弁護士会の読書
※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。
アメリカ
2015年3月13日
格差と民主主義
著者 ロバート・ライシュ 、 出版 東洋経済新報社
クリントン政権で労働長官となり、オバマ大統領の下でアドバーザーをつとめ、現在はハーバード大学教授である著者によるアメリカ社会を厳しく告発する本です。ピケティのほんと趣旨はほとんど同じだと思います。
ところで、このような経歴の著者は、ひそかにカール・マルクスを崇拝する共産主義者だとマスコミで攻撃されているとのこと。そして、共和党の国会議員が、アメリカ連邦議会には共産党員でもある民主党員が80人前後もいると発言したとのこと。信じられない「アカ攻撃」です。アメリカ連邦議会に80人もの共産党の国会議員がいるなんて、聞いたこともありません。ちなみに、日本の衆議院には21人もの共産党の国会議員がいて、国会における質疑応答が最近少しまともになったと私は考えていますが、いかがでしょうか・・・。
オバマ大統領に対して、共和党のギングリッチ議員(議長)は、「アメリカ史上最高のフードスタンプ大統領」と呼んだ。これって、ある意味で、ほめ言葉ではないかと思うのですが、どうやらアメリカという国では最大級の罵倒言葉のようです。
アメリカの超富裕層上位400人だけで、下半分の所得階層にあたる1億5000万人の勤労所得を合算したよりも、さらに多くの富を手中にしている。
あまりに多くの所得と富とがトップ層に偏ったために、膨大な中間層が購買力を失ってしまい、景気を維持することができなくなった。
所得と富がトップ層へと集中していくにしたがい、政治的権力もまた上層へと集中していった。
アメリカの連邦最高裁では保守派の判事が多数を占めるため、政界に際限なく巨大マネーが流れ込む水門を開けてしまった。
超富裕層の蓄財は、彼らの会社が雇っている大勢のロビイストや広報マンを通じて政界へと流れていく。
政治は、ますます意地悪く二極化し、無力化されていく。有権者は怒りっぽく、対抗馬をけなす候補者のほうを支持しがちになる。物事が何も解決しないので、人々はますます「どうせ何も解決すまい」と思い込んで、斜にかまえるばかりだ。
アメリカのCEOは、業績にかかわらず巨額の報酬を保証されている。CEOは、企業を危機的状況に追い込んでも、一財産を築くことができる。なぜか?
お粗末な業績にもかかわらず、CEOが巨額の報酬を得ることができるのは、取締役報酬委員会を自分の言いなりになる取り巻き連中で固めているからだ。
政府の大きさは、本当は問題ではない。問題なのは、巨額の資産が政府をのっとりつつあること。政府が小さくても、それが資金力に支配されている限り、ウォール街や軍需産業、巨大保険企業、スーパーリッチ層などの命令には従うことだろう。
経済は誰のためにあるのか。いまのような経済システムでは、経済成長や株式市場の値上がりによる富のほとんどは、国民の大半には行きわたることがない。
学校、公園、道路、水道などの公共財の劣化が続けば、国民生活の質は向上しない。アメリカで起きていることは、個人のモラルの破綻ではない。公的モラルの崩壊に悩まされているのだ。
GEなど、多くの大企業は税法をうまく利用(活用)して、まったく税金を払っていない。
日本でも、トヨタが長年にわたって法人税を払っていません。そのうえ、消費税の関係では払うどころか、もらうものが莫大だというようですから、とんでもないことです。さらに、研究開発費として1200億円も減税対象になっていたことが、最近、明らかにされました。
国民の多くが怒り、いらだっている。そこにポピュリストが大きな嘘をついて誘導していっている。この点は、アメリカも日本も、まったく同じなんですね・・・。
改革は、ワシントンの内側から何ひとつ起こらない。外にいる善良な人々が変革を求めて起ち上がり、それが組織となって精力的に行動しないといけない。あなたと、あなたのような人々が、社会を変えてみせると決心しない限り、この国を本当に変えるような意義のあることが起こるはずがない。
アメリカ人の生活水準を向上させる方法は、政府が国民へ投資すること。まずは教育、国民同士そして世界中の人々を結びつける通信システムや交通システムへの投資だ。
ワシントンの政治が多くの国民の期待を裏切るのは、政治家に正しい行動をするよう圧力をかける国民がほとんどいないからだ。
そうなんです。今こそ怒りを声に出すべきときではないでしょうか。安倍政権って、ひどすぎますよね。
福岡選出の大物の元国会議員が山崎拓氏も古賀誠氏も、そろって安倍政権に任せたら危ないとくり返していることは重大な意味を持っていると私は思います。
(2014年12月刊。1600円+税)
2015年2月27日
アメリカの卑劣な戦争(上)
著者 ジェレミー・スケイヒル 、 出版 柏書房
アメリカは、いま無人機による攻撃、そして特殊作戦部隊を重用しているようです。いずれもアメリカ兵の損耗が少なくてすみ、議会の承認がいらない作戦です。
しかし、果たして、それが現地でどれだけの効果を上げているのか。逆効果、反作用も想像以上に大きいのではないか・・・。
アメリカ政府に雇われた者も、アメリカ政府のために働く者も、暗殺はもちろん、それを企てることも禁ずる。これは、カーターが発令した大統領令。しかし、実は、何が暗殺にあたるのかが定義されていなかった。
国をもたない敵に対する国境なき世界戦争が、党派をこえて大々的に承認されたことに勢いづき、ブッシュ政権は世界が戦場であると宣言した。
CIAは、初めのうちは秘密収容所をもっていなかったので、尋問するために容疑者をエジプト、モロッコ、ヨルダンなどに送り込んだ。外国の情報部に尋問を任せることで、アメリカ議会から調査される面倒もなく、好き勝手に尋問できる便宜がある。
1979年のイラン革命のあと、首都テヘランのアメリカ大使人質事件のとき、53人のアメリカ人を救出する作戦が実施されたが、大失敗に終わった。その屈辱から、統合特殊作戦コマンドが生まれた。統合特殊作戦コマンドは、国家安全機構のなかで、もっとも厳重に守られている極秘の軍隊である。
当初、デルタ・フォース、SEAL、第75レンジャー連隊など、さまざまな精鋭部隊から、その力を引き出そうとしていたから、当然、統合特殊作戦コマンド内には確執が広がっていた。各精鋭部隊が、みな、自分たちの部隊の優越性を信じていたからである。
1993年夏、アフリカ、ソマリアのモガディッシュで、統合特殊作戦のコマンドのブラックホーク・ヘリコプター2機が撃墜され、ソマリア民兵とのあいだで激しい戦闘となり、18人のアメリカ兵が死んだ。
2002年のイエメンにおける小型無人プレデターによる攻撃は、対テロ戦争発生の瞬間だった。
アメリカ軍は、イラクの旧体制の指導者たちを選び出し、彼らがいなくなれば、イラクの暴動、戦闘は終わると考えていた。しかし、それは、とんでもない間違いだということは、まもなく分かった。
統合特殊作戦コマンドは、敵ネットワークの行動パターンを解析し、反抗勢力およびそれと疑わしき人物の監視プログラムの開発をはじめた。顔認識システムや体温識別システムなど、最先端の生体認識技術や化学を利用し、遠距離から個人を識別した。
さらに、生体反応性追跡用添加物を標的の人物の身体にこっそりつけてマーキングするという手法も開発した。付着した物が信号を発し、統合特殊作戦コマンドは、それを受信して離れた場所から標的を24時間、365日監視する。
捕虜に「物」(タガント)を付けたうえで釈放し、その信号の発信源をたどれば、テロ組織もしくは反抗グループにたどり着くことも不可能ではない。
イラクで激化する反抗活動のためにパキスタンに派遣する人材が不足した結果、ブッシュ政権はパキスタンの戦争を「下請け」に出すようになった。そこでブラックウォーター社の出番となった。ブラックウォーター社のかかえるコントライターたちの多くは、アメリカ軍特殊部隊の元隊員であり、とくに秘密作戦に従事する部門に属する者たちだった。
2009年1月に大統領に就任した数週間のうちに、オバマ大統領はブッシュ時だの強硬なテロ対策の多くをそのまま継続するという明確なメッセージを送った。
尋問の責任を追及していたオバマは、大統領になってからは、それを覆した。オバマは、対テロ対策については前任者の政策のほとんどを継承し、最終的には、ほぼすべての大統領令を改定することなく承認した。そして、オバマは毎週のようにパキスタンを空爆した。
オバマは、秘密作戦プログラムを全面的に支持し、無人航空機による作戦活動がさらに増えていった。就任後まもなく、オバマ大統領はCIA長官にビンラディンを早く捕まえるように圧力をかけた。
アメリカによる汚い作戦の一端を暴いた貴重な本です。
(2014年10月刊。2500円+税)
2015年2月24日
米軍と人民解放軍
著者 布施 哲 、 出版 講談社現代新書
アメリカと中国が戦争するなんて、悪夢の最たるものです。正気の沙汰ではありません。もちろん、アメリカも中国も、お互いに戦争する気はさらさらありません。日本の一部で、そんなシナリオが語られているにすぎません。
この本は、そんな悪夢を、現実のものと仮定したときのシミュレーションをしたものです。これが現実になったら、日本を含めて人類は全滅してしまうとしか言いようがありません。
でも、アメリカ軍と中国軍の戦闘能力を知ることは必要ですよね。そんな観点で紹介します。
この10年間で、中国の国防予算は4倍にふくれあがった。2014年には13兆円近くとなり、世界第2位。日本の軍事費5兆円を大きく上回っている。総兵力の面でも、日本の自衛隊25万人に対して、人民解放軍は230万人と格段の差がある。
アメリカは攻撃型原子力潜水艦(SSN)を53隻も保有し、毎年2隻ずつ建造している。
また、アメリカは空母を11隻もち、空母は、護衛のイージス艦やSSNとともに空母打撃群という単位で行動している。
空におけるアメリカ軍の優位性は、安価で高度な攻撃能力を持つ地対空ミサイルSAMの登場によって揺らいでいる。攻撃側は、安価なミサイルで効果地な目標を攻撃あるいは無力化できる状況が生まれている。高価で高性能な有人機を運用するアメリカ軍にとって、被害コストが大きい不利なゲームになりつつある。
中国にとって、海軍は中国の影響力を拡大させ、エネルギーや食糧を確保し、共産党の一党独裁体制を維持し続けるためのツールになっている。
中国の海軍は、軍の行動の及ぼす対外的な影響の大きさを認識していて、武力行使には抑制的だ。これに対して、中国の海警は、そうした認識が薄く、威嚇や強硬姿勢を軍より選択しやすい傾向にある。
ミサイルは、きわめて安価な兵器だ。中国の対艦弾道ミサイル(DF-21)は、一発あたり9000万円(87万ドル)ほど。その運用ノウハウは難しくなく、途上国軍隊でも抑える程度のもの。
アメリカにとって、日本は前方展開拠点としての地政学的位置があることからの重要性がある。
日本という補給拠点、修理拠点、出撃拠点をアメリカ軍が失えば、アメリカ軍は西太平洋における軍事作戦の遂行が困難になってしまう。
中国が短期決戦を目ざすとすれば、嘉手納の航空戦力をミサイル攻撃で叩くことが想定できる。そうなれば、アメリカ軍に犠牲者が出て、アメリカは世論に後押しされてアメリカ軍を派遣させざるをえなくなる。
嘉手納の存在は、アメリカにとっては「巻き込まれ」を意味し、アメリカの関与を引き出したい日本にとっては、アメリカ軍を日本の防衛に「巻き込む」(つなぎとめる)意味がある。
嘉手納基地は、このように中国からのミサイル攻撃に対して脆弱なため、アメリカ空軍はグアムにあるアンダーセン基地に戦力を集中することを想定せざるをえない。
戦争が国家を総動員した長期間にわたる総戦力であったのは第二次世界大戦、また朝鮮戦争までのこと。現代戦は、2週間から、せいぜい4週間ほどで終結することが前提とされている。
攻撃後に散開した人民解放軍の特殊部隊を制圧・捕獲できたのは、わずかでしかない。
アメリカと中国の間にいる日本の交渉力を強める特効薬は、日本経済の成長だ。
中国に対して経済面で過度に依存することは、中国の要求に対する日本の脆弱性を高め、日本の戦略的判断の幅を狭めることになりかねない。
大いに考えさせられる本ではありました。
(2014年8月刊。880円+税)
2014年12月27日
ブラックウォーター、世界最強の傭兵企業
著者 ジェレミー・スケイヒル 、 出版 作品社
「殺しのライセンス」を持つアメリカの影の軍隊は、世界で何をやっているのか?
これが本の帯についたフレーズです。イラク戦争での民間人の虐殺、アルカイダ幹部など反米分子の暗殺、シリア反体制派への軍事指導などの驚くべき実態。そして、アメリカの政府界の暗部との癒着が暴かれています。
この悪名高いブラックウォーター社は今ではありません。といっても、名前を変えただけです、今では、「アカデミ」と名乗っているとのこと。シリアでの反アサド勢力の武装兵士たちを訓練し、同社の傭兵がトルコからシリアへ数千人単位で派遣されているという。また、ウクライナにおける動乱にもかかわっている。
ブラックウォーターは、日本では、つがる市(旧車力村)のレーダー警備にあたっていた。
イラクで2005年6月から2007年9月までに、ブラックウォーターが関わって死者が出た発砲事件は少なくとも10件あった。
ブラックウォーターは、単なる警備会社の一つではなく、アメリカによるイラク占領でもっとも重要な役割を果たしていた傭兵企業だった。ブラックウォーターが、この役目を担い始めたのは、2003年夏に2700万ドルの随意契約を受注してからのこと。それは、ポール・ブレマー大使の警護をする契約だった。
イラクでの最初の契約から2007年後半までのブラックウォーターは、国務省を通した「外交安全保障」関係だけでも10億ドルの契約を得た。
マリキ首相はブラックウォーターの追放を訴えたが、その後もブラックウォーターはイラクに居続けた。これは、イラクに主権がないことをはっきり示したということ。
イラクでサービスを提供していた傭兵企業は170以上あったが、ブラックウォーターは、これらのなかで最新鋭集団と広く認められていた。
アメリカ要人の警備にあたっては、イラクの一般市民の生命はまったく軽視された。
ブラックウォーターは、軍ではなく、アメリカ政府直属の監督下にあった。
2005年から2007年10月までにイラクにいたブラックウォーターの要員が砲火を開いた件数は195件、そのうち80%以上で、最初に発砲したのは、ブラックウォーターだった。
ブラックウォーターは、イラクにいる隊員を120人以上も解雇した。これは、イラク派遣の人員の7分の1にあたる。
イラクの戦場には、推定10万人の民間契約要員がいた。
対テロ戦争とイラク占領は、アメリカに多くの企業を生み出したが、ブラックウォーターほど華々しく権力と利益を手にし、隆盛を成しとげた企業は、ほとんど存在しない。
ブラックウォーターは、アメリカをふくむ9ヶ国に2万3000人以上の傭兵を派遣している。ブラックウォーターは、武装ヘリコプターを含む20機以上からなる航空隊を擁している。
ノースカロライナ州にある本部は、世界最大の民間軍事施設であり、1年に数万人の警察官や「友好国」の部隊が訓練を受ける。
ブッシュ政権が宣言した「対テロ戦争」で最大の受益者となったのは、ブラックウォーターだった。オサマ・ビン・ラディンが、今日のブラックウォーターを作ったのだ。
多くのアメリカ兵は、傭兵に恨みを抱いていた。平均的なアメリカ兵(歩兵)が1週間かかって稼ぐお金を、傭兵は一日で稼いでいる。
ブラックウォーターの契約要員は、殺されるか不具にされる可能性が高いことを知りながら、自らすすんでイラクへ行った。契約書には、その点が明記されていた。
ブラックウォーターは、アメリカ国内のカトリーナ災害のときにも出動し、巨額の利益をあげた。
2008年、イラクにおけるアメリカ軍の現役兵の人数と民間契約要員数は1対1だった。
アメリカ当局の個人警備サービスは、2003年には500万ドルの支出だったのが、2006年には6億1300万ドルまではね上がっている。
民間軍事企業に戦争の重要な役割を任せることは、必ず大きな腐敗を生み出すものだと思いました。そして、それは、また無責任体制ともつながっていきます。「イスラム国」の「隆盛」も、この民間軍事会社頼りと無関係ではないでしょう。軍事に頼るだけでは、本当の解決にならないことに一刻も早く、アメリカ国民は気がつくべきだと思いました。
500ページもある大部な労作です。
(2014年8月刊。3400円+税)
2014年12月16日
ベルリン危機・1961(下)
著者 フレデリック・ケンプ 、 出版 白水社
1961年8月、東ドイツがベルリンの壁をつくるに至った経過と、その前後の米ソ首脳の苦悩に満ちた息詰まる対決状況を活写した本です。
キューバ危機の直前の首脳は、アメリカは若いケネディ大統領であり、ソ連はニキータ・フルシチョフ首相です。それぞれ難しい国内政治をかかえ、そのうえ軍部は核戦争をけしかけていたのです。いつの世も、軍部は紛争を武力で解決しようとします。自らの威信を高め、存在価値を大きくアピールする絶好の機会になるからです。世の中の平和とか安定というのは、軍部にとっては二の次、どうでもいいことでしかありません。いつだって勇ましいことを声高に言いたてる人がいます。それでも、卑怯者とののしられながらも、国のリーダーは国民の安全を第一に考えるべきなのです。
東ドイツのウルブリヒトは、ソ連の了解を得ると、ベルリンの壁を一挙にこしらえてしまった。アメリカをふくめた西側は、まさかそんなことはあるはずがないと信じ切っていた。
私もベルリンには1回だけ行ったことがあります。国際会議に参加したほか、ヒンデンブルグ門とベルリン博物館を見学しました。いえ、もう一つ。ちょうど、アメリカのイラク攻撃の前夜でしたが、ベルリンの高校生などがアメリカのイラク攻撃に反対する長い長い元気なデモ行進を目撃することが出来ました。私は大学生のころのベトナム反戦デモを思い出して感動しました。集団的自衛権の行使容認の閣議決定がなされても、日本の高校生や大学生が大規模な集会とデモ行進をしたということがないのは、本当に残念です。
私が行ったときには、ベルリンの壁はもうありませんでした。ここに、かつて壁があったという説明を聞かされましたが、まさしくまちのド真ん中に壁はあったのでした。
東ドイツのウルブヒトが壁をつくりたいというのを、ソ連のフルシチョフは、苦悩したあげく承認した。これを実行したら、社会主義の世界的評判は大打撃を受けるだろう。しかし、西側へ毎日、東ドイツ市民が大量に脱出しているとき、それをくい止めなければ、東ドイツ経済は崩壊するのが目に見えている。
アメリカでは、キューバでアメリカ軍は大きな失敗をした。政治問題を過小評価して、軍事的、作戦的な諸問題に集中しすぎた。
ケネディ大統領にとって、ラオスで失敗してもかまわない。キューバでも同じこと。どちらも、アメリカにとって、あるいは歴史におけるケネディの評価にとって決定的な意味はもたない。しかし、ベルリンは違う。ここは、世界の運命を決する大闘争の中心的な舞台なのだ。
そのころ、東ドイツから西側へ、1日2000人、週に1万人をこす人間が脱出していた。
東ドイツ経済を急速に改善する方法はなかった。圧倒的な西ドイツの物質的優位を前にして、難民の流出を抑え、東ドイツの崩壊をくいとめるには、壁をつくって封じ込めるしか選択肢はなかった。
ベルリンの境界閉鎖は、ドイツ政治を再編し、アデナウアーは二度と完全には回復しなかった。
ケネディもフルシチョフもまともに核戦争の危機に直面していた。ソ連の核ミサイルがニューヨークやシカゴを襲ったときには、500万人から1000万人の犠牲者が出ると予測されていた。熱核戦争においては、人命は容易に奪われる。アメリカの核攻撃によって、ソ連側の死者は50万人から100万人ほど。別の想定では、1億人以上のソ連人口が減少するとみられていた。
フルシチョフは、党内に強力な反対者がいて、彼らがまとまることを恐れた。まとまらないようにするためのエサは既に送付ずみだった。
ケネディは、キューバ危機から8ヵ月たった1963年6月にベルリンを訪れた。ベルリン市民100万人がケネディ大統領を歓迎した。
このころ、人類の運命を握っていたケネディとフルシチョフの実像を可能な限り掘り下げた意欲作だと思いました。忘れてはいけない世界史なのではないでしょうか。ともかく、核の脅威なるものを一刻も早く根絶したいものです。
(2014年6月刊。3200円+税)
投票日は私の誕生日でした。フェイスブックで告知されるので、何人もお祝いの言葉をかけていただきました。ありがとうございました。このブログの愛読者のチョコさんからは見事な花束も届けていただきました。重ねてお礼を申し上げます。
開票結果を知って、平和憲法を守るための活動をレベルアップする必要性を痛感しました。同時に、福岡の弁護士のつれあいの方が見事に当選の栄冠を勝ちとられましたので、うれしさ一杯です。
2014年12月12日
賃金差別を許さない!
著者 リリー・レッドベター 、 出版 岩波新書
往復2時間の電車の中で読みふけり、没頭し、涙が出て止まりませんでした。
もちろん私は男ですが、女性に対する理不尽な賃金等の差別と執拗ないやがらせに、怒りと恥ずかしさに身もだえする思いでした。
会社内での嫌がらせは、著者の身の安全をも脅かすものだったのです。車のタイヤに、親指ほどもある木ねじが突き刺さっていた。フロントガラスがガラスカッターで切られていて、運転中に車が跳ねたら顔前に落ちてくる仕掛けになっていた。ギアケーブルに細工され、ハンドルもブレーキもきかなくなるようにされていた。だから、ハイウェーをもう少し走っていたら、危うく事故を起こして死ぬところだった。さらに、車のフェンダーは切り刻まれ、ボディーにも傷がつけられていた。
この本の著者は白人ですが、アメリカの大手タイヤ・メーカーであるグッドイヤーに20年近く勤めていました。現場労働者を監視するマネージャーだったのです。マネージャーは、アメリカでは労働組合員にはなれないようです。したがって、上司からも下の労働組合員からも責められて、大変な立場に置かれます。
アラバマの裕福でない家庭で育った著者は、17歳のときに結婚しました。結婚した直後の著者の気持ちは・・・。突然、自分が大馬鹿者のように感じられた。二人の育った環境の違いが結婚生活の障害となることに、ちゃんと気づいておくべきだった。
グッドイヤーでマネージャー(監督者)として働くようになって、組合に所属する現場の労働者たちと、上層の管理者の両方から、毎日、これほど文句や難癖が来るとは思ってもいなかった。
あるベテランの労働者は、こう言った。
「オレは、家でメス犬にあれこれ命令されているんだ。現場でまでメス犬に指図されるものか」
彼は、それまで女性の下で働いたことがなかったのだ。
監督者として、すぐに、すべての罵詈雑言や悪口を無視することを学んだ。また、常に警戒を緩めてはならないことを理解するのにも、長くはかからなかった。
現場の労働者と接するとき、相手に歩み寄り、そのパーソナリティを理解しようとすることの重要さを学んだ。彼らとの関係がうまくいくように、ときには自分の態度を変えることも必要になるのだ。
最初から尊敬される人間などいない。スポーツ監督が選手から尊敬を勝ちとるように、マネージャーもクルーの信頼を勝ちとらなければならない。
何人かの善良な人々に助けられたおかげで、働き続けることが出来た。
最後には、自分で自分を守るしかない。他の人々よりも一生けん命に、かつ賢く働かなければならない。グッドイヤーでは、いつ誰が敵になり、いつ誰が味方になるのか、まったく見当がつかなかった。
それでも、著者は社交ダンスを趣味でしていて、競技会に出場して優勝したのでした。
職場のストレスのため、著者は、大腸の手術を受けています。限界まで張りつめた直腸の筋肉が、食べた物が体の中を通過していくときに、裂けてしまったのだ。
さらに、ストレスの発散口を周囲にいる家族にあたり散らしてしまった。身体は、頭が向きあうとしなかった事実を、明確に伝えていた。
ある日、著者のロッカーにメモが投げ込まれていた。それによると、男性マネージャーに比べて1万ドル以上も低い収入だった。そして、ついに著者は若手弁護士に依頼し、グッドイヤーを訴えた。そのとき、弁護士を選んだ決め手は・・・。
彼の物言いは率直。生来の威厳が備わっていた。何よりも気に入ったのは、目の力強さ。たしかに、そういうことってありますよね。目力(めじから)は大切です。
著者が訴訟を起こしたのは1999年11月で、実際の審理が始まったのは2003年1月のこと。弁護士は合計50万ドル以上もつぎ込んだ。そして、著者も、老後のための年金を全部つかい果たしてしまった。
裁判前に、著者は10時間におよぶ証言録取を受けた。会社側の弁護士は、著者の意気を挫き、混乱させ、言葉の網の中で自滅するのを待っていた。しかし、著者は、あくまで真実を曲げずにがんばった。汗まみれになり、その日に着ていたスーツの脇の部分には、緊張による発汗で出来た黒い三日月形の染みが残っていて、ドライクリーニングに出しても消えなかった。その青いスーツは、以後、二度と着なかった。
審理が始まるまで、不安で眠れない夜が数え切れないほどあった。もし裁判に負けたら、グッドイヤーが金銭の請求をしてくるかもしれない。家を失うことが怖かった。
法廷で、著者はグッドイヤーで働いていた日々と同じ服装をした。別の人間になるつもりはなかった。雇われてきちんと仕事をしたことにより正当に獲得したはずのものを、取り戻そうとしているだけなのだから・・・。
陪審員の評決が出た。性別を理由とする差別を認めた。33万ドルを会社に支払えとした。さらに、陪審員は、グッドイヤーに対する懲らしめといって、328万ドルを支払うよう求めた。「蜂の一刺しを与えたい」と陪審員たちは思ったのだ。
しかし、著者がこの賠償金を実際に手にすることはありませんでした。グッドイヤーが控訴し、アメリカ連邦最高裁も一票差で著者の訴えを認めなかったのです。なんということでしょうか・・・。
でも、それで終わらなかったのが、民主主義の本場・アメリカなのです。さすがに奥の深いところがあります。そして、ついにオバマ大統領のときに、著者の名前をつけたレッドベター公正賃金(復元)法が成立したのです。
一介のアラバマ娘がタイヤ工場の監督者(マネージャー)となり、30年後には、訴訟の当事者、女性の権利の擁護者、ロビイスト、文策家、講演者と、多彩な経験を積んだ。
ときどき、人生は変化球を投げて来る。望んだわけではなく、予想すらしなかったとしても、それに対応しなければならない。人間の真の価値を決めるのは、その人に「何が」起こるかではなく、それに「どう」対応するかである。不正義を目にしたとき、何もせずに座視するのか、それとも、それを正すためにたたかうのか。挫折を経験したときに、甘んじて受け入れるだけなのか、それとも失敗から学んで、次はより良くがんばるのか。
心の震えのとまらない、感動の本です。ぜひ、ご一読ください。アメリカの民主主義も、まんざら見捨てたものではないのですね。著者は、オバマ大統領の初当選の祝賀会で、大統領と一緒にダンスを踊ったことでも有名な女性のようです。
(2014年1月刊。3300円+税)
昨日の新聞に、衆議院選挙の得票率は前回(59%)を下まわりそうだという記事がのっていました。自民党は前回、得票数を減らしたにもかかわらず、大量の議席を占めました。今回も300議席をこえる予測を報道がなされています。
そうなったら、憲法改正がいよいよ現実化する危険があります。弁護士会としては、立憲主義の見地から、平和主義をそこなうような改正を許さない取り組みを強める必要があると思います。すでに日弁連は全国キャラバンに呼びかけています。全九州で、もちろん福岡でも、これまでのレベルではない取り組みたいものです。
2014年12月 8日
ミッキーマウスのストライキ
著者 トム・シート 、 出版 合同出版
アメリカにも労働組合がありますし、ストライキもあるようです。でも、あのウォルト・ディズニーのスタジオに労働組合があり、ストライキを決行し、デモもしていたというのです。
1941年のディズニー・ストライキに参加し、ウォルト(経営者)側についたアニメーターたちは、著者の目を見て話すことが出来なかった。視線が床を泳ぎ、口ごもったり、うなったりする。ところが、ストライキに参加した人たちは、視線がまっすぐで、静かな自信が感じられた。老年にもかかわらず、目の輝きは失われず、天下のディズニー・スタジオを活動停止に追い込み、ウォルトを大激怒させた思い出話を語ってくれた。やっぱり、こんなに違うんです。
アメリカのユニオン会員(労働組合員)数は、1929年以来、最低の人数になっている。そのため、300万人のアメリカ人が健康保険を受けられず、数千万人が蓄えも老後の資金もない状況にある。
1930年代には、誰もが週46時間、休みは日曜日のみ、土曜日は朝9時から昼1時まで働く。月曜から金曜までは朝9時から夕方6時まで働いた。このころ、有給休暇はなかったし、年金制度もなかった。
第一次世界大戦で戦った元兵士の一群がボーナスの支給を求めてワシントンを行進した。立ちはだかったのは銃剣隊だった。
このころ、ヘンリー・フォードは、自宅に機関銃を備え付けさせた。
ハリウッドにマフィアが浸透していった。労働組合側にも、経営者側にも、マフィアが入りこみ、支配するようになった。
コメディ番組「アイ・ラブ・ルーシー」の主役のセシル・ポールは子どものころ、祖父によってアメリカ共産党員として登録されていた。孫の将来を考えてのことである。孫たちに何かあったとき、ユニオンや共産党が支えになってくれるという期待があった。それは普通にありふれたシーンだった。アメリカにも、そんな社会状況がかつては存在していたのですね。驚きました。私も子どものころ、よく「アイ・ラブ・ルーシー」を見て笑っていました。
上下2段組で600頁もある大作です。ディズニー映画が好きだったものとして、その内幕を暴露している本書は貴重な資料になっていると思います。それにしても、日本がアメリカと同じように労働者の権利を行使しないようになり、まったくたたかおうとしないのは、本当に残念です。
日本のアニメ界で働いている人の大半は、労働組合に加入せず、がむしゃらに働かされているとのことです。ひどい話ですね。
(2014年6月刊。6200円+税)
明後日(10日)、特定秘密保護法が施行されます。今でも、国民に十分な情報が知らされていないのに、ますます私たちは必要なことを知るのが難しくなってしまいます。
土曜日(6日)昼、天神で三浦会長を先頭にこの悪法の廃止を求める宣伝活動をしました。珍しくテレビ、新聞の取材があり、昨日(7日)の西日本新聞は一面トップで取りあげていました。私も写真に小さくうつっています。
いよいよ選挙の投票日が近づいてきました。事前予想では自民党が大勝するとのこと。憲法違反の集団的自衛権を行使できる法改正が現実化していくことが怖いです。自民党の大勝といっても支持者は減っています。4割の得票で8割の議席を得るという小選挙区制のマジックなのです。国会に民意が反映しないのでは困ります。ともかく、投票所にみんな行きましょう。
2014年10月 8日
アメリカ自動車産業
著者 篠原 健一 、 出版 中公新書
日本とアメリカでは労働現場の文化がかなり異なっていることを改めて認識させる本でした。
アメリカでは長年続いたビッグ3の経営不振によって、2009年にGMとクライスラーが経営破綻した。ところが、アメリカ政府による500億ドルという巨額の公的資金の投入などによって、アメリカの自動車産業が再び復活しようとしている。
自動車販売台数では、GMは世界トップに返り咲いた。2009年には748万台に落ち込んだが、2011年にトヨタが前年比5.6%減の795万台に落としたのに対して、GMは前年比7.6%増の902万台に達した。
2013年は、トヨタが998万台、GMが971万台となった。フォルクスワーゲンは973万台。
GMには、能力に応じて従業員が昇進を重ねていくという発想がそもそも存在しない。人的資源管理、人材開発・能力開発という考え方は、GMでは非常に希薄である。
2009年、アメリカの就業者数1億1451万人のうち、6.8%の780万人が自動車関連産業による雇用者である。このように依然として、アメリカの雇用面における重要産業になっている。
日本も同じで、日本の就業者6244万人のうちの8.8%、548万人が自動車産業関連に就業している。
GMは、1990年代に入って子会社の販売金融会社GMACを通じて、ローン審査を甘くすることで、低所得者層が高額の自動車を購入できるようにした。しかし、それは信用リスクを高めた。錬金術のような仕組みによって、GMACは、2004年には28億ドルもの利益をあげた。ところが、金融バブルの崩壊によって、GMACは20億ドルもの損失を計上し、2009年のGM経営破綻につながった。
アメリカのビッグ3では、長いあいだ、いかに職場労働から競争を排除するかについて、労使間で交渉されてきた。マニュアルどおりの働きが、必要かつ十分なのである。
同一労働、同一賃金を原則とするから20歳でも50歳でも、同じ職務にある限り、同じ賃金は支払われる。
アメリカの企業では外部採用が重視され、内部昇進は少ない。平等主義、非競争主義で秩序づけられた特徴をもつのが、アメリカのビッグ3工場での仕事だ。
同じ職務に就いているのに、働きぶりによって賃金に格差が出ることについて、現場労働者は公平感に反すると感じる。
アメリカでは能力主義は、もともとあまり用いられていない。労働組合員になると、なおさら能力主義は普及していない。
アメリカには先任権というものがある。レイオフの必要が生じたときには、勤務年数の短いものから順番にクビを切っていく。景気が好転したときには、勤続年数の長いものから再雇用していく。ここには能力基準が介在する余地は一切ない。これがポイントだ。
アメリカの工場の職長は非労働組合員であり、かつ労働者からの内部昇進はきわめて少ない。多くは外部から採用されている。ただし、職長といっても、収入面では必ずしも恵まれた職位とは言えない。
このような日米の労働慣行の相違点をきちんと認識したうえで、日本企業は外国への進出などを決めるべきだと思ったことでした。
(2014年7月刊。780円+税)
2014年10月 7日
暴露
著者 グレーン・グリーンウォルド 、 出版 新潮社
アメリカは世界の憲兵を気取っていますが、誰も頼んでいるわけではありません。自分勝手に他人のプライバシーを暴きたてて、軍事力でおさえつけているにすぎません。
でも、軍事力で押さえつけようとしても、テロリストを根絶できるものではありません。とりわけ、9.11のような自爆攻撃の前には、いかに強大な軍事力をもっていても無力だということが立証されています。やはり、軍事力に頼らないで、まわりくどいようだけど、たとえば貧困や病気をなくす努力といったものが求められていると思います。
この本は、アメリカが勝手気ままに全世界をスパイ(監視)していることを、CIA工作員だった人が内部告発したものです。
アメリカのブッシュ大統領が指揮した違法な通信傍受は明らかに犯罪行為であり、傍受された人々に対して、ブッシュ大統領は説明責任がある。
1970年代の半ば、アメリカのFBIは、50万人ものアメリカ国民について、「潜在的な反乱分子」とみなして、政治的信条だけを理由としてスパイ行為をしていた。このときの対象者には、マルティン・ルーサー・キング・ジュニア、ジョン・レノン、ジョン・バーチ・ソサエティ(反共主義者の団体)などが含まれていた。
市民の通信を傍受できる能力は、傍受する側に計り知れない力を与える。そして、その力は悪用される。
エドワード・スノーデンから最初の連絡があったのは、2012年12月1日のこと。
初めて会うとき、携帯電話をもっていることを知ると、スノーデンは、バッテリーを抜くか、ホテルの部屋に置いてくるように求めた。アメリカ政府は、携帯電話やノートパソコンを遠隔地から起動させて、盗聴器として使うことができる。だから、決して盗聴されないためには、携帯電話については、バッテリーを抜くか、冷蔵庫の中に入れておくこと。ええっ、そんなことも出来るのですか・・・。怖いですね。
スノーデンは、高校を中退したものの、テクノロジーに関しては天与の才能があった。2005年には、CIAの保安要員からテクニカル・エキスパートに格上げされた。大学を出た歳上の同僚より、スノーデンは知識も技能も明らかに優れていた。
2006年、スノーデンは、CIAの請負の立場から、フルタイムのスタッフになった。
スノーデンは、CIAを離れてNSAに戻り、NSAの請負企業である「デル」社の従業員として働き、2009年には日本に派遣された。
スノーデンは、CIAでもNSAの請負企業でも上級サイバー工作員となるための訓練を受けた。他国の軍隊や民間のシステムに侵入し、情報を盗んだり、攻撃準備を整えたりするための工作員だ。日本で集中的に訓練を受けたスノーデンは、他の諜報機関から電子データを守るエキスパートになり、正式に上級サイバー工作員となる。そして、国防情報局(DIA)の合同防諜訓練アカデミーの中国防諜コースでサイバー防諜の講師をつとめた。
2011年、スノーデンは日本での勤務を終えてアメリカに戻り、メリーランド州にあるCIAの施設内で仕事をした。年収は20万ドル。2000万円ということです。すごい高給とりですね。
やがて、NSAの極秘スパイ活動を明るみに出すと同時に、既存のジャーナリズムの腐敗した空気に光をあてたいと考えた。
世界じゅうの大陸に住む10億人以上の人々がフェイスブック、Gメール、スカイプ、ヤフーを利用している。それらの企業がNSAの請負企業と秘密協定を結び、ユーザーの通信データへのアクセスを提供していたのだ。
NSAは、アメリカ国防総省(ペンタゴン)の軍部直轄組織であり、世界最大の諜報機関の一つである。NSAの職員は3万人。ほかに6万人と業務契約を結んでいる。
NSAは2種類の情報を収集している。コンテンツとメタデータだ。コンテンツとは、文字どおり人々の電話通話を聞くこと。
2010年、アメリカの監視対象国には、フランス、ブラジル、日本、メキシコが含まれている。
日本政府は、それを知っても、アメリカ政府に何の抗議もしていません。まさに、アメリカの属国です。これで、安倍は独立国の首相と言えるのでしょうか・・・。
NSAは、メタデータの収集だけでなく、Eメール、閲覧履歴、検索履歴、チャットの収集にまで手を伸ばしている。
しかしながら、現在のアプローチでは、諜報機関は、大量のデータの海に溺れるだけで、データを効率的に分類することさえ、ままならなくなっている。
NSAの監視プログラムは、過剰な量の情報を提供しているだけでなく、国家をかえって脆弱(ぜいじゃく)にもしている。大量監視は、テロの予見や阻止をかえって困難にしている。
9.11のあと、実はいろいろ予兆があったことが報道されています。通信傍受や盗聴は、それなりの知的レベルの分析官がいないと、宝のもち腐れにしかならないのですね。
それにしても、ネット社会はまったく個人のプライバシーを奪ってしまうのです。恐ろしい世の中です。
(2014年5月刊。1700円+税)
2014年8月27日
史上最大の決断
著者 野中 郁次郎・荻野 進介 、 出版 ダイヤモンド社
ノルマンディー上陸作戦を描いた映画をみたのは、私が高校生のころだったでしょうか。
1944年6月6日、Dデイの当日、ノルマンディー上陸作戦に参加した将兵は300万人。計画から実行まで2年2ヵ月。機甲12個と空挺3個をふくむ39個師団が参加した。13万3000人の将兵と、1万4000台の各種車両、1万4500トンもの補給資機材が、戦艦6隻、戦闘戦艦1070隻に護衛された6000隻もの艦船舟艇によって、波高き海峡を渡って、ノルマンディーの海岸に運び上げられた。さらに、2万機におよぶ戦闘機、爆撃機、輸送機が飛んだ。
この当時、チャーチル65歳、スターリン61歳、ルーズベルト58歳、ヒトラー51歳。そして、アイゼンハワーは53歳。アイゼンハワーは、陸軍参謀総長だったクラス・マッカーサーのスタッフとして、9年間も仕えたことがある。
ノルマンディー上陸作戦について、ドイツを欺くための作戦「ボディーガード計画」が大々的にすすめられた(フォーティチュード作戦)。
6月のノルマンディー上陸作戦は、本番である7月のパ・ド・カレー上陸作戦のための牽制作戦にすぎないとドイツ軍を信じ込ませる作戦が実行された。そのため、架空のイギリス「第4軍」がスコットランドにつくり出され、その司令官として有名なパットン将軍が選ばれた。
ノルマンディー上陸作戦にあたって、イギリスにアメリカ軍が集結した(ボレロ作戦)が、なんと152万人にも達した。これだけのアメリカ兵がいて、ドイツ側にノルマンディー上陸作戦がよく洩れなかったものです。
アイゼンハワーは最高司令官として、将兵たちに直接接触した。26の師団と24の飛行場、5隻の軍艦、そして基地、工場、病院などを訪問した。
アイゼンハワーは、兵士は作戦を指揮する人物に会うのが好きだし、彼らの士気もそれによって高揚する。その士気がなければ、戦場において勝利をおさめることは出来ない、と考えていた。
「総司令官は、重大な作戦用務もさることながら、前線の部隊の『感情』に絶えず触れなくてはならない。総司令官たるものは、作戦の責任を代表し、部下の権限が侵されることのないように努力すべきであるとともに、部下と感情的に溶けあっていなければならない。そうでなければ、広範かつ重大な作戦で必ずや失敗する。この部下との接触のため、絶えず前線を視察する必要がある」
ノルマンディー上陸作戦の決行の前、ド・ゴール将軍には詳しい計画は伝えられていなかった。ド・ゴールは独裁者になる危険があるとして信頼されていなかったことと、使われていた暗号があまりにお粗末だったため、ドイツ軍に筒抜けになることを心配したからだった。
Dデイは、当初は5月1日だった。月齢と潮の干満、そして日の出という3つの条件によって決められた。
連合軍の気象予報組織はドイツ軍に比べて格段に優秀だった。アメリカの陸軍がグリーンランドに設置していた高層気象観測所が役に立った。
ドイツ軍が海中に機雷、そして海岸に地雷付きの障害物を山ほど設置していることが分かっているため、それが海面上に露わになる引き潮のほうが都合よい。引き潮のあと、推進力のある満ち潮に乗って、できるだけ速やかに上陸することだった。時間帯は、夜明けが選ばれた。敵を油断させるためだ。
6月5日午前3時半、台風のような天候の下で、会議が開かれた。悪天候に切れ目ができ今日の午後1時から、今まで予期されていなかった好天が36時間続く可能性があると気象班の責任者が告げた。それを聞いて、アイゼンハワーが決行を決めた。5日の午前4時15分だった。
兵士はアイゼンハワーに「実は恐いです」と正直に答えた。それを聞いて、アイクは言った。
「そうとも、恐くない奴は大馬鹿野郎だ。ただし、コツがある。もし足をとめたら、その瞬間にスキができる。そうなると、やられる。肝心なのは、常に動き続けることだ」
6月6日、Dデイ当日、午前1時半すぎ、真っ先にノルマンディー地区に降下したのは、アメリカ陸軍第101空挺師団だった。6600人のうち、予定された集結地点に集まったのは1100人だけだった。それでも夕方までに2500人となった。
5つの海岸のうち、もっとも激しい戦闘になったのは、オマハ海岸だった。高台から海を一望でき、守りやすく、攻めにくい場所だった。ここに、昼12時半までに1万8千人が上陸した。オマハ海岸で上陸しようとした3万4千人のうち2千人が死傷した。ドイツ側は1200人の死傷だった。
フランスにあるドイツ軍最高司令部はまもなく大陸への侵攻作戦が始まろうとしていることは把握していた。しかし、天候は6月10日まで悪化するばかりという予報だった。ロンメル将軍は、この悪天候を利用して、ドイツに帰国していた。
アイゼンハワーは、Dデイ翌日、6月7日に、駆遂艦に乗って、オバマ海岸から上陸し、ノルマンディーで、司令官と会い、その日のうちにイギリスに戻り、今後の作戦計画を修正した。
ヒトラーは、パ・ド・カレー上陸を信じていたため、ドイツ軍の対応が遅れた。
ノルマンディー上陸作戦を総合的に検討した本として、大変興味深く読み通しました。「
(2014年6月刊。2200円+税)