弁護士会の読書
※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。
中国
2024年11月 3日
清代知識人が語る官僚人生
(霧山昴)
著者 山本 英史 、 出版 東方書店
中国には「陞官発財(しょうかんはつざい)」という言葉がある。役人になって金を儲けることを意味する。
警察を含めて官庁に裏金があり、大問題になったことがあります。ところが、自民党の国会議員が何千万円、いえ何億円もの裏金を手にしていたことが暴露されても、それを恥じて辞めた議員はいませんし、自民党の総裁選の9人の候補者は全員が裏金問題は済んだことと知らん顔をしています。まさしく無恥厚顔の党です。こんな政党に票を入れてはいけません。そして、投票所に行かないのは、自民党に投票するのと同じです。
子どもは、勉強を始めると、儒教の基本教典を丸暗記させられる。
童試という試験は三段階。県試、府試、院試。県試の最初の試験は、夜明けに試験場に入り、日が暮れる前に答案を提出する、丸一日の試験。
試験の不正もあった。カンニングペーパーの持ち込み。そのため、世界最小の印刷物が生まれた。替え玉受験もあった。本人確認が難しい時代なので、案外簡単だった可能性がある。童試に合格すると、生員になれる。庶民と違った扱いを受ける。
清朝は中国支配のため、科挙を復活させた。試験本番は2泊3日、独房のような、窓も何もない小さな部屋にこもって答案を作成する。この2泊3日を3度も繰り返すので、6泊9日を過ごすことになる。ほとんどの受験生が徹夜の状態。そして、丸々3日間、試験官以外は誰とも話してはいけなかった。
科挙を受験するのは14万人ほどで、そのうち全国で1400人前後の挙人が誕生した。会試に合格すると、1ヶ月後に殿試がある。そして、最優秀者は「状元」という称号が与えられた。清朝268年間に、状元は114人が誕生した。
中国の知識人は、身なりを整えた者が酒に酔い潰れている姿を見るのを昔も今も嫌がる。
中国の県は、現代日本の感覚では「市」に近い。役所の置かれた場所は県城と呼ばれ、城壁で囲まれた町の中心にある。知県は、地元を直接に統治するので、地方官とも呼ばれた。知県の二大業務は、銭殻と刑名。銭殻とは、住民税を中心とする財務行政。刑名とは、裁判を中心に紛争を解決し、治安を維持する司法行政のこと。
知県は、硬軟両方の措置を講じて租税を確保しなければならない。思うように徴税できない知県の責任は重大で、厳しい処分が待っている。
裁判のときは、入れ知恵し、訴訟をそそのかす訟師(しょうし)という生員崩れの専門家が背後にいることが多い。裁定(判決)を下すのが、月に40件、年に300件くらいあった。知県の午後は、訴訟の審理に当てられる。知県の俸禄(給料)は70万円ほど。
中国では、伝統的に官僚の給料は著しく低い額に抑えられていた。
知県は実質的な収入が莫大なものになった。年に2~3万両の給料をもらえた。官僚の世界での上司対処のコツは、敬意と忠謹にあると考えている。
官僚は全員、3年ごとに勤務評定を受けた。不謹(不真面目)、罷軟無為(無気力)、浮躁(軽率)力不足、年老、有疾の6ランクがある。清朝の官僚には定年退職の規定がなかった。
清朝時代の官僚の実際を知ることのできる本でした。
(2024年4月刊。2400円+税)
2024年10月13日
モンゴル帝国
(霧山昴)
著者 楊 海英 、 出版 講談社 現代新書
チンギス・ハーンの創設したモンゴル帝国で、カギを握っていたのは、実は女性だったという視点に貫かれた新書です。最後まで興味深く読み通しました。
モンゴルの女性は、遠征や大ハーンを選出する政治集会やクリルタイや宮廷行事に参加していただけでなく、多くの場合、むしろ主催者だった。遊牧社会の経済を牛耳り、日常的に運営していたのは女性。男性は戦士であり、家庭の日常的な経済運営には関わらない。経済と子育て、一家の独立自強を支えているのは女性。
モンゴルの男たちは、みなマザコン。モンゴルなど、ユーラシアの遊牧民は娘を溺愛する。
チンギス・ハーン家と有力な貴族家との婚姻関係は双方向だった。モンゴル帝国が成立したあと、チンギス・ハーン家の娘たちは、草原の慣習法を背負いながらイスラム世界に嫁ぎ、かの地で子どもを育て、政治と軍事活動に加わった。
女性は、独自の天幕(ゲル)式宮殿おルド(宮帳)を持っていた。オルドには、多くの家臣と将軍が陣取り、複数の千戸軍団を指揮し、応範囲にわたって経済活動を展開した。猟は男性の遊びであり、軍事訓練でもある。
モンゴルの男性は、7歳くらいから猟に加わる。天幕の前で馬糞を燃やして人間の匂いを消し、馬の腹帯をしっかりと締めてから出発する。
族外婚の制度を実施する遊牧民は、なるべく遠くから嫁をもらう習慣を古代から現代に至るまで維持する。無理矢理の略奪婚でも、数日後には同じように正式の手続きを進めていかなければいけない。今日でも、結婚式は、略奪婚時代のしきたりに従って挙げられる。略奪婚は儀式と化して残っている。
チンギス・ハーンの本名であるテムージンとは、「鉄のように強い男」という意味。
モンゴルの女性は、ウバジャルタイという野生の果物の汁を顔に塗って、赤く見せていた。
遊牧民の世界では、部下の功績に対して公平に賞与を与え、戦利品を平等に分配することがなによりも重要なこと。
遊牧民の天幕は太陽の方向に門が開くように設営される。家の主人は天幕の北側に南面してすわる。主人の右側は男性のエリアで、左は女性の世界。主人の左に陣取る夫人たちも南に向かってすわる。侍女たちは北に向かって食事を用意したりして働く。
現代に至るまで、モンゴルの男性は、旅するときに自分専用の椀と食事用のナイフ類を持参する。
ユーラシアの遊牧民社会において、人間は父方から骨を、母方から肉を受け継ぐとされている。貴族は「白い骨」、庶民は「黒い骨」だと分類される。
チンギス・ハーンの遺体は故郷にもち帰られ、オノン河の西にそびえ立つブルハン山の頂上、万年雪をいただく峰々のなかに埋葬された。ええっ、大草原の地下深くに埋められ、地上部分は見事に整地されて誰にも分からないようにされたと聞いていましたが...。
高麗の出身者は、モンゴル人の大元ウルスの宮廷において多数派を占めるようにまでなった。ユーラシアの遊牧民社会のオルド(宮帳)に宦官はいなかった。そして、高麗出身の宦官と宮女が主力となった。
著者はモンゴル人として生まれ、日本に帰化しています。中国人(漢人)がモンゴル人を大量に虐殺した過程をたどった本の著者でもあります。
(2024年7月刊。1300円+税)
2024年9月22日
恐竜大陸・中国
(霧山昴)
著者 安田 峰俊 、 出版 角川新書
世界でもっとも恐竜が見つかった国は、アメリカでもカナダでもなく、中国。これまで322種が発見され、毎年10種もの新種の恐竜が報告されている。いやあ、これは驚きですね...。
ティラノサウルスやトリケラトプスなどの仲間の起源が中国大陸にあったことも判明した。ということで、中国は、今や世界一の恐竜大国だ。
中国の恐竜名は「龍」を「ロング」としたり「ロン」としたり混在している。
中国では年に20体ほど、恐竜の全身化石が見つかっていて、ありふれた現象になっている。
これまで、中国で恐竜化石発見には、農民が必ず登場していた。ところが、今ではネット社会なので、インフルエンサーが活躍している。
恐竜の卵の化石を発見したのは、なんと9歳の少年だった。2019年7月、広東省の河源市に住む少年。
恐竜のタマゴ化石は、中国では、すでに1万8千個も発見されている。いやあ、これはすごいですね、1万8千個とは、ケタ外れの数です。
恐竜の足跡化石もあちこちで発見されていて、家畜のエサ皿として使われていたのもあった。高僧の化石だと思われていたものが、実は恐竜の足跡だったということもあった。
ちなみに、台湾では恐竜の化石は見つかっておらず、今後も見つからないだろう。つまり、地層が古くなく、新しいからです。
中国が恐竜大国であることを実感させてくれる新書でした。
(2024年6月刊。960円+税)
2024年8月27日
台湾のデモクラシー
(霧山昴)
著者 渡辺 将人 、 出版 中公新書
これは面白い本でした。「台湾危機」をあおり立てる風潮が強まっているのは、軍備予算を拡大させて自分の金もうけにつなげようとする腹黒い人間がいかに多いかということだと思います。まあ、それにしても、この本を読んで、つくづく私をはじめ日本人の多くが台湾のことをちっとも知らないことに気づかされました。
台湾には「四不一没有」がある。四つのノー、ひとつのない。中国共産党が台湾に軍事力を行使する意思がない限りは、台湾の独立を宣言しない。国号を変更しない。憲法に「二国論」を盛り込むことを推進しない。現状を変更する統一か独立かの国民投票を推進しない。国家統一綱領や国家統一委員会の廃止をめぐる問題もない。
つまり、台湾の人々の多くは台湾の独立を望んでいるけれど、それが中国と戦争することを意味するのなら、もう少し先送りして様子をみようという賢明な選択をしているわけです。
それなのに、自民党の麻生太郎のように「台湾危機」をあおりたて、いざとなったら日本は戦争しても台湾を守るなんてバカなことを放言したのです。戦争が起きないようにするのが政治家の勤めなのに、お金欲しさに馬鹿なことをヌケヌケと言ったのです。許せません。
長く台湾を支配してきた国民党は一般庶民に直接訴える必要はなく、団体を通じて有権者を動員できると考えてきた。それに対して民進党は、社会的な草の根組織がなかったことから、市民を動かすために宣伝する必要があった。
アメリカと違って戸別訪問文化のない台湾では、辻立ちするか、集会を開くしかなかった。台湾は38年間も戒厳令を体験している。日常が非日常という日々を生きてきた。
アメリカへの台湾人留学生は多く、年間2万人を維持している。アメリカ留学帰りが一番偉く、次にヨーロッパと日本が来る。
台湾は学者閣僚が多い。台湾では、教授は尊敬の対象だ。台湾の政治集会は、台湾特有の夜市文化と一体化している。夜市と政治は、台湾では選挙集会をライブコンサートに進化させてしまった。集会は政策を語る場ではない。地域と同じ体験を共有して確認しあう場。感情の共振こそが大切で、政策論は関係ない。だから音楽が欠かせない。
テレビメディアが急に党派的になったのは、市場経済の競争原理が関係している。むしろ政治的に色があいまいな人はテレビに出演できない。政治討論番組は生放送ではなく、録画して、編集されている。
若い人々は台湾語を理解できないことが増えている。
台湾には言論の自由があるため、偽情報も流通しやすくなるというジレンマがある。
台湾が日本と決定的に違うのは、台湾の運動が成果をあげ、成功体験が学生そして市民に共有されていることです。1990年の「野百合(のゆり)学生運動」、そして2014年の「ひまわり学生運動」は、いずれも成果をあげて成功体験が集団的記憶として積み重ねられている。いやあ、これは日本と決定的に違いますね。
10年前に安保法制法反対運動は大きく盛り上がりました。弁護士会も市民とともに集会を開き、パレードをしましたが、若者そして市民のなかに成功体験を共有化することはできませんでした。
台湾について、大変勉強になりました。ご一読を強くおすすめします。
(2024年5月刊。1080円+税)
2024年8月14日
中国拘束2279日
(霧山昴)
著者 鈴木 英司 、 出版 毎日新聞出版
公安調査庁のスパイとして中国で逮捕され、6年という実刑判決を受けた著者による体験記です。著者は公安調査庁には中国に内通している大物スパイがいて、今も活動していると推察しています。
日本の公安調査庁は、オウム真理教のおかげで生きのびている、盲腸のような存在だとみられてきましたので、中国側の認定は誇大視だと思うのですが...。
この本で、中国の刑事司法手続の一端を知ることができました。
その一が、居住監視。逮捕ではないけれど、拘束されます。その実態は監禁そのもの。3ヶ月間という制限があるが、延長が許されている。そして、この期間は、法律援助(扶助)制度による弁護人は付けられない(付かない)。
著者が居住監視生活に入ったのは2016年7月15日。正式に逮捕されたのは2017年2月。そして、同年5月に起訴され、2020年11月にスパイ罪で懲役6年の実刑判決が確定し、刑務所に収監された。著者が日本に帰国したのは、2022年10月11日。したがって、6年以上、中国で監禁、拘束されたわけです。
著者に付いた弁護士は、著者からすると、「まったく期待外れだった」。著者が無罪を主張すると言っても、「それはやめよう、罪の軽減をめざしてがんばる」というだけ。著者の主張を否定も肯定もせず、応援することもなかった。「何もありません」「特にありません」としか言わなかった。スパイ罪の裁判だったからでしょうか。裁判は非公開。2回目の公判で判決が下された。
中国には、「認罪認罰制度」というのがあり、罪を認めて謝罪したら、法律によって刑期が短くなる。しかし、著者はあくまで無罪を主張した。
ちなみに、弁護士を依頼したら、40万元(820万円)かかるだろうとのこと。これはまた、べらぼうな金額ですね...。
裁判官、しかも最高人民法院の裁判官だった人が著者と拘置所で同室だったそうです。汚職で逮捕された元裁判官です。その元判事によると、中国の「依法治国」は、まったくのインチキ。そんなことは中国では不可能。中国に人権なんてない」とのこと。そして、中国の裁判官は最高人民法院の院長をはじめ、裁判官の全員が賄賂(わいろ)をもらっているとのこと。恐るべきことです。
かなり以前の韓国でも、弁護士が裁判官を接待するのが常識でした。今ではもうそんなことはないでしょうね...。でも、中国では、どうやら、今も、続いているようです。
アメリカ人(アメリカ国籍を有する人)が中国で逮捕・監禁・拘留されることはないとのことですが、日本人はときどき拘束されています。2015年5月から少なくとも17人の日本人が拘束され、うち5人は起訴されずに帰国した。10人は起訴され懲役3~15年の実刑判決が確定し、3人が服役中、1人は死亡、6人が刑期満了で日本に帰国した。
日本政府も、大使館、領事館も、日本人保護のためには何もやってくれない。日本人としては寂しい現実です。
(2023年5月刊。1600円+税)
2024年7月 9日
中国農村の現在
(霧山昴)
著者 田原 文起 、 出版 中公新書
これは面白い本でした。中国については相当数の本も読み、何回か行ったこともありますので、それなりに分かったつもりでいましたが、実はまったく分かっていないことをこの本を読んで、よくよく自覚しました。
韓国の、かの有名な「爆弾酒」ほどではありませんが、中国の宴会には酔いつぶれるまで乾杯を繰り返す儀式があります。私はそんなことはしたくありませんので、そんなときは、全然飲めないことにして逃げます。実は少しは飲みたくても、ガマンするのです。
中国官界の宴会には、表向きの賑(にぎ)やかさの裏に、言外に秘められた意味がある。村幹部を含め、現代の「官場」に生きる人々は腹芸に長(た)けた役者であり、タヌキでもある。つまり派手な宴会にしておいて形式的に歓迎を表明しておくと、相手の本意を察した客人は気持ちよく引き上げてくれるだろうということ。だから、そんな腹芸を知らない、うぶな日本人は宴会の翌日、みんなが歓迎してくれていると思っていると、あわわ、まだここにいたの...という反応に出会うというのです。こんなこと、日本では考えられませんよね...。
農村地帯に住む人々は、大都市の住民と自分たちを比べることはしない。あくまで身近な村人とのあいだで比べて競争する。なので、4階建の家が村のあちこちに次々に建つ。1階は物置きにして、2階に住む。3階と4階は、子どもたちが戻ってきたら、そこに住まわせる。それまでは内装せず、コンクリート打ち放しのまま。
家は巨大であり、勇壮であり、豪華なものでなければいけない。周囲が4階建の家なのに、自分のところは3階建てというのは「面子(めんつ)を失う」ことになる。こうやって、村から大勢の人々が都会に出稼ぎに出ているところでは、次々に4階建の家が立ち並んでいく。
中国で分家になるのは、日本と違って、本家が優位に立つことはない。あくまで兄弟間の徹底的な平等の関係が前提であり、兄弟は親の財産を公平に分配する。
中国では古い古い昔から戦乱の時代が続いたため、非常に流動性の高い社会であった。ここが、日本社会と決定的に違います。日本には地縁的なムラ社会が古くからありましたが、戦乱に明け暮れた中国には、そんなものはありません。では何があるかというと、血縁。安全保障の最後のよりどころは血縁だったのです。すると、どうなるのかというと、血族の中の誰かが出世すると、その人は一族を援助する「道徳的義務」を負うのです。
もちろん、これは日本にもないわけではありません。でも、韓国や中国ほど一族(血縁関係)に尽くすということはないように思います(私個人もそうですし、私の周囲にも見当たりません)。
若い農村出身者にとって、大都市は憧れの対象ではあっても、自身との「引き比べ」の対象ではない。都市は働くだけの場所でしかない。
伝統的な中国の農村には「村八分」はなかった。血縁にもとづく実力関係のほうが大事であり、地縁的な共同体が存在しなかったので、「村八分」というのは村民の行動を制御する力にはなりえなかった。
自分に関係のない人間と付きあうのは面倒くさい。これが家族主義者である中国村民の心情を的確に代弁している。
中国の農村地帯に入り込んで聴き取りすることの難しさがひしひしと伝わってくる本でもありました。
(2024年2月刊。960円+税)
2024年6月27日
魔都上海に生きた女間諜
(霧山昴)
著者 高橋 信也 、 出版 平凡社新書
上海には、20年以上も前に2度ほど行ったことがあります。当時もビル建設ラッシュでしたが、外壁づくりの足場が竹製だったのには驚きました。そして、まさしく人海戦術で高層ビルがつくられていました。ともかく上海は巨大都市、しかも超近代的なビルが林立していました。ここは社会主義でも共産主義でもなく、まごうことなき資本主義の国だと実感したものです。
この新書は、戦前の上海で母を日本人とする若い女性がスパイとして活躍していて、ついには日本軍によって処刑されてしまうという悲劇の人生を浮き彫りにしています。
当時、心ある中国人の青年は日本軍の横暴さを許せなかったと思います。でも、それを表立って言ったりは出来ません。それで、人知れずスパイ活動をする青年男女も少なくなかったのだと思います。
戦後、日本の国会議員にまでなった李香蘭こと山口淑子は、両親とも日本人ですが、父親と親交のあった中国人(藩陽銀行の頭取の李際春)の養女となって、「李香蘭」として歌手・映画俳優になったのでした。
本書の主人公は、李香蘭より6年ほど早く生まれています。父親は日本に留学中に日本人女性と親しくなり、女性を中国に連れて行き、娘は当時の中国人女性として珍しい高等教育を受け、その美しさから上海では有名な女性となったのでした。日本語もできて、社交的で聡明なことから、国民党CC団のスパイとして活動するようになります。
当時の上海は日本が全面的に支配することのできない大都会でした。租界として、欧米各国の勢力も無視できなかったのです。
鄭蘋如がスパイとして活動したのは、わずか2年半あまりという短い期間です。そして、その間に、ときの日本首相・近衛文麿の息子・近衛文隆と恋愛関係になったのでした。そして、このことを日本側が知ると、無理矢理、文隆を日本に引き戻してしまったのでした。双方にとっての悲劇だったようです。文隆は、その後、シベリアに抑留され、そこで病死したように思います・・・。
当時の上海には10万人もの日本人が生活していた。そして、鄭蘋如は、和平派の日本人グループと深く交流していた。
彼女の処刑に至るまでには、日本軍の判断が深くかかわっていた。
当時、上海は、常に中国の政治の象徴的存在だった。1930年代の上海の人口は360万人。ユダヤ人も2万人が住んでいた。フランス租界の警察署長は青幇(チンパン)のボスであり、租界の影の実力者だった。
父親は、日本留学から戻ると、一貫して国民党員であり、抗日意識をもった法務官僚だった。
鄭蘋如は、上海法政学院に入学し、23歳のとき、上海のグラフ雑誌の表紙を、その顔写真が飾った。なるほど、いかにも近代的な美人です。知的雰囲気にみちています。
日本軍が設立した放送局のアナウンサーとしても働いたことがあります。
鄭蘋如を「コミンテルンのスパイ」とした本もあり、当時の上海の混沌とした状況をうかがわせています。
1940年2月半ば、鄭蘋如は日本軍によって、上海郊外で処刑された。
母親は台湾に去り、そこで死亡。妹はアメリカへ移住。
ここにも悲劇の一つがありました。
(2011年7月刊。860円+税)
2024年5月17日
シン・中国人
(霧山昴)
著者 斎藤 淳子 、 出版 ちくま新書
今の日本では、「中国脅威論」なるものが大手を振るって通用し、自民・公明がすすめている途方もない大軍拡予算を支えています。
でも、それって思い込みでしょう。自民・公明そして維新などの政治家、さらには軍事産業でもうけようとしている人たちによる世論操作に乗せられているだけです。私はそう思います。戦争のないようにするのが政治家の役目なのに、今にも戦争が起こりそうだと危機をあおって、自分たちはひそかに金もうけにいそしむ。それが自民・公明の政治家たちの正体ではありませんか...。
この本は「脅威」の対象となっている中国の若者たちの実情の一端を伝えています。
まず私が驚いたのは、中国には離婚にあたってクーリングオフ(「冷静期」)があるというのです。離婚手続申請後の30日間は、手続きをいったん凍結するのです。日本でも、「共同親権」なんて実情にあわない馬鹿げた、しかも怖い手続を導入するより、よほどいいかもしれません。
さらに驚いたことは、恋愛中の(そして結婚している)男性は、女性にスマホのパスワードを開示する習慣があり、男性は断れないというのです。カップル間では一切の秘密があってはならないというわけですが、果たして現実的なのでしょうか...。
そして、結婚するとき、男性側は新婦側に結納金を贈る必要があり、今では、その相場が18万元(360万円)になっているというのです。この結納金を新郎側から新婦の家に贈る習慣は2千年以上の歴史があるそうですが、昔はこんなに高額ではなかったのです。
ところが、一人っ子政策、そして男性が女性より圧倒的に多くなってしまった結果、結婚したければ高額の結納金を支払えということで、年々、高額化していったのです。
さらに、今では、結婚したいなら、男はマンションを準備しなければいけないという「新しい常識」が定着しているというのです。しかもそのマンションたるや、1億円だったら安かったよね...というほど値上がりしています。マンション購入はカップルではなく、新郎側のファミリー全体のプロジェクト化しているのです。いやはや、お金がなかったら、結婚できないというわけなので、これも恐ろしい社会だというしかありません。
北京在住26年という日本人女性が、中国人の生活の変貌ぶりを生き生きと伝えていて、驚きながら一気に読み通しました。
(2023年2月刊。860円+税)
2024年4月26日
南京大虐殺から雲南戦へ
(霧山昴)
著者 青木 茂 、 出版 花伝社
中国は1944年5月から日本軍に対して反撃を開始した。垃孟(らもう)などの日本軍守備隊を全滅させるなどの勝利を重ね、1945年1月までに日本軍を雲南から追い払った。中国が「日本に唯一、完全勝利した」雲南西部を舞台とする戦役、つまり雲南戦を中国は滇西(てんせい)抗戦と呼んでいる。
ところが、このときの中国軍が蔣介石の国民政府軍であったことから、1980年代まで中国政府はずっと黙殺してきた。ところが、1990年代の江沢民政権になってから、中国政府は「歴史の空白」を埋め始めている。そして、2014年2月、中国の全人代常務委員会は9月3日を中国人民抗日戦争勝利記念日とした。
9月3日とは、1945年9月2日に日本政府が降伏文書に調印した日の翌日のこと。
滇西(てんせい)抗戦とは、前述したとおり、雲南省西部におけるビルマ援蒋ルートをめぐる日本軍と中国軍との戦い(雲南戦)のこと。雲南戦戦において、中国と日本の双方は、軍備を互いに増強しながら怒江(どこう)を隔てて2年以上も対峙した。
日本軍は、1942年に垃孟(松山)を占領し、第56師団113連隊3000人を駐屯させた。1944年8月、中国軍は全面攻撃を開始し、9月7日、日本軍から垃孟を奪還した。日本軍の守備隊1200人は全滅。中国軍も7600人もの犠牲者を出した。
日本軍があまりにも残虐な行為をしたことから、日本兵の死体は膝を折り頭を下げる姿勢(土下座埋葬)で埋め直され、倭塚がつくられている。日本兵に謝罪させるための土下座埋葬だ。日本軍に対する雲南地方の住民の怒りは今も鎮まっていない。日本兵の遺骨の収集や慰霊祭の実施は今も許されていない。それほど、現地住民の日本軍への反感は強い。
裁判所での調停の待ち時間のなかで読了しました。
日本軍って、本当にひどいことを中国でしたんですね、同じ日本人として、許せません。加害者は忘れても被害者のほうは忘れないことだということがよく分かりました。
(2024年2月刊。1700円+税)
2024年4月14日
美貌のスパイ、鄭蘋如
(霧山昴)
著者 柳沢 隆行 、 出版 光人社
父が中国人、母は日本人という、美貌の娘が中国側のスパイとなり、25歳にして日本軍から銃殺されたという実在の女性の足跡を詳細にたどった本です。
父と母が知りあったのは日本です。大勢の中国人留学生が日本にやってきました。そして、そのなかには日本人女性と知りあい結婚して、中国に渡った人たちがいました。父親となった中国人が留学したのは法政大学です。私の亡父も法政大学ですが、かなり後輩になります。
中国に戻ってから、父親のほうは国民党員として活動しはじめ、結局は、司法部で活躍します。母親のほうは、士族の末娘として生まれ、行儀見習いの奉公先で中国人留学生と出会って恋に落ち、親の反対を押し切って、中国に渡ったのでした。
父親は中国での弁護士資格を取得し、検察官として働くようになります。
そして、問題の彼女は三姉妹の二女として生まれました。彼女は、上海法政学院(4年制の大学)に入学します。
満州事変に始まる日本軍の侵略行為に対して彼女は愛国心(もちろん中国が祖国です)に燃える学生の一人として行動するようになります。1932(昭和7)年1月の第一次上海事変のころのことです。
そして、彼女は当時の中国を代表する人気月刊画報誌「良友」の表紙全面を飾ったのでした。たしかに間違いなく美人です。しかも、いかにも知性にあふれています。
1937年8月、第二次上海事変が起きるなか、法政学院3年生の彼女は、CC団に加入します。CC団とは、蔣介石の国民党の組織の一つです。CC団は「中統」とも呼ばれます。スパイ活動を主任務の一つとする組織です。国民党には、「中統」と「軍統」の二つがありました。
「軍統」のほうが、よりテロなどのファシスト的活動を得意としていますが、この二つとも、蔣介石に絶対的忠誠をつくす点ではあまり変わりがありません。そして、彼女は、「中統」CC団のスパイとして、日本軍の「大上海放送局」で働いたこともあります。
また、彼女は近衛文麿首相の子どもである近衛文隆に接近し、親密な交際をするまでになります。周囲が危険を察知して、急遽、文隆は日本に強制的に帰国させられ、関係は打ち切られてしまうのでした。
結局、「中統」を裏切り日本側についた人間を処刑する手伝いをするのに彼女は失敗してしまいました。そして、日本軍に出頭するのです。まさか銃殺されるとは思っていなかったのでしょう。
しばらく監禁されたあと、広い何もない荒野原で銃殺されてしまいました。1940年2月も半ばのことです。どうやらその遺体は今でも見つかっていないようです。現場付近が大々的に開発されたことであまりにも変わってしまったからです。
歴史の悲劇の一つがここにもあると思いました。
(2010年5月刊。2500円+税)