弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

司法

2014年11月 4日

あの男の正体(ハラワタ)


著者  牛島 信 、 出版  日経BP社

 著者は私と同じく団塊世代です。検察官から弁護士になり、今では企業法務の第一人者として活躍中です。
 これまでにも、たくさんの小説を書いています。「株主総会」「株主代表訴訟」「社外取締役」などです。私も、そのいくつかを読み、このブログでも紹介していますが、いつもストーリー展開の見事さと相まって大変勉強になっています。さすがはM&Aやコーポレート・ガバナンスで定評のあるベテラン弁護士だと感嘆してきました。
 この本は、これまでの本とは、いささか趣向を変えています。
 主人公は、私なのか。あの男なのか。よく分からないようにして、話が始まります。
 従業員2000人、売上高2000億円、40億円の利益を上げている会社の社長の椅子が問題となります。
 弁護士をしていると、いろんなことに出くわすものだ。なんといっても、腹の立つことが圧倒的に多い。ありていに言えば、他人が困るから、弁護士が飯(メシ)のタネにありつくということでもあるのだ。
 弁護士という職業への人々の信頼を思い、弁護士という制度が社会で果たしている役割の重さを思った。もう30年以上、弁護士をやってはいても、人の、ビジネスの、重大な秘密を打ち明けられるときに、いつも感じないではいられない感慨だ。
 海外から、知り合いを通じて紹介があっただけのVIPが、初めて会ったばかりなのに、会議室に座るや、「実は」と、驚天動地のような秘密を切り出す。それを微笑みながら聞き、淡々と助言を繰り出して議論する。
 身の破綻を招くほどの秘密を打ち明けての依頼であれば、いつものことながら、なんとか依頼者の信頼にこたえたいという情熱が、ふつふつと我が胸のうちに湧きあがってくる。
 30年もすれば、人生と仕事とは切り離すことは出来ない。それどころか、職業生活が人生そのものである人も多い。そうなんですよね。私も弁護士生活が40年となり、私の人生そのものです。
 「あなたが自分からやめないなら、取締役会をすぐに招集する。あなたを副社長から外して非常勤にすることを決議する。必要があれば、社長はいつでも取締役会を開ける。開催する必要があるかどうかは、社長が決める。取締役会では、過半数でものごとが決まる」
 「副社長でなくなるだけではない。非常勤になった取締役の報酬も、社長に一任される。退職金も社長一任となる。次の株主総会では、取締役候補のリストにも載らないだろう」
 「もちろん、あなたには裁判を起こす自由がある。憲法に書いてある。だけど、裁判はすぐに結論が出るわけではない。それまで、カスミでも食べるのかな・・・。あなたの社会的な立場は、あなたの家族はどうなる・・・」
 このように、行き詰まった展開もあり、途中もダレることなくストーリーは展開していきます。
社長が現役のまま死んだ場合には、香典の金額も多い。社葬であっても、香典はすべて喪主にわたる。全部で、何千万円、いや億をこえることもある。会社の費用で葬儀しても、香典をもらった遺族には税金はかからない。
知りませんでした。といっても、私には無縁のビッグ・ビジネスの世界の話ではあります。
 ビジネスの世界を小説にするにも、男と女の話は欠かすことが出来ないことを想起させる企業でもありました。私も、目下、久しぶりに本格的な小説に挑戦中です。テーマは、40年前の司法修習所における苦闘の日々です。
(2014年9月刊。1700円+税)

2014年10月23日

白熱講義!集団的自衛権


著者  小林 節 、 出版  ベスト新書

 自称・改憲派の小林教授の主張は明快です。一言でいうと、自民・公明党は「憲法ドロボウ」! なぜ、そう言えるのか、新書版で分かりやすく解説しています。
集団的自衛権とは、他国(同盟国)の戦争に加担することである。
 集団的自衛権って、分かりにくいと思ってしまったら、安倍晋三政権の術中にはまってしまうことになる。彼らは、この問題の本質を隠し、些末(さまつ)な各論で国民をごまかそうとしている。
 そう難しく考える必要はない。ケンカしたとき、ひとりで抵抗するか、仲間と対応するか、この本質を理解しさえすれば、集団的自衛権は簡単な話だ。安倍政権の側は、意図的に分かりにくくしている。
安倍首相がテレビなどであげた15事例のほとんどは、集団的自衛権とは関係がない。
 安倍政権は、コロコロと論点を変えている。これは、明らかに目くらまし作戦だ。
 そもそも憲法とは、主権者たる国民が為政者(いせいしゃ)を管理するためのマニュアル(手引書)だ。安倍首相のような為政者が憲法を自由にしていいわけがない。主客が転倒している。国民の持物を政府が取り上げるのだから、「憲法泥棒」「憲法ハイジャック」と言っていいくらいの暴挙だ。
国民のものであるはずの憲法について、一時的に預かっているだけの政府与党が原意から逸脱した解釈をすることは言語道断である。それは、憲法を破壊する行為に他ならない。
 アメリカが日本に軍事基地を置いているのは、日本のためではなく、アメリカのためである。アメリカの世界戦略に必要だからである。
 集団的自衛権を行使すると、抑止力になるどころか、果てしない軍拡競争になり、一触即発の事態になる。そして、日本がテロの標的になる危険性が高まる。
 日本国憲法の下で、海外へ出兵することを本質とする集団的自衛権を認めるのは無理である。
 日本は70年間にわたって「戦争をしない大国」として、世界史に先例のない地位を確立している。この立場を捨て去るのは、惜しい。
7月1日に閣議決定をされてしまったら、もうダメだと早々にあきらめてしまった人がいる。しかし、まだ間に合う。法律化への国会審議はこれから、なのだから。
 違憲な閣議決定なのだから、それを実行できるような法律や予算が決議される前に世論を結集し、政治家たちにプレッシャーを加えよう。そうすれば、十分につぶせるのだ。
 小林教授の訴えは「白熱講義」にふさわしく熱がこもっています。
 福岡県弁護士会でも、11月22日(土)午後、天神の都久志会館大ホールで小林教授そして青井未帆教授を招いて、市民集会とパレードを企画しています。ぜひ、ご参加ください。
(2014年9月刊。787円+税)

2014年10月21日

なくせ じん肺


著者  西日本石炭じん肺弁護団 、 出版  海鳥社

 じん肺裁判に取り組んできた弁護団(主として福岡の弁護士たち)による日鉄鉱業との35年のたたかいをまとめたブックレットです。
 じん肺は、吸い込んだ粉じんが気管支を侵して呼吸ができなくなる職業病。古くから「ヨロケ」とか「山弱り」と呼ばれ、鉱山労働者に恐れられていた。
 粉じんにより肺に形成された結節は進行性、不可逆性で、治癒することはない。
 じん肺は、最初は風邪にしては長引く咳や痰で症状を自覚できるにすぎない。しかし次第に、身体のだるさ、呼吸困難を認識するようになる。そして進行すると、ちょっとした動作でも息苦しくなり、酸素吸入なしでは生活できなくなり、ついには呼吸困難に苦しみながら死を迎える悲惨な病気である。
じん肺は職業病なので、じん肺法の定義にしたがって管理区分が決定される。合併症をともなう管理2以上の人は労災認定され、治療費が支払われる。
 日鉄鉱業は、1939年5月、日本製鉄(新日鉄住金)の鉱山部門が独立して設立された。
 1965年2月まで、北松(ほくしょう)炭田で5つの炭鉱を経営していた。
 日鉄鉱業は、提訴前に激しい原告患者の切り崩し、提訴妨害を行った。
 1979年11月1日、長崎地裁佐世保支部に訴状が提出された。今から35年前のことですね。そして、1985年3月25日、東孝行裁判長は、日鉄鉱業の責任を認める判決を出した。
 1994年2月22日の最高裁判決は、最終行政決定のときから消滅時効は進行するとした。
 また、「慰謝料額は低きに失し、著しく不相当であって、経験則又は条理に反する」という画期的な判決だった。
 日鉄鉱業は、他の企業がすべて和解に応じているのに、ただ一社、執拗に和解を拒絶している。まさしく、法治国家のもとで異常な会社だと言わなければなりません。
 日鉄鉱業は、これまで40連敗。「最高裁の判決であっても、納得できないものは納得できない」というのが日鉄鉱業の論理。本当に理不尽な会社です。
 ただし、日鉄鉱業は、裁判とは別に「覚書」を作成して、未提訴じん肺患者へ70億円を支払ったとのこと。いわば司法を「無視」して、自分の影響力(主導権)の範囲内でなら解決するという特異な路線をとっているのです。こんな態度って、許されていいものなのでしょうか?
この本を読んで強く印象に残ったのが、原田直子弁護士の論稿です。
最高裁の法廷での口頭弁論の工夫。一番工夫したのは、初めの一文。話の出だしですね。裁判官の耳を、目を、心をこちらに向かせるにはどうしたらよいか・・・。
 原告になったじん肺患者は昭和5年生まれ。終戦時15歳。満州から引き揚げ後、炭鉱に入った。最高裁の裁判官たちは、昭和2年から7年の生まれ。裁判官たちは戦争中の遅れを取り戻そうと必死で勉強し、法曹となって成功していったのに違いない。その同じ時期、九州の西の果てで、地底に潜って石炭を掘りながら日本の復興を支え、そして、日鉄鉱業から放り出されて35歳の若さで死んでしまった男がいる。裁判官がこのことに思いを馳せ、自分の人生と重ねて考えてもらえたら、被害を現実のものとして実感してもらえるのではないか。そう考えて、原告の物語をつくろうと思った。すごい発想ですね。頭が下がります。
 最初に、裁判官の皆さん、あなたたちと同年代の男の物語です、と訴え、そのあと詳しい被害と、それをもたらした日鉄鉱業の非道な扱いを具体的に述べていった。
 もう一つの工夫は、読み方。読むにあたって、原稿の量が多いと、どうしても手でしっかり持つので、下を向きがちになり、裁判官に訴えるという姿勢にならない。
 また、ページをめくるために間が空いてしまうと、聞くほうの緊張感が続かない。さらに、読み手が感情的になると、たとえば被害の弁論では自分で声が詰まることがある、それでは裁判官が興ざめしてしまう。
 そこで、自分の分だけ縮小コピーして枚数を減らした原稿を用意し、何度も何度も声に出して練習し、冷静に物語を語れるように心がけた。
ふむふむ、すごいことです。見習いたいものです。
 弁論を始めたとき、二人の裁判官が書面からキッと目を上げてこちらを見た。それを見て、よしよし!と思い、落ち着いて弁論していった。
 いやはや、まったくたいしたものです。このくだりだけでも、この本を読む価値があります。ご一読を強くおすすめします。
(2014年10月刊。500円+税)

2014年10月16日

東大首席弁護士の7回読み勉強法


著者  山口 真由 、 出版  PHP

 タイトルにひかれて、本屋でつい手にとって読みはじめました。
 東大(法学部)を首席で卒業した人って、どんな勉強をしていたのかなっていう好奇心からです。すると、この女性は本人いわく天才ではなく、努力した秀才だということを知りました。そして、その7回読み勉強法なるものは、とても合理的なものであることを知って、なんだか安心しました。
 東大法学部を卒業したあと財務省で8年間はたらき、今は、なぜか弁護士をしている女性です。とても素直な文章なので、それこそスラスラ30分で読み終えました。
 著者は、頭の回転が人並み外れて速いわけではなく、発想力がずば抜けているわけでもなく、むしろどちらも平凡だけど、勉強の力を頼りにして、進んできた。
勉強とは、今日できなかったことを、明日は出来るようにする力なのだ。今の自分をこえて進んでいく、明日の自分に夢を描くための力なのである。
 著者は、読むことを中心とした勉強法を確立した。それは、幼いころから活字に触れる機会が多く、多くの本を読んでいたことによる。
 勉強は決して楽しいものではない。なにより大切なのは、目的・目標をもつこと。小さな目標を達成していく。それによって喜びとやる気を確実に積み重ねることができる。それは、「自信」という自分自身の基盤をつくり出してくれる。
 勉強法を確立するには、自信が強い基盤として必要になる。
 失敗の印象ばかり抱いたまま生きていると、自分を信じる力が低下してしまう。
 失敗は、ミクロな視点では覚えておいて、マクロな視点では忘れてしまうこと。
 7回読みは、さらさら読み。それほど時間をおかずに、また読む。記憶が薄れないうちに再び読むと、定着が早まる。
 7回読みは、一冊の基本書を決め。目移りしない。
 7回読みは、丸暗記とは違う。
 やる気エンジンをかけたいなら、まず机に向かうこと。
 勉強をすすめるためのヒントが満載の本でした。なーるほど、これなら売れる本だと思います。
(2014年8月刊。1300円+税)

2014年10月15日

「立憲主義の破壊」に抗う


著者  川口 創 、 出版  新日本出版社

 著者は名古屋の弁護士です。2008年4月、名古屋高裁が航空自衛隊のイラクでの活動は憲法9条に違反するという画期的な違憲判決を出しましたが、そのとき弁護団事務局長として活躍していました。
 安倍内閣による集団的自衛権の行使容認がいかに憲法に反し、危険なものであるかを名古屋高裁判決をふまえて、とても明快かつ分かりやすく解説している100頁ほどのブックレットです。値段も1000円ですし、ぜひ買って、手にとってお読みください。すっと読め、すとんと胸に落ちること間違いありません。
 安倍首相は、集団的自衛権の行使を認めたのは、国民の命を守るためだという。
しかし、戦争は、いつだって自国の国民を守るためというのを理由にしてきた。
 まして、集団的自衛権は、日本が外国から武力攻撃を受けたときの国土と国民を守るための個別的自衛権とはまったく異なるもの。それは、自分の国の防衛とは無関係の、第三国間で起きた戦争に参戦していくことを意味している。
本年(2014年)7月1日、安倍内閣が行った閣議決定は、あくまで政府の「宣言」にすぎない。法律がつくられなければ、閣議決定自体に意味はない。そして、その法律が違憲無効となれば、政策も実現できない。
安倍首相は、わざと個別的自衛権と集団的自衛権とをごちゃまぜにして、あたかも集団的自衛権が個別的自衛権の延長線上にあって、ひとまわり大きな枠組みでもあるかのように偽装しようとしている。
集団的自衛権は、自分はやられなくても、仲良しの子がけんかを仕掛けられたとき、助太刀することだと説明されることがある。しかし、もっと詳しく正確にいうと、やられようとする子というのは、実はプロレスラー級の実力をもっていて(アメリカ)、それに対して小学1年生くらいの小さな子(北朝鮮)が仕掛かったところを、屈強な大人(日本)がプロレスラーと一緒になって小さな子をボコボコにやっつけるというもの。
まさに、マンガです。私は、このたとえは秀逸だと感嘆しました。まことに、そのとおりですよね。友人というのは世界最強の屈強な人物(アメリカ)なのです。
アメリカを北朝鮮が正面から攻撃するような事態をまともに想定している人はいないと思います。そんなことをしたら、金正恩政権は何時間も、もたないこと必至です。
アメリカのイラク侵略戦争のとき、日本の航空自衛隊は、クウェートからバグダットまで武装したアメリカ兵を空輸していた。この事態を直視して、日本人はアメリカのイラク侵略戦争に加担し、加害者になっていると厳しく指摘したのが名古屋高裁の違憲判決の意義だった。
 7月1日の閣議決定は、外国に対する武力攻撃が発生したとき、日本がすぐに自衛隊を行使できるとはしていない。「これによりわが国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある」場合に限って自衛権を発動できるとした。これが、限定になるのかどうか・・・。
 「限定」になんかならない。まったくのごまかしだと内閣法制局の元長官が断言している。
 本当にそのとおりです。現に、安倍首相は、国会答弁で、ペルシャ湾で日本のタンカーが自由に航行できなくなったら、「わが国の存立が脅かされ」る事態だと明言しました。日本に石油備蓄が全くないかのような安倍首相の答弁に私も開いた口がふさがりませんでした。
 集団的自衛権って、なんだがか難しくて、良く分からないなと思っている人には、この本をご一読されることを強くおすすめします。なにしろ100頁、1000円の本なのです。さあ、手にとって読んでみましょう。
(2014年8月刊。1000円+税)
 台風一過、強風が少し残っているなか、チューリップの球根を植え込みました。
 雨をたっぷり吸い込んでいますので、スコップで掘るのは容易でしたが、さすが200個の球根だと腰にきます。ミミズをたくさん掘りあげてしまいました。畳一枚分の広さに200本のチューリップが咲いてくれます。春が楽しみになりました。あと300本、植えます。

2014年9月24日

やっぱり九条が戦争を止めていた


著者  伊藤 真 、 出版  毎日新聞社

 伊藤真弁護士の本は、どれを読んでも本当に勉強になります。とても大切な話が繰り返し強調されるだけでなく、毎回ちがった角度から問題の本質に光をあてて、目を開かされます。まさしく、貴重な憲法の伝道師です。
近代憲法の存在理由である立憲主義こそ、憲法のなかで何より知らなければいけない最重要のキーワードである。
 多数意思は常に正しいのか? 多数決でも変えてはならない価値を、前もって憲法のなかに書き込み、民主的正当性をもった国家権力をも制限するのが、立憲主義という法思想である。
 行政権は、国家権力の中枢に位置する「権力中の権力」とも言えるもの。それは、人権を侵害する危険や、国民主権に背く危険性がもっとも高く、憲法でコントロールする必要がもっとも高い権力である。その権力の長(内閣の長、すなわち首相)が、自分の考えで憲法解釈を変えようというのは、まさしく立憲主義の否定である。
立憲主義が縛ろうとしている「国」とは、人為的に作った権力主体としての国の権力であり、具体的には国会や内閣、裁判所などの権力である。
 この立憲主義の考え方は、決して現代社会において古臭くなってしまった、昔の考え方というものではない。
 立憲主義の究極の目的は、人権を保障することにある。では、日本国憲法が真っ先に人権保障規定をもってこず、なぜ天皇と戦争放棄をその前に置いたのか・・・。
 それは、天皇の権威と軍事力に対して憲法が歯止めをかけないと、人権保障ができなくなるからだ。この歯止めがあってこそ、人権保障は実質化する。
明治憲法も、天皇の権限を憲法で拘束するという立憲主義が全体として貫かれていた。しかし、明治憲法には、大きな欠点があった。それが統帥権(とうすいけん)の行使である。この統帥権についてだけは、議会の関与も、国務大臣の輔弼(ほひつ。アドバイス・助言)も必要なかった。これは、軍部だけの判断で戦争が始められ、国会は戦争を止めることができないことを意味した。
 軍部が天皇の名のもとに政治に介入し、独断で戦争を始め、日本国民を否応なしに引きずり込んでいった。
 「現実に即して、九条を改正せよ」
 こう言う人がいる。しかし、現実に日本が70年間、平和であり続けることに比べると、そのような主張は、仮定や憶測にもとづくものでしかない。
「積極的平和主義」というのは、構造暴力を除去して「積極的平和」を追及するという考えのもの。そこらでは、あらゆる暴力から解放された状態が目ざされる。
 これに反して、安倍首相の言う「積極的平和主義」というのは、まったく似て非なるもの。世界秩序を維持するために、積極的な役割を担う。その際には、武力行使も辞さないというもの。
戦争は人殺し。日本人の税金で生活している在日米軍兵士がアフガニスタンやイラクなどへ出かけていき、日本で殺人訓練を受けて、戦場でそれを活かしている。このようにして日本人は、間接的に戦争に加担している。
古今東西、そもそも軍隊は、住民や国民を守るものではない。日本軍がアメリカ軍と行動を共にすることによって、アメリカの敵は日本の敵になり、日本は今まで以上に攻撃されやすくなる。
 軍隊はテロ攻撃を防ぐことも出来ない。
 集団的自衛権の行使を容認し、そのための法制化をすすめようとする安倍政権は、一刻も早く退陣してもらう必要があります。日本の平和な社会、女性も若者も、すべての人々が安心して毎日を生活できるようにするためです。軍事(兵器と兵士)で平和を守るなんて、まったくの幻想です。
(2014年8月刊。1200円+税)

2014年9月22日

歩いて行く二人


著者  岸 惠子・吉永 小百合 、 出版  世界文化社

 パリのセーヌ川のほとり、ノートルダム寺院(カテドラル)をバックとして、岸恵子と和服姿の吉永小百合が並んで立つ写真が本の表紙になっています。
 私は「キューポラのある街」以来のサユリストです。この映画は1962年制作といいますから、なんと50年前です。私はまだ高校生のころです。
吉永小百合は、先日も映画「不思議な岬の物語」でモントリオール映画祭で受賞し、フランス語でスピーチをしました。すごい女優です。ますます好きになってしまいました。
そんな吉永小百合が24歳のとき、失恋して、単身フランスに渡ったといいます。誰でしょう、かの吉永小百合を振り切って別の女性と結婚しただなんて・・・。
 吉永小百合は反戦・非核のために声を上げてきました。今では原発なくせの声も高らかに叫んでいます。これまた、拍手・喝采です。この本のなかにも、何回も、その主張が展開されています。地道に、いつでも、どこでも核兵器や原子力発電所をなくそうという声を上げつづけている、その姿勢に心がうたれます。
 もう丸2年も、私はパリに行っていませんが、岸恵子の豪華なアパルトヘイトマンをふくめて、素敵なパリの写真がたくさん紹介されていて、楽しい対談集になっています。
 私は大学生のときから長くフランス語を勉強していますので、なんとか日常会話の最低レベルはこなせるようになりました。ところが、岸恵子によると、そのフランス語には4種類あるというのです。
 インテリや文化人が話す言葉、ブルジョワジーの言葉、プチブルの言葉、労働者の言葉。言葉を聞けば、すぐに違いが分かる。この人は、どういう家庭に育ち、この人は、どんな教育を受けてきたのか・・・。いくら隠しても分かる。
 では、私が学んでいるフランス語はこのどれなのでしょうか・・・。
自分が願うことを声に出したいと思っている。憲法のことも、九条があるから、日本はほかの国で人を殺さないですんでいるわけだし・・・。もし、世界中に九条が広がれば、それこそ核兵器だけではなくて、戦争がなくなる日が来るかもしれないという望みをもって・・・。
 日本は核武装をすべきかどうか議論するよりも、日本だけは核アレルギーでずっといて欲しい、いるべきだという思いがある。
やっぱり、日本ではもう原発はやめてほしい。地震の多いこの国は危険がいっぱいだし。故郷に帰れない福島の人々の現状をみていると、多少不便でも、すべてを電気に頼っていなかったころの生活に戻したほうがよい。その覚悟をもたなければと思う。
 経済のためになる原発は不可欠という発想は、もうやめたほうがいいと思う。
 安倍首相がトルコに原発を売るというけれど、それより前に、まず今の福島のトラブルを、トラブルをおこしている原発をきちんと収めてもらいたいと切に思う。
 日本政府が、核廃絶の署名に賛同しなかったのはおかしい。
 みんながあきらめてしまう前に、「私はこう思う」という声を上げていくことが大事だと思う。
 広島の原焼資料館の声のガイドはやらせてもらった。
 中国と日本はいろんなことで交流してきたのに、尖閣諸島問題で、いさかいをするというのは悲しい。どんなときでも、文化の交流を絶やしてはいけないと思う。
 一方で、恋に走りそうになる私がいて、それを、いっちゃいけないと止める私もいて・・・。
 皆さん、ぜひ手にとって、二人の写真と対談集を眺め、読んでみてください。心が洗われますよ。
(2014年8月刊。1800円+税)

2014年9月17日

弁護士 馬奈木 昭雄


著者  松橋 隆司 、 出版  合同出版

 福岡の現役弁護士のなかでは今や最長老となった馬奈木弁護士の活躍ぶりを、その取り組んだ事件ごとに本人がまとめて語ったという本です。
 『たたかい続けるということ』(西日本新聞社)、『勝つまでたたかう』に続く本です。160頁の薄さですし、事件ごとにまとまっていますので、すっと読むことができます。
 「ムツゴロウの権利を守れ」という裁判では、そもそも勝てるわけがない。実務家として、裁判には勝たないと意味がない。負ける結果になった裁判であっても、それは「心ならずも」であって、負けることを前提として始めた裁判は一つもない。
 水俣病裁判のとき、国側についた医師は、「自分たちは医者として中立だ」と言った。しかし、医師は、そもそも患者のために存在するのであるから、患者の立場に立たなくて、どこに立場があるというのか。医師が「自分は中立だ」と言った瞬間、それは患者の側には立たないと宣言したと同じことを意味する。
 母親の胎盤がガードしているから、胎児には毒はいかないと考えられていた。しかし、このバリアが機能せず、胎児性水俣病の赤ちゃんが生まれてしまった。それは、人間がつくり出した毒だったから。35億年かけてガードしてきたのは、自然環境のなかにある毒である。ところが、それとは違う人工の毒物なので、人体の防御機能が働かなかった。そこに、人間のつくり出した毒物の恐ろしさがある。
 弁護士は、ときには暴力団と怒鳴りあわなければならないときがある。ゴミ問題にとりくむと、暴力団が出てくることもある。そのとき、怒鳴り負けない。「声の大きさなら、おまえたちには負けんぞ!」と怒鳴る。こちらが怒鳴ったら、相手は黙る。
かつては、相手を侮辱することを弁護士の商売と考えていた。この相手は普通の事件ではなく、国や権力機関、とりわけ裁判所を相手にするときのこと。ともかく、裁判官とケンカして一本取らないといけないと思っていた。しかし、それは決して正しいことではなかった。相手を侮辱しても相手の敬意は勝ちとれない。要は、相手をいかに説得するか。相手にいかに共感しあえるか、そこが勝負なのだ。
 なーるほど、ですね。でも、裁判官とケンカすること、出来ること自体は大切ですし、必要なことです。理不尽なことを言ったり、したりする裁判官に対しては、その場で反撃しなければいけません。そのときに、侮辱的な言動をしてはならないということなのです。
 公害発生源企業(加害企業)が裁判に負けたとき、被害者・患者に対して土下座することがある。しかし、それは本当に本心からお詫びし、反省したのか。口先だけ、マスコミの手前の格好だけで頭を下げても、何の解決にもならない。世間から「もう許してやったらどうか」という同情を狙っているにすぎない。必要なのは、本当の意味で謝ること。それを明確にしたスローガンが、じん肺裁判の「あやまれ、つぐなえ、なくせ、じん肺」である。
 この点は、私も本当にそうだと思います。
 ハウツー本によれば、企業幹部は、謝罪すると腰を何度に曲げて頭を下げ、それを45秒間続けることと、されているのです。マニュアルどおりの謝罪に、本心は感じられません。
裁判官のなかには、何が何でも国を負けさせてはならない。国を勝たせるべきだと頭から思い込んでいる人が少なくない。これは、いかんともしがたい事実だ。
 これは、本当に私の実感でもあります。正義と良心を貫くには勇気がいります。ときには、いくらか俗世間の誘惑を拒絶する覚悟もいるのです。そんなことの自覚のないままに流されている裁判官が、なんと多いことでしょうか・・・。
 「国の基準を守れば安全だ」という論理は、3.11福島原発事故によって完全に破綻している。しかし、今なお、「原発神話」にしがみついている行政、官僚、司法界とマスコミの人々、そして企業サイドが、いかに多いことでしょうか・・・。
 馬奈木弁護士の今後ひき続きの健闘を心から期待します。ぜひ、皆さん、気軽な気持ちでお読みください。
(2014年9月刊。1600円+税)
 雨の日が多い夏でしたが、いつのまにか秋の気配が濃くなりました。稲穂が垂れ、畔には彼岸花が立ち並んでいます。
 連休に庭の手入れをしました。いま一番は朝は純白で、夕方になると酔ったように赫くなる酔芙蓉の花です。
 庭のあちこちにリコリスが咲いています。紅ではなく、純白なクリーム色です。すっと立つ姿は気高いりりしさを感じさせます。
 ナツメの実がたくさんなっていました。高いところにあるので、枝ごと切り落としました。ナツメ酒をつくろうと、日干しすることにしました。
 ヘビが庭をうろうろしていますので、ジャガを整理して、すっきりさせました。
 そろそろチューリップの球根を植える時期です。ツクツクホーシという夏の終わりを告げるセミの声が秋風のなか響きわたりました。

2014年9月10日

世界の「平和憲法」新たな挑戦


著者  笹本 潤 、 出版  大月書店

 日本国憲法9条は「古臭い」どころか、紛争の絶えない現在の国際社会のなかで、ますます光輝く、希望の星になっています。いえ、ひとり日本人の私だけがそう思っているのではありません。9条の存在を知った世界中の心ある人たちが、自国にとり入れようとしているのです。そんなときに9条をなくしてしまおうとする安倍政権は反動的というより、犯罪的だと言わなければなりません。一刻も早く、退陣してもらう必要があります。
 紛争の絶えない中東米諸国では、政権の交代や紛争の終結などをきっかけとして平和憲法がつくられていった。軍隊を廃止したコスタリカ憲法(1949年)も、60年の歴史をもって生命力を発揮している。
 著者は半年間、コスタリカに留学したとのこと。偉いですね。尊敬してしまいます。
 2009年6月、ベトナムのハノイで開かれた国際民主法律家協会の大会では、「日本の9条を各国でとり入れていこう」という方針が採択された。
 国際的な紛争や問題を軍事力で解決してはいけない。だからこそ、9条を守って自衛隊を海外に派兵させないことが大切である。
 国際的な平和運動で、最初に日本の9条が取りあげられたのは、1999年にオランダで開かれた「ハーグ平和市民会議」でのこと。このとき、各国議会は、日本国憲法9条のような、政府が戦争をすることを禁止する決議を採択すべきだと明記された。
 そして、2008年5月に、日本の千葉「幕張メッセ」で「9条世界会議」が開かれた。予想をはるかにこえる2万人もの人々が集まった。海外からも100人以上の参加があった。
 コスタリカの隣国のパナマでも、軍隊を廃止する憲法が1994年にできた。
 2008年、エクアドルで、外国の軍事基地を認めない新憲法が国民投票で制定された。
フィリピンの1987年の憲法は外国軍事基地の撤去と核兵器の保有を禁止した。そして、1991年にアメリカのクラーク空軍基地、スービック海軍基地がフィリピンに返還された。現在、スービック海軍基地跡は商業地域になって、経済的に繁栄している。
 韓国の憲法は国軍の存在を認めている。そこで、武力行使に限界がない。韓国軍が、アメリカのベトナム侵略戦争に加担し、内外に大きな悲惨を生じてしまったことは、よく知られていること(多くの若者は知らない・・・?)でもあります。
 軍隊をもたないコスタリカは教育を重視している。憲法には教育費をGDPの6%以上にすべきだ。日本の教育費は、わずかGDP比で3.3%に過ぎない。許せない低さです。
真面目な弁護士による、至って生真面目なケンポーの話です。世界のなかで日本の憲法9条が高く評価されていることがよく分かる本でもあります。
(2010年10月刊。1600円+税)

2014年9月 3日

憲法主義

著者  南野 森・内山 奈月 、 出版  PHP研究所

 まことに失礼ながら、実は、あまり期待せずに読みはじめたのです。そこらの若いオネーチャンに、大学の先生が難しい話をして煙に巻く・・・、なんてことまでは、さすがに思いませんでしたが・・・。
 ところが、AKB48の一員という女子高生(今は、慶応大学生)の受け答えが、実に明確で講義する南野教授とのからみあいも絶好調で、話がスムーズに進行していくのです。聞き手の良質な受け答えがあるため、南野教授も大いに乗って話が弾みます。
 あまりにポイントを突いた指摘がありすぎて、つい、この女性(ひと)は、本当に歌手で、高校生なのかしらんと、疑ったほどです。まあ、皆さん、私に騙されたつもりで、ぜひ手にとってこの本を読んで、憲法の本髄をつかんでくださいね。
 内山さんという女性(ひと)は、なんと、日本武道館のコンサートで、憲法48条と100条を暗誦したというのです。ええっ、48条と100条って、何が書いてあるんでしたっけ・・・。
 48条  何人も、同時に両議院の議員たることはできない。
 100条 ①この憲法は、公布の日から起算して六箇月を経過した日から、これを施行する。
 実は、私も南野教授と変わらず、AKBのことをほとんど知りません。その歌を聞いたこともなければ、彼女らの姿を見たこともありません。新聞記事で「総選挙」なるものがあることを知っているだけです。私は新聞の芸能とスポーツ欄を読むことはありません。
 この本が読みやすいのは、重要なところは赤エンピツでアンダーラインが既に引いてあることです。先手を打たれています。そして、ところどころに、内山さんの手書きと思われるノートがあって、これまた復習の要点(ポイント)が明示されていて、理解を助けてくれます。
 明治憲法には違憲立法審査の制度がなかったというのを初めて認識しました。そして、明治憲法の下では、違憲の法律があったかどうか、はっきり分からないというのです。
 もちろん、現行憲法には、法律が憲法に適合しているのかどうか審査する条文があります。この始まりは、1803年、アメリカの最高裁判所が言い出したこと。
 何が人権なのか、何をもって人が生まれながらにしてもっている権利とするかは、実は、すごく難しい問題だ。
 人権を脅かす国家を倒して、あるいは、そこから離れて新しい国家を設立する。そのときに書かれたのが憲法。だから、憲法の目的は人権を保障することにある。
 立憲主義とは、権利を保障するために国家権力を分立する。そうすることによって、国家権力を制限するというもの。
 法律は一般の人々を相手にするもので、憲法は国家権力を相手にしている。
 憲法を守らなければいけないのは国家権力。一般人、国民は法律を守らなければいけない。国民は憲法によって縛られる存在ではない。だから、99条に国民は入っていない。
日本の政治はうまくいっていないかもしれないが、仕方がない。民主主義は、決して最高の政治体制ではないけれども、民主主義よりましなものはない。
 集団的自衛権の行使容認を閣議決定で安倍首相は強行しました。この本は、その直前に書かれています(発行は7月29日ですが・・・)。そこで、次のように指摘されています。
 これまで国家権力ができないとしてきたことを内閣の解釈でできるとするのは非常に危ない。国家権力を縛る憲法を、国民の判断を経ずに弱めることになるから。
 南野教授の講演を聞いたことがありますが、とても明快・平易で、爽やかでした。この本が若い人に広く読まれることを心から願っています。
(2014年8月刊。1200円+税)

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