弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

アジア

2019年9月 8日

ダイヴ・トゥ・バングラデシュ


(霧山昴)
著者 梶井 照陰 、 出版  リトルモア

私はインドにもバングラデシュにも行ったことがありません。バングラデシュというと、日本の大手衣料品メーカーが現地で安く縫製させて、日本で「高く」売りつけているというイメージです。
まずは表紙の写真に圧倒されてしまいます。夜の駅に無数としかいいようのない大群衆がホームにひしめいている写真です。ええっ、こんなにバングラデシュって、人口が多いのか・・・、と思わず息を呑みます。
著者は僧侶であると同時に写真家です。高野山で修業して真言宗の僧侶になり、世界各国を取材してまわっています。バングラデシュに2013年から2018年まで通って撮った写真が紹介されています。
2013年4月にバングラデシュ(ダッカ)で縫製工場の入っていたビルが崩落したときには死者1127人、負傷者2700人以上という大惨事でした。
低賃金で働かされる縫製工場に発注している世界的衣料メーカーは、GAP,H&M、ZARA、ユニクロなど、世界的ブランドのメーカーです。
線路のすぐ脇にまでスラム街が広がっています。スラム街の貧しさから抜け出すために、男は劣悪な環境の炭鉱で働き、女は売春婦になっていく・・・。いやはや、なんとも言いようのないほどの貧困と人々の多さです。しかし、そんななかでも原発建設の反対を訴えるデモ行進があったりもするのです。希望がないわけではありません。
まさしく、雑然、混沌とした世界が奥深く広がっているのがバングラデシュのようです。その一端を垣間見た思いがしました。
(2019年5月刊。2900円+税)

2019年7月27日

「若き医師たちのベトナム戦争とその後」

(霧山昴)
著者 黒田 学 、 出版  クリエイツかもがわ

私は大学生のころ、「アメリカのベトナム侵略戦争に反対!」と何度も叫んだものです。それは学内だけでなく、東京・銀座で通り一面を占拠してすすむ夜のフランスデモのときにも、でした。ですから、私の書庫をベトナム戦争に関する本が200冊以上、今も4段を埋めています。
そのなかでも超おすすめの本は『トゥイーの日記』(経済界、2008年)です。
ハノイ医科大学を卒業して女性医師として志願して従軍し、1970年に南ベトナムで戦死したダン・トゥイー・チャムの日記を本にしたものです。戦死した彼女の遺体のそばから偶然に拾われ、アメリカに渡って英語に翻訳されたという本です。思い出すだけでも泣けてくるほどの率直な若き女医の日誌です。
この本には、トゥイーと同級生のチュン医師の回想記も紹介されています。
この当時の医学生たちは、こぞって戦地への赴任を希望し、その多くがトゥイーのように戦死したのでした。そんな人々が今のベトナムの繁栄を支えているのですよね・・・。
ベトナム戦争の後遺症であるベトちゃんドクちゃんという結合双生児分離手術に至る話も紹介されています。この分離手術は無事に成功し、ベトちゃんは分離手術後、植物状態のまま20年で亡くなったものの、ドクちゃん、38歳は結婚して2人の子ども(名前は富士と桜)がいます。日本もこの分離手術には深く関わっていて、手術の成功は、ベトナムと日本の保健医療分野の前進の成果だと評価されているのです。なにしろ、手術は15時間以上も続いたといいます。そして、テレビで生中継されたのでした。
『トゥイーの日記』を読んでいない人は、ぜひ手にとって読んでみてください。今を生きる勇気がモリモリ湧いてくる本ですよ。
(2019年6月刊。1500円+税)

2019年6月24日

凛としたアジア

(霧山昴)
著者 伊藤 千尋 、 出版  新日本出版社

今の日本が失ってしまった圧倒的な人間のエネルギーや社会のパワーがアジアの国々にある。韓国では、2016年に100万人規模の「民衆総決起」が政権を倒した。権力者が身近な人物に便宜を図ったことに対して国民的な想いが渦巻き、街頭に出てきた。
日本だって、アベ首相夫妻が身近な人間に対する便宜供与が次々と発覚したのに、「民衆総決起」は起きませんでした。いったい、なぜ・・・。どこに違いがあるのか・・・。
韓国人は、ひどい軍政時代に市民が血を流して闘い、自らの力で民主主義を獲得した。だから、韓国人は自信をもっている。日本の歴史で、市民が自らの力で政権を獲得したことが一度でもありますか・・・。
うむむ、そんな根源的な問いかけを受けて、私は胸をはって「日本だって、あります」と答えることができません。残念です・・・。
韓国映画『タクシー運転手』、『1987、ある闘いの真実』は、私も福岡でみました。すごいです。生命かけての闘いに接し、頭が自然に下がります。
アメリカのベトナム侵略戦争反対は、私の学生時代にずっと叫んでいたスローガンです。
私が弁護士になった翌年のメーデーの日にアメリカ軍はみじめに撤退していきました。
南ベトナムの警察の事務局長は「北」の諜報員。政府顧問の補佐官も同じ。ベトナム空軍にも「北」の兵士がいた。
そりゃあ、そうですよね。アメリカ軍の支配に屈したくない人々は南にもたくさんいました。
そして、フィリピン。私も2度だけマニラに行きましたが、アメリカ軍の基地が撤去されて、今では広大なショッピングセンターや商工業施設に変貌して、地域経済を大きく支えています。軍事施設なんて不要という見本なのです。
基地をなくしたら、基地のときの2.5倍の10万人の人々が平和産業で誇り高く生きている。クラーク空軍基地跡には、500社の企業が進出し、日本企業も40社が操業している。
沖縄だって同じです。基地跡(おもろまち)が一大ショッピングセンターなどとして繁栄しています。
著者は私と同じ団塊世代です。大学生のときにキューバに行ってサトウキビ刈り国際ボランティアに参加したというのですから、大変な勇気があります。私の書庫には著者の本がいくつもあり、この本が6冊目です。いま、「九条の会」の世話人の一人として活躍しています。
ぜひ、手にとってお読みください。元気が湧いてくる本ですよ。
(2019年2月刊。1600円+税)

2019年3月31日

出稼ぎ国家フィリピンと残された家族

(霧山昴)
著者 白石 奈津子 、 出版  風響社

私の住む町にもフィリピン人女性はたくさんいます。以前は夜のショーパブなどに多く見かけました。今は、夜のにぎわいがかつてほどではなく、私も行かなくなったので、どうなのかよく分かりません。フィリピン人に代わって増えたのがベトナム人やネパール人です。
この本は、出稼ぎ大国とも言うべきフィリピンの実情を紹介しています。
10%。これは、フィリピンの全人口のうち、移民として海外に流出している人々の割合。そして、フィリピンのGDPにおいて、出稼ぎ者からの送金の占める割合でもある。
いやあ、すごい数字ですよね、まさしくフィリピンは出稼ぎ国家です。
そして、日本にいるフィリピン人は25万人。これは、中国、韓国の次に3位を占める。フィリピン人の1023万人が海外で生活している。1位のアメリカに350万人、2位はサウジアラビアで150万人。アラブ首長国連邦とマレーシアに各80万人、カナダに70万人。
毎年の出国者数は200万人。その渡航先の80%はアジア圏。
フィリピンでは、どこに行くにもカサマが必要であり、独りでいるのは好ましくないこととされている。カサマとは、「連れ」、誰かが一緒にいて、行動している状態をさす。
フィリピンは7000以上の島々から国土が成り立ち、10の主要言語があり、さらに100以上の地域言語、少数言語が存在する。
低地キリスト教徒であるマジョリティ集団がタガログと呼ばれる人々。ただ、フィリピンの人口全体のなかでタガログ言語者は30%ほどでしかない。
マンヤンとは、先住民として異質な人々とされる。タガログがマンヤンを草刈、稲などの収穫、建設現場での土砂運搬などで労働力として扱っている。
出稼ぎ国家フィリピンの実情を教えてくれる40頁ほどのコンパクトなブックレットです。
(2018年10月刊。600円+税)

2019年3月10日

越後のBaちゃん、ベトナムへ行く

(霧山昴)
著者 小松 みゆき 、 出版  2B企画

80歳すぎの母親、しかも認知症の母親を遠くベトナムに連れていって一緒に住んだ日本人女性の奮闘記です。
当然、周囲からは大反対されました。でも、この本を読むと、たとえ、要介護3の認知症であっても、そのプライドを尊重し、しっかり対応すると、それなりに外国にも適応して生活できることがよく分かります。
「オラ、幸せもんだのお」「屋根の雪も心配しねで、ほっけんどこでゆっくり休ましてもらってそう、みんな、たまげてるだろう。何の心配もねえかんだが」
認知症であっても、「知りたい」という気持ちは強いし、その場の会話はまともだ。ただ、記憶が飛ぶこと、忘れ、思い違い、思い込みはある。
「みんな、よく働くのお。越後衆は働きもんだと思っていたが、ベトナム衆もよく働くんだのおい。棒の先っちょに籠さげて。若い娘が重いみかんやリンゴを乗せて、ひょいひょい道を泳ぐように渡ってえ」
「としとると嫌だのう。目やにだ、ヨダレだ、ダラダラ流れるんがのお」
Baちゃんは、ベトナムで、日本の時代劇のビデオを何度も繰り返して楽しんだ。認知症のありがたいところは、何度見ても「今が初めて」なので認知症さまさまだ。とても家族は助かる。
ベトナムには老人ホームがない。また、それをつくる動きもない。みな家庭まかせだ。
「オシン」と呼ばれるお手伝いさんを雇っている家が多い。「オシン」は、日本のテレビドラマの「おしん」から来ているが、「オシン」はベトナム語として定着している。うひゃあ、これには驚きました。今でも、そうでしょうか・・・。
ベトナムでは、子どもと老人は何をやっても多めに見てもらえることが多い。
老人に対して、みんな優しい。
「スッポンが時をつくる」。これは、ベトナムで、世にあるはずのないことのたとえだ。
ベトナムではバナナはどこの家にもあり、年中食べられるものなので、お土産につかうものではない。
団塊世代の著者がベトナムで日本語教師をしながら、80代の実母を新潟から呼び寄せて一緒に生活した様子が生き生きと紹介されています。
実は10年以上も前の本で、本棚の奥に積ん読状態になっていたのを、前から気になっていたので、人間ドッグ(1泊)のときにホテルで読了したのでした。読んで楽しく、心がほんわか温まりました。
(2007年6月刊。1334円+税)

2018年3月31日

だから、居場所が欲しかった


(霧山昴)
著者 水谷 竹秀 、 出版  集英社

タイのバンコクのコールセンターで働いている日本人を取材した貴重な労作です。
日本企業は、いま経費削減のため、電話による受注業務を海外に移転させている。経費が日本よりも3分の2ほどに圧縮できる。なぜか・・・。タイのコールセンターは、最低賃金が適用されず、賃金が最低ラインよりも低く設定されている。それでも、タイの物価は日本の3分の1から5分の1ほどなので、十分に生活できる。なにしろ、衣服費がかからないし、食べ物は日本人好みのものが安くて美味しい。
コールセンターは、時差の関係で、午前7時に始まり、1時間に平均5件、1件につき10分ほど対応する。8時間勤務だと1日40件に対応する。あるコールセンターでは日本人オペレーターが110人、平均年齢は30代前半、男女比は半々。
コールセンターの仕事は時間ぴったりに終わり、ノルマの残業もない。単価の安いタイでは、月に3万バーツもあれば普通に生活できる。コールセンターは大手2社で計300人。小さいコールセンターをふくめると合計500人ほど。こんなに大勢の日本人が働いているのですね、知りませんでした。
ところが、コールセンターで働いているというのは、日本人社会ではイメージが悪く、一段低く見られてしまう。
タイに進出している日系企業は、4500社(2015社5月現在)。タイには日本人は6万7400人。これは、アメリカの42万人、中国の13万人、オーストラリアの8万9000人、イギリスの6万8000人に次いで多い。シンガポールの3万7000人を大きく引き離し、イギリスを抜く勢いで増えている。
駐在員の給与は年収1000万円ほど。現地採用者(ゲンサイ)は、駐在員の5分の1から半分ほどでしかない。
タイにはフィリピンに次いで困窮邦人(日本人)が多い。2015年の外務省の統計では、フィリピンに130人、タイは29人いる。
そもそも日本で出来ることのなかった人がタイへ渡り、タイで出来る仕事がないのでコールセンターで働く。行くも地獄、帰るも地獄。
タイの観光街に日本人男性が群がっているという話は有名です。それは今もあるようですが、この本では、同じように日本人女性がゴーゴーボーイと呼ばれるタイの若い男性を買っている実情をレポートしています。ゴーゴーボーイの大半は貧困層の出身で、若いイケメンを求める日本人女性との間で利害が一致する。バンコクであれば、それほどの大金を積まなくても、狙った獲物を自分の好き放題にすることができる。ゴーゴーボーイの3割はゲイとされ、訪れる客の多くもゲイ。タイでは、コンビニとかスーパーに行けば、1人くらいはニューハーフがいるので、一般の人は免疫ができている。そこが日本とは違っている。
日本の社会で異端児扱いされることが多かったので、居場所が欲しい人がバンコクへやってくる。自分のことを認めてくれる環境を探し求めていた。他人に好かれ、嫌われないような人間でありたかったという人たちだ・・・。日本社会は生きづらい。しかし、そもそも、こんな日本社会に順応する必要があるのか・・・。
世の中には知らないことがあまりにも多いということを、またまた思い知らされました。

(2018年2月刊。1600円+税)

2018年2月21日

海のホーチミン・ルート


(霧山昴)
著者  グエン・ゴック 、 出版  富士国際旅行社

 私にとってベトナムとは、青春時代のベトナム反戦運動そのものです。アメリカが遠くアジアのジャングルへ50万人もの兵士を送り込んで侵略戦争をすすめたあげく、みじめな姿で敗退していったことは今も記憶に強く残っています。
 国の独立を守るために多くの前途有望なベトナムの青年たちが志半ばに倒れてしまいました。同じことは、亡くなったアメリカ兵5万5千人についても言えることです。まったくの無駄死にです。この戦争でもうかったのはアメリカの軍事産業のみ。
 この本は、ベトナム戦争をたたかい抜くために必要不可欠だった山のなかのホーチミン・ルートのほかに海上輸送路もあったことを明らかにしています。漁船に偽装して、北から南へ武器・弾薬そして医薬品などを運んで、南でたたかう解放戦線の兵士に届けていたのでした。
 山のなかを通るホーチミン・ルートは、車道だけで2万キロ。燃料を運ぶパイプラインは全長1400キロ。アメリカ軍は、このホーチミン・ルートを壊滅すべく、空からB52をふくむ爆撃機で、400万トンの爆弾を投下した。これは、アメリカが第二次世界大戦でつかった全砲爆弾量とほとんど同量。大量の枯葉剤もまき散らした。しかし、ホーチミン・ルートは最後まで健在だった。
 そして、海のホーチミン・ルートも開放されていた。陸のホーチミン・ルートは3カ月から長いときには1年間かかった。しかし、海のルートを使うと、1週間から10日間で南部の目的地に到達できた。
 北部のトンキン湾を出て、公海上を南下し、南部の秘密の船着き場の所在地と同じ経度に達したら、一気に方角を西に変えて、ベトナムの領海に直進する。夜の闇のなかで荷物をおろし、船着き場の守備隊が荷物を秘密の武器庫に運び込む。そして、夜明け前にベトナム領海を脱して公海に入る。
 山のホーチミン・ルートは山のなかで隠れる場所が至るところにある。これに対して、海のルートは隠れる場所のない広大な海面である。しかも、陸上よりも圧倒的な力の差のある海軍と対決することになる。
 メコンデルタには、巨大な秘密の船着き場が網の目のようにつくり出されていた。
  この本は、南シナ海の風波を乗りこえて北から南の戦場へ命がけで武器・弾薬を運んでいた北ベトナムの125海軍旅団の戦士たちとそれを支えた家族や民衆に取材して出来あがっています。苛烈な戦争を生き抜いた人々が今も健在なのです。もちろん多くの人が犠牲になっています。
ベトナム戦争はアメリカの愚かさを全世界に証明しましたが、今また、トランプ大統領は力の政策をごりおしですすめていて、本当に怖いです。まったく歴史の教訓から学んでいません。それは、わが日本のアベ首相も同じことで、残念なのですが...。
(2017年9月刊。1500円+税)

2017年9月16日

25年目の「ただいま」

(霧山昴)
著者 サルー・ブライアリー 、 出版  静山社

映画「ライオン」の原作本です。私は涙を流しながら読みすすめめした。なにしろ、5歳の男の子が言葉もよく通じない喧騒の大都会カルカッタ(今はコルカタ)で、一人ぼっちで数週間、路上生活して生き延びたのです。そして警察に行き、施設に入れられてオーストラリアへ養子としてもらわれていったのでした。
この本を読むと、世の中には危険がたくさんあり、悪い人間(子どもを金もうけのために騙す奴)も多いけれど、善意の固まりのような人だって少なくないということを実感させられます。
25年たって、大人になってグーグルアースで記憶をたどってインドの生まれ故郷を探しあてたというのも驚異的ですが、なにより故郷に実母がそのままいて、息子の帰りを待ち続けていたというのには胸を打たれます。なにしろ25年間も息子が生きて帰ってくるというのを信じて動かなかったというのです。信じられませんよね。母の愛は偉大です。
5歳の男の子がカルカッタの路上で数週間も生きのびられたというのには、もともとこの男の子が貧乏な家庭で生まれ育っていたので、食うや食わずの生活に慣れていたということもあるようです。みるからに賢い顔をしています。とはいっても、インドでは学校に通っていません(5歳だからではなく、貧乏だから、です・・・)。
家に食べるものがないため、ときには母親に鍋をもたされて、近所の人たちの家をまわって、残り物を下さいとお願いして歩かなければいけなかった。夕方になれば家に戻って、手に入れたものをテーブルの上に出し、みんなで分けあった。いつも腹ペコだったが、それほど辛いとは感じていなかった。
やさしい母親がいて、二人の兄たちそして面倒をみるべき妹がいて、楽しい家庭だったのです。
家にはテレビもラジオもなく、本も新聞もなかった。単純で質素な生活だった。そんな5歳の男の子が突然1000キロも離れたカルカッタへ列車で運び込まれ、ひとり放り出されたのです。
カルカッタは、無秩序に広がる巨大都市。人口過密と公害、圧倒的な貧困で悪名高い。世界でもっとも恐ろしくて危険な都市の一つ。そこへ裸足、お金も何も持たない5歳の男の子が駅の大群衆にまぎれ込むのです。
警察官に見つかったら牢屋に入れられると思ったので、警察官や制服を着た人々は見つけられないようにした。地面に落ちた食べもののかけらを拾って生き延びた。
危険はあまりに多く、見抜くのは難しい。他人に対する猜疑心が強くなっていた。
世の中の人たちのほとんどは無関心であるか、悪者であるかのどちらかだ。同時に、たとえ滅多にいないとしても、純粋な気持ちで助けてくれる人がいる。
何に対しても注意深くあらねばならない。警戒すること、チャンスを逃さずつかむこと、その両方が必要だ。
インドでは、多くの子どもたちが性産業や奴隷労働、あるいは臓器摘出のために売り飛ばされている。その実数は誰にも分からない。
映画をみなかった人にも、ぜひ読んでほしい本です。5歳の男の子がどうやって危険な大都会のなかで生き延びていったのか、その心理状態を知ることは、日本の子どもたちに生きる力を教えてくれると確信します。
(2015年9月刊。1600円+税)

2017年6月28日

フィリピン


(霧山昴)
著者 井出 譲治 、 出版  中公新書

フィリピンには2度だけ行ったことがあります。一回目はODAの現地視察ということでレイテ島に行きました。そこでは、大岡昇平の『レイテ戦記』を偲びました。激しい戦火によって、原生林のジャングルはなくなったとのことで、こんな山奥で若い日本人青年たちが死んでいったのかと思うと、戦争のむごさを実感しました。二度目は、マニラの近代的なショッピングセンターに入りました。すぐ近くに極貧状態に置かれた人々から成るスラムがあり、貧富の差があまりにも明らかでした。
そんなフィリピンですが、アメリカ軍の基地を撤退させた民衆の力には日本も大いに学ぶべきものがあります。
そして、アメリカ軍基地のあったところは、沖縄の「おもろ町」あたりと同じで、経済的に繁栄しているのです。やっぱり、基地は百害あって、一利なしという存在なのです。
「権力への抵抗」という歴史の積み重ねが、フィリピン人のナショナリズムの原点であり、フィリピンという国も民主主義の拠りどころになっている。
フィリピンの国民の1割が国外で働いている。たしかに日本にもフィリピン人がたくさん来ています。夜の町には、フィリピン・パブがたくさんありました。昔、レイテ島に行ったときにも、日本へ出稼ぎに行ったという人々にたくさん出会いました。
フィリピンの選挙で必要なものは、金(Gold)、銃(Gan)、私兵(Goon)だと伝統的に言われてきた。この三つの頭文字をとって、3G選挙だと形容されてきた。近年でも、選挙のときの死傷者は少なくない。しかし、中間所得層が拡大していくにつれて、政策決定の透明化を求める声も強まっている。
フィリピンの民主主義の問題点は、行政の汚職や腐敗が蔓延している結果国民の政府に対する信頼度が低いこと、議会は汚職・腐敗を是正する機能・役割を十分に果たしていないことがあげられる。
日本でも、今のアベ政権のように、親しい友人や、思想傾向を同じくする人を重用し、そのためには制度をねじ曲げることも公然といとわないという事態が許されてしまえば、決して他人事(ひとごと)ではなくなります。
フィリピンの最新の状況とかかえている問題点を理解することのできる新書です。
(2017年2月刊。800円+税)
 東京・神田の岩波ホールでチベット映画『草原の河』をみました。6歳の少女が主人公なのですが、あまりにも自然な演技なのに驚きました。史上最年少の最優秀女優賞をもらったというのも納得できます。
 チベットの放牧生活が淡々と展開していきます。といっても、農耕も始まっているようです。春に農地で種まきをして、秋に収穫します。一粒の種が何十倍にも増えると聞いて、少女は大切なクマさん人形を地面に埋めるのです。春になったら、たくさんのクマさん人形が生まれると信じて・・・。
 チベットの大草原で、時間がゆっくり流れていく。しかし、人間の営みは、なにかと行き違うことが多い。父と子が理解しあうのも難しい。
 人生をじっくり考えさせてくれる映画でした。

2017年5月 6日

テクノロジーは貧困を救わない


(霧山昴)
著者 外山 健太郎 、 出版  みすず書房

アメリカで育った日本人が英語で書いた本です。著者は12年間、マイクロソフトで働いていました。
アメリカ政府は、テクノロジーは教育の分野に大変革をもたらし、万人の学業成績を向上させ、子どもにとっての公平性を増してくれるだろうと語っていた。ところが現実には、そうはならなかった。アメリカのテクノロジーの爆発的進歩は目ざましいものがある。しかし、アメリカの貧困率は12~13%という高水準のままであり、貧困層や中流家庭の実質所得は停滞したまま、上流家庭との格差はさらに増大している。
子どもを伸ばすには大人の指導が必要だ。指導にもとづく動機づけが必要なのだ。
子どもがやり通すためには、学校にいるあいだに、1年のうち少なくとも9ヶ月間は指導と励ましが常に必要であり、これを12年間続けなければならない。
子どもの教育の質における本質は、昔も今も、思いやりと知識に裏づけられた大人の注目だ。
テクノロジーだけでは、決して成果は得られない。新しい機器の開発と普及は、必ずしも社会的進歩を引き起こしはしなかった。
アメリカには、常に500万人もの子どもたちが安定した食事を得られずに苦しんでいる。テクノロジーの豊かさは、すべての人々にとっての豊かさにはなっていない。
インドで始まったマイクロクレジットは、ある程度の恩恵をもたらすが、貧困にとっての万能薬ではない。
アメリカが世界最強の軍事力を駆使してイラクのフセインのような暴君を追放し、選挙を支援しても、その結果は腐敗と暴力に終わることが多い。
マイクロクレジットも、学校におけるパソコンも、それだけでは効果を生まない。インターネットがいくら普及しても、裕福国アメリカでさえ、貧困や不平等を撲滅できていない。
ネルソン・マンデラは、あるとき、こう言った。
「教育は、世界を変えるために我々が用いることのできる最強の武器である。」
教育の恩恵は、経済的生産性の向上だけにとどまらない。
女の子が学校で1年間、教育を受けると、乳児の死亡率が5~10%削減できる。
5年間の初等教育を受けた母親のもとに生まれた子どもが5歳以上まで生きられる確率は40%高くなる。中等教育を受けた女性の比率が今の倍になれば、出産率は、女性ひとりあたり5.3人から3.9人に減少する。
女の子にもう1年余分に教育を受けさせれば、彼女たちの賃金は10~20%増加する。
ブラジルでは、子どもの健康に対して、より影響を及ぼすのは男性の教育より女性の教育のほうが20倍も高い。
若いウガンダ人が中等教育を受けると、HIV陽性になる可能性が3分の1になる。
インドでは、女性が公教育を受けると、暴力に抵抗するようになる可能性が高まる。
バングラデシュでは、教育を受けた女性は政治集会に参加する可能性が3倍高まる。
こうみてくると、女性に教育はいらないどころか、女性のほうにこそもっと教育の機会を保障すべきなんだということがよく分かります。
すぐれた教育とは、子どもたちが強い願望にみちた未来への展望をもてるようにすること。
自分自身に対する信念、学能力、さまざまな好奇心に対する内面的なやる気、そして自分をこえた大義に貢献したいという思い・・・、これらを育むことが教育の狙いなのだ。
効果的な教育では、「私にはできる」ということを学べる機会が繰り返し訪れる。日本の丸暗記教育は、この限りですぐれている。楽観的な意図、注意深い判断力、そして強い自制心をはぐくんでいる。
なるほどと思わせることの多い本でした。著者のインドで子どもたちに教えたときの実体験をふまえているだけに説得力があります。
(2016年11月刊。3500円+税)

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