弁護士会の読書
※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。
社会
2023年8月21日
こっぽら~と
(霧山昴)
著者 ふるいけ博文 、 自費出版
大牟田で小学校の教員を定年退職したあと著者は専業写真家として活躍しています。とはいっても、被写体は国内だけではありません。アラスカのオーロラを撮りに出かけ、中国(桂林)の山水画風景、そしてインドネシア(バリ島)の棚田など、海外にも足をのばす行動派の写真家でもあります。
この写真集(写真物語)は10年ぶりのものです。前は還暦のとき、今度は当然ながら古稀です。そして、今回はなんと写真のキャプション(解説文)は英語つきです。それだけ国際派なのです。
解説によると、カメラ月刊誌が3つとも休刊(廃刊)になったとのこと。これってコロナ禍の影響だけではないのでしょうね...。
タイトルの「こっぽら~と」は、大牟田弁で「一人で、のんびりと...」という意味のコトバ。たとえば、商店街のベンチにこっぽらーと座って、一日中、通行人を眺めて過ごす。そんな感じのコトバです。
大牟田の写真家ですから、当然、三池炭鉱の遺産を紹介した写真も少なくありません。雪化粧した宮原鉱の建物があります。炭鉱社宅もいくつか残すべきでしたよね...。
大牟田に限らず、柳川など各地のお祭りにも著者は積極的に出かけています。大牟田では、夏まつりのときの、火を吹く「大蛇山祭り」が勇壮です。子どもを「大蛇」の口に差し出して「かませ」ると、泣かない子はいません。
鳥取砂丘に出かけて、若者がジャンプしている様子を撮った写真には生命の躍動感があります。お祭りの場面が多いですね。朝早くから、また泊まりがけで大きなカメラをかかえて出かけたのでしょうね。それでも、フィルム・カメラのときのように、ネガの管理が不要になって、助かったことでしょう。バッテリー切れを心配するだけだし、出来あがったものは、すぐに見れるし、便利な世の中になりました。
でも、写真こそ、「一期一会」(いちごいちえ)です。この縁の結びつきは、下手すると「一生もの」なんですよね...。
大判270頁の写真集です。チョッピリ高価な写真集ですから、学生の皆さんは親におねだりして買ってもらうのも一つの手だと思いますし、年輩の人にとっては図書館に購入するよう要請したらいいと思います。高価だからといって、簡単にあきらめたらいけません。ともかくぜひ、あなたも手にとってご一読、ご一見ください。
(2022年12月刊。4400円)
お盆休みは、連日のように夕方5時ごろから庭の草取りをしました。庭には昔からヘビが棲みついていますので、突然の出会いを避けるためでもあります。すっかり見通しが良くなりました。いったいヘビ君は何を食べて生きているのかな、まさかモグラじゃあるまいよね...、なんて心配していました。
翌日、家人が黒いヒモを庭で見つけて、「アレッ、何かしら...」と思っていたら、なんと動き出しました。ヘビだったのです。すっかり見通しがよくなってしまって、ヘビ君は困惑していたのかもしれません。
広くもない庭でヘビと共存するというのは容易なことでないことを実感させられました。
2023年8月20日
野の果て
(霧山昴)
著者 志村 ふくみ 、 出版 岩波書店
染織家として著名な著者は随筆家でもあったのですね。知りませんでした。白寿(99歳)を記念して、自選の随筆53本が集められていますが、どれも読みごたえがあります。
老とは、時間に目覚めることではないだろうか。ある日、ほとほとと扉を叩いて白い訪問者が訪れる。そのとき、私たちは扉を開き、快くその訪問者を招じ入れなければならない。誰も、その訪問者を拒むことはできない。老とは、そんなものである。
藍(あい)こそ植物染料の中でもっとも複雑微妙な、神秘の世界と言ってもいいもの。この染料は、他の植物染料と根本的に異なる。藍は藍師が蒅(すくも)という状態にしたものを私たちが求めて醗酵建てという古来の方法で建てる。昔から、藍は、建てること、甕(かめ)を守ること、染めることの三つを全うして初めて芸と言えるといわれているもの。
藍の生命は涼しさにある。健康に老いて、なお矍鑠(かくしゃく)とした品格を失わない老境の色が「かめのぞき」だ。蘇芳(すおう)の赤、紅花の紅、茜(あかね)の朱、この三つの色は、それぞれ女というものを微妙に表現している。蘇芳は、女の人の色。
紅花の紅は、少女のもの。茜は、しっかり大地に根をはった女の色。紫は、すべての色の上位にたつ色。紫は、自分から寄り添ってくる色ではなく、常に人が追い求めてゆく色。
四十八茶百鼠と言われるほど、日本人は百に近い鼠を見分ける大変な眼力をもっている。
工芸の仕事は、ひたすら「運・根・鈍」につきる。「運」は、自分にはこれしか道がない、自分はこれしか出来ないと思い込むようなもの、「根」は、粘り強く、一つのことを繰り返しやること。「鈍」は、物を通しての表現しかないということ、そこに安らぎもある。
植物であれば緑は一番染まりやすそうなものだが、不思議なことに単独の緑の染料はない。黄色と藍を掛けあわせなければ出来ない。闇にもっとも近い青と、光にもっとも近い黄色が混合したとき、緑という第三の色が生まれる。
工芸は、やはり材質が決定的要素、心に適(かな)う材質を選ぶのが第一。植物染料は化学繊維には染まらない。
植物から抽出した液に真っ白な糸を浮かせ、次第に染め上がってくる、まさに色が生まれる瞬間に立ち会うことのうれしさは、何にたとえられよう。思わず染場は別天地になって、まるで自分たちが染め上がっていくような喜びが全身に伝わる。
「源氏物語」は、色彩を骨子とする文学である。
蘇芳そのものの原液は、赤味のある黄色である。この液の中に明礬(みょうばん)などで媒染(ばいせん)した糸をつけると、鮮烈な赤が染まる。植物染料のなかで、もっとも難しい染めは、紫と藍だ。紫は椿圧の媒染にかぎる。
機に向かうときの喜びと緊張と期待。
「ちょう、はたり、はたり、ちょうちょう」
「とん、からり」
「とん、からり」
著者は、染めにおいて、決して色と色を混ぜない。色の重ね合わせによって、美しい織色の世界を表現する。著者の織物のカラー写真は、それこそ輝ける光沢と深みというか静けさを感じさせます。ぞくぞくする美しさです。
(2023年5月刊。3300円)
2023年8月19日
秋山善吉工務店
(霧山昴)
著者 中山 七里 、 出版 光文社文庫
作者には大変申し訳のないことですが、本棚の奥に眠っていたのを引っぱり出してきて、スキ間の時間つぶしにはなるだろうと思って読みはじめたのでした。すると、意外や意外、面白い展開で、母と子ども2人の3人家族の行く末が気になって目を離せません。それに、昔気質の頑固親父といった祖父が登場して、話はどんどん展開し、いやいったい、これはどうなるのか、頁をめくるのがもどかしくなっていきました。
父親は2階の居室にいて火災で焼け死んだため、妻子は父の実家にしばらく居候生活を始める。すると、小学生の二男は学校で火災を口実としてイジメにあい、長男のほうは悪に誘われ金もうけに走っていく。母親は職探しに奔走し、ようやく定職に就いたと思ったら、そこでも大変な目にあって...。そこに火災の原因究明に必死の警察官(刑事)まで登場してきます。父親の死が不審死だと思われているのです。
「この爺っちゃん、只者(ただもの)じゃない!」
これが文庫本のオビのキャッチコピーです。まさしく、そのとおりの役割。
「家族愛と人情味あふれるミステリー」というのは間違いありません。著者がこの本を書く前に担当編集者の3人から受けたリクエストは...。
・アットホームな家族もので
・スリリングで
・キャラでスピンオフが作れるような
・社会問題を提起し
・もちろんミステリーで
・読後感が爽やかで
・どんでん返しは必須
この本は、これらのリクエスト全部に見事にこたえています。さすがはプロの小説家です。モノカキを自称する私ですが、とてもとても、こんなリクエストにはこたえられません。やっぱり弁護士しか、やれそうもありません。
トホホ、「でもしか」弁護士なんですかね...。
(2019年8月刊。700円+税)
2023年8月18日
渋谷の街を自転車に乗って
(霧山昴)
著者 苫 孝二 、 出版 光陽出版社
北海道に生まれ育ち、東京に出てきて、渋谷で区議会議員(共産党)として35年間つとめた体験が素晴らしい短編小説としてまとめられています。
台風襲来で事務所が半休になったので、仕事を早々に切り上げて読みはじめ、途中から焼酎のお湯割り片手にして、一気に読み終えました。心地よい読後感です。でも、書かれている情景・状況は、どれもこれもなかなか大変かつ深刻なものがほとんどです。
孤独死。死後、3日たって発見した遺体はゴミの山に埋まるように倒れていた。遺体の周辺には、紙パックの水と無数の使い捨てカイロがあった。部屋には暖房器具がなく、これで暖をとっていたのだろう。電気代を惜しんだのだ。室内は、どこもかしこもゴミの山。敷き詰められ、地層のようになっているゴミの山を軍手をはめて取り崩していく。デパートの紙袋は要注意だ。領収書と一緒に1万円札や千円札、そして百円玉や五十円玉などの小銭が出てくる。高齢者祝金の袋が1万円札の入ったまま見つかる。ずいぶん前から、一人暮らしになり、掃除、洗濯、炊事という人間楽し生活する気力を喪ってゴミとともに生きてきたのだ。
人間嫌いで、近所づきあいなんてしたくないと高言し、ひっそりと生きてきた女性だった。
アルコール依存症の人は多い。30代で依存症になり、朝から酒を飲み、一日を無為に過ごす、そして、そのことで自分を追いつめ、ますます酒に溺(おぼ)れてしまう40代後半の男がいる。若いころは大工として働いてきたが、失職したのを機に酒浸りになって、そこから脱け出そうとするが、酒を断つと食欲がなくなり、拒食症になって瘦(や)せ細り、それでまた酒に出してしまい、そんな自分が情けないと嘆いている60代の男性がいる。
アルコール依存症の人がアパートの家賃を滞納。当然、大家から追い出されそうになる。そんな人に生活保護の受給をすすめる。知り合いの不動産業者にアパートを紹介してもらう。そして、仕事も世話をする。区議会議員って、本当に大変な仕事だ。だけど、依存症は簡単には治らない。仕事をサボって、迷惑をかけてしまう。
職を転々としたあげく、なんとかスナックを開店し、意気揚々としている男性が突然、自死(自殺)したという。なんで...。
弟が、小さな声で「真相」を教えてくれる。
「兄貴は、二面性のある男なんだ。真面目で一本気なところがあって、ズルイことをする奴は許さないという面がある一方、お金のためなら密漁したり、農作物を盗むのも平気な男なんだ。だから、アワビの密漁をやっていた主犯だとバレそうになったからかも...」
ところが、弟は、次のように言い足した。
「兄貴が遺書も残さず自殺するなんて、考えられない。何か遊び半分で、いま死んだら少し楽になるんじゃないかと、首に太い縄をかけてみた、鴨居の前に立って首を吊るしてみた、そしたら急に首が締まってきて、息ができなくなってしまった。こんなはずじゃない、これは間違いだ、そう思ってもがいているうちに絶命してしまった...」
いやあ、「自殺した人」の心理って、そうかもしれないと私も思いました。お芝居の主人公になった気分で、もう一回、生き返ることができるつもり、自分が死んだら周囲の人間はどんな反応をするのか、「上」から高みの見物で眺めてみようと思って、本気で死ぬ気はないのに首に縄をかけてみた、そんな人が、実は少なくないのではないでしょうか...。自死する人の心理は、本当にさまざまだと思いました。
この14の短編小説には、著者が区議として関わった人々それぞれの人生がぎゅぎゅっと濃縮されている、そう受けとめました。まさしく、人間の尊さと愛しさ、かけがえのない人生が描かれています。東京のど真ん中の渋谷区で、こうして生きている区議会議員であり、作家がいることを知り、うれしくなりました。私も、18歳から20歳のころ、渋谷駅周辺の街をうろついていましたので、その意味でも懐かしい本でした。
著者は、私より少し年齢(とし)下の団塊世代です。ひき続きの健筆を期待します。
(2022年7月刊。1500円+税)
2023年8月17日
編集者の読書論
(霧山昴)
著者 駒井 稔 、 出版 光文社新書
私もそれなりに幅広く本を読んでいるつもりなのですが、こんな本を読むと、さすがに世の中には上には上がいるもので、とてもかなわないと思ってしまいます。
私も近く出版社からノンフィクションみたいな本を刊行しようとしているのですが、担当してもらっている編集者とのやり取りは、とても知的刺激を受けます。本はタイトルが決め手になりますので、そのタイトルの決め方、そして、オビにつけるキャッチコピーとして、何を、どこまで書くかについて、その着想のすごさには頭が下がります。そこが純然たる自費出版との決定的な違いです。
編集者からすると、出版を成功させる条件は二つだけ。一つは、とても面白いこと、もう一つはとても安いこと。私の近刊は、自分では「とても面白い」と思っているのですが、客観的には、どうでしょうか...。そして、安い点について言えば、定価1500円なので学生でも買おうと思えば買える値段に設定しました。果たして、売れますやら...。
編集者には、作家の書いた文章に手を入れる人と、そうでない人とがいるようです。私は弁護士会の発行する冊子の編集を何度も担当していますが、遠慮なく手を入れるようにしています。だって、漢字ばっかり、見出しもなく、文章のメリハリがない文章をみたら、赤ペンで修正(書き込み)したくなります。抑えることができません。
本を読むとは、自分の頭ではなく、他人の頭で考えること。たえず本を読んでいると、他人の考えが、どんどん流れ込んでくる。なので、本はたくさん読めばいいということではありません。
まあ、そうはいっても、たくさん本を読むと、それはそれで、結構いいこともあるんですよ。心の琴線にビンビン響いてくる本に出会ったときのうれしさはたとえようもありません。
神保町は世界でも有数の古書街。私も、弁護士会館での会議の後に古書街をぶらつくことがあります。上京の楽しみの一つです。
世界の読むべき本の紹介のところでは、ロシアのトルストイは読んだことがある、フランスのプルーストには歯が立たなかった(『失われた時を求めて』)。
ドイツでは、やはりナチスとの戦いの本ですよね。ドイツ人が知らず識らずにヒトラー・ナチスが降参するまで戦っていたことを全否定するわけでもないということには、いささかショックを受けました。
そして、図書館の大切な役割が語られています。最近は、コーヒーチェーン店のカウンターで原稿を書くことの方が多く、図書館には滅多に入りません。残念でなりません。
自伝文学もあります。私も父母の生い立ちから死に至るまでを新書版で、まとめてみました。そのとき、意外な発見がいくつもありました。
それにしても、著者のおススメの本で私が読んでいないのが、こんなにも多いのかと、ちょっと恥ずかしいくらいでした。でも、まだまだ死ねないということですよね。楽しみながらこれからもたくさんの本を読んでいくつもりです。ちなみに、1年の半分が終わろうとしている今、240冊の単行本を読みました。これは例年並みです。
(2023年3月刊。940円+税)
2023年8月12日
日本人の心を旅する
(霧山昴)
著者 ジュヌヴィエーヴ 、 出版 エルヌフ書肆侃侃房
あるフランス女性の眺めた日本と日本人、というのがサブタイトルです。「日本と日本人は、すばらしい芸術品である」
こんなふうに言われると、日本って、そんな評価もできるのかなあ、と半信半疑になってしまいます。
信長は、明智光秀に裏切られたあげく戦に敗れ、切腹を余儀なくされたと書かれているのを読むと、なんだか違うみたいなんだけれど...と、つい思ってしまいました。
でも、フランス人女性からみると、日本人もいいところがあるようなんです。そこは、素直に受けとめようと思いました。
日本語には自然をあらわす擬声語が数多くある。シンシンと夜が更ける。シトシトと雨が降る。メラメラと火が燃える。ビュービューと風が吹く。ポカポカと陽が暖かい。スクスクと本が育つ。ショボショボと降る雨にビチャビチャに濡れ、ボチャボチャの道をトボトボと歩く。
アインシュタインは2人の息子に宛てて、日本滞在の終わりに手紙を書いた。
「日本人がとても気に入った。静かで、慎み深く、頭が良く、芸術に眼があり、そして思いやりがあり、何事をやるにも体裁のためでなく、むしろあらゆることを本質のためにやる」
これが日本人へのお世辞ではないというのは、なるほど画期的です。
日本茶も高く評価されています。日本独特の抹茶をつくるには、新芽をつみとる20日ほど前に、ワラやアシや布でつくった覆りの下に入れて太陽光から保護し、苦さの基になるカテキンの割合を減らし、テアニンの割合を増やす。
私の法律事務所では、エアコンのきいた室内で、熱々のお茶を出しています。いかにも美味しそうな深緑ですし、一口飲むと、お客さんの顔が変わります。皆さん、笑顔になって、このお茶は美味しいですねと言ってくれます。お茶を手にとらない人、飲んでも黙っている人は、それほど抱えている心の闇、悩みが深いということなんです...。
長くフランスに住んでいる内田謙二氏による翻案という本です。私のフランス語勉強仲間の井本元義氏より贈与していただきました。ありがとうございます。
(2023年7月刊。1600円+税)
2023年8月 5日
日本の自然をいただきます
(霧山昴)
著者 ウィンフレッド・バード 、 出版 亜紀書房
アメリカ人の新聞記者、翻訳者そしてライターである著者が日本の地方都市で暮らしながら日本全国の食を求めて歩いた見聞記です。
阿蘇では野菜の天ぷら、タンポポの花、カキドオシ、クレソン、ヨモギ、オオバコ、ユキノシタ。揚げたての天ぷらに、淡い緑色の塩を振りかける。この塩は、ハコベのエキスと塩を煮詰めてつくったもの。飲み物は、松葉サイダー。タンポポ、松葉、ドクダミを自家発酵させてつくったもの。
長野でも野菜の天ぷら。氷温の水と花ころもの天ぷら粉を軽く混ぜ合わせる。野菜は水洗いしなくてもよいが、必要なら、さっと洗う。水気は完全に切らなくてよい。揚げ油は、天かすがゆっくり浮いてくるくらい十分に熱する。まずはギョウジャニンニクの葉を入れ、油に香りづけをする。野菜の天ぷらは衣が薄く、十分に揚がったら、つまみ上げて、よく油を切る。そして、何より大切なのは、熱々の状態で食べること。
滋賀県高島市朽木(くつき)では、トチ餅(もち)を食べる。トチノミは日本の「原初の食物」だ。飢饉に備える大切な保存食だった。村では、女子が嫁ぐとき、家のトチノキを譲られた。村にある一本のトチノキの実を摘みとる権利を譲される。栃餅ぜんざいは、トチノミの苦みがあるため、小豆が甘すぎず、まろやかに味わえる。
日本では、4000年も前から、到るところでトチノミが食べられていた。ところが、飢饉がなくなってしまうと、戦後の近代化が急ピッチで進むなかで、ついに不要な食材になってしまった。トチノミを食べられるようにするには2週間かかる。苦みを生み出すサポニンとタンニンを抜くのには、それくらいかかるのだ。
岩手では、わらび餅。ワラビの祖先のシダ類は、草食恐竜の主要な餌(エサ)の一つ。恐竜は絶滅したけれど、ワラビはしぶとく生き残った。ワラビの根茎からとれる繊維は、江戸城の生け垣を結ぶ。
飢饉の多かった江戸では、「かてもの」は代用食品となった。
日本の食文化の源流を探る楽しい旅でもありました。
(2023年3月刊。2200円)
2023年8月 2日
土の声を
(霧山昴)
著者 信濃毎日新聞編集局 、 出版 岩波書店
リニア新幹線って、税金の莫大なムダづかいの典型です。そんなお金は教育分野にまわすべきですよ。大学の学費を公立も私立も無償にする。学生食堂で学生はタダでランチが食べられるようにする。すでにヨーロッパで実現していることです。日本でもやれないはずがありません。日本政府、自民・公明の両党の税金のつかい方は間違っています。
国はリニア新幹線をすすめるJR東海に3兆円を融資している。つまり、リニア新幹線はJRの事業というより国策事業なのです。だから、私たちも文句を言えるし、言うべきです。
東京・品川と名古屋を結ぶリニア新幹線の総工事費は7兆400億円。
長野県内のトンネルや橋、駅などの工事の大半は県外の大手ゼネコンの共同企業体(JV)が受注し、県内の企業は2社だけが、その下請に入ったのみ。
東京・品川と名古屋間の86%がトンネル区間。掘削工事によって出た残土には、自然由来のヒ素やホウ素などを基準値以上に含む、汚染対策が必要な「要対策土」が含まれている。これは、どこにでも捨てていいというものではない。
トンネル掘削作業に従事する作業員の月収は100~150万円。長野県内だけで330人あまりの作業員が掘削に従事している。
そして、トンネル工事現場で労災事故が相次いで発生し、作業員1人が死亡し、7人が重軽傷を負った(2022年6月現在)。JR東海は、労災事故は原則として公開していない。それどころか、作業員宿舎の出入口には、こんな大看板が立っている。
「秘密情報に関して、人に話さない、写真を渡さない、資料を持ち帰らない」
いったい、この「秘密情報」とは何をさしているのか...。いやはや、JR東海とは、どんなブラック企業なのでしょうか...。
いま、九州新幹線にはプラットホームに駅員がいません。まさかの事故に対応することはできません。そして、JR九州では駅員の常駐しない無人駅がどんどん増えています。災害にあった辺地の路線は廃止するばかり...。そして、在来の特急列車を極端に減らしました。いまJR九州が金もうけのためすすめているのは、在東線を減らす一方で、ホテル事業への投資拡大です。公共交通機関という使命はとっくに忘れ去られています。JR東海も同じ穴のムジナです。
それもこれも、かの国鉄分割・民営化のなれの果てです。「国鉄の分割・民営化」を強引にすすめ、国労を徹底的に弾圧したあげくが、利用者不在の「ゼネコンのためのJR」になってしまったというわけです。ひどい話です。
リニアの工事をめぐる各地の説明会は非公開ばかり。本当にひどいものです。よほどリニアには隠さなければいけないものばかりのようです。今からでも遅くありません。リニア新幹線工事は直ちにストップすべきです。ゼネコンと一部の政治家だけがもうかる工事なんて許せません。
(2023年4月刊。2400円+税)
2023年7月28日
私たちは黙らない!
(霧山昴)
著者 平和を求め軍拡を許さない女たちの会 、 出版 日本機関紙出版センター
異様な雰囲気の日本です。諸物価が高騰し、電気代も値上げされてエアコンをつけずにガマンしていて室内にいるのに熱中症に倒れる高齢者が続出しています。若者は非正規労働のため低賃金だし、安定性にも欠けているため結婚できない。少子化になるのも当然の状況。ところが、福岡にはタワーマンションが次々に建っています。最低1億円、最高4億円なのに、完成前に完売...。いやはや、貧富の差がこんなにもあからさまに拡大しています。
ところが、日本人は若者もふくめて、あくまでもおとなしい。かのアメリカだってハリウッドで俳優組合がストライキに立ち上がっているのに...。フランスは街頭で暴動まで起きていますよね。日本では投票率は5割以下、若者に至ってはデモや暴動どころか、せいぜい3割しか投票所に足を運ばない。自民党の大物政治家は、昔から投票所に足を運ぶなんてムダなことはしなくていい、自分たちにまかせとけ...と高言していて、日本の若者たちは、まさにそれを真に受けている(としか思えない)。スーパーへ夕方になって出かけて半額割引になった総菜を買い込む。トイレは3回ごとにまとめて流す。お風呂も毎日は入らないで、なるべくシャワーですます。こんな日本は、もはや「豊かな国」ではない。
貧困にあえぐ国民がいるのに、不要不急かつ、本当に必要なの...と疑問に思えるトマホークを400発もアメリカから買い付けようとしているニッポン。在庫一掃セールとまで言われているアメリカからの武器の爆買いが、ますますひどくなっています。
「核には核で」という、マッチョな思想むき出しの日本。
隣国にケンカを売ってばかりいるニッポン。
この10年間、賃金が上がらず、むしろ停滞しているのは、先進諸国のなかで日本だけ。
ところが、取締役報酬として1億円以上もらっている人たちは、ぐんぐん増えている。これって、あまりに不公平ですよね。本当は、日本の未来は、「人材育成、教育投資」にしか道はない(もっとも、人間を人材とみるのはおかしいという根本的な疑問もありますが...)。
大学の学資を無料にし、学生食堂のランチ(定食)は学生だったら無料で食べられるようにしたら、どんなに学生たちは生き生きと学べるでしょうか...。学生アルバイトが外食産業を支えているなんて、間違ってます。
外国人の技能労働者の多くが日本人よりもはるかに劣悪な悪条件のもとで働かされている。ところが、彼ら彼女らを雇っている日本人が大いに搾取して肥え太っているかというと、必ずしもそうではないのです。となると、産業構造自体の抜本的な見直しも求められているということです。
自民党の「国防」族のいう「国防」のなかに「民」は入っておらず、「国」のみ。それは軍需産業の育成・補助のためなら惜し気もなく税金をつぎ込めということ。
日本の食糧輸入相手国の第2位は中国。日本にとって中国は輸入総額の4分の1を占める国。そんな中国と日本が戦争するなんて、少しでもまともな頭の持ち主なら、まったく考えられないこと。
日本を本当に活性化しようと思うのなら、「身を切る改革」なんてインチキに踊らされず、子どもたちが学校で自由に伸びのび学べるように、少人数学習を実現し、それを具体化するために教職員を大幅に増やすことです。いま、全国で小中学校の統廃合がすすんでいます。でも、学校運営の論理として、効率化というのはまったくふさわしいものではなく、かえって有害そのものなんです。 「戦争は教室から始まる」というコトバがあるそうです。初めて聞きましたが、さもありなん、と思います。だから、「固定教科書」にするための検定は止められないのですね。
175頁のブックレットですが、ずっしり重たい内容でした。
大阪の石田法子弁護士が最後に、「まだ、みんなでなら、戦争なんか追い出せます」と呼びかけています。そのとおりです。戦争したがっている連中は決して一枚岩ではありません。橋下や吉村のようにウソっぱちだし、強がりを言っているだけなのです。元気を出して、もうひとがんばりしましょう。
(2023年5月刊。1300円+税)
2023年7月26日
パロマ
(霧山昴)
著者 園尾 隆司 、 出版 金融財政事情研究会
ガス瞬間湯沸器というと、その不良による一酸化炭素中毒事故によって、まだ30代の東京の弁護士一家全員が死亡したことを思い出しました。
1985(昭和60)年から2001(平成13)年までの17年間に、17件の事故があり、15人が死亡した。パロマの調査によると、事故の多くはガスの不完全燃焼を避けるための不完全燃焼防止装置を取りはずした結果に生じたもので、これは製品の設置、使用要領に反していた。それでは使用した消費者に問題があって、パロマには責任がないかというと...。
経産省は、消費者が容易に改造できないような構造にすべきで、違法改造したときの危険性を消費者に周知すべきだと指摘した。なーるほど、ですね。
いま、パロマ本社には社員研鑽(けんさん)用展示室があり、そこには「失敗からの学び」と大書されている。そして、事故のあった機器と同機種の瞬間湯沸器が展示されていて、何がどのように「改造」されたのか、その問題が容易に理解できるようになっているとのこと。
「人は誰もが失敗する。失敗から目を背けてはいけない。失敗の原因を正しく認識し、悔い改める人には必ず未来が開ける。私たちは多くの失敗をしてきた。それでも多くの人々に助けられ支えられてきた。過去の失敗を二度と繰り返すことなく、これからも新たな挑戦を続けていく私たちは、それでもまた失敗することもあるだろう。失敗からの学びこそが成功への架け橋なのだ」
偉いですね。過去の失敗を堂々と社内に展示し、それを繰り返さないことを社員に呼びかけているなんて、すばらしいことだと思います。
「ケガと弁当は自分もち」。労災事故が起きても、それは社員の不注意であって、会社には何の責任もないといって労災申請に協力せず、責任もとろうとしない事件をいま抱えています。社員も消費者も大切にする会社であってほしいとつくづく私は願います。
パロマは、全国8ヶ所に工場をもっていて、自社内で製品の製造を完結している。そして、一つの工場は300人ほどにとどめる。それは、社長(工場長)が自らの指揮で動かせる限度が300人ほどだという考えにもとづいている。これまた、なーるほど、そういう考えもあるのですね。
パロマ創業家の後継者育成のポリシーは、「教え込むのではなく、体得させること」。当代の社長は4年間、アメリカの子会社で仕事したが、次の社長予定者も同じくアメリカで修業したとのこと。自分で経験して、道を切り拓いていくことが大切だということです。
日本が敗戦した8.15のとき、軍需産業だったパロマ(当時の名称は小林製作所)の社長は、銀行からできる限りの預金を引き出して現金化するよう社員に指示し、敗戦の混乱の中、1000人もの従業員に相応の退職金を現金で支払って離職させ、残った150人ほどの社員で再出発とのこと。これはすごいことです。先見の明がありますよね。戦争が終わったら軍需産業でやっていけるはずはありませんからね...。
この本はパロマ創業家のルーツを乏しい資料をもとに丹念に迫って明らかにしています。パロマ創業家(現在の社長は小林弘明氏)は常松家を祖とする。この常松家は二階堂氏から分家して一家を立てた保土原家から、さらに分家して一家をなしたもの。二階堂家は源頼朝に仕える藤原南家を出身とする文官。いやはや、こうなると、平安・鎌倉の日本史の世界です。
著者は大学時代、私と同じようにセツルメント活動もしていたことがあり、ともに司法試験に合格したあと、私は一貫してマチ弁として弁護士をしていますが、著者のほうは定年まで裁判官をつとめ、今は東京で弁護士をしています。
ひょんなことからパロマの社長を知り、その危機克服の経営哲学に共鳴し、こんな立派な本(170頁もあるハードカバー)をつくり上げました。たいしたものです。いつも贈呈ありがとうございます。
(2023年5月刊。価格不詳)