弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

アフリカ

2010年8月 3日

出口のない夢

著者:クラウス・ブリンクボイマー、出版社:新曜社

 まず、鉄砲がアフリカにやって来た。その後、ムスリムとキリスト教徒の宣教活動が始まった。そうしてアフリカで奴隷制度が始まった。組織的な人さらいの時代が400年も続いた。アフリカ大陸の歴史の暗黒部分の下手人がヨーロッパ人であったことは間違いない。
 だが、アフリカ人も、これに手を貸していた。西アフリカの諸部族は相戦っており、勝者となった族長たちは、敗者の戦士を白人に売っていた。敗者の数が十分でなく、捕虜が足りないときには族長は自身の部族民も売った。族長は兵士に村々を襲撃させ、部族民の小屋から息子や娘を連れ出した。奴隷市場で売りに出すため、つまりは族長の富を増やすためだった。多くの奴隷と交換に多くの武器が手に入った。その武器で、さらに多くの奴隷を捕らえることができた。
 奴隷制の歴史は、アフリカの歴史の核心部分をなす。トータルで6000万人の人間が絶え間なく消滅し、死亡した。火器と王たちに対する恐怖と無力感。これが記憶に刻み込まれ、それが部族を変え、民族を変え、大陸全体を変える。それは自画像も、イメージも変える。
 アフリカのイメージ・・・?
 取り残されて腑抜けの卑屈で追従的、迷信深くて怠惰、不潔で原始的。
 アフリカ大陸は、しばしばこのように見られ、記述され、扱われている。植民地を経営する国々は、アフリカには自己管理能力が欠如しているという理由をつけて植民地政策を正当化する。
 アフリカは一族郎党(クラン)の大陸だ。成功を収めた者は、分かち与えなければならない。単独であることは、アフリカでは天罰を受けるふるまいであり、呪詛を意味する。一方、集団は聖なるものだ。それは、たとえば、100ドルを稼いだ者は、50ドルを誰かに分け与えることを意味する。ここらは、日本人とかなり異なった感覚ですよね。
 ビッグ・マンという概念は、アフリカの全能の支配者。つまり諸部族の有力者、神々、虐待者をさす言葉だ。モブツ、アシン、ボカサ、ドウ、セラシェたちは、ビッグ・マンの系譜に連なる名前だ。彼らは、誇大妄想を体現する権力の象徴的人物であり、彼らの本質的な目的は、自分自身を維持することにあった。
 ハンセン病は、今日なおナイジェリアの国民的な病気であり、毎年、数千人が罹病する。その理由は、薬がないからだ。抗生物質を用いれば、ハンセン病はきわめて容易に治癒可能な病気である。
 今日、ナイジェリアは、娘たちを輸出している。少女たちは13歳か14歳だ。胸がふくらみ始めると、彼女たちは商品になる。そうなると、彼女たちは、家を、部落を、そして国を出ていかなければならない。ここでは、誰もが、それを知っているし、あまりに多くの者たちが同じことをする。
 アルジェリアは、1992年に内戦が始まり、7000人が行方不明、12万人ないし20万人が死亡した。そして今日、アルジェリアは、30以上の政党を有する民主主義国家だが、実際には、相変わらず軍事独裁国家である。
 リベリアでは、テーラー大統領による7年にわたる戦争で20万人が死んだ。テーラーは、ダイヤモンド、生ゴム、木材を売った収入で少年兵たちのための武器の購入費用に充て、残りは外国の銀行口座にためこんだ。税収およびダイヤモンド、木材取引による収入の7000万ドルから1億ドルをテーラーは自分の懐に入れた。テーラーの資産は30億ドルに上った。2006年春、テーラーはナイジェリアで逮捕され、シエラレオネに引き渡された。戦争犯罪人として裁かれる。
 ヨーロッパにおいて、1990年から2000年にかけて人口増加の89%は移民によるもの。2010年以降には100%になる。移民がなければ、ヨーロッパ大陸の人口は、この5年間に440万人減少していたはず。
 移民は、2004年に、銀行を介して1500億ドルを故国に送金した。別のルートによる送金額は3000億ドルと推定されている。
 なんと、日本にも1000万人の移民を受け入れる構想を自民党の政策チームがまとめて福田首相(当時)に提出したそうです。
 日本の人口は現在、1億2700万人ですが、50年後には、9000万人を割り込み、100年後には4000万人台になるという予測を立てて、今後50年間に1000万人の移民を受け入れて1億人の人口を維持しようという構想です。しかし、こんな議論はまったくされたことがありませんよね。
 アフリカで起きていることは、決して他人事(ひとごと)ではありません。
(2010年4月刊。3200円+税)

2010年6月24日

インビクタス

 著者 ジョン・カーリン 、NHK出版 
 
  映画を見損なってしまったので、せめて原作本でも読もうと思って手にとりました。いつものように列車のなかで読みはじめると、いやあ実に面白い。あまりに面白くて、目的地にいつもより早く着き過ぎたとJRに文句の一つも言いたくなったほどです。
1995年に南アフリカで実際にあった出来事です。ラグビーワールドカップで、南アフリカチームが世界の強豪を相手に互角に戦い、ついに優勝の栄冠を勝ちとったのです。
 この本は、それに至るまでの南アフリカでの反アパルトヘイトの戦い、そしてネルソン・マンデラの不屈の行動を実によく紹介しています。本を読み、感動を味わう醍醐味をじわりじんわり、たっぷり味わうことができました。
 南アフリカでサッカーのワールドカップが開催されます。あんな危険な土地にどんな物好きが出かけるのかと冷ややかにみていましたが、そんな傍観者であってはいけないとも思わず反省させられました。平和も、たたかってこそ、努力して手に入れることが出来るものなのですよね。もちろん、これは、平和を手に入れるために、本物の銃を取れということではありません。もっと知恵を働かせよ、ということです。
マンデラは、1964年、ケープタウン沖に浮かぶロベン島の刑務所に入れられてから、18年間、小さな独房を離れることが許されなかった。その部屋で、マンデラは毎朝1時間、その場かけ足をした。1990年、71歳で釈放されてからは、朝4時半に起床したあと1時間歩いた。すごいことですよね、これって・・・・。
マンデラは刑務所に入って2年間、アフリカーンス語を学んだ。南ア白人の言葉だ。マンデラは、白人看守たちの心を溶かした。その鍵は、敬意、あたりまえの敬意にある。
看守の多くが残酷なのは組織のせいだ。心の底をのぞけば、看守だって弱い人間なのだ。
マンデラは、南アのボタ政権による一般黒人の扱いがひどくなるなかで、独房を出され、ついには広々とした一軒家に住むことを許されるようになった。
ボタは、マンデラに最大限の敬意を表した。その一方で、ボタの了解を得て組織された軍の暗殺隊と警察が、国にとってとりわけ危険とみられる活動家を次々に消していった。 
マンデラは1990年2月、晴れて出所した。そのとき、自分は復讐心を抱いて刑務所から出てきたのではないという強いメッセージを発した。
そうなんです。ここがマンデラの偉いところです。血で血を洗う復讐戦がいまにも始まると心配した多くの白人の心をマンデラはぐっとつかみました。
頭に訴えてはいけない。心に訴えることだ。マンデラは言った。
そして、ほとんど白人ばかりのラグビーチームに対して、きみたちは南アフリカを代表している、祖国に貢献し、国民をひとつにするまたとない機会だと、強く訴えかけたのでした。
この試合の展開はすごいものです。ぜひ映像でたしかめたいと改めて思いました。昨日までお互いを敵とみて殺しあっていた黒人と白人が平和に住める国に作り変えるためには、努力が必要だ。それも並はずれた努力をしないといけない。そのことを、実感をもって伝えてくれる感動の書です。読んで絶対に損をしない本です。一読をおすすめします。
 
(2009年12月刊。2000円+税)

2010年6月 5日

地平線の彼方に

小倉 寛太郎 、新日本出版社  
実に素晴らしい感動的な写真集です。アフリカの大地と、そこに生きる野生の動物たちが脈動しています。私たち人間と同じように、生命の尊厳は守られるべきだと実感させてくれる迫真の出来映えです。
 著者は、惜しくも、既に亡くなられています。私は、一度だけ名刺交換させていただき、声をかわしたことがあります。『沈まぬ太陽』の主人公・恩地元のモデルになった人です。古武士然とした風格を感じました。JALのナイロビ(ケニア)支店に飛ばされ、そこでもくじけずに、生きがいの一つとして動物写真を撮ったのです。ですから、もちろんアマチュアカメラマンなのですが、ここまでくるとプロフェッショナルとしか言いようのない傑作ぞろいです。
 写真を撮る前は、ハンターだったようです。でも、動物を殺すより写真の方が断然いいですよね。本当にそう思います。
アフリカは人類発祥の地でもあります。ジャングルからサバンナに出た人類らは、4本足から2本足歩行へ前進し、団結して知恵を働かせながら、苛酷な自然環境を生き延び、世界各地へ放散していったのでした。
 天知る、地知る、形知る。人が知らないと思って、内緒事をしていると、悪いことをしても天は見ている。大地も見ている。何よりも、お前が知っているじゃないか。だから、人が見ていないからといって、不正、悪事ははたらくな。
一体どうやって、こんなに近くからライオンとその子を撮ったのだろうかと不思議な写真があります。よほど著者はライオン一家から信用されていたのでしょう・・・・。
 たとえば、私が誘惑と脅迫に屈したとする。そうすると、私の心の傷、これは態度、挙措  にも出てくるだろう。そして、自分の生き方に自信を失うから、それは子どもに響くはず。子どもは親の後ろ姿を、背を見て育つと言うけれど、背中だけでなく、やはり親の生き方、片言隻句からも子どもは影響しているはず。今は分からなくても、やがては、と大いなる楽観を持っている。
 さすがに、偉大なる先人の言葉は含蓄深いものがあります。雄大な大自然の躍動する野生動物の写真に、目も心も洗われます。ぜひ、手にとってご覧ください。
 
(2010年3月刊。3500円+税)

2010年5月15日

もうひとつのスーダン

川原 尚行・内藤 順司 著者 、主婦の友社 出版 
 福岡の出身で九大医学部を卒業した医師がアフリカの地、それも内戦まっただなかのスーダンでがんばっています。アフガニスタンでがんばっているペシャワール会の中村 哲医師と年齢こそ違いますが、あまりに共通点があるのに驚かされます。
 大判の写真集なのですが、スーダンの実情が表情豊かによく撮られています。どことなく物悲しさの感じられる少女の顔がアップでうつっています。この子たちの将来を奪ってはいけないと思わせます。
 川原医師は、初め日本外務省の職員として大使館勤めの医師でした。ところが、外務省を辞めて、スーダンでボランティアの医師として働いているのです。そして、日本に支援組織をたち上げました。まるでペシャワール会と同じです。川原医師を支える会はNPO法人ロシナンテスと言います。そうです、あのドン・キホーテの乗っていたロバの名前からとったものです。
 川原医師たちは、劣悪な水事情が下痢を招き、子どもたちの生命・健康を願っていることを憂えて老朽化がすすみ、水漏れがひどかった給水設備をリニューアルしました。良質な地下水が利用できるようになって、病気抑制の基となる水が確保されたのです。少女たちの喜ぶ笑顔が素晴らしい。村に学校をつくります。女の子が通える学校もつくりました。そして、母子保健に取り組みます。
 さらに、サッカーボールを日本から持ち込み、子どもたちにサッカーを教えます。日本人コーチを引っ張ってもきました。なんと、女子サッカーチームまでつくったのです。子どもたちに夢と希望を与えるって素晴らしいことですよね。
 子どもたちのはじける笑顔は、写真を眺めているほうの心まで幸せにしてくれます。子どもの笑顔は世界遺産に匹敵するほどの宝です。
 私もロシナンテスを応援します。この本を買って読むだけでも応援になるのです。あなたも、ぜひ買って読んで、眺めてみて下さい。
 
(2010年4月刊。2857円+税)

2010年4月 8日

民主主義がアフリカ経済を殺す

著者 ポール・コリアー、 出版 日経BP社

 アフリカの現実は今もってなかなか厳しいようです。どうして光明が見えてこないのか、不思議でなりません。一刻も早く、南アメリカのような大きなうなりのなかで、人々の安定した生活が平和のうちに確立されることを願います。
 この本は、アメリカの国々のかかえる現実を冷静に分析し、その対処法について考えています。
 1945年以降、全世界で成功したクーデターは、357件。その陰には、多くのクーデター未遂がある。アフリカでは、成功したクーデターは826件。未遂は109件。未然防止が145件もあった。アフリカでは一つの国で7件の「外科手術」が試みられたことになる。
 民主主義は貧しくない社会では安全を強化するが、貧しい社会をいっそう危険に陥れる。その分かれ目は、一人当たり年2700ドル、1日7ドルの所得ラインだ。最底辺の10億人の住む国の所得は、すべてこれを下回っている。民主主義は、これらの国では暴力の危険性を高める。
 これらの国では、有権者は自分たちの目の前にある選択肢について、ほとんど情報を持っていない。得られる情報が杜撰なうえ、有権者は民族的アイデンティティーによって支持するかどうかを決める。有権者は、民族的忠誠の殻に閉じこもり、候補者がたとえ犯罪者でも支持する。このとき、犯罪者だけが腐敗という機会を活用する。
 シエラレオネは安定している。これは、常駐するイギリス軍兵士はわずか80人にすぎないが、何か問題が発生したらイギリス本土から一夜にして部隊が飛来するという10年協定が結ばれていることによる。
 国際的な援助のうち11%が軍事費に流れている。そして、軍事費は暴力の抑止力になっていない。むしろ、紛争後の政府による高額の軍事費は逆に暴力を誘発している。
 正規軍が使用するために購入された銃が、反政府勢力に流れている。
 政府軍の兵士の給料が低いので、兵士たちは武器庫から盗んで売ろうとする。安価に手に入る銃が内戦リスクを高めている。
 最底辺の10億人の国々の全体の軍事費は、合計90億ドルだが、そのうち最高40%が援助金によって賄われている。そして、越境が容易な地域では、一国の政府が購入した大量の銃が徐々に近隣諸国の闇市場に漏出している。闇市場で取引される安価な銃が内戦リスクを高めている。紛争後の国はたいてい軍事費大国になるか、軍は逆効果をもたらしており、抑止力になるどころか、まさにリスクを誘発している。軍事費は過剰であるばかりか、援助費がそれを支えている。
 若い男性は非常に危険だ。全人口に対する若い男性の割合が倍増すると、内戦リスクは5年間で5%から20%まで増える。ただし、エリトリア人民解放戦線の3分の1は女性だった。
 最底辺の10億人の国々の大半では、公共監視システムはその最上階から解体されている。その結果である巨大な腐敗は、公的資金を浪費したばかりか、政治的詐欺師たちに力を与えた。こうした国では、横領によって資金を調達する利権政治が権力維持の標準的な手法だった。
 いやはや、アフリカの再生にはまだまだかなりの時間を必要としているようです。残念です。暴力によらない再生を目指す人々の集団がうまれ、その集団がうねりを起こしていってほしいものです。

 
(2010年3月刊。2200円+税)

2010年1月31日

現代アフリカの紛争と国家

著者 武内 進一、 出版 明石書店

 アフリカの紛争をすべて「部族対立」で説明する単純な議論は、基本的に間違っている。万の単位で犠牲者を出し、国際社会の介入が議論されているような現代アフリカの紛争は、いずれも何らかの形で国家が関与し、国際関係の力学のなかで生じている。
 1990年代のアフリカの紛争を特徴づけるのは、単なる発生件数ではなく、その人的・物的被害の甚大さである。そして、膨大な数の民間人が紛争に「関わる」ことが近年の顕著な特徴である。
まず第一に、民間人犠牲者が増加している。第二に、暴力行為に民間人の関与が目立つ。犠牲者としてであれ、加害者としてであれ、民間人が紛争に深くかかわるようになっている。多数の民間人が紛争に参加する(紛争の大衆化)、政府側が国軍以外の暴力行使主体に依存する(紛争の民営化)、紛争に関与する主体が多様化するという特質がある。
 独立以降のアフリカ諸国においては、合理的な法体系による統治の体裁をとっていても、実体としては支配者を頂点とする恣意的な統治体制が構築されていた。国家統治における権威がフォーマルな法・制度ではなく個人に置かれ、支配者は「国父」として国民の上に君臨する。
 支配者は個人的忠誠にもとづくパトロン・クライアント関係に立脚して国家機能を運営し、その資源を私物化(家産化)してクライアントに分配する。クライアントもまた、与えられた地位を利用して蓄財し、自分のクライアントに資源を分配する。こうしたパトロン・クライアント関係の連鎖が国家を内的に支えている。
 大統領は出身部族を全体として優遇するわけではない。実際に恩恵を被っているのは、大統領と親密な関係にある少数の人々だけである。
 アフリカでは、1950年代に独立を勝ち取った国々が、独立直後は多党制を採用していた国が多いが、1960年代末ごろから、一党制を採用する国が次第に増加し、1980年代には、それがもっとも一般的な政治体制となった。
 ルワンダのジェノサイドも深く突っ込んで分析しています。現代アフリカを認識できる、460頁もの労作です。
(2009年2月刊。6500円+税)

2009年12月25日

国境なき医師が行く

著者 久留宮 隆、 出版 岩波ジュニア新書

 すごいです。偉いです。勇気があります。感嘆しました。40代の日本人男性医師が国境なき医師団(MSF)に加わり、アフリカに渡ったのです。この本では、アフリカ西海岸にあるリベリアの首都モンロビアに3カ月間あまり滞在したときの体験記がつづられています。いやはや、すごい体験記です。勇気のない私にはとてもまねできそうもありません。
 アフリカに渡ると、まもなく(著者は5日目)下痢するとのこと。すると同僚の医師に笑顔で「アフリカへようこそ!」と告げられたそうです。やっぱり、水が合わないのでしょうね。そして、仕事の疲れからか、脱水症状になり、危うく死にかけたのでした。
 もちろん、仕事をきちんとこなしています。日本にいるときには、手術は週に3日か4日、そして1日に2例か3例。ところが、リベリアでは、1日に5例か6例、それを週のうち5日間ぶっ通しでこなすのです。門外漢の私にも、そのハードさはなんとなく想像できます。はっきりいって、体力の限界に挑戦しているようなものでしょう。夜に産科の緊急手術が入ることがあるので、昼休みの1時間は貴重な睡眠時間だったというのですから、そのすさまじさが伝わってきます。
 そして、英語が十分に話せず、手術器具や薬品も十分ではないなかで、仕事に追いまくられるのですから、それはそれは大変です。
 そのうえ、医療チーム内には不協和音が生じます。アメリカやらフランスやら、いろんな国の人々が善意で参加しているのですから、そのまとまりをつくるのにも一苦労だったようです。そんな困難に耐えて、何カ月もよくぞがんばっていただきました。心から声援の拍手を送ります。パチパチパチ……。著者の次の言葉には、思わず襟を正されました。
 外科手術そのものに関しては、20年のキャリアを持っているから、どんなケースであっても集中し、あるレベルの精神状態にもっていく訓練はできているつもりだった。高校生のときからずっと剣道をやってきて、現在、五段。手術室に向かう心持ちは、剣道の試合にのぞむときのそれに通じるところがある。
 剣道の試合では、いかに自分の気持ちを落ち着かせるかが肝心だ。起こりうるさまざまな場面を想定し、どんな状況にあってもあわてふためくことのないよう、自分の中でシミュレーションして向かう。
 手術も同じで、どのような症例に臨んでも、気持ちを落ち着けて精神を集中することが必要だ。
 なるほど、なるほど、よくわかります。形こそ違いますが、弁護士にしても同じようなことが言えます。
 アフリカで診察したほとんどすべての患者に共通して言えることは、大変たくましいというか、苦悩すべき状況に対して受容する心の準備がとてもよく出来ているという印象を受ける。彼らの経験してきた戦争の悲惨さから比べれば、病気やけがなどは大したことではないのかもしれない。それでも、その気構えは、大したものだと言わざるを得ない。
 日本人の男性にも、こんなに勇気のある人がいて、しかも20年ものキャリアを持つ医師がアフリカに飛び込んで行ったというのです。心から敬意を表します。
 日本の若者のなかに、続いてくれる人が出ることを願います。

 
(2009年9月刊。740円+税)

2009年10月23日

ルポ・資源大陸アフリカ

著者 白戸 圭一、 出版 東洋経済新報社
 南アフリカの2006年度の人口10万人あたりの殺人発生率は40.5件。これは日本の40倍。イギリスの28倍。あのアメリカと比べても7倍である。
 そんな南アフリカでサッカーW杯があるのですが、大丈夫でしょうか。ブラジルでオリンピックが開催されることになりましたが、犯罪の撲滅はよろしくお願いします。それのためには、なんといっても格差のこれ以上の拡大を食い止めることですよね。南アフリカも同じことですが、日本だって他人事(ひとごと)ではありません。
 日本では、このところ年に5000件の強盗事件が発生している。南アでは20万件。南アの人口は日本の3分の1にすぎないから、発生率は120倍となる。南アフリカでは、よほど社会的に注目される事件でもない限り、日常発生する強盗事件について、捜査自体がされない。うへーっ、これは恐ろしいことです。
 南アフリカでは、芝生の庭とかプールのある暮らしというのは、半ば要塞化した警備体制の上にかろうじて成り立っていることを意味している。南アのプロの強盗団にとって、警備会社による厳戒体制というのは、赤子の手をひねるようなもの。番犬にしても、毒をまぜた肉を庭に投げ込まれたら、おしまい。
南アフリカでは、アパルトヘイト時代以上の、いびつな格差社会になっている。富裕層上位20%の総所得は、貧困層下位20%の35%に達する。今の南アフリカでは、国民の11人に1人が1日1ドル以下で暮らしている。
 南アフリカの外国人犯罪者には、大まかなすみわけがある。ナイジェリア人は麻薬密売と旅券偽造・詐欺。ジンバブエ人は自動車強盗。エチオピア人とモザンビーク人は住宅襲撃。アフリカ系以外の犯罪組織として、中国人・ロシア人・パキスタン人のものがある。
 使用人の黒人は、みんな安い給料で働かされているから、お金を払うと主人を裏切ってこっそり情報を流してくれる人が少なくない。金持ちは貧乏人のことを何も知らないが、貧乏人は金持ちの生活のすべてを見ている。
 アフリカに日本のマスコミは記者を置いていない。毎日・朝日・読売の3社と共同通信は、特派員を各1人おいている。つまり、広大なアフリカに日本人記者は4人しかいないのである。
 アフリカに居住する日本人は7千人ほど。ニューヨークに5万人以上、上海に5万人近く住んでいるのと、すごく違う。
ヨハネスブルグ中心部のビル街には、黒人でない者が外を歩くのは、昼間でも事実上、不可能である。世界中をめぐってきた日本人のバックパッカーも、ここでは身ぐるみはがされ、泣いてしまう。
 南アフリカにナイジェリア人が10万人も滞在していて、犯罪組織が活発に動いている。ナイジェリアは、2004年から2006年まで、3年も連続して「最も危険な国」とされた。
 独立後のほとんどの期間を軍事政権に支配されたナイジェリアでは、石油産業によって国庫に入る多額の収入の行方をチェックする民主的制度の欠落により、政治腐敗が世界でも最悪に近い水準まですすんだ。石油は、ナイジェリアを不幸な国にした。
 コンゴでは、住民に恐怖心を植え付ける残虐行為は、混乱を持続させる重要な戦術の一つになっている。そのコンゴにはコルタンがある。埋蔵量では、コンゴが世界一。コルタンは鉱石の一種で、精錬すると、携帯電話やゲーム機のコンデンサに使われている粉末状タンネルを得ることができる。1980年代はじめ、日本のタンネル消費量は年間100トンに満たなかったが、今やハイテク製品の普及で、237トンにまで増えた。
 スーダンから日本は石油を輸入している。スーダンの輸出総額の82%は中国向けで、日本は8.4%であり、スーダンにとって第2の輸出国である。
 ソマリアでは、市街地の信号機が動いていない。そして、中央銀行がないのに通貨が運用されていて、アメリカドルとの交換レートも存在する。ソマリアの紙幣は、民間人が印刷している。中央銀行が「民営化」しているのだ。
 このところ、中国のアフリカ進出には目を見張るものがある。無政府国家のもっとも危険な町でも、ケータイ電話企業の技術指導を担当している。
 日本の記者が、アフリカで生命の危機にさらされながら書いた体当たりルポです。
 アフリカって、こんなに豊富な鉱物資源があるのですね。そして、悲しいことに、戦争・暴力・テロが日常化し過ぎています。そのとき、軍隊なんて、まったくあてにならないのですね。日本とアフリカの遠さと案外な近さを感じさせるいい本でした。
(2009年8月刊。1900円+税)

2009年6月10日

アフリカ、苦悩する大陸

著者 ロバート・ゲスト、 出版 東洋経済新報社

 アフリカが貧しいのは、政府に問題があるからだ。あまりに多くの政府が国民を食い物にしている。政府は正しく統治するためではなく、権力を行使する人間が私腹を肥やすためだけに存在しているように見える。官僚たちは、仕事の見返りに袖の下を要求する。警察官は正直な市民から金品を奪い、犯罪者たちは野放しだ。多くの場合、国で一番の大金持ちは大統領だ。大統領に就任してから、地位にものを言わせて富をためこんできた。
 うひょう。すごいですね。これでは政治とか国家とかいうものに対する信頼関係が成り立つはずがありませんよね。
 取材に訪れたカメルーンで、ビールを運ぶトラックに同乗した。途中47回も警察の検問で停止を命じられた。そのたびに警官たちにお金をつかませていた。おかげでビールは割高になっていった。賄賂は商売の潤滑油というが、アフリカほど蔓延すると、ほとんど商売にならない。
 富を手にするもっとも確実な道が「権力」だとなれば、人々は権力を求めて殺し合う。アフリカではしばしば内戦に悩まされ、おかげで開発もままならない。
 今やムガベ政府は、ジンバブエという腹に巣食ったサナダムシ同然だ。他人の労働の成果を食い物にし、国民の活力を吸いつくしている。白人は人口の1%にも満たない。白人よりも象の方が多い。そんな白人に、もはや政治力はない。
 アフリカの吸血国家の改革がなかなか進まないのは、多くの場合、必要な改革を断行すれば、国を牛耳っている連中から権力と富を奪うことになるから。彼らは、特権を手放そうとしない。いやはや、どうしようもないという印象を与えます。小泉とか麻生が、まだ善人に見えてくるのですから、やはり異常すぎます。
 銃を持った十代の少年兵はいつ見ても恐ろしい。年長の兵士なら、撃ってくる前に撃つべきかどうか自問する。それに比べて、子ども兵士の行動は予測しがたく、説得するのも難しい。酒やドラッグをやっているときには、なおさらだ。
 1999年に、アフリカの5人に1人が内戦や隣国との戦争に揺れる国に住んでいた。死傷者の90%が民間人で、1900万人が家を捨てて非難を余儀なくされた。アフリカの土の下には、2000万発の地雷が埋もれていると推定されている。
 貧困が戦争を生むだけでなく、戦争も貧困を悪化させる。内戦は、平均所得を毎年2.2%押し下げる。
 アフリカでは、2002年までに1700万人がエイズで死亡し、2900万人がHIVに感染している。4600万人ものアフリカ人が死亡あるいは死すべき運命にある。2002年の時点で、エイズで両親を亡くしたアフリカの孤児は推定1100万人。
 南アフリカでは、2002年のHIV感染率は15倍に跳ね上がり、世界のトップとなった。450万人の感染者がいた。これはアパルトヘイト廃止までの政治暴力による犠牲者の200倍になる。うむむ、これって、すごすぎますよね。政府がきちんと機能しているとはとても思えません。
 カメルーンでは、瓶詰めされた水でも品質は怪しい。しかし、コカ・コーラなら、これを飲んで恐ろしい細菌性の病気にかかることはないという安心感を与えてくれる。だから、アフリカではコカ・コーラを飲むしかない。私は日本では絶対にコーラを飲みませんが、アフリカに行ったら飲むしかないようです。
 ダイヤモンドに本質的な価値はほとんどない。だから、デ・ビアス社は価格を維持するために供給量を抑え、常にこの石ころのイメージアップを図ってきた。世間がダイヤモンドを、永遠の愛よりも恐ろしい戦争と結び付けるようになったらイメージ戦略が苦しくなる。
 紛争ダイヤモンドとか、血のダイヤモンドというイメージを払拭しようと必死なのは、このためなんですね。むかし、映画館のコマーシャルで、ダイヤの指輪を婚約者に贈りましょう。月給の3倍が標準です。こう言っていましたが、これもデ・ビアス社の単なる広告だったのですね。それを知ったとき、私も欺かれた愚かな大衆の一人であったことを自覚しました。
 前途多難なアフリカ大陸ですが、この本の最後のあたりでいくらか光明も見えてきたような気がするのが救いです。

(2008年5月刊。2200円+税)

2009年4月13日

サバンナの宝箱

著者 滝田 明日香、 出版 幻冬舎 

 すごいですね、若い日本人女性が、愛犬・愛猫とともにアフリカで一人暮らしをしているというのです。お肌の曲がり角を走りぬけ、あっというまに三十路に突入してしまった顛末がことこまかに語られていて、ハラハラドキドキの展開です。胸のトキメキのほうはあるのかないのか、さっぱり語られていませんので、その点は分かりません。福岡出身の日本人女性(永松さん)がマサイの男性と結婚した話は前に紹介しましたが、著者も同じようにマサイの人々が住む地域で獣医として活躍しています。
 表紙の写真からしてド迫力です。サバンナの大地でジープを止めて、帽子をかぶってお昼寝中なのです。ぐっすり眠っていて、ライオンの群れが来たら、一体どうするんでしょうか。実際、夜のテントで一人寝ているうちに、ライオンがやって来た体験が語られています。
 夜中の3時、ぐっすり眠っていたのに身体に響く低い声で目が覚めた。ウォッ、ウォッ、ウォッ、ウォッ、ウォッ、ウォッ……。テントの5メートル以内にライオンがいる。お腹まで震動が響いてくるほどの声。低音震動が身体に響いてくるので、寝てなんかいられない。少し声が遠ざかったとき、寝袋を持ってすぐ近くの車に走り込んだ。やがてライオンの声は遠ざかった。車の中は寝苦しかったので、またテントに戻った。
 うへーっ、こ、これはまいりました。百獣の王、ライオンなんかと決してお近づきになんかなりたくありません。動物園のオリ越しのご対面で十分です。それにしても、そんなライオンが夜中にうろつくようなところにテントで寝て、また、テントに戻ってきて寝なおすなんて、なんとまあ図太い神経の持ち主でしょうか。いやはや、大和撫子のたくましさには、九州男児の一人として、まさに脱帽です。
 著者は、アフリカで獣医になりたいと思って、アフリカの名門大学の獣医学部に入学します。そこでのハードワーク(猛勉強)はすごいものです。睡眠時間を削りに削って、ようやく卒業することができました。
 獣医だから、牛の直腸検査もします。左手を牛の直腸に突っ込み、直腸の中で手を動かす。このとき、牛は思い切り肛門を締め付けるから、腕は血が通わず、麻痺してくる。腸の動きに負けないように手を動かすので、ものすごく疲れる。途中で腕を牛の尻から出してしまうと、空気が入って直腸がふくれて内臓に触れなくなるので、お尻に腕を入れたまま、牛の腰の上に頭を乗せて休憩する。こんなことを2時間も続けると、牛のウンコまみれとなるばかりか、腕も手もふやけてしまう。
 うひょひょ、そんなー……、牛の尻に2時間も腕を突っこんだまま休憩するだなんて、いやはや、まったく信じられません。
 ケニアのナイロビ郊外に住みながら、ホームページを開設し、ブログで活動日誌を発信中とのことです。ぜひ、人間の立派なオスもゲットしてください。そして、これからも身の安全と健康にはくれぐれも注意して、アフリカの大地でがんばってほしいと思いました。
 きのう、庭にボタンの花が咲いているのに気が付きました。やはり、これだけ初夏みたいにあたたかいと、ボタンの開花も早まったようです。
 淡いクリーム色の大輪の花弁の真ん中に黄色い部分があります。とても気品のある花です。さすが美女の代名詞にふさわしい雰囲気が漂っています。
 近くで小鳥がにぎやかにさえずっています。最後にジジジと特徴のある声で鳴くものですから、ツバメだと分かりました。ひとり楽しげで、聴いている私まで何だか嬉しくなってきました。ツバメは駅舎にもたくさん来ていて、元気に飛び交っています。はるか南方のインドネシアあたりからはるばる日本へ毎年やってくるツバメたちです。お疲れさまと声をかけたくもなります。ツバメが安心して住める平和な日本であり続けたいものです。
(2006年12月刊。1400円+税)

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