弁護士会の読書
※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。
社会
2025年3月22日
算数を教えてください!
(霧山昴)
著者 西成 活裕 、 出版 かんき出版
フルタイトルは「東大の先生!文系の私に超わかりやすく算数を教えてください」です。
私の場合、大学入試は文系一択でしたが、高校3年まで理系クラスにいて、「数Ⅲ」まで履修しました。微分・積分も理解でき、不得意科目ということではありませんでしたが、図形問題は苦手でした。そこは直観がモノを言う世界で、私には直観が欠けていたのです。つまり、図形を眺めて、ひらめくところがありませんでした。こればかりは練習問題や過去をいくら積み上げても身につかないと決断し、高校2年の終わりの春休みに文系志望を固めたのです。今考えても正解だったと思います。論理的思考力とちょっとした文章力(たとえば「30字以内に大意を要約せよ」といった設問を得意としていました)で生きていくことにしたのです。これは今に生きています。
さてさて、この本です。「実は、算数は奥が深い」と表紙に書かれています。まったくそのとおりです。小学校の算数を身につけ、中学校の数学が理解できたら、世の中に理解できないものはない。私は、そう考えています。
なので、今回は小学生を対象とする算数の本に挑戦してみました。少し前には中学数学にも挑戦しました。高橋一雄の『語りかける中学数学』(ベレ出版)です。800頁をこす大部の本なのですが、私は中学数学を真面目に学ぼうと思って、最後まで読み通しました。6年前のことです。ただし、「最低でも3回は復習してください」とありましたが、1回通読しただけなので、理解できたという自信はありません。でも、この本には著者の数学を理解してもらいたいという真剣な情熱はよくよく伝わってきました。
この算数の本に戻ります。ひらめきが必要。あれ、なんか違わない?こっちじゃないの?そんな動物的嗅覚が大切。
意識的に直感と論理を行き来する脳を鍛えることは算数や数学に限らず、大人になったときに絶対に役立つ。
日本は、計算は10進法、時刻などは12進法と使い分けてきた。
干支(えと)も12進法。和算は算木やそろばんを使っていたので、計算を紙に書く習慣がなかった。1,2,3...。そして0(ゼロ)を導入したことによって初めて、紙での計算ができるようになった。
数学とは言語。算数の世界を旅するためには、その世界の言語を覚えないといけない。無駄がなく、解釈の違いが起きないからこそ数学は世界共通言語になれた。
文章の理解とは、その状況を頭の中でイメージできるかどうかの勝負。
九九を習う目的は「掛け算の筆算が出来るように、81パターンが暗算できるようにすること。九九のなかで、絶対に覚えないといけないパターンは36しかない。
小数は中国生まれで、ヨーロッパに伝わったのは、わずか500年ほど前のこと。
分数は数ではなく、計算途中をあらわしたもの。時間、速さ、距離の関係は、実は割合。
図形は、数学の原点。図形の決め手は、妄想力。想像力や妄想力、イメージをする力をどうやって養うか...。それは、小さいときから、どれだけ遊んできたかによる。いろんな「形」に実際に触れる体験を伴う遊びをどれだけしたか...。円は三角形の集まりでできていると、イメージする。
予備校で講師のアルバイトをしていた経験を生かした本でもあるそうです。なんとなく分かった気にさせるのは、さすがです。400頁近い本なのに、2000円しないのもいいですよね。
(2024年10月刊。1980円)
2025年3月16日
フロントランナー、いのちを支える
(霧山昴)
著者 朝日新聞be編集部 、 出版 岩崎書店
フロントランナーとは、自ら道を切り拓く人。10人のフロントランナーが本書に登場します。
若者を孤独の淵(ふち)から救い出すサービスを提供するNPO法人。24時間365日体制で、チャットで相談に乗る。大学生のときに始めた大空幸星さん。
カルト宗教の被害者を救済にいち早く取り組んできた紀藤正樹弁護士。
野宿者支援、賃貸物件に入るとき保証人を300人分も引き受けた「反貧困ネットワーク」事務局長の湯浅誠さん。
大牟田市の不知火病院の徳永雄一郎医師も登場します。全国に先駆けて1989年、うつ病専門病棟「海の病棟」を開設したのです。川に面して、陽光が降り注ぐ開放的な病棟です。私も見学したことがありますが、なるほど、こういう施設だと気が安まると思いました。
天井は雨の音が聞こえる設計、天井には川のゆらぎが映り、潮の満ち引きが感じられる。部屋に入る光の角度や風向きも綿密に計算。徹底的に五感を刺激するため。
4人部屋だが、座ると本棚の陰になって互いに見られない。プライバシーを保ちつつ、寂しくはない、安心できる空間。38床の病棟を建てるのに4億円かけた。
海の病棟に入院すると、同じようにうつ病に悩んでいる人に出会って、良くなっていくケースを見ることで、自分も回復するというイメージができ、治療効果が上がることが多い。
うつ病にかかる職種は変化している。開設して初めの数年間は、公務員や教師といった「きまじめタイプ」、バブル末期の90年代初めは接待漬けの商社員、働き過ぎのIT系社員、そして最近は、超高齢社会となっている関係で看護師や介護職員が多い。
実は徳永医師は私と中学校で一緒だったのです。二代目の医師ですが、時代の要請にこたえて意欲的に取り組んでいることにいつも刺激を受けています。
徳永医師から贈呈を受けました。ありがとうございます。これからもどうぞよろしくお願いします。
(2024年10月刊。1900円+税)
2025年3月13日
異端
(霧山昴)
著者 河原 仁志 、 出版 旬報社
本のタイトルからは、何をテーマとする本なのか、見当もつきません。
新聞記者たちが有力者や社上層部の意向に従わず、思ったことを、事実にもとづいてニュースにして報道する。これが異端。でも、読まれるし、ついには社会を動かしていく。
昨今のSNSで、オールドメディアと決めつけられ、軽く馬鹿にされている風潮があるのは、活字大好き人間の私にはとても残念です。ただ、NHKが典型的ですが、権力の言い分をそのまま垂れ流しているとしか思えない記事があまりに多いというのも情けない現実ではあります。
西日本新聞の傍示(かたみ)文昭記者の名前を久しぶりに見ました。弁護士会が大変お世話になった記者です。当番弁護士や被疑者の言い分を知らせる報道に大いに力を入れてくれました。
1992年2月、2人の小学女児が殺された事件の報道では、久間(くま)三千年(みちとし)被告を犯人と決めつける報道ばかりでした。ところが、本人は一貫して否認していて、当時、始まったばかりのDNA鑑定もきわめて杜撰なものだったのです。
久間被告は、それでも死刑判決となり、刑が確定すると2年後には執行されてしまいました。異例のスピードです。傍示記者は、自らがスクープを放った身でありながら、事件を再検討する企画を立て、社内の異論を抑えて連載記事を始めました。たいしたものです。
次は、沖縄防衛局長が記者たちとの懇談の場で、オフレコとされているなかで、「犯す前に犯すと言いますか」などと、いかにも下品なたとえで、辺野古埋立の環境アセスメントについて語ったことを報道した琉球新報の内間健友記者の話です。
オフレコと断った場での発言であっても報道することが許されることがあることを私は改めて認識しました。政治家などの公人が「オフレコ発言」をしたとき、市民の知る権利が損なわれると判断させる場合には、報道してもかまわないのです。
オフレコ発言であっても、公共・公益性があると判断した場合、メディアは報道する原則に戻るべきなのです。なるほど、そうですよね...。
オフレコ発言だとあらかじめ宣言されていたとしても、無条件で何を言っても書かないとメディアが約束しているのではないということです。
中国新聞は週刊文春の記事と張りあいました。自民党の河井克行・元法務大臣と妻の河井案里の選挙違反報道です。このとき、広島の議員、首長に対して、広く現金がバラまかれました。自民党の県議に対して1人50万円の現金が「当選祝い」として手渡されました。やがて、その出所は首相官邸つまり安倍晋三首相のもとであることが疑われはじめました。例の内閣官房機密費から1億5千万円が出たとみられています。
前に、このコーナーで河井克行元法相が出獄後に刊行した本を紹介しましたが、河井元法相は、今なお事件の全貌を明らかにせず、深く反省している様子もありません。そして、中国新聞を左翼の新聞とばかりに非難しています。呆れたものです。
この本を読みながら、やはりジャーナリズムに求められるのは権力の腐敗を暴き、それによって庶民の目を大きく見開かすことにある、そう確信しました。
(2024年11月刊。1870円)
2025年3月12日
追悼ー大石進さんー
(霧山昴)
著者 大石進さん追悼文集 編集委員会 、 出版 左同
日本評論社の社長・会長を歴任した、布施辰治の孫である大石進が亡くなったのは2024年2月のこと(享年89歳)。
大石進は若いころ、日本共産党員として、山村工作隊員の一人だった。オルグ活動の一環でリヤカーに映画ファイルを積んで、関東近郊の農村に出かけて無声映画の弁士をしたこともあった。つまり、暴力革命を信奉して活動していたこともあったということなんでしょう。中国共産党の毛沢東の影響が日本に強かったころのことです。「農村から都市を包囲する」というのは、広大な中国大陸ではありえても、狭い国土の日本でうまくいくはずもありませんでした。この体験が『私記・白鳥事件』にも生かされていると私は思います。
つまり、戦後まもなくの混沌とした社会情勢のなか、戦争(兵隊)体験者がうじゃうじゃいた世相とともに白鳥事件の真相に迫ったのです。同時に、白鳥事件を担当した上田誠吉弁護士(私も親しくさせていただきました。偉大な先輩として、今も敬愛しています)の苦悩にも言及しています。
大石進は布施辰治の孫であることを長らく周囲に口外していなかった。祖父のことを話したのは1983年、石巻市での布施辰治30回忌追悼会が初めてではないかとされています。大石進が48歳のときですから、ずい分と長く、祖父のことを語っていないわけです。
大塚一男弁護士の息子さん(茂樹氏)の紹介文には驚きとともに、なるほど、そうかも...と思いました。
「父思いではない息子」とあり、「大塚(一男)も、息子には無理筋の追及および罵倒を惜しまないのが日常的だった。60年代はパワハラなど当たり前の時代であった」
まあ、私なんかも胸に手を当てて、息子に対してどうだったのかと、いささか反省もさせられました。申し訳ないことです。真剣ではあったのですが...。
私は、亡父の昭和初めの東京での7年間の生活を本にして刊行しました(『まだ見たきものあり』。花伝社)が、そのなかで布施辰治が弁護士資格を奪われ、治安維持法違反で逮捕されたとき、両国警察署の留置場内で盛大な歓迎会が開かれたことを紹介しています。信じられない実話です。どうぞ私の本もお読みください。
石川元也弁護士、そして森正先生より贈呈していただきました。ありがとうございます。
(2025年2月刊。非売品)
2025年3月 6日
地下鉄サリン事件はなぜ防げなかったのか
(霧山昴)
著者 垣見 隆 、 出版 朝日新聞出版
1995年3月20日、地下鉄サリン事件が発生。その前年(1994年)6月27日に起きた松本サリン事件では被害者なのに犯人と間違えられた事件が発生。そして地下鉄サリン事件の直後の3月22日、山梨県の上九一色村にあったオウム教団拠点への大捜索、3月30日に國松孝次警察庁長官の狙撃事件があり、オウムの麻原彰晃が逮捕されたのは5月16日。ちなみに、阪神淡路大震災が起きたのは、この年の1月17日です。これらの大事件の当時、警察庁刑事局長だった垣見隆弁護士から、6年に及ぶ準備期間を経て15時間もの聞き取りが一冊の本にまとまっています。日本の警察の中枢にいた人の話は傾聴に値すると思いました。
垣見氏はオウムの一連の事件を考えるにあたって、坂本弁護士一家殺害事件の解明が遅れたことを大きな問題とみています。オウム教団から大金を持ち逃げした岡崎容疑者が坂本弁護士一家の遺体を埋めた場所を警察にタレ込んできたとき、きちんと捜査しておけば、地下鉄サリン事件は起きなかったとしています。このタレ込みの書面に描かれた埋設場所は基本的には正確だったのです。
そして、警察庁長官狙撃事件は結局のところ、犯人は中村泰(病死)である疑いは強いとされています。ところが、時効が成立した時点で警視庁公安部は犯人はオウムだと宣言したのでした(民事裁判で警察は敗訴)。
この当時は村山首相(社会党)だったのですね。刑事局長として首相官邸に直接報告に行っていたことを警察の政治的中立性から問題にして批判した人たちがいたそうです。私には政治的中立性がなぜ問題とされるのか、さっぱり分かりません。
垣見氏は警察庁刑事局長から警察大学校長への異動を命じられた。明らかに更迭(こうてつ)人事。本人も「閉門蟄居(ちっきょ)を命じられた心境」、移動先では「配所の月を眺める」といった心持になった。これって菅原道真の心境でしたが...。まだ53歳の若さです。しかも、警察大学校長もわずか1年弱で退職勧奨を受けた。このときは、「言われるまま素直に、という気持ちではなかった」と語っています。
当時の國松長官に対する怒りがあったのではないかという問いに対しては、「コメントするつもりはありません」と返して、否定していません。警察官僚トップ(長官)へあと一歩のところに来ていたのに、オウム対策で目立った失敗をしたわけでもないのに、なぜ自分だけ更迭されるのか...という怒りがあったようです。キャリア組同士の抗争というか、葛藤が感じられる状況です。
垣見氏は司法試験にも合格していましたので、司法修習生となって弁護士活動を始めました。以来、弁護士になって25年たちました。
1989年11月に発生した坂本一家殺害事件こそ、オウム教団の一連の犯罪行為の原点。これについて警察は、当初は行方不明事件として扱うなど、初動段階の対応が的確でなかったと批判し、反省点にあげています。
神奈川県警は坂本弁護士について過激派だったとか、当初はデマを飛ばしたりして、まともに対応せず、オウムをきちんと捜査対象にしていませんでした。
垣見氏は。マスコミ対応について、適切に出来ていなかったと自己批判しています。マスコミ陣から嫌われたというのも、更迭の一因になったのかもしれません。
大変貴重なオーラルヒストリーだと思って、東京からの帰りの飛行機のなかで、一心に読みふけりました。
(2025年2月刊。1900円+税)
2025年2月26日
ルポ超高級老人ホーム
(霧山昴)
著者 甚野 博則 、 出版 ダイヤモンド社
入居一時金が3億円、そして毎月の支払額が70万円という老人ホームが東京にはあるそうです。高級どころではありません、スーパーリッチ層が入居する、文字どおり超高級の老人ホームです。
さて、そこではどんなサービスが受けられるのか、本当にそれだけの大金を支払う価値があるのか、住み心地は本当にいいのか...。いろいろ疑問が湧いてきますよね。
もちろん、私はそんな大金なんてもっていませんので、自分が入るつもりで、この本を読んだのではありません。私の知らない別世界を少しのぞいてみたかったのです。
5億円以上の金融資産をもつ超富裕層が日本には9万世帯いる(2021年)。
東京・世田谷の老人ホームは入居一時金が4億7千万円。うひゃあ、す、すごーい...。月々の生活費は夫婦で80万円。ここに入居する人は入居一時金の3倍ほどもっているのが条件のようです。つまり、15億円もっている人です。いやはや、そんな大金をもっている人が日本に「ごまん」といるというわけです。田舎にいると、とても信じられない金額ですが、そんな人たちがきっといるというのだけは断言できます。
ここは3000坪の敷地に10階建ての中規模マンション風。150室あって、定員は200人。麻雀が圧倒的に人気で、陶芸工作室のため、専用の窯(かま)まで備えている。
ここには、財界の大物たちが入居している。入居者のうちに10人ほど亡くなっている。空室は、わずかに10部屋。入居できるのは70歳から。
この施設に介護職として勤めている人は給与は23万円から27万円ほどでしかない。やっぱり給与は安いというしかない金額ですよね。
全国的に、老人ホームの入居者は女性のほうが多い。
東京にはタワーマンション型の高齢者対応マンションがある。地上31階建てで、銀座三越まで歩いて30分で行ける。
共同生活に向かない人は、自分を優先してくれと求める人。また、スタッフを指名する人も入居を断っている。
ある超高級老人ホームの入居者のうち8割が、自宅を残したまま。安心感のためらしい。ところが、実は看板倒れの、暴力団が裏に潜んでいるような超高級老人ホームがある。
経営者が介護職員の人員配置基準の数をごまかしている施設は珍しくない。調理場には窓がなく、一種しかない調味料はカビだらけ...。いやはや、なんとひどいことでしょう。
介護職員も低い賃金で、そのうえ自由がないので、人員を確保するのに苦労している。そりゃあ、そうでしょう...。
高級老人ホームで、「高級」とは何か...。それは友だちが出来る環境がととのっているかどうか。なるほど、ですよね...。
この本の結論は、超高級老人ホームは決してユートピアではない、ということです。
「高級」とは、客を錯覚させるための巧みな演出があるかどうかだ。なーるほど、ですよね。勘違いしている人って多いですよね。
インタビューしてまわった著者自身は、ごく普通の暮らしを過ごし、今までどおりの人間関係を保ちながら老後を過ごせたら、それでいいと考えています。私も基本的に同じです。老後に、田舎で花や野菜を育てるのもいいですよ。それも、もちろん元気なうちだけですが、老後の楽しみを若いうちから自分にあったものを確保しておくことがとても大切です。私の場合は、それは本を読み、そして書くことです。
(2024年8月刊。1760円)
2025年2月21日
八鹿高校事件の全体像に迫る
(霧山昴)
著者 大森 実 、 出版 部落問題研究所
八鹿(ようか)高校事件といっても、今では完全に忘れ去られた出来事ですよね。1974年11月に兵庫県の但馬(たじま)地域で起きた「我が国教育史上未曽有の凄惨な集団暴行」事件です。加害者は部落解放同盟の役員たちで、被害者は八鹿高校の教職員です。加害者は刑事犯罪として有罪になり、民事でも損害賠償義務が課せられました。被害者の教職員側では、48人が加療1週間以上、4ヶ月、うち30人が入院して治療が必要となりました。長時間にわたって、一方的な集団的暴行が加えられたのです。
この事件のとき出動した警察官600人は、眼前で展開されている解同側の暴行・傷害事件をまったく傍観視し、制止しませんでした。なので、あとで八鹿警察署長は職権濫用として問題になったのも当然です(不起訴)。
この冊子を読んで、その背景事情が判明しました。警察庁トップで介入するかどうか二分していたというのです。
ときの警察庁長官(浅沼清太郎)や警視庁公安部長(三井某)、兵庫県警本部長(勝田某)は不介入方針のハト派。この一派は「ハブとマングースの闘い」だ、要するに、放っておけば互いに自壊するから、傍観しようとする。これに対して、断固として無警察状態を排除するという方針は、警察庁の前長官(高橋幹夫)、警備局長(山本鎮彦)、警察庁次官(土田国保)、そして兵庫県知事(坂井時忠)。
警察庁警備課長だった佐々淳行によると、結局、高橋前長官の決断により、兵庫県警本部長に長官指示が伝えられ5500人の機動隊が投入された。つまり、但馬地方に無法状態をつくったのは警察だったわけです。「ハブとマングース」というのは、共産党と解同を戦わせ、どちらも勢力を傷つき、消耗するのを期待しようというもので、いかにも支配者層、権力者が考えそうな発想です。
もう一つ、この本で、八鹿高校の生徒会執行部を先頭とする高校生たちの涙ぐましい果敢な取り組み、そしてそれを先輩(八鹿高校OB)たちが力一杯に支えたという事実が掘り起こされていて、私はそこに注目しました。
生徒たちは、暴行現場に駆けつけ、ひどい惨状を目撃し、警察に出かけて教師の救出を訴え、町を集団進行(デモ)をして町の人々に叫んで訴え、近くの八木川原に集まり集会で訴えたのです。
もちろん生徒大会も開いて暴力反対を決議しています。
そして、カンパを集め、文集をつくって、町内を一軒一軒、訴えて歩いてまわりました。そのとき、「共産党に利用されているだけだから、やめろ」「解同に不利になるようなことをするな」と制止する声がふりかかってきましたが、生徒たちはそんな妨害を振り切って死にもの狂いで動いたのです。すごいです。
12月1日には、八木川原に1万7千人もの人たちが集まり、解同の暴力を糾弾したのでした。
この事件については、警察が動かないだけでなく、実はマスコミがほとんど報道しないという特徴がありました。解同タブーが生きていたのです。
1974年11月から12月というと、実は私が弁護士になった年の暮れのことでした。なので、私はまだ関東(川崎)にいて、事件の推移をやきもきして見守るばかり。これほどの大事件をマスコミがまったく報道しないのに怒りを感じる日々でした。共産党の「しんぶん赤旗」だけが大きく報道していました。自民党の裏金づくりをマスコミが当初まったく報道しなかったのと同じです。「しんぶん赤旗」も購読者が激減して経営がピンチのようです。紙媒体がなくなって、インターネットばかりになってよいとは思えません。
部落解放の美名で暴力を振るうのを許してはいけません。そんなことをしたら、差別意識がなくなるどころか、差別は拡大するばかりです。その後、「暴力糾弾闘争」が消滅していったのは当然ですが、喜ばしいことだったと考えています。
それにしても、八鹿高校事件って、もう50年もたつのですね。当時の高校生たちも全員が60代後半になっているわけですが、みなさん元気に社会で活躍していると信じています。いかがでしょうか...。
(2024年11月刊。1100円)
2025年2月19日
米軍機の低空飛行を止める
(霧山昴)
著者 大野 智久 、 出版 新日本出版社
日本の空をアメリカ軍の飛行機が好き勝手に飛んでいて、現に甚大な被害が出ているというのに、日本政府も「愛国」勢力もアメリカに文句ひとつ言わない、言えないというのは実に情けないことです。
アメリカ軍の低飛行訓練は、航空法の最低安全高度をまったく無視しています。日本の航空法は、市街地の上空は300メートル、人の少ない場所で150メートルを最低安全高度と定めている。ところが、アメリカ軍は、これをまったく無視している。
中国山地では「ブラウンルート」と呼ばれる訓練ルートそして「エリア567」という訓練空域があり、低空飛行訓練をするときの音や衝撃波はすさまじい。子どもたちは泣き出し、窓ガラスは破れ、果ては土蔵が倒壊するほど。
低高度飛行訓練は、相手国の領土内に、レーダーに見つからないように侵入して、目的を衝撃するためのもの。つまり侵略目的のもの。「専守防衛」というものではない。
騒音は70デシベル以上を1600回も浜田市などで記録した。これは「騒がしい街頭」に相当する。パチンコ店内に相当する、90デシベルも記録されている。
そして、これらのアメリカ軍の飛行訓練は何の予告もなしにやられる。突然の大騒音と衝撃波が学校や保育園そして民家を襲う。まるで戦争が始まったのかと、人々は慌ててテレビやラジオに耳を傾ける。
日本の航空自衛隊のほうは陸地上空での戦闘訓練はしていない。その空域をアメリカ軍機が利用している。
全国知事会は、こんなアメリカ軍の低空飛行訓練を問題として、国に改善を求めている。
ところが、自民党は「低空飛行は在日米軍の不可欠な訓練」だとしてアメリカ軍の無法訓練を容認しているのです。ひどいものです。日本人の安全・健康なんてどうでもいいという考えです。許せません。
この本が画期的で圧巻だというのは、アメリカ軍機を撮った動画や写真から、高度やコースを割り出す手法を詳細に解説しているところです。そこには中学・高校の数学で学んだ三角関数・コサインやタンジェントが出てきます。私は昔、高校で理数系クラスにいて数学Ⅲまで履修したのですが、今やまったく忘却の彼方にあります。
ともかく、その写真等を手がかりとして、見事に飛行コースと高度を推認していくのですから、すごいものです。東京では、都庁東にある新宿三井ビルから87メートルほどしかない高度をアメリカのヘリコプターが飛んでいました。
高知県ではダムの上240メートル上空をアメリカ軍の大型輸送機2機が飛んでいた。
奄美大島では高度100メートル以下をアメリカ軍輸送機が飛んでいた。
青森県の小川原湖の上をオスプレイが41メートルの高度で飛んでいた。
ひどい、ひどすぎます。これで日本は独立国と言えるんでしょうか...。トランプにゴマすりしてもダメなんです。はっきり抗議して、止めさせなくてはいけません。
怒りがふつふつと湧き上がってくる本でした。
(2024年12月刊。1900円+税)
2025年2月18日
中学生の声を聴いて主権者を育てる
(霧山昴)
著者 佐々木 孝夫 、 出版 高文研
とてもいい本に出会いました。中学生が社会にしっかり向きあっている教育実践のレポートです。この本を読むと、日本の中学生も捨てたもんじゃないんだな...、ついついうれしくなりました。やはり、大人の側にこそ問題があるのです。大胆に働きかけていくと、必ず中学生はこたえてくれるのですよね...。
たとえば、模擬投票です。架空の政党をつくってやるのではなく、実際の政党の公約をもとに中学生でディベートをして、投票してみるのです。開票するのは、本当の選挙の開票のあとにします。そうすれば何ら問題はありません。中学生たちは自分の選んだ政党がどうなったか、現実に関わって比較し、考えることができます。きっと、選挙と投票が身近なものに感じられるでしょう。
また、市長に手紙を出し、その反応をみる。返事が来たら、それをみんなで検討する。そして可能なら、市長に代わる人に学校に来てもらって話を聞き、質疑応答する。
外国の大使館と交流するというのも関東近辺だからできるのでしょう。大使館や公使館にも代表が出かけていって話を聞いてくる。また、中学校に大使館の人に来てもらって、質疑応答する。ちょっとした国際交流ですよね。こんな機会があったら、ヘイトスピーチなんて、とんでもないことだと中学生は実感すると思います。
著者は早稲田大学法学部を卒業していますが、学生時代は学生セツルメント運動に没頭したそうです。私も学生セツルメント運動に3年近く、どっぷり浸っていましたので、この経歴を知ってとてもうれしくなりました。今は見かけないセツルメントですが、社会への目を大きく開かされました。
「本当」の模擬投票では、中学生たちがアンケートを送ったところ、6つの政党から返事が返ってきたのでした。みんな喜びました。すると、中学生たちはどう考えたか...。
「自分も国を変える一人だという責任を知りました。政党によって考えや方針が異なっていて、日本が投票によって大きく変われることが分かったからです」
「今の政府に文句がある人もない人も、政党の考えをしっかり知って、自分の手で政治を動かすべきだと思いました」
どうですか、これだと何も「偏向」した政治教育だと文句をつけられないでしょう。こんなホンモノの模擬投票を全国の中学校でやったら、日本も大きく変わると思います。
各国の駐日大使館に手紙を送ったところ、まずドイツ大使館から返事が来た。そこで、中学生の代表7人がドイツ大使館に出かけて話を聞いたのです。脱原発の取り組み、難民・移民に関する政策などを質問すると、しっかり回答してもらいました。
その前、ガーナ大使館とも交流しています。ガーナ大使が中学校までやってきて、中学生の質問に答えたのです(同時通訳)。カカオがチョコレートになるとき、児童労働があるというテレビ報道にもとづく質問にも答えてもらいました。
ほかにも、コスタリカ、韓国などの大使館とも交流しています。まさしく国際的です。こんな意欲あふれる教師のもとで学べる中学生は本当に幸せだと思いました。
市長への手紙を出したときには、市長からのメッセージが中学校に届いたとのことです。そうなんです。中学生だって、市に対して要求したいことはたくさんあるんです。エアコンを全教室に設置する、きれいな洋式トイレにしてほしい。スポーツ施設を充実してほしい、給食費を無料にしてほしいなどなど...。
それぞれの部署から回答が来ました。無視はされなかったわけです。
主権者教育というのは、こうやるものだということを教えられました。残念なことに、著者は現役の教員を退職させています。でも、こうやって実践記録としてまとめられたわけですので、心より敬意を表します。多くの人にぜひ読んでほしい元気の出る教育実践です。
(2024年11月刊。2200円)
2025年2月16日
世界の果てまで行って喰う
(霧山昴)
著者 石田 ゆうすけ 、 出版 新潮社
地球三周の自転車旅というサブタイトルがついています。そして、オビには「衣食住の一切を自転車に鬼積みして、スマホを持たず旅をする。ペダルをこいで極限まで空かせた腹にメシと旅情が流れ込む!」とあります。
前に『行かずに死ねるか!』という本を出しているそうです(私は読んでいません)。サラリーマンを辞め、自転車で7年半ぶっ通しで世界をまわって書いたとのこと。その本が売れたおかげで、文章だけで三食、ご飯と納豆なら食べていける目算が立ったので、それからは専業のモノカキだそうです。いやあ、同じくモノカキを自称する私には、うらやましい限りです。
自転車の旅は「線の旅」になる。その国の素顔に会え、素の人とたくさん触れあえる。体ひとつでその世界に飛び込み、自分の足でゆっくり進むことで、景色を全身で味わい、異国の空気やにおいを体中で吸い込める。旅が色濃く記憶に刻まれる。
自転車は運動効率がいいので、カロリーも効率よく消費され、体中のエネルギーが根こそぎもっていかれて腹が減る。食べ物が目の前に来ると、我を忘れ、無我夢中で喰う。食欲と感受性がむき出しになり、味が良ければ、泣きそうになる。
著者はそれほどお腹が強いわけではないとのことですが、現地で生水(なまみず)も飲むそうです。生水を飲むか飲まないかの指標は、地元の人。地元の人が飲んでいたら飲む。現地に長くいたら身体が順応し、胃腸も慣れるとのこと。いやあ、私はまったく自信がありません。カキ氷とかコップに製氷器でつくった氷のカケラが入っているジュースも飲むのを遠慮します。
メキシコでは現地の人も生水は飲んでいなかったので、コーラやビールを飲んでいた。
インドではナンはあまり食べていない。インドの大衆食堂で食べられているのはチャパティ。ナンを日常的に食べているのはパキスタン。
インスタントラーメンは、世界の隅々にまである。アフリカや南米の僻地(へきち)にもあった。
ウズベキスタンの砂漠の中の小さな町のボロい食堂でうどんに出会った。スープには肉、ジャガイモ、トマトなどが入っていて、シチューと肉じゃがの中間のような味がする。麺は太めで、短くて不揃い。表面は少しぼそぼそしているが、中心にもっちりとした食感があり、スープとよく絡んでいる。ズルズルとすすると、やっぱりうどんだ。うどんを食べながら生きて帰ってきたという実感に浸った。
キューバの田舎町の路上でフェスティバルが開かれていた。子豚の丸焼きが焼かれている。それを注文すると、丸焼きを削いだ肉、ご飯、芋、サラダが皿に山盛り。これが30ペソ。外国人用だと3600円になるが、国民用の人民ペソだと、なんと日本円にして150円。これはいくらなんでも安過ぎだろ...。
著者は世界中をまわって、日本に帰ってから、日々の一番のご馳走は、なんとなんと、みずみずしいサラダ。キャベツ、レタス、にんじん、玉ねぎ、セロリ、ルッコラ、春菊、パプリカ...。朝晩、欠かさない。
そうなんですね。南極の越冬隊員にとっても生のキャベツが食事に出てくると、基地中が沸くそうです。たしかに、私も昼食に生野菜サラダをよく食べます。マヨネーズ、ドレッシングをかけると最高なんですよね...。
世界中を自転車で走ってまわるって、若いときにしかやれませんよね。すばらしい体験です。私は、こうやって本を読んで追体験して楽しむのでいいと考えています。
(2024年10月刊。1760円)