皮をまとっているのは、枝にうずくまっているときに木漏れ日の模様に溶けこむためである。
 自然界の生物のデザインの豊富さ、その奇抜さは、人間の想像力をはるかに超えるものがありますよね。そして、その規則性にも感心してしまいます。どうして、そんなことが可能になったのでしょうか。神のみぞ知る、ということでしょうか…。信じられません。自然には不思議さがあふれていますよね。

(2009年2月刊。1600円+税)

2009年9月22日

くらげ

著者 中村 庸夫、 出版 アスペクト

 海月、水母、久羅下。クラゲをあらわす言葉です。海の中をふわりふわりと漂っていくクラゲは夢幻の存在というほか言い表しようがありません。
 英語ではゼリー・フィッシュというそうですが、まさしくゼリー状の姿をしています。でも刺されたら痛い存在です。私も子どもの頃、お盆過ぎに海水浴をして、クラゲに刺されて痛い思いをした記憶があります。
 クラゲは古事記にも登場しているそうですが、なんと、魚や恐竜よりはるか古く、10億年前に地球上に現れたといいます。
 脳も心臓もエラも骨もない。動物でも魚でもない。プランクトンなのである。
 海の中をフワフワと漂っているのは、クラゲの一生の中のほんのわずかな期間であり、その他の期間は「ポリプ」の姿で付着生活をしている。
 さまざまなクラゲの生態が見事な写真で紹介されています。コンパクトな写真集ですが、生物の多様性を発見・実感させるものとなっています。
 漆黒の水中に体を輝かせて浮かぶ姿は、まるでUFOが宇宙から舞い降りてくるような錯覚をおこさせた。
 こんなキャプションがついていますが、まったくそのとおりです。
 しかも、いかにもカラフルな姿がカラー写真で紹介されています。造形美の極致というべきクラゲの姿は、いつまでも見飽きることがありません。

(2009年3月刊。2000円+税)

2009年9月21日

いっしょがいいね

著者 間山 公雅、 出版 文藝春秋

 眺めているうちに、心がほんわかあたたまってくる。そんな鳥たちの可愛い写真集です。
 みずみずしい緑の森の中で、枝にとまった2羽のフクロウが仲良く寄り添っています。隣のフクロウの身繕いに手を貸したりもします。
 丹頂鶴に赤ちゃんが生まれました。丹頂鶴は、求愛ダンスで愛を確認しあうと死ぬまでパートナーを変えず添い遂げるそうです。卵は夫婦で交代しながら温め、家族単位で行動します。赤ん坊が親の背中の羽毛に埋もれるようにしてもぐりこみ、頭だけを出しているほほえましい写真もあります。子どもたちは親からエサを分けてもらったりしながら、次第に大きくなっていきます。身体が白いのが親で黄色いのが子どもです。
 ところが、菜の花の咲く頃には、子どもの身体も白くなり親と見分けがつきません。やがて、親にならって求愛ダンスを始めます。
 災害や戦争などを追いかけていたカメラマンが故郷の北海道をまわって写真を撮り始めたのでした。良くできた、小さな写真集です。

(2009年1月刊。1238円+税)

2009年9月11日

リンゴが教えてくれたこと

著者 木村 秋則、 出版 日経プレミアシリーズ

 先日、青森に行ってきました。リンゴが木になっているのを見ると、なんだか不思議な気がしてきます。どうしてこんなに重たいものが、たくさん木にぶら下がっているのだろうと疑問を抱いてしまいます。
 私の毎朝は、リンゴとニンジンそして青汁のジュースから始まります。もう何年も続けています。おかげで、健診を受けるたびに境界型糖尿病と指摘されていたのが、パッタリ止みました。ですから、リンゴを一年中、欠かさず食べているのです。
 この本を読んで、完全無農薬で育てた木村さんちのリンゴをぜひ味わってみたいと思いました。
 完全無農薬で育てながら、なんと虫もつかないというのです。信じられない話です。私は、庭でキャベツを完全無農薬で育てようとしたことがあります。でも、見事に完敗しました。世の中、そんな甘いものじゃありませんでした。毎日毎朝、青虫との戦いでしたが、まるで完全に敗北してしまったのです。
 写真を見ると、私より断然年長のように思われるのですが、なんと、私の一歳年下だったのでした。大変な苦労をしたうえ、農薬のせいで歯を悪くしてしまったので、年齢以上に老けて見えるようです。
 リンゴはバラ科の植物。葉がでんぷんを作る。
 青森県はリンゴの病害中に関する条例を定め、肥料や農薬等で徹底した防除管理をしていた。通告された畑の持ち主が、県の指導を無視すると、強制伐採、そして30万円の罰金が科せられた。農薬を使わない木村さんは、「かまど消し」つまり破産者扱いとなり、村八部同然となりました。
 害虫がたくさん害を及ぼすようになると、初めて益虫が出てくる。しかし、食べつくされることはなく、害虫も益虫もいっこうにずっと消えない環境にある。不思議な仕組みだ。
 木村さんは、リンゴの木に話しかけていったのです。声をかけなかったリンゴの木82本は枯れてしまったといいます。まさか……。本当のことでしょうか?
 無農薬栽培の基本は、園地を放任することではない。剪定、園地の手入れ、土づくりなど環境の整備をすることが大切だ。
 自然栽培で失敗しないためには、穴を掘って、10センチ刻みに温度計で測ること。自然の山では、地表の温度と地下50センチの温度には、ほとんど差がない。
 普通の畑は、20~30センチのところに硬盤層があるから、その冷えたところを破壊しなければならない。
 大規模農家でリンゴ園をやった人は、みんな失敗している。リンゴは、手作業の割合が大きく、人件費など経費がものすごくかかる。昔から、リンゴは労多く益なくといわれてきた。
 木村さんのリンゴのつるは柔軟性があり、しなやかで、落下しにくい。ちょっとくらいの風では、びくともしない。
 無農薬のリンゴづくりに長い間挑戦し、ドン底の生活を余儀なくされながらも、畑とリンゴの木をよくよく観察して、その泥沼から苦労してはい上がった木村さんの話には、感動的なものがありました。大したものです。

 サンモリッツの3日間は、快晴に恵まれました。それもそのはずです。サンモリッツの晴天日は、年間平均で322日もあるというのです。実は、ついた初日は夕方近く少し曇ってしまい、すぐ近くにあるピッツ・ネイルという3000メートルの高さの展望台は、ガスに包まれていました。
 ヤギの一種というアイベックスのブロンズ像の前で、たまたま一緒になった日本人夫婦に記念写真をとってもらいました。
 そして、サンモリッツは涼しいのです。というのも、標高1800メートルの高さにある街なのです。そこで、ガイドブックは次のように書いています。
 サンモリッツに着いてまずやるべきことは、深呼吸。サンモリッツの空気は、古くからシャンパン気候として有名だ。泡のなかで光の粒がはじけるような爽快感がある。
 いやあ、これが誇大広告とは思えない爽やかさが、たしかにサンモリッツ湖の周辺を歩いていると味わえるのでした。両手を大きく広げて、何度も深呼吸してしまいました。
 サンモリッツ湖を見下ろす高台にホテルがあります。カールトンホテルは明かりが見えません。閉鎖されている気配です。私はクルムというホテルに3泊しました。湖に面した部屋を注文すべきでした(もちろん割高になります)。反対側の部屋でもケーブルカーが見え、牛たちが急斜面で草を食んでいる光景が見え、また、ピサの社党のように全体が傾いた教会の塔を眺めることができ、負け惜しみのようですが、それなりの風景が眼前に広がっていました。
 私のブログにスイス・イタリアの風景写真を紹介しています。ぜひ、そちらものぞいてみてください。

(2009年6月刊。850円+税)

2009年9月 6日

フジツボ

著者 倉谷 うらら、 出版 岩波科学ライブラリー

 海岸にいけば、どこにでもいるフジツボ。岩にしがみつき、へばりついている貝の仲間。そう思っていると、なんとエビ・カニの仲間の甲殻類だというのです。そして、エビのように脱皮しながら成長するというから、驚きです。
 フジツボは、いったん付着面から取れると、貝と違ってくっつき直すことはなく、やがて死んでしまう。フジツボは、自前の殻を作っている。海水中のカルシウムを利用して成長する。フジツボの仲間は、恐竜が現れるはるか前の古生代カンブリア紀中期(5億3000万年前)から存在する。
 フジツボの分布範囲は地球規模。
 フジツボにも、こだわりがある。クジラに付くフジツボは、クジラ以外には断固として付かない。フジツボのペニスは、なんと自分の体長の8倍にまで伸びる。陰茎(ペニス)の先で卵が成熟した他の個体を探知し、ニューッと伸ばす。これによって移動せずとも離れた場所に付着している仲間との交尾が可能になる。
 卵からかえった後、しばらくは海の中を泳ぎまわる。そして、フジツボは、後悔しないよう、くっついてしまう前に、念入りに下調べする。
 フジツボの寿命は、種によってまちまちであるが、1年から長いもので50年にもなる。
 あのダーウィンも、1万ものフジツボの標本を調べて研究し、4巻1200ページの著書を書いた。
 フジツボは、環境汚染を調べる指標生物に、きわめて適している。
 フジツボの生態がたくさんの絵と写真でとても分かりやすく紹介されています。フジツボのたくましい生命力を知ることができました。
 サンモリッツには、セガティーニ美術館があります。ご多分にもれず、ここも昼休みは2時間あります。ですから、夕方は6時まで開いています。
 私は、サンモリッツの町なかからぶらぶらと歩いていきました。ちょっとした森のなかに遊歩道が出来ています。いい気持ちで歩いていると、いつのまにか美術館に到着します。町の中心部から歩いて20分もかかったでしょうか。とても小さな美術館で、暗くて狭い入口でしたので、もう閉館しているのかと心配したほどです。
 ここには画家セガンティーニの作品50点あまりが展示されています。2階の大きな部屋には、3枚の大作があります。自然の採光を取り入れた案内は、ちょっと薄暗いのですが、スイスの景色が、生、死、自然という3部作となっています。生と自然は夕方の景色で、死は総長の光の中で描かれているという対照が、意表をつきます。
 私はフランス語のオーディオ・ガイドに聞き入りました。もちろん、全部を理解することはできません。それでも、何回も同じ解説を聞き直して、なんとか理解できました。やはり習うより慣れろ、です。
 この美術館にいたのは1時間ほどですが、客の多くは日本人でした。すごいですね。日本人って。
 
(2009年6月刊。1500円+税)

2009年9月 3日

羆撃ち

著者 久保 俊治、 出版 小学館

 いやあ実にすばらしい本です。まさに読書する醍醐味をとことん味わわせてくれました。
 男が野生の風になる瞬間を知った。その研ぎ澄まされた感性に羨望する。
 これは、オビに書かれた言葉ですが、まさしく言い得て妙です。
 森の中に一人分け入ってヒグマを追い続け、狙い定めて撃ち倒します。とても残酷です。ほめられたことではありません。でも、一対一の真剣勝負として、そこに生命を尊重しながらの戦いがえがかれているので、思わず拍手したくなるのです。そして、愛犬が登場してきます。一段と情愛細やかに狩猟場面が描かれます。その愛犬を日本に置いて、アメリカへ修行の旅に出ます。アメリカでの苦難の日々は、すごいものがあります。日本に帰国したとき、野も山も変わり果てていました。
 今どき、こんな狩猟を生業とする人がいるのだろうかと、不思議な思いで読み進めて行きました。すると、なんと著者は私と同じ団塊世代だったのです。私が大学生のころ、著者は北海道の山奥深くに分け入って、感性を研ぎ澄ましていたのでした……。
 ヒグマは本来、非常に警戒心が強く、常に人間とは距離を置こうとする。仔ヒグマを守らねばならないとき、自分のエサだと決めたものを守るとき以外、相手を威嚇する声は出さない。逃げるか、遠ざかろうとするのが、ほとんど。
 藪を歩くときのように、どうしても音が出てしまう場合には、できるかぎりシカの歩調と間合いに似せた歩き方をするように努力する。上手にできたら、シカの警戒心をゆるめることが出来る。そして、気づかれるよりも先に見つける方法を心がける。それには、一つのことだけに心を奪われ過ぎず、あたり一帯に均一な緊張感で注意を払わなければならない。とくに目を見開いて探すより、半目にして見るほうが、かすかに動くものでも目の隅でとらえやすい。自分の肌で感じた天候、気温、風などを記憶し、寝跡、足跡、エサ場などの場所と採食時間帯を自分の記憶と照らし合わせてみることも大切だ。
 シカを倒す。ナイフを取り出してシカの腹を裂く。その腹腔に凍えてかじかんだ両手を潜り込ませて温める。シカの最後のぬくもりが、痛いほどの熱さで両手にしみこんでくる。そのまま、しばしの間、じっとしている。最後のぬくもり、シカの生命のぬくもりの全部を両手にもらった。
 焚火であぶっていたシカの心臓を、焼けたところから、小さなナイフで切り取っては口に入れる。うまい。新鮮な心臓特有の、チリっとした鉄臭い味が口いっぱいに広がる。そして、空っぽの胃に気持ちよく落ちていく。
 うーん、なーるほどですね……。とても美味しそうですね。
 シカを倒した時、心臓と肺を引き出す。心臓は割って血を出し、あらかじめ踏み固めておいた雪の上に置く。このとき、柔らかな雪の上に置いてはいけない。まだ体温が残っていて、それが雪を溶かし、雪の中に埋もれてしまう。そうすると、十分に血が流れる前に凍ってしまい、ベチャベチャした感じになって味が悪くなる。
 雪の上に置いておいた肝臓の一片を少し切り、口に入れる。血の味といっしょに甘い味が口いっぱいに広がる。旨い。手負いで苦しんだり、興奮して死んだ獲物に比べて、苦痛や恐怖をほとんど感じることなく倒された動物の味は、いかにも旨い。
 そうなんですか……。
 寝袋にのって目を閉じると、手を凍りつかせたまま逃げたシカのことが思い出される。生きるということの凄さ、生きようと懸命に努力する姿を目の当たりにすること、それが猟の一番の魅力なのかもしれない。
 ヒグマに出会ったとき、注視するとヒグマもなんとなくこちらを見るので、あわてて目をそらす。できるだけ楽な姿勢で見るともなく半目にしていると、ヒグマもこちらを見ない。
 ヒグマを倒すと、仰向けにして山刀の峰で皮に筋目を入れてから、腹を裂き、内臓をとりだす。胆管を綿糸で縛ってから、胆のうを肝臓から切り離す。肺とすい臓はそばの木に掛け、他の動物に残す。胃と腸は、内容物を出して流れできれいに洗い、胆のう、肝臓とともにテントに持ち帰る。
 ヒグマを倒したとき、最後に、胸腔にたまってプリンのようになった血に、腸間膜を細かく切って混ぜあわせ、裏返して雪で洗った腸に詰め込み、ブラッドソーセージをつくる。それを塩ゆでにして食べる。食べるもののすべてが、すぐに血となり、エネルギーになって、身体の隅にまで浸みこんでいく。
 猟犬は、どんなに素質が良くても、主人の技量と心以上には育たない。猟犬を育てる側は、常に技と思考の向上を目指すことが必要となる。それを怠れば、素質のある犬ほど、自分の猟欲を満足させるために猟をするようになってしまう。
 犬の持っている能力を十分に引き出すためには、気を抜いてはならない。ほめるにしても、叱るにしても、いついかなるタイミングで行うのかを常に考えながら、注意深く、丹念に丹念に訓練を重ねて行く。素質のある犬ほど基礎訓練の覚えも早く、猟のたびに新たなことを覚え理解していく。
 猟犬にこれまで一人でやってきたヒグマ猟のことを話して聞かせる。猟犬に話して聞かせることは、大事な訓練の一つになる。
 山暮らしするうちに感覚が鋭くなって、いつの間にか時計も使わなくなった。陽の高さと、自分の体内時計とで、何も不自由を感じない。とりわけ聴覚と嗅覚が敏感になった。
 職業として狩猟を始めたころは、ヒグマに対する漠然とした恐怖と不安が、いつも頭の片隅にあった。攻撃することを決心したヒグマの恐ろしさは、半端なものではない。攻撃を決心するまでには時間がかかるが、一度決心を固めると、確実に攻撃に移り、焚火などがあっても、その攻撃を止めることはできない。
 猟で生活するのは、あまりお金にはならないが、なんとか食うことは出来る。いつも十分で腹いっぱいとはいえないが、食うものは常にうまいと感じ、ありがたいと思って食うことが出来る。雨、風、雪、寒さ、暑さ、すべてが備わった自然の中で、生きること、生きていることが肌で感じられる。
 すごい本です。思わず森の中にいる気分になって身構え、周囲を見回してしまいました。ありがとうございました。
 
(2009年8月刊。1700円+税)

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