弁護士会の読書
※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。
アフリカ
2016年2月28日
「14歳の兵士、ザザ」
(霧山昴)
著者 大石 賢一、石川 森彦 、 出版 学研
あまりマンガは読みませんが、これは考えさせてくれるマンガです。日本でマンガ原作者として生活している若者が飽き足らない思いをしているとき、アフリカへ赤十字の活動を見学に行って、現地ですさまじく悲惨な戦場を体験してしまうというストーリーです。
基本的にはマンガを主体とした本なのですが、最後の2頁に、アフリカでの取材状況を撮った写真があり、マンガに描かれた状況が事実だということが確認できます。
アフリカはコンゴ民主共和国が舞台です。昔々、アフリカの諸国が植民地から独立するとき、コンゴのルムンバ大統領がその一番手でした。ところが、アメリカのCIAに虐殺されたのでした。アフリカの利権をめぐっては、アメリカやヨーロッパの旧「宗主国」たちが依然として介入しているのが現実です。
最近、リビアの内戦状況のニュースを読みましたが、外国軍の下手な介入が内戦を複雑化させて、平和の回復をかえって難しくしているとのことでした。国連の平和部隊と赤十字のような地道のような活動こそが今のアフリカには必要なのではないでしょうか・・・。
それにしても、この本で焦点を当てているのは14歳の少年兵です。本当に残酷な現実です。少女はレイプされ、連行される。少年は幼いころからカラシニコフを持たされ、戦場で先頭に立たされるというのです。
10代前半で人を殺すのを何とも思わない状況に置かれたら、その後の人生はどうなるでしょうか・・・。考えるだけでも、背筋がぞくぞくしてきて、震えが止まりません。
今、私たちは現実から目をそらさないこと、武力に武力で対応しても何の解決にもならないことを自覚することではないかと思います。ご一読をおすすめします。
(2015年10月刊。1200円+税)
2015年12月 3日
人質460日
(霧山昴)
著者 アマンダ・リンドバウド 、 出版 亜紀書房
2008年、カナダ人のフリー・ジャーナリストのアマンダ(女性)は、元恋人のカメラマンとともに誘拐され、1年半におよび監禁生活を過ごした。
その体験記です。読んでいくと、本当に気が滅入ってしまいます。もちろん、本人たちのほうがもっと大変だったと思います。殺されそうになったりもしますが、ともかく身代金の交渉がまとまり、生きてカナダに戻ることができました。最後まであきらめなかった精神力には頭が下がります。
生きのびるためにイスラム教徒に改宗したり、コーランを覚えたりもしたようです。
一度は隠れ家から脱走に成功したこともあったのですが、結局は地域の人々が味方してくれなくて、誘拐犯グループに戻されてしまいます。そこが、ソマリアという地域のお国柄なのでしょうね。誘拐ビジネスが経済を与えているのです。
今は、ケニアで難民生活を送っているソマリア人女性のための学校をつくる手伝いをしているとのことです。すごいですね。その行動力に敬意を表します。
解放のために支払われた身代金は100万ドルを上回ったとされています。二人で、等分したということです。1億円の半分ですから、5000万円でしょうか。大変な金額ですよね・・・。
ムスリムになりたかったら、心をこめて信仰告白をすればいい。場所はモスクである必要はないし、指導者(イマーム)に証人になってもらう必要もない。儀式めいたことは、ほとんど行われない。改宗にあたっては、アラビア語で簡単な誓いの言葉を唱えるのだが、肝心なのは、その言葉を心から信じるという確信だ。誠実さが問われる。
アッラー以外に神はなく、ムハンマドはアッラーの使徒であると誓った。
イスラム教の教えは、天国は常にあなたを手招きしているというもの。信者は来世を目ざして生きている。現世で手にすることができなかった喜びも、長きにわたって縁がなかった慰めや富や美貌も、天国に入ればその人のものとなり、痛みや試練や争いはすべて消え去る。天国はどこまでも広く、完全無欠の楽園だ。誰もが美しい衣をまとい、食べきれないほどのご馳走が並び、宝石で飾られたふかふかの寝台が置いてある。木が生い茂り、山にはじゃこうの香りが漂い、川が流れる涼やかな渓谷がある。完璧な場所なので、果実は決して腐らず、人は33歳のまま老いることはない。地上での苦しみには終止符が打たれ、門の向こうには永遠の至福がまっている。
私は、イスラム教を信じている人は、それはそれでいいと思います。ともかく、どんな宗教であれ平和に共存できる世の中でありたいと心から願っています。
来世も大切でしょうが、現世はもっと大切なのです。だって、私たちは、今を生きているのですから。その一点で、宗教の違いをこえて、みんな平和のうちに生きていたいと願います。みんな違って、みんないいのですから、、、。
(2012年10月刊。2700円+税)
2015年11月25日
たまたまザイール、またコンゴ
(霧山昴)
著者 田中真知 、 出版 偕成社
いやはや、大変な旅です。アフリカの大河を若い夫婦で丸木船で旅行し、また20年後に青年と旅したのです。驚き、かつ呆れつつ、その蛮勇とも言うべき実行力には頭が下がります。おかげで、こうやってアフリカの生の情報が得られるのですから・・・。
アフリカ大陸の中央部を流れるコンゴ川を妻と二人で丸木舟を漕ぎ、1ヶ月かけて川を下った21年後に、再びコンゴ河を今度は日本人青年とともに下った。
この二つの体験記が写真とともに紹介されています。いずれも無事に旅を完遂できたのが奇跡のようなスリルにみちた冒険の旅でした。1991年のときのほうが2012年よりも、客観的には安全だったように思いました。
コンゴ河があるのは、旧ザイール、今のコンゴ民主共和国です。まずは1991年のザイールの旅です。
当時、ザイールはアフリカ好きの旅人の間では特別な存在だった。圧倒的なスケールの自然と、カオスの国に生きる人びとのパワーが旅人の好奇心を刺激してやまなかった。
ザイール河(コンゴ河)には、オナトラと呼ばれる定期船があった。定期船とは名ばかりで、いつ入港するかもわからなければ、目的地までの日数も3週間だったり、1ヶ月だったり、まちまちの船だ。オナトラ船は船の形をしていない。一隻の船ではなく、六隻の船をいかだのようにワイヤーでつないだ全身200メートルほどの巨大な船の複合体だ。
船内の屋台では、串にさして揚げたイモムシを辛そうな赤いタレにつけて売っている。子どもたちは、生きたやつをそのまま口に放り込んで食べる。踊り食いだ。
猿のくん製は、独特のすっぱい臭気を発している。くん製というより焼死体に近い。
流域の村人にとってオナトラ船は物資を手に入れる唯一の機会であり、現金を使える唯一の場所だった。村に現金をもち帰ったところで使う機会はないし、とほうもないインフレのために、お金を手元に置いておくと、またたく間に紙切れ化してしまう。だから、現金を手に入れたら、みな一刻も早く何かを買って現金を手放そうとする。ババヌキと同じだ。
流域の村には、モコトと呼ばれるタイコがある。大木の幹をくりぬいたもので、トーキング・ドラムだ。流域の人々にとって、なくてはならない重要な通信手段になっている。モコトを使うと20キロ離れた村と対話ができる。
ナオトラ船では屋台まで食べ物を買いにいくのに、往復300メートルに40分もかかる。ナオトラ船には5000人が乗っている。うひゃあ、とんでもない船です・・・。この中には100人か200人の無賃乗船客がいる。
2012年のコンゴの旅のときには、このナオトラ船はありませんでした。そして、モコトも消えています。
コンゴの首都キンシャサは、昼間でも外国人が外を歩いてはいけない。誘拐や強盗にあう危険があるから。外国人は自家用車でなければ外へ出ないのが常識になっている。
キンシャサ市内は、ホテルもビルも中国資本が多い。ともかく中国の進出がすごい。
コンゴでは、庶民から政治家まであらゆるレベルで、「これをくれ」「あれをくれ」という体質がしみついている。これがアフリカ諸国の中でもとくにひどい賄賂体質や汚職に結びついている。
市場にある商店のほとんどは中国人やアラブ人、インド人の経営で、コンゴ人は、使われているばかり。鉱物資源の輸出は地元経済をうるおしてはいない。
政府高官は賄賂をとることしか頭になく、地元経済の活性化には無関心だ。
コンゴの紛争を大きくし、長期化させたのは、資金や武器を供与している外国勢力の存在があったから。モブツ独裁政権が32年にわたって存続できたのは、資金提供を続けたアメリカの存在があった。なぜ提供するのか、それはコンゴが世界有数の天然鉱物資源に恵まれた国だから。ダイアモンド、金、銅、タンタルやコバルトといったレアメタルを算出している。
コンゴでは、毎年、東京都の1,6倍の森が焼失している。
アフリカの旅で著者が得たことは何か・・・?不条理や理不尽が束になって襲いかかって来ても、なんとかなることが分った。そういうことが際限なく繰り返されているうちに、こうでなくてはダメだという思い込みのハードルがどんどん低くなっていった。
世の中は、ありとあらゆる脅威にみちていて、それに対して保険をかけたり、備えをしたり、あるいは強大なものに寄りそったりしないことには生きていけない。そんな強迫観念を社会から常に意識させられているうちに、自分は無力で、弱く、傷つきやすい存在だと思い込まされてしまう。でも、ここでは自分でなんとかしないと、何も動かない。乏しい選択肢の中から、ベストとはほど遠い一つを選び、それを不完全な手段でなんとかする。状況がどんなに矛盾と不条理に満ちていても、それが現実である以上、葛藤なしに認めて取り組むしかない。そういうことを繰り返していると、意外になんとかなったりするし、なんとかならなくても、まあ、しょうがないやという気になる。まあ、しょうがないやと思えることが、実はタフということなのだと思う。いずれにしても、世界は偶然と突然でできている。それを必然にするのが生きるということだ。それがコンゴ河の教えだ。
私のように、若いころから好奇心はあっても冒険心の乏しい人間にとっては、無茶すぎ、無謀すぎる危険きわまりない旅です。うらやましくて仕方がありませんでした。
今後とも、元気に世界を旅行してレポートを書いてください。
(2015年7月刊。2300円+税)
2015年11月10日
アルジェリア人質事件の深層
(霧山昴)
著者 桃井治郎 、 出版 新評論
2013年1月16日、アルジェリアでイスラム武装勢力が天然ガス施設を襲撃した事件が起きました。このとき、日本人10人をふくむ40人が亡くなっています。
著者は在アルジェリア日本大使館に勤務していたことのある学者です。アルジェリアという国の歴史と現状が詳しく紹介されていますので、とても説得力があります。
アルジェリアの人口は3900万人。人口の90%は北部地域に暮らしているが、アルジェリア経済を支えてるのは南部のサハラ地域。気温50度をこすサハラ砂漠の地下には、原油や天然ガスなど豊かな天然資源が埋蔵されている。
日本も、アルジェリアからLNGをスポット的に輸入することがある。この施設では、外の警備はアルジェリア軍の憲兵隊、内側は民間警備会社が丸腰(火器をもたない)であたっている。居住区の滞在者の名前が漏れていたから、内部スタッフに武装集団の協力者がいたことは確実。居住区内のアルジェリア人は、はじめから人質の対象になっていない。
武装集団は合計32人。外国人の人質は、首や同体に爆弾コードを巻かれ、人間の盾として、外に座らされた。
2日目の朝9時すぎから、アルジェリア軍が外から居住区への攻撃を開始した。午後3時までに作戦は終了した。
プラント地区は、3日目からアルジェリア軍が侵入作戦を開始し、4日目(19日)、午後10時から突入した。死者は10ヶ国40人に及んだ。日本人の10人がもっとも多い。武装集団32人のうち29人が死亡し、3人がアルジェリア軍に拘束された。
アルジェリアでは、国内政治における軍の影響力は非常に大きく、軍情報部が実質的に軍の指導部を担っている。
アルジェリアでは、メディアは非常に活発に活動している。ただし、治安情報に関しては、軍情報部の情報管理体制が徹底している。
武装集団メンバーの多くが外国人であり、リビアから侵入したことが明らかになった。
アルジェリア政府は、事態が長引くこと、外国政府による介入を招く恐れがあることを知っていた。とくにアメリカ軍の介入はアルジェリア国内の反米感情を刺激し、政情不安に陥ることが明らかだった。アルジェリアは自尊心が強く、メンツを大事にする国である。
日本は、いまだに首相が訪問したことがない。アルジェリア政府とのあいだで、日本政府は信頼関係を形成していない。
1950年代、アルジェリアは、フランスからの独立を目ざして武装抵抗を続けます。映画「アルジェリアの戦い」は、私が大学生のころの映画です。そして、1962年にフランスから独立するのですが、その後も、アルジェリア国内では、激しい武力衝突や軍部によるクーデターが相次ぐのでした。
革命は無政府状態を生みだし、その結果、大混乱が起きて悲劇に陥ると考えるアルジェリア人は多い。1990年代の暴力の連鎖が生々しい記憶となっていて、混乱や無秩序をなによりも恐れ、忌避する。アルジェリア国内では、現在、武装勢力に対する一般市民からの支持は完全に失われている。
アルジェリア国内の腐敗構造は継続し、むしろ悪化している。日本に対して求められているのは、貧困削減、技術協力、産業育成などの民生分野での貢献である。
アルジェリアでは、「日揮」(JGL)の名前は、日本において以上によく知られている。
テロリズムに抗するというのは、武装集団を徹底的に掃討し、殲滅すればよいというような単純なことではない。むしろ、アルジェリアの歴史は、それに疑問を投げかける。
テロリズムは、反体制側の暴力だけではなく、体制側の恐怖政治をも指し示す。
私たちは、双方のテロリズムを拒否しなければならない。それは結局、暴力の連鎖を生み、絶滅戦に至るからである。私たちがなすべきは、現実に絶望して諦めてしまうのではなく、絶対的正義を掲げてテロリズムを根絶しようとすることでもなく、暴力や恐怖に基づく暴力主義に「ノン」と声をあげて拒絶を表明し、暴力の正当化を容認しない社会を一歩ずつ作り上げていくことにある。
暴力主義への共感が広がらないような社会環境をつくり出していくことが遠回りではあるものの、テロリズム問題への本質的な解決策となる。
世界からテロリズムをなくすというのは、「テロリスト」を殲滅することではない。テロリズムを生むようなあらゆる暴力主義をなくしていくことである。
著者のこの提言は、今回の人質大量殺害事件そして、アルジェリアの戦後の悲惨な歴史を踏まえたものだけに、心が大きく揺さぶられるほど説得的です。
(2015年10月刊。2000円+税)
2015年3月17日
恋するソマリア
著者 高野 秀行 、 出版 集英社
実に面白い本です。知らなかったことを知る喜びに包まれる本なのです。
『謎の独立国家ソマリランド』も大変面白く読みましたが、この本は、前著にもましてソマリアの尽きせぬ魅力を徹底的にレポートしています。
その白眉がソマリア料理をつくる体験です。ソマリア女性にソマリア料理を教えてもらい、一緒につくるのです。なーんだ、と言うことなかれ。男性が大人の女性と接することはありえない社会で、それを実現したというのですから、それは賞賛に値する偉業なのです。
あるグループの人々を理解するための文化的な三大要素は、言語、料理、音楽だ。
ソマリの一般家庭に入ってソマリの家庭料理を習いたい。しかしソマリ人は、素の姿を見られたくない。ソマリ世界の台所こそ「アフリカの角」における最大の秘境ではないかと思わせるほど、その接近は困難だった。
ソマリアでは、煮炊きはすべて炭とソマリ式七輪で行っている。ソマリア人は、御飯でもパスタでもサラダでも、つまり何にでもバナナを上に載せ、一緒に食べるのを好む。バナナを3センチほどに切って上に散らしておくのがソマリ風なのだ。
ソマリ料理は、なんでもとりあえず粗みじんに切ったタマネギを油で炒めるところから始める。そのあと、肉や米や野菜を入れる。ニンニクを入れるのは、日本と違って、常にラストに近い。ソマリ料理のつくり方の特徴は、とにかく「てきとう」ということ。
ソマリ人は誇り高い民族であり、自分たちのことを世界に知られたいとは、ちっとも思っていない。その反面、冷徹なアリストでもある。世の中を動かすのは、しょせん、お金と武力であると正しく理解している。
ソマリ語は複雑で、風変わりで、あまりにも難しい。ソマリ語に比べると、フランス語やアラビア語ですら、文法構造は単純かつ素直に思える。
ソマリランド(ソマリアの北方の国)の人々は、実に熱心に本を読む。道端の茶屋では、おしゃべりと新聞のまわし読みが二大娯楽となっている。
テレビとかインターネットは、どうなっているのでしょうか・・・?
ソマリランドは、イスラム国家なので、酒は所持も持ち込みも禁止されている。
ソマリランドが平和なのは、土地が乏しいうえに、何の利権もないから。
伝統的な民族社会に生きているソマリ人は、「自分とは何者か?」とアイデンティティに悩む余地が少ない。
一般にソマリ人は非常に飽きっぽくて、他人の話など5分と聞いていられない。ところが、カート宴会だけは3時間も続く。アルコールの代わりに、カートという木の葉を口中に入れてかみ。「酔って」しまう。
ソマリ人は、驚くことに、若者をふくめて誰も西洋の音楽を聴かない。ソマリ人がソマリ語でうたうソマリ・ミュージックをきいている。
ソマリ人は世界じゅうに300万人いるが、外国人と結婚する人は1%もいない。
故郷にソマリ人が送金するのは、故郷で認めてもらいたいがため。
ソマリ人は、めったに客を自分の家に呼ばない。もし客を呼ぶなら、徹底的にもてなさなければいけないという使命感にかられるから。
ソマリアではジャーナリストが殺されている。この5年間で11人のジャーナリストが殺された。暗殺された8人のうち7人は、モガディショのジャーナリスト。
ジャーナリストは、女性が一番なりやすい職業。ソマリアでは、何をするのも氏族単位だけど、ジャーナリストは違う。
ソマリアでは、メディアも政治家も公正ではないし、手段を選ばない。
ソマリ人の氏族へのこだわりは、病気というほかない。おなじ氏族の人間しか信用しない。
氏族で人間を判断する。別に理由もなく、誰がどこの氏族か知りたがる。一言でいえば「氏族依存症」だ。
ソマリ人は誰にも助けを求めていない。一方的な同上や愛情を必要としてもいない。
野生のライオンみたいな存在だ。
ソマリアのボガデイショでアメリカ軍の精鋭が群衆と戦った映画「ブラックホークダウン」を思い出しました。そのモガデイショに日本人のジャーナリストが素手で、もちろん護衛兵つきで取材した体験記です。こんな勇敢なジャーナリストが存在するおかげでソマリアのすばらしい素顔を知ることができるのです。ありがたいことです。
日本の自衛隊がソマリアの海賊を逮捕して東京地裁で刑事裁判にかけたとき、著者は通訳をしたようです。ソマリア語が話せる日本人に出会って、びっくりしたといいます。
やっぱり武力(軍事力)一辺倒では何事もなしえないことを、この本でも思い知らされます。ご一読をおすすめします。
(2014年10月刊。780円+税)
2014年6月 9日
アフリカッ!
著者 松村 美香 、 出版 中央公論新社
日本の総合商社の若手社員がアフリカ市場を開拓しようとするときに直面する苦難の日々が描かれています。
たしかに、アフリカ大陸は広いし、膨大な人々が住んでいますから、潜在的なニーズは大きいのでしょう。それでも、ともかく貧困層が多くて、安価であることが何よりの条件という国が多いのも現実です。そこに、中国製品ががっちり食い込んでいて、高品質をモットーとする日本製の進出を許しません。
そして、治安の問題があります。さらには、病気も心配です・・・。それでも、主人公の日本の青年は、意気高くアフリカに乗り込むのでした。毎日毎日、パソコンに向かいインターネットを眺めるのに飽き足らなくなったのです。
この本では、アフリカといっても、東部のエチオピア、ケニア、そしてザンビアしか登場しません。エチオピアといえば、マラソンの走者アベベを思い出します。世界最貧国のようです。
ケニアは豊かな大自然のサファリ国立公園ですよね。でも、先日、福岡から修学旅行に行って、ショッピング・モールでのテロ騒動に危うく巻き込まれそうになったという話を聞きました。
そして、ザンビア。ここは治安がいいそうですが、あまり耳慣れない国です。
エチオピアは世界200ヶ国あるなかで、常に貧困ワースト・テンに入っている。戦争も内戦もないのに最貧困。
フルフルは、エチオピアの典型的な朝食メニュー。インジェラと呼ばれるパンを味付けしたもの。インジェラは、粒子が1ミリしかない土着の雑穀「テフ」を発行させ、縛り固めて直径30センチほどに丸く広げ、鉄板で焼いたもの。表面に泡だったぶつぶつがあり、色は灰色。腐りかけのような、すえた臭いがして、味は酸っぱい。使い古したぼろ雑巾のように見えるのだが、エチオピア人はこの主食をこよなく愛し、頑として食生活を変えようとしない。
日本人にとっての味噌汁と納豆のようなものでしょうか・・・。
海外へ出れば、誰だってカルチャーショックを受ける。それから逃れてはいけない。カルチャーショックを受けている自分を楽しめ。感受性が豊かな自分を肯定しろ。それが、人間の成長となり、いつかきっと新しいアイデアにつながっていく。
私も、初めて海外旅行、アメリカだったかフランスだったか忘れてしまいましたが、びっくり仰天の体験でした。これは必要なものだと痛感して、以来、毎年1回は海外に出かけるようになりました。
ケニアもエチオピアと同じで、テレビや冷蔵庫は韓国製か中国製に占有されている。元宗主国であるイギリスの電化製品を探すのさえ難しい。
ケニアで人気の日本商品は「つけ毛」(ウィッグ)くらい。
ケニア人は、合理性よりも楽しさ優先。新しいもの、珍しいものが好き。ケータイも、商売での活用よりも、家族との対話に使いたい。
中国が売っているのは、ケータイだけでなく、情報システム。
東アフリカでは、主な工場のマネージャーはインド人。インド人は絶対的少数派で、現地に溶け込み、2世、3世の世代になっている。でも、混血はすすんでいない。
ケニアの不動産業者にはインド人が多い。最近では、インド本国からアフリカに渡ってくるビジネスマンも多い。そう言えば、マハトマ・ガンジーも、アフリカにいましたね・・・。
ザンビアに限らず、アフリカの官庁街の建物は、いま、ほとんど中国の業者が建設している。ところが、建設して1年もたてば、もうボロボロ。ドアは壊れる。鍵はかからない。窓は閉まらない。エレベーターも怪しいし、配線も危ない。
それでも、日本の商社はアフリカ進出を目ざすのです・・・。
(2013年12月刊。1700円+税)
南アフリカのネルソン・マンデラ元大統領が亡くなったときのオバマ大統領の追悼の言葉は味わい深いものがあります。
「マンデラのおしえを自分の人生にどう活かすか、各人が自問しなければならない。いまも世界には貧困や不正義が溢れている。だが人間の和解に共鳴すると言いながら、貧困撲滅や格差是正のわずかな改革にも反対する人々がいかに多いことか。マンデラの自由への闘争に連帯すると言いながら、批判を許さない指導者がいかに多いことか。それらを横目で見ながら声をあげず、無関心もしくはシニカルな態度に甘んじている人々がいかに多いことか。世界が直面する課題の克服はいずれも容易なものではない。だが、マンデラは『何ごとも達成するまでは不可能に思えるものだ』と語りかけている。私自身もマンデラの闘争に感銘を受け、元大統領への道を進むこととなった。私は、マンデラにはとても及ぶ人間ではない。しかし、それでもマンデラは、私に『よりよい人間になりたい』という気持ちを奮い起こさせてくれる。自分自身のなかにマンデラの大きさを見出そう。そして困難に直面したとき、マンデラが獄中生活を耐え抜いたことばを思いだそう。『いかに開かれた門が狭く、試練が辛くとも問題ではない、自分こそが運命の主人、自分こそが魂の行く手に舵をとる船長であるのだから』と」
2014年1月 5日
マダガスカルへ写真を撮りに行く
著者 堀内 孝 、 出版 港の人
もう若くないカメラマンが、若いころの撮影の苦労話をふくめて語っています。
アフリカ大陸の近くにあるマダガスカルは大きな島というべきでしょうね。バオバブの木で有名です。そのバオバブも減っているようなので、心配です。
マダガスカルでの撮影の苦労話は、まことに悲惨なものです。秘境ツィンギーに至る旅程は、読むだけで背筋が凍ってしまいます。
村までの30キロは歩くか牛車で行くしかない。牛車に乗ると、車輪が金属製なので、石や段差があると衝撃が背筋を直撃し、とても座ってなんかいられない。
仕方なく歩くと、今度は、汗がとめどなく流れ出て目に入って、開けていられない。
足の露出した部分にアブがたかって血を吸うのにも参った。初めは気がつかないが、数分もすると、気が変になるほど痒くなる。日本から持参したキンカンを塗っても、全く効かない。
歩く途中で、ミネラルウォーターを飲み尽くし、道沿いにある溜まり水を飲んで歩いた。下痢が心配だったが、脱水症状を起こすよりはましだ。一か八かだ。
うひゃあ、これは、なんともすさまじいですよね。次は、さらに怖い話です。
道に迷い川岸に着いたころには、どっぷりと夜が更けていた。月明かりのなか、ブーツと短パンを脱いで頭に乗せ、パンツ一枚で川に入る。「ワニがいるから気をつけろ」と言われたが、もう運を天に任せるしかない。ときどき、川の中で何かが足に触れるとヒヤッとしたが、なんとか無事に渡りきった。
ええーっ、ワニのいる川をパンツ一枚で夜中に渡るなんて・・・。小心者の私には、とてもできないことです。
ヒルだらけの湿地を抜け、夜も歩いて家の軒下を借りてゴザを敷き、野宿をする。無数の蚊の攻撃を受けたが、運良くマラリアにかかることはなかった。若さとは恐ろしい。いま考えたら、かなり無謀だ。
ええーっ、かなりどころではありませんよ。私なんか、絶対に、ゼッタイ、できないことです。
マダガスカル人は、20もの民族集団に別れている。中央高地にいるアジア系の人々は、インドネシア系の祖先をもつ。西海岸地方に暮らすのは、イスラム教が多い。
この本を読むと、若いときには、多少の無茶は付きものだし、必要不可欠なものだとつくづく思います。40、50、60歳になると、とても、そんな無謀なことはできなくなるのです。
(2013年3月刊。1200円+税)
2013年8月28日
隣人が殺人者に変わる時
著者 ジャン・ハッツフェルド 、 出版 かもがわ出版
1994年4月から6月、雨季のころ、多数派のフツ族が少数派のツチ族をわずか3ヶ月間で80万人も虐殺した。それまで隣人として暮らしていたフツたちが、突如として、手になた(マチェーテ)を握り、残忍な方法でツチたちを殺していった。
ルワンダの人口は当時730万人なので、1割以上の人々が無惨にも殺されてしまったことになる。今の人口は1000万人。それでも人口は増えている。
人口密度はアフリカ随一の国。国土のほとんどが標高1500メートルをこえる丘陵地帯のため、赤道付近にもかかわらず平均気温は20度ほどで暮らしやすい。
人口の90%が農産業に従事する農業国。フツとツチといっても、フツが農耕、ツチが牧畜という生業集団の違いがあるのみ。ベルギーによる植民地支配の過程で分断政策がとられて、民族が意図的に区別された。
ルワンダの人々にとって、牛はなくてはならない、家畜以上のもの。昔から人々は、「牛は最高の贈り物」と言ってきた。牛は友情を表す心のこもった贈り物とされてきた。子どもにミルクを与えるためだけではなく、報酬や貸し付けやわいろ、それに花嫁持参金としても用いられる。
ルワンダの牛飼いは、自分たちの動物をむやみに殺さないし、その血統が途絶えることを許さない。飼い主は牛を飼うことを誇りに思っていて、贈り物として牛をあげるため、なんとかして数を増やしたいと考えている。
ジェノサイドのとき、ルワンダ全土において3分の2の牛が殺された。今では、なんとか数は回復している。ツチは牛を飼うが、フツほど忍耐強くはない。フツの方が優秀な農業者だ。
あのときに起きたことは、ごく普通の人の取った異常な行動だ。校長や警備員が釘を打ち付けたこん棒を手にもってジェノサイドに参加した。かつて酒を飲みかわし、生徒からの評価も高かった二人の教師も、殺しに加わった。
聖職者や町長、警部補や医者たちは、みんな自らの手で殺人を犯した。十分な教育を受け、穏やかで頭脳も優れていた人たちが、腕まくりをして、マチェーテを手に握った。
この犯罪者たちは、実に恐ろしく不可解な謎だ。
人々は、もともと金持ちになりたかったから、まず裕福な商人から襲いはじめた。
彼らは殺しやすいようにツチの人間性を奪ったが、実のところ、自分自身が獣以下に落ちていった。なぜ、何のために殺しているのか、もはや分からなくなっていた。狂ってしまったのだ。
仲間の隠れ場所を密告したものは感謝のしるしにと、笑いながら、もっと残酷に切り殺された。彼らは、自らの野獣性を満たすために、ツチを切り刻んだ。普通の方法で殺す者と残酷に殺す者、そして極端に残忍に殺す過激な者がいた。
責任を追及されなければならないのは、むしろ教養のある人たち。教師や警察官、それにフランス革命や人間性について学ぶためにヨーロッパへ留学していたジャーナリストたち。自らの手で人を殺さなくても、殺人を行わせるため、インテラハムエ(殺人集団)を犠牲者の潜む丘に送っていた。
ジェノサイドは、知性の喪失が原因である。白人たちは腕を組んで、最後の一人が死んでいくまでただ見ていた。
小さな子どもたちの心。彼らは、そこら中で死体を見てきたので、あらゆるものを怖がる反面、それに平気にもなっている。心の奥底に潜む闇を、何も考えないで、そのまま吐き出すことがある。しかし、ジェノサイドの後ろにもっとも傷つきやすいのは、幼い子どもではない。彼らは、人生をやり直すため、自らを回復させることができる。
もっとも難しいのは、思春期の若者と老人。若者は、他の年代の者以上に理不尽さに傷ついてしまう。老人たちは失ったもの以上に、慰めようがないほど悲嘆にくれている。彼らの前途には、孤独と貧困だけが残されている。
恐怖から解放され、まったく安心しきっているような生存者は一人たりともいない。
虐殺のあとは、ずっと残っていくものだということがよく分かる本でした。このような悲劇を繰り返してはいけないとつくづく思わせる本でもあります。
(2013年7月刊。1900円+税)
2013年6月23日
マリ近現代史
著者 内藤 陽介 、 出版 彩流社
マリ内戦にフランス軍が介入したとき、マリって、どこにあるの、どんな国なの・・・、と思いました。この本は、そんな疑問を絵葉書と切手をたっぷり載せて解明してくれます。
フランスは17世紀、国王ルイ14世の時代にアフリカに進出し、西アフリカを拠点とした奴隷貿易を開始した。イギリスのリバプールやフランスのボルドーから積み出された銃器や繊維製品がアフリカにもたらされ、アフリカ諸国は奴隷と交換した。そして、ヨーロッパ商人は奴隷を西インド諸国やブラジルに売り渡し、タバコ、サトウ、綿花などをヨーロッパに持ち帰った。
西アフリカは、今でも金や鉄鉱石などの鉱山資源が豊富にとれる。現在、マリはアフリカ大陸において、南アフリカ、ガーナに次ぐ第3位の金生産国となっている。金鉱山の総重量は4トンで、輸出先は、スイスとアラブ首長国連邦(ドバイ)が中心。そこには2万人の子どもが働いている。もちろん、学校へ通うこともない。
独立以降のマリの現代史は、旱魃や洪水、そして最近の北部紛争に至るまで、いずれも自分で解決できず、ひたすら政府と国民は諸外国の援助をあてにし続けた。
部族の対立、宗教の対立そして、汚職と権限濫用。アフリカ諸国の人々が平和に生きることは依然として難しいように思われます。でも、ここが安定しないことには地球上の戦争はきっとなくならないのだと思います。
マリの過去および現在の状況をイメージをもって概観することのできる本でした。
(2013年3月刊。2500円+税)
2013年5月14日
謎の独立国家リマリランド
著者 高野 秀行 、 出版 本の雑誌社
500頁もある分厚い本です。面白くなかったら読みとばそうと思って読みはじめました。すると、面白いのです。いやあ、フリーのジャーナリストって大変なんだねと感嘆しながら頁をめくるのももどかしい思いで読みすすめました。そしてアフリカのソマリアについての認識をすっかり見直しました。ソマリアといったら、モガディシオです。アメリカ軍がコテンパにやられてしまいました。その惨状は映画にもなりました(『ブラックホークダウン』)。今なお戦闘状態の絶えない怖い国というイメージがあります。ところが、そのソマリアには北の方にソマリランドという平和な国があるというのです。そして、日本の海上自衛隊が出かけた海賊の国プントランドの実態が突撃取材で明らかにされます。最後に、ついに著者はかのモガディシオにも潜入に成功するのでした・・・。すごく面白い本です。半日かけて一気に読了しました。
ソマリランドで走っている車のほとんどは日本の中古車。清武温泉、弘前セレモニーホール、はくあい幼稚園などとボディに大書された車が走っている。丈夫な日本車がドバイ経由で輸入されている。日常生活で通用しているのはソマリランド・シリング。ソマリランドで印刷しているのではない。イギリスで印刷して空輸している。
ソマリ人は根っからの遊牧民。遊牧民の生活をそのまま都市にもち込んでいる。
ところが、ソマリランドの町のなかで銃を持った人間を見かけることはない。過去には内戦をしていたが、氏族の長老の話し合いで終結させ、武装勢力は武器を返上し、民兵は正規軍兵士や警察官に編入された。
実のところ、家庭には銃はあるようです。それでも、町では銃声を聞くこともありません。
ソマリランド中央部は、一般の人でも十分安全に観光旅行ができる。1泊50ドル程度の清潔なホテルがいくつもある。そして、庶民の料理はびっくりするほど美味い。味がマイルドで、肉は軟らかく、火の通り方や塩加減、油の量など、何をとっても日本人の標準値に近く、日本的な味。ただ、ソマリア人は手づかみで食べる。
ただし、車に乗ると、1日に少なくとも1回はパンクする。道路が悪いうえに、古タイヤを修理して繰り返し使っているから。
ソマリランドは、朝のうちは仕事をするけれど、それは朝8時に始まって昼の1時まで。そのあと5時まで仕事はしない。じゃあ、そのあと何をしているのか?
カート宴会だ。カートとはアラビアチャノキ。見かけは、ただの木の葉っぱだ。枝からむしって、若い葉や柔らかい茎の部分をばりばり食う。葉っぱだから、まずい。土埃もついている。しかも、胃から消化吸収するため、効き始めるのに30分以上かかる。効くまではがんばって食べなければいけない。やがて、体の内側から、とても懐かしい心地よさが広がってくる。体の芯が熱くなり、意識がすっと上にもちあがるような感じがする。
お酒と違って、カートは意識の明晰さは失われない。そして、記憶を失うこともない。カートをやると、気が大きくなり恐怖心がなくなって、集中力が増す。だから、受験生にも人気だ。ドライバーもカートをかむ。眠くならず、集中力が持続するからだ。
ソマリランドの治安がいいのは、氏族の網があるおかげだ。掟を破ったら、氏族の網を通じて必ず捕まる。
ソマリランドには何の産業もない。国を支えているのは、海外に住むソマリア人からの送金だ。毎月1人500~1000ドルを送ってくる。故郷の人に忘れられたくないからだ。
成人男子の多くが毎日1ドル以上はカートに費やしている。海外からの仕送りの大半はカート代に消えている。このカートは9割以上がエチオピアからの輸入。ソマリランドは1日に3000万ドルも輸入している。
世界最大のソマリ人コミュニティは、アメリカのミネソタ州のシネアポリスにある。そこにソマリ人が10万人は暮らしている。
ソマリランドが平和なのは、何も利権がないことにもよる。牧畜しか産業はない。利権がないから、汚職も少ない。土地や財産や権力をめぐる争いも熾烈ではない。銃がないのに反比例して、言論の自由は広く浸透している。
ソマリ人は、いくつもの国に分かれているが、ソマリ語はどこでも通じる。ただし、外国人には難しい。ソマリア人は、人なつっこさゼロ。ソマリ人は絶対に自分を安売りしない。安いカネで働くなら、何もしないほうがマシと考える。
ソマリランドは選挙を実施し、野党が勝利すると、与党が受けいれた。民主的な政権交代が実現した。
ソマリア・シリングはソマリアが無政府状態になっても通用している。これは経済学の常識を越える事実だ。
海賊は基本的に個人がやるもの。カネを出した人間は経費一切を負担する代わりに身代金は全額もらう。海賊が人質を傷つけることはまずない。ソマリの掟で、捕虜に暴力をふるうことが禁止されているから。身代金は人質に対してではなく、積み荷に支払われる。
モガディシオは、完全民営化社会。政府はなく、すべて氏族が支配している。携帯と送金の会社は襲われない。モガディショは、トラブル全般が基幹産業になっている。だから、誰も真剣にトラブルを止めようとはしない。
内戦を止めるために、敵対する氏族が娘20人ずつを交換した。美しい娘を選んで送り出す。初めのうちはいじめられていても、子どもが産まれると変わる。両方にとって孫になるから。なーるほど、そんな解決法もあったのですね。
ソマリランドに行ってみたくなるような面白さにあふれた本です。一読をおすすめします。
(2013年3月刊。2200円+税)