弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

司法

2015年11月30日

裁判官の書架

(霧山昴)
著者  大竹たかし 、 出版  白水社

  裁判官にも、こんな柔らかい文章を書ける人がいるんですね。
  日頃、どうしようもないほど頭の固い、世間知らずとしか言いようのない裁判官ばかりを相手にして仕事をしている身として、この本を読んで、ほっと救われる気分になりました。
  といっても、著者は団塊世代、私よりほんの少しだけ年下です。だから、私としては団塊世代のおじさんたちも、それなりに世の中に貢献しているんだよ。この本を読んで、それを実感してね、と言いたくなります。
  著者はエリートコースを歩んできた裁判官です。なぜか最高裁の判事になっていません(今からでもなれるのでしょうか・・・?)。東京地裁、東京高裁であわせて10年間も裁判長をつとめています。そして、東京法務局の訟務部長、最高裁調査官、法務省・・・。そして、民事再生法に関する著書も出てますから、それこそ出来る裁判官の一人でしょうね。
  そして、イギリスにも留学しています。この本には、イギリス留学のころが、何回も出てきます。よほど印象深かったのでしょうね・・・。私にとっては、40代のころの40日間のフランス語夏期研修が忘れられません。やはり、若い時には外国に大いに出かけるべきです。
  ところで、この本を読んで印象深いのは、沖縄に勤務していた時代の話なのです。沖縄に、それほど長くいたとは思えませんが、泡盛の話など、しっとりした話が胸を打ちます。やっぱり、沖縄文化って本土と少し違ったところがあるんですね、そう気づかされます。
  いま、弁護士は本当に本を読みません。本を買って読もうという弁護士が減ってしまいました。ネットで情報は手に入るというのでしょう。でも、想像力をかきたてるのには本です。本にかなうものはありません。そして、弁護士と同じく裁判官も本を読んでいないように思われます。たまに、本当に、ごくまれに、この書評を読んでるという裁判官と話すことがあります。
  もちろん、この書評を読んでいるのが偉いわけでもなんでもありません。そうではなくて、視野を裁判所の外にまで広げているかどうか、なのです。本を読むということは、想像力を豊かにすることです。これって、法曹に生きる人にとって、必要不可欠だと思うのですが、それが決定的に欠けているとしか思えない裁判官が本当に多いような気がしてなりません。
  この本で紹介されている本の大半は、私も読んだことがありませんでした。それでも、最後に紹介された我妻栄の『民法講義』を裁判で参照していたというのには驚かされましたし、尊敬しました。私も40年前に我妻栄は読みましたが、その後、本を捨てていないだけで、読んだことはありません。申し訳ない限りです。
 読書好きの人には、おすすめの一冊です。
(2015年9月刊。2500円+税)

2015年11月 7日

あなたは死刑判決を下せますか

(霧山昴)
著者  木村 伸夫 、 出版  花伝社

 私は残念なことに裁判員裁判を経験したことがありません。
 殺人事件の弁護人になったことはあるのですが、いつのまにか嘱託殺人となり、裁判員裁判ではなくなりました。裁判員裁判が始まって、もう6年になりますが、私のパートナー弁護士も私と同じで、やったことがありません。ですから、体験にもとづいて裁判員裁判の是非を論じることはできません。
でも、私は、一般市民が裁判所のなかに入って、裁判官と「対等に」議論する仕組み自体はいいことだと評価しています。その裏返しに、職業裁判官の裁判への深い不信感があります。もちろん、まともな裁判官も多いわけですが、どうしてこんな人が裁判官を続けているのか強い疑問を感じることも決して少なくありません。そんなときには、せめて市民に直接接して説得できるようになってほしいと願うのです。
 この本は殺人事件を担当するようになった高校教員の体験記という仕掛けで裁判員裁判の展開を紹介しています。
 審議状況を傍聴したことのある司法修習生に感想を聞いたことがあります。彼らは異口同音に、裁判員になった市民はみんな真剣に考え、発言していましたよと教えてくれました。もちろん、守秘義務がありますので、具体的なことを聞いたわけではありません。それでも、真面目な議論がなされていること、裁判官の「誘導」はあまりないということを知って安心したものです。
 この本のなかに、裁判官の回想録はあまりないとか、見たことがないと書かれています。たしかに少ないとは思いますが、決してないというわけではありません。木谷明氏など、いくつか秀れた回想記も出ています。
 8月はヒマなので、海外旅行に行っていますという裁判官の話が出てきますが、多くの裁判官にとって、8月は長大事件の判決書きに精進していて、海外旅行どころではないように思います・・・。
 裁判員裁判の具体的イメージをつかめる本として、おすすめします。
(2015年10月刊。1500円+税)

2015年11月 5日

さえこ照ラス

(霧山昴)
著者  友井 羊 、 出版  光文社

 沖縄にある法テラス事務所が舞台となっています。
 法テラスでスタッフ弁護士として働く沙英子が主人公。とぼけた男性事務員の大城が主人公を補佐して大活躍します。
 沖縄の特殊事情を生かした状況設定のなかで、スタッフ弁護士である沙英子と大城のコンビが難問を次々に解決していくのです。
 うまい。ストーリー展開が実に見事です。誰だろう、こんなストーリーを描けるのは・・・、と思っていると、著者は弁護士ではなかったのでした。それにしても、司法による解決の落としどころもおさえていて、驚嘆するばかりでした。
 交通事故の後遺症をめぐる話では、反射性交換神経性ジストロフィーという病気が登場してきます。聞いたことのない病名です。
 外傷の治療が終わったと診断されたあとでも、外傷の程度に不釣合いな激痛が持続する。軽く触れるだけでも灼けるような激痛が走り、筋肉や骨が委縮するケースもある。また、発汗異常や皮膚の変化もある。こんな病名かもしれないと考えるべきなのですね・・・。
 沖縄には、頼母子講に似た模合(もあい)というのがある。複数の人間が毎月集まり、そのときに、1万円とか決まったお金を持ち寄る。そして、そのお金を参加者の一人がまとめて受けとる。これを全員が受けとるまで続ける。問題は、お金をもらったのに、毎月のお金を出さなくなったメンバーが出てきたとき。さあ、どうする・・・。福岡県南部でも20年前ころ、頼母子講が次々に破綻していき、裁判になりました。
 沖縄は結婚しやすく、離婚もしやすい土地柄だ。人口あたりの離婚件数は沖縄が全国一。片親疎外。両親が別居して片親に育てられた子どもは、同居親から強い影響を受ける。子どもは、その同居親から別居親に対する不満を聞かされて育ち、その不満を信じ込んでしまう。
 「小説宝石」に連載されていたそうですが、本当によく出来たストーリーですし、弁護士として勉強になりました。
(2015年5月刊。1500円+税)

2015年11月 2日

セキララ憲法

(霧山昴)
著者  金杉 美和 、 出版  新日本出版社

 富山県出身で、今は京都で活躍している女性弁護士が憲法の意義を生き生きと語った本です。何がセキララ(赤裸々)かというと、著者の悩み多き半生が本当に赤裸々(セキララ)に語られているのです。
 大学(ハンダイ)では航空部に所属し、グライダーを操縦していました。そして、エアラインのパイロットを目ざしたのです。残念ながら合格できずに、次はフリーター生活。美人の著者は、イベントコンパニオンとなり、大阪は北新地のクラブでホステスとして働いたのです。5年間もホステスをやって、人間を表からも裏からも深く見る目を養ったといいます。うひゃあ、す、すごーい、すごいです・・・。たしかに、夜のクラブでは人生の深くて暗い断面に何度も直面したことでしょうね。
 選挙があっても、投票にも行っていない生活。あるとき、何気ない話で、弁護士が向いているということから大転身。わずか2年で司法試験に合格したのでした。さすがの集中力です。
 この本の序章は、日本の自衛隊が安保法によって海外へ派遣される話から始まります。
 戦場でのストレスから、帰ってきたら廃人同様になってしまうという、おぞましい結末を迎えます。アベ首相のいうような、「リスクはまったくない」どころではありません。
 憲法は、私たちの一人ひとりの幸せのためにある。
 暗黒のフリーター時代、無明(むみょう)の闇の底に沈んでいたとき、いっそ戦争でも起こらないかと思ったことがある。想像力が働かなかったから、どこかで戦争なんか自分とは関係ないと思っていた。
 だけど、本当に戦争になったら、死ぬのはアベ首相や、その取り巻き連中ではなくて、私たち自身、私と私の子どもたちなのだ。
 憲法9条は、日本人の私たちが戦争で死なないための最大の武器なのだ。
 自分自身の過去を恥ずかしさとともに客観的に語り、日本の将来を心配して、一緒に考えましょうという、本当に頼もしい本です。 一気に読めます。ぜひ、あなたもご一読ください。
(2015年8月刊。1300円+税)

2015年9月 8日

証拠は天から地から

(霧山昴)
著者  岡田 尚 、 出版  新日本出版社
 著者は司法研修所で私と同期(26期)で、同クラスでした。実は、実務修習地も同じ横浜だったのです。
著者の扱った事件からタイトルがとられていますが、本としても大変面白く、一気に読了しました。では、タイトルにちなむ話を紹介しましょう、本書の後半に出てくる話です。
国鉄の分割・民営化の過程で、当時の日本で最強の労働組合と言われていた国労や全動労の組合員は徹底して弾圧され、迫害を受けた。1986年12月、横浜貨車区で国労の組合員5人が助役に傷害を負わせたとして逮捕された。逮捕当日の夕刊各紙は大きく事件を報道し、国労つぶしキャンペーンに加担した。
しかし、起訴されたとき、助役に対する傷害罪は消え、公務執行妨害罪しかなかった。いったいどういうことか?
この刑事裁判で、検察側は、物的証拠としてマイクロカセットテープ一本を提出した。助役が事件の現場で隠しどりしたというもの。
弁護団は当然のことながらテープをダビングして聞いていた。すると、坂本堤弁護士(オウム真理教から妻子ともども無惨に殺されてしまいました)が「あれ、なんか違うのが入ってるな」と、つぶやいた。このテープには、当局側の事件直前の打合せまで録音されていて、それとも知らずに消去されることなく裁判所へ提出されていたのです。
ところが、雑音がひどくて、とても聞きとれない。そこで音楽スタジオを借りて、大変な苦労をして2年かけてテープ全部の反訳書を完成させた。
「やつら、たくさんいるんでね。動かないんですよ、、、、。公安関係の人、残っていただいてね」
「皆さん、ここに隠れてもらって、なにかあったときは、すぐ飛び出してもらいます」
「うちのほうは隠れていてね、やつらにやらせるように仕向けますから。決定的なやつをね、、、、、皆さんにみてもらえば、、、、」
「ワーワーやったところで、現認してもらえばいいですから」
このような当局の内部打ち合せが27分間も録音されていた。
このテープの謀議場面を著者はテレビ局に提供した。深夜に、「刻まれた謀議」として1時間番組として放映され、2桁の視聴率をとった。
助役のズボンのポケットにカセットテープレコーダーが入っていたというが、国労組合員による具体的「暴力行為」に触れた発言がどこにも出てこないことも明らかになった。
そこで、裁判所は、「(暴力があったら聞けるはずの)衣擦れ音等をまったく聴取できない」「本件テープは、暴力の裏付けとならないばかりか、問題性を広げてみせるばかりである」「管理者側の挑発の策謀といった、これまた不明瞭な事情が認められる」
などとして、無罪判決を下した。検察官による控訴はなく、一審で確定した。
 要するに、国鉄当局が公安警察としめしあわせて「傷害」事件をデッチあげたのです。
 次は、海上自衛隊の護衛艦「たちかぜ」で、いじめにあって自殺した若い自衛官の事件です。
 一審判決は遺族が勝訴(国は440万円支払え)したものの、自殺とイジメの因果関係を裁判所は認めなかった。東京高裁へ控訴した段階で、一審で国側代理人だった自衛官が内部告発したのです。自衛隊は、この自衛官が自殺した直後に乗組員全員にアンケートをとり、実情をつかんでいたのに、それを裁判の証拠として提出していなかったのです。
 この勇気ある自衛官は、ついに裁判所あてに陳述書まで書いたのでした。
 証拠隠しがバレた自衛隊側は、当然のことながら敗訴(国は7350万円を支払え)します。
 そして、自衛隊のトップは遺族宅に出向いて直接、謝罪し、告発した自衛官は差別されないような措置がとられたのでした。
 著者は、「あとがき」で次のように書いています。
  「弁護士生活41年だから、負けたこともあるし、勝利も、そこで私が果たした役割がどれほどのものか分からないが、それでも私は、これまで幸せな弁護士人生であった」
 弁護士の仕事に全力投球したため、家庭のほうはいささかおろそかな面があったようです。著者も、その点は反省しきりです。
 ともかく、熊本県玉名市で生まれ育ち、横浜での41年あまりの弁護士生活を振り返っている本書は、あとに続く弁護士にとって大変教訓に富むテキストにもなっていると思います。ぜひ、ご一読ください。
著者の今後ひき続きのご健闘を心より祈念しています。

(2015年7月刊。1700円+税)

2015年8月25日

腹いっぱい生きて

(霧山昴)
出版  角銅立身追悼文集 

 昨年(2014年)6月に亡くなられた角銅立身弁護士をしのぶ文集です。
 角銅弁護士は昭和4年生まれ。敗戦の年の4月、秋田鉱山専門学校採鉱科に入学し、戦後に卒業したあと、古河鉱業に入り、幹部職員へのコースを歩んでいたとき、労働争議に直面します。そのとき、諌山博弁護士が争議団への現地支援に入ってきた姿に感動し、一念発起して司法試験を目ざすのです。
 すごいことですよね。ストライキで会社側職制が労働者側の弁護士の活躍ぶりに接して、自分もそちらの側に移ろうと思って会社を辞めて司法試験を目ざしたというのですから・・・。
 昭和34年に会社を辞職して3年後の昭和37年9月に司法試験に合格。翌38年に司法研修所に入りました(17期)。司法研究所では青法協の議長もつとめ、昭和40年に憧れの諌山博弁護士の事務所(福岡第一法律事務所)に入所します。
 そして、3年後の昭和43年に田川へ移り、飯塚部会に所属します。福岡県弁護士会では、飯塚部会長兼副会長を10年間つとめています。
 社会福祉法人の理事長もつとめるなど、幅広く活動してきました。
 角銅弁護士の旅行好きは有名です。この追悼文集のなかにも、横井久美子(歌手)の「世界ツアー」にリーダー的存在として参加していたことが感動的なエピソードとともに語られています。ベトナム、アイルランド、ポーランド、チリ、ベネズエラ、アメリカ、南アフリカなど、本当に世界各国をまわっています。中村博則弁護士は、このほかキューバ旅行をともにしたこと、日本国内も北海道から沖縄まで旅した思い出が紹介されています。
 前進座の俳優である嵐圭史が葬儀当日、前触れなく参列して、弔辞を読んだという話には感嘆するばかりです。角銅弁護士の度量の深さを如実に物語っています。
タイトルの「腹いっぱい生きて」は、角銅弁護士の口癖であった、「すごいですねぇ」「ゆたかだよねぇ」「ユニークだよねぇ」「イエスバットなんだよ」「やあ」などから、長女のしおり氏(医師)の発案だとのことです。
 角銅弁護士の豊かな人生を偲ぶ心温まる文集になっています。
 角銅先生、どうか安らかにお眠りください。
 と書きましたが、アベ政治はひどいねえ、という角銅弁護士の地声が聞こえてきそうです。そうです。生かされている私たちも、元気にがんばっているとお答えします。
(2015年7月刊。非売品)

2015年7月22日

憲法を守り活かす力はどこに

                               (霧山昴)
著者  宮下 和裕 、 出版  自治体研究社

 ながく自治体問題を研究してきた著者による、実践的な憲法論です。
 明治憲法よりも日本国憲法のほうが長生きしているという指摘には、ハッとさせられます。
 明治憲法(大日本帝国憲法)は、1890年(明治23年)11月29日から1947年(昭和22年)5月2日まで56年6ヶ月のあいだ、生きていた。ところが、日本国憲法は1947年5月3日から施行されて、もう68年も続いている。12年も長生きしていることになる。なぜ、現行憲法がこんなに長生きしているのか。それが問題です。
安倍首相のような改憲派は、古臭くなって、時代遅れになっていると罵倒しますが、本当でしょうか。
いったい、どこが古臭くなったというのか、安倍首相や桜井よし子は、具体的な批判はできません。なんとなく、古臭いというイメージをふりまいているだけです。
 日本国憲法が長生きしているのは、第一に、内容において人類の到達点を反映し、先取りしていたこと。第二に、日本国民の願いに合致していること。第三に、戦争で多大の被害をこうむったアジアの民衆の願いに合致していることが、理由としてあげられる。
 アメリカの法律学者も、日本の憲法が長生きしているのは、「65年も前に画期的な人権の先取りをした、とてもユニークな憲法」だからとしている。
 本当に、そうですよね。「押し付け憲法」というよりも、その内容が、当時も今も、時代の最先端を行く、画期的な先進的内容であることに日本人は誇りと自信をもっていいのです。
 著者は大牟田出身で、今は鳥栖市に住んでいます。大牟田には、99歳になる父親がヘルパーサポートのなかで一人住まいだというのです。これまた、すごいですよね。
 そして、小選挙区制の弊害をきびしく弾劾しています。
 投票率は、かつての70%台から53%へと急降下したなかで、自民党は小選挙区で8割近い議席を占めているものの、実は、その得票率は5割にもみたない。
 比例代表のほうでは、3割の得票率なのに、4割の議席を占めている。トップ一人だけ当選する小選挙区制は、単に大政党というより、第一党が極端に有利で、第一党を勝たせるための選挙と言ってよい。
 安倍政権は、「小選挙区制によってもたらされた虚構」の上に存在しているにすぎない。そのもろさを自覚しているからこそ、強行採決をくり返すのです。そんな安倍政権を許すわけにはいきません。著者の、今後のますますの健筆を心より期待します。
(2015年6月刊。1500円+税)

2015年7月12日

北朝鮮とは何か

                                (霧山昴)
著者  小倉 紀蔵 、 出版  藤原書店

 かなり難解な本です。でも、北朝鮮という国を知りたくて読みとおしました。
 歴史認識をめぐる安倍首相や橋下・大阪市長の言動は、正しくはアクションではなく、リアクションである。これを思考停止と言わずして、何と言えばいいのだろうか・・・。
 朝鮮は、植民地時代に近代化した。日本は収奪をしたが、近代化もした。
 慰安婦問題について、橋下市長の言うように日本だけでなく、西洋列強の多くが似たような女性蹂躙をしたのは事実だ。そのことを明確にするためにも、日本は世界に先駆けてこのことを謝罪し、解決すべきなのである。そのうえで、西洋諸国に対して同じことを促せばいい。 なーるほど、と私は思いました。
 アメリカには、確固たる対北朝鮮政策はない。対話と圧力と言っているが、実際には、論理的な一貫性のない、関与と無視のあいだを右往左往しているだけのこと。
 日本が北朝鮮との関係を事実上絶ってしまったのは、最悪の選択でしかない。
北朝鮮は崩壊するどころか、核開発をさらにすすめ、今や事実上の核保有国となった。
 「張成沢に幻想を抱く人々」が北朝鮮の労働党内そして広く国内に無視できないほどいた。張成沢氏以外の人々の官僚主義や事なかれ主義が張成沢氏の能動的な冒険主義を生んだ。
 張成沢氏の粛清・処刑を激怒している中国首脳部は、怒りと不信感をかきたてている。
 いま、北朝鮮が中国式の改革・解放を無秩序にしたら、その美意識は一気に崩壊してしまうだろう。
 とても難解な本なのですが、北朝鮮という国の思考方法が少しばかり分かった気がしました。
(2015年3月刊。2600円+税)

2015年7月11日

日本国憲法、大阪おばちゃん語訳

                             (霧山昴)
著者  谷口 真由美 、 出版  文芸春秋

 関西弁には、いつも圧倒されてしまいます。私が48年前に大学に入って東京で寮生活をはじめたとき、東北弁も九州弁もなるべく口に出さずいじいじしていたのに、関西弁だけは、モロ出しで、何も悪いことあらへんやんかといった調子でした。自信たっぷりで話されると、それだけで圧倒されてしまいます。
 憲法前文は、大阪弁で言うと、次のようになります。
 人間っていうのは、お互い信頼しあえるって、理想かもしれませんけれど、ホンマにそう思ってますねん。せやさかい、他の国のお人たちも同じように平和が好きちゃうかって信じてますねん。そう信じることで、世界の中で私らの安全と生存を確保しようと決めましてん。せやからな、全世界の人たちがみんな、怖い思いすることとか、飢えたりすることからさいならして、平和に生きていく権利があるって本気で思ってますさかいに、そのことも確認させてな。
 うむむ、なんだかスゴイことですね、これって・・・!!?
 「集団的自衛権」っちゅうのは、ヤンキーのケンカみたいなモンで、仲良しのツレがやられて、ツレに「助けてや」といわれたら、ホンマはツレのほうが間違ったかもしれんケンカとかツレのほうが明らかにいじめてる側やのにとか関係なく、「俺、アイツのツレやから」という理由からケンカにいくようなもんですわ。ツレがめっちゃ悪いヤツやったら、どないすんねん、というのはおっ飛ばすんですね。
 こうやって大阪弁で読みとしてみると、今の憲法は本当にいいことが定められています。
 自民・公明は維新を取り込んで、7月半ばにも衆議院で強行採決しようとしています。断じて許せません。
著者には、東京の日弁連会館で話を聞きましたが、本当に歯切れのいい大阪のおばちゃんです。大学で教えていて専門は国際人権法ということです。ホンマに学者かいな、とそのとき思ったことでした・・・。
(2014年12月刊。1100円+税)

2015年6月26日

ライブ講義・集団的自衛権

                              (霧山昴)
著者  水島 朝穂 、 出版  岩波書店

 この6月4日に開かれた衆議院の憲法審査会で、憲法学者が三人そろって安保法制法案は憲法違反だと断言したので、自民・公明の安倍政権は言い訳に終始するようになりました。
 合憲だという憲法学者もたくさんいる、そう言って安倍政権が名前をあげたのは、わずかに3人のみ。しようもない、おじさんたちが登場しただけです。すると、今度は学者が決めるのではない、最高裁が判断するのだと逃げます。では、最高裁が議員定数の不均衡を是正しろと言ったとき、政府は従ったでしょうか・・・。多くの学者が憲法違反と断言し、最高裁の言うことには従わないという権力者は、あまりにも立憲主義を無視しすぎです。
著者の語りは、いつものことながら明快です。
市民には、素朴な「疑」の心を大切にして問い続けること、「偽装」を見抜く知恵と「技」を磨くことが求められている。「疑の技」でもっとも大切なことは、「忘れない」ということ。
 著者は、佐藤優や木村草太の主張は誤りだとしています。
この二人は、昨年7月1日の閣議決定は、個別的自衛権の範囲をこえるものではないとしているが、間違いだ。過小評価ないし、過度の楽観論である。
 ある武力行使が、個別的自衛権にあたるか集団的自衛権にあたるかは、二者択一の関係にあり、双方にあたるということはありえない。
 徴兵制について、安倍首相は、「憲法上ありえない」と断言している。しかし、この言葉は、どこまで信用できるものなのか?集団的自衛権の行使は憲法解釈上許されないとして来た自民党政府の見解を一変させてしまった安倍首相の言葉を信用することは出来ません。あのときとは社会環境が変わったから・・・、と言って変更するのは簡単なことです。
 いま、むしろ日本は北朝鮮を脅している。「平和ボケ」より「軍事中毒」のほうがはるかに有害なのだ。私も本当に、そのとおりだと思います。
 いま、韓国や中国に観光旅行に行く日本人が激減しているそうです。なんとなく「怖い」という気分があるからです。でも、韓国や中国からは大量の観光客が来ています。日本は平和な国だと思って信頼しきっているのです。このギャップを、私たち日本人は一刻も早く解消する必要があると思います。
 自民・公明の安倍政権が、つくり出した「なんとなく、韓国も、中国も怖い」という皮膚感覚を一掃すれば、今の安保法制法案は、すぐにも吹っとんでしまうと思います。そして、平和憲法の意義を高らかに全世界へ発信すべきなのです。
(2015年4月刊。1800円+税)

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