弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

生物

2012年5月14日

犬から見た世界

著者   アレクサンドラ・ホロウィッツ 、 出版   白揚社

 私は犬派の人間である。
 実は、私も犬派です。物心がついたころから、ずっと犬を飼っていましたので、犬とは慣れ親しんだ関係です。猫は飼ったことがありませんので、まったくなじみがありません。小学生から高校生まで、スピッツが家の中に同居していました。おかげで部屋はいつもざらざらしていました。でも、気になりませんでした。今なら、嫌ですけど・・・。子どもって、慣れてしまえば、何でも平気なんですよね。
 イヌ科のなかで、完全に家畜化されたのは犬だけ。家畜化は、自然には起こらない。
 オオカミは、付属品を装着する前の、いわば原初の犬である。
 考古学的証拠によると、オオカミ犬が最初に家畜化されたのは1万年から1万4千年前と考えられる。今日の犬種のほとんどは、この数百年のあいだに作り出されたものにすぎない。オオカミから犬への変化の速度は衝撃的な速さである。
犬の目は生まれてから2週間以上も開かないが、オオカミの子どもは生後10日で目を開ける。犬は、身体的にも行動的にも成長が遅い。
 犬は本当の意味で群れを形成しない。
 犬は人間の社会グループのメンバーである。人間やほかの犬のあいだこそが彼らの生来の環境だ。犬は人間の幼児と同じく、いわゆる愛着を示し、ほかの者よりも世話をしてくれる者を世話をしてくれる者を好む。世話をしてくれる者から離れることに不安を感じ、戻ってきた相手に特別な挨拶をする。
 同じ体サイズの犬とオオカミを比べると、犬のほうが頭蓋が小さく、したがって脳も小さい。犬は形も大きさも変えられるが、それでも依然として犬である。オオカミのサイズは、大部分の野生動物と同じように、同一環境では、ほぼ均一である。
 犬は人間の目を見る。犬はアイコンタクトをし、情報を求めて人間に目を向ける。オオカミは、アイコンタクトを避ける。うむむ、これって大きな違いですよね。
犬は決してオオカミには戻らない。そして、オオカミを生まれたときから人間のあいだで育て、社会化しても、決して犬にはならない。
犬の鼻は敏感そのもの。犬は鼻の生き物だ。犬は、訓練されると、人間のガンを検知することができる。
犬を洗って清潔にすると、犬のアイデンティティを奪っていることになる。匂いは、犬にとってのアイデンティティである。
 犬は、ある程度まで、人間の言語を理解している。
 犬は体を使って表現する尻尾を振るのも、そうである。
 人間の視野は180度だが、犬のそれは250~270度。犬は獲物を追いかけ、投げたボールを回収する優れた能力をもつ一方、ほとんどの色彩に対して無関心である。
 識別できる色彩の幅が狭いため、犬はめったに色の選り好みを見せない。
 犬の視覚は、ほかの感覚の補足手段である。犬は人間を匂いによって認識している。
 犬はよく遊ぶ。大人になってからも遊ぶ。遊ぶ前に信号を相手に送る。そして、その前に、まず注意をひく行動をする。
 犬は本当の動機から人間の注意をそらして、実際に行動を隠蔽することができる。
犬の時間において、瞬間は、より短い。次の瞬間が来るのが、もっと早いのだ。
 犬の意図について、頭が語らないことは尻尾が語る。頭と尻尾は、おたがいに鏡であり、同じ情報を並行して伝えるもの。
 犬は、なじみのあるものも新しいものも、両方とも好きである。よく知っている安全な場所で、新奇なものを楽しむのが幸せなのである。それはまた退屈をも癒す。新しいものは注意を必要とするし、活動を促す。犬にとって、新しいものは魅力的なもの。
 犬という、人間にとって身近な生き物の実体をさらに知ることができました。犬派の人におすすめの本です。
(2012年4月刊。2500円+税)

2012年5月11日

先生、モモンガの風呂に入ってください

著者   小林 朋道 、 出版   築地書館

 なんとシリーズ第6巻です。偉いですよね。文体が軽くて面白く読めるうえに、観察の対象となった生き物たちが可愛らしいばかりでなく、著者と学生たちの対応がほのぼのしていて、いつも一気に読了してしまいます。場所は鳥取県の山奥深いところが舞台です。
 そこの森に棲むモモンガを探検し、よくよく観察します。
地上から6メートルの高さのところに据え付けた巣箱にモモンガの赤ちゃんを発見。そっと地上に降ろして計測して観察します。洞窟も探索します。冬眠中のコウモリを見つけました。さらに、カエルまで・・・。
 モモンガは、巣の材料として、杉の樹皮を使う。モモンガは巣の中で、スギの香りに包まれて、癒されながら休息する。
モモンガを捕まえると、顔の写真をとり、尾の毛を少し刈り、さらに注射器でマイクロチップを尻の皮下に入れる。いずれも、あとで個体識別できるようにするため。
 こんなユニークな教授とともに森の奥深くまで入りこんで実地調査できるなんて、この鳥取環境大学の学生はなんと幸せなことでしょう。
 恐らく学生である本人たちはそう思っていないでしょうから、私が代わりに言わせていただきます。
 先生、この調子で第7弾を続いて飛ばしてくださいね。
(2012年3月刊。1600円+税)

2012年5月 4日

豚のPちゃんと32人の小学生

著者   黒田 恭史 、 出版   ミネルヴァ書房

 小学生のクラスで3年間、豚を飼っていたという体験記です。そのクライマックスは、なんといっても、卒業のときの残された豚の処遇をめぐるクラス討論会の模様です。
 次の学年に引き継ぎ、ずっと学校で豚を飼い続けるという声が有力です。でも、豚って、あまりに大きくなりすぎると、自分の足で身体を支えられなくなるようですね。ゴロンと横になって、喰っちゃ寝の生活をするとのこと。そんな巨大な豚を小学生が本当に世話できるでしょうか。
 もちろん、食肉センターに引き渡すという声もありました。でも、それは自分たちが食べるというのではありません。もう誰も学校で面倒みられないから、豚を手放すだけなのです。決して豚を殺して食べていいというわけではありません。たとえ、結果として、そうなったとしても、そこまではもう子どもたちの考え及ばない世界なのです。
 映画は見ていませんが、今から9年前に出版された本を読んだのです。実際の話はそれよりさらに10年前、1993年のことでした。テレビで放映されると、反響は大きく、抗議の電話がじゃんじゃんかかってきたそうです。それでも、動物愛護映画コンクールで内閣総理大臣賞を受賞しました。私も受賞してよいと思います。実際、毎日のように、私たちは豚肉を食べているわけですから、子どもたちの教育実践として生きた豚を飼って悪いはずがありません。
 それにしても豚の世話って、大変なようです。
 ぶた(Pちゃん)の好きなものはトマト、嫌いなものはキャベツ。
 子どもたちはPちゃんの処遇を決める過程で、食肉センターへ見学にも行きました。もちろん、希望者のみ、親が同伴して、です。
32人のクラスは食肉センター派と引き継ぎ派と16人対16人、真っ二つに分かれた。同じように3年間かかわってきた子どもたちが、見事に分かれてしまった。不思議だった。筋書きのない授業をすすめるなかで、このクラスを担任した教師は悩みました。結局、Pちゃんは食肉センターに送られ、子どもたちが豚を食べるわけでもありませんでしたが、そこに至る教師の苦悩がリアルに伝わってきました。それを感じることが出来ただけでもいい本だと思います。橋下流の「教育改革」では、こんなことをしている著者なんて最低評価しかされないことでしょう。なぜなら、直接的に「学力向上」に役立つとは思えないからです。
 でも、本当の学力、考える力、仲間を支えあう力は大いに育成できたのではないでしょうか・・・。
(2008年11月刊。2000円+税)

2012年4月23日

ヒトの見ている世界、蝶の見ている世界

著者   野島 智司 、 出版   青春新書

 視覚を通して人間と昆虫など他の生物との異同を考えている面白い本です。
 人間の視覚にとって、脳は非常に重要な役割を果たしている。脳の3分の1から2分の1の部位が、視覚情報の処理に費やされている。人間が大きな大脳をもっているのは、実のところ物を見るためと言って過言ではない。
実際には、網膜上に映った像をそのまま見ているのではなく、本来は見えていないはずの部分も推測で補ったり、あまり重要ではない情報はあえて意識しなかったりしている。
 ヒトは、自らの生活にとって必要な情報を瞬時に取捨選択している。
 昆虫の複眼は、ショウジョウバエという小さなハエで800、アゲハチョウは1万2千、トンボに至っては5万もの個眼から成っている。
 複眼には網膜がない。個眼全体が光ファイバーのようになっていて、一つの個眼に入ってきた光を、内部の視細胞層で受けとる。
 個眼には複数の視細胞が入っているが、その内部に像を結ぶわけではなく、個眼に入った光は内部の視細胞を一様に刺激する。したがって一つの個眼に入った光は、一つの情報いわばデジタルカメラの画素に相当する。
 もし、複眼の視力をヒトの視力に換算すると、0.1に満たない。ミツバチは、ヒトと同じ三原色で世界を見ているが、赤、緑、青の三色を感じる視細胞がなるのではなく、緑、青、紫外線の三色を感じる視細胞をもっている。だから、紫外線を感じることができる代わりに、赤を見ることができない。
 ミツバチやアリは、景色だけを頼りにしているわけではなく、方角を理解する能力がある。
 ミツバチやアリ、そして多くの昆虫が、偏光を見分けることができる。
 景色に目印の乏しい砂漠に住むアリは、偏光を使った方角と自分の歩いた歩幅を積算することで、現在地の巣からの相対的な位置を把握することが分かっている。
 鳥は、他の動物に比べると大きな眼球をもっている。その重量は脳のそれをこえることさえ少なくない。巨大な眼球をもっているため、眼球そのものを自由に動かすのは難しい。鳥は見る方向に眼球を動かすのが得意ではない。イヌワシの視力はヒトの8~10倍もある。
 鳥の眼は、一度に広い範囲にピントを合わせられ、近くも遠くもヒトよりずっと広い範囲を同時に見ることができる。
鳥の9割が、紫外線反射によってオスとメスを識別することができる。
 渡り鳥は太陽コンパスを用いている。同時に、星の分布と時刻によって方角を知ることも可能だ。
ハトは、磁気を感じることもできる。ハトなど長距離を飛行する鳥は、太陽や星座、磁気、景色などを手がかりとして総合的に方向を判断して飛行ルートを決めている。そのうちのどれか一つということではない。
 眼の誕生が、カンブリア紀の生き物の爆発的な進化を引き起こした。視覚の登場が、生き物たちの暮らす世界を大きく変え、そのことが急速な種分化を引き起こしたと考えられる。
 なにげなく見ている風景も、よくよく考えると、大変な進化の産物なんですね。見ることの意義を改めて考えさせられました。
(2012年2月刊。943円+税)

2012年4月16日

飼い喰い

著者  内澤 旬子  、 出版  岩波書店 

 壮絶としか言いようのない3匹の豚の飼育体験記です。しかも、うら若き(?)女性一人で1年間にわたって仔豚3匹を育て、立派な肉豚として屠蓄場に送り、飼っていた豚をみんなで食べたのです。
 すごいです。とても、私には真似できません。そして、なにより、3匹の豚に名前をつけ、その個性を描き分けているのです。いやはや、彼らの、なんと人間的な、いえ人間そっくりの性格でしょうか・・・・。
 3匹の豚のうち、もっとも図体が大きい豚は最下位にランクされ、エサに十分ありつけずに肥育レベルが遅れてしまったほどです。要領よくひたすら食べ続けていた豚は、もちろん肥え太ります。そして、他人(他豚)を押しのけてまで食べまくる豚は意地きたなく生きのびます。そして、ついに3頭の豚を一挙に死に至らしめて人間様が食べようというのです。それも、フランス料理、韓国料理そしてタイ料理でいただくのでした。すごいですよ。
 雑誌『世界』に連載されていたそうですが、私はこの本を読むまで知りませんでした。勇気ある女性のおかげで、日頃食べている豚について、いろいろ知ることができました。
 豚は生後半年ほど、肉牛は生後2年半ほどで屠蓄場に出荷され、屠られ、肉となる。
 日本で現在もっとも一般的なかけあわせパターンは、仔豚を安定してたくさん生む、つまり繁殖性の優れたランドレース種(L)と繁殖性に加えて産肉性、つまり手早くふくふくと肉をつけて太ってくれる大ヨークシャー種(w)をかけあわせた雑種第一世代豚(LW)を子取り母豚(ぼとん)とし、さらに止雄豚としてサシが入るなど、肉質の優れたデュロック種(D)をかけあわせたLWDである。
 母豚は、少なくて8頭、多いと13頭の子豚を生む。生まれてすぐに、上下4本の犬歯の先をニッパーで切る。大きくなったとき、ケンカしたり作業員を噛んだりして危ないからだ。豚はよくかむ。豚は土も食べる。
豚は3キロ食べて、1キロ太る。70キロの枝肉をつくるのに115キロの生体重にするとして、345キロのエサを食べて、980キロの糞尿を出す。人間の14倍もの糞尿を出す。豚を110キロまで育てるのに、その3倍の330キロの餌を食べさせている。そして、消費者に肉として売れるのは、だったの23キロだけ。1年かけて育てた豚が、わずか2万円でしか売れないなんて・・・・。
一つの囲いの中に、何頭か豚を入れると、必ずケンカして序列を決める。
それにしても豚たちはよく寝る。一日のリズムのようなものも特になく、気がつくと起きてごつごつと餌箱に鼻をぶつけるようにして餌を食べ、水を飲み、また、ごろりと横になる。まさに、喰っちゃ寝なのだ。豚の道具は、鼻と口がすべて。
豚はきれい好きで、糞尿する場所を決めている。水浴びのときを選ぶように放尿する。ところが、身体を分まみれにするのも大好きなのだ。
夢は自分の名前まで認識していた。3頭の豚は、著者の声と他人の声と完全に聞き分けていた。しかし、自分の名前まで把握していたのは夢だけだった。3頭の豚の名前は、伸、秀、そして夢でした。
豚をかわいいって思ったらダメなんだよ。ペットじゃないんだから、割り切らないと・・・・。
 これは著者が豚を飼いたいと言ったときの養豚家の人に言われたセリフです。そうですよね。
 そして、3頭の豚を著者が口にしたときの描写がすごいです。
 噛みしめた瞬間、肉汁と脂が口腔に広がる。驚くほど軽くて甘い脂の味が口から身体全体に伝わったその時、私の中に、胸に鼻をすりつけて甘えてきた3頭が現れた。
 彼らと戯れたときの、甘やかな気持ちがそのまま身体の中に沁み広がる。帰って来てくれた。夢も秀も伸も、殺して肉にして、それでこの世からいなくなったのではない。私のところに戻って来てくれた。今、3頭は私の中にちゃんといる。これからもずーっと一緒だ。たとえ肉が消化されて排便しようが、私が死ぬまで私の中にずっと一緒にいてくれる。
 うむむ、なんとなく分かりますよね、この気持ちって・・・・。
 生き物とは何かを考えさせてくれる、とてもいい本でした。
 著者は乳がんで何回も手術したそうですが、これからも元気で今回のようないい本を書いて紹介してくださいね。
(2012年2月刊。1900円+税)

2012年3月 5日

動物が幸せを感じるとき

著者  テンプル・グランディン  、 出版   NHK出版

 大切なことは、子どものころに他者との触れあいがたっぷりあり、健全な環境で暮らしたということ。発達初期の外界からの刺激には神経を保護し、脳を保護する働きがある。
オオカミは、人間のように家族単位で暮らす。オオカミの集団、つまり家族には、一組しかペアがいない。オオカミの子は、親や兄弟とは交尾しない。人間と同じように両親が家族を支配する。親は、いつまでたっても親。オオカミの家族では、優位をめぐって子どもたちが親に挑むことなどない。うへーっ、そうなんですか。オオカミの家族が人間の家族とそっくりだなんて、意外でした。
 オオカミが大きな群れで行動しない理由の一つは、捕食種なので、被捕食種のような護身の群れをつくる必要がないこと。オオカミの兄弟は優位をめぐるけんかをしない。
犬にとっていちばん自然な生活は、柵がなく、人間の飼い主がいて、おもに野外で過ごす暮らしだ。
犬は、いわば成長が停止したオオカミだ。顔がオオカミに似ている犬種ほど、おとなのオオカミと似た行動をとる。犬が母親と娘のような家族同士でないのなら、犬を飼うなら2匹にとどめたほうがよい。
犬は、オオカミの血を引いているので、「探索」の欲求が強い。オオカミは放浪する動物で、日中に知的な刺激をたくさん受け、一日に何度もさまざまな決断を下す。
犬は群れをつくると危険だ。犬は、とても社交的なので、何時間もひとりぼっちでは楽しくない。孤独と退屈で苦しんでいる犬があまりに多い。
犬は人間が喜べば、自分もうれしくなる。人間と犬は意識せずに常に互いを訓練している。
エサを取りあげられても気にしないように子犬を訓練することが大切だ。子犬にとって欲求不満を我慢させる訓練でいちばんいい方法は、「待て」と「おあずけ」を教えること。
 犬は、一日に少なくとも1時間はかまってやる必要がある。
子犬の性格を見分けるテスト。子犬をそっと仰向けにして、それから、その胸を軽く押さえつける。起きあがれない程度の圧力をかけたあと、手を離し、そのときの子犬の態度をみる。怒った目でにらみつけたり、おそろしがったりする犬は困る。ちょっとした遊びだと受け止める犬がおすすめ。
猫を飼うとき、心に留めておくべきことは、猫は本当には飼い慣らされていないこと。犬と人間の関係は共生的だが、猫と人間の関係は相互利用的。猫と人間とは、一緒にいて得る利益以上には互いをそれほど必要としてこなかった。ネコは、ある意味で、居間にすむ超小型のトラのようなものだ。
猫は環境にこだわり、小さな変化にもいちいち気がつく。猫は、犬と比べてはるかに自分の流儀にこだわり、新しい環境にうまく適応しないことがよくある。
馬は、犬に似ているところが少しある。人間を喜ばせたいのだ。馬は細部にとても敏感だ。絶対に怒りながら馬に近づいてはならない。
家畜の牛は、馬ほど恐怖心が強くないが、常に捕食者を警戒している。牛は群れで暮らす。そのため、仲間や家族と一緒にいる必要がある。
豚はとても好奇心が強い。先祖のイノシシが自然の中で長い時間をかけてエサを探していたことと関係がある。豚はかなり社交的で、性格も優しい。豚は、とても賢い。頭のよさは、アライグマ、犬、猫に次ぐ。
生き物についての深い考察がなされていて、驚嘆しました。著者は自閉症の動物学者です。
(2011年12月刊。2200円+税)

朝、ウグイスが上手に鳴くので目が覚めます。澄んだ声でホーホケキョと春到来を告げます。
庭にはアネモネの紅い花、黄水仙。チューリップのつぼみはぐんと伸び、もう少しで咲きそうです。
ついに花粉症が始まりました。目元がかゆくて、鼻水が止まりません。鼻詰まりのため、夜中に目が覚めてしまいます。春到来を待ちこがれているのですが、これだけは困ります。
子どもにも花粉症が増えているようです。その原因の一つに日本人のあまりの清潔好きがあるという記事を読みました。文明化もいいことだらけではないようです。

2012年2月 5日

著者   マイケル・ウェランド 、 出版   築地書館

 砂にまつわる話が満載です。よくぞここまで調べあげたものです。残念ながら、砂に棲む蟻地獄(虫)は登場してきません。
 それにしても、地球上に砂は無数(無限)にあります。同じ無数といえば、宇宙の星だってそう言えます。では、地球上の砂と宇宙の星とを比べると、どちらが多いのか。
 うひゃあ、そんな発想をしたことなんてありませんでしたよ。ところが、それを計算してみた学者がいるのですね。すごいものですよね。
 その学者って、有名なカール・セーガンです。彼は、宇宙にある星の数は、地球上の砂浜にある砂つぶ全部より多いと言ったのです。本当でしょうか?
 実はこの本によると、どちらも10の20乗くらいだというのです。あとは砂の定義次第というわけです。ええーっ、宇宙の星のほうが圧倒的に多いんじゃないかと思っていました。だって、広大無辺の宇宙の星が、地球というちっぽけな天体にある砂つぶほどもないなんて、イメージがこわれてしまうじゃないですか・・・。
 乾いた砂は、気味が悪いほど液体とよく似た動きをする。濡れた砂は、水が多すぎない限り、どちらかというと固体に近い性質を示す。
 砂は、わずか1%の水を加えるだけで驚くべき固体に変容し、水の含量が10%をこえてもこの特徴は変化しない。粒子と粒子の間の空間に水と空気の境界面があり、その面積が大きいので表面張力が働いて粒子どうしがくっつく。うむむ、なんだか分かったようで・・・。
 砂に埋まった人は、コンクリートで固められたのと同じ状態になる。固まった砂地獄から足を抜くのに必要な力は、中型の自動車を持ち上げるのと同じだと推定されている。解決策は身体をくねらせること。先日、イタズラのつもりで砂の落とし穴に埋められて新婚カップルが亡くなったという事件が起きましたよね。砂って、怖いんですね。
薪の調達、過剰放牧、過剰耕作などが近年の「砂漠化」の原因の90%を占めている。
 地球の砂漠化が進行しているようで、私も心配しています。
(2011年8月刊。3000円+税)

2012年1月23日

リスの生態学

著者   田村 典子 、 出版   東京大学出版会

 日本内外のリスを追いかけて、その生態を明らかにした面白い本です。
 リスって、公園で見かけると可愛いものですが、九州では残念なことにあまり見かけませんよね。
リスの祖先は3600万年前に地球上に出現した。
 リス科は、50属260種いる。リスの宝庫は意外なことに熱帯地域である。地上性リスの種は13属100種いて、全体の4割近くを占める。ムササビやモモンガもリス科に属する。
 リス科は、地上性、樹上性、滑空性の3タイプに分けられる。
 リスの門歯には歯根がなく、一生伸び続ける。だから、固い種子を毎日かじり続けて歯が摩耗してしまうことはない。むしろ、かじることによって門歯をとぎ、優れた切削道具として維持できる。
 リスの眼球は、魚眼レンズのように突出し、前方、後方、上方まで幅広い視野をもつ。
 枝から枝へ飛び移る樹上での移動において、瞬時に次に渡る枝までの距離を推定する必要がある。距離感を得るには、両面での立体視が必要である。
 リスは圧倒的に乱婚制である。メスが発情し交尾を受け入れる1日に、複数のオスたちが交尾のチャンスを狙って集まる、いわゆる交尾騒動が繰り広げられるのがリス類の配偶行動の特徴の一つである。
 リーダーオスがメスを独占するといっても、それは交尾の83%。次のオスが辛抱戦略をとるのが10%。さらには、盗み交尾も7%ある。交尾をすませたオスは、たいてい、それ以降の交尾騒動には参加せず、姿を消してしまう。秩序正しい乱婚である。この乱婚性について、その合理性が解明されています。子殺しの行動の可能性のある社会では父親隠蔽の必要性がある。自分が父親である可能性が少しでもあれば、子殺し行動は抑制される。メスは、多くのオスと交尾することによって、父親である可能性を担わせ、自分の子の生命の安全を期している。なーるほど、これってとても合理的なシステムですよね。
 リスの鳴き声にも意味があるようです。
 それにしても、リスの生態調査のために森の中に入っていき、毒ヘビを踏みつけそうになったという体験も紹介されていますが、怖いですよね。よく調査したものです。学者も大変ですね。
(2011年9月刊。3800円+税)

 日曜日にフランス語の口頭試験(準1級)を受けました。問題は2問あって、そのうち1問を選びます。3分前に渡されます。1問目は、3.11のあと海外からの旅行者が減っているが、どうしたらよいかというものでした。むむっ、原発の対応をきちんとやること、その成果を広報すべきだと一瞬考えたのですが、日本語つぃて本当にそれでよいのか不安だったうえに、修復というフランス語が思い浮かばなかったのでやめました。2問目は、政府は国民にすべてを告げるべきかというものでした。日本政府はすべてを国民に伝えていない現実をふまえて、軍事、外交、個人のプライバシーなど死活的に重要なことを除いて伝えるべきだと言いたかったのですが、なにしろ残念なことにフランス語が出てきません。3分間のプレゼンは、実際しどろもどろでした。そのあとフランス人の質問があり、マスコミとの関係で政府がコントロールしているとか、なんとか会話は成立しましたが、客観的には半分程度の成績だったでしょうね。今回は結果は厳しいことを覚悟しました。
 年に一度、最大限の緊張感を強いられる一日でした。

2012年1月 6日

鷹匠は女子高生!

著者   佐和 みずえ 、 出版  汐文社

鷹匠は、たかじょうと読みます。カを飼いならして、仮に使う人のことです。
その鷹匠に、なんと17歳の女子高校生がなっているというのです。しかも、佐賀県は武雄市の女子高生なんです。私は、てっきり東北地方の話と思っていました。
 飼っているタカは、正しくはモモアカノスリ。名前はモモタロー、6歳です。
 ブリーダーから、生後2週間のヒナ鳥を買って、小さいときから親がわりで育てたのでした。
問題はエサですよね。何だと思いますか?肉食の鳥ですからバナナなんかじゃありません。肉ダンゴでもありません。なんとなんと、ヒヨコなんですよ。ええーっ・・・?もちろん、生きているヒヨコです。ヒヨコって、高タンパク質で、低カロリー食だそうです。そうなんですか・・・。
 タカに狩りをさせるときには、一週間も前からエサを調整して、おなかをすかせておく必要がある。そうやって狩りの本能をかきたてておくのだ。なるほど、そうなんでしょうね。
 写真がありますので、タカがすっかり安心しきって鷹匠である女子高生の腕にとまっている可愛らしい姿を見ることができます。
 それにしても、タカを毎日世話するって大変でしょうね。がんばってくださいな。

(2011年11月刊。1400円+税)

2011年12月26日

タネが危ない

著者   野口 勲 、 出版   日本経済新聞出版社

 タネは野菜の種のことです。そのタネが危ないという本なのですが、実は動物というか、人間の生存そのものが危なくなっているのではないかと問いかける衝撃的な内容です。
昔は、世界中の農民が自家採取していた。よくできた野菜を選抜し、タネ採りを続けると、3年たつとその土地やその人の栽培方法にあった野菜に変化していく。
 長野の野沢菜の先祖は大阪の天王寺かぶであり、新潟のヤキナスのもとは宮崎の佐土原ナス。
日本のタネ屋の発祥は江戸時代で、栽培した野菜の中で一番よくできたものはタネ用に残し、二番目を家族で食べ、三番目以下を市場に出していた。
 江戸に種苗店が2件誕生したのは天禄年間(1688~1704年)のこと、フランスで種苗商会が創業したのも同じころ(1742年)。
東京オリンピックを契機にした高度成長時代以後、日本中の野菜の種が自家採取できず、毎年、種苗会社から買うしかないF1タネに変わってしまった。
F1は均一で揃いが良いから、指定産地の共選でで秀品率が高く、歩留まりがいい。固定種の多様性・個性は、販売するには邪魔になる。たとえば、固定種大根は収穫まで4ヵ月かかるのに対し、F1大根なら2ヵ月半でできる。
F1(一代雑種)タネの野菜からタネを採っても親と同じ野菜はできない。姿形がメチャクチャな異品種ばかりになる。
 F1種は、現在、雄性不稔(ゆうせいふねん)という花粉のできない突然変異の個体から作られることが多い。子孫を残せないミトコンドリア以上の植物ばかりになって、世界中の人々がこれを食べている。子孫を作れない植物ばかり食べ続けていて、動物に異常が現れないという保障はない・・・。
 F1は一代限りなので、毎年、交配された新しい種を買わなくてはいけない。種苗会社の大きな利益になる。
 F1種がどのように作られるか、その過程はブラックボックスになっている。種苗メーカーは製造過程の秘密を決して明かさない。タネの小売店にも明かしていない。
 ミツバチが消えていること、人間の男性の精子が減っていることと雄性不稔の関係を、誰かが証明したら、大騒ぎになるのは間違いない。野ネズミや野生のサルはF1野菜を食べないそうです。今のままF1野菜ばかりでいいのか、大いに心配になりました。
(2011年9月刊。1600円+税)

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