弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

社会

2007年10月25日

靖国問題Q&A

著者:内田雅敏、出版社:スペース伽耶
 この夏、私は知覧にある特攻記念館を久しぶりに訪れました。そこには、第二次大戦の最末期に特攻出撃して亡くなった若者たちの写真や遺書などが展示されています。広い講堂で、彼らの最期の様子を写真で示しながら語り部のおじさんの話も聞きました。見学した人びとが涙するところです。
 でも、ここには、大西海軍中将が「統率の外道(げどう)」と批判した無謀な特攻作戦について、それを命じた軍指導者の責任を問うような展示も説明も見かけません。私はまだ行ったことがありませんが、靖国神社にある遊就館も同じだそうです。
 戦争末期、軍幹部らは撃ち落とされることがわかっていながら、本土防衛のための時間かせぎ、国体護持のための温存という名目で、海軍兵学校、陸軍士官学校出の職業軍人には特攻をさせず、もっぱら学徒・少年兵を次々に特攻出撃させた。
 それも速成で技量も十分でなく、しかも満足に飛べないような整備不良の飛行機で出撃させ、敵艦に近づく前にほとんどが撃墜された。
 日本軍の残虐性を象徴しているのは、特攻だ。みんな志願して特攻にのぞんだと言われているが、上官に命令されたのだ。上官の命令は天皇の命令であり、志願しないとぶん殴られるから出撃する。
 この本は、39の問いに対する答えを示すという問答方式によって靖国神社をめぐる問題点を実に分かりやすく解説しています。著者は日弁連の憲法委員会などで活躍している弁護士です。私も最近、知りあいになりました。
 靖国神社は、国内法的に「戦犯」というものは存在しないという見解に立つ。しかし、このような見解は国際社会において容認されるものではない。
 河野洋平衆議院議長は次のように語った。
 「世代の問題ではなく、事実に目をつぶり、『なかった』と嘘を言うのは恥ずかしいこと。知らないのなら学ばなければならない。知らずに、過去を美化する勇ましい言葉に流されてはいけない」
 まことにもっともな指摘です。
 元軍人の遺族年金の支給については、いまなお「天皇の軍隊」の階級がそのまま生きているという指摘に驚かされました。まさに帝国陸海軍は現代日本に息づいているのです。1994年に、大将だった人の最高額は年間761万円。一般兵の最近は年104万円。7倍もの差がある。2004年に、大佐で年285万円、一般兵で59万円だった。ところが中国「残留」孤児に対しては自立支度金として、わずかな一時金(大人で32万円)。
 後藤田正晴元官房長官は次のように言った。
 「一国の総理(小泉首相のこと)が、今になって国会の答弁の中で、孔子様の言葉だと言って『罪を憎んで人を憎まずということを言ってるじゃないですか』なんて言うようではどうしようもない。それは被害者の立場の人が言うことで、加害者が言う言葉ではない。そういう意見が国会の場で横行するようになっては、日本という国の道義性、倫理性、品格を疑ってしまう」
 そうですよね。小泉前首相に品格なんて全然ありませんでした。
 中国との戦いに敗れたということを認めないまま総括を誤ってきたのが、戦後の日本であり、日本人の戦争観の根本的な問題がそこにある。
 日本はアメリカとの戦いで164万人の兵力を投入した。しかし、同じとき中国にはそれより多い198万人もの兵力が配備されていた。このように中国戦線の比重は非常に大きかった。ところが、あの戦争はアメリカの物量に負けたと総括することで、日本の侵略に抵抗した中国やアジアの人々の存在を忘れることにしたのだ。
 うむむ、これは鋭い指摘だと思います。私も大いに反省させられました。
 中曽根康弘元首相は靖国神社に初めて公式参拝した。しかし、中国や韓国・朝鮮など近隣アジア諸国から厳しい批判を受けて、以後、参拝を取り止めた。
 「やはり日本は近隣諸国との友好協力を増進しないと生きていけない国である。日本人の死生観、国民感情、主権と独立、内政干渉は敢然と守らなければならないが、国際関係において、わが国だけの考え方が通用すると考えるのは危険だ。アジアから日本が孤立したら、果たして英霊が喜ぶだろうか」
 後藤田氏も中曽根氏も、まことにもっとも至極な考えを述べています。同感です。靖国問題について、保革いずれの支持者であるにかかわらず、勉強になる本だと思いました。
(2007年5月刊。1500円+税)

2007年10月24日

プロパガンダ教本

著者:エドワード・バーネイズ、出版社:成甲書房
 80年前(1928年、昭和3年)に書かれた本です。ちっとも古臭くなっていないのは、ギリシャ哲学、そしてマルクスやレーニンの書いた本と同じです。
 ナポレオンは世論の動向を常に警戒していた。いつも人々の声、予想のつかない声に耳を傾けていた。ナポレオンは次のように語った。
 なによりも私を驚かすものが何だか分かるか?それは、大衆に耳を傾けることなく、力づくでは何一つまとめることができないということだよ。
 なーるほど、軍事の天才ナポレオンにして、そうなのですね。
 万人の読み書き能力が、精神的高みのかわりに人々に与えたものは、判で押したように、画一化された考えだった。
 うむむ、これは鋭い指摘です。知性と画一化とは両立しないはずなのですが・・・。
 そもそもプロパガンダとは、国外伝道の管理と監督のために、1627年にローマで制定された枢機卿の委員会と聖者に適用されたものだ。
 辞典によると、プロパガンダには四つの定義がある。その一は、国外伝道を監督する枢機卿の委員会。また、1627年にローマ教皇ウルバヌス8世によって、伝道師の司祭を教育するために創設されたローマのプロパガンダ大学。布教聖省の神学校のこと。
 その二、転じて、教義や制度などを普及することを目的とした団体や組織。
 その三、意見や方針に国民一般の指示を取りつけるための、系統立てて管理された運動。
 その四、プロパガンダによって唱えられる主義。
 このように、プロパガンダとは、本来の意味においては、人類の活動のまったく正当な形である。
 私たちが、自由意思で行っていると考えている日常生活における選択は、強大な力を振るう実力者によって、姿の見えない統治機構による支配を免れない。
 たとえば、人は自分の判断にもとづいて株式を購入していると何の疑問も持っていない。しかし、実際には、彼のくだす判断は、無意識のうちに彼の考えをコントロールする、外部から与えられた影響によって形づくられたイメージにもとづいている。
 大衆というものは、厳密に言葉の意味を考えるのではない。厳密な思考ではなく、衝動や習慣や感情が優先される。何らかの決定をくだすとき、集団を動かす最初の衝動となるのは、たいてい、その集団の中での信頼のおけるリーダーの行為である。これが大衆にとっての手本となるのだ。
 ある物をその人が欲しがっているということは、その物に備わっている本質的な価値や有効性のためではなく、無意識に別の何かの象徴、すなわち、自分自身では認めたくない欲求をその物の中に見いだしているからである。
 人間は、ほとんどの場合、自分でもわからない動機によって行動している。
 人間は、芸術や競争や集団や俗物根性、自己顕示欲という要素にしばられて生きている。
 このバーネイズの著者は、ナチス・ドイツのヨゼフ・ゲッペルス宣伝大臣に愛読された。プロパガンダというと、ナチス・ドイツに本場があると思いがちだが、実はアメリカで生まれたもの。ユダヤ人を迫害したナチスのプロパガンダが、実はユダヤ人のバーネイスによって編み出されたというのは歴史の皮肉だ。
 現在のテレビ番組がシリアスな内容を避け、お笑い番組だけを延々とゴールデンタイムに流し続けるのは、企業側に対する配慮である。
 今の日本ではニュース番組までもがバラエティ番組化している。テレビは、書籍やインターネットと違って、ながら見ができるので、自然にものを考えないように大衆の脳がつくりかえられていく。
 これって、ホント、恐ろしいことです。でも、多くの日本人がそれに気がつかないまま、無責任男の安倍首相から交替した福田首相の誕生を6割もの人が歓迎しているのです。こわい話です。
(2007年7月刊。1600円+税)

2007年10月16日

官邸崩壊

著者:上杉 隆、出版社:新潮社
 自公政権のもろい内幕が赤裸々に暴かれています。こんな人たちに日本の国の前途をまかせているのかと思うと、鳥肌が立つほどの肌寒さを覚えます。
 参院選のとき、演説会場での応援が終わるたびに、首席秘書官の井上義行は、安倍のもとに駆け寄った。そして車に乗りこむと同時に、こうささやいた。
 総理、すごい人出です。私はこんな群衆を見たことがありません。総理の人気はホンモノです。移動中の電車内、飛行機の待ち時間、井上はあらゆる場所で安倍をほめたたえた。
 首相側近は、たしかに自らの役割を果たした。どんなときでも安倍を不安にさせないこと。井上はこの重要な任務を完遂した。だが、残念なことに、本来の意味での仕事はしなかった。いかなるときでも首相に正確な情報を伝達するという仕事を。この意味で、井上は健全な任務を果たしたとは言い難い。
 安倍の本『美しい国へ』は50万部をこえる売上げを誇った。これは、政治家本として、田中角栄の『日本列島改造論』、小沢一郎の『日本改造計画』に次ぐ売り上げだ。
 その本のなかでうたいあげた憲法改正、とりわけ9条の改正の実現は、安倍の悲願である。安倍は2006年4月15日早朝、靖国神社に極秘のうちに参拝した。8月3日、NHKがそれをスクープ報道した。タイミングを見計らった安倍が、秘書官の井上と綿密に計画を練ったうえで、NHKと産経新聞のみにリークしたのだった。
 ええーっ、安倍って、こんな姑息なことをしていたのですね。こんなこすっからいことをする人間なんて、首相の器じゃありませんよ。
 次の2人の女性議員の経歴が紹介されています。テレビを見ない私には広告塔と言われても、もうひとつピンと来ません。彼女らの節操のなさは特筆されるべきでしょう。
 山谷えり子(参議院議員)は、もとは産経新聞の記者で、民主党の比例議員だったが、のちに保守新党に参加し、カトリック信者でありながら靖国神社への参拝を強硬に主張する。夫婦別姓の推進論者だったのが、いつのまにか反対論者に変身した。
 小池百合子(衆議院議員)は、細川護煕の日本新党の広告塔として活躍していたが、いつのまにか小沢一郎の新進党の顔になった。そして小泉純一郎のときには環境大臣になり、安倍首相の側近として国家安全保障担当補佐官となり、防衛大臣になった。小池は1992年の初当選以来、その政治生活のほとんどで、権力の中枢に身を寄せてきた恐るべき議員である。一言でいうと、人気とりだけはできる、嫌味な人間ということでしょう。戦国時代の武将にも、そういう人物がいましたね・・・。
 やらせ問答で有名になったタウンミーティングに政府がかけた費用は、なんと9億  4000万円。電通が請け負っています。48回分ですから、1回あたり2000万円です。これを税金のムダづかいと言わなくて、どうしますか。でも、このような場合、住民訴訟のような制度は残念ながら、ありません。
 塩崎官房長官と広報担当の世耕は、お互いに情報を秘匿しあい、個別に安倍に報告する。そこに秘書官の井上までからんで、複雑は一段と増した。安倍政権の二人の広報担当者は、官邸でわずか数十メートルしか離れていないが、意思の疎通がなかった。官邸内の情報は一本化されず、政権のプロデューサーを自任する井上は、施政方針演説をめぐってまで、世耕と対立していた。
 広報担当の世耕は、自ら2度にわたって自分の仕事を自画自賛したことから、広報関係者の間での世耕の株価は一挙に暴落した。一夜にして切れ者から愚か者に墜ちた。
 はじめ、井上は誰かれ構わず、怒鳴りつけていた。議員である塩崎や世耕に対してさえ横柄な態度をとるのは日常茶飯事だった。
 キャリア官僚からすれば、ノンキャリア出身の井上に指示されること自体が耐え難いことだった。そうした空気を読まず、井上はこりずに官僚たちを怒鳴りつけた。同じことを自民党本部の職員にもした。井上の評判が悪くなるのは当然のことだった。
 教育再生会議は、国家行政組織法8条によって設置された、いわゆる8条委員会である。より強力な権限をもち、答申を出す3条委員会とは違って、その結論はなんら拘束力をもたない。その事務局長が自民党の参議院議員になるなんて、ひどいものです。
 安倍政権では誰もが友だち感覚で、小泉政権時にあった緊張関係は消えうせていた。
 支持率の低迷する安倍政権を何とか支えていたのは警察中の漆間(うるしま)長官である。拉致問題一本で首相になった安倍にとって、漆間は頼りになる数少ない側近の一人だ。漆間は、政権内での発言力を背景に政治力を強め、外務事務次官の谷内とともに安倍に欠かせない官僚ペアになった。天下りが規制されてもっとも困る役所の一つは警察庁なのである。
 フジテレビ、産経新聞、夕刊フジのフジサンケイグループは安倍政権の特務機関と言われていた。
 いやあ、うすら寒いどころではありません。その馬鹿さ加減には、背筋が凍りついてしまいます。実にグッド・タイミングな本でした。それにしても、安倍のあとの福田首相の支持率が6割だなんて、日本人はいったい何を考えているんでしょうね。まったく同じ自公政権に期待する人が6割もいるなんて、私にはとても信じられません。
(2007年8月刊。1400円+税)

2007年10月12日

悔いなき生き方は可能だ

著者:村岡 到、出版社:ロゴス社
 著者は40年前の東大闘争のとき、全共闘の活動家でした。
 ときに周りをふり向くと、活動を持続している人が意外に少ないことに気づく。あのときの活動家が10分の1でも「生き残って」いてくれたら、そんな思いに駆られたことが再三ではない。なぜ、多くの青年が活動を継続できなかったのだろうか。それぞれに理由と事情があるに違いない。
 ふと外の世界との接点で、自分の行ないをかえりみる機会を与えられ、気づいてみると、そこにある種の断絶を感じる。感じとるだけの常識を備えていると、ある場合には命がけで闘っていた課題と自分の生きざまとに微妙な落差・陰を感じることになったのではないだろうか。そういう問題を軽視して、組織が重要だとだけ説教する運動から離脱していったのだろう。
 日本マルクス主義法学の創始者である平野義太郎の『マルクス主義の法理論』を一読すると、法律の問題はマルクス主義における空白をなしていたことがよく分かる。それはレーニンも同じことで、『国家と革命』には、法律は登場しない。
 私は、この二つの本を何回も読みました。目が開く思いでしたが、法律が位置づけられていないというのを初めて知りました。
 ロシア革命のなかでは、法律の無知をもって革命家の誇りとする風潮があったほどである。この風潮は、民主政府の伝統を欠如していたロシアの歴史に深く根ざしていた。ロシア革命を、法の精神なき革命だと大江泰一郎は特徴づけた。
 レーニンは、革命の利益は、憲法制定会議の形式的権利よりも尊いという立場を断固として貫徹した。左翼における憲法の軽視の根底にはマルクスが『共産党宣言』で断言した「法律はブルジョア的偏見である」というドグマがある。
 うーむ、なかなか鋭い指摘だと思いました。
 東大闘争(1968年6月〜1969年3月)から40年近くが過ぎた現在、今なおそれを客観的な歴史として語れない、語りたくない団塊世代が想像以上に多いように思います。そこにはノスタルジーの世界ではなく、今の生き方を厳しく問いかけるものがあるからではないでしょうか。タイトルにありますように、お互い悔いなき人生を送りたいものです。もっとおおらかに人生と社会変革のあり方を語りあいたい。本当にそう思います。
 著者とは、東京の河内兼策弁護士による、「昔、全共闘だった人も、民青だった人も、いま憲法9条を守るために」というテーマの集会で初めてお会いしました。団塊世代の参加者がとても少なくて、残念でした。このとき、関西地方からインターネットを見て参加したという人がおられました。安田講堂内にたてこもっていた人です。逮捕されて、執行猶予判決を受け、その後、企業に就職して何も社会活動はしてこなかった。妻にも自分の過去は言っていないとのことでした。まだまだ、団塊世代の人がこの種の集会に参加するためには心理的抵抗がとても大きいようです。
(2007年4月刊。2000円+税)

食糧争奪

著者:柴田明夫、出版社:日本経済新聞出版社
 この本を読むと、日本は、もっと食糧自給率を高めるべきだと痛感します。
 日本では余剰感のあるコメだが、世界的にみると需給が引き締まり傾向にあり、将来、楽観視はできない。
 現在、穀物メジャーは、伝統的な穀物商社のカーギルとバンゲ、搾油業や小麦製粉業などの食品加工業を由来するADM、コナグラの大手四社。
 古いデータだが、1997年時点で、これら四社にコンチネンタル・ケレインを加えた大手五社の米国の穀物流通のシェアは、産地集荷段階で3割、内陸部の中間流通段階で5割、輸出段階で7割、一次加工段階では5割を占めていた。
 世界に栄養不足人口は8億5000万人いると推計されている。
 世界の穀物市場では、2000年を境に供給過剰から供給不足へと需給構造の転換がすすんでいる。旺盛な需要に供給が追いつかず、結果として、世界の穀物在庫が取り崩されているためだ。この背景には、中国やインドなどの人口大国が本格的な工業化の過程に突入し、猛スピードで日・欧・米の先進諸国へ追いつこうとしていることがある。
 もはや世界経済を牽引しているのは、1990年代までの日・欧・米の先進国(人口8億人)ではなく、人口30億人のブラジル・ロシア・インド・中国である。
 2003年時点で、遺伝子組み換え作物の栽培比率は、大豆で81%、トウモロコシで40%に達している。
 日本の農家戸数は1980年の466万戸から2005年に293万戸へ4割も減少した。農地面積は546万ヘクタールが471万ヘクタール(2004年)へ14%減少した。農業就業人口は506万人から259万人(2003年)へと49%も減少した。
 日本の食糧自給率は40%というが、実は、日本の畜産物はその飼料のほとんどを海外に依存している。だから、注目すべき自給率は穀物自給率の28%。これは他の先進諸国と比べて異常に低い。アメリカは128%、フランス142%、ドイツ122%である。イタリア62%、イギリスでも70%である。
 これでは日本人は餓死寸前みたいなものではありませんか。この面でもアメリカ頼みでは日本人は将来を生きていけないのです。
 イギリスはかつて日本並みに低かった。一時は400万ヘクタールだったイギリスの耕地面積は、1800万ヘクタールにまで拡大された。これによって食糧自給率が向上した。飽食・日本の将来を不安にさせる警告の書です。石油を食って生きていくことは出来ないのです。自動車をつくって外国に売り、食糧は外国からお金を出して買えばいいという発想は明らかに誤りだと思います。
 先日、札幌に行ってきました。心の優しい岩本勝彦弁護士の紹介で行った小料理屋(「しんせん」)で、シャケの心臓(ハツ)の串焼きを初めて食べました。北海道は美味しいものがたくさんあります。やっぱり産地が分かっているものを安心して食べたいですよね。
(2007年7月刊。1800円+税)

2007年10月 5日

全記録・炭鉱

著者:鎌田 慧、出版社:創森社
 かつて日本には至るところに炭鉱があった。炭鉱で働く労働者は1948年に46万人、1957年にも30万人いた。2007年の今では釧路炭田(釧路コールマイン社)に  500人ほどしかいない。
 私は一度だけ、閉山前の三井三池炭鉱の坑内に入ったことがあります。有明海の海底よりさらに何百メートルも下、地底深くの切羽(きりは。石炭掘り出しの最前線です)にたどり着くまで、坑口から1時間以上もかかりました。周囲はすべて真っ暗闇のなかです。厚いゴム製のマンベルトに乗って、石炭のひと塊になった感じで昇ったり降りたりしてすすんでいくのです。暗黒の地底に吸いこまれそうな恐怖心を覚えました。
 炭鉱夫が生き抜くのは、ひとえに運と勘である。そうなんです。運が悪ければ死、なのです。いつ落盤にあってボタ(石炭ではない岩石)に圧しつぶされるか、いつガス爆発で殺されるか分からない、まさに死と隣りあわせの危険な職場です。
 北海道にあった北炭夕張炭鉱では、7年ごとに死者数百人という大事故が発生しており、死者20人未満の事故など、数えきれないほど。もちろん、天災というのではなく、安全無視、生産優先による人災です。
 そして北炭夕張炭鉱が閉山になって、人口10万人いた夕張市は、今では人口3万の都市になってしまいました。
 北海道の炭鉱の労務管理は三つの型に分類できる。三菱系は警察型労務管理。三井系は物欲的労務管理。北炭系は精神的労務管理。
 うーん、そうなんですか・・・。三井系も、けっこう警察に頼った労務管理をしていたように私などは思うんですが・・・。
 夕張には3人の市長がいると言われてきた。鉱山の所長、炭労出身の地区労議長、そしてホンモノの市長は、いわば三番目の市長。初代市長は北炭の労務課長出身だった。
 大牟田にあった三池炭鉱が閉山して、既に10年がたちました。いま、大牟田に炭鉱があったことを思い出させるのは、海辺にある石炭科学技術館くらいのものです。映画『フラガール』で見事に再現されていた2階建ての炭鉱長屋もまったく保存されていません。そういうものは、きちんと歴史的遺産として残すべきだと私は思うのですが・・・。
(2007年7月刊。1800円+税)

2007年9月27日

石油、もう一つの危機

著者:石井 彰、出版社:日経BP社
 今またガソリンが値上がりしています。リッター140円台です。どうして、こんなに値段が上下するのでしょうか。さっぱり分かりません。
 2003年までの価格の3倍にも高騰した。ところが、イラン原油が全面的に輸出停止になっても困らないほど、世界の石油消費量の3年分はあった。では、中国の石油需要が急増したためなのか。それも、否。
 ピークオイルが近づいたためか?
 ピークオイル論というのは、世界の石油生産能力が数年以内に地質的限界、資源量的限界に達してピークを迎え、あとは秋の日のつるべ落としのように、運命的、必然的に凋落していくという議論である。ただし、これははじめに1990年までにピークが来ると言っていたのが、2007年まで、いや2010年までと、何回も延びのびになっている。
 いま、公的機関でも業界でも、2015年より前のピークアウト、いや、2030年より前にピークアウトすると予測しているところはない。
 では、なぜ石油価格が高騰しているのか?
 原油先物市場が完全に金融市場にのみ込まれて金融商品化し、そのため需給実態を反映しない過度な価格高騰を来した。これは、石油市場の過去の歴史にはない、21世紀に入ってはじめて現れた現象である。
 価格上昇の主導権は、プロの投機家から、年金基金を主体とする巨額資金の素人投資家に変化した。
 現在、日本の発電用エネルギーのうち、石油はわずか1割。世界でも6%ほど。発電による二酸化炭素の発生源は大半が石炭である。
 世界的にみて、石油需要は、6割が自動車、航空機、船舶等の交通用需要である。発電用や工場・商業施設等の熱源、石油化学の原料などは、全部あわせても4割。
 石油は、もはや産業の米や経済の血液ではなく、交通・輸送の血液に大転換している。
 世界的に見たら、今や「産業の米」は、石油ではなく、天然ガスである。一次エネルギー消費に占める割合でみると、日本では石油が依然として最大で5割を占める。天然ガスはわずか13%ほど。しかし、先進諸国では、石油が40%、天然ガスが25%を占めている。
 かつては、シェルやエクソンなどの七シスターズが世界の石油生産と貿易を牛耳っていた。今や、新セブン・シスターズとは、サウジアラビア、ロシアのガスプロム、中国のCNPC、マレーシアのペトロナス、イランのNIOC、ブラジルのペトロブラス、ベネズエラのベドヴェサの7つの国営石油会社をさしている。
 メキシコとサウジアラビアは、外資をまったく受けつけず、資源資源ナショナリズムでいく。今日の石油をとりまく情報の一端を知ることがことができました。日本の石炭も、もっと大切にすべきだったと、つくづく思います。
 芙蓉の木いっぱいに艶やかな淡いピンクの花が咲き、見るだけで心が和みます。酔芙蓉の花も咲いています。午前中は純白の花が、午後になると次第に赫く染まっていくさまは、まさしく酔人の顔そのものです。エンゼルストランペットも咲きはじめました。細長いトランペットのような黄色い花がたくさんぶら下がっています。チューリップの球根を植えました。とりあえずは、50個ほどです。12月まで、折々の日曜日に植えています。そろそろヒマワリを刈る季節にもなりました。
(2007年7月刊。1600円+税)

2007年9月20日

ひとり誰にも看取られず

著者:NHKスペシャル取材班、出版社:阪急コミュニケーションズ
 孤独死は全国で毎年3万人ほど出ていて、実は自殺者の3万2000人を上まわるのではないか。ええーっ、と驚いてしまう数字です。いつのまに日本はそんな国になってしまったのでしょう。
 トントントンカラリンとお隣りさん、という世界は、はるか彼方の遠い昔のこと。今では、隣りは何をする人ぞ、というだけ。無関心、没交渉。お金がいくらかあっても、まさに人知れず死んでいく人がなんと多いことか・・・。
 最近、私の依頼者でアル中の人が死後3ヶ月ほどして発見されました。同じ市内に親兄弟が住んでいたのですが、アル中のため散々、身内に迷惑をかけていたため、ついに家を追い出され、一人でアパートを借り、生活保護を受けながら生活していたのです。発見の契機は、通院先の病院から、実家に「最近、通院されていませんが、どうしたのでしょうか」と安否を尋ねる電話がかかってきたので、アパートに行ってみたところ、死後3ヶ月たっていたというのです。発作をおこして病死したようです。痛ましい孤独死でした。
 孤独死の定義は、いろいろあるようです。
 孤独死とは、低所得で、慢性疾患に罹患していて、完全に社会的に孤立した人間が、劣悪な住居もしくは周辺領域で、病死および自死に至るときをいう。
 孤独死とは、すでに社会的関係が絶たれていて、その結果、誰も死に気づかず、死後かなりたってから、第三者に発見された場合をいう。
 千葉県松戸市にある常磐平団地は4、5階建ての中層集合住宅。入居開始は1960年4月。総戸数4839戸。入居完了は1962年6月。当時は入居希望者が殺到し、抽選倍率は、なんと20倍。
 当時としては、まさに夢の住まいだった。団地内に、保育所、幼稚園、小・中学校、郵便局、商店街まで備えた、一つの町、ニュータウンが誕生した。団地族が誕生した。人口のピークは、1970年ころ、2万人。一戸あたりピーク時4人、今は2人を下まわっている。65歳以上の住民が3割に達している。
 家賃滞納で孤独死が発覚するケースは、今はほとんどない。家賃を口座引き落としにしている人が9割以上だし、生活保護を受けていると、毎月、引き落としされる仕組みになっているから。人と人とのつながりが希薄になっているだけでなく、システムとしても孤独死が見えにくくなっている。このため長期間、放置されてしまうケースが出てくる。
 孤独死する人は、電話も止められていないのに、誰にも連絡することなく亡くなっていることが多い。うへーん、寂しい話ですよね、これって・・・。
 40代、50代、60代の中年男性の孤独死が、高齢者の孤独死を上回っている。
 孤独死を扱った番組に対して、読者からの投書には、なぜ孤独死してはいけないというのか、孤独死する覚悟はできているぞ、というものが多かった。
 これに対して著者は反論する。死を概念的にしかとらえず、「放置された死」がどういうものか知らないことも大きい。ウジがわき、ひどい臭いを放つ姿になった自分を、赤の他人に見られる。遺品もすべて他人の手に委ねられる。そして、それを処理する人の迷惑。現実の孤独死は、美学とはほど遠いものでしかない。
 うむむ、そうなんでしょうね・・・。考えされられる本でした。
(2007年8月刊。1400円+税)

はい、わかりました

著者:大野勝彦、出版社:サンマーク出版
 ごしんぱいを おかけしました
 両手先 ありませんが、
 まだまだこれくらいのことでは 負けません
 私には しなければならないことが たくさんありますし、多くの人が 私をまだまだ必要としているからです
 がんばります
 これは、45歳のとき、農作業しているとき、ちょっとした自分の不注意から両手を失った著者の初めての言葉です。すごいですね、心がふるえるほど感激しました。
 この本のタイトル、「はい、わかりました」は、両手のない人生をはじめた著者が、いちばん大切にしている言葉です。言われたことは否定せず、まずは受けとめよう。心を閉ざさずに肯定しよう。
 そうやって受け入れる人生を歩みはじめると、それまで見えなかったことが、見えるようになった。
 なーるほど、ですね。この詩画集にのせられている絵は、どれもこれも、実に生き生きと躍動しています。いかにも、いま生きていることが楽しい。そんな感じの線であり、色あいです。派手目の色が今にも飛び出してきそうなほど輝いています。
 昔のわたしは理屈ばかり言っている人間だった。説得力とは実践だ、と言わんばかりに、眼光は鋭く、けっして笑わない。笑う男は軽いヤツだとまで思っていたほど。たくさんのやさしさに囲まれている今のわたしが思うこと。笑顔必携、やさしさ持参。人に会うたびに、人間の顔はすごいなあと気づかされる。
 著者の生き生きした絵を見ると、きっと両手を喪う前から絵を描いていた、あるいは幼いころ絵描きを目ざしていたと思います。ところが、著者によると、絵心なんて昔からあったわけではないというのです。色をつかう発想も最初はなく、墨をうすめて水墨がのようなタッチで窓から見える山の風景とか身のまわりを描いていた、といいます。
 それが、今では1年365日、絵を描かない日はない。どこかへ行ってすわったとたん、もう義手が鉛筆を握っている。無意識のうちに、風景を見ていると、ワクワク、ドキドキしてきて、デッサンしたあと、さささっと水彩絵の具で、色をつけてしまう。理屈ではなく、からだが反応してしまう。
 そんな著者の絵が、阿蘇にある大野勝彦美術館にはたくさんあるそうです。ぜひ、一度行ってみたいと思いました。
(2007年7月刊。1600円+税)

2007年9月18日

先生とわたし

著者:四方田犬彦、出版社:新潮社
 恩師を賛美する美しいエピソードにみちた本だろうと思いながら、期待もせずにパラパラと頁をめくりはじめました。すると、そこに展開するのは、後世、畏るべし、とでもいうような、師が秀でた弟子に長く接することが、いかに難しいかというテーマでした。私も、世間的にはベテラン弁護士と目されるようになっていますが、その内実は、法解釈もよく分からず、新しい法理論を咀嚼するなんて、とてもとてもといった有り様です。債務不履行、履行遅滞、不完全履行、履行不能、瑕疵、瑕疵修補に代わる損害賠償・・・。いったい、どう違うのやら、とんと忘れてしまいました。そんなときには若手弁護士に教えてもらうしかありません。所内で恥をかいてしまえば、外で恥をかかなくてすみます。
 師とは、由良君美(ゆらきみよし)東大名誉教授。英文学者です。1990年に、61歳という若さで亡くなりました。
 著者は私より5年あとに東大駒場に入学しました。浅間山荘で連合赤軍が警官隊と派手な銃撃戦を展開し、その逮捕後に、いくつものリンチ殺人事件が明るみに出た年の4月でした。
 著者が大学にいた4年間は、常に内ゲバが身近にあった。異なるセクト同士、たいてい革マル派と解放派か中核派との抗争です、で殺しあっていました。
 由良君美は駒場の英文学の助教授。東大出身ではなく、慶応大学出身。
 由良ゼミは、90分の公式的なゼミが終わると、一研にある個人研究室で続けられた。紅茶にたっぷりのオールド・パーを入れて由良は飲んだ。ちなみに、私も少し甘みのある紅茶にブランデーを入れて飲むのが好きです。
 学生に由良は次のように訊き、次のように言った。
 ところで、最近の収穫は何かね?何か新しい発見があったかね?いいかい、どんなに疲れて帰宅したときも、洋書の目次だけはキチンと目を通しておかなければいけないよ。
 ええーっ、うそでしょ、そんなー・・・。
 イギリス風に優雅に背広を着こなし、パイプを手離さない由良は、駒場の学生からベストドレッサーに選ばれた。女子学生に圧倒的な人気があった。
 君美とは、実は新井白石の幼名である。父親の由良哲次は、京都大学で西田幾太郎の教えを受けた哲学者である。
 教師とは、単に、みずから携えている知識や技術を他人に手渡すだけの存在ではない。知の媒介者であるか、先行者として振るまうことを余儀なくされる。みずから知の範例を示すことを通して教育という行為を実践する。そして、師とは過ちを犯しやすいものである。
 著者は自問する。はたして自分は現在に至るまで、由良君美のように真剣に弟子にむかって語りかけたことがあっただろうか。弟子に強い嫉妬と競争心を抱くまでに、自分の全存在を賭けた講義を続け、ために自分が傷つき過ちを犯すことを恐れないという決意を抱いていただろうか。
 英文学者として高名だった由良君美が、実は、あまり英語は得意ではなかったという衝撃的な事実が語られています。うむむ、どういうことなんだ・・・。
 流暢な英語を駆使するものの、他人を押しのけてまで内容空疎な質問しかない輩が存在する。その反対に、深い思慮と経歴をもちながら、英語をしゃべるのに慣れていないということでつい発言をためらう人がいる。日本だけでなく、イタリアにも中国にもいる。よく読み、よく思考する者が弁論の場でしばしば消極的だということがある。外国語の会話能力は、つまるところ、その言語のなかの生活時間の長さに比例する問題にすぎないのだ。
 およそ世界に対して無上の知的好奇心を抱いている限り、若き日に一度は、師と呼ぶべき人物に出会うはずだ。由良君美は、著者にとってそのような人物であった。
 私にとって、それはセツルメント・サークルでの先輩たちでした。私は必死で彼らの語る言葉をノートにとったものです。社会に大きく目を開かせてくれた彼らに今でも感謝しています。
(2007年6月刊。1500円+税)

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