弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

アジア

2012年9月 2日

フィリピン民衆、米軍駐留

著者   ローランド・G・シンブラン 、 出版    凱風社 

 日本の首都・東京にアメリカ軍の基地が今もあるなんて異常ですよね。でも、なぜか多くの日本人はアメリカ軍が日本を守っているものと錯覚して、それを変なことだと思っていません。だけど私は、やっぱりそれって変だと考えています。戦前のような「鬼畜米英」と言いたいなんていうことではありません。そうではなくて、アメリカ軍が日本人を守るなんて、ありえないことでしょう。なぜなら、日本軍だって日本人を守ったわけではないからです。軍隊には軍隊の論理というものがあり、軍人でないものは、いつだって二の次の存在でしかありません。だから、アメリカ軍がフツーの日本人を守るはずなんてないのは当然なのです。そのイミで、日本人は「平和ボケ」していると私も思います。これは通常の意味と正反対のものとして・・・・。
フィリピンは、アメリカ軍の基地を全廃してしまいました。もちろん、簡単に達成したわけではありません。
 フィリピン上院は、伝統的に保守的かつ親米的であり、未来の大統領が政治的研鑽を積む場所だとされてきた。この上院がアメリカの不興を買ってまで基地条約の延長を拒否した。なぜか?
 経済的に貧しく、政治的にも不安定な国が、世界唯一の超大国を相手に一歩も引かず、「アメリカの鼻をひねりあげる」ようなことができたのは、なぜか?
多くのフィリピン人は、アメリカが独裁政権を支援しようとした理由が、上院議員をふくめて理解できなかった。アメリカが、本当はフィリピンの民主主義に興味などなかったことは、当時のフィリピン人と国会議員たちにとって明々白々のことだった。
 1991年9月16日は、フィリピンにとって勝利の日だった。弱い者いじめのアメリカは、フィリピン上院をだまして基地条約という重荷を背負わせようとしていた。そのとき、12人の偉大な上院議員が、その企みを打ち砕いた。
アメリカ軍が出ていった基地のあとにフィリピン軍が入ったのではありません。平和利用されたのです。
 2008年6月、フィリピンにあったアメリカ軍の基地のあとに働くフィリピン人労働者は3倍となり、290億円もの歳入がフィリピンの国庫にもたらされている。軍の施設や弾薬庫は、甲状、レストラン、商業オフィス、レジャー施設そして大学などに転用された。いまや、旧クラークとスービックの米軍基地跡だけで、12万人に近い労働者が働く、フィリピン最大の労働集積地となっている。
 著者はフィリピン大学マニラ校の教授です。日本にも、たびたび訪れていて、交流を深めています。
 この本を読むと、日本から米軍基地を撤去させることができたなら、日本の経済が大きくプラスに働くことが示唆されています。そして、日本人がその誇りを取り戻すことができることになります。いつまでもアメリカ頼り、アメリカ言いなりという、情けない日本の「外交」を一日も早く転換したいものだと思わせる本でした。
(2012年6月刊。2000円+税)

2012年6月 9日

インド・ウェイ、飛躍の経営

著者   ジテンドラ・シンほか 、 出版   英治出版

 インドの企業はすごい。
 2010年に、インドはアメリカ、中国、日本に次ぐ世界第4の経済大国となった。日本のGDPは4兆3100億ドルに対して、インドは4兆100億だ。インド経済は、年7~8%の成長を続けている。
 日本とインド企業との連携の好例は、スズキだ。インドの自動車市場の45%のシェアである。
インド・ウェイとは、よその国とは異なるインド企業独特の組織能力、マネジメント慣行、そして企業文化の複合体だ。それは、作業員とのホリスティック・エンゲージメント、ジュガンドの精神、創造的な価値提案、高度な使命と目的の4つの原則から成っている。
 アメリカのMBAプログラムに入学するために必要なGMATの受験者は、10年間にアジアで74%増加したが、中国は161%、インドは341%も増えた。
インドでの販売の最大の課題の一つは、従来のマスメディアが人口の半分にしか届かず、5億人をこえる人が企業の製品やブランドについてほとんど知らない。およそ60万の村落の分散している農村部の住民は、新聞、電子メディア、鉄道につながっておらず、また半分以上は道路でさえ都市と接続していない。
 インド企業の驚くべき成功にもかかわらず、多くのインド人が貧困に窮しており、3億人以上の人々が1日1ドル以下で過ごしている。幼児期の死亡率は依然として高く、1000人の出生について57人が死亡する(アメリカでは7人)。
インドの中間層は急激に増えており、田舎の生活から離れ、新しい格差を生み出している。政府における汚職だけでなく、ビジネスにおける汚職も、インドでは日常的となっている。
 ごく低収入の人々に、ごく安い価格でアプローチするビジネスが生まれました。
 きわめて多数の顧客人口に対して、非常に低コストの通信サービスを提供した。世界でもっとも安いケータイ料金が1分10セントのとき、インドでは1分1セントというものだった。
 なーるほど、数は力なりですね。どんなに安くても、数が多ければ商売として成りたつというものです。
 世界に冠たるインド企業の内実を少しだけ知った気にさせる本でした。
(2011年12月刊。2200円+税)

2012年5月 3日

シャンタラム(上)

著者   グレゴリー・デイヴィッド・ロバーツ 、 出版   新潮文庫

 インド(ボンベイ)のスラム街の生活が描かれています。
 長大な小説の第1巻ですが、自身の体験をもとにしていますので、その迫力は絶大なものがあります。
インドとインド人についての単純な、それでいて驚くべき真実は、インドに行ってインド人と付きあうときには頭より心に従った方が賢明だということだ。その真実がこんなにもあてはまる国は、世界中どこを探してもほかにない。
 不誠実な賄賂はどの国でも同じだが、誠実な賄賂が存在するのはインドだけだ。
 ええーっ、本当でしょうか。信じられませんね。そう言えば、最近もインドで、賄賂をなくせという集会とデモがあったと報道されていました・・・。
 主人公はオーストラリア人。刑務所を脱獄したから、もはや本国には戻れません。
 刑務所で暮らすということは、何年ものあいだ、午後の早い時刻から翌日の午前の遅い時間まで、毎日16時間も監房に閉じ込められ、日の出も日没も夜空も眼にすることがないことを意味する。つまり、刑務所で暮らすということは、太陽と月と星を奪われることを意味する。
刑務所は地獄ではなかったが、もちろん天国も見あたらなかった。それはそれで地獄にいると同じくらい悲惨なことだ。
 人市場で子どもたちが売りに出されている。しかし、この子どもたちは人市場にたどり着かなかったら死んでいただろう。餓えに苦しめられ、すでに自分の子どもの一人かそれ以上が病気になって死んでいくのを見てきた親たちは、「人材発掘人」が来てくれたことに感謝し、ひざまずいて彼らの足に触れ、息子や娘を買ってくれと懇願する。せめて、その子の生命だけでも助けたいという思いからだ。
 これって、本当なのでしょうか・・・。哀れすぎです。
 主人公はボンベイのスラムで医師まがいのことをして、住民の生命を救い、頼りにされるのでした。インドは行ってみたい国ではありますが、とても行く勇気はありません。
 そんなインドに住みついた白人脱獄囚の冒頭にスリルにみちた話が展開していき、次はどうなるのかと恐る恐る頁をめくっていきました。
(2011年12月刊。990円+税)

2012年4月18日

経済大国インドネシア

著者  佐 藤  百 合 、 出版  中公新書

 インドネシアという国には、あまりいい印象がありませんでした。長く軍部独裁が続いてきた国で、9.30事件では共産党をはじめ民主的人士を大量虐殺し、近くはチモール独立運動も圧殺した国というイメージです。
 ところが、この本によれば、そんなインドネシアが最近ぐんと変化したといいます。
 インドネシアの人口は2億4000万人。日本の2倍。ロシアの1.7倍。日本とメキシコの2倍。経済成長率の高さでは、中国・インドが突出していて、それに続くのがインドネシアである。
2004年、インドネシアは建国史上初めての直接大統領選挙を成功させ、ユドヨノ大統領が誕生した。これをもってインドネシアに民主主義体制が確立したといってよい。
 インドネシアでは、毎年200~250万人の新規参入労働力が発生する。
インドネシアは多民族国家である。1128の民族集団と745の言語がある。インドネシアは、6000あまりの無人島を含む、1万7504の島々から成る最大の群島国家である。インドネシアの国語は、最大民族集団のジャワ人のジャワ語ではない。文法がシンプルで表記が簡便なムラマ語(マレー語)を国語としている。
 インドネシアは総人口の88%、2億1000万人がイスラム教徒、世界最大である。しかし、インドネシアはイスラム教を国教とはしていない。ヒンドゥー教のヴィシェヌ神を背に乗せて飛ぶ神の島、ガルーダを国章にしている。インドネシアという国は、各地の多種多様な民族がオランダを共通の敵として共にたたかったという歴史的事実を唯一の根拠として誕生した国である。
 インドネシアでの現地生産の長い日系企業のなかではインドネシアの作業員の質の評価は高い。手先の器用さ、眼のよさ、作業効率の高さ、忍耐強さなどである。
 インドネシアの輸出相手国として、日本は原油・天然ガスの最大の仕向け先として一貫して第一位を占めている。
 うむむ、日本って、インドネシアとそんなに深い関係だったのですね。
 日本から見て、インドネシアは最大の援助対象国である。ODAについて、日本政府からの債務が270億ドルで44%を占める。
 しかし、同時に日本はインドネシアを南進策の下で占領した歴史がある。インドネシア人の日本観も、日本による軍事占領の歴史を起点としている。
 そうなんですね。日本人の私たちの忘れがちなところです。加害者は忘れても、被害者は忘れることができないものです。
 インドネシアの今日を、ハンディに知ることのできる貴重な本でした。

(2011年12月刊。840円+税)

2012年2月20日

僕は日本でたったひとりのチベット医になった

著者   小川 康 、 出版   径書房

 実に面白い本でした。一日中ずっと読みふけっていたい本です。
 何が面白いって、チベット医学を日本人が学び、それを習得するまでの苦労が生き生きと、手にとるように描かれています。笑いあり、涙あり、驚嘆すべき暗誦ありの日々なのです。
 1970年生まれですから、いま41歳でしょうか。東北大学薬学部を卒業し、しばらく人生の展望を見失っているとき、ひょんなことからチベットに渡ったのです。なんという運命でしょう。チベット医学を学ぶときには、外国人枠(ヒマラヤ枠)で入学できたのでした。
それにしても、短期間のうちにチベット語を習得し、仏教、歴史その他の科目で500点以上(1000点満点)を獲得しなければならないのを突破できたというのですから、実に偉い。なみの努力ではここまでできませんよね。
 試験問題は、たとえば、薬師如来のご身体の色は何色か。その理由を述べよ、というものです。うひゃあ、こんな問題に答えきれるなんて・・・。
 朝7時に起床し、お堂で読経が始まる。般若心経、文殊菩薩、ターラ菩薩のお経を次々と猛烈なスピードで諳んじていく。
ヒマラヤで薬草を採る実習がある。20日間にわたる実習が続く。奈良の正倉院に納められている薬草を調べると、そのひとつがヒマラヤのホンレンであることが判明した。丸一日かけてとってきた薬草を乾燥させると、たった手のひら一杯ほどになってしまう。
 ここでは、教典(四部医典)と解読書を90分のうちに早口言葉のスピードで暗誦させられる。
 著者は、なんとこの暗誦に挑み、成就したのでした。座布団の上で足を組み、背筋を伸ばす。そして、薬師如来の祈りの言葉を捧げると、大きく深呼吸して眼を閉じた。抑揚をかなり大げさにつけた語り口で暗誦を続けた。
 1年に1日だけ、それも満月の光のもとでしか作ることのできない神秘の薬がある。その名も月晶丸。最後に牛乳を混ぜる作業は必ず満月の下で行わなくてはいけない。
 うむむ、この神秘一番の薬はぜひとも服用したいものですね。いったい何に効くのでしょうか?おもに胃かいようなど、胃の熱病に用いられるとのことです。
 順風満帆のように思われる5年間の勉学生活ですが、実はまったく違います。1年のときは快進撃でした。しかし2年生のときはノイローゼになり、3年生で休学し、そして、4年生で復学して、ついに卒業にこぎつけたのです。まさに七転八倒の学園ドラマを演じたのでした。しかし、それにしてもチベット人のなかで日本人一人よくもがんばったものです。すごいです。偉いものです。
 卒業のとき、著者は、4時間半に達成することができたのでした。ここまでくると、読んでいる私も、自分のことのようにうれしくなってしまいます。
 果てしなく続く暗誦です。ええーっ、4時間半も座って暗誦するなんて、とんでもないことです。まさにカミワザですね。そのときの写真が紹介されています。教師や学友たちに囲まれ、広くない講堂の中央に座って暗誦している姿です。途中から、著者がずっと可愛がっていた野良犬が二匹、著者のそばに寄り添っていたというのも嘘のような話でした。
 こうやって著者はチベット医(アムチ)になったのでした。暗誦できるのがどれだけ医者として役に立つのかなどというのは無用の詮索です。すごい勉学の日々でした。読んでいるうちに、なんとなく、私もまだがんばれるかもしれない。そんな不思議な気持ちになりました。
 ちなみに、著者は、今は長野県小諸市で「アムチ薬房」を開設し、チベット医学とともに日本古来の伝統医療の紹介・普及につとめているとのことです。いちど、お世話になりたいと思いました。
 いい本をありがとうございました。
(2011年10月刊。1900円+税)

2011年11月19日

悲しきアフガンの美しい人々

 著者 白川 徹、 アストラ 
 
 泥沼のアフガニスタンへ今、日本の自衛隊もアメリカの目下の軍隊として出動しようとしています。とんでもないことです。
 福岡県出身の中村哲医師のペシャワール会の営みを支援することこそ日本政府のなすべきことではありませんか。軍隊を派遣して平和を回復することなんて出来っこありません。もし、それが出来るというのなら、世界最強のアメリカ軍だけで足りたはずではありませんか。
 アフガニスタンの実情が写真とともに詳しくレポートされている本です。表紙にある少女が泣いている写真は問題の本質をついたものです。本当に泣きたくなりますよね。
 アメリカ軍は「人道援助」を隠れ蓑とした武装勢力の捜索をする。それによって村民の反発が高まっている。アメリカ軍の「人道援助」なるものは、名ばかりのもので、その内実は旧日本軍の宣撫工作に近い。住民を味方につけ、敵の情報を得るという行為は、「人道」という言葉にそぐわない。
 アフガニスタンでは、男性の識字率は50%、女性は15%未満でしかない。
 アフガニスタンの知識層の多くは戦乱のなかで、祖国を捨てて欧米などに移住した。いまの福島からの「自主避難」と同じことですよね。
 アメリカは、イラク戦争をふくめて6000人以上のアメリカ人青年の生命を失い、また総額1兆ドル(80兆)もの巨費を支出した。それだけの支出に見合う「収入」があったとは、とても思えない。
 ペシャワール会のアフガニスタンでの活動が紹介されています。そして、それが見事に現地で定着していることを知ると、同じ日本人として誇らしい気分になります。
 ペシャワール会が水路をつくった周辺にはケシ畑はない。十分な水があれば小麦や米の栽培が可能であり、わざわざケシ栽培という「やばい橋」を渡る必要がないからだ。
 軍事ですべてが解決するなんて、まったくの幻想だと思いました。もっと日本は平和憲法、九条の精神を世界に広める努力をしていいし、すべきだと思います。
         (2011年9月刊。1700円+税)

2011年8月 5日

イラン現代史

 吉村 慎太郎      有志舎

 イランとかイラクとなると、さっぱり分からない国というイメージです。
 なんとか少しでも理解しようと思って読んでみました。
 イランは7000万人の人口をかかえ、世界第3位の石油産出国であり、天然ガスと石油の確認埋蔵量で第2あるいは3位。GDPは3851億ドルで、世界26位。
 イランは教育と学問に熱心な国である。
 イランはペルシア系がようやく過半数に達するほどの、多民族国家である。民族別の人口センサスが取られたことはないので推定によると、ペルシア語を母語とするペルシア系民族は50%前後。クルド人も北西部に住む。ムスリム人口は99.4%。世界的には少数派のシーア派が支配的である。テヘランの人口は700万人以上。
 19世紀のイランを支配したトルコ系ガージャール族は、小規模な部族であったが、巧みな操作で130年間も支配を続けた。ガージャール政府は、敵対的でない部族集団には既存の部族長や支族長の権力温存を図り、自治を許した。地主権力にも介入しなかった。また、地主や富裕商人を中心とする地方名士の権力も容認した。
ガージャール朝権力は、大規模な軍事力も官僚機構もなくしてすました。軍事力は部族軍に、完了機構は地方有力者層に依存し、最低限の高級官僚さえ抱えればよかった。
 ガージャール朝は、半独立的な宗教勢力を直接従属させるのではなく、シーア派の擁護者としてふるまった。
 イランを含む西アジアの国々に今なお親日的感情が強いのは、同じアジアの日本が1904年の日露戦争において大国ロシアに勝利したことへの高い評価が関係している。
 1917年のロシア革命によって、イランは1907年協商にもとづく英露2極支配から解放されたかのように見えた。だが、戦後のイランを待ち受けていたのは、英-イ協定という単独保護国家を目指す英国の政策であった。当然、それに反発する反英抵抗運動は高揚することになる。しかし、反英、反テヘラン中央政府の立場で共通する姿勢を示しながら、そこに生まれた運動は一枚岩的な民族運動へと発展できず、テヘラン政府の動向を受けて動揺した。
 1920年代後半のレザー・シャー政権の特徴はガージャール朝期の政治家や官僚、知識人への依存にあった。
 1941年8月、突如として英印軍(2個師団)とソ連軍(12個師団)が南北から進駐を開始した。この共同進駐で、レザー・シャーが多額の予算をつぎこんで強化したはずのイラン軍(全12個師団)は、各地であっけなく敗走・解体した。そして、イラン全土は南北で英ソ両軍の占領下に置かれた。
イランにおける冷戦との関わりで重要なのは、新ソ派共産党「トゥーデー(人民)党」の成立である。
 1953年6月のクーデターはアメリカCIAとチャーチル政権下の英国秘密情報部(SIS)によって練りあげられた陰謀によっていた。クーデターの1か月前に潜入したCIA工作員によると、10万ドルが計画実施のために使われた。
 列強による石油支配とアメリカの支援に依拠し、国内的には自由な政治活動や言論を許さないシャー独裁体制が構築された。シャーは、アメリカからの経済的・物理的支援とともに、増大した石油収入も注ぎ込んで軍事力の増強を図った。12万人から20万人への兵力拡大と軍備増強のために生じた軍事予算は、石油収入の60%を占めるまでに膨れ上がり、異常なまでの軍事力重視策がとられた。1975年には、軍兵力は38万5千人にまでなった。
 シャー権力を支えたサバクはシャーの眼と耳であり、必要な場合には鉄拳となり、体制に背くすべての者を抹殺した。
 イランの軍事大国化は、アメリカからの兵器輸入によった。年間57億ドルの兵器を購入した。ところが1977年1月に成立したアメリカのカーター政権の人権を重視した姿勢は、シャー独裁に不満をもつ人々を刺激した。
 アメリカは人権重視の立場から国務省が武力弾圧を最小限に抑えるよう要求し、徹底弾圧によって治安回復を求める国防省などの要請と相異なるシグナルによってシャー政権は混乱した。在イランCIAはサバクに依存していたため、アメリカの対応は遅れた。
 2005年6月の大統領選挙で無名に近いアフマディーネジャードが勝利したのは大番狂わせだった。かつてハータミーを支援した世論が、「保守派」を後ろ盾にして、実行力をもち、貧困層から身を起こした出自など、多様な新味をもつ人物に将来を託したとみることができる。
 イラン社会は、西欧志向とイスラーム志向という両極に分化した多重性がある。
 歴史が実証するように、イランの多くの人々は専横な権力への従属状況に沈黙し続けることがない。政治社会的にいっそう成熟しつつあるイラン人の新たな、そして主体的な「従属と抵抗の100年」の幕は、すでに切って落とされている。
 イランとは、なかなか迂余曲折のある、一筋縄ではいかない国だと思ったことでした。
   
           (2011年4月刊。 2400円+税)

2011年7月19日

エベレスト登頂請負い業

著者    村口 徳行  、 出版   山と渓谷社

 高さ8848メートル、世界最高峰エベレスト。チベットの人々は昔からチョモランマと呼ぶ。母なる女神の意味だ。
 今やエベレストは大衆化に向かい、多くの人々が登頂できる時代になった。世界一という分かりやすい標高が多くの人々を惹きつけ、人生に目的を与え、なんとか努力することで叶う最高の目標としてエベレストがとらえられるようになった。そうなんですか、エベレストって大衆化してるんですか・・・。
 はるか遠い昔、エベレストは海の底だった。インド亜大陸とユーラシア大陸が北緯10度近くで衝突をはじめたのは始新世のことで、それ以降5000万年にわたって続いた衝突の結果、両大陸の地殻は水平距離で2500キロ以上も短縮し、対流圏上部に達するヒマラヤ山脈を誕生させた。かつて浅い海で大繁殖していたウミユリ、三葉虫の化石も発見された。つまり、チョモランマの頂上付近は、海の深い場所ではなく、波打ち際の浅い海、4億8000万年前の渚だった。
人間は5000メートルをこえては定住できない。子孫を残していけるぎりぎりの高さだ。チョモランマの麓、サロンプ村、もはや農作物もとれない4800メートルの高地に43世帯、
292人が暮らしている。ヤクからバターをもらい、その糞を燃料にして暖をとる。トイレすらない。
 悪い環境で長期間にわたって他人と生活をともにするときには、できる限りプライベートを守ってあげることに気をつける。なるべくストレスを翌日に抱えないためには、個人用のプライベート・テントが有効だ。自分だけの空間は、どんなに小さくても最高に居心地のよい住処となる。
 登頂を終えたら、さっさと下りるのがヒマラヤ登頂の鉄則だ。長い時間、滞在する場所ではない。体が冷えてくる。冷たい風が気になる。
 酸素がいかに重要かという問題を抜きにして、高所の登山は成りたたない。ベースキャンプは5300メートル。順応のできた体なら、そこで数日のんびり過ごすことで休養はとれるし、疲れた体を回復させることは可能だ。もう一歩ふみ込んで、さらに高度を下げることで回復力がもっと早まっていく。
高所での歩行速度は、その人の状態を簡単に見分けることのできるバロメーターとなる。
 風は体温を奪い、著しく、消耗させる。体の機能がもっとも大きなダメージを受けはじめる4000メートルへの順応が大切だ。健康な人間は、3000メートルから低酸素の影響を受け、個人差にもよるが、頭痛、微熱、食欲不振、嘔吐、下痢などの症状があらわれてくる。それを通過しないことには先へ進めない。それが高所登山の厄介なところだ。だから、なるべくうまく高山病にかかってあげることが大切だ。4000メートル前後から、2ヵ月にわたり高山病とのたたかいが始まる。6450メートルの高度では睡眠不足に陥る。この高度は横になっていればそれでいいと考えるべき。人間の体はよく出来ている。眠れないというのは、体が眠らせないように反応しているのだ。眠ることによって呼吸数が減り、酸素の取り入れ能力が落ちてくる。それを避けるために、眠らせないという形で信号を送り、まだ環境に慣れていないということを伝える役目を果たしている。要するに、高所に順応できているかどうかを示すわかりやすいバロメーターなのだ。
 高所登山には有酸素運動が必要だ。上半身の筋肉を必要以上につけず、下半身の強化を意識するのが基本トレーニング。2ヵ月間がエベレストを登るためのおおよその目安だ。エベレストは、もっとも酸素の少ないところにそびえる山なのだ。酸素がないことが普通で、意識は常に見えもしない透明のなかに向かっている。順応すると赤血球が増え、酸素の運搬能力が高まるが、同時に血管が詰まりやすくなるという悩ましい問題が発生する。私には8千メートルの高度を目ざす登山家の心理はよく理解できません。
(2011年4月刊。1600円+税)

2011年6月29日

苦悩するパキスタン

著者    水谷 章  、 出版   花伝社

 外務省に入ってパキスタン公使などを歴任した人ならではの詳細なパキスタン情報が満載の本です。貴重な本だと思いました。
 パキスタンというと、今も一人パキスタンで、孤軍奮闘中の福岡出身の中村哲医師(ペシャワール会)を思い出します。スライド付きの講演を聞いたことがありますが、本当にすばらしい活動だと感嘆し、敬服しました。
 パキスタンには全アジアのムスリム人口6億4000万人の4分の1を占めるムスリム社会がある。パキスタンの厳しい自然条件と地域差、民族と言語の違いは、まさにモザイク状である。信仰・規律・統一をモットーに、ムスリムであることのみをもって国民をまとめる唯一の紐帯としてできたイスラム教徒の国である。
 識字率の低さなど教育の不備とあいまって、固陋な思想と因習が同時に温存している。
 初代首相は暗殺され、建国後の10年間に首相が7人も交替した。いやはや、まるで、今の日本みたいですね。どんな人が首相になっても、国はもつものなんですよね。
 現在のパキスタンは総人口が1億6000万人。世界で2番目に大きいムスリム国家である。全国の土地の70%を全体の5%の地主が所有している。したがって、健全な中産階級がパキスタンでは育ちにくい。
 国民一般の低い識字率と教育水準は、社会階層間の交流を妨げるとともに、既得権益層、とりわけ政治エリート階級を固定化した。パキスタンの国会議員のほとんどは、封建地主、部族長あるいは宗教リーダーなので、根本的な社会改革はすすみにくい。
国民は政治家にはあまり信頼を置かないが、軍には一定の信頼を置いている。現在のパキスタンにおいては、軍がもっとも強力かつ統制のとれた組織である。軍事費はGDPの6%を占めていたが、今は3~4%で推移している。政府支出の中では30%~20%を占めている。
 パキスタン軍は志願制であり、予備役25万人をふくむ陸軍兵力80万人を中心とする。軍人は採用以来、昇進など実力主義で処遇されており、専門的能力が高い。パキスタンは核保有国であるが、通常は核弾頭を外している。
 パキスタンにおいて、軍は、国家の統治機構の一部分であるだけでなく、国家経済のなかで国家資源を流用・費消して成り立つ、一つの独立した他の統治機構の索制を受けない、経済単位となっており、一面において自己完結的な存在でもある。
 軍は、パキスタンの野心的な若者にとって、雇用と社会的影響力、そして老後の安定という面から、きわめて魅力的な職場である。
9.11後、アメリカは、ムシャラフ政権が対アフガニスタン政策を急転回させて、テロとの闘いでアメリカ支援を明確してから、パキスタンに対して総額100億ドルをこえる軍事・経済支援を行ってきた。
 アフガンのムジャヒディンがソ連と戦うのを支援するため、アメリカCIAは60億ドル、サウジGIDは50億ドルをつぎこんだ。そして、パキスタンのISI(三軍統合情報局)は、8万3000人のムジャヒティンを訓練した。
 これは、ビン・ラディンをアメリカCIAが養成したということです。アメリカは、自ら育てた鬼っ子に手を深くかまれたというわけです。
 アフガニスタンのタリバンはパキスタンISIと、サウジGIDから流れ込む資金と武器、貧しさとマドラッサでの偏った教育から続々うまれるタリバン志願兵、そして秩序回復の見返りとして麻薬密輸業者が支払う「10分の1税」を元手として、驚くほどの速さでアフガニスタン全土を席巻した。
タリバンについては、次のように言える。反ソ、ジハードの熱情から生まれ、CIAの養分をたっぷり吸って、ISIに狂気と凶暴さを教え込まれたタリバンという名の「フランケンシュタイン」が歩きはじめた。
 パキスタンという国を理解することの大変さが実感できる本となっています。
(2011年3月刊。2500円+税)

2011年6月 9日

餓死現場で生きる

著者    石井  光太  、 出版   ちくま新書

 15年間にわたって世界各地の貧困国に赴いてルポルタージュを書いてきた著者が、世界の子どもたちの現状を改めてレポートした本です。著者は、まだ30歳代も前半なのですが、とても冷静な筆致で、世界のすさまじい現実を淡々と描いています。
 著者の本は、これまでも『絶対貧困』(光文社)など、いくつも紹介してきましたが、この新書はこれまでの本の総まとめのような内容になっています。
日本の低体重児の割合は周辺国に比べて高い。北朝鮮7%、モンゴル6%、韓国4%に対して、日本は8%。この30年間で、日本の低体重児の出生率は2倍となった。その原因は、日本女性がやせすぎだということ。
途上国における子どもの死因は多い順に、肺炎、下痢、マラリアとなっている。いずれも感染症だ。
幼い子どもを犠牲にしても父親がまっ先に栄養をとるのは、自分本位とか差別というより、そうしなければ一家が成り立たないという現実があるため。
ストリートチルドレンは、満足に食事をとれない。すると、髪や肌の色がどんどん明るくなってくる。だから、人は白っ子と呼ぶ。しかし、これは栄養不足による病状をあざ笑う差別用語なのだ。
親が自分の娘を初めから承知して売春を強いるのは、親自身も売春しているときか、親が違法な薬物中毒になっていて善悪が認識できないときが大半である。
貧しい家庭では、息子より娘に教育を受けさせる。海外へ出稼ぎに行くには、それなりの英語力をはじめとした教養が必要になってくる。男性は肉体労働なので、それほどの教養は必要としない。
初等教育を受けられなかった子どもは社会に適応できなくなる。公用語が分からず、意思疎通ができない。社会性を身につけていれば、困窮していてもコミュニティー内での助け合い、労働力が可能となって生きてゆける。貧困層の人々は、必要な基本的教養が不足しているか、苦しい状況を少しでも良くなるようと迷信に頼って生活する。
親が子どもの身を守るため、幼いうちに結婚させるところがある。日常に大きな危険が潜んでいる状況では、できるだけ早目に結婚させたほうがいいのだ。
日本のエイズ感染者は2万人以下。日本では感染は予防できる。ところが、貧困国で、困窮した生活を送っている人々は免疫力が弱まっている。アフリカでは、淋病やクラミジアは尿道に炎症を起こすため、そこがエイズウイルスの侵入経路になっていて、HIV感染率が上がる。アフリカの売春婦は20代半ばまでに、そのうちの何%かは発病して命を落としているのが当たり前となっている。
淡々と、恐ろしい現実が次々に紹介されています。頁をめくる手が鈍ってしまう、とても重たい手軽な新書版です。ぜひ、あなたも読んでみてください。
(2011年4月刊。860円+税)

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