弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

人間

2024年10月28日

「よく見る人」と「よく聴く人」


(霧山昴)
著者 広瀬 浩二郎 ・ 相良 啓子 、 出版 岩波ジュニア新書

 著者の二人は、全盲の視覚障害者(男性)と聴力障害者(女性)です。
 伝音声難聴は補聴器で音を大きくできるが、もう一つの感音性難聴だと補聴器をつけてもことばは理解できず、役に立たない。私も難聴に困っています。
 「一目ぼれ」はありえないが、「一耳ぼれ」は頻繁にある。しゃべり方や声の質に魅かれる。目による読書は客観的に外から、耳による読書は主観的に内から作品世界に触れる。
 中学1年生の終わりに完全に失明した。原因は眼底出血。
パソコンの音声読み上げ機能を使って原稿を書く。点字で書いて音声で確かめる。点字は表音文字。点字の根底には、豊かな音の世界が広がっている。
全盲で京都大学文学部に入学した(1987年)。京大で初めての全盲の学生。そして京大居合道部に入る。視覚障害者なので、視覚情報に惑わされず、より深く自己の心と対話し、仮想敵に立ち向かうことができる。目に見えない敵を媒介として、己の精神を錬磨する。大切なのは闘魂。
その後も武道のいろいろに挑戦した。太極拳、テコンドー、ヨガ、合気道そして今は少林寺拳法。いやはや、すごいものですね...。
武道の稽古においてもっとも重視するのは音。道場に入ると、音の反響で自分の位置、壁までの距離を推測する。音の響きは道場の広さ、人数、天気などによって異なるので、気を四方八方に配って気配を感じとる。この心地よい緊張感が耳から全身に広がる。
 手話言語にも方言がある。手話も音声言語と同じく各地で自然発生的に表出される言語なので、世界共通どころか、国内共通でもない。うひゃあ、そ、そうだったんですか...、知りませんでした。
全盲でもテレビを「みる」。画面は見ずに(見えないから)、音声や雰囲気でイメージを広げて「全身でみている」。
 難聴者は「字幕メガネ」をかけて映画を楽しめる。動画で手話している様子を送る。これで、リアルタイプに使えるようになった。
世間では、障害者を十把一絡(から)げでとらえている。しかし、それは皮相的。
 「障害」を出発点として、共感力、コミュニケーション力を考えた新書です。大変興味深く読み通しました。
(2023年9月刊。940円+税)

2024年9月21日

思い出せない脳


(霧山昴)
著者 澤田 誠 、 出版 講談社現代新書

 私は名前を思い出せないということが多いです。これは。年齢(とし)とったからというのではなく、若いころからそうです。
 小学校の先生(教員)は、新学期の前に、顔写真と氏名を見比べながら、必死で覚えておき、初めての生徒たちを名前で呼んで安心させるという話を聞いたことがあります。
 年齢(とし)をとって衰えるのは、新しいことを「覚える力」ではなく、「引き出す力」だ。
 加齢によって脳の細胞は減っていく。とくに「海馬」の細胞は、他より減りやすい。その海馬は記憶の「引き出し」にも関係している。海馬の神経細胞は、記憶に関して重要な役割を担っているにもかかわらず、酸素不足やストレスに弱い。
 海馬の一部の場所では新たな細胞が生まれている。神経細胞は入れ替わらなくても、神経細胞を構成している成分は入れ替わっている。
数に限りのある神経細胞でも、組み合わせ次第でほぼ無限に記憶を保管できる。
 神経細胞が加齢で死ぬ主な原因は血流不足。糖尿病にならないように注意するのが重要。糖尿病は認知症のリスクも1.5倍高い。糖は血管を傷つける。
 感情は情動と気分が合わさったもの。名前だけが思い出せないのは、名前が意味記憶で、意味記憶が生存に必須ではない記憶だから、情動が働かず、脳にとって思い出しにくいということ。
 記憶に残るか残らないかは、情動の動きに関係している。睡眠不足は、思い出せない脳をつくる。睡眠は、脳の機能を回復させる、脳の老廃物を排出させる、記憶の整理・編集・定着が行われる。
 起きているときよりも、睡眠時に活動が上がる脳の部位がある。大脳辺縁系。これは情動を司る脳部位。長期記憶を形成するために、睡眠はとても重要。新しい技能をマスターするためには、よく眠ることが重要。睡眠薬では、自然な睡眠周期は現れないため、記憶の形成の面ではデメリットも生じる。
 人の名前がどうしても思い出せないときにどうしたらよいか...。それは、思い出そうとするのをやめること。周辺抑制が働いているので、それを解放したらいい。脳は非情ともいえるほど合理的だ。
 脳の話は、いつ読んでも面白いですね。
(2023年5月刊。980円+税)

2024年9月16日

脳は眠りで大進化する


(霧山昴)
著者 上田 泰己 、 出版 文春新書

 睡眠は人間の成長、とくに脳の神経細胞の成長に必要不可欠、きわめて大切な時間だ。
 これは、私の実感にもぴったりあります。私は、生まれてこのかた、完全徹夜なるものをしたことが高校生のとき、実験してみようと思ってした1回だけしかありません。まるで効果が悪いと思いました。徹夜明けは何も考えられない、脳細胞がまったく働かないことを実感しました。
 2回目は、夏合宿のとき、彼女と二人で話していて、朝を迎えたので、そのまま二人とも寝入ってしましました(ちょっとでも仮眠すれば、なんとかなることも体感しましたが、やはり、それだけのことです)。
 日本は睡眠時間が先進国のなかでもっとも短い。1日あたり1時間も短い。そして、これは労働生産性が低いことにつながっている。日本の長時間労働は低い労働生産性に直結しているというのです。経営者は経団連は反省したほうがいいでしょう。
 睡眠は削ってもいい、ムダな時間ではない。むしろ絶対に必要な時間だ。睡眠中の神経細胞は、一時期かなり強く活性化して一休み、また強く活性化して一休み、というリズミカルな動きをしている。
 生物には体内時計がある。これは地球の外側の時間軸を、生物それぞれが内側にインストールしたもの。
 ヒトゲノム計画から判明したのは、ヒトは2万数千もの遺伝子をもつこと。研究のスピードを上げるため、世代をまたがずに遺伝子を改案する技術を開発した。何やらすごい技術ですよね、きっと...。
 睡眠で面白いのは、睡眠と覚醒を繰り返すこと。レム睡眠のときに夢を見るが、ノンレム睡眠時にも夢を見ることがある。
 レム睡眠時は、完全に眠っているみたいにおとなしい。つまり、脳は活発なのに、身体は非常に不活発。ヒトは、必ずノンレム睡眠から入って、その後レム睡眠になる。
 トカゲのような爬虫類もレム睡眠をとっているようだ。ヒトでも、部分的に脳が眠る。
細胞を起こす、覚醒させるときに必ず働くのがカルシウムイオン。カルシウムが欠乏すると、睡眠に影響がある。
 ヒトは、睡眠時に、神経細胞同士の新しいつながりを獲得し、次の日に少しだけ新しい自分になっている。
 ヒトは、基本的に覚醒時には平均的には忘れていってしまう。
 覚醒は探索することに最適化された状態。
ノンレム睡眠が、シナプスを強くしたり新しく生み出したりするためには最適だ。
脳は、ヒトの体の時間的分業を統括するリーダーである。脳と心臓は驚くほど似ている。脳波と鼓動する心臓の仕組みには共通性がある。脳は第二の心臓だ。
キリンやラクダはあまり眠らない。キリンは細切れの睡眠で、あわせても1日に1時間以内。
 トナカイは、眠らないで、目を開けてモグモグとかんでいる。それは、脳波の周波数に近い。
ヒトの脳と睡眠の大切さを強く実感させられる新書です。著者は、福岡県生まれ、久留米大学附設高校から東大医学部に進学して、ずっと脳研究にいそしんでいるようです。
(2024年6月刊。980円+税)

2024年9月 9日

ドキュメント・生還2


(霧山昴)
著者 羽根田 治 、 出版 山と渓谷社

 私は九重山を歩いたことくらいはありますが、本格的な登山をしたことはありません。また、したいとも思いません。苦労して頂上にのぼって、はるか彼方まで見通したら、さぞかし気持ちがいいだろうというのは分かりますが、それまでの苦労に耐えられそうもありません。登山ではありませんが、大学2年生のとき、授業をズル休みして尾瀬沼に行ったのは、今もいい思い出になっています。
 この本は山で遭難して無事に生還した人たちの手記、聞き取り、そして対談から成っています。みんな長期間の遭難です。重傷を負いながら13日間、道を間違えて8日間、とかです。2週間とかではなく、3週間も山中で一人生き抜いた人もいます。人間の生命力はなかなかのものなんですね...。
ヤマの地図をスマホのアプリで活用するYAMAPは福岡の春山九州男弁護士の長男さんが創設した会社だと聞きました。便利なようですね。
でも、バッテリーが切れてしまったらどうしようもありませんよね。やはり水が大切。石をひっくり返して、アリやミミズを食べたり、苔をむしって食べたとのこと。でも、それで空腹感が満たされるほそのことはない。食べられる山野草の知識があれば良かったでしょうね。
 死ぬかもしれないとは考えないようにしていた。絶対に助かるんだという気持ちでずっといた。簡単にあきらめないということなんですよね。寒いので、夜は寝ずに乾布摩擦をして、昼に寝る。日にあたると、太陽エネルギーのすごさを感じた。太陽光を浴びることによって、体に活力が湧いてくる。
 絶対に無理はしない。迷ったら引き返す。引き返す勇気が大切。ライターやマッチは必需品。脱水症状にならないように、沢の水を積極的にたくさん飲んだ。
 この本の最後に、「自己責任なんだから遭難者なんか助ける必要はない」とか、「救助費用を税金でカバーするな。全額自己負担にしろ」と、心ない攻撃をしてくる人が少なくないとのこと。悲しい現実です。そんなことを言う人は、きっと本人は他人からたすけてもらった経験がないのでしょうね。
人間は誰だって失敗するわけです。その失敗をした人を切り捨ててしまったら、この人間社会はますますギシギシしてしまいます。助けられる限り全力で救出するのは当然のことです。
アメリカ軍の不要不急の高額な戦闘機やイージス艦などを買うお金(税金)は日本は持っているのです。そんな戦闘機を買うよりも生きた人間の救出に使うほうが、よほどいい税金の使い道です。
(2024年6月刊。1760円)

2024年9月 2日

王墓の謎


(霧山昴)
著者 河野 一隆 、 出版 講談社現代新書

 やはり、常識というか、通説は疑ってみるものなんだということが分かる新書です。
 たとえば、仁徳天皇陵は、クフ王のピラミッド(エジプト)や秦始皇帝陵(中国)に匹敵する規模。そして、疑問は...。それだけの墓を潔く技術があるのに、なぜ生活に直結するような社会のインフラにエネルギーをしなかったのか...。
次に、王は、本当に権力者だったのか...も、著者は疑っているのです。
 殷(いん)の王墓は地下深くに巨大な墓室が造営されているが、地上には墓であることを示すしるしはない。そして、殷の王陵のそばにある殉葬抗には、3000体以上が確認されている。3000人以上が殺され埋められたということです。よくも反乱が起きなかったものですね。
著者は「弱い王」という概念を提起しています。それは、権力者が神格化することでなったのではなく、神聖性をまとわせるために社会が必要とし、殺されるために選出された人間。生贄(いえにえ)のように神へ贈与されたのが「弱い王」。死ぬことと引き換えに神と協力できた王が神聖王。つまり、王墓とは、神聖性が特定の王に固定化されるリスクを回避するために人類が発明した優れた機構。王は強い権的な支配者ではなく、自然災害、人為災害など社会の存続を揺るがすような重大な局面に瀕したとき、成員の中から選ばれた人物であり、その人物が威信財を携えて神に捧げる役回りを演じた舞台が王墓なのである。なんだか、これまでの通説とはちょっと違っていますよね...。
 メキシコのテオティワカンには記念建造物はあるが、王墓はない。
エジプトでは、ファラオの関心が現世から来世のほうに重きが置かれるようになった。葬送複合体の中心はファラオの遺骸を納めたピラミッドから、太陽神ラーを祭るための神殿へ移っていった。ファラオが死後に太陽神ラーの下で神となるのであれば、王墓よりも神殿に直接礼拝するほうが祈願がかなえられるだろうと人々が考えるようになった。王が神格化を強めれば強めるほど、人々は王墓を重視しなくなるというパラドックスが生まれた。その結果、王墓はファラオの私的な意思で築かれるものに変質した。
 人々と神聖王との心的関係がもはや回復できないほど隔ててしまうと、ついに王は性格を一変し、むき出しの権力を誇示する「強い王」権力王が誕生した。そうなると、人々の自発的な協力は望めず、強制的な徴発をせざるをえなくなる。
 王墓が全国いたるところにあることの意味が少し分かった気にさせられる、面白い新書です。
(2024年5月刊。940円+税)

 台風一過、朝は涼しくなりましたが、日中はまだ炎暑が続いています。
 庭に出るとツクツク法師が鳴いていますし、彼岸花系統の白い花がたくさん咲いています。サルスベリも、白い花を咲かせています。
 朝顔の花も、紅いの、白いの、そして淡い水色の花が咲いています。
夕方、日が暮れるのが早くなりました。

2024年9月 1日

痛快生活練習帳


(霧山昴)
著者 旺文社ムック 、 出版 旺文社

 団塊世代への提案本です。といっても私たち団塊世代は今や後期高齢者(75歳以上)になってしまいました。今さら何を提案するのかと思うと、実は、この本は今から25年も前に刊行されたものです。
なので、団塊世代は50歳代に突入したばかりで、まさしくバリバリの現役世代でした。だから旅に出ようという呼びかけに素直に応じられます。旅といっても千差万別。豪華なシティーホテルに一人で宿泊するというのもありますが、たいていは自然豊かなところへ足を運びます。東海道五十三次の旅を再現しようという人もいます。まだまだ歩けるのです。足腰が弱ってきたら、もう無理できません。
スズムシなどの「鳴く虫」を自宅の書斎の虫かごで飼って育てている人がいます。その虫の数は、なんと4万匹。たいしたものです。スズムシ、カンタン、マツムシ、クツワムシ、キリギリスなど13種類の鳴く虫を育てているというので圧倒されます。昆虫少年がそのまま大人になったのですね。
 福岡の大学教授が現職のまま漫才師としてプロデビューしたという人がいるのには驚かされます。久留米そして福岡にも、弁護士でありつつ、漫才師を目ざしている人がいます。
 団塊世代が好んで読む本には、ロマンと痛快がある。これには多読主義者の私にも異論はありません。「旅する巨人」という、宮本常一と渋沢敬三を主人公とする本、ヘンリー・D・ソローの「森の生活」は私も読んで、いい本だと思いました。
 そして、江戸時代の商人であり、哲学者でもある山片蟠桃(ばんとう)には心が惹かれます。
 スマホを持たない(持ちたくない)私は、海外旅行は断念して、国内旅行に専念しようと考えています。全国47都道府県の全部に行きましたが、まだ行っていない島はいくつもありますし、足を運んでいない遺蹟や歴史的名所も多いので、そこを少しずつ行ってみようと考えています。歩けるうちが人生の華(はな)ですから...。
 本箱の隅に眠っていた本を引っぱり出して読んでみました。
(1999年10月刊。952円+税)

2024年8月10日

吉永小百合、青春時代写真集


(霧山昴)
著者 日活 、 出版 文芸春秋

 私は何を隠そう(昔も今も隠してなんかいませんが...)サユリストなのです。
 その小百合ちゃんの青春時代の写真集が出たと聞いて、すぐに注文しました。いやあ、良かったですね、すごい写真で、改めて小百合ちゃんにほれぼれしました。
 映画女優デビュー65周年記念という企画です。私の弁護士生活50年をはるかに上回ります。それでもって、今もバリバリの現役女優なのですから、本当に尊敬します。
 小百合ちゃんと私の共通項がたった一つだけあります。それは、水泳です。私は週に1回、プールで自己流のクロールで1キロ泳ぎます。40分かかります。小百合ちゃんは、どうやら、週に何回か泳いでいるようです。それでいてゴーグルの跡が顔に片リンも見られませんから、よほど、泳いだあとの顔面マッサージを丹念にしているのでしょう。
この本には出てきませんが、高校1年の入学式に日活に入り、それからまともに学校に行っていない(行けなかった)小百合ちゃんは、早稲田大学第二文学部に入学して無事に卒業しています。それもまた、すごいことです。よほど勉強熱心なのですね...。
 この本には小百合ちゃん主演の映画が写真とともにたくさん紹介されています。残念ながら、そのほとんどを私は観ていません。私が観たのは、まずは「キューポラのある街」です。小百合ちゃん17歳、1962(昭和37)年です。まだ私は中学生でした。「青い山脈」とか「伊豆の踊子」は観ていません。小百合ちゃん18歳、1963(昭和38)年の作品です。
 「パリの小百合ちゃん」という写真もあります。セーヌ川のほとり、そしてベルサイユ宮殿の庭に腰かけた小百合ちゃんがいます。そして、さらに残念なことに、「戦争と人間、完結篇」(1973年)も私は観ていません。「ああ、ひめゆりの塔」(1968年)も観た覚えがありません。本当に残念です。
 まあ、それにしてもいい写真集です。私が吉永小百合を心から尊敬しているのは、大女優でありながら、地道な平和を求める取り組みを一貫して続けていることです。
 原爆反対の声をあげ続けていることに、ひたすら共感したいと思います。
(2024年6月刊。3200円+税)

2024年7月12日

アイヌもやもや


(霧山昴)
著者 北原モコットゥナシ ・ 田房 永子 、 出版 303Books

 アイヌ民族と差別について、マンガをふくめて問題点が手際よく紹介されている本です。私自身も読んで大いに反省させられました。
 沖縄の人から見ると、九州・四国・本州の人々は「やまとうんちゃ(やまとの人)」です。同じように、アイヌ民族からすると「シサム」と呼びます。初めて知りました。
 日本は「単一民族国家」だとか「一民族一国家」という、アイヌ民族という少数民族の存在を無視した言い方をする人が少なくありません。これは、たしかに間違いだと私も思います。
 ちなみに、「奄美・琉球民族」という表現は、私には正しいものとは思えませんが...。
 在日コリアンを含めて、多数の外国人労働者が現に日本に存在していることも無視してはいけない現実です。私は福岡市内でフランス語を学んでいますが、そのフランス人講師は、フランスの歌手にもサッカー選手にも起源はフランス外の人が驚くほど多数いることを紹介していました。国際交流が進んで世界平和につながっていくことを私は願っています。ところが、今、ヨーロッパでは移民排斥を主張する極右勢力が支持を集めているという悲しい現実があります。
 1899年に制定された北海道旧土人保護法は、名称からして「旧土人」といういかにも差別的な法律ですが、アイヌの農耕民化・和風化をすすめるため、アイヌに農地が用意された。しかし、和民族に対しては1人あたり10万坪なのに、アイヌに対しては1戸(1人ではなく)あたり1万5千坪だけ。ケタ違いでした。
 1980年代、札幌市の高校で、社会科の教師が、「誤ってアイヌと結婚しないように」と言って、授業でアイヌの「見分け方」を解説した。信じられません。これって偏向教育そのものですよね...。
 マイクロインバリデーションとは、相手の感情、経験を排除・否定・無化すること。
 「北海道には歴史がない」とか、「開拓」「フロンティア」を礼賛するというのは、アイヌの歴史・被害の否定なのだ。そのとおりですよね。
 そもそも平安時代の書物(新撰姓氏録)を見ると、当時の貴族の10人に3人は渡来人だったし、平安京を開いた桓武天皇の実母は、百済(くだら。朝鮮半島にあった古代国家の一つ)の人だった。これは歴史的事実です。
 アイヌ人なんていないというのは、見ようとしないから見えないというだけ。なるほど、そのとおりです...。
(2024年6月刊。1760円)

2024年7月 8日

チャップリンとアヴァンギャルド


(霧山昴)
著者 大野 裕之 、 出版 青土社

 さすがチャップリン研究最高峰の著者だけあります。知識の広さと分析の深さについ、うなり声をあげてしまいました。とても面白く興味深い本です。チャップリンに関心のある人には欠かせない本だと思います。
 チャップリンのもっている杖、あのよくしなる杖は日本の竹なんですね...。チャップリンの杖は、滋賀県の根竹。体を支えるためのものではなく、いろんなものの代用品となる。
 チャップリンの傑作の一つ、「街の灯」は、戦前の日本で新作の歌舞伎として演じられ、またチャップリンの遺族の了解を得て、最近、再演されたそうです。「街の灯」を歌舞伎で演じるなんて、想像もできませんでした。
映画「街の灯」が日本で初上映されたのは1934(昭和9)年のこと。アメリカでは1931年1月30日に上映された。ところが、日本ではなんとなんと、映画より3年も早く1931年8月に歌舞伎座で上演されたというのです。ただし、タイトルは「蝙蝠(こうもり)の安さん」。
 しかも、それより早く、1931年5月には東京の新歌舞伎座で辰巳柳太郎主演の「チャップリン」なる演劇が新国劇として上演されていたのでした。いやあ、すごいです。
 映画「移民」に出てくる揺れる船のシーン。実は、カメラに振り子をつけて画面のほうを揺らして撮影したというのです。つまり、船の甲板は水平のままなので、滑ることはない。そこで、チャップリンは、片足で立ったまま小刻みに足を動かして移動して、揺れる甲板の上を滑っているように見せている。いやあ、まいりましたね、そんなことまでチャップリンは出来たし、したのですね。身体能力の高さの極致です。
 チャップリンは1932年5月に日本に来ています。危く五・一五事件に巻き込まれそうになったのでした。このとき、チャップリンは歌舞伎座を訪れ、初代の中村吉右衛門とも話しています。チャップリンには日本人秘書(高野虎市)もいて、大の日本びいきでした。
 チャップリンは日本では、インテリ層には芸術哲学者として、一般庶民にはドタバタ喜劇の人気スターコメディアンとして幅広い層から圧倒的な人気・支持を受けていたのです。なにしろ、チャップリンが東京駅に来ると分かって、日本人が4万人も押し寄せたというのです。東京駅の入場券がこの日だけで8千枚も売れたというのですから、恐ろしい。
そして、2019年12月、再び国立劇場で『蝙蝠の安さん』が88年ぶりに再演された。それをチャップリンの息子が鑑賞して絶賛したというのです。うれしいことですね。
 チャップリンのトレードマークであるよちよち歩きは、両足のかかとをつけたまま、左右の爪先を外側に開いた状態で歩いていくもの。これはバレエの足の形で「1番」のポジションで動いているということ。しかも、歩くとき、上半身を決して左右に揺らさない。体幹をまっすぐに保ったまま歩く。これはバレエに通じるもの。というのも、チャップリンは俳優である前に、9歳のときから舞台に立ったダンサーだった。すごいですよね。
 チャップリンの「独裁者」が世界中でヒットしてから、ヒトラーは、大勢の群衆の前での演説をやらなくなった。チャップリンに笑い物にされたことで、ヒトラーの最大の武器が奪われた。いやはや、言葉の力は、スクリーン上の表現とあわせて、かくも偉大なんですね。
 チャップリンは反共の嵐の中、アメリカから追い立てられるようにして立ち去ります。その前にチャップリンが言ったコトバは、「私は共産主義者ではありません。平和の扇動者です」というものでした。チャップリンの究極の目的は世界中の人を笑わせること。
私は40年近く、毎年、市民向けの法律講座を開いていますが、初めのころはチャップリンの短編映画を毎回上映していました。ドタバタ喜劇ではありますが、単なるナンセンスものというのでもなく、少しホロリとさせたりして、一味ちがっています。
 チャップリンの天才ぶりを改めて認識させられました。
(2024年1月刊。2400円+税)

2024年6月29日

あしたのお嬢


(霧山昴)
著者 山田 一喜 、 出版 講談社

 「あしたのジョー」が「週刊少年マガジン」で連載が始まったのは1968年1月1日号から。私は大学1年生でした。駒場寮の6人部屋で毎日、楽しく忙しく暮らしていました。東大闘争が始まったのは6月からです(本郷の医学部では既に1月からもめていましたが、駒場はいたって平穏でした)。
 「あしたのジョー」は寮生に大人気で、みんなで争って読み回していました。貧乏学生だった私は「少年マガジン」を買った覚えはありません。寮にいたら、いずれまわってくるからです。週刊マンガの発売日には誰かが買ってきて、読み終わったのが回ってきます。じっと待っていればよいのです。
 このころ、日本は高度経済成長期の真っ只中にあった。こう書かれていますが、私自身はその恩恵を受けたという実感はありません。ただ、世の中が不景気で、どうしようもないという実感はありませんでした。今もある霞が関ビルが竣工したのも1968年だそうです。弁護士になってからは入ってみましたが、学生のころは霞ヶ関なんて、ベトナム反戦デモのとき以外、近寄ったこともありません。
「あしたのジョー」は、ともかくカッコ良かったです。作者のちばてつやはそれ以来のファンです。丸味のある登場人物は、なんだかほのぼのとしていて、いい雰囲気です。というか、丸顔の作者の顔にそっくりですよね...。
 発刊から55年たったと言われると、ええっ、そ、そうなんか...と、ついうろたえてしまいます。
 でも、私も弁護士生活を丸50年もやっているのですから、それもそのはずです。
 この本は、「あしたのジョー」が活動していた舞台を、マンガ原作に出てくる脇役たちと訪ね歩くという趣向です。「お嬢」とは、父親から「あしたのジョー」全巻を読むように言われて読破したという陽菜(ひな)です。
 「あしたのジョー」は累計発行部数が2500万部といいます。とんでもない部数です。
 「あしたのジョー」で、ジョーと死闘を重ねた力石(りきいし)徹が誌上で亡くなったあと、実際に告別式があったというのも驚きですよね。1970年3月24日、講談社の講堂には護国寺のお坊さんに来てもらって読経まであげてもらったのでした。参加したファンは、なんと700人。
 いやはや、とんだ告別式です。まあ、私は参加していませんが、参加した人の気持ちはなんとなく分かります。決して馬鹿な奴らだ、なんて思いません。
 コミックスで全20巻だそうです。読んで、学生時代の雰囲気にしばし浸ってみたいかな...と思いました。
(2023年12月刊。1980円)

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