弁護士会の読書
※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。
アジア
2010年11月30日
バンコク燃ゆ
著者 柴田 直治、 めこん 出版
タックシンと「タイ式」民主主義というサブタイトルがついています。著者は朝日新聞社の前アジア総局長で、タイにも駐在していました。私もタイのバンコクには一度だけ行ったことがあります。微笑みの国、仏教徒の多い寛容な国というイメージをもっていましたが、実はなかなか政争の激しい国なんですね・・・・。
バンコクには3万2000人の日本人が住んでいる。これは外国の首都の中では一番である。タイに進出している日系企業は7000社。小中学生2500人の通う日本人学校は世界最大級の規模だ。タイを訪れる日本人旅行者は毎年120万人ほど。私の依頼者の一人が長期出張で今バンコクにいて、裁判手続を目下のところ見合わせています。先日、インターネット電話で話しましたが、声は鮮明ですし、料金もかからないというので驚きます。
タックシンは、タイの憲政史上、最強の政治家であり、歴代宰相のなかできわめて特異な存在である。タックシンは1949年生まれですので、私と同じ団塊世代。
タックシンは警察士官学校に進んで、キャリア警察官になった。そして、警察官のかたわらケータイ電話を扱う企業を起こして成功し、警察を退職。途上国では給料が安いから公務員の副業はあたりまえのこと。
タックシンが本気で貧富の格差是正を考えていたとは思われない。持てる層から税を取るということはしなかった。タックシン自身が「持て」側の代表だったから。貧困層や農村部への施策は、より少ないコストでより多くの票を集める手段と考えていたのではないか。タックシンは、直接的な収賄をする必要がないほど金を持っていた。そして、タックシンの経済政策の相当部分が自分自身の利益に直結していた。
都市中間層や教育のある人々のなかにタックシンを生理的に嫌う雰囲気がある。それは、敵とみると逃げ道を残さずに痛めつける攻撃性、資金の豊かさや権力の強大さを隠そうともしない傲慢さがタックシンにはある。都市中間層からすれば、タックシン政権の貧困削減策は、単に人気とりのばらまき政策であり、都市部のインフラ整備などに回すべき政府資金=自分たちの納めた税金が浪費されているという認識である。逆に、貧困層や地方の農民にとっては、タックシン政権は初めて彼らに目を向けてくれ面倒をみてくれた政府だった。
タックシンは軍事費を削り、将軍クラスが握る闇の利権にも手をつけた。それで、軍の中に大きな不満を生んだ。クーデターの大きな要因は、「軍の都合」である。クーデターの後、軍事費は2倍以上となった。膨張した予算をもとに、将軍たちは兵器リストをつくってショッピングに励んだ。タイの軍は、戦闘集団というより、官僚組織や利益擁護集団の色彩が強い。
日本政府はタックシンには冷たく、クーデターを起こした軍には温かった。これも、いつものように日本は利権を優先させるわけなのですね。タイの表玄関のスワンナプーム国際空港の総工費1550億バーツのうち730億バーツを円借款でまかなった。日本の援助としても最大規模。ターミナルビルも、日本企業中心の共同体が受注した。
タイのメディアは裏を取って確認する習慣がない。うへーっ、これって怖いですよね。日本のマスコミがそんなにすぐれているとは思えませんが、少なくとも裏を取ろうとはしていますよね・・・・。
タックシン政権は、いろいろのグループから構成された。そのなかの有力な集団の一つは、1970年代に学生運動に没頭した活動家たちだった。だから、反対派は、その点をっとらえて、「反主制」というレッテルを貼りたがる。
タイ騒動の内情をつぶさに知ることの出来る本でした。
(2010年9月刊。2500円+税)
2010年11月24日
西太平洋の遠洋航海者
著者 B・マリノフスキ、講談社学術文庫 出版
戦前の1922年に出版された本です。ニューギニア諸島の風習がよく観察されています。呪術の本質は、人の善意に仕えるものでもなければ、また悪意に仕えるものでもない。ただ単に、自然の諸力を制御するための想像上の力である。
著者はニューギニアに住み込んで観察しました。そして、次のように述べています。
村を歩きまわって、いくつかの小さな出来事、食事のとり方、会話、仕事の仕方などの特徴ある形式が繰り返し目にうつったら、すぐにそれを書きとめるべきだ。印象を書き集め整理するという仕事は、早いうちに始めるべきだ。なぜなら、ある種の微妙な特色ある出来事も、新鮮なうちは印象が深いけれど、慣れてしまうと気づかなくなってしまうから。他方、その地方の実態を知らないと気がつかないこともある。
海外に出かけたとき、初めての印象を記録しておくのはとても大切なことだというのは、私の実感でもあります。二度目には、目が慣れてしまっているため、かえって見落とすことが多いものなのです。
ニューギニアでは、信じがたいほど幼いうちに性生活の手ほどきを受ける。成長するにしたがって、乱婚的な自由恋愛の生活にはいり、それが次第に恒久的な愛情に発展し、その一つが結婚に終わる。こうなるまで、未婚の少女は、かなり好きなことをする自由をもつと一般に考えられている。
集落の少女たちは、群れをなしてほかの場所に出かけていき、そこでずらりと並んで、その土地の少年たちの検査を受け、自分を選んだ少年と一夜を共にする。また、訪問団が他の地区からやって来ると、未婚の少女たちが食物を持ってくる。彼女たちは、訪問客の性的欲求を満足させることも期待される。
これって、日本でも昔、同じことがあっていたようですよ・・・・。
普通の生活でも、不義密通は絶えず行われている。とくに畑仕事や当易のための遠征のように、ことが目立たないとき、または部族のエネルギーと注意が作物の取入れに集中しているときに、ひどい。
結婚は、私的にまた公的な礼儀をほとんどともなわない。女は夫の家に出かけていき、一緒になるだけ。あとで一連の贈物交換があるが、これも妻を買うお金と解釈することは出来ない。
妻の家族の側が贈与しなくてはならないこと、それも家庭の経済にひびくほどにすること、さらに、妻の家族は夫のためにあらゆる奉仕をすることが重要な特徴になっている。
結婚生活では、女性は夫に忠実であることを期待されるが、この規則はそれほど厳密に守られもしないし、強要もされない。あらゆる点で妻は大きな独立を保有していて、夫は妻を尊敬の念をもって手厚く遇さなければならない。もし、そうしなければ、妻は夫をおいて実家に帰るだけのことである。夫は、贈物や説得によって妻を取り戻そうとする。しかし、もし妻がその気なら、永久に夫を捨てることが出来るし、結婚する相手は、いつでも見つかる。
部族生活のなかでの女の地位は非常に高い。畑仕事は女たちの受け持ち(義務)であると同時に特権でもある。
クラとは、部族間で広範に行われる交換の一形式である。一つの品物は、常に時計の針の方向に回っている。クラの品物の移動、取引の細部は、すべて一定の伝統的な規則と習慣によって定められ、規制されている。クラの行事は、念の入った呪術儀礼と公的な儀式をともなう。腕輪と首飾りという二種のヴァイグァを交換するのがクラのおもな行為である。どの財宝も、一方向にのみ動き、逆に戻ることなく、また、とどまることなく、一周するのに原則として2年から10年くらいかかる。
有力者のしるしは富めることであり、富のしるしは気前のよいことである。気前の良さは善の本質であり、けちは最大の悪である。
過去将来を通じて、食物の量の多いことが、一番の重大事である。おれたちは食うだろう。吐くまで食うだろうというのが、ごちそうのときの喜びをあらわす決まり文句である。
20世紀はじめのニューギニアの風習がよく分かる本です。ところ変われば品変わる、ですが、女性の地位など、現代と共通するところもあるように思いました。
(2009年2月刊。1600円+税)
2010年11月11日
ラオス、豊かさと「貧しさ」のあいだ
著者 新井 綾香、 コモンズ 出版
20代の女性が日本での農業経験もないのに、ラオスの農村で米づくりにも関わった奮闘記です。たいした勇気と、その頑張りに敬服・感嘆しました。やっぱり若さというのはすごいものですね。
ラオスは人口630万人、面積24万平方キロ。面積は日本の本州と、人口は北海道と同じくらい。ラオ族が全体の6割を占めるが、モン族やアカ族など49の少数民族がいる。
国民一人あたりの国内総生産は859ドル(8万円)、102ドル以下で暮らす国民が7割を占める。しかし、ラオスの森は「お金のいらないマーケット」。村人の食卓にのぼるものは、森のキノコ、野生動物、昆虫、自生の野菜など。田んぼでは、米のほか、カエル、イナゴ、ウナギ、ナマズ、ドジョウ、タニシ、香味野菜など20種もの食材がとれ、村人の食生活を支えている。農村に住む世帯は、自然から手に入れるものを現金に換算すると年間280ドルに達し、世帯収入の55%を占める。
しかし、ラオスの地方で生活するのは大変厳しい現実もある。著者は、寄生虫やデング熱に何度もかかり、ストレスから、蕁麻疹や不整脈にもなった。うひゃあ、やっぱり大変なんですね・・・・。
ラオスで米というと、もち米を指す。雨季の稲作では、化学肥料は投入されていない。ラオスの成人男性は1ヶ月に20キロの米を食べる。日本人の4倍にあたる。そして、村には、貧困層が竹の子やキノコなどの村産物を持って米と交換しに来た場合には断ってはいけないという暗黙の了解がある。なーるほど、ですね。
村人は、一つの種類の稲だけに頼らず、生育期間の異なる複数の苗を植えている。不安定な天水依存のもとで稲作を営んできたリスク分散の知恵である。
近年になって起きた貧困をつくり出している変化の多くは、「貧困削減」の名のもとで進められている開発事業による。
うむむ、なんということでしょう。大いなる矛盾です。巨大開発事業や投資事業から村人が得られるプラス面は限定的である。ラオスの村人は、いま、さまざまな大規模開発事業に振り回されている。
世界銀行などによる大型ダムの建設支援、中国企業によるセメント工場の建設、日本やベトナム、タイの企業による植林など、さまざまな開発事業が「貧困削減」という名目で行われている。これらの大型開発事業は、村人が長年築いてきたセーフティーネットを奪い、マイナスの影響を与える危険性が高い。うむむ、考えさせられますね。
ラオスの農村に入り込んで、生活した体験にもとづく指摘なので、重みがあります。いろいろ考えさせてくれる、そして元気の出る本でもありました。この若さと元気を分けてもらいたいものです。
(2010年6月刊。1700円+税)
庭の手入れをしようとしていると、目の前を長いものがするすると通り抜けていきます。どきっとしました。そうなんです。長さ1mほどの若々しい蛇でした。犬走りをバツが悪そうに身をよじりながら、やがてシャガの茂みに入って行きました。蛇とは長く共存関係にありますが、何度見ても身震いさせられます。もっとも、先方は先祖代々棲みついてきた場所に入り込んできた迷惑な新参者だと思っていることでしょう。
庭にアスパラガスの株を3つ植えつけました。10年ほど収穫出来ていた株が枯れたので、新しいものを植えたのです。来春が楽しみです。
2010年11月 8日
秘境に学ぶ幸せのかたち
著者 田淵 俊彦、 講談社 出版
テレビ東京の「世界秘境全集」ディレクターによる秘境体験記です。テレビ東京は開局45周年記念番組として「封印された三蔵法師の謎」を放映しましたが、その番組制作にも著者は関わっています。
すごい人です。初めて秘境を訪れたとき、著者は26歳でした。それから20年間、世界各地の秘境をめぐったのです。なんと79ヶ国ですよ。すご過ぎますよね・・・・。
南米のアマゾン。ジャングルの民は、食べるだけ作るから保有はしない。その日に、食べる量のマンジョーカだけを畑から抜いて、ファリーニャを作る。ため置きをするという発想は彼らにはない。
ワニは尻尾(しっぽ)の部分を食べる。分厚いウロコの下から現れたのは、雪のように真っ白な肉である。他の部位は骨と筋だけで、とても食べられたものではない。肉をざっくりと塊に切り分け、塩と黒ゴショー、酢そして最後にパプリカという唐辛子で味付けをする。それから、高温の油で一気に揚げる。鶏肉に似た弾力があって美味しい。アマゾンの貴重な贈り物である。
むひょう、ワニって、本当に美味しいのでしょうか・・・・。信じられません。
秘境の人々は、食に対する知識が驚くほど豊富である。森にいる動物や植物の生態をすべて知り尽くしている。
チチカカ湖周辺の人々は、ツンタを土につけて食べる。ツンタとは、チチカカ湖の水にジャガイモを1ヶ月間つけて発酵させたもの。水で煮込んで戻したツンタを土につけて食べる。といっても、どの土でも食べられるというものではない。いやあ、そうでしょうよ。土を食べるなんて、ぞっとしますね。美味しいものとは、とても思えません・・・・。
カナダのイヌイットはアザラシ狩りに関して、いろいろの決まりがある。子どもとメスは狙わない。一発で仕留めなければならない。仕留めたばかりのアザラシの口には、末期の水を注いでやる。すぐに解体してやらなければならない。これらは自分たちの命を支えてくれる動物を敬う気持ちからなる。
アザラシの解体を始めると、初めに肝臓を取り出して食べる。生の肝臓には、ビタミンが豊富に含まれている。野菜の不足する北極圏では、ビタミン欠乏症になりやすいから、それを防ぐためだ。むかし、本多勝一の本に同じような描写がありましたね。
中国の雲南省の山深い村には、背負い婚が残っている。略奪婚、そこから発展した背負い婚。男女が出会う機会の少ない場所ならではの結婚のかたちである。略奪婚は、式をあげる費用がないほど貧しい地域で多く行われていた。ふむふむ、なるほど、ですね。
ブータンで修行中の少年僧は裸に毛布一枚だけをまとって眠る。どんなに寒い日であっても、袈裟を着たまま眠るのは許されない。これも修行なのである。うへーっ、ぞっとしてきます。私は寒さに弱いので、これではたまりません。
チベットには鳥葬がある。死んだ者の家族は、死体から手足を切り離し、服を裂いて内臓を取り出し、頭蓋骨を砕く。これは、鳥が食べやすいようにということだけではない。鳥が空に舞い上がるのと同時に、死んだものの魂も天に昇ることのできるようにとの願いが込められている。外国人には見せられない儀式だが、子どもは必ず現場に立ち会わせる。人間は死と無縁では生きられない。死はいつやってくるか分からないが、やってくるのは確かだ。だから、死を恐れるべきではない。このような死に関する太古からの教えを子孫に伝授するのだ。うーん、なりほど、でも、そう言ってもですね・・・・。その情景を想像して、またそれを思い出して、夜、眠れなくなりました。といっても、実は、すぐに深い眠りに入ったのですが・・・・。
すごい本です。秘境に生きる人々から私たち日本人はたくさん学ぶところがあると思いました。そうはいうものの、私は、こんな体験記を読むだけで十分です。とても自分自身が秘境に出かけるなんていう勇気はありません。ワニに食べられたくもありませんし・・・・。
(2010年8月刊。1700円+税)
庭の一角にシュウメイギク(秋明菊)のクリーム色と言うよりほとんど純白の花が咲き誇っています。その隣には鹿の子斑のホトトギスの花がひっそりと咲いています。不如帰の花が咲くと秋の深まりを感じます。急に寒くなりました。この冬は寒気が例年より強くなるそうです。お互い、風邪などひかないようにしましょう。
2010年10月24日
ヒマラヤに咲く子供たち
著者:内野克美、出版社:中央大学出版部
ネパールの子どもたちの実に生き生きとした笑顔にたくさん出会える写真集です。
でも、ネパールでも、ストリート・チルドレンが増えているそうです。残念なことです。
ここにも日本語学校があり、数ヶ国語を話す子どもが珍しくないとのこと。たいしたものです。
ネパールでは兄姉が弟妹の世話をよくしています。兄弟姉妹よく助けあって生きているのですね。
エベレストにのぼるときに40日間の旅をしたようです。すごいことですね。
超大型カメラで撮影したエベレスト(8848m)の写真は迫力満点です。ゴツゴツとした威容に思わず息を呑みます。
最後に、その超大型カメラがうつっています。本当に大きいですね。8×10というのは、タテ8センチ、ヨコ10センチというのでしょうか。人間の頭よりも大きいカメラをもって、ヒマラヤの自然や人間を撮りまくっているのです。すごい迫力の写真集です。
ネパールは、今、10年間続いた内戦がようやく終わって、一応平穏だということです。このまま平和が続くといいのですが・・・。
内野さん、お疲れさまですね。私と同世代のようですが、無理をしないで、また、超大型カメラで撮った写真を見せてくださいな。
(2010年4月刊。2600円+税)
2010年9月16日
レンタル・チャイルド
著者 石井 光太、 新潮社 出版
インドの悲惨な一断面が紹介されています。あまりにもおぞましくて、つい目を背けたくなります。それでも日本人青年が勇気をもって生命がけで突撃取材した結果の本ですので、ともかく最後まで読み通しました。超大国を目ざすインドの影の部分が掘り起こされている本です。
浮浪児たちは路地の片隅で育ち、大人の暴力に怯えながら寂しさを紛らわすように薬物に手をだす。やがては依存症になり、その薬物を手に入れるために、さらにか弱い浮浪児を傷つけるようになる。その、どうしようもない負の連鎖の中で、子どもたちの手や足が一本また一本と切り落とされていく。通行人の同情をひくように障害者がつくられていくのです。なんということでしょう・・・・。
ところが、警察が街頭から浮浪少年を追い出したあとにやって来たのは、ナイジェリアやコンゴなどアフリカ諸国からやってきた黒人である。彼らが替ってたむろするようになった。
次のように、うそぶく男がいます。
街には、ヤク中の女や売春婦が捨てたガキが腐るほど転がっている。そんな赤ん坊を拉致してきて、ある年齢までは女乞食に貸し出して金もうけをし、その後は、身体を傷つけて一人で物乞いさせる。7歳か8歳になったら、女乞食なしでやった方が金になる。マフィアが子どもの目や足の自由を奪うのは、子どもたちが人の助けなしに生きられないようにするためだ。そうすれば、子どもたちは逃げようとせず、マフィアとともに暮らすしかなくなる。
俺らにはガキが必要だ。奴らだって、俺らが必要だ。お互いに助け合って、うまく生きているんだ。
「パパは悪くないよ。ぼくが稼げなかったから、いけないんだ。悪いのは、全部ぼくなんだよ」
「あの男は、きみの目をつぶしたうえに、物乞いをさせ、今だって殴りつけたんだぞ。悪いのは、あいつに決まっているじゃないか」
「ぼくがいけないんだ。目を刺されたのは、ぼくが言うことを聞かない悪い子だったからなんだ。ちゃんと、お金を稼がないから、こんなことになったんだよ」
「お願いだから、パパの悪口を言わないで。追い出そうなんて絶対に言わないでよ」
「こう考えないと、こんなところでは暮らしていけないのよ。生きていくためには、すべてを自分のせいだと思わなければいけないのよ」
なんという哀れな言葉でしょうか・・・・。この会話を読んだとき、私は子どもたちの心をここまで傷つけてよいものか、涙が止まりませんでした
(2009年2月刊。1600円+税)
2010年7月 4日
パプアニューギニア
著者 田中 辰夫 、 花伝社 出版
パプアニューギニアって、どこにあるのか知らん・・・・、と思っていると、あのラバウルが含まれているのでした。いまテレビで放映中の、「ゲゲゲ」の水木さんのいた島です。また、山本五十六元帥が、アメリカ軍に暗号を解読されて所在がつかまれ、撃墜されたところでもあります。
そのパプアニューギニアが、戦後の日本とは平和的な結びつきを強めていることを、この本を読んで初めて知りました。パプアニューギニアを知る入門編にあたる本です。
パプアニューギニアには、700以上の多言語と、それにもとづく民多族集団が存在する。自然環境や生活様式における地域的多様性は著しい。
首都はポートモレスビーは人口25万人。面積でいうと大阪市に等しい。しかし、人口は10分の1でしかない。
パプアニューギニアの都市は犯罪が多く、治安が悪い。人々が町を自由に歩けるのは日中だけ。夜になると、歩行者はまったくなく、ゴーストタウン化する。
パプアニューギニアでは米が生産されている。日本の農業技術が生かされている。また、良質のコーヒーも生産している。ユーカリを植林し、成長した木材を日本に輸入している。ユーカリは、植えたあと1年で千メートルも伸びる。
そして、LNG。パプアニューギニアの山地に年間660万トンの液化天然ガス(LNG)がとれる。その半分の330万トンを日本へ輸出される計画がすすんでいる。
一度は行ってみたい、自然豊かな南の島です。でも、治安の悪さが気にはなりますね・・・・。
(2010年3月刊。1500円+税)
沖縄の普天間基地の移転先と目されていたグアム島のなかにも、基地受け入れについては賛否両論あるようですね。
そして、目理化軍のなかにも海兵隊と陸海軍との内部抗争があるという記事も読みました
いずれにせよ、平和な沖縄にいつまでも沖縄軍の基地があっていいものでしょうか。これって、選挙の重大争点のはずなんですよね……。日本人って、忘れるのが早すぎませんか?
2010年4月 2日
タイ 中進国の模索
著者 末廣 昭 、 出版 岩波新書
タイには一度だけ行ったことがあります。かつて一度も他国の植民地になったことのない安定した王国です。僧侶の多い、微笑みの農業国という印象も受けます。ところが、バンコクに行ってみると、すごい渋滞の国です。
高層ビルが立ち並んでいて、高架鉄道が走っています。治安は良いので、私も一人で高架鉄道に乗って、シルクの店に出かけたのでした。
ところがタイは、農業国ではなく、工業国である。輸出額のトップはコメではなく、コンピューター部品なのである。大学生は一握りのエリートではなく、在籍者は180万人にのぼる。増加するストレスに直面して、微笑みを失った国になっている。
1973年に軍事政権が倒れてから2008年末までの35年間に、クーデターが4回、憲法制定が6回、総選挙は14回、政権交代は27回も経験している。首相の平均在任期間は1年半という短さである。 タイは決して政治的に落ち着いた国ではない。黄色シャツは反タクシン勢力、赤色シャツは親タクシン勢力である。この対立を民主主義を推進する勢力と阻害する勢力の対立、王制を守るグループとないがしろにするグループの対立、都市の中間層と農村の貧困層の対立というとうに、国を二分するグループ間の衝立という構図に読みかえるのは適切でない。国民の大多数は黄色にも赤色にも、そのなりふりかまわない実力行使にうんざりしている。
タクシン元首相は1949年生まれですから、私と同じ団塊世代ということになります。警察中佐でしたが、コンピューターのレンタル事業に乗り出し、またたくまにタイ最大の通信財閥に発展させた。1998年、51歳の若さで首相に就任し、2006年9月のクーデターまで5年8ヶ月、政権を維持した。
タクシン首相による「国の改造」は国王と王室の威信と権威を傷つけ、国軍の人事や国防予算といった軍の聖域を土足で踏み荒らし、官僚を政策決定機構から排除していった。当然、そこに反発と不満を引き起こした。
タイという国を多角的に分析していて大変分かりやすく読みすすめることができました。
(2009年8月刊。780円+税)
2009年11月25日
キャパになれなかったカメラマン(上)
著者 平敷 安常、 出版 講談社
ベトナム戦争が激しくたたかれていたころ、アメリカ軍と一緒に戦場カメラマンとして駆け回っていた人の体験記です。よくぞ死ななかったものだと思いました。戦場では常に死と隣り合わせだったのですね。そして、その戦争の不条理さが戦場の硝煙ととともにひしひしと伝わってきます。
いま考えて、ベトナムの地へアメリカ軍が出かけて行って、「ベトコン」と戦い、5万人以上ものアメリカの青年が戦死したことにどんな意味があったというのでしょうか。亡くなられたベトナム人民とアメリカの青年にはまことに申し訳ありませんが、まことに壮大なゼロとしか言いようがありません。すべてはアメリカの支配層の間違った判断によるものだと私は確信しています。
真面目に間違うと恐ろしい結果をもたらすという典型が、このアメリカによるベトナム侵略戦争だったと思います。いままた、同じ間違いをアメリカは、イラクそしてアフガニスタンで起こしています。アメリカが最終的に勝利するはずがありません。イラクだって、アメリカ兵が撤退したところにやっと平和が訪れているというではありませんか。
ジャングルの中の行進のとき。小休止したときに、塩の粒を2つ、口に含んで水と一緒に飲む。これは、熱さにやられたり日射病にかかりそうになったときに飲むと効果がある。米粒の2倍くらいの大きさの塩の粒が、50個ほど詰まった小瓶が売られている。
熱いベトナムでは水を飲み出したらきりがない。少々の水では喉の渇きは止まらないので、なるべく飲まないようにした。水より熱いお茶のほうが、喉の渇きに良い。
前線で兵士にものをねだるのはタブーで、絶対にしてはいけないことの一つ。食べ物や水、煙草もねだってはいけない。ただし、煙草はくれたらもらって一緒に吸ってもいいらしい。そして、ジャングルの戦場に出かけるとき、食料持参を忘れて、丸1日半、水だけで頑張った。こんなに酷く腹を空かせた経験はなかった。兵士たちが食事をする光景を見なくて済むように、目を閉じて居眠りするふりをしていた。しかし、実に難しかった。そんなとき、黒人兵士が缶詰を一缶、分けてくれた。そこで、記者と2人で一缶にみたない中身を分けて食べた。
飢餓状態にある著者たちに十分な量ではなかった。しかし、不思議なことに、あれほど強烈に襲っていた飢餓感が消えていた。前夜からこの日昼まで続いた、狂おしいまでの食べ物への欲望がどこかへ消えてしまった。この経験のあとは、何を食べても文句は言わなくなった。
1968年当時、ベトナムには50万人ものアメリカ兵がいて、多いときには週に500人も戦死していた。うへーっ、ウソでしょ、と言いたくなる数字です。
この本に登場してくるジャーナリストの多くが「戦死」しています。戦場でたたかう兵士を密着取材するのです。その数字が写真で紹介されていますが、大きなテレビカメラをかかえて現場で取材している様子は、こりゃあ大変だと思わせます。改めて、ベトナム戦争の実相を知り、その意味のなさに怒りすら感じてしまいました。多くのベトナムの人々、そしてアメリカの青年が無残に殺されてしまいました。人命をあまりにも粗末にした戦争でした。
松山に行ってきました。坊ちゃんとマドンナの町ですが、今やすっかり『坂の上の雲』の街になってしまいました。ただ、市長さんの挨拶のなかではNHKテレビがこの11月末から3年間にわたって放映されるけど、それが決まる前、10年前から市として取り組んできたとのことです。
松山城に登ってみました。先日は和歌山城によりましたが、同じ平山城です。松山常の天守閣から見た松山市街のほうが和歌山市がいより大きい気がしたのは気のせいでしょうか。
弁護士業務改革シンポに、一度もエスケープすることなく朝から晩までずっと参加していました。珍しいことですが、それにはわけがあります。私の事務所も法人化して支店展開しようとしているからです。「共同事務所経営のノウハウを探る」というテーマでは聞き逃すわけにはいきません。共同の目標になるものを書面にしておく必要があるなど、いろいろ本当に勉強になりました。
他の分科会の報告を聞くと、日本の判例は0.32%しか公開されていないとのこと。外国では100%公開なのに対して、あまりに立ち遅れており、これでは憲法に定めた「裁判の公開」が鳴くとの指摘があって、なるほどと思いました。すべての判決が公開されると、裁判官の評価もさらに具体的に議論できることでしょう。直ちに改められるべきものです。
(2009年6月刊。2400円+税)
2009年11月18日
トルコ狂乱
著者 トゥルグット・オザクマン、 出版 三一書房
申し訳ないことに、トルコ独立戦争というものがあったことを初めて知りました。直接の敵はギリシャです。そして、そのギリシャの背後にはイギリスがいました。
当時のイギリスの首相は、ロイド・ジョージです。日本では、河上肇が『貧乏物語』において手放しで大絶賛していますが、トルコにとっては、最悪の帝国主義の体現者でしかありません。ウィンストン・チャーチルも同じ穴のむじなでした。
トルコで空前のベストセラーの小説です。正規版60万部、海賊版で300万部が売れたそうです。なにしろ、上下2段組800頁もある大部の本なのです。速読をモットーとする私も、トルコのことをほとんど何も知らなかったため、遅読にならざるをえませんでした。
トルコ人にとって、このギリシャとの独立解放戦争に勝利したというのは、今日なお莫大な遺産なのである。
ムスタファ・ケマル(アタテュルク)は、独立戦争後の1927年、反対派を一掃して一党支配体制を確立した翌年の党大会で、60日間、36時間をかけて行った大演説で、党員たちを前に独立戦争の終結を宣言した。
当時のトルコは、まだオスマン帝国でもあった。しかし、人口1300万人、農業は原始的、産業はないに等しく、港や鉄道、そして鉱山は外資系企業のもの。識字率は7%(女性は1%)、大学は1校のみ。
イギリスの後押しを受けたギリシャ軍がトルコ領土内に侵攻してきたとき、トルコ軍は満足な軍隊を持っていなかった。ギリシャ軍は優秀な装備と兵力で、トルコ軍を次々に撃破して、首都アンカラに迫って来た。そのとき、アタテュルクが反撃作戦の指揮をとった。極めて困難な戦いを先験的というか、卓抜・奇抜な戦略・戦術で逆転し、ついにギリシャを完膚なきまでに打ち破り、ギリシャ軍の指導部を一網打尽式に捕虜にしていった。その奇襲作戦をふくめた軍事指導の見事さには圧倒されてしまいます。
この本を読むと、外国との戦いに勝つためには、単に武器が優越しているだけでは足りず、国民を戦争目的に向かって総動員できる意義、大義名分が欠かせないということが良く分かります。今日のトルコを知るために欠かせない貴重な本だと思いました。
ただ、この本はタイトルがよくありませんよね。「狂乱」というのはマイナス・イメージを与えてしまいます。
熊野古道は世界遺産に登録されています。人工的なものを使って道路を整備したらいけないということです。山にある岩や石をつかったり、材木を利用して道路を歩きやすくするのはいいけれど、海岸の意思を持ち込んではいけないのです。コンクリートやアスファルト舗装などはもってのほかです。とても歩きやすい道になっています。ところどころにある休憩所のトイレも水洗式で気持よく利用できます。熊野には3回お参りする必要があるそうです。好天に恵まれましたのでまた行きたいと思っています。このツアーを企画した大阪の弁護士は和歌山県出身です。串本の近くの小・中・高校を卒業して東大に入りました。それを聞いた仲間が「だったら君は地元で神童と言われていたんだな」と声をかけたら「いえ私は真郎です」と答えて大笑いとなりました。大川真郎弁護士です。
(2008年7月刊。3800円+税)