弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

社会

2007年11月20日

新自由主義の犯罪

著者:大門実紀史、出版社:新日本出版社
 またまた私の知らない言葉がありました。オンコール労働者です。みなさん、知っていましたか?
 オンコール労働者とは、企業が必要なときに呼び出し、必要なだけはたらかせる労働者のこと。呼び出しは、企業の都合によっておこなわれ、労働者は前日の呼び出しでも応じないと、次の仕事が得られないという、強制的かつ不安定な状態におかれる。就労日数も、一日から数週間と、企業の需要に合わせて決められる。
 これはアメリカの労働者についての言葉です。日本では、ワンコール労働者というのがあります。私は、これも知りませんでした。ワンコール労働者とは、電話一本で呼び出される労働者のこと。アメリカのオンコール労働者とほぼ同じで、一日単位の仕事について電話で派遣会社に仕事情報を照会し、直接、派遣先に出向いて就労する派遣労働者のこと。日雇派遣とかスポット派遣とも呼ばれる。
 ワンコール労働者に登録している労働者は、グッドウィルで270万人。同じ派遣大手のフルキャストで175万人もいる。日給は5000〜8000円だが、毎日仕事があるわけではないので、月収は10〜13万円程度。アメリカのオンコール労働者と同じく、低賃金で雇用保険も社会保険も適用されない。
 いやあ、これってひどいですよね。だって、昇給も昇進もまったくないのですよ。これでは人生設計なんて、まるで出来できませんよ。
 偽装請負とは、実態は派遣労働なのに、契約上は業務請負と偽装し、本来は派遣先企業が負うべき労働者の使用にともなうさまざまな責任を免れようとするもので、職業安定法や労働者派遣法に違反している。
 偽装請負では、請負会社は求められた人数の労働者をメーカーに派遣するだけで、指揮命令するのはメーカーだ。誰が仕事の指揮命令をするのかは、いざというときの使用者責任を問い、労働者の権利を守るうえで重要な分かれ目になる。
 この本に完済の大手電機メーカーN社というのが登場します。あくまで人件費が安上がりですむクリスタルとの取引を継続しようという勢力と、自社グループ内で技能社員を養成していこうという勢力との争いがあったというのです。長い目で見たら、技能社員を大切にして養成していくべきことは明らかだと思うのですが、目先の利益を追うと、そんなことを考えるゆとるはなくなるのでしょうね。
 この本には病院ファンドについても紹介されています。今、全国の病院、とりわけ自治体病院の経営が苦しい状況です。そこにつけこんでもうかろうという企業グループがあるというのです。とんでもない連中です。
 新たな投資分野なので、銀行や商社、不動産会社などが次々にファンドを立ち上げている。このファンドは私的病院だけでなく公的病院もターゲットとしている。現在、自治体病院600のうちの9割以上が赤字で、そのほかの公的病院も6割赤字経営。ここに公的病院の民営化がすすみ、ファンドのもうけの場となっている。
 いやですね、人間(ひと)の生命・身体を、もろに金もうけの道具にするなんて・・・。
 クレジット・サラ金による被害者救済を充実させるため全国を飛びまわっている福岡の椛島敏雅弁護士のすすめで読みました。勉強になりました。ありがとうございました。
 日曜日に、仏検(準一級)を受けました。晴れた青空の下、室内にいるのがもったいないような気がしましたが、2時間半ほどのテストが終わったときには花王石鹸のマークのような半月が空高く輝いていました。今回も事前に十分な予習できなかったのですが、前日と当日午前中、フランス語の勘を取り戻そうと、必死に辞書をめくって単語を復習しました。自己採点で78点です(120点満点)。まあ、なんとかパスしたかなと思い、秋風の寒さを身にしみながら帰路につきました。
(2007年10月刊。1700円+税)

2007年11月19日

私訳・歎異抄

著者:五木寛之、出版社:東京書籍
 善人なほもって往生をとぐ。いはんや悪人をや。しかるを世のひとつねにいはく、「悪人なほ往生す。いかにいはんや善人をや」。この条、一旦そのいはれあるに似たれども、本願他人の意識にそむけり。そのゆゑは、自力作善のひとは、ひとへに他人をたのむこころにかけたるあひだ、弥陀の本願にあらず。しかれども、自力のこころをひるがへして、他力をたのみたてまつれば、真実報士の往生をとぐるなり。煩悩具足のわれらは、いずれの行にても生死をはなるることあるべからざるを、あはれみたまひて、願をおこしたまふ本意、悪人成仏のためなれば、他力をたのみたてまつる悪人、もっとも往生の正因なり。よって善人だにこそ往生すれ、まして悪人はと、仰せ候ひき。
 親鸞の有名な文章です。これを著者は次のように現代語訳しました。
 いわゆる善人、すなわち自分のちからを信じ、自分の善い行いの見返りを疑わないような傲慢な人びとは、阿弥陀仏の救済の主な対象ではないからだ。ほかにたよるものがなく、ただひとすじに仏の約束のちから、すなわち他力(たりき)に身をまかせようという、絶望のどん底からわきでる必死の信心に欠けるからである。
 だが、そのようないわゆる善人であっても、自力(じりき)におぼれる心をあらためて、他力の本願にたちかえるならば、必ず真の救いをうることができるにちがいない。
 わたしたち人間は、ただ生きるというそのことだけのためにも、他のいのちあるものたちのいのちをうばい、それを食することなしには生きえないという、根源的な悪をかかえた存在である。
 山に獣を追い、海河に魚をとることを業(ごう)が深いという者がいるが、草木国土のいのちをうばう農も業であり、商いもまた業である。敵を倒すことを職とする者は言うまでもない。すなわち、この世の生きる者はことごとく深い業をせおっている。
 わたしたちは、すべて悪人なのだ。そう思えば、わが身の悪を自覚し、嘆き、他力の光に心から帰依する人びとこそ、仏にまっ先に救われなければならない対象であることがわかってくるであろう。
 おのれの悪に気づかぬ傲慢な善人でさえも往生できるのだから、まして悪人は、とあえて言うのは、そのような意味である。
 正直いって、私には、この解説ではもうひとつよく分かりません。あるときには分かったようなつもりになりましたが、本当の意味で理解したというのにはほど遠い状況です。
 わたしたちは常に現世への欲望や執着にとりつかれた哀れな存在であり、それを煩悩具足の凡夫(ぼんのうぐそくのぼんぷ)という。
 これは、私にも、よく分かります。まさしく私は煩悩具足の凡夫そのものです。
 阿弥陀仏の救いに甘えてつくる罪もまた、過去の世の行いの結果である。善い結果も悪い結果も、その業(ごう)の結果であると認識し、ただ仏の慈悲にすがることが、「他力」(たりき)の道なのだ。
 ここらあたりが、私にピンとこないのです。いったい、これはどういうことなのでしょうか。 何度よみ返しても、よく理解できません。果たして、一日一善を心がけてよいものなのでしょうか。それとも無意味なことだというのでしょうか。
 念仏をしようと思いたったとき、その信心は、阿弥陀仏からのはたらきかけによって生じ、阿弥陀仏のちからによってなされるものである。その時点ですでに仏の光明に照らされているのだ。だからこそ死ねば執着を脱し、罪をぬぐい、浄土に導かれるということである。
 それはあくまで仏の大きな慈悲の心によるものだ。このはからいによらなければ、われわれのような罪深い人間が浄土へと往生できるわけがない。一生の問いにする念仏の数々は、この仏の恩を感謝する念仏であると考えよう。
 念仏によって罪を消滅できると期待することは、その行為に励むことによって自己の罪を消し去ろうとする「自力」の行為である。もしそれで浄土へと往生できるのなら、死ぬまで一刻もたえまなく念仏しなければならないが、念仏とはそういうものではあるまい。
 いやあ、なかなかに味わい深い文章であることは間違いありません。とても平易な文章なのですが、まだまだ凡夫の私が理解するのには相当の年月を要すると思いました。
 先週、上京して日弁連会館での会議に参加する前に、日比谷公園で菊花展があっていましたので、立ち寄りました。見事な菊の花がずらりと並んでいて壮観でした。丹精こめた大輪の菊の花が、香りも高らかに美を競いあっていて、ついつい見とれてしまいました。それにしても、いろんな形の菊の花があるのですね。まるで花火のような形をした菊の花を眺めて、手入れがさぞかし大変なことだろうと推察しました。
(2007年9月刊。1200円+税)

佐藤可士和の超整理術

著者:佐藤可土和、出版社:日本経済新聞出版社
 小さなころから、僕は整理するのが好きだった。整理したあとの、なんとも言えないスッキリ感がたまらなかった。もやもやした霧がパッと晴れたような爽快感といったらいいだろうか。整理すること自体が、僕にとって何よりのエンタテイメントだった。
 いやあ、これって私にもピッタリです。私も、大学受験勉強のころ、気分転換にすることと言えば、子ども部屋の模様変えでした。整理整頓して部屋のなかをスッキリさせると、気分までスッキリ爽快となり、勉強もはかどりました。
 答えはいつも、自分ではなく、相手のなかにある。それを引き出すために相手の思いを整理するのが、すごく重要なこと。
 整理するには、客観的な視点が不可欠。対象から離れて冷静に見つめないと、たくさんの要素に優先順位をつけたり、いらないものをバッサリ切り捨てたりすることはできない。徐々に大切なものに焦点をあわせ、磨きあげて、洗練されたかたちにしていく。
 なーるほど、ですね。著者は、とても若い人ですが、大いに学ぶところのある、鋭い指摘だと感心しながら読みました。
 現代社会は非常に複雑な状況にある。いくつもの世界が混在し、とてつもないカオス状態が蔓延している。混沌としている現代社会においては、現状を把握するのが、不可能なほど難しい。
 空間の整理の目的は、快適な仕事環境をつくること。
 捨てることは不安との闘いである。
 捨てることは、「とりあえずとっておこう」との闘いでもある。
 広告が単に刺激的なだけでは、一瞬目を引くだけで終わってしまう。心の奥までは浸透していかない。
 相手の理解を得たり興味を引いたりしないと、本当に心を捉えたことにはならない。まず何が言いたいのかという趣旨をはっきりさせ、そのうえでどんなトーンで伝えるのかという工夫をすることが大切。
 思考を情報化するためにはどうしたらいいか。必要不可欠なのが、無意識の意識化というプロセス。漠然とした状態の心理や、心の奥深くに埋もれている大切な思いなどを掘り起こして、はっきりと意識する。そのとき一番大切なことは、言語化していくこと。言語かすることで、思考は情報になる。
 そうなんですね。すべては、コトバにすることから始まるのです。しかも、そのコトバが鮮烈な印象を与え、心をゆさぶるものになるためには、大いなる工夫が求められるのです。そこが難しいんです。モノカキをこころざす私は、一見、簡単にみえる言語化が難しいことを、日々、実感しています。
 Tシャツをペットボトルで販売するということを考え出した著者の大胆な発想とそれを支えているユニークかつ堅実な発想にも大変刺激を受けました。
(2007年9月刊。1500円プラス税)

2007年11月 9日

壊れる日本人

著者:柳田邦男、出版社:新潮社
 日本人の大学生が提携先のアメリカの大学に留学したとき、そこではケータイの使用が禁止された。すると、日本人学生は、心の支えがなくなったような、いつも何かが満たされないでいるような不思議な不安定感にとらわれた。ケータイなしでも不自由さや不安定感を感じないで生活できるまで、2週間かかった。これは麻薬中毒的なケータイ依存症にあったと言える。
 そうなんですよね。私自身は、ケータイこそ持っていますが、いつもカバンのなか。ケータイで写真をとったり、メールを送ったりなんかできません。あくまで公衆電話(めっきり姿を消してしまいました)の代わりです。
 ケータイ・ネット依存症を克服するために、非効率主義をすすめる。じっくり考える習慣、ナイーブな感性、画一的でないタイ人対処の仕事の仕方、豊で味わいのある言葉、ゆとりや間(ま)や沈黙を大事にする生活と人間関係など、人間が人間らしく生きるうえで大事なものを忘れてはならない。
 新約聖書をケセン語(日本語です)に訳した人がいるそうです。「マタイによる福音書」のなかに、有名な文句があります。
 心の貧しい人々は、幸いである。天の国はその人たちのものである。
 これがケセン語訳では次のようになります。
 頼りなぐ、望みなぎ、心細い人ア幸せだ。神様の懐(ふところ)に抱がさんのアその人達だ。
 ケセン語というのは東北弁のなかの一つで、岩手県最南部の気仙地方の方言のことです。
 方言を文化レベルの低い恥ずかしいものだと考えて、忌避する風潮が、ようやく排除されるようになったことを堂々たるケセン語訳は象徴的に示した。
 なーるほど、なるほど。まったく、すばらしい偉業です。連帯の拍手を送ります。
 1998年時点で、保育士が子どもたちの傾向として、次のようなことをあげた。
 夜型生活。自己中心的。パニックに陥りやすい。粗暴。基本的なしつけの欠落。親の前では良い子になる。
 これは、9年前の指摘です。でも、この傾向は強まっているのではないでしょうか。
 言語化の作業が苦手という子どもは、心の発達の未熟さと裏腹の関係にある。言語化とは、感情や考えたことや心の中に渦を巻いている葛藤や苦悩などを整理し、一筋の文脈のあるいわば物語(の、一部)として表現する作業だ。知能の発達、心の発達が遅れていると言語化の能力の発達も遅れる。
 なーるほど、ですね。日本人の危なっかしいところを振り返り考えさせられました。
(2005年3月刊。1400円+税)

2007年11月 8日

伝統の逆襲

著者:奥山清行、出版社:祥伝社
 かつては日本の技術が「猿真似」だと非難されることもあった。しかし今では、そんな批判があたらないということが世界的に認知されている。元のオリジナルが何であったのか分からないほど、完全に自分のものとしてマスターし、新たな日本の「オリジナル」となっているからだ。
 器用さと開発能力に加えて、日本の職人には大きな特徴がある。寡黙なことだ。
 トリノの塗装職人は、日本円にして年収3000万円を得ている。しかも、イタリアのマエストロは社会的地位が確立していて、周囲から尊敬の念をもって迎えられている。日本の大企業の役員に匹敵する。日本の家具メーカーのトップクラスの職人は、世界的に高い技術を持ちながら、年収は300万円ほどでしかない。
 著者は日本の美大を卒業したあとアメリカに渡りました。そこで、カーデザインを専門に学ぶ大学に入り、GMから奨学金をもらいました。1年間に350万円もの奨学金をもらっていたのです。ですから、卒業後、GMに入り、その研究センターに入りました。そして、1500人いるデザイン部において社内評価が3年続けて1位になったというのです。才能と努力、どちらもすごいですね。
 30歳のとき、ポルシェに移り、新型911のデザインにとりくんだ。そして2年後、またGMに戻った。4年後、イタリアのピニンファリーナに移った。フェラーリをはじめ、世界の名だたる名車のデザインをしている会社だった。しかし、給料はGMのときより3分の1に下がった。秘書なし、オフィスなし、肩書きなし。しかも、言葉も話せない。それでも移ったのは、自分の作品をつくりたい、残したいと熱望したから。
 うーん、すごいことです。若いからやれたのでしょうね。
 1995年にピニンファリーノに入ったとき、デザイナーはわずか5人だけ。この5人は1人ずつ独立して仕事をする。社長がそのうちの2〜3人のアイデアを選ぶ。選ばれたデザイナーは、プロジェクトの最後まで一人で関わる。ほかの人が手伝うことはない。勝者だけが次にすすみ、敗者には仕事がない。敗者はコーヒーでも飲みながら、勝者の仕事を見ているしかない。これは、デザインのようなクリエイティブな要素は、結局、個人の頭の中から出てくるもので、集団で議論してつくるものではない、という考えによる。
 仕事はムチばかりの恐怖政治では人は動かない。モチベーションを上げて、気持ちよく仕事をしてもらうのが本筋だ。ところが、欧米の経営者やマネージャーには、自分がいなくても成り立つような組織をつくろうとする人間はまずいない。逆に、自分がいなければ問題が起きる仕組みや、短期的に業績が上がって自分の給料も上がり、辞めたとたんに業績が落ちるような仕組みをわざとつくる。
 むむむ、そうなんですか。日本でも後者のようなことはあるんじゃないでしょうか。
 アメリカの特徴は、大きなスケールで「もの」をつくることが絶対的な善であると考えていること。ある程度の数がこなせてこそビジネスが成立するという考え方。だから、どうしても大量生産を主眼にした開発や生産に力点が置かれる。
 アメリカがインチ表記を続けている限り、緻密なものづくりは難しい。アメリカ製品が総じて大雑把につくられている最大の理由は、インチという単位にある。
 ドイツ人は不器用であるかわり、ひとつの仕事をするのに非常に時間をかけ、精魂を傾けて道具をきちんとつくる。
 イタリアは厳しい階級社会のため、名家の出身でもない限り、いくらがんばっても社会的に高い地位にはつけない。どうせ上には行けないのだから、今のレベルで楽しもうという「あきらめ」が根底にある。
 ヨーロッパにおけるイギリスの絶大な存在感。イタリアの上流階級は、ほとんどが子女をイギリスに留学させる。
 日本人は想像力に長けているおかげで、深い思いやりと洞察力をもっている。
 日本人の問題解決能力は非常に高い。課題が与えられたら、苦労しながらも、工夫と努力で解決してしまう。
 フェラーリは、社員3000人、年間の生産台数は5000台。ポルシェは10万台。フェラーリは2000〜3000万円台。
 2002年に発表したエンツォ・フェラーリは1台、7500万円。著者が最初から最後までデザインを担当した。これを349台、限定販売すると発表したら、世界中から 3500人もの顧客が押し寄せた。そこで、フェラーリは、申込金を預かったうえで審査した。年収、社会的地位はもちろん、レース経験、フェラーリの所持実績(2台以上もっていたか)など、ブランドにふさわしい人物を選んだ。投機目的の人を排除し、希少性を保った。
 いやあ、世の中にはすごい人がいるものです。たいしたものです。
(2007年8月刊。1600円+税)

2007年11月 7日

暴走老人

著者:藤原智美、出版社:文藝春秋
 成熟した高齢者が中心の社会になれば、時間はゆったり、のんびり流れるだろう。社会をとりまく空気も穏やかでゆとりのあるものになり、ぎすぎすした雰囲気は消えるかもしれない。漠然と、そう考えていた。しかし、現実は違う。穏やかな社会というのは大いなる幻影ではないか、むしろ私たちが進もうとしているのは、今まで以上にストレスのかかる高齢化社会ではないのだろうか。
 残念ながら、そのようです。私は、後期高齢者に医療費を負担させようとする今回の政府の施策は根本的に間違っていると思います。75歳になったら、医療費を全部タダにして、死ぬまで安心してゆっくり、のんびりお過ごしください。このように言うのが政治の責務というものではありませんか。軍事予算にまわすお金はあっても、老人福祉にまわすお金はないなんて、まったく政治が間違っています。
 お年寄りを大切にしないどころか、あからさまに早く死ねと言わんばかりの政治がすすめられています。だから、キレて叫ぶ老人が頻出するのは、ある意味で当然です。誰だって、無視されたくはありません。大事にしてもらいたいのです。お金がなければ虫ケラのように扱われる。そんな日本に誰がしたのでしょうか。プンプンプン、私だって怒ります。
 若者による殺人などの凶悪事件は、1958年をピークに減少し、現在、ピーク時より圧倒的に少ない。反対に、「いい歳をした」危ない大人が増えている。2005年、刑法犯で検挙された者のうち、65歳以上が4万7000人。1989年に9600人だったので、わずか 16年間で、5倍にも増えてしまった。ちなみに、この間の高齢者人口の増加は2倍。
 60歳以上でみると、2000年から2005年までの6年間で、刑法犯は4万人から7万5000人へ、1.8倍も増えている。
 老人が暴走する原因は、社会の情報化にスムースに適応できないことにある。病院で、突然キレて暴力をふるう患者が10年前から増えている。1年間に看護師の55%が何らかの暴力被害にあっている。仕事をしていて暴力を受ける確率が半分以上という職場は、ほかに考えられない。ひゃあ、知りませんでした。大変なことですよね、これって・・・。
 歳をとるごとに時間が早くたつと感じる理由は、高齢者のほうが子どもより体内時計のすすみ方が遅いから。体内時計が遅いと、現実の時間は早く感じられる。逆に子どもは体内時計が早くすすむため、現実の時間を遅く感じる。この体内時計は代謝の速さに対応している。それは酸素消費量による。それが少なければ、体内時計の進行は遅い。消費量が多ければ、速い。この消費量は脈拍数から推測できる。高齢者の脈拍数は毎分50、子どもは70。この差が体内時計の差になる。
 ふむふむ、なるほど、そういうことなんですか。本当に月日のたつのは早いものです。このあいだまで暑い暑いと言っていましたが、いつのまにやら寒さを感じるようになり、今年も残すところ2ヶ月ないというのですからね。私も来年には還暦を迎えます。ええーっ、と我ながら驚いてしまいました。
 現代の権力とは、時間をコントロールする力のこと。現代の権力とは、まさに時間を私物化すること。時給、月給、年俸と、収入が時間の単位で計算されるのも、時間のコントロールこそが現代人の最大のテーマになっているから。
 いま、地域が抱える大きな問題の一つに、全国各地に誕生しているゴミ屋敷。この住人の大半は独居老人である。マンションのなかにも、ゴミ・マンションが存在する。
 いやあ、キレる老人がこんなにも増えているのかと、今さらながら驚きました。それにしても、私自身が老人と呼ばれる年齢になりつつある今、なぜ老人がキレやすいのか、社会はもっと老人を大切にすべきだと、声を大にして叫びたいと思います。
 年金額を増やせ、医療費をタダにしろ。どうですか、みなさん。ご一緒に叫び声を上げましょう。
 先週の土曜日に天竜川下りをしました。おだやかな秋晴れの下で、小一時間ほど、ゆっくり広々とした天竜川に下っていきました。シラサギやアオサギが川辺にじっと立って小魚をとらえて食べる場面にも遭遇しました。飛ぶ宝石とも言われる鮮やかに青いカワセミ、黄色の目立つ可愛らしいキセキレイの姿も見かけました。柳川の川下りも情緒がありますが、天竜川下りもいいものです。徳川家康ゆかりの二俣城跡も川沿いにありました。川の中、時間はゆったり、のんびり過ぎていき、しばし心の洗濯ができました。名古屋の成田清弁護士のおかげです。お礼を申し上げます。
(2007年8月刊。1000円+税)

2007年11月 6日

さよなら、サイレント・ネイビー

著者:伊東 乾、出版社:集英社
 オウムには、きちんと整合、首尾一貫した教義は存在しない。金剛乗仏教だと言っているが、主神とされるシヴァ大神はヒンドゥーの神様だし、ハルマゲドンはユダヤ教、キリスト教そしてイスラム教の概念だ。典型的な新興宗教による教義の合金(アマルガム)。どんな非現実的なストーリーでも、自分たちは攻撃されているという被害者意識にとらわれたら、人は簡単に隘路におちこむ。
 麻原が説く潜在意識は徹頭徹尾「孤独」だ。人間として受け容れ、あるいは受け容れられるという豊かな経験を一度も持つことがないまま歪んだ松本の欲望は、自分を神聖な存在=グルと位置づけることで、それこそ顕在意識レベルの解消を図ろうとする。
 オウムの信者であった豊田亨は、東大でも最難関の物理学科を卒業した。その出家期間は、わずか3年にすぎない。オウム自作自演の「ハルマゲドン」を演出するために、東大卒の物理学者が必要だった。ただそのためだけの出家=拉致。いったん出家した後は、自身が関わってもいない「実験」の説明をテレビカメラの前でさせられたり、教祖に都合のよい会話の相手役をさせられたり、あげくの果てに、地下鉄に毒ガスを散布する実行役を押しつけられてしまった。
 どうして、東大でも最難関の理論物理学教室に入って勉強していた優秀な人物が、あんなエセ宗教に身も心もささげて、殺人までしたのか、本当に不思議でなりません。この本は、豊田亨の同級生の著者がその点を追究しようとしたものですが、私には今ひとつよく分かりませんでした。
 次に紹介するアフリカ・ルワンダの話は、すごいことだと思いました。出張したとき、私が福岡で見損なった映画『ホテル・ルワンダ』をたまたまビデオで見ることができました。権力を握った者の扇動によって大勢の人々が狂気にかられ、客観的には同じ民族を大量に虐殺していったというおぞましい事態のなかで、勇気ある人もいたという映画です。
 1994年の4月から7月にかけて、アフリカのルワンダでは、たった3ヶ月間に、 100万人の人々が虐殺された。主な凶器は鉈(なた)。ということは、その実行にも  100万人規模の人間が関わったことを意味している。治安が回復して、これらの人間を裁かなくてはいけなくなった。でも100万人の人間を殺した100万人の人間を再びすべて死刑にしたら、虐殺を二度くり返すことになる。本当に国が滅びてしまう。実際には、100万人の犠牲者に対して、1996年に22人の虐殺指導者を処刑したにとどまる。
 ルワンダ政府は、容疑者を4つのランクに分けた。第一は虐殺を計画した者、第二はそれを実行した者、第三は殺人は行わなかったが略奪などした者、第四は、自分の家族や財産などを守るために正当防衛した者。
 第一ランクの容疑者だけで3000人をこえてしまう。全員の処刑など、現在の国際世論が決して許さない。これらの容疑者を裁くために、「ガチャチャ」と呼ばれる伝統的な裁判が大量に組織された。地域の信頼される長老を中心に16万人の裁判官が選ばれ、1万2000の法廷がつくられた。2005年現在も、毎週土曜日に法廷が開かれ、いまだ裁判は終わっていない。
 ガチャチャは糾弾・断罪ではなく、和解と補償を勧めている。赦しは、ときに処刑より強い刑罰となりうる。すでに10万人規模の受刑者を抱えるルワンダの刑務所は、これ以上の犯罪者を収容できない。
 虐殺に関係した多くの人々は、灰燼に帰した祖国の土を耕し、家を建て、外貨を獲得できる作物であるコーヒーを育てる。日々、生きるために労働しながら、虐殺の実行者たちは、自分の行為のトラウマから逃れることは終生ない。
 すごく重い事実ですね、これって・・・。
(2006年11月刊。1600円+税)

2007年10月31日

自衛隊裏物語

著者:後藤一信、出版社:バジリコ
 自衛隊は、総計24万人にも達する日本最大の国家公務員組織である。
 任期2年の一般陸上自衛隊員の中で、ホンモノの手榴弾を触ったことのある者はほとんどいない。演習でつかうのは、模擬手榴弾であって、いくら乱暴に扱っても決して爆発しない。爆薬が入っていないから。
 だから、日本の自衛隊は真の意味で軍隊ではない、軍隊もどき、でしかないのだと言った人がいます。同感です。幸いにも殺し、殺されることのない「軍隊」なのです。まあ、それでいいじゃありませんか。私は本心からそう思います。
 自衛隊員の武器使用の要件は警察官職務執行法第7条に定められているとおり、防衛のものに限定されている。先制攻撃は許されない。
 この本は、日本が自己完結した戦力を保有したとき、本当に日本の危機が減少するのか、という根本的問題を提起しています。私も、同じ疑問をもっています。武力をもてば自分の身を守れるというのではないことは、アメリカ社会を見れば証明十分です。そこでは殺人も強盗も日常茶飯事です。人々は平気で銃をもっているにもかかわらず、です。
 防衛大学校生に支払われる毎月の学生手当は10万6600円。このほか、年2回の賞与もある。防大を卒業するときに任官を拒否する者が毎年30人ほど必ずいる。
 自衛隊員には、抗命権、抵抗権が与えられていない。自衛隊は絶対階級社会である。しかし、虐殺などの人道に反する命令に対して、兵士が軍務を拒否できる抗命権を認めているフランスやドイツのような国がある。そのときには、抗命権の行使が正当であったか否か、軍事法廷で審議される。しかし、日本には憲法により軍事裁判所の設置が禁じられている。そして、自衛隊法によれば、敵前逃亡罪は7年以下の懲役または禁固刑でしかない。死刑になることはありえない。自衛隊を脱走する者は3〜5%。自衛隊の歩哨は実弾を一発ももっていない。その警備は丸腰のセコムに頼っている。
 自衛隊員の自殺者は、1995年度に44人、98年度75人、99年度62人、00年度73人、1年度59人、02年度78人、03年度75人、04年度94人、05年度は93人だった。
 自衛隊の自殺率39.56人は世界2位のロシアより高い。その多い原因は、いじめだ。
 イラクに派遣された自衛隊の自殺者は陸自が6人、空自が1人の計7人。派遣された 5500人のうちの7人だから、きわめて高率だ。
 自衛隊員は、日々、受動的な生活を送るため、指示がないと何もできない人間になってしまう。そして、自衛隊員の趣味は、圧倒的にギャンブル関係が多い。
 タイトルに反して自衛隊の実情を知ることのできる、マジメな本です。
 私は、憲法9条2項を廃止しようという自民党の提案には反対です。だって、アメリカの言いなりになって、ホイホイとイラクやアフガニスタンへ出かけて行って、世界と日本の平和と安全に役立つなんて、まるで嘘っぱちなことは明らかではありませんか。それにしても、自衛隊の現実を、弁護士会でもきちんと議論すべきだと思いました。
(2007年8月刊。1200円+税)

2007年10月30日

松岡利勝と「美しい日本」

著者:長谷川 煕、出版社:朝日新聞社
 現職の大臣が自殺したというのは、終戦の日に陸軍大臣が切腹した以外にはない。なぜ、こんな人物(といっても国民から選ばれた代議士ではありますが)が大臣に任命され、また、安倍首相(当時)が最後までかばっていたのか、まるで分かりません。世の中のことに理解できないことは多いのですが、これもその一つです。
 実は、私は農水省の地下にある売店を何回も利用したことがあります。先日、腕時計が止まったので、買いに行ったところ、地下の売店のほとんどがなくなっていました。本屋とコンビニはありましたが、農産物は扱っていませんでした。この本によると、肉も扱っていたようですが、それも一つの利権になっていたとのこと。びっくり仰天です。
 今も理容店がありますが、その奥にある畳敷きの和室で、農水省の有力幹部が酒盛りして、人脈を形成していたというのです。いやあ驚きました。
 業者の間だけでなく発注者の公共機関が主導するかそこに加わる「官製談合」は、林野庁の外部、天下り機関のみならず、林野庁自身で日常化している。
 さまざまな事実が、林野庁自身の「官製談合」を指示しているとしか言えない状況がある。選挙支援もふくめて林野庁一家が担ぎ上げてきた林野庁出身の松岡利勝議員の命令によるいわば「命令談合」としか理解できない場合もあるし、松岡議員の意中を忖度(そんたく)した「忖度談合」もあった。
 農水省は、法、道理、公正、倫理、あるいは常識といった、人間社会を成り立たせている基本原理に照らして運営されている組織ではない。松岡議員は、その環境に19年間いて、この役所の表裏をよく勉強した。
 その典型例が1994年、村山内閣のとき、ウルグアイ・ラウンド合意への対策費として6兆100億円が支出されたということ。この6兆100億円は何のためにつかわれたのか、どの作物の生産性を高めたというのか、支出明細も効果も何ら公表されていない。官僚たちの手で、好き勝手に、どこかに6兆100億円は雲散霧消してしまった。
 うむむ、なんということを・・・。とても信じられません。でも、そうなんでしょう。ひどい話です。まったく許せません。
 奇々怪々。これは魑魅魍魎(ちみもうりょう)の世界です。
 談合で受注したら、その会社は受注額の5〜10%を担当秘書に渡す。現金の直接手渡しで、領収書はない。金額は指示される。
 建設業者が、どことこの工事が欲しいと頼みに来ると、松岡議員は初めに100万円単位の玄関代をとる。
 死者にムチ打つようなことはお互いにしたくはありませんが、いやあ、これほどひどかったのか、改めて認識させられました。でも松岡代議士のあと、誰かが今も同じようなことをやっているのでしょうね。それまた許せません。プンプンプン、怒りがわいてきます。
 土曜日に飫肥に行ってきました。宮崎から1両のワンマンカーに乗って1時間以上かかりました。飫肥駅の前には何もありません。飫肥城まで歩いて20分ほどです。秋晴れのいい天気で、暑いほどでした。
 城下町なのに、なぜか道は真っすぐです。道端には大きな錦鯉が泳いでいました。藩主の私邸に入ると、庭にたくさんのメジロが群がっている大きな木がありました。少し大き目の赤い実を食べているのです。高さ5メートルもあろうかというキンモクセイの木があり、たくさんの黄色い花を咲かせていました。ところが、まだ例の甘い香りを漂わせていないのです。時期が早いのでしょうか。
 喫茶の看板につられて、大きな邸宅に入ってひと休みしました。予約した観光客が座敷で食事をするところのようです。コーヒーを頼むと、可憐な草花が添えられて出てきました。
 お昼はやっぱり飫肥天うどんです。熱々の飫肥天が出てきました。そして、有名な飫肥の厚焼き卵も頼みました。これが卵焼きとはとても思えません。まるでプリンです。帰りに、おばあちゃんが1人でやっている店に立ち寄り、大きな厚焼き卵をお土産に買って帰りました。
 日露戦争後のロシアとの交渉やポーツマス条約締結で外相として活躍した小村寿太郎は、飫肥の出身です。
(2007年7月刊。1200円+税)

2007年10月29日

渥美清

著者:堀切直人、出版社:晶文社
 私が『男はつらいよ』を初めて見たのは、東大闘争(世界からは大学紛争と言われていますが、それに積極的に関わったものとしては、紛争と言いたくはありません)が終わった年(1969年、昭和44年)の5月祭のとき、法文25番大教室だと思います。窓まで学生が鈴なりでした。みんなで大笑いしました。でも、人間の記憶って、あてにはなりません。これも私の思いちがいかもしれません。私の脳裏にあるところではそうだ、としか言いようのない話です。
 『男はつらいよ』を私も全部みたというわけではありませんが、その大半はみています。銀座の封切り館でみたときには、下町の場末の映画館のような観客のどよめきに乏しく、ああ、やっぱりこの映画は銀座じゃなくて、下町でみるものなんだと思ったことを覚えています。福岡に戻ってきて、飯塚の、それこそ場末の映画館で、弁護士仲間と一緒にみたこともあります。同じようなボロっちい旅館(ごめんなさい。老舗の高級旅館ではないという意味だと理解してください)が画面に登場して、それだけでワハハと大笑いしたこともありました。お正月は、実家に顔を出したあと、子どもたちと一緒に映画を楽しんでいました。だから、一家で夏にヨーロッパへ出かけようとしたときに渥美清が亡くなったことを知って、一家をあげて哀悼の意を表しました。これは本当のことです。
 この本の著者は私と同じ生年です。私はテレビ版の『男はつらいよ』をみた覚えがありません。テレビの『男はつらいよ』が終了したのが1969年3月といいますから、そのときには私は大学2年生でした。学生寮に入っていて、東大闘争のさなかにテレビで放映されていたようですので、私が一度もみたことがないのも、ある意味では当然です。学生寮(駒場寮)では、どこかにテレビはあったと思いますが、6人部屋で友人たちとダベリングに忙しくて、また、それが楽しくてテレビなんか全然みていませんでした。その体験があるので、今もテレビなしの生活で何ひとつ不自由も不満も感じないのだと思います。
 渥美清は1969年3月、41歳のとき25歳の女性と結婚したそうです。しかし、渥美清は、私生活を完全に隠し通しました。自分が死んだときにも、奥さんに雲隠れさせ、長男に対応させたというのですから、徹底しています。碑文谷に自宅があり、代官山のマンションを自分の部屋としていたそうです。日常生活から役者になりきるためには、いったん、その部屋に行って自分の身体に染みついた家庭人の匂いを消し去り、役者としての自分を取り戻し、車寅次郎になりきろうとしたというのです。すごいことです。68歳で死ぬまで、役者人生をまっとうした渥美清を心より尊敬します。というか、何度も何度も楽しませてくれたことに感謝したいと思います。
 この本によって渥美清の実生活をいくつか知ることができました。
 渥美清は昭和3年3月10日に東京の上野駅近くで生まれた。父親は若いころは地方新聞の政治記者をしていた。母親は高等女学校を出て、小学校の代用教員もしたことがある。宇都宮藩士の娘であることに誇りをもっていた。兄は秀才で、文学者を志望して小説やエッセイを書いていたが、25歳の若さで肺結核のため病死した。要するに、渥美清の家は東京の下町にあったが、地方出身者の夫婦を中心とするインテリ一家であった。
 渥美清は小学校ではまったくの落ちこぼれ生徒だった。小児腎炎、関節炎で、それぞれ1年休学している。学業成績はいつもビリから2番目。しかし、そんな彼にもたったひとつ才能があった。人を笑わせることだった。渥美清の面白おかしい話の最初の聞き手は母である。母は内職の手を休めず息子の話を熱心に聞き、その話を心底楽しんだ。
 やはり偉大なるもの。その名は母、ということです。
 渥美清は中学にも大学にも行っていない。尋常小学校を卒業したあと、14歳で町工場に就職し、それから、古着屋、洋品店、本屋の店員、石けん工場・セルロイド工場の工員、倉庫番、行商などの職についたが、どれも長続きしなかった。一時期ぐれて、上野の地下道あたりをうろつき、酒と博打とケンカに明け暮れた。ヤクザ組織にも関わったことがある。テキ屋仲間に加わり、正式な盃こそもらっていないが、霊岸島枡屋一家に身を寄せ、その配下の者にくっつき、上野のアメヤ横丁の一角でタンカ売の手伝い、サクラをした。浅草で芸人になってからもタンカ売を実際にしたこともある。
 ひゃあ、そうだったんですか。道理で、真に迫った口上だと思いました。下積み生活のときにはM・K子と同棲生活を続けていました。でも、渥美清が有名人になったとき、M・K子のほうが身を退いたという話です。
 渥美清は、舞台に出る前に、強い焼酎を一気にあおった。酒が回ればまわるほど舞台での口調はメリハリがきいて、一般と歯切れがよくなり、アドリブが次々と飛び出してきた。
 映画の『男はつらいよ』シリーズは、山田洋次と渥美清の共同作業によってつくり上げられたものである。山田洋次は、このシリーズのなかに、落語的な描写のセリフとテキ屋的な言葉のアクロバットを両方巧みに盛りこんだ。渥美清は、その両方を見事に語り分けた。うむむ、なーるほど、鋭い分析です。感心しました。
(2007年9月刊。1900円+税)

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