弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

司法

2017年7月27日

私の愛すべき依頼者たち

(霧山昴)
著者 野島 梨恵 、 出版  LABO

若手弁護士の奮闘記。なるほど面白いです。文才があるのでしょう、読ませます。
私の敬愛する中村元弥弁護士(旭川)の推薦文がついています。
クマチン先生こと中村弁護士は読み手の弁護士を挑発します。自分の扱った事件を、この本くらいに面白く伝える工夫と努力をしたか、そんな才能をもってるかと問いかけるのです。
すみません、たしかにそんな文才がないので、相変わらず、しがない田舎弁護士を続けています。
われらがノジマ弁護士は北海道は旭川ではなく、さらに士別市で法律事務所を開業します。旭川には行ったことが何回もあります(旭山動物園にも2回・・・)が、士別市には行ったことがありません。冬は大変のようです。自動車の運転は生命がけなのですね・・・。
そして、ノジマ弁護士も、冬道でスリップして死にかけ、夏にはスピード違反で、危く被疑者、被告人そして免許取消へ・・・(そうはなりませんでした・・・、えかった、えかった)。
私は国選弁護人として、ヤミ金をやっていた若者を弁護したことがあります。暴力団とは関係のない若者がネット情報だけで、ヤミ金をやっていたという調書を読んで驚き、かつ呆れました。
ノジマ弁護士は振り込め詐欺の一味に加わった若者の国選弁護人になるのです。「週休2日で手取り月収30万円。毎日、電話をかけるだけ」。こんなおいしいキャッチフレーズ求人誌にのっているそうです。今どきありえない好条件ですよね。何かウラがあるに決まっています。いったん入ったら、抜けようとすると、リンチされること必至のヤクザな暗黒世界。本当に怖い世の中です。そして、そんな若者の伴侶は、ベターハーフと言えるのか、単なる金の成る木なのか・・・。金の切れ目が縁の切れ目、男は実刑になって刑務所に行き、よよと泣いていた女はすぐに別の男を見つけて・・・。
こんなストーリーを短編で見事に描けるわけですから、文才のあること間違いありません。
刑事弁護人の次は、家事代理人。北海道は、九州と同じく離婚率が高くて有名です。雪に閉じ込められて冬にはすることがなくなるので、離婚が多いというのです。では九州・沖縄で離婚事件が多いのは、どうしたわけでしょうか・・。
北海道では不貞は、すぐにばれる。なぜか・・・。
第一に、人口密度が低いから、目立つ。
第二に、行動が車なので、所在が知られやすい。
第三に、デートする場所が限られている。
ふむふむ、ここでは不倫しようったって、すぐにバレそうなんですが、そこは恋は盲目なので・・・。そして、ノジマ弁護士は断言する。それこそ、まさしくメシの種。弁護士たるもの、正面切って、このどろどろの中に頭から突っ込んでいって、成功報酬を勝ちとらなければならない。
うんうん、そうなんですよ、ノジマ先生・・・。
そして、そうやって、このどろどろとした状況と、どろどろに浸り切った依頼者とに真正面から取り組んでいけば、きっと、それからの弁護士の長い人生の糧(かて)になるのです・・・。
交渉にのぞむときには、ぎりぎりに約束の時間位飛び込むのはまずい。交渉の舞台には先に到着しておくべき。交渉の場所と空気にある程度慣れ、ここに相手が来て、やりとりをする場所を想像して、イメージトレーニングをしておく。これが大切。
いやあ、ノジマ弁護士の言うとおりなんですよ。私も、絶えず、イメージトレーニングをしています。もちろん、すべては想定どおりにはいかないのですが、それでもそれができるくらいの心の余裕があるのがいいのです。
ノジマ弁護士は、今は東京で活動しているとのことですが、田舎弁護士の良さを忘れないでほしいものです。
(2017年6月刊。1500円+税)

2017年7月11日

裁判所の正体

(霧山昴)
著者 瀬木 比呂志・清水 潔 、 出版 新潮社

元裁判官で現在は大学教授が、ジャーナリストに対して裁判所の内幕を明らかにした本です。
法廷に出る前に裁判官は黒い法服を着る。あれを着ることによって「人間」ではなくなる。一種の人間機械ともいえる。ところが、アメリカでは裁判官は少しえらい「普通の人」である。
家裁の裁判官は、身の危険を感じることが多い。当事者から、恨みを買いやすい。帰宅するときにあとをつけられたという裁判官もいる。
法廷にたくさん人が入っていると、裁判官は強権的な訴訟指揮をしにくいし、弁護士も主張・立証のあり方についてきちんとしてくるので、わずかでも見ている人がいる裁判は違ってくる。たくさんの人が継続的に傍聴にきている裁判では、それなりによく考えるというのは、まともな裁判官だったら、ありうること。たくさんの人が傍聴に来ていれば、より慎重に判断しがちだ。真面目にきちんと聞いている人が多いほど、まともな裁判官なら動かされる。人間は社会的動物だから。
裁判官の官舎は、裁判官を管理・隔離するうえで、非常に都合がいい。
裁判官の官舎には、必ずちょっと変な人がいて、非常に住みにくいところ。
裁判官は、そのときどきの自民党の中枢の顔色をうかがう傾向は強い。たとえば、夫婦別姓については、まさに「統治と支配」の根幹にふれ、自民党主流派の感覚にもふれるから、絶対にさわらない。
非嫡出子の相続分については、そんなに大きな問題ではないので、民主的にみえる方向の判断を下す。最高裁はそんなバランスをとっている。つまり、国際標準の民主主義にかなう判決はわずかでしかない。
日本の裁判官の多数派は「俗物」だ。エリート行政官僚と何ら変わらない。ただ、行政官僚よりも、はるかに伸び伸びできないので、陰にこもった人間が多い。
最高裁の裁判官になったあと、最近は、昔と違って、平気で天下りする人が多い。民間企業への天下りは、本当に節操がなく恥ずべきことなのに・・・。
多くの裁判官は、きわめて想像力に乏しい。
日本の裁判官は、権力そして時の世論に弱い。日本がどんどん悪くなっているとき、歯止めになる力がきわめて乏しく、それはごくごく一部の裁判官にしか期待できない。
裁判官の給料は、20年を過ぎると、出世レベルが上のほうだと2000万円に手が届くくらい。65歳で裁判官をやめるときには、家と土地があって、退職金をふくめて1億円くらいある。
裁判官の不祥事は、近年ふえている。2001年から2016までの16年間で10件の懲戒処分が公表されている。これは、実際に発覚した件数。
裁判所というのは、現実感が薄い。一種の精神的収容所なので、ものが見えにくくなる。裁判官の世界は、閉ざされて隔離された小世界である。いわば「精神的な収容所」である。外の世界から隔離されているので、価値観まで、おかしくなっている。裁判官って、本当に孤独。
裁判官は、期を中心として切り分けられ、競争をさせられる集団である。
裁判官の再任請求を市民ととも審査する。再任を拒否された裁判官は、年に4人、5人も出た。理由も告げられずクビになったということであれば、全体が萎縮する。その結果、能力に自信のない裁判官たちは、ひたすら上ばかりをうかがうヒラメになって保国を図ることになりやすい。
最高裁には人事評価の二重帳簿がある。絶対極秘の個人別評価書がある。
若くて能力の乏しい裁判官を中心にコピペ判決が増えている。裁判官の能力は下がりつつある。最近の若手裁判官は、大事務所を勝たせる傾向が強い。権力とか、力をもっているもののほうを勝たせる。国や地方公共団体、そして、大企業を勝たせようとする。
最高裁が裁判官協議で事務総局が局見解として打ち出したものをみて、裁判官は、非常に萎縮する。
著者の指摘には、一部これは違うというように違和感を覚えるところもありますが、全体としては、鋭く問題点をついていると思いました。
(2017年5月刊。1500円+税)
 キャナルの映画館で「ハクソーリッジ」をみてきました。日本軍は前田高地の戦いと呼ぶようです。
 宗教上の信念と子ども時代の苦い思い出から銃を持たないという「良心的兵役拒否者」が、結局、衛生兵として戦闘部隊の一員として戦地の沖縄に赴任します。平穏に上陸したかと思うと、地獄のような戦場に一変し、衛生兵が大活躍せざるをえなくなるのです。戦場のむごさ、残酷な現実が、嫌やになるほど再現されます。ノルマンディー上陸作戦を描いた「プライベート・ライアン」に匹敵するほどの凄惨な戦場シーンが続き、思わず身を固くして息をひそめてしまいます。
 上官たちが、戦争は人を殺すものなのだ、敵を殺すしか自分の身は守れないと喩すのですが、軍法会議にかけられても、自分の主張・信念を貫こうとするのです。
 自衛隊を軍隊にするとき、今でも実質は軍隊というものの、人殺しを経験していないという歴史上かつて存在したことのない軍隊ですが、「私は敵を殺したくない、捕虜にすればいい」と兵士が言いだしたら軍隊(自衛隊)はどうなるのでしょうか・・・。
沖縄戦については、「シュガーローフの戦い」(光人社)を前に紹介しました。1945年5月12日から180日までの一週間でアメリカ軍の第六海兵師団は2000人をこえる死傷者を出したのです。
 アメリカ軍による沖縄侵攻作戦は、55万人の将兵と1500隻の艦船を動員するものだった。攻撃開始日だけで18万2000人が参加したので、前年のノルマンディー上陸作戦のロデイを7万5000人も上まわっている。
 シュガーローフの戦いの現地は、いまはモノレールの「おもろまち」駅の付近です。
 今では、アメリカ軍の無理な攻撃自体が戦略上のミスではなかったかという厳しい批判がなされているとのことも知りました。「ハクソーリッジ」をみた人には、この「シュガーローフの戦い」(光人社)も読んでほしいと私は思います。

2017年6月14日

守柔・・・現代の護民官を志して


(霧山昴)
著者 守屋 克彦 、 出版 日本評論社

守柔って、いったい何だろうと思いました。老子52章に「守柔曰強」という表現があるとのこと。「柔を守るを強という」、つまり、柔弱の道を守るのは、かえって剛強の道であると解釈されている。
著者は東北大学出身で判官になり、青法協の熱心な会員となります。それは、まだ司法反動の嵐が吹き荒れていない、のどかな時代を過ごします。東京地裁にいたとき、青法協会員の裁判官の集まりとして「J・J会」をつくって研究会活動を始めてもいます。
東京J・J会が始まったとき101人、最終的には240人の会員を擁していた。
信じられない人数です。ところが、その会報に会員の異動をのせていたところ、それが「敵」の手にわたり、「裁判所の共産党員」とデッチ上げられてしまうのでした。
東北大学生として司法試験には現役での合格ですが、9人いたとのことです。著者は実質8ヶ月間の勉強で合格しています。
病気のため1年間療養して、12期として司法研修所に入った。あとで再任拒否された宮本康昭氏も同期。のちに最高裁長官となった町田顕裁判官は、司法修習生のときから青法協会員として活発に活動していて、東京J・J会にも当初から入会するという、熱心な青法協会員だった。
平賀書簡という地裁所長による裁判干渉事件が起きたとき、福島重雄裁判官から著者は真っ先に相談を受けた。
「正面から問題にしようと言っている福島さんを孤立させるわけにはいかないという決断には時間はかからなかった。しかし、裁判所のなかで、多分ただではすまないだろうなという不安はあった」
「父親から、何かあると黒星判事と言われて、地方回りをさせられるそうだと聞かされていたことを思い出した」
著者は所長からの事情聴取を3回うけた。青法協からの脱会の意思の有無を問われ、「会にとどまって事態を収拾したい」と答えた。
著者は最高裁による再任拒否者の筆頭とみられていた。ところが、著者ではなく、宮本康昭氏が拒否された。
全国裁判官懇話会が始まったのは昭和46年10月のこと。昭和47年2月、大阪で開かれたときには全国から255人もの裁判官が参集した。
14期では再任拒否は出なかった。
そして、1999年11月の懇話会に矢口洪一・最高裁元長官を招いて講演してもらった。
矢口洪一は、全然反省していない。矢口のなかでは宮本氏の首を切ったことも、懇話会に出て話すことも、まったく矛盾していないと思われる。
著者自身は肯定的に評価しているけれど、「矢口を呼んだのは絶対に間違いだ」と言う人も少なくない。
私の同期の元裁判官もその一人です。当時、わざわざ席をはずしたとのことです。
その結果、裁判所はどうなったか。上の方ばかり見ている、いわゆるヒラメ裁判官が多くなり、裁判所の活気が低下していく気配が生まれた。矢口長官のご機嫌をうかがうような人たちが矢口長官の意向を先取りして(忖度して)締め付けをした。これは官僚組織の通弊だ。
宮本氏の再任拒否に対して、東京の裁判所では要望書を集めることは出来なかった。
やがて、最高裁の局付判事補10数名が青法協会員だったところ、集団で脱退した。その先頭を切ったのが町田顕だった。
青法協には、東大のセツルメント出身の人が多かった。町田顕もその一人だった。
本当によい裁判をしようと思っていた人間の集まりがJ・J会だった。
自分がすすんで加入した会に対する退会の意思を内容証明郵便で出して、司法行政の管理職に報告するところまで追い込まれた行動を転向にはあたらないと言えるものなのか、疑問を感じる。
脱会しないで残った方にしても、余計な不利益は避けたいという自己規制が働くことになる。全体として、組織の活性化には大変なマイナスになったことは否定できない。
このような雰囲気に失望して辞めていた裁判官の仲間が多かったし、優れた人材が新任拒否で裁判所に入れなかったりして、日本の司法にとって取り返しのつかない損失がもたらされた時代だった。
どうでしょうか、今も、日本の裁判所のなかはその「損失」が拡大再生産されたまま、活気に乏しいままのような気がしてなりません。本書は決して過去の話ではなく、現代に生きている深刻な問いかけをなしていると思います。
聞き書きが本になっていますので、大変わかりやすい読みものとなっています。「司法の危機」に関心のある人には欠かせない本だと思います。一読を強くおすすめします。
なお、最新の判例時報に宮本康昭氏が連載をはじめました。心ある裁判官には社会から課せられた重い任務から、逃げずに誠実に遂行してほしいと心から願っています。
(2017年5月刊。1400円+税)

2017年6月 7日

法と実務13巻

(霧山昴)
著者 日弁連法務研究財団 、 出版  商事法務

法テラスのスタッフ弁護士がどんな活動をしているのか、その積極的意義が実践を通してとても具体的に語り明かされています。私も、改めて、なるほどスタッフ弁護士だからこそ出来る活動だなと深く納得しました。法テラスの存在意義に批判的な弁護士が少なくないなかで、本書が広く読まれることによって、その偏見が解消されることを、一弁護士として心より願っています。
「地域連携と司法ソーシャルワーク」と題して、270頁を占める詳細なレポートがあります。なかなかに読みごたえがある内容です。
法科大学院(ロースクール)の発足により、福祉のバックグラウンドをもつ人材など多様な人が弁護士に参入してきた。他分野の人々と疎通性の高い人材が増えている印象がある。
司法アクセスを業務とする全国組織として法テラスが設置されたことは画期的なこと。地域によっては法テラスを歓迎しない弁護士会が残っているものの、公的資金を投入して全国展開する司法アクセス拡充拠点が政府の政策として設置されたことは社会的に意義がある。法律扶助予算の増額、情報提供業務の導入と法律相談援助の拡充、スタッフ弁護士制度の導入が成果である。
法テラスのスタッフ弁護士もコスト意識を持たなければならないものの、事務所営業上、ケースごとの採算にはしばられないので一般の弁護士が扱いたくないケースや扱いにくいケースを率先して扱える。出張相談などのいわゆるアウトリーチ、ケア会議への出席、高齢者や障がい者などの非常に困難な事案の担当などは、一般の弁護士では採算上から受任をためらうことが多いだろうが、スタッフ弁護士は採算上の制約がない。
いくつもの実例(ケース)が具体的に紹介されています。意思疎通がもともと困難な人であったり、トラブルを解決しても帰るべきところのない「非行」女性などの場合では、弁護士だけで対応できるはずがありません。
たとえば、80代の老人の一人暮らし。ゴミ屋敷に生活していて、資産があるため証券会社の社員から狙われている。弁護士は警戒されて会話が成り立たない。自治体の福祉担当との連携を通じて徐々に信頼関係を築き上げていって、ついに成年後見開始申立に至る。それまでスタッフ弁護士が投入した時間は400時間という。気の遠くなりそうなほどの時間です・・・。
そして成年後見人として被後見人とのつきあいが続いていきます。こんなケースは、たしかに私のような一般弁護士では明らかに無理ですよね・・・。
「司法ソーシャルワーク」という、言葉を私は初めて聞きました。3要素から成る。一は、高齢者や障がい者などに対して、二は、福祉・医療機関などと連携して、三は、全体として総合的に生活支援をしていくということ。
弁護士がケア会議にも積極的に参加していくことになります。すると、弁護士倫理との衝突の場面が出てきます。守秘義務はどうなるのか、弁護士の職務の独立性は確保されているのか、です。また、依頼者の意思は、誰がどのように判断するのかという実際上はむずかし問題もあります。さらには提携先との利益相反の問題もおきてきます。
そして、困難な事件が在日外国人だったら、言葉の問題も登場します。それは通訳の問題だけではありません。
私はスタッフ弁護士の活躍ぶりを比較的身近に聞ける立場にいますので、いつも応援しているのですが、このところ司法修習生がスタッフ弁護士を志望しなくなったと聞いて、一抹の不安を感じています。ぜひとも、若いうちに弁護士過疎地に飛び込んで、司法の現実を実感し、それを打破していく実践活動を体験してほしいと考えています。それは、長い弁護士生活で忘れられない貴重な経験になると思います。
この本には、イギリスの入管収容施設の視察報告もあり、参考になります。
収容者を尊敬と礼節をもって扱うことで安全をたもてるし、職員を増やさなくても適切に対応できる。人間関係がきちんと出来ていると、問題の多くは未然に防げる。政府が「お金がない」と言うとき、それは、あなたに対して関心がない。あなたは大事ではないと言っているのと同じこと。
最後のフレーズは、まさに日本の政府にあてはまるものですよね。
横組み400頁という大変ボリュームのある冊子ですが、とても充実した内容になっています。一人でも多くの弁護士に読まれることを私も願っています。
(2017年5月刊。4800円+税)

2017年6月 6日

可視化・盗職・司法取引を問う

(霧山昴)
著者 村井 敏邦 ・ 海渡 雄一 、 出版  日本評論社

私は現役の国選弁護人です。当番弁護士も被疑者弁護も出動します。同世代で引退している人は多いのですが、法廷で刑事弁護人として検察官とわたりあうのは弁護士の原点だと確信しています。私にとって、現役の弁護士であろうとする限り、その前提として国選弁護人の活動を続けるつもりです。ところが、実は、私の出番がすごく少なくなっています。これは弁護士の数が増えたからではありません。刑事事件の減少が著しいことによります。それだけ平和な日本になったと言えそうなのですが・・・。
かつて多かった覚せい剤、万引事件も減ってしまいました。本当にこれらが減っているのならいいのですが、警察の検挙能力の結果だったり、モミ消しが多いだけだったというのなら救われません。この本に、最近の司法統計が紹介されています。
犯罪(刑法犯)の認知件数は、2012年に戦後最高の285万件を記録したが、それ以降は毎年10万件単位で減少しており、2015年は109万件と半数以下になった。検挙件数は、2003年から2007年にかけては60万件台だったが、それ以降は同じように減少していき、2015年は35万件まで減少して、戦後最小となった。
検挙人員は、1997年以降は30万人台だったが、2012年から30万人を下回り、2015年は24万人となった。
検挙率は、昭和期には、60%前後だったが、平成に入って急激に低下し、2001年には19.8%となり、戦後最低を記録した。その後は少し上昇したが、このところ横ばいであり、2015年は32.5%だった。
この状況下で、2016年5月に刑事訴訟法が改正された。この改正は、刑事訴訟法の基本の変更をもたらしかねない内容をもっている。盗聴の対象犯罪の拡大は既に施行されたが、司法取引は2018年6月までに、可視化については2019年6月までに施行されることになっている。
果たして、これらの刑事訴訟法の改正はどのような意義を有するものなのか・・・。
取調べの録音・録画は冤罪防止につながらない。逆に、不適切な録音・録画が公判廷で再生されることによって、裁判員に対して予断、偏見を生すことが危惧される。
小池振一郎団員(東京)が「可視化は弁護をどう変えるか」というテーマで論稿を寄せている。今市事件では、「犯人」として逮捕・起訴された男性は、147日間、ずっと代用監獄に収容され、自白しないと食事させないと脅された。そのとき、警察等の取調べ録画は、わずか81時間あまり。そのうち編集された録画7時間分のみが証拠として採用されて、公判廷で再生された。今市事件では、裁判員たちが録画をみて、有罪か無罪かを決定した。
映像には、情報が膨大に詰まっているので、人は映像のなかに見たいものしか見ない。ましてや部分録画は、かえって真相を歪曲する恐れがある。ビデオ録画が実質証拠化すれば捜査段階が弁護人抜きの一審裁判化する。これは公判中心主義の破壊である。
取調べを録画する以上は、せめて取調べの弁護人の立会いが必要とされるとすべき。
日本では警察は被疑者を屈服させる場とされ、このような場面は録音・録画されない。
部分録画が法廷に堂々と提出されるようになったら、公判廷で心証をとる公判中心の近代刑事司法にしようとして裁判員裁判が始まったはずなのに、公判中心主義の破壊を改正法が推進するおそれがある。
改正法では録音録画の取調べ請求義務があるとされる場面であっても、それを証拠採用するのは別問題とすべき。取調べの録画は弁護人に開示されることが重要であり、その結果、任意性の争いを撤回したら、録画を証拠採用しないように運用すべきである。
海外では、取調べは、せいぜい数日程度。長時間、長期間の取調べを規制することによって、取調べの全過程可視化を現実のものとすることができる。
なーるほど、そういうことだったのですね。司法取引の導入については、岩田研二郎(東京高裁)団員が丁寧に問題点を指摘してくれています。
法改正の動きだけでなく、刑事弁護の実務にも大変役立つ内容になっています。
ご一読をおすすめします。
(2017年3月刊。2400円+税)

2017年6月 1日

弁護士の経営戦略

(霧山昴)
著者 高井 伸夫 、 出版  民事法研究会

80歳になる著者は、もちろん現役の弁護士です。事務所には、朝8時ころに出勤し、夕方6時まで仕事をしているとのこと。年齢(とし)のせいで耳が遠くなったそうですが、この点は私にも同じ傾向があります。
これまで365日、仕事をしてきたそうですが、オンとオフの切り替えにも気を配っています。
オフが充実しないと、オンは充実しない。
まことに、そのとおりです。趣味に生きるということで、読書(小説を読む)とあわせて、絵を見ることが紹介されています。本を読むのは私も実践してきましたし、映画も大好きです。最近も、東京の岩波ホールで映画を見て楽しんできました。
そして、旅行です。このところ海外へは行っていません。国内旅行も、まだ行っていないところがたくさんあります。
著者は新しい友人を少しずつ増やすといっていますが、なかなか出来ません。というか、あまり開拓意欲が湧きません。若い女性なら、少しずつ増やしたいのですが・・・。
著者は大切なことを指摘していると思いました。たとえば、依頼者自身が社会貢献意識をもつように促すということ。弁護士は依頼者をもうけさせるだけではいけない。うむむ、そうなんですよね。でも、ここは、弱いところです・・・。わたしは、大いに反省しました。社会貢献というのは、いろんなアプローチがあっていいわけですから、この意識をもつように働きかけることも忘れてはいけないということです。私も、これから、改めて気をつけたいと思います。
弁護士は、常に早め早めに準備をし、対処していかなければならない。
仕事は、まずは易しいものから、どんどん片付ける。そして、難しいものについても、1日以内に終わらせるようにする。拙速は巧遅に勝る。
私も、まったく同じ考えです。悩んで、仕事をかかえこんではいけません。
弁護士は、決断力を要する職業である。
自分の発言に責任をとる覚悟が必要だし、決断は実行してこそ意味がある。
リーガルマインドは、論理的思考とバランス感覚の二つの両方が必要。
弁護士を採用するときには、目線が強い人を選ぶ。人間観察力が強い人だ。
弁護士は書くことも大事だし、話をすること、その前に読むことも大事。執筆力、表現力、さらに分析力が求められる。そして、先見性、迅速性、さらには機動力が高いこと。
いやあ、弁護士って、いろんな能力が求められるのですよね・・・。
さすがに、大先輩の言葉には実践に裏づけられた重みがあります。
若手弁護士に限らず、弁護士全般にとって大いに参考になることが満載の本です。
(2017年5月刊。1700円+税)

2017年5月16日

人質司法に挑む弁護

(霧山昴)
著者 東弁期成会明るい刑弁研究会 、 出版  現代人文社

日本の刑事司法は機能不全に陥っていると言われて、久しいものがあります。
その最大の問題が、「人質司法」と言われる安易な身体拘束の常態化である。
勾留請求の却下率は低い。2003年度の勾留請求人数は15万人に近い14万8、333人だった。その勾留請求が却下されたのは536人。なんと0.0036%でしかない。ところが2014年には、2.71%へと上昇した。
保釈が認められたのは、2003年度の被告人7万7071人のうち、保釈されたのは8881人、12%でしかない。ところが、2014年には23.9%にまで伸びた。
判決を受けて釈放された人は3万6052人。実に、起訴された人の半分近くが、無罪(きわめて少ない)、執行猶予、罰金の判決を受けるまで拘束されていたことになる。しかし、これらの人は判決前に身柄拘束から開放されるべきであった。
被告人から弁護人選任届に署名をもらったら、すぐに検察庁へ提出すべき。警察も裁判所も受けとらない。
検察官の接見指定というのが、今も生きていることを知り驚きました。たしかに昔は「面会切符」を検察官にもらいに行くのが大変だったことがありました。ところが、先輩のたたかう弁護士が、「オレは、そんなのもらったことないよ」と豪語しているのを聞いて、私も発奮して、電話指定に切り換えさせました。わざわざ検察庁まで足を運んで、面会切符をありがたくおしいただくなんて、私にとっても屈辱的なものでした。
「捜査の中断による顕著な支障」など、現実には、あるはずもありません。
裁判官による被疑者の勾留質問に弁護士が立会うことを禁止する規定はありません。少年や知的障害のある被疑者に限って弁護人の立会いを認めることがあるようですが、もっと広く認められるべきものです。
保釈保証金は、年々、高額化しています。8年前に平均150万円だったのが、今では200万円ほどになっています。
全弁協の保釈保証書は、保証金額の2%と、自己負担金として保証金額の10%が必要(上限300万円)。私は、まだこの制度を利用したことがありません。
拘置所に被疑者・被告人の身柄が移って困るのは、休日・夜間接見がきわめて困難になってしまうことです。代用監獄として警察留置場に入っているときには、休日・夜間接見が自由自在なのですから、その不便さは大変な苦痛となります。
刑事弁護人となったときに、被告人の主張を裁判所に対して十全に展開することを可能にする丁寧な手引書です。書式もたくさんあって、とても実践的な本ですので、大いに活用したいものです。
(2016年10月刊。2700円+税)
日曜日に梅の実を摘みました。今年は豊作で、大ザル4杯になりました。梅酒を楽しみます。
いま、庭はライドブルーのハナショウブとキショウブが花盛りです。スモークツリーも見頃になってきました。緑濃い庭をながめながら、サンテミリオン(赤ワイン)をいただき、至福のひとときになりました。
ジャガイモ畑の手入れもしましたが、蚊に悩まされるようになりましたが、ヘビの抜け殻も発見し、そちらも気をつけないと思ったことでした。

2017年4月 6日

偽囚記


(霧山昴)
著者 鬼塚 賢太郎 、 出版  矯正協会

東大法学部生がニセの看守になり、また囚人として刑務所に入ったときの体験記です。
ときは戦後まもなくの昭和22年(1947年)のことです。団塊世代の一人である私の生まれる前年です。教授になったばかりの国藤重光教授が志願囚をつのったのでした。4人の学生が応じ、そのうち3人が実際に看守となり、また、囚人となって刑務所に入っています。
場所は横浜刑務所です。横浜修習だった私も横浜刑務所のなかに見学者として入りました。高い塀があり、模範囚が塀の外で花壇の手入れをしている光景を思い出します。
しかし、学生が3人もニセ囚人になるというのは容易なことではありません。いったい、どんな犯罪をしたことにするのか、家族や出身地、そして当時なら兵隊経験はあるのか、どこに行ったのか、嘘をつき通して、つじつまを合わせなければいけません。
囚人から次第に疑われていく様子がリアルに描かれています。要するに当局から送り込まれたスパイではないかと疑われるのです。それが確定したら、ひそかにリンチされるのは必至です。そのとき、本当に誰かが助けてくれるのか・・・。
体験者は、無事に「出所」したあと、国藤教授に「もう、あとの人には、こういう体験をすすめるようなことをしないで下さい」と迫ったそうですが、それもなるほどだと思いました。
罪名はPCとされています。要するに、進駐軍(アメリカ軍のことです)の物資の不法横流しをしたというのです。それで刑期は5年。
刑務所内ではタバコを吸っていた。その火種はどうしていたか・・・。
ホウキの柄と綿くずを使って、ゴリという発火の方法を利用していた。
今から30年ほど前でしたか、福岡刑務所でピストルを製造していたことが発覚したことがありました。戦後間もなくの刑務所では、それこそいろんなことがあっていたことでしょう。タバコを吸っているというのは、20年ほど前の刑務所の話としても聞いたことがあります。今はないのでしょうか・・・。
それにしても、この体験をした著者が、裁判官になり、機会の許す限り矯正施設を訪問していたというのにも感銘を受けました。やはり、刑事裁判では行刑の実際を知ることも大切だと思います。裁判員裁判を担当する人には、事前に刑務所見学もしてもらい、その実情の一端を知ってほしいものだと思います。いかにも貴重な体験記です。
先日の本(原田國男『裁判の非情と人情』)に紹介されていましたので、早速ネットで注文して読んでみました。
(昭和54年3月刊。850円+税)

2017年3月30日

刑事司法への問い

(霧山昴)
著者 指宿 信 ・ 木谷 明 ・ 後藤 昭 、 出版  岩波書店

シリーズ刑事司法を考えるの第0巻として刊行されました。
いま、日本の刑事司法は、確実に、そして予想を上回る勢いで変わりつつある。
この本は、この認識をベースとしつつ、そのかかえている問題点を縦横無尽に斬って、解明しています。
刑事被告人とされ、長い苦労の末に無罪を勝ちとった元被告は鋭く指摘しています。
冤罪は、なぜ起こるのか。一言でいえば、捜査権力が誤った目的意識をもっているから。肌で感じた冤罪の要因の一つは、検察官の取調べ能力の高さ、つまり調書作成能力の高さである。一人称で書かれながら、検察官が怪しいと思う部分は、符丁として問答形式が挿入されるといった枝巧が用いられる。
取調べのプロである検察官に対して、知力、気力、体力で伍することができなければ、取調べをイーブンに乗り切ることは不可能である。
そして、捜査権力の無謬性を、もっとも信頼しているのが裁判官である。
裁判官に対しては、圧力をかけていると一切感じさせない、しかし、国民が注視しているという意識をもたせることが必要。なーるほど、工夫が必要ということですね。
検察庁では「言いなり調書」を作成すると上司から叱責される。「あるべき」「録取すべき」供述とは、有罪の証拠として十分に使える供述調書のこと。このような調書を作成できることが重視される。
冤罪の大きな原因は、違法な取調べによる虚偽自白。これは捜査機関、ひいては裁判所までもが自白を必要としているから。
動機の解明に固執すると、捜査機関に合理的かつ詳細な自白獲得という無理を強い結果になりかねないことが意識されるべきだ。
最近、さいたま地裁では拘留請求の却下率が急増し、平均1%だったのが8.11%にまでなっている。
刑務所を満期釈放で出た人の60%以上が、10年以内に再び刑務所に入っている。
しかし、仮釈放になった受刑者の再入院率は低い。
刑務所での作業の労賃は時給6円60銭。最高でも時給は47円70銭。これでは出所するときに5万円ほどにしかならない。受刑者が刑務所を出て社会に復帰するときに必要なアパートを借りたり、給料をもらうまでの生活費には、まったく不足する。
矯正施設に収容される人は減り続けている。刑務所は8万1255人(平成18年)が、6万486人(平成26年)へと2万人も減っている。少年院は、6052人(平成12年)がピークで、今やその半分以下の2872人(平成26年)。
刑事司法の現場にいた人、身近に接している人たちの論稿ばかりですから、さすがに深く考えさせられます。
末尾の座談会の議論に、真実主義者の弁護士がいるのに、私は驚いてしまいました。真実は、もちろん私も俗人としていつも知りたいものです。しかし、法廷で弁護人に求められているのは決して「真実」ではないと教わってきましたし、自らの体験でもそれが正しいと考えています。
いずれにしても、あるべき刑事司法を考える有力な手がかりとなるシリーズの刊行が始まったわけです。ご一読をおすすめします。
(2017年2月刊。2800円+税)

2017年3月28日

裁判の非情と人情

(霧山昴)
著者 原田 國男 、 出版  岩波新書

読んでいると、なんだか、ほわーっと心が温まってくる、そんな本です。
私は東京から帰ってくる飛行機のなかで読了しましたが、それこそフワーッと心が浮き上がってしまいました。その心地良さにです。
ここまで言えるというのは、タダ者ではありませんね。
無罪判決は、楽しくてしょうがない。筆が自然と伸びる。文章の長さなど気にならない。気が付いてみれば、長文となっただけで、それを目ざしたわけでもなく、長文を書かなければと苦しんだわけでもない。ここまで言えるというのは、タダ者ではありませんね。
そもそも、しっかり書けないような無罪判決は、その判断や理由づけに問題があるからであり、考え直したほうが賢明である。無理して無罪にする義理はない。
無罪判決を続出すると、出世に影響し、ときに転勤させられたり、刑事担当から外されたりする。これは、残念ながら事実である。だから、無罪判決をするには勇気がいる。
しかし、無罪だと信じる事件を有罪とする裁判官がいたら、それだけで失格であり、裁判官が犯罪者に転落してしまう。
私も、現実に、裁判官に勇気がないから無罪判決を書けなかったんだなと感じたことが複数回あります。重大事件とか警備公安事件ではなく、一般のフツーの事件について、です。
被告人の更生に関心をもたなくなったら、刑事裁判は終わりである。
裁判官は、訓戒すべきだと著者は言いますが、私も同じ考えです。ムダなので何も言わないという裁判官にあたると、ガッカリします。
著者は、裁判官は小説や映画をたくさん読んで観てほしいと強調しています。これまた、まったく同感です。
寅さん映画は、ぜひ観てほしい。まさしく人情とは何かを語っているからだ。
裁判官は、多くの文芸作品や小説を読むべきである。自分では経験できないようなことも、小説を通じて感得することが可能なのだ。
著者が勧めているのは藤沢周平と池波正太郎の『鬼平犯科帳』です。
私は、山本周五郎もいいと思います。藤沢周平は、「たそがれ清兵衛」など映画になったのもいいですよね。
『世界』の連載コラムが本になったものです。コラムは読んでいませんでしたので、すべて初めて読んだわけですが、こんな芯のある裁判官が残念ながら少なくなりました。「青法協」退治の負の遺産が今も残念ながら確固として生きているのです。そして、それを打破すべき弁護士任官も、裁判所の厚い壁にぶつかっている現実があります。
軽く読めて、フワッとする心地よいコラムですが、よくよく考えてみると、実に重たい内容ばかりです。
法曹関係者には広く読まれてほしい本です。
(2017年2月刊。760円+税)
春になりました。チューリップの花が色とりどりに咲き誇っています。ウグイスの鳴き声を聞きながら春の陽差しの下で庭を手入れするのが至福のひとときです。とはいっても、実は花粉症に悩まされる季節でもあります。なんとか薬に頼らずに乗り切りたいと、毎年はかない抵抗をしています。毎朝のヨーグルトと寝る前の鼻洗いだけが予防薬です。
それにしても春は陽が長くて、いいですよね。暑くもなく、寒くもなくて・・・。

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