弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

司法

2017年1月25日

企業内法務の交渉術

(霧山昴)
著者  北島 敦之 、 出版  中央経済社

 弁護士にとって交渉をうまくすすめるのは大切な仕事のひとつです。でも、これがなかなか難しいのです。経験年数としては超ベテランに入るはずの私も、相手方と交渉するときは、とても緊張します。
 この本は、社内で信頼される法務部員になるためにとして書かれていますので、弁護士向けではありませんが、弁護士が読んでも大変役に立つ本として、少し紹介します。
 ビジネスにおける交渉は、まずビジネスとは何かを理解する必要がある。ビジネスは戦争ではなく、最後にはちゃんと仲直りができる「ケンカ」のようなもの。ビジネスは、信頼をベースにした合意によって形成されていくのであり、交渉は当事者間の主張を出しあうことで、お互いに合意できる着地点を見出すためのプロセスだ。
 交渉には陣取り合戦の意味もある。最終的にこちらの欲しい条件が得られたらよし、相手に何も残らないような交渉は無理がある。それは、時間がかかり、感情的なしこりが残って、よろしくない。
そうなんですよね。ゼロか100か、ではない、感情的なしこりの残らないほうがいいのです。
この交渉は誰のためにするのか、交渉相手方は誰なのかを、しっかり認識しておくこと。
 合意すべき相手側の心が、かたくなになるような雰囲気に追い込むのは得策ではない。
交渉する前に、きちんとしたシナリオをつくる。実際にはシナリオどおりに事はすすまないことは多い。それでも、シナリオを書きながら、交渉のシミュレーションをしている感覚になって、想定外の事態が起きても柔軟に対応できる。作成したシナリオは、交渉チーム全員で共有しておく。
交渉するときには、相手方の了解を得て録音する。ただし、無断で録音されている可能性があることを常に念頭においておく。
基本的に、相手側にはできるだけ話をさせる。これが交渉をスムーズにすすめるために欠かせない。忍耐を必要とするが、相手側が何を考え、何について心配し、どのように交渉を持ってきたいと考えているのかを理解することができる。そこからビジネスの合意形成に向けての交渉は始まる。
 当方に契約不履行の事実があることが明らかになったときには、交渉に入る前にきちんと謝罪することが欠かせない。文書を作成するときには、その内容・表現ともに、万一公開されたとしても非難の対象とならないよう、関係部署の確認を得ておくなど、慎重に対応する。
 弁護士に相談するときには、もし訴訟になったら、裁判所はどう判断するのか知見をもっている人に相談する。それをもっていない弁護士に相談しても意味がない。
交渉を上手にすすめるためには次の四つが大切。
 ①ごまかさない。②相手をミスリードしない。③交渉を楽しむ。④相手も楽しませる。
 交渉は人間が行うものであり、人間の心の動き、気持ちといったものについての理解を深めるほうが交渉を楽しむことができる。交渉力をあげることは、世間の出来事や事象に興味をもち、人に対する愛情や信頼を醸成していくこと尽きる。
 長く総合商社につとめ、法務部で活動してきた体験をふまえていますので、説得力があります。そして、文章が平易で読みやすいのです。一気に読めました。交渉力をつけたいと願う弁護士にとって、大いに読まれるべき本です。
(2017年1月刊。2500円+税)

2017年1月24日

気骨、ある刑事裁判官の足跡

(霧山昴)
著者 石松 竹雄 、 出版  日本評論社

著者は裁判官懇話会の世話人の人でした。裁判官懇話会は宮本康昭さん(13期)の再任拒否があった昭和46年(1971年)に発足しました。私が司法試験を受けて合格した年のことです。そして、平成18年の20回懇話会で幕を閉じています。
懇話会の内容は判例時報に詳しく紹介されていますし、本にもなっています。
多いときには、現職の裁判官が全国から300人も参加していましたが、20回目には、42人の参加しかありませんでした。
なぜ、懇話会が衰退してしまったのか、著者はいくつか理由をあげています。若い裁判官を獲得できなかったし、意識的な勧誘を怠ったことによるとしています。
裁判官志望の修習生や判事補に対して徹底的な骨抜き教育が行われた。分からないときには、先輩裁判官や裁判長の言うとおりにしておけ、判例があれば何も考えずにそれに従っておけ、令状で判断に困ったら検察官の主張に従っておけば間違いはない・・・。
そして、思想・信条を理由としか考えられない新任判事補の任官拒否が相次いだ。
裁判官懇話会が分科会に重点を置く、いわゆる実務路線をとり、ほとんど司法当局に抵抗らしい抵抗をすることをしなかったのは失敗だった。
裁判官は、真面目に事件だけをやっていればよいという風潮が裁判所を支配してしまった。
裁判官、裁判の独立というのは、結局、裁判官個々人が孤立していたのでは、決して守れるものではない。ドイツなど、ヨーロッパでは、裁判官連盟のような、裁判官の組合的な組織がある。日本に、そのような組織がないのは問題だ・・・。
現実の裁判官のなかには、「裁判官・検察官同一体の原則」とでもいうような検察官との一体感をもっている人がいた。
いえ、これは今でも少なからずあるのではないでしょうか・・・。私はそう考えています。
著者は裁判官を退官して弁護士になり、大阪弁護士会に登録しています。そして、大阪弁護士会で九条の会の代表呼びかけ人にもなっています。
著者は学徒動員とか兵役を経験したことから、平和運動にも関心をもち、行動しているのです。これまた、すごいことですね。
気骨のある裁判官が本当に少なくなったと思います。やる気の感じられない、行政追随しかしない裁判官があまりに増えてしまいました。もっと、自分の足で大地に立って、司法当局なにするものぞと声を大いにして呼んでほしいものです。
気骨ある裁判官の勇気ある歩みに接して、我が身を握り返り、思わず襟を正してしまいました。一読を強くおすすめします。
(2016年9月刊。1400円+税)

2017年1月 2日

沈黙法廷

(霧山昴)
著者 佐々木 譲、 出版  新潮社

老年男性の不審死が相次いで発生します。疑われたのはフリーの家事代行業の女性。現代日本における一人暮らしの男性に忍びよる危険が背景にあります。
金持ちの中高年男性をターゲットとする危険な商法があるのです。その名簿が売られて
います。高額な商品を買った人のリスト。バリアフリーのリフォームをした人のリスト。訪問介護を受けている一人暮らしの人のリスト・・・。
いろんなリストが売買されている世の中です。そして、暮らしを成り立たせるのも難しい女性がたくさんいます。資格がなくてもやれる仕事として家事代行業というのがあるのですね・・・。
ひところ便利屋が流行していましたが、最近はあまり目立たなくなりました。
警察小説の第一人者である著者が、弁護士の監修も得て、迫力ある法廷場面を描いています。まるで実況中継していると思えるほど、真に迫っています。
状況証拠だけで被告人を有罪とできるのか・・・。
検察と弁護側の激しい攻防戦が繰り広げられるのですが、自分の過去を知られたくない被告人の女性は、突然、証言台で「答えたくありません」を連発しはじめるのです。
いったい、なぜ。どうして、そんな自分に不利な行動をするのか・・・。
世の中には、白か黒でスパッと割り切れないことがたくさんあるのですよね。そして、本当はクロではないかと思いつつ、シロとなったり、逆に明らかにシロなのに灰色で有罪となったり・・・。不条理、不合理にみちみちた世の中です。
550頁をこす大作です。休日の半日で、一気に読了しました。
(2016年11月刊。2100円+税)

2016年12月27日

なぜ弁護士は訴えられるのか

(霧山昴)
著者 升田 純 、 出版  民事法研究会

 弁護士が元依頼者から訴えられることが珍しくはないという時代になりました。アメリカでは弁護士過誤を専門とする弁護士までいると聞いたことがあります。
 医療問題を専門に扱う弁護士団体(研究会)が日本でも活動していますが、アメリカと同じような状況になるのでしょうか・・・。
 実は、私も元依頼者から訴えられた経験があります。代理人として誠心誠意やったつもりでも、結果が悪ければ、依頼した弁護士に八つ当たりしたくなるのでしょう。ちゃんと期日前に準備書面を作成して裁判所に提出し、証人尋問の打合もきちんとし、期日の報告を欠かさなくても、結果が出ないと責任を取れ、払った着手金を返せと迫られるのです。もちろん私は弁護士過誤保険に加入していますから、過誤があったとなれば、保険の適用を受けて保険会社に賠償金を代わりに支払ってもらいます。でも、結果が悪かったから着手金を戻せと言われたら、たまりません。
 その事件の反省点は、そもそも受任すべきではなかったし、相性が悪いと思った時点で、途中でさっさと辞任しておくべきだったということです、なんとなくズルズルと判決までいったのが失敗でした。
 この本は、弁護士が訴えられた218の裁判例を分類し、判決の意義と指針を短くコメントしています。といっても680頁もの大作です。
 驚くべきことに、裁判官が事件担当の弁護士の主張について名誉棄損の不法行為が成立するとされた判決があるのです(控訴審は否定しました)。
 「本件訴訟は裁判所の適法な訴訟活動に対して因縁をつけて金をせびる趣旨であり、荒れる法廷と称する現象が頻発した時代にもあまり例がないような新手の法廷戦術である」その裁判官は、このように書いたのでした。目を覆いたくなるほどのひどさです。
 この本には、「中には社会常識を逸脱した言動、根拠を欠く言動、粗暴とも思われる言動をする裁判官も見られるのも現実である」としています。
 たしかに、私も30年ほど前には、よく見聞しました。私がこの10年来、困るのは、枝葉にとられ、形式ばかり細かくて、大局観に乏しい裁判官、強いものや権力に歯向かう勇気のない裁判官、やる気の感じられない投げやり姿勢の裁判官が目立つことです。
弁護士は、どのような場合に法的責任があるとされるのか、多くの判例を集めて分析している貴重な労作です。


(2016年11月刊。6900円+税)

2016年12月22日

弁護士の経験学

(霧山昴)
著者 髙中正彦・山下善久・太田秀哉ほか 、 出版  ぎょうせい

困難な時代をどう生き抜くか、失敗続きの人生、それでも何とかなる!
オビのフレーズです。本のサブタイトルは、「事件処理・事務所運営・人生設計の実践知」となっています。現役として活動している弁護士全般にとって大変役に立つ内容となっています。
私は、この本に書かれていることの大半について、まったく同感だと思いながら、福岡までの帰りの飛行機のなかで一気に読みあげました。
福岡県弁護士会では、このところ懲戒処分を受ける弁護士が相次いでいます。先日は、福岡県弁護士会自体が監査責任を問われた裁判の判決が出ました。幸いにも弁護士会の監督責任は認められませんでしたが、これをギリギリ詰めていくと、あまりに統制が強すぎて息苦しくなってきます。すると、戦前のように行政の監督下においたらいいとか、強制加入をやめてアメリカのように自由化せよということになりかねません。それは、いずれも権力をもつ人が大喜びする方向です。
自由業としての弁護士と、権力を抑制・監視する存在としての弁護士と、弁護士は独立した存在であり続ける必要と意義があると私は確信しています。そして、強制加入団体としての弁護士会は、その制度的保障なのだと思います。
それはともかくとして、懲戒処分を受けた弁護士には共通するところがあると本書は指摘しています。
虚栄心が強い人、見栄っ張りの人。性格的に弱いため、自制が利かない人が多い。
弁護士の仲間内でも孤立していると危険。IQの高さは関係ない。
弁護士の依頼層は、その弁護士の人格の投影である。
弁護士の誰もが転落するリスクを負っている。それは、弁護士業務が楽しいことばかりではないからだ。苦しいときに独りぼっち。そんなとき、果たしてとどまることが出来るのか。自分は絶対に大丈夫だといっている人はリスクが大きい。
ハッピーな終末を迎えるためには投資も必要。もっとも大切な投資は、自己への投資、とりわけ健康に対する投資である。 
収入を増やし、支出を減らすこと。まとまった大きな収入があったとき、ダメな人は豪遊してしまう。そうではなくて、半分は定期預金にしておく工夫がいる。
弁護士がうつ病にならないためには、依頼者とともに泣かないこと。
依頼者と一歩でも距離を置いていてこそ、冷静な判断が出来ると私は考えています。岡目八目です。
弁護士に対する苦情のなかには、うつ病だとか脳出血の後遺症があるということが少なくない。これは悲しい現実です。
法律事務所をわたり歩く弁護士には、能力のない人、協調性のない人が多い。
この本の前半は、弁護士業務を適正かつ円滑にすすめていくうえで大変参考になることが盛り沢山です。
反対尋問は、弁護士の仕事の花だ。反対尋問は意地悪であることが求められる。わざと順番を逆転させ、予想の裏をかくという工夫もする。
証人尋問のリハーサルのとき、答えまで覚え込ませるのはよくない。それでは学芸会の台本のようになって、緊張感が希薄になってしまう。答えを覚えておこうという意識が先行すると、ちょっとした反対尋問でもボロボロになる危険がある。
クレーマーには、毅然とした対応することが原則。できる限り話は聞く。しかし、それで満足することはない。だから、きちんと当方の見解を述べて対応を打ち切ること。長く話を聞けばよいというものではない。話を聞くのは、喫茶店など、外部の開けた場所が望ましい。密室の面談室で1対1で会うの危険だ。
嘘を言う人。自分が絶対に正しいと言い張る人。ずるい人。自分に都合のいいことしか話さない人。時間にルーズな人。頼んだ書類をもってこない人。話し方がぞんざいな人。自慢話を長々とする人。みな要注意だ。
とても実践的な本です。ご一読をおすすめします。
(2016年12月刊。3000円+税)

2016年12月 6日

希望の裁判所

(霧山昴)
著者 日本裁判官ネットワーク 、 出版  LABO

このタイトルは、ジョークでも皮肉でもない。日本の現元裁判官が大まじめでつけたもの。
希望が今後も大きくなるように、さらなる司法改革を心から訴えている本である。
日本裁判官ネットワークは、1999年(平成11年)9月に、現職裁判官をメンバーとする日本で唯一の裁判官団体(裁判官OBがサポーターとなっている)。
この本の冒頭にあるのは、なんと「判決どどいつ」です。弁護士から裁判官になった竹内浩史判事です。それがなるほど、よく出来た「どどいつ」なのです。たとえば、次のようなものがあります。
セブン・イレブン、反省気分、多分報告、不十分
これは、最高裁判決がセブン・イレブンの本部に仕入の詳細に関する情報開示を命じたものに関するものです。
福岡高裁を最後に定年退官した森野俊彦弁護士は非嫡出子の相続分差別規定を憲法違反とした最高裁判決を積極的に評価しながらも、その理由づけに不満を述べています。立法理由の合理性の判断から逃げているという点です。そして、夫婦同姓規定について合憲とした最高裁判決については大いなる疑問を投げかけています。
ただ、鎌倉時代の北条政子について、官位を付与するときの便宜的なもので、記録上だけとしているのは、本当なのでしょうか。同じように、夫婦別姓だったとして有名なのは日野富子もいますし、江戸時代は夫婦別墓で、妻は実家の墓に入っていたということですし、単に便宜とか記録上というのではないように私は考えています(私も、さらに調べてみます)。
人生の半分以上を費やした場所である裁判所になお、希望を見出そうとする思いがにじみ出ている論稿でした。
浅見宣義判事は、激動する日本社会の中で、裁判官という職務のやりがいが特に大きくなり、その魅力が高まっていると力説しています。
私も、そう考えている裁判官がもっと増えてほしいと思います。現実には、やる気のない裁判官、記録をじっくり検討しているのか疑わしい裁判官、枝葉を妙にこじくりまわす裁判官、いかにも勇気のない裁判官があまりに目立つからです。
裁判員裁判を経験した刑事裁判官が、体験して本当に良かったと述懐していたとのこと。私も、こういう話を聞くと、うれしくなります。私は残念ながら、裁判員裁判を1件も経験していません。殺人事件を担当したら、いわゆる認定落ちになってしまったのです。
体験した弁護士の、必ずしも全員が裁判員裁判を積極評価しているわけではありません。先日、これまで8件ほど体験した福岡の弁護士に意見を求めると、昔の職業裁判官による裁判に比べたら断然いいと思うし、やり甲斐があると語っていました。パワーポイントなど使わず、裁判員の顔を見ながら弁論するので、反応がすぐ分かり、手ごたえがあるのが良い、とのことでした。
これまでの調書偏重裁判を打破したという点で、裁判員裁判は画期的なものだと私も考えています。そして、被告人の保釈が認められやすくなったのも事実です。「人質司法」が少しだけ改善されたのです。
もちろん、裁判所は、もっともっと改革されるべきです。たとえば、裁判官の再任審査にあたって外部意見を取り入れる建前になっていますが、それは「外部」といっても、せいぜい弁護士しか想定していません。広く裁判を利用した国民の声を反映させるものではまったくありません。実は、弁護士会のなかにも、その点について消極的な声があるので、驚くばかりです。大学でも学生が教授を評価するのがあたりまえになっている世の中です。裁判を担当した裁判官について、利用した国民がプラス・マイナスの評価をつけることが「裁判の独立」をおかすものとは私には思えません。
最後に『法服の王国』の著者である黒木亮氏がイギリスの裁判では、みんなが活発議論していることを紹介しています。私は日本でも、もっと本当の口頭弁論をしなければいけないと考えていますので、日本はイギリスを見習うべきだと思いました。
ともあれ、日本の司法について希望を捨ててしまったら、いいことは何もありません。
日本国憲法の輝ける人権保護規定を深く根づかせるためにも、私たち弁護士も、裁判官も、もっと努力する必要がある。そのことを確信させる貴重な問題提起の本です。
私の同期の元裁判官(仲戸川隆人弁護士)より贈呈を受けました。ありがとうございました。日本裁判官ネットワークのさらなる健闘を心から期待しています。
(2016年12月刊。2500円+税)

2016年12月 1日

黒い巨塔、最高裁判所


(霧山昴)
著者 瀬木 比呂志 、 出版  講談社

最高裁判所の内部を小説として描いた話題の本です。
さすがに最高裁で働いたこともある元裁判官だけに、その描写は精密をきわめます。私も弁護士会の役員をしているときに最高裁の判事室や民事局長室などに立ち入ったことがありますので、なんとなく部屋の雰囲気が分かります。
事件の関係でも最高裁調査官と面談したことが昔ありました。今では調査官すら面談に応じてくれないようです・・・。
当然のことながら、この本の冒頭には、「この作品は架空の事柄を描いた純然たるフィクションであり、実在の人物、団体、事件、出来事等には一切関係がありません」という但書があります。しかし、それにしては、あまりに迫真的な描写です。最高裁による青法協つぶしについても「東法協」攻撃として登場してきますし、裁判官会同を開いて最高裁が全国の裁判をリードしていること、裁判官と政治家との結びつきなど、フィクションどころではありません。
砂川事件の最高裁判決のとき、ときの最高裁長官・田中耕太郎(裁判官の名に値しない、軽蔑するしかない人物ですので、呼び捨てにします)が司法の独立どころか、アメリカの下僕として言いなりに動いていたことが最近明らかにされましたが、最高裁上層部の自民党言いなりは昔も今も変わりません。本当に情けない話です。
出世主義者の裁判官がいるのは現実です。出世主義者の裁判官は、お世辞(せじ)、お追従(ついしょう)には、きわめて弱い。上の人の履き物を背広の中に入れて温めんばかりの忠誠を尽くす。
東法協(青法協)パージは、1970年代に急速に薄れていった。その会員のなかで成績や能力において秀でていた人々のほとんどが転向し、一定の節を守り続けた人は少なかった。そして、日本における左派の転向の常として、自由主義のレベルにとどまることなく、極端な体制派、狭量な保守派となって、出世の階段をひた走った。同時に、人事による締め付け、裁判官支配、統制工作に一役も二役も買った。
東(青)法協の後身である日本裁判官懇談会(懇話会)も、政治的な色彩を薄めたが、最初のうちこそ新任判事補の加入者も多かったが、7、8年のうちには、ほとんどが脱会してしまっていた。
転向者が極端な極右になったりするのは、日本だけではありません。アメリカのネオコンもそうです。そして、裁判官懇話会は会員制ではなかったし、8年で消滅したどころではなく、平成18年まで20年以上も続いていました。ここらは、著者の思いこみと認識不足だと私は思います。
最高裁長官による人事は、昔から、基準がよく分からず、恣意的で有名だった。一度でも意に逆らったり、許しがたいと思われる行動をとった人物に対して意識返しをするのは明らかだった。こうした恣意的な、あるいは報復であることが明らかな人事は、長官の思惑をはるかに超えた強烈な効果を裁判官たちに及ぼした。判決の内容や論文執筆のみならず日常のさまざまな言動にまで細かく気を遣い、長官や事務総局の意向をうかがう人々がどんどん増えていった。
これは今も生きている現象ではないかと思わざるをえません。
最高裁長官は、持ち前の冷徹な勘を最大限に発揮し、緻密な戦略の下に、確実に敵をつぶし、若手の優秀な裁判官たちを一人また一人と転向させていった。
『法服の王国』にも似たような状況が描かれています。
裁判官のなかに、大学時代に地域密着の学生セツルメント活動をしたという経歴の人が登場します。実際、私の知っている元セツラーが何人も裁判官になり、真面目に仕事をしています。
この本は、学生時代に民青シンパだった裁判官について、次のように揶揄した表現をしていますが、これは著者の本には過去何度も登場してくるもので、鼻をつくとしか言いようがありません。
「そんな学生によくあるように、彼の思想は深いところまで突き詰められたものではなく、系統的な読書にもとづいたものでもなく、ただ単純かつムード的な正義感に根差していた」
著者のこのような表現は、私からすると、著者こそ根の浅い表層的なモノの見方しか出来ない思考を反映しているものに思えてなりません。
良識派の裁判官たちを苦しめているのは、出世欲ではなく、閉じられた横並び社会における、理由のよく分からない線引きや選別にさらされることの辛さ、そうしたことの不安ではないか。自分の能力が正当に評価されない可能性についての不安だ。
ヒラメ裁判官ばかりになってしまったという反省が少し前には多く聞かれましたが、最近は、それがあたりまえになったためか、反省の声が内部からあまり聞こえてきません。
本人たちは自由に発想しているつもりでも、客観的には、がっしりした枠のなかの小さな「自由」でしかない。それが残念ながら現実ではないかと私は考えています。まだ読んでいませんが、先日『希望の裁判所』という本が発刊されました。「絶望」しているだけではダメですので、なんとか少しでもより良い裁判所につくり変えていきたいものです。
そのような問題提起の本として、一読をおすすめします。
(2016年10月刊。1600円+税)

2016年11月24日

学校内弁護士、学校現場のための教育紛争対策ガイドブック

(霧山昴)
著者 神内 聡 、 出版  日本加除出版株式会社

著者は学校内弁護士です。スクールロイヤーではありません。えっ、どこが違うの・・・?
著者は5年前から、私立高校の社会科教員であり、また弁護士でもあり、兼業しています。
実際のスクールロイヤーは、「学校」の弁護士ではなく、「教育委員会と管理職教員」の弁護士。学校からすれば、あくまでも外部の第三者。毎日、学校にいるわけではない弁護士が「スクールロイヤー」の名称を用いるのは、あまりにも実態とかけ離れている。スクールロイヤーと称する弁護士の最大の問題点は、学校と日常的に関わっていないことにある。
学校内弁護士の魅力は、一日、学校に勤務するだけでも、何十人、何百人もの生徒と接することにある。もう一つは、同僚として教育現場で働く先生と直接的な関わりをもてること。 
学級担任の法的責任は、学級経営に関する裁量権の逸脱・濫用が認められる場合にのみ成立すると考えるべき。学級経営に関する事実の認識に重要かつ不注意な誤りがなく、判断の過程・内容が著しく不合理でない場合でない限り、学級担任は責任を負わないと解される。
教育的責任と法的責任はまったく別の概念である。
何らかの事故が起きた場合、保護者から責められたときには、
「一教育者として申し訳なく思います」
「損害賠償などの件については、弁護士と協議してお答えしたいと思います」
このように答える。事実関係や因果関係を記載した「報告書」などの書面は、弁護士や第三者が関与するまでは作成すべきではない。
保護者側が秘密録音することを防止するのは不可能。
「いじめ」のとき、加害者を直接交渉に関与させることは、加害者の親権者に対して、家庭の責任を意識させる契機になる。紛争当事者としての意識をもってもらうことも大切。学校は補完的に仲介するのがよい。
危険性を有する加害者の家庭は、そもそも家庭内での問題をかかえていたり、連絡がなかなかとれなかったりする場合が少なくない。そのため、学校としては、家庭の事情や連絡した事実を記録して、証拠化しておくことも大切。
「いじめ」が発生した場合、学校は、通常、在学契約にもとづく安全配慮義務または不法行為責任を負う。しかし、「いじめ」の法的責任を一時的に負うのは、あくまでも加害者とその親権者である。学校は、できる限り早期に双方に対して「紛争当事者」であることを意識させる必要がある。
学校は必ずしもアンケート調査を実施する必要はない。むしろ、アンケート調査は不要と考える。匿名によるアンケート調査は気休め程度のものでしかない。むしろ、日常的に面談調査やヒアリング調査を行うほうが、「いじめ」の早期発見につながる。
「いじめ」を早期発見できなかった責任は教員だけでなく、親権者にもある。
男子は身体的で可視的ないじめが多く、女子は心理的で陰険ないじめが多い。いじめる家庭は家庭に問題を抱えていることが多い。これは、全世界に万国共通の傾向である。
保護者対応の基本原則は、保護者のクレーム内容に合理性があるかどうかを検討すること。合理性のない主張には毅然とした対応を示す。合理性のない主張には、合理的な主張で対応することが非常に効果的である。
さすがに学校現場にいる弁護士だけあって、とても説得的かつ実践的な本です。学校にからむトラブルに関心のある人々に、一読を強くおすすめします。
(2016年8月刊。2700円+税)

2016年11月 8日

法解釈の正解

(霧山昴)
著者 田村 智明 、 出版  頸草書房

実務法曹の世界で活動している若き哲学者の目で書かれた法解釈の本です。
正直言って、私には少々難しい場面も少なくありませんでしたが、なるほど、そういうことだったのかと初めて認識させられるところの多い法解釈の本でした。
今は青森で弁護士をしている著者は司法試験に合格したあと、8年間も司法試験の予備校専任講師として受験指導をしています。その体験もふまえた哲学的見地から法解釈のあり方がとかれています。著者は法解釈には正解があるという立場です。
だからこそ自己の立場は有限なのであり、謙虚にふるまう必要がある。そして、一般意志ですくいきれなかった他の立場の人の思いに対して、きちんと思いやらねばいけない。
法の支配の原理、あるいは憲法上の個性尊重主義は、もともと正解志向こそが本質なのである。そして、法の支配の原理の論理学のなかには、他者排除、価値観の押しつけの論理が含まれている。
法の支配の原理にもとづく法解釈の論理とは、結局のところ、「支配者の論理」なのである。だから、他者との共存を排除する方向性をもつ危険を秘めた思想である。この点を自覚しておかねばらない。法解釈の実践とは、まさに、このような支配の論理学を駆使しているのである。このことの自覚が実務法曹には不可欠である。
司法試験では、法の支配の原理こそが重要な価値である。
自分が信じる正義の内容も示さずに条文の言葉だけで結論を導いたり、あるいは正義を示したとしても、あまりに形式的、独善的で社会的な説得力を欠くようではいけない。
実務家として、自分がどんな立場に立っていても、プロとして、社会の人々に対して自己の立場の正義を理論的に説得するという役割を担っていることを自覚すべきだ。
正解志向は決して悪いことではない。むしろ、これを自覚的に実践することは、自己批判を可能にし、自己を謙虚にさえする。なぜなら、正解志向は、自分がある特定の価値観を前提に正解を導いていることを自覚させるから。
プロの法律家に必要とされる能力は、与えられた、あるいは自己が現実を欲している実質的主義を法的な形式にしたがって表現、主張すること、これに尽きる。
真に自由になるためには、自分を知らなければならない。真の自分は、普遍的な法に従うことで幸福を感じるような自分である。
自由とは、一般に、自分が生活している社会の中で自分が発揮できる持ち味を発見し、その発見した持ち味を生かす道を選びとること。そのためには、目先の快楽などにはとらわれずに、自分や社会のことを知る必要がある。
子どものころ、私たちが勉強するのは、大人になってから自由になるため。自由とは、強制から解放されたらすぐに獲得できるというものではない。自分が従うべき普遍的法則を発見し、かつ強制から解放された場合にはじめて得られるものなのである。その普遍的法則を発見するためには、学校でみなが同じことを学ぶ必要がある。
自由とは、自己の個性の発揮である。だから、自由になるためには、自己の個性を知らなければならない。それには、さまざまな経験と勉強とが必要である。なぜなら、個性には、自分の属している社会との関係も含まれているから。自分がもっとも社会に貢献できる持ち味を発見することが自由獲得の条件である。
民主主義が正義である根拠は、討論や審議によって、さまざまな立場の意見が法案に反映される点にこそある。
多数派の意見は多数派の利益になる意見とは必ずしも合致していない。
裁判官の多くは、自分の頭で何が正しいかを判断する勇気をもたず、上級審判決がこうであれば、それに従うのが正義だという内容の判決を大量生産しているのが現状である。
なかなか考えさせられることの多い本でした。今度は、論文式合格答案の書き方の本も読んでみることにします。著者から贈呈を受けました。ありがとうございました。今後ますますのご活躍を期待しています。
(2010年10月刊。2500円+税)

2016年11月 4日

日本国憲法は希望

(霧山昴)
著者 白神 優理子、 出版  平和文化

いま大いに注目されている若手弁護士です。そのさわやかな話しぶりは、憲法の伝道師を名乗る伊藤真弁護士に匹敵します。
なにより、弁護士生活3年だというのに、憲法を語る学習会の講師を100回以上もつとめたというのですから、ただものではありません。私なんか、3年間で片手もあるかなという体たらくなのです。まあ、なんといっても若さにはかないません。
白神は「しらが」と読みます。著者から講師として憲法を語るときのポイントを聞きました。
まず第一に、憲法の魅力を自分の生き方を紹介しながら具体的に語ること。中学生までは、どうせ世の中は変わらない、変えられないと思っていた。ところが高校に入ってから、いや世の中は変わるし、変えられる。憲法は国民の自由を保障するもの、権力を縛るものだと知って心を動かされた。歴史は着実に前へ進んでいることを教えられた。
第二に、憲法を改正しようとする人たちの狙いは、日本を戦争できる国の体制につくり変えることにある。戦争と言えば、イラクでもアフガニスタンでも、大勢の罪なき市民が殺され傷ついている。子どもの手足が爆弾でもがれる、そんな悲惨な戦争を日本の権力者は再びしょうとしている。黙っていては危ない。
第三に、自民党の憲法改正草案は国民の基本的人権をまったく無視し、公益に反しない範囲でしか守られないとしている。つまり、国民は国家に逆らってはいけない存在になっている。
第四に、経済の視点からの話も欠かせない。戦争する国づくりは、福祉国家をこわすことになる。つまり、国民の貧困化が一層すすんでしまう。
白神弁護士は、ここまで話してきて、頭を上げてニッコリほほえみました。でも、最後に、希望を語ることが大切だと強調したのです。私も、まったく同感でした。せっかく憲法について学習しようと足を運んでくれた人を暗い足どりで帰してはいけません。しっかり元気を取り戻して、明るい気持ちで、家に帰って、周囲の人に声かけあうようにしなくてはいけないのです。
その点を白神弁護士が最後に強調したので、さすがに多くの憲法学習会で鍛えられている人は違うな、そう感嘆しました。
「ワインで語る憲法の話」という企画にも講師として参加したそうです。ワインのソムリエをしている人がアメリカ、ドイツ、スペインのワインの特長を紹介すると、この三国の憲法状況を白神弁護士が語ったというのです。すごい発想です。こんな柔軟な発想が年輩の私たちにも必要です。
都知事選挙のなかでのネガティブ・キャンペーンに踊らされる人がいかに多いか。その現実を前にして、日頃から私たちの言うことに耳を傾けてくれる人々をいかにたくさんつくっておくかがポイントだ。この白神弁護士の指摘にも、私は共感を覚えました。
このブックレットは、そんな豊富な憲法講師活動のエッセンスがまとまっています。年金・福祉や教育・予算を削る一方で、軍事(防衛)予算だけは、一貫して右肩上がりに増え続け、ついに5兆円を突破しました。そんな流れをぜひ変えたいものです。
憲法を守って、私たちの平和と人権を守り抜きたいものです。
80頁、800円(プラス消費税)という、とても手頃で味わい深い冊子です。表紙にある白神弁護士の笑顔の写真を眺めるだけでも心が癒されます。あなたに、ご一読を強くおすすめします。
(2016年7月刊。800円+税)

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