弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

生物

2010年4月26日

外来生物クライシス

著者:松井正文、出版社:小学館新書

 世界中の生き物たちが、本来の生息地を離れて世界各地に拡散しています。外来生物と呼ばれるこれらの生き物たちは、当然ながら日本にも押し寄せ、私たちを取り囲む環境に入り込んでいるのです。
 日本には、2239種の外来生物が定着している。そのうち動物については633の外来種の定着が認められている。
 京都の鴨川にはオオサンショウウオがいるが、チュウゴクオオサンショウウオが入り込んでいる。オオサンショウウオの寿命は長く100歳に達する個体もいる。2008年9月の時点の分析によると、111匹のうち中国型が13%、雑種が44%となっていた。幼生の71%が雑種だった。
 中国ではチュウゴクオオサンショウウオは珍味として異常な高値で取引されている。そこで日本にも食用に輸入された。その子孫が鴨川に存在するらしい。
 外来種のタイワンザルは、姿がニホンザルと見分けにくい。ただ、尻尾が40センチと、ニホンザルの尾が10センチ程度と短いのに比べて、ずっと長い。この2種の交雑が急速に広がっている。
 日本のメダカが減少している。それに似ているのがカダヤシ(蚊絶やし)。いずれも3センチほどで、見分けるのは容易ではない。
 メダカが減っているのをカダヤシのせいにすることはできない。メダカの棲めない環境が急速に増えていること、それによってメダカの繁殖能力が落ちていることが根本的な原因である。日本各地にメダカを戻したいのなら、カダヤシを駆除するだけでなく、田園環境や、小川のあった自然を復元し、メダカの棲みやすい環境を取り戻す必要がある。
 ミツバチを受粉に利用している園芸農家は日本全国で1万ヘクタール。女王蜂の輸入がストップすると、すぐに国内の果物や野菜生産に多大な影響が生じる。国内自給率40%を切っている日本の農業のもう一つの危うい姿である。
 2008年、働き蜂の突然の大量死によって、1割ないし2割もミツバチが減った。
 アメリカでは、2005年ころから、ミツバチの4分の1が死滅した。
 アルゼンチンのミツバチには凶暴なアフリカ系ミツバチの遺伝子が拡散している。欧州系ミツバチに比べて攻撃性が強く、長時間にわたって攻撃するため人や家畜を死に至らしめることがある。
 セイヨウオオマルハナバチは、あまりにも強い繁殖力をもっている。そして、花の外側に穴を開けて吸うため、日本固有の植物の繁殖を妨げる心配がある。
 なるほど、外来種が入りこんできたって、種が多様化するだけじゃないの、なんて気楽なことは言っておれないようです。人間と違って、混血(ハーフ)というのはいいことだけではないのですね・・・。
(2009年12月刊。740円+税)

2010年4月12日

象虫

著者 小檜山 賢二、 出版 出版芸術社

 コクゾウムシ。幼いころはコクンゾムシと呼んでいました。米びつにわく小さな虫です。つまんで外に捨てていました。今は昔の話です。
 ゾウムシは、このコクゾウムシの一つです。すごい写真集です。圧倒されます。体長3~6ミリの小さなゾウムシなのですが、それをくっきり鮮明なまま、超拡大写真で見せてくれます。怪獣です。それも、想像を絶する怪獣たちのオンパレードです。ヘンテコリンな顔や形。鼻も目も不気味な形をしています。色は怪しげに光り輝いています。
ゾウムシは世界に6万種いる。恐らく20万種はいるだろう。日本では1300種が確認されている。日本の蝶が200種なのに比べて、いかにゾウムシの種類が多いか分かる。ゾウムシは生物界でもっとも種数の多いグループなのである。
 ゾウムシは1億年1上の年月にわたって命をつないで進化してきた、進化のトップランナーである。ゾウムシのキーワードは、多様性。色、形、大きさ、ともに多様性に富んでいる。ゾウムシは高度に進化した昆虫なのである。
 この写真集を見れば、まさしくそのことが実感としてよく分かります。
長い鼻を持っているように見えるが、実は鼻ではなく、口。口吻(こうふん)という。
 ゾウムシの仲間は飛ぶことが苦手だ。飛ぶことをあきらめて、身体を鎧で固めたのが、カタゾウムシである。
 大部分のゾウムシは、死んだふりをして敵をやり過ごそうとする。
 擬死は、あくまで死んだふりである。地上に落ち、やがて動き出して逃走する。
 まず、カブトムシとかクワガタムシを想像して下さい。そして、派手な色をその体にペインティングします。さらに鼻(口吻)を長く伸ばします。眼はトンボやハエのような複眼です。背中はカミキリムシのようなスッキリしたものもあれば、毛がふさふさ生えているものもあります。その部分を拡大した写真があります。色つき真珠を背中にちりばめたような情景です。
 いやあ、この世にはこんな生きものが無数にうごめいているのですよね。生命の神秘をひしひしと実感させてくれる、素晴らしい写真集です。
(2009年7月刊。2500円+税)

 玄関脇に赤いチューリップが10本咲いています。一番遅いグループです。夜帰ったときは静かに迎えてくれますし、朝出かける時には元気ハツラツで行ってらっしゃいと見送ってくれます。奥の方には黒いチューリップも咲いています。真っ黒ではありませんが、かなり黒っぽいのです。アレクサンドルの小説「黒いチューリップ」を思い出します。
 昔、オランダというかヨーロッパでチューリップの球根が投機の対象となったことがありました。
 アイリスがたくさん咲いています。甘い芳香を漂わせるフリージアのほか、イキシアやシラーも咲いています。春の花園に入ると、身も心も軽く、浮かれてしまいそうです。

2010年4月 5日

森の奥の動物たち

著者  鈴木 直樹 、 出版 角川学芸出版

 ロボットカメラを日本の森に仕掛けて撮った夜の動物たちの素顔です。よくぞ撮れたと思うほど、くっきり鮮明な写真のオンパレードです。お疲れ様でした。
 自分の匂いを消し、木々のあいだに姿を消すことに関してはジャングルで修練を積んだ。ジャングルに適応すると、人間を遠くからでも感知できるようになる。現代人が近づいてくると、足音がする前に、地面がわずかに振動をはじめる。続いて足音と話し声。そして極めつけは匂いである。姿を見せる前に、猛烈な文明人の匂いが雲のように押し寄せる。シャンプー、香水、ビール、肉の脂などの匂いが合わさって、波のように押し寄せてくる。これでは動物に見つからないわけはない。ましてや、人間より嗅覚も聴覚も鋭い動物たちは、これらが千倍もの強さの五感への雑音として伝わるであろう。
 うへーっ、す、すごいことですね。著者は森の奥へ、それも夜の森の中へ入ろうというのですから、とても私にはできません。そして、雪山用の迷彩服というのはドイツ軍製のものが一番実用的なようですね・・・・。
 ロボットカメラといっても、写真に紹介されているのは、とても小さくて、えええっ、こんなものでちゃんと取れるのかしらん、と思ったほどです。
一日中、森の中をはいまわってロボットカメラを設置した夜、遠くの山並みをみわたしながら、こちらの山脈で一つ、向こう側の森の奥で二つと、ストロボで梢がかすかに光るのを確認するのは、苦労が報われる幸せのひとつでもあった。
 いやはや、お疲れさま、としか言いようがありません。でも、その苦労のおかげで、こんなにくっきり、すっきりと鮮明な写真が拝めるのですから、ありがたいことです。
 登場するのは、テン、タヌキ、リス、ネズミそしてモグラとハクビジンまで姿をあらわします。みんな可愛いです。
 夜の森では何が起きているのか、自分で行く勇気まではないけれど、知りたいという人には、うってつけの写真集です。ぜひ、手にとって見てみてください。でも、同じように夜のゾウを撮影しようと思っても、なかなかうまくはいかなかったようです。それでも成功したと言えるのでしょうか。ゾウが侵入者(ロボットカメラ)に怒って、あの巨体で踏みつぶしてしまったというのですから。
ゾウの怒る気持は分かりますが、人間としては、ぜひ知りたいところではあるんですよね。殺すわけではありませんから・・・。ゾウさん、許してね。

(2009年7月刊。2800円+税)

 阿蘇の猿まわし劇場に久しぶりに立ち寄りました。春休みとはいえ、平日午後だからやってるのかしらん、やってても閑散としているだろうなと心配していましたが、駐車場にはなんと大型の観光バスが何台も停まっています。会場に入ると、そこそこの観客がいました。演じてくれるお猿さんは、2頭です。6歳と9歳のオス猿君たちでした。猿の年齢は3倍すると人間の年齢になるそうですから、青壮年の猿君です。
 2本足ですっくと立ち、ポーズをとる様は、誇りをもって演じていることがうかがえます。
 いろんな芸ができるので、感心、感嘆して見とれていると、40分があっという間にすぎてしまいました。私が何より感心したのは、天井まで届きそうな2本の竹竿を床から一人で立ち上げて。それを竹馬として舞台を上手に歩き回ったことです。すごくバランスを取るのが上手なのに感動してしまいました。
 大勢いた観客は、実は韓国人でした。そのなかの一人が、ビデオ撮影禁止という提示があるのを無視して舞台近くまで迫って撮影していたので、さすがに係員から制止されていました。でも、その後も動きまわることは少なくなりましたが、撮影自体は最後まで止めませんでした。こんなに面白いものなので、家に帰って家族に見せてやりたいと思ったのでしょう。その気持ちは分かりますが、それにしても、ちょっと目ざわりではありました。おばちゃんにはかないません。

2010年3月28日

道具を使うサル

著者 入來 篤史、 出版 医学書院

 ニホンザルも道具を使うことを初めて知りました。宮崎・幸島のサルたちが海辺でイモの泥を洗い落して食べると言うのは知っていましたが、道具も使えるのですね……。
 サルは訓練すると、熊手を使えるようになるし、モニターも使うことができる。しかし、何のしかけもない状態では、それをあえてしようとはしない。
 道具使用を訓練されたサルたちは、実験を心地よく楽しんでいる様子であった。朝、ケージの扉を開けると、自ら進んで飛び出してきて、モンキーチェアに座りこみ、実験を催促するかのように手でテーブルをたたいた。速く実験が終わると、もう戻らなければいけないのかという態度で、戻るのを嫌がることさえあった。
 サルは、比較的容易に、まず短い道具を使って長い道具を取り、次に長い道具に持ち替えて餌をとると言う二段階の道具使用行動を行うことができた。
 子どものサルは好奇心が強くて、珍しいことによく興味を示して試みてくれる。
 仔ザルには、もうひとつ、よく「鳴く」というきわだった特徴がある。仔ザルは、とにかくよく声を出している。鳴くと言うより、そばにいる人間がしゃべっているのといっしょになって、自分もしゃべっているつもりになっていると思えることがある。ところが、大人のサルになると、威嚇するときやおびえたとき以外は、ほとんど声を出すことがない。
 サルが餌を要求しているときと、道具を要求しているときのソナグラム(音声)が異なっている。
 サルも人間も、かなり共通するところが大きいことが良く分かります。サルまねなんて、バカにしてはいけませんね。
 
(2004年7月刊。3000円+税)

2010年3月23日

ライオンのクリスチャン

著者 アンソニー・バーグ、ジョン・レンダル、 出版 早川書房

 ユーチューブでライオンと若者たちの感動の再会シーンが話題になったことから、古い本が再生したのです。ともかく、感動の本でした。ライオンの子どもの頭の良さに感心しているうちに、1時間足らずの電車があっという間に目的地についてしまっていました。まさしく至福のときに浸って、時のたつのを忘れていたのです。
 オーストラリアの若者たちがイギリスに旅して、ロンドンのデパートで買ったライオンの子を育てたあげく、アフリカの地へ連れて行って野生へ戻すという話です。といっても、話は40年前のこと。この若者たちは、私と同じ団塊世代です。ロンドンのデパート(ハロッズ)でライオンの子が売られていた、それを20代の青年が買い受けてロンドン市内の住宅街で育てたなんて、とんでもないことですよね。今では考えられないことでしょう……。
 映画『野生のエルザ』を見た記憶はないのですが、本のほうは読んで感動したことをしっかり覚えています。それにしても、ロンドンのデパートって、ライオンの子どもまで売っていたんですね。信じられません。それって、はっきり言って怖いことですよね。
 売られていたライオンの子どもは、生後4カ月でした。若者たちが飼う(買う)ことを決意したのは、周囲の人たちが皆、反対したからだったというのは、笑わせます。親から結婚に反対されると、無謀にも駆け落ちするようなものですよね。
 生後4カ月で、体長は60センチ、体重も15キロしかありませんでした。
 ライオンはネコほど冷めた感じではなく、むしろイヌのように愛想よかった。だっこされたり、抱き締められたりするのが大好きで、そのたびにヒトの首に前足を巻き付け、舌で顔を舐めてくる。性格も明るく、穏やかだった。ライオンサイズのトイレを置いた。それを汚くするたびに注意すると、そのうちにきちんと使えるようになった。自分の名前もすぐに覚え、やってはいけないことも、すぐに理解した。
 どんどん大きくなって、体力的にヒトより強くなったが、それを意識させないように努めた。
 ライオンの子は、人間に従属しているという素振りは一切見せなかった。
 ライオンは、ほかの動物よりも人間とうまくコミュニケーションをとることができる。何かにつまずいたりして気まり悪いときには、何もなかったふりをしてごまかす。
 ライオンは大家族の群れで暮らすため、とても社交的な動物である。
 人間にちょっかいを出すのが大好きで、見知らぬ人がどんなリアクションをするか、いつも試していた。ある人が動物を苦手にしているかどうかはすぐに分かり、それを逆手にとってイタズラを仕掛けた。
 ライオンは口を使ってコミュニケーションをとる。ヒトの顔を舐めて愛情を表現した。
 ライオンは不機嫌なときはすぐに態度に現れる。歯をむき出しにしたり、爪を立てたりして、とても危険である。
 生後8カ月になったときには、体重60キロあった。
 ライオンは動物園で暮らすと、平均18~20年は生きる。ところが、野生では12~15年に縮まる。それだけ、自然界は厳しい。
 ライオンの子どもを僅かな間ですが育てて、アフリカの地の野生に放したあと、再会して旧交をあたためた実話です。たくさんの写真がほのぼのとした雰囲気をよく伝えてくれます。
 それにしても、アフリカの大草原で、昔馴染みとはいえ、ライオンと人間が久しぶりに再会して抱き合ったというんですよ。もちろん、人間は丸腰です。大人のライオンに顔中を舐めまわされるなんて、どうでしょうか。私には、とてもそんな勇気はありません。一度、ユーチューブで動く映像を見たいと思いました。
 
(2009年12月刊。1400円+税)

 日曜日の朝、おだやかな春の日差しを浴びて、チューリップがそれはそれはみずみずしく輝いていました。そっと近付いてカメラを構えます。私のブログに写真をアップしていますので、ぜひのぞいてみてください。春はやっぱりチューリップです。数えたら180本咲いていました。まだまだ全開ではありません。もう少しです。

2010年3月15日

カリブー、極北の旅人

著者 星野 道夫、 出版 新潮社

 すごいです、すごい写真のオンパレードです。大平原を1万頭のカリブーが埋め尽くして疾走するのです。それが写真集として気楽に眺められるのです。
 動物写真家として著名だった著者は、惜しくも1996年8月にカムチャッカ半島で取材中にヒグマに襲われて亡くなりました。
 私のテントの周りは一面、極地の花が咲き乱れていた。
 そこへ1万頭に近いカリブーの群れがやってきたのは、夜だった。
 無数の足音が和音となって、何時間もあたりに響き続けていた。
 朝になってびっくりしてしまった。見渡す限りの花が、ほとんど食べつくされているのである。花が消えてしまった寂しさ以上に、私は感動していた。
 雄大な写真の合間に、著者の言葉が書き連ねられています。これまた味わい深い詩としか言いようがありません。
 そして、カリブーの子育てが、実は大変な難事業であることも知らされます。無事に育つ子は半分にも満たないようです。
 頬を撫でる極北の風の感触、夏のツンドラの甘い匂い、白夜の淡い光、見過ごしそうな小さなワスレナグサのたたずまい…。
 ふと立ち止まり、少し気持ちをこめて、五感の記憶の中にそんな風景を残してゆきたい。
 なにも生み出すことのない、ただ流れてゆく時を、大切にしたい。
 あわただしい人間の日々の営みと並行して、もうひとつの時間が流れていることを、いつも心のどこかで感じていたい。
 上空から大草原を駆け抜けるカリブーの大軍を撮った写真があります。画面いっぱいに広がるカリブーの姿は、まるで地を這うアリの大群です。
 生命とは一体どこからやってきて、どこへ行ってしまうものなのか。あらゆる生命は、目に見えぬ糸で繋がりながら、それはひとつの同じ生命体なのだろうか。木も人も、そこから生まれでる、その時その時のつかの間の表現物に過ぎないのかもしれない。
 とにかく、どんなに失敗しても、後ろを見ず、悔まないこと。全力を尽くし、だめだったならそれでいいのだ。一番大切なのは、その時の気持ちだ。気を取り直して次の一歩を踏み出すこと。それがもっとも大事なことなのだ。こんなことからも、生きる姿勢の在り方を学ぶことができる。
 著者は、ひたすら前向きに生きようとした人だと言うことがよく分かり、共感できます。
 エスキモーにとって、カリブーは単なる食糧供給源ではなく、昔からの大切な文化的意味を持っている。その関係は、かつてのアメリカ・インディアンとバッファローとの関係に似たものだろう。
 カリブーは、尿を再利用するという特別な身体の仕組みをもっている。冬の間、カリブーは60%以上の尿を胃の中に戻す。そこで尿の中に含まれた窒素を再利用する。窒素はタンパク質合成の中心的な構成要素なので、窒素の再利用という能力を持ったカリブーは、タンパク質価の低い地衣類を食べても生きていけるのだ。
 マイナス50度にまで下がる極北の地に適応して生きているシカ科の動物として、たくましいカリブーの姿がよく捉えられています。一見の価値ある見事な写真集です。
 
(2009年8月刊。3800円+税)

2010年3月13日

新しい霊長類学

著者 京都大学霊長類研究所、 出版 講談社ブルーバックス

 ヒト科は4属。ヒト科チンパンジー属、ヒト科ゴリラ属、ヒト科オランウータン属、ヒト科ヒト属。ヒト科と近縁なのは、テナガザル類。テナガザルには尻尾が無い。ヒトという動物は「尻尾のない大型のサル」なのである。素早く動く必要が無ければ、長い尻尾を持っていても無用の長物である。
 ヒトとチンパンジーのDNAは98.8%まで同じである。3000万円前までさかのぼれば、人間とチンパンジーとニホンザルの共通祖先にたどりつく。サルはヒトの親戚だが、ヒトの祖先ではない。今生きているサルと過去のサルは別の動物である。現在、人にもっとも近いサルはチンパンジーと考えられるが、それでも600万年前に分岐した。
 現代人(ホモ・サピエンス)の直接の祖先は、20万年ほど前にアフリカで進化し、10~数万年前にユーラシアへ進出し、さらにオーストラリアや南北アメリカ大陸へも広がっていった。
 さらさらした汗はヒトの特徴の一つ。ヒトがかつて水生だった証拠はない。ヒトの胎児には毛が生えている時期がある。毛の少ないヒトは、外部寄生虫に取り付かれにくいので、健康状態はよく、長生きできた。
 もてるメスは子どもを持っているメス。子どもを何頭も育てたメスが発情すると、オスたちが群がる。おばあさんザルでも、もてもてになる。
 メスが好むのは、何年も見なれたオスではなく、新しいオスである。
 メスのサルは、高順位のオスの監視の目から逃れて、自分の好きなオスと逃避行する(かけおち)。
 ヒトとサルの違いをよく知ることのできる100問100答がのっている、面白い本です。

(2009年9月刊。1180円+税)

2010年3月 1日

動物病院24時

著者 ニック・トラウト、 出版 NTT出版

 アメリカの動物病院の一日24時間を紹介するスタイルの本です。もちろん、患者は犬だけではありませんが、なぜか犬が多いのです。
 僕は天性の外科医ではない。いわゆる手先の器用さには恵まれなかった。ありがたいことに、外科手術の技術は練習で身につけられる。ピアノを弾くのにちょっと似ている。やる気があって、それなりの時間をかけて努力すれば、初めは一本指でたどたどしく弾いていたのが、やがて上達し、鍵盤を正確にたたいてメロディを奏でられるようになる。
 ペットの人気の第1位は猫、2位は犬。そして第3位は、なんとインコ。インコはアメリカだけでも800~1400万羽も飼われている。
 アメリカ人は、ペットの世話のため年間400億ドルもつかう。アメリカでは、この10年で専門資格を取得した獣医師が76%増加し、8000人以上が専門分野をしぼっている。
 ところが、医療従事者全体のなかで、自殺者の率が一番高いのは獣医師である。
 この動物病院の平均治療費は300ドル(3万円)。しかし、人口股間接置換手術は5000ドル(50万円)、心臓ペースメーカー手術は3500~4500ドル(35~45万円)。背骨のMRI検査は2000ドル(20万円)、CTスキャンは1000ドル(10万円)。放射線治療は1コース3000~4000ドル(30~40万円)。化学療法の平均的なコースは3500ドル(35万円)かかる。アメリカのペット保険加入率はわずか1~3%でしかない。ちなみにイギリスは20%が保険に加入している。では、日本は……?ペットを世話するのにもお金がかかりますね。
 臓器が動かなくなり、余病が猛威をふるい、感染症が牙をむき、苦痛を和らげてやれなくなるところまで病気が進行しても生かされている動物を見ると、飼い主の気持ちが分からなくなる。身勝手な動機から意味もなく動物を苦しませ、保護者としての基本的な責任を安易に放棄しているように思えてならない。
 犬や猫の面倒を一生涯見てやることが飼い主のつとめであり、悲しいことだけれども不快感や苦痛を取り除いてやることも保護者としての義務の一部なのだ。たとえそれが、安楽死を選ぶということであっても……。
 動物は嘘も裏切りも不貞も絶対にない関係をくれる。わずかな努力でうまくいき、しかもいつまでも長続きすることが約束された結婚だと思えばいい。結婚前の取り決めはいらないし、離婚の心配もない。つまり、ぎくしゃくし、ひびが入り、2度と元に戻らない危うい関係ばかりのこの世の中で、真実の愛が見つかる可能性がある。心から安心できる愛が見つかる可能性がある。
 なーるほど、だから人間はペットを愛するのですね。そして、深刻なペットロスが生まれるわけなんです……。
 獣医にとってもっとも大切なスキルは、人間とのコミュニケーション術を磨くことにある。獣医の仕事は動物を治療することだが、それは人間のためにすることなのである。
 飼い主の話にしっかりと耳を傾け、共感という言葉になりにくい心の底からの通じ合いを求めようとする。これは難しいことではない。短い診察時間にありったけの誠意とおもいやりと信頼をそそぐこと。そして何よりも、ただ黙って聞き役に徹するべきときを知ることである。
 うむむ、これって弁護士にも共通するものがありますね。大変勉強になりました。面白い本です。動物好きの人には、ぜひ一読をお勧めします。

(2009年11月刊。1900円+税)

 昨日の日曜日はたっぷりの陽光も優しく、春らんまんでした。朝、雨戸を開けるとウグイスのホーケキョという鳴き声が聞こえてきます。まだ長くは鳴かず。発声練習中と思わせる初々しい泣き声でした。
 庭に黄水仙があちこちで咲いています。チューリップの芽はぐんぐん伸びています。サクランボの桜の木が、白い花をたくさん咲かせています。ソメイヨシノと違って地味です。
 膝はおかげでなんとか歩けるようになりましたが、今度は花粉症に悩まされています。うれしい春にも困ったところがあるのです……。

2010年2月27日

カメムシはなぜ群れる?

著者 藤崎 憲治、 出版 京都大学学術出版会

 ホオズキカメムシは成虫が体長1センチほどの黒褐色をした地味な色合いのカメムシ。ホオズキという植物の語源は、ホウがつく植物のこと。ホウというのは、カメムシをさす古語。私の家の庭にもホズキがありますが、それがカメムシ由来の名前だと言うのには驚きました。
 ホオズキカメムシは、幼虫のとき、強い集合性を持っている。寄り集まって、みな外側を向いた円陣隊形をとる。
 ホオズキカメムシが襲われたとき、その個体が警報フェロモンを発するため、他の個体は速やかに逃避する。自らが犠牲になることによって兄弟が助かると、遺伝子は兄弟経由で次世代に受け継がれていく。利他的な行動のように見えて、実は利己的な行動なのである。
 ホオズキカメムシは成虫になっても初めのうちは幼虫のときと同じく、オスもメスも一緒に仲良く集合して吸汁している。ところが、性的に成熟し、繁殖期が始まると様相が一変する。オス同士が互いに排斥しあうようになる。
 ホオズキカメムシのオスはハレムをつくり、10匹のメスを占有する。
 カメムシたちが群れることには意味があることを、実証的に明らかにした面白い本です。学者って本当に偉いですね。こんなことをじっとじっと見つめていて、その違いを掘り下げて研究し、論文を書いていくわけなんですからね。たいしたものですよ。
 
(2009年10月刊。1800円+税

2010年2月22日

思考する豚

著者 ライアル・ワトソン、 出版 木楽舎

 つい先日も豚シャブを食べたばかりです。豚肉でも、ときには牛肉のようにシャブシャブで食べられるのですよね……。この本を読んで、そんな身近な豚について、認識を改めました。
 豚は根っからの楽天家で、ただ生きているというだけで自らわくわくできる生きものだ。
 猫は人を見下し、犬は人を尊敬する。しかし、豚は自分と同等のものとして人の目を見つめる。
 豚は独特だ。考え、働き、囲いの外で遊ぶ。この4000万年のあいだ、豚の姿形や基本的な構造はほとんど変わっていない。
 豚はとても社会的な動物である。楽しげに寄り集まり、身体にふれあいながら、家族集団で暮らしている。若いオス豚たちは、成熟すると自発的に群れを離れるか、群れから追い出される。
 オス豚は年をとると、いつしか自分から群れを離れていく。一方、年老いたメス豚が一頭だけで暮らすことは決してなく、いつまでも社会集団のなかに留まり、女家長的存在になる。集団がどこで食糧をあさり、いつ移動するのかは、しばしばこの女家長に合わせて決定される。ちょうど象の社会集団のようである。
 豚は恐ろしいほどよく眠る。一日の半分はゆったりと身体を横たえて静かに動かずに過ごす。そのうち半分は、時々いびきもかく深いノンレム睡眠だ。
 豚は本来、昼行性である。
 豚の行動圏において欠かせない目印は、糞をする場所である。
 豚の鼻がユニークなのは、鼻で地を掘る習慣に負うところが大きい。鼻先は平たくなっていて、軟骨組織の丈夫なパッドが詰められているため、かなり硬い地面でも掘ることができる。
 野生の豚は、トカゲ、ヘビ、ヒナドリ、小型の哺乳動物など、捕まえられるものならほとんどんなんでも殺して食べる。
 豚は、あらゆる意味できれい好き、かつ、繊細である。どの豚も匂いに対する鋭い感覚を持っている。豚は匂いを嗅ぎ分けるのに最適な身体をしている。鼻は同時に腕、手、鋤(すき)、主要な感覚器官でもある。
 豚の社会は匂いにしばられている。豚の行動はおおむね匂いによって決定される。
 豚は決して縄張りに固執する動物ではなく、季節に合わせて移動できる行動圏を持っている。
 豚の新生児は数分で母親の声を認識しこれに反応する。生まれて1時間もたたないうちに、子どもたちは母親の声とそれ以外のメス豚の声を聞き分けられる。
 豚は人間の指図を受けるのがあまり得意ではない。そうなるには頭が良すぎるのだ。だから、同じことを繰り返す退屈な作業を快く感じない。
 いま、何千頭もの豚が生物医学の研究に従事している。いくつかの解剖学的構造において、豚はどの動物よりも人間に近い。
 週に何回も食べている豚が、こんな動物だったとは……。
 
(2009年11月刊。2500円+税)

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