弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

中国

2020年12月23日

武漢日記


(霧山昴)
著者 方方 、 出版 河出書房新社

中国の中心部に位置する人口1000万人の巨大都市である武漢市はコロナ感染症の防止のため760日間も完全封鎖されました。そのとき一市民として武漢内部からネットで状況を毎日発信した記録です。一市民といっても作家です。
武漢市民は2020年1月20日から、恐怖と緊張のなかで3日間を過し、突如として封鎖令を迎えた。1千万の人口を有する都市が感染症のために封鎖されるのは、歴史上ほとんど前例のないことだ。
武漢市政府は、コロナ感染症の蔓延を防止するための決断を下した。この封鎖によって、500万人もの人が市内に帰宅できなくなり、900万人の武漢市民が外出できなくなった。
そして、家に閉じ込められた900万の武漢市民は、住民による自発的な組織をつくることによって日常生活の問題を解決していった。
それにしても、まるまる76日間の封鎖に耐えることは決して容易なことではない。武漢の封鎖は、4月8日に全面的に解除された。
武漢は、かつて楚(そ)の国に属していた。楚人は、武を尊び、屈託がなく、ロマン的で気ままな性格だ。そして、女性が強い。
政府は、武漢の医療スタッフと支援に来てくれた4万人以上の白衣の天使に感謝すべきである。政府がもっとも感謝しなければならないのは、自宅待機を続けた900万人の武漢市民だ。
政府は少しでも早く、市民に謝罪すべきである。いまは反省と責任追求のときだ。感染症の終息後、多くの人が一時的に心的外傷後ストレス障害(PTSD)を起こすだろう。
ある国の文明度を測る基準は、どれほど高いビルがあるか、どれほど速い車があるかではない。どれほど強力な武器があるか、どれほど勇ましい軍隊があるかでもない。どれほど科学技術が発達しているか、どれほど芸術が素晴らしいかでもない。ましてや、どれほど豪華な会議を開き、どれほど絢爛(けんらん)たる花火を打ち上げるかでもなければ、どれほど多くの人が世界各地を豪遊して爆買いするかでもない。ある国の文明度を測る唯一の基準は、弱者に対して国がどういう態度をとるか、だ。
いやあ、まったくそのとおりです。今のスガ首相を見てください。国民の前に顔を見せず、話しかけることもしない。それでいてGOTOトラベルに巨額のお金をつぎこみ、また軍事予算には莫大なお金を惜し気もなくつかって浪費ざんまい。しかし、医療や教育の現場には行こうともせず、目を向けることもありません。弱者切り捨てだけは貫いています。「ガースーです」と言って薄笑いするスガの顔には文明度なんて、カケラも感じることができません。残念でなりません。
著者は医療スタッフが次々にコロナ感染で亡くなっていったことを発信しました。2月25日の時点で26人もの人が亡くなったとのこと。そして、まだ若い医師が次々に亡くなっていったというのです。これは怖いですよね...。
実況中継のように「日記」が発信されていたというのですから、中国もまだ捨てたものではありませんよね。「極左」からの妨害や当局との軋轢もあったようですが...。
(2020年9月刊。1600円+税)

2020年11月 6日

文革下の北京大学歴史学部


(霧山昴)
著者 郝 斌 、 出版 風響社

1966年の春、中国で突如として文化大革命なるものが始まりました。私が東京で大学生になる1年前のことですから、まだ福岡の田舎の高校生でした。
初めのころは、文化面での批判と自己批判くらいに思っていたのですが、そのうち指導層のなかの激烈な主導権争いだということが分かりました。旧来の支配的幹部が次々に失脚していくだけでなく、激しい糾弾の対象となりましたが、あわせて知識人も主要な攻撃対象でした。
中国で北京大学と言えば、日本の東大以上の存在感がある大学だと思いますが、その歴史学部の助教授だった著者も糾弾されて、牛棚(牛小屋)に3年あまり監禁されたのでした。文化大革命の終結したあとは再び北京大学につとめ、副学長になっています。
1966年6月2日付の「人民日報」の一面トップは北京大学哲学部の聶元梓(じょうげんし)による大家報を紹介した。北京大学の陸軍・学長などを名指しで批判したのだ。
文化大革命の期間中に全国で摘発された人は100万人をこえ、「牛鬼蛇神」と呼ばれた。北京大学・清華大学の大学関係者のみ「黒幫」とよばれた。北京大学歴史学部に在籍する教職員100人のうち、批判され摘発されたのは3分の1をこえた。
学生たちは教師の頭髪を刈って「陰陽頭」にした。右半分は根っこから刈られ、左半分もバラバラの状態にされた。
学生たちの行動は、一個人によってなされたものではなく、その背後には幾千の学生たち、ひいては幾千万もの同世代の青少年が立っていた。
社会がここまで乱れた以上、国家の正常な状態はもはや期待のしようもなかった。社会に「疫病」がはやり、青少年層は全体として感染し、「狂熱的暴力集団性症候群」になった。
群集が理性を失い、感情的なイデオロギーにマインドコントロールされてしまったときには、どんなに荒唐無稽な行動でも起こすことがありうる。これは古今東西において例外はない。
清末の義和団も、その一例。義和団に入った群衆たちは、口で呪文を唱え終わると、自分の体に、「刀では切れないし、鉄砲の弾も通らない」不思議な力がついたと本心から信じ、目前にある西洋の鉄砲にも恐れず立ち向かっていった。
「牛棚」(牛小屋)のなかでは、甘言を弄したり、人の危急につけ込むようなことがさまざまな局面で起きていたが、その反面、善なる人間性の美しい部分も、こうした環境のなかでも粘り強く生きていた。
1968年春、北京大学の校内で武力闘争が起きた。
東大闘争が始まった(全学化した)のは1968年6月からですが、ゲバルト闘争は10月ころからひどくなりました。それでも、北京大学の武力闘争に比べると、まるで子どものチャンバラゴッコのレベルでした。
北京大学では巧妙な教授たちの自死が相次いでいますが、日本ではそんなことはまったく起きていません。
毛沢東による奪権闘争とその軍事的衝突の激しさは、日本人の私たちからは想像を絶するものがあります。中国の状況が複雑かつ混迷をきわめたのには、次のような違いもありました。
当時、北京大学には上層部幹部の子女が多く通っていて、その両親の大半は文革中に打倒された。しかし、青春まっ盛りの世間知らずの若者たちは、父母が打倒されても、それは自分とはまったく無関係であり、父母に問題があっても、それは父母のことであるから、自分は変わらず革命の道を進む。なので、やるべきことはやり、言うべきことは言うとしていた。地主・官農・資本家の子女を糾弾することがあっても、それは革命幹部の子どもである自分たちにはあてはまらないと信じていた。しかし、それが見事にひっくり返されてしまった...。
著者が名誉回復したのは1978年のことですから12年間も苦しめられていたわけです。
毛沢東の権力欲のおかげで中国の人々は大変な苦難を押しつけられたことになります。
読みすすめるのが辛い回想記でした。
(2020年3月刊。3000円+税)

2020年3月11日

中国人が上司になる日


(霧山昴)
著者 青樹 明子 、 出版  日経プレミアシリーズ

日本と中国とでは、仕事や会社に対する考え方が大きく違っているのですね。みんな違って、みんないいという精神は大切ですが、違いがあるということをきちんと認識しておかないと、とんでもない誤解が生じますね・・・。
常に上に行くことを考えている中国人にとって、転職するのはあたり前のこと。少しでもいい条件の仕事があれば、ためらうことなくそちらに移る。
日本人の常識で、中国人との人間関係を判断すべきではない。中国人からすると、日本の企業文化は、常に上から目線、社畜であることを要求しているだけ。中国人は何も間違った行動はしていない。日本人と比べて率直なだけだ。自分の気持ちにしたがって正直に行動して何が悪いのか・・・。
中国人が収入以上にお金持ちである理由の一つには、アルバイト問題がある。中国人は、アルバイト(副業)しやすいように会社は配慮すべきだと考えている。アルバイトが本業を侵食することがあっても、それは問題とならない。
中国では、親の職業を聞けば、すべて分かる、その人個人よりも、その人の背景が大半だというのは、中国社会の基本。
宮二代、富二代そして窮二代というコトバがある。
中国では、コネの有無ですべてが決まる。
中国人にとって仕事より家族が優先するのはあたりまえのこと。
中国では、何をするにも、まず「お友達」を探す。お友達がいないと、自分の順番は常にあとまわしになり、ひどいときには無視される。そして、このお友達には、それぞれ段階がある。
中国では、お友達のためなら、自分の身を犠牲にするのが美徳である。お友達のキーワードは、同郷、校友、幼なじみだ。
中国では靴よりケータイを見て、人を判断する。中国では、ケータイはステイタス・シンボルなのである。
爆買いの主役は、中国人の中間層である。すでに4億人に達している。
土豪とは、品徳のない成金を意味する。
大学生にとって、人生を左右する二つの重要な試験がある。大学院入試と公務員試験。公務員試験の志願者は毎年150万人をこえていて、最も競争の激しい試験になっている。
いやいや、ホント、こんなにも違うものなんですね・・・。読んでびっくりの本でした。
(2019年11月刊。850円+税)

2020年2月 9日

1億3千万人のための「論語」教室


(霧山昴)
著者 高橋 源一郎 、 出版  河出新書

「論語」って、なんとなく知っていますよね。「巧言令色、すくなし仁」、「三十而立、四十不惑」・・・。でも、今まできちんと読んだことは一度もありません。そもそも、きちんと読もうと思ったこともないのです。
私の敬愛する源ちゃん先生(年齢は私のほうが3歳だけ年長です)が20年もかけて「論語」を訳したというのです。それじゃあ、読んでみなくっちゃいけませんよね。
「論語」は一筋縄ではいかない本。というのも、孔子先生は、全部を言わないので、読み手のほうで、あれこれ考え推測して理解する必要があるから・・・。また、それがいいのですよね。まさしく読者参加なのです。
この本で源ちゃん先生は、超訳でも創作でもなく、ほんの少しだけ現代風にアレンジし、ほんの少しだけ通訳みたいに解説しているけれど、実は厳密に翻訳したのだと強調しています。私は、最後まで読んで、そのとおりだと納得してしまいました。
孔子による2500年も前の「論語」500編(正確には499編)が現代的に翻訳されている、恐るべき新書なのです。
「論語」の最期(499編)に登場するのは「ことば」。ことばを理解しなければ、ほんとうに人間を理解することはできない。ことばを理解すること、それこそが人間の究極の目標なのだ。
聖徳太子の十七条の憲法に「和をもって貴しとなす」とありますが、その元は、「論語」にありました。「論語」には「和を貴しとなす」とある。
なんでもやってみること、考えるのは、そのあとでいい。まちがっていてもいいから、とにかく行動に出てみる、それしかない。もちろん、私に異論はありません。
政治とは、国民を飢えさせないこと、国民を守るために軍備をきちんと「整える」ことをいう。そして、国民に信用してもらうこと。軍備より食糧よりも、「民衆の信頼」がもっとも大切なこと。
民衆からの信頼がなにより大切で、それがなくなったら、それは、もう「政治」ではない。
今の安倍政権がひどいウソを公然とまき散らしています。これって「政治」ではありませんよね。
情熱のない人間は、少しも進歩しない。受け身ではどうしようもない。なにか一つ教わったら、あとは自分で勝手にその一つの近くを掘ってみる。それくらいの積極性がないと、教える側の教員にとって教え甲斐がない。
「論語」って、こんなことまで言っていたのか・・・。驚きました。
博識・多才の学者による、きわめて明快な解説のついた「論語」です。一読の価値が十分でありすぎるほどです。「論語」の新しさを知るためにも、ぜひ、ご一読ください。
(2019年10月刊。1200円+税)

2020年1月17日

2030中国・自動車強国への戦略


(霧山昴)
著者 湯 進 、 出版  日本経済新聞出版社

今や世界の自動車は電気自動車、そして自動運転の時代に向かってしのぎを削っていることがよく分かる本です。
電気自動車の開発では電池がカギです。
「電池を制する者が電動化を制する」(トヨタの副社長)
トヨタは1兆5000億円を投資する方針だという。
車載電池は、2010年ころまではEVの航続距離は200キロほどだったが、現在は500キロをこえている。
電池のコストダウンを妨げている要因の一つが希少金属の価値高騰。コバルトは採掘量と使用量が他の金属に比べて少量で、埋蔵量はコンゴ民主共和国にその半分が集中している。2020年代半ばにコバルト不足が心配する可能性がある。
2030年の世界の電池市場規模は2017年の5,6倍、10兆円をこえ、中国のシェアは45%に達するという予測がある。
中国が自動運転車の開発を急いでいるのは劣悪な交通事情にも起因している。中国では、交通事故による死亡者が年に25万人をこえ、交通渋滞による経済損失が年間4兆円にのぼる。
自動運転を実現するには、クルマの位置特定、環境識別、行動制御が不可欠。とくに位置特定には、大量の路面データを収集・処理できる高精度地図が必要。高精度地図について、中国政府は安全保障上の懸念を理由として外資系企業の参入を厳しく規制している。
現在、BAT傘下の百度地図(バイドゥ)、高徳地図(アリババ)、四維国新(デンセント)がこの市場を寡占(かせん)している。
2018年に、新車販売台数が30万台以上の中国自動車グループは14社あるが、今後は主要5大グループ体制になっていき、そのなかからメガEVメーカーが生まれる可能性は高い。
2018年、日本車は東南アジア・インドで寡占状態にある。インドネシアで92%、タイで86%、フィリピンで81%、インドで60%。ここに中国勢が進出しようとしている。
日本車の中国における乗用車の市場シェアは2018年に18.8%、2019年には21.5%。2018年には500万台となった。2023年には、日系自動車ビッグ3の中国での生産能力は現在の2倍にあたる660万台を見込んでいて、欧米勢を上回ることになる。
中国大陸の大気汚染の要因の一つがガソリン車の排気ガスですから、電気自動車にかわることは日本国民にとってもいいことです。地球環境について、16歳のグレタさんが必死で訴えていることを私たちは真剣に受けとめるべきです。小泉環境大臣のようなふざけた対応は許しがたいと思います。
(2019年10月刊。1800円+税)

2019年12月 8日

暁鐘、革命家・李大釗の物語


(霧山昴)
著者 大川 純彦 、 出版  藤田印刷エクセレントブックス

第二次大戦前、革命前の中国で活動していた李大釗(りたいしょう)の物語です。
1927年4月6日、ソ連大使館に逃げ込んでいた李大釗と李を従う青年19人そして家族やソ連大使館ら60人余りが中国兵に踏み込まれて、逮捕・連行された。当時の北京政府総司令・張作霖の厳命によるもの。もちろん、外国公館への武装立ち入りを禁止する国防法を無視したものだ。ところが、欧米列強は、これを黙認した。ロシア革命が拡大、波及することを恐れていたから。
李大釗らは軍事法廷に引きずり出され、20人全員に死刑が宣告され、その日のうちに絞首刑に処された。李大釗は38歳だった。これは、軍閥政府による共産党大弾圧事件の犠牲者だった。
李は北京大学の図書館長をしていたとき、生活に困っていた毛沢東に図書館の仕事を世話した。周恩来は、北京で李から直接指導を受けていた。
魯迅は北京大学の講師として、李の同僚だった。
孫文が、「国共合作」をすすめるうえで、協議を重ね、信頼していた共産党の指導者は李だった。
李大釗は日本に留学し、早稲田大学政経学科に入学した。李大釗が日本にいたのは1913年から1916年までの3年間ほど。大学のゼミで指導を受けたのは、キリスト教社会主義者として名高い安部磯雄教授だった。安部教授によって李は社会主義への目が開かれた。安部教授は東京の下町である氷川下町でのセツルメント活動をしていて、ロビンソン牧師も一緒だった。
李は中国共産党の命名者でもあった。そして、国民党に入党し、「国共合作」をすすめた。李大釗は孫文と「国共合作」を協議して。その具体化をすすめた。
李大釗の死後、すぐには葬儀すら出来なかった。ようやく葬儀が出来たのは刑死のあと6年もたってからだった。
中華人民共和国が成立するのは1949年ですから、李大釗が亡くなって20年後のことでした。まだまだ厳しい苦難の日々が続いたのです。
李大釗の長女の回想録をもとにした自伝小説風になっていますので、とても読みやすい本です。
(2019年4月刊。1200円+税)

2019年12月 7日

幸福な監視国家・中国


(霧山昴)
著者 梶谷 慎、高口 康太 、 出版  NHK出版新書

中国の地下鉄駅ではX線による荷物検査を受ける。日本の新幹線のような高速鉄道に乗るには身分証の提示が必須。
街中いたるとこに監視カメラがあり、全国で2億台。2020年には6億台になるだろう。
中国をお訪問すると、その監視社会ぶりに驚かされる。
このように現実世界でもインターネット上でも、すべてが政府に筒抜けになっている。ところが、現状を肯定的にみている。これは驚くべきこと・・・。
中国の新・四大発明とは・・・。
1つは高速鉄道、2つはEC(電子商取引)、3つはモバイル決済、そして、4にシェアサイクル。EC、つまりネットショッピングは、全世界の40%を占め、世界一。
淘宝には、客がショップの信用評価をする仕組みがあり、このためショップは懇切丁寧に対応する。ネットショッピングの割合は日本が5.8%、中国は19%と3倍以上。
中国のモバイル決済は2680兆円に達する。そして、この巨大な資金の動きがアリババグループとテンセントの2社に把握されている。つまり、重要情報をこの2社だけで独占している。
アリババグループが展開する信用スコアの芝麻信用は、ユーザーの金融能力を点数で評価する。そのため、借りて返したという履歴を企業に引き渡すことで、自らを優良ユーザーとして証明でき、それが信用評価を押しあげる。
監視カメラは、日本ではひっそり目立たないように設置されている。しかし、中国では、むしろ、これ見よがしに、「監視しているぞ」と誇示する設置の仕方が多い。
住民の道徳的信用スコアは、どうなっているか。一切の違反がないと1000点。A級とは970点以上、850点以上はB級、600点以上をC級。それ以下はD級。
中国のインターネットユーザーは8億2900万人。全国民の60%に相当する。10年前の2008年には、まだ22.6%だった。
IT化の先進国・中国から、日本はいろんな面で大いに学ばねばならない。そう思ったことでしたが、同時に国民のプライバシー保護をどうするか、大きな課題です。
(2019年8月刊。850円+税)

2019年11月27日

満鉄全史


(霧山昴)
著者 加藤 聖文 、 出版  講談社学術文庫

日露戦争(1904年)で日本がロシアに辛勝したあと、ポーツマス講和条約(1905年)で、ロシアは東清鉄道南部支線を日本へ譲渡した。これがあとの満鉄となる。
ところが、日本政府内部では、この鉄道がどのような果実をもたらすものか、誰も分かっていなかった。すなわち戦略的な位置づけや基本的合意のないまま、満鉄という組織だけが出来あがっていった。
南満州での権限拡張に陸軍は熱心だった。そして、満州各地に領事館を設置していた外務省も熱心だった。
後藤新平は、1906年11月に満鉄総裁に任命された。満鉄は、単なる鉄道会社の範囲をこえて、多角経営をすすめた。1907年11月には「満州日々新聞」を発行したが、あわせて英字新聞まで発行した。また、ホテル経営にも進出し、「ヤマトホテル」を沿線主要都市に建設していった。さらには、調査部を設置した。
第二代総裁の中村是公(ぜこう)は夏目漱石を満州に招き、広報マンたらしめようとした。二人は学友だった。漱石が満州に着いたころ、満州では野球が盛んで、観戦している。
関東軍のはじめは、満鉄沿線の警備にあたる独立守備隊と、関東州に駐在する1個師団のあわせて1万人ほどの軍隊でしかなかった。
松岡洋右は、満鉄の理事・副総裁・総裁として11年にもわたって在職した。
松岡と張作霖は、根本的なところで思惑が違ったものの、表面的には利害が一致していたので、両者は手を結んだ。原内閣のとき、張作霖を利用しつつ、満州における日本の権益を拡張するという方針が定まり、これが1920年代の基本路線だった。満鉄の松岡総裁は積極的に張作霖を支援し、張作霖の中央政界進出を側面支援した。
ところが、これによって張作霖の政治権力が強大になってくると、満鉄ひいては日本は、満州を好き勝手にすることができなくなるというジレンマに陥った。
日本は、張作霖の性格や能力はある程度理解していたものの、その存在を支える漢人の社会的要請をまったく理解せず、あくまで一個の道具としてしか見ていなかった。
そのため、思いどおりになるとみていた張作霖の自我と自負の強さを直面すると、反感が大きく増幅され、ついに抹殺へとつながっていった。
1928年6月4日、関東軍の高級参謀だった河本大作大佐が主謀した張作霖爆殺事件が起こされた。このとき27歳だった張学良は、満鉄包囲計画を立てた。
1931年9月に始まった満州事変は、関東軍の単独・独走ということではなく、関東軍と満鉄の二人三脚によって進められていった。
満州事変の当初は、満鉄首脳部は関東軍への協力に消極的だった。それが180度方針転換したのは1931年10月のこと。1930年度、満鉄社員は3万4000人もいた。
満鉄と関東軍の蜜月時代は長くは続かなかった。
両者の立場は逆転した。ただし、満鉄は依然として満州国随一の巨大企業。満州国がひとりだちするには、満鉄の経済力と人材が必要不可欠だった。
満鉄に関する詳細な通史です。勉強になりました。
(2019年8月刊。1180円+税)

2019年11月 6日

チョンキンマンションのボスは知っている


(霧山昴)
著者 小川 さやか 、 出版  春秋社

チョー面白い本です。びっくりします。スワヒリ語の話せる著者が香港に生活するタンザニア人たちの社会に溶け込んでつかんだ、びっくりするような生態が分かる生きたレポートです。
スワヒリ語を話せることがこんなに「武器」になるなんて・・・。やはり語学は大切ですよね。
アングラ経済の人類学。このサブタイトルに異存はありません。
うまく騙すだけでなく、うまく騙されてあげるのが仲間のあいだで稼ぐうえでは肝要。
チョンキンマンションのボスを自称するカラマなる人物は、いかにも魅力的です。多くの人に一目置かれています。15ヶ国以上のアフリカ諸国の中古車ディーラーとネットワークをもっている。タンザニア香港組合の創設者で、現副組合長。
香港に長期に滞在するタンザニア人たちの主な仕事は、短期滞在型の交易人たちの輸出入のアテンド、仲介業と、インフォーマルな輸出・輸入業である。
これより先は、知りたくないという寸止めの態度がチョンキンマンションに長く暮らしている人々が実践していること。これは平穏に自らの人生をつむぐ知恵であり、いろんな事情をかかえた人々とつきあうための配慮にもなる。
タンザニア香港組合のメンバーは多かれ少なかれ「法」に違反している。それでも麻薬の売人や窃盗を兼ねて違法売春する者と、仲介業をしたり衣類や電化製品などの交易に従事する者とでは、「刑務所の近さ」あるいはトラブルの性質や頻度に違いがある。
彼らは、常々、「誰も信用しない」と断言している。
大切なのは仲間の数ではない。タイプの違う、いろんな仲間がいること。
他者の「事情」に踏み込まず、メンバーと相互の厳密な互酬性や義務と責任を問わず、無数に増殖し拡大するネットワーク内の人々が、それぞれの「ついで」に出来ることをする「開かれた互酬性」を基盤とすることで、彼らは気軽な「助けあい」を促進し、国境をこえる巨大なセーフティーネットをつくりあげている。
自分たちを対等であるとみなしていない人々に対しては、「扱いやすい人間」にならないことが肝要。そのためには、わざと約束をすっぽかし、彼らが会いたいと恋しがるころに会いに行くのがちょうどいい。
なーるほど、こんな人生哲学があるのですね・・・。
タンザニア人たちは、独立自営を好み、業者に労働者として雇われたり、他のブローカーと共同経営することは好まない。
カラマたちにとって、SNSに投稿するための写真や映像を集めるのは「遊び」であると同時に「大切な仕事」でもある。
彼らは他者に親切にすることで何らかの権力や地位を得ることには、ほとんど関心がないし、関心をもったとしても何の権力も地位も得られない。
香港のタンザニア人たちは、組合活動への実質的な貢献度や窮地に至った原因を問わず、組合員の資格や他者への支援にかかわる細かなルールを明確化せず、ただ他者の求める支援に応じるか否かを判断する。
彼らの日常的な助けあいの大部分は、「ついで」で回っている。
タンザニアに帰国するか、いつ帰国するかにかかわらず、彼らは「どこか」「いつか」のためではなく、「いまここ」にある人生を生きるために稼いでいる。
彼らの仕組みは、洗練されておらず、適当でいい加減だからこそ、格好いい。
著者は40歳の日本人女性で、立命館大学教授でもあります。すばらしいルポタージュですが、この一部は学術論文にもなっているとのことで、深みもあり、ともかく面白く読ませます。あなたも、ご一読してみてください。世界が広がりますよ・・・。
(2019年10月刊。2000円+税)

2019年10月26日

三体


(霧山昴)
著者 劉 慈欣 、 出版  早川書房

中国発のSF小説です。さすがにスケールが壮大です。
この「三体」3部作は、中国では2100万部も売れたというのですから、これまたスケールが日本とはまるで違います。
物語の始まりは1967年です。私にとっては東京で大学生としてスタートした記念すべき年でもあります。まだ大学内は嵐の前の静けさでした。ところが、隣の中国では文化大革命が深く静かに(実は、にぎにぎしく。静かだったのは報道管制下にあったことによる)進行中だったのでした。
文化大革命の本質は、実権を喪いつつあった毛沢東が権力奪還を企図して始めた武力を伴う権力闘争だった。ところが、表面上は文化革命というポーズをとっていたのでした。そこは毛沢東の巧みなところだ。そのため、この毛沢東が始めた文化大革命に全世界の文化人の一部が幻想を抱いて、吸い込まれていった。
武力をともなう残酷な権力闘争(文化大革命)の過程で、物理学教授である著者の父親は若い紅衛兵によって死に至らしめられた。
周の文王が突然登場したり、紂王(ちゅうおう)も出現したり、時代背景は行きつ戻りつします。そして、地球外知的生命体を探査するプロジェクトも関わってくるのでした。
やがて、秦の始皇帝まで姿をあらわします。いったい、この話はどんな結末を迎えるのだろうか...と心配にもなってきます。
三体時間にして8万5千時間、地球時間で8,6年後、元首が三体惑星全土のすべての執政官を集める緊急会議を招集した・・・。
ともかく、スケールの大きさが半端ではありません。縦にも横にも限りなく広がっていくのです。不思議な感覚に陥って、それを楽しむことができる本でした。
私はひたすら、すごいすごい、とてつもない発想だと驚嘆しながら読み通しました。
(2019年7月刊。1900円+税)

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