弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

司法

2014年3月29日

憲法改正のオモテとウラ


著者  舛添 要一 、 出版  講談社現代新書

 今や東京都知事である著者が、野に下っていたときに書いた本なので、自民党を激しく批判しています。なにしろ、自民党から「除名」されたのですから、批判するのも当然です。ところが、この本が出るころには、自民党推薦で東京都知事候補になっていたのでした。ですから、報道によると、この本でも批判のトーンが当初よりも緩和されているといいます。
 それでも、自民党の改憲草案と鋭く批判しているところは、幸いに残っています。
憲法改正とは、政治そのものである。これは、私も、まったくそのとおりだと思います。
 立憲主義を分かっていない国会議員に任せて大丈夫なのか・・・。
 これまた、私も同じで、大きな不安感が募ります。
著者は、自民党の改憲草案(第一次)のとりまとめの責任者だった。
 ところが、第二次草案を一読して驚いた。右か左かというイデオロギーの問題以上に、憲法とは何かについて基本的なことを理解していない人が書いたとしか思えなかった。
先輩が営々として築いてきた、過去における自民党内の憲法論議の積み重ねが、まったく生かされていない。
 憲法とは、国家権力から個人の基本的人権を守るために、主権者である国民が制定するもの。つまり、法によって権力を拘束するもの。
 「個人」を「人」に置きかえてしまうと、「人」の対極は犬や猫といった動物のこと。「個人」のような「国家権力」との緊張感はない。
 家族構成員間の相互扶助などは、憲法に書くべきようなことではない。
 自民党内部でも、それなりに意見交換していた。自民党内の独自派は、中曽根康弘、安倍晋三の両氏のみ。協調派は、宮澤喜一、橋本龍太郎、与謝野馨、福田康夫であった。
 自民党内で改憲草案を作成するに至る政治の動きがよく分かり、面白く思いました。
(2014年2月刊。900円+税)

2014年3月20日

パワハラに負けない


著者  笹山 尚人 、 出版  岩波ジュニア新書

 とても分かりやすい、労働法の入門書です.大学生向けの教科書として、広く普及できたら、日本は、もっとまともな国になるのではないかと思いました。
なにしろ、今の自民・公明政権は財界言いなりで、労働者の使い捨てをギリギリすすめていますから、労働者の権利なんて絵に描いた餅ほどの軽さでしかありません。ひどい社会です。そんな社会だから、秋葉原事件や食品工場での毒物混入事件が起きるのではないでしょうか。中国の毒入りギョーザ事件も同じだと思います。
自分が大事にされていると思わない労働者は、追い詰められたら、とんでもないことをして社会に報復してしまうのです。もっともっと、働く人を大切にする社会にする必要があります。
 それにしても、この本は読ませるストーリーになっています。まだ40代の若手(中堅)弁護士ですが、これで何冊目なのでしょうか。読みやすさと、解説の深さに息を呑んでしまいそうになります。
 主人公は、望まずして労働弁護士になった阿久津弁護士です。パワハラ事件の相談を受け、裁判を担当するなかで、事件と先輩弁護士たちに鍛えられ、物の見方がぐんぐん変わっていき、人間としても大きく成長していく姿が生き生きと描かれています。そして、話の途中では、なんと、自分自身がパワハラの加害者になったというエピソードまであるのです。心憎いばかりの筋立てです。いやはや、完全に脱帽です。
労働契約とは何か、が語られています。
 労働者は奴隷ではない。だから、対等の立場で契約する。これは、口で言うのは簡単ですが、実践するとしたら、それこそ血のにじむ思いをせざるをえなくなります。
 日本にはブラック企業が現に多く存在している。使用者と労働者が、まるで昔の殿様と家臣のような関係になっている。これは、おかしい。明らかに法律の考え方に合致していない。
身の危険があるようなら、労働者は、たとえ業務命令であっても就労義務は負わない。これは、千代田丸事件についての1968年12月の最高裁の判例。
パワハラ事件では、ICレコーダーによる録音が決め手になることがある。
 民事訴訟では、音声記録が相手の承諾を得ていないから証拠としての価値がないとされることはない。パワハラの被害者は、自分が今まさに人格の崩壊をさせられようとしているのだから、自分の身を守る手段として録音するのは、必要やむえをえざる対抗手段なのだ。
 まことに、そのとおりだと私も思います。大変基本的で大切なことが盛り沢山の入門書です。若手弁護士、そして子どもたちに大いに読んでほしいものです。
(2013年11月刊。840円+税)

2014年3月18日

法の番人・内閣法制局の矜持


著者  阪田 雅裕 、 出版  大月書店

 第61代の内閣法制局長官だった阪田雅裕弁護士に、愛知県の川口創弁護士がインタビューして出来あがった本です。テーマが憲法9条と集団的自衛権ですので、どうしても難しくなりがちなのですが、問答形式の本ですので、かなり分かりやすくなっています。
 内閣法制局が憲法を守ること、政府(権力)には憲法の縛りがかかっていることをよくよく自覚して法令の解釈をしてきたことが、実感をもって伝わってきます。
 ある意味で、それは綱渡りのような解釈作業なわけですが、憲法の下ですべてを統制するという使命感にあふれていますので、その言いたいことがよく伝わってきます。
 安倍首相が任命した小松一郎長官は、国会での答弁において、憲法の文言自体を何回も言い間違えていましたが、本来、そんなことはありえないことも、よく分かります。
小松氏は辞任後まもなく病気(どこかの癌です)にかかってしまいましたので、こんなストレスの多い長官職なんか就任すればいいと私も思いますが、それを指摘した共産党議員に対して、ムキになって言い返したと報道されました。よほど人間が出来ていない長官のようです。残念ですね・・・。
 著者は護憲の立場から9条を守ろうという主張ではない。一貫しているのは、立憲主義を守るという観点である。
 著者は、東大法学部を卒業する前に、国家公務員の上級職試験と司法試験の両方に受かり、大蔵省に入省した。これは、超エリートのコースですね。
 大蔵省に入って、いくつか出向して、アメリカなどにも留学したあと、15年目に内閣法制局に移った。内閣法制局には、生え抜きはいなくて、15年ほど官庁に勤めた人が入ってきて、参事官となる。参事官は、専門性をもったスタッフとして働いている。70人あまりの構成のうち、30人以上が部長、課長、参事官という構成である。
 内閣法制局は、審査事務と意見事務を扱う。法律どうしが、お互いに矛盾せず、全体として整合性が保たれているかをチェックする。
 法案の素案が出来ると、その省庁の担当者とチェックする。3時間では終わらず、少なくとも半日はかける。
内閣の閣議のときにも、法制局長官は陪席する。他には、官房副長官が3人のみ。国会で首相が答弁するときにも、法制局長官は、すぐうしろに控えている。
 法制局長官は、質問に対しては、ともかく答える。答えるのが、長官としての最低限の責務である。ただし、国会の質疑は、良く聞いて理解しようというものではない。
たまたま、ときの政権が違う考え方もあるからと言って変えてしまえば、逆に戻してもよいことになり、あってないようなものになる。
憲法9条は縛りとして現に機能してきた。ベトナム戦争でもイラクだって、9条によって犠牲者を出すことがなかった。
 国連の集団安全保障措置であっても、それが武力行使にあたる行為であれば、憲法9条が禁止している。
自衛隊の役割は、外国から侵略があったときに排除するということ。だから、武力攻撃がわが国に対して加えられることが大前提になる。この武力攻撃というのは、わが国の領土に対する攻撃が想定される。集団的自衛権をいうのなら、アメリカ本土に対して武力攻撃が加えられたときと言ったほうが、分かりやすい。
 しかし、アメリカ本土を攻撃するような国が、現在、考えられるのか・・・。そのとき、日本の自衛隊が出ていって、本当に役に立つのか。日本は本当に守れるのか。
 集団的自衛権というのは、個別的自衛権とは違って、非常に新しい概念である。戦後に、国連憲章51条で初めて登場したものの、この集団的自衛権というのが実力行使に限られることがはっきりしてからは、その行使は一切出来ないという解釈に内閣法制局は固まった。
 集団的自衛権の行使は国際法上の義務ではないので、国際法と整合性である必要はないというのが従来の政府の立場だ。
憲法規範というのは、一内閣がこうしたいと思ったからといって変えられる性格のものではない。憲法の枠内で動くのでなければ立憲主義は成り立たない。
 気に入らなければオレたちはこう解釈する。なんていうことは許されないのです。
(2014年2月刊。1600円+税)

2014年3月13日

絶望の裁判所


著者  瀬木 比呂志 、 出版  講談社現代新書

 最高裁中枢の暗部を知る元エリート裁判官、衝撃の告発。これが本のサブタイトルです。著者は私より5歳だけ年下の元裁判官です。現役時代から、たくさんの本を書いていましたが、今回は、裁判所の内情は絶望的だと激しい口調で告発しています。
 市民の期待に応えられるような裁判官は、裁判所内で少数派であり、また、その割合はさらに減少しつつある。そして、少数派、良識派の裁判官が裁判所の組織に上層部にのぼってイニシアチヴを発揮する可能性は皆無に等しい。
 訴訟当事者の心情を汲んだ判決はあまり多くない。
 日本の裁判所、裁判官の関心は、端的に言えば、「事件処理」ということに尽きている。とにかく早く、そつなく、事件を「処理」さえすれば、それでよい。司法が「大きな正義」に関心を示すのは好ましことではない。
 日本の裁判所は、「民を愚かに保ち続け、支配し続ける」という意味では、非常に「模範的」なところである。
 裁判官と呼ぶにふさわしい裁判官も一定の割合で存在することを認めつつ、裁判所のトップと裁判官の多数派については、深く失望、絶望している。
 1959年の砂川事件の最高裁判決における当時の田中耕太郎最高裁長官のとった行為、要するに当事者であるアメリカ大使に裁判所の合議の秘密を政治的な意図でもたらしたことが、ここでも大きく問題とされています。まったく同感です。これが、日本の司法の現実、実像なのである。
 著者が最高裁調査官をつとめていたとき、ある最高裁の裁判官が、「ブルーパージ関係の資料が山とある・・・」と高言したといいます。最高裁が青法協に加入していた裁判官を「いじめ」、きびしい思想統制を始めた事件のことです。「ブルー」とは青法協をさします。
 ブルーパージとは、いわば最高裁司法行政の歴史における恥部の一つ。それを大声で自慢げに語る神経は、本当にどうにかしています。しかし、最高裁の内部では、それが当たり前に堂々と通用していたのですね・・・。
 現在、多くの裁判官がしているのは、裁判というより事件の「処理」である。そして、裁判官というよりは、むしろ「裁判をしている官僚」「法服を着た役人」というほうが、本質に近い。当事者の名前も顔も個性も、その願いも思いも悲しみも、その念頭にはない。裁判官を外の世界から隔離しておくことは、裁判所当局にとって非常に重要である。裁判所以外に世界は存在しないようにしておけば、個々の裁判官は孤立した根なし草だから、ほうっておいても人事や出世にばかりうつつを抜かすようになる。これは、当局にとって、きわめて都合のいい事態である。
 石田和外長官の時代以降に左派裁判官の排除にはじまった思想統制・異分子排除システムは、現在の竹崎長官の体制の元で完成をみた。一枚岩の最高裁支配、事務総局支配、上命下服、上意下達のシステムがすっかり固められた。個々の裁判官の事件処理については毎月、統計がとられて、「事件処理能力」が問われている。
 だから、裁判官はともかく早く事件を終わらせることばかりを念頭に置いて、仕事をする傾向が強まっている。
 しかし、裁判において何よりも重要なのは、疑いもなく「適正」である。これを忘れて、裁判官は、とにかく安直に早く事件を処理できて件数をかせげる和解に走ろうとする傾向が強い。日本の裁判所の現状を、つい最近まで裁判官だったにた意見をふまえて鋭く告発した本です。
うんうん、そうだよねと深くうなずくところが大半でしたが、少しばかり視野が狭くなってはいないかと思ったところもありました。たとえば、著者は裁判官懇話会には一度も出席したことがなかったのでしょうか。
 「左派裁判官」というレッテル張りよりも、いかがなものかと私は思いました。
 要するに、親しい裁判官仲間がいなかったのかなという印象を受けたということです。大変インパクトのある本だと私は思いましたが、裁判所内部では、どうなのでしょうか。結局、変な男の変な本だとして、切り捨てられ、排除されてしまうのでしょうか・・・。
(2014年2月刊。760円+税)

2014年3月12日

統合失調症の責任能力


著者  岡江 晃 、 出版  インプレスコミュニケーションズ

 人を殺しても、責任能力がない人については無罪になることがあります。
 その場合には、刑務所ではなく、精神科の病院に収容されます。では、なぜ無罪になるのか。または、罪が軽くなるのか。その点を精神科医として刑事被告人の精神鑑定を91件も手がけた著書が、実例を通して解説した本です。とても分かりやすく、納得のできる鑑定意見だと思いました。
 精神障がい者が犯罪をおかしても罰されないというのは、昔の大宝律令にも定められている。昔の人も、すごいですよね。
起訴前の精神鑑定は、今では年間400以上ある。これは裁判員制度が始まってから急増した。その前は年に150件ほどだった。
裁判になってからの精神鑑定も年に百数十件ある。裁判で心神喪失が認められるケースは急減している。昭和40年代に19人から30人あったのが、平成12年(2000年)以降は、年にせいぜい11人で、ゼロの年もある。
 裁判所は、精神鑑定を尊重すると言いながら、実は、「検討が不十分」とか「推論過程に問題がある」などの、理由をあげて、精神鑑定の結論(責任無能力)を採用しないことがある。
 多くの精神科医は、現在の裁判所が、責任無能力をほとんど認めず、それだけ限定責任能力をみとめ、統合失調症の患者・被告人に対して厳罰でのぞむことには批判的である。
 以下は、著者による精神鑑定の実例です。
○  統合失調症が急激な重症化に向かっているとき、その精神内界に起きている重篤な精神病理は軽視すべきではない。
急激に重症化しへ向かっているときの幻覚妄想の影響力は、きわめて強いものがある。
○  本件犯行の2時間にわたって激しい興奮状態、衝動性、攻撃性を持続した。にもかかわらず、被告人の表情は終始「虚ろ」だった。そして、本件犯行直後からは、一変して、正面をボーッと見ているのみで、周囲のことに無関心な様子を示した。
緊張病性興奮とは、個々の動作の関連が失われ、意思の抑制を逸脱した衝動行動が頻発する。絶えず動き回り、大声をあげ、手当り次第に物を壊し、人を攻撃する。
 躁病性興奮とは、行為の消長が状況の影響を受けない点で異なっている。
 重症の急性増悪であっても、部分的に普通に見える言動があることは、しばしば認められる。
 このケースでも刑務所に収容されたら、著しく急速に悪化したと考えられる。ただし、精神科の病院で専門的に治療しても徐々に人格水準が低下する可能性は高く、将来は悲観的にならざるをえない。
 統合失調症と責任能力について、著者は次のようにまとめています。
 重症の統合失調症患者は責任無能力である。中等症ないし軽症の統合失調症だと、限定責任能力が認められる。
 中等症ないし軽症であっても犯行が幻覚妄想に関連なく、人格変化も軽症なら、完全責任能力もありうる。
 予後として重症化(とくに人格水準の低下)が予測されるならば、それは情状として主張すべきことである。
 実例を通した解説なので、とても実践的な解説書になっています。
 
(2013年11月刊。1800円+税)

 日曜日の午後、庭で草いじりをしていると、ふと何か気配がしました。頭を上げると、つい2メートルほど先の枝に小鳥が留まって、私を見ているのでした。あれっ、ジョウビタキのようだけど、ぷっくらした茶色のおなかじゃないし、変だなと思いました。あとで図鑑を見てみると、メスのジョウビタキでした。背中に、白い斑点が2つあります。ずっと私のまわりを、「見て、見て」という感じでちょんちょん飛びまわっていました。いよいよ3月も半ばとなり、お別れの挨拶にやって来てくれたのでしょう。
 梅の花が終わりかけ、モクレンの白い花をあちこちに見かけます。小さなランプを、たくさん天に突き出した格好で、まるで豪華なシャンデリアです。

2014年2月26日

実践・訴訟戦術


著者  東京弁護士会春秋会 、 出版  民事法研究会

 これはタイトルどおりの本です。とても実践的な、訴訟をすすめていくうえで役に立つノウハウが満載です。初心者や若手だけではなく、ベテラン弁護士が読んでも、そうか、そういう手があったのかと、おもわず膝を叩いて反省されるような本なのです。この本を読まないと損しますよ。
とても実践的な本であるというのは、読みやすく、分かりやすく、具体的であることにもよります。若手・中堅・ベテランが新人弁護士の疑問にこたえていく座談会方式なので、しかも、答える三者が微妙に違う答えをしたりするところが、また面白いのです。
 座談会方式の本は、ともすれば散漫に流れやすいのですが、そこはうまく編集されていて、ぴしっと締められています。
訴訟の勝敗は間接事実で決まる。間接事実を主張するなかで、どちらが人間性、人情的なものの裏付けがあるか、という点も重要である。司法は、単なる機械的な判断ではなく、裁判官という人間が裁くものであり、最後によりどころとなるものは人間性なのである。
訴訟は勝訴するにこしたことはないが、依頼者が訴訟を通じて紛争についてどのように納得して終了したか、ということも大切。
この本にも内容証明を出すことが第一歩と書かれています。しかし、私はもう20年以上も内容証明を出したことはありません。すべて配達証明です。形式の制約がありませんし、証拠も同封できるからです。
 内容証明は電子郵便でも出せますが、形式があまりに窮屈すぎます。なぜ、配達証明のことが書かれていないのか、不思議です。
弁護士からの内容証明は、FAXで回答する。これは、私も同意見です。もちろん。郵送することもありますが、準備書面だってFAXでやりとりしているのですから、FAXで回答するのに何のためらいもありません。
 内容証明を出すとき、依頼者の主張に裏付けをとるべきか議論されています。私は、その主張が、話を聞いていて、もっともだと思えたら、あえて裏付けをとるまでもなく、相手方へ書面を送っています。
 説明しているのに、法外な金額に固執する依頼者については、そもそも受任できない。ともかく自分の主張に固執しすぎている人には要注意。さっさと辞任したほうが、あとでストレスを抱え込まないための秘訣ですね。税法上の理由から、連帯保証債務で和解するときには、残債免除ではなく、「連帯保証契約を合意解除する」という条項を入れるべき。うむむ、これは知りませんでした・・・。
 家事調停の申立書には、あとで話し合いをまとめるためにも、あまり感情的なことは書かないほうがよい。
 紛争の当事者はカッカしていることが多く、相手を言葉でやっつけてほしいと注文をつけてくることが多いのですが、それに乗らないように注意します。
 訴状は、費用をもらって1ヵ月内、遅くとも3ヵ月内には裁判所に提出する。
そうですよね。簡単な訴状なら1ヵ月以内に出すべきです。
 訴状には、淡々と事実を語ることが大切。そして、要件事実を落とさない。
 スーツ、ネクタイは必須。靴も重視される。ただし、一番大切なのは清潔感だ。
 法廷で発言するときには、立って行う。そのほうが裁判官や相手方が聞こえやすい。
 感情的にならない。代理人が本人化しないように注意しておく。
最終準備書面は非常に意味がある。尋問にどんな意味があったのかを説明する。そして、裁判官が判決を書きやすくしてあげる。
 不利な証拠は出さない。弁護士は、嘘は言わないけれど、本当のことをすべて言うわけでもない。証拠の提出にあたって、立証責任を意識することは、まずない。
 弁護士はベストを尽くすことが大切。裁判官がどんな心証をもっているかは、基本的に分からないのだから、立証責任の有無にとらわれず、主張・立証を尽くすべき。
尋問は事前準備がすべて。依頼者に「陳述書を読んでおいて」ではダメ。一緒に読み合わせをする。尋問テストは何回でもする。当日も、午前中に尋問テストをする。
 これは、いかがなものでしょうか。私は、前日は記録一切を読まないようにお願いしています。ここで何を言うべきか、何と書いてあったか思い出そうとする一瞬の間があくことを恐れるからです。
 尋問するときには、あとで調書になったとき、読みやすくなるように意識しておく。なるべく上品に、丁寧に質問する。子どもに言って聞かせるような感じを心がける。
 反対尋問では総花的質問であってはならない。深追い、ダメ押しはしない。
 弁護士にとって、法廷は演じる場所、パフォーマンスの場である。基本的に淡々と質問していてもクライマックスでは声を大きくする。
 最後のあたりに、辞任と解任の実践上の違いが論じられていますが、もらっていた着手金を返すのか、全額なのか、半額なのか。悩ましいところです。
 早く完全に縁を切りたいときには、もらった実費もふくめて全額返却することもある。
 本当に、そのとおりです。ぜひ、あなたも手にとって読んでみてください。
(2014年2月刊。2300円+税)

2014年2月 6日

こんなとき、会社は訴えられる!


著者  渡辺 剛 、 出版  中央経済社

 熊本の若手弁護士による、中小企業の経営者向けの分かりやすくて実践的な、「被告」にならないための心得を解説した本です。
 弁護士の文章にしては実に明快で、実践的なのに驚嘆して読みすすめました。そして、最後の「著者紹介」を読んで、なるほど、と納得しました。
 著者は、もともと名古屋大学の経営学部で経営組織論を専攻していたのです。そのうえ、顧問会社に対する経営指導をしたり、商工会議所で中小企業経営者を対象とする法律セミナーを担当してきた経験が本書に生かされているのでした。
 そんなわけで、本書は中小企業の経営者が裁判で「被告」として訴えられないための「リスクに気づく能力」を高めるための本なのです。
中小企業の経営者にとって、知らないうちに訴えられ、費用や労力、時間をさかれるというのは最悪の事態。そんな費用・労力・時間は社会の経営に役立てるべき。社長が「リスクに気づく能力」を身につけ、リスクの発生可能性を最小限に抑えることは、これからの訴訟社会においては欠かせないもの。
 本書の目的は、法律の勉強ではなく、企業の利益を防衛するために必要な「気づく」センスの向上にある。
 大事なことは法律に何と書いてあるかを学ぶことではない。そんな細かいことは専門家にまかせたらよい。専門家に相談すべきことが目の前に起きているかどうか、この判断ができたら、経営者としては十分なのだ。
 裁判は生き物だと言われている。そして、裁判はそれ自体で、会社にとって損失が生じている。裁判にたとえ勝ったとしても、かかった時間や労力は回復できないし、弁護士費用なども、基本的にはすべて自腹になる。
 客からのクレームは正当なクレームなのか、単なる金銭目的のクレーマーなのか、その見きわめが求められる。
 問題社員を解雇するときには金曜日の夕方に呼び出し、人事役員と弁護士が同席のうえ、解雇通知書を手渡す。そのうえで、解雇通知を渡して解雇したこと、月曜日に自主退職する意思があるときには、それを受けて解雇通知は撤回することを告げる。このとき、解雇通知書には、そのまま裁判所に提出できるくらい詳しい解雇理由をあげておく。
 金曜日に言い渡すのは、土日をはさむことで、家族や第三者に相談して考える時間を与えるため。いずれにせよ、解雇するための段取りは事前に十分に検討しておいて損はない。
 わずか200頁たらずの本ですが、経営者のセンスみがき、リスクをいち早く発見し、どう対処したらいいか、いつ専門家に相談するかを身につけるのに格好の本となっています。
 私にとっても勉強になりました。ありがとうございます。
(2013年12月刊。2200円+税)

2014年2月 4日

「反省させると犯罪者になります」

著者  岡本 茂樹 、 出版  新潮新書

 私も長く刑事被告人(被疑者)とつきあってきましたが、上辺だけの意味があるのが、崩壊的でした。ですから、反省文というのを押しつけたことはほとんどありません。新兄弟への手紙を書くようにすすめていますが・・・。
 この本のタイトルは、あまりに刺激的なので、よくあるキワモノ本かもしれないなと、恐る恐る手にとって読みはじめたのでした。すると、案に相違して、私の体験にぴったりくる内容ばかりなので、つい、「うん、うん、そうだよね」と大きくうなずきながら、最後まで一気に読みすすめてしまいました。
 著者は大学教授であり、刑務所でスーパーバイザー・篤志(とくし)面接委員です。
 反省させると、悪い受刑者がさらに悪くなる。それより、否定的感情を外に出すこと。それが心の病をもった人の回復する出発点になる。
 犯罪は、人間の心の中にある「攻撃性」が表出したもの。自分が起こした問題行動が明るみに出たときに、最初に思うことは、反省ではない。
 悪いことをしたにもかかわらず、重い罪は受けたくないというのが被告人のホンネ。
 裁判という、まだ何の矯正教育も施されていない段階では、ほとんどの被告人は反省できるものではない。
 人は、自分がされたことを、人にして返すもの。優しくされれば、人に優しくすることができる。思春期の親子関係のなかで素直さを失った子どもは、大人になっても、周囲のものに素直になれない。反省文を書かせることは危ない方法なのだ。反省は、自分の内面と向きあう機会を奪う。
子どもの問題行動は歓迎すべきもの。なぜなら、問題行動とは、「自己表現」の一つだから。問題行動を起こしたときこそ、自分のことを考えるチャンスを与えるべき。寂しさやストレスといった否定的感情が外に出ないと、その「しんどさ」はさらに抑圧されていき、最後は爆発、すなわち犯罪行為に至ってしまう。
 被害者の心情を理解させるプログラムは、驚くべきことに、再犯を防止するどころか、再犯を促進させる可能性がある。それは、自己イメージを低めさせ、心に大きな重荷を背負わせることになるから。自己イメージを低くしていくと、社会に出てから他者との関わりを避け、孤立していく。そして、孤立こそ、再犯を起こす最大のリスク要因となる。
 孤立とヤケクソがセットになると、大きな事件が起きる。
 刑務所で真面目につとめることにこそ、再犯に至る可能性をはらんでいる。自分の感情を押し殺し、心を開ける仲間をつくらないまま、ただ刑務官のいうままに、真面目に務めることによって、出所していく受刑者はどうなるだろうか・・・。彼らは抑圧している分だけ、「パワーアップ」して出所していく。社会に出しても、常に他者の目を気にする人間になる。そして、容易に人間不信となり、人とうまくつきあって生きていく意欲を奪ってしまう。
 単調な毎日を漫然と過ごすだけの受刑者にとって、被害者のことを考えるのは、もっとも向き合いたくないこと。まじめに務めていることで積みを償っているのに、なぜ、被害者のことまで考えなくてはいけないのか。これが、身勝手だけど、受刑者の言い分なのだ。
架空の手紙を書くロールレタリングは、反省の道具として使われていて、うまく活用されていない。
 抑圧していた感情を吐き出すことによって、はじめて相手の立場というものを考えられる。まずは、心のなかに抑圧されていた感情を吐き出して、一つひとつ気持ちの整理をしていくことが必要なのだ。
受刑者は、例外なく、不遇な環境のなかで育っている。受刑者は、親などから大切にされた経験がほとんどない。彼らは孤独がこわいので、居場所を求めて人と群れたがる。しかし、そこはたまり場でしかない。居場所とは、本来、ありのままの自分でいられるところ。なぜ、他者を大切に出来ないのか。それは自分自身を大切にできなくなっているから。自分を大切にできない人間は他者を大切にすることなどできない。自分を大切にできるからこそ、他者を大切にできる。
 自分を大切にできないのは、自分自身が傷ついているから。自分が傷ついていることに鈍感になっていたり、麻痺していることがある。自分の心の傷に気がついていない受刑者の心の痛みなど理解できるはずがない。
 真の反省とは、自分の内面とじっくり向きあった、結果、最後に出てくる謝罪の心。反省は最後なのだ。
よくよく納得できる本でした。
(2013年11月刊。720円+税)

2014年1月31日

管理組合物語


著者  二木 朋子 、 出版  文芸社

 マンションの管理組合をつくり、その理事会を運営していくのが、いかに大変なことか、この本を読むと本当に痛いほどよく分かります。
舞台は東京から少し離れた風光明媚なところにある、大きなリゾートマンションです(総戸数262戸)。マンションを建設した会社は、さらに大きくもうけるため、タイムシェア制を売り出し、マンションは大混雑します。そして、管理会社を設立して、そこでも法外な利益を手にするのです。
 その仕組みに不満をもつ税理士は一人たちあがろうとするのですが、仲間(同志)は簡単には見つかりません。リゾートマンションなので日常的な交際が乏しいうえ、規約上も建設会社と管理会社の意向が貫徹する仕組みになっているからです。
 負けじと立ち上がり、苦闘するなかで、共感する住民が少しずつ増えてきます。
 かと思うと、裏切り者も出てきます。自分だけ管理会社と手打ちして、有利な条件をもらうのと引きかえに昨日の友が脱落していくのでした。
 いやはや、マンションで同志を見出すって、大変なことなんですね。
専有部分と共有部分の使い分けも微妙なところがあります。
 管理会社に対抗するため、管理組合をつくり、理事会を設立します。それも大変でした。管理会社がさまざまな嫌がらせをしてくるのです。郵便だって、きちんと配達されません。宅配便も冷凍物が玄関前に放置されて、溶け出してしまうのです。
管理会社のひどさをマンション住民に訴えようとしても、あまりに「過激」だと反発を買って、みんなから敬遠されてしまうので、それなりの配慮が必要です。
マンションの修理・修繕についても、どこからお金を出すのか、誰に頼むのか、どうやって決めるのか、いろいろ大変です。それを面倒だと思って管理会社に任せっきりにすると、とんでもなく高額になったり、手抜き工事をされたりします。
 議事録作成も、なあなあで、やっておくと、あとで後悔することも起きます。むしろ理事会のメンバーはどんどん変わっていくので、きちんと記録しておかないと、みんなの記憶に頼っていたら、すべてが曖昧になってしまうのです。
 この本では、いちおうハッピーエンドで終わっていますが、実際にリゾートマンションの管理・運営の大変さ、そして、それを解決するための手順と問題点が実践的によく分かるものになっています。貴重な小説だと思いました。
(2013年10月刊。1100円+税)

2014年1月26日

新・検察捜査


著者  中嶋 博行 、 出版  講談社

 14年ぶりの書き下ろし小説とのことです。
 横浜の弁護士が江戸川乱歩賞を受賞(『検察捜査』1994年)したのには驚きました。弁護士会の内情を多少とも知るものにとってはいささかの無理もありましたが、読ませるストーリーではありました。
 今回もまた、かなりの無理はあるものの、官僚機構、そして精神医療の問題点も考えさせるストーリーとして、緊迫した展開が続いていきます。弁護士は大没落の時代を迎えている。超難関だった司法試験が骨抜きになり、弁護士人口のビッグバンが起きた。
 生き残るには競争相手を蹴落とし、限られたパイから収入を確保しなければならない。
 大手法律事務所は、依頼人をごっそり取り込むためにマスメディアを利用した派手な広告合戦をくり広げている。法律家の世界が、今や家電の格安量販店なみに、客寄せにしのぎを削っている。
 広告資金を捻出できない個人弁護士が手っ取り早く有名になるには目立つ事件の弁護士を担当すればいい。なかでも、異常犯罪は世間の注目を集めるには再興だ。
法テラスと目される「法ロビー」が登場します。
 法ロビーは、もともと法律上の紛争をかかえた市民に向けて、敷居の高い弁護士へのアクセスと手助けする公的制度だった。若手弁護士の多くは、「法ロビー」から依頼人の紹介をうけてささやかな報酬にありつき、事務所経費を工面していた。
 弁護士人口が過剰になって、いまや逆転現象が起きている。「法ロビー」は、仕事のない貧乏弁護士に依頼人を斡旋する「弁護士の職安」へと変貌している。
女性検事と警察官のコンビのようなスタイルで捜査が展開していきます。
 官僚機関のなかに特殊な部隊があるという設定です。自衛隊になら、ありうるのかなという印象をもちました。
 ハードボイルド小説として読めば面白いと思います。
(2013年10月刊。1600円+税)

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