弁護士会の読書
※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。
社会
2007年12月21日
カラ売り屋
著者:黒木 亮、出版社:講談社
日本経済の闇にうごめく怪しい奴ら、とオビに大書されていますが、この本を読むと、まさに、そういう人間が日本中にいる、いや、世界にまたがって動いていることを実感します。いやですね、おカネがすべてだと考える発想は・・・。しかも、動かしているお金が何億円なんていうものじゃないのですから、感覚がマヒするのも当然です。
カラ売りとは、英語でショートセルと言うようですが、投資会社のやる一つの手法です。ウォール街にカラ売り屋が現れたのは1980年代初め。現在、アメリカにカラ売り屋が50社ほどいるとみられている。
カラ売り屋は企業の弱点をつかみ、株価を下げたところで買い戻して利益を得る。したがって、企業の弱みをつかむ必要がある。どうやってつかむか?企業の裏情報が一番とれるのは、その会社を退職した人間だ。組織にしばられていないうえ、会社に対してうっぷん晴らしをしたいと思っていることが多い。そこでカラ売り屋は、日ごろから人材派遣会社やヘッドハンターにネットワークをはりめぐらし、その手の人物の発掘につとめている。
なーるほど、ですね。でも、そのため、アフリカの奥地の危険なところまで状況を探りに行くというのですから、カラ売り屋稼業も大変です。
「村おこし屋」には、公共工事をくいものにするヤクザと政治家の話が出てきます。公共工事は、その走行慈悲の3%から5%はヤクザと政治家に流れていくと言われています。この本でも、それを前提として話がすすんでいます。
いま福岡県南部では暴力団の抗争事件が続いており、組長とか幹部とか、もう何人も暴力団員が殺されました。しかし、マスコミは、ことの本質を報道していないと思います。要は、利権争いなのです。公共工事からかすめとるお金をどっちが握るかということをめぐっての殺しあいが続いていると私はみています。ただ、これをマスコミが報道すると、その記者は生命の保証はなくなります。その意味では、日本社会は実は、昔も今も暴力団が強く支配する社会でもあるということです。
最後の「再生屋」に若手弁護士が登場します。これは弁護士が企業再生の法的現場でどんな苦労をしているのかについて、かなり具体的イメージがつかめ、やったことのない私にも大変参考になりました。著者は相当深く勉強していると感心したことでした。
著者はカイロ・アメリカン大学を出て、銀行や証券会社、総合商社につとめて作家になり、今はイギリスに住んでいるとのことです。なかなか面白く読ませる本でした。
(2007年2月刊。1600円+税)
2007年12月18日
ダイオキシンは怖くないという嘘
著者:長山淳哉、出版社:緑風出版
久しく待たれていた本だと私は思いました。ダイオキシンが世間の話題にならなくなって久しいものがあります。ひところは何かというとダイオキシンが取り沙汰されていたのに、まるで時代の流れが変わってしまいました。
私自身も2003年1月に日本評論社から『ダイオキシン、神話の終焉』という本が出て、それを読んでから、まったく自信喪失の状態でした。だって、東大教授がダイオキシンによる被害は神話に過ぎないと断定したのですから、科学者でない私が動揺してしまったのも無理ないところです。
著者は、この本を読んで、さっそく抗議したそうです。出版社は、これに対して弁明書を出しました。
著者は、母乳にふくまれる何らかの因子がアトピー性皮膚炎の発症に追いうちをかけていること、その因子の一つとしてダイオキシンも考えられるとしています。
また、アメリカでも、ダイオキシンが毒性も発ガン性も、ともにきわめて高い化学物質だと考えられていることが示されています。
先ほどの『神話の終焉』には、ダイオキシンは天然物であり、20世紀に入ってからのダイオキシン汚染は、恐竜時代の2倍になっただけだとされています。
そもそも天然物とは何か、と著者は問題にします。天然物というのは広辞苑にものっていない言葉であり、きわめてあいまいな概念なのです。では、恐竜時代との比較のほうはどうか。これについても、ナンセンスな論法だと弾劾しています。
つまり、ダイオキシンは、石炭を燃やしてもそれほど出ないが、一般ゴミを燃やすと予想以上に発生するもの。そして、焼却してできる四塩化、五塩化の低塩素化ダイオキシンは、大気中を移動する際に太陽の紫外線によって容易に分解されて八塩化ダイオキシンを主成分とする高塩化ダイオキシンに変化してしまう。
最近、ウクライナの大統領候補だったユーシェンコ氏のダイオキシンによる殺人未遂事件が起きた。これによって、ダイオキシンとは耳かきの先に目でかすかに見える程度の微量で、人に重症の症状を引きおこし、運が悪ければ死ぬ可能性もある毒物であることが改めて証明された。
『神話の終焉』の中に、あたかも絶対的に正しいかのように引用したデータでさえも、絶対的なものではない。たとえば、サリンとダイオキシンの毒性を比較すると、ラットに経口的に投与したときの半数致死量をみると、体重1キロあたり、サリンは550マイクログラム、ダイオキシンは20〜60マイクログラム。つまり、急性毒性はダイオキシンのほうがサリンよりも9〜28倍も高い。
未使用のPCBの毒性は、それほど高くはない。使用したあとのPCBには、何が含まれているか分からないし、未使用のものより、かなり危険と考えられる。PCBについて、国際ガン研究機関は人の発ガン性物質と認定している。急性の致死毒性はそれほどでなくても、ガンの発症やその他の健康影響が危惧される。
中西準子氏は、環境ホルモン問題は終わったと考えているが、これは大変な間違いだと著者は強調しています。環境ホルモン問題は、複雑ではあるが、人の健康や生態系にとって、決して看過できない重大な問題なのだ。
私は、この本を読んで、ダイオキシンの有毒性について、何ら問題がないと決めつけるのはやはり間違いだと思いました。多くの人にぜひ読んでほしいと願います。
今年、私が読んだ単行本は今の時点で500冊を超えています。この書評を書くため机の上に置いている本だけでも30冊ほどあります。書評を書くにはどうしても一冊に1時間近くかかりますので、たまってしまうのです。なんとか新年も書き続けていきたいと考えていますので、どうぞ引き続きご愛読ください。先日お願いしたメッセージが長崎の福田浩久弁護士お一人だったのは残念でした。福田先生、ありがとうございます。勝手にお願いしておいて、こんなことを言うのも失礼かとは思いますが、いったいどれだけの人に読まれているのか、たまには反応も知りたい気持ちがあるというのも正直なところなのです。
(2007年10月刊。1800円+税)
2007年12月14日
真犯人
著者:森下香枝、出版社:朝日新聞社
「週刊朝日」に今年3月に連載されていた記事をもとに書きおろした本です。グリコ・森永事件の犯人と5億4000万円強奪事件の犯人は同じだというのが著者の考えです。その真偽のほどは分かりませんが、犯人不明のまま幕引きとなったグリコ・森永事件を改めて考え直すことができました。
5億4000億円強奪事件というのは、日本では史上最大の銀行強盗事件です。 1994年(平成6年)8月5日午前9時20分、神戸市にある福徳銀行神戸支店から5億4000万円が強奪された。
そして、この事件は、時効が成立した。ところが、その犯人は、本年2月に、同じように銀行強盗しようとして捕まった。犯人には、韓国人女性の愛人がいた。女性は時効が成立したあと、ホテルを現金で買収した。もう一人の犯人は、自殺している。
グリコ事件が起きたのは、昭和59年(1984年)3月18日のこと。江崎勝久社長が子どもたち2人と風呂に入っていたところを犯人に連行された。江崎社長が監禁されたのは新大阪駅から遠くない水防倉庫。
グリコ事件の犯人の一人、キツネ目の男は大阪府警捜査一課に属する7人の特殊犯罪捜査員に目撃されたが、結局、16年にも及んだ捜査もむなしく時効を迎えた。捜査員がキツネ目の男を目撃したのは、京都駅でのこと。
このあとも警察は、大失態をくり返した。丸大事件のとき、キツネ目の男はハウス事件の現場に2度も出没したが、みすみす見逃した。
滋賀県警は、現金投下場所のすぐ近くにとまっていた不審者を職務質問しておきながら取り逃がした。この失態の責任を感じた滋賀県警本部長は昭和60年8月7日、定年退職した日に本部長公舎で焼身自殺した。
この本は、5億4000万円事件の犯人とグリコ・森永事件の犯人は同一人物であり、その犯人は10年前に警察が容疑不十分で釈放した翌朝、自殺した、としています。
かい人21面相の挑戦状を久しぶりに読みましたが、警察の内情もそれなりにつかんだ文面なので、どうやってこんな情報を得ていたのか、改めて疑問に思いました。
ともかく、この世は不思議なことだらけです。
それにしても5億円も強奪した犯人たちは幸せな生活は過ごせなかったようです。やはり、人生はお金だけではないとつくづく思ったことでした。
(2007年9月刊。1300円+税)
2007年12月 6日
中原中也、悲しみからはじまる
著者:佐々木幹郎、出版社:みすず書房
この10月に山口の湯田温泉に行ってきました。小さな温泉街です。町なかにしゃれた美術館がありました。中原中也美術館です。この本はそこで買いました。私は美術館に行ったときには、DVDを見るようにしています。よくまとまっていますので、便利です。詩人の中原中也は湯田温泉に生まれました。父親は中原医院を開業している、有名な医者でした。期待した息子(長男)が医者にならず詩人になるのを認めなかったそうです。でも、こればかりは仕方のないことですよね。私も長男が弁護士をめざすと言ったときにはうれしく思い、別の道を歩みはじめたときには少し寂しさを感じました。だけど、自分にあった道を歩むのが一番です。父親だからといって私の意見を押しつける気はさらさらありません。
この本を読んで、中原中也の早熟さに驚き、かつ呆れてしまいました。
十代の中学生のとき、中原中也は早々と詩を書く以外にない、眼が覚めたとき詩人である自分がいた、というのです。
中原中也が、かの有名な評論家である小林秀雄と同世代であり、三角関係にあったということも初めて知りました。小林秀雄は、中原中也に魅力と嫌悪を同時に感じたといいます。いわば早熟男が別の早熟男に魅力と嫌悪を感じたということだろうと著者は解説しています。
中原中也は、小林秀雄の批判に対して、「それが早熟の不潔さなのだよ」と言い返しました。なんという言い方でしょうか。さすがは詩人です。私にはとても発想できない言葉のつかい方です。
中原中也は、中学4年生17歳のときに、6歳年上で23歳の女優である長谷川泰子と京都の下宿で同棲生活をはじめます。
うむむ、なんと早熟な・・・。
そして、小林秀雄が親友の恋人(泰子)に惚れてしまい、泰子は小林秀雄と一緒になる道を選ぶのです。中原中也は親友に恋人を奪われ、失恋してしまったわけです。
日本の文芸批評を創始した小林秀雄は、一人の女性と一人の詩人を通して評論家になった。著者はこのように解説しています。ところが、中原中也は小林秀雄との絶交状態をいつのまにか解消して、つきあいを復活させるのです。なんということでしょう。ここらあたりになると、凡人の私の理解をこえます。
この本には中原中也の詩が推敲される過程が原文の写真つきで紹介されています。
中原中也は語勢を大切にした。語勢とは、詩のリズムをあらわす、中原中也らしい表現である。詩の世界では、言葉というものの面白さをどのように引き出すかが、いつも問われる。
汚れちまつた悲しみに
今日も小雪の降りかかる
汚れちまつた悲しみに
今日も風さへ吹きすぎる
たまには声を出して詩を読んでみるのもいいものです。
(2005年9月刊。1300円+税)
2007年12月 5日
借金取りの王子
著者:垣根涼介、出版社:新潮社
団塊世代は、とっくに定年期を迎えています。第二の人生を意気高く迎えて過ごしている人もいるでしょうし、なんとなく鬱々とした思いでその日が過ぎているだけの人も多いことだと思います。会社内でリストラをする側にまわったらどう思うか、リストラされる側になったとき、どんな気持ちなのか、自分にひき寄せながら、身につまされつつ読みすすめていきました。
主人公はリストラする側の会社員です。
嫉妬。出世競争の中に生きる男がもつ、もっとも醜い感情の一つだ。同期の陰口を叩く。ないしは悪意のあるうわさ話を流す。あるいは実際の業務で足を引っ張る。そして相手が出世コースを外れていくまで、それらの行為をあくことなく続ける。ある意味、女の嫉妬より陰湿で始末が悪い。
たいていの会社では派閥抗争があるようです。そして、頼っていた上司がコケたら、部下まで一蓮托生でコケていく。そんなリスクを背負いたくないから、上司に仲人を頼まなくなった。そんな話を聞いたことがあります。ドライな人間関係が好まれるワケです。
出世なんて、しょせんはオセロと同じだ。ある一時の局面では優位になったとしても、ほんのちょっとした油断やミスから、またたく間に盤の目はひっくり返る。勝っていたと思っている状況からひっくり返されるから、より悲惨だ。カッコもつかない。
自分の努力だけでなく、ときの運が必要なのは、多かれ少なかれどんな職業にもあるとは思いますが、気持ちのいいものではありませんよね。
あるサラ金会社の話。支店の雰囲気が悪い理由はいろいろあるが、その最たるものが社内不倫だ。上司が部下に手を出す。既婚者の同僚同士で道ならぬ恋に落ちる。男もそうだが、会社で同等の仕事を任されている女も数字に追われ、絶えず激しいストレスにさらされている。気持ちが徹底的に乾いている。なにかにすがりたくなる。そこに、自分の苦しい状況を何度も救ってくれる相手がいると、それが白馬に乗った、自分のように情けなくない、王子に見える。つい抜き差しならない仲になってしまう。分からないでもない。
社内不倫は、これまた、あらゆる職場で横行しています。私の身近なところでも、いくつか見聞しました。
「おけえらカスだ。人間のクズだ。いいからもう全員死ねよ」
これは、サラ金会社の支店長同士でお互いを罵倒しあう時間にあびせる言葉です。一人の店長について、10分間、他の店長から集中砲火を浴びせられます。相手の欠点を何がなんでも責め立てるのです。
「努力が足りない」
「意識が低い」
「数字の読みが低い」
「部下の指導力が弱い」
「ったくよお。それが年収1000万円以上もらっている人間の働きか。おいっ」
いくら高給とりとはいえ、人間じゃないように責め立てられて生き残る人って、何者なんでしょうね。
小説としても、なかなかに読ませるものとなっていました。
日曜日に、チューリップの球根を庭に植えました。久しく雨が降っていないので、その前後にたっぷり水をかけてやりました。いまエンゼルストランペットの黄色の花と、と白とピンクの花が満艦飾です。もう少し寒くなると霜で全滅してしまいます。師走に入って寒くなったとはいえ、まだ霜がおりるほどではありません。夜になって久しぶりに恵みの雨が降りました。
(2007年9月刊。1500円+税)
2007年12月 3日
ちひろ
著者:松本善明、出版社:新日本出版社
いわさきちひろの絵は、見るたびに心が洗われる気がします。ほのぼのとした絵というより、魂の気高さが幼な子のすずしげな瞳を通じてにじみ出ている、そんな鮮烈な印象が身体を貫きます。私は残念ながら東京にある「ちひろ美術館」にも、長野にある同じく「ちひろ美術館」にも行ったことがありません。でも、近いうちに必ずどちらも行ってみたいと思っています。
この本は、いわさきちひろの夫であった松本善明弁護士がちひろの絵に秘められたものを探るということで紹介したものです。松本弁護士は言わずと知れた日本共産党の元代議士です。テレビに登場したときの、そのソフトで落ち着いた語り口は、いつも安心して、うんうん、そのとおりだよなと思いつつ聞くことができるものでした。
いわさきちひろが肝臓がんで亡くなったのは1974年(昭和49年)8月のことでした。私が弁護士になったのは同じ年の4月です。
著者は、学校で音楽と図画が大の苦手で、中学で音楽の科目がなくなったとたんに平均点が上がったほどだったということです。私は図画のほうは何とか描けて好きだったのですが、音楽はからっきしだめでした。声の出せる音域がとても狭くて、自分で勝手に変調したりして、自分が音痴であることは自覚せざるをえませんでした。年の離れた長姉が私をオルガンの前に立たせて歌唱指導してくれたのですが、私が歌うのを聞いて、「こりゃあ、あかん」という顔をしたのが今も暗い思い出となって残っています。
それはともかくとして、そんな著者の妻に画家がなったのですから、驚きです。
ちひろは不幸な結婚の過去をもっていて、再婚など、とうてい考えることができず、父から結婚を迫られるという環境からぬけ出して生活の転機をつかもうとしていた。
そんなちひろが画家になったきっかけは、日本共産党の宣伝芸術学校への入学だった。
へー、共産党に芸術学校なんてあったのですか、ちっとも知りませんでした。
そのあと『人民新聞』に入り、その編集部でちひろは活動するようになりました。このとき、本名の「知弘」がちひろと書かれるようになったのです。
ちひろの描いた絵に対して、当時の仲間から、ちひろの絵は現実をリアルに描いていない、甘い絵だと批判されました。「子どもはみんなそんなに可愛いだけじゃない。ガキという憎らしいところもあるんだから、ガキのリアルさが必要だ」
この批判に対して、ちひろはキッパリ反論しました。
「自分は、どんな泥だらけの子どもでも、ボロをまとっている子どもでも、夢をもった美しい子どもに見えてしまうのです」
なーるほど、これではすぐに勝負がついてしまいますよね。
著者は、結婚したとき23歳。東大法学部を出て、共産党国会議員団事務局に勤め、議員秘書をしていました。ちひろは、その7歳も年上の30歳でした。結婚式は2人だけで、大枚1000円をはたいて買った花一杯に部屋を飾って、ぶどう酒一本とワイングラス2つだけ。この「花の結婚式」を上條恒彦が歌にしています。
屋根裏の部屋は 暖かかった
二人で遠くを みつめてたんだ
淋しくなんか なかったよ
同じ炎を もやしていたから
なかなかいい歌ですよね。この歌を知らない人は、ぜひCDを探して聞いてみてください。著者は、そのあと共産党の内紛から国会事務局を解任されて失業すると、司法試験を目ざし、すぐに合格して弁護士になります。ちひろから支えられての受験生活を送ったわけです。
ちひろはスポーツウーマンで、もともと運動神経がとても発達していたそうです。プールでも相当のスピードで泳いだとのことです。
いわさきちひろの絵は教科書にもつかわれています。ところが、ちひろの夫が共産党の松本善明代議士であることから、その莫大な印税が日本共産党に入っているんじゃないかと国会で問題にした自民党の代議士がいたそうです。もちろん、そんな事実はありませんでした。それにしてもなんという心の狭い代議士でしょうか。
ちひろの絵を見たあと、表紙の裏にあるちひろのニッコリ笑っている顔を見ると、本当に心がほんのり温まってきます。
(2007年8月刊。1500円+税)
2007年11月30日
やせるヒントは脳にある
著者:瀬野文宏、出版社:西日本新聞社
すっかりメタボになってしまった私は、ダイエットにすごく関心があります。目下、糖質制限食事をしていますが、今のところ2キロほど減量したまま足踏み状態です。ともかく食べる量は減らしました。でも、帰宅が遅くなって、夜10時近くに夕食をとることが珍しくありませんので、なかなかダイエットも大変です。
ダイエットの主役は脳であり、首から下の肉体ではない。お腹が食べているのではない、脳で食べている。
著者が一番強調していることです。私も、なるほど、と思います。
この世に、食べて、健康的に減量し維持できる効果のある食物は存在しない。
これは、ダイエット食品なんて、みんなウソっぱちだということです。私も、まったく同感です。食べながらやせる薬とか食品なんて、怖いですよ。私は、そんなものに頼りたくはありません。
食べるという行動は、脳からの指令にもとづく。生命脳といわれる視床下部にある外側核(摂食中枢神経)が食べよというシグナルを出す。そして、大脳の運動野にその指令が届くと、私たちはたちあがって冷蔵庫のなかをのぞきこみ、アイスクリームを見つけて口に入れる。
ダイエットをするにしても、食べるという行動は、脳の作用であることを認識することが大切である。
夜に脂肪の原料になる食べ物を多く食べると、寝ているあいだにしっかり脂肪細胞に蓄えられる。脳の中枢神経の作用と視床下部の体内時計によって、肥満は夜につくられる。
朝食前は、肝臓などに貯蔵されているグリコーゲンはほぼ底をついており、脳はブドウ糖の補給を待っている。
カラダに良い水を毎日1〜2リットル飲むのがいい。がんになりにくい。
女性がなぜ甘い物を好むのかについて、次のように説明しています。うーんそういうことなんでしょうね。
女脳の腹内側核は、ブドウ糖を受容して満腹感を感じる満腹中枢と性欲ホルモンのエストロゲンを受容して満足感を感じる性欲中枢が同じ核内で近接しており、表裏一体の関係が成り立っている。女性の性欲ホルモン(エストロゲン)が満たされない場合は、サンマなどのタンパク質ではなく、ブドウ糖で代償的に満足させるシステムになっている。だから、男脳より女脳のほうが太りやすい。
脳は甘味を求めているのではない、甘味にふくまれているブドウ糖を求めている。だから、サッカリンやアスパルテームなどの人工甘味料は合成化学物質であり、脳を満足させることができない。
(2007年10月刊。1500円+税)
新・学歴社会がはじまる
著者:尾木直樹、出版社:青灯社
「格差が出るのは悪いこととは思っていない。能力のある者が努力すれば報われる社会良しとする者は多い」
「どの時代にも成功する人としない人がいる。貧困層を少なくする対策と同時に、成功者をねたむ風潮、能力ある者の足を引っぱる風潮を慎んでいかないと社会の発展はない」
これらは小泉前首相の国会答弁(2006年2月1日)です。
「国際化の中で、能力や才能、努力によって生まれる格差は、むしろ称賛すべきことだ」
これは日本経団連の御手洗会長(キャノン会長)の発言です。
これらの言葉は、果たして本当だろうかと著者は疑問を投げかけます。
公立幼稚園では年に24万円弱ですむのに、私立幼稚園は51万円ほどかかる。公立中学が47万円なのに対して私立中学だと127万円。公立高校は52万円なのに私立高校だと103万円。いずれも2倍以上の格差がある。これは親の経済力による。
最近、東京に行くたびに超高級ホテルがふえています。それらのホテルは中クラスの部屋で1泊10万円だといいます。高級旅館で1泊2食付き4万円というのは聞きますが、素泊まりで10万円する部屋が、そこでは中クラスというのです。1泊40万円とか50万円の部屋に泊まる人が増えているということです。日本でもスーパーリッチ層が増大しているわけです。
その一方で、就学援助を受ける人が急増しています。1995年度に77万人、 2000年度には98万人だったのが、2004年度はなんと134万人近くにまで増えた。そのうち生活保護世帯に準ずる世帯が121万人ほど。大阪の受給率は28%、東京でも25%に近い。貧困層の増大はすごいものです。
トヨタ自動車など中部財界がつくった中・高一貫全寮制男子校は年間の学費と寮費で 330万円かかる。6年間だから総額1800万円にもなる。そんな私立校に国の手厚い補助がなされている。
公立で中高一貫校がふえている。全国に公立120校もある。私立50校、国立3校あるので、合計173校あって、さらに首都圏では17校の開校が予定されている。
果たして中高一貫校はそれほど良いものなのでしょうか。思春期に親と離れて生活して将来、本当に心優しい人間になるのでしょうか。私は心配です。
著者は、教える量を多くし、難解にすればするほど学力が向上するという考えは根拠のない錯覚だと主張しています。その証拠としてあげられているのが、日本人が大人になってから学力が身についていないことが国際比較で判明したというのです。
受験戦争による暗記型、トレーニング中心の「学校知」をどれだけ詰めこんでも、生きる力としての学力につながっていない。大人になると学力が世界最下位に落ちこんでいる。
学力は競争させるほど向上する。授業時間数を増やせば学力が上がる。いずれも単なる錯覚である。
「フリーターとかニートとか、私に言わせりゃごくつぶしだ、こんなものは」
こんな偉そうなことを臆面もなく言ってのけたのは、あの石原東京都知事です(2006年3月 14日、都議会)。いったい自分を何様だと思っているのでしょうね。
経済格差、学力格差、学歴格差、学校内のコース格差、学校間格差、出自格差、文化格差、親の学歴格差、習熟度別格差、教員格差。これらが地域間格差、情報格差、男女格差、企業間格差などとからみながら、複雑に進展し、子どもたちの学力にも反映されている。格差は多様ではあるが、大切なことは、どの格差も人為的所作のなせる業であり、けっして自然現象というものではない。
そうなんですよね。私の出身高校はそれなりの昔から伝統のある「名門高校」でしたが、いつのまにか低いランクに落とされていました。学区が事実上撤廃されたため、生徒たちが1時間以上かけても有名高校に通うようになったためです。私は自転車で15分ほどの通学時間でしたが、通学時間に1時間以上もかけるなんて、ムダだと思います。いかがでしょうか。
格差というと、先日の週刊誌に日本の社長のトップは年収80億円とかいう記事がありました。これって間違ってませんか。その会社のヒラ社員は年収1億円とかもらっているでしょうか。上にばっかり厚いというのは、きっとどこかで破綻すると思います。
(2006年11月刊。1800円+税)
男はつらいらしい
著者:奥田祥子、出版社:新潮新書
しんどいのは女や若者だけじゃない。働き盛りの男たちこそ、誰にもグチを言えないまま、仕事に家庭に恋愛に、心身の不調に悩んでいるのだ・・・。
40歳の独身女性記者(『読売ウィークリー』)が、自分を棚上げして聞き出した、哀しくも愛しい男たちのホンネが紹介されています。読むと、独身ではない私も身につまされます。ホント、男って案外つらいものなんですよ。
30歳代前半の男性2人に1人、女性の3人に1人が結婚していない。50歳時点で一度も結婚したことのない生涯未婚率をみると、男性は16.0%で女性の7.3%を大きく上回る。これは10年前から倍増しており、男性の非婚化が著しい。
うむむ、なぜか。どうして、そうなったのか?
男性に共通しているのは、自分から女性にアプローチできず、自分が傷つくのが怖いということ。服装や髪型を変えるだけでも、ある程度、見た目を良くすることはできる。しかし、次のステップに進もうとすると、コミュニケーションが苦手か、傷つくのが怖いという。それが障害になる。さらに、女性の男性選びの基準が厳しくなっていることも影響している。
離婚した男性でも、結婚できる人は、何度でも結婚できるし、結婚できない男性は一生できない。うーん、大変鋭い指摘です。
男性は、年齢が上がれば上がるほど、理屈っぽくなり、結婚できるように変わるのが難しい。なるほど、なーるほど、という感じがします。
男にも更年期がある。男性ホルモンも20歳代をピークとして、加齢とともに徐々に低下し、50歳あたりを境に、幅広くみると40歳代半ばから60歳代前半ころまで、男性にも女性と同じような不定愁訴などの更年期の症状があらわれる。男性の更年期の症状とは、おもに精神症状(つまり抑うつや不安、イライラ、疲労感など)、身体症状(発汗、ほてり、不眠、骨・関節・筋肉関連症状、記憶・集中力の低下)、性機能症状(性欲低下や勃起障害、射精感の減退など)の三つに大別される。
私は幸いにして、ここにあげられている症状をあまり感じませんでした。ただ、40代のころ、夜中、急に胸の動悸がして目の覚めたことが何回かありました。そのうちおさまりました。
団塊世代は、若いころから自分らしさや個性を好みながらも、結局はみんなと一緒の仕事人間に終わってしまい、自分らしさも実現にはもう遅い、という後悔の念を抱いている人が少なくない。その反動として、わが子には自分の好きな人生を目ざしてほしい、そのためには親元にパラサイトして定職につかなくてもしようがないという考えがあるようだ。
私にはそんな気はありません。ただ、結婚相手を見つけるのが難しくなっているな、とは感じます。だって、昔のようにお見合いの席をもうけるのが、きわめて難しいのですから・・・。
(2007年8月刊。680円+税)
2007年11月22日
美味しい食事の罠
著者:幕内秀夫、出版社:宝島社新書
砂糖と油脂に殺されようとしている日本人。マック、ケンタそしてホカ弁、コンビニの前を通るたびに、日本人って可哀相だなと思います。もっと、食事を大切にしようよと、叫びかけたくなります。
食費にあまりお金をかけていない人ほど、油脂をたくさん食べている傾向がある。油脂には、素材の悪さをごまかす便利な働きがある。多少、味の落ちる素材でも、油脂まみれにしてしまえば、なんとなく油脂自体のコクや美味しさで食べられてしまう。素材の味が分からずに美味しく食べられる。
ファーストフードは、輸入小麦と砂糖と油脂の塊だ。油脂と砂糖は満腹感ももたらしてくれる。人間は、油脂の味や、甘い味を、本能的に求めるようにできている。脳にとって、油脂や砂糖の甘さは快楽である。
人間の二大欲求は食欲と性欲。性欲のほうがお粗末なため、日本人を過剰なまでに食欲に走らせ、一億総砂糖漬けを招いている。未婚女性の4割に男性の友人がいない。そのフラストレーションのはけ口として、食の快楽に走っている。
長寿の島だった沖縄で男性の寿命が短くなるという異変がおきている。それは、沖縄男性の半分が肥満になったこと、ハンバーガーショップの普及率が日本一と関連がある。ギトギトと油脂まみれの総菜が沖縄で売れている。
全国のサラリーマンが夕食にしているのは、甘い缶コーヒーだ。缶コーヒーの危険性に多くの男性が無自覚である。缶コーヒーは糖分のほか、クリームなどの脂肪分がたっぷり。これは砂糖の点滴と同じ。糖尿病への特急切符である。
乳ガンにかかった女性の多くが朝食にパンを食べている。砂糖と油脂入りのパンに、マーガリンとジャムを塗りたくり、わずかな生野菜にマヨネーズやドレッシングで油脂まみれにして食べ、糖分たっぷりの甘いヨーグルトを食べている。いわば食事をとらずにお菓子を食べているのと同じ。これは大変です。みんなに知ってほしいですよね。
ハンバーガーは食事ではない。ふむふむ、なるほど、そうなんですね。
いやあ、考えさせられました。私はいま典型的なメタボになってしまいました。そこで、ダイエットを宣言し、実行しています。ともかく食べる量を減らすのです。ガマンガマン、これを合言葉に、いつもお腹が空いている状況に耐えています。さすがに年齢(とし)をとって、空腹には耐えられるようになりました。美味しいものを少しだけ、ということが実践できるようになったのです。うれしいやら悲しいやら、です。だって、来年には還暦を迎えようとするのですから、健康第一ですよね。
(2007年9月刊。700円+税)