弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

生物

2007年10月19日

ゆりかごは口の中

著者:桜井淳史、出版社:ポプラ社
 魚の子育てを追跡した楽しい写真集です。人類発祥の地として名高いアフリカ大陸の大地溝帯にあるタンガニーカ湖にすむ魚も登場します。そこには300種類もの魚がいて、口の中で子育てをする魚、何かにたまごを産みつけ、そこでたまごと稚魚を守る魚など、いろんな魚がいるのです。
 著者はまず、自分の家の水槽でエンゼルフィッシュを飼い、その子育てを撮影しようとします。エンゼルフィッシュは南米のアマゾン川が原産地であり、オスとメスが協力して子どもを育てる、なかのよいペアは死ぬまで一緒に暮らします。ふむむ、すごーい。
 エンゼルフィッシュは、シクリッドフィッシュと呼ばれる魚のグループ。シクリッドフィッシュは、アメリカ大陸とアフリカ大陸の熱帯地方の川や湖、海ぞいに1200種ほどいる。どの魚も面白い産卵の仕方であり、子育てが上手である。
 エンゼルフィッシュを水槽で飼おうとして、適当な2匹を入れても、ケンカばかりして、とてもうまくいかない。エンゼルフィッシュは、実は、人間の都合によるお仕着せのカップルではダメで、自分で相手を選ぶ恋愛結婚でしかうまくいなかい。
 ひゃあ、そうなんですか・・・。魚と思ってバカにしてはいけないのですね。
 エジプシャンマウスブルーダーは、口の中に子どもを入れて子育てをする。その写真があります。信じられません。子どもたちを守り育てるのに一番安全な場所は、親の口の中だというわけです。子どもが口の中にいたら、親はエサを食べられませんよね。でも、そこもうまく解決しているようです。
 親が子育てをしない魚では、たとえばマンボウは1回に3億個のたまごを産み、イワシは1回に10万個ものたまごを産む。その大半が食べられる運命にある。
 しかし、親が子育てをする魚は、一回に産むたまごは、500個とか30個というように、とても少ない。
 魚の子育てにも人間の子育てのような苦労があるということを知りました。
(2006年12月刊。950円+税)

2007年10月12日

犬と私の10の約束

著者:川口 晴、出版社:文藝春秋
 犬好きの人にはこたえられない感動本です。可愛らしいゴールデンレトリバー犬の仔犬の写真が入っていて、まるで実話の世界です。
 犬の名前はソックス。友だちがつけた名前はタビ。たしかに、写真を見ると、右足の先っぽだけ白色になっていて、まるで靴下をはいているかのようです。
 犬を飼うときには、犬と10の約束をしないといけない。それが守れないのなら飼ってはダメだし、飼っているあいだは、この約束をいつも思い出すこと。
1、犬語は分かりにくいかもしれないけれど、私と気長につきあってくださいね。
2、私を信じて。それだけで私は幸せです。
3、私にも心があることを忘れないで。
4、言うことをきかないときは、理由があります。
5、私にたくさん話しかけて。人のことばは話せないけれど、わかっています。
6、ケンカはやめようね。本気になったら私が勝っちゃうよ。
7、私が年齢(とし)をとっても仲良くしてください。
8、私は10年くらいしか生きられません。だから、一緒にいる時間を大切にしようね。9、あなたには学校もあるし、友だちもいるよね。でも、私にはしかいません。
10、あなたと過ごした時間を忘れません。お願いです。私が死ぬとき、そばにいてね。 どうか覚えていてください。私があなたを愛していたことを。
 なーるほど、いい約束ですね。でも、人間って、すぐ自分の都合で動いて、こんな約束をしたことを忘れてしまうんですよね。
 私が小学生のころ飼っていたのはスピッツ犬で、座敷犬でした。上も下もかまわず歩いていましたから、畳の上はいつもザラザラしていました。今なら、とてもそんなことは耐えられませんが、一家5人(そうです。子どもが5人もいて、私は末っ子なのでした。姉たちにおしめをかえてもらっていたそうですが、もちろん、そんな記憶は私にはありません)、だれも気にせず、平気で犬と同居していました。ルミ(オスのスピッツ犬なのですが、勝手にそう呼んでいました)は、私が大学に入って1年もしないうちに、家の前の道路で車にはねられて死んでしまいました。だから、私は死に目には会えませんでした。遠く、東京で泣きました。恐らく老衰して、足がよく動かなくなっていたので、モタモタしているうちに車にはねられてしまったのでしょう。
 ゴールデンレトリバーも、大きくなるのはすごく速いんですね。大きくなったソックスの写真もあります。映画になるそうです。見てみたいですね。
 朝7時すぎ、雨戸を開けると清々しい純白の芙蓉の花がこぼれんばかりに咲いています。夕方には赫い花になってしまう酔芙蓉がいま盛りです。下の田んぼの稲刈りが終わって、スッキリしました。ヒマワリを刈りとり、見通しのよい庭になりました。チューリップやアネモネなど、春の花を少しずつ植えています。土いじりは楽しい作業です。
(2007年7月刊。1143円+税)

2007年9月 3日

有機化学美術館へようこそ

著者:佐藤健太郎、出版社:技術評論社
 直径わずか100億分の7メートルのフラーレンのなかに物を詰めるというのです。まったく想像を絶する世界です。
 もっとも辛い化合物カプサイシンは、1600万分の1の濃度で辛味を感じる。もっとも甘い化合物ラグドゥネームは、砂糖の22〜30万倍も甘い。もっとも苦い化合物である安息香酸デナトニウムは1億分の1の濃度で苦味を感じる。もっとも生産量の多いアスピリン(消炎鎮痛剤)は年間に1000億錠もつくられる。世界で売上げの一番多い薬であるリピトール(高脂血症治療薬)は、年間に1兆3000億円の売上げがある。
 私は高校3年生まで理科系の進学クラスにいました。結局は、数学が自分にできないことを悟って、文化系に転向したのですが、物理も化学も好きで、得意な科目ではありました。でも、今では、理科系にすすまなくて、本当に良かったと思います。物理や化学が好きだといっても、とてもそちらの方面で研究を続けられたはずはないと確信するからです。それでも、この本が紹介するような化学の話には依然として興味・関心があります。十分に理解できなくても、見ているだけで楽しいのです。
 この本には多面体分子の美しい姿がたくさん紹介されています。まさしく自然の不思議とも言うべき美しい姿をしています。
 亀の甲、つまり六角形のベンゼン環が基本になっています。
 有機化学の研究室は、実際にはかなりの修羅場である。きつい、汚い、危険、厳しい、苦しい、臭い、悲しい、体に悪い、給料がない、教授が恐い、彼女ができない。8Kも 10Kもありうるところ。
 エステルやアルコールをふくむこのは、一般的に比較的よい香りがする。カルボン酸やアミン(窒素化合物)、硫黄化合物などは、たいてい耐え難い悪臭がする。
 カルボン酸のにおいは、動物的なにおがする。ヨーロッパのチーズに臭いものがあるが、それはカルボン酸や酪酸による。銀杏のにおいも、ヘキサン酸やヘプタン酸が主成分。
 精液のにおいは、アミンの分解物のにおである。
 鋼鉄の数十倍の強さをもち、いくら曲げても折れないほどしなやかで、薬品や高熱にも耐え、銀よりも電気を、ダイヤモンドよりも熱をよく伝える。コンピューターを今より数百倍も高性能にし、エネルギー問題を解決する可能性を秘めている。それが、カーボンナノチューブである。
 ナノチューブの太さは、その名のとおりナノメートル(10億分の1メートル)のオーダーで、長さは、その数千倍にもなる。半導体のナノチューブは、コンピューターの素子として大きな可能性が考えられる。たとえば、一般的な銅線では、1平方メートルあたり 100万アンペアの電流を流すと焼き切れるが、安定かつ丈夫なナノチューブは10億アンペアを流すことができる。
 また、ナノチューブは、とてつもなく丈夫な素材なので、これを編みこめたら、素晴らしく頑丈な繊維ができあがるはず。欠陥のないナノチューブだけでロープをつくることができたとしたら、直径1センチのロープが1200トンを吊り上げることができる計算になる。
 化学のことがよく理解できなくても(私のことです)、分子の世界の造形の美しさだけは、よく伝わってくる本でした。
 わが家の近くの田圃の稲に、やがて米粒となる稲穂がつきはじめました。稲の花は白くて地味ですので、緑々した稲に見とれていると、ついうっかり見過ごしてしまいます。稲刈りまで、あと1ヶ月あまりとなりました。早いものです。今年も秋となり、4ヶ月しかないのです。暑い暑いと言っているうちに、やがて師走を迎えるようになるのですからね・・・。還暦を迎える年が近づいてくると、一日一日がとても大切に思えてきます。
(2007年6月刊。1580円+税)

2007年8月27日

終生、ヒトのオスは飼わず

著者:米原万里、出版社:文藝春秋
 いかにも著者ごのみのタイトルです。実は、これは、自分で書いた死亡記事のタイトルでした。多くの著名人が自分の死亡記事を書いていて、文春文庫『私の死亡記事』になっています。それによると、著者は2025年に75歳で死んだことになっています。
 この本の大半は、雑誌『ドッグワールド』の2003年5月から2005年12月まで32回にわたって連載されたエッセイがおさめられています。要するに、著者の親愛なる家族たち(犬と猫のことです)の、大変でもあり、愛らしくもある行状記です。いやいや、ペットを飼うというのは大変なことだと思いました。
 猫にミドニングというのがあるのを初めて知りました。
 ミドニングとはトイレの場所を間違えたり、排便しそこねて外にしてしまうというものではなく、きわめてはっきりした行為である。猫はトイレ以外の特定の場所を選び、そこに糞を残すことによって、なわばりの占有・使用・通行などの権利を示そうとする。およそ、前から少し神経質だとか、気の弱い性質の猫が、何らかの大きな変化やチャレンジに遭遇したとき、こうなることが多い。
 著者は飼い猫(龍馬という名前です)をしっかり抱きしめ、そのストレスを軽減させることによって、その症状を半年で完治させたのです。獣医師は感嘆の声を上げました。うむむ、なるほど、ですね。
 著者のペットに対する愛情の深さを示すエピソードを紹介します。飼犬(ゲン)が落雷のあった日に家をとび出して行方不明になってしまいました。そのあと、著者はなんと1年にわたって、4日に一度、近くの動物管理事務所に電話を入れて確認したのです。犬はそこに保護されると5日目には薬殺処理へ回されてしまう。だから、その前日、4日目の午後4時から5時に、動物管理事務所に電話を入れる。それは、日本国内にいようと、アメリカにいたときも、チェコにいたときも、4日に一度の電話を欠かしたことはなかった。そして、それを1年も続けた、というのです。すごーい、頭が下がります。
 犬は、たしかに雷をひどく怖がります。私が子どものころ飼っていたスピッツ犬(ルミという名のオス犬で、座敷犬でした)は、雷鳴を聞くと、家中を走りまわったあげく、押し入れの奥に頭を突っこんで、全身をブルブル震わせていました。哀れなほどです。
 結局、ゲンは出てきませんでした。きっと、どこかの家で飼われたのだろうと思います。なかなか頭の良い犬だったようですから、おおいにありうることと思います。
 私が小学1年生のとき、我が家は大きな引っ越しをしました。同じ市内でしたが、トラックに乗って引っ越したのです。そして、その途中で、飼犬(ペット)がいなくなってしましました。泣き叫んで、親にバカバカ、どうして、どうして、と大声で抗議したことを今もはっきり覚えています。
 猫一般の常識がある。見知らぬ猫であれ、子猫には優しくすることになっているようだ。たとえば子猫が食べ終わってからでないと、大人猫は食べない。同居していた親しい仲間の猫が死んだとき、猫たちはいつもの夕食の催促をせず、ほとんど口をつけなかった。
 真夜中、死んだ猫の周囲にしっかり目を見開いて座り、まんじりともせず夜を明かした。
 ええーっ、これって、まさにお通夜の光景ではありませんか。驚いてしまいます。猫がお通夜をしてるなんて・・・。今では人間社会のお通夜はほとんど形式ばかりになってしまいましたのに・・・。
 共産党の高名な代議士(米原いたる)の長女として生まれた著者は、小学3年生のときチェコスロバキアに両親とともに渡ります。著者の年譜によると、チェコにいたのは5年間ほどのようです。私はもっと長くいたのかと思っていました。
 父の米原いたる代議士も語学の才能があったようです。英語、ドイツ語、フランス語、ロシア語ができたというのです。でしたら、著者の語学力は父親譲りの才能だったのでしょうね。
 何回も繰り返しますが、本当に惜しい人を早々と亡くしてしまいました。75歳まで生きて、大いに世間に対して毒舌もふるってほしかったと思います。残念でなりません。それにしても、ヒトのオスも飼っていてほしかったですね・・・。
 日曜日の朝、異変を感じました。妙に静かすぎるのです。蝉の声がまったくしません。うむむ、これは一体どうしたことだろう。わが家の庭木で鳴かないどころか、近隣でもまったく蝉が鳴いていません。夏の終わりを告げるツクツク法師もクマ蝉も鳴いていないのです。連日の猛暑のために蝉たちも一休みしているのでしょうか・・・。
 蝉の声といえば、10年以上前、南フランスで一夏を過ごしたことがあります。フランスの蝉の鳴き声はジジジジと、とても単調です。しかも、めったにいません。ですから、フランスの夏は、日本と違って基本的に静かです。ついフランスでの夏の朝まで連想してしまいました。また南フランス、プロヴァンスに行きたくなりました。そうなんです。すごく料理が美味しいんです。よーし、来夏は、行ってこようっと・・・。
(2007年5月刊。1381円+税)

2007年8月16日

鳥が教えて教えてくれた空

著者:三宮麻由子、出版社:NHKライブラリー
 山のふもとと言ってよいところに住んでいますので、夏の朝、ウグイスを一番に聞くことができます。朝6時ころに鳴き出します。春とは違って、安定した、明るい鳴き声です。ホー、ホケキョという鳴き声を聞くと、今日もいい一日を過ごせそうだと思うことができます。そして、そのうち、蝉の大合唱がはじまります。
 トイレに座ると、スズメたちが元気に鳴いています。わが家には、少なくとも2ヶ所にスズメの巣があり、一家が住みついています。にぎやかなものです。でも、正確にいうと、トイレの窓のすぐ上にあるスズメの巣をスズメたちが出入りするときには、ほとんど物音をたてません。ときに羽ばたく音がするくらいです。スズメなりに気づかれないようにしているのです。巣から少しはなれたところにとまって、にぎやかに鳴きはじめるのです。この本の著者はスズメの鳴き声について、次のように書いています。
 午前5時台には、スズメも寝ぼけ気味のようで、チュンチュンと小さめの声でまばらに鳴きあっている。6時過ぎると、突然にぎやかになり、ジクジクジク、チーユン、チョン、チーエムなど、いろいろ変化がつく。起きているかい、起きてるよ、というような一種の喧噪に聞こえてくる。7時を過ぎると、声はにわかに落ち着きを取り戻し、宴のあとの雑談よろしく、そこここに散っていく。8時にはエサを求めて出勤していくのだろう。通りがかりのスズメがチュンと鳴きながら、バタバタと飛んでいく音くらいになり、外はかなり静かになっていく。
 たくさんのスズメが来ている日は天気が良く、近くであまり声のしない日は、曇りか雨になる。
 著者が全盲であるのを知ったのは、このあとのくだりを読んでからでした。耳だけでよく観察しているなと感心したものでした。著者が全盲になったのは4歳のとき。眼圧を下げる手術によって、一日で光を失ってしまったのです。
 カナリアはひどい寂しがり屋で、そばでチイとつぶやくと、何回でもチイという地鳴きを返してくる。
 鳥は、神様のハシ休めだと思う。小さかったり、弱かったり、またワシやタカののように空の王者と言われても、生態系の頂点の微妙な場所にいる繊細な生きものだ。でも野鳥がいなければ、地球の生活はどんなに無味乾燥なことだろう。
 森の中で、自分が今どんな地点にいるかを知るためには、まずしゃがんで、できるだけ低い姿勢をとりながら耳を澄ますこと。しゃがまなければ、手に入れることのできる情報量は半分ほどに減ってしまう。
 いま、著者が聞き分けられる鳥の鳴き声は100種を超えるそうです。鳥の歌を、そのまま耳に残して覚えたものといいます。すごいですね。
 ソウシチョウは一羽ずつ歌が違うので、簡単に区別がつく。
 ええーっ、そうなんですかー・・・。著者の家ではソウシチョウをゲージの中で飼い、また、放し飼いにしていたとのことです。時間になると、きちんと戻ってくるといいます。たとえば、昼ごろに放すと、午後3時ころに戻ってきて、とまり木にお座りしているというのです。頭がいいし、可愛いですよね。
 ソウシチョウは水が好きな鳥で、水を入れ替えてやると、間髪を入れずに水浴びを始める。しかも、水浴び用と飲み水用の水入れは自分でつかい分ける。水浴びのときでも、必ずくちばしで水質を確かめる念の入れようだ。うむむ、小鳥がそこまでやるのですか。
 ソウシチョウは、自分の名前は一ヶ月で聞き分けて寄ってくる。一羽ずつまったく違う歌を十数種も生み出していく。放し飼いにすると、人間が探しているのを見て、先回りして家に帰っていたりする。ええーっ、ウソでしょ。と言いたくなるような話です。ホントなんでしょうが、まるで信じられません。
 わが家の庭にやってくるのはスズメのほかは、例のあのうるさくて厚かましさ天下一品のヒヨドリ、そして図体のでかいキジバトです。ときどき白と黒のツートンカラーのカササギも庭におりたちますが、何を食べているのか、よく分かりません。春先にはメジロもやってきます。ウグイスは来ますが、姿が目立ちませんので、見たことはありません。
(2002年2月刊、830円+税)

2007年7月 9日

犬も平気でうそをつく?

著者:スタンレー・コレン、出版社:文春文庫
 犬の鼻は、よく見ると、こまかい畝ができている。この模様と鼻孔の輪郭で構成される鼻紋は、人間の指紋のように個体によって違い、一つとして同じものはない。
 犬は人間より積極的に臭いを集める。左右の鼻孔を別々に動かして、臭いがどの方向から来たかを探る。そして、一瞬、息をとめて臭いを嗅ぐ。犬の鼻がいつも冷たく濡れているのは、匂いの分子を集めやすくするため。鼻の中には、こまかい毛のようなものがあり、それが匂いの分子を鼻腔へと送りこむ。この毛状のものが溶けた匂いの分子を内側へ押していき、匂いを感じとる特別な細胞の近くに分子を集める。この仕組みを常に効果的にはたらかせるためには、大量の粘液が必要になる。
 人間の嗅細胞は500万個しかないが、ジャーマン・シェパードは2億2,500万個ももっている。最高はブラッドハウンドで3億個。だから、1グラムの酪酸を10階建のビルの中で蒸発させても犬は嗅ぎ分けることができる。
 これに反して、犬の視力は、最高で0.26しかない。犬は飼い主が動いているときは1.5キロ離れても見分けることができるが、動かないとわずか90メートルしか離れていなくても見分けられない。ただし、犬の視界は270度ある。
 犬は人間ほど味にこだわらない。犬の味蕾(みらい)は、人間の5分の1しかない。犬は塩分をほしがらないし、敏感でもない。それは肉食だから。肉にはナトリウムが含まれている。犬は慣れ親しんだ味より、新しい味を好む。新しいもの好きだ。
 犬のヒゲが切られると、犬は不安になり、ストレスを感じる。そして、自分の周囲を十分に感じとれなくなる。
 犬は、人間と違って痛みを表現せず、じっとガマンする。群れの仲間から襲われないためだ。だから犬が痛みをあらわすのは、身を守るためのガマンを限界を超えたということ。
 犬は抱かれることをいやがる。動きを制限され、拘束されたように感じるからだ。
 犬が生まれて3週目から12週目までの期間内に人間にふれあうことが大切で、それによって子犬は人間との関係に自信をもつ、知らない人を怖がらなくなる。生まれて8週間きょうだいと一緒に育った子犬に比べて、すぐに引き離された子犬は、相手を強くかんでしまう傾向がある。
 生後10週目までにまったく罰を受けずに育った子犬は、ほとんど訓練不可能な犬になる。犬に罰を正しく与えるのは、非常に難しい。不適切な懲罰は、犬に非常にマイナスの心理的影響を与え、飼い主と犬とのきずなを完全に壊してしまう。
 10歳以上の犬の62%に認知症の症状があると推定されている。認知症でない健康な老犬でも、加齢によって頭の働きは鈍ってくる。
 うちの犬は、自分を人間だと思っている。この考えは間違っている。犬は、私たち人間を犬だと思っている。二本足で歩く、妙な姿をした犬。犬的な行動に完全に反応できない、あまり頭の良くない犬。こう思っている。
 犬は人間について、擬犬化をしている。だからこそ、犬は、ほかの犬にするように人間に向かって尾をふり、前脚をのばして遊びに誘うおじぎをし、人間の匂いをかいでいるのだ。
 最後に、この本のタイトルにあるとおり、犬はほかの犬も人間に対してもうそをつくことができます。だますのもゲームのうちなんです。
 古くからの人間の良き友、犬についてまたまた認識を深めることのできる本でした。
 雨の少ない梅雨になりそうだというので、水不足の夏になるのかと心配していましたが、このところ大雨が降っています。蝉の鳴き声を7月2日に一度だけ聞きましたが、その後は、雨のため地上に出てこれないようです。実は鳴き声を聞く前、まだ雨の降らない6月末(6月30日だったと思います)に蝉の死骸が路上に落ちているのを早くも見つけ、えっ、今年は早いなあと思ったものでした。参院選も今週から始まります。世の中をいい方向に変えたいものですよね。

2007年6月14日

うなぎ丸の航海

著者:阿井渉介、出版社:講談社文庫
 日本人の食べるウナギの相当量はヨーロッパから輸入される大西洋ウナギだそうですが、この大西洋ウナギの収穫量が激減しているそうです。この本は、日本産ウナギの産地探しの苦労話です。『アフリカにょろり旅』の主人公の先生たちも登場します。ウナギの産卵地調査は、年々減少の一途をたどるウナギ資源の確保のためでもあるのです。
 ヨーロッパウナギそしてアメリカウナギの産卵地が大西洋にあるサルガッソ海の数千メートルの深海であることが突きとめられたのは1922年のこと。
 では、ニホンウナギの産卵地は一体どこなのか。1967年、台湾の南、バミュー海峡でレプトセファルス(ウナギの仔魚)が発見された。1991年、マリアナ諸島の近くで、さらに小さなレプトセファルスが採集された。しかし、それ以上はなかなかつかめなかった。
 ウナギは群れをつくる魚ではない。一尾いっぴきが孤独に旅をして産卵場にたどり着く。
 ウナギの耳石によると、4月から11月、とりわけ6月から7日の新月の夜がウナギの産卵の日。6月の新月以前に到着したウナギは新月を待ち、それに遅れたものは海底の岩穴にひそんで7月の新月を待って、その日に産卵する。これを新月仮説という。
 レプトとして黒潮に乗ったウナギは、沿岸で体長を縮め、薄い葉っぱの形から初めて親と同じ姿になる。形は同じだが、透明なシラスウナギだ。これが河川に遡上すると黒くなる。そして、7月から10年くらいで、体長60から100センチ、銀色の光沢をもつ銀ウナギに成長する。すると眼を胸びれが大きくなって、台風の増水に乗って海に下る。そして黒潮に逆らうか横切るかして、延々数千キロを泳いでいく。海に入ると一切餌をとらず、胃や腸は縮んで消えてしまう。かわりに雌は卵、雄は精子で腹がはちきれそうに膨らむ。
 ただし、黒潮に乗って沿岸に達したウナギたちの中には、河川に遡上せず、一生を海水中に暮らすものもいるようだ。これはウナギの耳石に含まれるストロンチウムの解析から最近になって判明したこと。
 ウナギはなぜ数千キロの旅をして、卵を産みにふるさとに帰るのか。
 ウナギが数千キロを泳いで、この海まで卵を産みに来るのは、1億年もちきたったDNAによる。恐竜がのし歩く白亜紀にウナギの祖先は地上に現れた。現在のボルネオのあたりに。ウナギは熱帯のぬるく浅い水の中で、豊かな餌を食べて繁栄し、分布を広げていった。グアムに近い熱帯の海で産卵し、孵化した卵は、プランクトンとして北赤道海流と黒潮で運ばれつつ成長し、半年して親の姿になったところで接岸、そして河川に遡上、成熟して降海し、生まれ故郷まで、また数千キロの旅をして産卵という大回遊路を生きる形としてつくりあげた。
 すごいウナギの生き方です。これからは心してウナギのカバ焼きをいただくことにします。ハイ。
 いま、わが家の庭には白、黄色、ピンクそして朱色の百合の花が咲いています。まるで空に青い花火をうち上げたようなアガパンサスの花も咲きました。アジサイと同じで、梅雨の雨にうたれる風情がいいのですが、残念なことに今年は雨が少ないようです。田植えの準備がすすみ、あとは雨が降るだけです。

2007年5月18日

タヌキのひとり

著者:竹田津 実、出版社:新潮社
 面白く、やがて悲しき物語です。森の獣医さんの診療所便りというサブ・タイトルがついています。すさまじいまでの苦労話を読むと、野生動物とつきあうのがいかに大変なことか、ノミに喰われたかゆみ・痛さとともに伝わってきます。でも、写真だけを眺めていると、カッワユーイと、つい叫んでしまいそうです。
 森に帰らなかった一人っ子タヌキの「ひとり」。子どもを連れて里帰りしたキタキツネの娘、集団入院したモモンガ、溺れたカモ・・・。いろんな森の動物たちが登場します。
 今日も森の診療所は大忙し!
 これはオビの文句です。しかも、まだまだ登場するんです。ノネズミは愛娘の布団のなかで圧死してしまいました。キツツキは朝5時なると診療所の窓ガラスを叩きます。エサくれ、とねだっているのです。野ネコ(野良猫とは違います)は、キタキツネとナワバリをめぐって熾烈な戦いをくり広げます。
 獣医師は、助けた患者から感謝されることのない職業。それどころか、助けた患者からありがたいお礼参りで、何度も痛い目にあわされる。ひゃあーっ、損な役回りなんですね。でも、それを承知でこの仕事を続けているのですから、ホント、偉いものです。森の中にリハビリセンター小屋まで建てたというわけで、すごいすごい。
 モモンガは空を飛ぶ。でもその前に、人間はモモンガのノミにやられてしまう。痒さとしつこさはたまらない。読むだけで背筋がゾクゾクしてきました。お風呂に入ると、身体のビミョーな部分ほどたまらなくかきむしってしまうというのですから、おっとっと、近寄りたくありません。それでも、飛べないモモンガをリンゴでつって飛行訓練させているところの写真なんか、つい痒みを忘れて私もしてみたくなります。
 カモのヒナが水に溺れて、本当に死んでしまった。実はカモは水に浮かない。浮くには条件がある。カモのヒナが水に浮くのは、ひとつは体を覆う綿毛といわれる羽毛が静電気を帯びていること、もうひとつは羽毛に油脂がぬられていて、それが水をはじき、結果として水面に浮く。さらに、カモのヒナは親鳥の翼の中に出入りをくり返す。このふれあい、こすりあいの摩擦によって静電気が生じる。では、親鳥がいなかったらどうするか。絹製の風呂敷のなかにカモのヒナを入れて、上下・左右にふりまわす。油脂を体中にぬりこむ作業のほうは、お手本もなく大変だった。それでも、ちゃんと空を飛べるようになって仲間と一緒に渡り鳥になっていくのです。
 うーん、素晴らしい写真ばかりで、たんのうしました。

2007年5月11日

野生のカメラ

著者:吉野 信、出版社:光人社
 オビに動物写真家の世界冒険撮影記と書かれていますが、まさに納得のキャッチ・コピーです。すごい迫力の動物写真のオンパレードです。これで1900円とは、実に安い。
 クマが出没する地域でキャンプするときには、食料は車の中か、特別にもうけられた食料貯蔵庫に入れておかねばならない。そんな規則は分かっていたはずなのに、友との久しぶりの再会を祝って、夜遅くまで語りあってマグカップを机の上に置いたままテントに入りこんで寝てしまった。そこへ夜中、グリズリーが登場した。危機一髪。その友というのは、1996年にシベリアでヒグマに襲われて亡くなった星野道夫氏のこと。いやあ、いつも危険と隣りあわせだったんですね。
 トラの写真をとりに行ったとき、一番近づいたのはわずか3メートル。このとき、著者はゾウに乗っていました。オープンのサファリカーに乗ったときには5〜6メートル。いずれも襲われる心配はしなかったということです。トラがジープのすぐ横を通り過ぎながら、軽く口を開けて、「やあ」といわんばかりの顔で著者に挨拶していったこともあるそうです。えーっ、そうなんですかー・・・。でも、やっぱりトラって怖いですよね。
 この本には、ジープの屋根の上にチーターが乗っかっていて、著者がその脇に頭を出している写真までもあります。こうなると、何メートルどころではありません。何センチという近接した距離です。チーターがひょいと爪を立てたら一生の終わりです。
 ネコ科の動物は基本的に水を嫌う性質があるが、トラは例外で、暑い夏の日などには好んで水に入る。なるほど、それででしょう。インドでベンガルタイガーが水浴びしている瞬間をとらえた迫力満点の写真もあります。
 アフリカでもっとも恐ろしい動物は、なんとアフリカスイギュウだというのです。驚きました。ライオンやトラ、そしてワニではないんです。ホントなのかなあ、思わずつぶやいてしまいました。
 好きなことをやっていて本人はとても幸せだと思うのですが、臆病な私なんかにはとても真似できない話のオンパレードです。でも、このような冒険写真家がいてくれるおかげで、野生動物の生態が茶の間で居ながらにして楽しめるのですから、感謝、感謝。大いに感謝しています。

2007年4月27日

子犬のカイがやって来て

著者:清野恵理子、出版社:幻冬舎
 犬好きの人にはこたえられない本です。スソアキコの絵もまたいいんですよ。ワンちゃんが実に愛らしく生き生きしています。まさに、犬に笑い、犬に泣く本なのです。
 イギリスからラブラドールの子犬が届きます。ひょろっとしていて、お世辞にも可愛いと言えない妙なおっさん顔。目は小さい。たちまち寝息をたてる天使のようなカイ。
 ところが、初対面のカイが殊勝におとなしくしていたのは、長時間の空旅による疲労のせい。ぐっすり眠って、お腹いっぱい食べて元気を取り戻したカイのパワーは、予想をはるかに上まわった。
 まあ、その腕白ぶりをこれでもか、これでもかと紹介していくことになるわけですが、それがまた犬好きにはたまらないんですよね。たとえば。防犯システムの特別なリモコンを見つけてガシガシかじったばかりに、パトカー6台が出動する騒動を起こしてしまう。
 やんちゃ盛りの犬たちが日々繰り広げる悪戯に、ついついご近所に聞こえそうな大きな声も出す。そのたびにカイたちは、「大変なことをしてしまって、本当に申し訳ない」とばかりに、がっくりと首をうなだれ、殊勝な様子で尻尾を落とす。それでも、声を張り上げる飼い主の興奮がおさまるのを、しばらく我慢して待ちさえすれば、何事もなかったように甘えられることをちゃんと知っている。上目づかいで見つめられれば、それまですごい剣幕で叱っていた飼い主も、ついほっぺたが緩む。そうなると、カイたちの思うつぼ。あっという間に、ターボエンジン全開の腕白小僧に逆戻りしてしまう。
 犬も人間の幼児のように、特定の縫いぐるみを気にいることがあるというのに驚きました。熊の縫いぐるみに執心したワンちゃんがいたのです。
 著者は八ヶ岳のふもとに別荘をもち、冬と夏などを犬と一緒に過ごす。犬たちは生まれつき人間を友だちと思っているふしがあり、ためらうことなく体当たりで甘えてくる。
 犬種による性格の違いはたしかにある。柴犬やハスキーはシャイで、少しだけ距離をとってこちらを観察している。時折、気が向けば遠慮がちにやって来て、人間に背中を向けてお座りし、なでてと健気な様子で催促する。眠るのは、リビングのソファーや部屋の隅においた座布団の上で、あくまでも慎ましさを忘れない。
 しかし、「待て」をさせられていたレトリバー犬たちは、「よし」の号令で、ベッドに飛び乗ってくる。暗黙のポジション決めがなされているらしく、それぞれの定位置に落ち着くと、安心したように寝息をたてて眠る。掛け布団の上だから、40キロの体重の犬たちに囲まれて眠ると、からだ中に布を巻かれたミイラの状態で、寝苦しいことこの上ない。
 犬たちは言葉こそ話はしないが、目や尻尾、からだ全部をつかって饒舌に思いのたけを私たち人間に伝えようとする。なかでも目がすごい。私たちを信じきった無垢なまなざしに勝てる術はなく、いつだって勝利をおさめるのは、彼ら犬たちである。
 うーん、そうなんですよね。福岡の斉藤副会長も3歳のラブラドールを飼っていて、毎朝、早朝から海岸を散歩させているそうです。いいですよね。うらやましいです。

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