弁護士会の読書
※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。
生物
2010年10月12日
銀狼王
著者 熊谷 達也、 集英社 出版
開拓期の北海道。老猟師は、幻の狼を追う・・・・。両者の誇りをかけた緊迫の5日間。これはサブ・タイトルとして書かれた文句です。猟師が雪の中、狼を追い続けてさまよい、ついに狼の群れに遭遇します。狼王は、連れの狼が撃たれて倒れたとき・・・・。手に汗にぎる、迫真の対決です。すごいですね、この著者の生々しい描写力には、いたく感服してしまいました。
老猟師といいますから、60代か70代だろうと思っていると、とんでもない、わずか50歳でしかないのです。これで老猟師とは可哀想です。と、いつのまにか61歳になってしまった私は思います。
北海道において、ヒグマやオオカミ猟は、とれた獲物の毛皮や肉でもたらされる利益だけでなく、直接、現金を得る手段となる。鹿狩りと違って、捕獲に対する手当がお上から出るのだ。10年前に、狼と羆それぞれ一頭につき2円から始まった捕獲手当は、すぐに狼が7円、羆が5円に引き上げられ、5年前に羆が1頭3円に下がったものの、狼は逆に1頭につき10円の手当がつくようになった。
オオカミを追うほうが、ヒグマをとるより、はるかに楽しい。本物の狩りというのは、獣と人間との知恵比べである。
北海道の冬を甘く見てはならない。しかも、ここは、標高1000メートルはある山の中だ。いったん気温が下がりだすと、どこまで凍てつくか、分かったものではない。歩き続ければ、体温の低下は防ぐことができる。実際、牧場に飼われてはいても、西洋馬と違って、厩舎をあてがってもらえない道産馬は真冬になると、夜は一晩中歩き続けて身体を温め、昼に睡眠をとることで、厳しい冬を乗り切る。
食えるときにたっぷり食っておくのが、山歩きを続けるときの鉄則である。無理に我慢すると、肝心なときに力が出ないばかりか、悪くすると、食い物をたっぷり持っている状態で行き倒れになることもある。
鈍重そうに見えて、その実、ヒグマは驚くほどに知恵が回る。ヒグマに限らず、野ウサギなどもそうだが、穴に入るときには、必ずといってよいほど、留め足をつかって身の安全を図ろうとする。つまり、自分がつけた足跡を忠実に踏んで後ずさり、そこからひょいと脇にそれる。経験の浅い猟師には、追っていた足跡が突如として途切れたかのようにみえるので、獲物そのものが消えてしまったかのような錯覚をおこし、痕跡を見失ってしまう。
また、穴に入る前に、必ず沢を渡るヒグマもいる。沢に入ることで、雪につけてきた足跡が途切れ、これまた駆け出しの猟師は途方に暮れることになる。
狼の奇妙な習性は、もともと自分たちの獲物になる鹿のような動物ではない相手、たとえば人間などに出くわしたとき、気づかれないようにして、しばらくそのあとを追い続けるという習性がある。そして、逃走にかかったとみるや、すぐさま追跡に転じるのも、これまた狼の習性の一つである。いや、狼だけでなく、ヒグマやツキノワグマもそうだ。背を見せて逃げる相手を追いかけるのは、彼らの本能である。
狼は、つがいになった連れあいに対して、人間以上に情が深い。銃で仕留めたメス・オオカミから離れようとしないオス・オオカミを何の苦もなく仕留めたことがあった。
間近で見る、美しい銀色の毛並みをもったオス・オオカミは獣の王者の風格にあふれていた。後ろ足で立てば、間違いなく、大人の背丈をこえるだろう。虎やライオンとだって遜色のないだろう体軀の銀狼には、犬の親戚などではなく、猛獣そのものの威圧感がある。言葉では尽くせぬ威厳に圧倒される。
すごい小説です。こんなに迫力のある小説を一度は書いてみたいとモノカキ志向の私は思ったことでした。
(2010年6月刊。1400円+税)
2010年9月13日
だれでも飼える日本ミツバチ
著者:藤原誠太、出版社:農文協
セイヨウミツバチが大量死しているというニュースが流れるなか、日本在来の日本ミツバチは病気知らずで元気、しかも味わい深くて、一定の病気には薬効もあるというのです。
そんなけなげな日本ミツバチを飼ってみよう。写真つきで紹介されていますから、私にも出来そうです。でも、やっぱり一度は現物を見てみたいなと思いました。
日本ミツバチは野生種であり、人間に飼われているという意識はない。日本ミツバチは居住環境が良ければ居続けようとするが、あわないと思うとすぐに逃げ去ってしまう。
日本ミツバチは病害虫に強く、甘み以外に酸味や複雑な香りもあって、古酒のような味わい。
外勤の働き蜂が集めてきた花蜜は、貯蔵係の働き蜂に口移しされて巣房に蓄えられる。貯蔵係は、その後も口から出し入れを繰り返して、蜜中の水分を蒸発させて濃縮する。同時に、唾液中の酸素によって花蜜のショ糖がグルコースなどに変えられ、さらに有機酸も生成して、保存・貯蔵性の高い蜂蜜がつくられる。
祖先がアジアの森林うまれの日本ミツバチは、木々の間をぬってジグザグ飛行するのが得意である。その行動範囲は西洋ミツバチよろ狭く、1~2キロ程度。集団行動よりも、単独行動による訪花が多く、いろんな樹木・草花から、こまめに蜜や花粉を集めてくる。
日本ミツバチは、押しつぶされるとか、髪の毛に入って身動きとれなくなるなど、よほどのことがない限り、人を襲い、刺すことはない。
女王蜂の寿命は、自然状態で2~3年。働き蜂の寿命は、成虫になって20~30日。オス蜂は女王蜂との交尾に成功すると、そのまま空で即死する。失敗して巣にもどっても冷遇され、追放されて野垂れ死にする。ミツバチ社会は女系社会なのである。無情です。オスは、どこの世界でも辛いものがあります。
西洋ミツバチと比べて日本ミツバチは繊細で、脅えやすい。
オオスズメバチが侵入してきたとき、西洋ミツバチは一匹ずつで迎え撃つため、次々に殺され全滅する危険が大きい。日本ミツバチは集団で迎撃する。何十匹が一斉に取り囲み、45度以上の熱で殺してしまう。ただし、10匹以上のオオスズメバチが侵入してくると、さすがに日本ミツバチもかなわない。
群れの運営設計をしているのは女王蜂ではなく、働き蜂である。
ミツバチは急激な温度変化に弱い。暑いときは水を汲んできて羽で風を送り、温度を調整し、常に34度に群内の温度を保っている。
ミツバチは羽がぬれると起き上がれない。
ミツバチを扱うとき、手の感覚を鋭くするため、基本的に手袋はしない。
できる限り白いものを身につけ、髪の毛は帽子で隠す。昆虫は全般的に白い色に敵対反応が鈍く、ミツバチもあまり攻撃的にならない。逆に、ミツバチは黒色に反応する。ミツバチは乱視なので、比較的コントラストの強いものに反応する。
ミツバチに刺されたら、ヨモギ汁を塗るとよい。
女王蜂はセイヨウミツバチと交尾することがあるが、それは受精せず、オス蜂を多く生んでしまう。
よくぞここまで観察したものです。感心しました。
(2010年7月刊。1700円+税)
2010年9月12日
邪馬台国と狗奴国と鉄
著者:菊池秀夫、出版社:彩流社
邪馬台国は、やっぱり九州にあった。九州(福岡)出身の私は、声を大にして日本全国に向かって叫びたいのです・・・。
弥生時代末期の鉄器の出土状況は、圧倒的に九州が多い。権力の象徴ともいえる軍事力や農耕に使用されていた鉄器の普及は、弥生時代末期に急速に九州北部(福岡県)から中部(熊本県と大分県)に拡がった。そして、九州中部が北部を凌駕するほどにまでなった。
弥生時代末期から古墳時代初期にかけて鉄器生産の技術が九州北部から畿内に拡がっていった。畿内では、弥生時代の末期に鉄器生産の技術はほとんどなかった。
いろいろ考えあわせると、邪馬台国は山門郡瀬高町(現みやま市)にあった、ことになる。
うむむ、これはいいぞ。なるほど。なるほど、そうなんだ・・・。思わず膝を打って、立ち上がったものです。
弥生時代の九州には、鉄の武器をもつ強力な勢力が存在していた。これは、鉄器(武器)の出土数が九州は1726点(54%)、近畿は390点(12%)にもよる。
大型の武器(鉄刀、鉄剣、鉄戈)は、北部九州に集中している。鉄刀の87%、鉄剣の77%が北部九州に集中している。
弥生時代の末期、いわゆる古墳時代の前夜、九州には、大きく分けると5つの勢力が存在していた。九州北部のほとんどを支配していた卑弥呼の女王国連合の国々。熊本県北部の菊池川流域の勢力と熊本県中部の白川流域の勢力。大分県西部の大野川流域の勢力。宮崎県中部の勢力。そして、宮崎県中部の勢力は、後に畿内の大和王権となった。
宮崎県中部の勢力が北に存在した狗奴国や女王国連合の国々を飛びこえて畿内へ移動したとは考えにくい。したがって、宮崎県中部の勢力も狗奴国の一員であり、狗奴国が女王国連合の勢力を破り、畿内へと移動したと考えるほうが自然である。
著者は歴史を愛する素人ではありますが、鉄剣等の出土状況から邪馬台国を探るアプローチをするというところは、さすがゼネコン出身だけはあります。
(2010年2月刊。1900円+税)
2010年9月 6日
私は虫である
著者:熊田千佳慕、出版社:求龍堂
すごい絵です。生き物が躍動している、その瞬間が、実に細かく絵になっています。静止しているのではありません。飛翔中のカブトムシが、さながらの姿で描かれています。感嘆するばかりです。
童話の挿絵の原画もあります。ファンタジーの世界が目の前に現出します。そんな絵を98歳までずっと描き続けた著者の言葉ですから、含蓄に富む言葉が多く、胸に響きます。
さっと読めますし、読んでよかったなと素直に思える本です。
身のまわりにあるものに愛を感じ、美しさを感じ、楽しいひとときを持ち、生活の中に豊かな感性を持つことが本当のゆとりである。
古来、日本人は、花鳥風月を愛する心を持ち、豊かな感性を持った生活をしていた。そこには本当にゆとりがあった。ゆとりとは作るべきものではなく、自ずからできるものである。
物をよく見て、見つめて、見きわめる。そして、線を確認して鉛筆を走らすという画法を身につけた。
17、8のとき、将来、小さい人たちのために仕事をするには、体だけでもピュアにしておこうと思って、それでお酒と煙草はのむまいと決めた。
うへーっ、煙草は、ともかくとして、お酒まで絶たなくても良かったのでは、と思いました。
いつも芸の仕事も他のことも、八分のペースを土台にしている。集中力を八分のペースですすめる。十のペースの力を八のペースの中で集中する。残った二の力は芸のゆとりにする。なーるほど、そういうことなんですね・・・。
自然そのものがアートなんだから、こつを本当になくして、無心で入ってしまえばいい。そうしたら、そのままのものが出てくる。
花の香りは花の命の香り。花の絵の究極の目的は、その花の香りの描写である。すなわち、花の命の描写である。うむむ、なんという言葉でしょう。言い放しにしないところがすごいですね。
雑草という言葉は使わない。どんな小さな花でもみんな名前を持っている。どんなものを見ても、それぞれの美しさを持っている。
虫と同じ目の高さにならないと、虫の本当の姿は見えない。だから腹ばいになる。
そうやって気づいた。虫は僕であり、僕は虫である、と。人間様がいちばんえらいような顔をしているけれど、虫から見れば、所詮は同じ生き物。動物でも植物でも、根は一緒。この地球の上で共生している存在であり、お互い大切な存在なのだ。
著者は野外でスケッチしないというのです。これには、さすがに驚きました。頭の中に、その姿を焼きつけておいて、家に帰ったらすぐに描きとめておくのです。
うへぇ、これって、並の人間にはとても出来ないことです。さすが、ですね。
活き活きとした緑や花のある家は、お金のあるなしではなく、幸せな、ゆとりある家庭を築いている。こんな論評があります。たしかに、そうは言えるのではないでしょうか。
最後に、著者のペンネームの由来を聞いて笑ってしまいました。なんと、千人の佳人に慕われるように名付けたというのです。それでは、私も同じペンネームにしなくてはいけませんね・・・。
著者の描いた絵の現物をじっくり眺めたいと思いました。
(2010年4月刊。1200円+税)
フランスでは超高級レストランはともかくとして、人々は、ともかく店の外で飲食するのを好みます。
カフェーもてんないより、歩道に引き出したテーブルで、通行人を眺め、自らも見られながら、ゆっくりコーヒー、ビール、そしてグラスワインを楽しんでいます。
食事も、外の席から埋まっていきます。テラスのテーブルは、少し離れているだけで、ほとんど相席感覚です。
なぜか虫がきません。蚊やハエに悩まされたことはほとんどありません。
そして、不思議なことに、ウェイターもウェイトレスも客の出した勘定をろくに数えずに「メルシー」と言って受け取ります。もちろん、おつりをもらいたいときにはお釣りをくれます。このおうようさが不思議でなりませんでした。
2010年8月30日
鳥脳力
著者:渡辺 茂、出版社:化学同人
鳥は恐竜から進化した動物ではなく、生き残った恐竜なのである。恐竜には、鳥型恐竜と非鳥型恐竜があるのだ。恐竜が6500万年前に絶滅するより前に非鳥型恐竜と鳥(鳥型恐竜)は共存していた。そして、鳥型恐竜は現代鳥として生き残ったのだ。
なんと、鳥と恐竜の関係は、こんなに深いものだったんですね・・・。
小鳥は、脳の片半球ずつ眠ることができる。これは、捕食者に対する警戒を絶やさないため。そうなんですか・・・。
カケスは、ものを隠して、その場所を覚えているという記憶力に優れているばかりでなく、他者のものを盗むという悪知恵ももっている。いやはや、なんとういうことでしょう。
鳥類は道具をつかう例は、哺乳類より多い。ニューカレドニアカラスは、加工した道具を携帯して場所を移動する。
伝書鳩の原種はカワラバト。カワラバトを帰巣成績による選択交配を重ねた品種が現在の伝書鳩である。カワラバトは、崖にある巣と採餌場所のあいだ20~30キロメートルを移動する。ドバトは、伝書鳩が二次的に野性化したもの。
ハトにGPSをつけて飛行ルートを実験してみると、一度ルートを決めたら、同じルートを繰り返す。最適ルートに近づけることはしない。ハトは最短距離を飛ぶより、熟知している、いつものルートで帰巣する習性がある。ハトが帰巣するときに間違うのは、巣の近くに駅や鉄塔など、似たようなものがあったとき。
訓練したハトは、ゴッホとシャガールの絵を区別することができる。
ハトは、色とか形の特定のものではなく、全体を見て判断している。
ハトは細部にこだわる。鳥に弁別訓練を行うと、日本画と西洋画の区別ができるようになる。ハトは、訓練すると特定の音楽が弁別できるだけでなく、ある程度の音楽カテゴリーの弁別も出来るようになる。
夜に空を渡る鳥たちは、星座コンパスをつかう。夜間飛行する鳥たちは、そのための特別な脳内機構をもっている。
小鳥の歌には相当複雑なものもあるが、伝える情報は少ない。つまりは求愛か、なわばり宣言である。主たる機能は情報伝達であって、聴衆を楽しませるものではない。
オウムは音楽にあわせて踊ることができる。
カラスは鏡にうつった自分を、他のカラスだと見ている。
カラスが毎週のようにゴミあさりにやってきます。袋をつついて破り、なかのものを散乱させてしまいますので困っています。悪知恵が働くので、今のところはゴミにネットをかぶせていますが、イタチごっこになるでしょう。
(2010年4月刊。1700円+税)
リヨンの旧市街をを見おろす丘の上にフルヴィエール寺院があります。歩いてのぼるのは大変なので、メトロに乗ります。駅の出口から見ると、目の前に大きな寺院がそびえています。
裏側にまわると、リヨン市街地の全体を眺めることができ、爽快です。涼しい風が吹いてくるなか、高台にあるカフェーでコーヒーを飲みました。時差の関係でしょう、夕方五時になると、いつも眠たくなります。
寺院から少し下ると、ローマ時代の野外劇場の遺跡があります。オータンにも広大な劇場がありましたが、リヨンもなかなかのものです。観客席の傾斜はすごく急になっていて、控えの建物まで残っています。ローマ帝国の偉大さを実感します。
2010年8月23日
アリの生態と分類
著者 山根 正気、原田 豊ほか 、南方新社 出版
南九州のアリの自然史というサブタイトルがついたアリの写真図鑑です。
我が家の庭にもアリはもちろんいますが、厄介なのは台所にまで出没する小さなアリたちです。白アリとは違うので家屋倒壊の原因にはならないでしょうが、それでもやはり、小さなアリたちが食べ物のあるところをウロチョロしているのを見るのは目障りです。つい、「アリ殺し」を仕掛けてしまいました。
日本ではアリは非常に良く研究されている昆虫一の群だ。南九州には124種のアリがいる。うへーっ、そんなに種類がいるのー・・・・と叫んでしまいましたが、なるほど写真を見ると、少しずつ色も形も異なっています。どうして、こんなに多様化したのか、不思議でなりません。
この本はヒアリは要注意だと警告しています。アメリカでは、ヒアリによって毎年5~6000億円もの被害が出ているとのことです。ヒアリ毒によって、毎年100人も亡くなっているというのですから、なるほど警戒しなければいけませんね。
アリは、カリバチと総称されているハチから進化し、スズメバチ類と近い親戚関係にある。
初めてアリが出現したのは6億2500年前のこと。恐竜時代である。ハチの仲間なので、完全変態する。これに対してシロアリは、ゴキブリの仲間から進化した。したがって、ゴキブリと同じく、不完全変態する。
世界には1万1000種のアリがいる。
アリの寿命は不明だが、実験室のコロニーで20年以上飼育した実例がある。
コロニーに複数の女王がいるコロニーのほうが一般的である。
アリとアリが出会うと、触覚で相手をなでまわす。アリの体の表面は、所属するコロニーに特有のにおいで被われており、触覚でなでまわすことで、相手が自分と同じコロニーの仲間であるかどうかを嗅ぎ分けている。違うコロニーのアリを発見したアリは警戒フェロモンを散布するので、コロニー全体が興奮状態になる。
逆に、社会寄生性の種の新女王や奴隷狩り部隊は、鎮静効果のあるフェロモンをうまくつかって相手コロニーの防衛力を低下させる。
実は、多くのアリが昼夜を問わず活動している。ええーっ、アリって夜行性のものもいるのですか。ちっとも知りませんでした。
この本には、たくさんのアリが大きく拡大したアリの身体写真とともに細かく紹介されています。すごいものです。アリ愛好家ならではの写真集です。
我が家の庭にいるアリたちの姿を、今度じっくり観察してみようと思いました。
(2010年5月刊。4500円+税)
ディジョンから休校に乗って30分、ボーヌに向かいました。ボーヌは20年ぶりです。駅から、まっすぐ旧市街を目ざして歩いていきます。ボーヌは小さな町です。古い城砦跡がそのまま残っています。旧市街に入ると石畳の狭い道になります。やがてにぎやかな通りに出ました。ちょうどお昼時でしたので、補導に張り出したテラス席で食事中の人々をたくさん見かけます。神の館(オテル・デュー)の近くに目ざすホテル(ル・セップ)がありました。20年前の記憶では町の中心部から外れたさびしい通り、というイメージだったのですが、実際には観光名所であるオテル・デューやノートルダム教会のすぐ近くで、はずれというより中心部にあります。
ヴィジオトランという市内観光バスに乗って、ボーヌ見物をしました。本当に狭い路地を3両連結でよく走れるものだと感心します。日本語による解説もついて便利です。
ホテル・デュは施療院とも呼ばれ、15世紀、百年戦争のあと、貧民救済のために作られた病院です。ブルゴーニュ建築の特徴という赤や黄色の幾何学模様が目を引く屋根をかまえています。
このボーヌに、ゆったり3泊しました。
2010年8月17日
極北の生命
著者 前川 貴行 、小学館 出版
ギャハー、な、なんというド迫力でしょう。表紙を飾るハクトウワシの正面アップの顔と、その目つきの鋭さに、たじたじとなってしまいました。まさに迫力負けです。
強烈な風格を身にまとったハクトウワシは、アメリカの先住民にとっては神の使いであった。アメリカのシンボルであるハクトウワシは1960年代には絶滅の危機に瀕していた。家畜を襲う害獣として長年にわたって乱獲がされてきたのと農薬汚染によるものだった。今では保護がすすんで、絶滅危惧種の指定から解除されている。
主な生息場所である海や川ぞいで、海面近くを泳ぐ魚や遡上ではねたサーモンなどを捕まえる。サーモンなどの大きな魚は、川で捕まえて、その場で食べる。サバくらいの大きさだと、易々とつかんで飛べるため、仲間に横どりされずに安心して食べることのできる樹上に運ぶことが多い。魚以外によく捕食するのが生息場所の重複するカモメ類。大きさが自分とあまり変わらない成鳥であっても、かぎ爪で「鷲づかみ」にして、ばくばくと食べてしまう。カモメのヒナもよく捕まえ、子育て中のハクトウワシは、カモメのヒナを生きたまま単に持ち帰り、自分のヒナに与える。
ハクトウワシが子育てする巣は、まさに断崖絶壁の上にあります。そこを写真に撮ったのですから、すごいものです。いったい、どうやって写真を撮ったのでしょうか・・・・。
いずれにせよ、大変な根気が求められることは確実です。シャッターチャンスは一度だけ。そう思いながら、何時間も、何日も、じっと辛抱強くチャンスを待ち構えたのでしょうね・・・・。心より敬意を表します。
それにしてもハクトウワシって、なるほど、神々しく、気高い、孤高の顔つきをしています。こんな威厳を日本の首相も全身であらわしてほしいものだと思いました。恐らく、ないものねだり、なのでしょうね。
(2010年6月刊。3400円+税)
夏休みをとってフランスに行きました。パリでは日本人より韓国人、中国人の若者をたくさん見かけました。20代の日本人は、この10年間に海外旅行する人が半減したそうです。どうしてでしょうか……。やはり現地に行ってみると、いろんなことが見えます。もったいないことです。今回は、ブルゴーニュ地方を回って来ました。少しずつ報告していきたいとおもいます。
2010年7月27日
生き物たちの情報戦略
著者 針山 孝彦、 化学同人 出版
南極、マイナス35度のなかで生きる昆虫、スプリングテールは、冬期に車のラジエータに入れるような不凍液を身体に蓄えるしくみをもっている。その不凍液はグリセロールというもので、そのおかげで凝固点が降下し、凍ることがない。
南極に基地に入ると、初めにサバイバル・トレーニングをする。実際に自らクレバスに落っこちる。40メートルのロープをつけて、氷の割れ目のクレバスに落下する。周囲は青一色の世界となる。クレバスの奥は真っ黒の世界。このクレバスから、ロープをたどって脱出するのではなく、氷の壁に挑戦して自力で脱出する訓練が課される。右手にピッケル、左手にアイスピックを持って、足にはクランポンの金属が靴先に飛び出している。こんな、氷に張りつける道具を準備していても、いくら両手をふり回し、足をバタバタさせても、柔らかい氷の結晶がついた壁は脆い。大汗をかいて努力したものの、ついに力が尽いて、そして張りあげてもらった・・・・。うへーっ、こ、これは怖いですよね・・・・。
南極の寒地では、白夜があるため、日中とほとんど変わらない明るさがある。そのため睡眠障害が起きやすい。この問題を解決するため、基地のなかでは、全員が規則正しい生活を心がける。朝食も夕食もバイキング形式で食べ放題だが、朝は午前7時、夕方は6時に、それぞれ1時間のあいだに全員が一堂に会して食事する。夕食のあとはアルコール。基地のバーが開店して、1杯100円で世界中の高価なお酒が飲める。南極では酒税がかからないので、とても安い。飲みすぎを防ぐためにお金をとるだけ。やっぱり、飲みすぎず、また気分転換を図るって大事なことですよね。
コンピューター・シュミレーションによって、一世代に一つの突然変異が起こったとすれば、数十万回の世代交代によって、平らな皮膚のような構造からレンズをもったカメラ眼まで形態変化することが証明された。つまり、眼の形成までに1億年かかったとしても、エディアカラ紀の運動性をもった個体群が眼の形成を開始していたら、カンブリア紀に突然、眼ができても不思議ではない。ふえーっ、そんなんですかね・・・・。
光線に色はない。これはニュートンの言葉。色とは、三種の錐体細胞が下界にある光のスペクトルによって別々に興奮させられ、その興奮の比率が脳に伝わる信号の状態のことをいう。光線が錐体に含まれる光受容細胞に吸収され、細胞が興奮して情報を脳に伝達し、三種の興奮も組み合わせが色という情報に変換される。生物が情報を作っているのである。
日常生活においては、すべての物に色がついているわけですけれども、実は、色なるものは、その物に付着しているというわけではないということが、どうにもぴんときませんね。
いずれにせよ、南極からアフリカまで、世界中のいたるところに生活して、生き物とは何かを探求してやまない学者の努力には脱帽せざるをえません。
(2007年9月刊。1800円+税)
梅雨が明けると炎暑の夏が到来しました。車の温度計で38度が表示されているのを見て、計器が暑さで狂ったのかと思ったほどです。しばらく走っても35度でした。熱中症のため、お年寄りが何人も亡くなられています。私も庭仕事をするときには、いつも以上に休み休みし、また水分補給に心がけています。
夜、寝る前にはベランダニ出て天体望遠鏡で就き世界を見るのが楽しみです。夜風に吹かれて身体を覚ましてくれるのもちょうどいいし、異次元の世界をのぞくうれしさがあります。
2010年7月12日
先生、カエルが脱皮して、その皮を食べています
著者 小林 朋道、 築地書館 出版
絶好調、先生シリーズの第4弾です。ますます生き物たち観察と文章力にみがきがかかっていて、一気に読ませます。まずは、タイトルになった話です。これって、本当の話なんですね。
ヒキガエルは、脱皮した自分の皮を自分で食べていた。著者は、これを目撃したのでした。
ヒキガエルは、分厚い皮膚をシャツを裏返しに脱ぐように脱皮しながら、その古くなって脱皮した皮を食べた。そして、皮を脱いであらわれた新しい皮膚には、パンパンに張りつめたイボと、それからしたたり落ちる毒液が見えたのだった・・・・。脱皮に長時間かかるため、そのあいだに身を守るため毒液の詰まったイボを備えていたというわけなのです。
ヘビに出会ったヒキガエルは、体(とくに腹部)を、ぷくっとふくらまし、四股を伸ばし、相撲の立会い前のような姿勢を見せる。ところが、そのヘビは、単にヘビそっくりのオモチャであってはならない。あくまで、先がかぎづめのように曲がったタテ棒の格好をしていなければ、ヒキガエルは対ヘビ防衛姿勢はとらない。この「かぎづめのように曲がったタテ棒」とは、ヘビがかま首を持ち上げて捕食しようとする姿勢を示すものと考えられる。なーるほど、ですね・・・・。
動けない植物は、草食動物がある程度の葉や枝や実を食べたら体調に異常をきたすような物質を体内(の細胞内)で生産している。だから、ミズナラのドングリばかり食べているネズミは死んでしまう。そこで、草食動物は、野生では、同じ種類の植物を食べ続けるのではなく、種類を変えながら採食している。
うへーっ、そういうことなんですか・・・・。食べる方も、食べられるほうも、相互に自らの身体の防衛を工夫しているのですね。
生命・生き物たちの神秘を身近に感じさせてくれる良書シリーズです。コバヤシ先生、引き続き、がんばってください。続刊を楽しみにしています。
(2010年4月刊。1600円+税)
いよいよセミが鳴き出しましたね。10日に天神で、11日に自宅でまだ頼りなさげな鳴き声ではありましたが……。梅雨は明けませんが、本格的な夏到来ですね。
庭のキュウリが何日かおきに見事に太くなってくれます。ミソと一緒に食べると美味しくいただけますが、ミソの代わりに五木村の山うに豆腐をのっけて食べています。ちょっと甘味がありますが、モロキュウの食感で、初夏を食べている幸せ感が味わえます。
私のハゼマケは皮膚科で貰った軟膏をつけたらひどくなることもなくあっという間に直ってしまいました。ちょこさん、ご心配ありがとうございました。
2010年6月28日
ゾウと巡る季節
著者 大西 信吾 、彩流社 出版
すごい、すごい。感嘆しながら、そして心をときめかせながらめくっていった写真集です。ミャンマー(ビルマ)の森深くでゾウと人間が共働している姿がよく撮られています。
なかでも深く心が動かされ、まさに感動したのは、仔ゾウを人間づけしていく経過を紹介する写真です。いやはや、ゾウと人間というのは、一朝一夕でなしうるものではないのですね。あまりの素晴らしさに、見終わって、ついつい嘆息をついてしまいました。
ミャンマーの森の奥深くにゾウと人間が入り込んで、伐採した大木を運び出す仕事に徒事します。ゾウは仔ゾウのときから飼い慣らされているとはいえ、仕事が終わったら、また、仕事の合い間にも森の中で自由に暮らす。
これがすごいですよね。ゾウは、ずっとオリの中に拘束されているのではありません。森の中で自由に過ごせるのです。それでも、また人間と一緒になって木材運搬の仕事に従事するというのです。それは、不思議としか言いようがありません。
森の中に入ると、人間は作業キャンプ(飯場)を付近の竹でこしらえる。そして、大木を切り出していく。そして、森の中にいるゾウを探し出し、川でゾウの身体を丁寧に洗ってやり、大木の運搬の仕事につかせる。
ここでは、トラックやトラクターは使えない。アマゾンのようにブルドーザーで一本道をこしらえたら別だろうけど、あくまで自然との共生が第一だ。そして、ゾウの健康状態をチェックする地域獣医官が巡回してくる。
うひゃあ、すごいですね。ゾウの健康を管理する専門の獣医がいるのです・・・・。
伐採した丸太を山あり谷ありをこえてトラックで運び出せるところまで持っていくのは、やはりゾウしか出来ないんだろうなという写真がたっぷりあります。ゾウは文句も言わずに、がんばります。母ゾウ54歳、仔ゾウ1歳。父親は行方知らずの野生ゾウ。こんなキャプションがついています。
人間で54歳の母親が出産するなんて、あるのでしょうか・・・。
仔ゾウは、母親ゾウのそばを離れない習性から作業班と共に行動する。かといって、決して人間になついているわけではない。放っておくと確実に野生むき出しの獣になる。4歳のころ、高さ1メートル50センチになったころに使役ゾウとしての訓練を開始する。それは訓練専門キャンプで行う。
子ゾウの自由を奪う。生まれて初めて自由を奪われた子ゾウは、とことん抵抗する。ゾウ使いは、おとなしくするように鉄拳制圧するが、目、口、関節などは避ける。
そして、常に誰かが子ゾウの身体のあちこちに触り、背中に乗り、人の感覚に慣らせていく。昼も夜も朝も・・・・。
子ゾウの体調については、獣医官が常に管理している。子ゾウの身体には、拘束している木で擦り傷を負わないように、豚の油を絶えず塗っておく。
人の間隔に慣れてきたら、子ゾウの拘束を少しゆるめ、根気強くスキンシップを続け、少しずつ動作を学習させていく。
盲導犬と同じように、人や仲間のゾウと歩調をあわせて歩けることが、使役ゾウの学ぶべき最初の基本動作である。最初に覚えさせる指示語は、座れと立て。座れの大合唱とともにロープで子ゾウの脚を引っぱって力ずくで伏せさせ、立ての号令とともにロープをゆるめて立たせる。これを何度も繰り返す。
人間の感覚に慣れ、抵抗の度合いが弱まってきたなら、長い鎖で杭につなぐ。行動半径は限られているが、自分で歩く自由は得られる。一週間でこの段階まで来たら上出来だ。地道な訓練を2年ほど続けたあと、やっと荷かごを背中に乗せられるようになる。それでも、ゾウはなかなかまっすぐには歩かない。15歳までは荷物運搬専門に働き、16歳から丸太を動かす訓練を始め、搬出現場デビューは18歳のとき。ゾウ使いは、ずっと同じ人間であることが望ましい。
50歳をこえたら、徐々に仕事量を減らし、引退する。軽い仕事をする程度で、ゾウ使いとは一生続き、70歳ころにゾウは生涯を終える。
ゾウと人間の森の中でのゆっくりと時間が流れていく情景が紹介されている感激の写真集です。ぜひ、手にとってご覧ください。
(2010年3月刊。3800円+税)
サッカーで日本が勝っています。うれしいことです。でも、今は大切な参議院選挙が進行中です。消費税を10%にすることの是非が問われています。ギリシャのようにならないためと言われてもピンときません。
消費税10%は、法人税率の引き下げと抱き合わせです。強い日本を作るためだそうです。
日本の大企業の経営者が、何十人も年1億円以上の給料をもらっていることが報道されました。月収1000万円ということです。私の周りの人の多くは、その100分の1、月収10万円前後の人ばかりです。それでも仕事がある人はまだましなのです。こんな高給を払えるほどもうかっている大企業の法人税を引き下げ、私たち庶民のフトコロを直撃する消費税を10%に引き上げたら、所得格差はますます進行してしまいます。
ところがマスコミは、消費税が日本の国民にどんな影響をもたらすのか、法人税の引き下げが本当に必要なことか十分に報道しているとは思えません。消費税の引き上げを是として国民をリードしている気がします。
サッカー報道が過熱していくなかで、いつのまにか消費税10%が既定の事実となることを、私は真面目に心配しています。