弁護士会の読書
※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。
司法
2017年10月24日
憲法学からみた最高裁判所裁判官
(霧山昴)
著者 渡辺 康行・木下 智史・尾形 健 、 出版 日本評論社
法律時報の連載が一冊の本にまとめられていますが、田中耕太郎のところを読んで、正直いって、がっかりという以上に、あまりにひどいと、情なく思いました。田中耕太郎という男は(私は、この男を軽蔑していますから、呼び捨てします)、かの砂川事件の裁判で司法の独立をなげ捨て、実質的な裁判当事者であったアメリカに裁判の合議状況の秘密をもらしたうえ、その指示どおりに判決を書きあげたのです。にもかかわらず、評者(尾形健)は、そのことに知ってか知らずか(知らないはずはないでしょう。万一、知らなかったとしたら、学者としてあまりに恥ずかしいことです)。一言も触れず、「不世出の法律家」などと尊称をつけています。読んでいる私のほうが恥ずかしくなりました。やめてください。
私は田中耕太郎という恥ずべき裁判官が日本にいたことは日本の戦後司法の最大の汚点だと考えています。にもかかわらず、タイトルは「不撓の自然法論者」となっているのです。砂川事件判決の裏の事情が判明するまでなら許されたタイトルでしょうが、今では裁判官罷免事由に該当しますし、退職金の返納を命じ、もし肖像画が裁判所に掲げられているのなら、直ちに取り外すべきものです。
私は、このコーナーでは本の非難をしたことがありません(今後もするつもりはありません)が、最高裁判所の裁判官の一人に、法曹界に身を置くものとして絶対に許せない人物を無条件で評価する本を見てしまった以上、書かざるをえませんでした。
この田中耕太郎以外については、私も怒りを静めて読み、大変勉強になりました。
この本のなかで私の印象に残っている最高裁判事としては滝井繁男判事と泉徳治判事です。「過払い」バブルを生んだ滝井判事は、憲法の理念にそっていない法律はもっとあるのではないかと自戒をこめて指摘したとのことです。まったく同感です。
そして、泉徳治判事は、典型的なキャリア裁判官のエリートコースを自ら歩んでいながら、憲法の求める司法の役割を強調しました。このコーナーでも紹介しました『一歩前へ出る司法』には深い感銘を受けました。
最後にもう一回、繰り返します。学者には、最高裁判所のあり方を、もっと端的に遠慮なく批判してほしいと思います。アメリカの指示するとおりに書き上げた判決をあれこれ解釈するだけって、本当にむなしいことではありませんか・・・?
(2017年8月刊。4600円+税)
2017年10月18日
「人間力」の伸ばし方
(霧山昴)
著者 萬年 浩雄 、 出版 民事法研究会
萬年節(まんねんぶし)が炸裂している本です。なにより驚かされるのは、著者はこの25年間、帝国データバンクの帝国ニュース(九州版)に月2回、「弁護士事件簿」を連載しているということです。私も、この書評は2001年以来の連載になりますし、月1回の全国商工新聞の法律相談コーナーを1989年以来担当していますので、もう28年になります。ですから、お互いに健闘をたたえあいたい気分です。
それはともかくとして、「弁護士事件簿」がそれなりのジャンル別に編集してありますので、大変読みやすくなっています。それこそ、経営者にとっても、また若手弁護士にとっても学ぶところの大きい内容になっています。
依頼者の気持ちを共感できるか否か。共感できないなら、受任を断る。自分の主義主張と異なり、事件処理にあたって自分の哲学と違い、説得しても耳を傾けない依頼者と判断したときには、「私は頭が悪いから、私より頭の良い弁護士のところに行ったほうがいいよ」とやんわり言って断る。
なるほど、こんな言い方もあるのですね、今度つかってみましょう。
当方の提出した書面はもちろん、相手方の書面や書証、そして証言調書も全部コピーして依頼者に送る。依頼者にとって、自分の裁判が今どうなっているのか、弁護士として説明するのは当然だという考えから実行している。だから、依頼者と打合せするときには、同じ内容のファイルをそれぞれ持っていることになる。
私もまったく同じ考えで、昔から実行しています。ところが、今なお、それをしない弁護士がいるようです。私には信じられません。
著者は土地境界争い事件はなるべく受任しないようにしているとのこと。たしかに、これは法律紛争というより感情レベルの紛争であることが大半で、法律家泣かせです。ですから、私は、着手金を「弁護士への慰謝料なんですよ」と説明し、納得していただいたら受任しています。
相手方と交渉しているときなど、これ以上、相手と話をしても時間の無駄と思ったときには、深追いせずに中断する。そして、双方とも頭を冷やして、交渉を再開する。
この点も、私は同感です。ダラダラとやっても時間ばかり過ぎていきます。ちょっと間をおいたほうがよいことが多いものです。
著者は毎朝5時に起きて新聞を5紙読んでいるとのこと。これは私も朝5時を6時にすれば同じです。そして、読書タイムは移動するときの交通機関の中だというのもまったく同じです。私のカバンには、常時、単行本が2冊、そして新書・文庫本が2冊入っています。
著者は速読派ではないようですが、私は速読派です。東京へ行く1時間半の飛行機のなかで本を2冊読むようにしています。それも部厚い単行本です。いつだって飛行機は怖いのです。ですから、その怖さを忘れることのできるほど集中できそうな本を選んでおき、機中で必死に集中して読むのです。飛行機が無事に目的地に着いたときには、いつも心の中で「ありがとうございました」とお礼を言うようにしています。なぜ速読するのかというのは、たくさんの本を読みたいからです。世の中には私の知らないことが、こんなにたくさんある。そのことを知ると、ますます多くの本を読んで知りたくなります。要するに好奇心からです。
弁護士の仕事はケンカ商売である。だから、役者的要素が不可欠だし、交渉には計算し尽くしたシナリオと演技で勝負する。
そうなんですよね。私も、最近は大声をあげることはほとんどありませんが、以前は大声をあげることがよくありました。著者は今でも怒鳴りあげているようです。それで、金融村で、「ケンカ萬年」と呼ばれているそうです。今でも、でしょうか・・・。
著者が怒鳴る相手に裁判官もいるとのこと。実際、私も裁判官に向かって怒鳴りあげたい思いを過去に何回もしましたが、勇気もなく、怒鳴ってもムダだろうなと思って怒鳴りませんでした。
思い込みの激しい裁判官、やる気のない裁判官、上ばかり見ていて、重箱の隅をつっつくことしか目にない裁判官、この40年以上、いやというほど見てきました。気持ちの優しい、しかも気骨ある裁判官にたまにあたると、心底からほっとします。
弁護士は嘘をつかない、約束を守ることが信用を築く基本だというのも、まったくそのとおりです。価値ある150話になっています。300頁あまりで3000円。安いものです。若手弁護士にはぜひ読んでほしいものです。
(2017年8月刊。3000円+税)
2017年10月 3日
なんで「あんな奴ら」の弁護ができるのか?
(霧山昴)
著者 アビー・スミス、モンロー・H・フリードマン 、 出版 現代人文社
「あんな奴は、さっさと死刑にしてしまえばいいんだ」
「悪いことした人間の弁護人って、むなしいでしょ・・・」
日本でも多くの人が口にする言葉です。それはアメリカでも同じ状況です。そして、アメリカには、これに露骨な人種差別、階級差別が加わります。
全人口の1%近い200万人以上のアメリカ人が現在、刑務所または留置場に収容されている。このほか、少年収容施設に10万人の少年が入っている。
執行猶予または保護観察になっている人も含めると、700万人を優にこえる。
アフリカ系アメリカ人は人口の12%でしかないのに、薬物犯罪で逮捕される者のうち34%を占め、薬物犯罪のために州刑務所に収容されている人の45%を占めている。
今日うまれたアフリカ系アメリカ人男性の3人に1人が生涯のどこかの時期で刑務所に入る運命にあり、ラテン系アメリカ人男性は6人に1人が刑務所に入る運命にある。これに対して、白人男性ではわずかに17人に1人である。若い黒人の半数以上が、刑務所にいるか執行猶予中か保護観察中である。
アメリカの連邦の学生ローンは、少年時代の薬物犯罪という軽罪であっても、一定の有罪判決を受けた者には認められない。
両親不在のときにエクスタシーの錠剤をのみ、コカインを鼻から吸収していた裕福な家族の子どもは逮捕されない。路上で大麻を吸っていた貧しい家庭の子どもは逮捕される。
貧しい家庭の非白人の子どもは白人の子どもとは別の不利益が課される。彼らは犯罪者としてのレッテルを貼られ、番号をつけられ、法制度のなかで一緒くたにされる。家族から引き離され、生活は破壊される。
恥ずべきは、金持ちが熱心な弁護を受けることではなく、貧困者や中間層が熱心な弁護を受けられないことである。
今日では、共産主義は脅威ではなくなったので、共産主義者を弁護することは普通になった。しかし、テロで訴追されたイスラム教原理主義者を弁護することは評判が悪い。
自由社会では、政府の圧倒的な権力に対するカウンターの存在が不可欠である。なぜなら、権力は、それを行使する人によって容易に濫用されるからである。
死刑囚に実際に面会してみると、決して怪物ではないことが分かる。会う前は荒くれ者で、攻撃的で、恐ろしい人たちだと考えていたが、実際には、礼儀正しく、親切ですらあった。
ミシシッピー州の死刑囚の多くが黒人で全員が貧困層の出身であった。
殴って虐待する母親についていくよりも、レイプする父親と暮らすことを選択した娘、罰として子どもたちに水を与えない養親、憎しみのあまり小さな子どもをムチ打つ親、ティーンエイジャーにもならないのに、食べ物を得るために売春する子どもたち。学校にあがる6歳の子どものための服が断然必要なのに、なけなしのお金でコカインを買ってしまう親・・・。
刑事弁護人は依頼者を信じなければならない。依頼者の人間性、尊厳、経験、奮闘を信じるのだ。依頼者を嫌ってはいけない。弁護人は、やる気とあわせて深い技術を身につけておかなければならない。
私たちが弁護を担う特権を有している依頼者たちが、変わった人であるとか恐ろしい人であると示唆するような行動をとることは、弁護人の援助を受ける権利とアメリカの民主的理想とを損なうものだ。
「あんな奴ら」を弁護するのは、「あんな奴ら」とは我々のことだから・・・。
アメリカの高名な刑事弁護人が、なぜ「悪い人間」の弁護をするのか、自らの体験を通して語っていて、とても説得的です。法制度の違いは多少ありますが、日本の弁護士(人)にも大いに役立つ内容になっています。司法試験に合格したら、早速、読んでほしい本の一つです。
(2017年8月刊。3200円+税)
2017年9月29日
わたくしは日本国憲法です
(霧山昴)
著者 鈴木 篤 、 出版 朗文堂
医療分野で名高い弁護士ですが、憲法問題にも取り組んでいるのを初めて知りました。大学時代は私と同じ川崎セツルメントに所属していました。私の3年先輩になりますので、活動時期は重なっていません。
日本国憲法になり切って著者は訴えます。たしかにアメリカ軍による押しつけという側面があったことは事実だ。だからといって、そのことは憲法のなかみがもっている価値とは別の問題だ。憲法のもっている中身は決して否定されるようなものではない。むしろ問題なのは、押しつけであったために、憲法のもっている本当の価値が、その後のこの国の生活や政治のなかで十分に理解されず、いかされてこなかったことにこそある。私も本当にそう思います。
今の日本という国の現実は、わたくしが「こうありたい」、「こうあるべきだ」と言っていることとは大きくかけ離れている。
わたくしが番人として、きちんとその役割を果たすためには、国民がわたくしをちゃんと理解してくれて、わたくしを活かすために行動してくれることが大前提となる。
多数決を民主主義の原則だというのは根本的に間違っている。本当は、多数決は民主主義の本来の原則を守り抜いた後の問題解決の方法として、民主主義とは異質な原則を例外的に制度として取り込んだもの。つまり、多数決は、民主主義の限界を示すもの。
国民の4割ほどの支持しか受けていない政党が、小選挙区制と議会での多数決制度によって、文字どおり独裁的な権力を行使することができるような仕組みになっている。だから、わたくしから言わせれば、現在この国の権力を握っている者たちは、「国民の信託」をかすめとり、国民の代表を僭称(せんしょう)しているに過ぎない。だからこそ、この人たちは、国民が自分たちの意思を直接政治に反映させようとして直接請求や住民投票などの要求をすると、決まって排斥する立場に立つ。
集団的自衛権の行使は、日本に対する攻撃とか、日本を守るというものでは一切ない。日本の同盟国、つまり外国に対する攻撃に対して日本がそれに参加し応戦して反撃すること。つまり、日本が他国同士の戦争に加わる、巻き込まれるということ。これが日本国憲法に違反することは明らかです。
「どうせ自分が何を言っても自分の意見なんか誰も取りあげてくれない。何も変わらない」このようなあきらめの気持ちを多くの日本人がもっています。それが投票率の低下となってあらわれています。
既成事実への屈服、権限への逃避を特徴とし、成り行きに身をまかせ、どうしてこうなったには責任を負わないし、追及しようともしない。そんな精神構造に多くの日本人がなっている。しかし、そうではなくて、納得できないこと、ガマンできないことに対しては、はっきりモノを言う、声を上げることが大切です。著者は繰り返し、そのことを強調しています。私もまったく同感です。
4000部も売れたとのことですが、アベ流のインチキな「加憲」が提案されようとしている今日、そもそも憲法とは何のためにあるのかを分かりやすく問題提起した貴重な憲法に関する本です。ご一読を強くおすすめします。とくに、中学・高校生の子をもつ親には必読です。
(2014年10月刊。1200円+税)
2017年9月28日
捜査と弁護
(霧山昴)
著者 佐藤 博史・指宿 信ほか 、 出版 岩波書店
私は今も国選弁護人は引き受けていますが、幸か不幸か裁判員裁判事件は担当していません。殺人事件の被疑者弁護人になったので覚悟していたら、罪名が嘱託殺人になって一般の刑事裁判で終わりました。
本書はシリーズ刑事司法を考える第2巻として発刊されたものです。科学的捜査を論じたところが私の印象に残りました。ここではDNA鑑定の危なさと、ポリグラフ検査の信用性について紹介します。
DNA鑑定を絶対視すべきではないと強調されています。DNA鑑定といえども、単なる検査方法の一つであって、対象試料としての物質の限界と検出方法の限界にとって不確定性を含んでいる。足利事件でも菅谷さんを有罪にするためにDNA鑑定が使われている。このとき、DNA型を判定するための検出技術が未完成だったことによる。最初の鑑定の誤りに早く気づいて撤回されていたら、菅谷氏は17年半に及ぶ刑務所生活は避けられていた。
ところが、足利事件を解決するという警察の威信をかけた大事件だったために、DNA鑑定によって解決できたと宣伝するために警察は強引に「解決」してしまった。
今でもDNA鑑定は無から有を生む、魔法のような方法ではない。
現在、大学の法医学教室の多くは、捜査サイド(すなわち警察の味方)に立って、それを支持することを本分としている。これは警察の信頼がなければ司法解剖をふくめて仕事が出来ないという現実から来ている。司法が正当に機能するためには、鑑定そのものの中立性を維持できるような国家制度を確立すべきだ。なるほど、なるほどと思いました。
ポリグラフ検査(CQT)は、正確性の問題などから、減殺では、ほとんど使われていない。
しかし、CITと呼ばれる隠匿情報テスト(犯行知識検査。CIT)のほうは、日本の警察が今もよく使っている。CITは、CQTと違って、比較的明確なロジックにもとづくものであるため、明確な質問表を複数個きちんと作成できたら、犯人なのかそうでないかを正確に判定できる。
うむむ・・・、本当にそうなんでしょうか・・・。そんなに違いのあるものなのでしょうか・・・。ちょっと信じがたいところです。
今のポリグラフ検査によれば、犯人でない人間を「犯人である」と誤って判定する率は0.4%でしかなく、きわめて小さい。捜査側の立場に立った論述だからとも言えますが、果たしてポリグラフ検査の信用性って、そんなに高まったのでしょうか・・・。
刑事弁護の実務を深めるのに役立つシリーズ第2弾の本です。
(2017年8月刊。3600円+税)
2017年9月 5日
あのとき裁判所は?
(霧山昴)
著者 宮本 康昭ほか 、 出版 ひめしゃら法律事務所
あっと驚く事実が満載の、強烈なインパクトたっぷりのブックレットです。
あの宮本康昭さんが、もう80歳を過ぎていたなんて、信じられません。それより、もっと驚くのは、1970年(昭和45年)ころ、青年法律家協会(青法協)に所属していた裁判官が350人もいたこと、最高裁に勤務していた局付判事補15人のうち10人が青法協会員だったこと、東京地裁に配属された新任判事補12人のうち10人が青法協会員だったこと、その圧倒的人数と比率に思わず叫びたくなるほど驚かされます。
さらには、宮本判事補の再任拒否に対して、当時の裁判官1850人のうちの3分の1をこえる650人が抗議文を出したというのにも腰が抜けるほど驚きます。今では、とてもそんな数の裁判官は沈黙したままで、抗議の声をあげないのではないでしょうか、残念ながら・・・。
なにしろ、1970年1月から1971年までの1年間で、350人いた裁判官部会の会員が158人も脱退して200人になったのでした。このころ、著者は、何回も血を吐いたとのことです。ストレスから胃潰瘍になったのです。良かったですね、それを乗りこえて長生きできて・・・。
当時の熊本地裁の所長(駒田駿太郎)が著者に青法協をやめろと言うので、所長も日法協に入っているでしょ、と問い返すと、「オレも日法協をやめるから、オマエも青法協をやめてくれ」と切り返されたといいます。
実は、私も、いま日法協の会員(会費だけの・・・)なのです。弁護士会の役員になったおつきあいで加入しているだけなのですが・・・。
この本で、著者は青法協を脱退した158人のその後を紹介しています。
最高裁判事6人、検事総長1人、内閣法制局長官1人、高裁長官12人、地裁所長64人。これに対して青法協に残った200人のうちでは、高裁長官が2人、地裁所長は3人だけ。このように歴然たる違いがあるのです。そして、著者に対しては露骨な差別扱いがされました。弁護士になるときに最高裁判所が経歴保証書を出さなかったというのには呆れました。
著者は判事補に再任されなかったけれど、簡裁判事として残ったのですが、宿舎から追い出されそうになったり、裁判官送迎バスの対象者からははずされたりという嫌がらせも受けています。裁判所のイジメって、陰湿ですよね・・・。それでも、著者はめげずにがんばったのですね。すごいです。給料にしても、当時で月に7万円から8万円も低かったというので、同期の裁判官たちがカンパしていたというエピソードも紹介されています。
著者とは灯油裁判で一緒の弁護団だったこともあり、親しくさせていただいていますが、人格・識見ともきわめてすぐれた人物です。こんな人を裁判所から追い出すなんて、本当に国家的損失だと実感します。
裁判官が公安によって尾行されていたとか、スパイがいたのではないかという話もあります。私のときにも、司法修習生のなかに明らかにスパイ活動していると確信したことがありました。司法界と公安、スパイというのは切っても切れない関係なんだなと改めて思いました。
貴重な本です。今の裁判所内に気骨ある人が少ないのは、その負の遺産だと思います。私の個人的経験でいうと、騙された奴が悪いなんていう若い裁判官の発想は、その典型の一つだと思います。本人は無自覚なので、始末が悪いです。
(2017年8月刊。500円+税)
9月に入って急に涼しくなりました。右膝が痛かったのも少しおさまりましたので、夏草が庭一面を覆っていましたので、日曜日に雑草とりに精を出しました。頭上でツクツク法師が鳴いて、夏の終わりを告げてくれました。日の沈むのも早くなり、夕方6時半に切り上げ、風呂場に直行しました。
湯あがりに息子が贈ってくれた甲州産の赤ワインを美味しくいただきました。平和なひとときです。
2017年8月29日
我、市長選に挑戦す
(霧山昴)
著者 小宮 学 、 出版 海鳥社
飯塚市で活動している小宮学弁護士が飯塚市長選挙に立候補し、見事に落選した経過をふり返った奮闘記です。
小宮弁護士の前著『筑豊じん肺訴訟』(海鳥社)は、なかなか感動的ないい本でした。このコーナーでも紹介し、高く評価しました。2008年の発刊ですから、以来、9年ぶりの著書になります。今回の本も、とても平易な文章で分かりやすく、80頁あまりのブックレット・タイプですので、ぜひみなさん、買って(500円)読んで下さい(私は贈呈を受けましたが・・・)。
小宮弁護士は福岡県南部の高田町(現みやま市)に生まれ、久留米で弁護士生活をスタートさせました。そして3年後、筑豊・飯塚市に移り、じん肺裁判に弁護団事務局長として18年あまり関わってきました。
小宮弁護士は、本人は「弁護団員のなかでは穏かな方だ」という自己評価ですが、原田直子弁護士は、「すぐに怒り出し」、「すぐに泣き出す人」と評価します。原田弁護士は続けて、小宮弁護士は「正義感が強く、相手が誰であろうと、決して屈しない人」だと街頭演説のときに紹介したとのことです。この点は、私も、まったくそのとおりだと思いますが、この本を読んで、ますますその意を強くしました。
なぜ小宮弁護士が飯塚市長選挙への立候補を決意したのか・・・。
市長と副市長が執務時間中に庁舎を脱け出して、元市会議員で事業経営者のマージャン店で賭けマージャンをしていたことが発覚したのです。それ自体が大問題ですが、当初は開き直っていた市長が辞意を表明するとともに、後継者として、同じ賭けマージャン仲間の教育長を指名しました。これを小宮弁護士の正義感は許すことが出来ませんでした。
これって、本当にひどいですよね。許せませんね・・・。
ところが、この点を西日本新聞筑豊支局はまったく問題にせず、むしろかばってやるかのような報道で一貫させたというのです。ジャーナリズム精神が泣きますよね。この点について、筑豊支局の総局長は「我が社の自由です」と答えたそうですが、これってジャーナリズムの自殺行為と言うほかありません。
西日本新聞は私も購読していますが、これには、正直いって、大変に失望させられました。それほど、筑豊では麻生一族に歯向かえないというわけなのでしょう・・・。残念です。
小宮弁護士は、本書のなかで、西日本新聞に対して、「襟を正せ」、「権力に媚びるな」と叫んでいますが、私も声をそろえて同じことを叫びたいと思います。
この本には、私もよく知っている故・松本洋一弁護士の言葉が紹介されています。がんのため早くに亡くなられましたが、本当にたいした弁護士でした。私も小宮弁護士と同じく、心から尊敬していました。
「たたかいは勢いである。小さくても勢いがあるほうが勝つ」
久々に松本節(ぶし)を思い出しました。切れのいいタンカで松本弁護士は法廷を見事に圧倒していました。
民法学の大家で、立命館大学の総長もつとめた末川博博士が小宮弁護士に次のようなフレーズを書いた色紙を贈ったとのことです。
「法の理念は正義であり、法の目的は平和である。だが、法の実践は社会悪とたたかい、時代の逆流とたたかい、自分自身とたたかう闘争である」
小宮弁護士は、この末川博士の教えを守って、これからもがんばる覚悟で本書をいち早く刊行したのです。とりわけ法曹を志望する人にぜひ読んでほしい冊子です。
(2017年8月刊。500円+税)
2017年8月24日
私たちは戦争を許さない
(霧山昴)
著者 安保法制違憲訴訟の会 、 出版 岩波書店
最高裁判所の元長官が安保法制法の前提となる集団的自衛権の行使を容認する安倍内閣の閣議決定は憲法違反だと断言したのには驚き、かつ、勇気をもらいました。
多くの国民が反対運動に立ちあがり、全国すべての弁護士会で反対の取り組みがすすむなかで、国会で強引に成立した安保法制は、やっぱり憲法違反だし、無効だという裁判が日本全国で起きています。
九州では、長崎、福岡、大分、宮崎、鹿児島、沖縄で裁判がすすんでいます。「もし安保法制が裁判所によって合憲と認定されたら、安倍政権を利するだけではないのか・・・」 そんな疑問があるのは事実です。
しかし、三権の一角を担う司法が、一見して明白な違憲状態を看過するようなことになれば、そのこと自体が三権分立制度の自殺を意味する。平和憲法そのもの破壊を座視するような司法は、とうてい民主国家における司法とは言えないだけでなく、最終的には国民の信頼も失ってしまうだろう。そこで、「安保法制違憲訴訟」が真正面から提起された。
つまり、国の政策について、唯々諾々と追認することがたびたびある司法のあり方を根底から問い、三権分立の一角を担い、かつ憲法保障の役割を担うべき裁判所に、その職責を果たしてもらう必要があると考え提起された裁判である。
憲法学者である青井未帆教授(学習院大学)が巻末で次のように解説しています。
日本国憲法9条が守ろうとしているのは、自由や私たち市民の普通の生活です。「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利」(憲法13条)の基礎を確保すること。日本国憲法は、軍権力がコントロール不能になって自由が現実に侵害されてからでは手遅れになってしまうからこそ、仕組みとして9条をもうけた。このような予防的な仕組みにとって、その目的である自由や市民の生活が危険にさらされる「おそれ」に敏感であることが、本質的に要求される。
今の日本では、行政府が自らに大きな権力を集中させ、これまでの慣行を壊し、あるいは作法を無視する一方で、立法府がそれに対する効果的な抑制をできないでいる。そういう状況だからこそ、三権分立におけるもいう一つの柱である司法府が権力抑制に果たさなくてはいけない役割が、これまで以上に大きくなっている。
この本は、原告となった人々のさまざまな思いが熱く語られていて、読む人の心を熱くします。ジャーナリスト、元自衛官、元パイロット、元船員、宗教者、戦争体験者、被爆者、元原発技術者、元マスコミ関係者・・・。とても多彩ですし、その真剣な訴えには思わず、エリを正して傾聴しようという気にさせられます。
代表の寺井一弘・伊藤真の両弁護士、事務局長の杉浦ひとみ弁護士の労苦を多とするほかありません。一人でも多くの人に読まれることを私も心から願います。200頁で1300円です。いま価値ある本として、あなたもぜひ買ってお読みください。
(2017年8月刊。1300円+税)
2017年8月23日
こんなにおもしろい弁護士の仕事
(霧山昴)
著者 千原 曜・日野 慎司 、 出版 中央経済社
弁護士になって40年以上もたつ私ですが、私にとって弁護士は天職、本当になって良かったと思っています。司法試験の受験生活はとても苦しく辛いものでしたが、なんとか辛抱して勉強を続け、弁護士になれて幸運でした。
大都会で3年あまり修業をして、故郷にUターンしてきましたが、それからはひたすら「マチ弁」です。狭い地方都市ですから下手に顧問先は増やせません。昔も今も利害相反チェックは重大かつ深刻です。
幸い懲戒処分は受けていませんが、懲戒請求を受けたことは何回もあります。サラ金会社から「処理遅滞」で請求を受けて、なんとかはね返したこともあります。ネット社会で法的処理のスピードが速くなっているにつれ、スマホも持たないガラケー族の身として、いつまで弁護士をやれるか心配にもなります。
40年以上も裁判所に出入りすると、いろんな裁判官にめぐりあいました。少なくない裁判官はまともに対話が出来て、尊敬すべき存在です。しかし、やる気のない裁判官、自分の一方的な価値観を押しつける裁判官、威張りちらすばかりの裁判官にもたくさん出会いました。先日も書きましたが、騙されたほうが悪いと頭から決めつける裁判官に出会うと、本当に悲しくなります。
以上は、この本を読んで触発された私の実感をつらつらと書いたものです。すみません。
この本の後半に出てくる日野弁護士は福岡で活躍している弁護士夫婦の子どもです。双子で弁護士になって、一人は広島で、もう一人は東京で弁護士をしているとのこと。なるほど、親の影響下にないほうが、お互いに気がねなく伸びのび弁護士活動を展開できると思います。福岡には親子一緒の法律事務所がゴマンとありますが、どうなのかな・・・、遠くから眺めています。
法科大学院で勉強してきた日野弁護士は、法科大学院の衰退を大変残念に思っているとのこと。私も、まったく同感です。昔の司法試験が万万才だったなんて、私には思えません。予備試験コースが昔の司法試験と同じ状況になっているのに、私は強い疑問を抱いています。
日野弁護士の仕事ぶりはすさまじいものです。前の日、午前3時まで仕事をしていて、2時間ほど仮眠をとって、午前7時25分の羽田発で福岡に向かい、福岡地裁で朝10時30分から夕方5時すぎまで証人尋問。6人の証人のうち、4人は敵性証人。相手方の弁護士も敵対的な態度なので尋問は長く、激しいものだった。
うひゃあ、す、すごーい・・・。今の私には、とても無理なスケジュールです。
ボス弁の生活は、もっとゆったりしています。平日ゴルフもあります。ただし、プレーの合い間にもメールチェックを怠らないとのこと。
顧問会社は150社。月額の顧問料収入が1000万円。う、うらやましい・・・です。でも、私は福岡市内で弁護士をしていませんので、顧問先の拡大なんて絶対にやってはならないことです。自分で自分の首を絞めるだけです。
刑事事件も、顧問先の関係で年に2、3件は担当するとのこと。これはいいことです。
民事訴訟の醍醐味は、三つある。
一つは、中身の充実した書面を書くこと。どのように説得力のある内容にするかという努力、テクニックがポイント。
二つは、どう解決するかという判断。判決をとるのが良いか、和解で解決するか、どのタイミングが良いか・・・。
三つは、どう交渉するかという交渉面。すべて、自分が主体的に絵を描いていく。裁判所の受け身ではなくて・・・。
まったく、そのとおりです。私は次回期日のいれ方にしても、自分のほうから先にリードするようにしています。そのほうが時間のムダも少なくなります。
裁判官のあたりはずれには、いつも苦労しているという文章には、まったくそのとおりなんです。
銀座でとても美味しい食事にめぐりあったとのこと。まあ、これは福岡にも、東京ほどでなくても美味しい店があると、ガマンすることにしましょう。
「こんなに面白い弁護士の仕事」は、田舎の福岡のさらに田舎にもある、このことをぜひ若い法曹志望の人に知ってほしいと思いました。
(2017年8月刊。1800円+税)
2017年8月18日
日本一やさしい「憲法」の授業
(霧山昴)
著者 伊藤 真 、 出版 KADOKAWA
安保法制、秘密保護法が制定されたあと、憲法はどうなったのか。「日本一やさしい」かどうか保証はできませんが、大切なことを分かりやすく説き明かしています。
憲法と民法や刑法などの法律とは、三つの点で大きく違っている。
その一は、法律は強い者が弱い者を支配する道具になってしまうことがあるのに対して、憲法は弱い者が国家権力という強い者に歯止めをかけて自分の身を守るための道具である。国家権力という強い者というのは、テレビで見る安倍首相や菅(すが)官房長官です。「こんな人たち」が勝手なことをしないようにしばるのが憲法です。
その二は、法律は国際情勢や経済状況に応じて改変していくべきものですが、憲法は時代に流されない恒久的な価値を示すものです。安倍首相や菅官房長官が「北朝鮮や中国の脅威」をあおって法律改正をすることがあっても(その当否はともかく)、憲法は、もっと根本的に世界と日本の平和を守るための方策を考えます。
その三は、法律は現実からかけ離れていると意味がないけれど、憲法は理想を掲げるものなので、現実と食い違っていてもあたりまえです。
憲法改正するには、国民投票にかけなくてはいけません。ところが、憲法改正手続法は重大な欠陥があります。
まず、第一に、最低投票率の定めがありません。
第二に、マスコミ規制が尻抜けです。投票日より15日前以前は、テレビCMの規制はありませんので、有名人がテレビで「私は憲法改正に賛成です」と、誰が、何回言ってもいいのです。これでは、お金のあるほうが勝ちになってしまいます。
私はこの本を読んで初めて知りましたが、イギリスがEUから離脱するかどうか国民投票にかけるときには、賛成、反対の西派の広告費用の上限が7万ポンド(9億円)と決められていました。これは、日本にとっても大変重要なことです。
「憲法の伝道師」として全国を文字どおり飛びまわっている著者は、福岡にも何回も来ています。先日は、久留米で2回目の講演会がありました。
憲法って、意外に私たちの毎日の生活の土台になっていることを気づかせてくれる「やさしい憲法」の本です。ぜひ、とりわけ中学生や高校生に読んでほしいと思いました。
(2017年4月刊。1400円+税)