弁護士会の読書
※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。
社会
2008年9月24日
ハンドシェイク回路
著者:田島 一、 発行:新日本出版社
いやあ、すごいすごい。ぐいぐい読ませる小説でした。現代の最先端企業の中で、何が起きているのか。エリート社員たちが過労死・過労自殺するのはなぜなのか。派遣社員ではない正社員がボロボロになるまで企業にこき使われている実態が克明に紹介されています。まさしく息詰まる展開です。ですから、ここには『蟹工船』のような悪臭のするドロドロした職場と暴力支配はありませんが、清潔で超近代的な職場の中でも企業の暴力的かつ非人間的な専制支配が貫いていることには変わりないことが分かります。
問題は、そのような状況に労働者たちが唯々諾々と従うだけなのか、反抗し起ち上がる可能性がまったくないのか、ということです。この本には、長年、大企業の中で思想差別を受けてきた団塊世代の労働者も登場します。いえ、実は、その人が主人公なのです。
大企業は、思想差別したことを裁判で認めて、差別撤廃を実行しました。だから主人公はプロジェクトチームに組み込まれ、過酷な労働現場に投げ込まれてしまったのです。定年間際なのに、納期に間に合わせるためには徹夜作業もこなさなくてはいけません。主人公の体調がおかしくなり、ついに休職・配置転換の申し出を決意します。
ところが、エリート社員の方も異変が起きていました。取締役間近の責任者は過労のために入院するし、現場の中心となっている東大卒の技術社員も心身に変調をきたし、一時は自殺願望まで持っていたというのです…。
電機メーカーの職場を克明に取材した小説です。迫真の描写にただただ圧倒されました。なにしろ、すごいんです。ぜひ、あなたも読んでみてください。職場の大変な状況がひしひしと伝わってきます。
差別是正のあとに、このような形で仕事の負担となって現れるとは、思ってもみなかった。というより、それは見えなかったというのが正しいのかもしれない。
タイムスケジュールで管理される開発の最先端の部隊に組み込まれると、個人としては時間がままならなくなってしまう。プロジェクトチームに入るというのはそういうことなのだ。
このような業務に無縁の扱いを受けてきた者にとって、年齢を経てから就いた第一線の場はかなり厳しいものがあった。
周囲の労働者が、ここまで働いているとは知らなかった。これまで、過酷な労働が牙をむいて襲い掛かってくることは決してなかったし、ある意味で差別という環境下で、自分は安全地帯にいたと言えるのかもしれない。だから、若者たちがこれほどまでに働かされ、仕事に絡めとられているという実態が十分に把握できていなかった。それが現実のものとして実感できたのは、プロジェクトチームの一員となって、責任を共有してからだった。
長い間、職場から排除されて、若者との接触が絶たれていた。それは、支配層には都合がよかった。だけど今、やっと若者たちと力をあわせてやれるときが来たんだ。がんばらなくっちゃ。
うん、うん、そうなんです。まったく同感です。団塊世代の私たちは、今こそ20代、30代の若者たちに声をかけ、一緒に行動していくべきなんだと思います。
現場の若者たちの心の闇は深い。だいたい何かを一緒にやって、それを実現させたという経験がないんだから、何をやっても燃えないんだよね。
この状況を変革しないことには、日本はいつまでたっても変わりません。アメリカにならってルールなき資本主義化に狂奔している日本ですが、せめてEU諸国のように節度ある人間尊重の資本主義国でありたいものです。今の大企業(メーカー)の最先端の職場の状況を知りたいみなさんに一読をおすすめします。
フランスで切手を買うのに苦労した話です。私は外国旅行に出かけたとき、ほとんど買い物はしません。なによりスーツケースが重くなるのが厭なのです。その例外は絵葉書です。これも貯まると重たくなりますので、切手を買って日本へ送るようにします。すると、日本に帰ってから、絵葉書を眺めながら、ああ、こういうことがあったな、これを見たねと思い出せる楽しみがあります。パリで切手を買おうとしたときのことです。自動販売機がありました。窓口には行列ができています。この自動販売機は送るものの重量を測らないといくらの切手なのか分からない仕組みです。それでマゴついてしまいました。そして一度に何枚も買えません。同じ操作を繰り返さないといけないのです。ところで、郵便局の出入り口には変なおじさんが待ち構えています。この人、誰なの。不思議に思いました。あとで、要するに物乞いの男性だったことが分かりました。誰か来ると、さっとドアを開けてくれるのです。来た人が、チップを素早く手渡す光景を見て、やっと思い当たったのです。
(2008年7月刊。2000円+税)
2008年9月20日
草すべり
著者:南木 佳士、 発行:文芸春秋
この著者の文章は、ちょっと働きすぎて疲れちゃったな、そんな気分のときにすーっと胸にしみいる気がします。
浅間山、千曲川、佐久平・・・。中年になると、山登りもきつくなります。それでも山に登りたくなるのです。そのときの心の微妙な揺れ動きが、哀愁の響きとともに語られます。
著者とおぼしき医師が登場します。死にゆく患者を看取ると、医師のほうにも疲れが募り、医業のむなしさにぶつかってしまいます。
山歩きは、どこかしら書く作業に似ており、書かれた言葉が次の言葉を呼んで、物語の世界が少しずつ様相を変えながら構築されていくのと同じで、汗にまみれて到達した頂からの眺望が次の目標を無意識の中に植え込み、新たな山域の清浄な大気は、さらに先へと向かう意気の燃料となる。
芥川龍之介の『河童』が紹介されています。はてさて、高校生の頃読んだはずだが、いったいどんな内容だったのだろうか、と思いました。さっぱり思い出しません。『河童』は、芥川が36歳で自殺する5ヶ月前に発表された作品だそうです。今一度読んでみようかな、と思いました。
著者の本をもとにした映画「阿弥陀堂だより」を思い出しました。素晴らしい四季折々の大自然とともに、しみじみと人生を考えさせてくれる傑作でした。
パリやトールーズの街角のあちこちに自転車置き場を見かけました。いかにも貸し自転車という感じで、パーキングメーターにつながれています。若者が近寄って、ひょいと乗って立ち去る姿を何回も見ました。最近のNHKフランス語講座で、これはヴェリブというシステムだと教わりました。先日の新聞記事でも紹介されていました。市民が保証金を支払って登録すると、30分以内ならタダで自転車に乗れ、どこででも返すことができるというのです。しかも、協賛企業に費用を負担してもらっているので、市の負担はないとのことです。パリ市内だけで2万台の自転車が用意されているそうです。自動車を市街地から減らすためのいいアイディアだと思いました。
(2008年7月刊。1500円+税)
2008年9月19日
渥美清の肘突き
著者:福田 陽一郎、 発行:岩波書店
本書は、渥美清やクレージーキャッツをテレビの世界に引き入れ、越路吹雪にテレビ一人芝居をさせ、三谷幸喜が演劇を志すきっかけをつくり、夏目雅子の最初で最後の舞台を演出した鬼才の貴重な自伝だ。
これは、本書の表紙ウラの言葉です。昭和7年(1932年)生まれだそうですから、今は76歳になる著者がテレビ草創期のエピソードなどを含めて、自分の人生を振り返ったものですが、貴重な現代史の証言となっています。
私も前はテレビを見ていましたので、それなりに状況はわかるのですが、舞台を見たことは残念ながらほとんどありません。東京近辺にいたとき、『泰山木の木の下で』という確か劇団民芸の舞台を見たな、という程度です。樫山文枝(「おはなはん」を見て憧れていました)が登場した記憶があります。
渥美清は、昔から舞台と映画を見に行っていた。著者も誘われてよく一緒に行った。舞台の後のお茶や食事の雑談が楽しみだった。渥美清と一緒に行ったときには、隣り合わせに座る。舞台が始まって15分か20分たつと、隣席の渥美清から無言の軽い肘突きが来ることがある。こりゃあもう駄目だから、一幕で帰ろうぜ、の合図なのである。
この合図が、この本のタイトルになっています。渥美清は次のように言ったそうです。
最初の15分でお客を舞台に引っ張り込めなければ駄目だ。よほどのことがなければ、あとは知れてる。
渥美清の言うことには一理ある。最初の15分、20分で観客をひきつけられない、引っ張り込めないなら、盛り返すのは難しい。難しいといわれる芝居でも、説明や解説的なことで20分も費やしていたら、いい台本とも言えないし、いい演技・演出とはとても言えない。「肘突き」で困ることはまずなかった。渥美清の直感は正しいことが多かった。肘突きがあって休憩の合間に抜けた後は、時間もあるからその雑談のほうも何倍も面白かった。身振り手振りを変えて描写するので、腹を抱えて笑った。マドンナ女優を的確につかんでいた。そして若手の俳優をよく知っていた。柄本明の名前も渥美清から聞いて知った。
なーるほど、なるほど、と思いながら昔を懐かしみつつ読み進めました。
フランスの駅で切符を買うのは大変です。自動販売機もありますが、コイン専用で札を受け付けません。ですから、ちょっと遠いところは窓口で買うしかありません。ところが、窓口にはいつも長蛇の列ができていて、20分とか30分とか待たされます。というのも、一人一人が駅員相手に観光案内所のように相談をしている気配なのです。だから時間がかかります。それで、時間のない人は列の先頭に割り込みます。後ろから文句を言う人には、だって時間がないものと言い返す厚かましさが求められます。これって、大変なことですよね。
(2008年5月刊。2400円+税)
2008年9月11日
ケータイ・ネット時代の子育て論
著者:尾木直樹、出版社:新日本出版社
私の法律事務所でも最近、ケータイにホームページを開設しました。今のところ、毎週140人ほどのアクセスがあります。もちろん、まだまだです。名刺や封筒にQRコードを刷りこんで大いに宣伝しているところです。今や若者のほとんどが手にケータイを持っている時代です。そこへアクセスして客を誘引しようという試みです。ちなみに、作成したのは最若手の事務職員です。したがって開設費はタダ。運営費もタダなのです。いやあ、信じられませんね。
ケータイが鳴ると、多くの子は即座に返信する。このレスポンスが15分も遅れると、その子は「友人」のワクからはずされてしまう。メールの送信回数が1日41回以上の生徒は、5回以下の生徒に比べて、男子で1.7倍、女子では1.4倍も、いじめの加害者になっている割合が高い。
小学校や中学校でいじめにあった被害者のうち、高校で加害者側に転換した者は、一貫した加害者に比べ、何と17倍にも達している。
今やメールで知り合い結婚にまで進むカップルも珍しくない時代である。
実際、私の知っている弁護士本人、そして弁護士の妹さんがメールで知りあった相手と結婚して、幸せな家庭生活を営んでいます。いかがわしい「出会い系サイト」ばかりではないのですね。
親が子育てにどう関わるかで、最近、目立った特徴がある。それは、父親が子育てに参加するのがきわめて多くなったということ。授業参観に参加する父親は2割くらいいるし、学習塾の説明会となると6割になることもある。大学でも入学式から就職説明会まで保護者同伴が当たり前となった。
そして、それはモンスターペアレントがダブルモンスターになることもあることにも直結している。つまり、父親が「まあまあまあ」と言う止め役、なだめ役にまわるのではなく、夫婦一緒になって興奮しながら教師や学校に抗議し続ける姿である。
しかし、父親と母親とが同じ立場から子どもの教育に熱を入れ口出しすると、子どもが逃げ場を失いかねない。まずは、離れた目線で、子どもの表情や態度を観察してみる必要がある。そうなんですよね。でも、これって、口で言うのは易しでもあります。
最近、連続して起きた家庭内殺人の家庭には共通の特徴がある。親が地域の名士、高学歴で社会的地位の高い職業に就いている、加害少年少女はまじめで成績優秀、という傾向。その子どもたちは受験などへの親からの圧力にさらされている。
また、これらの少年少女には自尊感情がたくましく育っておらず、自己肯定感がきわめて脆弱である。家庭が心安らぎホッとできる居場所ではなくなり、息詰まる緊張感や抑圧感に満ちていた。
うむむ、かえりみると、わが家は果たしてどうだったのでしょうか。胸に手をあててみて、深く反省せざるをえません。子どもに対して、かくあれかし、というのを強く押しつけ過ぎたように思って、顔から汗が噴き出してしまいました。一言、弁解すると、まあ、それだけ真剣に子育てに向かいあってはいたのですが・・・。ネット、ケータイ時代において子育ては、一段と難しいと思ったことです。
(2008年1月刊。1500円+税)
2008年9月10日
不機嫌な職場
著者:高橋克徳・河合大介ほか、出版社:講談社現代新書
仕事というのは、言われたことをやるだけでなく、言われていないことをやることだ。そう、そうなんです。まさに、このとおりです。言われたことを、渋々、少しばかり手抜きして、能力の出し惜しみをしてするのは本当に仕事をしたことにはなりません。
グーグルでは、採用面接のときには、20人近くが候補者と面接する。そのときに重視するのは、スキルはもちろんのこと、他のグーグルの人と一緒に働けるか(コワークが出来る人かどうか)という点と、その人が自分で動ける人(セル)スターターの人かどうかという点である。
グーグルでは社員の個室をつくらない。日本法人では、社長もオープンな場所に自分の机がある。物理的な壁をつくらないということだ。
別の会社のことです。2年間はたらくと5日間(休んでファイブ)、5年間働くと1ヶ月(休んで1ヶ月)のリフレッシュ休暇が与えられる。いやー、いいですね、これって・・・。頭というか発想を切り換えるには、なんといってもゆとりが必要ですよ。
私も40歳代前半のころ、北九州第一法律事務所にならって、40日間のリフレッシュ休暇をとったことがあります。パリに前後泊したほか、南フランスのエクサンプロヴァンスで4週間近くの外国人向けフランス語夏期集中講座に参加したのでした。日本のことを一切忘れてフランス語の勉強をして、本当に心身のリフレッシュになりました。
築城3年、落城1日。協力につながる信頼関係は、壊すのは簡単だが、構築するのには時間がかかる。一般に、社内の関係性が明らかに変わりはじめるのには3年くらいかかる。そして、継続の力を人に与えるものは、信念である。
自分の仕事で最高の仕事をしたかったら、周辺分野の知見をあわせ持つことが必要だ。 うむむ、なるほど、と私も思います。お互いがタコツボに入り込んでしまうような状況をつくらず、お互いをよく知る。お互いの意図や人となりを知ることのできる状況をつくり出す。そのうえで、根源的な感情、つまり感謝や認知を通じた効力感というインセンティブが働くようにする。
うーん、そういうことなんですね。これって口で言うのは易しくて、実行って大変なことですよね。ギスギス職場にならないよう、自戒他戒したいものだとつくづく思いました。
9月の第一週の日曜日のことです。朝から奇妙なほど静かです。蝉の鳴き声がしないのです。おや、もう蝉の季節は終わってしまったのか、今年はやけに早いな、と思いました。すると、夕方になって早めにお風呂に入っていると、ツクツク法師の鳴き声が遠くに聞こえました。寂しい声でした。
庭に甘い朱色の曼珠沙華が咲いています。秋を感じます。ヒマワリがまだ咲いていますが、隣の芙蓉のピンクの花の引き立て役になってしまいました。酔芙蓉はこれからです。黄色いエンゼルストランペットも咲いています。裁判所には白い花で、ちょうど逆向き、上向きの花があります。名前を聞くと、ダチュラということでした。あれ、エンゼルストランペットの別名もダチュラというんじゃなかったっけ、ふと疑問に思いました。
(2008年1月刊。720円+税)
2008年9月 7日
ケータイの裏側
著者:吉田里織・石川一喜、出版社:コモンズ
今や電車の1車両にいる乗客のうち、ケータイを手に持って操作している人の割合は3分の1に近い。
2008年1月のケータイは1億550万台。固定電話の契約数は6196万台である。
もっとも軽いケータイは80グラムしかない。卵1個半の重さだ。
ケータイは、メールの回数が通話より圧倒的に多い。日本のケータイはメール中心だ。そして、女子のほうが男子よりメールの受発信数が多い。
アンテナを外に引き出す必要がないようにチップ誘導体アンテナを開発したのは村田製作所。
自ら発光する有機ELは背後から照らす必要がないので、薄型化を容易にした。
リチウムイオン電池も軽量化に寄与した立役者のひとつ。マナーモード用のバイブレーション機能も、直径3.5ミリの小型モーターの内側にある田中貴金属の独自の技術によるブラシが不可欠である。
世界のケータイの主流はメールの送受信ができれば十分というGSM方式だが、日本ではその上の第三世代である。日本のケータイは世界市場に占めるシェアは小さいのですが、これからどうなるのでしょうか。世界の人々が日本型の多機能型ケータイを目ざすのかどうか、予断を許しません。私は、けっこう世界に受け入れられると思いますが・・・。
ケータイは宝の山。電池を抜いたケータイには1トンあたり200〜300グラムの金が含まれている。世界の主要金鉱山の平均含有量は1トンあたり5グラム。世界最高品質の金鉱である鹿児島の菱刈鉱山は1トンあたり50グラム。な、なんという含有率の高さでしょうか。
NTTドコモグループは、2006年度にケータイ再資源として、金124キロ、銀が352キロ、銅に至っては2万9025キロも取り出した。
ケータイは複数のレアメタルを必要とするハイテク製品である。ケータイを10年以上つかい続けていると、脳腫瘍になる可能性が増すことが明らかになった。
頭部に発信源を近づけて使い続けるので、強い電磁波が頭を直撃する。
動物実験では、脳の機能が影響を受ける可能性も指摘されている。
いやあ、ケータイ依存症が日本の青少年にはびこっているわけですが、このまま放置しておいていいのか、大いに心配になりました。
ちなみに、私のケータイは発信専用です。一日中、スイッチはオフにしてカバンの中にしまっています。1日に1回か2回、発信につかえばいいほうです。公衆電話がないので、持ち歩いているだけなのです。それでも、最近、ケータイ・ホームページを開設しました。パソコンに長けた事務員が2時間たらずで、あっという間に起ち上げてくれました。しかも、運営・維持費がいりません。毎週、法律相談コーナーを更新しているところです。
(2008年4月刊。1700円+税)
2008年9月 6日
人とロボットの秘密
私も手塚治虫の「鉄腕アトム」は大好きでした。そして、「鉄人28号」や「エイトマン」は小学生時代のころよくテレビでみていました。そんな状況にありますから、私たち日本人にとって、ロボットはかなり身近な存在だと思います。
1970年に1万9000台だったロボットの製造台数は、1980年には10倍。 80年代後半には、世界のロボット設置台数のうち半数が日本製のロボットとなり、最盛期には世界シェアの7割を占めた。21世紀に入り、2001年でも世界のロボット設置台数75万台のうち、半分の38万9000台が日本製である。
人型機械、ヒューマノイドの分野に限ると、欧米と比べて大きくわが日本の研究が進んでいる。ヒューマノイド研究者の数が欧米と桁違いに日本が多い。だから、成果も大きい。ヨーロッパでは、まだ若い研究者でも、人型ロボットの研究は神への冒涜だなんて言う人がいる。
日本人は、知能ロボットの研究・開発分野では欧米とは異なる伝統をうち立て、その成果は日々、新しい人間観を提起している。
ロボット工学は、金属を素材とする「クール」な学問ではない。人間の血肉を「どうやれば、それを自分たちで再現できるか」という究極のレベルまで探求しようとするライブな分野である。
知能ロボット研究では、未知の事態に対応する能力が知能だという定義が広く受け入れられている。そのためには直感が必要だ。
知能とは、人間の主観をはなれて客観的に存在するもの、実体をもつものではない。つまり、知能とは、コミュニケーションという現象の際に観察される主観的な現象である。
人間は人間を理解するために脳を、五感を進化させてきた。だから、人間は人間を理解するための脳を持っているがゆえに、みな究極的に人間とは何かを知りたいという欲望をもっている。
日本人がロボットに親しみを感じる原因の一つに、江戸時代のからくり人形の精巧さに感嘆してきたという事実も指摘されています。JR久留米駅頭には田中久重のからくり人形を模した大きな時計が据えられています。時間になると、その人形が中から飛び出してくるのです。すごいです。文字を書く人形まであったというのですからね。
でも、結局は、ロボットは人間にすべて置き換わることはありえません。なぜなら、人間はそんなに簡単な存在ではないからです。だってそうでしょ。自分で自分のことがよく分からないし、自分の身体ひとつ容易に操作できないじゃないですか・・・。
(2008年7月刊。1400円+税)
2008年9月 4日
ヤクザマネー
著者:NHK取材班、出版社:講談社
読むうちに気が滅入ってくる本です。いやあ、今の日本って、こんなにもヤクザの支配する国だったのか、知らぬが仏とは言いながら、驚くべきヤクザ王国・日本の実情の一端が暴かれています。目をそむけるわけにはいかない現実です。
私の身近なところでもヤクザの抗争で死者が何人も出ていながら、1年以上たってもまだ終息の見通しが立っていません。その本質は公共事業の利権をどちらが支配するかにあると私は見ています。大型公共工事は、その総工事費の3%を暴力団と政治家が分けあうというのが定説です。そのぶんどり合戦で死者が出るまでの抗争になっているのではないか、ということです。
暴力団がディーリングルームをもち、デイトレードで1日3億円を運用している部屋にNHKのカメラが入ったのです。その顛末が本になっています。
暴力団は、その資金源を大きく変化させている。今や、証券市場やITベンチャー企業への投資や融資などを新たな資金源とし、いわば合法的な手段によって、闇の資金を膨張させている。同時に、犯罪とは関係のない資金に見せかけるマネーロンダリングも行っている。証券市場に進出しているのは、一部の資金力ある暴力団だけではない。殺人罪で服役したことのあるヤクザや、繁華街の「みかじめ料」で食いつないできた組員まで株取引に手を出している。
そして、暴力団の資金獲得に手を貸す新たな集団が存在する。共生者という。その正体は、元証券マン、元銀行員そして公認会計士、金融ブローカーなどだ。共生者は、暴力団とは関係ない、シロがグレーになって活動する。この共生者の暗躍によって、暴力団の資金がますます不透明化している。
暴力団が資金を出し、運用はプロのトレーダーにまかせる、というものです。証券市場は、国が用意した賭博場だ。暴力団はインサイダー情報をもってそこに入っていく。まさにイカサマ賭博だ。しかし、それが堂々と通用している・・・。
ヤクザマネー膨張の背景にあるのは、新興市場を推進した、国の規制緩和政策である。上場基準が大幅に緩和されたことによって、新しくベンチャーの上場企業が次々に誕生し、それらの値動きの激しい株を狙って、ヤクザマネーが市場に流入した。
新興市場で上場したものの、資金が枯渇したベンチャー企業が頼ったのも、やはりヤクザマネーだった。市場原理を最優先する国の規制緩和政策が闇の資金の膨張を許している。
日本社会に蔓延している「欲」にまみれた拝金主義が暴力団の存在を許している。
いやあ、そう言われると、なんとも言えませんよね。政府・自民党の規制緩和が暴力団を肥え太らせているわけですが、それを野放しにしてもいいという拝金主義のはびこりが基盤となっているというのです。
暴力団の金貸しは、スピードがある。遅くとも3日以内。常時、億単位の現金が事務所の金庫に用意されている。5億円なら、一晩で用意できる。月30%という暴利。そのうえ、感謝の気持ちとして何%かの上乗せも要求される。
暴力団、芸能人、そして政治家。日本のアンダーグランドの世界にうごめいている。
警察は山口組を壊滅させようとした。しかし、それから40年たって、山口組は滅びたどころか、年々、拡大の一途をたどり、今や8万人をこえる暴力団総数の半分を占めている。45都道府県に及び、ほぼ全国制覇した。
今、日本の暴力団はマフィア化している。昔は、オレはヤクザだと公言していたが、今は表だっては派手に動かない。警察も手がかりがつかめなくなっている。
いやあ、ホントに嫌ですよね。暴力団がはびこる世の中って。今の企業のなかでは、銀行とゼネコンが一番ヤクザマネーと密接だと思ってきましたが、証券会社とベンチャー企業は、その上を行くようですね。
警察はもう一度、暴力団壊滅作戦に本格的に取り組んでほしいと思います。
(2008年6月刊。1500円+税)
2008年9月 3日
超巨大旅客機エアバス380
著者:杉浦一機、出版社:平凡社新書
空港に行くたびに自分の乗る飛行機に乗りこもうとする乗客の多さに驚きます。こんなにたくさんの乗客を乗せて、こんなに大きい飛行機がよくも空を飛べるものだと呆れてしまうほどです。
そんな不信から、私のよく知る弁護士に飛行機に乗らない主義を貫徹している人がいます。でも、そうは言っても、東京に行くのに新幹線とか夜行寝台列車というわけにはいきません。坂本九ちゃんが乗っていた日航ジャンボ機の墜落事故の原因は真相が解明されたとは今も私は信じていませんが、とりあえずJALやANAを信頼して乗っています。でも、格安飛行機にだけは絶対に乗りたくありません。整備を本当に手抜きしていないのか不安でならないからです。
昨今はエコノミークラスの運賃は安売りが激しく、利益幅が薄い。エコノミー客15〜16人を運んで、ようやくビジネス客1人の利益に相当する。そのため、国際線の標準的な収益構造は、エコノミー客で採算をとり、上位クラス客で利益を出す形になっている。したがって、ファーストやビジネスクラス客の集客に懸命になっている。
JALもANAも、収容人数は多いものの燃料消費も多いジャンボ機(3クラス標準で416席)を長距離線からはずし、経済性のよい双発機のB777(3クラス標準で365席)に切り替えている。その結果、定員は1便あたり50人前後も減るが、燃料消費が少なく効率が良いため、利益は2倍にもなる。もちろん、減らされるのはエコノミー席で、利益重視からエコノミー客が切り捨てられつつある。
ビジネスクラスに若い日本人女性が乗っているのをよく見かけます。よほど裕福な家庭なんでしょうね。若いうちはエコノミー席で苦労した方がいいと思うんですが・・・。
地上では通常の機体も高空では膨張し、膨張と就職を繰り返すことによって金属は早く疲労し、クラック(亀裂)の原因となる。
複合材が重量の3割に使用されているエアバス380は、最大旅客数853人で自重は274トン。収容客数は5.92倍に増加しているのに、自重は4.57倍にとどまっている。
チタンは、重さがアルミの1.76倍、鉄の6割ながら、強度はアルミの6倍、鉄の2倍ある。毎年、世界で生産されるチタン9万トンの3分の2は航空機産業で消費される。ジャンボ機のエンジンには、4基合計で4.5トンものチタン(合金をふくむ)が使われている。ちなみに、日本は世界のチタンの3分の1を生産している。
800人以上もの乗客と大量の貨物を載せ、560トンもの重量で離陸する巨大な機体を、わずか2人のパイロットで操縦するのは驚きだ。これには操縦装置の自動化、電子化技術が大いに貢献している。
1927年のリンドバーグの初の大西洋横断飛行のときには、33時間29分のあいだ片時も操縦桿から手を離せなかった。いやあ、まさに超人的なことですよね。
人間が生活するのに快適な湿度は40〜50%だが、現在の機内はなるべく乾燥させている。湿気によって配管に結露したり、機体や部品が錆びることを防ぐためだ。そのため、現在の機内はサハラ砂漠よりも乾燥した6〜8%の湿度になっている。乗客の身体からは、1時間に80cc(11.5時間で1リットル)もの水分が奪われる。
A380では、湿度を12〜15%に高めることになっている。水分不足がもたらすエコノミー症候群の予防には効果がありそうだ。
ちなみに、現行の機種でも、3〜4分ごとに新鮮な空気に入れ替わっている。
A380をJALが採用する目はなく、可能性があるのはANAのみ。JALはボーイングから逃れられないようです。
飛行機によく乗る私からすれば、いろんなサービスがありましたが、何よりのサービスは絶対安全です。どんなことがあっても落っこちないこと、それだけです。これをくれぐれも飛行機会社にはお願いします。安かろう悪かろう、整備は手抜きというのでは困るのです。その面の規制緩和はぜひやめて下さい。
(2008年3月刊。760円+税)
2008年9月 2日
あなたも作家になれる
著者:高橋一清、出版社:KKベストセラーズ
タイトルに強く魅かれて即購入し、いの一番で最優先課題図書として、2回の昼食時に読みふけりました。だって、つい身近な先輩弁護士から、「あんたは、まったく文才がないねえ」と決めつけられてしまったのですよ。なんと失礼な、今にみていろ、ボクだって・・・。すごく反発したものでした。その怒りをバネに、これからもがんばってせっせと書いていきます。
著者は長年、芥川賞と直木賞の選考委員会の受賞を知らせる仕事をしていました。正確には、財団法人日本文学振興会の理事・事務局長でした。1996年7月から2001年1月までのことです。
土日に必死で書く「土日作家」ほど、生活のための正業にはちゃんと向かいあっているものだ。小説創作のために、正業の方は金曜まで何が何でも片付けでおかなければならない。副業で小説を書いているような人こそ、本業もたいへん充実していて、また、小説でも成功している例も多かった。
だいたい1週間くらいで区切りをつけて繰り返すのが健康にかなっているようで、それが長続きさせるコツでもあった。
松本清張は、1日に3時間、絶対に電話にでない時間をつくっていた。その間、読書をしていた。旺盛な執筆をしている作家ほど、読書をしていた。
小学校・中学校の教師が作家になるのはごく少ない。高校の先生からやっと多くなっていく。「日常の授業でつかっている言葉と小説の言葉にあいだに、あまりにも差があるので、小説を書くのが辛い、難しい」と言う。
新聞記事のように情感をこめた表現をしない仕事をずっとしていると、自分の情感をさらすような文芸作品には、なかなか入っていきづらくなる。
小説では、「おおむね天気は良好だった」の「おおむね」を自分なりにどのように描写するのかが勝負となってくる。「おおむね」では非常に通りいっぺんの表現でしかない。
具体的な言葉のもちあわせは作家の読書量と正比例する。私は、「ひよめき」という言葉を知りませんでした。赤ん坊の頭のてっぺんにある、息を吐き吸いするたびに、ひよひよと柔らかく揺れるあたりを指した言葉だそうです。いやあ、世の中、知らない言葉って、ホント多いんですよね。
書いてもどうせ分からないから、と読者をなめ、作家まで貧弱になってしまってはいけない。うーん、そうなんですよね。
もてる男の作品はつまらない。ただそこにいるだけでもてる男に、どうして面白い小説が書けようか。ふむふむ、なるほど、そうだったのか。私の書いたものがつまらないのは、もてる男だからなのか、とつい一人納得したことでした(ハハハ、しゅん)。
作家にとって、世の中無駄なものは何ひとつない。小説は35歳からの仕事だ。
エンタテイメント小説は、私の知らないことが書いてあると読者を喜ばせるのが仕事だ。芥川賞や純文学は、今日を生きている者の愛と苦悩を書き、まるで私のことが書いてあるみたいと読者を共感させ喜ばせてほしいジャンルだ。
小説は感性に訴えて、読者を喜ばせ泣かせるものだ。
多くの作家がペンネームを用いているのは、親がつけた名前とは違う名前を名乗ることによって、自分ではない何ものかになり、存分に筆をふるうためなのだ。いやあ、これは本当にそうなんです。私もこのブログをペンネームで書いていますが、実名では書きにくいことも気軽に書けるからです。また、現実の私を知る人でも、一瞬、抵抗なく読めるだろうという気配りでもあります。
いろんな賞を選考する側の内情が紹介されています。たくさんの原稿をひたすら読み続けるのも大変だろうなと、つい同情してしまいました。どんな本でも出だしが大切だし、決して出し惜しみしてはいけないというのも肝に銘じました。
明日死ぬかもしれないのに、これを書いたら自分は終わりだ。私のすべてだ。書き終わったら死んでもいい。明日がなくてもいい。それくらいの気持ちで取り組んでほしい。そのときに発生したものは、そのときに書いておかないと、次も出てこない。全部つかい切って器がカラになる。すると、また新しいものが器にたまる。そんなものだ。
いえ、私も実際、いま書いているものについてはそんな思いに何度もかられました。これを書き終わってしまったら、自分はあと何もすることがないんじゃないかなって、・・・。でも、今は、そうは思っていません。書いたものを手直しして、もう一度、書き直し、今度は文庫本として世の中に送り出すことを夢見ています。もう少しストーリーを完全にしたいと思うのです。そんな夢をもっています。
小説は書きこみ過ぎるより、少ないほうがいい。小説の読者は、想像する喜びを楽しんでいるのだ。
一生懸命に生きていると、いろいろなことが見えてくる。要は、あなた自身がいかに日々を見つめているかだ。つまり、毎日を一生懸命に生きているかなのだ。
自分のなかのもう一人の自分に気づいたとき、書ける材料が小説に生まれ変わる。
もう一人の自分とは、かくありたい、こういう自分であってみたいという、今の自分をどこかで否定するような他者だ。今の自分はいつわりではないか、どこか違っているんじゃないか、そう感じてしまうところがあるのが作家だろう。
できれば見ないほうがよかったもの、鈍感にやり過ごせばよかったもの、感じないほうがよかったもの、そういうものが日常の中には無数にある。それから逃げないことが、まず書きはじめるための条件だ。作家が小説や随想を書けるのは、絶えず関心をもって周囲の景色や出来事を見ているからだ。そういう心がけで暮らしていると、毎日が濃密で充実したものとなる。文章を書くことを覚えると、そういう生活ができる。
うむむ、ますます私もモノカキから作家に昇格したいと思いました。
自分が、私こそが全知全能の神だと信じて書くこと。世界でいちばん上手な小説書きは自分だ。このうぬぼれを支えにして書きすすめ、最後まで書き切ること。
そうなんです。あんたはまるで文才がないなんて、とんでもない誹謗中傷です。そんなことを言う人間を気にすることなく、あとで見返してやればいいのです。
いやはや、作家になるのがいかに大変な仕事なのか、つくづく分かりました。それでも私はモノカキ転じて作家になるのを目ざします。だって夢のない人生って、つまらないでしょ。
(2008年6月刊。1429円+税)