弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

アフリカ

2017年9月19日

ぼくの村がゾウに襲われるわけ

(霧山昴)
著者 岩井 雪乃 、 出版  合同出版

アフリカのセレンゲティ国立公園というと、私が毎週欠かさず楽しみにみているNHK番組「ダーウィンが来た」に舞台としてよく登場して、なじみの場所です。アフリカのタンザニアにあります。ケニアの隣国です。
この近くの村では、野生のゾウに人間が殺され、作物を荒らされているというのです。ところが、ゾウを殺してはいけない。ゾウから殺されても国が補償することはない。
では、なぜ、ゾウが村人を襲うのか・・・。
著者は20年来、このタンザニアの村に出かけ、定点観測を続けています。
今では、早稲田大学の学生も同行しています。私も大学生だったら、連れていってほしいと思いました。
野生のゾウは、「やさしい動物」ではない。村にトウモロコシ畑があれば、巨大なからだで木の柵を押しつぶして入ってきて、根こそぎ食べてしまう。それも、1頭や2頭ではなく、ときには200頭もの大群で村を襲う。畑に入るのを邪魔する村人を踏みつぶし、あの大きくて長い鼻で、ふっ飛ばしてしまう。
ゾウが村に押し寄せてきても、村には銃も車もない。犬が吠えかかると、鼻をブルンと振りおろして、犬をたたき殺してしまう。ここでは犬は単なるペットではなく、野生動物たちからの危険を知らせる重要な役目を果たしている。
ゾウの走る速さは、時速40キロ。ヒトは、平均して時速24キロ(100メートルを15秒)。だから、ゾウから追いかけられると、ヒトは逃げ切れない。
タンザニアの人口は5000万人。日本の半分以下。ところが、年に3%ずつ増えている。ここが日本とは異なる。タンザニアには、130もの民族がいて、スワヒリ語を国語としている。このため国民全員が一体感をもっている。これが民族紛争を防いでいる。
小学校ではスワヒリ語で授業があるが、中学校以上の授業は英語。
小学校の就学率は94%。中学校になると3%に下がる。大学へはわずか3.6%。タンザニアでは、大学生は超エリート。
セレンゲティ国立公園に世界中からやって来る観光客は年間35万人。入園料は大人1日で7800円。タンザニア人だと大人500円。ところが、車のレンタル代やガソリン代が高いので、タンザニア人がセレンゲティ公園に入って観光することはほとんどない。
タンザニアでは、ゾウは200万円、ライオンは80万円でハンティングできる。
タンザニアは、お金は信用されていない。政治が不安定になったりすると、お金の価値が下がってしまう。家畜が食料であるとともに、大切な財産である。
ゾウは、食料を奪うだけでなく、人間の命も奪う。1年間に6人が殺された。ゾウは、怒ると人間を鼻ではたいて投げ飛ばし、とどめに足で踏みつける。ゾウを殺すことは許されていないので、村人はバケツをたたいて大きな音を出す、懐中電灯の光をあてるという、ささやかな抵抗しかない。
いまアフリカゾウは50万頭ほど。その半数がタンザニア、ボツワナ、ジンバブエの3ヶ国にいる。
1980年代の日本こそがゾウ減少の犯人だった。象牙の印鑑が大量につくられた。1984年に象牙が470トンも輸入された。これは、ゾウ1万頭分だった。
野生動物と人間の共存の難しさを考えさせる本でした。それにしても、著者はスワヒリ語が自由に話せるようです。これって、すばらしいことですよね。
(2017年7月刊。1400円+税)

2017年9月 9日

アルカイダから古文書を守った図書館員

(霧山昴)
著者 ジョシュア・ハマー 、 出版  紀伊國屋書店

西アフリカのマリ共和国の都市トンブクトゥは、古くからコーラン学校やモスクが存在する学術都市だ。そこに保存されてきた古文書がアルカイダによって廃棄される危険が迫ったとき、図書館員たちが身を挺して守り抜いたという実話も紹介した本です。なにより、アフリカの古都に大量の古文書が保存されていたというのが驚きです。
本に使われる紙は、ぼろ布を原料としていた。インクと染料は、砂漠の植物や鉱物から抽出された。本の表紙は、山羊や羊などの革からつくられた。当時は製本術が伝わっていなかったので、リボンや紐できつくしばっていた。
先日、太宰府の国立博物館でラスコー展をみてきましたが、2万年も前に、今も鮮やかに残る顔料で色彩豊かに牛などが描かれているのに圧倒されました。やはり、古いものは、きちんと保存すべきですよね・・・。
トンブクトゥの書物のなかには、男女の性の喜びを最大限に高めるための秘訣を伝えているものがあるそうです。驚くほかありません。
トンブクトゥは、からからに乾ききっているから、古文書が残った。ナイジェリアのような蒸し暑い地域だったら、とっくの昔に台無しになっていた。
トンブクトゥは、アラビア語の古文書保存の世界的な中心地のひとつとして復興している。町全体で38万冊もの古文書が収蔵・保存されている。
アルカイダの武装勢力は、貴重な古文書をバーミヤンの仏像と同じく敵視していますから、見つかったらすぐにも破壊されてしまいます。そこで、大量の古文書を避難させる作戦が始まったのでした。
貴重な古文書を後世に伝えるのは、今を生きる私たちの当然の責務だと思います。アフリカの地で大変な苦労があったようですが、とりあえず、めでたしめでたしの結果だったようで、ほっとしています。それにしても、文字の解読には苦労しなかったのでしょうか。
(2017年6月刊。2100円+税)

2017年7月24日

バッタを倒しにアフリカへ

(霧山昴)
著者 前野 ウルド浩太郎 、 出版  光文社新書

いやあ、面白いです。文句なしに面白い本です。なにしろ、アフリカの地でときに大量発生して猛威をふるい大災害をひき起こすサバクトビバタの生態を解明し、その対策に貢献している日本の若手学者がいるというのです。その苦労話ですから面白くないはずがありません。私は1時間の車中、身じろぎもせず集中して、全身全霊を傾けて没入してしまいました。幸い、私の降りる駅は終点でしたから、乗り過ごすこともなく、無事に降りることが出来ました。車内放送も何もかも耳に入らず、ひたすらアフリカの大地を著者とともにサバクトビバッタを求めてさすらっている心境でした。
実は、著者の本を読んだのは2冊目です。前に、このコーナーで紹介しました『孤独なバッタが群れるとき』(東海大学出版部)も面白かったのですが、この本は、さらに面白い。というのも、科学者の論文づくりの裏話というか、苦労話が満載なのです。
ブログで人気を集めていいたらしいのですが、著者の本が面白いのは、プロによる文章指導があることも知り、なるほど、なるほどと納得しました。
私も、モノカキを自称していますから、文章を書くのは一向に苦になりませんし、そこそこの文章は書けます。ところが、人を泣かせる文章にまでは、はるか道遠しです。そして、後進の、とりわけ弁護士の文章は、見るも無惨なのです。少しは読み手のことも考えて読みやすい文章を書いてくださいな・・・。そんな気持ちから、せっせと赤ペンを入れています。
アフリカのモータリニアには、驚くほど親日家が多い。モータリニアでとれるタコは、日本のマダコと食感、そして味が似ていて、日本人好みだ。だから、「築地銀だこ」は誇りをもってモーリタニア産のタコを使っている。
砂漠にあるオアシスは、現実にはドス黒く濁った水を茶色の泥が囲み、そのほとりには、水を飲みに来た動物たちの足跡だらけの糞だらけで、とにかくクサい。オアシスの正体は、不愉快な水たまりでしかないというのが悲しい現実だ。
バッタは、漢字で飛蝗と書き、虫の皇帝。バッタとイナゴの違いは、相変異を示すか示さないか。相変異を示すものがバッタで、示さないものがイナゴ。
バッタの英語名は、ラテン語の焼野原から来ている。バッタが過ぎ去ったあとは、緑という緑がすべて消え去ることからきている。
サバクトビバッタは、混みあうと変身するという特殊な能力をもっている。まばらに生息している低密度下で発育した個体は孤独相と呼ばれ、一般的な緑色をしたおとなしいバッタ。お互いを避けあう。ところが、まわりにたくさんの仲間がいる高密度下で発育したものは、群れをなして活発に動きまわり、幼虫は黄色や黒の目立つバッタになる。これらは群生相と呼ばれ、黒い悪魔として恐れられる。
ふだんは孤独相のバッタが混みあうと群生相に変身するが、この現象を「相変異」と名づける。ひとたび大発生すると、数百億匹が群れて、天地を覆いつくし、東京都くらいの広さの土地がすっぽりバッタに覆い尽くされる。
そして、成虫は風に乗って、一日100キロ以上も移動するので、被害は一気に拡大する。地球上の陸地面積の20%がバッタの被害にあい、年間被害総額は西アフリカだけで400億円にもなり、アフリカの貧困に拍車をかけている。
著者は生粋の秋田っ子なのに、虫好き人間として、ついにはアフリカにバッタの大量発生を喰いとめる研究者の一員にももぐり込んだのでした・・・。いやあ、その涙ぐましい努力には身につまされるところがあります。
そのうえ、アフリカの地で日本人がサバクトビバッタの研究に日夜、全身で没入して少しずつ成果をあげていく様子に、読んでいて拍手を送りたくなりますし、こちらが励まされます。
また、表紙の写真がいいのです。緑色のアフリカ衣装を着て、バッタを今にも捕まえようと著者が身構えています。
バッタが大量発生するとしても、それがいつなのか、どこが始まりなのか、まだまだ十分に解明されていないということばかりだそうです。
380頁もある新書版ですが、少しでもアドベンチャー精神がある人には一読を強くおすすめします。ちなみに、私にはもはや冒険心は残念ながら乏しいです。身体の若さはなくしてしまいました。だから、こういう冒険小説のような本には心が惹かれるのです。
(2017年7月刊。920円+税)

2017年7月16日

チェンジ

(霧山昴)
著者 山田 優花 、 出版  海竜社

ウガンダで子どもたち支援活動を5年あまりも続けている日本人の若い女性がいます。すごいですね。ついつい応援したくなります。しかも、彼女は熊本の出身なのです。
著者は「あしながウガンダ」の代表をつとめています。
「あしながウガンダ」が支援する遺児家庭の多くは、母子家庭。
ウガンダでは、男性に比べて女性の立場が弱い。とはいうものの、実は、日本よりもウガンダのほうが女性が活躍している。日本の男女格差指数は世界で101位に対して、ウガンダは58位である。
赤道直下にあるウガンダ共和国は、「アフリカの真珠」と呼ばれるほど緑あふれる美しい国である。標高が高く、国土の大部分が丘陵地帯なので、年間の平均気温は21~23度と温暖で、1年中過ごしやすい。「アフリカの軽井沢」と日本人は呼んでいる。綿花、コーヒー、バナナが主要な輸出品目。
独立後20年間は政情不安定で、内乱が続いたが、ムセベニ大統領のもとで、この30年間は安定して発展してきた。
仏統的な家屋には、室内に風呂やトイレがない。家の外に小さな水浴び場兼トイレ用の小屋が設けられている。キッチンと呼べるものもなく、調理は室内の隅か外のかまどでする。
ウガンダ人は、50以上の民族と相当な数の言語から成っている。ウガンダ人は、ことあるごとに、「何とかなる」と言う。
「時間を守らなければいけない」という意識が乏しい。ただし、ウガンダ人は、ホスピタリティにあつい。そして、純粋な優しさがある。
著者は、女性の一人暮らしをしているので、防犯には気をつかう。鍵と南京錠を幾重にもかけ、枕元に金属バットを置いている。愛猫をなでて、気をやすめる。
あしなが育英会の奨学金を受けて外国語大学に学び、英語と中国語を身につけ、アフリカへ単身とびこんだ勇気ある女性の話は、読んでいて元気が出てきます。
(2017年4月刊。1300円+税)

2016年10月22日

アフリカに進出する日本の新宗教

(霧山昴)
著者 上野 康平 、 出版  花伝社

 このところ、創価学会に並んで幸福の科学の政治面での派手な活動が目立ちます。あちこちで候補者を立てています。よほど資金が潤沢なのでしょうね。
その幸福の科学など、日本の新宗教がアフリカに次々に進出しているというのです。驚きます。いったい言葉の壁、生活習慣の違いをどうやって乗りこえるのでしょうか。そして、その活動資金はいったいどうするのでしょうか。アフリカから日本まで来ると30万円はかかりますよね。アフリカの庶民にとっては高値の花ではないでしょうか・・・。
この本では、創価学会と幸福の科学のほか、崇教真光(まひかり)や統一協会、真如苑などが取りあげられています。
日本国内の新宗教の信者は3000万人。これは人口の23%にあたる。そして、宗教家が70万人いる。これは、全国の小中学校の教員数が67万人なので、それよりも多い。
幸福の科学は、東アフリカの小国ウガンダで流行している。ウガンダ国営テレビが大川隆法の講演と映画を放映した。そして、2012年には、国立スタジアムで大川隆法が1万人規模の講演会を開いた。
天理教は、コンゴ共和国で活動している。
真如苑は、日本では創価学会、立正校正会に次いで多い100万人の信者を有する。真如苑は、ブルキナファソで活動している。
崇教真光は、ヨーロッパ・アフリカ方面指導部をルクセンブルグの古城に置いている。1987年に1億6千万円で古城を購入した。西アフリカから日本へ、年に数回、岐阜県の総本山での祭礼に参加しようと、ビザを申請するアフリカ人が大勢いる。
コートジボワールでは、1990年に創価学会の支部が設立されていて、当初200人の会員が、今では3万人になっている(らしい)。
アフリカの地に日本の新宗教が本当に根づくことが出来るでしょうか・・・。疑問が深まりました。
(2016年7月刊。1500円+税)

2016年10月12日

食い尽くされるアフリカ


(霧山昴)
著者 トム・バージェス、 出版  集英社

 巻末の解説文を紹介します。
 中国はアフリカ経済を発展させるといって資源開発を次々にすすめている。しかし、今までのところ、アフリカの人々には、その恩恵はまったく及んでいないというのが現実だ。エネルギーを輸出するためにつくられた交通インフラは、人々のために役立っていないどころか、むしろ安価な中国製品が大量に流出するルートになり、アフリカ現地の工業化を大きく妨げている。そのうえ、そのインフラ建設費の3割は汚職によって消えている。
 天然資源関連の産業は、国内に雇用を生まない。そのため、アフリカの人々のあいだに大量の貧困が発生している。
 中国の汚職官僚たちは、中国内で略奪システムを構築し、そのシステムを通して蓄えた富を秘匿性の高いタックスヘイブンに隠すテクニックを身に付けた。今のアフリカの天然資源国における略奪システムは、中国の高級官僚によってつくられた汚職システムが修正されて、アフリカに輸出されたものと言ってよい。
 中国とアフリカとは、今このような関係になっているのですね・・・。
 植民地時代のヨーロッパの帝国や冷戦時代の超大国が姿を消し、資源の宝庫であるアフリカ大陸には新たな支配の形が生まれている。アフリカに生まれた新たな帝国を支配するのは、もはや国家ではない。何ら国民に責任を負わず、影の政府を通じて国土を支配するアフリカの政治家、彼らを世界の資源経済と結びつける仲介者、企業秘密を盾に汚職をおこなう東西の多国籍企業、この三者の連合勢力がアフリカを支配している。
 中国は、ニジェールでウランを採鉱し、未開発の油田を掘削する権利を受けとる代わりに、独裁者タンジャが独裁政治を遂行するために必要な手段を提供した。そして、5600万ドルのうちの4700万ドルは反乱を鎮圧するための武器の購入にあてられた。
 中国は、アフリカの変化にあわせてアフリカ諸国に支援の手を差し伸べている。中国は2004年にアンゴラで協定を結んだあと、コンゴやスーダンとも同じ取引をした。いずれも、インフラを提供する見返りに天然資源をもらうという数十億ドル規模の取引である。
中国の海外での契約の3分の1はアフリカとの契約である。アフリカにおけるインフラ支出の3分の2は中国に資金が占めている。
アフリカの主要水力発電ダム10基の建設資金の大部分を中国が提供する。これらのダムによって、アフリカ大陸全体の発電量の3分の1の電力を生産する。
 エピオチアでは中国が構築した携帯電話鋼が利用され、中国が建設した空港を通じて貨物が流通している。アフリカ連合の新しい本部ビルは2億ドルかけて、エチオピアの首都アディスアベバにつくられたが中国が資金を提供した。
アフリカへの融資の最大の資金源は、国有の中国輸出入銀行だ。
中国の国有企業は、シエラレオネから南アフリカに至るアフリカの天然資源をもつ欧米の企業から230億ドルを費やして持分を購入した。
中国は、欧米の諸国と競争だけでなく、協力もしている。
アフリカの資源国家の支配者は、国民の同意を得なくても国を統治できる。それが資源の呪いの核心にある。資源ビジネスがあるかぎり、支配する側と支配される者との社会契約は成立しない。
アフリカにおける中国の存在感は日に日に強大となっていますが、そこには大きな問題もあることを認識させられる本です。

(2016年7月刊。1900円+税)

2016年6月19日

スリ・コレクション

(霧山昴)
著者  ナギ・ヨシダ 、 出版  いろは出版

 これはすごい。とてつもない美的センスです。想像もつきません。よくぞ、このような写真を撮った(撮れた)ものです。
 若い日本人女性ならではの突撃精神がなければ、並みの日本人男性には撮る勇気もないでしょう。なにしろ、舞台はアフリカのエチオピアの奥地。首都のアジスアベバから何と車で片道3日間、悪路を走った先に位置する。そのうえ、世界有数の虫大国だから、南京虫、ダニがうようよ。ダニで足がマシンガンで撃たれたような痕だらけになって若い日本人女性カメラマンがたどり着いたのです。
 撮影期間は、わずか5日間。待ったなしです。ここでは写真そのものは紹介できませんので、そのすごさの一端を想像してもらうために、この女性写真家の文章を引用します。
 まずは川で水浴び。そのあとは、思い思いの草花を手あたり次第に集めて、顔や身体にまきつけていく。石灰石や赤土を山から持ってきては水に溶かして自分の顔や身体に塗る。自分では見えないところや手の届かない場所は、友だち同士でメイクしあう。褐色の肌に葉柄のスタンプ。顔の周りに巻きつけた野生花のリース。見たこともない実をつけた樹木のクラウン。
日本の生け花の草月流もまるで顔負けの美的センスのオンパレードです。いやあ、まいりました・・・。すごいです。
スリ族のファッションは感情表現そのもの。太古の時代から、ほとんど変わらない姿のまま、自然の中で生きてきた。満月が出れば身のまわりにある草花で自分を着飾って踊る。うれしいことがあればメイクをして歌う。ファッションは自分の心を表現するための楽しいもの。
 この若き女性写真家は、まだ幼いころ、マサイ戦士を見て憧れたとのこと。中学2年生で学校をドロップアウトして英語もろくに話せなかったというのに、アフリカの奥地にまで出かけて少数民族の写真を撮り続けているのです。たいした根性です。
 一見の価値が十分にある写真集です。3400円(プラス税金)と、ちょっと値がはりますので、近くの図書館(に購入してもらって)でぜひ手にとって眺めてみてください。人生観がほんの少しだけ変わることを、私がお約束します。それにしても、どうやって、こんな奥地までたどり着けたのでしょうか・・・。そんな旅行記も読んでみたいものです。
(2016年4月刊。3400円+税)

2016年2月28日

「14歳の兵士、ザザ」

(霧山昴)
著者  大石 賢一、石川 森彦 、 出版  学研

 あまりマンガは読みませんが、これは考えさせてくれるマンガです。日本でマンガ原作者として生活している若者が飽き足らない思いをしているとき、アフリカへ赤十字の活動を見学に行って、現地ですさまじく悲惨な戦場を体験してしまうというストーリーです。
 基本的にはマンガを主体とした本なのですが、最後の2頁に、アフリカでの取材状況を撮った写真があり、マンガに描かれた状況が事実だということが確認できます。
 アフリカはコンゴ民主共和国が舞台です。昔々、アフリカの諸国が植民地から独立するとき、コンゴのルムンバ大統領がその一番手でした。ところが、アメリカのCIAに虐殺されたのでした。アフリカの利権をめぐっては、アメリカやヨーロッパの旧「宗主国」たちが依然として介入しているのが現実です。
 最近、リビアの内戦状況のニュースを読みましたが、外国軍の下手な介入が内戦を複雑化させて、平和の回復をかえって難しくしているとのことでした。国連の平和部隊と赤十字のような地道のような活動こそが今のアフリカには必要なのではないでしょうか・・・。
 それにしても、この本で焦点を当てているのは14歳の少年兵です。本当に残酷な現実です。少女はレイプされ、連行される。少年は幼いころからカラシニコフを持たされ、戦場で先頭に立たされるというのです。
 10代前半で人を殺すのを何とも思わない状況に置かれたら、その後の人生はどうなるでしょうか・・・。考えるだけでも、背筋がぞくぞくしてきて、震えが止まりません。
 今、私たちは現実から目をそらさないこと、武力に武力で対応しても何の解決にもならないことを自覚することではないかと思います。ご一読をおすすめします。
(2015年10月刊。1200円+税)

2015年12月 3日

人質460日

(霧山昴)
著者  アマンダ・リンドバウド 、 出版  亜紀書房

  2008年、カナダ人のフリー・ジャーナリストのアマンダ(女性)は、元恋人のカメラマンとともに誘拐され、1年半におよび監禁生活を過ごした。
  その体験記です。読んでいくと、本当に気が滅入ってしまいます。もちろん、本人たちのほうがもっと大変だったと思います。殺されそうになったりもしますが、ともかく身代金の交渉がまとまり、生きてカナダに戻ることができました。最後まであきらめなかった精神力には頭が下がります。
  生きのびるためにイスラム教徒に改宗したり、コーランを覚えたりもしたようです。
  一度は隠れ家から脱走に成功したこともあったのですが、結局は地域の人々が味方してくれなくて、誘拐犯グループに戻されてしまいます。そこが、ソマリアという地域のお国柄なのでしょうね。誘拐ビジネスが経済を与えているのです。
  今は、ケニアで難民生活を送っているソマリア人女性のための学校をつくる手伝いをしているとのことです。すごいですね。その行動力に敬意を表します。
解放のために支払われた身代金は100万ドルを上回ったとされています。二人で、等分したということです。1億円の半分ですから、5000万円でしょうか。大変な金額ですよね・・・。
  ムスリムになりたかったら、心をこめて信仰告白をすればいい。場所はモスクである必要はないし、指導者(イマーム)に証人になってもらう必要もない。儀式めいたことは、ほとんど行われない。改宗にあたっては、アラビア語で簡単な誓いの言葉を唱えるのだが、肝心なのは、その言葉を心から信じるという確信だ。誠実さが問われる。
  アッラー以外に神はなく、ムハンマドはアッラーの使徒であると誓った。
  イスラム教の教えは、天国は常にあなたを手招きしているというもの。信者は来世を目ざして生きている。現世で手にすることができなかった喜びも、長きにわたって縁がなかった慰めや富や美貌も、天国に入ればその人のものとなり、痛みや試練や争いはすべて消え去る。天国はどこまでも広く、完全無欠の楽園だ。誰もが美しい衣をまとい、食べきれないほどのご馳走が並び、宝石で飾られたふかふかの寝台が置いてある。木が生い茂り、山にはじゃこうの香りが漂い、川が流れる涼やかな渓谷がある。完璧な場所なので、果実は決して腐らず、人は33歳のまま老いることはない。地上での苦しみには終止符が打たれ、門の向こうには永遠の至福がまっている。
  私は、イスラム教を信じている人は、それはそれでいいと思います。ともかく、どんな宗教であれ平和に共存できる世の中でありたいと心から願っています。
  来世も大切でしょうが、現世はもっと大切なのです。だって、私たちは、今を生きているのですから。その一点で、宗教の違いをこえて、みんな平和のうちに生きていたいと願います。みんな違って、みんないいのですから、、、。
(2012年10月刊。2700円+税)

2015年11月25日

たまたまザイール、またコンゴ

(霧山昴)
著者 田中真知 、 出版  偕成社

  いやはや、大変な旅です。アフリカの大河を若い夫婦で丸木船で旅行し、また20年後に青年と旅したのです。驚き、かつ呆れつつ、その蛮勇とも言うべき実行力には頭が下がります。おかげで、こうやってアフリカの生の情報が得られるのですから・・・。
  アフリカ大陸の中央部を流れるコンゴ川を妻と二人で丸木舟を漕ぎ、1ヶ月かけて川を下った21年後に、再びコンゴ河を今度は日本人青年とともに下った。
  この二つの体験記が写真とともに紹介されています。いずれも無事に旅を完遂できたのが奇跡のようなスリルにみちた冒険の旅でした。1991年のときのほうが2012年よりも、客観的には安全だったように思いました。
  コンゴ河があるのは、旧ザイール、今のコンゴ民主共和国です。まずは1991年のザイールの旅です。
当時、ザイールはアフリカ好きの旅人の間では特別な存在だった。圧倒的なスケールの自然と、カオスの国に生きる人びとのパワーが旅人の好奇心を刺激してやまなかった。
  ザイール河(コンゴ河)には、オナトラと呼ばれる定期船があった。定期船とは名ばかりで、いつ入港するかもわからなければ、目的地までの日数も3週間だったり、1ヶ月だったり、まちまちの船だ。オナトラ船は船の形をしていない。一隻の船ではなく、六隻の船をいかだのようにワイヤーでつないだ全身200メートルほどの巨大な船の複合体だ。
  船内の屋台では、串にさして揚げたイモムシを辛そうな赤いタレにつけて売っている。子どもたちは、生きたやつをそのまま口に放り込んで食べる。踊り食いだ。
  猿のくん製は、独特のすっぱい臭気を発している。くん製というより焼死体に近い。
  流域の村人にとってオナトラ船は物資を手に入れる唯一の機会であり、現金を使える唯一の場所だった。村に現金をもち帰ったところで使う機会はないし、とほうもないインフレのために、お金を手元に置いておくと、またたく間に紙切れ化してしまう。だから、現金を手に入れたら、みな一刻も早く何かを買って現金を手放そうとする。ババヌキと同じだ。
  流域の村には、モコトと呼ばれるタイコがある。大木の幹をくりぬいたもので、トーキング・ドラムだ。流域の人々にとって、なくてはならない重要な通信手段になっている。モコトを使うと20キロ離れた村と対話ができる。
ナオトラ船では屋台まで食べ物を買いにいくのに、往復300メートルに40分もかかる。ナオトラ船には5000人が乗っている。うひゃあ、とんでもない船です・・・。この中には100人か200人の無賃乗船客がいる。
  2012年のコンゴの旅のときには、このナオトラ船はありませんでした。そして、モコトも消えています。
  コンゴの首都キンシャサは、昼間でも外国人が外を歩いてはいけない。誘拐や強盗にあう危険があるから。外国人は自家用車でなければ外へ出ないのが常識になっている。
  キンシャサ市内は、ホテルもビルも中国資本が多い。ともかく中国の進出がすごい。
  コンゴでは、庶民から政治家まであらゆるレベルで、「これをくれ」「あれをくれ」という体質がしみついている。これがアフリカ諸国の中でもとくにひどい賄賂体質や汚職に結びついている。
  市場にある商店のほとんどは中国人やアラブ人、インド人の経営で、コンゴ人は、使われているばかり。鉱物資源の輸出は地元経済をうるおしてはいない。
  政府高官は賄賂をとることしか頭になく、地元経済の活性化には無関心だ。
  コンゴの紛争を大きくし、長期化させたのは、資金や武器を供与している外国勢力の存在があったから。モブツ独裁政権が32年にわたって存続できたのは、資金提供を続けたアメリカの存在があった。なぜ提供するのか、それはコンゴが世界有数の天然鉱物資源に恵まれた国だから。ダイアモンド、金、銅、タンタルやコバルトといったレアメタルを算出している。
  コンゴでは、毎年、東京都の1,6倍の森が焼失している。
アフリカの旅で著者が得たことは何か・・・?不条理や理不尽が束になって襲いかかって来ても、なんとかなることが分った。そういうことが際限なく繰り返されているうちに、こうでなくてはダメだという思い込みのハードルがどんどん低くなっていった。
  世の中は、ありとあらゆる脅威にみちていて、それに対して保険をかけたり、備えをしたり、あるいは強大なものに寄りそったりしないことには生きていけない。そんな強迫観念を社会から常に意識させられているうちに、自分は無力で、弱く、傷つきやすい存在だと思い込まされてしまう。でも、ここでは自分でなんとかしないと、何も動かない。乏しい選択肢の中から、ベストとはほど遠い一つを選び、それを不完全な手段でなんとかする。状況がどんなに矛盾と不条理に満ちていても、それが現実である以上、葛藤なしに認めて取り組むしかない。そういうことを繰り返していると、意外になんとかなったりするし、なんとかならなくても、まあ、しょうがないやという気になる。まあ、しょうがないやと思えることが、実はタフということなのだと思う。いずれにしても、世界は偶然と突然でできている。それを必然にするのが生きるということだ。それがコンゴ河の教えだ。
  私のように、若いころから好奇心はあっても冒険心の乏しい人間にとっては、無茶すぎ、無謀すぎる危険きわまりない旅です。うらやましくて仕方がありませんでした。
  今後とも、元気に世界を旅行してレポートを書いてください。

(2015年7月刊。2300円+税)

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