弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

アフリカ

2024年9月 5日

海と路地のリズム、女たち


(霧山昴)
著者 松井 梓 、 出版 春風社

 アフリカの小さなモザンビーク島に住み込んで、人々の日常生活を細やかに調べあげ、分析している、面白い本です。
 モザンビーク島は、かつてはポルトガル領東アフリカの中心拠点として栄えた、せわしい島だった。今では、時間も現金も、漁業を中心にゆっくりとまわっている。
 居住地区は一見スラムのように過密なのに、どこよりも治安がいい。夜中に女性一人で歩いても少しも不安を感じない。小さな島の居住地区に人々は稠密(ちゅうみつ)に住まい、女性たちは友人や隣人どうし親密につきあう。身体を近づけあって相手に触れて親しさを確認し、秘密を打ち明けることで心を近づけあう。近隣の家を頻繁に行き来し、半開きの勝手口から声をかけて入っていっては、その家の女性とおしゃべりやゴシップに興じつつ隣人たちの台所事情ものぞいていく。そこで相手に食べるものがないとみれば、自分がつくった料理を皿に盛って相手の家に届けたりもする。
 まあ、ここまでは、なんとなく理解できます。驚くのは、この親密な関係が実は永続性がないことがしばしばだということです。その大きな原因の一つがゴシップです。あけすけなゴシップが行きかい、当の本人の耳にも入ります。そして疎遠な関係になります。ただ、徒党を組んで、誰かが孤立させられるというのはなさそうです。すると、どうなるのか...、また、女性たちはどうするのか、気になります。
 彼女たちは、目の前を濃密に飛びかうゴシップの渦中で、関係を悪化させすぎずに、しかし緊密に共在するのです。
 モザンビーク島で繰り広げられるゴシップは、その真偽を問わないままに他者の評判を流布する極めていい加減な社交であり、他者への応答をあるべき態度とする共生の倫理からすると、限りなく非倫理的な行為だろう。著者は、このように評しています。日本では考えられないと思います。
 著者が居住し、分析の対象とした人々の地区は島の南側の中流・下流層の人々が住む「バイロ」と呼ばれる地域。北側は、「シダーテ」という富裕層が多く住む地域。バイロの住民の大半はムスリム。バイロの女性は、夫の稼ぎをあてにせず、みずからも稼ぐ、堂々と振るまう「強い」女性たちが住んでいる。
 バイロの人たちは、必ずしも安いとはいえない鮮魚を毎日食べて暮らしている。それは島外から流入する現金があるため。
バイロでは、日々、隣人とのあいだで、皿に盛った調理ずみの料理を交換するやり取りが見られる。バイロでは、頼母子講(シティキ)が盛んにおこなわれている。
 島の離婚率の高さ、一夫多妻制のため、女性は夫と離別したあと、みずからの親族のもとに出戻ることが多い。
相手の家族が生活に困っているとみると、子どもの食事の分は助けるが、それは決して一家全員の分まではない。一定の距離を保つように線が引かれている。
 二つの家族のあいだで、相手の家族がひもじそうだとみてとると、孫の分のみ料理を分け与えるが、家族全員の分までは与えない。それは、お返しがあることを前提として、相手の生計の過度な負担とならないようにする配慮になっている。両者の関係性が負担になりすぎない距離感で保たせられている。これは、日本の昔の長屋であった共生、扶助関係とも違うのでしょうね。
 バイロの近所づきあいは、2~3日のうちに料理のお返しが求められている。共在を可能にする委ねすぎない身構え。そして、ゴシップの渦中で共在する。当初から、相手に過度に期待し、依頼でいばることをしないからこそ、深刻な裏切りも不信も生まれない。
 女性たちには、隣人たちと日々密に接し、相手とつながろうとしてしまう一方で、最後のところで相互に心理的な結びつきや連帯を求めすぎたり、みずからを相手に委ねすぎたりしてしまわない身構えがある。うむむ、そうなんですか...。大変興味深い社会生活の実情と分析でした。
 指導教官として小川さやか教授(「チョンキンマンションのボスは知っている」という面白い本の著者)の名前があげられているのを知って、同じような手法の調査だと納得しました。それにしても、男性、そして子どもたちが全然登場してこないのには、いささか欲求不満が残りました。
(2024年3月刊。5500円)

2024年7月29日

バッタを倒すぜアフリカで


(霧山昴)
著者 前野ウルド浩太郎 、 出版 光文社新書

 前の本(「バッタを倒しにアフリカへ」)は、なんと25万部も売れたそうです。モノカキ志向の私には、なんとも妬(ねた)ましい部数です。その印税で、助手の男性にプレゼントをする話も登場して、泣かせます。
 この本は、前の本の続編ですが、新書版なのに、なんと600頁を超えていて、読みこなすのに一苦労しました。いえ、読みにくいというのではありません。著者の身近雑記が延々と語られていて、それはそれで面白いので、つい読みふけってしまうのです。
ともかく、バッタの婚活の研究をしている著者は、ネットその他を通じて本気で婚活しているのに、なぜかゴールインしないというのです。ええっ、いったいどういうことなんでしょうか...。ひょっとして選り好みが意外に激しかったりして...。
 それにしても好きでバッタ博士になったはずの著者が、バッタアレルギーにかかっているとは、悲劇ですよね...。
著者がアフリカでバッタ研究を始めて、もう13年になるそうです。アフリカの西岸にあるモーリタニアの砂漠にすむ、サバクトビバッタの繁殖行動をずっと研究しています。
バッタは移動能力が高い。バッタは暑さに強い。
 バッタは、フェロモンを利用した独特の交尾システムを有している。
 バッタは多同交尾し、最後に交尾したオスの精子が受精に使われる。
バッタの産卵期間は脆弱(ぜいじゃく)である。
 サバクトビバッタのメスは、オスと交尾しなくても単為生殖でも産卵し、子孫を残せる。ただし、うまれてくる幼虫はすべてメスであり、ふ化率は低い。
 著者は、長く長く粘り続けたおかげで、その論文がなんとか、ようやく高級な雑誌に掲載され、ついに学者の仲間入りができたのでした。
 それを著者は、がんばり、運が良ければ、どんな良いことが待ち受けているのか...と、表現しています。それまでの長く、苦しい研究がついに結実したのでした。2021年10月のことです。
 著者は、今やFBに60万人ものフォロワーがいるとのこと。たいしたものです。「ありえないほどの超有名人」になったのです。
 この本には、ロシアの女性(農民)が27回の出産で69人を出産したという、嘘のような本当の話が紹介されています。双子を16回も産み、また三つ子まで7回、さらに四つ子も4回産んだというのです。とても信じられない話です。
 ちょっとボリュームがあり過ぎて、読みくたびれてしまいましたが、語り口の面白さにぐいぐいと最後まで読み通してしまいました。さすが、5万部も売れている新書です。
(2024年6月刊。1500円+税)

2024年7月19日

エチオピアの季節


(霧山昴)
著者 ヴァンサン・ドゥフェ 、 カリム・ルブール 、 出版 花伝社

 マンガ(レオ・トリニダード絵)によってエチオピアの現実、その光と影がよく分かります。
 国境なき記者団による報道の自由度において、エチオピアは180ヶ国のうち最下位の143位。日本もNHKの現状など、ひどいものだと思いますが...。
 中国はアフリカに大変な勢いで進出していて、エチオピアも例外ではない。中国はアフリカから原材料を運び出し、逆に中国製品を大量にアフリカに運び込んでいる。中国人はエチオピアの首都アジスアベバの街中に高速道路をつくった。
エチオピアは、ものすごいスピードで変わっている。
 エチオピアのメリットは、トラブルの多い地域のなかで、唯一安定していること。隣国のエリトリアはエチオピアと潜在的戦争状態にあり、アフリカ版「北朝鮮」とされている。
 エチオピア政権は、批判の封じ込めを経済発展にかけている。
 エチオピアの出稼ぎ労働者の大半は、中東かアフリカの他の国へ行く。そして若者はヨーロッパを目ざす。エチオピアのたくさんの人々が出国したがっているが、他方、アフリカの角から多くの難民を受け入れている。
 エチオピアは海に面していないので、たいていの輸入品は、ジブチから800キロ、トラックで運ばれてくる。
 2019年のノーベル平和賞はエチオピアのアビィ・アハメドが受賞した。エリトリアとの和平を実現したことによる。ところが、まもなくアビィ・アハメドは変身し、強硬策に転じた。2020年11月のこと。
 中国はエチオピアの借金の半分を握っている。中国はエチオピアを「伝存関係」に引きずり込んだとみられている。 「債務のわな」だ。それでも、中国経済の低迷もあって、中国のアフリカ全体への融資額は2016年にピークの285億ドルで、2022年には3割ほどの9億9千万ドルに激減した。
 2016年にエチオピアには13万人の中国人がいた。日本人はわずか200人。
 2000年から2010年までの10年間で100万人の中国人がアフリカに移住した。
 エチオピアの様子を初めて少し詳しく知りました。
(2024年3月刊。1800円+税)

 今年、わが家の庭はブルーベリーが大豊作です。梅の実はさっぱり採れませんでしたが、ブルーベリーは次から次に実が黒く色づきます。かの岩泉ヨーグルトにたっぷり入れて、美味しく味わっています。
 人間ドッグに入ったら、医師から「やせなさい」と3回も言われてしまいました。糖質制限しろというのです。野菜中心の食生活をしているつもりなのですが、もっと野菜を食べなくてはいけないようです。

2024年6月 7日

運び屋として生きる


(霧山昴)
著者 石灘 早紀 、 出版 白水社

 モロッコの北部にスペイン領の町がある。いわゆる飛び地。
 この国境地帯は、アフリカからヨーロッパを目ざす移民や難民の経由地。なので、国境には高さが6メートルもあるフェンスが3重に張りめぐらされていて、監視カメラやセンサーで警備されている。そして、この国境を毎日往来する「ラバ女」とも呼ばれる「密輸」の運び屋がいた。ジュラバ(モロッコの伝統的な民族衣装)の下に洋服を隠した女性たち。運ぶのは衣料品と食料品。
 モロッコには、運び屋が4万5千人、間接的に関わっている人は40万人いた。
 当局から暴行(性的なものも)されたり、商品を没収されたりもするが、法的な検挙はなかった。
 この本は、日本人女性が現地で体当たり取材して判明したことを紹介しています。勇気ありますね。
 モロッコは移民の送出国。モロッコ国外に住むモロッコ人は540万人(2020年)。海外に住むモロッコ人から本国への送金額は90億ドルをこえ、モロッコのGDPの7%超を占めた。
 フランスには、100万人のモロッコ人が住んでいる。
 私が30年前に南フランスのエクサン・プロヴァンス大学の外国人向け夏期集中講座を受けたときの講師も若い元気なモロッコ人女性でした。
 2015年11月と2017年8月にパリとバルセロナで起きた同時多発テロの容疑者の多くはモロッコ系だった。しかし、生まれはモロッコだとしても、育ったのはフランスであり、スペインだったのですから、モロッコにだけテロの原因を求めると、間違います。
 モロッコにいるサブサハラ移民の存在は、モロッコにとっての切り札となっている。
 運び屋のほとんどは、50~100キロにもなる商品を背中にかついで運んでいて、「密輸」であることを隠しもしていなかった。彼女らは、「自分用のお土産」を持ち帰るという建物なので、本来なら科せられるはずの関税20%を支払わず、商業輸入していた。
 この20%というのは、実に大きいですよね。ここに「密輸」ビジネスの合法的根拠があるわけです。
運び屋になるには、言語能力も特別なスキルも何も必要なく、ネットワークも不要。ただ、ビザ(責証)免除の対象となることだけが求められる。なので、現地の女性がなるわけです。
運び屋は35~60歳の貧困層の女性が中心。
モロッコの非識字率(文盲の割合)は、男性22%、女性42%(2014年)。女性だけをみると、都市部の非識字率は31%なのに対して農村部では60%超。
モロッコ社会では、運び屋は売春婦と同等の社会的地位にあるとみられている。
ところがモロッコは、2019年10月、重大な方向転換をした。長いあいだ容認してきた「密輸」を根絶すると宣言した。これはモロッコの国産品の競争力向上を目ざしたもの。すっかりなくなってしまったのでしょうか...。
モロッコにおける密輸の状況を現場に行って聞き取り調査もして、まとめた論文が分かりやすい本になっています。問題状況をかなり認識することができました。
(2024年4月刊。2800円+税)

2024年5月20日

カーイ・フェチ(来て踊ろう)


(霧山昴)
著者 菅野 淑 、 出版 春風社

 セネガルの路上やナイトクラブで開かれるパーティで踊られるダースである、サバールを徹底的に解き明かす本です。
サバールダンスはなかなか難しいようです。一見するとやさしく真似できそうなのですが、ドラマーと息を合わせるのは至難の技(わざ)なのです。
 一度、ユーチューブで見てみたら、もう少し理解できるのかもしれません。文字だけでいうと、次のとおりです。軽い飛躍をともないながら、右足を高く振り上げ降ろす一つ目の動きに続き、左右交互に足を踏みつつ、大きく左右の腕を扇風機かのごとく振るステップ。踊り手の身体と、ドラマーとが「会話」する。この「会話」こそが、サバールダンスを踊る上で重要な要素である。ここまで書いたあと、ユーチューブで見てみました。たしかに日本にはない、激しく全身を動かします。
 セネガルはアフリカ大陸の西にあり、その広さは日本の半分ほど。人口は1773万人。21の民族がいて、公用語はフランス語。イスラム教徒が95%で、キリスト教徒は5%。
 首都ダカールの人口は340万人。かつてカースト制度があり、現在でも公式には廃止されていても、根強く残っている。踊るのは身分の低い人(ケヴェル)がするものという見方が厳然として存在している。サバールの太鼓を演奏するのは、男性のケヴェルだけ。
 ダンサーの足はペンであり、ドラマーが演奏する音符を描く。良いドラマーは、音符の読み方を知る必要がある。こうして、即興的な「会話」が成立する。
 サバールが踊られる場は、娯楽であり、人生儀礼を祝う場であり、若い女性の社交の場でもある。
日本人女性がセネガルに行って、このサバールダンスを身につけ、なかには一生の伴侶を得て、日本にカップルで戻ってくるケースも少なくないとのこと。そして、サバールダンスを日本で教えるのです。すごいですね。
 日本に在住するセネガル人のダンサーやドラマーは全員が男性で、女性はいない。
 日本人にとって、サバールダンスを学ぶ難しさは、手と足をバラバラに動かさなければならないうえ、跳躍をともない、かつ一定のテンポで踏むステップではないから。
 しかし、このサバールステップを踏めずして、サバールダンスを体得したとは言い難い。
 サバールダンスの魅力は、日本の踊りとの共通点がなく、独特で唯一無二のダンス、そして複雑なリズムにある。
 いやあ、すごいですね。アフリカのセネガルに定住してまで、その独特のダンスを身につけようという日本人女性が少なからずいるというのに、驚きました。
(2024年2月刊。3500円+税)

2024年4月22日

今日、誰のために生きる?


(霧山昴)
著者 ひすいこたろう、SHOGEN 、 出版 廣済堂出版

 まずは衝撃的なコトバに出会いました。ハッとさせられます。
効率よく考えるのであれば、生まれてすぐ死ねばいい。
なーるほど、そうなんです。今の世の中、とくに自民党と公明党は効率一本槍で押し通しています。人間を育てるとき、効率優先でいいはずがありません。
 人はいかに無駄な時間を楽しむのかっていうテーマで生きているんだよ。
きっと、そうなんですよね。「ムダ」なようで、実は決して「ムダ」ではない時間に私たちは生きているわけです。
 アフリカのタンザニアにある「ブンジュ」と呼ばれる村民200人の村に日本人のショーゲン氏は生活し、そこでペンキアートを学ぶのです。
 しかし、入村するには3つの条件をクリアーしなくてはいけません。その3つとは...。
 その1、食事に感謝できるかどうか。感謝の心をもって丁寧に味わうこと。ちなみに、主食となる「ウガリ」というトウモロコシのパウダーをお湯で練って固い生地にしたものは、美味しくないそうです。
 その2、「ただいま」と言ったら、「おかえり」と言ってくれる人がいるか。この村では、家族という血縁にこだわらず、常にいくつかの家族が助けあって生活している。
 その3、抱きしめられたら、温かいと感じられる心があるか。これは、肌の触れあいの大切さ。人の温もりが分かる心があるかどうか。
 ショーゲンは、「はい」と答えて、入村が認められました。
 ケンカは、その日のうちに仲直りする。というのも、言い争いをしている大人を、子どもが見たくないから...。うひょう、その発想はすばらしいですね。
子どもと言えば、子どもの前で失敗を隠すのはやめてと頼まれます。なぜなら、大人が失敗するのを見せることで、子どもは出来ないことは恥ずかしいことではないと学び、失敗を恐れない子どもになると考えるからなのです。
 なるほど、なるほど、これは大いに一理も二理もありますね。
この村では午後3時半になったら、みんな仕事をやめる。
 ここは日が暮れるのが早いし、電気がないので、日の明るいうちしか家族の顔が見れない。なので、早く家に帰って、家族の顔を見るため、残業なんかせず、午後3時半になったら、みんな一斉に仕事をやめる。それが仕事の途中であっても、そんなの関係ない。
 挑戦するということは、新しい自分に会えるという行為だ。
 挑戦には失敗がつきものだけど、いつか失敗のネタが尽きるときが来る。失敗が満員御礼になるときが来る。そうしたら、成功するしかない。
 ヤッホー、です。こんな考え方ができる人たちがいるんですね、世の中には。これまた、すごいことです。
 この村はアフリカのタンザニアにあるそうです。そして、ショーゲンが学んだペンキ画は、下描きなしで6色のペンキで描くというもの。そのいくつかが紹介されていますが、独特の美しさをもっている画です。
 いったい、本当にこの「ブンジュ村」というのは存在するのでしょうか...。それとも、夢にすぎない、おとぎ話なのでしょうか...。
(2024年3月刊。1760円)

2024年3月20日

楽園


(霧山昴)
著者 アブドゥル ラザク・グルナ 、 出版 白水社

 私と同世代で、2021年のノーベル文学賞を受賞した作家です。
 アフリカ東部のタンザニア(旧ザンジバル)に生まれ、1964年の革命騒動で、イギリスに渡り、大学に入りました。
 解説によると、グルナの作品は美しく簡潔な文体でつづられるとのこと。
 主人公は12歳の少年ユスフ。苦境に陥った父親の借金のかたとして、大商人アズィズに引き渡され、アフリカ内陸奥地に向かう隊商に加って働くのです。ユスフが18歳になるまでに体験する出来事が語られていきます。
 ユスフというの旧約聖書のヨセフであり、コーランの預言者ユースフの話が下敷きになっている。この小説の舞台は20世紀初頭のドイツ領東アフリカ(タンガニーカ)。アズィズの隊商は、ベルギー領コンゴ東部を目指す。隊商にはインド人の資本が提供されている。また、既に廃止されたとはいえ、奴隷の身分が残存している。
著者がノーベル文学賞を受賞したときの記念講演が紹介されています。
 書くことはよろこびであり続けている。私も同じです。書くことなしに私の人生はありません。書かないではおれません。
 著者は、若いころ、無謀にも郷土を逃げ出し、置き去りにした。そのことを反芻(はんすう)したのです。そして、語るべきこと、取り組むべき課題があり、それを言葉として深く考えるべき後悔や怒りがあると感じるようになったのでした。そこで、自己満足に浸る支配者たちが自分たちの記憶から抹消しようとする迫害や残虐行為について書かなければならなかった。
 そして、口あたりのいい表現で、支配の本来の姿が覆い隠され、自分たちもその偽りを受け入れていた。
 書くことを通じて、自分たちを見下し、軽視する人たちの自信満々で、いい加減な物言いに抗(あらが)いたいと強く願うようになった。
 書くことは、自分の人生において意義深く、夢中にさせてくれる営みであり続けている。
 なるほど、そうなんですよね。私はいま、昭和初期に7年のあいだ東京で生活していた亡父、ちょうど17歳が24歳という青春まっただなかの多感な年頃でした、の生きざまを調べ、考え、書いているところです。こんなに夢中にしてくれることはほかには滅多にありません。
 この本が1ヶ月で2刷になっているのに驚きました。さすがはノーベル文学賞受賞作家です。
(2024年2月刊。3200円+税)

2024年3月 6日

ガーナ流・家族のつくり方


(霧山昴)
著者 小佐野アコシヤ有紀 、 出版 東京外国語大学出版会

 アフリカのガーナ大学に留学した20歳の日本人女性がガーナで見たものは...。
 血縁を超えた家族関係を結ぶ人々だった。
 私にとってガーナは、エンクルマ大統領です。無残にもアメリカ(CIA)に暗殺されましたが、アフリカ独立の英雄でした。
 ガーナは西アフリカにあり、人口は日本の4分の1、国土は日本の3分の2。サハラ以南では最初に植民地支配から独立した。1960年だったのではないでしょうか。
 ガーナはチョコレートの原料となるカカオを栽培する国。
 ガーナの7割がキリスト教、2割がイスラム教。南部はキリスト教人口が多数を占め、北部にはムスリムが多い。ガーナの人口の4割を占めるアカンの言葉がチュイ語。
 列車の代わりに「トロトロ」という乗り合いバスが走っている。
著者がガーナに留学したのは2017年2月のこと。
 ガーナには性別と生まれた曜日によるデイネームがある。著者の「アコシヤ」は日曜日。そして「機敏さ」を意味している。
 日本にいるガーナ人は、2万5千人ほど。埼玉県草加市と川口市、八潮市に多い。
 ガーナでは祖母が主力となって子育てするのは一般的なこと。そして、子育てはみんなでするものである。
 「あなたは何人家族ですか?」。この質問に対して、日本人なら迷うことなく、「核家族」の現状の人数を答えるに決まっている。しかし、ガーナは違う。
 「ふだんの生活のなかで、家族として接している人の数」を訊いていると説明すると、その答えは、「105人」、「18人」、「50人」と、日本人の私たちからすると、とんでもない人数の答えが返ってくる。ガーナでは、血のつながりがなくても家族だから...。
 ガーナでは、子どもが生みの親(生親)のもとを離れて育つのは決して珍しいことではない。
 日本では「核家族」というのがあたり前になっていますが、これは日本の「特殊現象」であって、「家族」とはいったい何なんだというのを、ガーナの「家族」との関係で改めて考えさせられました。
それにしても20歳でガーナの現地社会に溶け込むって、すばらしいですね。私には20歳のころ、そんな勇気はまったくありませんでした...。
 あなたにも、視野を広げるため、ご一読をおすすめします。
(2023年12月刊。2200円+税)

2023年12月30日

母を失うこと


(霧山昴)
著者 サイディヤ・ハートマン 、 出版 晶文社

 奴隷制を意味するスレイヴァリーという用語は、スラヴという言葉から派生している。中世の世界では、東ヨーロッパ人が奴隷だったことによる。うひゃあ、知りませんでした・・・。
 アフリカのガーナは、よその国より奴隷制のため地下牢や牢獄、奴隷小屋を残している。地下に埋もれた狭く、うす暗い牢室、格子つきの洞窟のような牢室、細い円柱型の牢室、じめじめとした牢室、にわか作りの牢室。15世紀末以来、金(ゴールド)と奴隷をめぐって、ポルトガル人、イギリス人、オランダ人、フランス人、スウェーデン人そしてドイツ人は、アフリカの奴隷交易における拠点を確保するため、50もの恒久的な駐屯地と要塞、そして城を建造した。地下牢や貯蔵庫、また収容所には、大西洋をわたって輸送されていくのを待つ奴隷が収容されていた。18世紀末ころ、ガーナには60もの奴隷市場が存在していた。
 1950年代、60年代、アメリカにいたアフリカ系アメリカ人は大挙してガーナに押し寄せた。パン・アフリカ主義という夢のもとに、明日にでも奴隷制と植民地主義の遺産が崩壊するかのような気運にあふれていた。
 ガーナのエンクルマ大統領は独裁者だった。エンクルマは、世界中の黒人の自由のために妥協なく闘った。エンクルマが失脚したとき、アフリカ系アメリカ人は涙したが、地元のガーナ人は歓喜し、街頭に繰り出して踊った。
 ガーナは自由通貨を発行せず、ヨーロッパで製造された米ドルが通用していた。
 アフリカでも、アメリカに劣らず、黒人の命が消耗品同然に扱われている。
 ポルトガル人に捕えられた女性の右腕には十字架の焼印が押された。
 コンゴにおける王侯貴族はカトリックに改宗し、奴隷貿易で財を成した。
 奴隷は家系をもたなかった。奴隷は人間を数えるときの単位ではなく、家畜のように「頭」と数えられていた。
 商品としての奴隷は、生きた積荷と呼ばれ、またオランダ人は「ニグロ」という言葉を「奴隷」と同義として使った。奴隷船は「ニガー・シップ」呼ばれていた。
 ヨーロッパに連れてこられたアフリカ人「捕虜」は、自分たちはヨーロッパ人から食べられるために連れてこられたと、恐怖心を吐露した。白い人食いへの恐怖は、暴動と自死を誘発した。
 奴隷所有者は、奴隷の記憶を根こそぎ、つまり奴隷制以前の存在する証拠をことごとく消し去ろうと努めた。過去のない奴隷は、復讐すべき相手が分からない。
 奴隷制度から生まれた子どもは、母親とともに何も相談することなく、完全に父親の系図に組み入れられた。奴隷の母親は、子に引き継がせ得る生得権を何ひとつ持たないので、女奴隷の子に触れるのはペニスだけだと言われた。
 コンゴを何度も訪れたアメリカの学者による紀行文でもあります。奴隷制が現代になお生きているという指摘には、ぞぞっとさせられます。
(2023年9月刊。2800円+税)

2023年11月29日

太陽の子


(霧山昴)
著者 三浦 英之 、 出版 集英社

 アフリカはコンゴの山奥に日本人の子どもが大勢いるという衝撃のルポです。
 中国の残留孤児は『大地の子』でも有名になりましたし、フィリピンにもいると聞いていましたが、アフリカにまでいるとは...。
 舞台はコンゴ民主国(旧ザイール)です。アフリカには、もう一つコンゴ共和国というのもあります。日本企業(日本鉱業)は1970年代にコンゴで鉱山開発をすすめていて、日本からも若い労働者を1000人ほども送り込んだのでした。
 日本鉱業という会社は、日立鉱山を発祥の地としていて、JR日立駅前には資料館「日鉱記念館」がある。そこには、日本鉱業がコンゴでムソシ鉱山を開設していたときの資料も展示されている。このムソシ鉱山は1970年代に銅を採掘し、精鉱していた。
 しかし、1971年の「ニクソン・ショック」によって、1ドル360円の固定相場が1ドル308円前後へと変動相場制になり、コンゴ経済も独裁者モブツ大統領による無謀な経済政策によってコンゴ経済が崩壊した。さらに、隣国アンゴラで内戦が始まり、輸送コストが高騰。
 しかし、世界の合同価格が急速に下落していった。
 結局、総額720億円もの巨大プロジェクトは、その投資額さえ、回収できないまま。
 1983年に日本はコンゴから完全に撤退した。それまで、日本鉱業の社員など日本人が670人ほど現地に住みつき、コンゴ人など4000人ほどの従業員の住宅が整備され、人口1万人をこえるビッグタウンが突如として出現し、やがて、すべて消え去った。
 この地に単身赴任で働きに来ていた日本人社員が現地で次々に結婚し、子どもが産まれたのです。
 この本の真ん中に、父は日本人と主張する人たち(男も女も)の顔写真が紹介されています。ユキもケイコもユーコも、まごうことなく日本人の顔をしています。DNA鑑定なんかするまでもありません。男性のムルンダ、ケンチャン、ヒデミツも日本人の顔そのものです。
 日本鉱業の幹部だった人たちは、著者の質問に対して全否定しましたが、これらの顔写真はまさしく動かぬ証拠です。
 コンゴの日本大使館は、日本人残留児の父親探しには協力できないという態度でした。日本鉱業が全否定することが影響しているのでしょう。
 笹川陽平(日本財団)は、日本食レストランを現地に開設するとき、その全資金を提供したとのこと。
 日本人労働者たちは単身赴任でコンゴにやってきて、ここで家庭を築いたものの、泣く泣く日本に戻ってからは、アフリカ(コンゴ)とは例外なく完全に縁を切ったようです。
 父系制の強いコンゴで、父親のいない家庭で育った子どもたちの苦労がしのばれます。
 ところが、著者の取材に応じ、顔写真まで撮らせた男女は、いずれも、あらゆる困難にめげず、アフリカの地で、「日本的」勤勉さを発揮して、それなりの仕事と生活を切り拓いた人も少なくないというのです。顔だけでなく、性格までもが日本的だという記述を読むと、その大変な苦労を想像して思わず涙があふれ出ました。
 日本に戻った人たち(父親)を探すのは止めたほうがいいと何人からも言われ、実際にも父親が死亡したりして、父親探しは難航しています。でも、アフリカにいて、日本人の名前と顔もして、心を持つ人たちが自分の父親を知りたい、会いたいというのも自然な人情です。はてさて、いったいどうしたらよいのか、分からなくなりました。
 新潮ドキュメント賞、山本美香記念国際ジャーナリスト賞を受賞したのも当然と思える労作です。ご一読ください。
(2023年9月刊。2500円+税)

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