弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

社会

春の日の別れ

著者:長瀬佳代子、出版社:手帖舎
 著者は岡山に住む元ソーシャルワーカーです。私が30年前まで関東にいたときに知りあいました。もう永くお会いしていませんが、古希を迎えられたそうです。その記念に作品集を一冊の本にまとめられました。自分で装丁を考えられたそうですが、とても上品な味わいある本です。
 岡山文学選奨賞に入選した「母の遺言」など、12篇の随筆を思わせるような淡々とした展開を示す作品が掲載されています。
 長く地方自治体の職員として働いてこられただけに、その職場での体験を生かした情景の描きかたが迫真的でみごとです。人情の機微をよくとらえていると感心しました。
----- ぼくには福祉の仕事が向いていないんです。
----- みんな、そう言うな。本当は嫌なんだよ。考えてみりゃ、福祉って他のことが面倒な比べて仕事に比べて面倒なことが多いからな。それに最近は厚生省の指導が厳しいし、仕事がやりにくくなって嫌気がさすのも無理はないが・・・。
------- 長く続けてするのは大変ですが、でも、勉強にはなりました。
------- そうさ、社会の縮図を実際に見られるのだからな。役所の仕事をしていくうえでは、絶対、福祉現場を体験しなくちゃいけないんだ。ところが、だいたい三年でさよならしてしまう。福祉に生き甲斐をもって仕事しようという人間なんかほとんどいない。役所の仕事に上下なんかないのに、福祉というと低くみるんだ。おかしいと思わんか。
------- 分かりません。
------- お前なんか、まだ先のことと思っているかもしれんが、おれたちの年齢の者が考えてるのはポストのことばかり。今度は誰があのポストにいくか、自分は出世コースに乗ったか、はずれたか。そんな話を、飲みながら探りあうんだ。
 ホントに今夜もこんな会話が、全国にある市役所近くの一杯飲み屋で、かわされているのでしょうね。著者の今後ますますの健筆を祈念します。

2007年7月 4日

雇用融解

著者:風間直樹、出版社:東洋経済新報社
 液晶テレビ「アクオス」をつくるシャープ亀山工場では、総就労者2800人のうち、少なくとも200人の日系ブラジル人が請負労働者として働いていた。ところが、彼ら日系ブラジル人の社会保険未加入が発覚したため、今では、外国人労働者はゼロになったという。しかし、これはシャープ工場内だけのこと。隣接する関連・下請企業には相変わらずブラジル人などが働いている。その一つ、日東電工には1700人の就労者のうち  1000人が請負労働者であり、そのうち800人が日系ブラジル人である。ほかにフィリピン人労働者も別の工場で働いている。
 亀山市はシャープを工場誘致するため、前代未聞の45億円もの巨額の補助金を交付した。別に三重県も90億円の補助金を拠出している。この補助金は固定資産税の9割相当を15年間にわたって交付するというもの。交付限度額が45億円ということである。
 では、シャープは地元に雇用効果をもたらしたか。
 2006年6月、シャープの正社員は2200人。非正規雇用は1800人。その内訳は請負労働者1100人、派遣労働者700人。正社員は、よそから来た社内異動組であり、三重県内出身者で新規に正社員として雇用されたのは、のべ130人のみ。亀山市に増えたのは、他県や南米出身者で、この地に定住することのない請負労働者だった。
 これでは地元に批判が高まっているというのも当然ですよね。地元住民の福祉の向上にこそ地方自治体のお金はつかわれるべきですからね。
 請負労働者は1日12時間拘束勤務。それで年収は300万円。正社員の半分以下でしかない。さらに問題は、何年はたらいても、正社員ではないので昇給することなく、この低賃金にずっと固定されるということ。これで果たして結婚し、子育てすることが可能だろうか。
 業務請負業として有名なクリスタルはグループ全体の従業員が7〜8万人いる。創業したのが1974年で、2002年度の売上高は3590億円。
 『週刊東洋経済』はクリスタルについて報道したところ、クリスタルから名誉毀損として訴えられました。請求額は10億円あまり。2006年4月25日、東京地裁は一部の記事取消と300万円の賠償を認める判決を下しました。ところが、控訴審で、和解が成立し、クリスタルは訴訟を取り下げて終結しました。自信がなかったのでしょうね。
 業務請負会社の活用にもっとも積極的なのがソニーだ。正社員と請負社員とが同数いて、全工場で同じく製品を正社員ラインと請負社員ラインの両方でつくらせて、生産性を競わせている。
 ええーっ、これって、なんだか露骨すぎる労務管理ですよね。そのあまりに前近代的なセンスを疑ってしまいます。
 厚労省の労働政策審議会の労働条件分科会委員であるザ・アールの奥谷礼子社長は次のように言い切りました。
 はっきり言って労働省も労働基準監督署もいらない。ILOというのは後進国が入っているところ。ドイツもアメリカも先進国はほとんど脱退している。下流社会だと何だの、これは言葉の遊びでしかない。社会が甘やかしている。結果平等というのは社会主義のこと。社会主義に戻すなんて、まったくナンセンス。何のために規制改革をやり、構造改革をやろうとしたのか。昔と違って、今の時代は労使は対等だ。むしろ、労働者のほうが対等以上になっている。経営者は、誰も過労死するまで働けなんて言ってない。過労死をふくめて、労働者の自己管理の問題だ。
 ええーっ、いくらホンネの放談とはいえ、信じられないほどのひどさです。経営者の優越感に酔って、過信しているとしか思えません。こんな頭の人が労働条件を考える審議会のメンバーだというのですから、労働条件はひどくなるのも当然です。
 いま日本経団連会長を出しているキャノンも請負・派遣労働者に大きく頼っています。
 日本の労働現場の問題を鋭く告発する本です。

2007年7月 2日

自販機の時代

著者:鈴木 隆、出版社:日本経済新聞出版社
 日本全国にある自動販売機の数は550万台。アメリカに次ぐ。人口一人あたりではアメリカの2倍、世界一の普及率。世界中、どこの街にも自動販売機があるわけではない。自動販売機は世界の中で、日本の特別なシステムだともいえる。
 たしかにそうですよね。フランスでは全然見かけませんでした。駅の切符売り場などは自動化されていますが・・・。
 自動販売機を通じて売られる飲み物やタバコ、切符などの総販売額は年間7兆円。コンビニの総売上とほぼ同じ。全国のデパートの売上げ総額に迫る。
 コカ・コーラの普及と停滞の歴史は、自動販売機のそれと一致している。コカ・コーラは、日本に自販機を定着させる役割を果たした。
 ところで、このコカ・コーラは、2005年末に、ニューヨーク株式市場で、時価総額においてペプシコーラに抜かれた。
 三菱重工業、日立製作所、三洋電機は、この自販機メーカーであったが、今では撤退している。松下はまだ残っている。
 富士電機と三洋電機とが自販機をめぐって激しく争い、富士電機が勝った。なぜか。
 富士には「あと」がなかった。三重工場に働く1500人の労働者にとって生き残りをかけたたたかいだった。しかし、三菱にも日立にも三洋にも、「あと」どころか、手が回りきらないほど「未来」があった。
 客の要望にこたえるべく富士電機家電は、設計の子会社をつくった。はじめ50人、やがて100人の大所帯となった。設計陣をそろえたことが富士の自販機躍進のキーポイントだった。
 瓶から缶へ。瓶入りは瓶を製造元に送り返さなければならない。ツー・ウェイである。缶入りは消費者が缶を処理してくれるワン・ウェイであり、流通上の大きな革命であった。
 このワン・ウェイは日本に大きな公害問題をひき起こすことにもなりました。ちまたにアルミ缶やペットボトルが氾濫し、その収集と処理は、消費者と自治体にまかされ、製造・販売メーカーは何の責任もとらず、負担もしなかったのです。便利なものには、深い落とし穴もあるという見本です。
 1972年にホット・オア・コールド機が出来、1976年にホット・アンド・コールド機が出来ました。ホット・アンド・コールド機は、季節ごとに機械を置き換えなくてすんだ。ホット・アンド・コールド機では、一台で、同時にホットコーヒーもアイスコーヒーも提供できた。値段は40万円。コーヒー自販機中心に自販機が普及した。1971年の17万4000台から、1776年の31万5000台、1979年の51万6000台へと飛躍した。
 私は今でも不思議です。あの大きくもない自販機が一台で、ホット缶もコールド缶もボタンを押すだけで手に入るカラクリが不思議でなりません。
 1974年、自販機の普及台数は513万9000台と、500万台の大台に乗せた。出荷台数も1989年には73万5000台を記録した。しかし、これが頂点だった。
 1991年ころ、酒店などの店頭にある自販機が道路にはみ出していることが全国的に社会的な大問題となった。たしかに歩道上に我が者顔で自販機がのさばっていましたね。
 そこで、1992、1993年には、自販機をいかに薄型化するかについて、メーカーは激しく競争した。そして、1994年を境として、自販機価格は暴落の時代に入った。
 自販機は、各国、文化によって好まれる設計・仕様がちがう。アメリカでは簡単・頑丈な機械が好まれ、日本では精巧・緻密な機械が普及した。
 これからの問題は、中国に自販機が根づくかどうかだ。
 また、ノンフロン対策の問題もある。松下はプロパン、富士は炭酸ガスをつかっている。炭酸ガスを圧縮するのにはプロパンより高圧が必要となり、その分コストが高くなる。
 自販機を開発し、普及するまでの苦労話がよくまとめられています。欲を言えば、もう少しメカニズムについての初歩的な解説もいれてほしいところです。私はアンチ・コンビニ派ですが、アンチ自販機ではありません。よく利用しています。それにしても、夏を迎えた今、街頭にあるほとんどの自販機がコールド一色なのが不満です。熱いコーヒーを飲みたいことだってあるのです。幸い、弁護士会館内の自販機はいつもホット・アンド・コールド機となっています。デミタス・コーヒーを愛飲しています。

2007年6月27日

子どもの脳を守る

著者:山崎麻美、出版社:集英社新書
 日本ではまだ数少ない小児脳神経外科医として30年間働いてきた医師によるレポートです。貴重な、胸うつ体験のかずかずが紹介されています。
 まず最初は虐待です。幼児虐待には身体的虐待、養育放棄(ネグレクト)、性的虐待、心理的虐待がある。小児脳神経外科医が扱うのは、身体的虐待のうちの頭部外傷。
 児童相談所における虐待相談件数は、2004年には1990年の30倍にまで増加した。これには児童虐待防止法も寄与している。虐待の疑いがあったら、とにかくすぐ通報することを求めているからでもある。
 子どもの脳は頭蓋骨の縫合のゆるさ、頭蓋骨と脳の成長のアンバランスさにともなう架橋静脈の緊張など、ハードの面から見れば大人よりも弱く、傷つきやすい。しかし、機能面からみると、リカバリー能力や代償性にすぐれているため、それだけ可塑性は高い。だから、子どもの脳は傷つきやすく、悪くなるときも急激に悪化するが、いったん良くなりだすと、その回復力は目を見張るものがある。
 少なくとも3歳児までの子どもの養育は母親が行うべきだという「3歳児神話」がある。しかし、これは正しいだろうか。むしろ、母親と子どもが密着しすぎているために起こる問題がある。父親をはじめとする他の養育者のかかわりの薄さが大きく影響している問題でもある。母親だけが子どもの養育にかかりっきりになる必要はない。
 この点は、私もまったく同感です。子育ては楽しいものと思いますが、お互いたまには息抜きが必要ですよね。保育園に子どもを預けるなんて可哀想だという人がまだいますが、私にはとても信じられません。
 母親が生き生きしていること、それが子どもにいい影響を与える。大切なことは、母親だけに養育の義務や負担を押しつけないこと。いたずらに「3歳児神話」を喧伝して、母親に子育ての不安をあおりたててほしくない。子どもは子どもでたくましく育っていくし、自ら状況を乗りこえていく力がある。
 現実にひどい虐待を受けて育った子どもに、将来、大きくなったときに、今度は虐待の加害者になる可能性は高いですよ、というのは傷口に塩をすりこむようなもの。
 うーん、なるほど、たしかに、そうなんでしょうね。
 子どもが死んでいく病気に直面させられるとき、子どもにとっては、病気そのものや手術そのものではなく、自分がこれから何をされるのか分からないことが怖いのである。その分からなさが不安を生む。手術室はどうなっていて、そこでどんなことをするのかをきちんと教えてあげれば、手術という状況への適応は、子どもにとって案外、難しいことではない。むしろ、どうせ子どもだから言っても分からないだろうと何の説明もしなかったり、妙にごまかすような態度をとることのほうが、余計な不安や恐怖を与えてしまう。
 うむむ、この指摘は、ナットクです。
 日本の現在の出生数は年間100万人。そのうち800人に先天的な水頭症がある。妊娠中に55%が発見される。では、そのとき、どうするか。水頭症だと分かっても、48%の子どもは普通に生活できる。
 たしかに、なかなか悩ましい事態ですよね。
 いま、医師国家試験の合格者のうち3人に1人が女性。2002年と比べて、2004年には20歳代の男性医師が750人減り、女性医師は500人増えた。30歳代の男性医師は1400人減り、女性医師は1150人増えた。
 いまだに日本の医療の現場では、女性が子育てをしながら医師を続けるのが難しい現実もある。さて、弁護士の場合はどうでしょうか・・・。
 この本は、著者が私のフランス語学習仲間の女性の妹さんだということでいただきました。医療現場の実情がよく分かる本でもあります。

2007年6月19日

団塊格差

著者:三浦 展、出版社:文春新書
 団塊世代の私にとって、団塊世代とはどんな人間集団であるのかという本はどうしても目を離すことができません。
 団塊世代の将来は、必ずしも明るいとは言い切れない。「格差」の時代は、団塊世代にも確実に訪れている。
 団塊世代は、数が多いだけでなく、比較的に均質な集団である。ただし、今後も均質であるかどうかは分からない。団塊世代は、高所得が1割、中所得は7割、低所得が2割となっている。
 団塊世代の大学進学率は2割強。45%が高卒で、3割が中卒で就職した。だから、中卒、高卒でも、努力と能力に応じて出世した人も少なくない。
 男性は一度も結婚していない6%、既婚(初婚)80%、再婚7%、離死別7%。女性は未婚6%、既・初婚76%、再婚5%、離死別13%。
 女性のほうが一人暮らしに強い。
 団塊世代は5歳上の世代よりも常に離婚率が高く、かつ、その差がどんどん開いている。
 夫婦別室は、男は20%、女30%、私も、何年か前から別室です。今では、若いときには同じ布団に寝たこともあったのかなあ、という感じです。ぐっすり眠れるほうがいいものですよね、お互いに。ただ、今の話ではありませんが、夜中に何かの発作が起きたときなんかは、一人で寝ていたら手遅れになるということもあるでしょうね。まあ、そんな心配をしはじめたら、キリがありませんけど・・・。
 団塊世代の男性の17%、女性の20%が未婚ないし離別・死別の独身者。実数で
125万人。ええーっ、多いですね。でも、たしかに、私のまわりにもたくさんの独身者がいます。
 団塊世代は、中卒・高卒であれば、自分の意思で就職先や仕事の内容を決めることは、まずなかった。大卒者ですら、理科系なら研究室単位で就職先が決まっていたし、職業人生のパイプラインが確立していた。ほとんどの団塊世代にとっては、実質的に職業選択の自由はなかった。
 なーるほど、そう言われたら、そうなんですかね・・・。私は、苦労したとはいえ、たった一度だけ試験に合格して資格を取得したということで、失業や退職の心配をしなくてすむことに、今、本当にありがたいことだと考えています。いま失業したら、何の技術も持っていない私なんか、どうやって生きていったらいいのか、まるで見当がつきません。ハローワークに行ってパソコンの検索画面の前で途方にくれてしまうのは必至です。

2007年6月18日

ぼくの南極生活500日

著者:武田 剛、出版社:フレーベル館
 2003年12月から、2004年2月まで、南極で生活した体験記です。地球温暖化のせいで、南極の氷がどんどん溶けてなくなっている様子も分かります。
 「しらせ」は、昭和基地の目の前にまで難なく接岸できるまでになっています。厚い氷の海がなくなってしまったからです。
 多いときは1000回以上、少ないときでも数百回のチャージングをしてきた過去の航海がウソのようだ。砕氷船「しらせ」は、厚さ1.5メートルまでの氷なら、割りながら止まることなく進むことができる。
 チャージングとは、砕氷船「しらせ」が、全速力で氷の海に体当たりしながら、少しずつ進むことです。
 まあ、そうはいっても南極です。冬にはマイナス60度の世界です。雪上車から出て地面におりたつ。息をすると、肺が冷たい空気でちぢみあがり、苦しくなる。身体中の関節もこおったように固くなり、手や足が自由に動かない。顔をあげると強い風にあたって針で刺されたように痛む。鼻やほおは、またたくまに凍傷になり、真っ黒に変色した。
 うわー、すごーい・・・。私もマイナス20度という冷凍冷蔵庫に入ったことがあります。痛いほどの寒さで、息をするのも大変でした。
 南極では、建物から一歩外に出るときには、天気が急に変わって迷い子になりやすい。必ず無線機やGPS、ライト、食料、水をもって外に出ること。
 静電気のたまった手でパソコンをさわって、こわさないこと。
 昭和基地には50をこえる施設がたちならんでいる。真冬のきびしい寒さにそなえ、マイナス60度、風速毎秒80メートルにも耐えられるよう、壁の厚さは10センチもある。
 隊員が寝るのは、居住棟にある6畳の個室だ。
 ペンギンたちは人間を恐れず、好奇心旺盛に近寄ってくる。しかし、第一次越冬隊は、ペンギンをつかまえて食べた。
 そのペンギンの可愛らしい姿が写真にとられています。でも、写真といえば、真夏の南極では、太陽が沈まない、その様子を連続写真としてコンピューターで合成した写真が圧巻です。
 太陽がのぼっても低いままで、すぐに沈んでしまう冬の極夜になると、体内時計が狂って、体調不良となってしまう。
 基地の生活で出るゴミは、1ヶ月に2トン。燃やして、灰をドラム缶に詰めて日本に持ち帰る。基地全体でつかう氷の量は一日で8トンにもなる。「しらせ」は、毎年600トンもの燃料を運びこむ。バーの倉庫には、2万缶のビールが積んである。
 南極には1961年の南極条約によって、各国の領土権が認められていない。
 南極に行ってみたいという気持ちが全然ないわけではありませんが、寒さに弱い私には、やっぱりとても無理のようです。写真でガマンすることにします。

2007年6月15日

選挙戦と無党派

著者:河崎曽一郎、出版社:NHK出版
 国民は選挙制度の不公平さをもっと怒るべきだと強調しています。本当にそのとおりです。現状は、大きくて強い政党には圧倒的に有利な選挙制度である。これが改革・改善されない限り、選挙は選ぶ側・弱い者の真の味方には、とうていなりえない。そうなんです。
 たとえば、比例代表選挙において、自民党は8議席、民主党は5議席も取りすぎている。その逆に共産党と社民党それぞれ4議席も少ない。プラス・マイナスあわせて26議席も歪んでいる。これは総定数180に対して14%以上も歪んでいることを意味している。これでも比例代表選挙制度だといえるのか、重大な矛盾、疑問を感じる。
 自民党と公明党との選挙協力は、国政選挙だけなく、地方選挙でも確実にその威力を発揮している。むしろ自民党と公明党との選挙協力の歴史は、国政選挙よりも地方選挙のほうがはるかに古く、実績を重ねている。
 自民党にとっては、公明党・創価学会のもつ700万票前後の組織票の全面的な協力が政権維持の絶対的な条件になっている。また、公明党にとっても自民党との選挙協力がなければ、衆議院の小選挙区で議席を獲得するのは至難の業である。公明党は選挙協力によって自民党の第一党としての議席を保証し、下支えすることによって、連立政権での発言力、影響を維持・強化している。
 公明党は、自民党との選挙強力によって、比例代表選挙で少なくとも3〜5議席を上積みしている。単独で選挙をたたかったら20議席とみられる。期日前投票の比率がもっとも高いのは公明党である。
 無党派層は、支持なし層から政治的・社会的に進化した人たちが多い。無党派層の4人に3人は、いつでも特定の政党を支持する用意があり、政党に期待感さえもっている人たち。生涯無党派という人は、5人に1人しかいない。
 無党派が過半数をこえた最大の原因は、政治不信、政党不信だった。無党派の投票行動にもっとも大きな影響を支えるキーワードは、新鮮な魅力である。
 無党派の第一の特徴は、いつも女性のほう男性よりに圧倒的に多いこと。第二に、男女とも青年層(20〜39歳)にもっとも多い。第三に、家庭婦人と勤労者が多いこと。無党派層の政治意識は高く、圧倒的に野党、反・非体制側に投票している。つまり、政治の現状に強い不満・不信感をもち、政治の改革・改善・刷新などを求めている。
 無党派層の要求は、個人的な商売・金もうけ・利益よりも、弱者の立場に立った社会性の強い、まっとうなものが圧倒的に多い。
 無党派層といわれるものの実体がよく分析されていると思いました。それにしても日本の投票率が6割を切るというのは低すぎますよね。フランスの大統領選挙は85%だったと思います。日本人は、選挙権をもっと大切にすべきではないでしょうか。

2007年6月13日

選挙の民族誌

著者:杉本 仁、出版社:梟社
 実に面白い本です。ええーっ、日本の選挙って、こうなのか、こうだったのかー・・・と、内心さけんでしまいました。甲州選挙という山梨県の選挙ですが、日本全国共通しているところも大いにあるように思います。
 選挙は、なぜかくも人の心をとらえるのか。選挙の当事者とその周囲の人にとって、選挙戦はまさに生きるか死ぬかの戦争だからである。甲州のムラ選挙は、4年に一度の、待ちに待ったムラ祭りの様相を呈する。
 山梨では、家格が重んじられる。家格とは、家の歴史総体への現在的評価である。この家格が視覚的にわかる装置が存在する。寺の本堂に安置されている位牌の場所と大きさが、そのバロメーターになっている。
 ムラの三役は、区長、氏子総代、寺総代。ここから、候補者が決まっていく。
 候補者が決まると、選挙ヒマチ(人寄せ)が始まる。個々人でなく、ムラの組単位ごとに候補者の家に呼ばれる。
 戦後しばらくは、ムラ人は毎日、酒を飲むという習慣はなかった。ところが、選挙のときには、タダ酒がふるまわれた。甲州人はバクチ好きで、有権者は選挙をバクチと見なし、選挙そのものも賭事の対象とした。
 選挙運動の期間となると、ムラ人の手伝いは忙しさを増す。オテンマ(共同作業)にデブソク(出不足)は許されない。
 婿養子が、ムラの実質的構成員として名実ともに一人前として認知されるための近道が選挙だった。ムラ人の手荒い暴れみこしに乗り、散在する選挙こそ、実質的なムラ入りにふさわしいものだった。
 投票当日は、早朝からの狩り出しではじまる。ときには、投票率アップのため、ムラ全体で替玉投票や不正な不在者投票などが行われたりする。
 血縁と地縁の入りまじった言葉として血類(じるい)というものがある。
 政党は無尽(むじん)の集票機能に着目し、候補者は無尽を巧妙に活用した。選挙無尽がいくつもできあがる。無尽は頼母子講とも言われますが、福岡でも今も生きています。それが破綻したときが大変です。ひところ、筑後地方で大量の裁判がありました。
 小佐野賢治も金丸信も、この山梨の出身者である。金丸の家筋は武田信玄につながる名家そのものであった。
 日本的政治風土の基層をなすものが、体験もあわせて、よくよく分析されていると感心しました。選挙って、ホント、ドロドロしたところがあるんですよね。
 今度、山梨の弁護士に最近の実情を聞いてみたいと思いました。

2007年6月 8日

ブランドの条件

著者:山田登世子、出版社:岩波書店
 幸いなことに、わが家はブランド現象とはまったく無縁です。私はコンビニと同じようにブランドも嫌いなのです。
 ブランド現象とは、贅沢の大衆化である。かつては、遙かな高みにあった高級品が、 20代の女の子にも手の届く品となって、ごく身近にある。贅沢と大衆が見事な「結婚」をとげている。
 もともと、ブランドは大衆の手に届かない奢侈品だった。貴族財であるものを一般大衆が持つのは、ミスマッチなのだ。だから、今でもフランスやイギリスの財力のない若者がブランド品を持つことはありえない。エルメスもルイ・ヴィトンも、ブランドの起源をさかのぼると、必ずそれは一握りの特権階級のための贅沢品である。だから、その「名」は晴れがましいオーラを放ち、惹きつけてやまない。
 モードとブランドは相反するものである。エルメスのバッグがあこがれを誘うのは、手が届きにくく、近づきがたいものだからだ。ブランドとは、本質的にロイヤル・ブランドのこと。扱う商品が高級品なのは、顧客が王侯貴族だからであって、ブランドとはもともと貴族財なのである。だから、贅沢品であるのは当然のこと。
 エルメスとルイ・ヴィトンは、王侯貴族を顧客にして今日の繁栄を築いてきた。永遠性と貴族性を志向するブランドだ。
 2002年、ルイ・ヴィトンは東京の表参道店をオープンさせた。前夜から1000人以上の客が列をつくった。オープンした一日だけで一億円の売上げを計上した。
 こりゃあ、日本人って間違ってますよね。これって、まさに格差社会の象徴でしょうね。
 この日、行列をつくった人たちの頭に、今の日本に、一日を何枚かの百円硬貨で過ごす、月に数万円しかつかえない生活を送っている人々が無数にいることなんて想像もできないことでしょう。
 日本人女性の44%、およそ2人に1人がルイ・ヴィトンを持っている。日本全国の所持者は2000万人とも3000万人とも言われている。
 ルイ・ヴィトンって、そもそも自分が持つものじゃないのよね。そう、召使いに持たせるものなのよ、あのトランクは。
 これは、ウジェニー皇后の言葉。ウジェニーは、奢侈品産業を育成するというナポレオン3世の意を受け、政治的任務として贅沢にこれ務めた。
 エルメスのバッグは、すべて職人によるハンドメイド。一つ一つ造った職人が分かるようになっている。修理に出すと、担当した職人が自ら直すシステムだ。しかし、その職人の名前は表舞台には出てこない。
 どうして、日本人って、アメリカと同じでブランドが好きなのでしょう。虚栄心をみたすためか、貴族の幻想にひたりたいのか、私にはとても理解できません。

2007年6月 7日

モグラの逆襲

著者:残間里江子、出版社:日本経済新聞出版社
 あまり感心しないタイトルの本です。それでも、サブ・タイトルが「知られざる団塊女の本音」となっているので、同世代の女性たちが今どんなことを考えているのか知りたくて呼んでみました。意外にまじめな本でした。
 団塊は専業主婦率がもっとも高い世代である。自ら望んでそうなったのではなく、社会が彼女らを受け入れなかった。一生を捧げたはずの結婚生活で得たものは、くたびれた夫と今なお寄生する子どもたちだけ。
 2007年春、団塊モグラ女たちは長い冬眠から目覚めてしまった。このままここで朽ちてしまうのだけはいやだ。長い冬ごもりから飛び出して、春風にあたろう。ここまで来たら捨てて惜しいものはないし、怖いものもない。軽やかに飛ぶためなら、夫一匹捨てるくらいのことは簡単だ。
 おおっ、怖い・・・。私なんて、夫一匹、捨てられてしまいそう。
 団塊男たちのリタイアが迫っている。40年も企業社会につながれていた男たちの縄がほどかれ、一斉に家庭に戻ってくる。戻り方次第では、とんでもない日々になるわけで、妻たちは戦々恐々だ。
 団塊世代が結婚して10年から15年目あたりの離婚数は3万2000組だった。結婚して30〜35年たった最近の離婚数は6000〜7000組。つまり、問題のある夫婦は既に離婚ずみなのだ。
 夫婦は感性だの価値観だのという抽象的なことで別れてはおらず、離婚の具体的な理由は、お金、女(男)、暴力の三要素に集約される。離婚を切り出すのは7割が妻側から。
 離婚を意識して、完遂するまで平均して3.5年かかっている。
 今の夫は別れたいけど、危害は加えないし、喋るぬいぐるみだと思えば、まあ、いいかなと思ってガマンしてる。
 ヒャー、こんなに思われているんですか・・・。何だか、背筋がゾクゾクしてきました。
 団塊の女は他の世代に比べて学歴を重視する人が多い。とりわけ、息子の学歴は、とても気にする。
 団塊世代はお見合い結婚が多数派だった。しかし、1995年以降は9対1で恋愛結婚が圧倒的多数になっている。だから、その機会に恵まれないと、いつまでたっても結婚できないわけですね。お見合い用の写真をいつも持ち歩いている世話好きのおじさん、おばさん族というのは今ではすっかり姿を見ません。
 女は独りでは何もできないと男に思わせることこそが、「サブ」や「副」として生きていくための基本マニュアルなのである。女は夫に相談する前にとっくに決めている。ただ下手に主張すると、あとでもめたときに面倒だし、おだやかに手に入れるためには簡単に口にしないようにしているだけのこと。
 よほどの偏屈でもない限り、団塊世代は「テレビが家にやってきた日」のことを覚えている。私の家には小学四年生のころ、年の暮れにテレビがやってきました。『ひょっこりひょうたん島』や『ふしぎな少年』の「時間よ、止まれ」という叫び声があがると全員がそのままの姿勢で固まってしまうシーンも、よく覚えています。
 日本の妻たちは、夫に忍従を強いられているように思っている人が少なくないが、世界に冠たる銀行振込制度が家庭に入り込んで以来、時間とお金の両方の裁量権を発動できるという意味で、日本の妻は世界最強と言われている。
 日本の女性が昔から強かったことは、戦国時代の宣教師(ルイス・フロイス)の目撃談や江戸時代の『世事見聞録』などでも明らかです。銀行振込制度の前から、日本では妻が一家の財布を当然のように握っていました。
 私の周囲を見まわしても、実にたくましい女性ばかりのような気がします。むしろ、いろんな意味で弱いのは男ではないでしょうか。

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