弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

司法

2015年2月15日

弁護士ドットコム


著者  元榮 太一郎 、 出版  日系BP社

 今や日の出の勢いとも言うべき弁護士ドットコムについて、創業者である弁護士が苦労話を語った本です。
月間の訪問者は660万人。登録する弁護士は7000人、これは日本の弁護士の5人に1人にあたる。サイトに寄せられる法律相談や問い合わせは月に1万500件。
モバイル有料会員は、毎月、純増1000人というペースで増え、1年で1万人を突破した。2014年には4万人をこえた。
 登録する弁護士は、2010年6月に200人、2011年6月に3000人、2012年4月に4000人をこえた。FAXのほか電話によるアプローチをはじめると、2013年5月に6000人、2014年8月に7000人となった。
 弁護士向けの有料サービスを2013年8月にスタートした。有料会員はサービス内容によって、月2万円、3万円、5万円のプランがある。有料会員は、1年しないうちに900人をこえた。
 2014年に入ってから、赤字が長く続いた弁護士ドットコムは、採算がとれるようになった。月商ベースで前年同月比2倍の売上高となった。
 弁護士ドットコムを運営する主体となっている法律事務所は、今や弁護士28人、事務所スタッフをふくめると120人という大所帯である。
 2014年12月、弁護士ドットコムは東京証券取引所マザーズ市場に上場した。
 著者は1975年生まれなので、現在40歳(まだかな?)。弁護士になってから3年間は、東京の四大事務所の一つ、アンダーソン・毛利法律事務所に在籍した。
 しかし、退職してベンチャー企業を目ざしたのです。やはり、若さですね。
 私の法律事務所でも、一人だけ弁護士ドットコムに加入しています。それなりの反応はあるようです。
 社会がインターネットを活用している社会環境のなかで、いち早くそれを弁護士業界に生かした点で、著者には先見の明があったというべきなのでしょうね。といっても、私自身はネットを依然として見るだけなのです・・・。
(2015年1月刊。1400円+税)

2015年2月11日

憲法と沖縄を問う


著者  仲山 忠克・井端 正幸ほか 、 出版  法律文化社

 戦後、沖縄は日本国の一部でありながら、アメリカに支配されていた。しかし、このアメリカの沖縄支配は、国際法に反する、違法な軍事占領もしくは事実上の支配にすぎなかったのではないか。
 アメリカの支配下にあるとはいえ、沖縄にアメリカ合衆国憲法が適用されたわけでもない。沖縄は、「憲法番外地」だった。
 私が大学2年生のとき(1968年)、沖縄でついに主席公選制が実現し、屋良朝苗(革新)主席が誕生しました。そのとき感激を今も覚えています。もちろん、私は、そのころ沖縄に行ったことなんて、ありません。
 米軍は、住民のいなくなった土地を囲い込み、また住民を排除して、現在もある広大な米軍基地をつくりあげた。しかし、戦闘行為が終了したあとの土地取り上げは、財産権の保護を定めたヘーグ陸戦法規(条約)に違反する。
 1972年5月、沖縄は日本に復帰し、日本国憲法の適用を受けるようになった。私が司法修習生になった年のことです。それまでは、沖縄に行くには同じ日本なのに、パスポートが必要でしたし、公然たる共産党員は行けませんでした。
 日本政府は、1978年からアメリカ軍に対する「思いやり予算」をはじめた。はじめは62億円だったのが、2008年には2083億円にまでふくらんでいる。
基地で働く労働者の賃金や基地にかかる光熱費その他を、私たち日本国民の税金でまかなっているのです。沖縄にいる海兵隊は、イラクなどへの殴り込み部隊であって、日本防衛のための軍隊ではありません。それなのに、経費丸がかえなんて、とんでもないことです。
 アメリカ軍は、日本の領土内で活動しているにもかかわらず、日本の「法への支配」を受けないで活動しています。いわば「無法地帯」があるのです。
 アメリカ軍への不公平な優遇措置を定めた日米地位協定について、日本政府は一度も見直しをせず、アメリカの言いなりです。これでは、日本は完全な独立国家とは言えません。
 よく「押しつけ」憲法だという人がいますが、この不公平な現実には目をつぶって、何も文句を言いません。不思議なことです。
 アメリカ軍は、軍隊としても軍人個人としても、何ら法的責任を追及されることがない。
沖縄の弁護士と学者が共同執筆した本です。学生向けの教科書として使われることを意識した本だということもあって、大変わかりやすい内容になっています。
編者の一人である仲山忠克弁護士より贈呈していただきました。正月休みの人間ドッグのときにホテルで読みふけった本の一つです。人間ドッグは、積んどくになった分厚い本を滞貨一掃する絶好の機会なのです。ちなみに、昨年(2014年)に読了した単行本は602冊でした。それだけ、あちこちに出かけて移動時間が多かったということです。健康と経済状態に恵まれて出来たことですので、ありがたいことだと思っています。
 仲山先生、遅くなりましたが、いい本を贈呈いただきまして、お礼を申し上げます。
(2010年7月刊。2000円+税)

2015年2月 4日

「ニッポンの裁判」


著者  瀬木 比呂志 、 出版  講談社現代新書

 同じ著者による前の『絶望の裁判所』は、いささか刺激的すぎるタイトルでもあり、いくらか抵抗感がありましたが、今回は、タイトルにふさわしく読みやすくなって、日本の裁判所の抱えている問題点が鮮明になっているという印象を受けました。とは言っても、「明日は、あなたも殺人犯!!」というサブ・タイトルには、ギョギョッとされますよね。そして、唖然、呆然、戦慄、驚愕、日本の裁判は中世並み、というのにも、やや心理的に抵抗を覚えます。
 とは言うものの、私も、やる気のなさそうな裁判官にあたったり、「理論」が上すべりするだけで、事案の適正妥当な解決を考えようともしない裁判官に日々接していて、呆然として、立ちすくんでしまうことも多いのです・・・。
 裁判官は、ある種の総合的直感にもとづいて結論を出している。裁判官は、主張と証拠を総合して得た直感によって結論を決めているのであり、判決に表現されている思考過程は、後付けの検証、説明に過ぎない。
 裁判官は、訴状や双方の準備書面そして主要な書証で8割は心証を決めている。証人や本人の証言を聞かなければ判断がつかないというのは2割程度しかない。弁護士生活40年をこえた私も、この点は、きっとそうなんだろうなと思います。
 民事の判決は、必要以上に長くて読みにくいが、訴訟の肝心な争点については、そっけない形式論理だけで事務的に片付けてしまっているものがかなり多い。のっぺりとした官僚の作文である。
 裁判官を人間機械のようにみる考え方は明らかに誤りである。実際には、裁判官は、あなたと何ら変わりのない生身の人間であり、その人間性や能力が、裁判の質と内容に大きく関係する。このように、裁判官も人間であり、また、国民にとって重要な裁判ほど、裁判官の人間性に深く影響される。
 最高裁長官は、やめてしまえば、ただの人。矢口洪一のような独裁的人物でさえ、腹心の部下たちに裏切られ、退官後は大きな影響力をもちえなかった。この点は、検察とは大きく異なる。検事総長などは、まだ実質的な決定権をもっていない小僧っ子と言われるほど、検察OBたちの力は強い。
 私の同期の検事総長だった人を見ても、そうかもしれないなと思ってしまいました。
 裁判所当局は、原発(原子力発電所)訴訟について方針転換している。
 一般に、動いているものを差し止めするのには、大きな勇気と決断力が必要となる。
 福島原発事故は、客観的にみても「想定不能の天災」などでは全くなかった。
 最高裁の千葉勝美裁判官について、その権力擁護者的な姿勢は実に一貫していると、著者は厳しく指摘しています。エリート裁判官としての歩んできた裁判官について、このように実名で批判することこそ、今の日本に求められているものではないでしょうか。その点で、私は、この本と著者を高く評価します。もちろん、千葉裁判官には反論する権利があります。第三者としては大いに反論してほしいところです。
 民事保全事件の激減を著者は問題としています。この点も、私は本当に同感なのです。というのは、弁護士生活40年のうち、当初の20年間ほどは仮処分・保全事件がありましたが、この20年間は、まったく保全・仮処分事件がないのです。申し立てたこともなければ申し立てされた人の相談を受けたことも、ほとんど記憶にありません。
 裁判所に対する人々・企業の期待が激減していることの反映ではないかという指摘は、まったくそのとおりではないかと思うのです。でも、そんなことではいけませんよね・・・。
かつての法廷には緊張感があった。弁護士は、裁判官の言うことには、よく耳を傾けた。裁判官も、当事者の言い分を丁寧に聞いて、紛争の本質や背景についての見きわめ、そのために真に紛争解決にふさわしいものを考えようという姿勢があった。だから、和解でも判決でも、その結果に納得できた。
 でも、最近は、そういうことがない。裁判官は記録をきちんと読まず、和解で早く事件を片付けたいという姿勢が露骨だ。
 今の日本では、優等生の質の劣化がはなはだしい。だから、学生から裁判官になる人々の質の劣化は当然のこと。
 日本の裁判官にあまり期待しすぎてはいけないと思う一方で、やはり、裁判官らしく公正かつ妥当な紛争の解決を目ざしてほしいものだと思っている次第です。ぜひ、あなたも読んでみて下さい。
(2015年1月刊。840円+税)

2015年1月28日

脱ダムへの道のり


著者  編集委員会 、 出版  熊本出版文化会館

 熊本県の住民が川辺川ダムを苦労の末に止めた闘いの教訓を学ぶことのできる本です。
ハードカバーで、400頁をこえる大作ですので、手にとるのに少し勇気がいりました。正月休みの人間ドックのときにホテルに持ち込んで読了しました。
とても勉強になりました。とりわけ、行政とのたたかい方は、大いに参考になりました。広く、多くの国民に知ってもらいたいと思います。何事によらず、権力の横暴とたたかうためには、あきらめないことが肝心です。
川辺川ダムを建設する話がもちあがったのは、今から60年も前の1954年(昭和29年)のこと。すごーく古い話です。そして、そのときのダム計画は、水力発電を目的とするものでした。
1950年(昭和25年)ころ、五木村の人口は6000人をこえていた。ところが、1970年(昭和45年)には4000人、2007年(平成19年)には、わずか1400人にまで減ってしまった。
それは、気象災害、ダム計画がもたらした村内対立そして、展望のないまま外へ移住していったことによる。
1966年、建設省は治水を主たる目的として川辺川ダム建設構想を打ち出した。
1968年に、利水(かんがい)を含む多目的ダム構想によって、ダム反対を叫ぶ五木村は孤立化していった。国と県は、五木村を孤立化させながら、「所得」と「札束」で揺さぶりをかけた。
行政処分に対して異議申立したとき、口頭審理の申立ができる。申立があれば、法によって審査は口頭でしなければならない。
私も、公害認定審査会における口頭審査を何回も体験しましたが、これは、裁判の口頭弁論以上に面白いものです。行政とのあいだで丁々発止のやりとりができます。真剣勝負です。もちろん、そのためにそれなりの準備が必要です。
弁護団は、口頭審査申立書を農水大臣あてに送付した。その回答が来ないので、九州農政局へ抗議に行った。すると、課長や次長は「口頭審理の申立など知らない」とうそぶき、抗議団を立たせたままで応対した。次長に至っては、足を机に乗せてスポーツ新聞を読むという対応だった。そして、抗議団の一人が帽子をかぶっていると、「帽子を取れ」と高飛車に命令した。
弁護団が、行政手続は送達主義であって、裁判の到達主義とは違う。このように説明しても、農政局は、口頭審理申立書を受けとっていないと繰り返した。やむなく弁護団が抗議したあと事務所に戻ると、九州農政局の課長らが追いかけてきて、「口頭審理申立書が来ていました」と言いながら、土下座して謝罪した。
なんということでしょうか・・・。しかし、まだその次があります。今度は、口頭審理の日時・場所を一方的に指定したうえ、発言は代理人に限るとしたのです。とんでもないことです。
発言する人のための椅子は一つだけ。農政局側は十数人が机を前に座っている。そして、窓のカーテンを閉める。隣のビルからのテレビ局の撮影を妨害しようとする。それで、閉めたカーテンを開けさせた。そのうえ、農政局側は、本人の発言を許さないという。
そこで農政局の法律スタッフに「使者」という概念があるのを確認させ、弁護士が「私の使者である○○さんに発言させる」と言って、本人発言を認めさせた。結局、こうやって本人発言を認めさせていって、合計207人もの住民が口頭意見陳述を実行した。
このたたかいによって、はじめは弁護団に依頼しなかった人たちも、裁判のときには弁護団に委任するようになった。
川辺川ダムの裁判では、一審の熊本地裁では敗訴したものの、福岡高裁では逆転勝訴します。福岡高裁の井垣敏生裁判長は、第一回口頭弁論で、双方の主張をスライドなど絵を使ってするよう求めた。そこで、原告弁護団は動画を作成し、4×4メートルのスクリーンで上映し、国を圧倒した。井垣裁判長も偉いと思いますが、それにこたえた原告弁護団も見事ですね。
そのうえで、原告弁護団は、4000人の農家を調べて、その3分の2以上の同意がないことを立証するという大変な作業にとりかかったのです。土、日、祭日に農家の人たちに地域公民館に来てもらって、調査したのでした。大変な作業です。しかし、この作業を立派にやり終えたことによって、原告側の勝訴判決が得られたのでした。
住民運動とともに裁判をすすめていくときの弁護団の苦労がしのばれる本として、とても教訓にみちた貴重な本だと思いました。恵贈いただいた板井優弁護士に感謝します。
(2010年11月刊。2800円+税)

2015年1月24日

憲法を守るのは誰か


著者  青井未帆 、 出版  幻冬舎ルネッサンス新書

 今、大いに行動し、声をあげている気鋭の憲法学者による本です。
 憲法は道徳本とは違う。
 自らの人生をどう生きるかは、個人の選択に委ねられるべきこと。国家は、人の心に入り込んで、その選択に介入してはいけない。
 自民党の憲法改正草案は、憲法に定めるべきでないことを盛り込んでしまっている。
 明治憲法には、人々の自由や人権という概念や、その保障のための制度が大いに欠けていた。
 選挙で勝った「時の多数者」によって、簡単に人権規定などの思い意味をもつ憲法の規定がコロコロと変えられたら、選挙という民主的政治過程で負けてしまいがちな少数者の人権を危機にさらすことにほかならない。
 小選挙区制は、選挙区から一人しか当選しないので、振れ幅が大きくなってしまう。
 憲法9条の「キモ」は第2項にある、9条1項だけでは、武力行使の全面的な放棄にはならない。第2項があってはじめて、いかなる戦争をも放棄し、武力をもたないという我が国の憲法独自性が発揮されることになる。
 9条が規範力を及ぼした結果、他国とはひと味ちがう独自の安保政策が70年近くのあいだに積み重ねられてきた。
 日本は、関係機関と協力して、小型武器の回収・廃棄プロジェクトや、元兵士、元児童兵の武装解除・社会復帰事業などを実施してきた。
 軍縮・不拡散の取りくみへの日本による努力は、もっと広く知られてよい。
 平和的な外交の蓄積が、日本人が世界各国を観光やビジネスで訪問するとき、目には見えていないけれど、日本人の安全を保障する貴重な財産となってきた。これを改めて認識すべきだ。
いま、安倍首相が、それを根底から覆そうとしています。怖いです。
 まさしく、憲法を守るのは、私たち国民一人ひとりの声です。あきらめることなく、声を上げていきましょう。
(2013年7月刊。838円+税)

2015年1月17日

「偽りの記憶」


著者  高野 隆・松山 馨ほか 、 出版  現代人文社

 「本庄保険金殺人事件」の真相、をサブタイトルとする本です。
 八木茂被告人に対する死刑判決は誤りだと訴える弁護人による本です。この本を読むと、たしかに、弁護人の言い分はなるほど、もっともだと思わせる主張です。
共犯者の主張(自白)で、私がもっともおかしいと思ったのは、トリカブトで毒殺した被害者の体を洗って、死後硬直した遺体に革ジャンバーを着せたというところです。両手を広げたマネキン人形に革ジャンバーを着せることは不可能です。そして、死体を川に放り込んだあと、「遺体捜索」として、「放り込んだ」地点よりも上流部分を「探した」というのです。これは、まるでマンガです。常識的にみて、ありえないことが書かれた「自白」は、疑うしかありません。
しかし、裁判所は証拠を何も見ていない世間が有罪だという判定をしているなかで無罪にする勇気はありません。そこに、八木茂氏の無念があります。
 たしかに、怪しいことがありすぎます。疑わしいところは多々あります。八木茂氏は団塊世代に入るのでしょう。金融業そして居酒屋(赤ちょうちん)を営んでいました。登場してくる女性の大半を愛人にしていたというのですから、たいしたものです。
 死亡保険金の合計額が10億円というのにも驚かされます。いったんは「自殺」とされた男性について、3億円の生命保険金が支払われていたとのことです。いったい、その大金はどうなったのでしょうか。この本には、お金の流れについては触れられてはいません。
 八木茂が逮捕される半年前から、警察は「保険金殺人事件」として追及するシナリオを描いていた。
 八木茂の「共犯者」である武まゆみの取調べを担当した佐久間佳枝検事は、死刑にならないようにすると言って、武まゆみの「自白」をひき出した。
 武まゆみは、2年もの勾留生活について、大学ノート10冊の日記をつけた。取調状況などがつづられているノートだ。
佐久間検事は、弁護士なんて何も実情を知らない無力な存在であることを強調した。黙秘や供述調書への署名の拒否は、かえって事態を悪くすると繰り返した。
 自分を守ってくれるはずの弁護士さえ「生命の保証はできない」というので、「このままでは死刑になる」と焦ってしまうのは必至だ。
 武まゆみは、逮捕されてからの60日間、一日の休みもなく、毎日朝から晩まで取り調べを受けた。「このままでは死刑になる」、「黙っていると、判決まで10年も20年もかかる」と脅され続けた。そして、「あなたを生きて帰したい」、「あなたが話をすれば、八木も助かるかもしれない」と検察官は武まゆみにもちかけた。
 硬軟とりまぜた検察官の戦略が、事実を否定する武まゆみの心理を大きく動揺させ、弁護人よりも目の前の佐久間検事を信頼するように仕向けた。武まゆみは、いったんは忘れていた「記憶回復」の作業を、検察官と共同してすすめた。捜査官は、武まゆみにさまざまな情報を与えて、ストーリーの獲得に協力した。
 そして検察官は、弁護人の反対尋問中に、しばしば異議に名をかりて尋問をさえぎり、武まゆみに対して質問への答えを示唆した。検察官は、尋問のあいだ、武まゆみの答え方によって、大きくうなずいたり、眉をしかめて唇をすぼめるという動作を繰り返した。弁護人の反対尋問中に、小声でボソボソとつぶやいたりもした。武まゆみも、そのような検察官の動作をうかがいながら答えていた。裁判官も、それに気がついて、「そういうことは止めなさい」と、検察官をたしなめることもあった。
 佐久間検事たちは、判決後、武まゆみに控訴をすすめたが、武まゆみは控訴せず、無期懲役刑が確定した。
 トリカブトは、微量をとり続けていると、耐性ができ、中毒量が増えて中毒は起きにくくなる。
 武まゆみ証言を裏付ける証拠物は、一点も発見されなかった。
 私は、もともとテレビを見ませんので、分かりませんが、一審判決の直前には、武まゆみの「自白」をもとにした「再現ドラマ」が放映されたとのことです、世間の下した判決が、証拠のみで裁くべき裁判所を拘束してしまったようです。
 横書で500頁近い大作です。正月休みの人間ドックのときに、ホテルに持ち込んで読みふけった本の一冊です。日本の裁判所が、本当に証拠を適切に採用して判断しているのか、心配にさせる本でもあります。それにしても、本格的な無罪弁論というのは、ここまで詳細にやるのですね・・・。脱帽でした。
(2014年11月刊。2800円+税)

2015年1月15日

日中歴史和解への道


著者  松岡 肇 、 出版  高文研

 著者は2006年まで福岡で弁護士をしていましたが、今は東京で活動しておられます。
 戦時中、中学2年生になったばかりで(13歳)、福岡の市内電車の運転手をしていました。学徒動員です。
 学徒動員って、大学生だけではなくて、中学生も対象だったのですね。そして、13歳の少年に市内電車を運転させていたなんて、ひどい話ですよね・・・。
日本は、敗戦間近となった1943年4月から45年5月までの2年間に、占領していた中国から中国人を強制的に日本へ連行してきて、土建業や金属鉱山、炭鉱や造船、港湾荷役などの重労働現場で強制労働、奴隷労働をさせていた。
 中国各地から4万人近い人々を連行してきた。年齢は、11歳から78歳まで。強制労働をさせた日本企業は35社、135事業場。北海道から九州にまで及んでいる。
強制連行・強制労働させたのは日本軍だったが、強制労働については日本の企業が加害者として関わっている。
 1995年6月から2005年9月までに日本で提訴された裁判は、12の地方裁判所で15件の裁判だった。原告数は275人、被告となった日本企業は24社。
 中国人を日本へ強制連行したのは、日本人(男性)が兵隊や軍属として召集され、国内男子労働者が急速に減少したことによる。
 何しろ古い話です。戦中のことなので、記憶が薄れてしまっています。事実の再現と確認すら困難です。
そのうえ「国家無答責の法理」というものがある。これは、戦前の明治憲法の下ですすめられた国家の権力作用については、それによって個人の損害が発生したとしても、民法の適用はなく、国の賠償責任を問うことも出来ないとするもの。
 しかし、そんな「形式論理」で原告の主張を排斥してよいものでしょうか・・・。最高裁の判決こそおかしい、無法だと思います。
 西松建設事件では、裁判こそ敗訴となったものの、西松建設側の内部事情もあって、それなりの内容で和解が成立し、現地に立派な石碑まで建立されています。東京の内田雅敏弁護士ほかの努力が実ったのです。
 村山・河野談話の見直しがいま話題になっています。日本政府は、過去、日本軍がしたひどい侵略戦争について正面から向きあって謝罪することをしていません。とりわけ今の安倍政権の開き直りはひどいものです。アメリカからも顰蹙を買っているほどです。
 松岡先生、今後ますます、お元気にご活躍ください。ありがとうございました。
(2014年12月刊。1500円+税)

2014年12月21日

勝率ゼロへの挑戦


著者  八田 隆 、 出版  光文社

 208年12月に国税局の「マルサ」が家宅捜索し、2013年3月に東京地裁で無罪判決が出た。そのとき、佐藤弘規裁判長は、次のように言った。
「今回のことで時間が過ぎ、大切なものをなくしてきたと思います。それを取り戻すのは難しいと思いますが、家族やいろんな人が残ってくれましたね。そういった人のために前を向いて、残りの人生を、一回しかない人生を、しっかり歩んでほしいと思います。私も・・・、私も初心を忘れずに歩んでいきます」
 すごい言葉ですね。よほど心を揺さぶられたのでしょうね。私も、これを読んで胸が熱くなりました。
 この無罪判決に検察側は控訴したが、東京高裁もまた無罪とした。そして、角田正紀裁判長は、次のように説諭した。
 「刑事手続が決着したら、前の仕事には戻れないようだが、あなたは能力に恵まれているし、再スタートを切ってほしい。裁判所も迅速な審理に努力したが、難しい事件でもあり、証拠は1万ページにのぼり、双方の主張を十分聞いたために、一審で1年3ヵ月、控訴審で9ヵ月かかってしまった。もっと早くと、被告人の立場からは思うだろう。これは、裁判所の課題です」
 これまた、素晴らしい言葉です。裁判所のなかにも熱き血汐を感じさせる人がいるのですね。ほっとします。日頃の私は、あまりにも血の通っていないとしか思えない裁判官とばかり接しているものですから・・・。
 「難事件」ということですが、事件はいたって単純です。給与の一部が会社から株式報酬で支払われ、そのとき源泉徴収されていなかったのです。それが故意による脱税だとして摘発され、起訴されました。
 実のところ、そのような扱いをされたのは著者一人ではなく、100人もいたのです。外資系の証券会社ですから、報酬額は一般企業とは違って巨額なのですが、その金額に国税局は目がくらんだのか、無理な「徴発」をし、検察庁が国税局の顔をつぶさないように起訴してしまったということのようです。とんでもない無理な起訴だと思いました。裁判官が代わって謝罪したくなるのも十分理解できます。
 この事件の取調過程には、いくつかの特異な点があります。
 在宅取調に終始しているのですが、検事調書がすべて問答形式になっているのです。検察官の一方的な作文ではありません。すごいことです。著者がたたかいとった成果でした。ただし、調書を訂正してもらいにくいというハンディを負うことにもなりました。
 そして、著者は、自分の取調状況を逐一ネットで公開していったのです。録音・録画の先取りのようなものです。
 検察官の求刑は、懲役2年、罰金4000万円というものでした。一審の無罪判決の言い渡しのとき、佐藤裁判長は次のように言いました。
 「主文、被告人は無罪。もう一度、言います。被告人は無罪」
 言い渡した裁判長も気分が高揚していたのでしょうね。一度では言い足りない思いがあったのです。そして、無罪判決を勝ちとるためには大変な苦労がいることを明らかにした本でもあります。
(2014年5月刊。1400円+税)

2014年12月13日

ロックで学ぶリーガルマインド


著者  奥山 倫行 、 出版  花伝社

 一風変わった、素人向けの法律解説書です。法律の考え方をロック音楽を通じて身につけようというのですから、私なんかの発想の外の世界です。
著者である弁護士の得意分野は、民法、刑法、会社法、著作権法、商標法、不正競争防止法、倒産法というのですから、地方都市のよろずや弁護士である私とは、この点でも、かなり違った分野で活躍しています。もっとも、東京での大手渉外事務所から独立して、今では札幌で弁護士をしているとのことですから、企業法務中心といっても、東京のときとは一味違っているのではないでしょうか・・・。
 それはともかく、著者のすごいところは、FM放送で「ロック裁判所」として電波に乗っているということです。すでに2009年4月以来、260回以上の番組が組まれているとのこと。たいしたものですね。
 この本では、ロック番組のなかで起きた事件を紹介しつつ、法律の考え方や裁判の実際を紹介しています。登場するロック・アーティストの大半は私の知らない人たちです。それでも、マイケル・ジャクソンなら、その音楽を聞いたことは一度もありませんが、名前だけなら私も知っていますし、ポールマッカートニーは、私の高校生時代を思い出させるなつかしい音楽家です。先日、福岡でコンサートをしました。聞きに行ったわけではありませんが、久しぶりに聞いてみたいとは思いました。
 どんなトラブルが起きたのか、その対処法として、何をなすべきなのか、解決策は何かについて、ロック・アーティストをめぐって起きた現実の事件を通して弁護士が考え方を提起していますが、とてもユニークな視点です。
 さすがに慶応大学に在学中からロックに熱中してきた著者による、うんちくを傾けた異色の本です。
(2014年11月刊。1700円+税)

2014年12月 6日

イノセント・デイズ


著者  早見 和真 、 出版  新潮社

 「整形シンデレラ」と呼ばれた鬼女。彼女が犯した「罪」を、あなたは許せますか?
 オビに書かれている問いかけは、この本を読むにつれ、次第に答えるのが難しくなっていきます。果たして彼女は、「鬼女」だったのか。
 こんな少女(あるいは女)なんか、さっさと死刑にしちまえ、裁判なんか手間ひまかけるだけ、税金のムダづかいだ。
 本当にそうなのか・・・?
 次第に、彼女の犯した「犯罪」の深層が暴かれていきます。不仕合わせな家庭は、さまざまな状況から、そうなっている。それが、ひとつひとつ丁寧に描かれていくのです。
 子どもが本当に親あるいは誰か大人から愛され、大切に見守られていたのなら、きっときっと大きくなっても自分を信じて、生きていくことが出来る。しかし、その愛情が薄く、かえってひどく虐待されていて、すがるところ、頼るものがいなかったときに、人間はいったいどうしたらよいのか・・・。少しずつ、家庭の闇に迫っていくのです。
 鹿児島から博多までの新幹線の中で夢中になって読みふけるうちに、終点の博多に着いてしまったのでした。
 「犯罪」は、なぜ起きるのか・・・?早く死にたいという死刑囚が、なぜ存在するのか・・・?
 死刑囚に対して刑の執行をする拘置所の職員はどんな気持ちで任務を果たしているのか・・?
 いろんなことを考えさせられる小説でもありました。重たいテーマですけど、この現実から目をそらすわけにはいかないのです。
(2014年8月刊。1800円+税)

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